植物は決まった季節に花を咲かせる.このような生物の季節 現象をフェノロジーと呼ぶ.分子フェノロジーは,分子生物 学の技術によって捕捉される生物の季節現象である.特に,
遺 伝 子 発 現 定 量 法 の 最 近 の 進 歩 に よ っ て,分 子 フ ェ ノ ロ ジ ー 研 究 は 活 発 と な っ た.高 解 像 度 分 子 フ ェ ノ ロ ジ ー
(HMP)データとは,高時間分解能をもつ,十分頻繁に観察 された時系列データである.花成調節遺伝子のHMPデータ の解析は,植物が気温の長期記憶を有することを示唆してい た.さらに植物が,日長,長期気温,短期気温という3つの シグナルの位相差を利用して季節を感知している可能性につ いて論じる.
最近,自然条件下で生物を研究することの重要性が,
分子遺伝学や細胞生物学の分野において強調されるよう になった.こういったアプローチはイン・ナチュラ研究 と呼ばれている.このイン・ナチュラという用語は,自 然条件下(イン・ナチュラ)と実験室(イン・ビトロと イン・ビボ)を併せた研究が包括的理解をもたらすとい う考えを表すために作られた(図1).これまでも分子 生物学的アプローチは生態学や進化学に積極的に取り入
れられてきたが,それとは違う意味がそこにはある.イ ン・ナチュラ研究が強調されているのは,遺伝子や細胞 機能の理解という分子遺伝学や細胞生物学それ自身の目 的にとって,自然生育地での研究が必要であるという考 えに根差している.イン・ナチュラ研究では,実験室研 究とは異なる問題が取り上げられる.変動する環境下 で,生物はどのようにノイズの中からシグナルを取り出 して応答しているのか? 生物の調節機構は,自然生育 地で経験する幅広い物理的生物的環境下で機能するに足 る頑健性をもっているのか? 特に,イン・ナチュラ研 究においては,生物の機能を,変動する複合環境の中で 進化してきた機能として見直すことが重要視される.こ の解説の目的は,分子フェノロジーという新しい研究領 域を紹介するとともに,植物の季節応答の理解における イン・ナチュラ研究の必要性を示すことである.特に
「高解像度分子フェノロジー」と「位相差カレンダー仮 説」という重要な概念的枠組みを解説することで,イ ン・ナチュラ研究の果たす役割を浮き彫りにする.
Molecular Phenology in Plants : Molecular Mechanisms for Detecting Seasons
Hiroshi KUDOH, 京都大学生態学研究センター
植物の分子フェノロジー
季節を測る分子メカニズム
工藤 洋
日本農芸化学会
● 化学 と 生物
【解説】
分子フェノロジー
植物の開花や展葉・落葉などは1年の決まった季節に 観察される.開花期の季節性は温帯域では特に顕著であ り,多くの植物種の開花のピークは年のうちで特定の 10〜20日の間に見られる.このような,生物の季節ス ケジュールのことをフェノロジー(phenology)と呼ぶ.
植物のフェノロジーは年間の変動が大きく,それがど のような気象要因によって決まるかを明らかにすること は,生態学や生物気象学の長きにわたる興味の対象であ る.そのため,何十年間にわたるフェノロジーデータ,
特に開花フェノロジーのデータが蓄積されている.フェ ノロジーを予測することは,農学や林学においても主要 な研究課題の一つであり,また,将来の地球環境の変化 に対するフェノロジーの変化を予測することも求められ ている.
分子フェノロジーは,分子生物学の技術によって捕捉 される生物の季節現象と定義される(1).したがって,分 子フェノロジーのデータは,遺伝子発現,エピジェネ ティック修飾の変化やタンパク質,代謝物およびほかの 分子の量の季節パターンなどとなる.特に,遺伝子発現 定量法の最近の進歩によって,分子フェノロジー研究は 活発となった.分子フェノロジー研究は,自然生育地で 遺伝子の機能および制御を研究するイン・ナチュラ研究 の重要性を示すだけでなく,フェノロジーに対する見方 を変えつつある.フェノロジーが年によって変動するこ とは,環境変化に対する代謝や発生速度の単純な変化と みなすことはできなくなった.分子フェノロジーのアプ ローチによって,自然の生育地における環境変動の下で 進化してきた植物の積極的な応答として,フェノロジー が分析されるようになった.
