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モ グ ラ とス ペ ン サ ー モ ー ル の 山 と川 、 そ して ア レ トゥー サ の 泉

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(1)

モ グ ラ とス ペ ン サ ー

モ ー ル の 山 と川 、 そ して ア レ トゥー サ の 泉

山根 正 弘

は じめ に

人 間 は 自分 の 身 や子 供 を養 うだ け で は な く、 親 に も孝 養 をつ くす 。 人倫 の 道 を 知 る所 以 で あ る。 さ らに、 言 葉 と理 性 を賦 与 され 、神 を敬 い 崇 め る。 しか し、

物 言 わ ぬ動 物 に も天性 の美 徳 が 具 わ ってい て、人 間に劣 らず 興 味 の源 泉 で あ る。

(アイ リアノス 『 動物 の特 性 につ い て』序 文)1)

古 来 よ り自然研 究 には役 割 が 三 つ あ った。 ひ とつ は人 間 の大 い なる好 奇心 を満 足 させ るこ とであ る。神 あ る い はデ ミウル ゴス な ど絶 対 的 創 造 主 が 世 界 を創 造 し、 自 然 界 に は多種 多様 な被 造 物 が ひ しめ き合 うよ うに存 在 す る。偉 大 なる創 造 主 の御 業 を讃 える ため に も、 ぜ ひ と もどの よ うな種 の 生 き物 が 存 在 す るの か 確 か め る必 要 が あ った。 二 番 目は鉱 物 や 動 植 物 が 人 間の 生 の糧 として どの ように利用 で きるの か を 明示 す るこ とであ る。 人 間 が 物 理 的存 在 と して身 を養 い長 らえ るに は、生 命 の活 力 を得 る方 策 が 必要 で あ る。具 体 的 に食 べ て よい もの、 毒 とな るもの を識 別 す る こと は重 要 な こ とで あ った。 病 気 や体 調 を崩 した とき、摂 取 すべ きもの を 間違 える と命 取 りに な る。 最 後 は 周 知 の 命 題 や 学 説 を 検 証 し、 も し誤 りが あ れ ば そ の 誤 謬 を是 正 す る こ とで あ る。 世 の 中 に は数 多 くの迷 信 や俗 信 が 存 在 した し、 今 なお存 在 す る。

科 学 の発 達 に ともな い 自然 の解 明 が 進 む と、 そ の真 実性 が 裏書 きされ た り、 また は

(2)

そ の逆 に、 それ まで不 動 の 真 実 と思 われ て いた こ とを否 定 せ ざ る を得 ない状 況 が 生 まれ る。逆 説 が 真 実 とな り呪 縛 を解 か れ 、 人 間 は精 神 の 自由 を獲 得 す る。動 物 誌 や 植物 誌 それ に博物 誌 は、上 記 三 つ の役 割 が 存 在 理 由で あ る。 さ らに、詩 や 文学 作 品 に は、動 植 物 が 比 喩 として 描 か れ 、似 た もの を見 つ け て喩 える とい う人 間固有 の心 性 、詩 的 想像 力 が発 揮 され る。 そ れ らを見 る と、 古 今 東 西 の世 代 を超 え た人 々 が動 物 や 植 物 を どの ように観 察 し、捉 え、 そ して想 像 したか を示 す全 体 像 が 得 られ る。

本 稿 では、 以上 の点 を踏 まえ、 イギ リス人 に馴 染 み深 い小 動物 モ グラ を取 り上 げ 、 エ リザ ベ ス朝 の代 ・ 表詩 人 エ ドマ ン ド・スペ ンサ ー(EdmundSpensex,C .1552‑1599) が 、 あ ま り日の 目を見 るこ との な いモ グラ を どの ように捉 え何 に喩 えた か を、 大 地 を巡 るモー ル川、モ グラの名 を冠 す る 山、そ して ア レ トゥーサ の泉 の観 点 か ら考 察 し、

それ らの イメー ジが如 何 に時 空 を超 え て、 人 の心 に 再生 し復 活 す るか を見 る。

1モ グラと大 地 をめ ぐる川

実 際 、理 性 あ る者 で 、蜂 や蟻 そ して蜘 蛛 に学 ば ない者 が あ るだ ろ うか。

(トマ ス ・ブ ラ ウ ン 『 医者 の 宗教 』第1部 第15節)2)

ブ リテ ン島 に棲 息 す るモ グ ラは、分 類 で は 哺 乳 類[綱]食 虫 目モ グ ラ科 に属 す ヨ ー ロ ッパ モ グ ラ(Talpaeuropaea)で あ る。 小 さな点 の 如 き眼 を持 ち、光 を感 知 す る視 覚 が あ る。 ただ 、 人 間の 眼 と較 べ る と不 完 全 で、盲 目との俗 信 が 広 く蔓延 して い る。 モ グ ラの特 徴 で 盲 目の次 に よ く知 られ て い るの は、地 下 の坑 道 を通 り別 の箇 所 にひ ょっ こ りと顔 を出す こ とであ る。 モ グ ラが 活 発 に行動 す るの は夜 と明 け方 で、

人 は朝 目覚 め た と き、 出 来 上 が っ た畔 や 塚 を見 て初 め て、 彼 らの 闇 の行 動 を知 る。

モ グ ラが 穴 を掘 るの は、主 に ミミズな ど餌 を狩 る猟 場 、縄 張 りを拡 げ るため で あ る。

特 に春 、 子 を育 て る 母モ グ ラは、騒 雨 で 柔 らか くな った土 を掘 り返 し、 通 常 よ りも 大 き な 塚 を 造 る 習 性 が 知 ら れ て い る。 ス ペ ン サ ー は 『 妖 精 の 女 王 』(TheFaerie Queene,1590,1596,1609)第4巻 で 、 メ ドウェ イ川 とテム ズ川 の合 流(結 婚)を 描

く際 、 そ の祝 典 に集 う支 流 の 名 を列 挙 す るが、 そ の ひ とつ に モ グ ラ(mole)の 名 を

(3)

冠 した 川が あ る。

AndMole,thatlikeanouslingMoledothmake

Hiswaystillvnderground,tillThamisheouertake.(FQIVxi32)3)

(そ し て モ ー ル は 、 穴 を 掘 る モ グ ラ の よ う に/ず っ と 地 中 に 伏 し て 流 れ テ ム ズ に 追 い つ く 。)

モ ー ル 川 は イ ギ リ ス 南 部 、 主 に サ レ ー 州 を 流 れ る 特 殊 な 川 で あ る 。 そ の 所 以 は 、 一 見 し た と こ ろ 川 の 流 れ が 忽 然 と 姿 を 消 し 、 遠 く 離 れ た と こ ろ で 再 び 現 れ る か ら で あ る4)。 川 の 水 が な くな る ボ ッ ク ス ・ヒ ル(BoxHill)の 麓 と ミケ ラ ム(Mickleham)界 隈 に 且 を 凝 ら す と 、 土 手 や 川 底 に 穴 が あ い て い て 、 大 半 の 水 が こ れ ら の 穴 に 吸 収 さ れ 地 下 の 溝 を 流 れ て い る の が 判 る 。 さ ら に 追 跡 す る と 、 約3マ イ ル 下 流 の レ ザ ー ヘ ッ ド(Leatherhead)で 再 浮 上 す る の が 確 認 で き る 。 通 常 こ の 不 可 思 議 な 自 然 現 象 は 夏 に よ く見 られ る と い う。 地 上 に 姿 を 現 し た 後 、 モ ー ル 川 は 北 を 目 指 し 、 エ ン バ ー 川(theEmber)と 吸 収 合 併 し 、 引 用 で 描 か れ て い る よ う に テ ム ズ 川 に 合 流 す る 。 な お 、 引 用 中 、"nousling"と は"burrowing"と 同 義 で 、 ウ サ ギ や キ ツ ネ の 他 モ グ ラ が 地 面 に 穴 を 掘 る 所 作 を 指 し て い る 。

ま た 、 伏 流 水 と な り 大 地 を め ぐ る こ の 川 は 、 ス ペ ン サ ー よ り約 半 世 紀 後 に 生 ま れ た ジ ョ ン ・ミ ル ト ン(JohnMilton,1608‑1674)の 「大 学 に お け る 休 暇 演 習 に 際 し て 」

("AtaVacationExerciseintheCollege,"1627)に も見 ら れ る 。 「あ る い は 、 地 下 を 流 れ る 暗 澹 た る モ ー ル 川 で あ ろ う と」("OrsullenMolethatrunnethunderground..."

