大 衆 か ら ︿ 白 ﹀ へ ( そ の 二 )
ー マ ラ ル メ の 散 文 詩 に み る 大 衆 像
西 川 直 子
すでに見てきたように︑マラルメの散文詩群は各年代ごとにいくつかの大衆像を描き出してきた︒六〇年代におけ
るそれは︑詩人(芸術家)に敵対する世間という無理解な多数者の集合であった︒それを拒絶する詩人(芸術家)
は︑六〇年代の作品に頻出する形象である︑世間からはじき出された︿芸人﹀という周縁的存在の姿に託されて語ら
れている︒詩人ー︿芸人﹀と大衆とは︑互いに相容れない排他的関係におかれていたのである︒
七〇年代にはいって︑マラルメがパリに暮らしはじめると同時に︑大衆像は急激な転回をみることになる︒芸術に
ブイリスタンは無縁の︑安穏をむさぼる俗物の集団という一面的かつ抽象的な像は変更をこうむり︑大衆は都市に息づく小市民た
ちの具体的な姿のもとにあらわれてくる︒マラルメは︑コミューン後の第三共和制下のパリで︑現実の大衆・民衆を
発見したのだといえる︒そしてまた︑同じくパリでの︑マネの画業や印象派の登場に象徴される芸術的革新運動の現
場に立ち会うという体験︑加えてジャーナリズムへの参画の体験ー国際博覧会探訪︑美術批評︑フランス現代芸術
デルみエ ル モ ド短評(﹁ゴシップ﹂)︑わけても﹃最新流行﹄刊行ー︑これらのものがあいまって︑七〇年代以降の独自の大衆像
が形成されてゆく︒それはひとことで言って︑新しい芸術様式の誕生の素材ー源泉となると同時に︑それを支持す
大衆から︿白﹀へ(その二)
二
る存在としての大衆であった︒芸術家と大衆が敵対したままの隔絶の図式は解消され︑両者は社会的・文化的権威に
たいする周縁性︑外部性という点において重なり合ってくる︒詩人(芸術家)の側に大衆は位置づけられることに
なったのである︒そしてそのうえで︑芸術家と大衆の関係は︑夢想と現実の乖離として︑また理解と無理解のずれと
して︑二重性を刻印されてゆく(﹁見世物中断﹂)︒
八〇年代の散文詩(﹁香具師の口上扁)においては.(詩的)言表の生成の場そのものとしての大衆が︑明確に把
捉されることになった︒欝表の生成を促すもの︑言表のメッセ⁝ジを多重的に受けとめるものとしての大衆(聴衆︑
観衆)は︑それなくしては言表が誕生ー成立しえない不可欠の参加者という相のもとに捉えられることになる︒詩
人の言表は受け手の促しによって発話され.またそれは受け手に委ねられてはじめて意味を推測されうるものとな
る︑したがって交換可能なものとなるーたとえその交換が誤解にもとつくものであろうともー⁝︑という考えかた
が表明され︑大衆はテクスト生成のプレーテクストとも︑テクスト受容のコンーテクストともいいうる存在として
あらわれてきたのだった︒このような思考の進展をうながした大きな要因に︑八〇年代のマラルメのクロノ磁ジ⁝に
顕著にしるしづけられている︑頻繁な観劇の体験があることは見落せないだろう︒
マラルメの大衆観の出発点をしるしていた大衆規定︑つまり︑芸術の成立にとって無関係であり︑あるいは有害で
さえあるという把握のもとでの大衆像は︑このような転回を経て︑芸術の新たな様式化を潜在させ支えている︑しか
アンコンシアンハ しいまだ﹁無自覚な﹂基盤として︑芸術の領域内へ取りこまれることになった︒大衆は芸術と芸術家の側に位置づけ
られるとともに︑しかし同時に︑その側における︿内なる外部﹀とでもいうべき存在規定をなされている︒この内な
る外部との緊密な関わりなくしては詩的言表行為は成りたちえないという考えを︑八〇年代のマラルメはいだくにい
たっていたのである︒そして︑外部との交渉から誕生する詩的言表は︑同時に︑自己指向性iそれをマラルメは虚
構とも隠喩とも呼んだのだがIlを第一の特性とする︑︿パフォーマンス﹀とみなすことができた︒七〇年代のマラ
ルメは︑﹁ローマ皇帝や東洋の君主も持ったことのない主権をもつ民衆を眩惑するような何もの麓としての民衆的
ヨ ヘヘへ芸術を夢み︑自分たちの同時代を﹁美の民衆的形式が真理となる時代しと捉えるにいたっていたのだったが︑民衆的
ヘへ形式への考察がマラルメを導いていった軌跡は︑八〇年代までのところ概略以上のようなものであった︒
六︑書くことのアナ⁝キズム
﹃ディヴァガシオン勧ではじめて散文詩グループの末尾に加えられ︑サイクルを閉あくくる役割をになわされた
﹁紛争﹂OO誌欝(初出﹃白色評論﹄い象涛讐聴b顛ミ§譜一八九五年八月一日号)は.鉄道人夫というあきらかな労
働者の形象を造型している点において︑それ以前の散文詩篇にみられた大衆像とはいささか趣を異にしている︒しか
しマラルメの視線が七〇年代以来︑芸術を外部から支えて成立させる他者︑﹁主権者たる民衆扁へと向けられ︑﹁美
