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九州鉄道会社改革運動の中期段階に見る 明治期鉄道企業の経営者と株主

東條正

1.はじめに

筆者はこれまで我国の近代企業制度導入期である明治期における代表的産 業の一つであった鉄道業についての分析を進めてきた。それは当該期におけ る鉄道企業が我国においても最初の近代巨大企業であり,それ故必然的に社 会的資金の集中形態である株主会社形態企業の典型的事例を構成し,延いて は我国の株式会社企業経営の創始期における諸問題を最も象徴的な形で析出 していると推察されるからである。より具体的に言うなら我国においても初 期の株式会社形態企業における財務,組織,労務等の諸問題は綿紡績企業等 と並んで鉄道企業において最も典型的な形で露呈していると思われる。本稿 ではこうした視角を中心に明治期鉄道企業分析を進めていくこととしたい。

ところで,本稿における分析は筆者が従来解明を進めてきた九州鉄道会社改

1)

革運動事件を対象とする一連の分析の一部をなすもので,この紛争の中期段 階を対象とし,その実態の実証的解明と,そこに見られる我国の株式会社形 態企業の創始期における経営諸問題や株主及び経営者の特性を析出すること を,その課題とする。

まず本論に入る前にこれまでの分析において既に明らかとなったこの紛争

2)

の経緯の概略を示すと次のごとくである。

九州の幹線鉄道を経営する九州鉄道会社(以下,九鉄と略称)は1897年(明 治30)に筑豊の石炭輸送の中心鉄道であった筑豊鉄道会社と合併後,1898年

(明治31)以降配当が急落していた。こうした中で1899年(明治32)4月大

株主である静岡の大地主で銀行家の足立孫六(足立銀行頭取・富士紡績監査

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役・大地主, 1 8 , 9 4 9 株)が九州に下って仙石貢九鉄社長(元逓信省鉄道技監

・前筑豊鉄道会社専務取締役, 2 7 5 株)批判の遊説を開始した。しかしこの 動きは結局表面化することなく挫折し,仙石社長も同月末の役員改選で再任 されたが,一方仙石社長及びその背後にあると目されていた三菱の九鉄にお ける支配力の拡大に危機感を深めていた熊本株主等は同年 7 月初旬に至って 熊本で会合し九鉄改革を決議していた。その後 1 0 日余りでこの動きは東京で も表面化し,九鉄改革のための調査委員選出を求める臨時株主総会請求同意 を呼びかけた東京,熊本,三重等の一部株主連名による趣意書が一般株主に 向けて発送された,その後この運動は急速に全国の株主の聞に拡大し,これ に参加する株主は改革派と呼称されるようになった。そしてこの改革派は同 月下旬には早くも総株数 6 0 万株余のうち 1 0 万株余の賛同を得たと報じられて いた。これに対して経営側は 8 月に入って本格的な対応を開始し,仙石社長 や大株主で取締役の安川敬一郎(炭蹟業・若松築港会社社長, 6 , 1 9 9 株)ら が筆頭株主の岩崎久称(三菱合資社長, 5 6 ,  1 8 8 株)と協議の上, I 実業界の 守護神」井上馨の協力をとりつけようとしていた。これに対して改革派側も 熊本株主の代表が 7 月下旬に上京して東京での運動に加っていた。

以上がこれまでの分析で明らかになったこの紛争の初期段階までの事実経 過の概略である。

ところでこれまでの分析では東京における紛争表面化時の事実経過が必ず しも判然としていなかった。そこで新に判明したその聞の状況を付け加える と以下のごとくである。

まず東京でこの運動が表面化する契機となったのは同年 7 月 1 4 日付の『東 京日日新聞~ (以下『東日』と略称)の「九鉄の大株主会」と題する新聞記 事で,この記事は熊本での大株主会で冗費改革のため臨時株主総会開設が協 議されたことを伝えていた。また同じ 14 日付の『中外商業新報~ (以下『中 外』と略称)も「九州鉄道に改革派起る」と題して「仙石氏が社長なる以来 営業費を費す事過大なる嫌あり」として山陽鉄道等との経費比較をした上で,

「此際臨時総会を要求して調査委員を設けんとの議重に研究会派連中に起り

目下其準備中なりと云ふ」と報じていた。この記事中の研究会派とは前年来

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九州、│鉄道会社改革運動の中期段階に見る明治期鉄道企業の経営者と株主 1 1 9   鉄道固有化運動の中心団体となっていた経済研究会のことを指すと考えられ

翌日日には帝国党(旧国民協会)系の『中央新聞j] (以下『中央』と略称) も「九州鉄道の改草運動」と題して, I 九州鉄道四五の大株主は東京及び大 阪に於ける同鉄道大株主を連合し J ,臨時株主総会請求を準備中とした上で,

その理由として第一に山陽・関西両鉄道より費用が多大であること,第二に 収入は大であるのに 7 分 5 厘の配当に止っていること 第三に「同会社は社 長仙石氏が三菱の子分なるを首めとして其他の役員大半三菱派にて組織せら れ居ることになるが仙石氏は事業の整理監督総て大ザッパにして冗費の濫出 算ふ可らざるが上に配当を殊更に少くするなど如伺にもワザ/¥同株券の下 落を招くが如き形迩あるは察する所三菱が早晩同鉄道を乗取らん魂臆あるが 為め却て今日に於て其株券の価格を低落せしめんと計るには非るかなど斗の 説ある事」等をあげていた。この記事中第三の理由として九鉄の配当急落が 三菱の同鉄道乗取りとの見方が示されていることは,同紙が帝国党系でしか も同党の拠点の一つが熊本であることや,記事の情報源を考え合わせると,

熊本株主の運動参加の理由の一端を窺わせるものとして注目される。

翌日日には憲政党系の『日刊人民j] (以下『人民』と略称)も「九州鉄道 の改革運動に就て」と題して,やはり九鉄を山陽・関西両鉄道と比較した上 で,仙石社長が三菱の内意を奉じて意図的に配当減を図っている疑いがある ことを報じている。

更に 1 9 日になると『中外』が「九州鉄道改革派の羽撤」と題し, I 去十七 日左の如き趣意書を株主に配布し其賛成を求めたる由」として撒文(趣意書) の一部を掲載しており,また同日付の『東日』も「九州鉄道会社改革の撒」

と題し, I 預面噂ありし如く九州鉄道会社の改革談は愈と事実と為り昨日(中 略)左の撤文を株主一同へ廻付したり J ,として撒文の大略を掲載していた。

更に『時事新報j] (以下『時事』と略称)も向日付の記事の中で趣意書の大 略を報じていた。

これらのことから,改革派株主の一般株主への趣意書が 7 月 1 7 日または 1 8

日付で発送されたこと またその以前の各新聞の記事中に見られる山陽‑関

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西両鉄道と九鉄の経費比較が趣意書中のそれによると見られることから趣意 書の株主への発送の数日前からその内容が報道各方面に伝わっていたこと等 が推察される。

〔 註 〕

1  )拙稿「明治期鉄道会社の経営紛争と株主の動向 J

(~経営史学~

1 9 巻 4 号 , 1 9 8 5 年 , 以下拙稿 I と略称),同「明治 3 2 年九州鉄道改革運動の発生過程についての一考察 J

(~秀 村先生記念論文集~,忠文閣,近干IJ ,以下拙稿 E と略称),同「九州鉄道会社改革運動

の初期段階に見る明治期鉄道企業の経営者と株主 J

(~経営と経済~

6 6 巻 3 号 , 1 9 8 6 年 , 以下拙稿 E と略称)。

2  )註 1 )の拙稿による。

3  )以下本稿における個人氏名の後の( )内はその兼職及び 1 8 9 9 年 3 月時点の九鉄持

株数を示す,なお兼職は特記のない限り鈴木喜八他編『日本全国商工人名録~

0898 年 版)から抽出した,また持株数の出典は「株主人名表 J

(~九州鉄道株式会社第試拾宣 回報告~)による。

4  )この詳細については前掲拙稿 E を参照された L 。 、

5  )当時の帝国党委員長は熊本の佐々友房であった ( r 新政党結党式 J

~万朝報~

1 8 9 9 年

7 月 6 日),以下本稿中の新聞・雑誌・日記・書簡記事の 1 8 9 9 年分は年を省略する,ま た『万朝報』は『万朝」と略称す。

2 . 経営側の動向と新聞論調

8 月に入って両派の攻防が本格化するなかで日付の東京の各新聞はー 勢に借入金や賞与金 株金払込等についての改革派の批判を掲載し,それら は九州の各新聞にも転載されていった。

