投資信託(証券共同投資組織)の配当政策
その他のタイトル On the Dividends of Investment Trust
著者 今西 庄次郎
雑誌名 關西大學商學論集
巻 7
号 4
ページ 267‑288
発行年 1962‑10‑30
URL http://hdl.handle.net/10112/00021659
証券共同投資組織の配当とは︑或る期間毎に行われる︑投資財産の一部の︑加入者への分配である︒その分配が
投資財産運用による増加分︑即ち利益の分配であることは云う迄もない︒
処で︑共同投資組織の配当に就いては︑それをやらなくてもよいという見解がないでもない︒その理由とすると
ころは斯うである︒共同投資組織加入者の中には特に配当を要求しない者があり︑之等の者は配当に相当する部分
を積立てて引続き運用されんことを希望する︒勿論︑加入者の中には︑途中︑配当を欲する者もあるが︑之等の人
々の希望は共同投資組織が配当をしなくてもその目的は充分達せられる︒蓋し共同投資組織が利益を挙げるときは
投資々産の増大となり出資単位当りの価値は増大する筈で︑途中現金を必要とする者はその出資の一部を売却すれ
ばよいからである︒尤もこれに対してほ︑その事は直ちに共同投資組織が配当するに及ばずという結論にもって行
くことにはならぬ︑継続投資を欲する者としても受取った配当を再投資すれば彼の目的は又達せられる筈だ︑と云
われるかも知れない︒併し共同投資組織の中には新規加入を認めない組織のものがあり︑後者の云い分はそのまま
投資信託︵証券共同投資組織︶の配当政策︵今西︶
配 当 を 本 位 と す ぺ き か 否 か
今 西 庄 次 郎
投資信託︵証券共同投資組織︶の配当政策
食い止めるが︑ ないということで配当を全面的に否定するのは︑ 右の主張を聞いていると︑共同投資組織は特に配当をしない方がよいというに傾くがようである
3
併しその配当をしない方に傾かす決め手となった二つの点に就いては異諭の余地が残されている︒先ず︑共同投資組織の中に新
規加入を認めないものがあり配当の再投資が妨げられるという点であるが︑これは共同投資組織でもクローズド・
ニンド型の場合を云っているに外ならない︒併し共同投資組織には新規加入自由なオープン・エンド型もあり︑
ローズド・ニンド型は謂わば共同投資組織の一部に過ぎない︒従って︑
次に︑共同投資財産保持の立場であるが︑先に述べた云い分はそれとして間違いでない︒併し配当をやめ投資財産
の増加を計るときは︑資産価値が増大し︑新規加入は資産価値によるとした場合︑新規加入に必要な最低資金は増
加しそれだけ加入が困難にならんとする3つまり投資々産の保持を目差し配当をやめることは確かに資産の減少を
一方新規加入を妨げこの方向から投資々産の膨脹をチェックし︑寧ろ後者の影響の方が大きいかも
知れないのだ︒斯う検討してみると︑共同投資組織は配当しない方がよいという見解は必ずしも生きるものでなく︑
配当をする立場としない立場は︑大体︑謂わば五分五分という所となる︒然らば何れに帰着すべきかというに︑こ
れは配当をする方の立場をとるべきであるのだ︒これを決定する事情は︑ しない方が好都合となるのである︑と︒ 投資信託︵証券共同投資組織︶の配当政策︵今西︶
一に︑投資資本に対しては一定期間毎に 適用しないことになる︒更に知っておいてよいのは︑共同投資組織そのものの立場からいって︑運用投資々金の大なるほど運用上有利なのであるが︑配当することにすれば︑再投資してもよいと考えている者の中にも再投資しないものを生じ︑それだけ投資財産が減少することで︑こ
4
に投資財産を出来るだけ保持する立前の下では︑配当をク
一部に関する都合を全部に押付けるものと云わねばならないのだ︒ クローズド・エンド型では新規加入を認め
