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ジ ャ ン ル 化 へ の 違 和

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(1)

一五ジャンル化への違和︵加藤︶ はじめに

一九六〇年代、安部公房は創作の場を演劇、ラジオ、テレビなど

様々なメディアへと拡大している。そして日本初のSF商業誌である

﹃SFマガジン﹄を中心に 1、日本で根づきはじめたばかりのSFにも

強い関心を示した。一九六一年から同誌が開催した空想科学小説コン

テスト︵第二回以降はSFコンテストに改称︶の第一回から第三回に

おいて、安部は選考委員を務めている。このコンテストはその後、日

本のSF界を牽引する小松左京、眉村卓らSF第一世代を多数輩出し

たことで知られる 2。

﹃SFマガジン﹄の初代編集長であった福島正実は、同誌の創刊時

を振り返り﹁結局、ぼくを励まし積極的に話相手になってくれたのは、

安部公房氏くらいなものだった﹂と回想している 3。安部と福島は日本

のSFに貢献した個人や団体を表彰する日本SF賞を構想するなど、 SFの普及活動に努めたことでも知られる。また、日米ソの共同でSF作家を集めた国際シンポジウムの話が一九六七年に持ち上がった際には︵運営資金の問題から実現はしなかった︶、ソ連側の代表と福島

との仲介役を安部が務めている。このように日本のSF黎明期におい

て、ごく短期間ながらも安部が果たした役割は大きい。

安部とSFとの関連は、先行研究でもすでに論じられている。日高

昭二は一九五〇年代の安部の作品の特徴として﹁SFの系譜﹂を指摘

し、図らずもその特徴が同時代のアメリカの空想科学小説と並行して

いたことを論じている 4。また永野宏志は、安部が一九六六年に﹃SF

マガジン﹄に連載した﹁人間そっくり﹂を、安部がドイツの演出家・

ブレヒトの提唱した﹁異化﹂の概念をSFという空間で試みた作品と

して論じている 5。

こうした先行研究に対し、次の長山靖生の指摘はひとつの重要な視

座を示していると言えよう 6。 早稲田大学大学院教育学研究科紀要  別冊 

27号―

 2二〇二〇年三月

ジャンル化への違和

―安部公房と﹃SFマガジン﹄―

加   藤     優

(2)

一六ジャンル化への違和︵加藤︶

残念なことに安部公房を評価する文学者の多くは、これをSF と考えなかったし、SF界もまた安部公房に敬意を表しつつも、

その存在をSF内で捉えることにためらいを感じ続けている。

先行研究において、SFが安部にとって創作の実験的な場であった

ことは明らかとなってきている。ただ長山が指摘するように、当時、

芥川賞作家であった安部が書くSF的な作品を他のSF作家たちはど

のように評価していたのだろうか。また、長山の指摘する﹁ためらい﹂

は、SF作家たちが安部をまなざす際にどのような影響を与えたのだ

ろうか。そして、それは安部のジャンル認識や批評意識にも影響を与

えたに違いない。

本稿では﹃SFマガジン﹄を中心に、日本SF 7の黎明期に活躍した

安部に対する周囲からの評価、また当時のSFに対する安部自身の評

価の両軸を明らかにしていく。一、二節では一九六〇年代におけるS

Fのジャンル形成を概観しながら、日本SFにおける安部公房の位置

づけを論じていく。三節では安部が﹃SFマガジン﹄に発表したエッ

セイ﹁SF、この名づけがたきもの﹂を中心に、安部のSF観および

そのジャンル化に対する問題意識を明らかにする。そして四節では同

誌に発表された短編﹁完全映画︵トータル・スコープ︶﹂を、ジャン

ル化していくSFへの批評性を示した作品として論じていく。

また書誌情報に関して、﹃SFマガジン﹄をはじめとする同時代の

資料は本文に、その他の資料に関しては文末の脚注に記載した。 一.一九六〇年代の日本SF

安部は﹃SFマガジン﹄の創刊号︵一九六〇年二月︶に創刊の祝辞

を寄せてから一九六六年に﹁人間そっくり﹂を連載するまで、﹃SF

マガジン﹄と積極的な関わりをもっていた。安部が同誌に関わってい

た一九六〇年代、とりわけその前半は、﹃SFマガジン﹄を中心にS

Fというジャンルの確立をめぐってその内外から様々な動きが起こっ

た、日本SFの胎動期であったといえる。日本のSF史については長

山靖生の研究に詳しいが 8、ここでは一九六〇年代前半の日本SFの状

況を大まかに確認しておきたい。

一九六〇年代の日本SFは、一九五七年一〇月のソ連による世界初

の人工衛星・スプートニク1号の打ち上げ成功に大きな影響を受けて

いる。というのもスプートニクの打ち上げ成功は、単に世界初の人工

衛星の打ち上げ成功だけではなく、冷戦下の状況でアメリカとソ連の

覇権を賭けた宇宙開発競争のはじまりをも意味していた。すなわち、

当時の政治情勢が、打ち上げ成功に政治的意味を付与していたのであ

る。これらの出来事は﹁スプートニク・ショック﹂と呼ばれ、後の米

ソ間における宇宙開発競争を激化させる発端となった。宇宙開発への

関心の高まりは、同時に世界各国でロケット関連の商品が爆発的に売

れる﹁宇宙ブーム﹂や﹁スペース・エイジ﹂と呼ばれる現象を引き起

こした。また雑誌や新聞では人類の宇宙進出に託けて、人類の進化や

未来観の変容を﹁宇宙時代の到来﹂と論じる風潮が高まった。

(3)