翌 2 日には『人民』が「三井家の九州鉄道改革意見」と題して,三井は表

面上中立の位置にあるが内実は改革を希望しており,仙石社長が入社の折大

改革を唱えたにもかかわらずその後も改革が進んでいないため,今度の総会

で三井より社長交替を提案する可能性があると某三井銀行員が語ったとの風

聞を伝えていた。但しこの記事で述べられている三井の望む改革とは目前の

利益を減じても整備を行うもので改革派の求める配当第一の「改革」とは大

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九州鉄道会社改革運動の中期段階に見る明治期鉄道企業の経営者と株主 1 2 1  

きな差異があることに注目する必要があろう。この記事と同内容の記事は同 じ 2 日付の『国民新聞~ (以下『国民』と略称)及び同月 6 日付の『門司新 報~ (以下『門司』と略称)と熊本の『九州新聞~ (以下『九州』と略称)に も掲載されている。また同日の『東日』は前日の東京株式取引所の九鉄株取 引が「改革運動にて暗闇みの恥を天下に表白したることとて好き心地もせず 買物薄」であることを伝えていた。

一 方 5 日に至ると前日の筆頭株主岩崎久弥と仙石社長との協議での決定に 従い取締役の安川敬一郎が山口入りし,山口に帰省中の井上馨と会談してい た。安川の『日記』によるとその内容は次のごとくである。「井上伯ニ会見 九鉄議ヲ始ム二三時間,伯モ亦改革派ナル者討減シ尽サ X ル可ラザルヲ賛同,

岩崎,渋沢等ノ態度如何ヲ聞ケリ,是等ノ諸氏亦同意見ナルヲ以テス」。こ の記事に従う限りでは井上はこの階段では改革派に批判的であったことが窺 えよう。また井上が渋沢栄一(第一銀行頭取・東京商業会議所会頭, 4 8 5 株) の態度を問うたのに対して,安川は渋沢も同意見であるとしているが,後に 見るごとく経営側が渋沢に対してこの件で本格的な接触を開始しているのは 翌 6 日のことであるから この回答は安川の作為によるとみることもできょ う。ところで井上が九鉄株主ではあるものの持株数からいうと 4 8 5 株所有の 中株主に過ぎない渋沢栄ーの動向に注目しているのは,渋沢の経済界におけ る組織者,調停者としての特殊な地位と,渋沢が旧筑豊鉄道の顧問をつとめ 九鉄と筑豊鉄道との合併にも深く関っていたこと等によると推察される。

翌 6 日には前日の井上馨との会談を終えて山陽鉄道連絡船で早朝門司に帰

着した安川敬一郎を仙石社長が訪ねて井上との今談についての報告を受けて

いた。一方向じ 6 日九鉄計理課長の志立鉄次郎が国府津に避暑中の渋沢栄一

を訪ね会談をおこなっていた。渋沢はこの会談の内容について次のように記

している。「午後三時志立鉄次郎来ル,九州鉄道会社株主間ニ紛議アルヲ以

テ仙石貢氏ノ内意ヲ承テ来レルナリ,依テ明後八日出京シテ再議スヘキ事ヲ

約シテ帰ノレ」。ところで志立計理課長は本部(事務所)を東京に設けて運動

を進めていた改革派の動きに対抗するため仙石社長の命を受け上京していた

もので,入社早々の志立がこの任に選ばれたのは,副社長格として入社し,

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しかも前日銀幹部(前西部支庖長)として中央にも顔が利き,また福沢諭吉 の娘婿として三田系列の人脈にも通じていること,等によるものと推察され る。なお志立はこの後も三田の福沢諭吉邸に滞在し,経営側の東京での改革 派対策の中心となって活動を続けている。

同じ 6 日東京では『東日』が「某紙の会社改革論を読みて」と題する社説 を掲げていた。この社説はまず「商業界の指南車なり工業界の指導者なりと

自ら構して得々然、たる某紙」の「頃日の社説欄」の「会社の改革運動と題す るー篇」を取り上げ この某紙の社説が「諸会社の改革運動なるものは一部 分株主の中より発し其目的とする所は会社全体の利益よりは寧ろ少数株主の 便利を謀るものにして其動作は悉く野心乗取り乃至嫉妬羨望に起因するも の,彼の無定見にして思慮に乏しき株主等は此扇動に乗せられて共に無益の 運動を為すものなり(中略)会社の改革論は多数株主に聞くべし少数株主に 聞くべからず即ち少数株主の云為は総て私利に属し公利を計るものにあらず と」論じているとした上で、 「今日我会社営業の常態に於て漫に此の如く説 き去るを許さ x るの事情は固より砂しとせず」と反論し,その理由として,

「元来会社の重役なるものは総て株主全体の選任に出るものなり(中略)其 中地位を得ざれば温柔猫に類し地位を得れば暴慢虎に等しき似非ものあり (中略)左れば重役の職責に査さどる所あり会社の営業に不利なる所ありと 認定せば其株主たるものは一人たると少数たるとに論なく速に之が情弊を廃 絶せんがための所謂改革運動を起し会社の元気を保持し世間の信用を維持す るの応急手段を施すベし是れ株主の権利に属する一種の義務的動作なり」と 論じ,更に「諸会社の状況を視るに会社株主の中自然重役派なるものと株主 派なるものとの二者を分ち重役派は常に重役と相結托して交と利益を計り,

株主派は其圏外にありて常に重役の行為と会社の業務とに注目し殆ど監査役

の本陣とも称すべき地位にあるを常とす」と指摘し, しかもこの重役派に属

する株主は「会社全体の利益よりは寧ろ重役と自派の利益を輩固ならしめん

と欲し仮令重役の職責上に過誤怠慢等の事あるも成るべく三猿主義を守り

(中略)為に重役の心腸を腐らし会社の営業を鈍ならしむる J ,がこれに対

して株主派の株主は,重役の「動勢を監察し過誤を責め失策を詰り尚ほ用ひ

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九州鉄道会社改革運動の中期段階に見る明治期鉄道企業の経営者と株主 1 2 3   ざれば改革運動を起し臨時総会を請求する等偏に会社の弊害を排し領勢を挽 回するの術策を講じて止まず此派の行動は取も直さず重役等の心腸に注射す べき一種特効の防腐剤たるなり」と分析し,最後に, i 重役に信任を措き株 主は会社の信用を重じて妄動せざるの徳義は回より一般商事の発達に必要な るも謂れなく少数株主の運動を退止せむ乎改進改良の実はーも挙ぐる能はず して会社は止水の腐敗を免れざるに至らん某紙の説く所は其れ角を矯めて牛 を殺さんとするの類欺 J , と結論づけている。このようにこの記事は会社の 改革運動を批判した某紙の社説を少数派株主の権利を侵害しひいては会社の 腐敗を招くものとして強く批判しているが,ここで批判の対象となっている 某紙の社説とは 7 月 2 6 日付の『時事 J のそれを指すと推察される。この社 説は「会社の改革運動」と題するもので,当時の言論界の雄『時事』の株式 会社経営における株主の役割についての所論を次のように展開していた。

近来世間に流行する諸会社の改革運動沙汰を聞くに多くは株主中一部の輩より発 するものにして其輩が頻りに奔走して改革論を唱へ重役の責任など云々するときは 重役に於ては株主多数の意向如何に拘はらずして大に当惑するの色あるが如し(中 略)世間の改革運動なるものは株主中一部分の中より発し然、かも其目的とする所は 会社全体の利害よりは寧ろ少数株主の便利を謀るものにして惑は重役の地位に望を 懸くるの下心などもあることならん之を要するに株主多数の意向とは認む可らざる ものなるに(中略)世間一般の様子を見れば改革論など唱へて兎に角に現在の組織 方法に反対するものあれば実際利害の関係なきに拘はらず恰も傍より之を嘱立て L

