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欧州経済発展史論―欧州石炭鉄鋼共同体の源流― 利用統計を見る

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欧州経済発展史論―欧州石炭鉄鋼共同体の源流―

著者

島田 悦子

学位授与大学

東洋大学

取得学位

博士

学位の分野

経済学

報告番号

乙第127号

学位授与年月日

2001-01-29

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00004061/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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欧州経済

発展史論

欧州石炭鉄鋼共同体の源流

島田 悦 子

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欧州石炭鉄鋼共同体の源流

島田悦 子

日 本 経 済 評 論 社

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は し が き 欧 州 石炭鉄 鋼 共 同 体(FXSC) が1952 年 に 誕 生 し, ヨ ーロッ パで 経 済 統 合 運 動 が 本格 的に始 まっ てから, すで に半 世 紀 近 く の時 が 経った,。1993年 に はEU が 成立し,1999 年1 月には 遂に通 貨 が 統 合 さ れて , 単一通 貨 ユ ーロ が 出 現 する と ころにまで漕 ぎつけ た。国 民 経 済 を 越 え て ヨーロッパ を 共 通 の 単一経 済 圏 に 統 介しよ うとする 運動 は,い よ い よ 政 治 的 統 合 を も含 む 新しい段 階 に 入った の である。このヨーロッパにお け る 大 変 革は, 世 界の政 治・経 済 に ま す ま す 重 大 な 影 響 を 及 ぼす も のと考え られる。 私 か ヨーロッ パ経 済,とくに そ の 重工業 に つ い て 研 究 を 始 め た 時 に ち ょ う どKCSC が 発足し かた め,私 の研 究 対 象 は 重工業 と 同 時 に ヨ ーロッパ の経 済 統 合 連 勁とい うことに なった。炭坑 業と鉄 鋼 業 と い う一部 の 産業 部 門 に 限 定 さ れ て はい た が, 複 数 の国 家 が 十 権を 共回 体に 移 譲し,国 境 を 撤 廃 し て 単一の 自 由 市 場に統 付 する ことを目 指す とい う ことは,そ れ まで 歴 史上 起こったこと の ない 出来巾で,ひ じ ょ う な 驚 異 を感じると㈲時 に 強 い 関心を抱 か さ れ る こ と に な った。 当時 の日 本社 済 は敗 戦の 影響 もあ り,まだ まだ 弱 体 で,鉄 鋼 業 の 企 業 規模や 生産体 制も, 叫欧諦岡 よ り はる か に 立 ち 遅 れ て い た。欧州の 先 進的企 業が国 家 の枠を 越 え て活 動す る こ と に なった ら,さ ら にめざ まし い 発 展 を 遂げ, 日 本鉄 鋼業 に とっ ていっそ う強 大 な競 争相手 に な る と思われ た。 ECSC は1950 年5 月9 日の シュ ーマ ン宣 言 に 基づいて 成 立 し た。現 在5 月9 田 よヨーロ ッ パ・デ ー と され, I'llの 創設 記 念日と し て祝われている。ヨ ーロ ッパでは 本 格 的 な 統 介はECSC の成立 によって始 まった と 考 え ら れ ている の で ある。今 日のRU はECSC の 設 立。に よって 産声 を 上 げ た と言う こ とがで き る。tit 界 経 済にお けるEU の重要 性 が 増し てくる に つれて,そ の原 点である

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ECSC も, 最 近 改 め て 注 目される よ う に なっ て き た  なぜ'【剛吹で は195【】年 代 初 頭 に まず 石炭と鉄 鋼業にお い て 経 済 統 付が行われ た の か という問題 につ い て は, さ ま ざ ま な議論がな さ れてい る。 [・CSC 設 立 前 後 に は,そ の ほ かに も運 輸几同 体, 防 衛 共同 体, 政 治共回 体,農業 共同 体 ,衛 生 共同 体( 医 薬臨 医 療関 仁い 等 の統 合計 画が提 案 された が,い ず れ も実 現 し な かった,結 局 こ の問い に 谷え る た め に は, 欧朴│を中 心と し て│世界の政治,経 済 の状況 を 分析す る と と もに 欧 什iの 鉄 鋼業 お よ び炭坑 業の実態,そ し てこれら の 産 業 の担い 予てある 企 業の 活動 を明 ら か にす る ことが 最 重 要の課 題の一一つ で あI), し た が っ て 共同 体の研 究 に当たって は, こ れら の 問題 を中 心とし なが らECSC の本質 に迫 り たい と思 った。そして その ため に は当該産業の現状 の み な ら ず, さら にIぴ史を さ か のぼ っ て 解明 す る必 要が あ る と 考 え た。 す で に 公 刊 し た拙 著『欧 什│鉄 鋼 業の集 中と独i帽 は,‥・部E 玉C にも ふれ な が らECSC の 成 立 と そ の 政 策 を 中心 として 欧 州 鉄 鋼業につ いて 書い た も ので あ る が , そ の 第1 章 は欧 什│鉄 鋼 業 の 歴 史的 発 展 の 叙 述に 当 てた。こ の た び十。俘す る 本 書 は こ の 歴 史的 部 分 を よ り掘 り下 げ て , フ ラ ン ス を中 心と し な が ら イギリ ス , ド イツ, ベ ル ギ ー, ル ク セ ンブ ル ク等 の 諸 国 を含 め た 欧 朴│鉄 鋼 業の歴 史 的 発 展 過 程 に つ い て 明 ら か に し よ う とす る ものであ る。すで に発 衣し た論 文に1 を 加 え , こ こ に一書 に 編 ん だ。 ECSC 設 立 の基 礎 に はそ れ ま で の 長 い 歴 史 的 発 艇によっ て形 成された':.}ーロ ッパ の 鉄 鋼 業 お よび 炭 坑業 があった。こ れら の 産業 は 多 く の 田 家によっ て細 か く 分 断 され て は い て も , 実 は 古 く か ら の 国境 を超 えた 諸 活 勁 に よっ て桐 胴こ競 争 し , 対 立 し な が ら も 同時 に さ ま ざ ま な 強い ㈲ 祭的 な結 介・ 協 力 関 係 を 形 成 し て きた の で あ る。資 源 の 獲 得, 技術 開 発, 資 本 調達 , 巾場 の 確 保 , 企 業 問 の 競 争・と 協 調 , 資 本 の 集 中 等 を 通 じ て, 欧州 鉄 鋼業 はそ れぞ れ田 家 の 内 部 に 留 まら ず , 歴 史 的 に 早 く か ら 国 家 の枠 を 越 え て 活動 し て きた。し か も欧 朴│鉄 鋼 業 は 鉄 鋼 業 単 独 の 存 在 で は な く, 原 料, 加 工 産業 , そし て 金融 業 も含 め て 雄 大 な 資 本 集 団 を 形 成 し , 経 済 の 中 枢 を 担って き た。 こ の よう な 欧 升│鉄 鋼 業 の 特 質 が 第2 次 世 界 人我 後 の 殼初 の 共 同 体 の 設 ぐ を 肘

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能' - I ...゛.. I- 1・‘') ニ ヒか て⊃ る  川 友 旧 仁 り 剣玉丿 ☆ 付 乱 考特 乱 よこ 四 時 まで 面 例 レ レ ミ 段 冶 的 トス 子丿 柏 見け 丿二 よ う 二 困 祁首 作 東 で あ っ 元 加 、 多 ◇ つ 共 ト川 川に リ.心 中 二i-;cs{ヅ バ パゲ 没 レ に 咬 功 二  欧 川 植 竹ぐ川 イト ヒ な る 二 、ヒが で き

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目 次 は し が き i 第1 部  フ ラ ン ス重 工 業 ・ 銀 行 資 本 を中 心 と し た欧 州 経 済 の 史 的 発 展 V

第1 章  産業 革 命前 にお け る フ ラ ン ス製 鉄 業 の 発 展 ………3

は じ め に 3 第1 節  絶 廿 王 政 時 代 の フ ラ ン ス 経 済4 1. 絶 仕・ミ政 ドに お け る フ ラ ン ス経 済 の 繁 栄 と 変 革 42.i 18ltl;紀 に お け る 製 鉄 業 の 特 徴 フ 3. 製 鉄 技 術 の 発展 と フ ラ ン ス製 鉄 企 業 10 第2 節  近 代 的 大 工 業 発 展 の た め の 基 盤 の 成 立 i6 1. フ ラ ン ス 革 命に よ る 近 代 社 会 の 形 成 と 経 済 i6 2. ナポ レ オン 時 代 に お け る 新 しい 経 済 制 度 の 確 立 と 産 業 の 発 達 17 3. イギ リ ス製 鉄 業 と の 比 較 20

第2 章 19 世 紀 前 半 にお け る フ ラ ン ス 近代 製 鉄業 の 確 立

木炭から石炭へ の転換 と生産費の構 成お よび

フ ラ ン ス 政 府 の 産 業 政 策 の 影 響- ・ は じ め に 23 第1 節  フ ラ ン ス鉄 鋼業 の 発 展 M1. 生産の拡大 24 9 技術 的発展のV.ち遅 れ 27 23

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第2 節1.? 第3 節1.2.3. 第4 節1.2 燃 料 の 需 給 お よ び コ ス ト の問 題 夕 フラン スにおける石炭の需給状態 3> 鉄鋼生産と燃 料コスト 33 運 輸 手段 の 発達 と そ の 製 鉄 業 に ソえ る 影糾 35 フラン スにおける輸送費と製鉄業 35 水路の発達状 態 36 鉄道の発達状態 38 フ ラ ン ス 政 府の 産業 政 策42 関税政策とその効果 42 その他の 製鉄業政 策 46 お わ り に 48 第3 章 19 世 紀 前 半 に お け る フ ラ ン ス 重 工 業 企 業 と 工 業 金 融 の 発 展 ……… …5 第1 節 第2 節1.2. 第3 節1.2.3.4. 19世 紀前 半 にお け る 製 鉄業 者 お よび 製 鉄 企 業 の 状 態5 企 業 形態 の変 化一 株式 会社制度の発達   54 19世紀前 半における株式会社の発達 54 重工業における株式会 社組織の発達 56 フ ラ ン ス にお け る 金融 市 場 の 発 達 59 フランス銀行 の設 立 59 オート・バンク  私 人銀行の機能一一 6o 新しい投資銀行の発達 63 証券市場 の発達 64

