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『宗教研究』228号(50巻1輯)

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(1)

――目次――

論文

1,

『次第禅門』所出の「北国諸禅師」の「通明観」, 多田孝正, On Tongmínguăn (通明観) of Chanshi (禅

師) in North China according to the Cídíchámén (次第禅門), Kōshō TADA, pp.1-21.

2,

民俗的象徴と原始的宗教性:折口信夫の民俗学発見, 島薗進, Folkloric Symbols and Primitive

Religiosity: How Shinobu Orikuchi Discovered the Method of Folklore, Susumu SHIMAZONO, pp.23-43.

3,

体験的コスモロジについて:W.ライヒの場合, 小野泰博, On tha Cosmology as Experience (la

cosmologie vécu), Yasuhiro ONO, pp.45-66.

特別寄稿

4,

イギリス宗教社会学の最近の動向, ブライアン・R.ウィルソン, Bryan Willson, pp.67-94.

書評と紹介

5,

八木誠一著『仏教とキリスト教の接点』, 西村恵信, Eshin NISHIMURA, pp.95-98.

6,

金子晴勇著『ルターの人間学』, 谷口茂, Shigeru TAGUCHI, pp.98-101.

7,

鈴木範久著『内村鑑三とその時代―志賀重昂との比較―』, ジャン・ハウズ, Jan HOUZE, pp.101-105.

Posted in 1976

(昭和51)年

(2)

『次第禅門コ 所出の 「 ゴヒ国 諸禅師」の「 通 明観 」

と 認められているものの一 つ である。 って検討することを目的とするものである。

り 、金陵にお け ︵

思 より法華三昧を

の 実践の裏付けな 持 ︵ 2 ︶ っていたためである。

る ﹁通明神﹂によ

弁 的となり、次第

った 。反面、北朝 仏

禅門﹂所出の

﹁北国諸禅師﹂の

﹁通明

享正

(3)

の 修行方法を網羅し、諸法実相観の上で統一

@

が 数多 いの である。︵ 3 ︶

ある。

間赤出世間禅の部類に属するものであるが、 論 口の中には存在しないのである。

︵ 4 ︶

べている点に注目する必要があると思はれる。

割は行人の根性の不同によって 、

二者官有衆生 定 根多面 慧 佳歩 為説

其根本 禅 両親慧可 細

度論ヒの

敗走四禅

中 暫定尊面 OOO 楽 未到地中間 OO

二者の中では定慧が等しいとされる﹁通明 観 ﹂

﹁一八秒間﹂を鼓吹した理由についてはあまり 明 確

十六時勝三者

OOOOO

ぬ智

多面

定少無

が 一番勝れていると にされていない。 或 しょうとしたもので 。記述内容も類似し 羅 蜜の中で処を得せ この三門は㍉大智皮 裏な地位を占めてい し 智凱が 同次第禅門 L ( ㏄ 2) 2

(4)

『次第禅門 刀 所出の「北国諸禅師」の「通明 観 」 証

仏教の研究﹂所収

自大師の研究﹂所収

自大師の研究﹂所収 0 ︵ 7 ︶

耳 ﹂と批評されたこ も 推察される。 神 実践の消息を伝え 献の中においても・ 教

であって、実際の教

難 である。

のとして考えられ

である。

処 において明瞭に 一箇処見当る。

経文無別名目

通明 観 ﹂であると 指

定 していたのかは

内容をもっていたの 北国諸禅師修得 此禅 ﹂ 摘 している。 であるかを検討する必要がある。 3 (003)

(5)

で 北方の諸 師は、 ︵ ア サ︶

する処がない。そこ

通明 観 ﹂の記述に したがって紹介してみたい。

い 。﹁根本四禅﹂

妥当であると考える が 、この 智凱 によって 0 ︵ 2 ︶

異常 伝 禅位﹂ り 法 曹 門 顎 ハ ( ( ( ハ 朗 の ) ) ) ) )

黙 思、

な 洞 想 お 『『 『 『 『 発 的 基

再 調 界 禅僧

度禅止

次門伝論門観

第 nR ヒヒ n@ ヒ

初巻春巻

巻一

間八十千

セ上

当智

老師

声高 文 事 四二 世 南

岳 独

参 商。 四 ハセ R )) B l B 河 岳 。 准 徳 。 ,一 行。 に も 同 様

に 述 べ

る 。

常 文 。 坐 師 。 一 用 。 時 ,む 。 円 一 。 証 依 。 釈 。 大 (0 ㏄ )

(6)

正次第禅門』所出の「北国諸禅師」の「通明 観 」

心眼 無諸暗蔽 ︵ 5 ︶ 既観一

達三

徹見 無闇故宅通明﹂

には﹁華厳経﹂にこの名目があるともい う 。

得 神通 OO 則 博之﹂の﹁大集経﹂の隆之を引用し て

見当らない 0 この 用いられてはい ろ

の ﹁通明﹂の解釈は

ぬ明観 ﹂を神通・ 神

息図 をもって述べられたものであろうか。

利 であり、 又 非想の

あり根木の観 慧 とは

ると、九次第宅の 策 八 解脱に批准出来るかも知れないとしている。︵ 8 ︶

述は信用出来得る

第 禅門﹂ 修 記章にお

の 独特の見解として ︵ 9 ︶

ものと見て間違いな 5 ( ㏄ 5)

(7)

OO

謂覚観 高安定 ァこ か お ・ 惨

行て

い「

通 方 も 明 浅 見 観 ' 一 は ら 」 一 『 れ は 太 る 修 集 処 行 経 で 方 ヒ あ 法 の

と修り、

こ 禅 - 0 発 観 相 法 の の 二 特 段 殊 か @ ら

記述

を示 し さ て れ い て る い も る の で, こ は の 九 よ 一 一 い 区 分 の解 説 の 万 法 Ⅰ ま 他 の 全 て の 禅 ロロ @ ⅠⅠ り の 修 証 - い

と @ 考

,え て

蔵 樺 巻

我そ第 」径間

一 る

三門入身

れ 禅を ヒヒ 上

二に蔵 故の八に

二 ( 蔵 一 % 四 r ( 当 、 大四

l

九五

提願蔵

こ 口 四一

引用

入 来 0 見 を十 項目 背拾 一

@9O]

o

る こ 神 。 と し 一

水土

通 。 が ; て八

文想

」 出 い 0 と に - ト

四 の述

五) 大 「 智 巻 十 (0 ㏄ )

(8)

圧 次第禅門コ所出の 「北国諸禅師」の「通明 観 」

三観

色 知行

今世四大迫 色

有 何館主大分立 身 三十六物無骨色 町得 爾時心無分別邸 達色 ︵ 攻 口 3 ﹂ ︶

三観心拍

薄縁市有生滅

老君 観 恩待 既不

何 由比三事和合

して、先に挙げた

ぅ である。 7 ( ㏄ 7)

2

小小 目 )

述べられている。 一 親鳥 知ら ﹁ 如 心音即売初蝉前方便 定発

他方

則是 未到 地

した修行方法が

心即 親船 息 色心

慧心 明利

略説親鳥 如心

(9)

