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『宗教研究』季刊第1年第4輯(*102号)

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(1)

――目次――

1,

三願転入の心理,浄土仏教における日本的なものの展開,鈴木宗忠,Sōchū SUZUKI,pp.1-19.

2,

本仏実在を中心とせる統融的宗教,日蓮聖人の宗教「観心本尊抄」の再認識,山川智応,Chiō

YAMAKAWA,pp.20-40.

3,

神道における宗教性の史的検討,溝口駒造,Komazō MIZOGUCHI,pp.41-54.

4,

日本における基督教と他宗教との関係,比屋根安定,Antei HIYANE,pp.55-69.

5,

浄土教の神祇思想,竹園賢了,Kenryō TAKEZONO,pp.70-96.

6,

古代における神の観念,肥後和男,Kazuo HIGO,pp.97-117.

7,

寧楽仏教と高麗朝の仏教,大屋徳城,Tokuzyō ŌYA,pp.118-143.

8,

法親王考,賜姓制度より法親王制への推移,平田俊春,Toshiharu HIRATA,pp.144-162.

9,

鎌倉幕府の対僧兵政策,石清水八幡宮対興福寺の抗争を中心として,森克己,Katsumi MORI,pp.163-185.

10,

親鸞伝絵の成立に関する問題,藤原猶雪,Yūsetsu FUJIWARA,pp.186-251.

11,

切支丹禁教考,桜井匡,Masashi SAKURAI,pp.252-266.

12,

旧キリシタンの秘書「御らっしょ」,田北耕也,Kōya TAGITA,pp.267-293.

13,

聖書和訳の先駆者カール・ギュツラフ,高谷道男,Micho TAKAYA,pp.294-322.

14,

季刊宗教研究第1年総目次,pp.323-328.

Posted in 1939

(昭和14)年

(2)

考へることであ

へる。 佛 教は印度

印度数とほ 興 り、

右 に印度的な色彩 の 染みつくことを免れることが出来なかった。

日本に 禾 ると、

夫 はぬ い 、寧ろ

がある。この 意

ることが田本 る 。

それほ道徳的な

三顧

入の心理

鈴木

宗忠

(3)

三 顧蒋 入の心理 ものでほあるが、同時に 亦 宗教的な 那 的なものを捨て ム 、日本的なもの なものを滅却しないで、却ってこれ 察は 、その 軌軸を佛数 に置くにして らぬ。我人は浄土 佛数 に於ける日本 我國 に懐来した 佛教は、 主として 佛教 がある。然し我々は 今ヒ ムでは を 斥 け 、支那的ぬものを捨て ム、如 から 出葮 する。法然の浄土宗も日本 本師ぬものと 云ふ 難から見ると、 そ 土 真宗は、純粋に日本的なものであ 的なものとして、日本に出たもので 支那的 残津 のある法然の浄土宗がら だ げに、無論直接にぼ支那に由来す 真宗を明にする薦めにほ

我々は 支 浄土 佛教は 、支那に於てほ、三流

き、印度的なものを斥け、

の本来の性格である世界的

げる日本的なもの

ム考

締着すると云はなけれ

ばぬ

するのである。

、それに

封立

する聖道門の

なものとして、印度的ぬもの

の海士真宏

法殊

の浄土一ボ

に支那的な

残浮

がある。

れに比較すると、親鸞の浄

云っても、初めから日本

に火難性に充ちた。従って

れが支那的

津を保持する

来する。故に親鸞の浄土

必要がある。

がそれである。乙の申で、

632

(4)

Ⅰ し

@@

ア @. し

もむ 月 " " 。

ま @

レ Ⅰ であることは 疑は れない。

ほ尭づ 法然に行き、それから支那へ行ったが、 み ︶

特 三 顧軸 入の心理 薦めに、我々 で 問題にぬる 顧みるであらう。 流が、 共に浄土 てほ 、三流に相 流は、 乙の手段 一 一 宮 に長 い問 、師 の 初に宮るが、 ないが、それは 善導流である。 セ 世紀の中頃に ら道 綿を 脛て、 承は績 めた。 げ 浮上 佛教を狽立 のが 圭口導 の苦土圭

(5)

0 倍金 は 、意業を 四 ちの沙汰 し 申さ て 念の心をさと 一流でほ、浄土へ ほ 一致する。それ 。阿 藤陀沸き念 象 として冥想に る 。それは 念佛 い た文の女に 、 別の子細 候はす ﹂ 上 へ往生する 仕 あって、 念佛 でほ ほ 低いと 云ふま やその重きを 置 想 の 實 現を指し 語で云ひ 表すと、 634

(6)

も 、その重きを 置 である。 と表ふに、私見

や 善導流の念 佛 るからである。 とば、 確に印度 、一言に 云へぽ、 陀佛を封象 として、 のである。印度は れた静閑 虔 に行く

想に 、冥想的色 のでほなから ぅか 。 に 就いて見るに、 つくことを免れる とする浄土 佛数 に 窩 しても、全く同様である。 これが 念佛で 五 三顧 韓 入の心理

(7)

三願睡 入の心理 ""'" Ⅰ ; Ⅹ @ 、 阿禰陀 佛を見、 尋ねると、この て 、善業を積ん

生 思想としては、 修業に依って 、 業は その所期に 、来世にほ煩悩 於てほ、割合に 方 佛の浄土とを

となるものは、 ねらぬ。 げれど 佛を 蟻食し、 こ 生が 諸行往生の 二つの思想があ 想は 、一一つが 出 としては完成し 636

(8)

れば 決して 念佛 三顧 韓 入の心理 七 印度の浄土 佛数 に 思想が分離して、 教である。 窯 遠流 これを 判漸 するこ それは決して 諸 が阿禰陀佛を 念す 於ては、この二つの 別々な流派を形成し が 念佛 往生の浄土 佛 とが出来る。然しこ 行 を捨てるもので ぬ るのに、倍金に依る 浄土往生の思想が混 た 。 即 ち 蓋 遠流 は諸 教 であることほ、そ の 流は 観念を主とず い ことは疑はれない のを見ても、推測す 在して 行 往生 れが阿 るとは 。久慈 るに 難

、一一つの往生

は、

慈悠流

とほ

、こ

がある。残し 言 すれ ば 、小経 からである。 たど ことである。 ぼ 、どんな悪 い行 宏な佛の特定 ね浮 、諸行がこれに

(9)

な印度人から 見

に 於ては、浄土 土佛数 に反映し した﹁三百ふ めほ 、この意味に外ならぬ。

% 分温帯に 屡 想の方面でも、 でも、何れも 皆

那 胸気風を葮 露 三顧 韓 入の心理 を捨てるもので低い 已 意業に重きを置くもの なかつた。 然るに善導流の浄土 ほ、それが 阿禰陀佛を 食するのに・情念に依 陀 佛を冥想の封 象 とす 諸行往生を捨てた代り 佛教は 、印度的色 冥想の封 象 とする ることはしない。 ることと止めたの に、 念佛 往生を強 色彩を脱却したと 云 ふ め

