――目次――
論文
1,
『次第禅門』所出の「北国諸禅師」の「通明観」, 多田孝正, On Tongmínguăn (通明観) of Chanshi (禅
師) in North China according to the Cídíchámén (次第禅門), Kōshō TADA, pp.1-21.
2,
民俗的象徴と原始的宗教性:折口信夫の民俗学発見, 島薗進, Folkloric Symbols and Primitive
Religiosity: How Shinobu Orikuchi Discovered the Method of Folklore, Susumu SHIMAZONO, pp.23-43.
3,
体験的コスモロジについて:W.ライヒの場合, 小野泰博, On tha Cosmology as Experience (la
cosmologie vécu), Yasuhiro ONO, pp.45-66.
特別寄稿
4,
イギリス宗教社会学の最近の動向, ブライアン・R.ウィルソン, Bryan Willson, pp.67-94.
書評と紹介
5,
八木誠一著『仏教とキリスト教の接点』, 西村恵信, Eshin NISHIMURA, pp.95-98.
6,
金子晴勇著『ルターの人間学』, 谷口茂, Shigeru TAGUCHI, pp.98-101.
7,
鈴木範久著『内村鑑三とその時代―志賀重昂との比較―』, ジャン・ハウズ, Jan HOUZE, pp.101-105.
Posted in 1976
(昭和51)年
『次第禅門コ 所出の 「 ゴヒ国 諸禅師」の「 通 明観 」
と 認められているものの一 つ である。 って検討することを目的とするものである。
り 、金陵にお け ︵
思 より法華三昧を
の 実践の裏付けな 持 ︵ 2 ︶ っていたためである。
る ﹁通明神﹂によ
弁 的となり、次第
った 。反面、北朝 仏
﹁
次
第
禅門﹂所出の
﹁北国諸禅師﹂の
﹁通明
観
﹂
田
多
享正
の 修行方法を網羅し、諸法実相観の上で統一
@
が 数多 いの である。︵ 3 ︶
ある。
間赤出世間禅の部類に属するものであるが、 論 口の中には存在しないのである。
︵ 4 ︶
べている点に注目する必要があると思はれる。
割は行人の根性の不同によって 、
二者官有衆生 定 根多面 慧 佳歩 為説
其根本 禅 両親慧可 細
度論ヒの
は
敗走四禅
中 暫定尊面 OOO 楽 未到地中間 OO二者の中では定慧が等しいとされる﹁通明 観 ﹂
﹁一八秒間﹂を鼓吹した理由についてはあまり 明 確
十六時勝三者
OOOOOぬ智
多面定少無
が 一番勝れていると にされていない。 或 しょうとしたもので 。記述内容も類似し 羅 蜜の中で処を得せ この三門は㍉大智皮 裏な地位を占めてい し 智凱が 同次第禅門 L ( ㏄ 2) 2『次第禅門 刀 所出の「北国諸禅師」の「通明 観 」 証
仏教の研究﹂所収
自大師の研究﹂所収
自大師の研究﹂所収 0 ︵ 7 ︶
耳 ﹂と批評されたこ も 推察される。 神 実践の消息を伝え 献の中においても・ 教
であって、実際の教
難 である。
のとして考えられ
である。
処 において明瞭に 一箇処見当る。
経文無別名目
通明 観 ﹂であると 指定 していたのかは
内容をもっていたの 北国諸禅師修得 此禅 ﹂ 摘 している。 であるかを検討する必要がある。 3 (003)
で 北方の諸 師は、 ︵ ア サ︶
する処がない。そこ
通明 観 ﹂の記述に したがって紹介してみたい。
い 。﹁根本四禅﹂
妥当であると考える が 、この 智凱 によって 0 ︵ 2 ︶
異常 伝 禅位﹂ り 法 曹 門 顎 ハ ( ( ( ハ 朗 の ) ) ) ) )
黙 思、
な 洞 想 お 『『 『 『 『 発 的 基
再 調 界 禅僧
度禅止
次門伝論門観
第 nR ヒヒ n@ ヒ初巻春巻
巻一間八十千
セ上
当智
「老師
声高 文 事 四二 世 南岳 独
参 商。 四 ハセ R )) B l B 河 岳 。 准 徳 。 ,一 行。 に も 同 様
に 述 べ
れ
る 。
常 文 。 坐 師 。 一 用 。 時 ,む 。 円 一 。 証 依 。 釈 。 大 (0 ㏄ )
正次第禅門』所出の「北国諸禅師」の「通明 観 」
心眼 無諸暗蔽 ︵ 5 ︶ 既観一
達三
徹見 無闇故宅通明﹂には﹁華厳経﹂にこの名目があるともい う 。
得 神通 OO 則 博之﹂の﹁大集経﹂の隆之を引用し て
見当らない 0 この 用いられてはい ろ
の ﹁通明﹂の解釈は
ぬ明観 ﹂を神通・ 神
息図 をもって述べられたものであろうか。
利 であり、 又 非想の
あり根木の観 慧 とは
ると、九次第宅の 策 八 解脱に批准出来るかも知れないとしている。︵ 8 ︶
述は信用出来得る
第 禅門﹂ 修 記章にお
の 独特の見解として ︵ 9 ︶
ものと見て間違いな 5 ( ㏄ 5)
OO
謂覚観 高安定 ァこ か お ・ 惨
行て
い「
通 方 も 明 浅 見 観 ' 一 は ら 」 一 『 れ は 太 る 修 集 処 行 経 で 方 ヒ あ 法 のと修り、
こ 禅 - 0 発 観 相 法 の の 二 特 段 殊 か @ ら記述
を示 し さ て れ い て る い も る の で, こ は の 九 よ 一 一 い 区 分 の解 説 の 万 法 Ⅰ ま 他 の 全 て の 禅 ロロ @ ⅠⅠ り の 修 証 - いろ と @ 考
,え て
蔵 樺 巻
我そ第 」径間
一 る三門入身
れ 禅を ヒヒ 上二に蔵 故の八に
二 ( 蔵 一 % 四 r ( 当 、 大四l
九五
提願蔵
こ 口 四一該
引用
入 来 0 見 を十 項目 背拾 一@9O]
o。
る こ 神 。 と し 一水土
通 。 が ; て八文想
」 出 い 0 と に - ト四 の述
は 五) 大 「 智 巻 十 (0 ㏄ )
圧 次第禅門コ所出の 「北国諸禅師」の「通明 観 」
三観
