1970年代におけるわが国対外援助政策の展開と財政
1970年代におけるわが国対外援助
政策の展開と財政
宮入興一
目 次
I はじめに−課題の設定−
Ⅱ1970年代における対外援助政策の新展開
Ⅲ 70年代援助政策の再編と財政
(1)輸出促進体制の確立と対外援助政策の矛盾・再編
(2)資源・エネルギー開発と対外援助政策・財政の展開
(3)わが国大企業の多国籍企業化の進展と対外援助財政の新展開
Ⅳ おわりに−要約と結論−
I はじめに−課題の設定−
1980年代をむかえ,日本財政は一つの大きな転機に突入した。国民生活に 係わる財政支出の削減と公的負担の加重が,「財政再建」,「行政改革」を旗 印として国民の社会的生活の実質を次第に低下させる一方,「総合安全保障」
に係わる財政支出の増大と新しい大衆課税の導入が強力に模索されてくるか らである。「総合安全保障戦略」は,70年代に相対的力量を一層低下させた アメリカの,資本主義世界体制に対する再編=強化策と呼応している。だ が,同時に,この戦略は,日本資本主義の1980年代における主要戦略とな る。その内容は,軍事を支柱とし,石池などのエネルギー危機,食糧不足等 のあり得べき「重大な脅威」に対する「総合的な対処策」と説明されてい る1)。資本主義世界経済の停滞と困難は,第2次石油危機を契機として一層 深刻となった。「総合安全保障戦略」は,こうした事態に直面する日本資本 主義によって,「日本型福祉社会」とならびかつこれにより裏付けられる危 機打開策の要諦として前面におしだされてくる。対外援助を中心とする「経
34 経 営 と 経 済 済協力」は,この「戦略」の主要な支柱のーっとなるO
本稿の最終の課題は,このような重大な転機に立つ今日のわが国対外援助 政策とその物質的基礎である援助財政の内実の究明へ接近することである。
とはいえ, 1980年代にむけての援助政策の新展開は, 1970年代援助政策の 量・質にわたる段階的発展として登場してくるo それ故にまた, 1970年代の 援助政策に内包された矛盾も, 80年代には,外延的・内包的に一段と展開さ れた形態で現象せざるをえないであろうO 今日の対外援助政策を究明するに は,なによりもまず, 1970年代における援助政策と援助財政の,矛盾と再調1&
を含む錯綜した展開過程を分析し,その;な味を明らかにしておくことが不11
欠なのである一一これこそが,本稿の中心的課題に他ならない。
なお, 1970年代の援助政策は,この j自に未曽有の危機に直面した日本資本 主義の下で,高度成長期以来の援助政策に一定のいきづまりが生じ,その部 分的転換と再編の上に構築されたものであるD したがって,本稿では, 70年 代のわが国対外援助政策の新たな再編の特質を,まずは,高度成長期までの 援助政策と援助財政の,それ故にまたこの前提たる日本資本主義の内外諸条 件の新展開との相関において,解明していくこととしよう2)。
(注〉
1) 内閣官房内閣審議室分主・内閣総理大臣補佐官室編『総合安全保防戦略J(大平 総理の政策研究会報告書5)大蔵省印刷局, 1980年, 25ページ。
2) わが国の対外援助は,先進諸国と比べて,当初から多くの形態的特徴をもって発 展してきた。①援助呈が国民経済と比べて相対的に小さく,質的にも援助条件がハー ドである。②地域的には,アジアとりわけ束南アジアに偏筒している。③対外援助を 手!怒りとして,輸出促進,原料資源の安定確保,海外投資などを意図する経済的な利 吉追求志向が強い,など。確かに,こうした特徴は,一般的には今日の対外援助にま でも共通するものである。しかし,そのような形態的特徴も,これまで全く不変であ ったわけではない。ましてその特徴の有する意味内容は,戦後日本資本主義の発展過 程に対応して展開し,変化してきた。したがって, 1970年代から今日までの対外援助 の意味と問題点を一層深く究明するには,かかる特徴をもっ戦後のわが国援助が,な ぜ,いかにしてそうであるかを,戦後日本資本主義との相関において椛造的に解明
1970年代におけるわが国対外援助政策の展開と財政 35 し,かつ,これと係わらせて,対外援助の特徴と問題点を,援助政策の先展過程とし て捉えることが不可欠である。本稿は,このような視角から, 1970年代以降の援助政 策を究明しようとするものである。なお,日本援助の構造分析と高度成長期における 展開については,拙稿「戦後日本対外援助政策の特質と展開Jr経営と経済j61~ 4 号, 1982年3月,を参照悶いたい。
II 1970年代における対外援助政策の新展開
1970年代には,戦後日本資本主義の高成長を支えてきた内外の枠組みは,
