『紅 楼 夢 』 研 究 の 四 ジ ャ ン ル に つ い て
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(2) 第一章. 第一節. 『紅楼夢』 の思想 的研究序論. 『紅 楼 夢 』 の 時 代 背 景 と そ の 研 究 史. 清 朝 第 六 代 皇 帝 乾 隆 帝(1735〜1795在 帝(1722〜1735在. 位)の. 位)は. 、 父 祖 康 煕 帝(1661〜1722在. 位)・ 雍 正. 遺 業 を継 承 し た だ け で な く、 豊 か な 財 政 と 強 大 な 軍 事 力 を 背 景. に 、 西 域 を 国 土 化 し、 チ ベ ッ トを も支 配 下 に お い て 、 清 朝 の 全 盛 期 を導 い た とい わ れ る。 満 州 族 の 清 王 朝(1636〜1912)は. 、 蒙 古 族 の 元(1721〜1368)の. 轍 を 踏 む こ とが な い. よ うに と、 中 国 の 伝 統 、 す な わ ち漢 民 族 の 歴 史 と文 化 を 尊 重 す る方 針 を 立 て た 。 そ れ は 康 煕 帝 に よ る 『全 唐 詩 』 編 纂 や 雍 正 帝 に よ る 『明 史 』 編 纂 な ど に 顕 著 で あ る が 、 乾 隆 帝 も ま た 父 祖 の意 志 を 受 け継 い で 『明 史 』 を 完 成 させ 、 更 に は 、 先 秦 か ら清 代 前 半 に 至 る歴 史 的 典 籍 約 三 千 五 百 を 収 録 す る最 大 の 叢 書 『四 庫 全 書 』 を 編 纂 す る な ど、 中 国 の 伝 統 的 文 化 事 業 を積 極 的 に 行 っ た 。 そ の た め 、 漢 民 族 知 識 人 を 多 く重 用 し、 彼 ら を優 遇 して 文 化 事 業 を 推 進 した の で あ る。 しか し、 そ れ は 漢 民 族 知 識 人 が 異 民 族 王 朝 の 政 策 の も とに 文 献 の 中 に 沈 潜 させ られ た こ と を意 味 す る 。 す な わ ち 、 漢 民 族 知 識 人 を 政 治 か ら遠 ざ け 、 知 識 人 の 思 想 統 制 を 断 行 し、 しば し ば 文 字 の 獄 や 禁 書 が 行 わ れ た 。 康 煕 帝 に 始 ま る輝 か しい 文 化 事 業 が 清 王 朝 の 光 だ と す れ ば 、 そ れ と並 ん で 起 き た 文 字 の 獄 や 禁 書 は 、 清 王 朝 の 暗 い 影 で あ る。 も ち ろ ん 、 知 識 人 の 弾 圧 や 禁 書 は 、 古 く は始 皇 帝 の 焚 書 坑 儒 や 後 漢 の 二 度 に わ た る 党 鋼 の禍 の よ うに 、 中 国 の 歴 史 に 珍 しい こ と で は な い 。 し か し 、 清 朝 の 文 字 の獄 は 、 そ の 頻 度 も 、 漢 人 に よ る 政 治 批 判 を封 殺 して 言 論 統 制 を 極 め た こ と も、 そ れ 以 前 の 比 で は な い とい わ れ る。1中 国 近 現 代 史 学 の 先 駆 者 と して 知 られ る柳 論 徴(1880〜1956)は. 、清 朝 の文 字. の獄 に つ い て 次 の よ うに い う。. 清 朝 以 前 の 文 人 も文 字 の 獄 に遭 遇 した が 、 そ の 悲 惨 さ は 清 代 の 文 字 の獄 ほ ど酷 い も の は な か っ た 。だ か ら 、雍 正 帝 ・乾 隆 帝 以 来 、節 操 の あ る学 者 は 跡 形 も な く 消 え 去 っ た 。 ̲̲ほ. ん の わ ず か な 不 注 意 か ら、 不 測 の 禍 を 招 い て し ま っ た 。. 前 代 文 人 受 禍 之 烈,殆 慎,禍. 未 有 若 清 代 者 。 故 雍 乾 以来,志. 且 不 測 。2. 1. 市 之 士,蕩. 然 元 存 。̲̲梢. 一不.
(3) 清 朝 文 人 を襲 っ た 文 字 の 獄 は 歴 史 上 最 も惨 烈 で あ り、 彼 ら は 知 識 人 と して の 志 や 節 操 、 信 念 や 自尊 心 な ど 、 す べ て 心 の 中 に 封 印 せ ざ る を 得 な か っ た 。 表 向 き は 華 や か な 文 化 事 業 と、 文 人 が 重 用 され た 乾 隆 帝 の 時 代 で あ っ た が 、 そ の 実 は 、 良識 あ る知 識 人 は 自 ら の 意 思 で 文 章 を 書 く こ と も で き ず 、 思 想 の 取 り締 ま りの 恐 怖 の影 に 苦 しめ られ た 、 極 め て 暗 い 時 代 で あ った。 長 篇 白話 小 説 『紅 楼 夢 』 が 書 か れ た の は 、 ま さ に こ の よ うな 時 代 で あ っ た 。 作 者 に 関 し て は い ま だ に 不 明 な と こ ろ が 少 な く な い が 、今 で は 曹 雪 芹(1724?〜1764?)と. す るのが. 定 説 と な っ て い る。 小 説 は 、 仙 界 の 石 の 化 身 で あ る 主 人 公 宝 玉 が 人 間 界 で 経 験 した こ との 記 録 とい う体 裁 を 取 っ て い る。 宝 玉 は 大 貴 族 質 家 の 公 子 と して 設 定 され て お り、 多 くの 女 性 た ち に 囲 ま れ て 広 大 な 別 荘 大 観 園 で 暮 らす 。 しか し質 家 の 盛 運 は 徐 々 に 衰 え 、 周 りの 女 性 た ち も 次 第 に離 れ て い く。宝 玉 と女 性 た ち を 中 心 に 展 開 して い く こ の 物 語 は 、そ こ に 生 き る さ ま ざま な 人 々 の 喜 怒 哀 楽 を 通 して 、 清 朝 全 盛 期 の 華 や か な社 会 に生 き る人 々 が 、 実 は い か に 悲 劇 的 な 人 生 を歩 ん で い る か を 克 明 に描 き 出 して い る 。 しか し、 政 治 批 判 を厳 禁 した 時 代 に 生 ま れ た 『紅 楼 夢 』 が 描 く の は登 場 人 物 の 悲 劇 だ け で で は な い 。 当 時 の 汚 濁 した 社 会 、 官 僚 の 腐 敗 や 不 正 、 人 々 を 束 縛 して 悲 劇 を も た らす 儒 教 道 徳 を浮 き 彫 りに し、 現 実 政 治 に 対 す る 痛 烈 な 批 判 を 意 図 した 小 説 で あ る。 と こ ろ で 、 中 国 の 知 識 人 は 古 来 儒 家 で あ る と 同 時 に 道 家 で あ る とい わ れ る。 質 誼 や 司 馬 遷 、 あ る い は 陶 淵 明 や 蘇 載 を持 ち 出 す ま で も な く、 中 国 の 知 識 人 が 現 実 世 界 で 生 き て い く に は 儒 家 と して の 教 養 を 身 に つ け る の が 必 須 で あ る。 彼 ら は 理 想 を 持 っ て 官 界 に進 出 した が 、現 実 社 会 は 彼 らの 理 想 を 実 現 す る に は あ ま りに も複 雑 で 、世 の 中 を 良 くす る ど こ ろ か 、 自分 の 身 を守 る こ と さ え で き な い 場 合 が 少 な く な か っ た 。儒 教 の 限 界 を 思 い 知 ら され 、個 々 人 の 精 神 を束 縛 す る 儒 教 の本 質 に疑 問 を抱 く と 、彼 ら は 老 荘 の 世 界 に精 神 的 な 救 い を 求 め た。3 知 識 人 の 家 庭 に 生 ま れ 曹 雪 芹 も ま た 儒 家 の影 響 下 に 育 っ た 。 しか し、 曹 雪 芹 は彼 ら と同 じで は な い 。 儒 家 と道 家 の 間 で 精 神 的 バ ラ ン ス を 取 っ た 古 代 の 知 識 人 と違 い 、 曹 雪 芹 は 儒 家 社 会 が 束 縛 して い る人 間 の 哀 れ な 姿 を容 赦 な く暴 き 出 し 、 現 実 の 悲 喜 哀 歓 の 世 界 か ら解 放 して くれ る 境 地 を 『荘 子 』 の 世 界 に 求 め た と考 え られ る。. 2.
