10月5日 堺市鉢ヶ峯 こをどり
堺市(もと上神谷ニ ワ ダ ニ村大字鉢ヶ峯寺にあった式内国神社に伝わる神事芸能であった。国神社は明治41年同村庄蔵の 桜井神社に合併され、境内に末社となっている。
鉢ヶ峯の若衆が朝8時半、まづ国神社の趾に集って衣裳をつけて1踊りして、次で道歌と唄いつゝ4キロ程離れた 桜井神社へ参入して踊る。
10月5日が近づくと足揃えといって稽古が始まる。
中踊
鬼踊神 2名 新発知 1名 鐘打ち 1名 音頭取 2名 外踊 11名
天狗2名、太鼓打8名、扇振り1名。
踊りの途中で鬼神の背負っているヒメコを参拝人が奪いあいこれを門口に挿しておくと魔除けになるという信仰 がある。
踊歌9~10曲目ほどある。中世から、しのび踊丈けは禁忌となる。
鎌倉踊
鎌倉殿は今日もしょりしょり小川にしょんぎり 小藪石垣、藻垣に高堀を築いて・・・・
やかた踊
いよやかたへ踊りて
御門の掛りを見渡せば・・・・・
鉢ヶ峯部落は現在108戸。そのうち鼓踊の当屋をつとめる家は5軒ある。昭38年は森口さんの家。5軒は毎年1 年交替で当屋をする。当屋のすることは、当日の踊子全員の食事を負担する。
国神社で鎌倉踊、鮎引踊。当屋(=38年は森口家)を出るときお蔭ぶしもやる。
館踊、四条の踊、お山踊。
踊は全員25才までの青年がやる。108戸のもの全部。但し現在は強制出来ない。役による年令層、又は年順はな い。夫でその得手のものをやる。但し、太鼓のように1番太鼓から8番太鼓まで皆重さが違うようなものは初め軽 いものから年のゆくにつれて重い太鼓の方に廻る。
初め当屋の家に集って衣装づけをする。揃って当屋の家を出るとき(8時30分)お蔭節を歌う。ついで道歌、国 神社へ行く。国神社は桜井神社に合祀された前の宮趾で現在社殿はない。鉢ヶ峯の人はお宮といっている。
そこで鎌倉踊、鮎引踊を踊る。次いで道歌で桜井神社へ向う。約2キロ。
鉢ヶ峯村落で家々から、お花を貰った家へは後で鬼神の背に負ふた花串を分ける。村を外れると面をとってぶら ぶらと行く。庄蔵の部落へ入るところで又態勢を整える。
桜井神社の祭祀には地車が各部落から5つ集まる。そのあとを道歌で神社へ入る。
地車のお祓があって出て行ったあとで、こをどりをやる。昭38年は鮎引踊を1曲やった。休憩(11時)。午後は 他の部落のお花の家を巡って帰るのは夕方になる。それから1ぱいやる。