だれの自にも明らかに破綻を露呈した。問題のかつてない深刻さは,国内に おける未曽有の過剰蓄積やインフレーション,国民生活の諸困難の上に,い わば外枠であるパックス・アメリカーナ体制の危機が巨大な規校で複合しあ って生じたととろにある。 70年代のわが国対外援助は,国内の深刻な危機へ の対応と同時に,いまや,自らその促進要因ともなった外枠としての資本主 義世界体制の危機へも,本格的な対応を促迫されることとなる。しかし,
内外の危機への対応はしばしば措抗しあい,対外援助の再編は多核な矛盾と 困難を内包せざるをえないのであるoとはいえ,本節ではまず,外枠として の戦後世界体制の危機を契機とした,わが国対外援助政策の新展開とそのな 味について検討することからはじめよう口なぜなら, 70年代の日本援助政策 の展開は,戦後世界体制の破綻とその戦略の再編によって,根底的に規定さ れているからであるD
戦後日本資本主義のいわば外枠を構成したのは,周知のように,パックス
・アメリカーナの体制であるoこの体制は2つの柱からなる。すなわち,① アメリカの世界戦略と,②その経済的支柱でもある IMF・GATT体制,こ れである。だが,戦後体制のこの外枠は,累積する内在的矛盾の煤発によっ て破綻を余儀なくされた。その契機となったものこそ,第1に,アメリカの ヴェトナム戦争における事実上の敗北と,第21ζ, ドル危機の決定的深化に 他ならない。第1のヴェトナム敗戦が中国対じこめ政策の転換など,アメリ カの世界戦略の劫揺と再椛築を必然化したとすれば, m2のドル危機の深化 は,ニクソンの新経済政策を契機とする IMF.GATT休制の破綻と再編成
36 終?:?と経済
表 D A C加盟国の政府開発援助・「経済協力」実績の推移
Uト」竺 1961 1965 1968 1970 1971 1972
ア メ カ 2,943 3,418 3,242 3,050 3,324 3,349 正文 (56.6) (58.0) (51. 3) (44.8) (43.2) (39.2) イ ギ ス 457 472 415 447 562 609 l(.f (8.8) (8.0) (6.6) (6.6) (7.3) (7.1)
凶. イ 、ソ 330 456 557 599 734 808 (6.3) (7.8) (8.8) (8.8) (9.5) (9.5) IHJ
フ フ / ス 943 752 853 971 1,075 1,320 (18.1 ) (12.8) (13.5) (14.3) (14.0) (15.5)
ゴゾじヒ〈
日 本 107 244 356 458 511 611 (2.1) (4.1) (5.6) (6.7) (6.6) (7.2) J立
4,780
5 ヶ 国 小 ,i十 5,342 5,423 5,525 6,206 6,697 (92.0) (90.6) (85.8) (81.1 ) (80.7) (78.4) l
l:!J
5,197 5,895 6,320 6,811 7,691 8,538 D A C U iil‑ (100.0) (1
00.0 ) (100.0) 000.0) (100.0 ) (100.0) ア メ カ 4,549 5,333 6,018 6,254 6,867 7,574 (49.2) (51. 7) (44.8) (39.6) (38.1) (38.1) 経一寸
イ 三千 ス 899 1,032 761 1,228 1,432 1,486 (9.7) (10.0) (5.7) (7.8) (7.9) (7.5) 西 イ 、ソ 847 735 1,663 1,487 1,915 1,756 in (9.2) (7.1) (12.4) (9.4) (10.6) (8.8)
フ フ
一/ ス 1,406 1,299 1,720 1,835 1,624 2,082 (15.2) (12.6) (12.8) ( 11.6) (9.0) ( 10.5) 七
品 日 ミヰ 381 486 1,049 1,824 2,141 2,725 (4.1) (4.7) (7.8) (11.6) (11. 9) (13.7) 力 5カ[‑JV小 十 8,082 8,885 11,211 12,628 13,979 15,623 (87.4) (86.1) (83.5) (80.0) (77.6) (78.5) D A C 王子 ;lt‑ (1900.0 ) ,249 1(100,0320 1.0) (1300.0 ) ,421 1(150,0780 1.0) (180,0016 .0)
山!