其挙動に同意するもの多し(中略)其改革論を目して社会の輿論などと称する程の

次第なるが故に其輩に於ては自から得意を催ほすと同時に又一般の株主中にも無定

見にして思慮、に乏しきもの少なからず他の甘言に載せられて改革論に同意を表する

などよりしてますます気焔を長ぜしめ其結果は重役を苦しめ営業を妨げて詰り会社

の不利を招ぐのみなり(中略)本来会社の重役は株主全体より選挙して営業上の職

権を委任したるものなり左れば其行為に失策あるか若しくは営業上の能力を欠く事

実を発見したるときは之を督責するなり又は改選して大に改革を行ふは素より株主

の権利にして又実際会社利益の為めに必要の処置なれども世論に所調正義論などと

称せらる L 一部の株主の意見の為めに動かされて重役の責任を云々するに至るとき

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は当局者は如何にして株主全体の委託を全うするを得ベきや(中略)世間局外の見 る所にては会社の利益と一般の利益とは両立せざるもの与如くに思ふものあるのみ か他の利益を見て之を羨むは凡俗社会の人情にして(中略)株主中に改革運動など 生じて会社内の紛伝を醸すは寧ろ局外者の面白く見物する処にして惑は成る可く其 騒動の大ならんことを望むもの多かるべし即ち正義論などの喧しき所以にして凡俗 物数寄の人情より来るものに外ならざるに株主の多数が漫然改革論などに同意する か惑は同意せざるも甚だ無頓着にして会社の利害を視ること恰も他人の利害を視る が如くならんには重役に於ては会社の利益を専ーにして株主の利益を謀らんとすれ ば世間の人気を得ること覚束なし左ればとて所謂正義論の趣旨に従ふて一般の人望 を買はんとするときは会社の利益は望む可らずと云ふ執れが株主の委託を全うする ものなるや殆んど適従する所を知るに苦しむ可し若しも株主たるものにして自家の 利益を欲せずとならば兎も角も有も然らざるに於ては常に会社営業の利害に着目し 重役をして充分に委託の本旨を査さしむることに注意す可し是種の騒動は単に一会 社の不幸に止まらずして全体の商売営業に影響せざるを得ず我輩は近来流行の会社 改革運動の加きは畢寛多数株主が自家の利益に無頓着なるが為めに外ならずとして 敢て注意を促すものなり

この社説は前年来日本鉄道会社, 日本郵船,十五銀行等の有力企業で続発 していた改革運動による会社内紛を念頭に置いて書かれたと推察されるが,

その直接の契機となったのは九鉄におけるそれであったことは時期的に見て も自明のことであろう。『時事』のこの社説は株主と経営者の関係について 論じ,少数株主による所謂改革運動は為にするもので会社に不利益をもたら すとして多数株主の自覚を求めているが,一方言論界を含めた「世間局外」

の無責任な改革支持の「正義論」に対しても批判を加えていることが注目さ

れる。前掲の『東日 J の社説と合わせて見るとき,商法全面施行時における

言論界の会社経営に対する認識を如実に示すものとして剖日に値しよう。な

お『時事』がこの社説を掲げた背景の一つに,福沢諭吉の娘婿として福沢邸

にあって改革派対策に当っていた九鉄計理課長志立鉄次郎の働きかけがあっ

た可能性も否定できないであろう。同じ 6 日付の『中外』は「九州鉄道改革

派の優勢」と題して「九州鉄道改革派の運動は其勢益々蟻にして三井及三菱

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九 州 鉄 道 会 社 改 革 運 動 の 中 期 段 階 に 見 る 明 治 期 鉄 道 企 業 の 経 営 者 と 株 主 1 2 5  

一派を除くの外は膿然、として雷同付和せる如き形成あるが」とした上で,某 有力家の意見として「若し改革派愈々勝を制し実際九州鉄道会社に勢力を振 ふに至るが如きことあるに於ては多数の売物現はれ自然著しき変動を起すこ

とあるは吾々の信して疑はざる所なり」 と報じていた。『中外』のこの記事 は改革派勝利の場合の株価暴落を示唆したもので,経営側にとって有利に作 用したと考えられる。なおこの記事は熊本の『九州日日新聞~ (帝国党系) にも転載されている。

翌々日の 8 日午後には東京で渋沢栄ーが第三位の大株主である岩崎弥之助 (三菱合資監事・前日銀総裁 2 0 , 7 6 2 株)を訪ね,九鉄についての協議を行 っていた。

〔 註 〕

1 )   r 九鉄と仙石社長 J

W 国民新聞~

8 月 1 日 , r 九鉄改革派の攻撃材料 J

W 東日~

8 月 l 日 , r 九州鉄道会社の不始末 J

W 中央~

8 月 1 日,またその内容については前掲拙稿 m , 134‑135 頁を参照された L 。 、

2  )その詳細については前掲拙稿 m , 134‑135 頁を参照。

)安川敬一郎『日記~

8月 5 日 ( r 安 1 1 1文書 J ) ,以下『安川日記』と略称。

4)  r 九州鉄道に関する渋沢氏の意見 J

W時事~

8 月 2 4 日 。

5 )   r 山陽連絡客 J

W門司~

8 月 8 日,なおこの頃山陽鉄道は三田尻まで開通しており,

徳山・門司聞は連絡船によって結ばれていた, W 門司』の「山陽連絡客」はその一等乗 客名簿を日々掲載したものである。

6 )   r 仙石ニ来襲セラレ井伯談判之顛末ヲ詳報ス J

(前掲『安川日記~

8 月 6 日 ) 。 7)渋沢栄一「日記 J 8 月 6 日(竜門社『渋沢栄一伝記資料』別巻第一),以下この資料

については「渋沢日記」と略称。

8  )向上。

9)  r 志立上京の用向 J

W門司~

8 月 8 目 。

1 0 ) 志立は東京帝国大学法科大学を卒業後日銀入行,九鉄在職の後,住友銀行支配人,

日本興業銀行総裁等を歴任,妻タキは福沢諭吉の三女(内尾直三『人事興信録 第三

版~, 1911 年,作道洋太郎『住友財閥~

140‑141 頁 , 1 9 8 2 年等による),なお志立の九 鉄入社の事情等については前掲拙稿 m , 1 2 2 頁を参照。

1 1 )   r 九鉄計理課長の談話 J

W 中央~

8 月 2 2 日 。

1 2 )   r 午後三時岩崎弥之助氏ヲ訪フ,九鉄ノ事ヲ話ス J (前掲「渋沢日記 J 8 月 8 日 ) 。

(10)

3.  8 月 1 0 ・ 1 1 日の重役会合

渋沢と岩崎の会談が東京で行なわれていた同じ 8 日夕,九鉄創立以来の重 役で大株主でもある東京在住の取締役今村清之助(今村銀行頭取・山陽鉄道 取締役・関西鉄道取締役・東京商業会議所常議委員, 4, 0 8 3株)及び大阪在 住の取締役でやはり大株主の一人である井上保次郎(井上銀行頭取・山陽鉄 道監査役・関西鉄道監査役・豊州鉄道監査役, 2 , 4 7 5 株)の両名が 1 0 日から の九鉄重役会出席のため下関に到着していた。今村は所謂「相場師」出身で

「株界」に通じていることもあって創立時から九鉄の資金調達等に重要な役 割を果していたが,一方この紛争では自身が経営する今村銀行と九鉄との貸 借関係から仙石社長と並んで改革派の批判の対象となっていた。

翌 9日には仙石社長が取締役の安川敬一郎同道で下関の今村清之助の旅宿 を訪れ協議を行っているが,今村の旅宿には井上保次郎も同宿していること から,この協議には井上保次郎も加っていたと推察される。この会議は一部 の重役のみの秘密会議であるとして後に批難の対象となっているが,この会 合の出席者は取締役中の大株主達であり,公式の重役会を翌日に控えての一 部大株主重役によるこの会合は重役会内におけるヘゲモニーの所在を示唆し ているともいえよう。また今村はこの日旅宿を訪ねた『馬関毎日』記者の改 革運動に関する質問に対して次のように語っていた。

お尋ねの如く九鉄会社も先般来ゴタゴタを生じ居る由東京に於て承知し改革派と も云ふべき熊本の上羽勝衛氏等は斯の程上京せりと余は如伺なる事情よりして紛擾 を惹起せしものか更らに知らざれば明日の重役会に於てもどんな議題が顕はるもの か一切存ぜぬ余は中立にして公平無私に改革すべき点はドコ迄も励行し敢て臨時す るが如き事は為さ X る積りなるが仙石社長の遣方に就て今日兎や角云ふは或は早計 の嫌ひあやの感ありき汗は未だ仙石社長の技伺充分行はれ居ざる場合なればなり

