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(1)

山 野 井

は じ め に

今年は2000とい うことで, タイムカプセルを何年ぶ りか で掘 り出 し,過 ぎた 日々を懐か しむ光景が各地で報道 され ている.そ してまた今年 もあちこちで新たにタイムカプセ ルが埋 め られていると聞 く.そ うした楽 しい行事 に水 を差 すつ もりはないが, タイムカプセルはなぜ土の中に埋める のか,その意味は考えてお く必要があろう.なぜ なら,そ うしたことが主に学校 な ど教育現場で行われているか らに

,

「なぜ埋 めるの ?」 とい う生徒 の質問に的確 に答 え ら れる準備 を要す るか らである.答 えが 「埋 めない と紛失す るか ら」では適切 な答 えとはいえない.それな ら 「昔の も のは土の中か ら出て くるか らとの答 えでは,昔の土器 な どは当時の人たちが土の中に捜 めたのか, とい う疑問が残 る.いや,いちいち埋めるはずがない.な らば土器が 自ら 土の中にもぐり込んだのか‑ ?そんなはず もない.ではピ うして土器 は土の中か ら‑‑ ? かつて井尻 (1966)は大 学生か らの同様の質問に, とっさの苦 しまざれに 「そ りゃ, 落ち葉や枯れ葉がつ もって土になるか らだ よ答 えて,な んとお粗末な回答であったか と自省 している.生物の遺体 はまれに化石 となって残 るが陸上では土 にはな らず,大部 分は水 と炭酸 ガスに分解 して しまう.この ように,地表の 動植物 は土 にはな らないので,土器が どうして土の中か ら 出て くるかは,分かっているようで,分かっていないこと である. タイムカプセルを土の中に埋めることの意味の適 否は,土の根本的な性質 にかかわることの ように思える.

ところで, こうした土器や石器 を埋積 している土につい てであるが,旧石器時代の石著削ま赤土の中か ら,縄文時代 の遺物 は黒土の中か らでて くることが多い.また,縄文期 の ものが赤土か ら出て くることはあって も,旧石器のそれ が黒土か ら出ることはない.すなわち,黒土に埋没する土 器は縄文期以降に限 られるとい う不思議な必然性がある.

この理由を的確 に答 えた考古学者 もいない.そこで,小論 では黒土 と縄文時代 はどんな関係 にあったのであろうか と いうことを考えるが,それには先ず黒土 とは何かを明 らか にしなければな らない.従来黒土は 「タロボケ土とよば

,

火 山灰土と考 え られて きた.地質学 でい う 「火 山 とは 「テフラと同義で,火 山の噴出物が直接堆積 し たもので, 日本列島上では酸性のマグマに由来す る優 白色 もののが多い.火山灰が黒色であることは伊豆やハ ワイの ような玄武岩質のマグマか らなる火山活動であれば理解で

*山形大学理学部地球環境学科

徹 **

きるが, 日本列島上の大部分の火 山は安 山岩や石英安 山岩 質のマグマか らなるので,灰色の火山灰 はあって もクロボ ク土の ように黒色である火 山灰が広 く分布 していることは 地質学的に理解 し難いことである.それにもかかわ らず, 土壌学 においてはiクロボク土 とは 「火 山灰土とされて いる.地質学で火 山灰 とはいえない ものが土壌学ではなぜ 火山灰土 になるのか.そ うしたことの検討 を通 し,黒土の 成因が明 らかにし,さらにまた黒土 と縄文人 との関係 につ いて も考えてみたい.

土壌学的視点でのクロボク土

壌学 も地質学 と同様 に,その体系 はヨーロッパか ら移 入 されたものである.その うち,土壌の概念 に関 しては, 近代土壌学の祖 と呼ばれるロシアの土壌学者 ドクチ ャイエ フの ものが現在で も土壌学の多 くの教科書 に引用 されてい る.それによれば,土壌 とは "「母材」

,

気候」

,

生物」,

地形などの主要な環境因子の影響下 に,これ らの諸因 子の組み合わせ によって もた らされる一定の法則性 をもっ て,「時間の経過 に伴 って未熟 な段 階か ら成熟 した段 階 へ と進化 しつつある自然物 である" とされ,100年 ほ ど前 に唱え られたことである. この定義によれば,土壌 は地表 の諸因子 により時間の経過 とともに変化する自然物である ととらえてはいるが,「時間」 をどの ように考 えるかは規 定 されていない.土壌が未熟か ら成熟へ とかかる時間であ るか ら,地質学的な時間に近づ くものか も知れない.そ う であるなら地質学的な時間で上記の土壌の概念 を吟味 して みる必要があ り,その場合 「堆積とか 「侵食」 といった 地質学の基本である地表の動的変化への配慮が不可欠にな るであろう. しか しなが ら, ドクチ ャイエ フの上記の土壌 の定義の範囲では,土壌の形成過程ですでに存在 している

母材が時間とともにその内部で変化 (変質)すること はあ り得て も,「母材」その ものが新 たに堆積, もしくは 侵食 されつつ土壌形成が進行するとい う地質学的時間での 地表変化 に関する視点は配慮の外 に置かれている可能性が 強い.

