表紙、目次、彙報、投稿規程、編集後記、奥付
雑誌名 國文學
巻 98
発行年 2014‑03‑31
URL http://hdl.handle.net/10112/9232
二︑関西大学国文学会研究発表会
吃月必日由第二回国文学会研究発表会︵後掲︶
平成加年1月お日山第二回プレ・スチューデント・プログ
ーフム
3月過日由第三回プレ・スチューデント・プログ
ーフム 平成お年6月n日㈹二年次生文楽鑑賞教室︵於国立文楽
劇場︶
7月6日山第一回国文学会研究発表会︵後掲︶
叩月面日嗣〜略日陶三年次生宿泊セミナー︵於飛
鳥文化研究所︶
n月配日㈱院生合同学術研究会
廻月8日⑧第一回プレ・スチューデント・プログ 関西大学国文学会棄報
一フム 一︑平成窃年度関西大学国語国文学専修年間行事︵一部予定︶ ◇第一回国文学会研究発表会
日時平成二十五年七月六日⑯午後二時より
会場文学部第一学舎A三○一会議室
研究発表 ﹁﹁最近﹂と﹁近日﹂﹂本学大学院聴講生山際彰
﹁蕉門園女の俳譜〜前句付け点者としての活動を拠点にし
て〜﹂本学大学院博士前期課程松永ぎん子
﹁伝慈円筆烏丸殿切﹁貫之集﹄の本文系統﹂
淀商業高等学校非常勤講師北井佑実子
ヨ公時集﹂考﹂
本学大学院博士後期課程単位修得殿本佳美
◇第二回国文学会研究発表会
日時平成二十五年十二月十四日⑰午後二時より
会場文学部第一学舎B二○二教室
研究発表
﹁岸和田・天性寺蔵﹁天性寺聖地蔵尊縁起﹂の金 厩﹁天性寺聖地蔵尊縁起﹂
本学大学院博士後期課程 の成立過程﹂ 辻陽史
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﹁近日﹂﹂ 三︑関西大学国文学会研究発表会発表要旨
なお︑成稿し︑本号に掲載したものについては省略した︒
◇第一回国文学会研究発表会︵七月六日︶
研究発表
弓最近﹂と
︵本号掲戦︶ ﹁俳譜の騒馬l詩人像の表現をめぐってl﹂
本学大学院博士後期課程中村真理
﹁七部集の受容l露伴﹁評釈猿蓑﹂を中心にl﹂
本学大学院博士後期課程三原尚子
﹁司馬遼太郎﹁俄l浪華遊侠伝l﹂論
l﹁小林左兵衛伝﹂との比較を中心にl﹂
本学大学院博士後期課程森瑠偉
﹁蕉門園女の俳譜〜前句付け点者としての活動を拠点にし て〜﹂松永ぎん子
園女は︑芭蕉の女性門人として知られ︑特に元禄七年︑芭蕉
生前最後の歌仙を巻いた大坂圃女邸での発句﹁白菊の目に立て
山際彰
﹁伝慈円筆烏丸殿切﹁貫之集﹂の本文系統﹂北井佑実子
﹁貫之集﹂伝本中︑近世以降最も流布したのは︑第一類本の歌
仙家集本︵正保四年刊︶である︒第一類本は︑同一祖本から派
生しながら︑歌序の相違・歌の出入りにより︑歌仙家集本系統
の他に︑素寂本・西本願寺本・資経本・承空本︵御所本︶系統 みる塵もなし﹂の句を師から贈られたことが脂炎している︒
一方園女の俳譜活動の別の側面として︑元禄期に流行した前
句付け点者としての活動が挙げられる︒しかし師である芭蕉は︑
元禄期の前句付けの流行を批難していた︒また前句付けは︑後
に雑俳と呼ばれるように︑従来︑本来の俳譜より一段低いもの
とみなされ︑その前句付けに熱心だったことが︑園女の俳人と
しての位置も低めてきた感がある︒
しかし︑園女は︑プロの前句付け点者としての経験を消化し
て︑その俳譜を進化させ︑後の撰集﹁菊の塵﹂︑﹁鶴の杖﹂を成
立させたのではないか︒
園女の生涯と芭蕉との関わり幻元禄期の前句付の状況とそれ
に対する芭蕉や蕉門の考えを整理し︑園女の前句付への点評を
分析することで︑園女の前句付点者としての知名度と点評の確
かさ︑その園女に対する芭蕉の態度を考察した︒
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﹁俳譜の鑓馬l詩人像の表現をめぐってl﹂中村真理
