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第5 章  19 世紀 後半におけるフランス鉄鋼業 の発展 一 企業集中運動と近代的人企業の成立‑

第3 節  鉄 鋼業の 地域的 集中

1. 石炭 優 位 期 に お ける地 域的集 中

1840年か ら1860

年 に かけ て石炭お よび コ ー

ク スを 利 用 する 製 鉄 鋼 法 の 導 入 に よ

って,炭田に 近く 存 在す る製 鉄上場の

発展は 促 進 され, 反 対 に 石 炭 供 給に不 利な地 域にあ

る工場は

衰 退す る とい う 傾向

(炭 田優 位の 型)

が 現 わ れ る よ う に な

った。た とえ ば前 者は中 部 お よび

ノー ルで あ り, 後者 は

オート・マ ルヌ県 で

ある。

当時 のフ ラ ン スにおけ

るL な 鉄 鋼業 地帯

はロ レ

ー ヌ,ア ルザ

ス,ソ ー ル, サ ント ル(中 部八  お よ びオ ート・ マ ル ヌで あっ た。 こ

の う ちこの期 間中 に鉄 鋼 業に対して

殼 人の ヽ □也牽引

を行っ た のは中部地 方で

あっ た。

ロワール炭田 はこ

の時期

にフ ラン

ス殼 人の炭 田と して 脚 光 をあ

び, さらに炭 田 の中 に 鉄 の 鉱脈 も

兌見された ために

,比 較 的 少 量 の不

足 分の鉄鉱 石 を 他の 地方 から 賄 う だけ で 済

み,井常に良 好 な 原作 凪存状

態で あっ た。19  lit‑ 紀 中 ご ろ に は サ ン

テ チェ ン ヌ 地 方は すで に令 フラ ン スの 鉄 鋼業

中心地

の 中で も 最大 の 規 模 を有

し,

技 術的 に ももっ とも進 んだ も の と なった。 ル

・クルーソーヽブ ラ ンジ ー 炭 田 に は ル・

ク ル

ーソーr.場 が あ り,   1836乍に

はシ ュナ イ ダ

ー兄弟 に買 収 さ れ,

そ の 後 の 大 発 族に よって高 級 鋼 の 重 要 な 生 産者と なっ た。こ の ほ か マ シフ

・サ ント

ラ ル(中

山塊・)の北 部お よ び西部 にも,

炭ロ] に 基礎 をお い た 鉄 鋼 業 が 発 達 し た門

石炭 に強く結び つい

た 鉄鋼業 と して , も う一

つ北 部 フラン スの 鉄 鋼業 があ る。

ール県は 行炭 に恵 まれてい

た が,し かし 新し

い生 産 方法へ

の 移 行 は, 最 初 は 緩慢であ

っし 当時

なお ノール は 多数 の小 規模 工 場 を 抱 え てお り, そ れ ら

は 森 林の中

に分 散し て存 在し て

た。 そ れ ら は燃料 とし て石 炭よ り も木材 の 方 を な お容易 に人手 す る こ とが で き た

から で あ る。 

し か し1850 年代 に なって.  彼 らはn

 

 ̄クス高炉

を使 川 す る, よ り大 規模 な工 場 に 集中 す る よう に なった

こ うし

で できた 二の地 方最 人の 鉄 鋼 に 場 は ド ナ ン・ア ンザ ン裂 鉄 所 叩OI ・ μS  (1 丿 )('naincl d

゛Anz ㈲ お よび モ ー ヴ ー ジ ュ 製 鉄 所

(Hants l‑

\  uriu'aux (If Mau いijjc

)であ

卜。

I860 年 前 後に お い て, フ ラ ン スに お け る 銑 鉄総 生丿 帽 如 )2分のI ない し3 分 の2 は上述 の炭 田 の 近 く に 建設 さ れた こ れ ら の炉 か ら 生 産 さ れ た‥  し かし鉄道 綱 や 運河 による 交通 手段 の 発達 に よっ て, 炭 田 か ら 離 れ た に場で 乱  木炭 から 石 炭へ の 移 行 は4 能 に なっ た の で あ る

