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道徳と宗教

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(1)

道徳と宗教と法

澤山晋太郎

富士市学問の会

(2)

自己紹介

澤山晋太郎 2001年慶応義塾大学理工学部物理学科卒 2007年東京工業大学理工学研究科基礎物理学専攻卒 博士(理学)、理論物理学者、哲学者 専門は一般相対性理論だけれども、哲学の研究者でもある。 今は個人塾の経営をしながら個人の研究者である。

(3)

研究履歴

主な研究結果はブラックホールの消滅問題を解いたこと。 1975年にホーキングが提唱してから、延々と難問で、世紀の大 問題の一つだったが 自分が2006年に解いている。 最終的にブラックホールは消滅することを証明した。 そのほかにも言語学の研究や哲学の研究もある。 出版物「道徳と宗教と法」「日本人の民間信仰と思想」「高校物 理数学」「曲がった時空のQFT」eブックランド社

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インデックス

• まえがき

• 道徳とは何か

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• 宗教社会学入門

• 道徳の哲学

• 宗教と法

• 宗教と日本人思想

• あとがき

(5)

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まえがき

自分は理論物理学者であって、かなり厳格なサイエンティストで ある。 宗教など非科学的と思っていたころが長かった。 しかし、なぜそういうものを研究し始めたのかには深い理由があ る。 研究の世界は死ぬか生きるかの修羅の世界だった。 生き延びるためには他人を蹴落としてでも生き延びなければな らない ような世界であった。 しかし、そんなことを延々と繰り返していて良かったのか疑問に 思うようになった。

(7)

まえがき2

日本では一年間に3.5万人以上が自殺している。 それが十年以上続いている。 そんな状態は異常と気がつき始めた。 子供のころに確かにあった道徳というものがどういうものだった か 自分は熱心に研究し始めた。 今の若い世代は修羅の世界に生きているけれど、 日本は修羅の国ではないので、そういうのはやめたほうがいい と思った。

(8)

まえがき3

日本には確かに昔道徳があったような気がした。 少なくとも戦前生まれの自分の爺さんや婆さんは自分に聞かせて いたし、 何かあったと気がつき始めた。 確かに今の日本は道徳など全くないようになってしまった。 戦前まで天皇を神と教えていた反動で、 一切の宗教を教えなくなった。 しかし、宗教という非科学的なものはないよりはあったほうがいい と思い始めた。 非科学的だけれども存在すべくして存在してる。 日本は道徳などまるでない国になってしまったけれど、 それで大丈夫だったのか疑問に思った。

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1道徳とは何か

定義:道徳とは心のありようである 心とは異なる 心ならば科学的に扱うことができるが、 これはなかなか科学的に扱えない 宗教との関係も相当ある 世の中には「~である。」と「~であるべき。」の二つの論調があ ると思うが、科学では後者を扱えない。道徳は後者であるが、 それは宗教などの非科学的なことの言うべきことである。道 徳と宗教はほとんど同じものである。

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2道徳の哲学史

今から2500年ほど前に三人の人が道徳を研究し始めた ソクラテス、釈迦、孔子である。

(13)

三人の紹介

ソクラテス:哲学の起源

釈迦:仏教の起源

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西洋風の道徳の哲学史1

ソクラテス

無知の知で有名な人物。古代ギリシア人で初の哲学者。 それまではソフィストがいたけれど、君は本当に知っているのか と言って「汝無知であることを知れ」と説教していた。 しかし、道徳について延々と考えていた。 道徳について、考えているときに一人の青年に次のように言わ れる 「ソクラテス先生は道徳を研究しているようだが、道徳とは心の ありようである。それならば観測できないので科学的に真偽 を決定できないではないか」

(15)

