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『近代日本の宗教論と国家──宗教学の思想と国民教育の交錯──

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Academic year: 2022

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の方法や枠組みとその宗教論にかかわりがある﹂︑という事態を浮き彫りにすることである︒このような︑﹁諸宗教の親和協調は宗教の健全な発達に関わり︑それが日本の社会や国家にとって有益である﹂とする考え方は︑﹁東大宗教学を率いた姉崎やその師の井上哲次郎﹂らが推し進めたもので︑門下生や共鳴者らにも共有され︑﹁この時代の宗教学的思考を身に付けた人々に通例的﹂なものであった︑というのが著者の見通しである︵二頁︶︒

  このために設定された課題は︑課題①が﹁宗教学の思想﹂﹁思考方法﹂を明らかにすること︑課題②が﹁宗教学﹂と﹁国体﹂との交錯を見ること︑課題③が﹁社会にどう受け止められ﹂﹁為政者側の構想にどのような影響﹂があったかを探ること︑の三つである︒それぞれに対する見通しは︑すでに引用した箇所にでてくる︒①に関しては︑﹁通宗教﹂﹁諸宗教の親和協調﹂﹁宗教の健全な発達﹂という考え方︑②に関しては︑﹁批判的だが協力的﹂という姿勢︑③に関しては︑﹁日本の社会や国家にとって有益であるとする考え方﹂が体制側に利用された︑となる︵三︱六頁︶︒

  これらの課題を考察するため︑三つの視点が提示されている︒﹁視点1﹂は︑﹁宗教学的﹁宗教﹂観﹂が人格主義︑修養主義に与えた影響に︑注目するものである︒そのような﹁まだ見ぬ将来の理想宗教﹂は﹁人格﹂に焦点を当てることで︑教団組織を越えた一群の人々を﹁霊性的修養思想﹂をもった﹁修養団体﹂に導き︑これが国家主義と結合した︑という見方である︒﹁視点2﹂は︑﹁体制思想﹂の変化に注目するもので︑国家と宗 前川理子著

﹃ 近 代 日 本 の 宗 教 論 と 国 家

││ 宗教学の思想と国民教育の交錯 ││

東京大学出版会  二〇一五年四月刊A5判 ⅶ+五五六+二四頁 七六〇〇円+税

津  城  寛  文   本書は︑著者の博士学位論文をもとにしている︒全体は二部構成をとり︑Ⅰ部﹁宗教の新理想と国民教育への展開﹂のもとに﹁井上哲次郎における宗教と国民道徳﹂︵2章︶︑﹁姉崎宗教学と﹁新宗教﹂の模索﹂︵3章︶︑﹁宗教学者の国家論とその周辺﹂︵4章︶が︑Ⅱ部﹁国体論の時代と宗教学思想﹂のもとに﹁宗教教育論の帰趨﹂︵5章︶︑﹁国家教学と宗教学思想の相克﹂︵6章︶がおかれて︑序論︵1章︶と結論︵7章︶で綴じる形になっている︒時代としては︑明治半ばの帝国憲法︑教育勅語の時代から︑大正デモクラシーの時代を経て︑昭和一〇年代までのほぼ半世紀が︑対象である︒

構成・課題・視点

  本書の目的は︑最も大きくは︑﹁宗教学と国家・社会との関係をめぐる問題﹂を考えることである︒もう少し論点を絞り込むと︑宗教学がこの時期︑﹁国家への批判的だが協力的な姿勢﹂をとったのは︑﹁﹁通宗教﹂的なものを軸に諸宗教をみる宗教学

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重点がそれまでの思想対策から教学刷新におかれるようになった転換点﹂とされる︵四二一︱四二三頁︶︑まさにその時期であり︑政治と宗教と教育の力関係が︑時代の流れを受けて短期間で劇的に変わっている︒﹁視点2﹂﹁体制思想﹂の変化が︑もっとも際立つところでもある︒