[1.95])5)

さ ら に 、 ス ペ ン サ ー や ミ ル ト ン の 簡 略 な 伝 記 を 含 む 『名 ⊥ 小 伝 』(BriefLives)で 知 ら れ る 伝 記 作 家 ジ ョ ン ・オ ー ブ リ ー(JohnAubrey,1626‑1697)が 記 し た ウ ィ ル

トシ ャ ー の 博 物 誌 で は 、 大 地 を め ぐ る モ ー ル 川 が よ く知 ら れ た 事 実 で あ る こ と を 前 提 に 、 地 下 に も ぐ る 川 が 列 挙 さ れ る 。

Mr.Cambdensaieth,InthisshireisasmallrillcalledDeverill,which

(4)

runnethamileunderground,likeasalsodoththelittleMoleinSurrey,and

theriverAnasinSpain,andtheNigerinAfric.(Aubrey'sNaturalHistoryof 慨 励'rの6)

(カ ム デ ン 氏 が 言 う に は 、 こ の 州 に は 、 デ ィ ヴ ァ リ ル と い う 名 の 小 川 が あ る 。 サ レ ー 州 の 小 川 モ.̲̲̲ル 、 ス ペ イ ン の ア ナ ス[グ ア デ ィ ア ナ?]川 、 ア フ リ カ の ニ ジ ェ ー ル 川 と 同 じ で 、 大 地 の 下 を1マ イ ル 流 れ る 。)

引 用 の カ ム デ ン 氏 と は 、 地 誌 及 び 古 物 研 究 家 の ウ ィ リ ア ム ・カ ム デ ン(William Camden,1551‑1623)で あ る 。 彼 は 『ブ リ タ ニ ア 』(Britannia,1586)で 、 ス ペ イ ン

の カ ス テ ィ リ ア 地 方 を 流 れ る グ ア デ ィ ア ナ 川 を 例 え に 出 し 、 サ レ ー 州 の モ ー ル 川 が 大 地 を め ぐ る 謎 を 説 明 し 、 特 異 な 川 の 存 在 を 国 内 外 に 示 し た7)。

日 記 作 家 ジ ョ ン ・イ ー ヴ リ ン(JohnEvelyn,1620‑1706)は 、 有 名 な 川 を 人 づ て に 聞 い た の で あ ろ う 、 ジ ュ ネ ー ヴ の レ マ ン 湖 を 訪 れ た 際 、 ロ ー ヌ 川 の 特 殊 な 情 景 を モ ー ル 川 に な ぞ ら え る 。 つ ま り、 ロ ー ヌ 川 は あ る 地 域 で 、 両 岸 の 岸 壁 が せ り出 し 架 橋 す る ば か りに な っ て い て 、特 に 冬 場 は 水 量 が 少 な く、川 の 流 れ が 見 え な く な る と い う 。

TheRiverRhone,whichpartstheCityinthemidest,dipsintoaCavern underground,about6milesfromit,&afterwardsrisesagaine,&runsits openCourse,likeourMoleorSwallowbybarking[Dorking]inSurrey.

(May‑June,1646)8)

(都 市 を 真 ん 中 で 隔 て る ロ ー ヌ 川 は 、そ こ か ら6マ イ ル ほ ど 地 下 の 洞 窟 に も ぐ り 、 そ の あ と 再 度 浮 上 し 、 流 れ は 目 に 見 え る 形 に な る 。 そ の 様 は 、 本 国 サ レ ー 州 ド ー キ ン グ あ た り の モ ー ル 川 、 そ の 吸 水 口 に 似 て い る 。)

ロー ヌ川 はせ り出 した岸 壁 の た め 川 の流 れ が 途 絶 えた よ うに見 え る。 そ れ に対 し、

モ ー ル 川 は 吸 水 口 と呼 ば れ る 穴 か ら水 流 が 川 底 に 吸 収 さ れ 暗 渠 と化 す る。 両 者 は 表

面 上 は似 て い るが 構 造 は違 う。 この時 点 で は、 イー ヴ リ ンは伝 聞情 報 を基 に二 つ の

川 を結 び付 けた と考 え られ る。

(5)

約20年 後 、 イー ヴ リンはサ レー州 を訪 れ た際 、モ ー ル川 の不 思 議 を見学 し、川 が 忽 然 と姿 を消 す訳 を記す 。

[1]wenttoviewtheSwallowfamousforthedivingoftheriverofbarking [Dorking]there,&passingundergroundatthefooteofahugewhiteCliffe, orprecipicelookingWest‑ward,theChannelwherethewatersinkdin,being fullofholes;ItnotrisingtilsomemilesdistanceaboutLether‑head.(25Nov.

1665)

(ド ー キ ン グ で 川 が も ぐ る こ と で 有 名 な 吸 水 口 を 見 に 行 っ た 。 そ の 川 は 、 白 い 大 き な 断 崖 、 つ ま り 西 に 面 す る 絶 壁 の 麓 、 穴 が た く さ ん あ る た め 川 の 水 が 沈 む 通 路 の と こ ろ で 地 下 を 流 れ る 。 数 マ イ ル 先 、 レ ザ ー ヘ ッ ド ま で 浮 上 し な い 。)

以 上 の よ うに、 オ ー ブ リーの博 物 誌 や イー ヴ リンの 日記 で は、 た だ情 景 描 写 か 物 見 遊 山のつ い で に川の 謎 につ い て触 れ た だ けで あ る。 スペ ンサ ーで も直 喩 であ るが、

モ ー ル とい う語 に引 きず られ たせ い か、 あ るい は川 の 名 の 由来 を説 明 す るた め か 、 モ グラが地 下 をめ ぐる習性 が川 に転 用 され て い る。

と ころ で、 博 物 学 に精 通 し俗 信 の 論 破 に務 め た トマ ス ・ブ ラ ウ ン(sirThomas Browne,1605‑1682)は 、一 旦 地 下 に も ぐっ た考 え方 や思 想 が 再 び別 の場 所 に 姿 を 現 す 様 を、 遠 くギ リ シャの 川 に求 め る。 ブ ラウ ンに よる と、 『医者 の宗 教 』(Religio Medici,1642)を 著 した 時 点 で は、著 者 は異 端 的 な思想 、 分 派 的 な信 条 、 宗教 上 の 過 誤 は一切 持 ち合 わせ てい ないが 、 若 い頃 そ れ らに染 まった ことが あ ると白状 す る。

だが そ の ような異 端 の 考 え は、 当代 の もの で はな く昔 か ら存 在 し、 絶 滅 せ ず 時 空 を 超 えて、若 き日の ブ ラウ ンの ような迷 妄 な人 物 の頭 に甦 る とい う。

forindeedHeresiesperishnotwiththeirAuthors,butliketheRiver

Arethusa,thoughtheylosetheircurrentsinoneplace,theyriseupagainein

another.(1,6)9)

