図書館員の文献紹介と 資料の活用
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表します。本書はヨーロッパ言語による初めて の本格的な日本文学評論で、時代や個々の作品 の発生まで遡ろうとする、意欲的な文学通史と 言えます。
二十世紀に入ると、₁₉₀₅(明治三十八年)年 には、“Shinto: the way of the gods.”(『神道』)
を上梓しました。アストンは神道を民族的な信 仰体系として位置づけ、当時収集した厖大な資 料から、伝承、儀礼、風俗などを論拠に世界の 大宗教と比較しながら神道について纏めた欧米 で初めての本格的な神道研究書と言えます。
彼 は 晩 年 の₁₉₀₇( 明 治 四 十 ) 年 に、 も う 一冊の神道研究書である“Shinto: the ancient religion of Japan.”(『神道』)を刊行しています。
これは、前著全392頁に比べ全83頁と分量の少 ない書物ですが、副書名の通り「日本の古代に 発生した宗教」として展開されています。副書 名「神の道」の前著と共に日本がイギリスとの 同盟のもと、ロシアとの戦争を勝ち抜いた時代 に刊行されたこともあって、当時の日本国内で 評価が高かった書物と想像されます。
このように、アストンはイギリスへ戻ると、
日本の歴史や文学、さらには宗教に関わる著作 や翻訳を世に出しました。これらの研究に使用 した資料には、日本から持ち帰った和漢書と、
元同僚で在日本イギリス公使を務めたアーネス ト・サトウから寄贈を受けていた書物があった と言われています。アストンは二冊目の『神道』
の刊行から₄年後の₁₉₁₁(明治四十四)年に亡 くなりますが、人文系の資料₁,₉₇₈点
(₃)から成
り、₉,₄₂₇冊
(₄)に及ぶともされるコレクション は、死後₁年を経た₁₉₁₂(大正元)年、サトウ らの努力でケンブリッジ大学の図書館へ収めら れたのでした。
■イギリスの三大日本学者として
アストンは外国人の立場から、日本文化の研 究を深化させたことにより、サトウやチェンバ レンと共に「明治時代におけるイギリスの三大 日本学者」と並び称せられます。しかし、これ までのところ彼の知名度は、二人に比べると低 い位置にあったのではないでしょうか。これは、
彼を研究するための資料が少なかったことに起 因していると言われています。しかし、現在で はイギリス国内も含めて研究者の数も増え、新 しい角度からの研究が進み、アストンの認知度 も高くなってきています。
明治という、欧米に追いつき追い越すことを 目指した時代に、日本の国際化を進展させた外 国人として、ウィリアム・ジョージ・アストンと その業績を永く記憶に留めておきたいものです。
脚注と参考文献
( ₁ )翻訳書『神道』(青土社、₂₀₀₁年。)の訳者である安 田一郎氏は、同書₃₆₅頁で当時の日本語研究書の少な さを指摘し、「サトウやヘボンは、だいたい秀吉の時 代に出た本を手がかりにして日本語を学んだといえ る」と述べる。秀吉の時代の本とはキリシタン版を 指す。
( ₂ )楠家重敏氏は、外交官を退くことを決めた頃のアス トンの心情と書物への深い愛着について、アストン がチェンバレンへ宛てた手紙をもとに、日本を離れ るために書物の整理をしている様子と併せて紹介し ており、ケンブリッジ大学図書館に収められた和書 とは別に、洋書がどのような道を辿ったかを知りた いとも記載する。(楠家重敏著『W.G.アストン-
日本と朝鮮を結ぶ学者外交官』雄松堂出版【東西交 流叢書₁₁】)₂₀₀₅年。₃₅₃頁。
( ₃ )小山騰(解説)『アーネスト・サトウ関連蔵書目録』
ゆまに書房(【書誌書目シリーズ ₇₂-₁】)₂₀₁₆年。
₅₈頁。
( ₄ )新村出著「アストン等の旧蔵日本書のことなど」筑 摩書房(新村出全集 第₉巻)₁₉₇₇年。₁₀₅頁。
おく まさよし(司書・副館長兼事務長)
“Shinto: the way of the gods.”(London, ₁₉₀₅.)
(本学図書館所蔵)
“Shinto: the way of the gods.”(London, ₁₉₀₅.)