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(1)

東邦亜鉛対州鉱業所のカドミウム汚染 137

東邦亜鉛対州鉱業所のカドミウム汚染

−企業内部告発文書−

岩松繁俊

1

人類が,核戦争によってのみならず,文明の支柱とされる産業の地球汚染 によってさえ,滅亡する危険性にさらされているとの認識は,いまや世界的 に共通の認識となった。

いうまでもなく,それらの危険性は,人類以外の外敵によってではなく,

人類のなかの愚かな部分によって醸成されたのである。とりわけ, 高度経 済成長〝を至上としてGNP拡大に狂奔してきたわが国の巨大資本とそれに 結びついた政府の責任は重大である。いまや,わが国では,銅,水銀,カド ミウム,批素,炭化水素,窒素酸化物,硫黄酸化物,鉛,一政化炭素,化学 農薬,放射能,PCBなどが,人体はいうにおよばず,全生物,水,空気,

土壌にいたるまで,すべてを絶望的ともいえるほどに汚染し,日本はまさに 公害列島〝 として全世界にその名を知られるにいたった。

公害〝先進国日本は,ポール・アーリック教授(スタンフォード大学)

が指摘するように,炭鉱における有毒ガス発生を最初に知らせるカナリアと おなじく,環境破壊による人類滅亡を最初に知らせる先導者の役割をはたし ているというべきであろう。

飲む水,食う食物,吸う空気一一そのいずれにも全生物を滅ぼしてゆく毒 がはいっている。1972年6月,固連人間環境会議のあとスウェーデンを訪れ た日本人にたいして,スウェーデンのひとびとが,「東京では日本人はガス マスクをつけて街を歩いているのですか」と質問した1)ということは, 公 告〝先進国口木の先導者的役割を世界中のひとびとが公認していることの結 果といってもさしつかえないであろう。

(2)

このように,世界中のきびしい目をもはやごまかすべくもない天下周知の

、汚染列島グとなりはてたわが国の多くの高度汚染地域のなかでとくに,西 の果て,羽

w

t:に近い海に位置する長崎県対応におけるカドミウム汚染につい て,拙稿はシリーズ的にとりあげることとしたい。

わたしが拙稿の執筆をおもいたったのは,

1 9 7 4

5

1 0

日,長崎県議会公 害対策特別委員会の証人尋問を

1 ) J

ID~( したときであった。そのときから若干の 資料をあつめはじめ,それらをひとつの論稿にまとめる洋的はできたのであ るが,ほとんど同時に学内においてあかるみにでてきた医学部、不正入試事 件グの調査のために

6

か月もの長期間にわたり,精力をそがなければなら なくなり,本稿への若手はまったくさまたげられてきた。

1'1誌の本来の目的は,

* : f s

亜鉛対州鉱業所の周辺地域へのカドミウム汚染 の実態を中心に,会社の汚染応iぽ工作,監督官庁の会社にたいする姿勢など,

汚染にかんする資本制大企業と官庁の基本的なありかたがいかなるものであ るかを明らかにすることであるD しかし,この目的を達するための第一段階 として,わたしは,とりあえず,汚染をめぐってなされた各程の調査や報告 の文吉をできるだけ詳細・只体的に把握することに限定したし可。これらの調 査や文書の内容の要旨は,そのときそのときの時点で,新聞が事実関係の解 説をつけて報道してきた。したがって,注芯ぷかい新聞読者は,対馬・束邦 亜鉛のカドミウム汚染とそのばくろ,イタイイタイ病忠者の苦しみと発見と いうー述の事件の流れについては,熟知しているところであるo しかし,来 邦亜鉛株式会社や官庁などの報告書の内容を原文のまま知る機会は,一般に はあたえられていない。本稿は,まず正確・具体的に事実を把握することが,

科学的に思考し判断し批判し建設してゆくための第一の陪槻であるとの立場 にたって,入手しえた資料のうちからひとつだけを,紙面のゆるすかぎり,

詳細に紹介してゆくこととしたい。

空間的ならびに時間的制約のために,本稿では,できるかぎりわたし自身 の解説や見解を省略し, 、原資料をして語らしめるグという方法をとらざる をえなかった。これらの原資料を、公害グ反対の立脚点からどのようにかん がえ意義づけるべきか,ということについてまでふみ乙むべき余裕を本稿は

(3)

東邦亜鉛対州鉱業所のカドミウム汚染

1 3 9  

も っ て い な いO こ の 資 料 の 提 示 が , 考 察 し 熟 慮 し 何 ら か の 実 践 へ ふ み だ そ う と す る に あ た っ て の さ さ や か な ひ と つ の 契 機 と な る こ と を 願 う の み で あ るo

注1) NHK 社会部縮『日本公害地図第二版~ , 

1 9 7 3

, 

.4

なお,国連人間環境会議は,

1 9 7 2

6

5日より 1 6

日まで,ストックホノレムで 開催され,人間環境宣言のほか,百数十項目からなる環境保全勧告を採択した。

この会議にたいする日本政府の消極的態度は,随所にあらわれていたが,政府 首席代表大石環境庁長官の演説にたいする政府首脳の司

l i

屯は,政府の公害問題へ のとりくみの真剣さの欠如を如実にしめすひとつの亨例である。

この訓電は,

1 9 7 2

6

5

日外務大臣発の「極秘

J r

至急」電報であるが,そ の内容は日本政府の「公害」にたいする基本姿

5 3

を正直にさらけだしている。

2

回人間環境会誌の日本開催を,この段階で表明することは,わが国がいわ ゆる公害先進国であるという思いイメージをさらに印象づけることにもつながる おそれがあること,わが国のl3iW~ 問題に対する杭極的な姿勢は 1096 という高率の 拠出により十分同際的な評価がえられると考えられる乙と,さらに釘2回の

D

日他 についてはまだ確たる見通しのないことから, 1~1l1L口才なきことながら〔如才ない ことでしょうが),発言を行なわないこととされたいo1/ 

( r

毎日新

n

J 1 9 7 2 .   6 . 1 1 . )  

乙の言I¥ffiについては,大石首席代表自身が、外務省は出先の町卦を十分竿:1i.Jiせ ずに司

l i

令を

m

す。今のような現実の国際立識のない事務的な外交では,日本は立 遅れるばかりだ。グ(

r

毎日」向上) ,町

F ' W

を長

o

らない若い役人がさ;:類を作って,

そのままハンコをついて司

l i

令を出すようなことでは困る。もっと海外駐在の経験 があり,国際的なことがわかる人が訓令を!日すようになればいい。グ

r

朝日」

1 9 7 2 .   6 .   7 . )