(と い の も 、 実 際 、 異 端 は 創 始 者 の 死 を も っ て 消 滅 す る こ と な く 、 ア レ ト ゥ ー サ

(6)

川 の ように、 ここで流 れ が 途 絶 えて も、か しこで復 活 す る。)

ア レ トゥー サ とい うの は、後 に詳 しく述 べ るが 、精 確 には川 で は な く泉 で あ る。ただ 、 当該 の イメー ジ と して は、 異 端 とい う名 のモ グ ラが、 あ た か も地 下 に も ぐって幾 貴 紀 も休 眠 し、巣 穴 か らひ ょっこ りと顔 を覗 かせ る ような もの だ。

皿 モ グ ラの 名 を冠 す る山モ ール

外 に出 て、被 造 物 か ら教 訓 を得 るが よい… …

モ グ ラに耕 す 術 を、蜘 蛛 に機 織 る術 を学 べ 。 (ポ ー プ 『 人 間論 』書 簡 三)ゆ

ス ペ ン サ ー の 詩 人 と し て の 経 歴 は 、 イ ギ リ ス に お け る 牧 歌 の 先 駆 『 羊 飼 の 暦 』(The ShepheardsCalender,1579)に 始 ま る 。 こ の 作 品 は 、1579年 に 匿 名 で 出 版 さ れ た が 、 扱 う 題 材 の 多 様 さ や 形 式 の 独 創 性 か ら、 ス ペ ン サ ー の 作 品 と し て 人 の 知 る と こ ろ と

な っ た 。 だ が 、 世 間 で 取 り沙 汰 さ れ る エ リ ザ ベ ス 女 王 と 仏 王 ア ン リ 三 世 の 弟 ア ン ジ ュ ー 公 と の 結 婚 問 題 に 絡 む 微 妙 な 政 治 的 発 言 や 宗 教 的 な 風 刺 が あ り、 当 局 か ら疎 ま れ 官 職 を 望 む ス ペ ン サ ー に は 、 出 世 を 阻 む 問 題 作 と な っ た 。 翌1580年8月 、 ス ペ ン サ ー は ア イ ル ラ ン ド総 督 グ レ イ 卿(LordArthurGrey)の 私 設 秘 書 と し て ダ ブ リ ン に 赴 き、 以 後 政 府 の 出 先 役 入 と し て 動 乱 の 地 ア イ ル ラ ン ド に 暮 ら す こ と に な る 。1589 年 、 最 後 の 任 地 と な っ た 南 部 コ ー ク(Cork)県 キ ル コ ー ル マ ン(Kilcolman)で は 、

よ う や く ア ン ダ ー テ イ カ ー(入 植 請 負 人)と し て か つ て の 反 乱 軍 の 雄 デ ズ モ ン ド伯 の 居 城 及 び 所 領 を 取 得 す る 。 そ こ で 暮 ら す 中 で 周 囲 の 自 然 、 山 や 川 を 詩 の 中 で 称 え た 。

城 の 北 に 望 む 低 い 山 々 、 そ の 西 側 部 分 の バ リ フ ー ラ 山(BullyhouraHills)、 そ し て 東 側 部 分 の ゴ ー ル テ ィ 山(GaltyHills)を 総 称 し て モ ー ル(Mole)山 と 呼 ん だ 。 こ の モ ー ル と は 、 一 説 に は ラ テ ン語 の 「大 き な 塊 」("」noles")に 由 来 す る と い う。 も

いに し え

う一説 には、 地 誌 や郷 土 史 に登 場 す る古 の地 元 の 神 々や 英雄 、 スモ ル(Smol)及 び

そ の名 を冠 す る山 で あ る ともい う11)。古 の 昔 か ら鎮 座 し、 数 々 の民 話 ・伝 承 に詠 ま

(7)

れ る ゆ え に 、 ス ペ ン サ ー は 「老 爺 」("oldfather")と 枕 言 葉 を 付 す 。 さ ら に ス ペ ン サ ー の 所 領 に は 、 こ の モ ー ル 山 に 源 泉 を 発 す る ブ レ ゴ ッグ(Bregog)川 が 流 れ 、 そ し て 南 西 の 境 界 に は 同 じ く モ ー ル 山 に 源 泉 を 持 つ オ ー ベ ッ グ(Awbeg)川 が 流 れ て い る 。 特 に 後 者 を 「私 の マ ル ラ 」("Mullamine,"[FQIVxi41])と 緯 名 を 付 け 、 擬 人 化 し て 悲 恋 話 を 創 作 し て い る 。

サ ー ・ウ ォ ー ル タ ー ・ロ ー リ ー(SirWalterRaleigh,1554‑1618)が エ リ ザ ベ ス 女 王 の 御 勘 気 を 被 り、 一 時 ア イ ル ラ ン ド入 植 計 画 の 司 令 官 と し て 反 乱 の 激 し い マ ン ス

タ ー 地 方 に 左 遷 さ れ る 。 そ の 折 、 近 隣 キ ル コ ー ル マ ン の ス ペ ン サ ー を 訪 れ た 。 庇 護 者 ロ ー リー の 勧 め で ス ペ ン サ ー は ロ ン ド ン に 戻 り、 女 王 の 御 前 で 『 妖 精 の 女 王 』 を 読 み 上 げ 、 約2年 間 滞 在 し た 後 、 ア イ ル ラ ン ドに 帰 る 。 こ の 旅 を 契 機 と し て 、 『コ リ ン

・ク ラ ウ ト故 郷 に 帰 る 』(ColinCloutsComeHomeAgaine

,1595)が 出 来 上 が っ た 。 ス ペ ン サ ー の 分 身 と も い え る 羊 飼 コ リ ン が 地 元 ア イ ル ラ ン ドの 田 舎 人 に 土 産 話 を す る 設 定 で 話 が 進 め られ て い く。 ま ず 最 初 に 、 上 京 す る き っ か け と な っ た 二 人 の 出 会 い が 語 ら れ る 。

Oneday(quothhe}Isat,(aswasmytrade}

UnderthefooteofルTolethatmoutainehore,

Keepingmysheepeamongstthecoolyshade,

4fthegreenealdersbytheIVIullaesshore...(ColinClouts,56‑59)

(あ る 日 、 と 彼 は 言 う 、 い つ も の よ う に 、/あ の 灰 色 の モ ー ル 山 の 麓 に 腰 を 下 ろ

ハ ン

した。/マ ル ラ川 の岸 辺 で 、青 々 とした榛 の 木 の/涼 しい 木 陰 で羊 の番 を して いた。)

そ こ に 偶 然 、 ウ ォ ー ル ター ・ロ ー リー こ と 「大 洋 の 羊 ・ 飼 」(shepheardoftheOcean)

と 名 の る 人 物 が 現 れ る 。 牧 歌 の 伝 統 に 倣 い 、 二 人 は 麦 笛 吹 い て 歌 を 競 い 合 う 。 コ リ ン が 歌 う 主 題 は 、 ブ レ ゴ ッ グ の マ ル ラ に 対 す る 邪 恋 で あ る 。

41dfatherMole,(ルTolebightthatmountaingray

(8)

ThatwallstheNorthsideofArmulladale)

HehadadaughterfreshasfloureofMay,

Whichgavethatnameuntothatpleasantvale;

MullathedaughterofoldMole,sohight

TheNimph,whichofthatwatercoursehascharge,

ThatspringingoutofルTole...(ColinClouts,104‑10)

(モ ー ル 老 爺 山 、[ア ー マ ル ラ 谷 の 北 側 を 囲 む/あ の 灰 色 の 山 の 名]/彼 に は

サ ン ザ シ

山査 子 の如 く清 らか な娘 が0人 い た。/楽 しげ な谷 の名 の由来 で もあ る。/モ ー ル老 爺 山の娘 は マル ラと呼 ば れ、/水 の精 で川 の 流 れ を護 る役 目あ り、/モ ー ル 山に源 を発 す 。)