ソクラテス2

それに対してソクラテスは次のように答える

「これは東方で聞いたことだが、人間には生まれ変わり

があるらしい。それによると、自分は前世で神だったこ

とがあるらしいので、その真偽を答えられる」

ここでの生まれ変わりは古代インドの輪廻であり、輪廻

では天道があるので、生まれ変わりで神にもなれると

いう考えがある。輪廻は古代インドの考え。

これではソクラテスは答えたことになっていないし、ソク

ラテスを打ち負かした青年の言っていることはまるで

正論である。

(16)

西洋風の道徳の哲学史2

プラトン

ソクラテスの弟子、プラトンは政治学の父。国家を書いてい る。 国家は政治学の古典 プラトンはソクラテスが答えられなかった問いに次のように 答えている。 「人間にはたまに神が憑依するから分かる」 確かにギリシア神話では神が人間に憑依して神託を下す ようになっている。

(17)

西洋風の道徳の哲学史3

アリストテレス

プラトンの弟子、法学の父 法治国家の元を考えた人 もうすでに、道徳には答えなかった アレクサンダー大王の家庭教師でもある

(18)

西洋風の道徳の哲学史4

キリスト

紀元元年生まれとされていたが、最

近だと紀元7年ころに生まれたとい

う説が有力。

このころはもうすでに古代ローマの

時代で、キリストやその使徒たちが

キリストの言っていたことの普及に

努めていた。(後述)

ただ、ローマではすぐにはキリスト教

は受け入れられなかった。

(19)

西洋風の道徳の哲学史5

アウグスティヌス

コンスタンティヌス帝とミラノ勅令を結ぶ(321年だと思ってい たが、諸説あるらしい) 神学大全(全十巻)を書いてキリスト教を古代ローマに普及さ せた人 カトリックの創始者 キリスト教を古代ローマに受け入れさせるために、キリスト教 の内部に古代ギリシア・ローマ神話を取り入れる。 これ以降はヨーロッパがキリスト教こそ道徳の世界になって しまい。暗黒時代のようになる。少なくとも道徳研究ではか なり遅れた。

(20)

宗教改革

ルターやカルヴァンがドイツで宗教改革を行う。 福音の起源。カトリックが腐敗したために起こる。 福音と言っても色々な派閥があるけれど、 聖書原理主義である。 ルターが天職という言葉を作ったので、福音は金もうけ主義 だと思われている。 そこでカトリックと福音で対立がある。

(21)

西洋風の道徳の哲学史6

カント

キリスト教道の暗黙の理解から抜け出

す初めての人

プロイセン(今のドイツ)の哲学者

1781年に「純粋理性批判」を書く。

これは純粋なる理性を批判している。

つまり、理屈で道徳を考えていくと、全

て破綻しているので、あまり理屈で考

えないようにしようと言っている。キリ

スト教もちょっと理屈じゃないけれど、

そういう理屈じゃないものを受け入れ

ようと言っている。つまり、暗に道徳に

根拠のないことを言っている。

(22)

西洋風の道徳の哲学史7

ニーチェ

1844~1900

カントはキリスト教を全否定しなかったが、ニーチェは

キリスト教を全否定する。

「神は死んだ」などと言っている。

有名な本で、「道徳の系譜」、「善悪の彼岸」、「ツァラ

トゥストラはかく語りき」の三つがある。

日本の解説書には色々とあって、神を否定したのか、

キリスト教を否定したのか、ヨーロッパを否定したの

か、色々と説がある。

(23)

ニーチェ2

一応、道徳研究で有名になった。

「道徳の系譜」では善悪二元論はゾロアスター教が起源

であることを言っているし、

「善悪の彼岸」では善悪に依存しない考え方をしようと

言っている。

「ツァラトゥストラはかく語りき」では神を否定している。ち

なみに、その中で「神は死んだ」って書いてある

無神論者、ちなみに、後で精神を病む。これ以降の哲学

を現代思想と呼ぶ。

この中で、善悪などの宗教道徳にとらわれない人のこと

を超人と呼んでいる。

(24)

ニーチェ以降

ニーチェ以降、無神論者が大量に増える。

例えば、カミュなどである。

それ以降になって、不条理文学が生まれるのに注意さ

れたい。(後述)

