Economic Monitor
主任研究員 石川 誠 03-3497-3616 [email protected] 本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、伊藤忠経済研 究所が信頼できると判断した情報に基づき作成しておりますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告牽引役不在の低成長から脱け出せないユーロ圏経済
ECB が 6 月 5 日に決めたマイナス預金金利などの金融緩和策は、ユーロ圏経済の底割れリスク
を軽減しよう。しかし、厳しい雇用情勢や設備稼働率の低迷により銀行への借入需要が弱いため、
早期の貸出回復には結び付き難い。また、今回の金融緩和に伴い、ユーロ相場は下落に転じたが、
輸出や物価を明確に押し上げるには一段安となる必要がある。そうした中で、ECB は年内にも
追加緩和に踏み切る可能性が高いが、ECB の手札も限られてきており、強力なユーロ安誘導効
果は見込み難い。やはり各国政府による財政引き締めが続いている中では、ECB ができ得る限
りの金融緩和を進めても、ユーロ圏経済が牽引役不在の低成長状態から脱け出すことは難しい。
ECB がマイナス預金金利などの金融緩和策を決定 ECB(欧州中央銀行)は、6 月 5 日の定例理事会で一段の金融緩和を決めた。具体的には、①主要政策金 利を0.25%から 0.15%へ引き下げたほか、②民間銀行が余剰資金を ECB に預け入れる「中銀預金」の金 利を0%から▲0.1%へ、マイナスに引き下げた1。加えて、③ユーロ圏内企業への融資拡大を約束する銀行 を対象とした、4,000 億ユーロ規模の低利資金供給オペ(TLTRO2)の導入、④過去の国債買い入れプロ グラム(SMP3)で市場に出した資金を吸収(不胎化)するオペレーションの打ち切り4も決めた。さらに、 今後追加緩和を行う場合の選択肢を広げるため、⑤住宅ローン債権などに裏付けられた、シンプルで透明 性の高い資産担保証券(ABS)を ECB が買い入れるための準備を進める方針も表明した。 今回の措置について、メニュー一つ一つの内容は概ね市場での事前予想の通りであったが、それらが「全 部盛り」とも指摘されるように、一括で打ち出されることは殆んど予想されていなかった。 デフレ突入リスクの高まりが背景 ECB が予想外に盛り沢山の政策パッケージを打ち出した理 由は、ユーロ圏のインフレ率が低下し、デフレ突入リスクが 高まっているためである。消費者物価の前年同月比上昇率は、 2011 年 11 月の 3.0%をピークとした低下傾向を辿り、昨年 春以降はECB の政策目標である「2%弱」を明確に下回る状 態が持続、そして今年3 月および 5 月には 0.5%と 2009 年 11 月以来の低い伸びとなった。こうしたインフレ率の低下に は、一時的要因とされるエネルギーの価格下落も含まれるが、 5 月はエネルギーを除くベースでも 0.6%にとどまった。 1 マイナス預金金利の導入は、主要国・地域の中銀としては初めて。銀行が ECB に預金する際に手数料を払わねばならない状況 を作ることで、各行の資金がECB への預金ではなく、企業・個人向け融資や銀行間融資に回ることを、ECB は期待している。2 Targeted Longer-Term Refinancing Operation(的を絞った長期資金供給オペ)。今年 9 月・12 月に実施、満期は 2018 年 9 月。
3 2010 年 5 月から 2012 年 3 月にかけて、ECB がギリシャ、アイルランド、ポルトガル、イタリア、スペインの国債を買い入れ たものであり、現在の全保有残高は約1,600 億ユーロ。 4 今後予定されていた資金吸収を行わないことになるため、実質的な資金供給策になる。 (出所) Eurostat ユーロ圏の消費者物価 (前年同月比、%) ▲1 0 1 2 3 4 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 エネルギーを除く 全品目