一七ジャンル化への違和︵加藤︶ 安部は一連の宇宙ブームについて、著作のなかで度々言及してい

る。安部は、人工衛星の打ち上げ成功を﹁子供の夢﹂が実現した出来

事として評価する一方、その成功から安易に人類の未来や宇宙観を論

じる人々を﹁宇宙バカ﹂という花田清輝の言葉を用い揶揄している 9。

長山靖生は一九五六年前後が﹁日本におけるSF定着を後押しする一

方、日本SFが本格的にはじまる以前から、偏見のまなざし︵論者

注―宇宙時代の到来から安易な未来観や宇宙観を論じる風潮︶が注が

れるという弊害をも生んでしまった﹂時期であったと評価している 0。

このように人工衛星の存在は宇宙ブームに連動したSFの普及に貢献

する一方、普及の障害となっていく無思慮な未来観や宇宙観などの弊

害を生み出したともいえるだろう。一九六〇年代の日本SFはこうし

た流れに続くかたちで展開されていくこととなる。

複雑な問題を含みつつも結果として日本SF発展の原動力となった

宇宙ブームであったが、その後ソ連が一九六一年四月にボストーク1

号で人類初の有人宇宙飛行を成功させると、日本SFは重大な局面を

迎えることとなる。荒正人の評論﹁けわしい科学小説の前途﹂︵﹃朝日

新聞﹄、一九六一年八月二二日朝刊八頁︶は、当時の日本SFが直面

した問題を示している。

事実は小説よりも奇なり、という言葉が最もよくあてはまるの

は、サイエンス・フィクションである。科学上の事実がめざまし

く展開している今日、サイエンス・フィクションの道は思いのほ

かけわしい。 荒は、宇宙進出がSFのリアリティや想像力に与える影響に一種の危機感を示している。事実としてボストーク1号の成功後﹁SFは終わった﹂、﹁現実がSFの想像力を越えてしまった﹂など、SFの衰退

が指摘されるようになる。安部も参加した﹃SFマガジン﹄︵一九六一

年七月︶の座談会﹁SFは消滅するか―人工衛星の打ち上げをめぐっ

て﹂は、当時の日本SFが直面した問題を如実に示したタイトルとい

えよう。つまり、一九六〇年代の日本SFはその外側からの批判、批

評に応答しつつ、芽生えたばかりのSFというジャンルを確立してい

くことが求められた時期であったといえる。

一九六〇年代前半には、SF外部からの批判、批評を受けて、S

F作家とその読者たちが団結していく動向を指摘できる。例えば

一九六二年に﹃SFマガジン﹄のファンが集うSFマガジン同好会が

結成され、この後に言及するSF同人誌﹃宇宙塵﹄との共同で、同年

五月に東京の目黒で第一回日本SF大会を開催している。日本SF大

会ではファン同士の交流はもちろんのこと、﹃宇宙塵﹄に参加してい

た作家たちの講演会や座談会、また手塚治虫による映画作品の上映会

などもおこなわれ、作家と読者が一同に会し交流を深める場として機

能していた。

また単なる交流ではなく、SFを組織化していこうとする動向も確

認できる。一九六三年五月に﹃SFマガジン﹄の福島正実は、星新一、

小松左京、光瀬龍、石川喬司らを集め、日本SF作家クラブを結成し

ている。日本SF作家クラブ結成の背景について、福島は﹁不見識あ

(4)