第4 節 銀行の産業企業 に対する投資66

けじめに 66

1. 炭坑業における投資 67

2. 製鉄業における投資 69

3. 私人銀行の工業投資の性格 7'

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目 次  、・ii 第5 節  フ ラ ン ス に お け る 資 本 蓄 積 と そ の 性 格 73 第4 章 19 世 紀 前 牛 に お け る フ ラ ン ス の 鉄 道 と 人 資 本 の 形 成 ……… ………77 は じ め に フフ 第1 節  初 期 の 鉄 道 建 設 と 資 本 79 1. 第 口剔 79 9 第2 期 82 第2 節  鉄 道 建 設 の 拡 大 期 87 1. パリ∼ ルーアン鉄道 80 9 パリ∼ オルレアン鉄道 90 3. 北部鉄道 oo 4. パリ∼リヨン∼マ ルセ イユ鉄道 91 5. その他 92 第3 節  資 材 供 給 産 業 と し て の 製 鉄 業95 第4 節  鉄道 , 重 工業 お よ び 銀 行 の 資 本 的 関 係98 第5 節  銀 行 と 産業 金融 I・3

第5 章 19111-

紀 後半 にお け る フ ラ ン ス鉄 鋼 業 の 発 展

企業 集中運動 と近代的大企業の成立

第1 節1.2. 第2 節 第3 節1.2. 第4 節 フ ラ ン ス経 済の 拡 大  近代的 大工業の発展- IOQ 経 済の 重工業 化の進展 IO9 鉄鋼業 の新しい発展 111 兪1 で業 にお け る 企 業 化申 の 発 達 ‥4 鉄 鋼業 の地 域的 集 中 呻 石炭優位期 における地域的集中 "7 鉄鉱石優位期 における地域的集中 四 鉄 鋼 企業 にお け る集 中の 発展 120 100

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2 規 模 の 拡 大 と 水平 的 集 巾 120 原 料 資 源 支 配 に よ る 縦 断 的 集 中 1^3

第6 章  フ ラ ン ス金 融 資 本の 形 成

第2 帝政期を中心とした鉄道,

重工 業 , 銀 行 の 発 展一 一 は じめ に 叩 第1 節  鉄 道 の 発 展 142 1. ルイ・ナポレオンの鉄道政策 142 9 新鉄道法とその影響 1吽4 第2 節  近 代 的 鉄 鋼業 の 発 展 と 集 中 '47 1. 大需要産業としての鉄道の影響 '4フ 2. 主要鉄鋼業 地域と企業 集中の 発展 り0 第3 節  近 代 的 銀行制 度 の 発 展 と 人 資 本 グ ル ープ 1531. 新しい型の大銀行,クレ ディ・モビリエの設立 り32. 銀行資本と鉄道 157 3. レユニ オン・フィナンシェ ールの形成 ,58 4. ソシエテ・ジェネラルの設立 一 産業・銀 行グループの 新しい 発展- ‥ i6o お わ り に i69 第2 部  主 要 大 資 本 グル ー プ の 形成 と そ の国 際 的 活 動 第7 章  シ ュ ナ イ ダ ー ・ グ ル ー プ 国 際 的 重 工 業 コ ン ツ ェ ル ン の 史的 発贋一一 一 は じ め にー− シュ ナイダー・コンツェ ルンの特価.73 第1 節  産業 資本と し て の シ ュ ナイダ ー・ コン ツェルンの 発展 ワフ 4' ■73

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目  次 ix1. ル ・ ク ル ー ソ ー 工場 の 建 設 と シュ ナ イダ ーお よ び ド ・ ヴ ァ ン デ ル ワフ 2. 19世紀 中 葉 にお け る シュ ナ イ ダー ・ コ ン ツ ェ ル ン i8o 3. 19世紀 後 半ぺ二お け る シュ ナ イ ダー ・ コ ンツ ェ ル ン の 成長 i8i 第2 節  金 融 資 本 と し て の シ ュ ナ イ ダ ー ・ グ ル ー プ の 発 展 184 1. パ リ 合 同銀 行 と の結 合 184 2 ユ ニ オ ン・ ユ ーロ ペ エ ン ヌ ・ ア ンデ ュ スト リ ェ ル ・エ ・ フ イナ ン シエ ー ルの 設 立お よ び支 配 i8フ 3. シ ュ ナ イ ダー ・ エ ・ コ ン パ ニ ー (持 株 的 親 会社 ) の 創 設 1894. シュ ナ イ ダー ・ グル ープ の構 成 I go 第3 節  フ ラ ン ス 重 工 業 コ ン ツ ェ ル ン の 相 互 連 鎖 関 係 − シ ュ ナ イ ダ ー を 中 心 と し て の 考 察- 19 フ 1.  ド ・ ヴ ァン デ ル, ラ テ 了・ グル ー プ と の関 係 197 9 ユ ジ ノ ー ル・ グ ルー プ と の 関 係 198 3. シ デロ ー ル・ グ ルー プ と の 関 係 1叩 七  フ ラ ン ス重 工 業 コ ンツ ェ ルン の 支 配 網 199

第8 章  ド・

ヴ ァ ン デ ル・

グ ル ープ

一一

そ の歴 史的 発展と独占的支配の現状一

… ‥203 は じ め に 203 第1 節  製 鉄 企 業 とし て のド ・ ヴ ァ ン デ ルの 創 設 と 絶 対 王 政 下 に おけ る そ の 発 展2O4 第2 節  フ ラ ン ス革 命 に よ る ド ・ ヴ ァ ンデ ルの 没 落 とロ レ ー ヌ に お け る 再 建 211 第3 節  普 仏 戦 争 後 の 仏 独両 国 にお け る ド ・ ヴ ァ ンデ ルの 発 展 2l6 第4 節  フ ラ ン ス に お け る 企 業 集 中 運 動 の発 展 とド ・ ヅ ア ンデ ル

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第5 節 第6 節 の 金 融資 本 と の結 介 221 第1 次i止界大 戦 に よ るド・ヴ ァ ンデ ルの 発 展 223 第2 次 匪 界 人我 後 に お け る ド・ヴ ァ ンデ ル・グ ルー プ の 金 融 資 本的 発展 とフ ラ ン ス経 済 に対 す る 支配 227

第9 章  ア ルベ ッド

グル ープ

ル クセンブ ルクを中心 とした

典 型 的 西欧 重 工 業コ ン ツェ ル ン は じ め に 237 第1 節  ア ルペ ッ ド の 歴 史的 発 展 238 第2 節  第2 次 世 界 大 戦後 の ア ルベ ッド` 246 第3 節  ア ルベ ッド に 参 与す るm 際金融 資 本247 第4 節  ア ルペ ッド ・ コ ン ツ ェ ル ン の 世 界的 支 配網 糾9

第10章  ソ シエ テ・ ジ ェ ネラ ル ・ド ・ ベ ル ジ ー クと

コ ッ クリ ル・ ウ ー グレ

ベ ルギーの ㈲際的 金融資 本とその傘 ドの

巨 大 重 工 業 グ ルー プ はじ め に 255 第1 節 ベ ル ギ ー経 済 を 支 配 す る ソ シエ テ ・ ジェ ネ ラ ル ・ グ ル ープ 257 2. 第2 節1.2.3. ソ シ エ テ ・ ジェ ネ ラル の 発 展 と 国 家 と の 結 合 25フ ソ シェ テ ・ ジェ ネ ラ ルの 国 際 的 支配 網 259 ジ ョ ン ・ コ ッ ク リ ル 社 の 歴 史 的 発 展 263 産業 革 命期 にお け る 創 業 と 基 礎 的 建 設 263 コ ッ クリ ル の 本拠 , ス ラ ン エ場 の 設 白 268 ベ ル ギ ー国 家 と の密 接 な結 合 と コ ッ クリ ル・ 237 255

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目  次 xi コ ン ツ ェ ル ン の 形 成 271 第3 節  ジ ョ ン ・ コ ッ ク リ ル の 近 代 的 重 工 業 コ ン ツ ェ ル ン へ の 成 長 と 国 際 的 支 配 網 の 拡 大 276 9 3. 第4 節 第5 節 ベ ルギ ー重工業の 発展と大銀行資本との結合 2フ6 20世紀初期の拡人と今理化運動 2フ9 ウーグレ・マリエとの 人釧司 281 コ ッ クリ ル・ コ ンツ ェ ルン の 構 成 283 ウ ー グレ ・ マ リ エ ・ コ ン ツェ ル ンの 発 展 と そ の 支 配網 の 形 成 288 第6 節  コ ッ クリ ル・ウ ー グレ 合 同 体 の 国 際 的 支 配 の 現状293 あ と が き 素   リ 297 200

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第1 章  産業 革命前 における フランス製鉄業 の発展

け じ め に 3 第2 次│n-界 人戦 後 に おけ る先 進 工業 国 経 済 の拡 人 発 展は , 歴 史上 特 筆 さ れる べ き め ざ まし い も の であ る が, こ の 発 展 を 支 えて い る 工 業 の拡 大 に 伴 っ て , 巨 人資 本へ の 集 中 は こ れ ら 諸 国 にお い て ます ま す急 激 に 進行 し て い る 。 こ れら巨 人資 本 の 各国 経 済 お よ び 圃 際経 済 にお い て果 たす 役割 は , い っ そ う 注 目 す べ き もの と な り つ つあ る が , 今 日 の 経 済 にお け る 彼 ら の 意義 お よ び今 後 の 経 済 発 展 に お い て 米た す 彼 ら の 役 割 お よ び 影 響 につ い て考 える には , こ れ まで の 彼ら の 暦 史 的 発艇 を 検 討 す る必 要 があ る。 と く に 最 近 は 国 境 を 越 え た巨 人資 本 の 発展 , す な わ ち国 際 的 大 企 業 の 発 展 が 注 目 を 染 め る よ う に な っ てい る が, こ う し た資 本の 国 境 を 越 え た 活 動 は ,3 ― ロ ッ パ に おい て は そ の 経 済 的特 性 か ら, ひじ ょう に古 くか ら 見 ら れる もの で あ るい フ ラ ン スは ヨ ーロ ッ パ 大 陸諸 国 の中 で は もっ と も早 く 近 代 資 本 主 義 を 発 達 さ せ た 国 の ・つ であ り, そ の国 力 お よ び地 理 的 位 置 か ら , ヨ ー ロ ッ パ 諸 同 経 済 の 中 心 的 存在 と し て 発 展 し て き た。 こ こ にフ ラ ン ス重 工業 の 歴 史的 発展 を 中 心 と し て, フ ラ ン スお よ び そ の 他 ヨ ーロ ッ パ諸 国 の 近 代 的 大 工 業 の 形 成 と そ の 発 艇 と を 検 討 す る。