と批判したほどであるが,との訓屯のもつ芯味は,

r

毎日」がそ

の解説で批判しているように,自民党内にある可らさらしだから!:1

12

回国際会議 招致はやめろヘ、乙れ以上恥はさらさないでくれグという戸のあからさまな表現 であり,、公主ダンピング日本グにたいする世界各国の非 l~tをさけ,政坊行政の 立遅れの宍1~や公告にむしばまれつつある経済大国の断面をきびしい 4世界の

目グからそらしたいとの卑劣なな図の表明といってよいであろう。

なお,乙の囚述主催の会誌に対抗して, ili民団体が自主的 lζ辺自する守人民広 場かが同じ

5

日からスタートし,また各国専門家によるも大同会議'は

1

日から,

(4)

国連とスウェーデン政府の日用で設けられた ~Wと抗広iJY も 5 日から,

i l i

氏サイ ドで反戦とむすびつけたエコサイド反対を主要テーマにひらかれた乙とは,周知 のとおりである。

対馬の鉱山の歴史は

1 3 0 0

年の古=にさかのぼるO しかも,それは銀山として 活動を開始した。

r

日本吉:紀』治第二卜九によれば,白瓜

3

年(紀元

6 7 4

年)

つしまのくにのみとともちのかみ しぬみのみやっとおほくに

3

7

日 , 対 応 国 司 守 忍 海 治 大 国 が 天 武 天 皇 に こ の 地 で

m

した

しろがね この〈に たて吏つ

銀を献上したO そのとき,国司は「銀始めて当国l

l H

でたりO 即ち貢上る」

しλかね やま左の〈に

といったというO 日本吉:紀は,これに注釈をくわえて, 1 " 凡 そ 銀 の 倭 国

み か れ と と ご と く も ろ も ろ あ ま 「 和 み く に つ か み

に有ることは,初めて此の時に出えたりD

l

乙 諸 の や

1 1

抵 に

あ宣ね せ う き り かみつかたまへっき主みたち

奉るO 亦 周 く 小 錦 よ り 以 上 の 大 夫 等 に 賜 ふAノ。」と記しているO 松根・

か ね

哀河内の銀の元坑が,銀採掘の中心地であったというD そのとき以来,掘川 天皇の長治元年

( 1 1 0 4

年)までの

4 3 0

年聞に,毎年

3 3 0

キロの銀を産出したD

その産出高は,徳川家光のころ(1

650‑1710

年の

6 0

年間)最高となり,同時 に鉛も産出することとなった。明治時代,古い廃石から亜鉛鉱を採取した数 年をのぞけば,ほとんど休山状態にはいり,多数の権利者による分散所有の 時代がつづくが幻,

1 9 4 0

7

月,京邦亜鉛の前身,日本亜鉛が樫根地区およ び近くの鉱区を買収した3)。この会社が,翌

1 9 4 1

(昭和

1 6 )

9

月,社名を 束邦亜鉛株式会社と改めたのであるD 太平洋戦争激化による資材の入手難か ら,ふたたび休山となり,敗戦後

1 9 4 6

1 1

月操業を再開し,

1 9 4 8

8

月から は本格的な操業にはいった。

1 9 3 7

年群馬県安中に製銃所を建設していた束邦 亜鉛は,敗戦後,大都市の銅,鉛などの焼けくずをほとんど全部買いしめ,ま た軍部・官庁(軍需省や鉱山局)や笠察とむすびつき,さらに朝鮮戦争時に おける金へン景気に乗じて,急速に成長していった4) O この会社のなかで,

対州鉱業所5)のしめる位置はきわめて大きかった。たとえば,社史『荒野を 拓く束邦亜鉛』に,この鉱山が、会社の宝庫グであり, 、判明jにでも祭って 置きたいグほどに貴重な存在であり, 、京子

5 f

亜鉛の収益は,この鉱山に鉱石 のある限り保証されている6)グとかかれるほどに主要な鉱山であったのであ

(5)

東邦亜鉛対州鉱業所のカドミウム汚染

1 4 1  

O

束邦亜鉛株式会社にとって,まさに、宝庫グであり,高品質の鉱石をうみ だす、良山グであって、神グさまあっかいされるほどに主要な対州鉱業所が,

地元良民とのあいだには,

3 0

年間に数次にわたり, トラブソレをおこしたので あるO そのトラブ、ノレとは何であったか。

1 9 6 8

8' " ' ‑ " 1 0

月,対馬に取材し,カドミウム汚染を調査して,

‑ 2 :

にまと め,公害企業を糾弾した鎌田主主氏は,昨年

3

月中旬の「朝日」紙上に,つぎ のようにかいているO

川、まの、騒ぎグは,この地区

3

度目で,それもこれまで

2

度のものとは,

質を異にしている。これが最後の,それもほんとうのものになってほしい,

と私は願うO

l

度目は,

1 6

年ほど前になるo

1 :

1'1え続ける鉱告と減り続ける良作物の収穫 に対して,この鉱山周辺の民民たちは起ち上がった。朝鮮半島の品々が見え る海岸近くにある映回飴では,対応の歴史始まって以来ともいわれる住民大 会まで聞かれたロところが,その住民運動は間もなく,あっけないほど簡単 に潰えたD 鉱山によって議会の対策委只は貝収され,反対迩到の

J 5 2

与者もま た通じていたからである。

そして

(2

度目は〕それから

1 0

年後の〔昭和)

4 3

年,鉱者は人休被告とし て顕在化した。

I

イタイイタイ府騒ぎ」がそれであるO そして,それもまた うっそりとした奇妙な沈黙の中にのみこまれて,間もなく姿を消した。それ でも鉱毒だけは

i

(f

r

かに川を伝って拡大し,人びとのあきらめと無力感の中で,

カドミウム回の「只い上げ」の主夫だけが容放なく,苛烈に進行していた。

これが要・2 司令部と ~'J:J&jさの権力にまかせて土地を只収して誕生した,鉱山の 支配の歴史だった7)