一八ジャンル化への違和︵加藤︶

るいは無定見を、SF界の代表意見とみなされないためにも、プロの

ための別の組織をつくりたい﹂と述べており !、SFというジャンルが

萌芽した時期だからこそ、共通の目的や意識をもって活動をおこなう

ことの重要性を説いている。このように一九六〇年代前半には、SF

ジャンルの普及と外部からの批判、批評に連動するかたちで、作家や

読者たちが交流を深め、ひとつの組織としてまとまっていく流れが指

摘できる。

当時の日本におけるSFは﹃宇宙塵﹄と﹃SFマガジン﹄の二誌が

その中核をなしていた。﹃宇宙塵﹄は﹃SFマガジン﹄が発刊される

二年前の一九五七年に創刊した同人誌である。発行元は科学創作クラ

ブで、これはSF評論家兼作家でもあった柴野拓美が主宰していた団

体である。同人には星新一、小松左京、筒井康隆らがおり、後のSF

作家たちを多数輩出したことで知られている。一方、﹃SFマガジン﹄

は一九五九年に早川書房の福島正実を中心に創刊された、日本初のS

F商業誌である。当時の日本SFを牽引した両誌であるが、柴野と福

島が採った編集方針はそれぞれ異なるものであった。

柴野を中心とする﹃宇宙塵﹄は編集方針として、作家はもちろんの

こと作家志望や愛好家などアマチュアの人々を重視していた。この点

について柴野は﹁僕があの時︵論者注―創刊時のこと︶作りたかった

のは、ファングループ―、つまりSFの話ができる仲間だった﹂と述

べているように @、﹃宇宙塵﹄はアマチュアを含めた同人を募り、ジャ

ンルの普及と拡大を狙っていたといえる。一方、﹃SFマガジン﹄の 編集方針は、創刊号︵一九六〇年二月︶の巻頭言で福島正実が﹁現代SFの主流をなすあらゆる領域の傑作を、新しい文学形式として紹介してゆくこと﹂を同誌の目的としたように、﹁新しい文学形式﹂を書

くことができるプロ作家を重視していた。福島が創刊当初に執筆を依

頼しようとした作家には、安部をはじめ倉橋由美子や新田次郎、北杜

夫らの名前があり、﹃SFマガジン﹄がアマチュアの作家志望や愛好

家ではなく、プロ作家を軸にジャンルを展開しようとしたことが確認

できる。互いの編集方針の違いについて、柴野は﹁向こう︵論者注―﹃S

Fマガジン﹄のこと︶はなんと言ってもプロですからね。こっちに

はファンの強みがあると言ってもアマチュアですから、力量には差

があって当然だと思ってました﹂と述べており #、福島も雑誌内にアマ

チュアを引き入れることを避け、﹃宇宙塵﹄と意識的に距離を置こう

としたことを日本SF作家クラブ結成時の回想で述べている $。ただ編

集方針の違いは、アマチュア中心の﹃宇宙塵﹄がSFファンの活動を

支え、プロ志向の﹃SFマガジン﹄がSFを専門とする作家の活動の

場を形成していき、結果として異なる形でジャンルの確立に寄与して

いくこととなる。

これまで述べてきたように、一九六〇年代前半の日本SFでは作家

と読者、あるいは作家同士が結び付き、共にその普及を進めていく流

れが確認できる。ただ、その内部ではジャンルを確立していく方法を

めぐって当時の二大雑誌である﹃宇宙塵﹄と﹃SFマガジン﹄が互い

(5)

一九ジャンル化への違和︵加藤︶ を差異化しようとする流れもあった。安部が﹃SFマガジン﹄と関わりを持っていた時期は、芽吹いたばかりの日本SFを普及させるという大きな目標の下に作家や読者が集いながらも、SFをめぐるそれぞれの認識や意識の違いが表出しはじめた時期といえよう。では、こうした言説空間において、安部はどのように評価され位置づけられてきたのだろうか。

二.SF先駆者としての安部公房

長山靖生は安部を、﹁﹁SFマガジン﹂創刊後に続々とデビューする

SF第一世代に先行して、たった一人でSFゼロ世代を形成していた

といってもいい存在﹂と評価しているが %、﹃SFマガジン﹄の誌面を

みると、安部は一九六〇年代に既に日本SFの先駆者として位置づけ

られている。

﹃宇宙塵﹄主宰者の柴野拓美は﹁端的にいって、日本のSF創作界

は、その米英に比べるとさらに未だしの感が深い。代表的なSF作家

といえば、まず安部公房と星新一に指を屈することに、おそらく誰か

らも異議は出まい﹂︵﹁日本SFの今日﹂﹃SFマガジン﹄一九六一年

七月︶と述べている。﹃SFマガジン﹄内の批評を担当していた石川

喬司は、安部の﹃第四間氷期﹄を﹁わが国ではじめて書かれたすぐれ

たSF長篇﹂︵﹁戦略的SF論﹂﹃SFマガジン﹄一九六四年二月︶と

して紹介している。また安部を日本SFの黎明期において代表的な人

物と評価するのは日本だけではない。ソ連のSF作家であり、﹃第四 間氷期﹄のロシア語版の翻訳を担当したアルカーディ・ストルガツキ―は次のように安部を評価している︵﹁日本の読者へ﹂﹃SFマガジン﹄

一九六四年四月︶。

正直に言って、一部の方々は、まだアメリカの影響を抜け出して

いませんし、わずかな例外︵例えば安部公房氏︶を除いて、世界

のSF界における独特な日本的流派を云々するにはまだ早すぎる

ような気がしますが、しかし、私が入手し得た限りの乏しい資料

だけから判断しても、それの実現する日は、さほど遠くないよう

に思います。

こうした資料から、安部は日本SFの黎明期において、先駆者とし

て位置づけられていたことがみえてくる。こうした背景には﹃SFマ

ガジン﹄創刊以前から安部がSFとの関わりを指摘されてきた経緯が

ある。以下にその二つの例を挙げよう。

荒正人の﹁未来小説について﹂︵﹃東京新聞﹄、一九五七年一〇月

三一日夕刊︶は、主要なメディアでSFが取り上げられた最初期の同

時代評である。ここでは星新一が﹃宇宙塵﹄に発表した﹁セキストラ﹂

と、安部が一九五七年一一月に﹃群像﹄に発表した短編﹁鉛の卵﹂の

二作品が未来小説として取り上げられている。

また安部は一九五八年七月から一九五九年三月まで雑誌﹃世界﹄に

﹁第四間氷期﹂を連載しており、同年一一月に講談社から﹁日本初の

SF長編﹂と銘打って単行本が刊行されている。﹃第四間氷期﹄には

野間宏の﹁これまでの未来の考え方を否定しようとする﹂ような﹁新

(6)