(4) 筆 者 は 『紅 楼 夢 』 の 随 所 にみ え る 『荘 子 』 を 手 が か りに 、 曹 雪 芹 の 人 間観(死. 生 観)や. 社 会 観 を解 明 して 『紅 楼 夢 』 の 思 想 的 研 究 を進 め て い る。 本 章 は そ の 序 論 と し て 、 本 研 究 の 具 体 的 方 法 を提 示 し、 か つ 新 た な 問題 提 起 を す る も の で あ る。 ま ず 、 中 国 と 日本 に お け る 『紅 楼 夢 』 研 究 の 歴 史 を 振 りか え りな が ら 、 問 題 点 を整 理 し たい。 清朝 末期 にす で に 「 紅 学 」 と称 され た ほ ど盛 ん で あ っ た 『紅 楼 夢 』 研 究 は 、 「旧紅 学 」 と 「 新 紅 学 」 とに 二 分 され る。 「旧紅 学 」 と は 、五 四運 動(1919年)以. 前 の 研 究 、す な わ ち 胡 適(1891〜1962)の. 『紅. 楼 夢 考 証 』 が 世 に 出 る ま で の 以 前 の 諸 説 を 指 す 。 具 体 的 に は 、 周 春(1729〜1815)・.,.元 培(1868〜1940)・. 王 国 維4(1877〜1927)に. 代 表 され る研 究 を 指 し、 そ れ らは 随筆 形 式. で 作 品 に批 評 点 描 した り(評 点 派)、 清 代 の 政 治 事 件 と の 関 連 か ら書 中 に 隠 され た 「 真事」 を 探 ろ う と した りす る(索 隠 派)も. の で 、 実 証 に 基 づ か な い 趣 味 的 な研 究 が ほ とん どで あ. った。 そ れ に対 して 、 「 新 紅 学 」 は 考 証 学 に基 づ く研 究 、 す な わ ち 、 資 料 の 収 集 と分 析 に 基 づ く実 証 的 研 究 を い う。そ の 最 大 の 成 果 の ひ とつ が 胡 適(1891〜1962)の. 『紅 楼 夢 考 証 』で 、. 彼 は 作 者 が 曹 雪 芹 で あ る こ と 、 『紅 楼 夢 』 が 曹 雪 芹 の 自叙 伝 で あ る こ と を 論 証 した 。 そ し て 、 胡 適 と と も に新 紅 学 の 基 礎 を 作 っ たCC平 伯(1900〜1990)は. 『紅 楼 夢 耕 』 を 著 し、 そ. の研 究 成 果 は 後 の 紅 学 研 究 者 に 受 け 継 が れ て 今 に 至 っ て い る 。 こ の 点 に つ い て は後 に 改 め て論 ず る。 一方. 、 日本 に お け る 『紅 楼 夢 』 研 究 は 以 下 の 五 つ の 時 代 に 区 分 で き る5。. (1)日 1793年. 本 紅 学 の 確 立 時 代(1793〜1893) 、 南 京 船 に よ っ て長 崎 に 渡 来 した6『 紅 楼 夢 』 は 、 す で に 明 治 時 代 、 東 京 外 国 語. 学 校 で 中 国 語 の 教 材 と して 使 わ れ 、1892年(明 〜1911)に. 治25年)に. は 、 漢 学 者 ・森 椀 南(1863. よ る初 の 邦 訳 が 生 ま れ て い る 。 ま た 、 同年 、森 椀 南 は 「 紅 楼 夢 評 論 」 を 『早 稲. 田 文 学 』 第27号. に発 表 した 。 日本 の 紅 学 研 究 は これ よ り始 ま る が 、 中 国 の 紅 学 研 究 の 影. 響 を受 け な が ら進 め られ た 。 (2)日. 本 紅 学 の 転 換 期(1894〜1938). こ の 期 間 、 『紅 楼 夢 』 の 邦 訳 は 盛 ん で あ っ た が 、 研 究 は あ ま り進 ま な か っ た。1920〜22 年 、幸 田露 伴(1867〜1947)・. 平 岡龍 城(生 卒 年 不 詳)共 訳 の 日本 初 の 前 八 十 回 訳 本 が 「 国. 訳 漢 文 大 成 」 の ひ とつ と して 刊 行 され た 。 こ れ は 有 正 本7を 底 本 と し た も の で あ る。 ま た 、 3.
(5) こ の 転 換 期 の 紅 学 研 究 代 表 者 と して は 、 『紅 楼 夢 研 究 』 を 著 した 大 高 巌(1905〜1971)が い る。 氏 が 『紅 楼 夢 』 を 愛 読 し、 小 説 の 文 化 、 芸 術 、 科 学 な どを 考 察 し、 多 くの 論 文 を発 表 し、 日本 『紅 楼 夢 』 研 究 史 上 に 重 要 な 学 者 と み な され る。8た だ 、 紅 学 の 確 立 時 代 も 、 こ の 転 換 期 も 、 当 時 の 漢 学 者 に と っ て の 関 心 事 は も っ ぱ ら 中 国 の歴 史 ・哲 学(経 学)・ 言 語 ・ 詩 詞 の 研 究 で あ っ て 、 小 説 は 研 究 対 象 と は な ら な か っ た。 (3)日. 本 紅 学 の 沈 滞 期(1939〜1955). 第 二 次 世 界 大 戦 の た め 、 こ の 時 期 の 日本 紅 学 は 、 論 文 の 数 も 少 な く沈 滞 して い た 。 しか し、邦 訳 で は 大 き な 成 果 が み られ た 。大 学 時 代 よ り『紅 楼 夢 』を愛 読 して い た 松 枝 茂 夫(1905 〜1995)は. 、 戦 争 に よ る 中 断 を 余 儀 な く され た も の の 、 前 後11年. をか けて本 邦初 の百 二. 十 回 全 訳 を完 成 させ た 。 (4)日. 本 紅 学 の 復 興 期(1956〜1978). 戦 後 、 中 国 大 陸 で は 政 治 的 理 由 か ら紅 学 研 究 が 批 判 を 受 け 、 以 後22年. もの 問、紅 学研. 究 が 途 絶 え た の だ が 、 逆 に戦 後 日本 の 紅 学 研 究 は 、 政 治 的 桓 楷 か ら逃 れ て 純 粋 な 学 問研 究 が 増 え た 。この 時 期 、日本 の 中 国 学 界 で 紅 学 に 最 も尽 力 した 学 者 は 伊 藤 漱 平(1925〜2009) で あ ろ う。 氏 は1954年. に 「 曹 露 と高 鶉 に 関 す る試 論 」9を 発 表 して 以 来 、 五 十 年 以 上 に わ. た っ て 『紅 楼 夢 』 の研 究 と翻 訳 を続 け て い る。 氏 の 研 究 は 曹 雪 芹 の 生 涯 、 歴 史 、 脂 硯 斎 の 評 語 、『紅 楼 夢 』 の 版 本 、小 説 に 至 る経 緯 等 々 、 そ の研 究 領 域 は 非 常 に 広 い 。 日本 の 紅 楼 夢 研 究 の 第 一 人 者 で あ る。 ま た 、 こ の 時 期 は 『紅 楼 夢 』 の 翻 訳 も新 た な展 開 が あ っ た 。 最 も 注 目 され た 訳 本 は 、 氏 の 完 訳 本(平. 凡 社)で. あ る 。 こ の 訳 本 の 前 八 十 回 は 楡 平 伯 校 訂 『紅. 楼 夢 八 十 回 校 本 』、 後 四 十 回 は校 本 付 録 の 程 甲 本 を底 本 と した もの で あ る。 (5)現. 代 の 日本 紅 学(1979〜. 現 在). こ の 時 期 の 最 も顕 著 な 成 果 と して 、ま ず 飯 塚 朗(1907〜1989)の 文 学 出 版 社 本 を底 本 に翻 訳 し、1980年. 翻 訳 が あ る。 氏 は 人 民. 、集 英 社 「 世 界 文 学 全 集 」 の ひ と つ と して 刊 行 され. た。 飯 塚 と前 後 して 、 戦 争 で 刊 行 が 中 断 して い た 松 枝 茂 夫(1905〜1995)の 『紅 楼 夢 』 一 〜 十 二(岩. 波 書 店 、1972〜1985年)と. 語 訳 で あ る井 波 陵 一(1953〜)『. 新 訳 紅 楼 夢 』(岩. 日本 語 訳 が 、. して 上 梓 され た 。 ま た 、 最 新 の 日本 波 書 店 、2013〜2014年)は. 、 それ ま. で の 訳 に 比 べ て 注 釈 も詳 し く 、 日本 に お い て も 『紅 楼 夢 』 研 究 が ま す ま す 活 発 に な っ て い る こ と を物 語 っ て い る。 研 究 面 で は 、合 山 究(1942〜)『 〜)の. 『紅 楼 夢 』新 論 』(汲 古 書 院 、1998年)、. 『紅 楼 夢 成 立 の 研 究 』(汲 古 書 院 、2005年)、 4. 船 越 達 志(1969. 井 波 陵 一 『紅 楼 夢 と王 国 維 』(朋 友 書.
(6) 店 、2008年)が. 最 近 の 研 究 成 果 と して 挙 げ られ る。 ま た 、 合 山 氏 は 『『紅 楼 夢 』. 一 性 障 碍 者 の ユ ー トピ ア 小 説 』(汲 古 書 院. 、2010年)を. 性同. 発 表 し、『紅 楼 夢 』 は 当 時 の 封 建 的. 男 性 社 会 の 中 で 生 き て い く こ とが で き な か っ た 性 同一 性 障 碍 者 が 夢 想 した ユ ー トピ ア 小 説 で あ る とい う説 を 提 起 して い る 。10更 に は 、 周 汝 昌(1918〜2012)の 芝 出版 社 、1998年)が. 小 山 澄 夫(1948〜)訳. 《曹 雪 芹 小 佑 》(隼. で 汲 古 書 院 よ り刊 行(2010年)さ. れ る な ど、. 近 年 の 中 国 に お け る研 究 成 果 も翻 訳 され て い る。 しか し、 これ ま で の 中 国及 び 日本 の 『紅 楼 夢 』 研 究 の 歴 史 を み て も わ か る よ うに 、 『紅 楼 夢 』 は 小 説 と して の 成 立 過 程 や 、 作 者 の 生 涯 、 あ るい は 版 本 、 そ して 続 作 を め ぐ る研 究 が 主 流 で あ っ て 、 『紅 楼 夢 』 の 思 想 に 言 及 す る も の は 非 常 に 少 な い 。 『紅 楼 夢 』 は 人 間 の 生 き 方 、 社 会 の あ り方 、 家 族 、 金 銭 、 愛 情 な ど、 現 実 世 界 の あ らゆ る 問 題 が 描 か れ るだ け で な く、 中国伝 統 文化. 儒 ・仏 ・道 の 文 化 が 見 え 隠 れ して い る。 先 述 した よ うに 、 儒 家 社. 会 に生 まれ 育 っ た 曹 雪 芹 は 、 現 実 社 会 に 横 た わ る 不 条 理 、 あ る い は 儒 教 そ の もの が 内 包 す る 非 人 間性 に 疑 問 を 抱 き 、儒 教 が 個 人 に も た ら した 悲 劇 の 数 々 を 徹 底 的 に暴 き 出 し、『荘 子 』 の 思 想 が 人 間 解 放 の 道 で あ る と訴 え よ う と した 。. 第 二節 (1)版. 『紅 楼 夢 』 研 究 の 四 ジ ャ ン ル に つ い て 本学. と こ ろ で 、 『紅 楼 夢 』 の研 究 は 、 版 本 の 比 較 研 究 を 主 とす る 版 本 学 、 脂 硯 斎 の 評 論 を 中 心 に研 究 す る 脂 学 、 失 わ れ た 八 十 一 回 以 後 を探 求 す る探 逸 学 、 曹 雪 芹 お よ び 曹 氏 一 族 を研 究 す る曹 学 の 四 ジ ャ ンル に分 類 され る 。11 『紅 楼 夢 』 の テ キ ス トは 、 そ の 原 稿 本 は 伝 わ らず 、 直 接 の 写 本 も伝 わ らな い た め 、 現 存 の テ キ ス トは す べ て 「 脂 硯斎 本 」 隆 五 十 六 年(1791年)に. 脂 硯 斎 の 評 論 が あ る脂 評 本 を 底 本 と して い る。12乾. 『紅 楼 夢 』 と題 す る刊 本 、 い わ ゆ る 「 程 高 本 」13が 刊 行 され る ま. で 三 十 年 以 上 に わ た っ て 通 行 して い た 抄 本(写 本)は 、『脂 硯 斎 重 評 石 頭 記 』 と して 通 行 し て い た 。 そ の うち 、最 も古 い 抄 本 は 、曹 雪 芹 没 後 問 も な い1764年(一. 説 に1763年)に. 流. 布 して い た 八 十 回 の 抄 本 で 、そ れ が 『脂 硯 斎 重 評 石 頭 記 』 と題 して あ っ た こ とか ら 、『石 頭 記 』 の 名 が 世 に 広 ま り、 そ れ が 定 着 して い っ た と考 え られ る 。 版 本 学 と は 、 主 に 原 稿 に 近 い 写 本(脂. 評 本)を. 対 象 と して 、 諸 本 の 関 係 、 文 字 の 異 同 な. ど を研 究 す る も の で あ る 。 現 存 の テ キ ス トは す べ て い わ ゆ る 「 脂 硯 斎本 」 論 が あ る評 本(脂. 評 本)で. 脂 硯斎 の評. あ るが 、 これ ら は い ず れ も八 十 回 の も の か 、 あ る い は そ れ に満 5.
