会計公準論の一考察 : 初期ペイトンの所説を中心 として
その他のタイトル On the Accounting‑Postulates : W. A. Paton, Accounting Theory
著者 酒井 文雄
雑誌名 關西大學經済論集
巻 4
号 6
ページ 594‑615
発行年 1954‑12‑25
URL http://hdl.handle.net/10112/15783
と呼び︑或は基本仮定
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と呼んでいること︑ 会計公準︵弓
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と呼
び︑
会計実践や会計理論がいくつかの仮定の上に成立するもので
あることは︑今日会計学上の通説として︑一般に主張されてい
るところである︒そして︑か4る仮定を論者達が夫々一定の︱︱
ュアンスをもつて或は基本概念
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と呼
び︑
或は
或は会計慣習
( 8
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また周知のところである︒私は︑こ4では便宜上︑これらの仮
( 1 )
定を会計公準という名称で一応統一しておき度いと思う︒何れ
にしても︑この会計公準の問題は︑戦後のわが国会計学界にお
( 3 ) ( 2 )
いて若千の人々がアメリカの主要が論者逹の見解を紹介すると 課題への︱つの手が4りとして︑従来のわが国の研究が殆んど
それを正面からとり上げることのなかった初期︒ヘイトンの忘れ
( 4 )
られた一つの歴史的論稿を紹介し︑こ4から会計公準論におけ
る問題の所在をもう一度析出してみることにある︒私は︑アメ
リカにおける会計公準論議の歴史的な展開過程はこれを概略︑
( 5 )
次のように段階区分できるのでなかろうかと考えている︒第一
の段階は、•初期ペイトンに代表される一九―10年代における財 はし
が
き理論においてもつ歴史的・方法論的意義ないしはこ4から帰納
される会計実践や会計理論の性格の検討といったその本質的な
分析の段階にはまだ程遠いように思われる︒
小稿の課題は︑右のような会計公準論議における今後の研究 いう形で展開されてきたところであり︑これが会計実践と会計
酒
井
'ーー初期ペイトンの所説を中心として—|_
會 計 公 準 論
の 考 察
文
雄
八八
代半ばにおける財産・資本計算から損益計算への重点移動
1 1動
態観の確立を基盤としたそれである︒第三の段階は︑若千の論
者達にみられる第二次大戦後における資本制会計制度の構造的
である︒私はまた︑アメリカにおける夫々の会計公準論議の方
法的志向は︑基本的に右のような会計公準論議の歴史的な展開
( 6 )
過程に各々照応したものであろうと考えている︒従って︑小
稿は︑以上のような観点からの私のアメリカ会計公準論研究の
序説でもある︒以下︑①ペイトンの会計公準観︑②ペイトンの
する
註 ︒
(1 )
某本概念︑某本仮定︑会計公準︑会計慣習という用語上の相違自体が︑この問題への異ったアプローチの態度を示しているのであるがー或は立論の基礎範疇に著目し、或は行為の規範に著目すると•いう風にーこの
点については︑小稿ではふれないことにする︒
( 2 )
わが国における会計公準についての主要な論稿は︑
次のようなものである︒伊藤長正﹁従来の企業分析に於ける仮定﹂︑﹁仮定と現
会計公準論の一考察︵酒井︶
基本的な会計公準の内容という順序で︑考察を進めることに 危機
I I 会計実践と会計理論とへの全面的不信を基盤としたそれ 段階は︑多くの論者達にみられる一九三0年代から一九四0年 産・資本計募
四三ー六0 実との不一致﹂︵﹁企業分析と経済分析﹂︑1 1静態観の危機を基盤としたそれである︒第二の
頁︶
︒
占部都美﹁ゴウイング・コンサーンの浬論﹂︵会計︑昭和二八年二月号︶︒
岡部利良﹁企業会計の前提条件﹂︵﹁会計学購義案﹂昭和二九年度第一分冊︑三六ー四四頁︶︒
木村和三郎﹁企業会計某準の諸前提﹂︑﹁ペイトン・リット
一三九ー一五四頁︑二ニ三ーニ四八頁︶︒ 念﹄の意味と二大基軸﹂︵﹁会計学研究﹂ J V トン﹃企業会計甚準﹄における﹃概