の民衆的形式しを考察してきていたのである以上︑一九世紀末において大衆・民衆がついに労働者の姿をとることは
必然的であったといえよう︒一例を挙げれば︑この時代すでに七〇年代にゾラの﹃居酒屋撫が発表されており︑パリ
ゑねの下層民が題材とされ︑その生活がリアルに描写されていたのである︒マラルメは︑後述するように︑身辺で起こっ
アぷクト トたささやかな墳末事を通じて︑労働者の姿のもとに民衆が︑外部が︑もはや有無をいわさぬ直接的暴力性をともなっ
エクリチはミルて︑書く行為の場に音をたててなだれこんでくる事態に遭遇したのだった︒その小事件自体は日常的な裟末事では
あっても︑マラルメがそこに聴取したものは︑当時の歴史的・政治的・社会的状況が文学の領域内に侵入してくる激
しい物音であった︒彼を取り巻く文学界そのものが︑社会の激動の波に大きく揺れ動かされている時代︑それがパリ
大衆からく白Vへ(その二)
三
大衆から︿白﹀へ(その二)四
の十九世紀末だったのである︒
ここで当時の社会状況を一瞥しておけば︑﹁紛争偏が書かれた九〇年代を含む︑十九世紀末の約二十年間のフラン
スの歴史は︑社会主義運動の高揚とそれにたいする弾圧によって特徴づけられるだろう︒そして文学との関わりでい
えば︑社会主義運動のいくつかの理論的立場のなかでも︑とくにアナ⁝キズム運動が︑競嚇添や射鶴湘の文学運動と
理念的にも人的にも相通じ合っていた︒
すでにはやくからチボ⁝デが︑象徴主義を芸術的ブランキ主義と呼んで︑革命的な社会運動と文学運動との精神的
つ な が り を 強 調 し て い た こ 夢 こ こ で 獺 心 い 出 し て お き た い 療 謝 温 動 辮 と ア ナ ⁝ キ ス ト た ち は ・ 歴 史 へ の 登 場 の
時期をほぼ同じくし︑活動の時ー空間を共有していたという外的状況においてはもとよりのこと︑それ以上に︑既
制秩序(片や言語的・作詩法的秩序︑片や法的・政治的秩序)への異議申し立てと侵犯という点において︑類縁関係
もしくは共同関係にあった︒両者はそれぞれ芸術的領域と社会的領域において︑旧来の体制を破壊・否定する急進的
革新の立場を標榜していたのである︒
一九世紀末フランスの社会状況の形成を推進した要素の主要なものとして︑一八八〇年七月の大赦があったと考え
られている︒かってのコミューン蜂起者たちが亡命地や流刑地からつぎつぎと帰国してきたことは︑社会主義運動や
労働運動におおきな弾みをつけることになった︒無政府主義に関しては︑ヌ⁝ヴェル・カレドニーから帰国した
コミスナルドコミューンの女闘士︑ルイーズ・ミシェルが理論形成に果した役割が大きかった︒そのルイーズは︑八六年十月十
デカダンデカダン日︑頽唐派主催の集会に招かれ︑四つの文学流派⁝⁝ロマン主義︑古典主義︑自然主義︑頽唐派1について語
デカダンスり︑文学や言語を論じている︒無政府主義の理論家ルイ⁝ズは︑文学的自由と新しい思想を擁護し︑頽唐主義・
リンボリスム象徴主義を支持してこう述べたのだった︒﹁私たちの感覚はまだ不完全ですが︑人間の思想はあらゆる音︑あらゆる
アナルシスト アカダンハーモニー︑あらゆる形態を帯びることができるようになるでしょう︒⁝⁝無政府主義者は︑頽唐派と同じく︑古い
デカダンアナルンスム(6)世界の消滅を願っているのです︒頽唐派は文体の無政府主義を創造しているのです﹂︒
デカダンサンボリストここに典型的に示されているように︑頽唐派・象徴派とアナ⁝キストとのあいだには︑既制秩序への反逆というス
ローガンを介して一種の共感︑相互理解が生じていたのである︒そこには多分に誤解がまじっていたことも事実であ
ろうが︑自由な新しい世界・自由な新しい文学へ渇望において︑両者は精神を同じくしていたといえよう︒そして
ア ﹁文学においては象徴派︑政治においては無政府主義者﹂の立場をとるのが︑九〇年前後における少なからぬ数の知
ヨ 識人たちの態度決定の仕方であった︒マラルメの周囲の文学者︑︿火曜会﹀の顔振れのなかにも︑スチュア⁝ト・メ
リル︑レミ・ド・グ⁝ルモン︑フランシス・ヴィエレーグリファン︑オクターヴ・ミルボー︑フェリックス・フェネ
オン︑ローラン︒タイヤード︑カミーユ・モークレ⁝ル等︑無政府主義支持を表明するものが多数いた︒またマラル
メの寄稿誌鳴白色評論﹄(一八九一年創刊︑主幹フェネオン)も︑文学的には象徴主義︑そして政治的には無政府主
タ 義支持を明確にしていたのである︒
九〇年代にはいって︑︿行動によるプロパガンダ﹀という表現でしられる爆弾テロの戦術をうち出して街頭での直
接行動を開始したアナーキストたちによって︑世情は騒然としてくる︒九二年はラヴァシ銀ル事件(裁判官宿舎の爆