(中略)併し自分等も随分古顔の重役なれば交送しでも善ひ時期です

この談話で自身が取締役の一員である今村が九鉄経営の一次的責任はあく

までも専務取締役社長である仙石一身に帰するものとしてこの紛争について

は少くとも表面的には第三者的立場を示しているのは,株主代表的な性格の

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九州鉄道会社改革運動の中期段階に見る明治期鉄道企業の経営者と株主 1 2 7  

濃厚な当該期の一般取締役の立場を如実に示しているといえよう。しかし一 方談話中で今村が自らの退任の可能性をもほのめかしているのは,前述のご とく彼が仙石社長と並んで改革派から名指しの批判を受けていたためと考え られる。

一方向じ 9 日,東京では 7 月末に上京していた改革派熊本株主の領袖上羽 勝衛(九州商業銀行頭取, 3 , 1 4 2 株)を迎えて改革派首脳が銀座 2 丁目の事 務所で会合して今後の方針を協議していた。またこの日『国民 J は改革派へ の委任状は既に 2 0 万株内外に達し 1 週間余で臨時株主総会請求書提出に至る 手筈となっており, しかも三菱,三井の持株約 1 0 万株の権利数は最大 2 0 0 個 という上限規定のため 4 0 0 個に限定されるのに対して 「改革派の旗下に集ま り居る株主は権利を争ふの点に於て最も都合よき小株主なれば今回は充分に 其目的を達することを得ベく(中略)調査の結果現社長以下の椅子に交送を 見るに至るやも知るべからず」 との改革派の談を報じていた。この記事で 指摘されている株主議決権について付言するならば,九鉄においては当該期 の他の多くの企業と同様に株主議決権の逓減制を採用しており, しかもその 上限を 2 0 0 個に制限していた。具体的には, r 株主ノ議決権ハ其所有株数九株 以下ハ之ヲ有セス拾株ヲ萱個トシ拾萱株以上百株マテハ拾株毎ニ萱ヲ加へ百 萱株以上ハ武拾株毎ニ査個ヲ加へ武百個ヲ極度トス」と規定されており,こ の記事にあるごとく数万株を所有する三菱(岩崎) 三井もその議決権は 2 0 0 個に限定され,大株主にとっては極めて不利な規定となっていた。

また同じ 9 日やはり東京での京釜鉄道創立委員会において共に同鉄道創立 委員であった渋沢栄一と改革運動発起者の一人である尾崎三良(貴族院議員

‑前法制局長官・経済研究会会長・男爵, 1   , 9 0 5 株)が同席していたが,後に 渋沢は紛争発生後尾崎から運動の要点について説明を受けたことを認めてお

り,一方渋沢の「日記」の記述では紛争発生後最終局面を除いて渋沢と尾崎 が接触しているのはこの会合の折だけであることから,この日の会合の折,

九鉄改革運動について尾崎から渋沢への説明が行われたものと推察される。

明けて 1 0 日朝,前日の下関の今村,井上両取締役の旅宿での協議の後同所

に同宿したと見られる仙石社長は今村,井上と同道で門司に渡海し,帰京の

(12)

途上にあった九鉄大株主の一人である黒田長成(旧福岡藩主家当主・侯爵,

5 , 8 6 6 株)を山陽連絡船まで見送った後本社での重役会に臨んでいたが,黒 田侯とは既にこの件での接触があり,この黒田侯出立見送りも時期的に見て 単なる儀礼以上のものもあったと推察される。ところで毎月 1 5 日が定例日と なっていた重役会が 1 0 日に繰り上げ開催されたことについては, r 本月は彼

の改革派の反対運動あるが為め急に開設の必要を生せしものと見へ J ,と観 測されており,それを裏付けるものとして通常は出席しない今村清之助や井 上保次郎らの東京,大阪の重役及び病後の長崎の松田源五郎(十八銀行頭取

‑長崎商業会議所会頭, 7 8 1 株)の出席があげられていた。この日の重役会 は取締役の田中市兵衛(大阪商船社長・山陽鉄道監査役・日本棉花社長,

2 0 0 株),本山彦一(藤田組支配人・山陽鉄道監査役, 5 9 5 株),監査役の小河 久四郎(十七銀行頭取・博多商業会議所頭取,   , 1 1 7 5 株)の 3 名を除く重役 が出席して開催されており 一般ではこの日の会議で鉄道国有調査会より在 京重役今村清之助に諮問された調査事項に対する協議及び臨時株主総会対策 等の協議がなされたとの観測がしきりであった。しかし会社の公式記録では 予定議題は田之浦線存廃の件,平山炭積線布設の件,若松船舶会社存廃の件 の 3件であり,若松船舶会社の解散のみが議決され,他の 2件の案件の議決 は次会に延期して終了したとされている。また取締役の安川敬一郎も『日記』

に予定議題 3件が審議されたと記しており,他からの観測とは異ってこの日 の重役会は通常の議事の審議が中心であったことが窺える。結局公式な重役 会はこの日で終了し 本格的な改革運動対策は翌日の重役会メンバーによる 非公式協議に持ち越すことが決定された模様である。ところでこの日の重役 会の議題となったとの見方もあった鉄道国有調査会の諮問とは第十三議会の 議決を受けて発足した同調査会が 7 月中旬に買収候補と目される 9 鉄道会社 に対して行ったもので,これに関して株界では種々の観測が行われており,

8 月に入って大買物により騰貴していた北海道炭碩鉄道株についても鉄道国

有化との関連が取沙汰されていた。一方門司本社で重役会が開催されていた

同じ 1 0 日東京では志立計理課長が再び渋沢栄ーを訪ね協議を行っていた。ま

た 1 0 日付の『人民』は改革派九州株主総代として熊本の上羽勝衛,堀部直臣

(13)

九州鉄道会社改革運動の中期段階に見る明治期鉄道企業の経営者と株主 1 2 9  

(第九銀行頭取, 566 株),住江常雄(熊本銀行頭取, 2 , 3 0 3 株)の 3 名が上 京して在京株主と協議中と報じており,熊本株主の代表として前出の上羽勝 衛の他に堀部,住江の 2 銀行頭取が上京活動中であったことが窺える。他方 同じ 1 0 日付の『門司』は「九鉄改革と某株主の意見」と題する記事の中でこ の頃の九鉄社内の状況を次のように伝えていた。「仙石社長は嚢きに志立氏 を東京に派して改革派に対する運動に当らしめ自身は会社に留まって臨時総 会の質問に応じ得ベき丈けの準備を整へんとし日々若松に往来し社内にては 経理,工務の二課に夜業を為さしめ専ら営業費の支出に係る諸帳簿を取調ふ るなど昨今に至り漸く狼狽の色を顕はし来りたるものの如し」。またこの記 事は改革派株主の仙石社長への批判を次のように伝えていた。それによると 仙石社長の経営方針は「株主の意向は殆ど度外視して只一二の重役とのみ陰 に事を謀り(中略)勝手に莫大の営業費を投して無用の事を独断専行し既に 二ヶ年を経過せるも未だーの観る可きものなく只徒らに改良を名として職員 を増加し俸給を増し其他無用の物品を購入したるに過ぎず」改良の方針を誤 っており, しかも「重役会に提出する議件は皆な既に資金を費消し若しくは 費消するの道を開きし後に於けるものとみにて事後の承認を求むるに過ぎ ず J ,重役会が事後承諾機関化していること等をあげている。これがどこま で事実を伝えているかはともかくとして,九鉄経営陣内における専務取締役 社長仙石の主導的な立場を窺わせて注目される。これとほぼ同内容の記事は 13 日付の『国民~, 1 2 日付の『九州 J にも掲載されている。ところで同じ 1 0 日付『中外』は「先づ国有となるは炭碩鉄道か将た九州鉄道か」と題する記 事の中で,鉄道固有調査会の動きに関して, r 若し国防上鉄道固有化を実行 するに於ては先づ九州鉄道より着手するを順序とし又必要とすべきなり」と 報じていた。

翌日日門司の九鉄本社では前日の重役会に引き続き重役会メンバーによる 改革運動対策のための協議が行なわれていた。その様子を同日の『安川日記』

は次のように伝えている。

前日ノ約ニヨリ午前八字半出社九字過会議ヲ始ム, s I J 仙石社長ガ取調ベタル経

費増加之項目ニシテ各共止ヲ得ザルニ出テタル事明ハクナリ誰彼ヲ不論尋問ヲ好ム

(14)