低インフレの2 つの要因:①低成長 そして、そうした低インフレの背景にあるのが、以下の 2 点である。第 1 は、ユーロ圏景気の持ち直しペースが緩慢 で、需給の緩みが根強く残っていることである。6 月 4 日に 発表されたユーロ圏の 1~3 月期実質成長率(改定値)は、 前期比0.2%(年率換算 0.7%)と、4 四半期連続のプラス成 長にはなったが、昨年10~12 月期(前期比 0.3%、年率換 算1.0%)からは低下した。 需要項目毎の内訳によると、輸出の伸び悩みが成長率を小 幅にとどめる主因となった。輸出の伸びは昨年10~12 月期の前期比 1.4%から今年 1~3 月期には 0.3% へと大幅に鈍化5し、輸入(0.7%→0.8%)の伸びを下回った。これにより、純輸出(輸出-輸入)の成長 率への寄与度は、0.3%Pt から▲0.2%Pt へとマイナスに転じた。 裏返せば、ユーロ圏経済は、輸出の伸び悩みを圏内需要の拡大がカバーし、何とか10~12 月期並みの成 長率を確保できたことになる。しかし、その圏内需要の拡大も、在庫投資(昨年10~12 月期の成長寄与 度▲0.2%Pt→今年 1~3 月期 0.2%Pt)の増加によるところが大きい。そして、固定資産投資(10~12 月 期前期比0.9%→1~3 月期 0.3%)の増勢鈍化、個人消費(0.04%→0.1%)の低迷持続、さらに上述した輸 出の伸び悩みを踏まえると、在庫投資の増加は主に意図せざる積み上がりによるものと考えられる。 また、国毎の動きは斑模様である。主要国では、ドイツの成長率が昨年10~12 月期の前期比 0.4%から今 年1~3 月期には 0.8%まで高まった6ほか、スペイン(0.2%→0.4%)も伸びを高めた。しかし一方で、フ ランス(0.2%→0.03%)とイタリア(0.1%→▲0.1%)の成長率が低下し、ユーロ圏全体の足を引っ張っ た。このうち、スペインの成長率上昇については、昨年10~12 月期に大幅に落ち込んだ政府消費の反動 増を含んでいることや、失業率(4 月 25.1%)がユーロ圏平均(11.7%)を大幅に上回っていること、銀 行の不良債権比率(3 月 13.4%)が過去最悪水準で高止まっていることなどを踏まえると、実力以上の動 きと考えられ、持続性には大きな疑問が残る。 すなわち、ユーロ圏景気の持ち直しは、緩慢なペースにと どまっている上、内容も心許ない。 ②ユーロ高 第2 はユーロ高である。ユーロの対ドル相場は、2012 年秋 以降上昇傾向を辿り、今年5 月上旬には 2011 年 10 月以来 の高水準となる1 ユーロ=1.40 ドルに接近、約 1 年半で 1 割強の上昇となった。主な背景としては、(1)米国で量的緩 和政策が拡充された一方で、ECB の金融緩和が小出しにと 5 通関統計によれば、1~3 月期の輸出は、米国向けや中国向けが増加したものの、中近東向けと ASEAN 向けが減少に転じた。 また、英国向けの増勢が一服したことも、全体の伸びの抑制に寄与した。 6 ドイツでは、輸出の伸びが大幅に鈍化したが、内需が固定資産投資を中心に増勢を強めた。特に建設投資が暖冬によって活発 (工事進捗が順調)となり、1~3 月期の成長を牽引した。 (出所) Eurostat ユーロ圏の実質GDP (%、季節調整済前期比) ▲1.0 ▲0.8 ▲0.6 ▲0.4 ▲0.2 0.0 0.2 0.4 0.6 0.8 2011 2012 2013 2014 個人消費 政府消費 固定資産投資 在庫投資 純輸出 実質GDP (出所) ECB (注) 直近値は6月13日。 ユーロ相場の推移 (ドル/ユーロ、週末値) 1.20 1.25 1.30 1.35 1.40 1.45 1.50 2011年 2012年 2013年 2014年 ↓ユーロ安
どまってきたことのほか、(2)アイルランド(2013 年 12 月)、スペイン(2014 年 1 月)、ポルトガル(2014 年5 月)の金融支援を受ける状態からの脱却などを受けて、欧州債務問題やユーロ圏維持を巡る投資家の 警戒感が薄れたことが挙げられる。従って、必ずしもネガティブな理由ばかりではないが、いずれにして もユーロ高は、上述した輸出の伸び悩みとそれに伴う低成長、およびインフレ率の低下の一因となってい る。そのため、今年3 月以降、ドラギ総裁をはじめ ECB の複数の高官から、ユーロ安誘導を示唆する発 言が相次いでいた。 長期金利が低下し、ユーロ相場も頭打ちとなったが・・・ ECB による今回の措置に対する主な初期反応であるが、ま ず、ユーロ圏加盟各国の国債市場への資金流入が続いている。 特に、アイルランドの10 年物国債利回りは 6 月半ばにかけ て米国(2.6%台前半)を下回る 2.4%台前半へ低下、スペイ ンも米国とほぼ同水準の 2.6%台前半へと低下した。