土佛教 とほ 興 り、佛を に 於てほ 、 確にそれは 阿 る 意味に於ては、それは 佛 往生は、慧遠流の浄土 玉 / 想 的なものであり、身口意三業から一百ふと、 にしても、印度的色彩を腕することほ出来 638

(10)

後の慈

悠流

の倍金の

気風には、ぴったり

、彼等にほ

適宮

である。

の上から

ふと、彼の二

南無阿

禰陀佛と

唱へる

%

願心

であるが、これ

ぐして、気楽な信心

観喜

依っては、功利的であるとも考へられる。

かと

ふに、大小雨

尤も小脛に・

ま、レ

﹁ 名號を

に、

其の前に現在す﹂と

乙の執持者

號は

稀者とは

であるから、それほ

とも経典としては、それ

善の三幅九品も、下品

三顧

入の心理

に 依る限り、印度の浄土 佛教は 、既述の 執持して、⋮⋮一心不 軋 なれば、其の人 めるから、これは 稗名 の 念佛 であるや ぅ 思はれない。更にこ ム の所を梵文で見る 名 の 念佛 でほなくして、確に観念の念 佛 ほ観 無量 寺脛 である。勿論観経 ち 、表面 三生を除いては、何れも替親 佛 である。 九

である。けれどもかや

難澁

な冥想

するとは

云へ

ねい。等しく何

%

陀佛

を含

この要求に

じて現れて来たものが。

流は

意業の念

であるが、此の一流は口

だげ

低くして、それには三心が肝要

確に意業であるから・観念でないとは

である。それは

實際

的であり、見せうに

泄度 したものが、

(11)

三顧 韓 入の心理 一 O 、 實に稀者の 念 、 栴名 の 念佛を で 撰述せられ だ 質から見ても、 浄土三部経の の観経をそのま れるが、恐らく 、浄土 佛教が實 に 、 禰 陀の誓願に 来 ないとせられ 。尤も悟 念 の 念 その意味 は 含ま 、諸行往生に依 れは極めて 實際 ゑ 0 食 佛や、悟 640

(12)

念 の 念佛 を打ふことが出来ないもので とが出来るとせられた。 印ち 下品上生 逆 十悪の人が救はれる。但し観経 に於 からである。 榊名 の 念佛 でも、既述 の 必要である。三心 は 信心に体ならぬ。 て 、極悪の罪人が救 は れると 云 ふのは を 唱へるそうになると、それ等の罪は こまで来ると、 實際 的なものであり、 この 實際 的な善導流の念 佛を籠承し しく 榊 名倉佛を中心とするけれども、 主義である。 鉄 るに法然のそれは、 少 を 稲毛とする限りに於てほ、それも 襯 表 に出して居る槻がある。第二、善導 傾向がある。然るに法然は第十八願を って居る。 こ れを 選揮 本願とするのは 宗となった。成程善導流の稀名倉 佛も 巨額 縛 入の心理 に 依って浄土へ往生するこ

げに は 行かない。観経に 於 低くして、それには三心が なれば、これは信心を訣 く が救はね 、下品下生でほ 五 心を起し、南無阿 禰陀佛 味 である。浄土 佛数 も 、こ 手取り早いものでほ低いか。

、浄土 佛教 としては、 等 浄土 佛数 は 、 明に観経中心 絆を同等親する。尤も念 佛 かと 云 へぼ、それは大経を するには 親 脛を中心とする となく、全く大絆の上に立

然 に至って完全な 猫立 興 り、少くともその意気込 一一

(13)

網、

んま で ある。これに は全 あると云っても 差 見ても判る。 先づ 出たものであるが 九四 修 土色。かや つ 味に於てほ、それ 云 へぼ、法然の俘 の基礎となるに上 って・臨終の後 は 業を積め ぽ 、善果 、印度の思想であ 鱒 としてほ日本的な 支 ない。如何してそ 表現の上から 云 ふと これを強く主張し に 考へると、法然の は 支那的である。 吹 土佛教は、 信に基 く まり、その 宮鱒を云 、末末 に 於て、極楽 が 得られる、従って る 。浄土 佛教 がこの れが支那的であるかと ものが現れないわけでは 云 安心は三心であり、 起 たのほ善導である︵ 選揮 浄土 佛教は 、表現の上で に 内容に就いて考へると、 行 である。これに於てほ 、 へぼ、何 % までも行であ 浄土へ往生しょうとする。 人間界の我力 も 、功徳に 印度の思想に 塞 いて磁土 に 展開した。 たとは 云 へ、 猶 かった。 三顧 軸 入の心理 了一

佛教 の 猫 五宗と 杉

。けれども善導

(14)

労力を出せ は それに 恕 する ほ 、支那的である。親鸞の か て、親鸞は行を抹殺して る 。親鸞も二心を軽んする ない。法然の信 は 、 念 僻村 、 念佛行 を抜ぎにした、 そ も 、 念 僻村が低いわ け で は 念 僻村である。乙の行をす 念 僻村である。然るに親鸞 諭 その由来を尋ねると、 そ して、 果 文の乃至一念をき 鸞の行の正絹である。私が ぼ禰陀 の 興 へる行であるか ある。法然の念 佛は 、支那 り 、その勢力 は 微弱である 報酬があると 云ふ 功利的な支那的気風 浄土質 宗は 、法然の浄土宗から出た げ 信 を強化した。法然の信 は、 既に述 わ け で は ないが、これを内容とする 信 0 基礎となるに止まるが故に、その 宗 肌 自身で 僚 値を有する信である、故に たいが、法然のそれと ほ興 る。法然の れば 、それに因って往生が出来ると 云 0 行 は 、第十八願に 基く念併 行でほ な れば 第十八願から 導末 せられたもので つ かげとして、 禰 陀の廻向に辿り若き、 これを廻向付 と栴 するの ほ 、 禰陀 の 廻 ら 。そこに は 自力的ね、従って功利的 胸気風を承けて、 實際 的ではあっても、 ことを免れないから、 功 果の直に現れ 一一一一 極めて 實際 的で

(15)

と云 め そ 的で 箕際 思想 全く ノつい が

れソ ︶ 風土 日本的特質 は ・一言に 云 へぼ、現質的である。 が陰 上ヒ 校 すると、 較であるの は、四方に 何れかと 云 、日本から それがない。 が、かの 気 あるのに射 的であるか 札 とぼ一致 つても、 決 る乙 佛教 そ の ほな 往生の浄土 であるから、 生の宗教で する。 三顧 韓 入の心理 一四 644

(16)

肌は長を長とす

那の思想に於て るが薦めに、これ 三 顧軽 入の心理 一五 0 。これの 葮 した も のほ家族の長で 時 的であって 、 ある。故に支那 思 るが、天孫民族の ものは、共に家族

た天孫民族の性

に 、道徳や政治に限ら・

ることなく、そこか と 支那思想との乙の相蓮は何れに由来するか るが、その根本ば寧ろ民族性の相違に 基 ぐの 想を求める。 た父 それは印度のそれの やう に く、 飽くまでも 現 寛に腰を据へると 云ふ 意味 、冥想に耽ることな に於て、 現實 的であ らは宗教 は 勿論のこ と 云 ふに、私見に依 ではなか、 しワか 。 支