こ乙には,

u

i1潔ながらも的確に,

1 9 5 7 ' " ' ‑ " 5 8

年 お よ び

1 9 6 8

年のこの品での 可査ぎグが要約されているO ところで

3

度目の、騒ぎグとは何だったのか。

それは、I初日新聞紙上で切らかにされた対応.J;jひ~!lli~合対州鉱業所の企業 内告発文

3P

によって、ひとつの

r L 2 J t '

がばくろされ, 、この地の人たちが

8) 

比黙を 1YJz り,公 ~g告発の辺白j に脳出し y たことをさしているD この

3

皮目

(6)

の騒ぎが,これまで2皮のものとは質を具にしていることの理由や原因を追 及することは,本稿の課題をはるかにこえているが,質を具にしているとい う実態は,鎌田氏によってもすでに指摘されているO 氏は,同紙でこうかい ているD

、鉱山は撤退を成功させた,かのように見えた。鉱毒は荒れはてた広大な 田んぼと

r

神経痛」に苦しむ幾多の住民と,無数の掘りつくした坑口と,

まっ黒な巨大な比政池とを打ち捨てて,鉱山は無事束京ζ帰りついた,と思l ったことだろう。しかし,いまやその鉱山は,企業の倫理と論理にだけ忠実 だった鉱山は,鉱害調査の資料を偽造してまでも己れの罪を隠してきた鉱山 は,ついにその罪過を白日のもとにさらし,世の指弾を受けることになった。

企業の倫理がいかに住民の倫理と反していたか,企業の利益と住民の利益が いかに共存できなかったかが,いま切らかになった。住民法祝の上にだけ成 り立っていた支配者の以岸さがその企業の中のギリギリの良心によって手痛 いしっぺ返しを受けたのだったO それは私に対しても痛烈な一撃だった。 H

" ; f L

は本当に企業の中からいつの日か,それこそ見るに見かねての告発者が 現れると信じ切っていただろうか。また,この地で,それも鉱山の支配の中 で生活する人たちの論理が,やがて企業の論理に打ちかっ局面が必ず現れる と信じ切っていただろうか 11 ところが, 、住民とのその述拐をこの「内部 告発者」が,身をもって示したのだった的。

鎌田氏は, 、被害者でありながらも被害者の立場にさえ自分の身を置くこ とができなかった,二重の怠味での被告と主い支配の下にあった〔対応の〉

人たちグの、あまりにも宣たいこの状況を見て,シッポを巻くようにして

〔束京へ〕逃げ帰ったグというO 、正直いっていろんな思い

10υ

を し て い た氏が,この

3

度目の、騒ぎグ

l

こ、痛烈な一撃グをうけたのであるD それほ どに,今回の、騒ぎグは,街撃的であった。今回は,まえと異なり,買収さ れたり,病気をかくしたりはしなかった。 、こんどはみんな怒っている11

Y

っしらも乙んどはやるグと対馬のIさんが鎌田氏に電話でかたったとい

̲ 11) 

O

ところで,この、騒ぎグのきっかけとなった企業内告発文書にかんする

(7)

束邦亜鉛対州鉱業所のカドミウム汚染

1 4 3  

「朝日」の記事というのは,どういうものなのだろうか。

1 9 7 4

3

8日付「朝日」の一面トップ記事は,

、企業が公害隠ぺい工 作 対 馬 ・ 東 邦 亜 鉛 の カ ド ミ ウ ム 汚 染 グ 、調査点で川ざらい採取水薄め 唱元幹部が内部告発グなどというタイトノレで,前年末1

2

月20日に閉山し た東邦亜鉛対州鉱業所が,所長命令で,排水口近くの汚染された川底の土石 を上流のきれいな土と取り替えて川を作りかえたり,国や県が採取した調査 用の川の水をスキをみて薄めるなどして,公害を隠していた事実が,元鉱業 所幹部の告発で明るみに出た,と報じたのである12)。日本分析化研の放射 能データーねつ造事件は,分析位の探作が中心であったのに比し,今回のば あいほ,企業が調査対象物そのものを工作してゆがめたというきわめて思貨 な公害隠ぺい工作であるo 乙の隠ぺい工作によってゆがめられた調査資料に もとづいておこなわれた政府や県の調査が科学的な根拠をうしなうのは,い うまでもない。

「朝日」のこの報道は,鉱業所の元幹部が公害隠ぺい工作を内部告発した のだ,と報じているわけであるが,元幹部の某氏が内部告発した方法は,じ つは,乙の記事から恕像されるほどに単純なものではなかった。

元幹部某氏の、氏名グは,いまでは秘密祖に一部のひとびとには知られて いるのであるが,まだ公表されてはいない。したがって,木稿でも某氏とい

っておこう。

企業内部からの告発が,一般的にいっても,いかに困難で,それを宍践す るためにはいかに大きな勇気と決芯と正義広が必要であるかは,容易にrrI!5u

f 7

.13) 

されうると乙ろであるか ,とくに半封建的温↑

) 5

主義的な経営u:理休買の 濃厚な白木の企業で,会社幹部として,その会社のトップ経営に匹技従事し てきた人物が,多年自分の生活のおと職場とをえていた公害企業に致命的打 撃をあたえるであろう告発をおこなうということには,私企業の手IJ~5 を超越 しても社会や人間の倫理に忠実であろうとするきわめて旺盛な立任感と豆大 な決立とが必要であったであろうO 鎌田氏は,某氏のことを、企栄のr:jlのギ リギリの良心グ 、見るに見かねての告発者グ,あるいは、ドタン

J b j

の良心グ と表現して,その男気ある行為を称拐しているO

(8)

しかし,その鎌田氏は,

1 9 7 3

年半ばごろ

I

佐須川流域民民有志一同」と いう差出人名儀で,その内部告発の資料をうけとったとき,その資料が会社 幹部による良心的な内部告発文古:だとは気づかなかったようである。佐須川 流域

1 2

民有志一同という差出人の名俗と筆跡とに不審をいだきながら,その 文言:の真実の執筆者をさがしだそうとの熱芯をかきたてられることはなかっ た。むしろ,鎌田氏は,乙の文書を,えたいの知れない,やや挑発的ないや がらせに近い文苦とさえうけとったようである。そのときの心的を鎌田氏は,

真相をつかみあぐねている自分にたいして、「どうだ,参ったろう,教えて

14)/ 

やろうか」と程明しされるのに似ていた 'とのべているO 同氏は,した がって,その資料をうけとってからも,早急にその資料を告発文吉:として活 用しようとの気もおこらぬまま,数か月間それを放置していたようである。