中銀預 金金利がマイナスになったことを受けて、民間銀行の余剰資 金が国債市場に向かい始めたため、あるいは、そうした動き を見越した投資家が国債購入を積極化させたためと推察さ れる。 そして、米国とドイツの金利差が5 月末の 1.12%Pt から 6 月半ばには 1.24%Pt へと拡大7する中で、ユー ロ相場が下落に転じた。為替市場では5 月中旬以降、6 月の追加緩和を見越したユーロ売りが優勢となり、 緩和措置が実際に決定された後も、概ね1 ユーロ=1.35 ドル台前半で推移、ほぼ 1 ヵ月間で 3%のユーロ 安となった。 もっとも、ユーロ相場の足元の水準は、昨年前半の平均に比べるとなお 3%程度高いことなどから、為替 面から輸出や物価を押し上げるためには、もう一段のユーロ下落が必要と考えられる。そうした観点から、 当面は、今回の金融緩和によって、国債利回りの低下などを伴いながらユーロ安がどこまで進むのかが注 目され、下落がさほど続かなければ、早期に追加緩和が行われる可能性も十分にあり得よう。 銀行貸出の早期回復は困難 また、ECB による今回の措置は、銀行から家計・企業への 貸出を強く促すものとなったが、ECB の狙い通りに効果が 発現するのかどうかは疑わしい。 現状を確認すると、ユーロ圏内の銀行による家計・非金融企 業向け貸出残高は、2012 年 5 月に前年同月比でマイナスに 転じ、2013 年 7 月には減少率が▲2.9%に達した。その後、 減少ペースは鈍化したが、今年 4 月時点でも▲1.6%とマイ ナスが続いている。特に、非金融企業向けの落ち込みが全体 を大きく下押ししており、4 月も▲3.3%の大幅減となった。 7 6 月 6 日に発表された米国の 5 月雇用統計が安定的な改善を示したことも一因である。 (出所) CEIC Data (注) 2014年4月末時点の残高は、非金融企業向けが4.33兆ユーロ、 住宅ローンが3.87兆ユーロ、消費者信用が0.57兆ユーロ。 ユーロ圏銀行の貸出残高 (前年同月比、%) ▲8 ▲4 0 4 8 12 16 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 家計・非金融企業向け合計 家計向け(住宅ローン) 家計向け(消費者信用) 非金融企業向け (出所) Bloomberg (注) 直近値は6月13日。 ユーロ圏主要国および米国の10年国債利回り (週末値、%) 1 2 3 4 5 6 2013年10月 2014年1月 4月 ポルトガル 米国 イタリア アイルランド スペイン フランス ドイツ
この要因については、銀行サイドの貸出姿勢が慎重なことよ りも、厳しい雇用情勢や企業の設備稼働率の低迷などから、 家計・企業サイドの借入需要が弱いことが大きいと考えられ る。すなわち、ユーロ圏銀行の融資基準は、家計向け(住宅 ローン)、企業向けともに、既に今年4 月にかけて総じて改 善が進んでいる。一方、ユーロ圏の失業率は悪化にようやく 歯止めが掛かったが、今年4 月の段階でも 11.7%で高止まっ ている。また、企業の設備稼働率は、前回の設備投資拡大局 面の初期にあたる 2005 年の平均(81.5%)を下回る状況が 続いており、むしろ今年4 月には 79.5%と 1 月の 80.1%から 低下した。こうした中では、借入を伴う家計の耐久財需要や 住宅需要、企業の設備投資需要は、直ちに回復し難い。 従って、ECB による今回の措置は、銀行貸出回復の必要条 件ではあっても、十分条件とは言い難い。少なくとも貸出が 急速に回復していく展開は見込めず、マイナス預金金利を回 避したい銀行の余剰資金は結果として、上述した国債市場に 流入し続ける可能性が高い。 ユーロ圏内で銀行貸出が着実に回復していくためには、まず、 一段のユーロ安に伴い輸出が復調し、企業活動が活発化、そ して労働需要や投資需要も高まるといった経路をたどる必 要がある。そして、そのような展開が実現する場合でも、一定の時間を要すると考えられる。 財政引き締めも持続 以上の諸点のほか、ユーロ圏では、各国政府が引き続き債務削減のための財政引き締めを迫られている。 欧州委員会による今年5 月時点の経済予測によると、政府債務残高の対 GDP 比率は、2013 年末の 95.0% から2014 年末には 96.0%へと一段と上昇し、EU の財政協定が定める 60%ラインからの乖離が一層進む と見込まれている。