早稲田大学大学院 創造理工学研究科
博士論文審査報告書
論 文 題 目
中国中世建築技術書における設計技術に関する研究
Study of Design Technology in Mid-Century Chinese Architecture Technical Books
申 請 者
朱 寧寧
Ningning ZHU
建築学専攻・比較建築史方法研究
2012 年 7 月
日本建築史における、古代、中世、近世の歴史的画期において、中国大陸および韓半島より新 しい建築様式を導入し、その後の国内における同化過程を進めてきたことは、各々の建築様式の 比較研究によってある程度判明している。しかし、その建築様式を変革させた建築設計技術につ いては、各国における研究方法や研究資料の整備環境の違いによって、比較研究が進展している とは言い難い。
中国古典建築技術書の重要なものとして『営造法式』(1100)、『新編魯般営造正式』(1271
~1368)、『工程做法』(1733)、『営造法原』(1929)の四書があり、『営造法式』(以下『営 造』と略)と『新編魯般営造正式』(以下『新編』と略)は中世に書かれた技術書で、内容の網 羅性から特に重要なものである。また、中世は中国から周辺の国により積極的に建築様式が伝播 した時代でもある。その両書における設計技術に関する研究は中国建築史だけではなくて、特に 東アジア建築史における重要な課題だと考えられる。
これまで、中国と日本において以上の両書の読解研究が進められてきたが、建築設計技術の内 容にまで踏み込んだ比較研究を行うためには、中国の古典建築技術書が建築積算のための仕様書 的資料の集大成としての色彩が強いのに対し、日本のそれは建築設計方法に特化しているという 両者の性格の違いを踏まえる必要がある。つまり、日本における建築設計方法としての技術書研 究の成果を見通した上で、中国古典建築技術書を設計方法として読み解く研究が不可欠であると いえよう。本論文は著者が、中国および日本における建築設計技術研究の成果を統合して、建築 設計技術そのものの比較研究方法の構築を志したものである。
本論は六章に分けて、第一章では『新編』の版本について、第二章では『新編』の校勘と注釈 について、第三章では、『新編』の道具、様式、架構について、第四章では『新編』の尺法につ いて、第五章では『営造』の小木作の組物の配置について、第六章では『営造』の小木作の木割 方法の検討を通して、日本の設計技術との関係について研究している。
第一章では、『新編』の版本についてこれまで多くの研究がなされてきたが十分ではなかった ことを指摘している。その一つ、名前の考証の例として、既往の論文の中では、この本に言及す る時、『魯般営造正式』『魯班営造正式』『営造正式』『明魯般営造正式』など様々な名前が用いら れてきたが、寧波にある中国最古の書庫の天一閣で収蔵される版本では、本の表紙と本文中に『新 編魯般営造正式』という名前があり、天一閣の図書目録も同じ名前が記入されているため、正式 な名前は新編魯般営造正式であるとしている。
更に、著者は文献学と版本学をもとに、製本、組版、字体、印刷などさまざま面から考察して いる。一例として、この版本では一行の中に十五文字が彫られているが、二行だけは十六文字が あることから、この本の製作時の混乱や不完全を推測し、政府によって作られたものではなく、
元代に民間の手で作られたものと推定している。これは、著者による厳密な資料批判の成果とし て注記されよう。
第二章では、『新編』と万歴『魯班経』と崇禎『魯班経』と南工『魯班経』を互いに校勘して、
校本を作成している。明代から盛んになった『魯班経』の中に、この本と似ている内容がある。
つまり、『新編』の版本は唯一1冊だが、後の『魯班経』の版本が多く残っている。その中には、
誤字が多く含まれ、また特定の地域の伝統的大工の間にのみ伝承されている建築用語などもある ことから、多くの類似版本を通覧して、以上の三つの版本が重要であるとする著者の指摘は、着
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実な校勘作業の成果と特筆しておきたい。
第三章では、『新編』の道具、様式、架構について、建築技術の要点を整理している。一つの 例として、「真尺」という道具が『新編』と『営造』にもあるが、一方は「真尺」の長さが14尺 から15尺までと18尺、そして、中国建築の土台の中に「磉」は「礎」の下の部材としてあるが、
一方の「真尺」は「磉」の、そして他方の「真尺」は「礎」の水平を規定するという違いがあっ て、これらのことから北部地方の官式建築と南部地方の民間建築の規模の違いや構造形式の違い があることなどに言及している点は、両者成立の背景への理解として重要である。
第四章では、『新編』における魯般尺法と圧白尺法の設計技術に関する考察を行っている。『新 編』は中国南部の建築技術について記した書籍であり、「尺法」とは尺の制度、用法、法則など を指す。中国では尺法中に卜占の意味が含まれるが、魯般尺法および圧白尺法は最も一般的に見 られるもので、門と民家の架構の尺寸を決定する際に用いられる設計技術である。著者は本章に おいて、原文注釈から尺法の使用方法を解読し、具体的な寸法値を尺法にあてはめ分析し、設計 において尺法が用いられた範囲を推定している。その結果以下の二つのこと、まず一つは、魯般 尺法の八字は大吉、小吉、小凶、大凶という4つの等級を持ち、さらに八種類の門に応じて、吉 凶の結果が変化して、複雑な意味に対応できるト占になっていたこと、そしてこのことから元代 福建地方において、住宅内の門は住民の人生を占う重要な意義を持っていたことが推測できるこ と、二つ目は、魯般尺法と圧白尺法の使用方法について、『新編』の原文によると、門および民 家架構おいて、この二つの尺法を併せて用いると書かれている。しかしながら本研究の検証結果 からは、門を造る時のみに魯般尺法と圧白尺法を併せて用い、民家架構に圧白尺法だけを用いら れていることが確認できることから、このような原文に記載されている内容と実際の寸法の適用 が合致しない点、さらに、この本の「古」「今」尺法の差異の記載、尺法と他の文献の比較から、