そして,束邦亜鉛対州鉱業所の閉山(1

9 7 3 . 1 2 .   2 0 )

をとりあつかった原稿 を『現代の限

J

(1

9 7 4 .   2

月号)のために執筆

L

たとき,ようやくその文古 について付随的にふれたのであるD

某氏が鎌田氏にその文書をおくったのは,束邦亜鉛を真剣に糾弾した古:

『隠された公害』の若者鎌田氏をおいて,イ也l乙白分のこの内部告発文古:を有 効適切かつまじめにあつかってくれるであろうと期待できるひとを知らなか ったからであろうO 某氏は,自分が告発文言:の執筆者であることを明記する ことをさけ

I

佐須川流域良民有志一同」という、架空グの差出人を考案 、内部グ告発ではないかのごとくに装おった。 、執筆者(差出人)グを 企業による被害に

3 0

年のつもるうらみをいだく民民の有志とすることは,鎌 田氏はじめ多くのひとびとに,匠名について自然の感J陪をあたえるであろう し,ほとんどだれからもその内容の信ぴょう性について疑われることはない であろうO 殿様のごとくに地元に君臨してはばからなかった東邦亜鉛対州鉱 業所のばあい, 、内部グ告発がありえようとはまったくかんがえられないこ

とであったoそれは,鎌田氏の前述の引用文からも明らかであるD

しかし, 、外部グ告発にしては,その文書の内容があまりにも詳細であり,

克明であるO 鎌田氏は,その文書の解釈にかなり戸惑ったことであろうo の形式と内容との非常に大きなちぐはぐさが,某氏の立場にたてばやむをえ

(9)

東邦亜鉛対州鉱業所のカドミウム汚染

1 4 5  

ないこととはいいながら,うけとったものに複雑な反応をおこさせたのであ O

ともあれ,某氏は,怒った農民有志による、外部グ告発を装おって,その 告発文書を鎌田氏へおくり,それにつぎのような手紙をそえた。

t

!

此の資料は正確で

l N P

かの誇張もない真実の記録です

責股の「隠された公害』を著書発行に到る迄の絶大な苦心と努力に敬~を去 しその空発に終る事を惜みての『隠した鉱害』の現実版証明の一部です 神岡・生野・土呂久・足尾等々,内地での鉱害補償に比べ,ここ国境の日,

会社の村八分のもと,何んと淋しいことよ15υ

乙の手紙の最後の部分(第

3

パラグラフ)は,この文古の毛

M

rr:者が,会社 によって村八分の虐待をうけている地元民民であるかのごとくに表現してお り,第

2

パラグラフは,鎌田氏の、絶大な苦心と努力グが、空発

l

乙終グらな いように支援する民民的立場にたっているかのごとくにほのめかしているO

元会社幹部の某氏は,このような擬装をこらしながら, 、正確で!日かの誇 張もない真実の記録グを捉供した。

i

i日日」が,この文

i ! ?

を、元幹部グ による、内部告発グとして報道するま でには,相当長い時間と新間社独自の取材活動とが必要であったD しかし,

ともあれ

i

朝日」は,この文苦:の執準者が、元幹部グであり,その文古:が

、内部告発グであることをたしかめ,

1 9 7 4

3月 8

日付の紙面でこの告発に

もとづく I~:tぺい工作のばくろをおこなったO

この'(:Uj立が,当の公主企業・

3 j l

邦亜鉛のみならず,地元民民,さらにはひ

ろく、公~;f~" 問題に大きな閃心をいだいて何らかの努力をつくしてきた庶民,

調査機関,自治体,議会などにあたえた街翠は,はかり知れないほどに甚大 であった。そして,非常な決立をもって、告発グした某氏白身,この反智の 大きさに,発病するほどであったO

1 )

W日本j

! ?

紀下』坂本,家永, ;1

: 1

上,大野校注,日本古典文学大系

6 8

,岩波,

.4

1 5  

2)  長:l!l~j ]0,,,ill:金問汚染原因羽Jf

i

J3i

I

岡崎県政原 IlIy・佐;Ji)JJ・唯根川流域におけるカド

(10)

ミウム等主金属による環境汚染の原因調査報告書

J 1 9 7 3

3

P. 9  3 )  

良民からの土地買収のために,京邦亜鉛は軍隊と警察をつかった。鎌田慧『ドキ

ュメント隠された公害一一イタイイタイ病を追って一一~

1 9 7 0

pp.  6 5 ‑ 6 7 .   4 )

鎌田,前掲書,

P.  7 0

, 

pp.  1 5 0 ‑ 5 3 .  

5 )  

長崎県宝金属汚染原因調査班,前抱報告書,

1 5

頁には,対州鉱業所の 4昭和2

3

以降の出鉱量と精鉱丑グが表示されている

( 4 8

2

月2

0

m

邦亜鉛株式会社 資料)。その表によれば,出鉱呈も粕鉱呈も,亜鉛,鉛ともに,昭和2

5

年度から 急速に増大している。亜鉛の精鉱呈だけを昭和2

3

年度から

4 6

年度までについてし めすと,各年度の精拡呈はつぎのとおりである(単位はトン〉。

(昭2

3

年度)1

0 1 7

, 

( 2 4 )  3 6 8 8

, 

( 2 5 )  6 1 2 4

, 

( 2 6 )  8 0 4 2

, 

( 2 7 )  8 7 7 7

, 

( 2 8 )  9 5 7 6

, 

( 2 9 )   1 0 7 6 5

, 

( 3 0 )   1 1 7 4 8

, 

( 3 1 )  1 4 6 1 1

, 

( 3 2 )   1 7 9 4 4

, 

( 3 3 )  2 1 1 1 9

, 

( 3 4 )  2 2 2 2 2

, 

( 3 5 )  2 3 7 0 0

, 

( 3 6 )  2 3 5 0 5

, 

( 3 7 )  2 4 7 8 6

, 

( 3 8 )  2 3 1 7 5

, 

( 3 9 )  2 3 3 3 9

, 

( 4 0 )  2 4 8 1 8

, 

( 4 1 )  2 6 0 6 5

, 

( 4 2 )  2 6 0 2 8

, 

( 4 3 )  2 8 9 6 8

, 

( 4 4 )  2 7 7 5 9

, 

( 4 5 )  2 6 9 9 3

, 

( 4 6 )  2 7 2 0 4 .   6 )  

わたしは直按,社史『荒野を拓く京邦亜鉛』を読む余裕がなかった。乙れは鈴田

慧「対馬一一束邦亜鉛ムラの終克一一

J (W

現代の限

j 1 9 7 4 .   2

月号,

P.  2 3 1 )  

からの引用である。

7 )

, 

8 )

, 

9 )

, 

1 0 )

, 

1 1 )  

鎌田惑「沈黙を破った白一一対応の公害隠し告発に想う一一」

(  r

朝日

J 1 9 7 4 .   3 .   1 6 .