禅門﹂閉門において次のような考察をなし

門 ⋮⋮ 一以息為

禅門三風色

為 禅門 二一

昭明 有二

憲政正二法馬

門 一如法相

一命 二暖

三諦田人息者名馬寿命不具

是殺那 覚知心血三浩和合従生玉

長無

せてようとする時、﹁大集経﹂の思想をそ ︵ 7 ︶

顎の体系とを合せ考えると、 智顎は禅波羅

れているのであり、﹁通明 観 ﹂以外の他の 一

。これに対し北国禅師にとっては﹁通明 観

分別しているのである。

当然の帰結であろうか。すなわち﹁次第

観の系統を﹁次第禅門﹂の組織の中に組み入 ︵ 8 ︶

たと考えることが出来よう。このように 考

く、 或る程度当時の状況を如実に示した資料 能 であろうと思われる。

顎の初期における空観思想も北国の禅 観

、 智凱 にとっては北国の﹁通明 観 ﹂の 息 ・ である﹁通明 観 ﹂も同様 色 ・心は色の中のものに ている。 二種摂心一者出法摂心 二陣便房 三 操法 尺

下欄名馬

暖即

定業 持 の 一つの背景においてい 蜜を三門に分げその 親色 一の禅門の中で息・ ロ ・ ﹂が彼等の全くの 禅観の 禅門﹂に表わされた﹁ 通 れよ うと 努力した結果、 えると、親鳥 如心 ・ 観色 として取り扱うことも 可 (008)@ 8

(10)

引用される﹁大集経 L の本文は 次

︵大正蔵一一一一、一一八四 A ︶ 所 も 出来る。

九 、大正蔵 禅 ㏄ 0 四六、五三五 B ︶ 第 出の 「 ゴヒ国 諸禅師」の「通明 観 」 す 証

と ぎ

解 洛 い

に 禅 ぅ 連 師 表 な 明 る 名 で も 播 あ の 阿 る と 海 か 居 、 も

わ 往 知 れ 則 れ る 四 な 。 方 い 織 一媛 帝

立 変 百冊 仙秤そ

表 5 則 で A 五 千 あ

百 れ 一 名 縁

)法滅

因 ) B つ

偽果

摂 因縁 の 寿報 仏縁 乃

」 乃

隠 、 吉岡 月、 無 ほ、 止 に

是有

な 名作 轟 観 っ

風音

轟 』 て

追及

一摂全

Ⅰ心因

亦 。 る

不愛

一升 縁 有 。 と 具者 何 。

益 。 禾リ 。 れ 息

臨 。

何心

終 。 名非 皆 。

為滅 , 佳哀 。 非 。 法 」( 出 。 摂 法 。 心 摂 @ 、 。 " ヒ Ⅰ。 -" ム @ 巨 ・ 0% 丁 滅 。 名

こと

む 。 法 。 摂 @ 、 b

(11)

次に証和ほついては

界定於

比定 後

故宅

如心即是

ハ l. ム ︶ ぬ明 未到地位﹂ と 通明未到地を説明し、次の初 蝉発相 では、 ﹁ 次釈 初蝉 発 相 知

前引経説北爪

具釈五 支証 相

以降 言寛 大覚

為 大覚 此傍釈未 是 十円 L 土日 ぬ ﹂

ではないと、次に 別に正意の解釈を示している。すなわち ︵ 3 ︶

大覚出世間他化

即対 真俗二諦 釈

土方有漏

無漏我意 在此 ﹂

という 範塙 におい 四

足し

『 状 『

セれ修

/ ヘ 漏

漏 ) T ャま 不 説 あ る 。 部分 に お やよ 当 然 息 色 ,む の 事 六 (0 Ⅰ 0) 10

(12)

T 次第禅門コ所出の「 ゴヒ国 諸禅師」の「通明 観 」

是 を方世間水出世間 ︵万有漏無漏︶ 禅 とするとしている。 この俗諦に 坐 る世間を 、 根木世間︵一期正報五陰︶ 二 、義世間︵根木 之 浅手 外 一切法義理相関︶

︵ 4 ︶

あるとする。この 三

れる五陰・衆生・ 国 土の三世間の構想を思わしめるものがある。 一の根木世間の発 相は

浄可

悪方覚知五種

︵ 5 ︶ 不浄 机 ﹂

身内外不実 猶 芭蕉

︵ 7 ︶

新生滅空無自性 色 不可得﹂

船心性の五旬 を、

惟| 親族心性 | 出世

る 。 11 (Oil)

(13)

総括的に見てこの根木世間の発 相

い る羅什 訳 系の典籍に見られるもの う な点からも﹁通明 観 ﹂の記述はあま ︵ 只り ︶ いとも想像される。

世間は根本世間因縁、根本手 外世 されている。

の上で偽経であるがしかも重要な

克明な記述が見られるので、引用が ︵ ハ Ⅰ︶ 経 L 俊文を補 う 資料の一つとして提示したい。 ﹁ 釈 外議世間 復 恭三 意 一正明根本世間因縁 二朗根本年 外

世間相関二頭

王 第一 駅 覚知根本世間因縁生 義 。 行者 初得 初蝉 既己 証見根本世間。 報国阿前生。 二十六物四大五陰 以

顕如心願如此

胎中陰不断不滅

於 父母交会 精血 二諦大姉豆子 以為巳

有識

托其間 。 五識

之性セ日

一変 如薄酪凝 縁

変化一身内

先為 者五歳安置五識﹂ 身何 因縁有三昧智慧福徳善根

之時業

カ変調 即計 父母身分 麻於後漸

大知雛子黄菜

力因 で 述べられている三十六物等の と ニュアンスが 興 り、羅什 訳以 り智 顎の窓意は加えられていな 間 相関・王道治正の三種に区分 問題を含んでいる日揮講経ロ の 長文になるがその全文を﹁ 提謂 道治 正 (012) 12

(14)

7 次第禅門』所出の 北国諸禅師」 の 「 通明 観

臓気

八四文。 不行 腸故 。 之気 中篇 主通血 下 。 浩一身 義 。 府臓相 貸出生 セ体 。

百枚

即骨 玄義也。

筋 揚地。 心 生血脈石笛方尾山 以通 神気兵道自然。 脈 精 神 之 気 下無主 通 大便 之物 三焦玉利上 ﹂ 魂依之 。 小 盗 戒

カ変化身内攻

為 腎臓 則塊 俊之。

不妄語戒カ変化身内攻

為 脾臓別意俊之。 不飲酒戒力 即

変身内攻

為 心臓 則神 俊之。 北魏・ 志 ・ 塊 ・ 意 ・

神即是

五識異名地。

五臓 及 与一身。

府者胆為肝府

盛大鳥気合

潤於肝 。 通 血気生酒船心八一身 故 。 13 (013)

(15)