土壌学 におけるクロボク土 の形成 につ いては,母材 が あってその中の鉱物が腐植 を集積することが最 も一般的な 解釈であった. この際,母材 は火 山灰で (一部非火山性の

もの もあるとされる)その中の各種粘土鉱物,アロフェン, アル ミニューム,鉄 などが腐植の集積 に関与するらしいこ

とがいわれてはいたが,その生成過程 は明 らかにされてい

ない.

上記 ドクチ ャイエ フが述べ るように,「気候」は土壌 の

(2)

形成 には重要な因子 と考 えてお く必要がある.世界の土壌 の種類の分布 はこの 「気候」因子 と密接 に関連 している.

ツン ドラ,ポ ドソル,ラテライ トあるいは褐色森林土 といっ た土壌 は地球上の気候因子 を強 く受けて形成 され,広域 に 分布 している土壌である. こうした広域 に分布する土壌 は

成苛性土壌」 という概念が与 え られてお り,本州の大部 分の地域の成帯性土壌 は 「褐色森林土」 とされている.他 方,広域 な気候のに加 えてさらに局地的な環境因子 を反映 して形成 される土壌 は 「成帯内性土壌と呼ばれている.

日本のクロボク土は,褐色森林土の分布域内に局部的に分 布する成帯内性土壌であるので,褐色森林土が形成 される 一般的条件 に, より特殊 な条件が加わって形成 された もの に違いない.その特殊 な条件 をさ ぐることがクロボク土の 成因に近づ くことになろう.

地質学的視点での土 (土壌)

我 々は地質調査の際,表土の下の新鮮 な岩質の部分 を観 察の対象 としていた.すなわち,表土 は土でこれは地質調 査の対象ではなかった.本来, これはおか しなことで,衣 層 にある土は立派な地質学の対象 のはずである.なぜ なら, 海底面は海成層の現在の堆積 (侵食)の場であるの と同様 に地表面は陸成層の堆積 (侵食)の現場であ り,陸成層の 堆積現象 を理解するためにはぜ ひ観察すべ き所であるか ら である.かつて井尻 (1966)は土器が どうして土の中に埋 まるのかを土壌学者 に問 うた. これは土の本質にせ まる疑 問であるが,土器が 自ら土 にもぐり込むことを前提 としな い限 りこの間題 は土壌学ではな く地質学 (堆積学)の問題 であろう.なぜな ら,前記の ように,土壌学 には母材その ものが 「堆積した り 「侵食されるとい う視点は弱 く, こうした視点はむ しろ地質学的な検討 になじむか らである.

さて, 日本のように,地表が起伏 に富み,かつ地殻変動 の大 きい地域では,地表 はある時間内 (1000年以上の長 さ を想定)では侵食 されるか堆積す るかのいずれかが卓越 し, 侵食 も堆積 もない (侵食量 と堆積量が等 しい ような)場所

は極めてまれであろう.表土 を観察す るとき,そ この土が 下の岩石の風化 によってで きた ものか,あるいは他か ら運 ばれた堆積物であるかを見分けることは地質学的にはそう 難 しいことではない.少 な くともそこの表土が下の岩石の 風化 によってで きたか否かは,岩石 と表土が連続露頭 とし て観察で きるな らば,比較的容易 に判定で きる.

このような観点で表土 (多 くの場合褐色森林土)が発達 す る場所で,その下の岩石 との関係 を意識的に見て きた.