(7) た な い も の で あ る。 こ の こ と は 、 曹 雪 芹 の 原 作 部 分 は 八 十 回 ま で しか 伝 わ っ て い な い とい うこ と を意 味 す る。 そ れ に 対 して 、 刊 行 され た 程 高 本(乾. 隆 五 十 六 年(1791)の. 刊 本 『紅. 楼 夢 』い わ ゆ る 「 程 高 本 」)は、後 人 の 続 作 四 十 回 を加 え て 百 二 十 回 と した テ キ ス トで あ る。 版 本 学 は これ ら両 者 を研 究 対 象 とす る。 現 存 す る種 々 の 抄 本 は 、 写 本 の 宿 命 と もい うべ き誤 写 や 誤 脱 も多 く、 中 に は 脂 硯 斎 の 評 文 が 削 り去 られ た も の な ど も あ り、 曹 雪 芹 の オ リ ジ ナ ル を判 定 す る こ と は難 しい 。 ま た 、 当 時 、 どの よ うな 経 緯 で 『石 頭 記 』 の 抄 本 が 人 々 の 間 で 伝 え られ た の か 、 現 存 す る 資 料 か らは 明 らか に で き な い 。 た だ 、 乾 隆 中 期 に は脂 評 本 八 十 回 『石 頭 記 』 抄 本 が 増 え た こ とは 間違 い な い 。 乾 隆 末 期 に は 多 くの 抄 本 が 市 場 で 売 買 され 、 中 に は 「 数十 金 」 の高値 がつ く も の が 出 る ほ ど、 好 事 家 が 競 っ て 求 め た とい うこ とか ら も 明 らか で あ る14。 と こ ろ が 、 乾 隆 期 の 写 本 の 中 に 『石 頭 記 』 で は な く、 『紅 楼 夢 』 と題 す る も の が あ る こ とが 判 明 し た 。 乾 隆 四 十 九 年(1784年)の. 写 本 、 い わ ゆ る 甲 辰 本 で あ る。 そ も そ も 『紅 楼. 夢 』 と 『石 頭 記 』 の名 称 は 、 最 古 の 原 本 に 近 い 『脂 硯 斎 重 評 石 頭 記 』 の 「甲戌 本 」(1754 年)15に. あ る よ うに16、 最 古 の 抄 本 と され る 「甲戌 本 」 に は 、 『紅 楼 夢 』、 『石 頭 記 』、 『風 月. 宝 鑑 』 複 数 の 題 名 が あ げ られ 、 い ず れ も 、 小 説 の題 名 と し て 的 を 射 て い る と い う。 い ず れ も 曹 雪 芹 自身 が 使 っ て い た こ と も 、 当 時 か らひ とつ の 題 名 に 決 ま ら な か っ た 原 因 で あ る。 そ れ が 現 在 に 至 る ま で 、 二 百 年 以 上 に わ た っ て 『紅 楼 夢 』 と して 人 々 に 愛 読 され た の は 、 こ の 甲辰 本 『紅 楼 夢 』 が そ れ ま で の 『脂 硯 斎 重 評 石 頭 記 』 に 変 わ っ て 喧 伝 され た こ と に よ る。 さ て 、 曹 雪 芹 の 原 稿 本 の 面 影 を 比 較 的 忠 実 に 伝 え た と され る版 本 は 、 脂 硯 斎 本 に 属 す る 写 本 の う ち 、 曹 雪 芹 の 生 前 ま た は 死 後 ま も な く原 本 が 成 立 し た 脂 硯 斎 評 本 の 三 種 類 の 転 写 本 で あ る。そ の 原 本 が 成 立 した と考 え られ る乾 隆 十 九 年(1754年)、 二 十 五 年(1760年)の. 二 十 四 年(1759年)、. 干 支 に 因 み 、 そ れ ぞ れ 「甲戌 本 」(十 六 回 残 存 。1927年. 見)、 「 己 卯 本 」(四 十 回 残 存)、 「 庚 辰 本 」(七 十 八 回 残 存 。1932年. 、胡 適 が 発. 、 徐 星 曙17が 発 見)と. よ. ば れ る。 これ らは 最 も古 い 写 本 と考 え られ る が 、残 念 な が ら八 十 回 す べ て が そ ろ っ た も の はな い。 次 に 、 乾 隆 四 十 九 年(1784年)、 本 」(四 十 回残 存)が. 五 十 四 年(1789年)の. 「甲辰 本 」(八 十 回 存)、 「 己酉. あ る。 ま た 、後 に発 見 され た 「 科 学 院 文 学 研 究 所 蔵 本 」(「乾 隆 帝 抄 本. 百 二 十 回 紅 櫻 夢 稿 」 と題 す る 、 夢 稿 本 を 略 称)、 「 蒙 古 王 府 本 」、 「ア ジ ア 諸 民 族 研 究 所 レニ. 6.
(8) ン グ ラー ド蔵 本 」、 「 鄭 振 鐸 所 蔵 本 」(鄭 蔵 本)、 「 南 京 靖 応 鵬 蔵 本 」18(散 逸)も 乾 隆 後 期 の 写 本 と考 え られ 、 そ の 前 八 十 回 は 脂 評 本 の 系 統 に 属 す る。 ま た 、 民 国 初 年 、 上 海 有 正 書 局 か ら石 印 刊 行 され た 「 戚 蓼 生 序 本 」(戚 序 本 と略 称)は 『原 本 紅 楼 夢 』 と題 す る 大 字 本(1912年)と. 小 字 本(1920年)の. は 焼 失 した が 、 甲 辰 本 以 前 の 写 本 と推 定 され る。 そ して 、1975年. 、. 二 種 が あ る。 そ の 底 本 、上 海 古 籍 書 店 が 四 十 回. の 「 戚 濾 本 」を 発 見 し 、ま た 、南 京 図 書 館 で 戚 濾 本 か ら の 写 本 と思 わ れ る も の が(戚 寧 本) 発 見 され た 。19 以 上 、 散 逸 した 「 南 京 靖 応 鵬 蔵 本 」 と石 印本. 「 戚蓼 生 序本 」 を除 けば 、現存 の 抄本 は 以. 下 の 十 一 種 が あ る。 (1)『 脂 硯 斎 重 評 石 頭 記 』(甲 戌 本) (2)『 脂 硯 斎 重 評 石 頭 記 』(己 卯 本) (3)『 脂 硯 斎 重 評 石 頭 記 』(庚 辰 本) (4)『 紅 棲 夢 』(甲 辰 本) (5)『 紅 棲 夢 』(己 酉 本) (6)『 乾 隆 帝 抄 本 百 二 十 回 紅 棲 夢 稿 』(夢 稿 本) (7)『 蒙 古 王 府 本 石 頭 記 』(王 府 本) (8)レ ニ ン グ ラー ド蔵 本 『石 頭 記 』(列 蔵 本) (9)鄭 振 鐸 所 蔵 本 『紅 櫻 夢 』(鄭 蔵 本) (10)『 国 初 砂 本 原 本 紅 棲 夢 』(戚 濾 本) (11)『 国 初 砂 本 原 本 紅 棲 夢 』(戚 寧 本)20 しか し、『脂 硯 斎 重 評 石 頭 記. 甲 戌 本 』(作 家 出版 社 、2004年)の. る よ うに 、 現 存 す る 十 一 種 の 脂 評 本 の 源(底. 校 訂者 郵 遂夫 が指 摘 す. 本)が 何 か 、 ど の よ うな 流 伝 で あ っ た の か 、. そ れ ぞ れ の 関係 も含 め て 定 論 が な い 。 ま た 、 そ れ ら と 「 程 高 本 」 との 間 に 具 体 的 に どの よ うな 進 展 や 変 化 が あ っ た の か も明 ら か で は な い 。21 版 本 を め ぐ る研 究 は 、 『紅 楼 夢 』 の 創 作 年 代 、 あ る い は 成 書 の 過 程 、 流 布 の過 程 な ど を 知 る た め に 価 値 が あ る の み な らず 、これ ら十 一 種 の 手 抄 本 の 脂 評 を 比 較 す る こ とに よ っ て 、 今 な お 未 解 決 の 問 題 を解 明す る 可 能 性 を示 して くれ て い る。 版 本 発 見 の 最 大 の 意 義 は 、 脂 硯 斎 と脂 評 とが 一 躍 表 舞 台 に 出 た こ とで あ る。 脂 評 本 の発 見 、 と りわ け 胡 適 が発 見 した 「甲戌 本 」 と命 平 伯 が 発 見 した 「 庚 辰 本 」 は 、 他 の 版 本 に比 べ て 大 量 の 脂 評 が あ っ た た め に 、 最 も 貴 重 な版 本 とみ な され て い る 。 そ の た め 、 行 き 詰 ま 7.