色 知行今世四大迫 色
有 何館主大分立 身 三十六物無骨色 町得 爾時心無分別邸 達色 ︵ 攻 口 3 ﹂ ︶
三観心拍
行薄縁市有生滅
老君 観 恩待 既不
何 由比三事和合
して、先に挙げた
ぅ である。 7 ( ㏄ 7)
2
」(
小小 目 )述べられている。 一 親鳥 知ら ﹁ 如 心音即売初蝉前方便 定発
他方
則是 未到 地息
渉
した修行方法が
心即 親船 息 色心
慧心 明利
略説親鳥 如心
禅門﹂閉門において次のような考察をなし
門 ⋮⋮ 一以息為
禅門三風色
為 禅門 二一昭明 有二
憲政正二法馬
門 一如法相一命 二暖
三諦田人息者名馬寿命不具
是殺那 覚知心血三浩和合従生玉
長無
せてようとする時、﹁大集経﹂の思想をそ ︵ 7 ︶
顎の体系とを合せ考えると、 智顎は禅波羅
れているのであり、﹁通明 観 ﹂以外の他の 一
。これに対し北国禅師にとっては﹁通明 観
分別しているのである。
当然の帰結であろうか。すなわち﹁次第
観の系統を﹁次第禅門﹂の組織の中に組み入 ︵ 8 ︶
たと考えることが出来よう。このように 考
く、 或る程度当時の状況を如実に示した資料 能 であろうと思われる。
顎の初期における空観思想も北国の禅 観
、 智凱 にとっては北国の﹁通明 観 ﹂の 息 ・ である﹁通明 観 ﹂も同様 色 ・心は色の中のものに ている。 二種摂心一者出法摂心 二陣便房 三 操法 尺
下欄名馬
暖即
定業 持 の 一つの背景においてい 蜜を三門に分げその 親色 一の禅門の中で息・ ロ ・ ﹂が彼等の全くの 禅観の 禅門﹂に表わされた﹁ 通 れよ うと 努力した結果、 えると、親鳥 如心 ・ 観色 として取り扱うことも 可 (008)@ 8引用される﹁大集経 L の本文は 次
︵大正蔵一一一一、一一八四 A ︶ 所 も 出来る。
九 、大正蔵 禅 ㏄ 0 四六、五三五 B ︶ 第 出の 「 ゴヒ国 諸禅師」の「通明 観 」 す 証
と ぎ
解 洛 い
に 禅 ぅ 連 師 表 な 明 る 名 で も 播 あ の 阿 る と 海 か 居 、 も
わ 往 知 れ 則 れ る 四 な 。 方 い 織 一媛 帝
立 変 百冊 仙秤そ
表 5 則 で A 五 千 あ
百 れ 一 名 縁
)法滅
因 ) B つ偽果
摂 因縁 の 寿報 仏縁 乃」 乃
隠 、 吉岡 月、 無 ほ、 止 に
是有
な 名作 轟 観 っ風音
轟 』 て
追及
一摂全
のⅠ心因
亦 。 る不愛
一升 縁 有 。 と 具者 何 。益 。 禾リ 。 れ 息
臨 。
何心
終 。 名非 皆 。為滅 , 佳哀 。 非 。 法 」( 出 。 摂 法 。 心 摂 @ 、 。 " ヒ Ⅰ。 -" ム @ 巨 ・ 0% 丁 滅 。 名
こと
む 。 法 。 摂 @ 、 b次に証和ほついては
界定於
比定 後故宅
如心即是
ハ l. ム ︶ ぬ明 未到地位﹂ と 通明未到地を説明し、次の初 蝉発相 では、 ﹁ 次釈 初蝉 発 相 知前引経説北爪
具釈五 支証 相以降 言寛 大覚
為 大覚 此傍釈未 是 十円 L 土日 ぬ ﹂
ではないと、次に 別に正意の解釈を示している。すなわち ︵ 3 ︶
大覚出世間他化
即対 真俗二諦 釈土方有漏
無漏我意 在此 ﹂という 範塙 におい 四
ゑ
足し
『 状 『セれ修
/ ヘ 漏
漏 ) T ャま 不 説 あ る 。 部分 に お やよ 当 然 息 色 ,む の 事 六 (0 Ⅰ 0) 10
T 次第禅門コ所出の「 ゴヒ国 諸禅師」の「通明 観 」
是 を方世間水出世間 ︵万有漏無漏︶ 禅 とするとしている。 この俗諦に 坐 る世間を 、 根木世間︵一期正報五陰︶ 二 、義世間︵根木 之 浅手 外 一切法義理相関︶
︵ 4 ︶
あるとする。この 三
れる五陰・衆生・ 国 土の三世間の構想を思わしめるものがある。 一の根木世間の発 相は
浄可
悪方覚知五種
︵ 5 ︶ 不浄 机 ﹂身内外不実 猶 芭蕉
︵ 7 ︶
新生滅空無自性 色 不可得﹂
船心性の五旬 を、
惟| 親族心性 | 出世
る 。 11 (Oil)
総括的に見てこの根木世間の発 相
い る羅什 訳 系の典籍に見られるもの う な点からも﹁通明 観 ﹂の記述はあま ︵ 只り ︶ いとも想像される。
世間は根本世間因縁、根本手 外世 されている。
の上で偽経であるがしかも重要な
克明な記述が見られるので、引用が ︵ ハ Ⅰ︶ 経 L 俊文を補 う 資料の一つとして提示したい。 ﹁ 釈 外議世間 復 恭三 意 一正明根本世間因縁 二朗根本年 外
世間相関二頭
王 第一 駅 覚知根本世間因縁生 義 。 行者 初得 初蝉 既己 証見根本世間。 報国阿前生。 二十六物四大五陰 以顕如心願如此
胎中陰不断不滅
於 父母交会 精血 二諦大姉豆子 以為巳有識
托其間 。 五識之性セ日
一変 如薄酪凝 縁変化一身内
先為 者五歳安置五識﹂ 身何 因縁有三昧智慧福徳善根之時業
カ変調 即計 父母身分 麻於後漸大知雛子黄菜
力因 で 述べられている三十六物等の と ニュアンスが 興 り、羅什 訳以 り智 顎の窓意は加えられていな 間 相関・王道治正の三種に区分 問題を含んでいる日揮講経ロ の 長文になるがその全文を﹁ 提謂 道治 正 (012) 127 次第禅門』所出の 北国諸禅師」 の 「 通明 観
臓気
八四文。 不行 腸故 。 之気 中篇 主通血 下 。 浩一身 義 。 府臓相 貸出生 セ体 。百枚
即骨 玄義也。筋 揚地。 心 生血脈石笛方尾山 以通 神気兵道自然。 脈 精 神 之 気 下無主 通 大便 之物 三焦玉利上 ﹂ 魂依之 。 小 盗 戒
カ変化身内攻
為 腎臓 則塊 俊之。不妄語戒カ変化身内攻
為 脾臓別意俊之。 不飲酒戒力 即変身内攻
為 心臓 則神 俊之。 北魏・ 志 ・ 塊 ・ 意 ・神即是
五識異名地。五臓 及 与一身。
府者胆為肝府
盛大鳥気合
潤於肝 。 通 血気生酒船心八一身 故 。 13 (013)B 脾生 肌膚 脾為 玉肌膚赤土。 肺 生船 炭 肺 在衆臓 玄上 故皮亦 一身上。 是為