それ以降の無神論者の大半は精神を病むようになっ

た。

ちなみに、それ以降の哲学は現代思想になるのだが、

フロイトとソシュールによって、

心と言語が哲学のテーマになる。

(25)

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(26)

宗教社会学入門

• 一神教

• 仏教

• 儒教

(27)

一神教

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は実は同じ神を信じ

ている。

ユダヤ教では

YHVHが神の名で、キリスト教では三位

一体説があるので、ちょっと変わってくるが、アッ

ラーは

YAVHと同じである。

キリスト教とイスラム教は対立しているように見えて同

じ神を信じている。

同じ思想で終末思想というものを信じている。

同じ神を信じているので、イスラエルが同じ聖地。

(28)

一神教2

ユダヤ教ではユダヤ人だけだが、キリストとイスラムは、

人類終末期になって、救世主が現れて、人類を全て

生き返らせて、天国に生かせるか、地獄の業火で焼

かせて殺すかの二択にするという思想。

生き返りを信じているから土葬にしている。

では、何が違うかというと、預言者が違う。聖書には二つ

あって、新約と旧約があるが、旧約は三つとも共通。

アブラハムが預言者なのがユダヤ教で、キリストが預言

者なのがキリスト教、ムハンマドが預言者なのがイス

ラム教。

ムハンマドは最後で最大の預言者と呼ばれている。

基本的にモーセの十戒をこの三つの宗教は信じている。

(29)

一神教における道徳の概念

実は一神教は神を信じる宗教であるが、そうすると神のみぞ知 るという概念が生まれてくる。例えば、ここに南北に伸びる線 を書いて、その上に棒を立てて東に落ちたら、殺す。西に落 ちたら生かす。というルールがあった場合に神を信じていれ ば、神は知っていたと思うようになり、不条理だなぁとは感じ なくなる。神に見捨てられたと思うようになって、英語ではそ ういう時に、oh my god!!と言う。ニーチェ以降に不条理文学 が増えたのは、神を否定したため。 道徳も観測できないから人間には知りようがなくて、神のみぞ 知る世界になっている。なので、一神教の人はどう生きれば 救われるのか全く知らない。

(30)

ユダヤ教

ユダヤ教の大元の旧約聖書にはオリエント文明の歴

史が書いてあったりする。

旧約や新約の約は約束の約なので、神との契約を意

味する。

ユダヤ人は遊牧民族で、いつ淘汰されてもおかしくな

いような時代があったので、終末思想が生まれてき

た。

アブラハムが預言者である。

後は、ユダヤ教ではユダヤ人だけしか救わない。

ユダヤ人の条件はユダヤ教を信じていて、母親がユ

ダヤ人であること。

(31)

キリスト教

キリスト教にはカトリックと福音がある。福音を始めた

のはルターやカルヴァンである。

福音は聖書原理主義である。懺悔室があるかどうか

で見分けられる。懺悔室があるのが、カトリック、な

いのが福音である。

カトリックでは罪を告白すれば許されると思っている。

キリスト教を理解するのには原罪という概念が重要。

人間は生まれた時から罪を背負っているという概念で

ある。

(32)

キリスト教2

一説によると、キリストが全人類の罪を背負って十字架にか けられたので、人類からは罪が消えたようになっている。 ちなみに、キリストは死後三日目に生き返ったことになって いる。一人でも生き返っていれば、誰もが生き返りを信じる ようになる。 原罪という概念は博愛という重要な概念につながる。 博愛とは「右のほうをぶたれたら左のほうのほうを差し出せ」 というように嫌いな人を好きになれ、という教えである。博 愛を理解しないと愛という概念を理解出来ない様になって いる。なので日本人の大半が愛を理解していない。日本で は1%がキリスト教である。全人類では23億人がキリスト 教である。 ユダヤ教がユダヤ人しか救わないのでキリスト教から全人類 を救うようになった。

(33)