破)にはじまり︑ラヴァショルの仲間によるレストラン・ヴェリの爆破を経て︑ボン・ザンプアン警察署爆破事件で
暮れた︒翌九三年十二月には︑オーギュスト・ヴッ︑イヤンによる下院ブルボン宮爆破事件が起こり︑多数の負傷者を
出した︒ヴァイヤンが九四年二月に処刑された直後︑モ・・⁝ル・アンリによってカフェ・テルミニュスが爆破され︑
さらに六月には大統領サディ・カルノがジェロニモ・カゼリオによってリヨンで殺害されることになる︒主だったも
のだけを取りあげても︑このようにテロの嵐が吹きまくった九〇年代前半であった︒九四年七月には爆弾闘争鎮圧の
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大衆から︿白﹀へ(その二)
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ための名高い︿凶悪事法﹀}○溢ω︒色曾鋒①︒︒が採択され成立し︑弾圧が強化される︒爆弾闘争の過激さが頂点に達し
たのち︑アナーキズムは︿行動によるプロパガンダ﹀路線を放棄して︑労働運動へとウェイトを置き換えてゆくこと
になる︒
ほぼこのような十九世紀末の社会状況のなかにあって︑マラルメ自身のポジシオンのとりかたはどのようなもの
だったのだろうか︒政治への対処において︑マラルメの行動の仕方は今までと同様に︑きわめて微妙であるといわな
くてはならないだろう︒じつに曖味な距離を置いているのである︒その曖昧さは︑アナーキストのパテルヌ・ベリ
シ欝ン(のちランボ⁝研究で有名となった)が綿プリュム﹄℃ミミ鳴誌のアナーキズム特集号のためにおこなったア
ハぬ ンケートへの回答を椀曲に断わっている(一八九二年)いっぽう︑アナーキズムの雑誌﹃反逆﹄沁愈9繕の予約講読
者リストに︑グ⁝ルモン︑ユイスマンス︑ルコント・ド・り⁝ル︑アナトール・フランス︑ジャン・アジャルベ⁝ル
等とともに名をつらねる︑あるいは﹃政治的・文学的対話﹄図纂奉げ貯塁℃○葬β¢ΦωΦ鉱葬鋤g・綜Φω誌(ヴィエレ醤
ロ グリファン主幹︑九二年から明確にアナ⁝キズムを標榜)の寄稿者となる︑という行動にもあらわれている︒この曖
昧な姿勢は︑後期マラルメの有名なエピソ⁝ド︑九四年四月に多くの活動家とともに逮捕されたフェリックス,フェ
ヘヘヘヘヘネオンの弁護側証人として出廷したという出来事において︑その場面と証冨内容とのそぐわなさとなって︑如実に示
されることになった︒八月八日セーヌ県重罪裁判所に出廷したマラルメは︑若き友人︑批評家・ジャーナリスト︑火
ヘヘヘへ曜会の常連フェネオンの無実を証明するために︑彼の人柄と︑批評家としての才能を擁護する発言を一貫してつらぬ
け
いたのである︒マラルメの証言が係争中の嫌疑の判断にあたってなんら寄与をもたらすものでないことは明白であ
る︒せいぜいが︑被告の人柄・識見について良い心証を与えることが期待される程度にすぎない︒もちろんマラルメ
自身︑みずからの発言が裁判の進行上なんの意味ももちえないことを︑じゅうぶん承知していたにちがいないと想像
ヘヘへされる︒きわめて政治的な場にあって(むしろ︑そこに出向いて︑というべきか)︑政治を話題からなしくずしに抜
き去ってしまい︑論点をずらしてしまうーしかも芸術・文学の領域へとー︑この身振りは現実世界へのマラルメ
の対処の仕方のパターンを︑おもしろいほどみごとになぞっているとはいえないだろうか︒
ハゆ アナ⁝キズムにたいし︑マラルメはみずからの二十年来の作詩法の革新の営為と照らし合わせて︑自由の実現へ向
けての否定運動というその思想のエッセンスにはおおいなる共感を寄せていただろうが︑現実の政治プログラムや活
エクリチユミルヘへ動方針といったものは彼の関心の範購には含まれていない︒つまりマラルメは︑書くことの領域で彼のアナーキズム
エクリチを実践していた︑ということになるだろうか︒従来の文学の転覆をもっとも過激に押し進めた人物は︑すべてを書く
びざへと︑評勃鷺も伽へと集中させる意志において︑過激に貫徹しているのである︒
﹁ひとりの︿仲間﹀が︑いつも同じ︑この他人が︑幾度もやってきて︑行動する欲求を私に打ち明けた︒彼はなに
ハほ エクリチユミルをねらっているのだろう偏とはじめられる﹁行動﹂一.﹀︒篭8は︑︿書くことのアナ⁝キズムVへの決意表明ともい
うべきものとなっている︒このなかでマラルメは︑﹁きみの押47動はつねに紙にたいしてなされる﹂と断言して︑﹁そ
ヘヘエクリれゆえ︑身をまもって︑そこにいたまえ﹂とすすめる︒それは︑マラルメが考える行動が︑﹁書かれたものの直接的
な拡がり扁にたいしてなされるものであって︑﹁他のところ︑街頭で︑ひとつの効果︹大向こう受け︺が終るしよう
