◎論説
中国のエスニック・ツーリズム
少数民族の若者たちと民族文化
曽士才
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はじめに
中国において観光が有望な産業として注目されるように
なったのは一九七八年に改革・開放政策がとられるように
なってからである︒入五年からスタートした第七次五ヵ年
計画において観光地や交通網の開発整備が本格的に行
ム われ︑その基礎の上に九二年からは国家旅游局と中国民航
局が共同主催して毎年の観光テーマを設け︑新たな海外市
場の開拓に乗り出している︒九二年中国友好観光年︑九三
年中国山水風光游︑九四年中国文物古跡游︑九五年中国民 俗風情游︑九六年中国渡假休閑游︑九七年中国旅游年と現
在まで続いている︒
同時に国家旅游局は九二年に全国二四九か所の国定観光
地と一四のテーマ・ツアーを設定した︒このなかには﹁尋
根朝敬之旅﹂(黄帝や孔子など神話・歴史上の人物ゆかり
の地を訪ねる旅)︑﹁仏教四大名山朝聖游﹂︑﹁烹鉦王国游﹂(グルメの旅)など多彩なテーマが設定されているが︑﹁西
南少数民族風情游﹂(西蔵︑雲南︑貴州︑広西︑広東︑海
南の四省二自治区のエスニック・ツーリズム)︑﹁綜綱之路
游﹂(陳西から新彊までのシルクロードの旅)︑﹁泳雪風光游﹂(内モンゴルと東北三省の銀世界を楽しむ旅)の三つのテー
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マ・ツアーには少数民族が集住する地域が含まれている︒
とりわけ﹁西南少数民族風情游﹂では雲南の大理ぺi族︑
麗江ナシ族︑西双版納タイ族︑貴州の凱里ミャオ族︑広西
の左江チワン族︑海南の通什リi族など少数民族の村々が
観光スポットになっている︒
中央政府や地方政府が﹁民族風情游﹂つまりエスニック・
ツーリズム(以下民族観光と訳す)に力を入れるのには二
つの理由がある︒一つは観光産業が民族地区にとり有力な
地域開発の手段と位置付けられていることである︒中国で
は﹁温飽﹂(衣食)すら不自由している人が一九九六年現
在全国で六五〇〇万人おり︑その八割以上が少数民族であ
る︒政府や民間による数々の貧困救済策が採られているが︑
資本や人材の不足︑インフラ整備の遅れにより大規模な工
業開発はなかなか起こせないのが実状である︒それに対し︑
民族観光は少数民族自身が資源であり︑比較的少ない投資
で立ち上げることができ︑関連する第三次産業への就業機
会も増えるということで︑﹁少数民族地区経済を振興させ
ムヨ る突破口﹂と期待されている︒
もう一つは︑民族観光の発展は国家が進めてきた民族政
策が実をあげていることの証となるからである︒七八年以
降中国はそれまで一九年間続いた少数民族の漢族への同化
政策を改めた︒さらに八〇年代に入ると中国は自らを社会
主義の初級段階にあり︑民族は消滅するのではなく︑むし ろ民族は繁栄するのだということを明確にした︒八四年に
は﹁民族区域自治法﹂が正式に制定され︑現在まで大小一
六〇近くの地区において民族自治権が行使され︑少数民族
の言語や文化が尊重されるようになった︒﹁民族的﹂なも
のは﹁反革命﹂とされた時代と異なり︑少数民族は観光を
通じ自らの民族文化を披露できるようになったのである︒
民族観光乏は多民族国家が国内の多様な民族集団とそれぞ
れの固有の文化の伝統を国民国家と国民文化のなかに再編
る 成し︑統合するプロセスとしてとらえることができる︒
国家のもとで始まった少数民族地区での民族観光はその
後すそ野を広げ︑大小の都市におけるテーマパークとして
の民族村・民族園や︑少数民族の料理と踊りや歌のショー
がセットになったエスニックレストランなど多様化してき
ている︒前者のうち規模の大きなものとしては深馴の中国
民俗文化村︑北京の中華民族園︑貴陽郊外の紅楓湖個苗沖
民族旅游村︑昆明の海垣民族村をあげることができる︒ま
た︑後者の例として北京の状況をみると︑九五年初め北京
には=二三軒の民族料理店(﹁民族餐館﹂という︒北京
市民族事務委員会の統計による)が営業している︒大半は
イスラム教徒のために以前から開かれていた清真餐館であ
るが︑この二︑三年は一般の客をターゲットにしたエスニ
ックレストランが爆発的に増えており︑モンゴル族︑チベ
ット族︑朝鮮族︑満族︑オロチョン族︑ウイグル族︑カザ 唱
フ族︑タイ族︑ミャオ族などの芸能と料理を味わうことが