その結果,下の岩石がその組織 を残 しつつ徐 々に風化度を 強めなが ら上の表土に漸移 しているような例 は国内ではま れにしか見 られない. このことは,ほとん どの表土は下の 岩石がその位置で風化 して形成 された ものではないことを 意味する.すなわち,表土は距離の長短 はあるものの,他 所か ら運ばれて きた堆積物であると考 え られる.こうして みると表土は堆積作用の産物であるので,・土器が土の中に 埋 もれてぅいるのは,表土の堆積作用が進行 した結果である

1 花尚岩上の土壌 (山形県長井市西方山地) 花繭岩の風化部の上に土壌が画然 と接する

と理解で きる.表土 としての褐色森林土の厚 さは様 々であ るが,厚 く発達す る場合 は下位のローム層 (以後 「ローム 質層とい う)へ と移化す る.ローム貿層 は岩質的に褐色 森林土の成熟 した もの と同質であるので,両者の関係 は褐 色森林土が現役の土壌 とす るな らば,ローム質層 は褐色森 林土の堆積層 (化石土壌) と考 えられる.

ところで,ローム質層は火山灰の風化 した地層 と考 えら れて きた. しか しなが ら,ローム質層 は本質的には風成層 で,火山活動 は必要条件ではないことが明 らかにされた ( 野井,1996).ローム質層が成因的に火 山灰 と強 く結 びつ いて考 えられて きたのは,ローム質層の分布域が,火山の 山麓や関東地方など諸火 山の東側 (風下) に多かったため と考 えられる.ローム質層 は上記のように褐色森林土の堆 積層であると考 えたので,褐色森林土 は日本の代表的な成 帯性土壌であるか ら,我が国では特殊条件がない限 り土壌 としては褐色森林土がで き,時の経過 とともにそれがロー ム質土 に移化す るのが普通であろう.他方,クロボク土 は 成帯性内土壌 と考えるな ら,褐色森林土がで きる条件 に特 殊 な条件が加 わって形成 された もののはずである.その特 殊条件 こそが クロボク土の成因を解 き明かす鍵であろう.

次 にそれを探 ってみたい.

クロボク土の観察

2図は 日本海側の地域 に見 られるクロボク土の露頭 を 観察 した柱状図である.その結果,クロボク土は基盤 ( 第三系や更新統)の上に直接の らず,その下 には必ず ロー ム質土があ り,そのローム質土がクロボク土 に漸移すると い う層序関係が認め られる.

さらに,クロボク土への漸移は,第2図の観察範囲では 8000年か ら1000年前の間に,場所 によって異なる時期 に 起 こっていることも判った. このような事実はこれ らの時

(3)

2 2 2 3 3

尾花沢1尾花沢‑2 尾花沢3 村 山1 村 山‑2

4 5

朝 日 西蔵王

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C D

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10 11

喜 多方 猪苗代

12小千谷

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13 14

津 南 中郷

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15 16

菅平 福光

MN0匡∃E∃巨]

2 日本海側各地のクロボク土を主体 とした地層の柱状臥 柱状図の右側には, 14C年代 (細字)と試料記号 (太字)が記入 されてい る暮A :黒色クロボク土,B :暗褐色クロボク土, C :ローム質土, D :火山灰交 じりローム質土, E :浮石交 じりローム質土, F:火山風 G :凝灰岩, H :泥岩, I:花覇岩質の砂, J:角磯, K :円磯, L :岩屑 なだれ堆積物, M :段丘磯, N :明瞭 な境界,o :漸移的な境界.

期 の間 に, それぞれ の地点 で異 なった時期 に褐色 森林 土 が 堆積 す る よ うな普通 の条件 か らクロボ ク土 が堆積 す る特殊 条件 に変化 した こ とを意 味す る もので あ る. また, この変 化が起 こった時期 が一律 で ない こ とか ら,広域 に普遍 的 に 生 じた堆積 環境 の変化 で はな く,局所 的 な特殊 な環境 が そ れぞれの地点 で時期 を異 に して加 わった ともの考 え られ る.

さて,筆者 は花粉 分析 を通 して古 環境 の解析 を して きた が , クロボ ク土 は分析 の対象 として何 回か扱 った こ とが あ る.薬 品処理 の際, アル カ リ溶液 をクロボク土 に加 える と 多量 の コー ヒー色 の フ ミン酸 が溶解 す る し,そのあ とには 特有 の形 を した黒色不 透 明 の植 物破 片 の微 粒子 が多量 に残 る.花粉化石 はほ とん ど含 まないか,含 んでいて も溶食 が

(4)

進むな ど保存が悪い.花粉 な どの保存が悪いのになぜ,黒 色不透明の植物破 片 (以後

,

黒色破片とい う)が多量

に含 まれるのか, このあた りにクロボク土の特殊性 を解 く 糸口があろう.