木村直袈﹁企業会計の基本概念﹂︵商学討究︑第一巻•第三号)。””「企業会計の甚本概念•原則および某準」(商学討究、第三巻•第一号)。
﹁某礎概念﹂︵﹁会計学原論﹂三五ー五六頁︶︒
黒沢滸﹁近代会計学の某礎﹂︵﹁近代会計学﹂︑五
ー四八頁︶︒
佐籐孝一﹁会計原則と会計公準﹂︵﹁現代会計学﹂︑六九ー七九頁︶︒
﹁企業会計の三大公準﹂︵産業経理︑昭和二七年五月号︶︒
﹁企業利益について﹂︵企業会計︑昭和二七年五月号︶︒
﹁牧益の発生と実現﹂︵企業会計︑昭和二七年十月号︶︒
﹁某本的な会計用蹄の再検討﹂昭和二九年十月号︶︒
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八九
︵企 業会 計︑
596
会計公準論の一考察︵酒井︶
︵産業経理︑昭 阪本安一﹁会計学の性格と企業会計の公準﹂計︑昭和二七年十一月号︶︒
関日重之﹁アカウンテイング・コンヴェンション﹂
(青山経済論集、第三巻•第二号)。
田島四郎﹁企業会計の某礎﹂︵﹁会計学提要﹂︑三三
ー六九頁︶︒
﹁
会 計 学 に お け る ド グ マ
﹂
︵ 産 業 経 理
︑ 昭 和
二九年九月号︶︒
高松和男﹁現代会計の性格と会計単位﹂︵福島大学商
学論集、第二十巻•第一号)。
﹁
会 計 期 間 と コ ス ト
・ ベ イ シ
k﹂︵同右︑第
二十巻•第二号)。
﹁
企 業 会 計 の 基 本 仮 定
﹂
︵ 企 業 会 計
︑ 昭 和 二
七年十一月号︶︒
I I I I
﹁企業会計の基本仮定﹂︵﹁価格変動と資産会計﹂︑ニニー三四頁︶︒
谷川稚魚﹁高桧氏の﹃企業会計の某本仮定﹄について﹂︵企業会計︑昭和二七年十一月号︶︒
丹波康太郎﹁企業会計の基本仮定としてのビジ`ネス・エンティティについて﹂︵産業経理︑昭和二九年八月号︶︒
忠 佐 市
﹁ 会 計 公 準 論 の 税 法 へ の 反 轡
﹂
︵
﹁ 税 法 と 会
計原則﹂八一ー九四頁︶︒
土田三千雄﹁理論会計学の前提﹂︵﹁理論会計学﹂四
四ー四九頁︶︒
中島省吾﹁会計基準とその基礎概念﹂和二九年九月号︶︒
中村万次﹁薄記理論の前提﹂
七頁 )°
(「簿記学概論」、三—
︵企 業会
平栗政吉﹁会計慣習と.
n
︵会計︑昭和二七年一月号︶︒ 1nンサーン概念﹂イング・
宮●一男﹁工業会計制度の研究﹂︑一ー五頁︑三ニニー三二三頁︒
山桝忠恕﹁ペイトン教授の税制槻﹂︵産業揺璃︑昭和ニ八年十二月号︶︒
﹁ペイトンの企業観と企業利益錮﹂︵企業会計︑昭和二九年一月号︶︒
﹁ビジネス・エンティティと会計にかんする一試論﹂︵神戸商大紀要︑第二号︶︒3
「三つのビジネX•エンテイティ鐵」(会計、昭和二九年六月号︶︒
リカの文献は︑次のようなものである︒
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(3 )
わが国において紹介された会計公準についてのアメ II
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九〇
会計公準論の一考察︵酒井︶ P . 2
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! , 3 . わが国ではまだ紹介されていないが︑一九二三年のヴ 工プレンの著作もこの問題に論及していたようである ( A . I . A . , Ch
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九 異った見解をもつている︵参照︑木村和三郎﹁会計学
(4 )
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22
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Ch
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ておられるのは︑筆者の寡聞するところ︑岡部利良︑
木村和三郎︑田島四郎の三教授と高松和男氏の四人の
方位のようである︒岡部教授は︑﹁原価計算の狸論的
性格」(罪済論叢、第六四巻•四、五、六合併号)な
る一論の中で︑ペイトンのこの論稿における︱つの公 準︵原価の価値論︶に云及しておられる︒
木村教授 ふれておられない︶︒しかし筆者は︑この論稿全体の