  まず前史として︑二〇年ほど前の﹁臨時教育会議﹂︵大正六年設置︶が触れられる︒そこでは︑成瀬仁蔵のような﹁宗教尊重派﹂は︑﹁自由キリスト教に裏打ちされた普遍的な宗教の信条﹂が﹁国民生活に貢献﹂できて︑﹁教育勅語の諸徳議はそのなかに自然に実現される﹂という︑宗教主導による調和的な見通しを述べることができた︒他方︑﹁宗教利用派﹂は︑細部の差はあっても︑共通して﹁経世家的な視点から宗教︵者︶を用いる﹂という政治主導の見通しを述べた︒そしてこれらの真逆に︑加納治五郎を典型とする︑﹁文部省流の宗教懐疑派・不要派﹂の意見があって︑答申はその意見を採用することになる︒著者はこの会議の性格を︑宗教﹁尊重論﹂は自由に発言でき︑宗教﹁利用論﹂は﹁その後急速に高まるほどにはまだ勢いを得て﹂おらず︑﹁文部省流の宗教懐疑派・不要派﹂の意見が通った︑とまとめている︵三六五︱三七〇頁︶︒

  その二〇年ほど後︑二つの教育会議が設置された︒著者はそれらの議事録を丹念に辿って︑潮の流れが変わる様子をみごとに再現している︒描き分けられるのは︑﹁宗教教育協議会﹂︵昭和一〇年三月︱一〇月︶と︑﹁教育刷新評議会﹂︵同年一一月︱一一年一〇月︶である︒

  まず︑﹁第一次大戦後の社会不安を背景に︑思想問題の喫緊 教︵学︶との関係を考える際︑その﹁国家の自己像﹂自体が︑宗教を警戒・忌避する段階から︑宗教を利用する段階︑さらに自ら宗教化する段階︑と変化したことを浮き彫りにする見方である︒﹁視点3﹂は︑﹁宗教的なるものの可能性と限界﹂に注目するもので︑宗教学思想が目指したバーチャルな理想宗教の光と影を描き分ける見方である︵一一︱一四頁︶︒これらの視点はどれも︑現代宗教の研究にもそのまま適用できる︒とくに﹁視点3﹂は︑現代の宗教学徒がさまざまに描くビジョンも︑先学のビジョンと同じような可能性と限界を共有していることを︑浮き彫りにするのではないだろうか︒

  三つの課題と三つの視点は︑課題①と﹁視点1﹂︑課題②と﹁視点2﹂︑課題③と﹁視点3﹂が︑それぞれほぼ対応しつつ︑課題ごとにも︑視点ごとにも︑相互にも︑それぞれ重なっている︒

一つの焦点となる宗教教育論

  本書の論じる射程は広いが︑宗教学︑国家︑教育の接点にある﹁宗教教育﹂をキーワードにすると︑少なくとも評者にとっては︑全体の論旨もクリアに読み取れるように思われる︒資料的にも︑著者が最も独自性を主張するのは︑宗教教育を扱った第5章﹁宗教教育論の帰趨﹂であり︑あまり知られない議事録の一次資料によって︑今日の宗教︵教育︶論に光を当てるものになっているので︑この書評では︑宗教教育論の部分を中心に︑検討してみたい︒

  焦点となるのは︑﹁教育史上に︑昭和一〇年は︑教育行政の

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で欠席﹂という状態であった︒自由な宗教尊重論や経世的な利用論は退潮し︑答申では︑学問研究・教育の両分野が﹁国体﹂と﹁日本精神﹂を軸にして行うべきとする﹁国体至上主義﹂が支配することになる︵四二一︱四二三︑四三〇︑四四六頁︶︒

  どちらも︑埋もれた資料を掘り起こした︑臨場感のある整理である︒

今日の研究課題への示唆

  著者が掘り起こした︑宗教教育をめぐる興味深い議論は︑すでに終わった過去のものではない︒﹁今日では︑たとえば戦後も教育上の論争的なトピックであり続けている宗教的情操論の戦前期の展開の背後に宗教学︵者︶があったことさえ︑明確に言及するものもない﹂︵二頁︶と言われるように︑今日的にも︑そっくり同じような設問︑議論︑提案が継続しているのを見ることができる︒