イスラム教

キリスト教を普及させたのはアウグスティヌスであるが、当時の 古代ギリシア・ローマ神話を受け入れてしまった。それに対し て、イスラム教はそういう教えを排した。ムハンマドが預言者 なのだが、イスラム教では最後で最大の預言者になっている。 キリスト教では三位一体というのがあって、神とキリストと精霊 は同一視される。そういう考えにも反対している。 豚肉を食べれなかったり、アルコールを飲めなかったりする。 そういう食事制限は仲間との信頼関係を深めるためにある。 偶像崇拝を禁止していて、そこがキリスト教とかなり違う。基本 的にモーセの十戒を信じているのでユダヤ教、キリスト教と 同じ。イスラム法とはモーセの十戒と習慣法に基づく、法学 者による法解釈である。

(34)

イスラム教2

イスラム教はキリスト教がユダヤ教からずれたので、元

に戻したところがある。

シーア派とスンニ派の二つがある。シーア派はムハンマ

ドの血統を重んじる勢力である。シーア派は歴史が長

くて、色々な派閥がある。

では、なぜこのへんの宗教が対立しているかというと、ど

うやらアメリカ人の大半はイスラム教は別の神を信じ

ていると思い込んでいるらしいから。

イスラム教の信者は

13億人くらいである。一神教だけで

世界の半分の人が信じている。

(35)

仏教

仏教は古代インドで釈迦が始めた。

仏教の教えは日本ではよく誤解されているけれど、努

力して仏陀になろうという宗教である。ここで仏陀の

ことは仏とも言って、ただの精神的に強い人のこと

を言う。努力を全否定するのは浄土真宗くらいであ

る。

ただ、浄土真宗も親鸞の思想を知ると、ちゃんとした仏

教になっている。

(36)

仏教2

四つの悟りを開けば、仏陀になれると言われていて、その四つの言 葉を四法印という 諸行無常(苦痛なのは世の中が移ろい変わるから、でも普遍的なも のもある) 諸法無我(法とは教えである。ありとあらゆる教えは無我の境地に達 することである) 涅槃寂静(無我の境地に達すればそういう精神的に凄く落ち着いた 状態になる) 一切皆苦(全てのものは苦痛) の四つである。 無我の境地に達するために、色即是空という言葉もある。 仏教には輪廻という概念がある。生まれ変わりのことである。しかし、 仏教は輪廻から抜け出すことを説いている。輪廻はそもそも古代 インドの考えだった。

(37)

古代インドの哲学

主に、ヴェーダにまとめられている。3000年前にインドにアーリア人が来てアーリア 人には輪廻という考え方があって、それがカースト制度は結びついている。生まれ変 わっても同じ身分という考え方である。仏教もそれにかなり影響されている。宇宙に はブラフマンという真理があって、それを悟ろうという考え方だったりする。ブラフマン には古典的な解釈があったりする。釈迦は輪廻からの解脱を説いていた。 天道 人道 畜 生 道 餓鬼道 修 羅 道 地 獄 道 輪廻には六道ある。 仏陀になるとここから抜け 出す。

(38)

日本仏教

実は仏教の中でも日本仏教はかなり独自であるし、仏教でない とも言われる。 仏教もお布施を取るかどうかで、釈迦の死後100年くらいで分裂 して、大乗仏教と上座部に分裂した。上座部が四法印しか認 めないのに対して、大乗では悟りの開き方には千差万別あ ると思われている。 実は自分も日本仏教は仏教なのか疑問に思っていたのだが、 親鸞の歎異抄を読んでから、親鸞の思想が分かって、日本 仏教はかなり独自文化だけれどもちゃんとした仏教だと思う ようになった。 ただし、坊さんが結婚してもいいのと、酒を飲んでも構わないの は日本くらいである。実は厳しい戒律がある。

(39)

儒教

中国は共産主義国だから宗教を教えていないように思えて、儒 教を教えている。 儒教とは孔子や孟子などの教えである。論語などが有名である。 実は儒教は宗教ではないなどと言われる。 実は宗教か、宗教でないかの線引きは非常に難しい。 後は儒教は官僚制のために使われていて、差別主義的な宗教 と呼ばれる。