,た と え ば ロ レ ー ヌが そ う で,こ の 地 万

最 大 の 製鉄業 者 ド・ヅ アンデ ル家 は エ ヤ ン ジュ お よ び モ ワ イヨー ヴ ル に に場を 所 有 し てい たが , そ の石 炭の 供給 は ザ ー ルか ら受 け てい た, ロレ

ーヌで はIcSTO

年 に は木 炭 に よる 製 鉄 は ほと んど 姿 を 消 し か。 し か し ここで は地 几て 生産 され る 鉄鉱 石が多量 の燐 分 を含 んで い る た め, 当時 の 精 錬 法 で は まだ燐 分 を│・ 分に 除 去 す るこ と がで きず, 生産 さ れる 鉄 鋼の 品 質 を悪 く し た た め に, こ れが 同地 方 の 発 展 の 障害 と なった

,1860

年 に は まだ ロ レ ー ヌ地 方 は フ ラ ン ス銑 鉄生産の

約12 % を生産 してい た に す ぎない

こ うし て 新しい 大量生 産的 技術 の開 発に より , 鉄 鋼 剽 よ炭坑 裳と強 く結 びっ く よ う に なり, ま た 大 規模 化 を進 めて い き

,鉄 鋼業

は炭 坑地 友 お よ び鉄 道 ま た は 水 路 に より容 易 に石 炭 を得ら れる 地 方 に集 中 す る よ う に なっ た

い 

しか しこ の 酸性 法(ベ ッセマ ー 法お よ び シー メ ン ス エ マ ル タン 法 ) にお い て使 川されう る低燐 の鉄 鉱 石 は, フ ラ ン スに お いて は ひじ ょうに 少 なく, 人き な部 分を輸 人 に 依 存 しなけ れ ば な ら な かっ た (エ ル バ, 仏 領 北ア フリ カ, 北 ス ペ イン,カン バー ラン ド, ス ウェ ーデ

ン等 の鉄

鉱イ に い す れ も低 燐 珪 素 鉱 であ る)。

の ため こ の時期 以 後 ,高

炉は海 路 輸送

され てく る 鉄 鉱 石 を と噫 し て, 港の そ ば に建 設 され る例 が

見られる よ うに なっ

た, 港 の付近 に建 て られ た ものとし て は, た と え ば ブー ロー ニ ュ (liouloKne ) の そ ば の マ

キー ズ(Mai ・qiiis

(,1838

〜39 年 建 設 )

ウ ト ロ ー (O m ・eaii

,1857 年),

カ レー (Calais.

    1909〜1911

年), 南仏 で はマ

ルセイユの近 くの

サ ン

=ルイ(Saint 土oilis,1857 年),エ タ ン ・

ド・ ト (Etang de Thau ), ボ ーケ

ル(Heaiieairc,ロ

ーヌ 河

デ ル 列ヽ]

近) で, これら

は地 中 海

を運 ばれ て く る鉄 鉱 石 を使 川し た。 スペ

イン鉱 を利 川

第r, や 19 til‑紀後T‑におけるフラ ンス鉄鋼業の発展 no

す るI:l場は西 海岸 に建設 された,トリニ ヤ ック(Trignac,    1879 年), ブ カン(Boucan,    1883年), ポイ ヤック{Pauillac,    1901年 ) がそ れ で あ るっ

以 上は 製 鉄i で場であり,そ の 一部は 製 鋼工場 も持 っている ものだ が製 鋼 工 場と し ては これ ら の ほ か に バ スアンド ル (Rasse‑Indre), エ ネ ボ ン

(HeniH'bont八 ル フ ラン ク ク(Lt'ffrinckoucke. ダン ケ ル クの近 く)が あ るっ れ ら はV. と し て イ ギ リ スの 輸人銑 を使 用 する,カ ー ン(Caen) も 臨 海 製 鉄 所 だが ,これ は 地 元 の 鉄 鉱 行と輸 人 石 炭を使 用 する も ので あ る几 の よ う な 港 湾付 近にお ける鉄 鋼 工 場の建 設 は 第2 次 人 戦 以後ふ た たび重 要 視 さ れ る よ う に な っ た が,フラ ンスにお いては このよ う に いくつか の例が すで に19 世 紀 後 半 に 見られる の であ る