B 脾生 肌膚 脾為 玉肌膚赤土。 肺 生船 炭 肺 在衆臓 玄上 故皮亦 一身上。 是為

五臓龍生

佑弥名士

支 。

増長。

通之血以潤之肉以裏之皮以覆之

満吉倉

烏瓜全曲

為髪余皮

荒年。

縁則

生意識 界 具足成就。 此則 略説一期果報根木世間議所因由。

外道義 有 同異 耶 。 OOO

講経 明 非人 所作 若於此義 下下在下白老町見。﹂

第二駅

内 世間 与 外国土 義 相関 相 。 具防 大地一切法裕之 事 。

奉体 法

四時大

開閉 法 昼夜 髪法 ぬ

上毛

法 叢林。

八卦治罪

為 (014) 14

(16)

出 所

疾悩終保 年寿。

調諸根

暗室田地拘忌

致終 晋山行 心 悪法。 禅 第

忘失神別

死 。 次 老幼外土王道治化 皆 身内之 法 。 の 「北国諸禅師」の

脾為

司空曹

為 大海。

中有神亀呼吸元気荷風致

南 通気四文。

中太一落赤人 之 主柱大大将軍特進君主

右稜主

姦賊上

焦 通気入頭 甲為 宗廟。 生身内二千大神 太 「通明 観 」

五刑主領

五官界

為 五雲化鳥五黄。

内赤

烏 五姓 謂宮 ・ 商 ・ 角 ・ 徴 ・ 羽 一切万姓並存 其内 。 封書 則為

五経一切書史

並 彼此 出 。 右肘 工巧 即断五明一八苦一切技術悲田 其間 。 生知化身 雌 小義年天地相関。 如是

説身非但

画定五陰世間 亦是 国土世間。 第三駅身内王法治正義。 行者 於 三昧内 顧

智之力則

復 覚知 年 内。 心為

大王上議了

仁 故居 在 百重 之内 。

(17)

︵Ⅵ︶ 如是等

義具如提

諸経説。﹂

る 事項は﹁ 具如提謂 経説﹂といわれるごとく, また既に指適され

講経﹂の抜粋であると考えられる。 ハ ⅡⅡ︶

集経 ﹂との関係等 検討を要する問題が残されている。

間 因縁﹂は前述の

れるべきで、﹁ 提謂 ︵は︶

題が 扱われていると

等 かの形で影響を 与えたのではないかと推察出来るのである。

想 の 充 と 云 3 名数

せるという点を挙げ

たのではないかと 推 諭 されるのである。

、五戒の問題を取 ︵ ぱ ︶

興 り、在るものがそ

なく、暗にその経典 (016) 16

(18)

『次第禅門』 所出の 「 ゴヒ国 諸禅師」の「通明 観 」 数 性 如 有 身 為

来故

熊 蜂 他 方 挙 三 有 故 昇 沈 四 明 一 生 故 切 故 。 湿 説 生 四 是 多 諦 水 十 大 性 因 因 縁 湿 / Ⅰ 而 波 生 羅蜜 故 当 切 知 此 胎生 多 法 属 薬 地 甲ネ 大 丹 ャ生 忍足 其 身 対 重 治衆 鈍 故 生 五 臓 切 五 ィヒ 根 生 陰 多 属 火 大 性 火 体 燕市 17 (017) 十

る 。

二昧 智慧善根方杖。

前説 若 四大五陰十二人十八界四諦十二因縁 悪人身内位。

腎 他村 肺脾 。

人界 外 五塵 内

ゆ生 五識

為根対多法

慶郎生意識者意識 界 。

吾根対肝楽根対腎捨根

対陣。

禅 乃至四生定住 名捨倶禅 当期三界 亦為 五臓共議相関。

切 卵生多足風大 ︵Ⅱ︶

らば五陰、十二人、

世智によって上述

ない。そこで内義也

(19)

第三の事世間については、

昧 智慧 転更深 ︵ 茸 ︶

世間通達 無閾 ﹂ ︵ 騰 ︶ られている。

敗滅

諦対 賢答 蔵 立法 巳有還無政 一心日射 脾 開通四諦。 広摂 如来一切教門。 定則 説 内義世間 ︵ 巧 ︶ 義 相関左相 意在幽微 非 情勿述 。﹂

代 が明らかになっ

る禅観 が日揮諸経口

期に ﹁通明 観 ﹂の 完

になるものと考え ろ である。

覚は 衰世間の名義

殺戒等 の一切法の如

すること異ならず 余

しと覚する。と述べ (018) 18

(20)

7 次第禅門 コ 所出の「 コヒ国 諸禅師」の「 通明 観 」 19 (019) ア @ し

の ん 「 児 で

加役

『『『『『「「

定見側次次次次次次次

解 い 形

禅門

比を窮策

第第 窮策 第

と る 相非 鼻溝 挙げ 禅門 禅門 禅門 禅 」 禅門 禅門 ら - 」

一皮れヒ

ヒヒ 呑ロ ヒ口 ね め る 結

も ・ き玉 ロ 口 至

慎二(((

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田内に大大大正大大大

お正正正蔵

正正正

来冬 げ蔵 蔵 蔵 四蔵 厳威 で あ 門 次

Ⅰ「 @ 目 ⅠⅠ 。 目 言

九の五五五三五五五

0 = 一一 修 | 証 - ,ブ @ く @

知り、 の C B 五 お 骨 よ )) げ 唯三 ぅ O る

脳百で

各 有末 あ 法 『目口・Ⅰ

の 髄 分 ナま 有香 と 十有 ん 四九 ど 重土 ノ入 身重 に兄 ら 内 丑松 れ 臓此 る 葉骨 定 型 葉肉 相之 句 覆問 的 舌ヨ王

法 旧 子し 級四 であ 生頭 る 疎四 の 向 日 で、 外力 明 相中 ら 通力 か

砲口︵

9 ︶

︵ りめ ︶

ついて た五 支の分別と同様の解釈が施されている。

剋定・ る 補註の如き形で適宜な解釈がなされている。 最後には ﹁行者大北法門不敬実際作 証 具足大悲方便

Ⅰ 日 日 ⅠⅠ l も 、前述し ボ 想定・ 寂 明摩珂街

(21)

禅病

秘要

観的

観法に重点

重猶

卯酉

内赤九十九重

芭蕉

中間有生

細於秋亮

各四頭四口

四百四旅人

其骨間

流注上下

猶如

芭蕉

次当観

九十八重

十四重

脳為四

﹂番上大正蔵十五・三二一四

B

史の研究﹂所収。

﹁天台学報

一一号所収。

一一一五

A

勤修精進聡明

、大正蔵一三、一五二

A

及び、二丁

6

註の引用文参照。

本文四事水玉

︵ 穏

星客

智光

稿

前掲論文。

M

︶﹁次第禅門口巻

︵大正蔵

Ⅰ ハ 、五三二一

A

時田地券 解 衆生

足 四百四

脈内

一八、五三 OB | ハ レ ︶ (020) 20

(22)