位粧づけと︑第七の公準の解釈で︑木村教授とは多少 は
ペ イ ト ン の こ の 論 稿 に お け る 第 六 の 公 準 に は 全 く
括的にこの論稿全体に云及しておられる︵但し︑教授 は ︑
﹁会社会計某準序翫﹂のそれと比較しつ4一応包
も呼んでいる︒わが国でペイトンのこの論稿に注目し び︑或は
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と呼び︑或はまた
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と 彼はこ4
で︑会計公準のことを︑或は
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)︒けれども︑小稿では︑一応問題をアメリカに
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を 考 究 し て い た の で あ る
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て会計原則が寧ろ上位概念であるとしているようであ
る ︒ 準︶との関連についても︑その有用性や零厳性におい
ンのこの論稿を背骨としたものと推察される︒なお教
授は︑近業﹁会計学提要﹂
ペイトンのこの論稿における二つの公準︵企業実体及 び 継 続 企 業 の 公 準
︶ を か な り 詳 細 に 紹 介 し て お ら れ る︒しかし乍ら筆者は︑この二つの公準の解釈で︑田 島教授とも多少異った見解をもつている︒高松和男氏
﹁企業会計の基本仮定﹂︵前褐︶の冒頭を︑ペイ
トンのこの論稿の筒潔な紹介で始めておられる︒
例えば︑イギリスの会計学者
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一九
︱
10
(5 )
個べの会計公準についての若干の論稿は︑
年代以前においても︑これを発見できるようである︒
は︑彼の著作
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( 18 92 )
において︑既にfヽ
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第三段階のそれは︑
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ミラーの共著や
クニック︑ザクセの共著がこれを物語るように︑従来 の一般的な認識に相当な修正を施し︑会計公準が経験 と推論から誘導された多少とも恣意的な存在たること
を重諷し︑こ4から会計公準と会計原則︵或は会計某
や弾力性を合蓮化しようという意図が濃厚である︒ま と考え︑こ4 計公準をもつて会計原則︵或は会計基準︶の某礎概念 著﹁会社会計基準序翫﹂の内容がこれを示す如く︑会
から会計実践と会計理論における側宜性
( I I H
ハー四一頁︶の中で︑
ているし︑第二段階のそれはペイトン・リトルトン共
︵産 業
(6 ) 例えば︑第一段階の会計公準撫は︑小稿においてこ
ついては︑教授御自身は何らふれられるところがない
の形成との関連て︑これを考察する︒
研究
﹂︑
会計公準論の一考察︵酒井︶
一三 九頁
︑
一五ニー一五四頁︶︒田島教授に
のであるが︑教授の﹁会計学におけるドグマ﹂
経華︑昭和二九年九月号︶なる一論は︑恐らくペイト
限定し︑今世紀初頭に始まるこの国における会計理論 れを考察する如く︑会計公準を会計理論と会計実践と
の本質的な弱点ないし限界を象徴するものとして把え
九
599
会計公準論の一考察
︵酒
井
︶ が︑か4
る事例である︒記帳上の誤謬を見つけ
これを正すとい
﹁素
人は
︑
典型的な勘定紐織や財務諸表の表わす整然たる線 や等しい合計額の印象から︑次のような結論を下し勝ちなもの
である︒即ち︑索人は︑
会計は確実なもの︑確実に表示可能な
資料を取扱うのだとか︑
或は勘定は正確か不正確かの何れかで
あるとか︑
或はまた複式簿記の原理はその記帳上の誤謬さへな
ければ常に正
確な結論に到達するのだとかいう結論を
︑下し勝
ちなのである︒そして︑会計専門家(acc
ou nt an
t)さへもが︑
実に︑時として同じ錯誤に照意識の
中に滑り込むのである︒腺
入勘定における幾セント