二〇ジャンル化への違和︵加藤︶

しい空想科学小説﹂︵﹃読売新聞﹄、一九五九年八月一三日夕刊三頁︶

といった評が寄せられており、同時代の評価は分かれるものの﹁SF﹂

と銘打った作品が大手出版社の講談社から刊行された影響は大きかっ

たといえる。

このように﹃SFマガジン﹄全体では、創刊以前の背景から安部を

日本SFの先駆者として位置づけている。ただ、安部を本質的に﹁S

F作家﹂と見なすか、という点については同誌内でも評価が分かれて

いる。石川喬司﹁戦略的SF論﹂︵﹃SFマガジン﹄一九六四年二月︶

では、安部が﹁SF作家﹂であり、安部の執筆する作品をSF作品と

して評価しようとしている。

安部公房が、昭和二十六年上半期の芥川賞を受賞したときの作

品﹃壁﹄は、まぎれもないSFだが、当時の選評をみると、SF

という呼称はまったく使われていない。︵中略︶もし﹃壁﹄が科

学小説という肩書きをもっていたとしたら、はたして受賞はどう

なっていただろう、などと考えるのは、選者の鑑識眼を無視した

皮相な見方にすぎるだろうか。

石川は他にも安部の﹃他人の顔﹄が﹁エイメの﹃第二の顔﹄やモン

ティエの﹃帰らざる肉体﹄を連想させる発想﹂を下地にしていると評

価している︵﹁SF  DETECTOR﹂﹃SFマガジン﹄一九六四

年三月︶。また﹃壁﹄がSFと銘打っていたら芥川賞の﹁受賞はどう

なっていただろう﹂との指摘は、SFというラベルが純文学領域から

の﹃壁﹄の評価を貶める恐れがあったという、当時の文壇状況を示唆 している点において重要である。

一方、柴野拓美は、安部を日本の﹁代表的なSF作家﹂としながら

も、﹁芥川賞作品の﹃壁﹄あたりからすでに幻想SF的な作風だが、

しかし彼のバックボーンはやはり純文学にある。﹃R62号の発明﹄

﹃鉛の卵﹄など、一応科学小説の名で呼ばれるものも、どちらかとい

えば幻想諷刺文学なのだ﹂と述べている︵﹁日本SFの今日﹂﹃SFマ

ガジン﹄一九六一年七月︶。柴野はここでSFを描く、またSFに理

解がある﹁純文学作家﹂として安部を捉えようとしている。

こうした捉え方は他の記事にもみられる。小松左京の出版記念会の

参加者を紹介する記事で、安部はSF作家ではなく、純文学作家のひ

とりとして紹介されている︵大伴秀司﹁小松左京氏の出版記念会開く﹂

﹃SFマガジン﹄一九六五年一月︶。

︿小松左京をはげます会﹀発起人の顔ぶれをみると、扇谷正造、

奥野健男、小田実、開高健、安部公房ら評論、純文学畑の作家か

ら、生島治郎、中原弓彦、都築道夫、円谷英二、夢路いとし、こ

いし氏など、ミステリイ、出版、映画、演芸界まで小松さんの顔

の広さがうかがえる。

記事において、安部は小田実や開高健など、当時﹃SFマガジン﹄

と直接的なつながりを持たない作家たちと﹁評論、純文学畑の作家﹂

で一括りにされている。こうした安部への微妙な距離感は、純文学

とSFとを序列化する当時のSF作家の意識としても捉えられるだ

ろう。

(7)