者アレパ之カ説明ノ労ヲ乞フ者アラパ何時ニモ進ンテ披見セシムベシ,其細説ハ之 ヲー表トシ重役ニ配付スベシトテ午後六字会議ヲ了リタリ(中略)此日一字平岡ニ ホームニテ立談スル事十五分,九鉄ニ関シ広橋カ豊Jl I ニ乞ヒタル次第,岩崎称之助 応対ノ事及大坂ニテ井上伯旅寓ニ岩崎久弥,田中市兵衛等ト会シ改革派討減論ノ一 致ヲ披ゼリ

この安川の記述による限りではこの日の協議において従来の経営方針の正 当さを再確認したことが窺える。なおこの日記の記事から安川はこの日駅で 平岡なる人物と会いこの紛争に関する会話を行っていることが判明するが,

一方玄洋社社長で中央政界にも隠然、たる勢力を持ち筑豊の炭碩主でもあった

代議士の平岡浩太郎が外遊から帰国し同日の日本郵船の山城丸で門司に到着

して福岡に向っており,記事中の平岡とはこの平岡浩太郎のことを指すと推

察される。平岡はかつて安川と共に筑豊鉄道会社の大株主であり了)九鉄と筑

豊鉄道の合併後は九鉄の株主 ( 9 8 4 株所有)となっていた。この平岡との会

談の記事から,九州視察より帰京途上の筆頭株主岩崎久弥や大阪在住の取締

役田中市兵衛を交えて大阪の井上馨の旅宿で会合が持たれ,改革派撃滅論で

一致していたことが推定されよう。なおこの記事中の広橋とはかつて筑豊鉄

道会社の大株主であった元福岡県大書記官でこの頃宮内省調査課長となって

いた広橋賢光伯爵のことを指すと考えられる。また同じく記事中の豊川とは

三菱合資銀行部支配人の豊川良平を指す可能性が考えられよう。一方この両

日の重役会合の協議内容については種々観測が流れており, r 仙石社長は同

社の既往より現在の事情及び将来の方針に付詳細に説明する所あり,右に対

る重役諸氏の意見を叩きたるに出席重役諸氏は社長の説明を聴て大に満足の

体にて一人の異議を挟むもの無かりしと云ふ」と L 、う見方や, r 仙石社長の

施策は目前に幾分の経費を増加するも将来運送力を増加し支出を減ずると同

時に収入を増加することを期したるものなれば重役一統社長の所為に就ては

満足を表したる由なり」とする見方がある一方, r 仙石氏の一派は改革派が

種々の運動をなし一味の株主を集めんとするは会社の為め容易ならざるもの

なれば吾々重役も委任状を集合し優勢を以て改革派と闘ふべしと論じ,他の

一派は重役として斯る防禦運動をなすは不穏なり須らく改革派の自由に委す

(15)

九 州 鉄 道 会 社 改 革 運 動 の 中 期 段 階 に 見 る 明 治 期 鉄 道 企 業 の 経 営 者 と 株 主 1 3 1  

べしと反駁したるが 此論者は公然社長に反対する能はざるも陰然改革派と 気脈を通ずるものなれば仙石派は大に激昂し今村清之助氏の如きは東京に於 ける尾崎三良,佐々回想,根津嘉一郎諸氏が改革を名として会社を乗取らん とする野心を暴露し兎に角重役は力を合して野心家を制圧せざる可らずと論 じ,双方口角泡を飛ばして争ひたるよしにて其日は終に議論を以て了はり引 続き翌日も同様激裂なる議論を闘はしたるが結局該件は改革派より会社に向 て未だ臨時総会請求の手続を為さどるを以て其請求書到着の上にて更に審議 することと為り(中略)一応重役会議を解散したり左れば重役派中にも改革 派あるは勿論にて仙石派は益々警戒に着手し今村,井上二氏を首として東京 株主の動揺を静止せんとし散会後急ぎ入京の途に就きたる」とも報じられて いた。これらの記事から,重役会が仙石社長支持で纏まったとの観測と,経 営陣内に改革派に対抗して委任状を集めるべしとの論と株主の調査要求に対 決すべきではないとの両論での議論があったと見る両様の観測があったこと が判明しよう。また後者の記事にあるごとく今村 井上の両取締役は翌1 2 日 の夕刻山陽鉄道連絡船で門司を出立しており,それより前監査役の山崎隆篤

( 3, 9 0 9株)も会議終了後直ちに同夜の山陽鉄道連絡船で東京へ向け出立し ていた。なお同記事中で会社乗っ取りを図っていると名指しされている尾 崎,佐々田,根津とは改革運動発起者で所謂「株屋」集団と目されていた経 済研究会幹部でもあった尾崎三良 佐々回想(東京株式取引所理事・前代議 士 ,   , 1 0 3 4 株),根津嘉一郎(徴兵保険会社専務・ 1 , 8 0 0 株)を指すと思われ

る 。

〔 註 〕

1 )   i 今村,井上の両氏 JW 門司.] 8 月1 0 日. i 山陽連絡客 JW 門司.] 8 月1 0 日 。

2  )足立粟国『今村清之助君事歴.] ( 1 9 0 6 年) 172‑196 頁 。 3  )この詳細については前掲拙稿 I I I . 1 2 8 頁を参照されたい。

4  )前掲『安川日記.] 8月 9 日 。

5 )   i 今村,井上の両氏 J W 門司.] 8 月1 0 日 。 6 )   i 九鉄改革談 J W 門司.] 8 月 3 0 日 。

7)  i 今村清之助氏の九鉄改革談 J W 門司.] 8月 1 1 日 。

(16)

8 )   r 九鉄改革派の集合 J W 東日 J 8 月 9 日,なお『国民』も同様の記事を掲げているが それによるとこの会合は 8 日とされている。なお上羽の経歴等の詳細については前掲 拙稿 I I I , 130‑131 頁を参照。

9)  r 九州鉄道改革問題の現状 J W 国民 J 8 月 9 日 。

1 0 )   r 九州鉄道株式会社定款」第 3 9 条 ( W 九州鉄道株式会社重役会録 J r 麻生文書」く A5 )   1 1 ) 前掲「渋沢日記 J 8 月 9 日 。

1 2 )   r 九州鉄道に関する渋沢氏の意見 J W 時事 J 8月 2 4 日 。

1 3 )   r 今村,井上,仙石下関ヨリ来ル J (前掲『安川日記 J 8 月 1 0 日 ) 。 1 4 )   r 黒田侯の門司着発 J W 福日 J 8月 1 1 日 。

1 5 ) これについては前掲拙稿皿, 1 3 5 頁参照。

1 6 )   r 九鉄会社重役会 J W 門司 J 8 月1 1 日 。 1 7 ) 向上。

1 8 ) 前掲『九州鉄道株式会社重役会録』。

1 9 )   r 鉄道固有調査会と九州鉄道 J W 門司 J 8 月1 2 日 。 2 0 ) 前掲『九州鉄道株式会社重役会録』。

2 1)前掲拙稿 I I I , 1 1 8 頁参照。

2 2 )   r 炭蹟株騰貴の原因 J W 時事 J 8 月 8 日,実際はこれは三井銀行によるものであった,

これについては拙稿1, 2 6 頁を参照。

2 3 )   r 午前志立鉄次郎氏兜町ニ来話ス J (前掲「渋沢日記 J 8 月 1 0 日 ) 。 2 4 )   r 平岡浩太郎氏 J W 門司 J 8 月1 2 日 。

2 5 ) 各期「筑豊鉄道株式会社株主人名表 J ( W 筑豊鉄道会社緊要書類 Jr 麻生家文書」く A 3)  2 6 ) 向上及び升味準之助『日本政党史論』第 2 巻 ( 1 9 6 6 年) 3 1 1 頁 。

2 7 )   r 九州鉄道重役会議 J W 時事 J 8 月 1 7 日 。 2 8 )   r 九州鉄道の重役会 J W 中外 J 8 月1 5 日 。

2 9 )   r 九州重役間の激論 J W 中央 J 8 月 1 6 日,なお同様の内容は「九鉄臨時重役会 J W 万朝」

8 月1 6 日 , r 九鉄臨時重役会 J W 門司 J 8 月1 3 日等にも見られる。

3 0 )   r 今村,井上の両氏 J W 門司 J 8 月 1 3 日 , r 山陽連絡客 J W 門司 J 8 月 1 5 日 。 3 1 )   r 山崎隆篤氏 Jr 山陽連絡客 J W 門司 J 8 月 1 3 日 。