としないが、 日

(17)

一 ノⅠ

の 長に 封 ﹂ -9 る離 0 に天孫民族の家

ある。寧ろ適切

である。故に日

、その根木は 、

のが、寧ろ適切

思想の特質であ

その根底

主義であり、 個

に 於ては、利己 であるが。日本に在って ほ 、滅私奉公である。 その根底にほ 功 その根底には浅利主義がある。

、たど ロ に 南

土 往生が出来る

的残 淫を保持す

であるから、 没 646

(18)

すると 云ふ のであ

親鸞が浄土 佛教 外面的にほ 営時

浄土 異 流の批判 襲 派を革新して、 象 となった浄土 異 説から廻向付設 と

々 は 親鸞の宗教の かぬ。何故なれ ば るが、親鸞の浄土 からである。これ であるから、 念佛 れば、 彼に在って 實と 見てよから ぅ 。 であるが、私見に だ はつきりして 居 一七

(19)

三顧韓人の心理 なかったと思ふので & は Q 。第二、 聚の位に 佳し 、臨終を待つまでも 成就するとは考へなかつな やぅ で 本 、これに は 未だ刊本 は な い ︶。 浄土 佛数 が法然に依って日本に 最早や印度的色彩は見られなかつ 親鸞の浮上層 宗 である。然らぼこ なものであらうか。 佛教は印雙に としての存在樺を主張した。この の 一種類若くは一階段ではあ ろ が 我々も天上界に生れることが出来 に異流 に届する。 佛 教本来の思想 言 すれば現在に於て理想を鞍現 す 起った浄土 佛数 は・印度的色彩に 佛 となったが、現在に於て理想を せられて、それがやっと 實 現する が となったときには、それに は 粋 に日本的なものとしたのが、 性格から見ると、果して如何 は 興り、初めから世界的 は もの とする浄土 佛教は、 田 ょり 大来

れば 善業を横め げ 、人間界の 末の思想から見ると、それは 確 まムで 成僻 することである。 換

性格である。生天の思想から 胸 気風に 薫ん ぜられて、 栴 名 倉 末 なかった。日本的特質に陶冶

め が起るときに、即行往生で、 一八 信心の起るときに、直に正宏 彼は碩 極 的に往生の業が午至に

惑 智 に 始まる︵浄土支類集 篤 64S

(20)

三顧 睡 入の心理 一九 ると、浄土 佛数 に 浄土 佛 数の中に じ / 。 レ

(21)

而し 目抄 ﹂ 、師は

開 尊ハ、五

な に

」 あ の

心 の 聖 - 最 木 が 人 主 奪 あ の 要

佛實在

,日蓮聖人の宗教﹁観心木曾

の 再認識 11l

ⅠⅠ ノ

旦日

中心とぜる

献酌

宗教

二 O

(22)

を 目 院 さ で あ れ 抄 要 史 に そ や あ る 、 し 」 せ 師 訪 ガ,し

る だ 、 茶 た て 所 が 木 薙 が 足

詮 、 多 ほ ら る を 師 師 「

篤 の の 本 一 い さ そ か 貧 念 ひ 、 の の

三千

しむ れ等 る ム 抄 」

るにの聖 所論 一 こ

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し 遇 一 %; 貧 ら 室 つ 炒 れ 成 た の し た 師 孝女 力 ざ と @ ま 利、 な 下色 じ ウま

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の時 今成 宗 に 師 顧 教 本 ぉ 本 と 多 2 法 の 川 の す を な 本 論 と 日 る 排 か 籠 に し, 、 と す つ と お ほ こ る た ィ 可 い 瀋 L

ろ も の 等 て た 等 つ あ の ほ の も も る で 、 支 佛 の

も は 土 橋 教 で、

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りと 抄 」 中川 て る で ら 耳塵 鮎乃 菩薩 他 し 三 干に某 世 の 精堅 ノ實籠ハ 至 所願 ノ 二尊ニ と かひ 、木椀・ く 傍系の思想で - 、 優陀那 日揮 師 行者 ノ 色心し等 シテ 、無始 ノ古佛 本化を以て、凡夫 、外部における本 や、信念の篤 堅一 といへるを以て 、 ぬ る

ると

@

ゆ ﹂ のは、天台の一念 し 、 彼の日蓮宗近 ひ 、またはコ本奪 を要せす、﹁開目 行尊

。我等 ガ 己心 ノ

(23)

一一一一 本佛貨在 を申心とせる 統融的 宗教 、私 ぼそぼ 佛 するに 封 して 淡 し 、 他の人 口ひ 残して席を たれた。 数年間出て 接言 の影響と圭 することほ 出 ン 、五字 ノ内 公用金 ノ 成王 ふが 如き意味 その中の佛・ だから、 穐 Ⅰ 見れば、その 師 のいほ ろム 如 所 を 穿 は ヲ ニ 釆 な 張 ゐ 起 々

(24)

木抄が 、聖人の

き 、 圓浦 に統 融 本佛實 在を中心とせる 統融的 宗教 一一一一一 @ で か 教 乙 偶 今 あ す 堅 れ 故 然 年 る る 者 は 村 こ は と 時 の お 上, の レ ) 耳 @dl @.. " も 専 陽 国 は 、 目 ふ 精 暦 蓮 四 聖

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く 身 る 4% せ Ⅰ の に ヰヱ で 封 ど あ し い

と ==i か 己 詮 。 ) 亡ユ Ⅹ 力、

(25)

のとの、三方 朝一の意味にお において感得し

の 参考論文の 一

通いた位である 。だが、今度、 めてその雄大に 佛 の一念三千 法

統馳 せられ、 こ

し律井ムる領

﹁開目抄﹂の 報

とができたであ らうにと、甚だ遺憾に堪へないのである。 で 本佛實 在を中心とせる 統融的 宗教 具足したる、預言的宗教を建設せられたもの あることに、今更ながらに驚いたのであった。 二四 654

(26)

本佛實在 を申心とせる 統融的 宗教 二五 るのでな い 0 輝 に 約すれば 虹

奪は法身なりと の著 ﹁綱要正議﹂ 一千なることを 詮 、衆生法 は 一往 し 、 一 ・ 理膿 無芸・ 一

妙を取らす 、 、コ故 成道 時 、 栴

消する、 謂 ゆる ﹂の 各虚 に説いて しても、その己心

それであり、 随 本門の行者はそ 己心木曾 L とも・

(27)

行人ならざるも 五字 法縛段

在ること、

門己

ず、

右し 木佛の 師

教 堅の立脚 瞭に 論ぜられて 一は 凡夫 又

ぼた行

一差

約 要用しに 心を逸して 二

・ 己

低木 佛 中心を存 本館に寄せて 親 誤解ぜしむる 要

じて、

木佛實在 れば 、また莞爾

佛及び行者にば 、 "

所襯ノ 兵法 口の 木鯛 箕在 を申心とせる 統融的 宗教 二六 ノ

(28)