二一ジャンル化への違和︵加藤︶ 一九六〇年代は、日本SFがジャンルの普及に一丸となる一方、それぞれのSF観をめぐる微妙な違いが表れはじめた時期でもあった。

﹃SFマガジン﹄創刊以前からSFとの関連を指摘されてきた安部は、

同誌でその先駆者として位置づけられながらも本質的にSF作家であ

るか、という点については内部でも評価が分かれていた。﹁SF作家﹂

か﹁純文学作家﹂かという評価の分裂は、ジャンル間の差異としてだ

けでなく、ジャンル間で生じた文学的評価をめぐるヘゲモニーに連動

するかたちで生じたものと言えよう。

三.安部公房のSF観

﹃SFマガジン﹄の評価に対して、安部本人はSFをどのように捉

えていたのだろうか。ここでは安部のSF観を明らかにしつつ、安部

が日本SFにどのようなまなざしを向けていたのかを論じる。

﹃SFマガジン﹄では一九六三年五月から﹁SFを創る人々﹂とい

う連載企画を開始している。この企画は同誌の主力作家たちのSF観

や新作情報、プライベートの過ごし方などをざっくばらんにインタ

ビューするという企画であった。安部はこの企画の第一回に取り上げ

られ、そこで自身のSF観に関する重要な回答を残している︵﹁SF

を創る人・その1  安部公房氏﹂﹃SFマガジン﹄一九六三年五月︶。

︵*砂の女・考︶

〇うーん、どうかな、これSFかな?せまい意味じゃ、SFと

はいえないだろうな。 もっとも僕としては、SFであろうとなかろうと一向に構わな

いんだ。意識もしないし区別もしない、ただ仮説の物語を書こ

うとして書いたんだから。

︵*SF・考︶

〇SFは、意外にも文学的だと考えている。文学のもつ特性を、

もっとも有効的に使える分野がSFだからである。

文学が行き詰まりに達しているとすれば、その突破口になるの

がSFだろう。﹁﹃砂の女﹄をSFと思うか﹂という質問に対して、安部は﹃砂の女﹄

を﹁せまい意味﹂ではSFとは言えないと答えている。続けて安部は

﹁SFであろうとなかろうと一向に構わないんだ﹂と述べ、自身が書

きたいものは﹁仮説の文学﹂であると語っている。﹁文学のもつ特性

を、もっとも有効的に使える分野がSF﹂という発言を踏まえると、

当時の安部の意識は﹁SFを書く﹂ことではなく、﹁SFで書く﹂こ

とに向けられていたと考えられる。

安部が書きたいと語る﹁仮説の文学﹂︵﹁仮設の文学﹂と書かれる場

合もある︶は、SFとの関わりだけではなく、自身の創作について説

明する際にも頻繁に登場する。安部はこの概念について、次のような

説明をしている︵﹁SFの流行について﹂﹃朝日ジャーナル﹄一九六二

年九月二三日︶。

日常性とは、言い換えれば、仮説をもたない認識だともいえるだ

ろう。いや、仮説はあるのだが、現実的な事実と癒着してしまっ

(8)

二二ジャンル化への違和︵加藤︶

て、すでにその機能を失ってしまっているのだ。そこに、あらた

な仮説をもちこめば、日常性はたちまち安定を失って、異様な形

相をとりはじめる。日常は活性化され、対象化されて、あなたの

意識を強くゆさぶらずにはおかないはずである。

﹁仮説の文学﹂にまつわる言説を整理すると、安部は読者が当たり

前のこととして受け止めている事象が壊れるような、あるいは覆され

るようなテーマを描き、読者の認識に揺さぶりをかけることを﹁仮説

の文学﹂として捉えていたといえる。先行研究では日常の異化を狙っ

た試みとして評価され、安部の創作に関わる重要な概念として度々言

及されてきた ^。

安部は自身が﹁仮説の文学﹂として捉えている作品について、具体

的にエッセイで言及している︵﹁ぼくのSF観﹂﹃太陽﹄一九六三年九

月︶。

ルキアノス﹁本当の話﹂、﹁竹取物語﹂、呉承恩﹁西遊記﹂、セルバ

ンデス﹁ビイドロ博士﹂、スウィフト﹁ガリバー旅行記﹂、M・

W・シェリー﹁フランケンシュタイン﹂︵中略︶宮沢賢治﹁銀河

鉄道の夜﹂﹁グスコープドリの伝記﹂、シュペルヴィエル﹁ノアの

方舟﹂、三島由紀夫﹁美しい星﹂、その他マーク・トウェイン、石

川淳、花田清輝、安部公房の諸作品。

ここでは﹁仮説の文学﹂として古今東西、様々な作品が想定されて

いる。またエッセイのタイトルが﹁ぼくのSF観﹂と題されているこ

とは重要である。安部の﹁SF観﹂においては、H・G・ウェルズの ようにSFで評価されてきた作家はもちろんのこと、宮沢賢治や﹁西遊記﹂、﹁竹取物語﹂など、SFと直接繋がらない作家や作品も同列に

並べられている。つまり、安部は虚構から現実を捉え直すという﹁仮

説の文学﹂の役割を果たす作品であれば、インタビューで述べていた

ように﹁SFであろうとなかろうと一向に構わない﹂のであり、それ

はSFというジャンルを古今東西、広義に開いて認識するという視座

と不可分に結びついていたといえるだろう。

ここまで論じてきたように一九六〇年代は、日本にSFが普及して

いく過程でSFをめぐる様々な認識の違いが表出した時期であった。

﹃SFマガジン﹄においても安部が日本SFの先駆者という共通認識

はあるものの、安部が本質的に﹁SF作家﹂であるかという点につい

て評価が分かれたことはその一例と言えるだろう。芥川賞作家である

安部を﹁SF作家﹂、﹁純文学作家﹂というラベルで評価することは、

SFの文学的評価をめぐるヘゲモニーでの価値づけとして機能してい

たといえよう。

安部が﹃SFマガジン﹄における自身の評価について自覚的であっ

たかどうかは定かでない。ただ、﹃SFマガジン﹄、ひいては日本SF

のあり方について、何らかの違和感を覚えていたようである。

しかし、ぼくの心配は、未知なるものに挑戦し、それを名づける

側であった、たとえばSFが、どうも最近では、逆に名づけられ

る側にまわってしまったのではないか、ということなのである。

探検者だけにそなわっていたはずのあの定義しがたい魅力とバ

(9)