五臓龍生
セ佑弥名士
支 。増長。
通之血以潤之肉以裏之皮以覆之
。ぬ
満吉倉
筋烏瓜全曲
為髪余皮
荒年。縁則
生意識 界 具足成就。 此則 略説一期果報根木世間議所因由。外道義 有 同異 耶 。 OOO
講経 明 非人 所作 若於此義 下下在下白老町見。﹂
第二駅
内 世間 与 外国土 義 相関 相 。 具防 大地一切法裕之 事 。奉体 法
四時大
開閉 法 昼夜 髪法 ぬ
上毛
法 叢林。為
八卦治罪
為 (014) 14出 所
疾悩終保 年寿。
調諸根
暗室田地拘忌
致終 晋山行 心 悪法。 禅 第則
忘失神別
死 。 次 老幼外土王道治化 皆 身内之 法 。 の 「北国諸禅師」の脾為
司空曹
為 大海。中有神亀呼吸元気荷風致
南 通気四文。中太一落赤人 之 主柱大大将軍特進君主
右稜主
姦賊上
焦 通気入頭 甲為 宗廟。 生身内二千大神 太 「通明 観 」五刑主領
為五官界
為 五雲化鳥五黄。内赤
烏 五姓 謂宮 ・ 商 ・ 角 ・ 徴 ・ 羽 一切万姓並存 其内 。 封書 則為五経一切書史
並 彼此 出 。 右肘 工巧 即断五明一八苦一切技術悲田 其間 。 生知化身 雌 小義年天地相関。 如是説身非但
画定五陰世間 亦是 国土世間。 第三駅身内王法治正義。 行者 於 三昧内 顧智之力則
復 覚知 年 内。 心為大王上議了
仁 故居 在 百重 之内 。︵Ⅵ︶ 如是等
義具如提
諸経説。﹂る 事項は﹁ 具如提謂 経説﹂といわれるごとく, また既に指適され
講経﹂の抜粋であると考えられる。 ハ ⅡⅡ︶
集経 ﹂との関係等 検討を要する問題が残されている。
間 因縁﹂は前述の
れるべきで、﹁ 提謂 ︵は︶
題が 扱われていると
等 かの形で影響を 与えたのではないかと推察出来るのである。
想 の 充 と 云 3 名数
せるという点を挙げ
たのではないかと 推 諭 されるのである。
、五戒の問題を取 ︵ ぱ ︶
興 り、在るものがそ
なく、暗にその経典 (016) 16
『次第禅門』 所出の 「 ゴヒ国 諸禅師」の「通明 観 」 数 性 如 有 身 為
来故
熊 蜂 他 方 挙 三 有 故 昇 沈 四 明 一 生 故 切 故 。 湿 説 生 四 是 多 諦 水 十 大 性 因 因 縁 湿 / Ⅰ 而 波 生 羅蜜 故 当 切 知 此 胎生 多 法 属 薬 地 甲ネ 大 丹 ャ生 忍足 其 身 対 重 治衆 鈍 故 生 五 臓 切 五 ィヒ 根 生 陰 多 属 火 大 性 火 体 燕市 17 (017) 十る 。
二昧 智慧善根方杖。
前説 若 四大五陰十二人十八界四諦十二因縁 悪人身内位。
腎 他村 肺脾 。
人界 外 五塵 内
ゆ生 五識
為根対多法
慶郎生意識者意識 界 。吾根対肝楽根対腎捨根
対陣。禅 乃至四生定住 名捨倶禅 当期三界 亦為 五臓共議相関。
切 卵生多足風大 ︵Ⅱ︶
らば五陰、十二人、
世智によって上述
ない。そこで内義也
第三の事世間については、
昧 智慧 転更深 ︵ 茸 ︶
世間通達 無閾 ﹂ ︵ 騰 ︶ られている。
敗滅
諦対 賢答 蔵 立法 巳有還無政 一心日射 脾 開通四諦。 広摂 如来一切教門。 定則 説 内義世間 ︵ 巧 ︶ 義 相関左相 意在幽微 非 情勿述 。﹂代 が明らかになっ
る禅観 が日揮諸経口
期に ﹁通明 観 ﹂の 完
になるものと考え ろ である。
覚は 衰世間の名義
殺戒等 の一切法の如
すること異ならず 余
しと覚する。と述べ (018) 18
7 次第禅門 コ 所出の「 コヒ国 諸禅師」の「 通明 観 」 19 (019) ア @ し
の ん 「 児 で
加役
一『『『『『「「
定見側次次次次次次次
解 い 形禅門
比を窮策
第第 窮策 第見
と る 相非 鼻溝 挙げ 禅門 禅門 禅門 禅 」 禅門 禅門 ら - 」一皮れヒ
ヒヒ 呑ロ ヒ口 ね め る 結も ・ き玉 ロ 口 至
慎二(((
大(((
の は田内に大大大正大大大
入お正正正蔵
正正正
来冬 げ蔵 蔵 蔵 四蔵 厳威 で あ る 門 次 第禅
Ⅰ「 @ 目 ⅠⅠ 。 目 言
九の五五五三五五五
0 = 一一 修 | 証 - ,ブ @ く @知り、 の C B 五 お 骨 よ )) げ 唯三 ぅ O る
脳百で
各 有末 あ 法 『目口・Ⅰの 髄 分 ナま 有香 と 十有 ん 四九 ど 重土 ノ入 身重 に兄 ら 内 丑松 れ 臓此 る 葉骨 定 型 葉肉 相之 句 覆問 的 舌ヨ王
法 旧 子し 級四 であ 生頭 る 疎四 の 向 日 で、 外力 明 相中 ら 通力 か
砲口︵
9 ︶
︵ りめ ︶ついて た五 支の分別と同様の解釈が施されている。
剋定・ る 補註の如き形で適宜な解釈がなされている。 最後には ﹁行者大北法門不敬実際作 証 具足大悲方便
Ⅰ 日 日 ⅠⅠ l も 、前述し ボ 想定・ 寂 明摩珂街
禅病
秘要
法
﹂
観的
観法に重点
重猶
卯酉
観
内赤九十九重
如
芭蕉
葉
中間有生
細於秋亮
虫
各四頭四口
四百四旅人
其骨間
流注上下
猶如
芭蕉
次当観
髄
九十八重
十四重
脳為四
﹂番上大正蔵十五・三二一四
B
︶
史の研究﹂所収。
﹁天台学報
ヒ
一一号所収。
一一一五
A
︶
戒
勤修精進聡明
、大正蔵一三、一五二
A
︶
と
及び、二丁
6
註の引用文参照。
本文四事水玉
︵ 穏
︶
星客
智光
稿
前掲論文。
︵
M
︶﹁次第禅門口巻
八
︵大正蔵
四
Ⅰ ハ 、五三二一
A
︶
時田地券 解 衆生
足 四百四
脈内
一八、五三 OB | ハ レ ︶ (020) 20
正次第禅門』所出の「北国諸禅師」の「通明 観 」 第 禅 為 事 の
禅
」禅門日摩
師 して この Ⅰ 「 よ 観目 19 18 17 ) ) ) 通 と 思 は 相 背 』 炊夫 次 明 深 わ 黄 巻 策案 第 観 い れ 管 備 を 九 」 繁 る 顕 如 如 上
禅門
禅門 経ヒ 0 通 る 観ヒ巻ヒ
をり
資が通「
「 明手裡
養二巻
八二八
料 あ 明 止 観 照 定約 9 観 観 中 り 境