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第1 節  絶 対 工 政 時 代 の フ ラ ン ス 経 済 1. 絶 対 王 政 下 に お け る フ ラ ン ス経 済の繁 栄と変 革 フ ラン スは中世以 来,欧 州 の継 済的・え 化的 中 心とし て 栄 え て き た が,‘ノ'ン シ ヤ ン・ レジ ーム の時 代 , とく に17 世紀 の ル イト1 HI;の 時代に は 隆 盛 の 頂点 にし っ た。フ ラ ン ス経 済 は この時 代に コ ルベ ー ル に よって。朽しく強 化さ れた,コ ル ベ ー ルは コ ル ベ ルティス ム と もい わ れる 重商主義 政 策 をと り,フ ラ ン ス経 済 拡 大 の た め に 辣 腕 を 振 るったのであ る が, 国 内におけ るし素政策 と し て にりと業界 を再 組 織 し て , あ ら ゆ る職 業 組 合 を国 家 の強 力 な統 制 ドにおき, また多数 の」ミ 立 工 場 を つ くって そ れ ら を 支 配す る とい う政 策をと り,この よう な国家 の強 力 な指 導 および 助 成 に よって,フ ラ ン スの工業 を急 速に発達 させ た,そ の中で も コ ルベ ー ルが もっと も 力 をい れ た の は 奢侈 品 工 業であった が, 兵器生産 の ため の 重 工 業 も大 きな進歩 を 遂げ,グ ル ノ ーブ ルや サ ン=テチェン ヌの製 鉄 業が印」 設 さ れた。 し かし1683 年 に コ ル ベール が死 ん だあとは, 効 果的 な 収に素政 策は行 わ れず, 工 業 の発展 は 停 頓的と な る。さ ら に当 時 とら れ た 新教仕 川 迫 政 策によっ て,フ ラ ン スの 商工 業 は多くの資 本 と 事業 家,優 れ た職r.を失 うこ と になっ た。そ し てこれら 新教 徒はイギリス,プ ロ シ ア,オ ラ ン ダ に 移住 し ,その 地 の に素の 発 展 に 寄 与す るこ と になっ た の である。 ル イ14 世時代 から の相 次ぐ戦 争によって,フ ラ ン スの国 ノ]は 故だしく 疲 弊し つつ あっ た,こ と に1701∼14 年のスペ イン継 承 戦 争のころ には, 国 川は 窮 乏を 告げ,国 民は度 重なる 増 税に苫しんだっまた1756∼63年 の7 年 戦争には, 海 外 植民地を英 国 に 奪わ れ, のちの 経済発 腱に とっ て人打撃 を蒙りた。 さら に フラ ン ス経済の立 ち遅 れの 原 囚と し て, 封 建 ㈲」度 の改.'lVC)遅 延 がある。 コルベール以 後も周 到 な 保護政策,お よ び厳桁な統 制が行わ れた。 し かし商業

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第 ]Q  産業革命前におけるフランス製鉄業の発展 5 資本主 義時 代には , 一部の特 殊 な 工 業 は 利益保 障 ま た は 特 権 の 授 与によ っ て 振 興 す ることもで き た が, 18tit紀 後半 にな ると, 産業 全 体 の 発 展 は す で に 国家の 奨 励 だけに頼ることは 不 口f能であった,むしろ国家 に よ る 厳 格 な 統 制 は 民 間 の 産 業 の自 由 な 発 展 を 妨げ た の である。 イ ギ リス にお い て は,す で に17 世 紀にクロムウ ェ ル の革 命 に よって 王 権 は 後 退 し,議 会制 度が確ぐ し て,新 し い 資本主 義 的 工業 発 展の土 台 が で き 上 かって い た。外 国 貿 易によ り,海 外 から流 人した莫大 な 資 本 は , 新 た な投資 の 機 会 を 侍っ ており,そ の レ イ ン グ ラ ン ド 銀 行 そ の 他 多 く の 私 人 銀 行 の 発 展 に よって , 資 令 の 流 通 は 容 易となった。国 内 の富お よ び 人 口 の 増 加 は,膨 大 な 需 要 を喚起 し た。こ れらが り本と なっ て, イ ギ リ ス の生 産力 の 増 加,お よ び そ の た め の 新 技 術 の 発明を 促 進した。こ の よ うに し て, イ ギリス は 世 界 の 先 頭 を きって 産 業 ■│'-ii│iを 遂 行し, 18 11紀 乍 ば ご ろ か ら1: 19 世 紀 半 ば ご ろ に か け て,イ ギ リ ス の ほ と んどすべ ての卜業 はl; 場化し たのであ る。 し か るに フ ラン ス が 初 めて近 代 的工業国家 の 基 礎 として の 産 業 の自由 を 確 立 し たの は, 1789年 の フラン ス 人:ff'-命以後 で あった。ア ン シ ャ ン・レ ジ ー ム に お いては,少 数 のn 族 お よ び 僧 侶 が 支 配 階 級 で あった。彼 ら は そ れ ぞ れ別の 支配 秩 序を持って い た が,事 実上こ れらの 秩 序 の 構 成 員 は 同一一の 社 会 階 級,同 一の 家 族 の-u であった。僧 侶は フラン ス 全 土 の 約5 分 の1 の 土地を 所 有 し ており, 円也お よ びI- 分 の 一税 の よ う な税金 か ら あ が る 収入は,国 家 の 年収 よりも 多 額 であった。I'i族も 同じ く フ ラ ン ス の国土 の 約5 分 の!の 土地を 所 有 し,各種の 税 金 を と り た て る権 利を持っていた。彼 らは領地内 の 市 場 で販売 される 商 品 に 税 を課し,ま た関 税障 壁 を 設けて,関税を と り た て た。し か も 僧 侶お よび 貴族 階 級 自 身 は 税を免 除されていた。こ の ほかに 王 も 約5 分 の1 の 土地を 所 有 し, か つ最 強 の王権をもって国家 を 支配していた。 第 ぐ階 級にお いて指導的y 場に 立つだ のは ,ブ ル ジョワ ジ ー・グ ル ー プ で あ る。そ の巾ギルド・ブ ル ジ ョ ワ ジーは もっと も 古い もの であり, 1700年ごろ に は ま だ フ ラ ンス 経 済に おいて極 めて重 がな役割 を果た し ていたが , し かし す で に そ の最 際 期 はす ぎ ていた。ギ丿レド は 過 大 な 借金や繁雑な法律 に 縛 られており,

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他 方 ギ ル ド の 権威 を 認 め まいとする競争 者 もす で に現わ れ始め ,これに対 処せ ね ば ならな かった。 続 い て 出 現した の は 商 業,工業お よ び 令融ブ ル ジョ ワ ジー で あ る が, 中で も 金 融ブルジョワジーはもっ と も強力で,かつ僧 侶お よ びn 朕の支配階 級 と も っ と も 密接 に 結 び つ いた。 農 民 は 封 建 的 支配 階 級の ドで, おそろ しい 竹田にあ えい た,人目 増 加の た め に 食 糧 の 価 格 は 騰 貴 を 続け たが, それは支配階 級 に吸い1-.げ ら れて 彼 ら の収 人 を 増 大 さ せ る こ とになった。ま たイギリスの 闘 い こ み運動を ま ねた大規 模 農 業 経営 が 発 達 し た が , こ れ も 支 配 階級の経済力の増 人 を示す もの と号え ら れる, し か も実 は こ れら の 地 主的 支 配 階級の勢 力 は, 18 It紀 に な る とす で に 新 し い ブ); ルジ ョ ワ 階 級 に とって 代 わられ よ うとしてい たの であるす な わ ちそ れは 支配 階 級 の 生 活 が ひじょ う にぜ い た くになり, 収 入以 ヒの支出をす る よ うに なっ た こ と, お よび 国民 の 経 済 生 活における 農業 の地 位 がし だい に低 ドし て きた こ と, の ため で あ っ たI几 農業 は な お 第1 位 を 占 めてお り,そ の生産も年々 増 人し つ つ あった が , し か し 工 業 生 産 は は る かに急 速 に発 展し ていた。し た が っ て農 匙 す な わ ち支 配 階 級 の 経 済 的 基 盤 は 相対 的に失 わ れていた,そ の ために支配 階 級 は収 入 の不 足 をブ ルジ ョ ワ 階 級 に よっ て補 充されるよう に なっ た‥ 封 建制 度の 下 に 発 達 し た ギ ルド 制 度 が, そ の 重 要性を漸次 喪 失し て きた のは , 取 締 法 規が ます ます 繁 雑 化 し か こ と, お よ び 特 権 を 維持す るために, 国 家に支 払 う特 許 料そ の他 の 費 用 が[j]額 に の ぼ り, 借 金 に 苦 し む よ うになっ たこ とにも よ る が, さら に根 本的 な原 因 は 経 済 の 新 た な 発 展であ る。封 建的 な特 権に よる 独占 に対 抗 し て, 新 し い マニュ ファクチュア が 出 現 し,ギル ド よ り もいっ そ う 安 価 に, い っ そ う大 量 に 生 産 し , よ り広 い 巾 場 を 開拓 し始 め た のであ る。彼ら は ギ ル ド が失 っ た 市場 の み なら ず , さら に 新 し い 巾場 を 獲 得 す る よ う に なっ た。 こ れ ら新 しい マニュフ ァ クチ ュ アは , 新 し い 自 山 な経 済 制 度 を 強 く 要 求す るに ー・㎜ 至 っ た。 た だし18 世紀 後 半に お い て は , 大 工 業 は まだ ほ ん の 芽 生 え た ば か りで, 繊 却 工 業 で は二,三の 人 企 業 が 生 産 を 始 め , 製 鉄 泉では ル・ ク ルーソー(l,e