(iU (1) D A C J.';iいの「杭消協力」には、 「政J{.fIHJ)UD:J1}JJ (0 D A)のほか、 「その他政 ま で も が 含 ま れ て い るO
(::) 政J{JIHJ)1':1足助(()[) A)は、 D A C J,HI,では、政的ヘ ス tD: J1J;のうち次の条f'1二を~J:I~j
① 党 民 j主1‑̲,;お1EIの 杭 凶If:Jjと/えぴif,ltJ:lの 促 進 をll(I(Jとして'え泊されていること。
ていることじこれらの条f/をil:む さ ぬ も の は 、 政 府 ベ ー ス の も の で あ っ て も 、 U uド (:i) 0 E C DのD A Cには、 JJLu:、 次 の17ヵI1I;I;'J)Jl,i','.Iし て い る 。 ア メ リ カ 、 イ ギ リ ス 、
テ 山 ン マ ー ク 、 フ ィ ン ラ ン ド 、 オ ラ ン 夕 、 ニ ュ ー ジ ー ラ ン ド 、 ノ ル ウ ェ 一 、 ス ウ ェ ー テ (1) 五七、い純'仙へース。
( 資 料 泊 庄 行 「iit出1';1;1)の乳状と/U]W/,(jJ・存ilミ,rli。
1970年代におけるわが関対外援助政策の展開と財政 37
単位:百万ドル, % 1973 1974 1975 1976 1977 1978 1979 2,968 3,673 4,161 4,360 4,682 5,664 4,似 l
(3l. 7) (3l.6) (30.1) (3l.2) (29.8) (28.3) (20.9) 603 792 902 885 1,116 1,456 2,067 (6.4) (6.8) (6.5) (6.3) (7.1) (7.3) (9.2) 1,102 1,433 1,689 1,593 1,717 2,347 3,350 (1l.8) (12.3) (12.2) (1l.4) (10.9) (11.7) (15.0) 1,461 1,616 2,093 2,146 2,267 2,705 3,370 (15.6) (13.9) (15.1) (15.4) (14.4) (13.5) (15.1 )
1,011 1,126 1,148 1,105 1,424 2,215 2,638 (10.8) (9.7) (8.3) (7.9) (9.1) (1l.1) ( 11.8) 7,145 8,640 9,993 10,089 11,206 14,387 16,109 (76.4) (74.4) (72.2) (72.3) (7l. 3) (72.0) (72.0) 9,351 11,618 13,844 13,953 15,723 19,982 22,377 (100.0) ( 100.0) (100.0) (100.0) (100.0) (100.0) (100.0) 8,346 10,270 17.530 12,344 11,910 16,163 18,67.4 (33.9) (36.7) (43.4) (30.3) (24.1) (22.6) (25.3)
1
,473 2,386 2,353 2,408 5,929 10,343 11,219 (6.0) (8.5) (5.8) (5.9) (12.0) (14.5) (15.2) 1,807 3,176 4,962 5,314 5,754 7,632 7,289 (7.3) (11.3) (12.3) (13.0) (1l.6) (10.7) (9.9) 2,773 3,363 3,944 5,316 5,212 7,929 8,685 (1l.3) (12.0) (9.8) (13.0) ( 10.5) 0l.1) (11. 7) 5,844 2,962 2,880 4,003 5,535 10,i04 7,556 (23.7) (10.6) (7.1 ) (9.8) (1l.2) (15.0) (10.2) 20,243 22,157 31,669 29,385 34,340 52,771 53,423 (82.2) (79.1) (78.4) (72.1 ) (69.4) (73.9) (72.2) 21,628 28,016 40,380 40,742 49,492 71,371 73,943 (100.0) (100.0) (100.0) (100.0) (100.0) (100.0) (100.0)
!