な事柄ではないからなのである︒
したがって﹁行動﹂とは︑
ではない︒つまり︑﹁演劇篇
けるのである︒他のところ︑ その取り決められた様態においては︑文学的であって︑﹁演劇﹂の域を踏み出すもの
ルプレ ノンタロソオンに︑上演彗表象に!書かれたものの直接的な拡がりに⁝︑みずからの限界をもう
街頭で︑ひとつの効果︹大向こ・2受け︺が終るようなことであれば︑この問題は失敗
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大衆から︿白﹀へ(その二) し︹不入りとなり︺ ハあ ︑私は詩人をどうすることもできない︒
八
行動への欲求を訴える若き﹁仲間﹂が誰であれ︑これが書かれた九五年は︑アナーキスト活動家︒知識入の大量検
ハあ へ挙と裁判の翌年であった︒﹁赤ズボンの兵隊さんの白い手袋に握られた鞭﹂になぞらえられた外的要因によって︑街
ヘヘヘヘへ頭での行動を根本から制限されたアナ⁝キズム運動に対比させるかたちで︑書く行為という﹁制限された行動﹂をみ
ずからの内的要請において選択する意志が︑明確に表明されている︒﹁しらずしらずのうちに︑一生涯持続するひと
ロ つの意志によって︑多様な輝きにまでいたる篇ことが︑えらびとられたのである︒これは実際︑非,行動と見分けが
つかないであろう︒だが︑この思考のなかには︑もはや行動/非‑行動(あるいはサルトル流にいえば︑アンガジュ
エクリチユ ルエクヴチユ マン/非アンガジュマン)の二者択一はなく︑その対立を無効にしてしまうような︑行動11書くこと︑世界燵書かれ
ルたもの︑という驚異的な等式がたてられているのである︒
ここであのあまりにも有名な︑﹁結局のところ︑おわかりでしょう︑世界は一冊の美しい書物に帰着するためにつ
くられているのできという談話が思い出されてくる︒この言葉がマラルメの口から発されたのは一八九一年のこと
であったが︑一八八五年十一月十六日付ヴェルレーヌ宛の︑﹁自叙伝偏と呼ばれる書簡中で︑すでに﹁詩人の唯一の
ハぬ
義務にして︑すぐれて文学的な賭けである︑大地のオルフェウス的解明﹂としての︑大文字の︿書物﹀が言及されて
いた︒世界の現実的事象をすべて含みこみ︑それに解明を与える︿書物﹀という︑ダンテ的ともボルヘス的ともいえ
る︑つまり︑つねに古く︑永遠に新しい︑世界としての書物・書物としての世界という根源的メタファ⁝は︑すくな
くとも八〇年代には着想されていたのである︒この壮大な夢についてはのちほど考えてみることとして︑ここでは︑
大衆に関するマラルメの考察が︑この夢想の書物の重要な要素になることを指摘し︑また同時に︑九〇年代のマラル
ぎクリチュ ルメがたしかに耳にしていた歴史の激しい物音が︑書かれたもののなかへと変換されてゆくだろうことを指摘してお
く︒この物音は︑八〇年代のマラルメが演劇空聞の体験を通じて聴きとった市の喧騒と性格を同じくしているが︑そ
れと同時に︑ひとつの時代全体がかかわってくる︑はるかに大規模なものである︒そのような拡大された枠組のなか
で︑大衆は政治的・階級的コノテ⁝ションを帯びた労働者の姿をとることになったといえるであろう︒
七︑なにものでもない者/なにものも所有しない者
ハ アネクドミト﹁紛争﹂が語っている逸話は︑マラルメがささやかな別荘をもっていたヴァルヴァンに︑近くを通る鉄道が敷設さ
れ︑駅が建設されて︑この地が一時的に工夫たちによって占拠されたかのごとき観を呈したという︑一八九五年春か
ヘヘヘへら夏にかけての文明論的小事件である︒四月二六日推定︑金曜日付の手紙に︑﹁今しがたヴァルヴァンから不愉快な
しらせを受け取ったので︑臼曜いちにち︑あるいは二日にわたって︑事態をしかるべき姿に戻すために︑あちらに行
ハの かなくてはなりませんしと触れられたのを皮切りに︑この工事と人夫たちがおおいに詩人を苛立たせたことが書簡に
は如実にうかがわれる︒六月末推定のロダンバック宛書信には︑﹁このところ︑私たちはのんだくれに囲まれて暮ら
ハが しています︹⁝⁝︺︒とはいえ︑我慢すれば︑状況を改善できると思います漏とあるように︑マラルメは鉄道人夫た
ちが静寂の地に侵入したことを︑不快感もあらわに知人たちに告げているのである︒
鉄道という文明の利器の到来とともに︑ヨンヌ川越しにフオンテヌブローの森をのぞむ隠棲の地を騒音と喚声で侵
略された経緯︑それによって惹きおこされた詩人の困惑と不快は︑作品にもおそらくありのままに書とめられている
と考えてよいだろう︒
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大衆から︿白﹀へ(その二)一〇