大大大
に 、 」 」 広 は に正正正
蔵 蔵 蔵四一四
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六 A )ま い え る
述そ
べ こて か い ら
『国
次諾な
つ る こ 21 C02 Ⅰ )島
薗
進
残したが、その 反
う に思われる。多く
ティーを超える 朋ぷ堆な 思想 アイ - アノテ ィ テイー
の 思想的同一性のあ
となるだろう。
しば書きとめて ぃ 十本
が 生くべ き 道に出たと 感
さねばならなかった 、さ 徴
の心に、一道の明︶ 象
民
在 を失 うた 学究 臭 2
教性
民俗学的な探求の 象 されていた。時間 に 実現されていくの である。
学の ﹁ 道 ﹂が開けた。
べき 道 ﹂であった。
の 獲得だった。 ひげ @
籠の話﹂が書かれ つの局面から考えて
的 宗教性への関心はどのように形成されたか。 二 、発見された民俗
学の発見によって 折
はなにか、 ほ ついて探ってみたい。 ︵ 2 ︶
あ八 げおに 口 ﹁この集のするに﹂︶
まれた道である。 ぬ )
せなかった私であ
民俗的象徴と 原始的宗教性
がらひたばしる 盲 ︵ 4 ︶
︵﹁若山 杖 大女
叩
l 1盲動﹂︶ ︵ 5 ︶ずらって、微温的形 ︵ 6 ︶
げればならない。 原
がたたえたのは岩野 海鳴であった。
かを通じて、ひた l
に鷺 げるわれらの
此度坂を走せくだ
の 土着によって 、
氏 によっていたましきまでにさらけ出された。 。ほんちを ・11 芸 % んでⅡ 蛆ハ
境地につき入って
ょむ 必然が聴かれ ︵Ⅰ 7 ︶ るではないか。︵﹁ 推讃 ﹂︶
鳴の リアリズム小説
的 個人である作家が 苦悩の中から生み出すのである。
それが形をとりだ 25 (025)
集 に親しみ、短歌を
論 に興味をもった。
心 をもち宗教家の門 ︵ Ⅰ︶ ハ
への関心を示してい
念の枠を う ち ゃ ぶる ことが必要であった。
次の一節は 、 そ う
て 翻訳せられた。
本主義は 、凛 とし
かった。古典にな
的なものをとりあげ
張 されている。悲劇
られた よう に思われ
方 のすじ道は次の ょ
じる。なんらかの 伝
の 充実が得られる。 (026) 26
れる。この時、原始的 宗 27 俗的 象徴
間 社会の関所手形 ︵一 % ︶ に 過ぎなくなるのだ。︵﹁零時日記﹂︶ と原始的宗教性 それは古代的な生命力の ょ みがえりである。
思われる。
強い感銘を ぅ ︵ⅡⅡ︶
せ むとして 終 ︵ 乾 ︶
をとらえられ
高かった。 琢
もたらしたと ︵㎎︶ る 。︵﹁石川啄木から出て﹂︶
て 成立した
れは現れている。
壊 がはじま ︵Ⅱ︶ ︵﹁滅ぶるまでのしばし﹂︶
も一つの 偶
三面 積 を不
む 。 ゐすか 一切 サ 一一仏一も 、 新 儀 道 に 破 泊, し と 徳 供 壊 を
い 日 っ な い 痛
に 枠 ご
る み も 教
ノ
Ⅰに 聴 えた。 し 隅々までも行きわ 鼓動、それは群集 時 至れり ヒ 。︵原文 と 蘇る原始人の心 れ 1 の罪の酬 い を 感得する祖先の いった風に 、 月は行 ︶ さぅ して﹁ 神 ︵ 托 ︶
野 海鳴の考え方の
の 文芸批評の概念
いていった過程を反映している。
性への関心が成立する。
なり
昇
った内容が
(0%) 28
しし
庶民意識、町人意識があ
員 としての自己から出発︵
にとげ こんでいると感じ 原始的宗教性
点 にまとめられよ
春を迎えた、自然 生
隅で﹁遊民﹂の生活をおくっていた折口には、 海鳴にはまだあった
の 、生理的生存にす
変化に対応してい
︵ ﹁ ︵ 7 ︶ 零時日 己 ﹂︶
たしは次の 文章に ょ みとりたいと思 う 。
0 流れが、
知らぬ 壊 し
いた銅貨の
人 との交渉
自分の膝の
ら 懐しく感 ような 浅り 出 みを味 にほ ひ を切に あたり じる。
民俗学や隣接話学などの経験科学 て 、折口は早くから多様な学問分野 過去を探ろ う としていた。学生時代 ︵ 麗 ︶ み、朝鮮語・蒙古語を学び、アイヌ
葉 集などの古典研究を焦点とし
より、さらに広い文脈で民族の
もっていた。﹁人類学雑誌 ヒを読 ︵㈲︶
という学界・論壇の関心事にも 一 " 一
たと言えよう。も う
内容を規定するといの
な 表出である。形式
定着されてしる 、 ︵ 1 8 O ︶
から発生した。集合
の 民衆の円ホ 教性 の 名 残りがしばしば見出される。
への考え方の変化
さわしい考え方への
に合致する知的方法 が 見出されねばならなかった。
民俗的象徴と 原始的宗教性
上 のような関心をさ
ぅ 折口の自覚にぴっ たり来るものが感じとられただろう。 ︵何 % ︶
大正二年十二月と大正三月三月の﹁郷土研究﹂
と進めば、知識はふ です。だから 其 喜び の 宗教観や学間観を 会いについて、先の 原始的宗教性の ょみ 折口の心を動かすも 経験であった。民俗 分裂をこえる道は見 ぅ 学問の過程への 参 ぅ かびあがってきた した。つまり私とい 0 発掘・集積ととも れただろう。しか って折口は経験 科 31 (031)
出されていなかった。民俗学 折口の見方からすれば、 柳 教を正面から問 う 気はさし も 周辺的世界の信仰に限られた それらを追い払う境の神であ きの社会秩序や民族信仰の本 るべき宗教は何か、という 問 キリスト教とはなにかを問お は 大きな疑問をもたなかった であるという感じ方を柳田が た 秩序意識が欠けては いは か 柳田は逸脱した周辺的信仰 る 。失われた意味が回復され 恐れは、理解の 力 で解消され ことである。正統秩序Ⅰ逸脱 内 Ⅰ外の二項は 、 別々のもの に 秩序づげてもどってくる。 ︵ ね ︶ 確証していくのである。反対 ま 、目、 ではあったが、民俗学を通して思想や宗 仰の形態を探究したが、それは逸脱した
は 、先住民の神、外来の陰陽道の神 、
した形態を探究したものであり、表向
ム 秩序を支える信仰とは何か、中心にあ