クロボク土の正体

現役 の土壌である褐色森林土の堆積物 (化石土壌)が ロー ム質土であることはすでに述べた.褐色森林土 は現在 の表 (A層)の ように,かつては地表 にあ り植生 に覆われて いたはずである.そ こでは多 くの植物遺体が堆積 し,分解 されていった.同時に無機質 (鉱物質)の堆積 もあ り,土 壌 として機能 しなが ら累積 していった.有機物 に富む黒褐 色のA層 はその累積 の進行 と同時に植物遺体や腐植の分解 が進み,同時にその深度 を深 めて褐色森林土へ と移化 して いったに違いない.褐色森林土 はさらに深度 を深め,やが ては有機物 をほ とん ど含 まないローム質土 となっていった と考 え られる.す なわち,有機物 に富む表土か ら褐色森林 土やローム質土が形成 される過程では,植物遺体や腐植が 分解 されることが本質的で普遍的な作用であるといえよう.

さて,クロボク土はローム質土 と比べて植物遺体 (黒色 破片)や腐植 を多量 に含 む点で異 なる.す なわち,クロボ ク土 は植物遺体や腐植が分解 されず に残 っているとい う特 性 をもっている.クロボク土の特質が植物遺体が分解 され ない ことであるな らば,その条件 こそが クロボク土の形成 要件であろう.

植物が分解 されずに地層 中に残 る条件 は2つある.1 は植物遺体が酸化的な環境 ではな く,還元的な環境 におか れ続 けるこ とであ る. もう1つ は分解 され る前 に燃焼 に よって炭化す ることである.クロボク土の生成環境 は乾陸 の地表であるか ら,そ こは酸化 的な環境 であ り植物遺体 は 分解 されて しまう. したが って前者の条件 は消 えるか ら, 後者の炭化条件が残 る.そ こで,前述のクロボク土層 中の 黒色破片 は炭化 した後 に堆積 した植物破片ではなかろうか

とい う見通 しが得 られる.

阪口 (1987)は千葉県の縄文期 の海成層か ら湿地の堆積 物 中に植物の焼 けた微粒子 の産出を報告 した. この微粒子 と黒色破片の特徴 とは共通であるが,阪口 (1987)はこの 微粒子がなぜ植物の焼 けた ものであるかの根拠 は示 してい ない.そこで筆者 は植物遺体 を燃焼 させ,その細片 を顕微 鏡で観察 した.その結果, クロボク土中の黒色破片の形態 はススキの燃焼炭粒子 と共通 していることを見 出す ことが で きた. よって, クロボク土 中の黒色破片 は燃焼炭の微粒 千 (以後 「微粒炭とい う) と考 えるのが最 も妥当である.

以上の ように,クロボク土の中には微粒炭 (3図参照) が含 まれていることが明 らかになったが, ローム質土の中 には微粒炭 は皆無かほ とん ど含 まれていない.微粒炭 は固 体 の粒子であるか ら表層か ら地下 に もぐり込んだ もの とは 考 え られない.すなわち褐色森林土の形成過程で,無機質 粒子の堆積 に微粒炭が加 わった土壌が クロボク土であると 考 え られる (4図参照).

3 クロボク土の中に普遍的に見られる微粒炭

ところで,クロボク土 はアルカリに可溶の腐植 を多量 に 含み,特有の黒い土壌 となっていることが特徴であるが, その理由を明 らかに してお く必要がある.クロボク土がな ぜ多量の腐植 を含 むのかについては諸説があった.土壌学 では,クロボク土の形成 には母材があってその中の鉱物が 腐植 を集積す るとい う説が最 も一般的であった. この際, 母材 は主 に火 山灰 (非火 山性の もの もある)で,その中の 各種粘土鉱物,アロフェン,アル ミニューム,鉄 な どが腐 植 の集積 に関与す る らしいことがいわれていたが,その集 積過程 は明 らにされてはいない.仮 にこうした諸説が成 り 立つ として も,クロボク土の生成がほぼ後氷期 に限 られる ことの理 由は,後氷期の母材 の特殊性 に求めることがで き ないか ら,腐植 の生成の多 さに求め られている.間氷期の うち後氷期 に限 り腐植の生産量の多 さを説明す るためには 人為,すなわち古代人の火入れによる草原, とりわけスス キ野の成立が腐植多産の特殊条件 として考 え られた. しか し, この解釈 の決定的な欠陥は現在のススキ野な どの草原 でクロボク土が形成 されている事実があげ られていないば か りか,現 にススキ野の下の土壌 は褐色森林土であるとい う観察事実があるか らである. また,古代人がい くら火入 れ をしてススキ野が成立 したにせ よそのススキ野が現在 の ススキ野 よ りはるか に多量の腐植 を生産 していたな どとす る解釈 は科学的根拠 に乏 しい.