二三ジャンル化への違和︵加藤︶ イタリティがいささかサーカスのライオンじみてきたのではないか、ということなのである。︵中略︶そう、SFがついに名づけ

がたいものでいつづけてくれる限り、ぼくらはすこしも希望を捨

てることはないのである。

﹁SF、この名づけがたきもの﹂と題されたこのエッセイは﹃SF

マガジン﹄︵一九六六年二月︶に掲載された。同号は﹃SFマガジン﹄

の創刊六周年を記念し﹁オール日本人作家特集﹂という特別企画が組

まれていた。ここで安部はSFをライオンに喩えながら、SFがSF

と名づけられることで﹁定義しがたい魅力とバイタリティ﹂を失いつ

つあると述べている。そして、SFが﹁名づけがたいもの﹂であるこ

とこそ希望につながると述べている。

先述したように安部は、﹁仮説の文学﹂という概念を導入すること

で狭義のSFという枠を取り払い、そこに古今東西、様々な文学作品

を捉えようとしていた。そして、その試みには﹁SFであろうとなか

ろうと一向に構わない﹂という意識が介在している。こうした点を踏

まえると、安部が批判する﹁名づける﹂行為とは具体的に言うならば、

作品をSFというジャンルに押し込めることだと言えるだろう。すな

わち、あえてSFをSFで括らず、﹁仮説の文学﹂という広義の意味

で捉えることに安部の狙いがあったのである。だからこそSFが﹁名

づけがたいもの﹂で、ひとつのジャンルに固まらないことこそが望み

なのである。

タイトルの通り﹁SF、この名づけがたきもの﹂はSFを名づける 側を批判したエッセイである。そこにはそう批判させる力学がある

と考えられるが、そのひとつとして、安部を﹁SF作家﹂や﹁純文

学作家﹂という枠で捉えようとした当時の﹃SFマガジン﹄内の風潮

も想定できるのではなかろうか。安部はSFの可能性を高く評価しな

がらも、ジャンル化されていく当時のSFに対しては違和感を覚えて

いたといえる。そうした違和感がこのエッセイには書かれているので

ある。こうしたSFのジャンル化に対する安部の批判意識は、実は﹃SF

マガジン﹄におけるデビュー作において、早くも見出すことができる。

次の節では、安部の批判意識が﹃SFマガジン﹄内の実作とどのよう

に関わっていたのかを明らかにする。

四.SF批評としての﹁完全映画﹂

安部は﹃SFマガジン﹄︵一九六〇年五月︶に﹁完全映画︵トータ

ル・スコープ︶﹂︵以下、﹁完全映画﹂と表記する︶という短編を発表

している。同号は﹁日本人作家特集﹂と銘打って、初めて日本人作家

の作品を掲載した特別号であった。安部の作品は都築道夫、高橋泰邦

の作品と共に掲載されている。﹁完全映画﹂には、観客が映画のなか

で起きた出来事を現実として、そっくり体験できるトータル・スコー

プ計画︵通称トタスコ計画︶という発明が登場する。

この作品について、友田義行は巨大な映画館が登場する﹁幸福館﹂︵﹃京都新聞﹄、一九五八年七月七日夕刊︶との関連性を指摘したうえ

(10)