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第 】噺 産業革命前におけるフラ ンス製鉄業の発展 フ

Crcusot) や ド・ヴ ァ ン デ ル(de Wend 印 の 工 場 が 生 産 を 開 始 し た こ ろ で あ る , 元 来 フ ラ ン ス 産 業 は 常 に 令 ヨ ー ロ ッ パ が 模 範 と し た 洗 練 さ れ た 趣 味 の 芸 術 品 の 製 造 に 人 き な 特 色 を 持 っ て い た , ヨ ー ロ ッ パ 諸 国 の あ ら ゆ る 宮 廷 で フ ラ ン ス の 芸 術 家 が 求 め ら れ , フ ラ ン ス 職 人 の 製 作 品 が 供 給 さ れ た っ18 世 紀 に は フ ラ ン ス の ぜ い た く 品 が 人 き な 流 行 と な り, 世 紀 末 に は フ ラ ン ス品 が 外 国 で 模 造 さ れ 始 め る よ う な 状 態 で あ っ た 。 フ ラ ン ス 工 業 は こ う し た 職 人 の 于 に よ る 優 れ た 趣 味 の 芸 術 品 的 な 製 品 の 製 造 に 専 念 し て い て,大 工 業 に よ る 大 量 生 産 的 製 品 に は 比 較 的 興 味 を 示 す こ と が 少 な か っ た の で あ る 几 フ ラ ン ス は 近代i: 業 技 術 に お い て イ ギ リ ス に 完 全 に 立 ち 遅 れ た の で , フ ラ ン ス 革 命 前 か ら イ ギ リ ス と の ほ と ん ど 絶 え ま な い 戦 争 に も か か わ ら ず,イ ギ リ ス の 新 し い 機 械 技 術 の 導 人 に 努 力 し な け れ ば な ら な か っ た 。 こ の よ う に し て 近代 的 人 規 役 機 械 工 業 は フ ラ ン ス 革 命 直 前 に 初 め て 発 展 の 緒 に つ い た の で あ る 呪 2. 18世 紀にお け る 製 鉄 業 の 特徴 18111紀:にお いて は,まだ 近代 的 製 鉄業は 確立さ れて い な かっ た。製 鉄 企業 は ひじ ょ う に小規模であ り,I目式の製法で生産 して いた。そのた め 製 鉄 企 業 は ほ とん どあら ゆ る日 也に分 散し て存在 し ていた。 フ ラン スで は原 料 で あ る 鉄 鉱 石 の鉱床は小 組 模 な も の がひじょうに広く分 布して いた ので ある 。但し長 年 の 採 択に よる洲 渇 もあ り,今川では 大 規 模 な 製鉄 企業 によって 有 利に利 用 さ れう る 鉱山は 少 な く なっ て き ている。だが18i片紀 お よ びそれ以 前 の 製 鉄 業 お よび 鉱 山 楽は まだ機 械化されてい な かっ た ために, 小鉱山でも十 分 に利益をあ げ て操 業 で き たのである八 また18 II紀 におI- いては, 木炭 が 製 鉄業にお い て 有 効に 使 川 さ れた 唯一・の 燃 料 であっ た。 コ ー−ク スは イギ リ スで殼 初に使川 さ れ始 めていたが, 18世 紀 末 まで は木炭 は なお使 川され続け た。燃 料消費 は当 時 の小規模,非 能 率 な 炉 で は ひ じ ょうに人きかった か ら,鉱石消費。朧よ り も燃料消 費量の 方 が 多 かった。そ の た め当時の 梢 錬所は 鉄資源よ り も燃料資源 ,つま り 森林の 近 くに 設立され る 傾 向 が強かった。そ し て本 材資源が伐採 されて減 少し て くる と,新 しい森林を求め

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表1 -1  鉄 生 産 量 ・丿 卵: r ト:。 ]8│ft;紀初頭 18 叫 紀 未 銑 鉄 vPig iron! 棒  鉄 、Bai・ir(in/ 銑  鉄 棒  鉄 イ ギ リ  ス フ ラ ン ス 低 地 諸 国 ス ベ  イ ン ド  イ  ツ オー スト リ ア スウ ェ ーデ ン ロ  シ  ア そ  の  他 合   計 卜251510 洲2045521691236 回ら11(1 ・?■> 目 卵257n65 ・15129fi

出 所:N Pounds, Cml a・ul .Si,.,・j I>I lり 仙n ぼurofH ・. p 27

て 製 鉄所 は 移動 し た の であ る。こ の 移動 付 発 に 行 わ れ た の は イギリ スで あ る が, フ ラ ン ス にお い て は そ れ ぼ ど 著 し く な か っ た。とい うの は 木 材 が イギ リ ス よ り も じ 富 に 存 在 し たこ と と と も に, フ ラ ン ス で は イギ リ スよ り も 新工 場 を 設 置す る こ と が 法的 に困 難だった から である 。 フ ラン スで は炉や 鍛 造所 を 設 置す る のに は, 王の 許 可状 が必要であった。 実際に は そ れほ ど 厳格に 適用さ れ た わけ で は な か った が, そ れにも かか わらず こ の 規 則は企業家を拘 束し たへ 18世 紀 の 製 鉄業 の動 力 源 は 河 川であり,そ れによっ て ふ いご や ハ ンマ ー を操 作 し て い た。そ の ため 製 鉄 所 は また 河 川 の 畔に 設ヽ'Aさ れ る こ と が必要で あ っ た い 河川の水流 は 夏期 に減 る ので,製 鉄 所の操 業 度も低 ドせ ざ る を得な いが,こ れ ら の 作業 所には農 民 が 兼 業で働 いてい た た め,夏の農 繁期に ち ょ う ど 製 鉄所の 仕 事 か ら 解 放 さ れ るこ とができる と い う什組 みであっ た。当時の 製鉄 作業 は熟 練 を要せ ず,農民 で も 簡単 に 従 事 す ること ので きる も のであっ た。 た だ し鳥級 鉄 鋼 の 精 錬には高 度 の熟 練 を 要した が,その よう な 鉄 の 産 地 は 限られており, フ ラン スで は アリェ ー ジュ (Ariege,ピレネー地方)や ド フ ィネ 巾a 叩 仙石, ドイツではゾ リ ン グ ン(Solingen)の鋼 ,スウェ ー デ ンの 鉄 などがイj叩lであっ た。こ れ ら の 高級 鉄鋼は広 い 範囲に販売 され た が,普通の 鉄 はその地方 の需 要 (主 と して農 機 具 製 造)を満た し て い た だけである。 こ の よ う な状 態 にあった当時の製鉄企 業 がどの 位 の規模であっ たか は 正価・に わ かっ て い な い が , ま ず パ ウ ン ズ(Pounds) が推定 し た18111紀;にお ける各│刈

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s; 1 な 産業革命前におけるフランス製鉄業の発展 9 の製鉄 量は 表 ト1 のとお り である。 18 If!紀 末- に おいて, フ ラ ン スの銑 鉄生 産は 第1 位を占め て い る。デ ィ ー ト リ ッ ヒ男爵(Baron Dietrich) による と, 1788年 にお け る フ ラ ン ス の 銑 鉄 の 生 産 は約13 万8,000 トン , 棒鉄 は9 万6,000 ト ン であっ た。しか も フ ラ ン ス は 少 量 で はある が銑 鉄をスペイ ン , イ ギ リス , スウ ェ ーデ ン , 低 地 諸 国 お よ び ド イ ツ か ら 輸 人 し ており, 反 対 に 輸 出は 強 く 阻 止されてい た。 フ ラ ンス の 製 鉄量は こ の よ う に 大きかった が , フ ラ ン ス 製 鉄 企 業 の 規 模 は 商 務 省の1788 ∼89 年 の 製 鉄 業 概 観 に よ る と , 大 部 分 が ひじょ うに小 さ かった と言 わ れている。おそ らく 少 数 の 例 外 を 除 い て , イ ギ リ ス 企 業 よりも 小 さ かっか と 思 わ れる。 1717 年 の イ ン グラ ンド の 記 録 に よると ,イ ング ラ ン ドの高 炉 の 数 は59 で , 年 間 約1 万7,350 ト ン の 銑 鉄 を 生産してい た。一部鋳 物に使 用 さ れ た 残りが, 1 万2,060 ト ン の 棒 鉄に精 錬 さ れ た。さらに 下って マ シェ ット(Mushet) の 記 録 による と ≒ 1788 年にお いて81 の 高炉に より銑 鉄 を6 万5,800 ト ン , 棒 鉄 は3 万2.000 トン生 産した。イ ギ リ ス の 場 合高炉1 基 当 たり 平均 製 鉄 量 は812 ト ン で あっ た いロー ラ ン (Laurel 示 に よ る と, 1788 年に稼 働 し て い た 高 炉 は88 基 と なっ ているが ,そ のう ち60 基 はコ ーク ス高炉 で あ り, 28 基 が 木 炭 炉 で あった≒ この 峙 すで にイ ギ リ ス 製 鉄 業 は 新しい 技 術 を 大 幅 に 取 り 入 れ て い た と い え る。 ひるがえ っ て, フラ ンス 製 鉄 業 を みると , 大 革 命 以 前 に お け る フ ラ ン ス 製 鉄 企 業 の もっ とも 普 通 の タ イプと し て ハ ロー(Ch. Ballot)は 次 の よ う に 記 述 し てい る叫 ま ず 鳥 炉 丿 心を 有 し て い る が , こ れ は 通 常1 年 の う ち一定 期 間(6 1() ヵ 月 ) し か 稼 働 し な い。稼 働 し て い る 時 の 月 間 生 産 高 は 年 率 で 平 均!00 ト ン で あ る。- 部 の も の は80 ト ン で あ り , 他 方120 ∼130 ト ン の も の も あ る。 イ ギ リ ス に 比 べ て ひ じ ょ う に 小 規 模 で あったとい え る。な お こ の 時 期 に は ほ と ん ど す べ て の 高 炉 は 木 炭 炉 で あった。 し か も 当 時 の 人 目 が フ ラ ン ス は イ ギ リ ス の2 倍 以 上 で あった こ と を 考 え る と , フ ラ ン ス 製 鉄 業 の 実 力 が 相 対 的 に イ ギ リ ス に 勝って い た と は い え な い。む し ろ 技 術 的 に は す で に イ ギ リ ス の 発 展 に 比 べ て 立 ち 遅 れ て い た。 イ ギ リ ス 製 鉄 業 に