本佛實 在を中心とせる 統融的 宗教 二七

己心の能 槻を、 と い 先

オこ

ン 円 果 過 大

上妻

識べ些

の ニ 妄

-"/

フ " 金 波 斯

「 的 蓮 に 聖、 機 苦 モ ら 一 屋 角 ド に た 想、

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づ - 一 百 Ⅰ i ラ @ @: @ 舟 L 三万 ゅ識 の 一 : - 寸土 ・ @ 要 な Q も ・

(29)

である。 また 優陀那 甘輝 師は 、その﹁本尊抄略 要 ﹂に るものとして

﹁ 本述 日月 燈

のである 0 師は

本佛實

在を中心とせる

統融的

宗教

一一

/ @ ヘ

せられ、流通

、末代幼稚

皓ガ

恵市ニ倍率

老師の如く

、こ

・ 一

﹁本尊

L

雨抄

、木椀

箕在の

不敏となり終るで

三千の眞

理を

汎紳教的

教義を

奪抄

﹂の末文の

予知・一念

出で来うないの

6% 囲

(30)

己心 ヲ観ジテ 細に

﹁木曾

してあるが、 佛 子 といふ、凡夫の たのに対し、正宗 徳 を堅 げ 、つぎに 所異 なりとするこ 、我等の凡 心に れ 不た 信 すべから る、コ我ガ 己心

て佛 界を否定し、

の答

者の答 は、三 信 難解は営 然 な 佛の眼目、三世諦 脛の大 浬繋海よ

﹁掘立

義純﹂ 本佛實 在を中心とせる親潮

宗教

二九

(31)

本佛箕 在を中心とせる 統融的 宗教 三 O

名ク しの 文 、 丼

て 、さて此等の 経揮を 網結して、

蓮華経 ノ 五字

ノ 因果 ノ 功徳 ヲ 譲り興 ヘタ マフ﹂ ハ 波羅蜜自然 在 前

果 具足の唯一秒

ノ澤貧ハ 我等 ガ

は 、 澤奪 ・多賀

恭也。 其ノ跡ヲ

持諜興は、 行じ 印行先 克阿縛多

ノ 一二ん 力ニシテ、

本化が、我等 己

を 以て我が己心 ある。 660

(32)

は行者の己心に 顕 要義﹂﹁一念三一 のゴ 己心 ニに亙ら 譲 興の前提のな い る 。況して流通 蓮華経 ノ 五字、井

決して 門我 典 となる所以 は、 を 神力品の別行厨

、 本佛 架上の 明かに、四十五

チ 法界 佛身 二合 節シ、ホ タ行者 ノ所観ニ約ス レバ、 則チ法界 行 るのであるから、 レ佛智 所見 ノ 寛和

れ 故に﹁綱要 正 ぬ るのである。 本佛實 在を中心とせる 統 磁的宗教 一一一一

(33)

本佛實 在を中心とせる 統融的 宗教 一一一一一 教主 輝奪 本有 つて、木曾の 因 ぎ 、 襯 金打ねら の一 。三千具足 三

心の義でない。

とすることを んとして。﹁本尊 心ノ 一念一二千 ヲ額 意ト穏ス ・ 一と襯 立石トシ、 妙脛 身木椀, 一 思想の べきことで、 師 超越的の木 佛實 そうな、 % 超越 られたものでは、決してな い のである。 662

(34)

一一一一一一 木椀 實 在を中心とせる 統融的 宗教 庁令に百 界 予知 ルモ無益 也 目と 、 ノ佛 種二 非ズン 木椀の国行典徳 佛 架上一念三千の 説かれ、傍ら題目 四 さらぼ 日蓮聖人の宗教 所詮の宗教は 、 前に示せ なる 實 現質践の宗教とを 主たる 所明は 、まことに て 額 れたる 木佛 架上の 一 傍ら既に木 抄 の 額葮 まで されざるコ本門の戒壇 L はいかなるものかと ぃ へ るが如く。 一 。超越的なるⅠ : 圓浦 に統 融 具足したる 如来滅後第四の五百歳ま 念 三千、印 ち 木門親心の に弘められたる門木門の を 密程 せられてゐる 、三 小佛實 在を中心とし ゲ 、預言的宗教口を閲 ぼ 、聖人が始めてそ で未だ 額 れす、第五 法門を以て 暉 せられ 題目 L を、上付 所 博 大秘法王 傍 億題 其稚 0 本懐 を題は されたる、この﹁観心木曾 抄 ﹂ ﹂、普通的なる内在内襯の宗教と、儀表的 呵 せられて わ るのである 0 そして此の抄の の 五百歳において、 脛 澤の預言の如く始め たる㍉本門の木曾 L を 額は さる ム にあって 、 の法 ぞと開題し、且つ 本抄 にもいまだ題は 0 本 典 なのである。

(35)

つぎに 本佛實 在を中心とすると か 足 れ本 佛随 甘煮の已講の 法 、ばりと 詮 を 嬰げても、弓末代 ノ 凡夫出生シテ

の 中心は、如来 詩 景品の 本佛實在に めて無始の十界互具・西井予知・ の 庁令 に ﹁法華経﹂を ぃ はれてゐ @.Q 更に正宗 分 に入っても、また重ね ﹁普賢 脛 ﹂の国行 某徳 具足の女も

﹁ 者 と本尊との 感凪 の 根接を 明された 此ノ 五字 ヲ 受持スレ バ 、白飲二 役ノ 難信 難解の正法ぞと示すに 、

夫 己心に 佛 界を潜在する 澄 也 ・ 一 とある。その﹁法華経﹂ 界 との五典 圓敵 が立ち、はじ

たるところであるから、 此 な い 。

なりと説かれ、﹁ 無 鼠講経﹂ れたもので、だから 輔いよ行 蓮華経 ノ 五字二具足 ス 。我等 本佛 の国行 果徳を 、妙法五字 以 て 珠 心 を 本佛實 在を中心とせる 統融的 宗教 序 ・ 正 いても あるこ かなる 以て木 ・流通に 亙 りて、一貫して 所明 正宗に番いても、 却て 明かに 否 とは、 俳 家の通論であるが、 明 意味でも、法行 的 ,潮合的の襯 貧を樺 するにあることど肯定せ 三四 となってゐるが、凡夫 己 ㏄ 走 せられて ぬ るのである。 かに本盆の流通のみあっ 心の流通 は 一句もない。 ねぼならぬ。

(36)

本佛實 在を中心とせる 統融的 宗教 一一一五

ほ 成立しない。 更 らるム儀表とし なけれ ば、 此の 受持 譲興 の 根按は全軟 成立し低いのである。 而して つ ぎの四十五字の法 鉢は、 末末二モ 生ゼ 二極 ノ 世間 他 , 一 妄の三災四劫に の 在庫の本門八口 叩 菩薩に付属して、 奪も存在しないの である。 帝二 二段を詮 か 一釜といふものを 三谷もなく、 コ佛 水門の末法 穣 五五説かれてゐるところに、﹁ 法華経﹂の預言、

(37)