正次第禅門』所出の「北国諸禅師」の「通明 観 」 第 禅 為 事 の

」禅門

日摩

師 して この Ⅰ 「 よ 観

目 19 18 17 ) ) ) 通 と 思 は 相 背 』 炊夫 次 明 深 わ 黄 巻 策案 第 観 い れ 管 備 を 九 」 繁 る 顕 如 如 上

禅門

禅門 経ヒ 0 通 る 観

ヒ巻ヒ

をり

資が通「

「 明

手裡

養二巻

八二八

料 あ 明 止 観 照 定

約 9 観 観 中 り 境

大大大

に 、 」 」 広 は に

正正正

蔵 蔵 蔵

四一四

y¥@

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五一五

"""""""- 一 ;//'¥' Ⅹ -- """""" 一 五 O 三

B@ C@ C に そ 道 べ ) 一 一 l も れ 桂 一 四五 l 一 一 """" "

一四

六 A )

ま い え る

述そ

べ こ

て か い ら

『国

次諾な

つ る こ 21 C02 Ⅰ )

(23)

残したが、その 反

う に思われる。多く

ティーを超える 朋ぷ堆な 思想 アイ - アノテ ィ テイー

の 思想的同一性のあ

となるだろう。

しば書きとめて ぃ 十本

が 生くべ き 道に出たと 感

さねばならなかった 、さ 徴

の心に、一道の明︶ 象

在 を失 うた 学究 臭 2

教性

(24)

民俗学的な探求の 象 されていた。時間 に 実現されていくの である。

学の ﹁ 道 ﹂が開けた。

べき 道 ﹂であった。

の 獲得だった。 ひげ @

籠の話﹂が書かれ つの局面から考えて

的 宗教性への関心はどのように形成されたか。 二 、発見された民俗

学の発見によって 折

はなにか、 ほ ついて探ってみたい。 ︵ 2 ︶

あ八 げおに 口 ﹁この集のするに﹂︶

まれた道である。 ぬ )

せなかった私であ

(25)

民俗的象徴と 原始的宗教性

がらひたばしる 盲 ︵ 4 ︶

︵﹁若山 杖 大女

l 1盲動﹂︶ ︵ 5 ︶

ずらって、微温的形 ︵ 6 ︶

げればならない。 原

がたたえたのは岩野 海鳴であった。

かを通じて、ひた l

に鷺 げるわれらの

此度坂を走せくだ

の 土着によって 、

氏 によっていたましきまでにさらけ出された。 。ほんちを ・11 芸 % んでⅡ 蛆ハ

境地につき入って

ょむ 必然が聴かれ ︵Ⅰ 7 ︶ るではないか。︵﹁ 推讃 ﹂︶

鳴の リアリズム小説

的 個人である作家が 苦悩の中から生み出すのである。

それが形をとりだ 25 (025)

(26)

集 に親しみ、短歌を

論 に興味をもった。

心 をもち宗教家の門 ︵ Ⅰ︶ ハ

への関心を示してい

念の枠を う ち ゃ ぶる ことが必要であった。

次の一節は 、 そ う

て 翻訳せられた。

本主義は 、凛 とし

かった。古典にな

的なものをとりあげ

張 されている。悲劇

られた よう に思われ

方 のすじ道は次の ょ

じる。なんらかの 伝

の 充実が得られる。 (026) 26

(27)

れる。この時、原始的 宗 27 俗的 象徴

間 社会の関所手形 ︵一 % ︶ に 過ぎなくなるのだ。︵﹁零時日記﹂︶ と原始的宗教性 それは古代的な生命力の ょ みがえりである。

思われる。

強い感銘を ぅ ︵ⅡⅡ︶

せ むとして 終 ︵ 乾 ︶

をとらえられ

高かった。 琢

もたらしたと ︵㎎︶ る 。︵﹁石川啄木から出て﹂︶

て 成立した

れは現れている。

壊 がはじま ︵Ⅱ︶ ︵﹁滅ぶるまでのしばし﹂︶

も一つの 偶

三面 積 を不

む 。 ゐすか 一切 サ 一一仏一も 、 新 儀 道 に 破 泊, し と 徳 供 壊 を

い 日 っ な い 痛

(28)

に 枠 ご

る み も 教

Ⅰに 聴 えた。 し 隅々までも行きわ 鼓動、それは群集 時 至れり ヒ 。︵原文 と 蘇る原始人の心 れ 1 の罪の酬 い を 感得する祖先の いった風に 、 月は

行 ︶ さぅ して﹁ 神 ︵ 托 ︶

野 海鳴の考え方の

の 文芸批評の概念

いていった過程を反映している。

性への関心が成立する。

なり

った内容が

(0%) 28

(29)

しし

庶民意識、町人意識があ

員 としての自己から出発︵

にとげ こんでいると感じ 原始的宗教性

点 にまとめられよ

春を迎えた、自然 生

隅で﹁遊民﹂の生活をおくっていた折口には、 海鳴にはまだあった

の 、生理的生存にす

変化に対応してい

︵ ﹁ ︵ 7 ︶ 零時日 己 ﹂︶

たしは次の 文章に ょ みとりたいと思 う 。

0 流れが、

知らぬ 壊 し

いた銅貨の

人 との交渉

自分の膝の

ら 懐しく感 ような 浅り 出 みを味 にほ ひ を切に あたり じる。

(30)

民俗学や隣接話学などの経験科学 て 、折口は早くから多様な学問分野 過去を探ろ う としていた。学生時代 ︵ 麗 ︶ み、朝鮮語・蒙古語を学び、アイヌ

葉 集などの古典研究を焦点とし

より、さらに広い文脈で民族の

もっていた。﹁人類学雑誌 ヒを読 ︵㈲︶

という学界・論壇の関心事にも 一 " 一

たと言えよう。も う

内容を規定するといの

な 表出である。形式

定着されてしる 、 ︵ 1 8 O ︶

から発生した。集合

の 民衆の円ホ 教性 の 名 残りがしばしば見出される。

への考え方の変化

さわしい考え方への

に合致する知的方法 が 見出されねばならなかった。

(31)

民俗的象徴と 原始的宗教性

上 のような関心をさ

ぅ 折口の自覚にぴっ たり来るものが感じとられただろう。 ︵何 % ︶

大正二年十二月と大正三月三月の﹁郷土研究﹂

と進めば、知識はふ です。だから 其 喜び の 宗教観や学間観を 会いについて、先の 原始的宗教性の ょみ 折口の心を動かすも 経験であった。民俗 分裂をこえる道は見 ぅ 学問の過程への 参 ぅ かびあがってきた した。つまり私とい 0 発掘・集積ととも れただろう。しか って折口は経験 科 31 (031)

(32)

出されていなかった。民俗学 折口の見方からすれば、 柳 教を正面から問 う 気はさし も 周辺的世界の信仰に限られた それらを追い払う境の神であ きの社会秩序や民族信仰の本 るべき宗教は何か、という 問 キリスト教とはなにかを問お は 大きな疑問をもたなかった であるという感じ方を柳田が た 秩序意識が欠けては いは か 柳田は逸脱した周辺的信仰 る 。失われた意味が回復され 恐れは、理解の 力 で解消され ことである。正統秩序Ⅰ逸脱 内 Ⅰ外の二項は 、 別々のもの に 秩序づげてもどってくる。 ︵ ね ︶ 確証していくのである。反対 ま 、目、 ではあったが、民俗学を通して思想や宗 仰の形態を探究したが、それは逸脱した