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僅 か に ア ル ザ ス の デ ィ ート リッヒrミ場 や ロ レーヌの ド ・ ヴァン デ ル け 特等 少 数 の 工場 が 例外 的 に 作 在 し てい た にす ぎ な かった,.デ ィート リ ッ ヒr.場 の経 営 片 は デ ィ ー ト リ ッヒ 男 爵 であ り, 彼 は6 つ の 製 鉄 所 を ア ルザ スお よ び ヴ ルージュ に 所 有 し てお り, 製鉄 業 の 令 部門 を 支配 し て い て . こ の 時 代 に おい て は 注 目 す べ きあ る 程 度 の 垂 直 的 集中 を す で に 行ってい た[].そ してこ れら の 例 外 的 な 人 工 場 はそ の 後 の フ ラ ン ス製 鉄 業 の 新 し い 発 展の先 駆 と な る のであ る が, そ の 巾 で も野 心 的 な計 画 と 強 力 な 政 府 の助 成 を うけ た め ざ ましい 発 艇 と に よって 注 目 を浴 びる こ と に なった の は ル・ク ルーゾ 一 工場 であった1ト 3. 製 鉄 技 術 の 発 展 と フ ラ ン ス 製 鉄 企業 18ii-紀 に お け る フ ラ ン ス製 鉄 業 の イギ リ スに対 する 立 ち遅 れ は,まず そ の 技 術 的 発 展 の 緩 慢 さに よ る も の で あ るっそ し て技 術 的 進 歩 は また 近 代 的 人 企 業の 発 展を左 右 す る 要 因 である,18 世 紀 にお い て イギリ ス 製鉄 業 は す で に 木炭 か ら 石 炭 へ の 転換に か な り 成功 し て い た。イ_炭 の利 用 が研 究 さ れた 結 果,j 1730 年ご ろ イ ギリスで は 石 炭 の コ ークス 化 か 考 え ら れ る よ う に な り, 1735年に'/ ービ ー(Darby ) に よ っ て コ ークス 銑 の 発 明 が な さ れ, 1784年 に は アニア ン ズ (Onions) と コ ー ト (Cort) に よ っ て パ ド ル法 が 発 明 さ れ て,イギ リ ス 製 鉄 業 は完 全 に 新 し い もの にか わっ て い っ た,18 HI紀 末 に は イギリ スの 高 炉 の 人部 分: は す で に 新 し い 燃 料 を使 用し て い た。 18世紀 後 半 , こ と に1775年以後 フ ラ ンスで は 製 鉄業 を変 乍し, 強 力な 競 争 者 であ る イギ リスの発展 に 立 ち向か う ため の 人 き な努力が な さ れた。フ ラ ン ス製 鉄業 は イギ リ スの 競争に勝つ だけ で な く, 存続 す るた め に も変・i' され る こ と が: 必 要であった。 しかしフラ ン ス製鉄業 はイギリ スの技 術を 啓人し よう とし た が,な か な か う まく いか な かった,た と え ば1756 年に フ ラ ン ス政 府は ガブリエル・ジ ャ ー ル (Gabriel Jars) とい う者に ヨ ー ロ ッ パ の 鉱山お よび 製 鉄 所 を視察 し, フ ラ ン ス 製鉄業 を 改 札 拡 人さ せ る方 法につ い て研 究す る こ と を命じC い る。ジ`ヤー ル

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第1 ff- 産業-■*:命ti!iにおけるフ ランス製鉄業の発展 II は イ ン グ ラン ドの コ ーク ス 製 造法お よびそ れの 高 炉 における 使 用 法 を 親 し く 見 聞し た,し か し彼の 報告書 に 基 づ い てフ ラ ン スで行 わ れ た コーク ス 製 鉄 の 試 み は失敗だ っ た 。 だ がこの 報 告 書 が 産 業 界 に刺激を与 え, 新 製 鉄法 に対 す る 世 の 関心を 高 め たこと は確か である 川二 な おジ ャー ル は ブル ゴ ーニュ(Bourgogne) の モンス ニ(Montcenis )を 近 代的人 規 模工 場 の 建 設に 適した 土 地 で あ る と 指 摘 し, 1776年 に 政府の支援 のドにこ こに 新 し く 大 鍛 造 所 が建 設 さ れ た が, これ が の ち のル・ク ルーソー工 場の基 礎 と なった,政 府 が1784 年にディ ート リッヒ'}] 爵 に委 嘱 し た 調 査報内書 によると 当 時のモ ン スニ の 工場 の 状 況 は 次 の よ う で ある 。 39フ ィ ート の 高さ の高 炉 が4 基 あり,年間1,000 ∼1,100 ト ン の 鋳 鉄 を生産 す る 。ま た4 基 の 反 射 炉 が 建 設 さ れており,∩ 川]の鋳造で1 万2,000 ポ ン ド の 重 さの も の をつ く る能 力 を 持つ 。いずれ もコ ー クス で 精 錬 さ れ て い る1 几 この モ ンスニの:r.場 は,当 時 の フラン スにお け る 最 新 式の大工場 で あった1 呪 18111紀- にお ける フ ラン ス 製 鉄 業 は,このよ う に一方 で は 伝 統 的 な 作 業 方 法 を 改善 し, 新しい 能率的 な 技 術を抹 用し,燃料(木炭 ) の制 約 から逃 れ よ う と 努 力し ていた 。 しかし製 鉄 に コ ー ク スを使 用 する試 み も,大 規 模 な 生 産 単 位 を 建 設 する こ とも,令体と し て は 失 敗であっ た といって よ い。ま た 生 産量は 著 し く 拡 人 さ れたが,こ の 拡 人 は 品 質 の 改 善 やコス ト の 低 下 を 伴 わ な かった。 フ ラ ンス の技術 名‘は イ ギ リ ス の 役 術 的 発 展 に 追 随 す る こ とに失 敗 し た が,そ の理 山を説明す る の は むずか し い,とパウン ズ は言 って い る。ス ク リ ヴ ナ ー(Scri 、 ・eiu r) はこ の 点に ついて,「コーク ス 高 炉 がフ ラン ス で 発 展 す る の が こ の よ う に困難 だった片 山は,フラン ス の 原 料 が イギ リ ス の そ れ と 同 様 で な かっ たことであ る。今 で さ え,そ れ ら をいか に使 用す る か を 学ぶの にフラ ン ス 製 鉄 業 は 多額の 支出を し な ければ な ら ない」と 述 べ て い る1 几 しか し フ ラ ン ス 製鉄 泉の 立 ち 遅れの根本的原 囚 に つ い て さ ら に 検 討 を 進 め れ ば , ま ず ダーナ ム 巾iinham ) はフラ ン ス 企 業 家 の性 格を あ げ ている。 「 製鉄業者の怠 慢 , 地 方主 義, 保守 主 義 お よ び個 人主 義 は フ ラ ン ス 産 業 の 特 徴な の であり,そ の状 況お よ び 進 歩 の欠如 を 理解す る│こで 重 要 で あ る。不

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対 す る十 分 な 説明 で は ない。フ ラ ン スに お け る 小 規模 生 産 は, 'itに こ れ ら の 重 要 な経 済的・地 理 的・地 質的 要囚 に よる ば か り で な く , 節 倹お よ び 伝統 囚 執 と結 びつ い た 個 人iミ義 の深 い 愛 好 に よる もの で あ る いそ れ は フ ラ ン ス1 喋 お よ び 農業 の 典型 で あ り, 今 日の 人量 生 産時 代 まで 存 続 し て い るir.∵J さ ら に 大 革 命お よ び そ れ に続 く帝 政 時 代 に は , フ ラ ン スは 政 治 的 に 他 の 諸岡 から 孤 立 して い た ので , イ ギリ スで 当 時 製 鉄 業 を 吊:命的 に 発 展 させ たl つ の 発 明 に 頼 ることが あ ま り なか っ た。こ の二つ の 発 明 と は1769 年 の ワ ッ ト に よる 蒸 気 機 関 の 発 明 , お よ び1784 年 の コ ー ト に よ る パ ド ル法 の 発 明 で あ る,後 名’は1818 年 に ロ ジ ャース(RoKers) に よ っ て 人 き く改 善 さ れ た。こ れら の 発明 の原 入が進まな か った の は, フ ラ ン スの 政 治 的 孤 \Vだ け で な く, た と え フ ラ ン スi: 業 家 が蒸 気 機関 を知 っ た と し て も, 積 極 的 に 採 川 し た と は 考 え ら れ ない と ダー ナムは言 っ て い る,な ぜ な ら ば 当時 必 要 な 水 力 は 十 分 にあ った し,また 蒸 気 機 関 に必要 な石 炭 を 高 価 だ と 考 え て い た,さら に パ ド ル 法 につ い て は, 製鉄 業 者 はそ れ に必要 な石 炭 を 十 分 に 得 ら れ ず, また 彼 ら は そ の生 産す る 鉄 の 喘 よ り も 質 に誇 り を持 っ て い て,精 錬 法 を 変 え よ う と は し な か っ た であ ろ う から で あ る。 なお フ ラ ン スにお け る 石 炭 資 源 の 不 足 も 近代 工 業 の 発 展 を 阻 害し た 人 き な原 囚 の一 つ で あ る が , た と え ば,革命 直 前 の1787年 に おけ る フ ラ ン スの 町炭 牛。産は 年 間20 万 ト ン強 で,ほ ぽ 同 量 を イギ リ ス か ら 輸 人 し てい る。。,イ ギリ スは そ の 当, 時 す で に600万トンを 生 産 し て い た と思 わ れ る1町 フ ラ ン ス の石炭問 越 に つ い て は 第2 章 で 詳 述 す る, 結 局 こ うし た新 技 術に対す る彼ら の消 極性は,こ れら の 発明が ひじ ょ うに 人 きなスケ ールで 生 産 す るので なければ利益 を\げ え ない とい う 事実 に もか か わ -ら ず, 彼ら が小企 業 に強い 愛 着 を持っ てい たこ と から きている。つ まり 肖時の 禁止 的関税の助けもあっ て,フ ラ ンスの 製鉄 業者は彼の企 業 を 変化させ ず に 存 続で き る と考え た の であるj≒ 当 時 のフランス の 典 型的 製 鉄所の規模は, 高炉1 基, 鍛造所- つ で,後れに は通 常 精 錬炉2 基, 条 鉄炉 | 基 がある。さら にし ばし ば板や線の に場が付 随す