  用語について︑かつての﹁﹁宗教﹂ではだめで﹁宗教的﹂でなければならない︑﹁宗教的﹂でもだめで別の言い方はないのか﹂という問いは︵四一八頁︶︑現代の﹁スピリチュアル﹂﹁スピリチュアリティ﹂という用語をめぐって再生産されている︒というより︑当時の東京帝国大学教育学教授の意見のなかに︑すでに﹁通宗教的﹂で﹁スピリチュアルな﹂宗教によって﹁国民道徳の宗教化﹂を図るべきだ︑という表現があった︵四二四頁︶︒関連して︑﹁社会公共の為という考え﹂を教える必要が︑教育界と宗教界との提携によって感じられたことは︵三七三頁︶︑今日の﹁公共性﹂﹁愛国心﹂をキーワードとする議論に︑ 性﹂が共有され︑﹁国民精神作興ニ関スル詔書﹂︵大正一二年︶の渙発︑天皇即位︵昭和三年︶︑共産党員一斉検挙︑等々を経て︑体制側は﹁国民精神の引き締め策としての宗教利用﹂へと向かい︑﹁学校に於て宗教的教育を如何にすべきか﹂を協議するための﹁宗教教育協議会﹂︵昭和一〇年三月︱一〇月︶を設置する︒そこでは︑﹁師範教育に於て宗教科を特設﹂するよう求める宗教︵学︶側の﹁導入推進派﹂と︑教育学を中心とする﹁消極派・懐疑派﹂が︑﹁互いに意見しあう格好で﹂︑最後まで平行線を辿ったが︑この議事で﹁置き去りにされた問題﹂として︑著者は﹁宗教と国体観念との関係に関わる問題﹂を指摘する︒宗教と国体論の﹁齟齬背反﹂に敏感な立場は分離を主張したが︑高楠順次郎や矢吹慶輝らはこの関係に楽観的で﹁十分つきつめるということがなかった﹂︒さらに土壇場になって︑﹁勅語を力あらしむる為に宗教を入れる﹂のは正当なのか︑そもそも必要なのか︑という﹁諮問内容自体の不成立を指摘﹂するような意見が出て︑最終的な答申は﹁折衷的な︑すっきりしない﹂ものとなった︵三八四︱三八七︑四〇六︱四〇九頁︶︒

  その直後︑天皇機関説﹁事件﹂の先鋭化︑二度の国体明徴声明︵八月︑一〇月︶を受けて︑﹁政府の国体明徴声明の内容を敷衍して国体観念の体系的理念化﹂を企図する︑教学刷新評議会が設置される︒委員は﹁国体明徴派ないし日本精神派のイデオローグたち﹂を中心に︑﹁﹁有識者﹂の中には軍部代表︑司法省および内務省関係者が含まれ﹂るなど︑時代変化を反映していた︒﹁穏健派と目されるグループとして︑西田幾多郎︑田辺元︑和辻哲郎﹂らが加わったが︑彼らは﹁ほとんど口をつぐん

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を︑わかりやすくステレオタイプ化すると︑﹁国体﹂を終始一貫して至高の価値とした国体明徴派の人々︵筧克彦︑上杉慎吉︑平泉澄︑蓑田胸喜ら︶︑その価値を積極的には疑わなかった︑あるいは﹁普遍﹂との関係を曖昧なままにした人々︵姉崎正治︑加藤玄智︑高楠順次郎︑矢吹慶輝ら︶︑警戒し疑いつつ沈黙した人々︵西田幾多郎ら︶︑この三つほどに分けられる︒

  一つめのグループに属する平泉は︑一宗一派の宗教ではなく︑かといって普遍的な将来の理想宗教でもなく︑﹁天照大神又天皇陛下﹂を﹁本尊トシ奉ル宗教﹂と主張し︑大学に﹁神道﹂学科を設け︑﹁日本ノ学問ヲ興ス﹂ことを求めた︒筧は﹁国体観念﹂の﹁宗教性﹂﹁信仰化﹂を訴えた︵四三二︱四三三頁︶︒

  二つめに属する矢吹は︑﹁普遍的主張を基としながら︑それが国体観念とも合致していけるとする飛躍﹂を含むなど︑﹁国体と宗教についての見通しの甘さ﹂があった︵四一七頁︶︒

  三つめに属する西田らは︑﹁ほとんど口をつぐんで欠席も目立つ﹂対応であった︵四二四頁︶︒官庁の審議会や委員会に参加した学界のVIPには︑このように︑責任が最も直接的に問われる︒

  さらに︑ここには不在の四つめのグループとして︑﹁国体﹂を表立って批判した人々︑反国体派がもちろんいて︑審議会にはそもそも呼ばれなかったため︑議事録に発言を見ることはできないが︑その主張と︑結果として起こったことは︑他の資料から明らかである︒