遺伝子発現定量技術と分子フェノロジー
初期の分子フェノロジーデータは,遺伝子発現の季節 的変化をRNAゲルブロット(ノーザンブロッティング)
か逆転写PCRによって半定量的に調べたものである.
その例の一つとして,砂漠のマメ科植物を対象に,高 温,乾燥,酸化ストレスに関連する遺伝子の発現変化を 毎月調べる研究が行われた(2).その結果,夏期に40 C 程度の温度を経験したときにヒートショックタンパク質
(HSP)をコードする遺伝子が発現上昇することが見い だされている.ほかの例では,ジギタリス属(オオバコ 科)の植物において春から夏に防御関連遺伝子(カルデ ノリド生合成関連遺伝子)の発現上昇が(3),また,トウ ダイグサ属(トウダイグサ科)で休眠および炭水化物代 謝関連遺伝子の季節変化が半定量的方法による研究で報 告されている(4).
その後,リアルタイム定量PCR(定量PCR)が,遺 伝子発現の分子フェノロジーを研究するための標準的な 方法となった.この方法では,標的遺伝子の配列を決定 し,定量PCRのためのプライマーを設計することに よって,多様な植物種について遺伝子発現のより正確な 定量が可能となった.この方法を用いて,モデル種で機 能が十分に判明している遺伝子についての分子フェノロ ジ ー 研 究 が 行 わ れ て い る.FLOWERING LOCUS T
(FT)およびそのホモログは,植物の花成(花芽を形成 すること,植物の開花に向けて最初に起こる発生学的な 変化)に先んじて,葉から茎頂へ移動するシグナルであ るフロリゲンとして,シロイヌナズナおよびイネで同定 された.これまでに ホモログおよび関連する遺伝子 の発現の分子フェノロジーが,自然条件下で,しかも多 様な植物を対象に報告されている(ポプラ,ブナ,ウン シュウミカン,ブドウ,キャベツ,ハクサンハタザオ,
リンゴ,シトラス,キンカン,マンゴー,イチジク,な ど).それらの研究のほとんどが,開花期に先駆けて ホモログの遺伝子発現が上昇することを報告してい る(1).ほかの例では,ポプラにおいて,植物におけるア ンモニア代謝,窒素循環を調節する重要因子を含むグル タミンシンテターゼ遺伝子ファミリーの季節的発現が報 告されている(5).
マ イ ク ロ ア レ イ 法 お よ びRNAシ ー ク エ ン シ ン グ
(RNA-seq)法は,自然条件下で複数のサンプルについ て,ゲノムワイドに遺伝子発現(トランスクリプトー ム)を測定する最も広範かつ強力な技術である.これら の方法により,時系列のトランスクリプトームデータを 得ることが可能となり,分子フェノロジーの研究に適用 図1■イン・ナチュラ研究の役割を示す概念図
自然条件下でのイン・ナチュラ研究が,実験室でのイン・ビトロ,
イン・ビボ研究と統合されることにより,遺伝子や細胞の機能に ついてより包括的な理解が進む.
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されている(6, 7).マイクロアレイ法は,シロイヌナズナ などのモデル種を用いた分子フェノロジーの研究に適用 可能である.たとえば,屋外ほ場で,シロイヌナズナの 2系統を生育させた研究では,5,352遺伝子の発現につい て9回の時系列データが報告されている(6).栄養成長か 繁殖成長段階にあるかが,遺伝子発現の分散を最も説明 する要因であることと,栄養成長中に気温と降水量に高 い相関を示す遺伝子発現の分散成分があることが見いだ されている.それには,温度制御・乾燥応答に関連する 遺伝子が多く含まれていた.
RNA-seq法の出現で,非モデル植物を対象としたトラ ンスクリプトーム解析ができるようになり,分子フェノ ロジー研究にも取り入れられている.東南アジア熱帯林 において,一斉開花現象の環境トリガーを推定するため にRNA-seq法による分子フェノロジー研究が行われた(8). 一斉開花現象は,熱帯林群集を構成する大半の種が,数 年に一度,一斉に同調して開花する壮観な現象である.