(9) っ た か に み え た 版 本 学 は 脂 評 及 び 脂 硯 斎 の 研 究 を 重 視 す る こ と と な り、ひ い て は そ れ が 『紅 楼 夢 』 本 来 の 姿 を 復 元 す る こ とが で き る よ うに な っ た 。 (2)脂. 学 、探 逸学 、 曹学. 脂 学 と は 、 脂 評 本 、 脂 評 本 中 の 脂 評 の 内 容 、 脂 硯 斎 を め ぐ る 研 究 を い う。 探 逸 学 と は 、 第 八 十 回 ま で の 本 文 お よ び 脂 硯 斎 の 批 注 等 か ら 、 曹 雪 芹 が 本 来 予 定 して い た 、 あ るい は す で に完 成 した が 失 わ れ た か も しれ な い 第 人 十 一 回 以 降 の 内 容 に つ い て 探 求 す る研 究 で あ る。 脂 評 本 が 発 見 され た こ と に よ っ て 、 旧紅 学 の 索 隠 派 の 説 を 一 掃 し、 趣 味 的 な 文 学 鑑 賞 と 根 拠 の な い 人 物 詮 索 か ら解 放 され 、『紅 楼 夢 』本 来 の 姿 を 読 者 に 見 せ る こ とが で き る よ うに な っ た 。 脂 評 本 を め ぐ る 研 究 の 意 義 は 二 つ に 分 類 で き る。 ま ず 、 脂 評 本 の 発 見 は 『紅 楼 夢 』 の 版 本 学 を本 来 の 道 に 導 い た こ と。 前 述 した よ う に 、 脂 評 本 が 発 見 され る 前 、『紅 楼 夢 』 の 原 本 は 乾 隆 年 間 に 活 版 印 刷 され た 百 二 十 回 版 本(程 高 本)と. 信 じ られ て い た 。 しか し、 脂 評 本 の 発 見 が 、 曹 雪 芹 の 生 前 の 最 後 の 定 本 は 百 二 十 回. で は な く前 八 十 回 で あ っ た と い う こ と を我 々 に 知 ら し め た 。 次 に 、 脂 評 本 に は 大 量 の脂 批 が保 存 され て お り、 作 者 の 真 の 姿 、 創 作 過 程 、 小 説 素 材 の 源 、 時 代 背 景 、 表 現 手 法 な ど を 解 明 す る 大 き な 手 が か り と な っ た こ と。 特 に 、 脂 批 を 深 く 研 究 す る こ と に よ っ て 、『紅 楼 夢 』 の 思 想 的研 究 、ひ い て は 曹 雪 芹 の 思 想 研 究 に とっ て 貴 重 な 資 料 とな る 。22 で は 、 小 説 の 評 点 と して の 脂 評 が 『紅 楼 夢 』 の 思 想 を 解 明 す る の に これ ほ ど価 値 が あ る のは なぜ か。 一般 的 な小 説批 評 は作 品が世 に出 た後. 、 あ る い は作 者 没 後 に 後 世 の批 評 家 た ち が 作 品 の. 内容 や 背 景 な どつ い て 評 論 を加 え る こ と で あ る。 しか し、『紅 楼 夢 』 は 実 は 作 者 と評 者 との 共 同 作 業 に よ っ て 生 ま れ た 作 品 で あ る 。 曹 雪 芹 と脂 硯 斎 は ほ ぼ 決 ま っ た 創 作 形 式. すな. わ ち曹 雪 芹 が 草 稿 を 修 正 ・改 定 す るた び に 、 脂 硯 斎 が 一 度 全 体 的 に 閲 評 す る とい う形 で 、 脂 評 と寄 り添 い な が ら同 時 に 書 か れ た も の で あ る 。『紅 楼 夢 』は 創 作 と評 論 ・解 説 が 同 時 に 行 わ れ る と い う独 特 の 手 法 で 生 ま れ た た め 、 脂 評 の 内 容 が い か に 作 者 に 近 い も の で あ っ た か が わ か る。 脂 評 が発 見 され る ま で 、 そ もそ も 『紅 楼 夢 』 の 作 者 が 曹 雪 芹 で あ る こ とす ら明 ら か で は な か っ た 。 当 時 の 政 治 的 状 況 に あ っ て 、 曹 雪 芹 は 小 説 全 編 を 通 して 故 意 に 読 者 を迷 わ す 手 法 を駆 使 し、 そ の 真 意 を 隠 し た か らで あ る 。. 8.
(10) 例 え ば 、 曹 雪 芹 は 第 一 回 で 「(私は)十 年 に わ た っ て 批 閲 し、 五 回 手 直 し した(批. 閲十. 載 、増 捌 五 次)」 と い うだ け で あ り、作 品 の 作 者 だ とは い わ な い 。 そ の た め 、脂 評 本 が 発 見 され る ま で 『紅 楼 夢 』 の 真 の 作 者 は 不 明 で あ っ た 。 も し、 脂 硯 斎 の 脂 評(解. 説)が. な けれ. ば 、 作 者 の こ とに 限 らず 、 小 説 の 真 の 姿 を 見 逃 して い た か も しれ な い 。23脂 評 本 の脂 評 は 作 品 の 真 の 作 者 が 誰 か とい う大 き な 謎 を解 い た だ け で な く 、 よ り正 し く、 よ り深 く作 品 を 理 解 す る方 向 に 導 い て くれ た の で あ る。 脂 評 の研 究 の 一 方 で 、 当 然 の こ と な が ら 、脂 硯 斎 と は ど うい う人 物 で あ ろ うか とい う問 題 も持 ち 上 が っ た 。 脂 硯 斎 に 関 して は 今 も多 く の謎 が 残 っ た ま ま で あ る。 諸 説 あ る が 、 曹 雪 芹 の 知 己 とす る の が 筆 者 の 考 え で あ る。 た だ し、 本 稿 は 脂 硯 斎 を め ぐ る研 究 で は な い の で こ こで は 贅 言 しな い が 、 そ れ を裏 付 け る 一 例 を 挙 げ れ ば 、 甲 戌 本 第 一 回 で 曹 雪 芹 が 一 首 書 き添 え て 題 詩 と した 後 に 、 脂 硯 斎 が 「た だ 願 わ く は 神 が 曹 雪 芹 と脂 硯 斎 と を 再 び こ の 世 に 降 誕 させ ん こ と を 。そ うな れ ば 、『紅 楼 夢 』 は何 と幸 せ な こ とで あ ろ うか(惟 慮 造 化 主 再 出 一 芹 一 脂,是IJ何. 幸)」24と 書 い て い る こ と か ら、脂 硯 斎 と曹 雪 芹 とが い か に 親 密 で あ っ. た か 、 お 互 い に 知 り尽 く した 関 係 で あ っ た か が わ か る。 次 に 、 探 逸 学 で あ る が 、 脂 評 や 前 八 十 回 の本 文 な ど か ら曹 雪 芹 の 原 意 に よ る 第 八 十 一 回 以 降 の 内容 を 推 定 す る研 究 の こ とで あ る。『紅 楼 夢 』の 第 八 十 一 回 以 降 は 全 て 散 イ 失 して 見 る こ と が で き な い が 、初 稿 ま た は そ の 一 部 は で き て い た とす る の が 今 日で は 定 説 とな っ て い る. 。 そ の 根 拠 と して 次 の 三 点 が 挙 げ. られ る。. 脂評 が最 終 回の 「 警 幻 情 榜 」 に つ い て 言 及 して い る こ と。 二. 第 八 十 一 回 以 降 の 一 部 の 題 目 が 分 か っ て い る こ と。. 三. 前 八 十 回 の 脂 評 中 に供 文 か ら の 引 用 が あ る こ と。. 以 上 の 点 か ら も 、脂 学 と探 逸 学 は 一 体 で あ る こ とが わ か る が 、 早 期 版 本 を研 究 す る際 に は 必 ず 脂 評 本 に 言 及 しな けれ ば な ら な い 。 い うま で も な く 、版 本 学 と探 逸 学 は 、 と も に 脂 硯 斎 の 評 論 と深 く 関 わ っ て い る か ら、 両 者 に介 在 す る 脂 硯 斎 とい う人 物 の 研 究 が 必 然 的 に 生 ず る。 しか も 、脂 硯 斎 以 外 に 、 写 本 に 別 の 批 注 を加 え た 複 数 の 人 物25の 存 在 も 明 らか とな っ て お り、彼 ら の批 注 も脂 学 の 対 象 と な る。. 9.
(11) ま た 、 曹 学 で は 、曹 雪 芹 の 生 涯 、 お よ び 祖 父 曹 寅(1658〜1721)の. 経 歴 を研 究 す る こ と. に よ っ て 、曹 雪 芹 が 曹 寅 か らい か な る影 響 を 受 け た か 、『紅 楼 夢 』 の 中 で そ の 影 響 が どの よ うに反 映 され て い る か 、 曹 寅 と老 荘 思 想 、 と りわ け 『荘 子 』 との 関係 な ど を 明 らか に で き れ ば 、『紅 楼 夢 』 に み られ る 『荘 子 』 の 世 界 を 読 み 解 く た め の 鍵 が 見 つ か る こ と は 間 違 い な い だ ろ う。 す で に み た よ うに 、 『紅 楼 夢 』 研 究 が 四 つ の ジ ャ ン ル に 分 か れ る と は い え 、 そ れ らは 無 関係 に 存 在 す る も の で は な い 。 周 汝 昌 は 、 版 本 の研 究 は原 本 の 文 字 や 文 体 を 回 復 し、 八 十 回 以 後 の研 究 は 原 著 の 精 神 を よ り明 確 に させ る の に有 益 で あ る と 、版 本 学 、 探 逸 学 、 脂 学 三 者 の 関係 を 概 括 して い る。. 版 本 を研 究 す る 目的 は 、 作 品 本 来 の も の に 近 づ け る こ とで あ り、 八 十 回 以 降 の 探 逸 研 究 は 、 原 著 の 全 体 の 思 想 の 輪 郭 と筋 と を 明 らか に す る た め で あ る。 しか して 、 脂 硯 斎 を 研 究 す る こ とは 、 版 本 学 ・探 逸 学 ・脂 学 の 三 者 す べ て に と っ て 非 常 に必 要 性 の あ る こ とで あ る。 研 究 《石 訣 記 》版 本,是 力 了恢 夏 作 品 的 文 字,或 者 悦̀文本';而 研 充 八 十 回 以后 的情 市, 則 是/1了 星 示 原 著 整 体 精 神 面 貌 的 基 本 給 廓 和 豚 狢 。 而 研 充 脂 硯 需,対. 三方 面 都有 扱 大. 的 必 要 性 。26. ま た 、 劉 夢 渓(1941〜)も. 四 者 の総 合 的 研 究 の 重 要 性 を 以 下 の よ うに 指 摘 して い る。. 『紅 楼 夢 』の 早 期 抄 本 とそ の 中 の 脂 批 を研 究 す る こ とは 、『紅 楼 夢 』 の 成 書 過 程 を 理 解 す る だ け で な く、 こ の 作 品 の 思 想 性 、 芸 術 表 現 の 特 徴 を 深 く理 解 す る た め に 、 重 要 な 意 義 が あ る。 研 究 《紅 楼 夢 》 早 期 抄 本 和 逮 些 抄 本 上 的 脂 批,有 近 程,対. 助 干 了 解 《釘 楼 埜 》 的 写 作 和 成 需 的. 深 入 理 解 遠 部 作 品 的 思 想 性 廣 和 芝 木 表 現 特 征,具. 有 重 要 意 又 。27. 版 本 学 ・探 逸 学 ・脂 学 ・曹 学 、 そ れ らは 相 互 に密 接 に 絡 み 合 っ て い る。 四 ジ ャ ンル の 研 究 成 果 を総 合 的 に 理 解 して は じ め て 、『紅 楼 夢 』を よ り深 く理 解 す る こ と が で き る と い う こ とで あ る が 、 そ の 中 で も筆 者 が と りわ け重 要 視 す る の が 曹 学 と脂 学 で あ る 。 作 者 の 生 ま れ 育 っ た 環 境 、 家 族 の歴 史 、 作 品 を書 い て い た こ ろ の 社 会 背 景 、 あ る い は 作 者 の 学 問 が どの 10.