 著者が﹁国体明徴派﹂以外のさまざまな立場を︑﹁良識派﹂と一括して︑前者の急進主義︑原理主義的な性格を際立たせて したがって公共宗教論に直結している︒

  ﹁スピリチュアル・スピリチュアリティ﹂と﹁公共性﹂をキーワードとする宗教︵教育︶論は︑評者の我田引水をご容赦いただければ︑﹁他界的宗教﹂と﹁社会的宗教﹂のそれぞれに対応した議論である︒歴史的な国家社会との関係に焦点が当たった﹁宗教と社会﹂的な議論と︑普遍的で世俗外的なものとの関係に焦点がある﹁宗教と他界﹂的な議論とは︑レベルやカテゴリーが違っており︑その差異の自覚なしに応酬される議論は︑噛み合わないままで終わってしまう︒そのような差異の自覚もすでにあって︑たとえば︑姉崎の弟子にあたる矢吹慶輝が︑宗教︵教育︶を論じる前提として︑﹁宗教の成立条件﹂に﹁超人﹂﹁超人との人格的関係﹂﹁組織﹂﹁社会人としての道徳的生活﹂の四項目を区別したのは︵三九一頁︶︑差異を自覚したうえで︑関連付けようとした試みではあった︒

宗教学の社会的責任

  本書が問いかけるのは︑宗教研究の学術的な問題と不即不離な︑宗教研究の社会的責任という問題である︒政府や社会からの要請に対して︑宗教研究︵者︶は﹁政治﹂的にどう対応するかという問題は︑要請・強制される事柄は状況によって変わるにしても︑われわれも今なお︑あるいはむしろ常に︑直面していることを痛感する︒

 歯止めが外れて暴走する社会状況において︑権力筋からの要請・強制は過酷なものになりがちである︒当時は︑﹁国体﹂を核とする規範がしだいに教化されたが︑それへの対応の違い

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国体論﹂にからめとられることはないかもしれないが︑別の何かに︑からめとられているのではないだろうか?  今日︑権力筋︵政府︑監督官庁︑社会︑マスコミ︑世論︑外圧︑グローバル・スタンダード︑等々︶から︑さまざまな歯止めのない要請や強制を受けて︑われわれもそれぞれの対応をせざるを得ず︑ともかくも対応している︒そしていつか︑それぞれ責任を問われることになる︒本書から︑そのようなことを︑いつものように考えさせられた︒ いるのは︑単純化したわかりやすい対比である︒四つのグループそれぞれには︑要請を積極的に推し進めた責任︑甘さや曖昧さで済ませた責任︑批判を公言しなかった責任︑批判したが変えられなかった責任が︑問われるだろう︒

 ここで扱われた時代や人々の思想や方法や行動に関して︑グループごと︑人物ごと︑同じ人物でも時代ごとに︑﹁宗教学の可能性と限界﹂を批判することは難しくない︒全体としての傾向・偏向も︑7章の3節﹁抽象的宗教性の脆弱さ││超宗教性が没超越性にむかうとき﹂で︑少しずつ用語を変えて論じられているように︑理解困難なことではない︒つぎのような厳しい批判は︑﹁視点3﹂﹁宗教的なるものの可能性と限界﹂に直接答えるものである︒

 ﹁通宗教﹂の理念は︑﹁党派的独善性排他性﹂を退け︑﹁国家との関係においてもそれが特殊的一宗教に化した﹂ときは︑それを﹁相対化する論理であったはず﹂だが︑﹁この論理は国家に対しては働かず⁝⁝親国家へと結果﹂した︒あるいはまた︑﹁自由討究の精神はその対象から国家を外し⁝⁝国家自体を普遍化⁝⁝その矛盾に目をつぶる﹂ことになり︑結果として﹁彼らが支えることになったのは体制内的宗教性であり︑体制的普遍の幻想であった﹂など︵五四六︱五四七頁︶︒

  著者は宗教学者の系譜に連なる一人として︑自戒を込めて先学を批判しつつ︑われわれすべての宗教研究者に対して︑﹁現代のわれわれはどうなのか?﹂という問いを投げかけて︑本書を閉じている︒われわれは今︑﹁絶対的日本主義﹂や﹁普遍的

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