は 、先住民の神、外来の陰陽道の神 、

した形態を探究したものであり、表向

ム 秩序を支える信仰とは何か、中心にあ

口ッパ の民俗学が、当然のことながら

。この ョ ーロッ。 ハ 民俗学の態度に柳田 仰 とがはつぎりと区別される別々のもの

なるにせ よ ・柳田には伝統に支えられ つこ ヰ ハ 0

る 限り証拠を求めて、由来をつぎとめ

る 。見えざるもの、境の外のものへの 徴 はあらゆる点で境界をはっきり定める

、現世Ⅰ他界、事実Ⅰ幻想11これら

向 う 側︵ 外 ︶に入りこみ、それを巧み

明から存在していた精神秩序をますます

していると感じられていた。﹁偶像破 (032) 32

(33)

民俗的象徴と 原始的宗教性

いると感じていた。

情動がない﹂と語っ

主体と縁がない、

である。

いうことの重要な

︵ 然

的に書き写す。折口

あった。神々や他界

にちがいない。この

どのものにはならなかったであろう。

始的

宗教性の復活

﹁遠野物語

には

ちの民俗学者として

柳田は明確な境界

33 (033)

(34)

物語﹂と﹁石神問答

かし両者は、明確な

たらしい﹁ 髭寵の ひげ こ

を 通じて よ みがえら

話 ﹂とともに誕生し

能 分化する以前に天

人々が迎えるのであ

だったろ う が、次第

じるしとなる ョリ シロ、 オギシロ が作られる。 さらに大嘗祭の標 山

% は神を具象するの

︵﹁ 佳 一丈余の車の輪 ︵ 乙 ︶

、後光を意味するも ︵ 鶉 ︶

の先の口籠。さらに

神の区別は重要では

しの事物の思想であ

なるものを地上に顕 現させる﹁もの﹂なのである。 (034) 34

(35)

民俗的象徴と 原始的宗教性

籠の話﹂の独創性

ぅ かは別として、 こ

とだった。わたした

俗学の経験的資料で

た 意味を失った残存

失われた意味の回復

、原始的宗教性は民

あわせを見ることを

性 、 俗 Ⅰ 聖 、現世 /

、 単なる竹細工であ

、 神と他界を感じさ ︵㏄︶

項の境界はもはやはっきりしなくなっている。 両頃 ともそれ自体で

入りこみ、内は外へ 流れだす。

自我と原始的宗教

性を求める自我は混

って、折口は思想的

が、 仝や折口は分裂 35 (035)

(36)

門 であったのであ オヤ 一 " "" 一

口の自己浄化の経

える。﹁悲劇精神﹂

推測される日記には

て 居らねばならぬ。

によ る悲憤感の相対

活の重みをとらえ ょ 鋭に 現れるのは旅であった。

れて 跣跨 。⋮ 、 って住ん

の梢 か け づくりの

道 の 砂 その

で 胸にせまって 来 民 し 俗 た 約 三 象 っ 徴 の の も 深 め 求 め の 重 旅 ね に あ の わ り せ だ の す 中

に目

こと に 己 な な る

見 学 よ 問 う は は 道 な と る

リ ン Ⅰ れ 旅 が

とな 「 づ く た べ め ぎ

であ 」 る に

る と 六, Ⅰ 広 - Ⅰ 後 折 は (036) 36

(37)

民俗的象徴と 原始的宗教性 「 べ う も じ の す 終 し へ 後 は ょ 憶 永 こ も と て 。 の る 最 る 点 同 の 民 に ぅ で 還 れ た こ な

民違

な と っ

れ俗

見だ

関 ・ て 原 た な に る わ に り 折 を 多 き 型 せ 強 拍 。 ち 関 、 口 先 様 り に る 調 東 学 押 す そ の

? 活 若 尾

く 的 。 失 態 は の 学 つ め 統 だ な と 参 る 性 問 近 で を の 意 息 わ わ 々 口

そ 俗 。 返 も れ 字 細 さ の こ に 行 れ は そ 思 文 た そ

比 感

同 道 が 地

落 を 」 ん に

意味

失わ し が が こ 理 の 民 っ 民 た あ 自 こ 解 を 俗 た 俗

れ 本 力 6 分 か は 定 常 。 的 き す 、 味 で た 明 は だ に ら 唯 夫 に し 象 の こ こ の い 意 の す ろ は 生 一 化 は か 徴 テ早 と の 言已 る 37 (037)

(38)

な へるからこそ、 経 にのみ探究の対象で へいする作用の表現 八 異称 V が隠ぺいを とが可能である。 こ 頃 の 異 和を包みこん おり、二つの意味の

の 喜びが生ずる。 解 象徴への着眼が新し いことが必要条件であった。 してあった。虫ム 存

活 実感の中にも民俗

、 異 和は実感として

。これとともに異相 は 会見たとおりであ を 及ばした。原型の る 。民俗的象徴が注 なる。民俗の中には (038) 38

(39)

慕 うて 戻る、とい 象

カと 、伝統に随従する消の 勺 民 39

と 原始的宗教性 は 文学批評の面では ︵㏄︶

観 ︵歴史思想︶が ある。

移住地から逃げ出

和 に求められる。 民

して現れる。

ぱ くなってゐる。

卑しむそうな口ぶ

おかうその中に新し

ある。

リアリ

すなわ の 主要部分の特徴となっていく。

初年 こうして民俗 ティーをおき ち同古代研究 L の折口の考え

(40)

以 単 身 枠 標 な 来

あ ど 慨 さ の 3 位 み で 徴 す 思 解 鎖 れ つ む 念 れ 所 な 事 と も は 二 わ 体 性 て た 架 化 ね 究 歴 な る あ 成 項 れ の と ぃ 戻 橋 す ば は 史 ぅ こ る 立 間 る 中 外 る

は 多 に と 領 え 的 ず な ば し 的 い れ 俗 な く 手 く 域 る l で 通 、 た 象 っ F 甲 ァ ほ の を に と 必 至 あ し 民 も 徴 た そ ふ か 業 ふ 民 の 要 件 る て 俗 の に 見 こ れ

ぅ あ い 的 を る 問 俗 散 史 し あ し び 問 げ な 歴 必 。 を の は で た る よ に に ら い 史 要 歴 展 雑 、 あ の 。 せ く 焦 れ わ 観 と 史 開 多 た る も そ ろ り 点 て げ が す の さ 性 ん ・ し 歴 遊 な い で 日 る 中 せ と に 原 一 て 史 し あ る は 本 。 で て 民 原 始 つ 実 の 生 ね 。 な (近 民 の ぃ せ そ いむ代 俗 民 く る れ 。 史 は 俗 た 研 ら ま を 多 の め