口ッパ の民俗学が、当然のことながら
。この ョ ーロッ。 ハ 民俗学の態度に柳田 仰 とがはつぎりと区別される別々のもの
なるにせ よ ・柳田には伝統に支えられ つこ ヰ ハ 0
る 限り証拠を求めて、由来をつぎとめ
る 。見えざるもの、境の外のものへの 徴 はあらゆる点で境界をはっきり定める
、現世Ⅰ他界、事実Ⅰ幻想11これら
向 う 側︵ 外 ︶に入りこみ、それを巧み
明から存在していた精神秩序をますます
していると感じられていた。﹁偶像破 (032) 32
民俗的象徴と 原始的宗教性
いると感じていた。
情動がない﹂と語っ
的
主体と縁がない、
である。
いうことの重要な
︵ 然
︶
的に書き写す。折口
あった。神々や他界
にちがいない。この
どのものにはならなかったであろう。
始的
宗教性の復活
﹁遠野物語
ヒ
には
問
ちの民俗学者として
も
柳田は明確な境界
33 (033)物語﹂と﹁石神問答
かし両者は、明確な
たらしい﹁ 髭寵の ひげ こ
を 通じて よ みがえら
話 ﹂とともに誕生し
能 分化する以前に天
人々が迎えるのであ
だったろ う が、次第
じるしとなる ョリ シロ、 オギシロ が作られる。 さらに大嘗祭の標 山
% は神を具象するの
︵﹁ 佳 一丈余の車の輪 ︵ 乙 ︶
、後光を意味するも ︵ 鶉 ︶
の先の口籠。さらに
神の区別は重要では
しの事物の思想であ
なるものを地上に顕 現させる﹁もの﹂なのである。 (034) 34
民俗的象徴と 原始的宗教性
籠の話﹂の独創性
ぅ かは別として、 こ
とだった。わたした
俗学の経験的資料で
た 意味を失った残存
失われた意味の回復
、原始的宗教性は民
あわせを見ることを
性 、 俗 Ⅰ 聖 、現世 /
、 単なる竹細工であ
、 神と他界を感じさ ︵㏄︶
項の境界はもはやはっきりしなくなっている。 両頃 ともそれ自体で
入りこみ、内は外へ 流れだす。
自我と原始的宗教
性を求める自我は混
って、折口は思想的
が、 仝や折口は分裂 35 (035)
門 であったのであ オヤ 一 " "" 一
口の自己浄化の経
える。﹁悲劇精神﹂
推測される日記には
て 居らねばならぬ。
によ る悲憤感の相対
活の重みをとらえ ょ 鋭に 現れるのは旅であった。
れて 跣跨 。⋮ 、 って住ん
の梢 か け づくりの
道 の 砂 その
で 胸にせまって 来 民 し 俗 た 約 三 象 っ 徴 の の も 深 め 求 め の 重 旅 ね に あ の わ り せ だ の す 中
に目
こと に 己 な な るる
見 学 よ 問 う は は 道 な と るな
リ ン Ⅰ れ 旅 が生
とな 「 づ く た べ め ぎ道
であ 」 る に出
る と 六, Ⅰ 広 - Ⅰ 後 折 は (036) 36民俗的象徴と 原始的宗教性 「 べ う も じ の す 終 し へ 後 は ょ 憶 永 こ も と て 。 の る 最 る 点 同 の 民 に ぅ で 還 れ た こ な
民違
な と っれ俗
ぅ見だ
関 ・ て 原 た な に る わ に り 折 を 多 き 型 せ 強 拍 。 ち 関 、 口 先 様 り に る 調 東 学 押 す そ の? 活 て 若 尾 活
く 的 。 失 態 は の 学 つ め 統 だ な と 参 る 性 問 近 で を の 意 息 わ わ 々 口
そ 俗 。 返 も れ 字 細 さ の こ に 行 れ は そ 思 文 た そ
比 感
同 道 が 地
落 を 」 ん に
意味
失わ し が が こ 理 の 民 っ 民 た あ 自 こ 解 を 俗 た 俗れ 本 力 6 分 か は 定 常 。 的 き す 、 味 で た 明 は だ に ら 唯 夫 に し 象 の こ こ の い 意 の す ろ は 生 一 化 は か 徴 テ早 と の 言已 る 37 (037)
な へるからこそ、 経 にのみ探究の対象で へいする作用の表現 八 異称 V が隠ぺいを とが可能である。 こ 頃 の 異 和を包みこん おり、二つの意味の
の 喜びが生ずる。 解 象徴への着眼が新し いことが必要条件であった。 してあった。虫ム 存
活 実感の中にも民俗
、 異 和は実感として
。これとともに異相 は 会見たとおりであ を 及ばした。原型の る 。民俗的象徴が注 なる。民俗の中には (038) 38
徴
慕 うて 戻る、とい 象
カと 、伝統に随従する消の 勺 民 39
と 原始的宗教性 は 文学批評の面では ︵㏄︶
観 ︵歴史思想︶が ある。
移住地から逃げ出
和 に求められる。 民
して現れる。
ぱ くなってゐる。
卑しむそうな口ぶ
おかうその中に新し
ある。
リアリ
すなわ の 主要部分の特徴となっていく。
初年 こうして民俗 ティーをおき ち同古代研究 L の折口の考え
以 単 身 枠 標 な 来
あ ど 慨 さ の 3 位 み で 徴 す 思 解 鎖 れ つ む 念 れ 所 な 事 と も は 二 わ 体 性 て た 架 化 ね 究 歴 な る あ 成 項 れ の と ぃ 戻 橋 す ば は 史 ぅ こ る 立 間 る 中 外 る
は 多 に と 領 え 的 ず な ば し 的 い れ 俗 な く 手 く 域 る l で 通 、 た 象 っ F 甲 ァ ほ の を に と 必 至 あ し 民 も 徴 た そ ふ か 業 ふ 民 の 要 件 る て 俗 の に 見 こ れ
ぅ あ い 的 を る 問 俗 散 史 し あ し び 問 げ な 歴 必 。 を の は で た る よ に に ら い 史 要 歴 展 雑 、 あ の 。 せ く 焦 れ わ 観 と 史 開 多 た る も そ ろ り 点 て げ が す の さ 性 ん ・ し 歴 遊 な い で 日 る 中 せ と に 原 一 て 史 し あ る は 本 。 で て 民 原 始 つ 実 の 生 ね 。 な (近 民 の ぃ せ そ いむ代 俗 民 く る れ 。 史 は 俗 た 研 ら ま を 多 の め