毎年︑別荘の石の外階段が緑に染まる頃︑冬のあいだ閉めていた鎧戸を押し開いて外壁にぴったりと固定し︑ま
るで中断などなかったかのように︑このまえ不動にされた光景に現在の流し目をつなげることは︑あれほどにいつ
ヴエミルムリなも同じうれしさなのだが︑今年はちがう︒それが心かわらずここに訪れてくる保証だったのに︑今は虫にくわれ
福鍵戸がたてる音が︑下のほうの大音声︑仕事唄や謬い声を調子づけているではないか︒私がその手つかずの一画
に足繁く通っている不運の住まいが︑まったく入里離れているという理由でこの地を鉄道でいためつけようとする
労働者の一団に侵略されたという風聞がとびこんで︑出発のときに不安になり︑行こうか行くまいか︑ほとんど心
迷わせられたことを思い出す︒ー見にゆこう︑しようがない︑必要なら勝手に自分の土地だと言って︑この地を
まもらねばなるまい︒というわけで私はここにいるのだ︒︹⁝⁝︺人も通わず︑たぐい稀な点で好んできたこの住
が み家が︑進歩のおかげで︑鉄道工夫の飯場になってしまったとは︑信じられないことだ︒
たち遠慮もなく︑声高に喋っているのは︑もしどこかにいるとすれば︑親方たちである︒i私は騒音には病む性の
入間なので︑世のひとたちが皆︑悪臭を嫌悪しても︑叫び声にはさほどでもないのには驚かされる︒この騒々しい
連中は︑ツルハシやシャベルの柄を肩に︑出たり︑入ったりしている︒
日常の些末事を文明論的一大事とばかりに大仰に述べる語り口︑より正確には︑扱われた卑近な題材とマラルメ後
リヘへ期散文の入り組んだ統辞との齪酷︑さらには安住の地を脅かされた物書きのあわてふためき振りを誇張している自
たち虐︑こういったものから来る屈折したユ⁝モアさえ漂ってはいるものの︑﹁騒音には病む性﹂の善良な夢想家が喧騒
の渦中に投げこまれた際の偽わらざる実感は︑まさしく︑﹁騒々しい連中偏への︑あるいはそれを送りこんできた世
情への︑嫌悪にほかならない︒これは︑すでに見てきた六〇年代の大衆観に結びつくことはあきらかである︒おもし
ろいことに︑﹁紛争扁は︑六〇年代にはじまる各年代の大衆像を︑ひと通り辿りなおすというかの具合につくられて
いるのである︒それゆえ︑散文詩グループの最後におかれると︑このサイクルのなかの主要な流れをなしていた︿大
衆﹀のテ⁝マ系をあらためて振りかえり︑それを総括するかのような効果を産み出すことになった︑と考えられる︒
また︑したがって︑七〇年代の転回がもたらした大衆像の二重性が︑一作品の流れのなかで展開されてゆくことで︑
よりいっそう強調されることにもなったのである︒﹁彼らがののしったり︑しゃっくり声をあげたり︑殴り合いや︑痛めつけ合いをすると︑大気の光りかがやくたゆ
ハが たいのなかに︑堪えがたいことこのうえない︑目にみえない亀裂という不協和が生じる偏ような思いをさせられ︑
バカ 酔っぱらいたちの﹁わめき声﹂︑﹁叫び声扁︑﹁てんでんばらばらの合唱﹂に辟易させられ︑﹁声高に激しく呼ばわ
ハ り︹⁝⁝︺雑言を吐き︹⁝⁝︺千鳥足でどなり散らす狂暴な男篇に︑﹁なにか馬鹿げた酩酊に感染した﹂ような苛立
ちと動揺をおぼえながらも︑その一方で︿話者﹀は︑労務者たちの仕事振りを観察してゆくうちに︑﹁共感と不快の
が 交互する気持﹂︑﹁信奉とも敵意ともつかぬ思い扁に︑否応なく︑領されてゆく︒
ところで︑この連中は︑自分たちのために︑心ひそかに感動するように促し︑しかもこれぞ文学だー・と心に思
うような考えから︑感動がじかに生じるよう強要する︒さきほども私は︑信奉とも敵意ともつかぬ思いで︑地下埋
葬所か共同酒倉のようなところに入り込み︑あのシャベルとあのツルハシという︑ふたつ一組の.性的な道具の列
を前にしてーその金属は︑労働者の純粋な力を集約して︑作物なき土地を受胎させるのだーー︑私は不満を通り
ハ こして︑脆かんばかりの︑宗教心にとらえられたのだった︒
大衆から︿白﹀へ(その二)
大衆から︿白﹀へ(その二)一二
否応なく強いられる︑労働者たちへの一種の共感︑それは大地の息子たちともいえる彼らのありかたそのものから
ソぴこヘノ 来る︒﹁埋め土がうごめいているようにみえる土木人夫︑井戸掘り人夫︑︹⁝⁝︺噂では出稼ぎ労働者だという彼ら
ぬ は︑怠堕で屈強な者たちで︑大地が変形される憂いがあるところ︑いたるところに群がっている﹂のだが︑︒例のつが
キユルチユ ルいの(﹁性的なし)道具でもって︑作物なき土地を肥沃にさせる者たちでもある︒ここに思いたって︑︿話者﹀は︑
カ スト静譲の地への闘入者たちと文筆家であるみずからとの近縁性を見出してゆくのである︒それは︑﹁特権階級だろう
が か︑とんでもない﹂と自分を規定せざるを得ないから︑というばかりではない︒﹁購入手段を怠って‑何も所有し