マ ル ラ が 適 齢 期 を 迎 え 、 老 父 モ ー ル は 大 川 ア ル ロ(Allo)と の 挙 式 の 日 取 り を 決 め る 。だ が 、マ ル ラ に は す で に 恋 仲 の 兄 弟 ブ レ ゴ ッ グ が い た 。老 父 の 監 視 の 目 を 盗 み 、 ブ レ ゴ ッ グ は 支 流 を 地 面 に も ぐ らせ て 愛 し の マ ル ラ と密 会 を 重 ね る 。 地 元 の 民 話 の モ チ ー フ 「逃 げ る 恋 人 た ち と父 親 」 を 背 景 に 、 ウ ォ ル タ ー ・ロ ー リ ー の 醜 聞 が 巧 妙 に 暗 示 さ れ る12)。X591年 、 ロ ー リ ー は 女 王 の 侍 女 エ リ ザ ベ ス ・ス ロ ッ ク モ ー ト ン (ElizabethThrockmorton)と 秘 密 結 婚 す る 。 翌92年6月 、 露 見 し 女 王 の 寵 愛 を 失 い 投 獄 さ れ る 。 ロ ン ド ン塔 に 幽 閉 中 「シ ン シ ア へ の 大 洋 の 最 後 の 書 」(Thelltheand thelastbookeoftheOceantoScinthia,1592,1595)を 執 筆 す る も 、 現 在 は 散 逸 。

¶ ロ ー リー の 「悲 し い 歌 」("lamentablelay"[ColinClouts

,164])が 存 在 し た と す れ ば 、 「大 洋 の 羊 飼 」 が キ ー ・ワ ー ド と な っ た は ず 。

Thewilyloverdiddeuisethisslight:

Firstintomanypartshisstreameheshard, Thatwhilesttheonewaswatcht,theothermight Passeunespidetomeeteherbytheway;

Andthenbesides,thoselittlestreamessobroken

Heundergroundsocloselydidconvay,

(9)

Thatoftheirpassagedothappearenotoken,

Tilltheyintotheル 勉 〃αε∫waterslide.(ColinClouts,137‑44)

(狡 猜 な 恋 人 は 次 の 術 策 を 編 み 出 し た:/初 め に 川 を 小 分 け し て/ひ と つ が 監 視 さ れ て い る 間 に 、 も う 一 つ が/見 ら れ ず 迂 回 し て 恋 人 に 逢 う 。/そ れ か ら、

さ ら に 分 割 し た 細 流 を/如 何 な る 証 も 見 え な い く ら い に 、 そ っ と 地 面 を く ぐ ら せ て/マ ル ラ の 川 に 滑 り込 む 。)

このあ と、密 告 者 に よ り秘 め事 が 露 見 し、 ブ レゴ ッグは哀 れ 巨 石 で 堰 き止 め られ 渇水 す る。 ちなみ に、 「私 の 川」("myriver,"[ColinClouts,1.92])こ とス ペ ンサ ー の ブ レゴ ッグの名 は、3キ ロに亘 り地 下 に もぐっ てオー ベ ック(ス ペ ンサ ーのマ ル ラ) 川 に合 流 す る手前 で地 上 に浮上 す る ことか ら、 ア イル ラ ン ド語 で 「 騙 す 、 嘘 をつ く」

に由来 す る。

以 上 の こ とか ら、 スペ ンサ ー で は地 元 の 山や 川 な ど 自然 の 要素 が ケ ル ト民 話 の モ チ ー フや ロー リー の 秘 密 結 婚 と結 び付 い て 、 ブ レ ゴ ッグ とマ ル ラの悲 恋 話 が 出来 て い る と考 え られ る。 そ して 兄 妹 の悲 恋 話 の 底 流 にモ グ ラの イメー ジが 働 い て い る。

スペ ンサ ー は 『 妖 精 の 女 王』で、 サ レー州 の特 異 な川 モ ー ル を挙 げ て い る。 スペ ン サ ー が悲 恋話 の背 景 にモ グ ラの名 を冠 す るモー ル 山 を設 定 した時 点 で、 言葉 の連 想 か ら小 動 物 のモ グ ラが 自然 に心 に浮 か ぶ 。 表 面 に は現 れ ないモ ー ル とい う言葉 の心 理 的 要素 を考 えて み る必要 が あ る。

キ ル コー ルマ ンで の 己が 所 領 を流 れ る川 に想 を得 た悲 恋話 が とて も気 に入 ってい たせ いか 、 スペ ンサ ー は 『 妖 精 の女 王』第7巻 「 無 常 篇 」("MutabilitieCantos")で 、

「アー ローIJ」 上 の裁 き」の場 面 を設 定 す る際 、 モー ル 山 に付 随 して マ ル ラの話 を今 一一 度 回想 す る。

Eftsoonesthetimeandplaceappointedwere,

■ ■ ■ ■ ●

Thatwas,toweet,uponthehighesthights

OfArlo‑hill(WhoknowernotArlo‑hill?)

(10)

Thatisthehighesthead(inallmenssights) OfmyoldfatherMole,whomShepheardsquill

Renowmed[SIC.]hathwithhymnesfitforarurallskill.(FQVIIvi36)

(す ぐ に 時 間 と 場 所 が 定 め ら れ た 。[中 略]場 所 は 、 つ ま り、 ア ー ロ ー 山 の 頂 上/

[ア ー ロ ー 山 を 知 ら ぬ 者 が あ ろ う か 。]/あ の 山 は 、[だ れ の 目 か ら 見 て も]/モ ー ル 老 爺 山 の 中 で 最 高 峰 で あ る 。/羊 飼 の 鷲 ペ ン が 鄙 び た 筆 で 有 名 に し た 。)

裁 きの場 面 の 荒 筋 は こうで あ る。 巨人 族 の 血Lを引 く女 巨人(無 常)が 天 の 主権 を 求 め て謀 反 を起 こす 。地 上 を制 圧 した後 、月 の天 球 層 に昇 り混 乱 を招 いた ところで 、 主 神 ジ ョー ヴ(ゼ ウス)は 神 々 を召 集 す る。 そ の場 に乗 り込 ん だ女 巨 人 は、 纂 奪 者 ジ ョ.一ヴの 調 停 を無 視 し、 自然 の神 に裁 定 を求 め る とい うもの で あ る。 そ の 裁 きが 下 され る場 が アー ロー 山で あ る。 アー ロー 山の 名が 登 場 した ところ で、以 前 は風 光 明媚 な 山麓 が 如何 に して 処 女 神 ダ イアナ及 び そ のニ ンフた ちに 見捨 て られ るよ うに な ったか 、挿 話 が入 る。つ ま り、横 道 にそれ ア クタイオ ン(Actaeon)の 悲 話 をモ チ ー フに 、 森 の神 フ ォー ナ ス(Faunus)の 滑 稽 話 が 語 られ る13)。ア ク タイ オ ン とは、