(40)

儒教2

自分よりも父親のほうが偉い。父親よりも祖父のほう

が偉いという考え。

他に学問をやれとか、仁を重んじろという教えがある。

中国には他に気を信じる道教などがある。

ちなみに、前は法律で親殺しのほうが罪が重かったの

だが、最近はその法律がなくなった。

法とは最低限の道徳であるとは法哲学に書いてある

が、決めようがないようなことは宗教を使っている。

(41)

仏教や儒教の価値観

その価値観だと道徳を人間が決められるようになっているのだが、基 本的に倫理学である。道徳の根源は決まらない。 道徳の根源にあるような宗教でゾロアスター教がある。 これが善悪という概念を世の中に生み出して、あらゆる宗教に影響を 及ぼした。 ゾロアスター教は二神論で光の神と闇の神が戦うような構図になって いる。 後は世界の宗教に影響を及ぼした宗教として、ミトラ教がある。 こっちは天国の起源になっている。日本仏教の極楽浄土もミトラ教の 天国が起源である。 ちなみに、倫理学とは元となる道徳から理屈で新しい道徳を作りだす 学問である。キリスト教などで盛んである。キリスト教の場合は新 約聖書に載っていることから、幾つか組み合わせて新しい道徳を 作っている。そういうのが倫理学である。日本には倫理という概念 その物がなかった。

(42)

朱子学

日本には江戸時代まで神道、仏教、儒教という三つの宗教が あったのだが、江戸時代になってそれを統一しようとする動 きがあった。それが朱子学である。そもそも江戸幕府はキリ シタンの弾圧だけでなく、仏教も弾圧した。江戸時代になって、 お寺は葬式だけやっていればいいことにされて、神社とお寺 も同じ場所に置かれたりした。ちなみに、朱子学は中国の朱 子が中国の古典に解釈をつけ始めたのが起源。都合のいい 解釈をつけているので、儒教とは異なる。

(43)

朱子学2

神道、仏教、儒教という三つを合わせるという日本独自の朱子 学があって、それによると天皇が神になってしまう。もともと、 神道における神の定義はかなり厳密であって、不老不死な のだが、朱子学の教えは三つの宗教からはかなり外れた宗 教になってしまった。江戸後期に尊皇派などが登場するのは このためである。以後朱子学は戦後まで続く。明治から戦後 までは日本は朱子学を教えていた。その反動で、今は宗教 を唯一教えない国になった。

(44)

色々な神話

神道などは自然崇拝と呼ばれる宗教であり、古典的な宗教で ある。本来は豊作祈願のためや、山に祈るためにある。 日本神話を知っていると神社巡りが楽しくなる。 ギリシア神話などは概念が神になっていたりする。 その神話に詳しいと惑星の名前や星座の起源がギリシア神話 から来ているのが分かる。 北欧神話を勉強すると、英語の曜日の起源を知ることができる。 エジプト神話はアトゥムという神が一番初めの神なのだが、原 子のアトムの起源になっている。 色々な神話は教養としていい。

(45)

キリスト教と仏教の違い

両方とも人間の心の弱さから出発している。仏教だと

人間は心が弱いから強くなろうという考え方であり、キ

リスト教は心が弱いのを認めて生きるような考え方

だったりする。キリスト教では人間は心が弱いために

罪深きものになっていて、それが原罪を理解するのに

役に立つ。もちろん、人の弱さを認めれば、人を傷つけ

たり傷つけられたりが当たり前になるので、嫌いな人を

好きになるという博愛という概念も生まれる。他人が自

分に与えた苦しみを、誰もが犯す罪として認めることが

博愛につながる。

(46)

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(47)