ないで︑ただ通うだけにしたいという︑なにか奇妙な本能を満足させるために︑住まいが現在のように︑まったく偶
然とはいえない異変に見舞われる危険を冒していた偏自分のふがいない処世の仕方のせいで︑地理的にも社会的身分
ハが としても﹁自分がプロレタリアたちに近づいた﹂から︑というばかりではない︒﹁木が黒々と茂る︑広々と奥まった
が ︿所有地Vなどは︑夢想家に固有の特別の用途には閉ざされている扁ものであって︑しがない物書きが望むべくもな
いものである以上︑詩人の社会的位置づけは﹁なにも所有しない扁プロレタリアに近いものであることはたしかであ
ヘヘヘヘヘへるとしたうえで︑しかし︿話者﹀の想念は︑﹁これぞ文学だ!と心に思うような考え﹂へと向かってゆくのであ
る︒
この態度は︑たまたま遭遇し心的被害をこうむった小異変を﹁まったく偶然とはいえない偏と観ずる視線にも通じ
ている︒それは︑二十年も前に﹁いかなる凡俗なもののなかにも含まれている神話を﹂享受すると書いたマラルメ
の︑七〇年代以降つねに変わらぬ︑現実世界への向き合いかたでもあった︒
もうすでに長いことーと私は思っていたのだが⁝私の観念は︑たとえ真実のものであれ何らかの偶発事を免
れようとしてきた︒偶然の出来事よりは︑観念の原理のうちに︑逆り出るものを汲みとろうと願っていたのであ
る︒2行余白︺
訪う人もない家への好みというものは︑そのような心情には好都合と思われるが︑それが私に︑前言を翻がえさ
ハが せるにいたったのである︒
﹁紛争﹂はこのように語り出されはじめたのだったが︑﹁偶然の出来事﹂と﹁観念の原理﹂を対立的に把握するの
ではなく︑前者のなかに後者が孕まれる様をみる物語︑それが他の散文詩作品と同じく︑この作品の当初からの意図
ハガ だったのである︒︿話者﹀は日常生活の不愉快な小異変のなかに︑﹁ブルジ藤ワどもが鉄道を必要としている﹂当代
ヘへの社会の進歩ぶりを見ると同時に︑土木作業員という地を這う者たちのなかに︑詩人にも類比される存在︑そして文
学にかかかわる根源的な存在︑をみてゆくことになる︒
︿話者﹀が労働者たる大衆に︑反揆と共感という二律背反的感慨をおぼえるという︑単なるアンビヴァレントな大
衆像で終始するならば︑スタンダ⁝ルからボードレールにいたるロマン主義の大衆観の枠を一歩も出ないことになっ
エクリチユ ルただろう︒マラルメの思考の独自性は︑大衆を書くこととの関わりにおいて把握しようとした(さらには︑書くこと
の領域に変換して取り込もうとした)ことにある︒七〇年代︑八〇年代の作品のあとをうけて︑﹁紛争﹂において
が は︑大地を掘り︑その表面に変形を加える労働者の労働と︑﹁詩句を穿2詩人の労働とが︑あきらかに重ね合わせ
ギユルチユ ルられている︒シャベルとツルハシという︑形状からしても︑﹁作物なき土地を受胎させ﹂成果をもたらす点からして
も﹁性的﹂な道具は︑いうまでもなく︑同じくきわめて性的な道具であるペンの隠喩となってゆく︒ペンという
(39)キユルチユール︿ファリュス﹀の形状をもった道具で︑詩篇という﹁イデュメアの夜の子偏をもたらす詩人の労働︑文化なき土壌を
大衆から︿白﹀へ(その二)一三
大衆から︿白﹀へ(その二)四
ゆ 肥沃にし︑﹁種族の言葉により純粋な意味を与える﹂詩人の労働は︑労働者の労働と︑等号のもとに置かれてゆくの
ね である︒肉体労働による社会的財貨の生産と︑﹁腕から頭脳に移動した職業﹂による意味の生産とを︑同等の視野に
れ おさめる視線がここには表明されている︒ソレルスがすでに指摘していたように︑書く人間という﹁なにものでもな
ハゆ い﹂非人称の存在と︑﹁なにものも所有しない﹂プロレタリアとが︑マラルメの思念のなかで等しいものとして結ば
れたのであった︒このいわば連帯の気持は︑さらに次の局面で︑いっそう強められることになる︒
﹁﹃俺たちは︑それぞれここで︑他人のためにあくせく働いてるんだ﹄という声に︑1﹃それどころか︑きみた
ちがあくせくと働いているのは︑給料を払ってもらうため︑そして︑こときみたちに関してだけでも合法的に生きて
ハれ ゆくためだ﹄﹂と︿話者﹀がつぶやき︑﹁﹃たぶん私も︑また︑働いているのだ⁝⁝﹄﹂と述懐するとき︑両者の等
ヘヘヘヘヘヘヘへ価性はいっそう強力に主張されている︒つまり︑合法的に行動する労働者の姿のうえに︑﹁取り決められた様態にお
ゆレヘヘヘヘヘヘへいて︑文学的であって︑﹁演劇偏の域を踏み出さない偏制限された行動をみずからに課した詩人は︑自画像のごとき
ものを映し出してさえいるようである︒
七〇年代以降︑マラルメの大衆像が転回をみせ︑大衆が詩人ー芸術家の側に位置づけられ︑同時に両者ともに社