文化問〉

1 2 )   r

朝日

J 1 9 7 4 .   3 .   8 .  

1 3 )  

この点については,すでに拙稿「原水禁運動と 4国民グ

J (W

経営と経済

j 1 3 5  

pp.  8 7 ‑ 8 8 )

においてふれておいた。しかし,某氏のごとき内部告発の主 要性がますます大きくなっているにもかかわらず,その困難性はますます加重さ れ,ほとんど禁止的主圧状態におかれているというべきであろう。それは,いう までもなく,現在,政府が、改正グ準備中の刑法に新設されるであろう「企業秘 密漏示罪

J r

公務員の機密漏示罪」によって,内部告発が刑法上の犯罪とされる 危険性の切迫にもとづく。今後,某氏のような、良心的なグ内部告発者はあらわ れえないのではなかろうか。反動的刑法に擁設されて,支配階級はますます堕落

してゆくであろう。

1 4 )  

鎌田慧「対局一一東邦亜鉛ムラの終百一一

J

(前掲誌,

P. 2 3 2 )  

0 乙の論稿のな かで,鎌田氏は,はじめて,元会社幹部某氏の内部告発の、文書'についてふれ た。しかし,同氏は,まだこの時点では,乙の文書が、元幹部某氏の内部告発文

(11)

東邦亜鉛対州鉱業所のカドミウム汚染

1 4 7  

書'であることを知らなかった。

1 5 )

鎌田,前掲論文,前掲誌.

P. 2 3 1 0  

東邦亜鉛対州鉱業所の、公害隠ぺい工作グを内部から告発した、良J~/' の 文書は,細心の注意をはらって、発表グされた。すなわち,執筆者某氏の筆 蹟から,某氏の氏名が会社側によってわれる乙とを配慮したひとびとは,原 文から直接,機械によるコピーをとる乙とをせず,筆写したのであるo

乙の文書のタイトノレは,

対馬イタイイタイ病 鉱害始末記

(その隠したる 鉱害実録) と記載されている。

内容は

2

編にわかれるD

1

~需はマスコミ編である O それは主として新聞 記事の要約からなっている口重要なのは第2絹であるO 2

J

は、およ告と対 処編グと記されている。

2編は,さらに, ()())3つの部分から椛成されているo もっとも,

原文では,けとあるべきところを(ロ)としてあるD すなわち, (ロ)が主復しでか かれてあるのであるD

付)は、対州鉱山と佐須JII"と題されているO ここでは,昭和43(1968)

3

月までの対州鉱山から佐須川への放流の歴史的な事実が,各坑口毎にのべ られているD

小茂田港にそそいでいる佐須川は,全長

1 2

キロメートノレ。鉱山事務所は海 岸より1.

6

キロメートノレ上流のところにあり,その杭に

J K

鉱坊があるO

主要な坑口は,上流から,目見坑(支流の日兄川に面する) ,新日坑,

W

二ダム1) 大奈坑,的JJ]:坑,第一ダムなどであるO

①  日見坑について。

佐須川の上流

2.5

キロの地点で合流する文流・目見川を約

9 7 0

メートノレさか

(12)

のぼった川岸に面する日見坑の坑口は,

1 9 5 6

4

月に開坑されたD 坑内水は 無処理で放流された。その豆は,乙の文書によれば,

、 1

分聞に平均

4

トン,

月間約

1 7

万トング

l

乙達するというD

1 9 5 9

6

月,会社は坑口下の川岸に

60M3

の小さな沈澱池をつくったとい う。文書:はその理由について何もかかず,記述もきわめて客観的で,自分の 解釈や主観を間入せぬ冷静な描写でつらぬかれているO ともあれ,この沈澱 池は小さすぎて,何の役にもたたなかった。そして,沈澱物の回収や掃除も

l回もおこなわなかった。

1 9 6 0

6

, 日見坑上流

2 0 0

メートノレの川岸に

2180M3

の沈澱池を新設した。

乙のとき以来,干r

! l

出前所長の命令で,昼間は坑内水をこの沈澱池におくった が,夜間は目見川に放流した。これでみても,沈澱池が体裁をつくろうため のものにすぎなかったことが明白であるD

この間に,どれくらいの坑内水が日見川に無処理放出されたか,この「始 末記」はその呈を計上している。

1 9 5 6

4

' " ' ‑ ' 6 0

6

月(沈波地新設まで)

4

年間に,

8 2 9

万トン。

6 0

6

月から

6 7

1 2

月(パイプ流送完成)までの

6

年半に,夜間日見川に放流した呈は

4 4 9

万トン。したがって,未処理放水 呈の合計は

1 2 7 8

万トンに達する。

②  新宮坑について。

新富坑は佐須川の上流

5 . 2

キロにある鉱山長上流の坑口であるO この坑口 が閉口されたのは

1 9 4 8

3

月であった。坑内湧水量は

1

分間に1.

9M3

,月間

8

2 0 0 0

トンo

1 9 6 8

8

月,第一ダム比政池へ流送処理をするようになる までの

2 0

年間に,

1

ix.水された坑内水は

1 9 6 9

万トンロ

③  第二ダム ìili~よ廃さい堆積場について o

第二ダムは選鉱場の上流約1.