あ れ ば 、それ 等ガ 血肉 也 、 因

五 本佛實 在を中心とせる 統融的 宗教 甘 一エ ハ の 澤に依り、 聖 といふ思想も 、 、 佛 滅後正像 一 へす 、今や末法 佛 の 實在 を預 想 のであり、更に して め られる 如 てほ 、無償 値に 五字 ノ内ニ此ノ とあって、 本佛實在に蹄納 せられてゐる。 666

(38)

上付 荻守

貧に るので ロ蔭 界

、し ノ因 心夫 斗ヒ 實在 に統 融 せられて ぬ るのである。 のみならす 、 アラン 老ハ、 則チ 為レ 我人 ビ多實佛ヲ 供養 シ ・ フケ 澤 ノ 功徳 プ 更待 ス L

世に を 心と せれば 本佛實 在を中心とせる 統融的 宗教 三七 至亦復 、 諸 迦 ・ 多賓 ・ 流布して、 して、此の ならない 筈 ハ 、我等 ガ 収 まり、 迩 ある。だか なりとある かし、それ 果ノ 功徳 ヲ る ・観念 修 、 門 我等 ガ 己心 ノ

(39)

の 末 に の 宙 民 各 我 を 三 る で

心の受木質

己法

、 、 一族白箸

囲 の 末

詮千

かで十社

内 の 大 持 佛 の 宇 用 法 る あ 弗 内 本 導 金 本 望 、 我 の ム る ほ 親 札 木 持 誓 本 闘 と に 縁 無 す 教 の 化 弘 願 佛 争 し 封 し 始 る ほ 切 土 持 を と ・ て し に の が 、 徳

行 ず 以 聖 主 君 て 徳 丸 、 本

ま、

菩薩 るな て我 なる 義棚 よ

つて 界 は 櫨始 外 の ら が 本 争 闘 要 、 自 水 慈 部 凪 は 晢 法 ・ 詮 法 は か 佛 の じ ら ほ 受 身 金 一 女 る 木 本 れ の は

飛 岡 今 の 本 れ 界 が 工 廣 で

、 教 令 ぁ か あ

くる

糊 す 融

の れ 的

宗教

珪 」

-,

Ⅱ示教

ゴ、キ

| は 三 佛 毎宰 ユ エ の

の 受 芽 ; そ与 敦 す に る

し が """ じ 続 き 商女 る せ の ら で れ ぁ

る の で あ る 。 / Ⅰ 668

(40)

法 ・衆生法の

がある。 三九 本佛實 在を中心とせる 統融的 宗教 以上の如く﹁親心木曾 抄 ﹂ ほ 、超越的な 融 せる。預言的宗教を題示せられたるもの 佛教 の本来の教義に基くのである。

現實 践の宗教とを 統 、﹁法華経﹂乃至大乗 ま が 先 古 た 如 輩 本 き の 妙 佛 、 如 梨 資 本 く 在 佛 老 健 の へ 教 超 本 、 等 越 化 後 の

を を 祀 よ て 申 軽 ま り 彼 心 覗 た て の と す は 出 征 し る 久 現 ら

ブ芝菅苦旨

れ は 観 れ 唱 に た 題

せ て 日 天 成 ら 正 経 法 て れ し 両 の て い 師 大 史 ゐ 實 の 導 持

譲興

るの 践實 如き 師

ある

であ 現 ほ を

唱導 る 木 日 之 べ 。 ら 薄 柿 し ほ 聖 た と い 入 る 妄 。 の 回 想 す 再 薄 し な 来 聖 た

又 現 調 車 @. ま

佛陀

實践 だの に我 の と 等 の 宗 濫 行 預

實 在を中心として

(41)

念の封境として、世界的に一,本門の本尊 L と

人の宗教を構成して め るのである。 して。内在の宗 國籠的ニ 。本門 見 して聖人の ム示 たからであらう。 げるが如く 、明 れて わるのである。 法實 と心法 妙と あら、 澄 道中心に依るのであり、 であり、行道中心に依るのである。 あるから、 本 四 O 本佛實在 を申心とせる 統融的 宗教 あり、 教 道中心に依るのであり、 6 ア 0

(42)

0 % 々 の 實 の に ね

上通

、 無も在認

用のとめ服薬

着る祀

道 ゆが十分

面 にのみ

る 。我々

に 、 巨敬 一 け珂

の事實 其 其盧に屡

つて 國膿

る匝別襯

る 0 此の 神道 に 於ける宗教性の史的検討 四一

神道に於ける宗教性

史的検討

f

。 圭

m

(43)

祀道 にかける宗教性の史的検討 的であるが、併し総ての神道 は皆 、悠久の古 かれてゐるものであり、而も所謂 る 教派坤道 とに於て 、 斯かる 直別は 堅間的に意味をなさ 族の宗教であったことに一致し、文宗教堅約 ら共 史的 葮達 過程に若 服 して窮されね ば なら ある。 一線上の存在であるが如くに考へた。 即 ち ると信じだ。そして現代の粗 漫 な潮祭 者も亦 上の或る 時難 までの 眞 實を指してゐるであら まム性合生活の軌 條 として現し守られた 頃は 一 % 高度な文化 祀 含の中に、理論的成形を 共 れは、共の後、時と共に平行線形から移行 代 の神通竪者 等が、 果して神道を宗教として 生活と密接な交渉を持っては進んでゐない。 示教の胎から 磯 生してゐるものであることに 論 についても言へる事であるが、併しそれに

︶の事實を堅 詮理 其のそうに考へ信じ ぅ 。即ち曾て祀に 封 恐らくさ ぅ でもあっ 見た頃にば 、 二︶と して、次第に多聞 状 襯食 して ね たか否か 勿論既述の如く 國民 宰ひぼ ない。そして も 開はらす、時代の も亦、所謂 代から日本民族の申 四二 る國髄祀 ない。寧ろ根源に遡 には 現實 にせよボ教で ね 。そして此の場合 672

(44)

・も。 ぼな 歴 坤道 @ Ⅱ 、、 - 部の 光づ 共の所 らぬ。 史的に 観 て に於てほ、 霞 即ち天照 神道に 於 謂 0 , 神道 が、 二︶に 桶 一 、最も明かに 榔迫に理 既に宗教的な立場を離 生二所要人 祀宮御 銀座 ぼる宗教性の史的検討 論 が興 へ 脱して枚 次第 記 ・

主流を為しだ度合

に 遡れば、神通 五

勢 二所太神宮

實基緩

四三 豫め 判明認識してか ム ら れ

差違に注目しな

迫の正しき

んとするに

つて

國民 に本質的な 人的 究克 理想を 根 ざしだ特殊な 的に 卸依 信仰を固

行った。印ち

共の信仰を固

政治及び倫理の

(45)

﹁ 接 , 残悪

に蹄 ることに

明の便宜の震

奉る目木・特殊 である。 自 ・御領 |、て目 ︶ レ

天業 - ﹂︵ 費基 紀 ︶する所以であるとし、また

,大業一明,

﹂︵ 御 鎮座本紀︶ 天 本 座 の に 實 方笘 ト 祀道に 於ける宗教性の史的検討 四四

れ等の典籍は相 刀

では 顕著たる 陰

機悪 浄化性を説 いて、

(46)