究 を た ど 様 煮 に に 性 が の 史 ひ も 領 う そ う な 義 は お の 歴 表 観 き の げ 哀 史 れ は お で 域

のっ俊え

げの

捉歴を

と原

る 出 の で 民 こ あ 開 ぎ の る 酌 も 型 異 形 中 あ 浴 す る 拓 、 研 か 形 え 的 が 総 究 は 態 る 信 和 な

態でる

でさとの

へ清

熱 う

石 台 者 重 と 民 仰 要

し 等 要 し 俗 の た な て 学 あ

さ 折 よ 間 、 的 り れ 口 っ 題 社 歴 方 て 民 て で 金 史 を ぃ

俗 民 あ 科 観 探 出 と 折 概 成 げ 発 社 日 金 が で , 点 余 白 の 目 は

に姿

した とど

ぅの、

も大海

「 歴 ま を 民 の 遠 山 史 ら か 俗 の 性 の の な え 的 本 を あ 力 い て 家 質 喚 い と 。 い 徴 的 起 た い そ く の 内 す 」 う れ 時 末 客 る の 託 ) 円 折 @ 五 口

口金

集ヒ

第二

四 分

光輪

六社

l 昭 ジ和 。 四 O 年 四 年、 十人 @@@ 全 「 集 略 記す る 。 ( ㏄ 0) 40

(41)

民 ︵㎎︶﹁全集目第二五巻、三 セ九 ? 三八一八ぺージ。 ; 俗 l セ 的 象徴と 十ん・ レハよ 、。

原始的宗教性

六親 時

一番

第 l

の請判

署二

第一一 窩 i 続 う - 治 茸 号 な月 心 点

四 一 =

玉 手 @ ( 同 士 五 ま 能 ヒ

ヰ 第 天 一 一

研四ア 窩 第 上 究 三 %

に年

ま - と た

ね月し

二題

『 全 集 昭 和

ぱ刊

て 四 な 行 『

「八年

第三 ら で は

(42)

ピ 第一二巻第一一 母 、昭和四五年、参照。

五 。 へ|ジ 。

まで︶。

︵㌍︶同上、五一三 ? 五一四ページ。

和 四四年、一四六 へ|ジ 、参照。

セ年、セ 三ぺージ。 ︵ お ︶﹁全集﹂第二三巻、四 セ ベージ。 ︵ 打 ︶ 司 全集目第二巻、一八七ぺージ。 ︵ 為 ︶同上、一九 0 ぺージ。

本文中の﹁神器﹂ や ﹁象徴﹂という語の使用もこれと関連があろう。

二号、大正三年、

第一一号、﹁ 雑

などの﹁郷土

南方と柳田が 、

? 五 0 六 。 へ|ジ、 参照。 ︵ M ︶同上、五 ? 六ぺージ。 ︵ W ︶同上、一 7 二ぺージ。 ( ㏄ 2)

空 、折口信夫特集臨時増刊号、三五ぺ ー ジに 再掲 ︶。 42 ︵ M ︶﹁全集目第二八巻、一ぺージ。

(43)

民俗的象徴と 原始的宗教性

︵ 紐 ︶﹁全集 L 第三一巻、九五ぺージ。 ︵㌍︶﹁全集﹂第二八巻、六二ぺージ。 ︵㏄︶同上、八 0 ベージ。

理 ﹂が定式化され

全集目第三巻、参照。︶

0 一 。 へ|ジ 。

をもっておわる。

まる。 ︵ W ︶﹁全集 ヒ 第二八巻、 ゼ三 ? セ 四ぺージ。 ︵ 舘 ︶ 註 ︵ M ︶参照。 ︵㏄︶﹁全集﹂第二八巻、六 セ 2 六八べ |シ 。

この点で重要である。

要 な一画をなす だ

ある。当然のこ

ぎ 手となるだろう。 43 C ㎝ 3)

(44)

体験的コスモロ ジ について

て 生ずる現象に気

り 寄せることができ

速度の法則や随性の

またイギリスの物理

二八一八五年︵顕微鏡 図葉︶だといわれている。

がて、自然が科学

に 感じたのかもしれ め

速断に過ぎようが、︵

はまだついていないのではあるまいか。

︵﹁パンセ﹂一一 0 一八︶

W.

ライヒの場ムロー

泰博

(45)

分 には解決できた 公 法に困り、松果腺

に 。しかし、宗教学 や 心理学に還元しょ ま はその看板をおろ してしまったよさに、容易なわざではない。 ればならないとい 形で、どのような 状 である。しかしそ ん 筆者のいいたいの あって、 粗笘 ながら 論 ので き 方をさぐってみたいと思 う のである。 入党しながら、 そ るような生気論にと の の Ⅱ 1 ト の臼 Ⅱ︶のことで ある。 ( ㏄ 6) 46

(46)

47 ( ㏄ 7) 体験的コスモロ ジ について が 十 に る ト が ジ お る 五 3 3 は を き た ょ 幼 三 タ 生 が の 春 で が ; れ ) 書 な か 頃 、 l し ) 一 ・ て の 九 ピ い ( と コ ン たし き 一 ク 0 、 ( 学 人 分 = 生 宮 の ン ぅ み の

精 は こ ( を か 紙

めげる

てと

関 係 り

o

フ す 神 パ と - 読 っ 切 @ い 、 を デ る 二 父 0 ロ お 料 り の 丸 む た れ ィ 」 医 に あ ー よ よ に

神 分 析 へ の ⅠⅠ さ な し Ⅰ

(47)

︵ 6 ︶

てみてみると、㈹ ︵ ミ リ︶ りっかれていたことがある。

もセ 年間ほどで、一九

クかぜ ・オーレン、 ド

、 彼の生涯の三期を

になっているが、ライ

妻エ ル ザ は、社会主

やがてラ イ ヒは 、他

、教育歴もあまりな

方 によっては、若く

デ ンベルグは 、 ラ イ

だせなかったと述べ

味覚にあい、ライヒ

苦笑した旨を記している。さらにライヒには、 家庭教師と母親との ︵ 4 ︶

。つまり、彼の場 ムロ

農民のだれかと関係

などという考えにと C ㏄ 8)

ニーと別れ、この ェ

(48)

体験的コスモロ ジ について と 上 い 除 よ の ロ い め 押 さ っ 症 イ な う ら 経 れ て 候 ト ん 概 ね 病 る 実 を 派 で 念 て 的 か 行 陳 情 も が い 症 も さ 失 神 な

く り な な

ち ゃ く い し と と に 。 憎 ・ が か で 分 つ 健 析 か ら へ

l 釈 呈 上 き テ 動 的 ソ を し の な 々 が な

が 。 い

き確圧形何

し 全 ・ 調 た 症

を主張して

㈲神経病的 づ の的 0 ヰ 0 ヰプ の

なお ェドヮ サイコロジカ 々食傷ぎみの る 。 ﹁症候 分 態度をそ HP 弓せ ︶を |ドま、 か な思弁 人たちに 49 ( ㎝ 9)

(49)