べきものとなるからである︒ 利益を分配するのが通例であるという原則である︒共同投資組織も多数者の投資々本の運用である以上︑出資投資者に利益を中心とした分配を行うが当然とならざるを得ないのである︒
以上︑共同投資組織においては一般に配当する立場をとるべきだとして︑然も共同投資組織により配当を重視す
る度合は多少異にしてよいのである︒このことは上の論議からも示唆される所と思う︒既に知れる如く︑共同投狩
と組織の型は夫々結びつくところで︑無期限の投資信託や投資会社に投資目的のものと投機兼投資目的のものがあ
ると共に︑有期限の投資信託にも投資目的のものと投機兼投資目的のものがあり得る︒しかし有期限の投資信託と
しては性質上投資目的のものは少く︑投機兼投資目的のものが普通となっている︒このように有期限の投資信託で
は投機兼投資目的のものが多いとすれば︑途中の利益分配はそれほど重視しなくてもよいとされる︒蓋し近い将来
に解散による償還があり︑その償還時の償還額を大にすることが最も希望せられるからである︒即ちこれにありて
は毎期の配当は利益の一部分を当てるに止め︑利益の大部分は成るべく積立て償還時の額を大にするようにせられ
んとするのだしこれに対し無期限の共同投資組織では利益を配当として分配することに全力を注ぐべしとされる︒
云う迄もなく︑無期限のものでは償還ということがなく︑加入投資者にこたえるためには利益は出来るだけ分配す
有期限の投資信託では途中配当は内輪に止め利益は積立てるのが寧ろ本来であるのに対し︑無期限の共同投資組
織では利益は出来るだけ配当する立前をとってよいという結論には︑尚附け加えるべきことのあるのを知らねばな
投資
信託
︵証
券共
同投
資組
織︶
の配
当政
策︵
今西
︶
もの︵殆んど組合組織即ち投資信託︶と無期限のもの︵組合組織と会社組織とあり︶がある︒而してこれらの目的 組織には投資目的本位のものと投機兼投資目的のものとがあり︑一方その組織の型に︑存在期間からみて有期限の
まるということである︒ 投資信託︵証券共同投資組織︶の配当政策︵今西︶
らぬ︒それは後者に就いてゞある︒無期限の共同投資組織に投資本位のものと投機兼投資のものとがあることは繰
一部の人々は︑その投資本位のものに就いては利益を全部配当に向けてよく︑投機兼投資の
ものに就いては利益の一部分をリザープし残りを分配すべきであると主張する︒その理由として︑投資的な無期限
共同投資組織ではその運営が組入れ銘柄の選定など穏健であり利益も安定し大きい変動がないがゆえ︑利益を全部
配当して心配ないが︑投機兼投資の無期限共同投資組織でほどうしても利益が変動するがゆえ︑一部分を利益平均
の資金としてリザーブする必要のあることを挙げる︒処が︑これに対し︑他の人々は︑投資的な無期限の共同投資
組織ではその堅実な運営方針を全面的に発揮さすべく︑利益は毎期変動少いとしても尚その一部分をリザーブして
残余を配当すべきであり︑投機兼投資の共同投資組織ではその運営方針に従い利益は寧ろ全部配当して宜しいと反
駁する︒双方の主張は恰も対立するわけである︒然らば何れをとるべきであろう.か︒私は無期限の共同投資組織の
うち投資的なものにありては利益を全部配当してよいと考える︒勿論︑運営上その利益に大きい変動のないことを
根拠とするものである︒併し投機兼投資の組織については︑私は利益を全部分配する行き方と利益の一部分をリザ
ープして将来に備え残額を分配する行き方の二つが生きるとなす︒つまりどちらかの行き方をとってもそれとして
差支えないとなすものである︒後者の利益の一部分をリザープする行き方につき注意すべきは︑それは有期限の投
資信託にみる如く︑利益を成るべく積立てるのとは異り︑たゞ将来の利益の少いときのために一部分を当てるに止
これ迄の所を纏めると︑有期限の投資組織では利益を成るべく積立てその一部分を配当すべく︑無期限の投資組