かの一つの誤謬の源を見つけるのに何
時間という時を費し︑し
かも経営者の採用した棚卸評価方法の
問題を軽く見すごしてし
まうような監査人の態度
といったもの
その限界を象徴するものとしてとらえている︒
郎ち︑彼はい
九
てとらえている︒即ち︑彼は次のようにい
う ︒
ではあるが︑
会計実践のおかれている条件や会計実践のもつて
第二に︑彼は︑会計公準を︑その完全な論証は不可能なもの 第一に︑彼は︑
会計公準を会計技術の本質的な弱点あるいは
う努力は︑成る程︑称談に値いすることで
ある
︒
しか
し ︑
会計
のこの面を極端に璽視することは
︑
より璽要なこの技術の目的 あるいは厳密な正確さという観点からのこの技術の本質的な弱
点というものを︑
考慮しないということになる︒実際問題とし
て︑会計専門家は︑絶えず判断の必要に当面
して
いる
︒会計
門家の結論は︑
往々推定上のものでなければならないわけであ る︒記憶されねばならな
い点は︑
会計専門家はまづ第一に経済
的な資料を︑
即ち価値を取扱っているのであり
︑物理的な確実
なものを取扱っているのではない
ということである︒価値と
は︑栂築物︑財貨︑権利︑用役︑
状態の極めて不確実な不安定 な局面なのである︒このようにして
︑
近代的な会計が多くの点 で推定や判断を含むばかりでなく
︑その全機構が一連の一般的
( 1 )
な仮定に根ざしているのである︒﹂と︒
いる目的からその存在理由を与えられている便宜的な支柱と
し
﹁会計におけ
る様々な仮定の限界を強調する必要があ
ると
い ゜rつ は︑
推定や仮定で充満している︒かくして
︑残念乍ら︑会計専
いる
ように思われる︒ ペイトンは︑
会計公準の性格を次のような二つの点に求め
て
600
イトンは︑次のように述べている︒ 会計公準論の一考察︵酒井︶
うことは︑必らずしもこれらの仮定が廃棄されねばならないと
いうことを意味するものではない︒会計は︑極めて目的的な領
域である︒従つて︑会計における凡ての仮定︑凡ての原理︑凡
ての手続は︑その目的が合理的であり︑しかも凡ての事情が考
應されているという前提の下で︑それらのものがその目的に適
確に役立つ限り、正当化されるのである。•••これらの仮定の多
くのものは︑それについて何らの完全な論証もなしえないので
ある︒事実︑これらの仮定の若千のものは︑厳密な正確さとい
の観点から︑逆にその反証が可能なのである︒しかも︑これら
の仮定は︑大部分それなしには会計実践の遂行が不可能な便宜
( 2 )
的な仮定なのである︒﹂と︒
それでは︑会計専門家は︑以上のような性格をもった会計公
準に︑どのように対処すればよいのか︒この点についても︑ペ
﹁会計専門家は︑会計上の仮定に精通していなくてはならな
い︒でないと︑彼は︑彼の表示するもの︑彼の結論するものに
附著している本質的な限界を︑忘れ勝ちであるからである︒会
酎実践が凡ゆる種頬の技術上の危険を伴うばかりでなく︑勘定
組織と手続体系との全体が仮定に根ざしているのである︒か4 柱
( p i l l a r s
o f
t he o r y a nd p r a r t i
c e )
を︑それがいか程しつか は︑多様である︒か4る急速な発展の過程で︑理論と実践の支 恐らく容認されてい4のである︒会計は︑この近年に長足の進
歩を遂げたのである︒
りとうち立てられているかを発見するという観点から︑時に吟
( 3 )
味し分析するということは︑極めて望ましいことなのである︒﹂
以上の考察から明らかなように︑ペイトンは︑会計公準をそ と ︒
れ自体の吟味の不要な自律的な存在であるとは決して考えてい
ないし︑或はまた会計公準を以て会計実践や会計理論の弾力性
ないしはその便宜性を容認する根拠とも決して考えてほいない
のである︒寧ろそれとは逆に︑会計公準を一定の合理的な目的
と条件とを充足しなければならないそれ自体制約のある存在と
してとらえ︑こ4から帰納的に会計実践と会計理論のもつ本質
的な弱点あるいはその限界を究明しようというのが︑彼の会計
公準論の狙いなのである︒
註
(1
) W. A. Pa t o n,
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y,
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P.