、いわゆる﹁否定的 転移﹂官田 緊 T の

宙旺

織目 8 ︶が必要になる。

く 、恐怖ゆえか、

対する防衛であり、

て 、患者の隠されて

外 へ出ないよう受 け

感情を転移してぎた。

照 的なものであると

悪が 変装してできたものである。

︵ ac 拝の︵りに変える

破壊的態度のもとになっているエネルギーは 、 十分に満足のゆく 交

ルガスム的潜在力﹂

格 分析と呼んでいる のである。

痛 にみちた体験な ろこび︵ちが

目乱

せ︵の︶もないという。 (050) 50

(50)

体験的コスモロ ン について

まで生理学的な過

る 生理学的なメカ 二 ズムがなければならない。

的ともい う べき 警

この内容は出版に先

なってからこ う 述べ

とだ、おどろくべき

、とわたしは感じました。しかしフロイトは 、 こうした エ ゴ本能に よって、リビドー 冊ミ、

、他方で性的本能の

だけでもとは 一 っと

︵ 曲づの ︶ 0 プ臼瞳 ︵理論

自ら形而上学になっているともいえる。 ︵ 9 ︶

ばとして用いられ

の 進化の各段階という意味を持たせていたが、 フロイトはさらに・ 一 一 " Ⅱ 田 二幅︶ 51 (051)

(51)

︵ 騰 ︶ ち あらわれてきたことを示していた。 て 違 反 抵 示 ギ す ょ る し べ し い 応 抗 し た l ま う そ 立 、 て

ン であると見な

つまりその行動表現の﹁フォーム﹂を﹁内容﹂ は 上に大事にす 嘘 いっわりを言わない﹂と。

し 身体的にどの 、ライヒは 、ま

生物心理工手 ル ︵ ま 0 牡 沼田のの口の︵ 幅せ ︶を称していた。

のに強い抵抗を

ぎた。この

物的な シ,ック

らで、色合いの

呈し、力がぬ げ

の 0 日 い文 nP

︶ 立

そんなことはす っ ル 性 て ギ 本 い l 能 た ( の 。 璃 進 閂 イヒ

rg

))

の口の と起る 階 に 得 さ る で, 変 拡 形 大 の し 総 、 体 後 を 年 さ は す リ よ ビ ラ ド がこ l 拡 と 張 い し う た

と さ ば ら な に 全 ュ 然 ン 使 グ わ は ず そ

Ⅰ。

Ⅰ -

0%

白帆

心 を 的 全 ェ 体 ネ と か し ギ て l の と ,む の 的

みェ

日、

一ネ

(052) 52

(52)

体験的 コスモロ ジ に つ L 、 て 53

る 。かくてライヒが

シンボルマークがでてくる。

せ ︶

|ンが 固定化して

似て、ある感情体験

ぅ 考えをとるよさに

になる。ここから 彼

う になる。つまり 彼

性格鏡袋︵目代 Pn 汀 Ⅱ

く 掘りさげてゆく

に道をゆず ら てしま

た 。したがって 、生

導入したのである。

本心を柾げて、世に

(53)

ぅ ことである。つまり木片

がやがて、フロイトが 指 が 一切の宗教感情のもと い わゆる昇華させてしま を書くことによって︶ は 心的生活であり、この大波こそ生物, 生 摘 しておきながら、それを自分のものにし にしてゆくのである。これをラ イ ヒはフロ っ たからであると説明する。︵﹁文化の不快﹂ ぅ した観念は容易に の 波が、その波上に (0%) 54 定 身 体 「

総帥

的体

興 」 な

要ヒ

の の ェ に よ も ネ あ ろ と か つ こ に ギ て び あ l 、 め る の 決

(54)

体験的コス

と た 満 生 め 足 物 」 で

ぎに

55 (055) モ ロ

合体を目ざし、生命に不死性︵ ま日 or ︵ 曲 ︶ ぃ ︵ せ ︶ を 与えるものとみて 五 死の本能

ロイトに よスり 性の

っ 道徳主義的、権威 主

が 子ども中の自然な

た 多くの人が奴隷的

過去の道徳を排除す

ている。そこで保守

ぅ 、たしかに人は自

ていままでも、人間

念を導入してくるの ︵ H ︶

てである。つまりいまま

自我本能は有機物が無機

(55)

とるライヒは、エロスとタナトス︵死の本能︶ とを並立的なもの

や 食欲のように一次

いし、圧倒的な状況 ︵ 5 ︶ 尤よ る。

、結

ムロ状態をほど

き 、そして破壊するもので、

その最終目的は生

本能﹂と呼ぶのだと言っている。

まり筋肉運動とし

の量の攻撃本能が

引きちぎるなり、

い う

形をとることに

︵Ⅱ︶

ぃや、動揺を経た

戎日 ︶は潜在的に不

、多細胞の後生動物

げるこの死は、自然 実だという実感を抱くようになる。 (0 ㏄ )

息味 での肉体︵の 0 日曲 ︶ 6

(56)

体験的コスモロ ジ について

脚注をつけて、そのⅡ

ということばでこれ たしかにフロイトが攻撃本能とい ある。︵ 7 l 上 ︶ ハンス空馬恐怖について、 こ 敵意︶の抑圧によるものと結論し 、 ア ドラーク言い方は 、 誤れる一般化 保存本能 や 性本能と並べてこれをと るとその存在をみとめながら、むし ほ ついて記しているところからで 煮 、母親に対するサディズム的 ものだと述べているが、ただし としてはよく知られている自己 能 に普遍的かつ不可欠な属性であ ぎ降 T ユ ︶のことをいっているの

まり患者は、性行為に対 ︵㎎︶

い う 。

が 国でアメリカ張りの

た 概念である。戦争の殺

おょそ 不毛なこの概念

を 果していると批判してい る

もよ

治 い 分 罰ミ 。 療 の 析 が 者 不 の 恐 が 可 導 ろ , 患 者の難しい抵抗に遭遇して 、 遊 人 性だったことを、このこと で、メニンガーの﹁おのれ し くて悲嘆にくれるのであっ

マゾヒズムについて な 攻撃性をサディズ なもので、後者はこ

(57)

人 共通に失いつつあ ︵㏄ 胎 ︶

を 、﹁生の拡充﹂と l い ㍉ ク と た キ ト 苦 心 リ と え 的 ス し

憩、 の の 、 殺 そ あ パ 害 の る ラ 』 い 意 / ( づ 味 イ ー れ で / Ⅹ

な 三 も 世 せ 牛 田 紀 る ) て の ズ 妄 な ゆ 代 相 ,ロ、 ど ム 神 な 風 、 い

す 変 現 ぇ か り 年 る " な 返 っ あ 書 く ル る 名 な キ い の っ シ は 木 て ズ 空 を か ム 恐 山 ら と に 板 、 精

る を 亜 っ

侍 ひ 一 し 興 そ 九 た な か 五 ぅ コ がこ 一 イ ス 追 年 ヒ モ

行 ) は し ジ て か セ

インタビューの中

を 試験管の申に︵ T

論 ﹂は一九二四年か

@O

ロィト は病気︵ あ

イト を固執させたも のという。 (0 弼 )