(12) よ うに して 蓄 積 され 、 作 者 の 思 想 が どの よ うに 育 ま れ た か を 知 る こ とが で き な けれ ば 、 作 品 を正 し く理 解 す る こ とが で き な い か らで あ る。 た だ 、 作 者 自身 の 資 料 は ほ とん ど残 っ て お らず 、 現 存 す る わ ず か な 資 料 だ け で は 、 曹 雪 芹 の 生 涯 は み え て こ な い 。 し か し、 乏 しい 資 料 と と も に 、 版 本 の 比 較 に よ り作 者 の 創 作 時 代 を知 る こ とが で き る だ け で な く 、 現 存 の 八 十 回 の 脂 評 に よ り、 八 十 回 以 後 の 内 容 を 探 索 す る こ と も で き 、 そ れ に よ っ て 八 十 回 ま で に は 出 て こ な か っ た 作 者 の 真 意 を知 る こ とが で き る。 更 に 、 脂 評 本 の 研 究 に あ らわ れ た 曹 雪 芹 の創 作 過 程 や 心 境 を 知 る こ と が で き る だ け で な く、 脂 評 の 記 述 に よ る と 、 作 者 が 遭 遇 した で き ご と を知 り、 そ こ か ら作 者 の性 格 や 考 え 方 な ど を た ど る こ とが で き 、 作 者 自身 の 姿 を 浮 き彫 りに す る こ とが で き る だ ろ う。 そ れ らの 研 究 を総 合 的 に す る こ と が 、『紅 楼 夢 』中 に 見 え 隠 れ す る荘 子 の 思 想 の 真 の 意 味 を 解 明 す る こ とに 有 効 で あ ろ う。. 第 三節. 問題 提 起. 思 想 的 研 究 の必 要性. と こ ろ で 、 『紅 楼 夢 』 を 中 国 文 学 ・哲 学 研 究 の 対 象 と し て 世 に 問 わ れ る よ う に な っ た の は 、 王 国維 の 『紅 楼 夢 評 論 』 が き っ か け で あ る。 そ れ が 始 め て 世 に 出 た の が1904年. であ. る か ら、現 在 ま で お よ そ 百 年 の 歴 史 で あ る。す で に 述 べ た よ うに 、王 国 維 の 『紅 楼 夢 評 論 』 が 世 に 出 る ま で の 百 年 間 に 、 この 作 品 に 評 論 を 加 え る読 者 も現 れ た 。 そ の 代 表 的 人 物 と し て 周 春 と王 希 廉28が 挙 げ られ る 。 彼 ら は 主 に 随 筆 形 式 で 作 品 に 意 見 や 感 想 を 書 き 、 細 部 に わ た っ て 読 み 方 を 提 示 した り して い る が 、 作 中 の 人 物 が 実 在 の 誰 に似 て い る とか 、 どの 詩 詞 が 巧 み で あ る と か 、 そ の 多 くは 文 人 的 な 詮 索 に 終 わ っ て い る。 この 間 の 事 情 を伊 藤 漱 平 は 以 下 の よ うに概 括 して い る。. 脂 硯 斎 ら を別 とす れ ば 、周 春 の 『閲 紅 楼 夢 随 筆 』(乾 隆 五 十 九 年)が 最 も 早 く、嘉 慶 年 間 に は 無 名 氏 の 評 を 付 した 刻 本 も 現 れ た が 、道 光 十 二 年(一 八 三 二 年)に は 王 希 廉(雪 香 、 護 花 主 人)の 評 本 が 刊 行 され 世 に 行 わ れ た 。 遅 れ て 道 光 の 末 年 、 張 新 之(太 人)の. 評 本 が現 われ 、 光緒 年 間 には 「 王 本 」 に挑 蔓(梅. 伯 、 大 某 山 人)の. 平間. 評 を併 せ た. も の 、 ま た 、 王 ・銚 の評 に 張 評 を 併 せ た も の な ど、 評 本 が 盛 ん に行 わ れ た 。 これ らの うち 、 王 希 廉 の 評 に は少 し く採 る べ き 点 も あ る が 、 後 出 の 評 家 の そ れ は 多 く趣 味 的 な 詮 索 に 堕 し、 批 評 と して の 価 値 は さ ほ ど認 め が た い 。29. 11.
(13) これ ら の評 論 は 、 単 な る 感 想 、 あ る い は 趣 味 的 な 評 論 で あ り、 研 究 に は 至 っ て い な い 。 と こ ろ が 、1904年. 、 王 国 維 が 『紅 楼 夢 評 論 』 を発 表 し、 『紅 楼 夢 』 は 初 め て 文 学 ・哲 学 の. 研 究 対 象 と な っ た 。 そ こ に は 『紅 楼 夢 』 研 究 に と っ て 画 期 的 な論 点 が あ っ た 。 王 国 維 『静 庵 文 集 』 の 自序30に よ る と、 王 国 維 は シ ョー ペ ン ハ ウエ ル の 著 書 を 愛 読 し、 シ ョー ペ ンハ ウ エ ル の 哲 学 に 基 づ い て 『紅 楼 夢 評 論 』 を 書 い た と い うの が 、 斬 新 な 考 え を 示 して くれ た 。. わ が 国 民 の 精 神 は 、 世 間 的 に楽 を す る こ と 、 楽 天 的 に 生 き る こ とに あ る。 だ か ら、 そ の 精 神 を 代 表 す る戯 曲や 小 説 は 、 どれ も これ も楽 天 的 な 色 彩 を 帯 び て い る 。 悲 しい 話 で 始 ま っ て も 、 最 後 は必 ず ハ ッ ピー エ ン ド、 主 人 公 が 離 散 す る 話 で 始 ま っ て も 、 い つ しか 大 団 円 を 迎 え 、ど ん な 困 難 が あ っ て も、結 局 は 順 調 に な る とい うパ タ ー ン で あ る。 す べ て 読 者 の 気 持 ち に街 う結 果 に ほ か な ら な い 。......とこ ろ が 、『紅 楼 夢 』 は 哲 学 的 で 宇 宙 的 、 か っ 文 学 的 で あ る 。 これ は 『紅 楼 夢 』 が わ が 国 の 国 民性 に 大 い に 背 い て い る か らで あ り、 そ の 真 の価 値 も ま た こ こ に あ る 。 如 上 章 之 悦,吾. 国人 之 精 神,世. 而 不 著 此 牙 天 之 色 彩;始 贋 圓者 心,唯. 同 的 牙,牙 天 的 牙 也 。 故 代 表 其 精 神 之 戒 曲小 悦,元. 干 悲 者 葵 干 炊,始. 干 寓 者 葵 干 合,始. 臭!......,《鉦 楼 埜 》,哲 学 的 也,宇 宙 的 也,文. 以大 背 干 吾 国 人 之 精 神,而. 往. 干 困 者 終 干 亨,非 是 而 欲 学 的 也 。此 《虹 楼 埜 》 之 所. 其of値 亦 即 存 乎 此 。31. 当 時 の 、 そ して そ れ 以 前 の 中 国 小 説 は 、 ほ と ん どが 大 団 円 形 式 を とっ て 、 悲 劇 と よ べ る 作 品 は な か っ た 。 と こ ろ が 、曹 雪 芹 は 当 時 の 小 説 の 作 法 に 従 わ ず 、『紅 楼 夢 』 を あ え て 悲 劇 的 作 品 に仕 立 て あ げ た 。 中 国 人 は み な 大 な り小 な り団 円 を好 ん だ た め 、 古 い し き た り に従 う千 篇 一 律 の 文 章 を 書 い て い た 。そ ん な 中 で 、『紅 楼 夢 』 は 古 い し き た りを 打 ち破 っ た 。 そ れ は 中 国 文 学 界 で は 画 期 的 な こ と で あ り、 果 た して 中 国 文 学 史 上 ま れ に み る悲 劇 的 作 品 と な っ た の で あ る。 王 国 維 は 『紅 楼 夢 』 と歴 代 の 小 説 と の 大 き な違 い を は じ め て 見 破 り、『紅 楼 夢 』 を悲 劇 の 中 の 悲 劇 だ と断 定 し た 。 ま た 、王 国 維 は 別 の と こ ろ で 、『紅 楼 夢 』 の 徹 底 的 な 悲 劇 性 を 次 の よ うに 指 摘 して い る。. 『紅 楼 夢 』 と い う書 は 、 一 切 の 喜 劇 と正 反 対 で あ り、 徹 頭 徹 尾 、 悲 劇 で あ る。 そ の 主 旨 は 上 章 に述 べ た よ うに 、 読 者 は 知 っ て い る はず で あ る 。 主 人 公 の み な らず 、 作 中 に 12.