471ー
47 2.
従つて示の領域における現代的関心 料とその説明の信穎度に対する一個の穏かな疑問というのは︑ る状態に徴して︑若干の実務家達の上にいまだに顕著な会計資
九四
会計公準論の一考察︵酒井︶ 公準
企業というものは︑確かに︑
九五
一個の人格︵召
r 8
n )
ではな
の諸事実︑諸資料相互間の関連
( se q u en c
e s)
についての ての公準
⑥原価発生と利益出現
( c o s
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つい
﹁これは︑会計専門家にとつて 公準
向原価と簿価との関連
( 8
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k v a lu e )
についての E e
b al a
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‑ sh e
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についての公準
(4) (3)
る︒活動と財務状態についての期間的な報告もまた︑正しくこ
(2) (1)
特に重要な基本的公準として次のような七個のものをあげてい
る ︒ ていると考えているのであるが︑彼は︑これら一連の公準の中 ペイトンは会計の全機構が一連の公準の上にその基礎をおい
( 2 ) i b
i d . ,
P .
4 72 , P . 49 9. ( 3 ) i b
i d . ,
P . 4 99 .
企業実体︵庄e
b us i n es s
e n
t i t y )
の公準
継続企業︵庄e
go
in
g c
o nc e
r n)
の公準
貸借対照表等式︵庄e
b al a n ce ‑
s h裔
t g u at i
o n)
の公準
財務状態と貸借対照表との関連
( f i n a n c i a l c o n di t i on
an
d
第一の公準︵企業実体の公準︶においてペイトンのいわんと ペイトンは︑これらの公準を通じて︑財産資本計算の限界を
特に強調しているように思われる︒以下︑これら七個の公準の
内容を順次究明することにする︒
するところは︑経営管理的観点を採用することの必要性とその
限界という点である︒.彼の説明は︑こうである︒
独立の企業が存在するということは︑会計専門家が大概共通
に仮定する何物かである︒簿記係や会計専門家が記録したり分
析したりしようとしているのほ︑正しくこの企業の包括的な財
務の歴史である︒帳簿や勘定も︑正しくこの企業の記録であ
の企業の記録である︒
ところが︑具体的な活動をしている人々とは何処か区別され
るこの企業実体という仮定は︑従来︑若干の著者達からは大い
に歎かれ︑若千の著者達からは強く禁じられていた一つの考え
方なのである︒そうすると︑
個の正当な前提だろうか︒それとも︑か4る前提は︑事業界の
( 1 )
現実によって支持されていないのだろうか﹂︒
602
る︒この場合には︑会計専門家の仮定は︑政府の権威によって 純正な企業実体が存在するのである︒ が︑この現実に根ざしているのである︒多くの場合に︑
一個
の
会計公準論の一考察︵酒井︶
のことは決して︑個別企業が実在しないということを意味する
t io n )
だからである︒﹁われわれは凡て︑
( 2 )
の中に生きている﹂︒連邦政府然り︑綜合大学然りである︒
﹁これらの制度は︑その現有財産をこわしてみたところで︑そ 一個の複雑な制度体系
の構成員を解散してみたところで︑なお且疑いもなくある様式
( 3 )
で存続するものであろう﹂︒かくして︑一個の制度としての企
業もまた︑その現実性を保有するのである︒企業は︑必ずしも
単なる想像上の虚構ではない︒それは︑ある場合には巨大で強
カでひときわ高く裳立する生きた機構
( li v i ng o rg a n iz a t io n )
であり︑産業社会に一つの恐ろしい影響力を与えているように
思われるからである︒会計専門家の仮定は︑少くともその一部
株式会社の場合には︑この前提が法律上の観点から有効であ
血肉を与えられているaところが︑所謂個人企業や組合企業の 一個の実在としての制度
( in s t it u
‑
方は つ想像上のものはありえないのである︒企業実体という考え方 が︑イギリスとアメリカにおける偉大なる私有銀行業である︒ 場合には︑法は︑いかなる企業実体をも認めていない(‑九一七年の歳入法は個人企業や組合企業を一個の担税力ある企業実体と考えているが︑これはアメリカ法の例外といわねばならな供するのではない︒企業が一個の独立の制度となるためにほ︑