千木ば 印

﹁ 實 基本紀,一に 月廻 二四洲ハ難 レ邸 六台 づ須レ邸 正直頭 ニ 説小 してゐるものでめる。

留め うム

あって 、

後の唯一

を本 じ守

法要 集 ・ 一

混在しだ

たもので

日 めないと

るもので

の 迫でめ 祀道に 於ける宗教性の史的検討 四五 と

こ Ⅰ & り と 「 記 「 饗 宴 目 し 異 義 し

(47)

神道 に 於ける宗教性の史的検討 市川ト山 ハ るから 儒 禅道の三教を要 せ すと主張しつ ム も。

華 を増益するた

の 岡家 哲雙 、 ま

観れば、 沖迫を したもの九ヒ 本 へるであらう。 祀る 理営 心地神

のであるが、 そ 封 側面に於て そ

一 神通であった

克 し、共の日 ら

る 。総出 が 其の であるが、 彼れ

謝 し、更に 祀迫 結語しだ。是に 槻 がある。

たものである て見られるが、 626

(48)

﹁ ら 事に ど まづ さしあ ぬやう にど き切って、 あって 、な 此 五尺のか こまでも 忠 沖道に於 たり、面友の 、身よ り か へぼ 、 子たるものには, 観 に 孝 なれと 天 亡からどこまでも、 げ がしあなどらぬそうに・ もち そ 乙なは ぬ 9 ムしみ守る﹂︵神道大土色 ほ 其の後立には が舞 れや ぅ が 、 萬の神の下座に げる宗教性の史的検討 0% より下 そうに、 乙 めの天の祀 よ 列なり、 君 上 よ の し 四

モ護丁

をり

天 賜 の ふ り し 神 魂 奉 賜 の を り p:j 『 る 賜 國 御 棚 下 を 忠、 家 玉 レ 「 ゲ乙 な と た を 感ぜしめるが、 被 れが 祀 迫の主要 枯訃 としてゐるところ ぼ、 類 、綾を求め ラ 。闇斎の門流 意 ・一にも、軸に 迫を雙修 ぜんとする老の諒むべき 寄 として 経典化されてゐ の祀 迫雙者 真野 日本的道徳精神

(49)

で も っ 道 を 為 れ き を に ぁ 道 ヰ任 て 徳 低 に た も そ 十 日 銭 り し 「

大つ」可く

「 ね 白 9 級

本のの分木

む て 、天孫降臨の御時に さし賜へ

心を大御 神道 に於 ゆる宗教性の史的検討 四八

丑児 前 7 ﹂

っ た こと に 看取し得るのである。

て、 新し

の後に生

志したが

な俗 宗教たらしめんとする一派を強く 斥 げだ。

観 胸囲 民

頗 "0 異 、 な

然の迫で 人間の作り上げた通でも低く

悠へ 賜ふ

(50)

所知看しげる大御國の道﹂ れば畢尭 ﹁天皇の天下しろしめす 迫 ﹂で あ

乃ち 室長の此の定義に従 ふ なら ぼ 、神道とぼ 國

斯くの如くにして、現に常時の民衆が 、 神に 向

辿

充足

'@" リ t-

研 ぼ ならぬ。 一 " 一 四九 ぼる宗教性の史的検討 紳道に於 心として、 抽 ・ である。故にそ でユー 臣民 ま つろ ひて 、お さとして、怒し 家 統治の大患で 活から遊離しっ つて何を宗教的 った 江戸時代 坤 俺を強め上げる 果せしめる上に 痕跡的である。 みを見ると ぎ、 った 神道を見得 究 要件でなけれ

(51)

貧困の底にあっ

紳道 に船ぼる宗教性の史的検討 五 O 後には一 % そ ㏄ す

典 して、人間の たぼ生命の根源 も 共鳴者を輩出 近接せしめて、 ぐ % 胤 によって る

げる活躍時代 民衆のそれと 共

犬ぜ,は %,J 女共 庭 に動 、儒教も堅者の 分 等の中に神の手 た 。これらの 民 祀合 救済の至 念

(52)

てば、四月二十三日の合議に於て 祀道 にかけ ろ 宗教性の史的検討 五一 了っだが、明治 札 た公議所に 於 皇 構内宗門復古神通御足 被 柳川俣 事

佃佛適鯨 俊之 斐者 秋収用 候 偽者万苦 候車

諸制度の復九を

民の統一的・信教だらしめんとするにあろ

ボ教

性を

性を確認したのは實に明治政府であ っ

んとする方策

して明白に宗教

ずして、

祀含

此の鮎から 幣て 甚だ注目ずべ

@ とであ

ヮ が。

ぬめ

最深部から

ぬ識

階級に向

の多

いの

であった

こ ﹁

(53)

とが 辞 宮の近衛

に 祭神問題の紛

を 認めることは、 分界の詮の記載

事務章程 並に、 まだ之に 伐 る 教 在らしめ、外教 ぬ る。 共 後の公文 樺面に於 げる表示を互ると、

教 ﹂とい び、必 のも共の類例で たもので、同月 戦死者の薮魂祭 を京都東山に初 二 入り、 祀儒 ス 。へ、 ン 公 ・譲の席上でぼ 榔適 にかけ ろ 宗教性の史的検討 五二

、現在貧地上二施スノ 逝果テ 如何 682

(54)

じ ・ 請叩つ 位置に在らしめようとする志向 はらす時の政治情勢の推移は 、 祀道に 於ける宗教性の史的検討 を 持って ぬ たことを建議 苦が 再び神道を宗教から分離する 五二一 不快と不便とを 感 の時に七仏ほ主務 明治政府に依る 此 いが、明治九年二月 ふ 伺 詳を提出した。 神道の宗教性を肯定 何物 タルヲ辮知 セザ ぃふ 理由で、神通 者 其の建議者中には、 三輪 虫九綱 等の名が 0% 適 宗教化の工作が 篆 げられたの の事實として、神官 某 、教導職 某か すると之に対して教部省からの指令 し だのである。それで斯かる 伺詳を ル ﹂者であるが、それに対して政府 申の有志から﹁坤道八宗旨 ニ非 ザル 大教正三輸出荷用、 樺 大教正飯田武 見られるのである。其の明治九年二 ほ 、いつ 造 ら教部省に に は ﹁ 伺 2 差出した 者 までが神道 ノ妃戒 ﹂が 卿 、同坂出 月は、 恰も を 極限とするかの的確 た 時日 は 知られてゐ な 対 して﹁神道も亦宗旨と 可 , 相 心得︵ 哉 ﹂とい 通 ﹂とあつだ。つまり主務官 鮭 として公式に は ﹁ 素ョリ吾ガ祀道ノ 何物タル、マタぁ一木ロ日 ソ を 宗教の範 嶋に 於て見るのは何事であるかと 同月十四日 附で軸 通事務局 宛に 提出せられ、 芳 、中教正吉岡徳明、同本居豊 穎 、 樺少 教正 前年の春に﹁ 祀佛各宗 合併して 教院 を相立て