クロボク土の形成機構 (新説)とその検証 クロボク土中には微粒炭が必ず含 まれていることと,多 量の可溶腐植が含 まれていることの2つの特徴 を上で述べ た.筆者 はこの2つの特徴 を因果関係で とらえ,微粒炭 を 含 むことが腐植 を含 む原因ではないか と考 えた.す なわち, 腐植 の集積 は表層土 に含 まれる無機物 (粘土鉱物,アロフェ

ン,アル ミニューム,あるいは鉄 な ど)ではな く微粒炭が 主役 となっているのであろうとい う仮説である. この説 は 微粒炭が活性炭 となって,植物が分解す る過程でで きる高 分子の腐植 を吸着 ・保持す るとい解釈 によるものである.

工業的にフェノール類 を吸着 した後の活性炭 は,水酸化 ナ トリウム水溶液 による溶剤抽 出 よって再生 される とい う

(真 田ほか,1992).クロボク土の可溶腐植 の多 くがアル

(5)

無機質

子の堆積 無機 質粒子 の堆積

無機質粒子 の堆積

ローム質

4 土壌の発達過程とクロボク土の形成メカニズム (左から右へ時間が経過)

無機質粒子の堆積が継続すれば表層土はA層を経てやがて褐色森林土,ローム質土となって哩積 していく.途中,微粒炭の堆積が開始す れば以後,褐色森林土やローム質土にならずにクロボク土となって累積 していく.

が ノ溶液 によって抽 出されることはこの再生処理 と同様 の 化学反応 であろう.

また,微粒炭が可溶腐植 を吸着す るのであれば,可溶庸 植の形成年代 は微粒炭 よ りも若いはずである. この ことを 確 かめ るためにクロボク土 とその微粒炭 の14C年代 を測定 してみた.その結果 は第5図の とお りである.すなわち, クロボク土では,同一層の全炭素 と微粒炭 とで別 々に求め た年代が全炭素 よ り微粒炭のほうが古いことが, どの層準 について もいえる. このことは微粒炭の堆積後,可溶腐植 の炭素が加 わった ことによる効果であると解釈 される. さ らに,微粒炭が可溶腐植 を吸着す るのであれば,地層中の 微粒炭が多 いほ どそ こに吸着 される可溶腐植 の量が多 いは ずである. このことは第6図に示す ようにこにこの関係が 確かめ られた.す なわち,地層 中に微粒炭が少 ない堆積物 が 「褐色 ローム質土であ り,微粒炭が多 くなるにつれて 岩質が 「黒褐色 ローム質土」

,

暗褐色 クロボク土とな り,

最 も多 い 「黒色 クロボク土」 に至 ることが判明 し, さらに この順で可溶腐植 の含有量 も高 まる関係が明 らかになった

(山野井,1996).

14e年代

全炭素の年代

''

T

,

ヒューミンの年代

510± 90年前 640± 80年前

1450±140年前 2630± 120年前

4770±120年前 5420±110年前

5 クロボク土の'4Cが示す2つの年代 上は全炭素,下はヒュ‑ミンの年代

以上の ように 「微粒炭が活性炭 となって可溶腐植 を吸着

・保持 しているのがクロボク土である」とい う説は,吸着 の工業,14C年代,微粒炭数 と可溶腐植量 との相 関 とい っ たそれぞれ別個の事象か らも支持 されることである.

微粒炭数/g logN

7.0

6.0

5.0

4.0

3.0

I J J

J A

∫‑‑ o o o o 8 iiI

8 r ◎●6)O lI●雷 ◎ lIII

〇〇〇〇

◎ 黒 色 クロボク土

◎ 暗褐色 クロボク土

◎ 黒褐色 ローム質

○ 褐 色 ローム質土 1IIII I l l l I I I

0 10 20 30 (%)

可溶腐植含有量 6 クロボク土と口‑ム質土における可溶腐植の含有量 と

1g当たりの微粒炭数.両者には相関が明瞭で,微粒炭 の密度が高ければそれだけ可溶腐植の量も増える.