能 が徐々に 、フ p ィ

(58)

体験的コスモロ ン について

きよう。

れとも研究が不十

木の実を食べたこと

のは原始的な生物運

れを食べた。すると だれでも神と生命を

ブ イ ヒ はい う 。愛の

論は 、全科学史を通

って、自分の宇宙オルゴン・エネルギー 宜 0 の 臣 ︶ P0 o Ⅱ 幅 o 臣 e の目のⅡ 沖せ ︶

る 通り、自分は世の 的 気分︶しかも人類

その研究が圧えられ ︵ ば ︶

。つまり 神 Ⅱ生命Ⅱ

を 解く鍵は、感覚の ふる

す 。人は、感覚に ょ をなす感覚について

0 しかもこの感覚の 感覚は興奮の働き 59 (059)

(59)

ということであった。

研究に遭遇したので

ている小粒︵の で の 0 ダの ︶

自然法則に従 う 連続 れた空間かどうかという問題であるという。

問題が基本的には

っかえぱ 、飛行機は

らわれている。そし

全世界︵仁田くの︵のの︶

る 。

ればならず、した

三の日︶がでてくる。 互にぴったり同じと

。一切のものに浸透

別件 は 、あの精神病

に 近い︶

は 、一定の成長原

に 、何千年間、遊星 (060)@ 60

(60)

体験的コスモロ ジ について の 軌道 い 年月 陽系ま ろ。 自 それ でま 、 ていよ わくの 力く 曲 。 臣 ︶ みるよ ファン ら、こ 興奮で た 。 強 に 従 う た 。 こ 肉体内 に 足らない 短 ズム である 太

なものであ

ものではない。 的な枠組の中 、首尾一貫し 体の論理的な 外では非科学的なものとなる。 制止︵ ぎ 田安, から、強い、 夢 なった。この ときの記憶 か いりまじった れさせてくれ 官 感覚に素直 る 。治療によって生物的感覚が解放されると、 不安がでてき て 人は、自分の 制 があったの 61 ( ㏄ 1)

(61)

この反応は、感情

ついている。だから

もたれ ソつ 。それはフロ

Ⅹ づ 曲目 匹 。二︶に、不快

︶とに機能上等 匿 することに成功したという。

ある。これら ェモ

バ Ⅰ エ モーションな

ヒ はそこで、生物体

れはまた唯心論的

9% 然は生きている

ものである。精霊は

物の中で生き続けた

存在とみなしたりす

分 自身の感覚に従って自然をアニメートした。 しかし彼らはそれら

意味で、感覚印象 や

目 の 毛 0 ︵ ま ︶に変えて (062) で あ る 62

(62)

体験的コスモロ ン について

った 天使とかは、 人

る 。また地獄、天国、

自然な、ゆがめられた器官感覚である。

ニメートする 卜 し と

対し、神秘 家は 不自

魂 をみとめているが、

方 悪魔とか天使は 、

る 唯一の実体は 、鎧 る 。

どでしばしば非難

してはいげない。 さ

。またニュー L ドン か り

を 発見しょうとした

すことだとラ イ ヒは

アニミズムへの反動

リスト教会は、先史

遠ざかった神秘主義

き 殺しているのであ 63 ( ㏄ 3)

(63)

る 。

い う 事実を除いて

はあるけれども厳密

えることである。 と

情 と興奮の統合、感

し 同一性は、いかな

り 排除するのである。一方神秘主義の木質は 、 感情と感覚の一人参

動を 、具体的な 、生 なら、それは神秘的なものになる。

体験でぎず、ゆが

明 できるかもしれた

するようなものであ

ぬ 的な力﹂の病的知

型の分裂病者は電流 者のフアンタジーに

の 類であるという。 プノイマ ︵精気︶ 、

ロイトとは反対に、﹁現実との生ける接触が 薄 れてゆくに つ れて﹂ (064)@ 64

(64)

体験的 コスモ @ ,ジ について ( ( ( ( ( 証 5 レ

4

) ロ

3

レい 2

))

1

貢 o し ゼ

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め亜

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1

65@ (065) Ⅰ イ Ⅹ

入 綾 な つ す こ 格 し い テ あ ィ て る と と よ 自 ィ る ヒ い 気 に み ぅ 然 シ と の る 持 よ

ずと

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ムラ

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宇 い と と ら な さ る に 宙

法と

こいが

で神の度

精ど一

身の

し 則 も 強 き を 尾 結 近 び と な 烈 ょ 分 を び な よ 尊 い な う 離 別 っ 人 っ 。 し く げ 間 て 形 は

仏 教 力 な Ⅰ 的 ⅤⅠ し い ,え 帝 Ⅰ土ミ

え が と 体 験 的 仏 身 論

と 以 と 神 の る い ,え る

れ 然 ぃ ・ 座 両 口 軸 な あ る か

ま 0 目 学 得 ル 累 し

せる神秘主義とを 区

(65)

寒ヒ Po のべ, 0 デ

フ七

・ HO ヤト ︶ A.U

中 r ののの、 ト のの づ 、 b. P ド Ⅱ

︵ 9 ︶ コのコユ犠 ・ 已 ︶ ト 0 ロ ヴ のⅡ㏄ er 、 o つ ・の∼︵・・ 弓 ・Ⅱ 0 ㏄

い か。 ︵Ⅱ︶ H ヴ w&.- ロロ・ N の 臼 1 の ︵は︶ライヒ﹁宇宙、生命、 エ ゴヒ目・ 乙 ⋮ ま

の辞コ 僅が﹁年の隼 ,セ 0 ノ パイ MH ︵・で せ かか l り口

ar 年の & : セ 0 デ パパⅡ 目 - ロ ・ ト Ⅰ 卜 ㏄ 口 ︵ 巧 ︶二才 卸 - ロ ・︶ mo

八一白貝。

00 ロ の 団コ 口ギ血色:Ⅱ 0 ∼・Ⅹ・ づ寸ト か 0@ こ

想は 、壮大なもの

蕊ヒ 。∼ 0 も QA ∼。 母

を 診察した 刑務

物 がたおれてし まったという結論を否定し得ないと記している。

年 Q ギ oE がト 0 Ⅱの 、づ ⅠⅡⅡ @ の㏄

ののの - め ㏄㏄ ( ㏄ 7) 66

(66)

活 秩序との関連にお 67

重要性を価値の役割

結びつく理由はいくつか

説明する総合的社会理

制度が神から与えられた

げば、説明がっく。︵性

︶家族、︵地位の格差の正当化を伴

社会の階層分化・︵正しい

( ㏄ 7)

特別寄稿

動向

フライア

ソ ・ R.

ウィルソン

きた。社会学の父 お げる宗教の役割に

参照

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山階鳥類研究所 研究員 山崎 剛史 立教大学 教授 上田 恵介 東京大学総合研究博物館 助教 松原 始 動物研究部脊椎動物研究グループ 研究主幹 篠原