一斉開花現象の過程を通してフタバガキ科の のトランスクリプトームが解析された.開花 の時期を決める2つの遺伝子のホモログが,乾燥に応答 するタイミングで遺伝子発現を大きく変化させた.その 2つの遺伝子とは,先述した と花成抑制因子
( )であった.ほかの乾燥 応答遺伝子も同じ時期に変化を見せた.これらにより,
乾燥が,一斉開花のトリガーと推定された.
高解像度分子フェノロジー(HMP)
従来のフェノロジーデータは,初開花日や開芽日など を年に1回記録するもので,解析可能なデータセットを 得るのに数十年以上を要した.一方,分子フェノロジー の特徴は,必要に応じて観測の頻度を増やせることであ る.これまでの多くの分子フェノロジーの観測は,年4 回(四季)〜年12回(毎月)や季節イベントの前後と いったものが多かった.
一方,高解像度分子フェノロジー(HMP: High-reso- lution Molecular Phenology)データとは,高時間分解 能をもつ,十分頻繁に観察された時系列データであ る(1).HMPの登場により,環境要因に対するモデリン グが可能となった.私たちの研究グループでは,シロイ ヌナズナ属の多年草ハクサンハタザオ(
subsp. )の自然生育地にフィールド 研究サイトを設けて,長期の分子フェノロジー研究を進 めている(図2).世界で初めてのHMPデータを取得し たのも,この研究サイトである(9).花成関連遺伝子の発
現を毎週測定し(約50回/年),2年間にわたり6株×
96時点からなる567のデータを報告した.このような HMPデータにより,気象環境から遺伝子発現や表現型 の季節的変化を予測するフェノロジーモデルの開発が可 能になった.さらに重要なことは,単に環境要因と遺伝 子発現を関連づけるだけでなく,システム生物学的アプ ローチを用いることで,遺伝子調節システムに関する複 数のパラメータをもつより複雑な仮説を,自然条件下で 検証することができるようになった.
HMP解析が明らかにした植物の記憶4 4 4 4 4
ここでは,イン・ナチュラ研究によって遺伝子機能の 理解が進んだ例として,先に挙げたハクサンハタザオの HMPデータによる研究を紹介する(9).最初に対象と なった遺伝子は,花成を司る遺伝子の一つで,温度応答 性の花成抑制因子をコードする
( )である.この遺伝子の調節機構については,
実験室とフィールドの両方で広範に研究が進められてお り,遺伝子機能の包括的な理解がかなりのスピードで進
んでいる(1, 10).
ここでまず,自然条件下における気温の季節変化につ いて考えてみよう.気温の季節変化の振幅は十分に大き いため,植物が毎年恒例のスケジュールを決定するため の主要な手がかりとなる.ところが,ここに自然条件独 特のパターンがある.野外での実際の気温は,季節より 図2■ハクサンハタザオの長期フィールド研究サイト
兵庫県中部に位置するこの集団では,2006年より毎週,継続調査 が行われている.
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も短い時間スケールで非常に大きく変動する.たとえ ば,昼夜の温度変化は,隣接する月の月平均気温の違い よりも大きい.また,天候によっても日毎に気温は変化 する.そのため,春だからと言って,気温が前日より必 ず高くなるというわけではない.つまり,気温の季節変 化とは,数週間単位の長期傾向なのである.そのため,
植物が気温の変化から季節を捉えるためには,気温の長 期情報を感受するしくみが必要となる(11).
植物の花成のタイミングにかかわる遺伝子として,モ デル植物であるシロイヌナズナの研究を通して,これま でに約200の遺伝子が見つかっている. はその中で,
春化(vernalization)の鍵遺伝子として同定された.春 化とは,植物が長期間の寒さを経験した後に花成が促進 される応答のことである.これは,冬が過ぎてから春に 花を咲かせるしくみと考えられている. は,MADS Box遺伝子の一つであり, をはじめとするいくつか の花成を促進する遺伝子のプロモーター領域に結合し,
それらの転写を抑制する転写因子をコードしている.し たがって,FLCは花成を抑制する因子であり, の 発現が高い間は,植物の頂端分裂組織では,継続的に葉 がつくられる.植物が長期の低温にさらされると,
の発現が抑制されるが,その抑制は暖かくなった後も維 持される.そのために冬のあとに花成が促進される(10). 私たちは,この の調節に,気温の長期傾向に応 答する仕組みがあると考え,そのHMPデータを取得し た.そのことにより,植物がもつ過去の温度記憶の長さ を自然条件下で推定しようと考えたのである.ここで,
モデル植物のシロイヌナズナの ではなく,多年草 である近縁のハクサンハタザオの を研究の対象と した.それには理由がある.シロイヌナズナは生活環が 短く,一度花を咲かせると枯れてしまう一年草である.