•(4)
それを株式会社形態とする必要は毛頭たい﹂︒多くの重要な企
業が︑個人企業もしくは組合企業として設立されている︒かつ
は顧客や事業上の名望を獲得しつ4︑かつは個性ある様式を発
展させつ4︑かつは事業界に一つの強力な影響力を与え乍ら︑
この種企業は︑殆んどその一系統の所有主や経営者のま4
で ︑
贋々何十年という間存続してぎているのである︒その良き例
これらの若千のものの存立の現実性と継続性に関しては︑何一
﹁同
一の
考え
は︑株式会社形態以外の場合でも︑経済専門家やその他の企業
の利害関係者達によって絶えず使用されている︒
﹃ハ
ウス
﹄︑
﹃コ
ンサ
ーン
﹄︑
﹃カ
ム︒
ハニ
イ﹄
等々
の表
現が
株式会社形態以外の企業に随時適用されるという事実が物語っ
( 5 )
ているように︑事実家の思考の中に固く確立されている﹂︒ のではない︒個別企業は︑いだろう︶︒しかし乍ら︑﹁法律上の観点が︑唯一の準拠を提 属性を賦与するということは︱つの誇張である︒しかし︑こ い︒だから︑企業を一個の人格として論じたり企業に人格的な
九六
603
ろうとも︑制度という制度は凡て︑佃ぢの絶対的な存在でもな
( 6 )
いのである﹂︒会計専門家は︑事業活動がそれによって展開さ
れてゆく直接的な媒介物は人間存在
(h um an b e i n g )
であ
り︑
特定の場合には︑注意を専ら直接に個々の所有主や経営者の行
為に集中することが必要かも知れないということを︑記憶せね
会計公準論の一考察︵酒井︶ う事実は︑誇張されてはならないのである︒いか程現実的であ
九七
という仮定を彼の仕事の1つの基盤として採用している︒この の一般的な使用を絶対にやっていないと主張するかも知れな る ︒
に対する口実が殆んど存在しない場合がある︒栢端な︱つの例
をとるなら︑フット・ポール競技の時の飲み物行商人の商いを何
か独立の存在と考えることは︑明らかに全くの空想に属するも
のであろう︒実体の重要性は︑夫々の環境
( g c u m s t a n c e s )
に
依存しているのである︒⁝企業実体という仮定が極端に拡大さ
れるという︱つの危険がある︒企業実体が独立に存在するとい ︱つの>ベルに存在するものとして考えられねばならないとい
( 8 )
うことが︑いわれてい4のである﹂︒鰍役の借り出し︑幹部の
給与︑組合貝の引出し︑株式会社による未済偵券の購入等々
が︑問題の事例である︒か4る事態に︑吉滅法に企業実体の独
立を主張することは︑必らず不合理な結論へと導くものであ
若千の人達は︑会計実務家は右に主張されたようなこの仮定
し︒しかし乍ら︑会計実務家は意識的に無意識的に︑企業実体 の関係は︑企業と外部の人間や外部の実体との関係とは異った つ
か存
在す
る︒
﹁一般に︑企業とその個々の所有主や経営者と 単純かつ一時的に発生するので︑
一個の企業実体という考え方企業実体という考え方を無視しなくてはならない事態が︑いく
るものではないのである︒﹁事業の領域ですら︑事態が余りにも されるかも知れない︒しかしそれは︑明白に企業制度を構成す﹁制度の現実性を確かめるためには︑時として︑形式上の証拠
( 7 )
や形式上の取引を振い落すことが必要である﹂︒会計専門家が の事態の或るものについて︑1個の独立の実体が掛わり合いにの行為であるかも知れないと︑.考えてきたのである︒従って︑
( s i t u a t i o n )
が︑勘定やその他の統計的諸記録の使用を要求す
る︒家庭︑クラプ︑協会等々といった類いのものである︒これらず︑また他の若干の場合には外見上の個人の行為は事実上制度 として1個の個人的な所有主の行為であると解釈されねばなら
もっとも︑厳密な意味で決して企業ではない多くの事態
ばならぬのである︒法廷は︑長い間︑外見上の事業の行為は時
604
第1一の公準︵継続企業の公準︶においてペイトンのいわんと をもった勘定理論を執拗に叙述しようとしている︒結果は︑近代的な企業構造という諸事実に対して極めて適応性の乏しい一つの体系的な考え方と原理の展開という有様である︒今日は正に︑企業実体の時代である︒会計理論家は︑この事実を完全に認識しなくてはならない︒このことは︑勘定の管理目的のための使用方法が今日問題とされていることに徴して︑特に重要である︒経営者の考え方は︑確実に︑業実体の考え方に違いない︒かくして︑﹁近代会計学が役立ちうる最も重要な目的が事業管理の合理化にあるとしたら︑会計専門家は大いに経営者の観点︵庄e
y i e w
p o i n
o f t
m
an
ag
er
)
を
( 9 )
採り入れなくてはならないのである﹂︒
註
( 1 )︑ ︵
2)
︑ ︵
3)
i bi d . , P . 47 3.