織では︑投資本位のものは利益を全部配当してよいが︑投機兼投資のものは利益の全部を配当する行き方をとって 返す迄もないとして︑
四
託をみるに︑議論の余地の残されている点がないでもない︒
我 国 の 現 状 批 判
もよく又その一部分をリザープし残余を配当してもよいというのであった︒処で︑共同投資組織の利益といっても
それにはインカム
In
co
me
とキャピクル・ゲイン
C a p i
t a l
g a i n
があり︵インカムとは所有証券から得られる配・
当や利子︑預金の利子等で︑
五
キャピクル・ゲインとは所有証券の値上り︑償還差益による収得であること説明する
延いて上の配当政策も利益をこのインカムとキャビクル・ゲインに分けて取上げるにおいて一層正確
又具体的となるのである︒先ず有期限の投資信託ではキャピクル・ゲインは全部積立て︑配当はインカムに限り︑
更にはインカムも︵それが意外に多かったときは︶全部配当せず一部分を積立てに廻す方針をとるがよいとなる︒
次に無期限の共同投資組織のうち投資目的のものは︑利益全部を配当してよいという以上︑これはインカムとキャ
ピクル・ゲイン︵尤もこれは性質上他の共同投資に比べ多くない︶の全部を配当資金とすべきである︒無期限の投
機兼投資目的の共同投資に就いては利益全部を配当に廻す行き方の場合はインガムとキャピクル・ゲイン
性質上梢ミ多い筈︶の全部を充当することとし︑利益の一部分をリザープする行き方の場合はキャピクル・ゲイン
の一部分をそれに当てその残余とインカムの全部を配当することとすべしとなるところである︒
︵こ
れは
吾々は上来共同投資組織の配当策の根本につき常道とみるべき方針を明かにした︒今この立場から我国の投資信
先ずそのユニット型︵クローズド・ニンド型で期間五年︶投資信託の配当は︑インカムの範囲を原則とするも︑
キャピクル・ゲイン即ち売買益も或る制限︵配当の三分の一以内で︑その場合の配当は元本の0
.六
二︒
^ー
セン
ト
投資
信託
︵証
券共
同投
資組
織︶
の配
当政
策︵
今西
︶
迄も
ない
︶︑
投資
信託
︵証
券共
同投
資組
織︶
配当
の政
策︵
今西
︶
を超えないことにする︶の下に充当するやり方をとっている︒配当はインカムを原資として売買益は成るべく積立
てるという態度は先に述べた配当常道論に副うており︑従って殆ど問題はないが︑売買益を配当に廻すべきでない
というのに対し現状のその一部分を充当してもよいという点は︑梢
M
配当主義に傾いていると云われる︒併しその程度の配当主義への傾きはインカム原資中心主義を崩すほどのものでなく別に差支えないと思う︒但し一部の人が
云うが如く︑厳格なインカム一本主義よりも我国の現状の方が弾力的で進歩的だという見解には賛成出来ない︒我
国も昭和三十六年六月頃まではユニット型の配当はインカム中心主義を堅持していたのであるが︑前年度辺りから
の株価騰貴に伴う利廻り低下によりインカム中心の配当を維持し得なくなったので現状のように改められたのであ
る︒膜ミ述べた如く︑ユニット型は積立主義が本性に合するのであり︑配当が減少しても苦にする性質のものでな
い筈である︒また配当主義の投資信託が別にないのならば︑
当主義を織込んだものがあってよいかも知れないが︑配当主義のオープン・エンド型投資信託が別にある我国とし
ュニット型としては配当をインカムに限る方針だけに徹する方がよいのであり︑
改正された我国現在のような方針は︑時と場合により臨時的に採ってもよいという範囲は止めらるべきであるので
尚︑我国のユニット型投資信託は売買益の或る部分︵評価損を埋めた後の三0︒ハーセント︶を残存元本の二0バ
ーセントに達するまで株価変動準備金となすことを︑ クローズド・ニンド型にも︑積立主義のものの外に配