縄文人 とクロボク土

多量 の腐植 を集積 しているクロボク土の成因についは, 旧説では火 山灰 に異常 に大量生産 された腐植が吸着 した も の とされ,その異常腐植 の生産 は草原 (ススキ野)の出現 に求め られ,そ うした特殊 な草原 (ススキ野)の成立 は縄 文人の野焼 きによるもの と考 え られて きた. この解釈 は, 先述 の ように現在 のススキ野の表土 にクロボク土が形成 さ れているとい う証拠が見つか らない とい う致命的な欠陥が ある. これに対 し,筆者の新説ではクロボク土の中には必 ず微粒炭が含 まれていることか ら, この微粒炭の生産 を, 古代人の生活 と関連 させて考 えた.古代人が火 を使 い,草 木の燃焼炭が粉塵 となって堆積 し,そ こに腐植が吸着 した ものが クロボク土であると考 えた.す なわち,クロボク土 の形成 にとっての必要条件 は, これ までの説では大量腐植 の生産であるのに対 し,新説では燃焼炭 (微粒炭)の生産 にある.つ ま り新説ではクロボク土の形成 には微粒炭 を生 産 した ような火の使用が必要不可欠の条件 となる.

さて,微粒炭 を生産す るような火の使用 とは一体, どん

(6)

なものであろうか.広大 な範囲に微粒炭 を堆積 させ るよう な火の使い方は,炊事や土器焼 きのような居住地周辺での 小規模 なものではな く,野焼 き,山焼 きの ような大規模 な ものであった と想定 される.こうした野焼 き ・山焼が彼 ら の生活 とどうかかわっていたかを考えてみたい.

縄文時代の特徴 は 「狩猟 ・採取生活 にあ り,次の弥生 時代 は 「水 田農耕生活が特徴であるとされている.縄文 人は, トチやクリを選択的に残 していたことが,花粉化石 の産出状況か ら知 られてい る (山野井 ・佐藤,1984).逮 択的に残 した と控 えめに表現 したが,我 々と同程度の知能 があったであろう彼 らは, もっと積極的に植物 を利用 した 可能性が高い.すなわち,彼 らは植物の種 を土 に埋めれば, 芽が出て,生長 して実 をつけることを十分 に知っていたは ずであるか ら有用植物の管理や増殖 (‑栽培)がで きたに 違いない.ただ,縄文期 に農具の発達が多様化 した証拠が 認め られないことか ら,原始的な農耕の域 は出なかったの か も知れない.

原始的な農耕 といえば,焼畑農法があげ られ,これは野 焼 き ・山焼 を伴 うか ら,当時の微粒炭の生産はこの焼畑 に よる可能性 もある.すなわち,弥生時代 に大陸か ら人の渡 来があって,水 田稲作が伝 え られ,ここで初めて農耕が開 始 された とするよりも,その前か らすでに原始的な畑作農 業が行われていたのか も知れない.何 を栽培 していたかの 特定はかな り難 しいが,すでに,ソバの花粉の産出が認め られているし,イネ,ヒエ,エ ゴマ, ヒョウタンなどの栽 培植物 と考 えられる実が見つかっている.こうした穀物 な どの栽培が焼畑 と関係があるか否かは,今後の課題 となろ う.なお,クロボク土の形成年代 は縄文時代 に限 らず弥生 時代 も多い. これは野焼 き ・山焼 きが,引 き続 き行われて いた もの と解釈 される.また焼畑 は近年 まで各地に残 って いたことも実事である. したがって,クロボク土の微粒炭 が焼 き畑 によるもの とす ると,その上限の年代 は弥生時代 に終わ らず,山間地においては近年 に至 る可能性 もある.

ただ,以上の ような焼畑農業 をしていた と考 える場合,敬 粒炭 としてススキの燃焼炭が多い事実の説明が困難である.

そこで少 し見方 を変 えて,本格的な焼 き畑農業 に至 らない 場合 を考 えてみたい.

ススキ野 とワラビ野

野や山に火 を放つ とススキ野 にすることがで きる.熊本 県の阿蘇 山山麓ではススキの採取のため しば しば火入れを 行い林地化‑の遷移 を人工的に抑 え,ススキ野 を維持 して いる.縄文人にとってススキは住居の屋板葺 きの材料 とし て利用 されたに違いない. しか し,当時,広大なススキ野 に しなければな らないほ どススキが屋根材 な どの需要が あったか否かは検討 を要する.ただ し,ススキ野 として注 目したいのは,ススキの草原は春 にはススキに先駆 けて多 量 ワラビが芽吹 くことである.現在,山形県の観光 ワラビ 園ではワラビの採取 を目的 として火入れを実施 している.