究 を た ど 様 煮 に に 性 が の 史 ひ も 領 う そ う な 義 は お の 歴 表 観 き の げ 哀 史 れ は お で 域
のっ俊え
げの
捉歴を
史と原
、
る 出 の で 民 こ あ 開 ぎ の る 酌 も 型 異 形 中 あ 浴 す る 拓 、 研 か 形 え 的 が 総 究 は 態 る 信 和 な態でる
でさとの
へ清
熱 う。
石 台 者 重 と 民 仰 要と
し 等 要 し 俗 の た な て 学 あさ 折 よ 間 、 的 り れ 口 っ 題 社 歴 方 て 民 て で 金 史 を ぃ
俗 民 あ 科 観 探 出 と 折 概 成 げ 発 社 日 金 が で , 点 余 白 の 目 は
に姿
した とどぅの、
。
も大海
「 歴 ま を 民 の 遠 山 史 ら か 俗 の 性 の の な え 的 本 を あ 力 い て 家 質 喚 い と 。 い 徴 的 起 た い そ く の 内 す 」 う れ 時 末 客 る の 託 ) 円 折 @ 五 口口金
集ヒ
第二四 分
光輪
六社
へ、
l 昭 ジ和 。 四 O 年 四 年、 十人 @@@ 全 「 集 略 記す る 。 ( ㏄ 0) 40民 ︵㎎︶﹁全集目第二五巻、三 セ九 ? 三八一八ぺージ。 ; 俗 l セ 的 象徴と 十ん・ レハよ 、。
原始的宗教性
六親 時
一番
第 lの請判
㊥
署二
第
第一一 窩 i 続 う - 治 茸 号 な月 心 点、
四 一 =玉 手 @ ( 同 士 五 ま 能 ヒ
ヰ 第 天 一 一
研四ア 窩 第 上 究 三 %
に年
ま - と た
ね月し
二題
『 全 集 昭 和ぱ刊
て 四 な 行 『「八年
第三 ら で はピ 第一二巻第一一 母 、昭和四五年、参照。
五 。 へ|ジ 。
まで︶。
︵㌍︶同上、五一三 ? 五一四ページ。
和 四四年、一四六 へ|ジ 、参照。
セ年、セ 三ぺージ。 ︵ お ︶﹁全集﹂第二三巻、四 セ ベージ。 ︵ 打 ︶ 司 全集目第二巻、一八七ぺージ。 ︵ 為 ︶同上、一九 0 ぺージ。
本文中の﹁神器﹂ や ﹁象徴﹂という語の使用もこれと関連があろう。
二号、大正三年、
第一一号、﹁ 雑
などの﹁郷土
南方と柳田が 、
? 五 0 六 。 へ|ジ、 参照。 ︵ M ︶同上、五 ? 六ぺージ。 ︵ W ︶同上、一 7 二ぺージ。 ( ㏄ 2)
空 、折口信夫特集臨時増刊号、三五ぺ ー ジに 再掲 ︶。 42 ︵ M ︶﹁全集目第二八巻、一ぺージ。
民俗的象徴と 原始的宗教性
︵ 紐 ︶﹁全集 L 第三一巻、九五ぺージ。 ︵㌍︶﹁全集﹂第二八巻、六二ぺージ。 ︵㏄︶同上、八 0 ベージ。
理 ﹂が定式化され
全集目第三巻、参照。︶
0 一 。 へ|ジ 。
をもっておわる。
まる。 ︵ W ︶﹁全集 ヒ 第二八巻、 ゼ三 ? セ 四ぺージ。 ︵ 舘 ︶ 註 ︵ M ︶参照。 ︵㏄︶﹁全集﹂第二八巻、六 セ 2 六八べ |シ 。
この点で重要である。
要 な一画をなす だ
ある。当然のこ
ぎ 手となるだろう。 43 C ㎝ 3)
体験的コスモロ ジ について
て 生ずる現象に気
り 寄せることができ
速度の法則や随性の
またイギリスの物理
二八一八五年︵顕微鏡 図葉︶だといわれている。
がて、自然が科学
に 感じたのかもしれ め
速断に過ぎようが、︵
はまだついていないのではあるまいか。
︵﹁パンセ﹂一一 0 一八︶
W.
ライヒの場ムロー
|
﹂
野
泰博
分 には解決できた 公 法に困り、松果腺
に 。しかし、宗教学 や 心理学に還元しょ ま はその看板をおろ してしまったよさに、容易なわざではない。 ればならないとい 形で、どのような 状 である。しかしそ ん 筆者のいいたいの あって、 粗笘 ながら 論 ので き 方をさぐってみたいと思 う のである。 入党しながら、 そ るような生気論にと の の Ⅱ 1 ト の臼 Ⅱ︶のことで ある。 ( ㏄ 6) 46
47 ( ㏄ 7) 体験的コスモロ ジ について が 十 に る ト が ジ お る 五 3 3 は を き た ょ 幼 三 タ 生 が の 春 で が ; れ ) 書 な か 頃 、 l し ) 一 ・ て の 九 ピ い ( と コ ン たし き 一 ク 0 、 ( 学 人 分 = 生 宮 の ン ぅ み の
精 は こ ( を か 紙
目
めげる
メてと
関 係 りo
フ す 神 パ と - 読 っ 切 @ い 、 を デ る 二 父 0 あ ロ お 料 り の 丸 む た れ ィ 」 医 に あ ー よ よ に精
神 分 析 へ の ⅠⅠ さ な し Ⅰ︵ 6 ︶
てみてみると、㈹ ︵ ミ リ︶ りっかれていたことがある。
もセ 年間ほどで、一九
クかぜ ・オーレン、 ド
、 彼の生涯の三期を
になっているが、ライ
妻エ ル ザ は、社会主
やがてラ イ ヒは 、他
、教育歴もあまりな
方 によっては、若く
デ ンベルグは 、 ラ イ
だせなかったと述べ
味覚にあい、ライヒ
苦笑した旨を記している。さらにライヒには、 家庭教師と母親との ︵ 4 ︶
。つまり、彼の場 ムロ
農民のだれかと関係
などという考えにと C ㏄ 8)
ニーと別れ、この ェ
体験的コスモロ ジ について と 上 い 除 よ の ロ い め 押 さ っ 症 イ な う ら 経 れ て 候 ト ん 概 ね 病 る 実 を 派 で 念 て 的 か 行 陳 情 も が い 症 も さ 失 神 な
く り な な
ち ゃ く い し と と に 。 憎 ・ が か で 分 つ 健 析 か ら へ
l 釈 呈 上 き テ 動 的 ソ を し の な 々 が な
が 。 い
き確圧形何
し 全 ・ 調 た 症
を主張して
㈲神経病的 づ の的 0 ヰ 0 ヰプ の
なお ェドヮ サイコロジカ 々食傷ぎみの る 。 ﹁症候 分 態度をそ HP 弓せ ︶を |ドま、 か な思弁 人たちに 49 ( ㎝ 9)
、いわゆる﹁否定的 転移﹂官田 緊 T の
宙旺
織目 8 ︶が必要になる。く 、恐怖ゆえか、
対する防衛であり、