道徳の哲学

他の国では道徳を徹底させるために宗教を必ず教えている。確 かに道徳は科学では決めようがないことだったりするので、 ちゃんと宗教を教えている。日本では7割が無宗教ということ だが、どうやら読売新聞の調査で94%は先祖の霊を信じて いるらしいから、実は特別な宗教を信じている。そこから道徳 が生まれてくるようになっている。後は和の精神などを信じて いるのだが、十七条の憲法の和をもって貴しとする、は仏教 の中道の教えである(儒教の中庸とも言われる)。ちなみに、 十七条の憲法は仏教の教えが書かれてある。日本以外の 国は必ず理由があって宗教を教えている。道徳のために教 えている。

(48)

道徳の哲学2

道徳に関しては観測できないから確かに科学的に真偽

の決定が不可能である。

ある意味、道徳の根拠は一切無いといえる。

科学的な道徳など功利主義くらいだったが、簡単にいえ

ば多数決で道徳を決めるしかない。

その功利主義批判をロールズなどがやっている。

しかし、決めようがないのなら、心のありように依存しな

ければいいではないか。

心のありように依存しなければ、ストレスなどかかるはず

もなく、仏教でいう空の悟りと同じことである。

(49)

現代道徳の破綻

実は現代日本において道徳は破綻している。 例えば、道徳の一つとして、フェミニズムがある。 ただ、これに対して男性の権利を認めろという反対の道徳があ れば、 これは拮抗して決めようがなくなる。 Aという道徳があれば必ずそれに反するBという道徳がある。 通常は宗教があるので、AかBか決められるようになっているけ れど、 日本には宗教がないのでほとんど決められない。 科学的道徳は功利主義くらいしかない。 ちなみに、科学者に言わせれば、道徳には全く根拠がないこと が言える。 ただ、根拠がなくても理屈以外のものがあったほうがいいとカン トが言っている。

(50)

東洋道徳と西洋道徳

東洋には輪廻という考えがあるので、他人の立場に立って考える ようにという道徳がある。 しかし、西洋には自分の考えをはっきりと述べよという道徳がある。 日本の場合はグローバル化において、日本の東洋道徳が否定さ れて、西洋道徳が賛美されるようになったと思っている。 この辺りが日本の道徳を破壊した原因なんじゃないかって思って いる。

(51)

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(52)

法と宗教

法とは最低限の道徳である と書かれているが、細かいところは宗教道徳を使っている 法もまた宗教だったりする。 例えばキリスト教の国では平等は神のもとで保障されているが、 日本だと法の下の平等になっていてちょっと弱い 福沢諭吉も「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」 と書いている。これはよく誤解されるが、学問のすすめは平等を唱えたもの ではない。 ただ、ここでの天とは当時は天皇のことである。 あの実践主義の福沢諭吉でさえ、平等は神の下に保障されていないとまず い と思っていたらしい 日本の民法はナポレオン法典が期限だったりする 西欧でできた法律を日本に輸入しようという動きがあるけれど、 それはキリスト教道徳を日本に持ち込むことになるので非常にまずかったり する

(53)

現代の法の問題

例えば、最近は死刑制度が話題になるのだが、死刑制度に反 対な道徳は主にキリスト教の博愛という概念から来ている。 仏教の場合は、まず輪廻というものがあるために、殺人は悪い 行為と言えるようになっている。つまり、殺される側に生まれ 変わった時のことも考えろということである。 その輪廻という考えがあれば死刑制度にも反対になると思うの だが、日本では輪廻の縁起という考えだけ残ったと思う。今 の言葉にすると因果応報などの言葉になる。 後は日本だとかたき討ちの殺人を美化する傾向にある。富士 市だと曽我兄弟が有名であるし、忠臣蔵などは大人気になっ ている。

(54)