そのような中で、欧州委員会の同じ予測によれば、ユーロ圏全体の財政収支対 GDP 比率は、2012 年の▲3.7%から 2013 年には▲3.0%へと 0.7%Pt 改善し、さらに 2014 年には▲2.5%へと 0.5%Pt 改善していく見通しである。これは、2014 年も財政引き締めによる景気下押しが続くことを意味 している。 ECB は年内にも追加緩和、ただしユーロ安誘導効果は限定的 このように、ユーロ圏では、厳しい雇用情勢や財政の引き締めなどが続く中で、内需低迷がなお続くと見 込まれる。ECB が今般打ち出した貸出促進策の内需押し上げ効果も限られよう。一方、ECB による今回 の金融緩和パッケージは、ECB がようやく重い腰を上げてユーロ高に立ち向かい始めたと市場で受け止 められ、ユーロ相場の反転につながった。しかしながら、輸出の本格回復、およびインフレ率の上昇には、 もう一段のユーロ安が必要であり、そのためには、ECB が今後も、市場の催促に応える行動をとり続け なければならない。 (出所) Eurostat、欧州委員会 ユーロ圏の失業率と設備稼働率 (%、季節調整値) ▲2 0 2 4 6 8 10 12 68 72 76 80 84 88 92 96 2004 2006 2008 2010 2012 2014 設備稼働率 失業率(右目盛) (資料) ECB(欧州中央銀行) ユーロ圏銀行の融資基準 (「厳格化」-「緩和」、%Pt) ▲20 ▲10 0 10 20 30 40 50 60 70 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 企業向け 家計向け(住宅ローン) ※3ヵ月前からの変化を1,4,7,10月に調査 ↓融資抑制圧力大
そうした中で、ECB は年内にも追加緩和を余儀なくされる可能性が高い。ただし、メニューについては、 ①今回理事会の声明文および理事会後のドラギ総裁会見で、金利調節の打ち止めが示唆されたこと、②日 米のような量的緩和策としての大規模な国債購入は、ECB による財政ファイナンスを禁じた EU 条約に 抵触8することなどを勘案すると、さほど「手札」は残っておらず、今回導入されたTLTRO の拡充や、「予 告」されたABS の買い入れが有力である。しかし、上述の通り、そもそも今回の TLTRO の効果発現す ら疑わしい上、ECB 流の量的緩和の中心手段と位置付けられるであろう ABS の買い入れは、銀行の中銀 預金を膨張させる点で、今回導入されたマイナス預金金利と両立困難と考えられることから、両措置が講 じられる場合のユーロ下落効果は、利下げやマイナス預金金利の導入ほどにはならず、極めて限定的とな る可能性が高い。 引き続き低成長を余儀なくされる見通し 換言すれば、ECB によるユーロ安誘導策にはや はり限界があり、そのもとで、輸出を牽引役と した成長加速のシナリオは描き難い。 そして、以上に基づけば、ユーロ圏の2014 年の 成長率は 0.7%にとどまり、2015 年の成長率も 1%に届くのが精々と予想される。
8 2012 年 7 月に整備された発動条件付きの OMT プログラム(Outright Monetary Transaction。EU に支援を要請し、財政健全
化努力を約束した国に限り、残存期間1~3 年の国債を買い入れ。これまでのところは未発動)や、今回決まった SMP に関する 不胎化打ち切りも、厳密には財政ファイナンスの一種であり、既に条約が骨抜きになっているとも言えるが、ECB にとっては依 然として、国債購入以外の量的緩和手段を優先する強い動機となろう。 2011 2012 2013 2014 2015 %,%Pt 実績 実績 実績 予想 予想 実質GDP 1.6 ▲0.7 ▲0.4 0.7 1.0 個人消費 0.3 ▲1.4 ▲0.6 0.3 0.3 固定資産投資 1.6 ▲4.0 ▲2.8 1.2 1.5 在庫投資(寄与度) (0.3) (▲0.5) (▲0.0) (0.1) (0.1) 政府消費 ▲0.1 ▲0.6 0.1 ▲0.1 ▲0.1 純輸出(寄与度) (0.9) (1.5) (0.5) (0.3) (0.6) 輸 出 6.5 2.5 1.5 2.8 5.0 輸 入 4.5 ▲0.9 0.4 2.4 4.2 (出所)Eurostat ユーロ圏の成長率予想