じ 頃であった。

八年の頃 沢でよ の つ 去作。

免 れ、長く幸穂 大航奉祀式ロ に

(55)

祀清 に 政策にまで 明 目今、沖 甘 @ ヱ八︵ 心 上上 9 プの 手に於て再 び 政策であった を 離れて抽象 た 。斯くして として残され 置いたが、 結 的 活躍性のな は 宗教であっ を 歩んだこと 角に 於て 、鎌 手 柑を行じだ を 正しく秩序 な 刺戟が 何盧 於ける宗教性の史的検討 旺四 一十四日に内務省から 葮 せられた乙第 セ號達 は

C

グ @ し

孝文 そ Ⅰ 迫 硯

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目付 あら ゥ ︵一五・一一・五︶ む 。 マ 4

(56)

上ヒ

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船 首 て 宗 す に だ 太 は 倖 倖 げ 年

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く て 的 教 て モ 後 ぜ 重 も め に の 来 ハ 0 口 す 要

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そ 得 ; 冊 佛 教 、 教 に 憶ら 時

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る の 日 の 倖 の 及 教 確 某 木 が 迫 他 し と に 孜 軽 @ あ も の Ⅱ出 立 ヒ 倖 市 モモ 信徒 船 る あ 異 宗 等 道 基 げ な る 宗 教 他 的 各 @ 恩

宗教

力らぽる基

数と が減 宗教 へ 軽 、 新 撰 ん と で 倖 五 ら 教 そ く 濁 だ が あ 適 五 く 日 し メく

几一 の 巧 拙 軽 か 係 命 面 の 教 来 る す じ 神道 に 固 が 各 問 る て @,j; こ 就 布 そ 数 題 か

日本に

げろ基督

(57)

正土 ハ 日本に於ける基督教と他宗教との 窩係

い 0 同じ 弱頸の

時の某各教徒 は

各 教の是認 且 : る 。 W, かる 某軽敦 ぬ木 ふ刑撰 さ行ばれ、 これを 解揮 しょ

して他宗教を非 して 祀宗的 口吻を以て 某軽 教を非難した。 几 りと思ふ な 。

律法、預言者と 席医 在住。ハウ ロ は 、

、 ﹁アテネ 人よ 。

るほどに 一 ・知ら

らに示さん﹂と、

基督教が他宗教

木の如く他宗教 686

(58)

基督教を奉する 者として、以下の如くに私考してゐる。 るが、木居室 ば ﹁ か ザ 。 ﹂︵上︶ 叩原 的にば無血論 あるが、神と か み ﹂が短縮して しこみ﹂︵畏み︶ にて、語原的に ぼ 、基督教から 備比 六 % 祀 、 天 : Q0 ﹁ 坤 ﹂は﹁ 隠 詮を立てた。 隠 ある。日本民族 耀 として、予が 最も興味を感するものは﹁ 隠身 ﹂である。 日本に 於 ぼる基督教と他宗教との 聞係 五七

(59)

五八 日本に於ける基督教と他宗教との 開俸

恥甘

こ ・ @.@ @ ﹂

それが大御中主神にて在し給ふ。

高大の原になりませる神の御名 は 、入御中主

月 - Ⅹ

両人 原 に所生ます坤の名を天御中立 奪と日ふ ﹂ @ 乙

督 教の 硬 襯から考へて望ましさ解陣 に繍 ると、 天 祀 、吹に 高 御産 詳細・一ぼ、天地 記してある。午 に、天御中主神 日本古代研究者 御中主神 は 天地 カミは、 古の御 さらでも五ぱ・ ア、 をカ ことは 云ふ 風土記 L の三香 をも 岬と栴 した。 に於て、 又 唯一 り祀 なして﹂、 して 隠身 なる 禧 ゴム、 何盧 かに 唯

(60)

日本に 於 ひる基督教と他宗教との 開係 五九

あス U ﹂と。更けに㏄ 先 なる

その神

らす、

︶・︶の神

帝室 で へやぅ 。

の限

人と。 も 祀智と を 知るべ 御用某日 省が示す 何 % を祭 て 、 祀拝 以降に至 石ン・ @ そ用 めると 云 りの 佃い 名づ け老 し,キう,め 3

﹁古事記二の﹁

御中主神、南郷

、天地よりも

(61)

上 ハハⅡ レ 日本に於ける基督教と他宗教との 辞係

記してゐる。 午

那 の 某杏教 の 倖 ﹂と記しだの ば ・ ホ 止であったム比 四 で

ぼ、 人み ぬ Ⅲ甘の 一 " ソて

ありて後に成る。

の 先に有りしこ

事を論ずるに 至 人は上帝に生ぜ

くである。

於て特に天 御

信仰を主張した のは、頗る注目に便する。 篤 胤の唯一 % 教が、

ぽ 、日本にかけ

りましぎ﹂神に

。平田篤胤が 支

目 ・天道遡源, 一 690

(62)

、その著書コ神魂 十 し 、全知全能にして

著すところ、日本 る某 軒数徒の神 甲的

り、

彼も亦 未督敦に ならないと主張し、

説教の中に

﹁ こ

のを離れ給ふこと 遠 又 その 商 なり口と

教は儒 孜 である

研究されね ば なら

認められる。支那 より 葮達

し、

天は特 種 夫の呼栴を附し、

とを以て最も重要 想 であっだ。孔子の 日本に

ぼる基督教と他宗教との 閥係 要ぬ に 於て、この宇宙を造った大勢 能 あり、 完全無紋 で + 鷺 な と 咄へ だ。 一 ,大迫遡源しば 支 にても 酸 さ翻刻せられ、中村敬宇が 訓艶 を旅 知識 は、 王に早人道 湖源 L に養はれて・三百 へ 影響されて天文御中主一 % 孜を主張し、基督 自ら 栴 して 眞 天主教。 c 徴 し、某 軽教は儂 天主 れ人をして神を尋ねしめ、或 は 探りて見出ず からす。 我らほ 祀の中に生き、動ぎまだ在る へるが如し﹂と 詮孜 , し が、 殊に 束 汗の思想や文化が再吟味されん と ね 。 某軽 孜から見て、儒教の特色ば五倫五常 の 古代思想に於て最も題署ぜるものな 、 天に 別 なる宗教的対象と化し、天子 は 毎歳冬至の 上帝・女人、皇天、亜大上帝、 安 天上帝、 維 としだ。孔子 は 儒教の祀 と栴 せられるが、 孔 思想 は 、 實践 道徳のみに終るが如く展さ解さ 上 ト一 ノ

(63)

エマ一一 ノ に人格的意識 ぁ ちぎる事、天が 治息 であっ 支那思想の宗教的基礎 は 祭天にあった。 大祀 於 ,交野相 祭り、大孝を巾 ると、支那系統 ﹁玉串犠牲 菜盛 混入して ね た。 っ て ね た。後世 白で、支那系統 の天 崇拝 は 永らく 儲 ぼって ね た。 直なるものと す 、思慮に渉ら 6 ソ 2

(64)