シロイヌナズナの では,長期の低温による発現抑 制が生活環の終了まで維持される.この状況では,
調節における記憶の長さを定義できない.記憶の長さを 測るには,一定期間維持された後に,記憶が一掃される 現象が必要である.多年草では, ホモログの抑制 が可逆的であることが報告されており(11),この系なら ば,自然条件下で記憶の長さを決定することができると 考えた.
私たちは,ハクサンハタザオの自然集団で, ホ モログ(以後単に と表記)のHMP研究を行った(9). 2年間にわたって,毎週,遺伝子発現を定量した結果,
の遺伝子発現の明確な季節パターンを捉えること ができた(図3a).遺伝子発現の顕著な変化は,秋から 冬,そして冬から春の間に見られ,秋には徐々に減少
し,春には徐々に増加した.それ以外の季節では(5月 から11月),発現は高く維持されたままであった.兵庫 県中部に位置するこの集団では,4月下旬に開花のピー クを迎える.ハクサンハタザオの頂芽では3月初め頃か ら花芽が見られ始め,5月末には同じ芽が葉を作るよう になる. の季節変化のパターンはこれらのタイミ ングとよく一致している.
ハクサンハタザオは,2年間の間,毎日大きく変動す る気温を経験していたが(図3b),それらの短期変動に は惑わされることなく 遺伝子の発現が季節の長期 傾向に沿って調節されていた.記憶の長さを定量的に評 価するために,HMPデータに低温要求量モデルを適用 することによって,ハクサンハタザオがどれくらいの長 さの過去の気温を参照しているかを推定した(図3c).
その結果,過去の参照期間42日間について,閾値温度 10.5 C以下の温度の積算量(CDH: Chilling degree hour)
を計算したもので(図3d), 遺伝子の発現量がよく 説明されることがわかった(図3e).解析の結果は,こ の42日間,つまり6週間の参照期間が重要であることを 明確に示していた.参照期間がこれより短くても,また 図3■ハクサンハタザオ ホモログの高解像度分子フェノロ ジー(HMP)データの解析
ハクサンハタザオ 遺伝子の発現は,過去6週間の気温に応答 して頑健にコントロールされていることが明らかになった(詳し くは本文参照).
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長くても, の発現量を説明することができなくなる ことがわかった.驚くべきことに,過去6週間の気温か ら計算したCDHが,自然条件下におけるハクサンハタザ オの 発現の2年間の変動の83%を説明した(図3f). この研究が,温度以外の要因も大きく変動するハクサ ンハタザオの自然生育地で行われたことに注意する必要 がある.解析した植物は,台風時に水没したり,積雪に 覆われたり,乾燥ストレスを受けたり,あるいは食害を 経験したりしていた.しかし, 発現の制御は,過 去6週間の温度に単純に依存していた.このことは,
の制御は季節の温度を検出するだけでなく,複雑 な自然条件の下で機能することができる頑健性を備えて いることを意味している(図3g).
分子フェノロジーモデルの開発
フェノロジーモデルとは,気象データに基づいて,生 物のフェノロジーを予測するモデルのことである.従来 のフェノロジーモデルは,初開花日などを年1回,数十 年にわったて記録したデータを使って作られていた.そ れに対して,分子フェノロジーの手法を用いれば,植物 の内部状態について年間を通して測定することが可能と なる.そのため,HMPデータを用いることによって,
フェノロジーモデルの開発が格段にスピードアップし,
1年か2年のデータでフェノロジーモデルの開発と検証 が可能となった(1, 12).
遺伝子ネットワークを組み込むことによってハクサン ハタザオの開花期の開始と終了を予測するモデルを構築 する研究が行われた(13).この研究では,最小の遺伝子 ネットワークによってフェノロジーを予測することを目 的としており, と のホモログのという2つの遺 伝子の発現動態からなるモデルでフェノロジーを予測す ることに成功した.冷温帯(北海道)と暖温帯(本州中 部)に位置する2つのハクサンハタザオ集団から植物を 採集し,研究に用いた.室内実験で,モデルのパラメー タを決定した.さらに,2集団の植物を相互にそれぞれ の気候帯に位置する屋外ほ場に移植し,4セットの HMPデータを得た.モデルは,正確にそれぞれのHMP データでの2つの遺伝子の発現を予測した.また,開花 期間の開始と終了をも正確に予測することが示された.