支考の﹁笈日記﹂に﹁馬の耳すぼめて寒し梨の花﹂という句
から許六が篭馬に乗る人物を描いたという逸話がある︒これは︑
梨の花に取り合わせ︑﹁馬﹂を﹁慰馬﹂に置き換えたものであっ
た︒同様に馬を漣馬に置き換える例には︑﹁田舎の句合﹂の其角
句﹁眺メ送る函谷やけふ鑓馬迎﹂がある︒
近世以前の日本では翰馬は飼育されておらず︑非常に珍しい
動物であったと思われるが︑中国では一般的な家畜であり︑漢
詩にもよく詠まれている︒その影響を受け︑日本漢詩でも溌馬
を詠む例は多い︒中には︑日本人である自身が乗る馬を馳馬に
置き換えたものもあるが︑この表現は︑自分と中国の詩人を重 ◇第二回国文学会研究発表会︵十二月十四日︶
研究発表
﹁岸和田・天性寺蔵﹁天性寺聖地蔵尊縁起﹂の成立過程﹂ 辻陽史 弓公時集﹂考﹂ ︵本号掲赦︶
︵本号掲載︶ 殿本佳美
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に分かれる︒
﹁伝慈円筆烏丸殿切﹂︵以下︑﹁烏丸殿切﹂と称する︶は︑平安
末期から鎌倉初期において︑僧侶でもあり歌人でもあった慈円
を伝称筆者とする﹁貫之集﹂の断簡である︒書写は鎌倉初期か
ら中期にかけて︒現在確認出来ている断簡は︑﹁古筆学大成第
肥巻﹂︵講談社平成三年︶︑﹁古筆学大成第釦巻﹂︵講談社平
成五年︶︑﹁諸家集の古筆﹂︵春日井道風記念館平成十二年︶に
所収の五葉に及ぶが︑近年︑田中登氏により一葉の新出断簡が
確認されており︑いずれも前半部解風歌に該当する︒
その本文系統は︑﹁古筆学大成﹂の解題において︑既に小松茂
美氏の御指摘があり︑烏丸殿切の本文は︑承空本を親本とする
御所本系統︑現在でいうところの承空本系統であることが明ら
かになっている︒しかし︑小松氏の御論の段階では︑現在の﹁貫
之集﹄伝本中︑素寂本・承空本はまだ紹介されていない︒した
がって︑烏丸殿切の本文系統は﹁貫之集﹂における新たな伝本
や断簡の出現により︑再検討が必要となろう︒本発表では︑素
寂本・承空本・さらに新出断簡一葉を視野に入れ︑烏丸殿切の
本文系統の検証を試みた︒
﹁七部集の受容l露伴﹁評釈猿蓑﹂を中心にl﹂
三原尚子 蕉門を代表する七つの撰集︑すなわち七部集は︑近世のみな
らず近代以降も読まれ続けてきた︒その近世における形式は︑
一・半紙本︑二.小本・横本︑三.注釈書と大きく一一一つに分類
できる︒そのうち︑一は初版本の複製として全期間を通じて需
要があり︑二・三は初版本にこだわらない表記や形式で︑七部
集をより手軽に提供するという役割を担った︒また二を詳細に
見ていくと︑時代が下がるにつれて形式が変わり︑本文を理解
しやすくなっていることが分かる︒例えば︑頭注入りの七部集
はそれ単体で注釈まで読むことが可能で︑現代の我々同様︑近
世の人々も必ずしも初版本で七部集を読んでいたわけではない
と言える︒
近代になると七部集は活字本として提供されるようにもなる︒
明治から大正にかけての初期の活字本は字遣いに対する意識は
なく︑それに簡単な頭注を付した形のものが多い︒ところが昭
和初期になると︑現代の七部集と同様に︑それぞれの初版本を
基にした七部集が登場してくる︒そのような動向の中で出され
たのが幸田露伴の﹁評釈猿蓑﹂であるが︑露伴には初版本に対
する意識はない︒内容面では︑多岐に渡る内容で分量も豊富だ
が︑新しい切り口で本文を解釈することは出来ていない︒むし
ろ︑過去の注釈書の内容をまとめ︑自説を交えながら整理した
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ね合わせたものと考えられる︒また︑駿馬は日本絵画でも好ま