できる︒こうしたテーマパークやレストランは少数民族の
若者たちにとって今や有望な働き口になっている︒
筆者は一九九四年から九七年まで貴州省東南部の贈東南
苗族個族自治州各地で観光による村起こしに関する調査を
行うとともに︑中国民俗文化村などのテーマパークで調査︑
聞き書きを行った︒本論の目的はこれまでの調査で得た資
料に基づき︑民族観光の概要(観光の展開過程︑観光が観
光客を受け入れる社会や個人に与える影響など)︑民族観
光に従事する若者たちの実態と意識︑観光をとおしての﹁民
族文化﹂の創出について考察し︑変貌する少数民族像を描
くことにある︒
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シ ョー タイムに出演す るミャオ族 の人たち (北京のエ スニ ック レス トラン にて)
民族観光の概要
民族観光には大きく分けて二つの形態がある︒一つは辺
境の民族村を舞台にした民族観光である︒貴州省欝東南苗
族個族自治州のミャオ族やトン族の村々︑海南省三亜市か
ら通什市に至る間に点在するリー族やミャオ族の村々︑雲
南省西双版納俸族自治州のタイ族の村々がこの形態の先進
地であり︑貴州省と雲南省では一九八六年に︑海南省は一
九八九年にできている︒民族村といっても厳密には村おこ
しのために元からある村を開放するケースと公的機関や外
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部の出資により人工的に民族村を作るケースがある︒貴州
省ではすべてが村おこしの民族村で︑海南省ではすべてが
人工的な民族村である︒雲南省では両者が混在している︒
もう一つの形態は都市および都市近郊に建設された民族
のテーマパークやエスニックレストランである︒規模は大
小様々であるが︑民族舞踊などのパフォーマンスに従事す
る者が辺境から来た少数民族である点が大きな特徴であ
る︒前者の形態の事例として貴州省踏東南苗族個族自治州
のミャオ族村での観光開発の現状を紹介し︑後者の形態の
事例として深切の中国民俗文化村︑北京の中華民族園︑貴
陽郊外の紅楓湖個苗沖民族旅游村を紹介する︒
賠東南苗族伺族自治州における
民族観光による村おこし
貴州省は全人口の二六%を非漢民族が占める全国でも有
数の少数民族地区である︒同時に一九八六年時点で省内に
一二一二八の貧困郷を抱える有数の貧困地帯でもある︒近年︑
これら貧困地域では工業開発ではなく観光産業によって近
代化をはかろうとする動きがみられる︒貴州東南部に位置
する欝東南苗族個族自治州では八六年から観光開発が始ま
り︑現在三つの観光エリアがある︒州都凱里一帯のミャオ
族やコー家(ミャオ族に近い民族集団︒国からまだ正式に
少数民族として認定されていないため︑××家と呼ばれて いる)の村を観光スポットにした﹁苗族風情旅游区﹂︑撫
陽河流域の自然景観や名所旧跡を中心とする﹁漁陽河風景
名勝区﹂︑自治州南部のトン族の村を観光スポットにした
﹁南部個族風情旅游区﹂の三つである︒
自治州の観光開発には三つの特徴がある︒一つは人工的
に作られた観光村ではなく︑少数民族が実際に生活する村
が観光スポットとして開放され︑観光動線が村の中に伸び
ていること︒二つめは外部の観光産業が進出しておらず︑
省政府や自治州政府の支援のもとで観光開発が進められて
きたこと︒三つめは開発に住民の意見が反映され︑労力や
資材の提供を通じて開発に住民が直接参加していることで
ある︒踏東南自治州ではこのように︑少数民族による持続
可能な自立開発型の観光開発が行われてきた︒自治州旅游
局認定の民族風情旅游点(民族観光スポット)は八六年の
七か所から九七年の四七か所にまでに増加しており(地図
参照)︑旅游局局長によると︑自治州では今後は州の中核
産業として観光産業に力を入れていく方針だという︒
民族村の観光開発は村人の自発的な意志なくしては持続
不可能であるが︑国家が重要な役割を果たしたことを指摘
せねばならない︒貴州省では少数民族社会の伝統が急速に
変貌するなか︑民族文化は都市ではなく農村にあると考え︑
その核となる﹁村落文化﹂の保護のために省文化庁は八四
年に﹁民族村の調査保護に関する通知﹂を出した︒﹁通知﹂
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