らず実行することとし︑然もそれを株式以外の預金︑金銭信託︑債券等に運用することという当局の指導に従って
いるが︑この点もそうするのが一番よいというのでなく︑そうしてもよかろうという程度と批評すべきである︒蓋 あ
る︒
てその必要は殆どない︒要するに︑
︵昭和三十六年七月以後︶配当調整のために用いる場合に限
ノ
『七
配当原資として用いてよいというやり し株価変動準備金の制度は︑評価損等が生じ配当原資たる利益の減少した際に対応せんとするもので︑それは売買益の一部分まで配当に廻す方策をとる場合には意味を持たないではないが︑配当はインカムに限り売買益は総べて積立てる方針を守っている場合にはそれほど必要を感じないのであり︑更に株価変動準備金を株式以外の形態で運用するということも︑委託運営者の手腕が絶対的でないことを考えると肯定出来ないではないが︑投機兼投資目的のユニット型として資産は可及的に株式形態で運用するのが本則であり︑また株界の情勢をみて運用を適当に株式から預金形態にかえることを含むニキスパートとしての委託者の手腕を一応買うべきだとすれば︑それは強いてそ
次に︑我国のオープソ・エンド型投資信託の現行配当政策であるが︑インカムは原則として全部配当に向けると
︵評価損を埋め︑若し評価益のあるときはそれと併せた額の二0
バ
ーセントを︑期末組入れ株式時価の八︒ハーセントに達するまで株価変動準備金として積立てた︶残額を配当原資に
廻すという指導方針に従っている︒このオープン・エンド型投資信託の配当政策は︑先に挙げたオープソ・ニンド
型投資信託の常道的な配当政策の一つに該当し︑その意味では順当と云ってよい︒処が︑政府当局者の中には︑従
( 1 )
来の我国のオープン・ニンド型投資信託の配当政策に比べ右の現行のやり方を画期的な改正とみるものがないでも
ないのである︒昨年︵昭和三十六年末︶までの我国のやり方は︑
せず︵評価損のあるときは売買益の二分の一を限度として埋めた残額︒私としては評価益や評価損の問題は後廻し
方であった︒即ち我国のオー︒フン・エンド型の配当は︑従来は︑ にしているので︑妊では一応評価損のない場合を考えてよいわけである︶︑
インカム︑売買益の全部を廻してもよく︑叉売買
投資
信託
︵証
券共
同投
資組
織︶
の配
当政
策︵
今西
︶
共に︑売買益は一部分を配当調節にリザーブし うしなければならぬとまでは云い切れないからである3
インカムは勿論︑売買益もリザープするを要件と
(1
)
益の方は一部分をリザープする方法でもよかったのであるが︑改正により現在は凡て売買益は一部分リザープする
やり方をとらねばならなくなったわけで︑前のユニット型の配当が従来はインカムだけ一本であったものが時に売
買益の一部分を加えてもよいとなったのと︑
への改正は︑確かに画期的であると云ってよい︒けれどもオープン・エンド型投資信託としては︑当期の利益を正 コントラストをなす︒この意味でオープン・ニンド型配当政策の現行
直にそのまま配当するのもその本性に副い︑従ってそれの︱つの配当策として充分に通用し︑
的のゆえに売買益の一部分を配当調節に用いるのも叉その方策として通用するのであり︑このことは第一節に述べ
たところである︒つまりそれらの二つは彼の配当方策の常道であり︑何れを採用してもよいのであるが︑
のは各個の投資信託が自己に適するものを適当に選択出来るということである︒然るに我国のオープン・ニンド型
投資信託がその一方だけをとらねばならなくされたとすれば︑これは決してよいとは云えないわけである︒今︑我
国に於て現行のように改正されたいきさつとして︑好況時と不況時の配当を平均することのほか︑特に︑多き配当
のため売買益を狙い荒い運用のなされる傾向を抑制することが挙げられている︒ 一方︑投機兼投資目