4  .改革派の動向と『時事新報 J の再度の論説

門司本社で重役会合の行われていた 1 1 日の夜,東京では改革派幹部が芝浦

(17)

九州鉄道会社改革運動の中期段階に見る明治期鉄道企業の経営者と株主 1 3 3   の料亭で会合していたが,この会合の出席者は改革運動発起者中の静岡の足 立孫六,東京の尾崎三良,佐々田懇,根津嘉一郎,横浜の田中新七(横浜綿 糸綿花金属株式取引所理事・生糸商・北海道炭積鉄道取締役, 2 , 8 7 3 株)及 び熊本の上羽勝衛,堀部直臣,住江常雄の 9 名で 「種々前途の運動方針を 協議し尚近々上京する九州某有力者の着京を侯ち受け尚一回会合の上臨時総 会の請求書を提出する筈に議決して散会」したと報じられている。

同じ 1 1 日の『門司』は「九鉄報告の疑惑」と題する記事を掲げ 1 5 日まで連 載しているが,この記事は,第一に 増資の結果 4 , 1 3 5 万円となったはずの 総資本金(予定資本金)が九鉄第 2 1 回報告では 6 0 万円少い 4 , 0 7 5 万円となっ ていることを取り上げ,これは本来若宮鉄道線路興業費として計上されてい た 6 0 万円を有耶無耶のうちに取消した疑いがあること,第二に前々年 1 1 月の 臨時株主総会で議決された増資のうち 2 9 9 万円分については既に前年 3 月期 限で証拠金を集め,その後本年 3 月中に第 l回の払込みを実施することが定 款付則で規定されているにもかかわらず第 l 回の払込みを実施せず証拠金を 無利息のまま放置していること,等をあげて先に批判の対象となった今村銀 行との貸借問題に続く九鉄経営報告中の第二の疑惑と指摘し,会社改革発生 の由なきとせずと決論づけていた。

翌 1 2 日『時事』は再び会社改革運動について「改革運動と株主の怠慢 J と 題する社説を掲げ,今度は九鉄改革運動を名指しで取り上げ次のように論じ ていた。

昨今九州、│鉄道会社の株主中には頻りに改革説を唱へ臨時総会を請求せんと奔走す

るものあるよし其目的の何くに在るやは知らざれども凡そ是種の運動を見るに配当

益の減少を以て直に重役の不能に帰し会社の改革を唱ふるもの多きが如し(中略)

営業の現状をば詳にせずして単に配当益の多少を云々するが如き無稽の甚だしきも

のと云はざるを得ず今の事業会社の中には年来の積弊を存して株主の人気を収むる

為めに営業の景気如伺に拘はらず専ら配当益を減ぜざることを勉むると同時に一方

には世間に対して株式の好況を保たんとして拡張の体面を張りながら業務の実際は

却て不始末なるものなきに非ず左れば株主たるものが当事者をして真実整理の実を

謀らしめんとせば目前の配当益に減少を見るが如き閏より覚悟の前として多少の日

(18)

月を限して整理を断行せしめ以て永久の利益を期せざる可らざる筈なるに其株主が

社務営業の実際如何をば不問に付し単に配当の割合を多くするの一事に注目して其

多少を以て当事者の能不能を議することもあらんには其結果自から知るべきのみ現

に或る鉄道会社の重役の如きは株式を騰貴せしめて其聞に奇利を博せんとするの目

的より非常の手段を以て営業費の節減を謀り乗客の危険,線路保存等の点は一切頓

着せずして只管目前の配当益を多くして株式の直段を釣上げんと試みたるものあり

若しも株主が単に配当の多きを当事者に望むときは或は無責任なる重役輩は奇貨居

く可しとして右の二の舞を演じ浮気の株主輩を喜ばしむると共に白からも大に利し

機会を見て忽ち身を脱するが如き始末にも立至る可し剣呑至極にして之が為めに迷

惑するものは真実の株主のみ孟し改革運動の連中などには配当益云々の俗耳に入り

易きを利して事情不案内なる株主を説き之を実行して株式を騰貴せしめ一時投機の

利を博せんとするものもあらん或は内心には自から為めにする所ありて重役の地位

を占めんとするものなどもあることならん会社全体の為めに謀りて決して難有から

ざるは何人も認むる所なるに然るに実際に住々か与る運動の行はる川ま畢寛一般の

株主が会社の利害に無頓着なるが為めに外ならざるのみ若し真実利益の密接なる多

数の株主にして永久の繁昌利益を目的とし常に会社の営業に注目するときは是種の

改革運動の如き仮令ひ之を企てんとするも実際に応ずるものはある可らず白から銘

々の利害を顧みて篤と考ふ可き所なり前に記したる小鉄道会社の如きは如何なる不

都合を見るも格別の関係なけれど若しも国中屈指の大会社に於て万ーにも斯る始末

を演ずるに至るときは其関係する所決して少小ならず(中略)内外の信用に関する

ものにして容易ならざる次第なりと云ふ可し(中略)従来同鉄道(九鉄一一引用者

註)の営業上に欠点多きは毎度耳にする所にして業務整理の必要は無論ならんなれ

ども果して整理とあれば単に目前の配当を多くせんとするの希望とは実際に両立す

可らず同鉄道は国中屈指の大会社にして株主の数も多きのみならず一人にして数千

百の株を所有する大株主も少なからず是等多数の株主大株主の見る所は如何,現任

の当事者に整理の手腕なしとならば自から他に方法を講ぜざる可らずと難も未だ其

力を試みしめざる其上に単に配当益の一点よりして改革を云々するは果して株主全

般の利益なるか将た其希望なるか徒に事を傍観して自家の利害を顧みざるは其輩の

怠慢に非ずして何ぞや直接に利害の関係ある多数の株主及び大株主たるものは大に

(19)

九州鉄道会社改革運動の中期段階に見る明治期鉄道企業の経営者と株主 1 3 5  

注意を密にして会社永久の為めに謀ること肝要なる可し

この社説では先の社説と異なり九鉄を直接名指して会社の改革運動を批判 しているが,内容的にも単に一部の投機的株主による運動に同調することを 批判した先の社説から一歩進んで,改草運動の多くが配当第一主義に起因し,

一方無理な高配当政策は結局会社の経営危機を招くことを指摘して,株主は

!1前の配当の多少のみで経営者の評価を行うことなく長期的視点からの経営 利益に注目すべきことを説き,株主,特に大株主の自覚を求めており,先の 同紙の社説と並んで,商法が全面施行され株式会社制度が本格的展開をみよ うとするこの時期における,株式会社での株主と経営者の在り方や財務政策 をめぐる言論界の一つの有力意見を示すものとして注目される。また同じ 1 2 日付の『中央』は両派の勢力について改革派は 2 0 余万株を,仙石社長派は 3 5 万株を得たとそれぞれ公言していること,仙石派の参謀長格は志立計理課長 であること,等を報じていた。

翌日日に至ると『中央~,、『東日~, ~国民』の各紙が「九鉄改革案報J , I 九 鉄改革運動続報」等と題する記事をー勢に掲載していた。その大略はほぼ同 じもので, 1 2 日までに改革派事務所に送付してきた委任状の総数が 1 8 万株余 に達し,発起者の持株と合計すれば約2 3万株となりしかも未開封のものが 5 0 0 余通残っている上に,これまで住所がわからず趣意書が未送付であった 1 0 0 株以下の株主名簿が到着し発送を開始したこと等から過半数の 3 0 万株余 への到着は近いと見られていること,一方会社側は株主名簿の写取を遅延さ ようとの傾向があり,また株主の住所移転等のため返送されてくるものもあ って改革派も困惑していること,重役派は事態の拡大による会社暗部の露呈 が株価の下落を招くことや今期の配当の増額を示唆して改革派の勢いを挫こ うとする動きがあること,三井は純然たる局外中立を守り経営側支持の三菱 も改革派の勢いを見て臨時しつつあるとの見方があること,重役派は志立計 理課長が東京で仙石社長は門司本社で防戦につとめ中でも仙石社長は福岡・