れ︑狩野一渓﹁後素集﹂に杜甫や蘇東波などの﹁騎麗図﹂が立
項される他︑実際の作例や画讃詩も多い︒この蕊馬に乗るとい
うモチーフは︑俗を離れた清貧な詩人を象徴するものと言われ
ている︒﹁笈日記﹂の例も︑このような詩人像をふまえたもので
あろう︒
また︑井本農一氏は︑芭蕉﹁馬ぼく/〜我を絵に見る夏野か
な﹂の別案﹁夏馬の遅行﹂という倍屈な表現から︑この句の発
想のルーツが中国詩人の騎駿図にあると指摘した︒しかし︑﹁玉
塵抄﹂で﹁ハヤウエアルカヌ馬ゾ﹂と解説されているように︑
憩馬は日本で﹁遅い馬﹂と認識されていたことから︑﹁遅い馬﹂
を示す﹁馬ぼく/︑﹂という表現そのものが騒馬の悌を持つと
考えられる︒﹁絵﹂という語からも︑何らかの画題を念頭に置い
た句であることが明白である︒この句は﹁駿馬と詩人﹂の組み
合せを﹁馬と俳譜師﹂に取りなしたものであり︑このような逆
転の発想がこの句の俳譜味だったと解釈できるのではないだろ
うか︒
文章で︑それを活字本として︑人々が手に取りやすい形で出版
したことに意義が見いだせる︒
﹁評釈猿蓑﹂や︑その他発表の中で見てきた様々な形の七部集
を通じて︑七部集の内容が初版本とは異なった形で受容されて
きたということは︑今後俳譜全体について考えていくためにも
重要な要素であると思われる︒
関西大学国文学会では︑島根県・島根県教育委員会との共催
により︑古事記成立一三○一年を新たな古事記研究の出発年と
うけとめ︑今後の古事記研究のありかたを考えるシンポジウム
を開催した︒ されているのである︒さらに︑﹁俄﹂では︑﹁小林佐兵衛伝﹂で ほとんど書かれていない幕末期に大きな加筆がある︒そこでは 万吉が幕末の争乱から独立した立場であることが何度も書かれ︑ 幕末の争乱に直接関わることはほとんどない︒さらに︑﹁俄﹂に 登場する人物たちも︑幕末の争乱に関わりのない武士たちの様 子が中心に書かれ︑司馬の書いた他の幕末期を舞台とした小説 とは大きく異なる︒﹁俄﹂では︑歴史上名を残さない武士や町人 の姿を克明に描き︑その幕末の争乱に関わらない人物たちの姿 に︑江戸幕府崩壊の一要因を書き表した点で︑幕末を扱った他 の司馬作品とはテーマを大きく異にするのである︒ 四︑記念事業
◇シンポジウム﹁古事記研究の新たな一三○○年に向けて﹂
日時平成二十五年十二月十六日側午後一時〜四時三○分
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﹁司馬遼太郎﹁俄l浪華遊侠伝l坐論
l﹁小林左兵衛伝﹂との比較を中心にl﹂森瑠偉
司馬遼太郎﹁俄l浪華遊侠伝l﹂は﹁報知新聞﹂に昭和四
○年五月一五日号から昭和四一年四月一五日号に連載された小
説である︒﹁俄﹂は小林佐兵衛という人物を主人公にして書かれ
たが︑小林佐兵衛については︑﹁小林佐兵衛伝﹂を典拠として書
かれた︒﹁俄﹂は︑一柳家に召し抱えられる部分が︑﹃小林佐兵
衛伝﹂と比べ︑大きく書き足されている︒小林佐兵衛の侠名を
記録するために書かれた﹁小林佐兵衛伝﹂に比べ︑﹁俄﹂では侠
客である小林佐兵衛の視点を通して︑幕末期大坂の風土的特質
が強調して描かれるという特徴がある︒その大坂の風土的特質
は︑江戸者の視点と共に書かれ︑大坂の風土的特質を強調する
役割のために︑﹁俄﹂では登場人物が加筆され︑その役割が追加
︿司会﹀ 乾
﹇シンポジウム﹈︿コメンテーター﹀毛利正守︵皇畢館大畢教授・関西大学非常勤講師︶
︿パ︑不ラー﹀
垣見修司︵同志社大学准教授・関西大学非常勤講師︶
森田喜久男︵島根県立古代出雲歴史博物館専門学芸員︶ 会場関西大学千里山キャンパス千里ホールA
善彦︵関西大学教授︶
、−−
司垂