いな お 内 陸の鉄 鋼 業でも 安価な 輸 送 手 段 が 利 用 で き る と こ ろ では,これ ら の 輸 入 鉱 石 が 搬 人 さ れ使 川 さ れた 。例 え ばサン=テ チエン ヌで は,河 川 を 遡 航 して運 ば れた ア ル ジ ェリア 産 の鉱 石 を 大 規 模に使 用して い た。

2.  鉄 鉱 石優 位 期にお け る地 域 的 集 中

ベッ 七マー法およ び シー

メンス

=マ ル タ ン法 が 採 用さ れている間 は, 東 部フ ラン スの ミ ネッ

ト 鉱はあ ま り 使川

さ れ なかった。

また

ネット

鉱 の鉱 脈 の範囲 もはっきり とわか ら ない ま まで

,そ の資 源 的 価 値 は 当 時 は 低 く 見 積 もら れて い

た=,しかし こ のおそ ら く

膨 人と思 わ れる 介燐 鉱 石 を 有 効に 利 用したい とい う

フ ランス鉄鋼 業 名の希望は 強 かっ たが,フラ ン ス 人が技 術 的にこの問 題 を 解 決で きないうちに  イギ

リ スで1878 年 に ギ

ク リ スト・ト

ーマ スが 塩 基性 製 鋼 法

(トー7

ス法)を 発明 し た のであ る。 こ の製 鋼 法 は含 燐 銑 を 使 用して 鋼 を 精 錬す

るもので, フラ ン

ス鉄鋼 業 が 侍望

してい た 発明で あっ た。1879 年 に は すでにこ

のJj法 はフ ラン スで採

さ れ,

の 後10年 足ら ず の う

ちに ロ レ ー ヌ地 方 は フ ラ

ンス銑 鉄の 約a) %を

生産 す る とい

う大 鉄鋼 業地帯 に 発 展 し た の で あ

っ た。

こ の時 川に人 足 に使 川さ れ始 め た ミ ネッ ト(minette,ロ レ

ヌ産褐 鉄 鉱) は

眺'n'ifv.

鉱 (鉄 分30 %前後

) であっ

た/ 行炭 生 産地 に 鉱 石 を運 んで 熔 鉱 す る や り

方は まだ とら れ てい

た が,し だい に鉱 石 生 産地へ

石炭 を搬 人する方 が 鉄 の 生

産2

スト を引

きドげ る こ と が で き る こ と が知 ら れ る よ うに なった。そ れ は一一

つ に

は鉄 鉱 石 の 連 賃 が ひ じ ょ う に 高 く か か るこ と, 一 つ に は 鳥炉 構 造 の改 良 に よっ て 燃 料 消 費 量 の 節約 が 行 わ れつ つ あ っ た か ら で あ る , そ こ で ミ ネッ ト を地 几で 熔 鉱 す る こ と が 有 利 であ る と 考え ら れる よう に なっ た の で あ る  そ れ以 来フ ラ ン スに おけ る 新 鉄 鋼 工場 の 建設 は , 鉄 鉱 石鉱 床 の 近 辺 に 人 規模 に 発展 し たので あ る ( 詳 し く は 次節 参照ト.

D N.Poun (卜 Historical    (L'ot;raphy of the li'on ;ind Steel In (iislrv    <if   I'"ram・e,・Awm/s  of  the  Association  げAy 即r 印Ji (eo μraphers.  N(  . ‑17.

2)      Rene Gendarme, La  R 印ion   山 ,Sard ]95‑1.

3)      LevainviUe.  L'indiislri・(' (in ter  I・, ・nniri‑. p.  82 .S. I'ouncls.  Coal  and  Slcf ∩,I 11",'S(・pi‑11  Europe,  i). 155 、