博多の実業家と博多港支線の建設の密約を結んで支持を求めているとの噂が

あること,社内では社員懐柔策として昇給を行ったがそれが不公平だとして

却って反発を招いていること,また担当社員は半徹夜で臨時株主総会答弁用

(20)

の 資 料 作 成 を 行 っ て い る こ と , 臨 時 株 主 総 会 で 調 査 委 員 選 出 の 件 が 成 立 す れ ば 仙 石 社 長 は 自 分 へ の 不 信 任 と 見 な し て 調 査 を 待 た す

e

に 辞 職 す る と 言 明 し て い る こ と , 等 々 が 報 じ ら れ て い た 。 こ れ ら の 記 事 は 1 5 日・ 1 6 日付の『門司』

や 『 九 日 』 に 転 載 さ れ て 九 州 に も 伝 え ら れ て い る 。 ま た 同 じ 1 3 日付の『東日』

や 『 福 岡 日 日 新 聞 j (以下『福日』と略称)は九鉄の今期の配当率が前期よ り上昇して 8 ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ 9 % に な ろ う と の 株 式 市 場 筋 の 予 測 を 伝 え て い た 。 更 に 『 福 日 J は 同 じ 1 3 日 付 で 「 三 井 家 と 九 鉄 改 革 派 」 と 題 し て , 三 井 家 が 改 革 派 寄 り と の 一 部 の 風 聞 を 否 定 す る , 東 京 よ り 帰 来 し た 三 井 家 と の 近 い 人 物 の 談 話 を 次のように伝えていた。

三井家の如きも陰然改革派の後援たる如く言摘すものあれど三井家にては九鉄現 在の施設に就て現重役とは多少見る慮を異にせる点なきにあらざれども彼の改革派 の唱ふる如き提議には全然、賛成の意を表すべき必要なきのみならず寧ろ反対の意見 を抱持するものと言ふを得べし何となれば同家にては現在の配当すら尚ほ多きに失 すとなし現重役が株主の歓心を買はんために兎角より出来る丈け多くの配当を試ん とし却て鉄道の経営を軽んぜんとする如き傾向あるを遺憾とするにある由なれば営 業費の節減によりて配当を多くせんよりは仮令営業費を増すも鉄道経営の輩固と利 便とを必期し之によりて将来の増収を謀り益々其改善発達を期すると共に大に内外 の信用を博し所謂九州唯一の交通機関たるの名に背かしめす

e

併せて九州のためには 直接間接に偉大の効化を及ぼさんと欲するに在るよし

こ の 記 事 で は 三 井 は 長 期 的 経 営 視 点 に 基 づ い て 配 当 を 減 じ て で も 改 善 を 進 め る こ と を 求 め て い る の で あ っ て , 目 前 の 配 当 第 一 の 改 革 派 と は 相 反 す る 立 場にあることが明確に指摘されており注目される。

〔註〕

1  )  I 九鉄改革運動続報 J

~中央J

8 月1 3 日 , I 九鉄臨時総会提出期 J

~国民J

8 月1 3 日 , 2)  I 九鉄改革案報 J

~東日 J

8 月 1 3 日,なおこの『東日』の記事では会合の日付が 1 2 日

とされている。

3  )同上。

4)  I 九州改革運動続報 J

~中央J

8 月1 3 日 , r 九鉄改革葉報 J

~東日 J

8 月1 3 日 , I 九州鉄

道裳報 J

~国民J

8 月1 3 日 。

(21)

九州鉄道会社改革運動の中期段階に見る明治期鉄道企業の経営者と株主 1 3 7  

5.  8 月 1 6 日の大株主会合による形勢変化

重役会後 1 2 日夕に井上保次郎と共に九州を離れた今村清之助は帰路 1 4 日に 大阪に立寄り,翌日日夕まで大阪で過した後,関西実業界の第一人者の一人 で,関西における鉄道投資家の中心として「鉄道王」の異名もとる松本重太 郎(百三十銀行頭取,山陽鉄道社長‑南海鉄道社長・豊州鉄道社長・日本製 糖社長・毛斯給紡績社長・汽車製造合資業務担当社員・阪鶴鉄道監査役・大 阪運河社長・大阪毛糸社長・大阪紡績監査役)を同道して同夜の列車で帰京 していたが,両名はこの列車中で,保養中の大磯からやはり帰京の途上にあ った渋沢栄一と遅遁し,九鉄について話し合っている。その内容は詳らかで ないが,後に見るごとくこの 3 名は翌日のこの紛争に関する九鉄大株主の会 合のメンバーとなっていることから見ても,当然改革運動についての協議が 行われたものと推察される。

一方向じ 1 5 日門司本社にあった仙石社長は大株主で取締役の麻生太吉(炭 碩業・嘉穂銀行頭取, 4 , 7 3 1 株)に対して次のような書簡を発していた。

拝啓,陳者其後東京ヨリハ別ニよし悪キ事モ申来ラス候へ共,昨日志立ヨリノ来 書ニ依レハ総会請求書ハ不日摺セノ筈トノ事ニテ先日ノ暗号電報ハ多分写違有ト存 候,文佐賀江副氏ヨリモ東京鍋島邸へ間合タルニ未タ請求ノ運ニハ至ラストノ事ニ 而候ハピ,御申越ノ事項別紙ニテ御承知被下度且本期配当ノ儀ハ先ツ前期卜大差ナ カルへク存候,尤モ事之ハ未タ一ヶ月半モ有之事故確乎トシタ事ハ申上兼候,多分 ハ間違ナキ事ト信申候,先ハ右御返事 i 占

書簡中の志立とは在京中の志立計理課長を,また江副氏とは佐賀在住の取 締役江副義朗(佐賀商工会議所会員, 2 0 9 株)を,また東京鍋島邸とは旧佐 賀藩主鍋島侯爵家を指すと考えられ,経営側がこの頃種々のルートを通じて改 革派の臨時株主総会請求書の提出期日の探索を図っていたことが窺えよう。

同じ 1 5 日改革派最大の大株主でこの運動の火付け役ともいうべき静岡の足 立孫六がやはり麻生太吉に対して次のような書簡を発していた。

拝啓,陳者九鉄改革件ニ就キ関敷御意見御伺度件有之,本月廿四五日頃錦地推参

致し度万障御繰合セ是非其頃御在宅願上候,併万一不得止支障有之候ハハ来ル廿日

(22)

迫ニ当方へ御打電願上候,廿一日は出発致候

この書簡で足立は運動に対する麻生の意見を聞きたいとして面談を強く希 望しているが, これは極秘裡の和解工作のためのものであった。表面的には 紛争が頂点に向おうとするこの時期に既に裏面では改革運動の発起者からこ のような動きが開始されていたことはこの運動の複雑な背景を示すものとし て注目される。

翌日日東京において九鉄大株主及その代理人によるこの紛争に関する初め ての会合が聞かれた。この会合について出席者の一人である渋沢栄ーは同日 の「日記」に次のように記している。「四時築地瓢屋ニ九州鉄道会社ノ事ニ 関シテ同志者ノ集会アリ,益田孝,今村清之助,松本重太郎,阿部泰蔵,田 島信夫,福沢捨次郎 志立鉄次郎 山崎某ノ諸氏卜会話ス」。一方この会合 については各紙も一斉に報じているが,その一つである『時事』の記事は次 のように伝えている。

九州鉄道会社の大株主或は大株主の代表者たる渋沢栄一,益田孝(三井),豊Jl I 良平(三菱),阿部泰蔵,田嶋信夫(毛利家),山崎隆篤(嶋津家),松本重太郎,

今村清之助等の諸氏は昨十六日夜築地瓢匡に会合し臨時総会を聞きて調査委員を設 けんとする一派の株主の運動に就て協議する所ありしに結局現社長仙石氏は就任以 来鋭意鉄道の改良に着手し目下実行の最中なれば仮令株主たりとも此佐事に立入る は謂はれなき事なり ‑ g 信任したる以上は只管其成功の如伺を視るべきのみ今日に 於て調査委員を設くるの必要は宅も認めず今一両年は当局者の措置に任せて一切之 に干渉せざるこそ株主の利益なれば調査委員設置説には全然同意せざる旨を一決し 尚ほ事宜によりては進んで大いて運動すべき筈なりと