6

キロの地点,佐須川の水面より

1 3 0

メートノレ 高い位置にあるO 椛築されたのは

1 9 5 8

1 2

月であるO

ここには,選鉱場から毎月

5 0 0 0 ' " ' ‑ '7 0 0 0

トンの鉱泥をおくっており,この

「始末記」が執筆されたころまでの貯泥畳は

1 1 6

万トンであるという。

ところで,

1 9 6 1

7

2 7

日の集中哀雨で,このダムが決潰して,

619M3

スライム(選鉱浮)が佐須川に流出したというO 乙のために,周辺や下流岸

(13)

東邦亜鉛対州鉱業所のカドミウム汚染

1 4 9  

には,長期間にわたって,このスライムが残留したO とりわけ,

9 0 0

メート ノレ下流の志多国の水田にはいったスライムは,いまなお水田中に残留してい るとし1D

第二ダムにためられた水は,渉透水として木樋をとおってダム陪来前につ くってあった小さな沈澱池

(7.8M

つ に は い り , そ の オ ー バ ー 水 は

2 6 0

メー トノレ下流の佐須川との合流点の川岸にもうけられた沈政池

(267M3)

にはい ったoその排出水量は

9

年間で,

1 8 8

万トンであったo木樋の送水能力は

1

分間に1.

0M

3であったから,雨期や大雨時には,大量の渉出水がこの木樋 をオーバーして佐須川に流出したO

④  大奈坑について。

この坑口は新日坑から

1 1 0 0

メートノレ下流の佐須川岸にあり,

1 9 4 7

7

月に 閃口されたO 坑内田水は一分間に

0.6M3

1

か月に

2

6 0 0 0

トンであるO

ところが,

1 9 4 7

7

' " " 6 8

2

月(第一ダム、比政池にパイプで送水するよ うになった)までの

1 8

5

か月間,ここから佐須川に未処理で前政放水して きたが,その呈は,

5 7 2

8 0 0 0

トンであった口

⑤  鶴;区坑について。

坑口は鉱山事務所の対岸鶴

x

江沢の1.

5

キロ上流にあるo

1 9 5 6

4

月に開口 された。坑内湧水は毎分1.

0M , a 1

か月

4

3 0 0 0

トン。この白水は,

1 9 6 7

1 2

月,第一ダムヘパイプでおくるようになるまで

( 1 1

5

か月間) , 

1 m

処 理 で佐須川に放流されていた。その主は約

5 9 1

万トンに注する。

①  第一ダムについて。

第一ダムは,

1 9 4 3

1 0

月,選鉱

1 0 1

といっしょにつくられたが,木

J

J

呆栄に はいったのは

1 9 4 8

年からであるO ここには硫化鉱廃泥をJ¥

J ! v G

した

( 1 9 5 0

5

月,准 ítf 呈 30万トンの認可を巾 ~i'j)

1 9 6 8

年,佐須川

M E J

点にイタイイタイ

W l

鉱主問題が発生したとき,ただちに 坑内水,選

f J l :

排水を集水し,処理しのはじめたO

しかし ,1968

i f .   3月までは,未処理のまま,川

lこ放水したのであって,

2 0  

年間に無処理放水した

i i l

1 5 5 5

万トンであるO

以上を総合すれば,各坑口からの未処理坑内水放山総

i i l

4 4 0 0

万トン ,

1 X  

(14)

政j也排水量は

1 7 4 3

万トンであるD

以上のように

I

始末記」は,各坑口やダムの未処盟放流について,数字 をもって,客観的に指摘しており,その間,まったく自己の主張をさしはさ んでいない。

つぎに

I

始末記」は,未処理坑内水排出水量のなかに,どれくらいのカ ドミウムがふくまれているかを計算するO その計算の基礎としては,

1 9 5 3

4

1 4

日に九大民学部青昨主範教授が現地調査して,まとめた「佐須村鉱害 土壌検査報告書3)

J

のなかの数値をもちいているO

青峰報告によれば,坑内水中の亜鉛の合有量は平均

6.5ppm

,鉛のそれは

0 . 1 ppm

, PH7.1 である D そして対州鉱山の坑内水の水質は,亜鉛の ~~0~~120 がカドミウムであるので,その平均をとって,亜鉛の%00がカドミウムだと かんがえてよかろうO そうすれば,カドミウムの合有量は

0.065ppm

である

ということができるO

と乙ろで,未処理坑内排出水総量は

4 4 0 0

万トンである。したがって,放流 されたカドミウム金属呈は

2 8 6 0

キログラムということになるD

つぎに

I

始末記」は, <<).よ泥についてのべているO

各坑口からの放出水の懸濁物質

s s

は 平 均

130ppm

であるから,総排泥呈は,

排出水量から簡単に導出されうる。すなわち,

5 7 0

トンである。

泥質は,

1 9 6 8

8

1 2

‑ ‑ ‑ ‑ 2 3

日の分析結果によれば,亜鉛が

3 2 0 0 ‑ ‑ ‑ ‑ 5 0 0 0

ppm検出された。この亜鉛の ~~0~~120 がカドミウムなので,平均すれば,カ ドミウムは

35ppm

である。

地点別にくわしくみてみると,日見抗日下流のカーブの澱みでは,

3 2 1 0 ‑ ‑ ‑ ‑ 7690ppm

の亜鉛,第二夕、ムの沢下流では

3260ppm

,第一ダム束側放流点では

17600ppm

,同西側放流点では

2300ppm

,第一利水点の宮前橋下では

3500ppm

第二利水点の相11ノ本セキでは

4020ppm

,:0:下流の松木原セキで

3 0 5 0 ‑ ‑ ‑ ‑ 4 0 2 0 ppm

の亜鉛が検出された。

この亜鉛の含有濃度から,さきほどの関係をもちいて,カドミウムの合有 量を導出すれば,

2 0 0

キログラムとなるO これを,前述の坑内排出水中のカ ドミウム量と合計すれば,

3 0 6 0

キロの金属カドミウムが佐須川底および下流

(15)

東邦亜鉛対州鉱業所のカドミウム汚染 水田中に流入したということになるD

以上が(イ)の部分である。

1 5 1  

つぎに(ロ)けの部分についてのべるo(ロ)は、官庁調査と対処グと題され,

1 9 6 8

2

月以降,イタイイタイ病鉱害問題が大々的にとりあげられるように なってからの官庁調査にたいする対処のしかたをのべているO そして,この 部分は,基本的には似の部分と同一であって, ¥ハ)鉱山保安監督・長崎県 (保建所)採

7

1<.・測定に対処グへ述続するものとしてとりあげられるべきで あるO したがって

r

始末記」の分類にはこだわらず,連続的にとりあげて いくこととするO

まず,

1 9 6 8

8

月の厚生省第一次調査についてO

厚生省の委託をうけて,長崎県街生研究所および公害対策室が,佐須川・

惟根川流域の広域環境汚染調査をおこなうこととなった(原生省第一次調 査)