このモデルを使って,地球温暖化が進むとハクサンハ タザオの開花期間が短くなることが予想された.気温が 上昇すると開花の開始が早まるが,それよりも大きく終 了が早まるために開花期間が短くなると予想されたので ある.この研究は,室内実験によるパラメータ推定と
HMPデータによる検証を組み合わせることで,フェノ ロジーモデルを極めて短期間に構築できることを示した.
複合環境下での季節感受:「位相差カレンダー仮説」
これまで紹介した の研究は,植物が長期の温度 変化を記憶するとともに,短期的な変動を無視すること により,気温の季節変化に応答することを示した.しか し,気温の季節変化を感受できたとしても,周期をもっ て振動するシグナルには共通の問題がある.それは,最 大値と最小値を除いて,同じシグナルレベルが年に2回 現れるということである.この問題は,位相が異なる複 数の周期シグナルを使用することによって解決すること ができる.
ここで「位相差カレンダー仮説」を紹介したい(1).複 数の季節シグナルの位相差を利用できるなら,植物は,
1年中を通して季節を識別することが可能となる.これ までも,季節の検出のために植物が複数のシグナルを使 用する経路をもつことが指摘されている.シロイヌナズ ナでは,光周期,長期の気温,短期の気温がそれぞれ,
花成の時期に影響することが報告されている(図4a). しかし,自然条件下に存在するシグナルの間の位相差に ついて議論されたことはなかった.ここでは,ハクサン ハタザオの ホモログのHMPデータ(9)を利用して,
「位相差カレンダー仮説」を説明する.特に,植物の季 図4■位相差カレンダー仮説を説明する図
シロイヌナズナの花成タイミングを決める3種類の環境シグナル(a). 自然条件下では,これらのシグナルの季節パターンに位相差があ り,光周期‒気温位相差カレンダー(b)と短期‒長期気温位相差カ レンダー(c)を仮定することができる(詳しくは本文参照).
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節制御で主要な役割をもつ可能性がある2つの位相差カ レンダーについて議論する,それは,すなわち,光周期
‒気温位相差カレンダー,短期‒長期気温位相差カレン ダーである.
光周期‒気温位相差カレンダー
自然条件下で普遍的な条件であるにもかかわらず,こ れまでほとんど研究されてこなかった環境条件が,季節 的な光周期と温度変化との間の位相差である.1年間の 光周期変化の中で,昼の長さの最長日(夏至)と最短日
(冬至)は,6月22日と12月22日頃である.一方,最も 暑い日と寒い日は,日本では,それぞれ夏至と冬至から おおよそ1.5カ月遅れてやってくる.
光周期は,暦どおりに変化するという点では,信頼性 の高いシグナルである.光周期のパターンには年による 変動がなく,その点が気温と対照的である.シロイヌナ ズナで明らかとなった光周期を感受して花成を促進する しくみは,この高い信頼性を反映するかのように,毎日 の日長を測るしくみとなっている.これは,ハクサンハ タザオ に見られたように,気温に対する応答が6週 間もの長期の過去を参照するしくみをもつのと対照的で ある.
シロイヌナズナをはじめとする多くのアブラナ科植物 は,長日条件下で の遺伝子発現が高くなることによ り,花成が促進される長日植物である(14, 15).シロイヌナ ズナの 遺伝子の発現は,夕暮れに向かって蓄積する CONSTANS(CO)タンパク質によって増加するように 制御される. の発現は,体内時計によって調節され て夕暮れに向かって高まっていくが,転写・翻訳された COタンパク質は,明条件下では安定化するが,暗黒化で は急速に分解される.そのため, 遺伝子の発現ピー クに向かって,まだ明るければ(すなわち,長日) CO タンパク質が蓄積され,その結果, 遺伝子の上昇に つながる(図4a).このしくみは植物が光周期を測定し,
毎日改訂していることを意味する.シロイヌナズナを,
長日と短日の間で移動させると,3日以内に対応する光 周期に遺伝子の発現が調整されることが報告されてい る.