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第l や 産業 革命前におけるフランス製鉄業の発展 13 ることも あ る。ま た高炉 だけ, あ る い は 鍛 造所だ け が 独立 して 存 在 す る こ と も あ る。これら の工 場の中で 雇用されて いる 労 働 者の数 は 多 く な い,普 通 高 炉 に は2 人の 熔 鉱丁と3 人の原 料装填工 が働い て い る。鍛 造 所 で は そ の 規 模 に よ っ て10 2( 人であ る,し か し 工場の外部 では 製鉄 業は 鉱 夫 , 木 材 伐 採 夫 , 炭 焼 夫, 運 送 業 等, 多 数の人 々 を雇用してい る。 製 鉄 業者 は 鉱 山. 森 林 , 水 路 をも 所有せねばなら ず,大 き な 資 本 を 必 要 と す る。その た めに当 時 の 製 鉄 業の所 有 者 は 大部分 が貴 族か 大 修 道 院 であった。鉱 山 採 択 権 は ほ と んど領 主 の も のであ り,森 林 の 所 有 権 も一般 に 領 主 の 手 にあっ た,し か し 富 有 な ブ ル ジョワ , 金 融 業 者,工業 家 の 手に移 る も の も し だ い に多 くなった。ま た 貴 族 は めった に 自 身 で 生 産 活 動 を 行 わ な かった。彼 ら は 鉄 工 場 の 親 方 や 生 産 に 必 が な 資本を 有 す るブル ジ ョ ワ に 鉱 山 お よ び 森林の 権 利 を 持 つ 企 泉 を 賃 貸 し た の で あ る卜。 こ の よ う に1剛礼紀 の 製 鉄 業 は他の 工業部門 に 比 し て 大 資本を 要 し,し た がっ て 企業 家 は 封 建 的 諸 ㈲」約 の 存 在 す る 中 で,すで に特 別 に 資 本 家 的 性格を 強く有 し てい た。その た め 前 述 し た よ う に イ ギ リ ス と 比 較 し て 保 守 的 特 徴 が 強 く み ら れ たにも か か わ ら ず,製 鉄 業 の 人 規 模 企 業 的 性 格 か ら,大 企 業への 集 中 運 動 の 胎 動 は すでに こ の 時 代 に 認 めることが で き る の で あ る。こ の 時代の 企 業 集 中 の 形 態 は,- つの 企 業 の 拡 人 発 展 に よ る 人 型 化,お よ び 企 業 家 が つ ぎ っ ぎ に多数 の 貴 族 や 修 道 院 か ら 製 鉄 事 業 を 請 負 う こ と に よって,同一人の 手 に いくつ も の 製 鉄 所 が 集中さ れるという 形 が あ るノ前 者 の 例 は 特 に ロ レ ー ヌ に み ら れ る。最 人の も の は モ ワイヨーヴ ル (Moyeuvre )と モ ン ト ローセ ン(Montei'hausen) で あ る。た と え ば モ ワ イヨーヴ ル は ワアベール(Faberl )が 中心と なって 設 立 し た も の で, 1781 年に ナ ン シー(Nancy )の 領地の 管 理人で あ る ヴ ィ ヴ ォ ー (Vivaux )に賃 貸された。そ の規 模は 高 炉2 基 ( 銑 鉄750 トン を 生 産), 精錬炉7 基,鋳造所- つ, 内 部 労 働 者51 人 , 外部 労働 嗇20 後者の例 はアル ザス およ び ロ レー ヌ に み ら れ る が,そ の他の地 域では ま れで ある。た と えば ローラ ン (Laiii'ent) という 者 は5 つ の 製 鉄 所 を 請 負っており, コロン ビ エ (Colonibicr) は6 つ を持っていた が,とくに次の3 大の工業 家は

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強 大 な グ ルー プ を す で につ く り 卜 げ て い た。す な わ ち エ ヤ ンジ ュ (llavjinKcり の ド・ヅ ア ンデ ル,バ ス ごア ルザ ス(l^asse-Λlsace)の デf ー ト リ ッヒ , お よ

び ベ リ ー (Ben-v)の オ ー ベ ルト (Λu be riot)で あ る。,エ ヤ ン ジ ュ は18 111;紀 初 頭 以 来, ド・ヴ ァ ン デ ル に所 属し てい る。ド・ヴ’ア ンデ ルは し だ い にI-.地 お よ び 領 主 権 を 買 収 し て いった,1784 年 ま で は シ ャ ル ル・ ド・ヴ ァ ン デ ル(Charles de Wendel), そ れ以 後 は 息 了・の イニャース(iL'nace)に助 け ら れ た マ ル グリ ッ ト (Marguerile) の指 導 に よ っ て , ド・ヴァンデ ル は だ ん だ ん と 周 囲 の 製 鉄 工場 を吸 収 し てい っ た。1788 年 にエ ヤ ン ジュ はZ 基の 人高 炉 を 持 ち, 月 間120 ∼125 ト ン の 銑 鉄 を生 産 した。そ のー一部は 爆 弾, 砲 弾 の 製 造 に 使)1]され, の こ り は板 工 場 , 鍛 造工 場 を 含 む三 つ の 精 錬 所 で 加L さ れた,ド・ウ) ン デ ル は エ ヤ ン ジ ュ の ほ か に も シ ュ ザ ン ジュ(Suzan βり, ア ン ブ ー ル 田an 山oi四) 等 い く つ か の工 場 を所 有 して い た2n ■ フ ラ ン ス 革 命以 前 に機 械 主 義 の 幕 が 開 か れな か っ た の は, 製 鉄 業 の み な ら ず, 繊 維, 製 紙 等 の 軽工 業 にお い て もそ う で あった,し か し , こ れ ら の 産 業 部 門 に お い て も や は り そ の先 駆 的 現 象は18 世 紀 後 句 こす で に 見 え 始 め る。新 し い 技術 , す な わ ち 水 力 モ ーター, 動 物 に よっ て 動 か さ れる 機 械 装 置等 が採 川 され, 綿 糸 工 業 は イ ギ リスの 最 新式 機械 を導 入し た。1775 年以 来, ジェ ニー機 加 佐及 し, ア ー クライト の 水力紡 績 機 械 も1782年 以 後 イギ リ ス 人に よっ て 紹 介 さ れ た。そ し てこ れ ら 工業 部 門 に も多く の機 械 お よ び労働者 を 擁 す る 人 上場 が 設,ンこ れ始 めた。た と え ば 絹糸 ,絹 織物につ い て は 南 部や リ ヨ ンに 人 に場 が 現 わ れ, ラ シ ャ, 麻織物 ,製 紙工 業 に も 人規模 牛産 を行う も のが で て きた。 しかしこれ ら も なお 機械 主 義 の 殼初の かす か な発 現 に す ぎ な か っ た。 に業 令 体と し て は, 依然 と し て 手 工業, 小 什事場(pelits aU'lit'fs)が 支配的 であ っ た, こ う した 機械需要 の未発達 は,製 鉄 業 の巾 場を 人規 模な 武 器 製 造r.場 の ほ か は, ひ じ ょ う に限ら れ た も の に と どめてい た の である。 こ の ように 製鉄業の 発展 は経 済全体の発展 状 況に よっ て規 制さ れ た わけ で, 資本主 義 的 大 工業 へ の発展 は,け っ き ょ く技 術 竹机  人資本 調達 の 要請 に応え る こ と ので き る金融 制度, 株式会社組 織の発達, 川業組合 に かわる自 山な 経 済

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第1 (ff 産業 革in前におけるフランス製鉄業の 発展 巧 制 度 等 の 実 現 に よ る 、 経 済・社 会 令 般 に わ た る 変 革 が 必 要 で あ っ た の で あ る 、 ま た 同 時 に 収i で業 は 資 本 上 義 経 済 の 発 展 過 程 に お い て 、 そ れ を リ ー ド す る 役 割 を 果 た し か !9ilt紀 に は な ば な し く 展 開 す る 近 代 的 重 工 業 の 発 展 、 お よ び 企 業 集 中 運 動 に よ る 人:資 本 の 形 成 を 前 に し て, 18世 紀 フ ラ ン ス 工 業 は そ の 変 革 を し だ い に 内 部 に 醸 成 し っ つ あ9 た の で あ る、

□ JCirKeii Ki 】cz\'nski, .4 Short /listθrvリof'Labour C θndiliθns in France ・1700 lo the Pre-SI'Hl Dav

]946. pp. 27-28 ,

2) V..Le \・asseui・. /li.sloiri一di's Classes ヽOnvrien,s en France depuxs la じひ,叩 副e de JulesCV'.SH リ'isqu'd la R皿'olntioi, Tc ni. 11., 1859.pp. 365-371.

3) J. 11. Claphani. I`hc /{印, 四, 面/ 炳'cl 卵 斟・nl of France and Gi ・mian \' 181 了一191-S. 1923,pp.M-SS.

■1) Not'inan i-'ouncis and W. Parker. Coat and Sled in Western E,r ゆe. 1957, p. 19. S)/hu/.. p. 32.

6)1). Miislu'l, I'a/vrs an Iron and St・'ii. 18-10 ,

7) Coiifrrt'ncc dc M. L.aiii'fnl. in I.a Ii山li( aヽqueヽdu Musoe Social. ルDevelopp ・匹nt &・,│U)剛(ntf・ d,・ la rnuicr. /'. ■Is^riniltuu・, `hid,stri・ m,'-lalluri;iqne. Ics Industries t ・xiili's. 円 ぽis丿912 ,p. 76.

8)Charles Rallot. l.'lntrodnclion di に \lacl山ii'smc dans i'!}iciustrie fra}iccii・se.Paris, 1923.9)Pouiuis anc

川*arker. o/い ■I/.,pp. 乱ト ・11. Ballot, 卯イ江丿p. 426-427. 川) 本 占 第2 部 第7 び参照.

II)Ch. Ballot. 卵. ril.. np, 436-441. founds aiui Parkor. op. cil。p.43.