④  そのためには,まず,測定点(採水・採泥)を決定する N~仙調査をお こなわなければならない。県公害対策室長ほか1名が来山し,千1¥

1

出前所長と ともに採取予定点を決定した

(8

1 0

日)。

11出前所長は 8

1 2

日,各採取点の河川水・

7

可底氾の京市

u R

周五を部 下に命じた。その結果明らかになったことは,きわめて当然かつ平凡な結論 であった。すなわち,鉱山とは無関係な地点である経塚柿下(佐須川上流) , 

日見川上流,悦

i R

川上流では,カドミウムはほとんど検出されなかった。そ して,鉱山の排出水点より下流の地点では,多

i l E

のカドミウムが検出された のであるo

そこで,判

1 m

前所長は,上府職只に命じて 813日以降,公官隠ぺ い工作をおこなわせることとした。これが,忠質な隠ぺい工作の最初である。

「始末記」は,ここでも冷静な筆致をもって,この主大な工作を記述してい

まず,

t

l¥l出前所長が部下に命じたことは,目見坑下流,第二ダム下流,!:j1 ーダム京仰

l

J 4

1,思水谷沈澱池下流のおよ氾の沈い流し作業を,夜陰に来じて 実施することであった口

(16)

つぎに,前所長は,鉱山と無関係な採取地点の泥,水にカドミウムが自然 に多量にふくまれているようにみせるため,また,鉱山下流の関係地点では カドミウム合有量が少量であるようにみせかけるため

8

月2

4

" ' ‑ ' 2 6

日,つ ぎのような作業を命じたというD

①  日見川上流・佐須川上流・椎根川上流の無関係採取点には,夜のあい だに,鉛・亜鉛・鉱石をふくむ古代廃石の細石を

4 " ' ‑ ' 6

トン河底に散布した。

②  鉱 山 の 関 係 地 域 採 取 点 、 日 見 川 柿 下 ・ 第 二 ダ ム 下 流 ・ 第 一 ダ ム 下 流 (宮前橋下取水セキtJij) ・佐須川中流(柳本セキ) ・久野志沢上流・佐須川 下流(松木原セキ) . 

H f r

根)1]思水谷沈澱池下流・惟根川下流セキグには,鉱 石をふくまない無関係上流地の河川砂・泥を散布し,カドミウムの検出位が 低くなるようにした。

③ 

2 3

ーダム排水口では,川岸のスライムをブノレトーザーでおし流し,き れいな川砂を散布した。

④ 

t 1 E

根川上流の河床m;頭部に古代廃石を投入して,カドミウムの渉出を 装おった。

以上のような所長による応ぺい工作のあと,厚生省第一次調査は,予定ど おり,

1 9 6 8

8

月2

7 " ' ‑ ' 2 8

日,ね岡鉱山保安監督局の立ちあいのもとでおこな

i

つれナこO

この調査の結果は,昭和43年度厚生省公害調査研究委託買による日本公衆 1!~Î 生協会カドミウム研究班報告「カドミウム等微量主金属による環境汚染に 関する研究J.として,

1 9 6 9

3

月2

0

日,厚生省から発表されたO

その調査結果には,隠ぺい工作の、成果グが,きわめて歴然とあらわれて いるO 、1ffimγ ある厚生省の調査が,この f~rl ペい工作によってゆがめられた 検出値を,まことしやかに発表しているのは,きわめて劇的でさえある。

「始末記」によれば,調査結果の検出値はつぎのようであった。

①  河川水について。従来ほとんどカドミウムが検出されなかった、無関 係地点グの目見川上流で

0.026ppm

,佐須川上流で

0.042ppm

,椎根川上流で

o  .041ppm

のカドミウムが検出された。この限度はあきらかに呉常な高出皮 である針。

(17)

京邦亜鉛対州鉱業所のカドミウム汚染

1 5 3  

つぎに,下流の鉱山地帯の濃度をみてみると,日見川橋下で

0.002ppm

佐須川中流の第二ダム下流で

0.006ppm

,栓根川の思水谷沈澱池下流で

0.01 ppm

のカドミウムが検出されたO これは正常値より低濃度である口

②  川氾および、排水口の泥についてO ここでも,無関係地点のカドミウム 浪皮が異常に日く,逆に鉱山地帯のカドミウム浪度が異常に低いのであるO

たとえば, 日見川上流で

5.20ppm

(引二の位の

7 . 5

倍) ,経塚椅下(佐須川上 流)で

4.56ppm (4

倍) ,惟根川上流で

4.72ppm (3

倍)であった。これ にたいして,日見川柿下で

14.60ppm

(背の位の弘) ,佐須川中流では

5.32 ppm  (%.6)

であった。

無関係地点でのこれらの呉常測定値について,報告主:は、この流域が地質的 に主金属泣度が日し1ことや,かなり古い吋‑代から採掘が行われていたことな

'

"

  5) 

ども考える必要があろっ F とのべているO このことについて「始末記」は,

" : t

i!l出前所長の……,上流の作られた自然汚濁・泊された下流の川泥作戦が 見事に図に当ったものであるグとの司

z 1 1 m

をあたえているD 冷静に自己の;立凡 をおさえて,客観的記述に倣している某氏の,これは nH~- の見仰表明に近い 叙述であるが, しかし,これもなお,ゴ1~/l;t に抑制された表現であることにか わりはないであろうO

それにしても,厚生省調査は,や

1 1

出 作 戦 に ま ん ま と ひ っ か か り , そ の 結 果測定された位の具;ぽさを徹底的に究明しようとの姿勢をはじめからもって いなかった。それが、地質的に主金属政度が

i ; 7 2

いグとか、かなり古いn!j代か らグの採掘にも原因があるという非科学的説明でもって民民や世間をごまか してなおすこしも恥じなかった理由である。

つぎに

I

始末日」は,付の部分で,調査のために採取された試料水への 良質水の注入という形の、応ぺい工作グをのべているO 注入する良質)]<1乙は,

佐須地区水道の水源池の

7 J

くをつかっており,カドミウムはほとんどふくまれ ていない。

「始末記」によれば,只休的な事例は,つぎのとおりである。

01968年 1128

t l l i

岡鉱山保安監督応(初監と 1I1Uす)が採水した忠水谷坑 沈 ;W~{也排出水と1íUR 川中流セキの試 i41こ良質水を%入れかえた。

(18)