物の簸、故に人

に事ふる所以で

候 ⋮⋮天を御 敵

してのみ 解 絆さ 儒教も亦基督教 と交渉するとこ ら 甚だ緊密である。 一十歳前後から、 るに至った。その

ほう けだるもの

しな ほ ざるを 芽

事に庶 するを 、 父母に 封 する 孝

生出ること、 父 % 示の化育しだま さてまた儒道ぼす

しりて典令をそ 日本に於ける基督教と他宗教との 繍係 エ 八三 ノ

(65)

日本に於ける 某 背教と他宗教と力 甜係 二八四

く 中江藤樹に至

に コ生 9 が,小見・ 八

同一であると 考

あり、二十七歳

薬は 吉利 支丹の

。藤樹の弟子 能

りぼ 上手なり。 と警 古しだ。 古

浅薄なる 佛教

掘樺ム冊六 しあった

印度民族の初期

々を信じ、同じ

て 呼ぼれたのか。 z7 タ J

(66)

、人類の上に置

に 遍満し 、 殊に

佛数 に於て 、俺 に 外ならない 0 佛 我の神に紳が現在

神我 同一輪であ

祀教は 受肉して、 れるのに、 佛教だ 内部に於て神性を 成佛 といふも 、要 、 佛 教を斯く解離する者である。 又 極めて少数な

ほ、 最も至難す その赦免を講 ふ

部に祀な 接見ぜ 自 力を揮って 我 日本に 於は 6 基督教と他宗教との 脇係 エ 八エ 止

(67)

日本に於ける基督教と他宗教との 諦係 る 者が

我に 尭 の 悟了でなく・ 現れて来た。 こ する要を見ない じ 来る。それは 無量 蒔姪目 その 、何百個・十年に の 辿るべきもの ぬ る。基盤 教的 陀佛は、 實に 掘 て

阿禰陀佛の 大衆にとりて、 ぼ 、我等は何 % へ 行かぬ ぼ ならぬか。 き ⋮⋮言は肉 と 真理とにて 浦 6 タ な

(68)

居られない。基督信徒 は 、基督が世界の暦の 事に、 深く感謝する。更に基督が三十館 年の 實を 知り、その意義を認めて、大いに感奮 す はれるが、 阿禰陀佛が 基督と甚だ異なれる 事 術 的に表現して妙趣津々たるものほあるま い と 死とであると、斯う 某 倍数 は佛教を老,ヘ "Q 如

入 考へて大過,ばいであ、 リ ラ。 の冊 々・を崇拝したギリシャの 汗府 0 ア ナ を 敬 ふ 心の篤ぎを見る。われ 汝 らが 井む D け 櫨を見出しだり。然れ ば我

汝 らが知らす し 暗示に宮んだ言葉 は 、ギリシャ人の宗教のみ ﹁知らざる祀に﹂祭壇を築いてゐる。緩に でなく、人の如何なる能力を蓋しても知られ く相 巽二 る 別個の存在なるからである。 紳は が、 人ば有限者である。斯くの如く 、神 と 人 に葮 達しても 猶は 且つ

祀を知り得るに至ら 日本に 於 げる基督教と他宗教との 擁係 に 博通ぜんとするや、 を見つつ迫を過ぐる て 拝む所のものを 汝 ならす、如何なる 民 祀は、 知られざるも ざるものである。何 水連的存在であるが、 との同州 は 、分立的 ない。然るに人が 紳 エ 八七 る。 歴史的存在を閲して 上に明かなる存在を 佛 数番宗の間に を注目せね ば ならぬ。 が 、その中心に歴史 。某 各 教と 佛孜 との

(69)

史 であるが、 紳

る 外側になくて、 天地 萬 有の創造

十字架に於て 我 、一七、一八︶。

児だり。寅に 父 来れるなり。 末 給ふ。 こ 化が 、 日本に於ける基督教と他宗教との 閲係 に ち ギリシャ人のみならす凡ての人々 、世界到る所に散在してゐる。何と ,ば からでめる。一切の被進物 に 於て 、人 般 宗教史が成立し得るわ げぼ 、人類の ぼ、 人の方から進んで沖を知り得ると がこれに接し得るといふ 惹味 に外なら 創迫さ荻 だにせ よ、 に ﹂と記した 祭 坤の前に 、 空しく手を 上 八八 ば 、﹁ % 安を敬ふ心の篤き れば、 人は神によりて創造 が 曲物の 銭長と栴 せら﹂なる 中 に沖の像が在るからであ い ,二月外でなく、沖の方 か 扶 ねて 什む外 ばだ ぃ 。 698

(70)

き 最後の目的地 ほ 特殊啓示 更 にのみある。 としてぼ・ 最 なり、 佛数 に各 と 以外の考方が思 俘 れでほ日本の精 に 見るか、 こ れを ない。 紳 であるが、 時代にほ、耶蘇合 日本従来の由かを 守ったのも、武士 には、戦場に 於げ 撃 の 寄 興を得た 宗教との 開係

の範 圏外であるから、この遇にて 摘 筆する。 六九 日本に於ける基督教と他宗教との 闘係

(71)

イ弗 : しだ 教士 一 、 序 二 、祀の概念 三 、 祀佛相 窩の略述 五 ・ 豊 如の親鸞 博細と祀砥 ばぬ 想 存 俺の榔 舐 思想 モ、結 教 渡来してよりその帆脚 観的 性質 が、 途に鎌倉時代に至って本地 垂 の 常識となって ね た。本地垂泣 説 祀佛召 合の歴史を織り出 でこの思想が 紳佛相開のぁ

一ボ

あって、 佛教 には幾多の

竹園

賢了

ぽ土

教の

祀砥

思想

浄土教の神祇思想

ヒ - じ 700

(72)

簡明な教を蕊 い て民衆を教化した浄土教 は禰 流れたる神祇の問題に 封 して耳を塞ぐことは ぬ 苦悶を抱かぬ ぼ ならなかった。小小論では づこの問題の根 祇 となる我が國の榔に就いて な い 。 一

、 我が民族の宗教信仰を理解するに重要 あるが、これを明らかにすることは、室長 が とども 皆 あたらす 叩 には漢字﹁ 迦微 ﹂﹁可児﹂等の文字を宮てた ︵ 鑑 ︶の略︵忌部五通Ⅰかがみの略︵契沖Ⅰ 噛 ﹂︵明旦︶と かひ ︵谷川士 清 ︶ 、 更に﹁ ミ ﹂は﹁

ひは ﹁ 力 ﹂は 美 , 榊 、﹁ ミ ﹂ は 身の意にて﹁ か 仝︶。

︶。 さ 。 ロほ 熊のこと至言 目ふが 、一般に善いも ぼ 主教の神祇思想 な 意義を持つもので が 、その 田 Ⅲ 圭笘は 地口 通 むの 意 ︵大圏陵王︶ 、 ヒ しの 軸 化で﹁ 力 、 、、 ﹂ ぐ はしき 身 ﹂といふ のに は 有用恩恵の意 七一 の一 として南都北嶺 随一佛の信仰にその 許されなかった。 そ 未完成ながらこの博 一ミロしなければなら

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