(14) 同 上 す る す べ て の 人 物 は 、 生 活 上 で の 欲 求 と相 関 関係 に あ り、 苦 痛 に 終 始 しな い も の が な い 。......だか ら 『紅 楼 夢 』 とい う書 は 、 徹 頭 徹 尾 、 悲 劇 で あ る 。 《鉦 楼 埜 》 一 需,与. 一 切 喜 刷 相 反,初. 既 知 之 臭 。 除 主 人 公 不 汁 外,凡 始,̲̲,故. 来 初 尾 之 悲 刷 也 。 其 大 宗 旨 如 上 章 之 所 述,旗. 此IJ中 之 人,有. 者. 与 生 活 之 欲 相 美 系 者,元 不 与 苦 痛 相 葵. 日 《虹 楼 埜 》 一 需,初1失 初 尾 的 悲 刷 也 。32. 王 国 維 は 初 め て 『紅 楼 夢 』 と、 『牡 丹 亭 』、 『長 生 殿 』、 『西 廟 記 』 な ど の 古 来 の通 俗 小 説 と を は っ き り と区 別 し、 千 人 が 千 人 同 じ顔 の よ うな 従 前 の 文 芸 作 品 とま っ た く違 う 『紅 楼 夢 』 を 特 別 の 存 在 と認 め た 。『紅 楼 夢 』 は 中 国 の 国 民 性 に 背 き 、 これ ま で 現 実 社 会 を粉 飾 し て真 相 を反 映 して こ な か っ た 中 国 文 学 作 品 の真 の 姿 を 、 徹 底 的 に 示 して くれ た とい うの で あ る。 王 国 維 は 『紅 楼 夢 評 論 』 にお い て 、『紅 楼 夢 』 を生 の 苦 痛 と そ の解 脱 へ の 道 を展 開 し た 作 品 で あ る と位 置 づ け た が 、 これ は 『紅 楼 夢 』 研 究 史 上 の 一 里 塚 とみ な され る。 も うひ とつ の 画 期 的 な 論 点 は 、 あ ま り意 味 な い 索 隠 研 究 よ り も 、 作 者 の こ と、 作 品 の 歴 史 的 背 景 に 注 目 して研 究 す べ き だ と主 張 した こ とで あ る。 そ れ 以 前 、 紅 楼 夢 』 の 登 場 人 物 を歴 史 上 の 実 在 の 人 物 に 結 び つ け よ う と し た り、 現 存 す る某 々 家 の こ と を 暗 示 した り、 あ る い は ま た 実 際 の 政 治 的 事 件 との 関 連 性 を 見 い だ そ う と し た り して 、 い わ ゆ る モ デ ル 詮 索 を す る索 隠 考 証 が 盛 ん で あ っ た 。王 国 維 は そ れ を 批 判 し、『紅 楼 夢 』 の 作 者 を考 証 す る 研 究 こ そ も っ と も有 意 義 で あ る と 、 次 の よ うに 提 言 した 。. 作 者 の 姓 名 や 創 作 の 時 期 な ど は 、 こ の 書 の 読 者 が 知 るべ き こ とで あ る。 これ は 、 主 人 公 の姓 名 よ りも っ と重 要 で あ る。 と こ ろ が 、 これ ら を考 証 す る者 が 一 人 もい な い。 こ れ は理 解 に 苦 しむ 。 『紅 楼 夢 』 は わ が 国 の美 学 上 の 唯 一 の 著 作 で あ り、 そ の 作 者 の 姓 名 、 著 書 の 年 月 は 唯 一 の 考 証 の 目的 に な る べ き で あ る. 。. 若 夫 作 者 之 姓 名,与. 作 需 之 年 月,其. 顧 元 一 人 力 之 考 証 者,此. 力 渡 此 蔀 者 所 当 知,似. 更 比主 人公 之姓 名 力尤 要 。. 則 大 不可 解 者也 。. 而 《変[楼埜 》 自足 力 我 国美 木 上 之 唯 一 大 著 述,則 当 力 唯 一 考 証 之 題 目 。33. 13. 其 作 者 之 姓 名,与. 其 著IJ之 年 月,故.
(15) こ の よ うに 王 国 維 は 繰 り返 し作 者 自身 を 考 証 す べ き だ と 呼 び か け 、 後 続 の 研 究 者 に 作 者 に 対 す る 関 心 を 喚 起 し期 待 し た 。 果 た して 王 国 維 の こ の 提 言 は 、 後 の 考 証 に基 づ く新 紅 学 を 啓 発 した 。 新 紅 学 の 唱 導 者 で あ る胡 適(1891〜1962)は 発 表 の 十 七 年 後(1921年)、. 王 国維 の こ の 研 究 を 継 承 し、『紅 楼 夢 評 論 』. 『紅 楼 夢 考 証 』 を発 表 し、 『紅 楼 夢 』 の 作 者 が 曹 雪 芹 で あ る こ. と、『紅 楼 夢 』 は 曹 雪 芹 の 自叙 伝 小 説 で あ る こ と を論 証 した の で あ る。 そ し て 、胡 適 と共 に 新 紅 学 の 基 礎 を 作 っ た 命 平 伯(1900〜1990)は1923年. に 『紅 楼 夢 緋 』 を著 して 、 八 十 一. 回 以 降 の 内 容 を推 定 す る 研 究 、 い わ ゆ る探 逸 学 の 先 鞭 を つ け た 。 以 後 、 多 く の 紅 学 学 者 に よ っ て 研 究 が 進 み 、『紅 楼 夢 』研 究 は 中 国 文 化 略 図 と し て 世 界 中 で 盛 ん に な り今 に 至 っ て い る。 と こ ろ で 、1980年. 、ア メ リカ の ウ ィ ス コ ン シ ン 大 学 で 開 催 され た 第 一 回 国 際 紅 学 会 に お. い て 、 命 平 伯 は 次 の よ うに発 言 して い る。. 『紅 楼 夢 』 は 歴 史 、 政 治 、 社 会 、 そ れ ぞ れ の 角 度 か ら研 究 す る こ と が で き ます が 、 も ち ろ ん 元 々 文 芸 の 範 晴 で 、 あ く ま で も小 説 で す 。 しか し、 そ の 思 想 性 を論 ず れ ば 、 そ れ は哲 学 に 関 す る こ とで す 。 これ は 重 要 で あ る は ず な の に 、 過 去 の 研 究 は そ の 方 面 に あ ま り触 れ て こ な か っ た よ うで す 。...̲『 紅 楼 夢 』 が 世 に 問 わ れ て か ら、 論 者 紛 々 、 それ を 「 紅 学 」 と称 す る もの の 、 そ の 核 心 は 今 な お 明 らか で は あ りませ ん し、 未 だ 正 確 な評 価 も得 られ て い ま せ ん 。 今 後 、 文 学 と哲 学 の 両 方 面 か ら研 究 が な され るべ き で し ょ う。 《虹 楼 埜 》 可 杁 房 史 、政 治 、 社 会 各 企 珀 度 来 看,但. 官 本 身 属 干 文 芝 的 萢 晴,早 寛 是 小. 悦;愴 官 的 思 想 性,又 有 美 哲 学 。遠 庖 是 主 要 的,而 迂 去 似 乎 悦 得 較 少 。̲...《 虹 楼 埜 》 行 世 以来,悦 者 紛 紛,称. 力̀紅学',而 其 核 心 イ 乃鉄 乏 明辮,亦. 未得 到 正礁 的坪イ 介。今 后 似. 庇 多 杁 文 、 哲 丙 方 加 以探 付 。34. <t平伯 が 指 摘 して い る よ うに 、 これ ま で 「 紅 学 」 の 学 者 た ち に は 『紅 楼 夢 』 の 思 想 的 探 求 に は 興 味 が な か っ た よ うだ 。 そ の た め 、 思 想 面 で の 観 点 が 見 落 と され 、 そ の 研 究 は あ ま り顧 み られ る こ と が な か っ た 。. 14.
(16) しか し、 中 国 で 初 め て 文 学 批 判 の 角 度 か ら 『紅 楼 夢 』 の 研 究 に 貢 献 し た 王 国 維 も ま た 、 「 『紅 楼 夢 』 は 哲 学 的 で あ り、 宇 宙 的 で あ る(《 鉦 楼 夢 》 哲 学 的 也,宇. 宙 的 也 。)」35と、 っ. と に 『紅 楼 夢 』 の 思 想 研 究 の 必 要 性 を 指 摘 して い た 。 「旧紅 学 」 の 王 国維 も 「 新 紅 学 」 の 余 平 伯 も 共 通 して 指 摘 す る よ うに 、 『紅 楼 夢 』 の 哲 学 思 想 を分 析 す る こ とが これ か らの 課 題 で あ る と考 え る 。 中 国 の 文 学 作 品 は 中 国 の 伝 統 的 哲 学 思 想 を基 盤 に して い る の だ か ら 、そ れ は 当 然 の こ とで あ る。『紅 楼 夢 』に つ い て 言 え ば 、 極 論 す れ ば 、 そ の 核 心 は 『荘 子 』 の 思 想 で あ る。 荘 子 の 思 想 こ そ 『紅 楼 夢 』 の 核 心 で あ る と考 え る に 至 っ た 筆 者 は 、 そ の核 心 を解 明 す る 最 も大 き な 手 か が り とな る の が 、 脂 学. 脂 硯 斎 とい う人 物 を 知 り、 残 され た 多 く の 脂 評. を深 く研 究 す る こ とで あ る と考 え る。36と こ ろ が 、『紅 楼 夢 』 研 究 で は も っ ぱ ら版 本 や 曹 家 の 考 証 が も て は や され 、 脂 評 本 を め ぐっ て創 作 過 程 や 小 説 の 題 材 、 時 代 背 景 な どを 研 究 す ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. へ. る こ とが 盛 ん で 、 脂 評 を 用 い て 小 説 全 体 の 思 想 を 明 ら か に し よ う とす る こ と、 換 言 す れ ば 脂 評 を 深 く理 解 す る こ と に よ っ て 『紅 楼 夢 』 の 思 想 的 研 究 が な され る こ とは ほ とん どな か っ た の が 現 実 で あ る 。 そ れ は 脂 評 の 位 置 づ け が 正 し く な され て い な か っ た こ と に よ る と考 え られ る。 い み じ く も鄭 遂 夫 が 「 脂 批 に よ っ て 小 説 の 独 特 の 表 現 手 法 と潜 在 的 な 思 想 を解 明 す る の は 、 脂 評 本 研 究 の 中 で 最 も重 要 な こ と で あ る」37と い う よ うに 、 脂 評 の 内容 を 詳 細 に検 討 す る こ と こ そ が 『紅 楼 夢 』 の 思 想 研 究 に とっ て 極 め て 重 要 で あ る。 脂 評 本 の 中 、 甲戌 本 と庚 辰 本 は他 の 写 本 に 比 べ て 大 量 の 脂 評 が 残 され た た め 、 最 も貴 重 な版 本 とみ な され て い る 。 そ こで 、 次 章 で は 、 甲 戌 本 と庚 辰 本 を 中 心 に 、 両 者 に み られ る 脂 評 の 位 置 づ け を 検 証 し な が ら、『紅 楼 夢 』研 究 に お け る脂 評 の 資 料 的 価 値 を 明 ら か に す る 。. 第 二章. 第一節 1927年. 『紅楼夢』研 究 にお け る脂評 の位 置づ け. 甲戌 本 に み え る脂 評 に つ い て 、 新 紅 学38の 創 始 者 胡 適 は 『脂 硯 斎 重 評 石 頭 記 』 の 転 写 本 を 入 手 した39。 こ の 写. 本 は第 一 回〜 第 八 回、第 十 三 回〜第 十 六 回、 第二 十五 回〜第 二 十八 回 の十 六 回分 しか残存 しな い も の で あ っ た が 、 第 一 回 に は 他 の 早 期 抄 本 に は 見 られ な い 脂 評 「 至 脂 硯 斎 甲戌 抄 閲 再 評 、傍 用 石 頭 記(甲 戌 の 年 に脂 硯 斎 が 書 き 写 して 再 び 評 論 を加 え た 時 も な お 、書 名 に 「 石 頭 記 」 を 用 い て い る)」 が あ っ た 。 こ こ に 記 され た 「甲戌 」(1754年)に れ を 「甲 戌 本 」 と い う。 15. 因 ん で、後世 こ.