01969

3

1 3 ' " " ‑ ' 1 4

日,福監採水で,日見川下流,同佐須川合流点,樫根下 流,鬼ケ限下流,思水谷下流,枇根川中流の各採水点の試料水はそれぞれ

%を入れかえ,思水谷沈澱j也排出水は%にうすめた。

。同年

6

1 6 ' " ' ‑ ' 2 0

日の福監採水で,第一ダム排出水を%に,思水谷枕澱j也排 出7Kを%に,鬼ケ

E

采下流を%にうすめた。

0

同年

8

4 ' " ' ‑ ' 5日,県公害対策室と福監との合同の採水で,相

11ノ本セキ,

鬼ケ│深下流,松木原セキの水をそれぞれ%に,また第一ダム下流(宮前橋 下)の試料を%にうすめた。

0同年 1 2

2日,県公害対策室の採水で,松木原セキの水を%にうすめた。

O

同年

1 2

9' " ' ‑ ' 1 0

日,栢監の採水で, ~塁根沢下流,哀河内沢,相11 ノ本セキ,

E予定、沢の水,思水谷沈澱池入水,

i i H

良川中流水などの試料をそれぞれ拾 に,哀河内沢や鬼ケ限の水を%にうすめた。

01970

4

1 4

日,栢監の採水のとき,思水谷沈

i I D ?

也入水を弘l乙うすめた。

O

同年 72日経済企画庁から委託されて厳原保健所が採水したとき,松木 原セキ水を%に,

5 1 1

ケ際水を%にうすめた。

0周年 1 0

1 4 ' " ' ‑ ' 1 5

日,福監と保健所との採水で,日見沈澱池排出水,久野忠 沢上流,哀河内沢,柳ノ本セキ水を弘にうすめた。

0周年 1 2

月1

0

日,保健所の採水で,金田原セキ,布I

J

ノ本セキ,松木原セキ水 をそれぞれ%に,鬼ケ限下流水を%にうすめた。

01971

2

1 5 ' " ' ‑ ' 1 9

日,相監と保健所との合同調査の採水で哀河内沢や久野 I江沢の試料を%に,柳ノ本セキ,鬼ケ際下流水を%にうすめた。

0同年 6

2 1 " ‑ ' 2 2

日,栢監の採水で,哀河内沢合流前水を弘に,鬼ケ限下流 水を%にうすめた。

0同年 1 0

21

日,保健所採水で,松木原,鬼ケ限7Kを地

l

こうすめた。

O

同年

1 2

1 4

日,桓監採水で,哀河内沢流入前の水を%にうすめた。

注1

)

ダムといっても,乙れは,水道・発電・治水・かんがい用などの貯水ダムのこと ではない。つぎの注参照。

2 )  

第一ダムにおける処理方法は,長崎県宝金属汚染原因調査班の前担報告書によれ ば,つぎのようなものである。

(19)

東邦亜鉛対

j 1 1

鉱業所のカドミウム汚染

1 5 5  

、選鉱各シックナーの上澄水,結拡語、過71<.選鉱雑水等の諸廃水および日見坑

7

1<.鶴;恵坑内水,大奈,新宮,久野志、,悪水谷坑内水ならびに安田坑外,哀河 内,悪水谷坑内,佐須坑外,板限坑外の各沢水は,夫々導水管lとて第一夕、、ムに流 送し岱伴タンクに導水し,石灰乳および凝集沈降剤(塩化亜鉛又は塩化アノレミニ ウム)を添加,混合問持処理(フロック生成および生長)を行ない,集約ボック スを径てNo.1およびNo.2沈でん池に放流,フロックの沈でんを行なう。出でん池 は. No.1 '""""No.3に分け極微細位懸濁物を、沈降,清澄化した後佐須川へ放流する。

添加呈,消石灰

10950kg/

月塩化アノレミ

8700kg/

月タ(前掲報告書.

P. 1 6 )   3 )  

青峰教授による調査は,佐須村長井田秀夫氏の依頼によりおこなわれた。とれは,

佐須川の水を用水としている佐須村中央部の水田の作物の収呈が,ふるくから著 しく低位であるために,上流の鉱山の排水に有毒成分がふくまれているのではな いか,との疑いが波厚であったことにもとづく。青峰教授は,土壌. &.水を採 取し,これらについて亜鉛と飴の豆を定呈し,これにくわえて,小規投の杭物宍 j験をおこなった。木報告主の結論部分で,

7 1

的教授は,佐須村の土誌のなかには 鉱害をうけているものがあり,その鉱~Jj の原因は Zn およびおそらく Pb である とのべている。乙のときは,いまだ,カドミウムの検出方法がなく,カドミの存 在はまったく指摘されていない。作物への鉱奇:も,主として亜鉛と目され(鉛の 毒作用の可能性も予想されている).カドミの ~t は考忠されていない。

Elli

B

i'tおよび@[}が土壌にふくまれているのかという点については,元米土壌 の母材に多くふくまれているということと泌減水とに帰せられている。?花瓶水に 多くふくまれるのは,鉱山の坑内からの排出水および出澱池からの流出水が河川 に入り用水としてもちいられるからであるが,このほかに、自然水!とも合まれな いとは断言できない。とのべている。これはiJ'UI予報告のもつ問題点のひとつであ

O

さらに,古昨報告は、木村の作物栽培技術は低劣であり,収丑の低い拐

i T f r

は白 ちに鉱害が大であるとすることは危険である。とのベて,低収丑の

2 2 ‑

任の一部を 良民の技術に転嫁している。乙の点も,同報告のもつ大きな問題点である。

4 )  

この浪皮が具?注目浪皮である乙とを知るためには,平常の浪皮と比較する必要が ある。その rm査時点の平'i;'~.限度を知るすべはないので,乙乙では,便宜上,前山 の長崎県宝金属汚染原因調査班の報告苫(1973年 3月) 1こ引用されている加査結 果によってみてみよう(

r w

告主

J pp. 5 1 ‑ 5 6 .ただし,若干手なおしした〉。

参照

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の変化の状態 を記録する. ⑦ 泡の出なく なった炭酸水をガラス棒につけて, 味わい, 泡 が出ていたときと比 べる。 m3

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生徒5.

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