二四ジャンル化への違和︵加藤︶

で、テクノロジーと身体という視点から論じている &。本論文では、こ

こまで論じてきた安部のジャンル意識や当時の日本SFの状況を踏ま

えつつ、﹁完全映画﹂という作品を考察していく。

本作の大きな特徴として、ストーリーが展開する前に書かれた但し

書きの存在が挙げられる。

二兎を追う者は一兎を得ず、ということわざがあります。しかし

私は生来欲が深いらしく、両方とも捕えてやらないと気がすま

ず、いろいろと考えたあげくに、二兎を合わせて一兎にしてしま

う工夫を思いつきました。︵中略︶ さて、私はこの一石二鳥と

でもいうべき兎の前半を空想科学小説の愛読者のために、後半

を、推理小説の愛読者のためにと、二羽分にしてプレゼントする

ことにしました。

但し書きから分かるように、﹁完全映画﹂は前半と後半に異なるジャ

ンルを想定し、読者にひとつの作品として読ませるという作品構造を

とっている。では﹃SFマガジン﹄でのデビュー作にあたる本作にお

いて、当時のSFを牽引していた同誌には一見そぐわない不自然な作

品を安部は何故、発表したのだろうか。

前半の空想科学小説部分において、トータル・スコープは観客が

﹁直接その物語に参加し、それも傍観者として参加するのではなく、

主人公として﹂映像に参加する装置であるとされる。ただ後半の推理

小説部分では、そんな装置は存在せず、そもそもトータル・スコープ

計画自体が会社の操業資金を集めるための芝居であったことが明かさ れる。

永野宏志はこの点について、前半部と後半部の語りに着目し﹁実験

の真偽と報告の真偽の両者を読者自身に疑わせる﹂ことで、作者から

読者の﹁創造性﹂に物語の力点を移す狙いがあったと論じている *。﹁完

全映画﹂を当時の安部が取り組んでいた﹁異化﹂の実験作に位置づけ

た点において、永野の指摘は重要である。

ただ、ここまで論じてきたように当時の安部はSFと他のジャンル

とを﹁仮説の文学﹂という大きな枠組みで捉え、SFのジャンル化に

対して批判的なまなざしを向けていた。単なる前半と後半ではなく、

そこに空想科学小説と推理小説というジャンルを提示した本作の意味

からは、当時の日本SFのジャンル形成に対する安部の意識を実作の

レベルから読み込めるのではないだろうか。

安部は、﹃SFマガジン﹄と東宝映画が共同で開催した第一回空想

科学小説コンテストで選考委員を務めている。その選評で、安部はS

Fを書く際の心得を説いている︵﹁選後評﹂﹃SFマガジン﹄一九六一

年八月︶。

SFは本質的に、論理を組み立て、そのプロセスと結果を娯 ママしむ

ものでなければならない。極端なことをいえば、論理はウソの論

理でもいいのだ。そしてそのウソの論理を、本当らしく見せかけ

るより、ウソ独自の面白さを極限までつきつめる―そこまで到達

すれば、文学としても最高のものになり得る。

ここで安部が力説する﹁ウソの論理﹂は﹁完全映画﹂の空想科学小

(11)

二五ジャンル化への違和︵加藤︶ 説部分においても意識的に描かれているといえる。

たとえば、次の場面は映画関係者や新聞記者を集めたトータル・ス

コープの試写会で、観客が怪獣になる体験を可能にする﹁怪獣ゾガバ

の東京見物﹂を視聴した映画俳優・大江邦彦が、視聴を終えて出てく

る場面である。

大江さんは、トタスコの影響で、まだかなり興奮していられるだ

ろうと思うのです。︵中略︶一同爆笑のうちに、ボックスの戸が

開けられた。と、同時に、ひつかくような形にまげた指をふりか

ざし、歯をむいた大江邦彦が、飛び出してくるなり、うめき声を

あげ、係員にとびかかっていったのです。

この場面で大江はトータル・スコープの影響で視聴後も自分を怪獣

だと思い込み、大暴れしてしまう。そして医師から﹁筋肉の異常発達。

それから、性格の狂暴化﹂が確認されたと説明される。また、その後

に﹁ナポレオンの生涯﹂を視聴し消失してしまう上田社長について

は、ナポレオンの生涯を圧縮して体験した結果、﹁しぜん体細胞がすっ

かり電気的刺激におきかえられ、映画終了と同時に肉体が消滅してし

まった﹂と主任技師から説明がなされる。

一連の出来事に対して、主任技師は﹁私も、科学にたずさわる身で

すから︵中略︶超自然現象などといって、ごまかすようなことはでき

ません﹂と述べ、事件の原因を説明しようとする。実際には、そこで

展開される説明は合理性を欠いた﹁ウソの論理﹂そのものである。た

だ、作中では同時に観客たちが﹁いやあ、大した効果だね⋮⋮﹂、﹁と もかく、世紀の発明であることだけはたしかだよ⋮⋮﹂と口々に話す場面も描かれる。選評で安部が﹁ウソ独自の面白さを極限までつきつめる﹂ことをSFの本質として挙げたように、﹁ウソの論理﹂は作中

においてトータル・スコープという現実離れした発明を支える役割を

担っているのである。

しかし、後半では前半の語り手であったKが、依頼を受けてトータ

ル・スコープ計画を監視していた私立探偵であったと明かされる。そ

して大江の凶暴化、上田社長の消失、果てはトータル・スコープ計画

自体が会社の破産を阻止するために仕組まれた芝居であったことが判

明する。

じゃあ、申上げましょう。私が、試写会のからくりに気づいたの

は、あの大江邦彦のときなのです。︵中略︶いいですか、彼がも

し本当にゾガバになったつもりでいたら、ボックスから出て、い

きなり自分と同じほどもある人間たちに出会い、果してあんな反

応を示すものでしょうか?そんなはずはない。彼には、人間は、

おそろしい怪物に見えたはずなのです。だって、そうじゃありま

せんか。ボックスの中では、人間どもは、蟻のような虫っけらに

しかすぎなかったはずなんですからね。

Kが一連のからくりを見破る決定打になったのは、前半の空想科学

小説において﹁ウソの論理﹂で説明された大江の凶暴化である。前半

でトータル・スコープの効果を裏付けていた出来事は、後半でその矛

盾を裏付ける出来事へと転じてしまうのである。いわば推理小説の種

(12)