法における罪と罰の概念

日本には罪という概念がそもそもなかった。罪はキリスト教の原 罪という概念から発生する。恥という概念は元からあったし、 罪ではなく恥という概念で道徳を作っている。なので、法にお ける罪と罰の概念がちょっとおかしい。 有名な小説で、ドストエフスキーの「罪と罰」がある。あれを理解 すればキリスト教における罪と罰の概念が理解できると思う。 つまるところ、人間は罪を犯して当然な生き物であり、それに 見合った罰を受ければ、最終的に魂が救済されるということ である。魂から罪が消えるという考え方である。その考え方 がないと法を正しく理解することができないし、日本では法は 正しく理解されていないと思っている。罪と罰では殺人という 大罪を犯しても最終的にある程度の罰を受ければ救われる と書いてある。

(55)

法哲学と宗教

なぜ自分が法哲学をやるのかというと、法哲学の専門書に法とは 最低限の道徳であると書かれてあったためである。 その最低限の道徳に宗教を使っているとは知らなかったし、 どの日本語の書物にも書いてなかった。 だから、自分は道徳や宗教について研究していた。 しかも、日本では弁護士でも法哲学を知らないような人が多かっ た。 日本における法認識はかなり甘いと思い始めた。

(56)

日本国憲法とキリスト教

今の日本の憲法、日本国憲法はアメリカとフランスの憲法を組 み合わせて作っている。 だから、日本人の宗教観と合わない部分がまれにある。 その主な部分が自由権である。 基本的な人権の中の自由権は人権の中でも本質的だったりす る。 例えば、法においては人間に殺人の自由を与えると、他人の生 きる自由を制限するので、法で規制しようという風になり、そうい うのを社会権という。 ただ、しかし、自由権というのは人間は生まれながら絶対に自 由であるというものである。

(57)

日本国憲法とキリスト教2

しかし、その人間の自由を誰が保証してくれるかというと、 欧米では「神が絶対的に」ということになっている。 日本のように一神教のような神の概念がない国では自 由権がどういうものか理解できないようになっている。 一神教の神は全知全能なわけだが、そこが大半の日本 人に理解できないようになっている。 自由権が日本国憲法の大元にあるので、日本人には法 が理解できないようになっている。

(58)

殺人は本当に悪だったのか?

簡単には悪とは言えない。 日本では江戸時代は切り捨てごめんというのがあった。 つまり、武士に恥をかかせたら、殺されて当然という道徳があっ た。 戦争の時も殺人を合法化するし、 死刑の時の殺人も合法化されている。 殺人を簡単に悪などと決めつけることも不可能である。

(59)

仏教と資本主義

実は仏教の国々の大半は社会主義国である。 資本主義は欲望によって成り立つのに対して、 仏教では欲望を滅せよという教えがある。 人間の苦悩は欲望から生まれるという教えがあって、 それが一切皆苦の教えである。 つまり、仏教と資本主義は相反するものであるし、 なぜ仏教国の多くが社会主義だったのか理由が分かった。 日本にも仏教の考えは根付いているので、延々と社会主義だっ たと思う。

(60)

法が全て

道徳がない国だと法が全てなってしまう。 それから、法に反しないことは何をやってもいいという考えが生 まれるようになっている。 それによって、全てを法で規制しようという法化という現象が起こ るようになっている。 法化というのは人間の自由権を全て奪うような行為なので、 憲法に逆行している。

(61)

日本の宗教は大丈夫なのか?

さすがに、結婚したり酒を飲んでいる坊さんは日本にしかいな かった。 そもそも、仏教には厳格な戒律があって、そういうのは一切禁止 されていた。 世界の宗教を調べたけれど、どんな宗教も金儲けを美化してい なかった。 どちらかというと、金儲けなど悪とされていた。 しかし、日本では金儲けこそ全てのようになっていた。 世界の場合は金儲けを正当化するために慈善事業をやるなど、 宗教と資本主義の折り合いをつけていた。 日本は道徳が全くないけれど大丈夫か気になっていたけれど、 やはり大丈夫ではなかったと分かり始めた。

(62)

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(63)