古代 ロー マ の詩 人 オ ウ ィデ ィウス(Ovid)の 『 変 身物 語』(Metamorphoses)第3巻

で語 られ る、 沐浴 す る処 女 神 ダイ アナ の裸 身 を偶 然 目撃 し、 そ の罰 として雄 鹿 に姿

を変 え られ 自分 の猟 犬 に追 わ れ噛 み 殺 され る、 あ の悲 話 の主 人 公 で あ る14)。ところ

が、 スペ ンサ ー の筆 に かか る と、 フ ォー ナ ス の挿 話 は まるで 間狂 言 の如 き様 相 を星

し、 厳 粛 な裁 判 を控 え た息 抜 きの エ ピソー ドとな って い る。 フ ォー ナス は ダイア ナ

の侍 女 の一 人 モ ラ ンナ(Molanna:MoleとBehannaの 合 成 語)15)を 読 か し、 ダイァ

ナ の裸 体 を人知 れ ず 覗 き込 む 特 等席 を得 る。 黙 して満足 して いれ ば よか った が、 笑

い声 を抑 制 で きず 悪 事 が 露 見 す る。 衆 目の前 に引 きず り出 され る と、 こっそ りと愉

しんで いた 女神 の 裸 身 をま ともに見 る こ とが で きない。 罰 として鹿 の 皮 を被 り、 ダ

イ アナ の猟 犬 に追 われ る羽 目に な る。 だ が 、 ア ク タイオ ンと違 うの は、 自分 の飼 い

犬 で は な い こ と、 しか も逃 げ お お せ た ら無 事 釈 放 と な る 点 で あ る 。 森 の 神 は 足 が 速

く、 己 が猟 地 を知 り尽 くして い て 逃 げ切 る とい う筋 書 きで あ る。 この フ ォー ナ ス の

滑 稽 諏 は、 アー ロー 山上 の 裁 きの場 面 か ら脱 線 して もう一 つ の挿 話 と して語 られ る。

(11)

オ ウ ィデ ィウ スが 得 意 とす る物 語 の中 で さ らに物 語 を語 る手 法 、物 語 の 二 重構 造 を 用 い た もの とい え る。

さて、 フ ォー ナ スの 共 謀 者 モ ラ ンナ は、 石 を抱 き川 に沈 め られ る。 す ん で の事 に 難 を逃 れ た フォー ナ ス に助 け られ 、 悪事 の 片棒 を担 ぐの と引 き替 え に得 た片 思 い の 恋 人 フ ァ ンチ ン(Fanchin)と 、 め で た く結 婚 す る。 この挿 話 も、 マ ル ラの悲 恋 話 と 同様 、 地形 と郷 土 史や 伝 承 が ヒン トに なっ てい る。 ゴー ル テ ィ山に源 泉 を発 す るベ ハ ンナ(Behanagh)川 こ とスペ ンサ ー の モ ラ ンナ とフ ァ ンシ ョン(Funshoen)川 こ

とスペ ンサ ー の ファ ンチ ンが 合 流 す る様 を、 結 婚 に喩 えた話 で あ る。

Amongstthewhich,therewasaNymphthatbight Molanna;daughterofoldfatherMole, AndsisteruntoMulla,fairandbright:

VntowhosebedfalseBregogwhylomestole, ThatShepheardColindearelydidcondole,

Andmadeherlucklessloueswellknownetobe.(FgVIIvi40)

(そ の 中 に は 、 モ ー ル 老 爺 山 の 娘/モ ラ ン ナ と 呼 ば れ る ニ ン フ が い た 。/美 し く 輝 く ば か り の マ ル ラ の 姉 妹 だ 。 マ ル ラ の 寝 床 に 邪 な ブ レ ゴ ッ グ が も ぐ り 込 ん だ /経 緯 は あ の 羊 飼 コ リ ン が 愛 を 込 め て 涙 な が ら に 嘆 い て 、/マ ル ラ の 悲 恋 話 が 人 に 知 れ る こ と に な っ た 。)

だ が、 姉 妹 マ ル ラ とモ ラ ンナの話 は同 じ川 の合 流 を扱 い なが ら、 しか も源 泉 は 同 じ モ ー ル 山で あ るが 、 前 者 は悪事 が露 見 し罰 せ られ る悲 話 、 後 者 は フォー ナ ス のお 先 棒 を担 ぎ川 に沈 め られ るが 、ハ ッピー ・エ ン ドで終 わ る結 婚諌 とな ってい る。

フ ォー ナ スの滑 稽 諜 の後 、 アー ロー 山で 自然 の神 に よ り裁 きが 下 され るにあ た り、

年老 いた モー ル は灰 色 の 山肌 を樫 の 木 に葉 を茂 らせ て 粧 い、恋 の 炎 で 身 を焦が す 。

AndMolehimselfe,tohonourherthemore,

Diddeckhimselfinfreshestfaireattire,

(12)

■ ■ ■ ■ ●

AsiftheloueofsomenewNymphlateBeene, Hadinhimkindledyouthfullfreshdesire, Andmadehimchangehisgrayattiretogreener

AhgentleMole!suchioyancehaththeewellbeseene.(FgVIIviil1)

(そ し て モ ー ル は 、 自 然 の 神 に さ ら に 敬 意 を 表 す べ く/お ろ し た て の 華 や か な 衣 を 身 に 纏 い[中 略]あ た か も 見 初 め た ば か り の ニ ン フ へ の 愛 の た め に/灰 色 か ら 緑 へ と 衣 替 え を し た よ う だ 。/老 成 し た モ ー ル よ 、 汝 に そ の よ う な 青 春 の 喜 び が お 似 合 い だ 。)

1594年6月ll日 、 夏 至 の 日、 ス ペ ン サ ー は42歳 で 再 婚 す る 。 ソ ネ ッ ト集 『ア モ レ ッ テ ィ』(Amoretti,1595)で 愛 を 綴 っ た エ リザ ベ ス ・ボ イ ル(ElizabethBoyle)が 花 嫁 で あ る 。 若 き 日 の 情 熱 の 炎 を 思 い 出 し 、 自 嘲 を 込 め て モ ー ル 老 爺 山 の 色 気 を 描 い た の で あ ろ うか 。

皿 欲 望 とい う名の モ グ ラとア レ トゥーサ の泉

河 神 ア ル ペ イ オ ス 、 巧 妙 な 術 策 で 、/海 底 を 秘 か に 流 れ ア レ ト ゥー サ に 逢 う。

(ミ ル ト ン 「ア ル カ デ ィ ア の 人 々 」)

オ ウ ィデ ィウス の 『 変 身物 語』第5巻 に よる と、 ダ イア ナ(ア ル テ ミス)の 侍 女 で ニ ンフの ア レ トゥー サ(Arethusa)は 狩猟 の疲 れ を癒 し照 りつ け る 日射 しを避 け るた め 川 で 沐 浴 す る。 河 神 アル ペ イオ ス(Alpheus)は 彼 女 の姿 態 に魅 せ られ 、思 わ ず 声 をか ける。一 糸纏 わず逃 げ るア レ トゥー サ。 ど こまで も追 いか け る アルペ イオス。

ア レ トゥー サ は捕 まる寸 前 、処 女 神 の御 加 護iを祈 る。 す る と突 然 、 大地 が 裂 け、 海 を隔 て た 小 島 に た ど り着 き泉 へ と変 身 す る。 そ こ は ダ イ ア ナ 縁 の 地 で 、 難 を 逃 れ た か に思 わ れ た。 だが 、 アル ペ イ オスは諦 めず 、姿 を もとの水 に戻 して 海底 を もぐ り、

泉 と化 した ア レ トゥー サ と交 わ っ た とい う。 この 話 が創 り出 され る背 景 に は、 ヒ ン ト

(13)

を与 える地 形が あ った。 古 代 ギ リシ ャの伝 承 で は、ペ ロポ ネ ソス半 島 を流 れ る アル ペ イオ ス 川 は、 ア ル カデ ィア に源 泉 を発 しエ リス地 方 を貫 流 して イ オニ ア湾 へ と注 ぐが 、 一 部 川 の水 は海 水 と混 ざ らず 海底 を も ぐ り、遙 か シシ リー 島 の シラ クサ 湾 内 にあ る小 島 オ ルテ ユギ ア まで達 す る と、 信 じられ て い た。