れjです;J(othcr officiaI flo¥Vs; OOF)と 、 そ れ に1111えて、 'l(I::lld~ J (pri¥'atc flo¥¥'s;ドF) す も の と さ れ てL、る什
(三) jJ; lIJJ;長 fl が伐干 11 されたものでちり、少なくとも 2~()(} 以上の、グラント・エレメントをもっ にう〉灯1ざHる
フランス、,JLIトーイツ、 11本、 イタリア、 fーストラリア、 f ス ト リ ア 、 ベ ル キ 一 、 カ ナ 夕 、 ン、スイスけ
38 経 営 と 経 済 を不可避ならしめたのであるD
わが国主力工業の本格的確立は,対米輸出の加速度的拡大を生みだした口 これは,アメリカの貿易収支悪化を通して, 1971年8月には,ニクソン新経 済政策(ニクソン・ショック)への直接的契機のlつとなるO ニクソンの新 政策は,対外面では3つの内容をもっている。金=ドル交換の停止, 1096輸 入課徴金の賦加,これに加えて,対外援助の削減が捉示された口かくして,
1960年代,とりわけその後半期に一層強化された米国の「援助百代り政策J は,ニクソン・ショックを契機として,いよいよ決定的段階へと突入せざる をえない。ヴェトナム敗戦によるアメリカの世界戦略再編策がこれを加速す るD かくして,表lから明らかなように,アメリカを中心とする先進国援助 同盟ともいうべき OECDのDAC(Development Assistance Committee) 諸国の政府開発援助 (officialdevelopment assistance ; ODA)に占めるア メリカのウエイトは, 1970年の4596から, 79年には2196へと半分以下に急拡 し,代って西ドイツ,とりわけ日本の比主増大が著しい口
もっとも,ニクソン・ショックに先立つ1969年11月,日米共同声明(佐勝 一ニクソン)において,すでに日本政府は「太平洋新時代」をめざす「日米 新時代」構想を誕いあげていた。この構想における「日米経済協力」の直践 的契機が, ドノレ防衛協力を名儀とする,アジア地域での国際的財政支出の負 担再配分 (r援助肩代りJ)にあったことは言うまでもない。とはいえ r日 米新時代」の新しさの所以はそれにとどまるものではないD その新しさの恨 拠は, 1970年代の日本資本主義をアジア諸国の政治経済に一回深く組込み,
結合を強めることによって,アジアにおける「自由世界の安定」の中心に日 本を置くというアメリカの新たなアジア戦略の方向にむけて,日本の支配回
が,公式にその受諾を宣言した点にある1)。そのことは,アジア援助におい ては r米国よりもむしろ日本の方が主体的役割を果すべきであると考えま す」という,ワシントン・プレス・クラブでの故佐藤首相の演説 (1969年11 月21日)にもはっきりと表明されていた口アジアにむけて「開かれた日米関 係」への本格的移行は,やがて,ヴェトナム戦争後のアジアの安定をめざす
「集団的安全保障体制」の原型となり, 70年代アジア戦略の基本として展開
1970年代におけるわが国対外援助政策の展開と財政 39 されていくのである口
とはいえ,日本の対外援助自体に則していえば,以前から,わが国援助の 際立った特徴の1つは,東南アジアを中心とするアジア地域への版端な集中 にあるととが指摘されてきた口表2にも明らかなように, 1971年においてさ え 2国間ODAのアジアへの集中度は,実に99.3必にも達する2)。ところ が, 70年代を通してみるとそのウエイトは逆に逓減し, 1979年には, 70.996 にまで低落している。とりわけ束アジア(極東・束南アジア)の落こみが激
しい。反対に,アフリカ,ラテンアメリカなどの比重が高まっているO これ は,一見すると,アジア地域の政治経済の中心に日本を据えるという,先述・
の1970年代アジア戦略の方向とは全く逆のように見えるかもしれない口はた して,そうであろうか?