つまり我国の投資信託が未だ初歩
期で運営が幼稚であり︑それに適応さす施策が必要であったというのである︒この意味では現行の配当方策への所
謂る画期的な改正は妥当と認めねばならないであろう︒併し上に述べた︑二つの常道的なやり方を自由に選んで採
用し得ることが最上であることを考えると︑その改正は
1
幼稚な我が投資信託の運営に応ずるよう配当政策を後退さしたものでありー~前進したという意味での画期的ではないと云わざるを得ないのである。
長谷井輝夫氏﹁投資信宅当面の諸問題﹂商業通信昭和一=六年一0
月二三日号
以上︑我国の投資信託の現行配当政策を批判して来たが︑そのオープン・エンド型につき尚批判の残されている 投資信託︵証券共同投資組織︶の配当政策︵今西︶
八
一番
よい
所謂る新型オープン・エンド型が投資目的のものか投機兼投資目的のものかは明言されていないが︑大体後者で
あると認識して差支えない︒其種オープン・エンド型に先立ち大型株組入れを目標としたオープン・ニンド型投資
信託が設定され︑これが投資本位のものであったところから︑そのように推測される︒既に知れる如く︑無期限の
オープン・ニンド型共同投資組織の配当策ほ︑投資目的のものが利益全額充当方針をとってよいのに対し︑投機兼
投資目的のものは利益全額充当方針のほか︑利益の一部分︑就中売買益の一部分をリザープするやり方をとっても
よいのである︒何より大切な点は︑その売買益の一部分をリザープするのは︑利益の変動から配当に甚しい変化の
生ずるのを防ぐ趣旨の範囲に限られ︑利益を出来得る限り積立てるものであってはならないことで︑このことは呉
々も強調しておいた所である︒新型オープン・ニンド型が投機兼投資を目的とするにおいて︑売買益の一部分をリ
ザーブすれば常道的な配当政策の一を選んだものとみてよいが︑売買益の全部を積立てることを標榜するに至って
s
J O
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もののあるのを知らねばならない︒それは本年︵昭和三十七年︶こ入
り︑
九
一部の委託会社によって創設された所謂
る新型オープン・エンド型の配当政策である︒これの配当方針は︑配当ほ専らインカムに止め売買益はこれを積立
てて行くという行き方である︒繰返す迄もなく︑我国のオープン・ニンド型の配当はインカム︑売買益の全部を充
当する従来の方針をやめ︑売買益の一部分をリザープするよう改正されたのであるが︑新型オープン・ニンド型は
売買益を全部リザープするというのであるがゆえ︑改正された方針に寧ろ従い過ぎる位で︑その点問題にならない
ことほ云う迄もない︒が︑本来配当本位たるべき無期限のオープン・ニンド型がユニット型の如く積立て主義をと
って︑果してオープン・ニンド型投資信託としての特色が発揮されるであろうかが問題として起らざるを得ないの
投資
信託
︵証
券共
同投
資組
織︶
の配
当政
策︵
今西
︶
第一節に共同投資組織のとるべき基本的な配当策を︑投機兼投資目的の有期限のクローズド・ニンド型︑無期限
のオープン・エンド型の投資
H
的のもの︑同じく投機兼投資目的のものに分ち要述するに当り︑夫々その理由とす るところを附して説明した︒が︑今我国の新型オープン・ニンド型の批判に関連し︑それらの理由を更に敷術して 述べてみる必要がありそうである︒等しく投機兼投資
H
的の投資信託でも有期限のものは売買益︑更にはインカムも出来るだけ積立て配当を控え目にする方針をとるべしとされるが︑これは有期限のものは株式界の情勢がここぞ と思う時に設立され︑加入者投資者も委託運営者に全面的に任し︑少くとも数年間じっと加入を続けるという趣旨 に出る︒処が︑無期限のオープン・エンド型は存在が長期であり︑これにありては加入者はエキスパートたる委託 運営者の手腕に期待するも自分も叉適当に判断して脱退することが肝要なのである︒株式界は好況と不況の波が繰