ウェル ギ リウス(Virgil)が ロー一 マ 建 国 を謳 っ た 『 アエ ネ イス』(Aeneid)で 、 二 人 の変 身 物 語 が要 約 され て い る。

古 人 は 名 付 け て オ ル テ ユ ギ ア 。 噂 に よ れ ば ギ リ シ ャ な る エ リ ス の 川 の ア ル ペ イ オ ス 、 そ の 川 水 は 海 底 の 、

そ の 下 通 る 潜 道 に 、 よ っ て 、 お お 、 わ が ア レ ト ゥー サ 、 汝 の 泉 に 涌 き 出 で て 、 今 シ チ リ ア の 波 に 会 う。(第3巻)16)

ダ ン テ(Dante)も 『 神 曲 』(TheDivineComedy)の 「地 獄 篇 」("Inferno"or"Hell") で 、 ア レ ト ゥ ー サ の 泉 へ の 変 身 を 例 示 す る 。 「カ ドモ と ア レ ト ゥー サ に 関 し て 、 オ ヴ

ィ デ イ オ も 語 る の を や め よ 。 よ し や か れ 、 詩 才 を 揮 ひ 、 前 者 を 蛇 に 、 後 者 を 泉 に 変 え ら れ て も 、 私 は 一 向 に か れ を 羨 ま ぬ 。」(第25歌)17)

モ ー ル 川 を 詩 に 引 用 し た ミ ル ト ン は 同 じ 学 寮 出 身 で 溺 死 し た ヘ ン リ ー ・キ ン グ を 悼 む 「リ シ ダ ス 」("Lycidas,"1637)で 、 「お お 、 ア レ トゥー サ の 泉 よ 、」("OFountain Arethuse,"[1.85])と 呼 び か け 、 「戻 れ 、 ア ル ペ イ オ ス 、 汝 の 川 の 流 れ を す く ま せ

る/恐 ろ し い 声 は 過 ぎ 去 っ た 」("ReturnAlpheus,thedreadvoiceispast,IThat shrunkthystreams..."[11.132‑33])と 河 神 に 命 じ て い る 。

オ ウ ィ デ ィ ウ ス で は 、 ヒ ロ イ ン ・ア レ ト ゥ ー サ が 手 込 め に さ れ た 後 の 末 路 は 語 ら れ る こ と は な か っ た 。 読 者 の 想 像 力 に 委 ね ら れ る 。 ウ ェ ル ギ リ ウ ス の 『牧 歌 』

(Eclogues)で は 、 そ の 後 も 情 を 交 わ し 続 け る ア レ ト ゥ ー サ が 示 唆 さ れ る 。 ウ ェ ル ギ リ ウ ス は 最 終 歌 の 冒 頭 で 友 人 ガ ル ス の 恋 の 苦 し み を 歌 う。

こ の 最 後 の 仕 事 を 、 ア レ ト ゥー サ よ 、 私 に 許 し て 下 さ い 。

(中 略)・ ・ …

(14)

さあ、あ な たが シキ リアの 波 浪 の下 を流 れ て い る ときに、

苦 い海 が そ の波 を、あ な たに混 ぜ 合 わ ない よ うに… …(第10歌)18)

ウ ェ ル ギ リ ウ ス は ア レ ト ゥ ー サ に ア ル ペ イ オ ス と の 恋 仲 を 邪 魔 さ れ な い で 欲 し い と 思 う な ら 、 自 分 の 恋 歌 の 完 成 を 黙 認 し て く れ と 祈 る 。 そ れ は 、 ア レ ト ゥ ー サ と ア ル ペ イ オ ス の 二 人 が 相 愛 の 仲 で ペ ロ ポ ネ ソ ス と シ チ リ ア を 行 き 来 し て い る こ と を 前 提 に し て い る 。 そ の 前 提 が な け れ ば 、 ウ ェ ル ギ リ ウ ス の 交 換 条 件 は 無 意 味 で あ ろ う 。

ロ マ ン 派 の 詩 人 シ ェ リ ー(PB.Shelley,1792‑1822)も 、 オ ウ ィ デ ィ ウ ス の ア レ ト ゥ ー サ 変 身 諏 を 自 由 に 翻 案 し た 。 河 神 ア ル ペ イ オ ス は 氷 河 の 神 に 設 定 さ れ 、 女 神 ダ イ ア ナ の 役 目 も 割 愛 さ れ て い る 。 一番 の 違 い は 結 末 に あ る 。 つ ま り、 オ ウ ィ デ ィ ウ ス で は ア レ ト ゥ ー サ が 無 理 や り手 込 め に さ れ 物 語 が 終 わ る の に 対 し 、 シ ェ リ ー で は 二 人 が 仲 睦 ま じ く暮 らす プ ラ トニ ッ ク な 恋 愛 関 係 の 中 、 結 末 を 迎 え る 。 「か つ て 別 れ た 友 が 心 を/一 つ に な す よ う に/二 人 は 水 を 司 る 役 目 を 果 た す 。」("Likefriends onceparted/Grownsinge‑hearted,Theyplytheirwaterytasks."["Arethusa,"il.

76‑78])19)こ の シ ェ リ ー の 詩 は 、 妻 メ ア リ ー に よ る と、 正820年 頃 イ タ リ ア の ピ サ で 創 作 さ れ た と い う。 こ の 頃 出 会 っ た 理 想 の 女 性 が 投 影 さ れ て い る の だ ろ う。

こ の よ う に ア レ ト ゥ ー サ の 泉 及 び 変 身 潭 は 、 人 知 れ ず 地 中 を め ぐ り意 中 の 女 性 を 手 込 め に す る イ メ ー ジ か ら、 人 目 を 忍 ぶ 恋 愛 と不 義 密 通 と を 連 想 さ せ る 。

と こ ろ で 、 モ グ ラ が め ぐ る 大 地 が 子 宮 を イ メ ー ジ させ る の か 、 つ ま り似 た も の を 見 つ け て 喩 え る 類 比 的 思 考 の 表 れ ゆ え に か 、 ス ペ ン サ ー で は 、 モ グ ラ は 欲 望 と 結 び 付 く。 『コ リ ン ・ク ラ ウ ト故 郷 に 帰 る 』 で は 、 騎 士 道 精 神 を 忘 れ て 淫 蕩 な 情 愛 に 耽 る 廷 臣 を 表 わ す 。 語 り手 コ リ ン は 親 友 ホ ビ ノ ル に 、 女 王 エ リ ザ ベ ス の 宮 廷 を 訪 れ た 際

の 感 動 を 自 慢 げ に 述 べ る が 、 そ れ を 聞 い た 友 が そ れ ほ ど 素 晴 ら し い と こ ろ な ら 、 な ぜ ア イ ル ラ ン ドの 僻 村 に 戻 っ て き た の か と 問 い つ め る 。 コ リ ン は や む な く宮 廷 の 腐

敗 堕 落 ぶ りを 答 え る 。

Ortheytheirdayestoyd正enessedivide,

Ordrownedlieinpleasureswastefullwell,

(15)

InwhichlikeMoldwarpsnouslingstilltheylurke, Unmyndfullofchiefepartsofmanlinesse, Anddothemselvesforwantofotherworke,

Vainvotariesoflaesieloveprofesse...(ColinClouts,761‑66)

(日 々 を 無 為 に 過 ご し 、/酒 池 肉 林 に ど っ ぷ り と 浸 か り、/穴 を 掘 る モ グ ラ の よ う に 身 を ひ そ め 、/男 ら し さ を す っ か り忘 れ 去 り/他 に す る こ と が な く 、/怠 惰 な 愛 欲 の 信 者 を 表 明 す る が 虚 し い …)

"Moldwarp"は"mole"と 同 義 で モ グ ラ を 指 す

。 ち な み に 、 ス ペ ン サ ー は モ グ ラ が

「も の ぐ さ 」("laesie")で あ る と 考 え て い た ら し い 。 実 は 、 坑 道 を 掘 る 労 力 を 維 持 す る た め 、 か な りの 大 食 漢 で 働 き者 で あ る20)。

さ ら に 、 『四 つ の 賛 歌 』(、Fow8rH遡 η85,1596)の ひ と つ 「愛 の 賛 歌 」("An HymneinHonourofLove")で も 、 モ グ ラ は 愛 の 神 の 掟 に 背 く 肉 欲 を 象 徴 す る 。

Whosedusts]baseaffectthroughcowardlydistrust 4fhisweakewings,darenottoheavenfly,

Butlikeamoldwarpeintheearthdothly.