表3を見られたい。視角をかえて援助受入国側からみると,明らかに,事 態は全く異なる。アジアにおける日本の援助比重は確かに全体としては微j引 であるが,東アジア,南アジア,中東のいずれをとってもそのウエイトを附 加させているO この点をさらに,日本にとっての「生命線」といわれる版京 とASEAN諸国についてみたのが,表4である。東南アジア地域へのわが 国援助の積極化はすでに60年代後半から展開されていた。とはし可え1970年代 の初頭においては,いまだアメリカの補完的位置を占めているにすぎない。
しかし, 70年代を通してこの位百は完全に逆転する。 J麦IllJi立の少額ないしマ イナスに転じた台湾,香港と,国際的競争の激しいシンガポーjレを除けば,
いずれの困においても日本の援助比重は第l位,平均5割近くにも及んでい るのであるD アフリカや中南米への日本援助の拡大にしても,それは,一般 的にいわれるような単なる「多様化」ではないであろう。むしろ,東南アジ アに軸足をますますしっかりと据えながら, 70年代を通してー!日促進される 援助肩代りと,後述のように日本資本主義の対外進出への欲求増大の現われ なのである。
とはいえ,この場合見過してならぬのは,先述のアジア戦略のなかでアジ ア地域の頂点に立つべき日本そのものを,アメリカが政治戦略的にだけでは なく,経済的にも,基本線では掌握し続けようと立図していた点であるu {i{r[
40 経 1~t と経済
表2 わが国ニ国間OOAの国別分布の推移(支出純額ベース)
¥¥之さ 1971 1972 1973 1974 ア ン ア 428.59 468.92 674.73 765.44
(99.3) (98.1) (88.2) (87.0) 京 ア ジ ア 320.88 380.73 498.23 592.71 (74.3) (79.7) (65.1) (67.3) 南 ア ジ ア 104.01 87.70 175.74 170.42 (24.1) (18.4) (22.9) (19.4) 中 東 3.70 ム 0.22 0.76 2.31 (0.9) (ム0.0) (0.1) (0.3) イ ラ ン 3.41 ム 0.62 ム 0.47 0.51 (0.8) (ム0.1) (ム0.0) (0.1) イ ラ ク 0.08 0.09 0.28 0.24
(0.0) (0.0) (0.0) (0.0) ア フ リ カ 12.78 5.41 19.98 45.98 (3.0) (l.1 ) (2.6) (5.2) エジプト 0.20 0.20 l.09 9.13
(0.0 (0.0) (0.1) (l.0) ザ イ ー ル 0.69 0.29 0.63 0.64 (0.2) (0.1) (0.1) (0.1) ザ、ンピア 0.06 0.10 7.99 7.95 (0.0) (0.0) (l.0) (0.9) ラテンアメリカ ム1l.16 ム 2.70 35.34 39.51 (ム2.6) (ム0.6) (4.6) (4.5) ブラジ/レ ム12.00 ム10.72 ム 5.66 l.92 (ム2.8) (ム2.2) (ム0.7) (0.2) その他とも合計 432.05 477 .81 765.18 880.37 (100.0) (100.0) (100.0) (100.0) (資料)表1と同じ,各年版。