返されるところで︑
叉如何に優れた委託運営者でも万能でなく︑投資信託が折角好成績を挙げ利益を積立てておい ても︑長い歳月の間には不況の波をかぶりそれらの蓄積がはげてしまうことなしとしない︒或は︑積立主義をとる
もこ
4
ぞと思う如入投資者は高くなった価格で脱退すれば利益は充分実現出来ると云うかも知れない︒併し積立主義のオープン・ニンド型を設定するときは︑加入者の中に︑錯覚を起すというか︑運営者に任せ切りの態度を続け︑
収め得たであろう利益を喪うものの生ずる危険を伴うのである︒これを避けるには︑矢張り︑利益は毎期出来るだ け配当し︑運営者に期待し投資を続けんとする者は配当を随時再投資する途を選ばすやり方をとるの外なく︑結局 このやり方が無期限のオープン・ニンド型投資信託の基本とならざるを得ないのである︒
以上で我国の新型オー︒フン・ニンド型投資信託の急所的な批判はなされ︑それが常道を外れていることが知られ
は︑最早常道を逸していると評さざるを得ないのである︒
投資信託︵証券共同投資組織︶の配当政策︵今西︶
10
ソの方は常に生ずるとは限らない︒時にはそれと逆な売買損︑ たと思う︒我国の証券共同投資組織は未だ初歩期にあるため︑バラェティの点に於ても未発達である︒会社がそのバラェティを増すべく配当政策に従来のと変わったものを案出したことは肯けないでもない︒併し我国投資信託のバラェティは組入れ銘柄の点などでもっと工夫さるべきで︑配当政策の常道を変えての新型の如きは通用せず︑実際にもやがて短所を暴露するに至るであろうことが云われる︒のは︑その配当政策が常道を外れていることを理解しなかったためとも思われるが︑主としては例の営業政策に出たものに違いない︒彼等は既に投資本位のオープン︒エンド型投資信託のほかに投機兼投資のオープン・ニンド型投資信託を設定して来た︵有期限のクローズ・ニソド型は別として︶︒ならば︑之等の既存投資信託は雪達磨式に膨脹して行く筈である︒然るに最近の実際の人気はそれほどでなかった︒この情勢に処し︑新しい投資信託により大衆投資々金を吸収せんとしたのが所謂る新型に外ならない
3
斯くて︑更に—ーーオープン・ニンド型の基本を外れていることのほかに
1
新型に関連して提せられる苦言は、そのようなものを並設した委託会社は既存の投資信託加入者に対し不忠も甚しいということである︒
これ迄述べた共同投資組織の配当論では︑専らインカムとキャピクル・ゲインとしての売買益を取上げた︒イソ
カムは大小はあれ共同投資組織として常に生ずるところで︑その意味では常にプラスであるが︑
投資信託︵証券共同投資組織︶の配当政策︵今西︶
売
買 損 と 配 当
一部の委託
キ・
ヤピ
クル
・ゲ
イ
つまりキャビクル・ロスを生ずることもある︒勿論︑
共同投資組織は多数の銘柄を組入れており︑全体として売買益の多い場合にも或る範囲の銘柄については売買損を 若し彼等の運営が宜しきを得︑人気がある 一部の委託会社が所謂る新型を案出した
る ︒ け るとすれば、その場合'~インカムと売買損のある場合ーの配当を如何にすべきかも決めておかねばならないわ らは評価損の原因となるが︑評価損については次節に取上げる︶︒ 下りしたものほ見切って売却するのを避け︑出来るだけ辛忙して持続せられるものであるからである︵勿論︑これ 資組織はエキスパートに運営されているので値上り益を獲得し得る可能性が多く︑又人情というか︑組入銘柄中値 一言して置く︒その点は兎も角︑このような売買損が売買益に比べ生ずる事例の少いのは確かである︒蓋し共同投 買損を差引きし売買損の方が多い事態を指すものである︒この事は既に推知されているところと思うが︑念のため 生ずるということは充分あり得るが︑今絃に売買損として取上げるのは︑