Hisdunghillthoughts,whichdothemseluesenure Todirtiedrosse,nohigherdareaspyre, Necanhisfeebleearthlyeyesendure

Thefalaminglightofthatcelestiallfyre...(11.184‑86}

(情 欲 の 下 賎 な 衝 動 は 、 臆 病 に も そ の 脆 弱 な 翼 を/信 頼 で き ず 、 あ え て 天 ま で 飛 ば ず に 、/モ グ ラ よ ろ し く 地 中 に 横 た わ る 。/そ の 糞 ま み れ の 想 念 は 、 厭 わ し い 汚 物 に 慣 れ っ こ に な り 、/空 高 く 飛 ぼ う と す る こ と は な い 、/さ ら に 土 ま み れ の 弱 視 の 目 は 、/天 上 の 炎 の 輝 く光 に 耐 え ら れ な い …)

愛 の神(キ ュー ピ ッ ド)は 美 の女 神 ヴ ィー ナ スの息 子 で、 通 常、 目隠 しを した姿 で描

(16)

か れ る。つ ま り、 図 像 学 的伝 統 で は、愛 の神 は盲 目で あ る。 だ が 、 もう一 方 の 極 、 弱 視 の モ グラ も盲 目との形 容 辞 が付 く。 反対 物 の一 致 とい うところか。

オ ウ ィデ ィウス に よ り人 口 に膳 灸 した ダ イア ナの 裸 身 を覗 き見 る ア ク タイ オ ンの 変 身諏 を見 事 パ ロデ ィー に して フォー ナ スの滑稽 諺 を語 ったスペ ンサ ー は、 同 じ 『 変 身物 語 』で語 られ るダ イアナ 縁 の ア レ トゥーサ の 泉 も当然 知 って い た と思 われ る。 ア レ トゥー サ の変 身課 は人 目を忍 ぶ 不 義 密 通 を連 想 させ、 モ グ ラは情 欲 と深 く結 び 付 く。 人 知 れず 地 中 をめ ぐる所 為 が 共通 領 域 とな り、 スペ ンサ ーの 頭 の 中 で両 者 が 融 合 した ので あ ろ う。 以 上 の ことか ら、 ア イル ラ ン ドで得 た所 領 を流 れ る川 を題 材 に マ ル ラの悲 恋話 を創 り出 した とき、 これ は あ くまで も類 推 だが 、 ス ペ ンサ ー に はモ

グ ラの イメー ジ を基 底 と した ア レ トゥーサ の変 身潭 が底 流 にあ った と考 え られ る。

むすび

似 た もの を見 つ け て喩 える とい う人 間精 神 の基 本 構 造 ・言語 本 能 か ら、文 学 的 な レ トリック として また 比喩 表 現 として 、モ グラは時 間 ・空 間 を超 えて ひ ょっ こ りと顔 を覗 か せ剰 軽 者 と して ユ ーモ アを醸 し出 す。 エ リザ ベ ス 朝 の イギ リス で は、 サ レー 州 を流 れ る川 が 大 地 の 下 をめ ぐ り再び 浮上 す る こ とか ら、 モ グ ラの名 を冠 しモ.̲̲.ル 川 と呼 ばれ 、 特 異 な川 と して 有 名 で あ っ た。 スペ ンサ ー もメ ドウ ェイ川 とテ ム ズ川

の結 婚 に際 し、 支 流 の 一つ にモ ー ル川 を加 え る。 また、 スペ ンサ ー は第 二 の 故郷 と な った アイル ラ ン ドで 得 た 所 領 の周 囲 に鎮 座 す る山 々 をモ ー ル 山 と呼 ん で称 え た。

さ らに、 モ ー ル 山を源 泉 とす る河 川 の 合流 、 そ の独 特 な地 形 や 地 誌 、民 話 、庇 護 者 の秘 密 結婚 、 そ れ に ア レ トゥーサ の 変 身 潭 な どギ リシャ ・ローマ 神 話 に基 づ き、 マ ル ラとブ レゴ ッグの悲 恋話 を創 ったが 、 そ の底 流 に はモ グ ラの イメー ジが あ った。

モ グ ラは、 また スペ ンサ ー で は、 ユ ー モ ラス な存 在 だ け で は な く、地Lの 愛 と敵 対 す る肉欲 を暗 示 す る。 身体 と大 地 との照 応 関 係 に由来 す る当時 の月並 み な メ タフ

ァー で もあ る が 、 愛 の 神 とモ グ ラ の 双 方 が 盲 目で あ るの は 、 皮 肉 な類 似 で あ る 。

(17)

1}Aelian,4ntheCharacteristicsofAnimals,vol.lofBoolcs1‑S,trans.A.F.Scholfield

(Cambridge,Mass.:HarvardUP,1958‑9)9‑ll.ア イ リ ア ノ ス 『ギ リ シ ャ 奇 談 集 』 松 平 千 秋 ・中

務 哲 郎 訳(岩 波 文 庫1997年)所 収 の 解 説 、446‑47頁 参 照 。

2)SigThomasBrowne:TheルlajorWorks,ed.C。A.Patrides(London:Penguin,1977)77‑78.邦

訳 は 、 『医 師 の 信 仰 』 堀 大 司 訳 『世 界 人 生 論 全 集 』 第4巻 所 収(筑 摩 書 房1965年)191頁 を 参 照 し た 。

3)ス ペ ン サ ー の 引 用 は 、Spenser:TheFaerieQueene,ed.A.C.HamiltonetaL,2ndedn.(Hawlow:

Longman‑PearsonEducation,2007};TheYaleEditionoftheShorterPoemsofEdmund

Spenser,ed.WilliamA.Orametal,(NewHaven=YaleUP.,1989)に よ る 。 邦 訳 は 、 『妖 精 の 女 王 』 全4巻 、 和 田 勇 一 ・・福 田 昇 八 訳(ち く ま 文 庫2005年);『 ス ペ ン サ ー 詩 集 』 福 田 昇 八 訳(筑 摩 書 房2000年)そ し て 『ス ペ ン サ ー 小 曲 集 』 和 田 勇 一 監 修 、 熊 本 大 学 ス ペ ン サ ー 研 究 会 訳(文 理

書 院1970年)を 参 照 し た 。

4)TheVictoriaHistoryofCountyofSurrey,vol.3,ed.H.E.Malden(London:Archibald

Constable,1911)301.Cf.TheDiaryOf/ohnEvelyn,VbL20fκo!6η4αr'配 〃1,1620‑1649,ed.

E.S.deBeer(Oxford:ClarendonPress,1955)n3,523.