のような過去の気温の長期記憶を考えると,光 周期シグナルと気温シグナルの間の位相差は,植物細胞 においてはさらに拡大されていることが予想できる.ハ クサンハタザオがシロイヌナズナと同様の光周期の測定 システムをもっていると仮定すると,ハクサンハタザオ における ホモログの1年間の遺伝子発現を光周期
に対してプロットすることにより,仮想的な光周期‒気温 位相差カレンダーを視覚化することができる(図4b). この2次元の位相空間では,花芽形成のタイミング,そ れに引き続く開花期間,栄養成長への復帰による終了の 時期がほかの季節から分離される.
短期‒長期気温位相差カレンダー
過去の温度記憶の特性として,参照期間が長くなるほ ど,より最近の気温の変化に対して変化の遅れが生じる.
この特性のために,短期と長期の気温情報の間で位相差 の情報が得られる.シロイヌナズナの開花時期が温度に 依存して調節される経路としては, による春化だ けでなく,より暖かい気温に応答する経路も知られてい
る(16, 17)(図4a).
シロイヌナズナでは,長日条件下で16 Cに比べて23 C 下で開花が早くなることが報告されている.また,23 C から27 Cというわずかな温度上昇が,短日条件下での花 成を誘導することも示されている.春化についての詳細 なメカニズムがわかっているのとは対照的に,暖温に対 する応答は,最近研究され始めたばかりである.長日条 件下で気温が上昇するにつれ,抑制複合体の構成要素の 一つであるSVPタンパク質が活発に分解され, など の発現の活性化が可能となる(18).
( )の温度依存性選択的スプライシングもまた,
SVP‒FLM複合体の活性に影響することがわかった(18). 近年,マイクロRNA(miRNA)も花成の温度依存性調 節に関与するとされている(19).
比較的短い過去の暖温が花成を促進すると仮定すると,
短期および長期の温度間の位相差カレンダーを仮定する ことができる(1).このようなカレンダーを,ハクサンハ タザオの ホモログの1年間の遺伝子発現値を短期 の温度シグナルの代表値に対してプロットすることによ り視覚化することができる(図3c).この図では,短期 的な温度シグナルとして,過去2週間の5 C以上の温度 の積算量(HDH: heating degree hour)を用いた.花芽 形成とそれに引き続く開花期間のタイミングが,二次元 位相空間でほかの季節から分離されることがわかる.
おわりに
本稿で議論した,2つの位相差カレンダー仮説は,互 いに排他的ではない.シロイヌナズナの花成タイミング 制御についてこれまで報告されてきたメカニズムが自然 条件下でどのように機能するかを考えた場合,3つのシ
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グナルは,三次元の位相差カレンダーとして統合されて いる可能性さえある(1).花成タイミング制御にかかわる 代表的な環境シグナルが,自然条件下で季節的な位相差 をもつこと,そしてそれが少なくとも温帯域では普遍的 であることは強く意識されるべきであろう.光周期が最 も先行し,その後4〜6週間の位相差で短期の温度が変 化していく.さらに,4〜6週間の位相差で長期の気温記 憶が変化する.自然条件下で季節シグナルの役割を解釈 する際には,この位相差を考慮する必要がある.位相差 の役割に関する研究はこれからであるが,シグナル間の 位相差をコントロールした実験によって,複数の季節シ グナルが植物細胞内で互いにどのように調整され統合さ れているかを理解する必要がある.最終的には,自然条 件下におけるイン・ナチュラ研究が不可欠であり,それ によって,変動する環境下で,植物が頑健に季節を測る メカニズムを理解することができる.
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プロフィール
工 藤 洋(Hiroshi KUDOH)
<略歴>1988年静岡大学理学部生物学科 卒業/1994年京都大学大学院理学研究科 博士後期課程修了/同年米国スミソニアン 環境研究所研究員/1996年東京都立大学 大学院理学研究科助手/2002年神戸大学 大学院理学研究科准教授/2008年京都大 学生態学研究センター教授,現在に至る
<研究テーマと抱負>植物の分子生態学/
長く観察する<趣味>家族とでかけること
<所属研究室ホームページ>http://www.
ecology.kyoto-u.ac.jp/~kudoh/
Copyright © 2016 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.54.548
日本農芸化学会