て 、患者の隠されて
外 へ出ないよう受 け
感情を転移してぎた。
照 的なものであると
悪が 変装してできたものである。
︵ ac 拝の︵りに変える
破壊的態度のもとになっているエネルギーは 、 十分に満足のゆく 交
ルガスム的潜在力﹂
格 分析と呼んでいる のである。
痛 にみちた体験な ろこび︵ちが
目乱
せ︵の︶もないという。 (050) 50体験的コスモロ ン について
まで生理学的な過
る 生理学的なメカ 二 ズムがなければならない。
本
的ともい う べき 警
この内容は出版に先
なってからこ う 述べ
とだ、おどろくべき
、とわたしは感じました。しかしフロイトは 、 こうした エ ゴ本能に よって、リビドー 冊ミ、
、他方で性的本能の
だけでもとは 一 っと
︵ 曲づの ︶ 0 プ臼瞳 ︵理論
自ら形而上学になっているともいえる。 ︵ 9 ︶
ばとして用いられ
の 進化の各段階という意味を持たせていたが、 フロイトはさらに・ 一 一 " Ⅱ 田 二幅︶ 51 (051)
︵ 騰 ︶ ち あらわれてきたことを示していた。 て 違 反 抵 示 ギ す ょ る し べ し い 応 抗 し た l ま う そ 立 、 て
ン であると見な
つまりその行動表現の﹁フォーム﹂を﹁内容﹂ は 上に大事にす 嘘 いっわりを言わない﹂と。
し 身体的にどの 、ライヒは 、ま
生物心理工手 ル ︵ ま 0 牡 沼田のの口の︵ 幅せ ︶を称していた。
のに強い抵抗を
ぎた。この
物的な シ,ック
らで、色合いの
呈し、力がぬ げ
の 0 日 い文 nP
牙
︶ 立そんなことはす っ ル 性 て ギ 本 い l 能 た ( の 。 璃 進 閂 イヒ
rg
))
の口の と起る 階 に 得 さ る で, 変 拡 形 大 の し 総 、 体 後 を 年 さ は す リ よ ビ ラ ド がこ l 拡 と 張 い し う たと さ ば ら な に 全 ュ 然 ン 使 グ わ は ず そ
ナ
ナ
Ⅰ。
Ⅰ -,
0%
白帆味
心 を 的 全 ェ 体 ネ と か し ギ て l の と ,む の 的みェ
日、
一ネ
(052) 52体験的 コスモロ ジ に つ L 、 て 53
る 。かくてライヒが
シンボルマークがでてくる。
せ ︶
|ンが 固定化して
似て、ある感情体験
ぅ 考えをとるよさに
になる。ここから 彼
う になる。つまり 彼
性格鏡袋︵目代 Pn 汀 Ⅱ
く 掘りさげてゆく
に道をゆず ら てしま
た 。したがって 、生
導入したのである。
本心を柾げて、世に
ぅ ことである。つまり木片
がやがて、フロイトが 指 が 一切の宗教感情のもと い わゆる昇華させてしま を書くことによって︶ は 心的生活であり、この大波こそ生物, 生 摘 しておきながら、それを自分のものにし にしてゆくのである。これをラ イ ヒはフロ っ たからであると説明する。︵﹁文化の不快﹂ ぅ した観念は容易に の 波が、その波上に (0%) 54 定 身 体 「
総帥
ぅ的体
興 」 な要ヒ
イる
の の ェ に よ も ネ あ ろ と か つ こ に ギ て び あ l 、 め る の 決
体験的コス
し あ
と た 満 生 め 足 物 」 で
置
ぎに
出
55 (055) モ ロ
合体を目ざし、生命に不死性︵ ま日 or ︵ 曲 ︶ ぃ ︵ せ ︶ を 与えるものとみて 五 死の本能
ロイトに よスり 性の
っ 道徳主義的、権威 主
が 子ども中の自然な
た 多くの人が奴隷的
過去の道徳を排除す
ている。そこで保守
ぅ 、たしかに人は自
ていままでも、人間
念を導入してくるの ︵ H ︶
てである。つまりいまま
自我本能は有機物が無機
とるライヒは、エロスとタナトス︵死の本能︶ とを並立的なもの
や 食欲のように一次
いし、圧倒的な状況 ︵ 5 ︶ 尤よ る。
、結
ムロ状態をほど
き 、そして破壊するもので、
その最終目的は生
け
本能﹂と呼ぶのだと言っている。
まり筋肉運動とし
の量の攻撃本能が
ェ
引きちぎるなり、
顔
い う
形をとることに
︵Ⅱ︶ぃや、動揺を経た
戎日 ︶は潜在的に不
、多細胞の後生動物
げるこの死は、自然 実だという実感を抱くようになる。 (0 ㏄ )
息味 での肉体︵の 0 日曲 ︶ 6
体験的コスモロ ジ について
脚注をつけて、そのⅡ
ということばでこれ たしかにフロイトが攻撃本能とい ある。︵ 7 l 上 ︶ ハンス空馬恐怖について、 こ 敵意︶の抑圧によるものと結論し 、 ア ドラーク言い方は 、 誤れる一般化 保存本能 や 性本能と並べてこれをと るとその存在をみとめながら、むし ほ ついて記しているところからで 煮 、母親に対するサディズム的 ものだと述べているが、ただし としてはよく知られている自己 能 に普遍的かつ不可欠な属性であ ぎ降 T ユ ︶のことをいっているの
まり患者は、性行為に対 ︵㎎︶
い う 。
が 国でアメリカ張りの
た 概念である。戦争の殺
い
おょそ 不毛なこの概念
を 果していると批判してい る
もよ
治 い 分 罰ミ 。 療 の 析 が 者 不 の 恐 が 可 導 ろ , 患 者の難しい抵抗に遭遇して 、 遊 人 性だったことを、このこと で、メニンガーの﹁おのれ し くて悲嘆にくれるのであっ
マゾヒズムについて な 攻撃性をサディズ なもので、後者はこ
人 共通に失いつつあ ︵㏄ 胎 ︶
を 、﹁生の拡充﹂と l い ㍉ ク と た キ ト 苦 心 リ と え 的 ス し
憩、 の の 、 殺 そ あ パ 害 の る ラ 』 い 意 / ( づ 味 イ ー れ で / Ⅹ
ア
な 三 も 世 せ 牛 田 紀 る ) て の ズ 妄 な ゆ 代 相 ,ロ、 ど ム と 神 な 風 、 いす 変 現 ぇ か り 年 る " な 返 っ あ 書 く ル る 名 な キ い の っ シ は 木 て ズ 空 を か ム 恐 山 ら と に 板 、 精
を
る を 亜 っ
侍 ひ 一 し 興 そ 九 た な か 五 ぅ コ がこ 一 イ ス 追 年 ヒ モ