日本の民間信仰:先祖崇拝

日本は本当に無宗教なのかといわれればそう

ではない。

94%くらいの人が自分の先祖の霊

を信仰している。これは先祖崇拝という原始

的な宗教の一つである。無宗教であると答え

る人が7割いる一方、先祖を崇拝している。

おぼんなどや墓参りが典型例である。

(64)

先祖崇拝

実はこれは太古の儒教に起源を持ち、鬼神信

仰と呼ばれる宗教である。善い霊は天に昇っ

て行き、悪い霊は地べたに残るという宗教で

ある。太古の中国が起源で、日本には弥生

人が持ち込んでいる。怨霊などの概念はここ

から来ている。

(65)

先祖崇拝の歴史

1:弥生人が鬼神信仰を取り入れてから、先祖

の霊を崇めていればいつか神になるんだって

考えに変化した。

2:それが氏神信仰として神道に吸収された。

3:鎌倉時代には仏教の影響を受けて、善い霊

を仏教系の神社で祭り、悪い霊は神道系の

神社で祭るようになった

(66)

先祖崇拝の歴史

4:仏教の影響を受けて仏教で先祖の霊を祭る

ようになる。葬式仏教は中国から入っている。

5:江戸幕府が

1635年にお寺は葬式だけやって

いろという命令を出してから、日本の仏教は

完全な葬式仏教になった。

6:明治維新後に国家神道になる。ただ、靖国

神社などでやはり先祖崇拝をしている。

7:現代は国家神道も終わって、ただの葬式仏

教によって先祖崇拝をするようになった。

(67)

鬼神信仰は太古の儒教

孔子の論語には昔は鬼神信仰のことが書いて

あったけれど、時の権力者に消されている。

ただ、背景に儒教がある。

なので、日本人の考え方の背景には儒教があ

るようになっている。

(68)

他の民間信仰

神道とは実は豊作祈願とか山に祈るというアニ

ミズムである。

後は、戦前までの日本にはいたこが大量にい

た。こういうのはシャーマニズムと呼ばれる。

先祖崇拝も原始的な宗教で、日本には三つの

原始的な宗教が混在して残っているように

なっている。

(69)

儒教的な考え

日本のもとに儒教的な考えがあるので、格差階

級的な思想になっている。

例えばお上に逆らうなとか、その典型例である。

和を大事にするなどもその例である。

要するに日本は封建主義国である。

民主主義国や資本主義国には思想上合わない

国だったりする。

(70)

妖怪など

おばけは特定の場所にいて無差別に襲ってくる

幽霊は特定の人に取りつく

七五三があるけれど、昔は障害者を

7歳になったら

殺していた(神隠し)

障害者を殺せなかったら座敷わらしになって生き

ていた。座敷わらしがいる家は縁起がいいと言

われているが、それは障害者を養うことができる

裕福な家だから。

後は、昔は間引いた赤ん坊を河原に捨てていてそ

れを河童と言っていた。

(71)

インデックス

• まえがき

• 道徳とは何か

• 道徳の哲学史

• 宗教社会学入門

• 道徳の哲学

• 宗教と法

• 宗教と日本人思想

• あとがき

(72)

あとがき

なぜ殺人が駄目だったのか? 日本は仏教の概念があって、そこに輪廻という考えがあった。 生まれ変わりを信じるという宗教である。 しかし、それを信じていると、殺人を犯す時に殺害される側のこと を考えるようになる。 敬虔な仏教徒は虫も殺せないようになっている。 つぶそうと思っている虫になったらと考える。 確かに輪廻思想という考えは非科学的な考え方だけれども、 道徳の根源にあるようなものは死生観を超えた非科学的なものか ら生まれる。 輪廻という考え方からほとんどの道徳を導き出せるようになってい る。

(73)

あとがき2

しかしながら、日本の宗教は先祖崇拝で、葬式

仏教との絡みもあって、葬式を忌み嫌うよう

になっている(ケガレ)。後はご先祖様が見て

いるという道徳もある。このように日本人の道

徳は先祖崇拝から来ているものが多い。

(74)

終わり

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気軽に質問してください。

参照

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