二六ジャンル化への違和︵加藤︶

明かしというかたちで、安部が自ら空想科学小説の部分で展開した

﹁ウソの論理﹂を反転させ破綻させるかのようなストーリーを描いた

ことは、重要なポイントである。

﹁完全映画﹂において、安部はただトータル・スコープという現実

離れした発明を﹁ウソの論理﹂で魅力的に描くだけでなく、後半部で

その破綻も描いているといえる。推理小説の種明かしにおいて空想科

学小説での﹁ウソの論理﹂が検証される構造には、空想科学小説、換

言すればSFというジャンルに収める、ジャンルを当然とみなすこと

で見えなくなるものを異なるジャンルから描こうとする安部の狙いを

読むことも可能ではないだろうか。

安部公房は、SFが普及していく際にその可能性を高く評価しなが

らも、ジャンルに囚われることへの違和感を﹁SF、この名づけがた

きもの﹂で表明している。そうした批判意識と実作とを結びつけた際、

﹃SFマガジン﹄でのデビュー作にあたる﹁完全映画﹂には、すでに

SF的発想の盲点を描こうする安部の批評性を見出せる。実作での実

験的試みとして表出した違和感がエッセイとしてより直接的に書かれ

たことには、﹁仮説の文学﹂と銘打つ安部のジャンル意識の変遷が見

られるのである。

注1  誌面では﹃S―Fマガジン﹄となっているが、本論文では通例に従い﹃SFマガジン﹄と表記する。

 2  ﹁SF第一世代﹂とは、一九六五年以前にデビューする星新一、小松 左京、筒井康隆、眉村卓、光瀬龍、半村良らを指している。

 3  福島正実﹃未踏の時代  日本SFを築いた男の回想録﹄早川書房、二〇〇九年一二月、三二頁。

 4  日高昭二﹁幽霊と珍獣のスペクタクル―安部公房の一九五〇年代﹂︵﹃文学﹄第五巻六号、二〇〇四年一一月︶。

 5  永野宏志﹁︽そっくり︾な仮説の住む時空―安部公房﹃人間そっくり﹄とSFの論理に関する覚書―﹂︵﹃工学院大学  共通課程研究論叢﹄第四六―一号、二〇〇八年一〇月︶。

 6  長山靖生﹃日本SF精神史  幕末・明治から戦後まで﹄河出書房新社、二〇〇九年一二月、二〇二頁。

 7  先行研究において長山靖生、巽孝之らが﹁日本SF﹂という用語を﹁日本におけるSF﹂の意味で使用しており、本稿も同じ意味で使用する。

 8  長山靖生、前掲注6。  9  安部は﹁子供の夢﹂︵﹃西日本新聞﹄、一九五七年一〇月三〇日︶で宇宙に行くという﹁子供の夢﹂が現実になった出来事としてスプートニク1号の打ち上げを書いている。また﹁人間未来史観序説﹂︵﹃中央公論﹄、一九五八年六月︶で宇宙ブームに沸き﹁﹁やい人間ども、なにをうろうろしているんだ﹂などと道化た茶番を演じて﹂いる人々を﹁宇宙バカ﹂として批判している。

 0  長山靖生、前掲注6、二一三頁。

 !  福島正実、前掲注3、九〇頁。

 @  宇宙塵編﹃塵も積もれば  宇宙塵40年史﹄出版芸術社、一九九七年一一月、二四頁。

 #  同前、四一頁。

 $  福島正実、前掲注3、九二頁~九七頁。

 %  長山靖生、前掲注6、一九五頁。

 ^  安部の﹁仮説の文学﹂に関する研究としては李先胤﹃21世紀に安部公房を読む  水の暴力性と流動する世界﹄︵勉誠出版、二〇一六年六月︶、クリストファー・ボルトン﹁歌い合う機械たち―安部公房とサイエンス・フィクション﹂︵﹃文学﹄第八巻四号、二〇〇七年七月︶に詳

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二七ジャンル化への違和︵加藤︶ しい。

 &  友田義行﹁テクノロジーと身体―安部公房のバーチャル・リアリティ﹂︵﹃生物学﹄第四号、二〇一一年五月︶。  *  永野宏志﹁電子メディア時代における異化―一九六〇年前後の安部公房のテレビ脚本・SFから﹃砂の女﹄へ―﹂︵﹃日本近代文学﹄第八三集、二〇一一年一〇月︶。

付記  安部公房のテクストの引用は、すべて﹃安部公房全集﹄︵新潮社、一九九七年七月~二〇〇九年三月︶に拠った。

  なお以下の資料は全集未収録のため、﹃SFマガジン﹄の本文を引用した。◦大伴秀司﹁SFを創る人々・その1  安部公房氏﹂︵﹃SFマガジン﹄一九六三年五月︶◦安部公房﹁選後評﹂︵﹃SFマガジン﹄一九六一年八月︶

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