( 6 )︑ ︵
7)
︑ ︵
8)
i bi d . , P . 47 6.
(9
)
i bi d . , P. 4 78 .
( 4 )︑ ︵
5)
i bi d . , P . 47 5.
一個の経済単位としての企 会計学関係の著者達は︑不幸にも小さな個人企業の条件に関連
留意しなければならないのである︒ う
であ
る︒
﹁何びとと雖も︑一個別企業の将来を確実に予測する
( 1 )
立場にはないからである﹂︒1つの決定的な反証のない限り︑
ある
︒
個別企業は少くとも当分継続するであろうというだけのことで
しかし乍ら︑﹁巨大な常固に防墨された企業の場合に
に︑アメリカにおける企業数を考慮する時︑明らかに年々の倒
( 2 )
産率は極めて小さいものである﹂︒かくして︑会計専門家は︑
彼が関与している企業が当分は継続するということを当然のこ
と4して仮定する権利をもつているわけである︒破産の可能性
は考えられもしようが︑それは勘定の中に見越される必要がな
いのである︒非常に財政的に窮迫した企業や破産状態の企業よ
りも︑継続企業の方が︑通常のケースなのである︒従って︑会
計専門家は︑会計原則と会計手続の展開に際して︑このことを は︑この仮定は事実上保証されているに等しいものである︒更 で
ある
︒
いる︒この第1一の仮定は︑いうまでもなく︑大部分一個の便宜 会計専門家は︑企奨実体の継続を当然のこと4して仮定して 数十年間における株式会社の凄じい発展にも拘わらず︑大概のされる︑貸借対照表の暫定性という点である︒彼の説明は︑こ 点では︑会計理論は会計実践よりも遥かに不合理である︒この 会計公準論の一考察︵酒井︶
するところは︑企業経営の安定性とその限界︑そこからうみ出
九八
6os
ある
︒ その第1一は︑負債の貸借対照表価頷に関してゞある︒ その第一は︑固定財産の評価に関してゞある︒
の場合には︑法律上の債務と継続事業の観点から有効な会計上
( 4 )
の偵務とが喰違う可能性があるのである﹂︒例えば︑割引発行
の定期俄遠社偵といったものを考えてみると︑法律上の債務額
と継続企業の観点から有効な会計上の債務額とが実質的に一致
するのは︑通常か4る社偵の満期支払日においてゞあるからで
﹁会計専門家は︑勿論︑財務上の窮迫や破産の可能性を彼の
( 5 )
意識の背後に保持していなくてはならない﹂︒もしも特定の場
会計公準論の一考察︵酒井︶ 違いは︑もっと極端である︒ うことから︑次の二点との関連で特に璽要である︒
九九
照表等式の破壊という点である︒彼の説明は︑次のようである︒
(5 )︑ ︵
6)
ibid•
, P
. 48 0.
(3
)︑
︵
4)
ib id ., P
.
47 9.
註(1)
︑ ︵
2)
ib id .,
P .
4 78 .