この『時事』の記事によれば,会合の出席者として渋沢の「日記」の記載

に加えて三菱の代表として豊川良平の名があげられており,また会合の結果

今一両年は当局者の措置に一任との決論が出たとされているが,これらは他

紙の報道でもほぼ同様であった。またこの会合については後に仙石社長もそ

の麻生宛の書簡の中で「先達東京ニ於テ渋沢,益田,田島,山崎隆篤,松本

重太郎,福沢捨次郎,豊川良平氏等ノ会合アリ,其席ニ於テ改革派ノ調査員

設置ノ件ニ反対スル事ヲ決議致候」と記している。これらのことからこの日

(23)

九州、│鉄道会社改革運動の中期段階に見る明治期鉄道企業の経営者と株主 1 3 9  

の会合の出席者は,益田孝(三井物産専務, 9 3 株)豊川良平(三菱合資銀行 部支配人),阿部泰蔵(明治生命専務,東京倉庫社長, 6, 2 2 3株)田嶋信夫(毛 利公爵家財産部副主管・北海道炭積鉄道取締役・総武鉄道取締役, 1 .   0 0 0 株)

といった三菱(岩崎),三井,毛利等の九鉄大株主及びその代理人,更に九 鉄株主の一人で財界の取り纏め役の渋沢栄一,九鉄株主ではないが前日取締 役の今村と同道で上京してこの会議に臨んだ関西実業界の雄で「鉄道王」の 松本重太郎,これに経営陣から取締役の今村清之助,監査役の山崎隆篤の両 名及び計理課長の志立鉄次郎,更に時事新報社員で志立の義兄でもある福沢 捨 次 郎 の 計 1 0 名で,会合の結果仙石社長への一応の信任が決議されたこと が推察されよう。またこの日の会合は前日の取締役の今村らの帰京を受ける 形で開催されており,その出席メンバー及びその結論からも,この会合が経 営側の主導で発起された大株主の会合であったことが窺われよう。またこの 会合に時事新報社の福沢拾次郎が参加して L 、ることは,先に見たその経営陣 支持の論陣と並んで,この運動に対する『時事』の立場を如実に示すものと して注目されると共に, w 時事』の伝えるこの会談内容の信想、性の高さを示 唆していると見ることもできょう。またこの会合については, I 殊に目立つ のは毛利家家令田嶋氏と嶋津家の山崎氏とである此会合に強て名を付ければ 藩長連合とでも云ひそうに見へる此の狂言は井上伯の仕組らしく考へらる

J と背後に井上馨の存在を見る見方や,非株主の松本重太郎の出席につい

て , I 又た松本重太郎氏の出たのは豊州鉄道の九鉄売込みを兼ね其外山陽と

九鉄が連絡上よりの御付け合ひらしし、」との見方もなされていたが,松本の

出席の理由として山陽・豊州両鉄道との関係があげられているのは先に見た

ごとく彼が両社の社長であったことによると推察される。なおこの会合が重

役の今村清之助や山崎隆篤の発起によるものと見て,批判の対象となってい

る重役が反対の立場に立って調査の不必要を唱えるのは「自己等の蹟職の譲

りを掩はんとするの挙措」であるとの批判も発生していた。特に監査役山崎

隆篤のこの会合での仙石社長一任決議への参加は,本来株主側に立つべき「監

査役として其職責を放棄したるもの」としてこの後問題化されることとな

る。またこの会合の結果について 1 8 日付の『万朝 J は次のような見方を伝え

(24)

ていた。

是迄傍観の地に立ちし三井 三菱の大株主も改革派の気勢漸く加はり来るを見て ハ前途懸念なき能はず(中略)瓢屋に会合し改革派に対する方針に就き協議する所 あり。結局,改革派の配当増加を唱へ臨時総会を聞き調査委員を設くるが如きハ寧 ろ会社の前途を危からしむるものなれパ之に賛成すること能はずと決議したり,改 革派の勝敗ハ三井三菱等の去就に依りて決すべき形成なりしに今や此決議あり改革 派も愛にー頓挫を来さどるを得ざらん

この会合で三菱,三井等の超大株主が経営側支持を決議したとの報は,こ の記事も指摘するごとく改革派の隆盛に冷水を浴びせ,この紛争における一 つの転機となったと見ることもできょう。

一方改革派側も同じ 1 6 日夜浜町常磐屋で東京及び九州の首謀者が会合し,

臨時株主総求請求の日取り等について密議を凝らしていたが,経営側の反撃 の「警報に接し遂に協議を果さずして」散会していた。

翌 1 7 日の『万朝』は「九鉄改革と御用党」と題する記事の中で,改革派が 既に 2 7 ' " ' ‑ ' 2 8 万株を集め過半数に迫っていると伝えた上で この運動の背景に は鉄道固有化に向けての憲政党や帝国党と結託した尾崎三良等の所謂「株屋」

の策謀があるとの観測を流していた。

1 6 日の非改革派の大株主会合により経営側の勢いが拡大する中で, 1 8 日午 前には改革派首脳が銀座 2 丁目の改革派事務所で会合し 夜に入って席を築 上の新喜楽に移して深更まで協議の末 次の決議を行ったと報じられてい

る 。

第一 同志固く約束して最後の目的を貫く事

第二 発起人は毎日事務所に出席し作戦計画に努力する事

第三 九州鉄道の弊害を除却するに就ては非常手段を取るも之を辞せざる事

この日各紙が 1 6 日の大株主会合の結果三菱,三井が経営側を支持したこと

を一斉に報じており,それを受けたこの日の改革派の決議にも一転して劣勢

に立った改革派の危機感を見ることもできょうーなおこの決議中の非常手段

とは営業報告書中の虚偽に対して法律的対抗手段をもとることではないかと

の観測もなされていた。これは経営側の反攻を取締役の今村清之助等の運動

(25)

九州鉄道会社改革運動の中期段階に見る明治期鉄道企業の経営者と株主 1 4 1  

によるものと見てこれに反発したもので,手段方法も激化しつつあり, I 熊 本の株主中には老壮土砂なからず是等は臨時総会の開会を待つ迄もなく先づ 出京して大株主の門を叩き九鉄の弊害を訴ふべしとて既に出京したる者あ り」とも報じられていた。一方仙石社長の改革派の趣意書に反論する意見書 が既に脱稿して 2 ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ 3日中にも東京に到着の予定と伝えられていたため,こ れを見た上で改革派の意見書と対照して進退を決せんと公言する大株主が多 いとも報じられていた。また同じ1 8 日付の『中央』は「九州鉄道改革運動の 模様」と題する記事の中で改革派株主の動向や三井の経営陣支持の報の与え た影響について,改革派が既に2 0余万株に達し本月中には過半数の3 0万株に 達するであろうこと,また運動費として有志より 3万円を募集したが2, 3日 前に募集済みとなり, I 愈よ勢を得たるのみか熊本県の出京委員上羽勝衛氏 の如きは臨時総会開会の上は同志株主の保護として熊本より壮士数百人を門 司に送るべしとて暗に会社派の株主に棄権を促がし居れり」状況であるが,

一方経営側は今村清之助 志立鉄次郎を中心に大阪の松本重太郎も出京して

運動にあたり混戦中であり,改革派が最も頼みとした三井家は最初中立の姿

勢であったのが今や会社派と確定し, しかも経営側は「巳むを得ずんば所有

株を分割しても権利数を増加すべしとの事」なので,改革派は更に鍋島(旧

佐賀藩主家),黒田(旧福岡藩主家)の両侯爵家の説得を図り,現に尾崎三

良男爵が黒田家に出入して勧誘中であるが,一方経営側も両侯爵家は会社派

であると称して防戦に努めており,その他の華族も双方から引張凧の有様で

ある,と報じていた。両派が地元の旧藩主である華族層にも運動を展開して

いたことが窺えるが,これは旧藩主の多くが大株主であったためだけで はな

く,一般株主への旧藩主家としての影響力をも狙ったものと推察される。な

お改革派中で‑は尾崎三良が華族への運動にあたっているとされているのは尾

崎自身が華族の一員(男爵)で しかも華族層のリーダー的存在の一人であ

った故三条実美の旧家臣であったことから華族界に通じていたことによると

考えられる。ところでこれらの記事の中で改革派熊本株主の領領上羽勝衛が

臨時株主総会への壮士の動員を示唆して会社側を威嚇しているとされている

が,これは上羽のかつての自由民権運動活動家としての経歴と共に改革派熊

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