と
行 ) は し ジ て か セインタビューの中
を 試験管の申に︵ T
論 ﹂は一九二四年か
@O
ロィト は病気︵ あ
イト を固執させたも のという。 (0 弼 )
能 が徐々に 、フ p ィ
体験的コスモロ ン について
きよう。
れとも研究が不十
木の実を食べたこと
のは原始的な生物運
れを食べた。すると だれでも神と生命を
ブ イ ヒ はい う 。愛の
論は 、全科学史を通
って、自分の宇宙オルゴン・エネルギー 宜 0 の 臣 ︶ P0 o Ⅱ 幅 o 臣 e の目のⅡ 沖せ ︶
る 通り、自分は世の 的 気分︶しかも人類
その研究が圧えられ ︵ ば ︶
。つまり 神 Ⅱ生命Ⅱ
を 解く鍵は、感覚の ふる
す 。人は、感覚に ょ をなす感覚について
0 しかもこの感覚の 感覚は興奮の働き 59 (059)
ということであった。
研究に遭遇したので
ている小粒︵の で の 0 ダの ︶
自然法則に従 う 連続 れた空間かどうかという問題であるという。
問題が基本的には
っかえぱ 、飛行機は
らわれている。そし
全世界︵仁田くの︵のの︶
る 。
ればならず、した
三の日︶がでてくる。 互にぴったり同じと
。一切のものに浸透
別件 は 、あの精神病
に 近い︶
は 、一定の成長原
に 、何千年間、遊星 (060)@ 60
体験的コスモロ ジ について の 軌道 い 年月 陽系ま ろ。 自 それ でま 、 ていよ わくの 力く 曲 。 臣 ︶ みるよ ファン ら、こ 興奮で た 。 強 に 従 う た 。 こ 肉体内 に 足らない 短 ズム である 太
なものであ
ものではない。 的な枠組の中 、首尾一貫し 体の論理的な 外では非科学的なものとなる。 制止︵ ぎ 田安, から、強い、 夢 なった。この ときの記憶 か いりまじった れさせてくれ 官 感覚に素直 る 。治療によって生物的感覚が解放されると、 不安がでてき て 人は、自分の 制 があったの 61 ( ㏄ 1)
この反応は、感情
ついている。だから
もたれ ソつ 。それはフロ
Ⅹ づ 曲目 匹 。二︶に、不快
︶とに機能上等 匿 することに成功したという。
ある。これら ェモ
バ Ⅰ エ モーションな
ヒ はそこで、生物体
れはまた唯心論的
9% 然は生きている
ものである。精霊は
物の中で生き続けた
存在とみなしたりす
分 自身の感覚に従って自然をアニメートした。 しかし彼らはそれら
意味で、感覚印象 や
目 の 毛 0 ︵ ま ︶に変えて (062) で あ る 62
体験的コスモロ ン について
った 天使とかは、 人
る 。また地獄、天国、
自然な、ゆがめられた器官感覚である。
ニメートする 卜 し と
対し、神秘 家は 不自
魂 をみとめているが、
方 悪魔とか天使は 、
る 唯一の実体は 、鎧 る 。
どでしばしば非難
してはいげない。 さ
。またニュー L ドン か り
を 発見しょうとした
すことだとラ イ ヒは
アニミズムへの反動
リスト教会は、先史
遠ざかった神秘主義
き 殺しているのであ 63 ( ㏄ 3)
る 。
い う 事実を除いて
はあるけれども厳密
えることである。 と
情 と興奮の統合、感
し 同一性は、いかな
り 排除するのである。一方神秘主義の木質は 、 感情と感覚の一人参
動を 、具体的な 、生 なら、それは神秘的なものになる。
体験でぎず、ゆが
明 できるかもしれた
するようなものであ
ぬ 的な力﹂の病的知
型の分裂病者は電流 者のフアンタジーに
の 類であるという。 プノイマ ︵精気︶ 、
ロイトとは反対に、﹁現実との生ける接触が 薄 れてゆくに つ れて﹂ (064)@ 64
体験的 コスモ @ ,ジ について ( ( ( ( ( 証 5 レ
4
) ロ3
レい 2
))
1八 色 貢 o し ゼ
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Ⅰ 叩 「1
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65@ (065) Ⅰ イ Ⅹ入 綾 な ン で う つ す こ 格 し い テ あ ィ て る と と よ 自 ィ る ヒ い 気 に み ぅ 然 シ と の る 持 よ
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し 則 も 強 き を 尾 結 近 び と な 烈 ょ 分 を び な よ 尊 い な う 離 別 っ 人 っ 。 し く げ 間 て 形 は仏 教 力 な Ⅰ 的 ⅤⅠ し い ,え 帝 Ⅰ土ミ
え が と 体 験 的 仏 身 論
と 以 と 神 の る い ,え る
れ 然 ぃ ・ 座 両 口 軸 な あ る か
ま 0 目 学 得 ル 累 し
せる神秘主義とを 区
寒ヒ Po のべ, 0 デ
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・ HO ヤト ︶ A.U中 r ののの、 ト のの づ 、 b. P ド Ⅱ
︵ 9 ︶ コのコユ犠 ・ 已 ︶ ト 0 ロ ヴ のⅡ㏄ er 、 o つ ・の∼︵・・ 弓 ・Ⅱ 0 ㏄
い か。 ︵Ⅱ︶ H ヴ w&.- ロロ・ N の 臼 1 の ︵は︶ライヒ﹁宇宙、生命、 エ ゴヒ目・ 乙 ⋮ ま
の辞コ 僅が﹁年の隼 ,セ 0 ノ パイ MH ︵・で せ かか l り口
ar 年の & : セ 0 デ パパⅡ 目 - ロ ・ ト Ⅰ 卜 ㏄ 口 ︵ 巧 ︶二才 卸 - ロ ・︶ mo
八一白貝。
00 ロ の 団コ 口ギ血色:Ⅱ 0 ∼・Ⅹ・ づ寸ト か 0@ こ
想は 、壮大なもの
蕊ヒ 。∼ 0 も QA ∼。 母
を 診察した 刑務
物 がたおれてし まったという結論を否定し得ないと記している。
年 Q ギ oE がト 0 Ⅱの 、づ ⅠⅡⅡ @ の㏄
ののの - め ㏄㏄ ( ㏄ 7) 66