会の周縁部に置かれた構図は︑(なにものでもない)書く主体と(なにものも所有しない)プロレタリアとの同一化
という地点にまで到達したのだった︒しかもこのように把握された書く主体は︑プロレタリアートのイデオロギ;を
打ち出す文学の書き手である必要もなければ︑労働者の世界をリアルに描き出す文学の書き手である必要もない︒ま
た︑すべての個人の自由と解放の名のもとに街頭へと出ていった(あるいはそれを鼓舞し︑支持した)文学者である
必要もない︒マラルメにあっては︑ただ単に書くということだけで︑﹁詩句を穿?という制限された行動だけで︑
その等号は成立するのである︒つまり︑意味を生産するという根源的行為において︑書く主体は労働する主体であ
り︑﹁なにものでもない﹂人間は﹁なにものも所有しない﹂人間と同一化されるものであるという︑徹底した考えが
示されている︒物書きに必要な静寂を掻き乱されて︑︿話者﹀が苦々しく思い︑小競り合いさえ演じながら︑しかし
﹁共感と不快の交互する気持﹂︑門信奉とも敵意ともつかぬ思い﹂にかられ︑ついには﹁不満を通りこして︑脆かん
ばかりの︑宗教心にとらえられた篇のは︑そのような理由からだったのである︒まさしく﹁これぞ文学だ!と心に
思うような考えから︑感動がじかに生じるよう強要するし騒々しい連中の促しにじゅうぶんにこたえて︑︿話者﹀は
偶発的な事柄のなかに﹁観念の原理﹂そのものを見極めることとなったのだった︒
ところで︑﹁見世物中断偏において︑大衆の場に大衆とともにあることを楽しんでいた︿話者﹀は︑しかし同時
ゆ に︑﹁わが仲間たちと同じ種類の印象は抱かずに漏いる自分と彼らのあいだにある差異を︑尖鋭に意識している者で
もあった︒大衆は芸術家‑詩人と同じ側に位置しながら︑なお芸術の外部であるという︑二重性をしるされていた︒
その認識もまた﹁紛争﹂のなかにはあらわれてくる︒書く主体と労働者との同一化が肯定されると同時に︑両者の労
働のありかたの差異がクローズ・アップされてくるのである︒
八︑永遠の聴覚
﹁﹃たぶん私も︑また︑働いているのだ⁝⁝﹄﹂と︿話者﹀が述懐するとき︑同時にあらたな問いが発せられる︒
何をしてllと︑ただ意識のなかにおいて︑
つような︑何をしてなの彊
大衆から︿白﹀へ(その二) もだひとつのこだまが黙すーすくなくとも︑一般的交換において役立
一五
大衆から︿白﹀へ(その二)一六
デイミル一般的交換とは︑詩人の労働領域である言語活動に関していえば︑﹁大衆が言葉をまず扱うような︑安易で表象的
が ヘヘヘヘへな通貨の機能しにほかならない︒つまり剰余ないし欠如を出さないかのように装いをととのえているコミュニケー
ゆ ディ ルヘヘションである︒だが︑詩人の労働が生産する言葉は﹁それとは反対に︑なによりも︑夢であり歌であって︑虚構に捧
ハ げられる一芸術を構成する必要から偏︑暗示(隠喩)を通じて交換されるものであるゆえに︑二般的交換扁の経済
ヘヘヘハれ ルートにはのらない︒通常の交換では隠弊されている剰余/欠如が︑つまりは言葉の﹁自己指向性扁が︑あからさま
になるからである︒
このような問題を考察しているという認識のもとに本稿がすでに読解した﹁香具師の口上﹂では︑詩人の口上と大
ヘヘヘへ衆の小銭の交換が︑誤解をもおそれずに︑また推測を介して︑つかのま(一回かぎりの場で一時的に)成立したの
だった︒しかし﹁紛争﹂では︑﹁なによりも︑夢であり歌である﹂詩人の生産物のコミュニケーションの可能性は︑
ふたたびペシミスティックな色合いを帯びて︑否定的なほうへと傾いている︒
ひとが共にあるということは起らない︒
な い 幅
私は惧れるのだが︑人間のあいだに接触というものは成立しないのでは﹁孤独扁(初出二主題をめぐる変奏X︑特殊性偏︑﹃白色評論﹄九五年十一月一日号)の冒頭で︑﹁文学的生活
は︑真実のひとつの生活の枠外にあって︑心のうちにある調べや意味の存在を目覚めさせることについやされるが︑
バカ それは世間と折り合っておこなわれるのだろうか︑不都合なものとして以外にー﹂と自問されていたのと同じ︑世
間からの文学者の孤立という認識が︑﹁紛争漏でも表明されているのである︒
私の生産物が︑あの人びとにとっては︑本質的に︑夕べの雲か星々のように空しいものでありつづけるという︑
が 悲しさよ︒
私たちが気づかされることは︑人里離れた孤独な文学生活の場を破壊されたことにあれほど苛立っていた︿話者﹀
,詩人が︑まったく同じ度合で︑自己の営みの孤独を深く悲しんでいるという矛盾した態度である︒だがこれはもち
ろん︑実際には矛盾でもなければ︑奇妙なことでもない︒ここにもまた︑労働者へめ共感と不快のないまぜとなった