火入れをしたワラビ園は季節が進む とススキ野 に変わるこ

7 奈良の若草山は毎年115日に火入れが行われる.鹿の 立ち入りが少ない裏山はワラビ野 ・ススキ野となる ( 真手前左が枯れたワラビ,中手右が焼かれたススキ野, 背後の山は人の影響が少ない春日山の原生林) とが多い. こうしたワラビ野 とススキ野が しば しば共存す ることは先 に例 としてあげた熊本県の阿蘇 山,山口県の秋 吉台,あるいは奈良の若草山 (7図)の例か ら明白であ る.微粒炭の主体がススキの燃焼で もた らされた ものであ ることは先 に述べた. このことは秋 までに成長 して尾花 を つけたススキは必要なものは採取 し,残 ったススキ野はワ ラビの芽が出る前 に火 を放ち,野焼 きをしてワラビ野 ・ス スキ野 を維持 した もの と考 えられる.

沢根‑B2

地表 ‑

1000年前

1m

2000年商

3000年前 2m ‑

4000年 前

6000年前

3m

州"""".・

蘭凶 Ⅷ 1⁚∴‖ ‑十

8 青森県亀ケ同遺跡における微粒炭と注目される花粉 ・胞 子の産出状況

(7)

8図は青森県の縄文晩期 を代表する亀が岡式土器が出 土する亀が岡遺跡の丘陵下の沢根B‑2区の発掘時の トレ ンチか ら得 られた花粉分析結果 (山野井 ・佐藤,1984) 微粒炭 などとの関係でまとめなお したものである.ここの 遺跡では縄文中期頃か ら微粒炭の産出が増加す るが,それ

に呼応す るようにゼ ンマイの胞子が増加 して くる(9図).

ワラビは水 はけや 日当た りの良い場所 を好むのに対 し,ゼ ンマイは谷部の地下水位の高い場所 に多い. したがって亀 が岡の低湿地か ら丘陵地に移行する斜面はワラビよりはゼ ンマイの好む場所であったに違いない.こうした場所 は火 入れによってゼ ンマイが生育 していた と考 えられる.この ように彼 らはワラビやゼ ンマイの生育 し易い環境 を人為的 に作 り出 していたのではなかろうか.春先 に多量 に採集 し たワラビやゼ ンマイは保存食 としても利用価値が高いので, ワラビ野やゼ ンマイ谷 を作 っていたに違いない.ワラビは またその根茎 を打 ち砕 くと,でんぷんが とれることか ら, これ も利用 されたであろうし,残 った繊維 は耐久力のある 縄 として利用 された可能性 も強い.

9 青森県亀ケ同遺跡から多産するゼンマイの胞子

土器が語るワラビと炎

最近米沢市の台ノ上遺跡の発掘 により,ユニークな文様 をもつ縄文中期 のおびただ しい数の土器の出土が報告 され ている (米沢市,1995).その文様 とは第10図の ような渦 巻 き文様である (この土器の一部は高島町の山形県立の考 古資料館 に展示 されている). こうした渦巻 き文様 は縄文 中期の東北南部一帯 を中心 として北関東,北信越一帯 にま で及 んで産す る大木様式土器 の特徴 の一つ とされてい る (海老原,1994,丹羽1994).大木様式土器の中で もと く に中期の ものは文様が豊かでS字状や渦巻 き状の曲線 に富 む.米沢の台ノ上遺跡の ものは,大木8b式土器が多い と されているが (米沢市,1995), ここの ものは大木様式土 器の中で もとりわけ洗練 された渦巻 き文様が展開されてい る (10図).す なわち,こうした文様 は土器 を立 てた と きに下か ら上‑延びる直線 に続 く上部に渦巻 き文様が配置 されていることか ら,シダ植物の若芽 (ワラビ) をモチー フとしていると考 えられる.こうした植物が彼 らの土器 を 飾る文様 として選ばれていることは,ワラビのようなシダ

植物 は当時身近 な存在で, しか も縄文人のイメージの世界 に強 く残 る重要 な植物であったか らに違いない.

他方,台ノ上遺跡 とほぼ同時期の遺跡で, とくに新潟県 の長岡,十 日町,津南 などの信濃川周辺の台地か らは,土 器の口縁部に特有の突出文様 をもついわゆる 「火焔土器

が多数発掘 されている (11図). この火焔土器 のモチー フは燃 えさかる炎である.この炎 は煮炊 きのためチ ョ口火 ではな く強烈 に燃 えさかる野焼 き ・山焼 きの火 を連想 させ る.さらに火焔土器の下部の縦線 は 「ススキ想起 させ る.