(17) 1961年. 、そ の 影 印 本 が 『乾 隆 甲戌 本 脂 硯 斎 重 評 石 頭 記 』 と題 して 台 湾 商 務 印 書 館 か ら出. 版 され る に あ た っ て 、 胡 適 は 「 影 印 《乾 隆 甲 戌 脂 硯 需 重 坪 石 訣 記 》 的 塚 起 」 と題 す る一 文 を 寄 せ 、 甲戌 本 に つ い て 以 下 の よ うに概 括 して い る。. 私 は 甲戌 本 を 『紅 楼 夢 』最 古 の 写 本 だ と指 摘 し て き た 。そ れ は 本 文 の 前 に 四 百 字 の 「 凡 例 」 が あ る こ と、 脂 硯 斎 自 ら題 した 七 言 律 詩 が あ る こ と、 そ の 詩 の 最 後 の 一 句 に 「 字 字 を看 る に 血 な り、 十 年 辛 苦. 尋 常 な ら ざ らん 」 と あ る こ と 、 こ れ ら は通 行 の 紗 本 、. 刻 本 に は な い も の だ か ら で あ る。 こ の 写 本 に は 、 す べ て の 回 に 朱 筆 の眉 評 、 來 評 、 小 さ な 字 で 書 き 付 け られ た 評 語 が あ り、 そ れ らの 中 に は 曹 雪 芹 の 家 の 事 、 卒 年 に 関 す る こ と、 『紅 楼 夢 』 最 初 原 本 の 状 態 な ど を 知 る こ とで き る 重 用 な 資 料 が あ る 。 例 え ば 、 第十三回 【 脂 評 】に み え る 第 十 三 回 の 作 者 に原 題 は 「 秦 可 卿 淫 喪 天 香 楼 」で あ っ た が 、 【曹 雪 芹 】 が こ の 回 を完 成 した 後 、 「(秦 可 卿 を)赦. して あ げ る 」 とい う 【 脂硯斎】. の 提 言 が あ っ た の で 、 よ うや く 「 天 香 楼 の 秘 事 を 削 除 し、 原 文 よ り四 、 五 ペ ー ジ を減 ら した 」 の で あ る。 ま た 、 脂 評 に は 、 散 逸 した 後 半 の 内 容 、 あ る い は 曹 雪 芹 が 予 定 し て い た と考 え られ る 構 想 な ど を 考 証 す る の に役 に 立 つ 資 料 も少 な く な い 。 例 え ば 、 第 二十 八 回の脂 評 「 後 の 回 に は 瑛 官 と襲 人 は 共 に最 後 ま で 宝 玉 に 仕 え る 」 、 第 二 十 七 回 の脂評. 「 そ の 後 、 紅 玉 は 宝 玉 に とっ て 大 い に カ と な る」 な ど か らみ る と 、 高 鴉 の 四 十. 回続 作 はま っ た く曹雪 芹 の残稿 に基 づ くもので は なか った。 今 日ま で 甲 戌 本 よ り古 い,J'¥本は 発 見 され て お らず 、 ま た 、 甲戌 本 の 脂 評 の 量 よ り多 い 紗 本 も存 在 しな い 。 甲 戌 本 は 十 六 回 残 存 す る の み で は あ る が 、 そ の 脂 評 は 他 の す べ て の 砂 本 よ り多 い 。 今 日に 至 る ま で 、 こ の 甲戌 本 が 最 も 古 く、 か つ 最 も価 値 が 高 い 『紅 楼 夢 』 の 写 本 で あ る。 我 指 出迭 ノ ト甲戌 本 子 是 世 向 最 古 的 《鉦 楼 埜 》 写 本,前 律 侍,錯. 句 云 、"字 字 看 来 皆 是 血L,十 年 辛 苦 不 尋 常",都. 面 有"凡 例"四 百 字,有. 此 本 毎 回 有 朱 筆 眉 坪,央. 坪,小. 字 密 需,其. 自題 七 言. 是 流 行 的G%本 刻 本 所 没 有 的 。. 中 有 扱 重 要 的 資 料,可. 以考 知 曹雪 芹 的家 事. 和 他 死 的 年 月 日,可 以 考 知 《鉦 楼 埜 》最 初 稿 本 的 状 恣,如 第 十 三 回 作 者 原 題"秦 可 卿 淫 喪 天 香 楼",后. 来"姑 赦 之",オ"捌. 去 天 香 楼 事,少. 却 四 五 頁"。 坪 悟 里 迩 有 不 少 資 料,可. 以考 知 《紅 楼 埜 》后 半 部 預 定 的 皓 絢,如 云,"瑛 官 后 回 与 嚢 人 供 奉 玉 兄 宝 卿,得 同 始 終". 16.
(18) (二 十 八 回坪),如. 云"鉦 玉(小 鉦)后. 有 宝 玉 大 得 力 赴"(二. 十 七 回 坪),此. 皆可 兄 高. 鶉 鎮 作 后 四 十 回,井 没 有 雪 芹 残 稿 作 根 据 。 宜 到 今 天/1止,込. 没 有 出 現 一 部 紗 本 比 甲戌 本 更 古 的,也 迩 没 有 一 部 紗 本 上 面 的 坪 悟 有. 甲戌 本 那 広 多 的 。 甲 戌 本 墨 止 有 十 六 回,而 朱 筆 細 坪 比其 他 任 何 本 子 多 得 多 。 所 以 到 今 天 力 止,遠. ・ ↑'甲戌 本 述 是 世 向 最 古 又 最 可 宝 貴 的 《鉦 楼 埜 》 写 本 。40. 胡 適 の い うよ うに 、 甲戌 本 の 発 見 に よ っ て 、 そ こ に み え る 脂 評 か ら以 下 の こ とが 明 らか とな っ た 。. 一 二. 原 本 に最 も 近 い 版 本 は 甲戌 本 で あ る. 。. 『紅 楼 夢 』 の 成 書 に は 少 な く と も十 年 の 歳 月 を 費 や した 。. 三. 脂 評 は 散 逸 した 八 十 一 回 以 降 の 内 容 と構 想 の て が か り とな る。. 四. 通 行 して い た 高 鶉 の 四 十 回 続 作 は 曹 雪 芹 とは 無 縁 で あ る。. 五. そ れ ぞ れ の 回 の 脂 評 が 他 の 抄 本 よ り多 い 。. 甲戌 本 が 発 見 され る ま で 、 『紅 楼 夢 』の 版 本 は 程 高 本41が 通 行 して い た 。そ の 序 に 、 「『紅 楼 夢 』 の本 名 は 『石 頭 記 』 で あ り、 作 者 を 特 定 す る こ と も 、 どの よ うな 人 に よ っ て 書 か れ た も の か も わ か ら な い 。 た だ そ こ に 曹 雪 芹 氏 が 数 回 に わ た っ て 削 除 修 正 した と書 か れ て い る だ け で あ る」42と あ っ た た め 、 も と も と 『石 頭 記 』 と題 され て い た 『紅 楼 夢 』 は 曹 雪 芹 に よ っ て 手 を加 え られ た こ と は あ っ て も 、 曹 雪 芹 の 作 品 で あ る か ど うか 断 定 しが た い と考 え られ て い た 。 と こ ろ が 、 胡 適 は 甲戌 本 第 一 回 に 上 述 の 通 説 を 覆 す に 足 る 内容 の 脂 評 二 条 を 発 見 した の で あ る。 ひ とつ は 「 壬 午 除 夕,書 未 成,芹 ま だ 完 成 で き ず 、 そ の た め(曹 雪)芹. 爲 涙 尽 而 逝(壬. 午(1763年)の. は 涙 が 尽 き て 逝 っ た)」. 頭 に あ げ た 「至 脂 硯 斎 甲戌 抄 閲 再 評,傍. の 一 文 、 も うひ とつ は 、 冒. 用 石 頭 記 」 の 一 文 で あ る。 胡 適 は これ らの 二 文 か. ら以 下 の こ と を結 論 した 。. 作 者 は 曹 雪 芹 で あ る こ と。 二. 大 晦 日、本 書 は. 通 行 して い る 百 二 十 回 本 は 曹 雪 芹 の 作 品 で は な い こ と。. 17.