感情の場合と同じく︑詩人と大衆のあいだに横たわる︑理解ー無理解の二重化した両義的距離が投映されているので
ある︒
詩人の労働の産物である詩が︑本質において夢であるからには︑それは美しくかつ空しいもの︑黄金に輝く﹁夕ベ
リヤノの雲か星々のような扁もの︑︿無﹀でしかありえないのだ︒このような感慨にひたされて︑︿話者﹀の視線は︑その
リヤン(55)空しいものである星座が︑だがしかし﹁輝きの秘法を会得して扁︑闇のなかにきらめき出す光景に見入ってゆく︒
讐紛争偏終結部のこの宇宙的ともいえるヴィジョンは︑じつに崇高な色合いを帯びて描き出される︒一日の労働に疲
ハゆ れはて︑﹁銃撃を受けたかのようによろめきながら︑やって来て︑狭い戦場に倒れこむ﹂労働者たちは︑いまや叫び
れ 声もあげず︑﹁もの言わぬ土塊﹂となって︑﹁一時的自殺﹂をとげて(つまり眠りこけて)いる︒彼らはなんらかの
戦いに艶れた﹁犠牲者﹂のように︑﹁存在のうちにある聖なる部分﹂を保持しながら︑﹁儀式を執りおこなうかのよ
あ う﹂である︑とされるのである︒
昼間の喧騒とはうらはらに︑沈黙におちこみ︑﹁盲目のけものの群れ扁と化した彼らのうえを覆う闇と︑彼方の星
座︒この光と闇のドラマに︿話者﹀が幻視するものは︑詩人と大衆という︑対立しかつ同一化されるものの︑最終的
大衆から︿白﹀へ(その二)一七
大衆から︿白﹀へ(その二)一八
ヘへ和解のドラマであるだろう︒そしてこの和解は︑騒音のどよもすこの地に闇が領して︑あたりに沈黙がたちこめたゆ
えに成立したものである︒夕闇の訪れとともに︑死んだように眠る労働者たちを前にして︑はじめて︿話者﹀は︑
﹁彼らのことを︑先刻の騒がしさにもましてその孤影によって︑宵閣迫る遠景を私から遮るこの招かれざる客たちの
ハが ことを︑もっぱら考える﹂ことができる︑と思う︒
この初歩的な仕事に服する人夫たち︑澱みなく流れる河の畔で彼らの夜番を務めながら︑私はそこに心おきなく
民衆を見ることができる︒
ヘヘヘヘヘヘヤヘヘヘヘハむ ︿話者﹀は︑﹁私は私の資格で︑この群れの神秘を理解し︑その任務を判断しなくてはならない﹂と思い定め︑そ
の作業にとりかかってゆく︒そして︑果てしない眠りによって︑恵みの大地に耳を押しあて︑ひれ伏している彼らの
姿に︑なによりもまず︿話者﹀がみてとったものは︑闇のなかにまたたく星々が奏でる精妙な音楽に聴きいっている
かのような︑﹁社会的規模に還元された︑永遠の聴覚扁︑しかも﹁無名の漏聴覚であった︒
人間の条件へのたくましい理解が彼らの身を鼠々かがめさせ︑穀物という媒介はないとしても︑現存を保証する
生の軌跡を引き出させる︒他の人夫たちは昔︑開墾をおこない水道橋をつくった︒やがては土手の工事をなんらか
の機械に委ねることにもなろうが︑いつも同じ者たち︑ルイーピエールやマルタン︑ポワトゥやノルマンディー野
郎なのだ︒眠っていないときは︑彼らはこうやって母親たち︑つまり出身地の名で呼び交わしている︒だがむし
ろ︑出自は無名性へと消えうせた︒広大な眠りによって聴覚を母なる大地に押しあて︑平伏している彼らは︑いま
やあらゆる世紀の重みと拡がりに耐えている︑
ハ 覚と化して︒ しかもそれが可能なかぎりー社会的規模に還元された︑永遠の聴
ヘヘヘヘヘヘへ大衆の神秘とは︑無名の聴覚であった︑ということだろうか︒明確に提示されたこのような把握によって︑また大
衆とは﹁犠牲に捧げられるもの﹂であり﹁聖なるもの﹂であるという把握によって︑さらにもうひとつ︑詩人とは︑
大衆の神秘を理解し︑その任務を判断する者であるという把握によって︑散文詩m紛争篇の結びに描かれた︿天体の
音楽の(社会的規模に還元された)演奏会﹀は︑ひとつの壮大な換喩と化してゆく︒夜空の星々の沈黙の音楽と︑そ
れに聴き入る無言の︑無名のものたちからなる聖なる空間は︑そのまま同時に︑実際のコンサ⁝ト︒ホールという音
楽的パフォ⁝マンス空間へ︑劇場・見世物小屋という演劇的パフォーマンス空間へ︑また犠牲が捧げられ祭儀が執行
される宗教的パフォ⁝マンス空間へ︑そしてこれらすべての祝祭的性格を帯びたパフォ⁝マンス空間を包含する︑メ
ターパフォーマンス空間ともいうべき︿書物﹀へと︑転換するのである︒そのとき︑七〇年代以降つねにかわらず︑
ヘヘヘヘヘへどよもす騒音として両義性のしるしのもとに捉えられてきた大衆は︑パフォーマンス空闇の成立をになう﹁処女なる
へが 要素︑︹⁝⁝︺神秘の守護者という卓越した機能︹である︺豊かな無言﹂としての︿自い﹀姿を︑あらわし/消去す
ることになる︒
九〇年代までのマラルメの大衆像を辿ってきた私たちに残された最後の作業が︑永遠の聴覚と化した大衆から
︿白﹀への︑変換の検証である︒
(つづく)
大衆から︿白﹀へ(その二)一九