を分断し︑多くの判断を賭しているわけである︒
﹁破産各期末に貸伯対照表を公示せんとする時︑多くの現実的な関連
常である︒工場の建物や鉄道の枕木・軌逍の場合には︑この喰
つて
︑
﹁一般に︑系
統的な減価償却をやった後の設備資産や器具資産の原価は︑そ
( 3 )
れらの郎時売却価格よりもかなり高いのである﹂︒郎ち︑工場
の床にポルト附けされた特殊機械の市場価格は︑慣習的な減価
依却をやった後のその機械の原価よりもかなり低くなるのが通いのである︒企業の財務的な歴史は︑ 継続企業の仮定の使用を明白に認識しなくてはならない主たる れねばならない︒﹁会叶専門家や事業家がか4る一個の仮定
1 1
多くの適用性をもつているけれども︑継続企業の評価基準とい 会計実践は︑全面的にこの仮定に依存している︒この仮定は合に︑事態の成り行きが破産を指向しているなら︑財務報告
は︑凡ての利布関係者がか4る実状を知らされるように作成さ
理由は︑ぃ収も幸連な環境の下ですら︑︑これによって与えられて
いる貸借対照表の阿定的な性格が誡に以て顕著なものだからで
( 6 )
ある﹂︒貸偕対照表は︑決して一個の完全な事実の表明ではな
一個の継続的な流れであ
一迎の相互に独立した断片の奇せ街めではないのであ
る︒従つて︑会計専門家は︑この歴史を特定の期間に分割して
第三の公準︵貸借対照表等式の公準︶においてペイトンのい
わんとするところは︑財産計邸と登本計竹咋との分裂︑こ4
から
必然的にもたらされる技術的な勘定体系の支柱としての貸借対
606
余に権利をもつているのでもない︒株主は︑財産に関する限負債の場合には︑会計専門家によって与えられた簿価は︑恐 く逆の事情を示すからである︒ は︑最初に投資したところのものに権利をもつているのでもな信頼しうる証拠であるし︑反対にか4る残余財産権の減少は全 会計公準論の一考察︵酒井︶
る一個の完全な報告であるというには︑遥かに速いものといわ
ねばならぬ︒即ち︑﹁この均衡の固有の効果を誇張することは
容易であるが︑それはまた︑便宜的な仮定の臭いを多分にもっ
( 1 )
ている﹂︒財産権の決定は︑少くともその総額に関する限り︑
明らかに財産総額として確認された金額に直接その基礎をおく
ところの一個の第二次的な過程である︒こ4には︑絶対に完全
な確認の不可能な一個の重大な仮定が含まれている︒﹁何故︑
ある特定の事業状態における法律的なまた経済的な諸権利が︑
多様かつ複雑な評価過程によって導き出された一個の財産価値
の記載総額と確実に等しいと考えられねばならないのであろう
か︒実際問題として︑これら二つの金額は︑即時かつ完全な解
( 2 )
散の場合を除いて︑決して等しくなるものではないのである﹂︒
問題は︑特に株式会社における株主の利害関係
1 1 残余財産権
︵ 已
e
r es i d ua l eq u i ty )
を表示する便宜的な簿価にある︒株主
ければ︑凡ての優先的な財産権が控除された後の財産総額の残 り︑解散の場合に︑凡ての他の請求権が支払いを受けた後に有効ないくばくかの残高に権利をもつている︒しかも︑頭制的なすらなり勝ちなのである︒加うるに︑株主は会社の将来におけする一個の権利をもつているのであり︑そうした権利の実現というのは重役会議の特定の政策に支配される多少とも動揺不定なものなのである︒かくして︑その持分当りの市場価格が殆んど簿価に接近せず︑また往々その傾向にすら従うことがないからといつて︑敢て怪しむに足りないわけである︒ある特定の事態において︑利害関係の緩衝器
( bu f f er )
となっているか4る
増加は企業活動の成果と成長しつ4ある財政力との一個の十分 貫した評価方法がとられているとすれば︑か4る残余財産権の おいてゞはなく︑その金額の傾向においてゞある︒もし首尾 残余財産権が重要な意味をもっというのはその金額の確実さに る凡ての超過所得
( a l l
t h e
e xc e s s f u tu r e e a r ni n
g s)
の分配に対 ものとして︑従来の貸借対照表上の数値とは全く無縁なものと 破産の場合には︑この金額は︑零あるいは殆んどとるに足らぬ 額に等しいと仮定している︒しかし︑この均衡は︑事実に関す 会計専門家は︑凡ゆる企業の財産総額は財産権
( eq u i ty )
総
10 0