この ように縄文中期 を代表する大木様式土器の中に 「ワ ラビ」,ススキ」そ して 「炎」 といったモチーフを読み取 ることがで きる.縄文中期の土器 は前期 までの 「装飾性文 様」か ら一転 して 「物語性文様に質的な変化 を遂げた と

されている (小林,1994).

当時の縄文人は大地にススキの微粒炭 を含むクロボク土 を残 した.そ して土器 に 「ワラビ」

,

ススキ」

,

の関

係 を物語 らせている.以上のように,当時の縄文人はその 主要 な生業 として,野焼 き山焼 きを通 し, ワラビ野 ・スス キ野を作 っていたことをここに新 しく提示 したい.

お わ り に

タイムカプセルについては,これを土 に埋めることは, 不 自然 な行為であることは土の成因を考 える中で明 らかに なった.タイムカプセルに土器や遺跡 と同 じ役割 を演 じさ せたいな らば,砂攻がたまりそうな地表 に置 き去 りにす る ことである. もちろんカプセルの周 りを掃 除 した り草 を 取 った りといった手入れははすべ きではない.夏草の茂 る まま,冬枯れの倒れるまま,幾星霜 を経て放置 されること である.そんなことが許 される場所があるか どうかは別 に して, もし長い時が過 ぎて土に埋 もれた とするな らば,そ の土 自身 も当時の地表の環境 を記録 しなが ら積み重 なった タイムカプセルである.土 はそ うした堆積物であるか らこ そ,縄文人が野焼 き ・山焼 きをし,ワラビ野 ・ススキ野 を 作 り上げていたことを導 くことがで きた.

本報告での要点は次の ようにまとめ られる.

1.これまで観察 した限 りの 日本の土壌 は,岩石の現位置 風化の産物ではな く,堆積物である.

2.日本の成苛性土壌 は褐色森林土 とされているが,これ が現役の土壌 とす るな らばこの化石土壌がローム質土で ある.

3.ローム質土の形成は,火山活動 による降灰が必要条件 ではな く,風成 を主体 とす る堆積作用 によることが本質 である.

4.ローム質土は 日本の成帯性土壌 (褐色森林土)の堆積 物であるが,クロボク土 はその成帯内性土壌の堆積物 と 考 えられる.

5.クロボク土の成因は,風成堆積 を主体 とする無機質 と ともに堆積 した燃焼炭粒子 (微粒炭)が活性炭 として働 き,地表か ら供給 される腐植分子 をを吸着 ・保持 した も のである.

(8)

10 米沢市台ノ上遺跡から出土した縄文中期の土器.シダ植物 (ワラビ)文様が顕著.右は口綾部が欠損.

6.微粒炭の生産は古代人 (主 に縄文人)の野焼 き ・山焼 きによるもので,それは原始農耕 の焼畑 による可能性 も あるが,保存食 としてのワラビを採取す るためにワラビ

11図 新潟県十日町市笹山遺跡から出土した火焔土器 1999年 に国宝 に指定 されたもの

野 を作 っていた.

米沢市教育委員会の手塚 孝氏 には土器 に関 してご教示 していただいた.記 して謝辞 とします.

引 用 文 献

海老原郁雄,1994,縄文中期 の土器 北関東 の大木式土器.

縄文文化 の研究4,雄 山 閥,東京,32‑42.

金子拓男,1994,縄文中期 の土器 火焔土器.縄文文化 の 研究,雄 山閥,東京,61‑71.

小林達雄,1994,縄文中期の土器総論.縄文文化 の研究4, 雄 山閥,東京,3‑7.

井尻正二,1966,拝啓,土壌学者棟.ペ ドロジス ト 10,56

‑57.

丹羽 茂,1994,縄文中期 の土器 大木式土器.縄文文化 の研究4,雄 山闇,東京,43‑60.

阪口 豊,1987,黒 ボク土文化.科学,57,352‑361.

真 田雄三 ・鈴木基之 ・藤元 薫編,1992,新版 活性炭基 礎 と応用.講談社 .東京,284p.

山野井 ,1996,黒土の成因に関す る地質学的検討,地 質雑,102,526‑544.

山野井 徹 ・佐藤牧子,1984,亀ケ同遺跡の花粉分析‑

沢根B‑2区を中心 として‑ .亀 ケ岡石器時代遺跡, 青森県郷土館調査報告書第17,189‑199.

米沢市,1995,台ノ上遺跡発掘調査報告書,米沢市教育委 員会,ユlop.76図版.

参照

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