魯般尺法は元代の福建地方の方法で、圧白尺法は外部から、伝入した方法であることを推測して いる。
第五章では、『営造』における小木作の組物の配置の設計技術に関する研究を行っている。『営 造』は中国北宋(960―1127)の時代に、建築行政の汚職を防止するために編纂されたいわゆる建 築法令書である。この本の中の小木作には組物に関する九つの小項目がある。その内の二つは室 内の造作で、他の七項目は模型的な小建築についての記述である。小木作の組物は、大木作の組 物を参照して記述されており、形式が似ているが、規模は小さい。このように、大木作は別項目 の小木作に影響を与えたと考えられるが、同様に、同時代北方民族遼、金の組物と韓半島の高麗、
日本の禅宗様組物やさらに元代の建築の組物に影響を与えたと考えられている。同起源の組物か らの様々な変遷と変化の差異についてはアジア比較建築史における意義あるテーマで、そのテー マの一環として小木作と大木作の比較研究は重要であることを著者は指摘している。この第五章 と次の第六章の2章では、小木作に記述されている組物の配置方法を明確にし、大木作の組物を 踏襲した上で、独自な特徴と工夫が見られることを検証している。原文から小木作と大木作の組 物の寸法を復元して、お互いに比較することにより、小木作の組物の寸法や工数や様式や性質な どの考察を行っている。さらに、それらの復元寸法から均等割、組物の「間隔/幅」の比、垂木 の「幅/間隔」の比、組物に対応する垂木数などの比較考察も行っている。その結果小木作では 大木作の組物を細部様式としては踏襲しているが、寸法秩序において全く同じという訳ではなく、
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同寸反覆という独自の工夫と変化がみられること、小木作の組物の材(肘木の断面の大きさ)は
大木作の1/3~1/7.5であり、構造性がなく、形式的に複雑になる傾向があり、組物の正確な均等
配置の可能性に道をひらいたことを論述しているが、これは重要な指摘である。
第六章では、『営造』小木作の木割方法に関する考察を行っている。『営造』の大木作(建築部 分)の中心的な内容において部材の寸法値は等級毎に決められた実寸値である「材分値」で計算 されているが、『営造』以外の文献の中に「材分値」で部材寸法を記述する方法は見つけられな いことから、「材分値」の設計方法は法律を確立するために一時期考案された設計方法であり、
当時一般に通用する設計方法ではなかったという従来の認識を改めて確認している。一方、『営 造』の小木作部分の設計方法は「材分値」と違って、日本の木割方法と類似の設計方法で、「一 寸」という意味は基準寸法の「1/10 倍」であり、その基準方法は全体基準、各層基準、部材基 準の3つの種類があること、全体基準について、40項目の中の、8項目は全体の広さを、2項目 は全体の長さを、2項目は全体の径を、そして轉輪經藏など多層の小建築は各層の高さを基準と していること、それ以外の 28 の項目は全体の高さを基準とすることを明らかにしている。また 部材基準について、全体の中の重要な部材を基準として、部材の髙、深、長、廣、厚などの寸法 を求めるとしている。日本の初期木割において1寸は1/10という比例的な木割記述方法は従来 日本独自な方法と考えられてきたが、中国から伝来して、『営造』の木割方法の影響を受けた可 能性について探求する必要性を、著者は提起しており、今後この点を十分論議する必要があろう。
また、小木作の部材寸法値は殆ど比例値であり、これから、寸法値は実物の実測値ではなくて、
設計する時の比例寸法値だと推測している。即ち、設計する時、実物より小さい比例図で、全体 の長、高、広を書いた後で、全体の寸法を割り出し、細部部材の寸法を求めるという設計方法と 推測している。即ち著者は、比例値は実寸より設計者の考え方を直接表現できるという考え方に ついて述べているが、この点も日中建築設計技術に関する比較研究の重要な問題提起である。
最終章では各章の考察を要約し、結論としている。
以上要するに、これまで、『営造法式』や『新編魯般営造正式』について中国では多くの研究 がなされてきたが、それらは、中国国内の建築史のための史料として研究される傾向にあった。
日本国内においても、中国古典建築技術書の研究は、設計方法にまで踏み込んだものとは言えな かった。しかし、中世当時の中国建築様式の他国への影響を考えれば、東アジア比較建築史の立 場から、尺度や技術の伝播と影響という新しい観点で、これらの資料を 改めて研究する必要が あった。本論文は、主要な中国中世建築技術書における設計方法に関し、その基本的な性格を明 らかにし、今後の東アジア比較建築史研究の進展に重要な方法的基礎を与えたものであり、その 研究成果は建築学の発展に寄与するところが大きい。よって本論文は博士(建築学)の学位論文 として相応しいものとして認める。
2012年7月 論文審査員
主査 早稲田大学理工学術院教授 工学博士(早大) 中川 武 副査 早稲田大学理工学術院教授 石山 修武 副査 早稲田大学理工学術院教授 博士(工学)(早大) 中谷 礼仁
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