5)ThePoeticalWorks(ザ ノo加 ルTilton,voL2,ed.HelenDarbishire(Oxford:ClarendonPress,

1955,1973)129.ア レ ク ザ ン ダ ー ・ポ ー プ の 「ウ ィ ン ザ ー の 森 」("Windsor̲Forest")の 一 節 で は 、 ミ ル ト ン と 同 じ 形 容 辞 が 付 さ れ る 。"AndsullenMole,thathidehisdivingflood,.∴

(AlexanderPope,PoeticalWorlcs,ed.HerbertDavislLondon:OxfordUP,1966147) 6)Aubrey'sNaturalHistoryofWiltshire,ed.JohnBritton(1847;rpt.Throwbridge,Wiltshire:

David&Chaeles,1969)29.オ ー ブ リ ー の ニ ジ ェ ー ル 川 は ナ イ ル 川 の こ と で あ ろ う か 。14世 紀 の マ ン デ ヴ ィ ル の 旅 行 記(Mandeville'sTravels,c.1360)に よ る と 、 ナ イ ル 川 は 楽 園 に 源 を 発 し 、 イ ン ド の 砂 漠 を 貫 流 し 地 下 に も ぐ り 、 エ ジ プ ト で 地 上 に 現 れ 大 陸 を 縦 断 し ア レ キ サ ン ド リ ア に 達 し 海 に 注 ぐ と あ る 。TheTravelsofSirJohnル7adeville,trans.C.W.R.D.Moseley(London:

Penguin,1987)62‑63,184.大 場 正 史 訳 『東 方 旅 行 記 』(平 凡 社1964年)東 洋 文 庫 、36頁 、268 頁 及 び 創 世 記 第2章 第10節 以 下 参 照 。

7)"AfewmileseastfromhencetheriverMolehastenstotheThames,havingcrossedthewhole countyfromthesouth,andmeetingwithobstructionfromsomehills,opensitselfa subterraneouspassagelikeamole,whenceitseemstotakeitsname,asthefamousriverAnas (Guadiana)inSpain."(Carraden'sBritannia:SurreyandSussex,ed.GordonJ.Copley[1789;

London:Hutchinson,1977110)さ ら に18世 紀 ダ ニ エ ル ・デ フ ォ ー(DanielDefoe,c.1660‑

173Dは 、 ミ ケ ラ ム 界 隈 に 数 年 暮 ら し た 経 験 を 基 に 、 モ ー ル 川 が 地 面 の 穴 に 吸 収 さ れ る 様 を 詳 し く 調 べ 、 カ ム デ ン の 記 述 の 訂 正 に 努 め た 。(DanielDefoe,ATourThro'theWholeIslandof

GreatBritain,2vols,ed.G.D.H,ColeX1724‑6;rpt.London:FrankCass,1968]1,148‑52) 8)TheDiaryof.ノohnEvelyn,Vb1,30fKalendarium,1650‑1672,ed.E.S.deBeer[Oxford:

ClarendonPress,1955]157.

9)Sir7「ho〃 盟 ∫ ・Browne:TheルMajorWorks,ed.C.A.Patrides(London:Penguin,1977)66.

10)ポ ー プ の 引 用 は 、 前 掲 吉:Pope,Poetica/Worksに よ る 。263頁 。(上 田 勤 訳 『人 間 論 』[岩 波 文 庫

(18)

2001年]70頁)

11)EdwinGreenlaw,CharlesGrosvenorOsgoodandFredrickMorganPadelford,eds.,The WorksofEdmundSpenser:AVariorumEdition,10vols.(Baltimore:JohnHopkinsUP, 1932‑49)VI,426;VII,453.

12}TheYaleEditionoftheShorterPoemsofEdrrcundSpenser,523,532‑33n;A.C.Hamilton, ed.,TheSpenserEncyclopedia(Toronto:UofTorontoP,1997)584‑85.

13)早 乙 女 忠 「ス ペ ン サ ー と オ ウ ィ デ ィ ウ ス 」福 田 昇 八 ・川 西 進 編 『詩 人 の 王 ス ペ ン サ ー 』(九 州 大 学 出 版 会1997年)所 収 、421‑39頁 参 照 。

14)オ ウ ィ デ ィ ウ ス 『変 身 物 語 』 中 村 善 也 訳(岩 波 文 庫1981年)上 巻 、212‑16頁 。Cf.Ovids ルletamorphoses,trans.ArthurGolding(London,1567;rpt.Philadelphia:PaulDry,2000)

132‑34.

15)福 田 昇 八 「キ ル コ ー ル マ ン を 訪 ね て 」 日 本 ス ペ ン サ ー 協 会 編 『詩 人 の 詩 人 ス ペ ン サ ー 』(九 州 大 学 出 版 会2006年)所 収 、383‑85頁 参 照 。Cf.TheSpenserEncyclopedia,300.

16)ウ ェ ル ギ リ ウ ス 『ア エ ネ ー イ ス 』 泉 井 久 之 助 訳(岩 波 文 庫1982年)上 巻 、201頁 。Cf."Ribhto' re‑againstPlemmyrium'swatryStrand,/ThereliesanIsleoncecallath'OrtygianLand:I

AIpheus,asOddFamereports,hasfound/fromGreeceasecretPassageunder‑ground:/By LovetobeateousArethusaled,IAndminglinghere,theyrowlinthesameBed."(John Dryden,TheWorksofJohnDryden,Vol.50fTheWorksofVirgilinEnglish,1697,ed.W.

FrostandV.A.DearingBerkeley:UofCaliforniaP,1987]447)

17)ダ ン テ 『神 曲 地 獄 篇 」寿 ・ 岳 文 章 訳(集 英 社1979年)260頁 。

18)ウ ェ ル ギ リ ウ ス 『牧 歌/農 耕 詩 』小 川 正 廣 訳(京 都 大 学 出 版 会2004年)68頁 。 河 津 千 代 訳 『牧 歌 ・ 農 耕 詩 』(未 来 社1994年)159頁 註(1)参 照 。

i9)PB.Shelley,PoeticalWorks,ed.ThomasHutchinson,2ndedn.corr.G.M.Mathews(Oxford:

OxfordUP,1973}611.

20)ジ ョー ジ ・ハ ー バ ー トは 「苦 悩 」C℃onfession")と 題 す る 詩 で 、 モ グ ラ の 勤 勉 ・貧 欲 を 描 く。 「我 々

う こ も

は 大 地 で 、 神 の 下 す 苦 悩 は/体 内 の モ グ ラ の よ う に 、 あ ち こ ち 土 を 投 げ 上 げ 、 墳 つ 。/そ し て わし つか

餌 食 を 鷲 掴 み に す る ま で は 、/熱 中 し て 諦 め る こ と は ま ず な い 。」(GeorgeHerbert,TheWorks

ofGeorgeHerbert,ed.F.E.Hutchinson[1941;Corr.rpt.Oxford:ClarendonPress,1945 ̲]

i26)

[附 記]ス ペ ンサ ー に 登 場 す る モ グ ラ とい え ば 、 『 羊 飼 の 暦 』 に付 せ られ た 書 簡 で 言 及 さ れ る イ ソ ップ

寓 話 が 想 起 さ れ る 。 自分 は 目 が 見 え な い もの だ か ら、 他 の 動 物 に 物 を 見 る 目 が あ る の だ と、 どの よ う

に 言 葉 を尽 く して も説 得 す る こ と が で き な い 、 と 審 美 眼 の な い 輩 が モ グ ラ に 喩 え られ る 。 本 来 は 今 回

に 収 め る べ きで あ る が 、 前 回 取 り上 げ た の で 割 愛 した 。 拙 論 「モ グ ラ の 目 と トマ ス ・ブ ラ ウ ンー 俗

信 の 蔓 延 と論 破 」『 英 語 英 文 学 研 究 』(平 成19年3月)第60号 、pp.131‑44参 照 。

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