12) llarr・v Sci・ivcn叫・.m 油 八of U, 丿ra イTra 心, First edition 184 1. Second edition 1854.New impression

( f the Scconc に ヽditii n 1967, pp. 178 り79.

口) 第7 ぴ 参 照.1789 年 ごろ ま で の ル・クルー ソ ー にお ける 工 場 建 設 につい て はI!^ ・lll( t、i,lnlroduction du N。h 帽・nism,' dans・ l・Indnslrii' franぐais,・カ'''f,fシしい。

H)II. Scrivfiior, o/い■it.. p. 183.

卜) Λ.I. Uunh. ani. 'I'lic Indnslrial Rfi'olutitDi 1・心Fr 皿re IS 15-1 心S バ955. pp.119-120.16) K.C.Eckel, Coal. Iron

and War ,1920丿. 63. 17) )unham, op.cil.pp ]19-20,

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19) 20) Ibid., pp. 425-426. ドーヴ ァ ン デ ル につ い て は 本 書 第2 部 第8 び 参照。

第2 節 近代的 大工 業発 展の ため の基 盤の 成,l.

1. フ ラ ン ス革 命 に よ る 近 代 社 会 の 形 成 と 経済 封 建 制 度 の諸 矛 盾 が爆 発して 起 こっ た フ ラ ン ス大革 命は,絶対 に 初 め て 個 人的 自 由主義 に 基づいた 新し い近 代 国 家の確久を も たら し た  人 仏 以 の 担い 手 は,市民 の 中 で も新しく 勃 興し て きた産業市民(マニュ フ ァ クチ ュ ア, およびそれ から 発 展して く る 近 代 的 大Iで業 資 本家)であっ た-,A; 革:命 は暉ti」l度 を くつ が え し, まっ た く 新しい自由 な 近 代 的 社 会の基 礎を形 成し た。 フ ラ ン ス 革 命 は封 建 制 度 か ら 資 本 家と労 働 者 を 解 放し た,農奴は自 山に な り, ギ ル ド 制 度 は解 体 さ れ,国 内 取 引 や 外 国 貿 易 の 白 由 は 確 立され, 正常 な金融・ 財政 制 度が 組 織 さ れて,マ ニュファクチュアお よ び 工場 制 度一 一資 本 主義的 企 業- が自 由 に発展 を始 め る こ と が で きる よう な 条件が 作り出された。しかし 革 命直 後の数年 間は,混 乱 の た め 生 産 活動 は 仏 セ ー(Henri See )も フ ランス 革 命 の 経 済 的 発 展に対 す る 意 義に ついて次の よ 引 こ言っ て い る。 じ苓命 に よっ て制定 さ れ た 労働の自 山 が, 服要な 経 済的 結果をもたらした こ と は 事 実 である,しかし そ れ は ずっと 後 に なって 初めて実 現 す る。種々の 革 命的で きご と は,ア ン シ ャ ン・ レジーム 末期に 予 想 さ れ た よ う なフラ ン ス の工 業的 発 展 をむ しろ遅延させ る こ と に なった呪 」 アン シャン・ レ ジーム末期に は 大 き な 産 業上の 危 機 があったが,それは ・部 は]786年 の イギリ スとの 通 商 条約に 起因す る も のであった。革命はこの 危 機を さら に拡大 し た。すな わ ち貴族 階 級に属す る多 数の 金持ちが国 外に移 住し た し , 国 内の 混乱 お よび物 価騰貴 は消 費を著し く減退させ た七

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第1 び 産鷺革命前におけるフラン ス製鉄業の発艇 り 産 業 の 機 械 化 に と っ て ひ じ ょ う に 重 要 な 蒸 気 機 関 の 生 産 は , 大 革 命 ま で 促 進 さ れ て き た が , 革 命 後 は 発 展 が 停 止 し て し まっ た;, 5執 政 官 政 府 時 代(1795 ∼9 叫 丿 に お い て も, 産 業 の 状 態 は な お 危 機 的 で あ っ た っ1797 年 に な さ れ た 調 査 に よ る と , 生 産 活 動 は 大 革 命 以 来 低 ド し て い る 。 機 械 化 は ノ ー ル(Nord ) の よ う な 人I ミ業 地 帯 に お い て さ え , ほ と ん ど 発 展 し て い な い , 2 . ナ ポ レ オ ン 時 代にお け る 新しい 経 済 制 度 の 確 立 と 産 業 の 発 達 フラ ン ス が 近代産 業 資 本ド 義 の 本 格 的 な 発 展ニ のL 合 を 築 い た の は,ナ ポレオ ン1 111の 時 代: であ り,そしてTに業 資 本 家 が 決 定 的 な 支 配 的 地位を 得 る ほ ど に 発 腱 す る に は,'f'命 以 後 さ- ら に `ト 世 紀 を 要= したので あ るっ ナポレ オ ン は 革 命 に よって 疲 弊 し か フ ラ ン ス 経 済 を 強 力 な 政 治 権力によっ て 直 接 に 指 県 助成 し,ふた たび 秩 序 を 回 復 さ せ た,彼 は 革 命 後 の 自 由 主 義 に 対 し て,ル イト川H.-リ 瀬 の フ ラ ン ス の 伝 統 で あ る 統 制 的 経 済 政 策 を 再 度 加 味 し た の である,。こ の よ う な卜か ら の 統 制 的 経 済 政 策 は , ナ ポ レ オ ン 以 後 も 復古王 朝, 第2 ■;■政 ,'(; そし て20 11紀 に い た る ま で 継 承 さ れ て い る1; 。と く に ナ ポレオ ン は フ ラン ス の 統 制 経 済 的 伝 統 を 強 化した と い わ れ て い る。 ナ ポ レ オ ン の心接 的 産 業 保 護 助 成 政 策 と し て は,国 費 に よって 近代 的大 工 場 を 址 設 し た り, ま た イ ギリス か ら 新 技 術 お よ び 機 械 を 導人さ せ た り し たこと, 人 規模 な陣覧 会 の開 催冷 か あ げ ら れる。た とえば1801 年 に は 国 内 工 業 奨 励 協 会 を つ く り,バッシーに模範 機織 上場 を 建 設 し た。綿 布,羊 毛, 化学, 機 械工 業 等 に は 新技 術を 導入さ せ,こ れ ら 産 業 の 急 速 な 発 展 をもた ら し た。とくに 重 工 業 は車 事 目 的か ら ナ ポレオ ン の 濃 厚 な育 成政 策 によって 拡大 ,進 歩 し た の であ る。 1801年, 1802年, 1806 年のパ リ博 覧 会 の出品者数 は, 229, 540, 1,422 と 増 人し, 国 内[l業 の発達 をよ く 物語っている。 しかし 金試 し 業に ついて み る と, 武器製造 業 を除 いて は, 比 較 的停頓 的であ った。た と えばロ ア ンヌ(Roannc ) の オ ノ レ・ブ ラ シ(Hoiiore Blanc) は ,銃 の製 造を機 械 化 する こ と を試み,ひ じ ょ う に 繁 栄 し たマニュフ ァ ク チュア を つ く り 上げ た。し かし製 鉄業は 武 器 製 造業 か ら の大量 の 需要によって活気 づ け ら

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れ たにも か か わら ず, 生産 は依然と し て令地 域に 分散的 に存在す る多数 の小 に 場 に よって な さ れてい て, 集 中 化 はほ と ん ど促 進されな かった こ うした状 況の 原因と し て,ハロ ー は次の2 点 をあ げ て い る卜 1. 新 製 法の採 用 は,製 鉄 衷嗇 に 大 き な 支 出 を要求する こ と。 2 . 保護 主 義 によって利益 を うけ てい る 製 鉄 衷者の 保守的 性格と無 知 近代 的 大製鉄 に場 を た て る こ と は,機 械 化 さ れ た 製 糸に場 の 建設 より もは る か に人き な資金 を必 要と しご  そ の し 繊 維!: 場 はそ れ まで の 家 内 に農に か わ つて 新 た に 建 設 さ れるもの であっ たが,製鉄 に場 の場 俘 は│川式 設備が 犠牲に さ れ な け れ ば ならな かった。しかし製鉄業者は保守 的 で ㈲習 に し が み つ い て お り, しか も 関 税によって 保 護 さ れ てい る ので, そのよう な 努力を 払 う こ とは な かっ た の であ る。繊 維工業 も 関 税の保 護 を受 けてはい たが, 密貿 易 が 容 易に 行 わ れ て い た。鉄 の 場 合 に は そ れ ができにくい とい う事情 があった,イギ リ スの 鉄 の 価 格 は1801 ]4 年 に 約4 分 の1 引き ドげ られ たが, フラ ンスで は反 対に価格 は 上 が り 続 け た。少 数 の 例 外 はあった が, フ ラ ン ス 製鉄業 は 全体とし て イ ギリ ス よ り もは る か に 立 ち 遅 れ, 依然 とし て木 炭銑の生産 に止 まっ て い た。 なお フ ラ ン ス 工業 全 体 と してみ れ ば, ナポレ オ ン時 代には 前 述の よう に確か に 発 展 が み ら れたよ一一部 の 部 門では 機 械 化 がひ じ ょ う に進 んだ いた とえ ば 蒸気 機 関 の 採 用 は , 革 命 直 後 停 滞 してい た が,1800 年 か ら拡 人し始め ている。す な わ ち生 産 の 集 中 化 が 促 進 さ れ た のであ り,その 間接 的 証明と し て石炭採 択 鳥を みる と,1789 年 の12 万5,000 ト ン か ら41 万 ト ンと3 倍 以│こに増 人し て い る。 し か し 決 定 的 な近 代 工 業 へ の 転 換 は1840 年以 後になっ て起こ ったのであっ て,こ の 時 代 に は まだ 資 本 主 義 的 人 工 業 は よ う や く 現 わ れ始 め たところであっ た に す ぎ ない。 し か し ナ ポレ オン は 資 本主義 経 済 の 発 展 のL 台 を 築い た点で, ひじょうに人 き な功 績 を 残 し た。まず ナ ポ レ オン の 人 事業 の 一つ は 人道 路網 の 建 設であっ た。 経 済的 ・ 軍 事 的 目 的 か ら , 莫 人 な 費 用 を投 じて国 道, 県 道 の改 良, 糾持を計 り, か つ 国 外 に 通 じ る 人 追 路 を も 建 設 し た。現 在 の フ ラ ン ス のH 要道 路 網 は 実 に 彼 に よって 完 成 さ れた もの であ り , そ の 後 の経 済的 発 展 に大 い に 貞献 した。後 年