(19) 三. 曹 雪 芹 の 卒 年 は 壬 午 の 年 、す な わ ち 乾 隆 二 十 七 年(1763年)の. 除 夕(2月12日). で あ っ た こ と。43 四. 脂 硯 斎 は 実 在 の 人 物 で あ っ た こ と。. 五. 『紅 楼 夢 』 は 曹 雪 芹 と脂 硯 斎 との 共 同 作 業 に よ っ て 生 ま れ た も の で あ る こ と。44. 「 至 脂 硯 斎 甲戌 抄 閲 再 評 、 傍 用 石 頭 記 」 の 一 文 は 、 甲 戌 の 年 に脂 硯 斎 が 『紅 楼 夢 』 を 読 み 、 書 き 写 し、 再 び 評 論 を 加 え 、 『石 頭 記 』 を 書 名 と して 用 い る こ と に した とい う経 緯 曹 雪 芹 に よ る原 稿 執 筆 お よび 修 訂 後 に 、 脂 硯 斎 が 「 抄 閲 」 して 評 論 を加 え る と い う、 作 者 と評 者 とが 共 同 で 作 業 を進 め る創 作 ス タ イ ル で あ っ た こ と を 明 らか に して い る。 そ れ は 前 例 の な い 斬 新 な も の で あ っ た 。 さ らに 、 「 再」 と 「 伍 」 の二 文字 は 、 甲戌本 以前 、あ る い は 曹 雪 芹 が 『紅 楼 夢 』 を執 筆 し始 め た こ ろ 、 脂 硯 斎 は す で に 創 作 活 動 に参 与 し て い た こ と 、 そ し て 『石 頭 記 』 を 書 名 とす る 決 定 に 脂 硯 斎 も直 接 関 わ っ て い た こ と を物 語 っ て い る。 こ の よ うに い え ば 、 作 品 の 題 名 が 『紅 楼 夢 』 で あ る か 『石 頭 記 』 で あ る か とい う議 論 に へ. な りが ち だ が 、 そ れ は さ ほ ど重 要 で は な い 。 注 目す べ き は 、 甲 戌 本 のす べ て の 巻 首 に 「 脂 ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. ヘ. 硯 斎 重 評 石 頭 記 」 と題 され て い る こ とで あ る。. ヘ. ヘ. ヘ. へ. 「 石 頭 記 」 の 上 に 記 され た 「 脂 硯 斎重 評 」. の 五 文 字 は 、 曹 雪 芹 が 当 初 か ら脂 評 と小 説 は 一 体 で あ る と考 え た 末 に題 した 書 名 で あ る。 す な わ ち 、 この 作 品 は 出 来 上 が っ た 草 稿 を そ の つ ど脂 硯 斎 に 閲 読 ・評 論 して も らい 、 曹 雪 芹 は そ れ を承 け て さ らに 推 敲 して い た こ と、 そ の た め 、 書 名 は 「 紅 楼夢 」 で も 「 石頭 記 」 で も な く、 あ くま で 「 脂 硯 斎 重 評 石 頭 記 」 で な け れ ば な ら な い と い う曹 雪 芹 の 真 意 を 読 み 取 るべ き で あ ろ う。 と こ ろ で 、 脂 硯 斎 の 脂 評 の よ うな 評 論 は 、 『紅 楼 夢 』 に先 立 つ 『水 潜 伝 』 や 『三 国 志 演 義 』 に も み られ る。 金 聖 嘆 に よ る 『水 濡 伝 』 の 批 評 も 、 毛 宗 商 に よ る 『三 国 志 演 義 』 の 批 評 も 、 一 見 脂 評 と 同 じ よ うに 見 え る が 、 実 は ま っ た く異 質 で あ る。 金 聖 嘆 と毛 宗 商 の 評 論 は 作 者 の 死 後 に 書 か れ た も の で あ っ て 、 あ くま で 一 読 者 の 立 場 か ら加 え られ た 評 論 に と ど ま る。 す べ て 個 人 的 な コ メ ン トで あ り、 作 者 と は ま っ た く無 関 係 に 生 ま れ た も の で あ る 。 そ れ に 対 し て 、 脂 評 は 創 作 と深 く 関 わ っ て お り、彼 ら の評 論 とは 根 本 的 に違 う。45 ところが 、伊藤 漱 平 は 「 脂 硯 に よ る ほ し い ま ま な 本 文 加 筆 は な され る こ と な く、 彼 は 金 聖 嘆 ば りの 評 を施 す こ と で満 足 し、 評 者 と して の 分 際 を か な り忠 実 に 守 っ た で あ ろ う と想 像 され る。(尤. もそ の 評 も 、 個 人 的 感 傷 に 溺 れ た 嫌 い が あ り、 批 評 と して は 成 功 し な か っ 18.
(20) た が 。)」46と. 、脂 硯 斎 は 小 説 本 文 に 手 を加 え る こ と もせ ず 、 金 聖 嘆 の よ うな 個 人 的 な コ. メ ン トを加 え る こ とで 満 足 し、評 者 と して の 立 場 を守 っ て い た だ け で あ る とい う。さ ら に 、 脂評 は 「 個 人 的 感 傷 」 に 浸 っ た も の で 、 評 論 と し て さ え 成 功 して い な い と、 ま る で 脂 評 そ の も の の価 値 を否 定 して い る か の よ うで あ る。 そ もそ も 、 施 耐 庵 は 金 聖 嘆 と相 談 して 書 名 を 『水 濡 伝 』 と した の で は な い し、 羅 貫 中 も ま た 毛 宗 商 と共 に 作 品 名 を 『三 国 志 演 義 』 と決 め た わ け で は な い 。 ま して や 彼 らの 評 論 と 作 品 と は 無 関係 で あ る。 周 汝 昌 も い うよ うに 、 「 脂 硯 斎 は 『紅 楼 夢 』 の 作 者 と 同 時 代 人 で あ っ た ば か りか 、 作 者 と も 日 尼懇 の 間 柄 に あ っ た 縁 者 で あ り、 の み な らず 、脂 硯 斎 は 『紅 楼 夢 』 の 創 作 過 程 を くま な く熟 知 して い た うえ 、 み ず か ら作 者 の 執 筆 活 動 に 直 接 か か わ っ た 協 力 者 で も あ っ た 」47の だ か ら、 脂 硯 斎 は 金 聖 嘆 や 毛 宗 商 と は ま っ た く違 う。 脂 評 は 曹 雪 芹 に とっ て 『紅 楼 夢 』 の 一 部 で あ る 。 曹 雪 芹 自身 が 真 に言 お う と して い た こ と、 そ れ と な く暗 示 して い る こ とな ど、 読 者 に ヒ ン トを 与 え る も の で あ る。 要 す る に 、 脂 評 抜 き に は 作 品 を 深 く理 解 す る こ と が で き な い ば か りか 、 作 者 の 真 意 も作 品 の 背 景 も正 し く読 み 解 く こ とは で き な い 。 甲戌 本 は わ ず か 十 六 回 分 しか 残 存 して い な い が 、 豊 富 な 脂 評 が 附 せ られ て い る。 そ の 原 文 と脂 評 は 最 も 曹 雪 芹 の 原 稿 に 近 い もの で あ る か ら、 作 者 の 考 え 、 真 意 、 そ して 創 作 過 程 を反 映 して い る と理 解 して よ い 。. 第 二節. 庚 辰 本 に み え る脂 評 に つ い て. 胡 適 が 甲戌 本 『脂 硯 斎 重 評 石 頭 記 』 を入 手 した 五 年 後(1932年)、. 新紅 学 の代 表 的人 物. の ひ と りで あ るf平 伯 の 親 戚 ・徐 星 曙 は 、 北 京 の 隆 福 寺 で 甲 戌 本 と 同題 の 『脂 硯 斎 重 評 石 頭 記 』 の 抄 本 を発 見 し、 す ぐ さ ま購 入 した 。 翌1933年. 、 この こ とを知 った 胡適 が徐 邸 を. 訪 れ 、 こ の 抄 本 を 閲 覧 し て借 り出 し、 自 ら所 蔵 す る残 本 と比 較 す る と、 間 違 い な く研 究 に 値 す る こ と を 確 信 し校 勘 した 。48 全 八 冊 、 そ れ ぞ れ 十 回 か ら成 る こ の 版 本 は 、 第 五 冊 以 降 の 表 紙 に 「 庚 辰秋 定本 」 の一 文 が あ っ た こ とか ら 「 庚 辰 本 」 と呼 ば れ る。 各 冊 の 表 紙 に は 「 脂 硯 斎 凡 四 閲 評 過(脂 そ 四 回 閲 読 評 価 した も の)」 方 妥(此. 硯斎凡. の 一 文 が あ り、 第 二 冊 の 第 十 七 回 の は じめ に 「 此 回宜分 二 回. の 回 は 二 回 に 分 けれ ば よ い)」. の 批 語 が 、 ま た 、 第 七 冊 の 目次 に は 「内 鉄 六 十 四. 回 、 六 十 七 回(第 六 十 四 回 と第 六 十 七 回 は 欠)」. 19. の一 文 が あ った。.
(21) こ の 庚 辰 本 も ま た 『脂 硯 斎 重 評 石 頭 記 』 の転 写 本 の ひ とつ で 、 こ の 時 点 で は 甲 戌 本 に 次 い で 二 番 目に 古 い 写 本 で あ る。49そ して 、 胡 適 や 周 汝 昌 の考 証 ・研 究 に よ っ て 以 下 の こ と が 明 らか に され た 。50. 脂 硯 斎 は 庚 辰(1760年)ま. で に少 な く と も 四 回 は 閲 評 して い た 。. 二. 庚 辰 本 の 脂 評 の 一 部 に は 署 名 と年 代 が 記 され て い る 。. 三. 署 名 は 脂 硯(脂. 四. 梅 渓 と松 斎 の 批 語 は 各 一 条 、 い ず れ も 甲 戌 本 に あ る 場 所 も 内容 も 同 じで あ る 。51. 五. 甲戌 本 に は 一 条 しか な か っ た 崎 笏 の批 語 が 、 庚 辰 本 に は 崎 笏 に よ る と考 え られ る. 硯 斎)・. 梅 渓 ・松 斎 ・崎 笏(崎. 笏 嬰 ・崎 笏 老 人)の. 四 名 で あ る。. もの が六 十 〜七十 条 ある。 六. 甲戌 本 だ け に み られ る 脂 評 は 全 九 百 一 条 、 庚 辰 本 だ け に み られ る 脂 評 は 全 三 百 四 十 九 条 。 甲戌 本 、 庚 辰 本 共 有 の 脂 評 は 全 五 百 七 十 三 条 で あ る。. 確 か に 、 わ ず か 十 六 回 分 の 甲 戌 本 に 九 百 一 条 もの 脂 評 が あ る こ と を 思 え ば 、 七 十 八 回 分 の庚 辰 本 の 脂 評 は 、 そ の 数 だ け で み れ ば 甲戌 本 よ りは る か に 少 な い 。 し か し、 庚 辰 本 は 幸 い に して 七 十 八 回 あ る の で 、 当 然 の こ と な が ら 、 そ の 脂 評 の 総 数 は こ れ ま で 発 見 され た す べ て の 抄 本 の 中 で 最 も多 い 。 換 言 す れ ば 、 庚 辰 本 に は 他 の 抄 本 に は な い 、 庚 辰 本 だ け に み え る 貴 重 な 脂 評 が あ る とい う こ と で あ る。 た と え ば 、 第 十 二 回 に は 次 の よ うな 脂 硯 斎 の 脂 評 が あ る。. こ の 本 は 細 や か な 心 配 り を して 読 む な ら許 され る が 、 そ うで な け れ ば 、 こ の 本 が 泣 く。 こ の本 の 文 章 、 ひ とつ ひ とつ の 言 葉 の 裏 に 作 者 の 真 意 は 隠 され て い る。 と く と心 せ よ。 こ の 本 を言 葉 通 りに 読 ま な い こ と、 これ こ そ が 正 しい 読 み 方 だ 。 凡 看 需 人 杁 此 細 心 体 貼,方. 杵 休 看,否. 則,此. 需実 臭 。. 此 需 表 里 皆有 喩 也 。 規 者 泥 之!不 要 看 遠 禰 正 面,方. 是 会 看 。52. 脂 硯 斎 は 『紅 楼 夢 』 の 正 し い 読 み 方 の ヒ ン トを 読 者 に伝 え よ う と必 死 で あ る 。 脂 硯 斎 は い う、 「こ の 小 説 を 理 解 す る に は 表 の 文 字 通 りの 意 味 だ け を 取 る の で は な く 、 裏 に 隠 され て い る作 者 の 真 意 、 物 語 の 実 在 像 を 読 み 取 らな け れ ば な らな い 」 と。 す な わ ち 、 曹 雪 芹 が 20.
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