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第1 な 産業-'r命前におけるフ ランス裂鉄 業の- 発展 19 発達 し た 鉄道も,だいた いこ の道路に 沿 って 建 設 さ れ たっ ま た ナ ポレオンの と った 重 要 な 政 策の 一 つ は,財 政 の 健 全 化 お よ び 金 融 組 織 の改・酉 である。そ の中で も服 要な の は,フラ ン ス銀 行(Banque de France) の 段 ぺで あ る- 18就紀 には ミつ の 主要な発券銀行 が 設 立さ れ たが,第1 の も の は1716 年 の ジ ョン・ロー (John Low )の 銀 行(Banque fj むnぐrale) で ,これ は の ら に バ ン ク■ロワイヤル(Banqiie R( yalり t となり, 1720年に破産 した。第2 は1776 年のケ ス・デスコン ト(Caisse d'Escomplc) で あ る が , アンシ ャン ・ レ ジ ーム 未 期 の 政 府 の 過 人 伶 人 れによっ て同 行の地 位 は ひじょ う に 弱 体化し,1793 年に解 敞し た。,第3 は1796 年の ケス・デ・コン ト・ク ー ラ ン(Caisse desCo niptcs Courants) で, 2,000万フラン の銀 行券を 発行 して い た。フ ラ ン ス 銀 行 は]800年に没 ぐ さ れ,ケ ス・デ・コ ン ト・ク ーラ ン を 吸 収 し た。同 行 は 国 庫 の銀 行として機 能し, ま た パ リ に お ける銀 行 券 発 行 の 独 占 権 を 得 だ。同 行 が フ ラン スにお ける完 全 な 発 券 の 独,'f権 を 獲 得し た のは1848 年 で あ る。 ナポレオン は ま た1803 年に新 し い 貨 幣 制 度 を制定 し た。こ れ によって 従 来 の りーブル 貨 は 廃 \ト さ れ て フ ランが 採 川 さ れ た。ま た 金 貨 お よ び 銀 貨 を もって 法 貨と し た いこの 複利 ヽ紬ij度 は そ の 後 長 くフラ ン ス 貨 幣 制 度 の 根本と なった。 ナ ポ レオ ンは 貿 励 に お い て は 強 ノjな 保 護 貿 易 七 義 を とった。輸 出 を 奨 励 し , かつ強人な 競 争国で あるイ ギ リ ス の 商 品 は , 国 内 市 場 か ら 閉 め だ し て 国 内 産 業 の 振 興 を は かった。 し かしこ う し た保護上義的政 策 に よって イ ギ リ ス と の 経 済 関係 は 悪 化し,ひ いては内 圃の敵 対 関 係を醸 成レ(, つい に ナ ポ レ オ ン は 大 陸封鎖(le blocuscontinent 川 という大 規 模な対英封鎖政策 を 断 行 す ること に なった。これ によ って ナ ポレオ ン は イ ギリス と人 陸の 経 済 関係を 完 全 に た ち 切 り, 欧 川 大陸 を‥一 つの人 経 済ブロッ ク と しよ うと し た の である。こ れ は の ち のドイ ツ の 汎 ゲル マ ン 上 義 と│rf様J の欧 朴ijt -市 場 実 現の野望 の現 われ であI), この欧 州 統一が20 世 紀には いる と さ ら に切 実 な 要望 と なって欧 州 諸同 に復 活し, 第1 次 大 戦 後の汎 ヨーロッパ 運 動 から, 第2 次 人 祓後 の シュ ーマン ・プラ ン, 欧 行 経済 共 同体 (EEC) そ の他と なって 実現されて き た のは 興 味 ある事実 である。た だ し ナ ポ

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独 裁 的地 位 を 強力 に うち出し たもの であり, フラ ン ス品 は他の人陸諸国で 優 越 性 を 持つ が, フ ラ ン ス市 場 は外 国に対し て閉鎖 さ れる と い う. 自 岡 中心の 勝{ な思 想で あった。 こ の 大 陸封 鎖政 策 は, 人陸諸国 の 工業の飛 躍的 発 達 を も た ら し た  し かL 以 料 の 欠乏 はし だい に工 業 を危機 に 陥 れ, ま/z商 業 も 片人な 損 害 を受 け た  さ ら に大 陸封 鎖 は そ れ を完 全 に行 う た めには 密輸 を 防1トし な ければ な らず, 人汗 諸 国に 間隙 を許 す こ とが で きな いの で. 武力による 領 \の-.支配を必 要と し,結 岫 ナ ポレ オ ン没 落 の一原因と なってしまった,ナ ポレオ ン 政 府 の 積 極的工 業助成 政 策 に も か か わらず , フ ラ ンス工業 に 大 き な打撃 をリ・え,そ の発腱 を万し く埋 らせ た の は, こ れら の 激しい 戦 争であった。 1790 ∼18!O 年 の工業 生産の 発 展 を みる と, 鉄生 産 はイギリス の場 介は6 万8,000 ト ンか ら25 万ト ン と 約4 倍 に 増 大し ている が,フラ ン スは4 万 トン か ら8 万5,000 ト ンと 約2 倍 の 増 大 に す ぎな い,繊 維 の 生産 に関し て も フ ラ ン スの 発 展 率 は 低 く, 1780∼1800 年 に イギ リ ス が2,600 万ポ ンド (膀)から3, cot 万ボ ンド に増 大 し だ の に 対 し て, フ ラ ン ス は2,ioo;jポンド から2.7i)0万ポ ンド に増 大 す る に とど まった の で あ るっ 3. イ ギリ ス製 鉄 業 と の比 較 フ ラ ン ス製 鉄 業 は18 世 紀 に おけ る 近代 的 大工業 へ の発展の 準備 期に お い て, す でにイギ リ ス製 鉄 業 に 完全な立ち遅 れ を みせ, もっ ぱ ら イ ギリスから 新 しい 技術を 吸 収す る こ とに努め ね ば ならない 状 態であった。イギリ スは匝 界で殼 初 に 産 業 革 命 を 遂 行 し た が, そ の 発端 は繊 維 工業 におけ る新しい 機 械の発明と そ の採用 にあった。こ の 機械化が 進 む につ れて,蒸 気 機 関 が出現し, 産業革命 は 本格化す る が, こ う し た機械お よ び新 しい 動力の普 及は,製 鉄 業に近代的 人 規 模 生 産 を 可 能 に させ る ととも に,戦争お よ びこれら の 機械し 裳からの 需 要 の急 激 な 増大 がま た 製 鉄業 の 発展 を支 えた のであ る。 イギリ スにお い て は1713 年 に アブラ ハ ム・ダービ ー(Λbrahani Darby)が す

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第1 命 産 業¥c命前におけるフランス製鉄業の発展 21 で に:j ー−ク スによる製 鉄の実 験 に 成 功した と い わ れ ている が ,1740 年 に お い て , 木炭 の供 給がさら に不 ト 分 に なったにも か か わらず,石 炭 利 用 の試み は な お 軌 道 に の ら ず,製 鉄 業の活 動 は 沈 滞し てい た。この停 頓状態 から発 展 に移っ て い くことがで きたのは , 製 鉄にお け る 石炭使 用の 増大が技術的 に 可 能 に なった か ら である,り81 ≪;紀にお け る その発 展の過 程 は 次のと おり であ る卜 巾 1769 年 に ニ ュ ー コメ ン(Newconie 削 の エ ン ジン に 対 す る ワット の 改 良 が 特 許 を とった。こ れ に よって 高 炉(木炭)の 平 均 生産 量は 著 増 し た。1750 年 に は 平 均294 ト ンであったのが, 1788 年には545 トンに 増 加 し た の で ある。 肺  木炭に対 す る コーク ス の 代 置 に よって/OO 年 に は コ ー ク ス 高 炉 の 平 均 生 産 朧 は903 ト ン に 増 加 し た。こ の 時 期には ま た コ ー ト の パ ド ル 法 お よ びI-I-. 延 技 術 の 発 明(1783 ∼84 年 に 特 許 を と る)が 行 わ れ て い る。これ は 棒 鉄 生 産 の 革 命となった い ま た 銑 鉄 の 総 生 産量は1740 年 の1 万7 、350ト ン に対 して, 1788年 に は6 万に300 ト ン(木炭・コ ー ク ス 銑 今 計)に 増 加 し た。(3) 1788 ∼90 年 の ワット のエン ジ ン の 採 用 に よって, 1796年 の 銑 鉄 生 産 は,1788 年 の2 倍と なった。そ し て 高 炉 の平均 生 産量は1.048 ト ン となった。 フラン ス は イ ギリス か ら こ れ ら の 技 術 を 吸 収 し よ う と 努 力 し た が,そ れ にも か か わらず]8Hi紀; 末に おいて 個S を 除いて そ の 普 及 に ほ と ん ど 成 功 し ていな か った こ と は前述 の と おりである。 この よ う な 発展に伴 い , 剛II-紀末に は イ ギ リ ス 製 鉄 企 業 に 近代的大 規模 企 業 の形態 を と る も の が 多数 出 現し て き て い る いス クリヴ ナ ー に よ る と, 1803 年 に お いてCvfar 山fa の裂鉄 工場 はイ ギリス 帝国最 大 のもの で あ り, 2,000 人 以上 の労 働 行を雇 川し ている。また ギ ャ ロ ン(Carron ), ダ ウ レ ス(I)ovvlais)など

も ㈲じ よ う な大 資 本に よ る 巨人 工場 で あった。新 しいタ イプの 製 鉄 工 場 は,鉄 鉱石お よ び石炭の 採 択, 製 鉄 , 精 錬 ,ii-:延, 棒 , 枚等 へ の成 形 ,鋳 造 等 を 含 む

総合的 人 工 場であった。こ う し て18 世 紀末 に は イ ギリス の製鉄 業はす で に そ の

組 織にお いて, 近 代 資 本主 義的企 業の 性 格を濃厚 に帯び て き ていた。

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