であ
る︒
先に配当原資としてインカムと売買益を取上げた場合︑投機兼投資本位の有期限クローズド・ニンド型は積立主
義に立つべく︑投資本位並びに投機兼投資本位の無期限のもの︑特にオープソ・ニンド型は配当主義に立つべきで
あるが︑後者は配当に徹底する行き方と一部分リザーブする行き方の何れかをとってよいことを述べた︒従ってイ
ンカムと売買損のある場合の配当策も︑それらの共同投資組織の配当原則を甚として論究すべしとなるところであ
先ず積立主義をとるユニット型に於ては事は比較的簡単である︒即ち配当ほ︑インカムより売買損を差引いた残
額を限度とすべく︑若し売買損の方が多いときは無配とすべきである︒処で︑共同投資組織の決算︑配当に就いて
は︑発足して相当経過した場合をも取上げねばならないのであり︑今ュニット型についてもそうしなければならな
い︒この場合︑過去の売買益やインカムの積立てで今期売買損を埋めインカムによる配当を行うてよいが︑配当は
投資
信託
︵証
券共
同投
資組
織︶
の配
当政
策︵
今西
︶
併し事例は少いといっても稀に生ずることがあ 一計算期間内における各個の売買益︑売
インカムの限度に止むべきである︒若し過去の積立てが少く今期売買損を埋め切れないときは埋残り売買損を︑又
売買損が繰越されているときはそれを今期売買損に加えた額を︑それぞれインカムから差引き残りのある場合に限
り配当する︵なお︑損失となるときはそれを繰越す︶が︑正しい配当策であるのである︒
体 ︑
次に無期限のもの︑特にオープン・エンド型の場合売買損の処理を考えるに当っては︑配当本位主義とは如何な
るものであるかをもう一度明瞭にする必要がある︒蓋し前に第一節で述べた所はインカムと売買益のある場合に止
まり︑その全体としての性格は︑インカムと売買損のある場合をも吟味し始めてはっきりするからである︒
配当本位主義は出来るだけ利益を分配するものだとして︑インカムと売買損が出た場合︑それは︑インカムは必ず
配当し売買損は一応棚上げし将来の売買益で埋めることにするのか︑又インカムは売買損と相殺し残余を配当する
のかが問題となる︒而してこれは前者をとるのである︒或は斯かる態度は無理に配当をやるもののように思われる
かも知れないが︑決してそうでない︒何故なら︑共同投資組織は売買益を目差し然もェキスパートの運営に侯つも
のとして︑将来売買益の獲得が期待され︑それを以て埋めるという立前は不当とは云えないからである︒この場合
大切なのほ︑その売買損の棚上げは棚上げし放しでなく︑繰越損として処理することである︒これにより︑後の決
算期に売買益を生じたときは︑繰越損を埋め残りをインカムと共に配当し︑若し埋め足らぬときはインカムだけ配
当し残りを繰越すべしとなるのである︒
無期限の共同投資組織の配当主義は上の如くなるにおいて︑それはそのま
4
では︑利益の多いときは配当は多い変動を緩和せんとしたが︑云う迄もなくリザープ主義である︒既に知れる如く︑ が︑売買損の生じたときは配当は少く︑繰越損のあるときは長い間配当は少からざるを得ない︒この配当の甚しい
リザープ主義は利益の多いとき売
投資信託︵証券共同投資組織︶の配当政策︵今西︶
第三者の立場が多少問題となる︶︒ ︵アメリカのクローズド・エンド型投資会社の中には社債其他債務を持つものもあり
‑L
ev
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om
pa
ny
ー
こ れ に あ り て は
であ
る︒
織は一般の事業会社と異り︑ 当はインカムを越えるべきでないとされるのに対し︑リザーブ主義の無期限共同投資では売買損を埋めるだけでな
く︑インカムの少いときはそれを補足し相当な配当を行うて差支えなしとされるのである︒
無期限の共同投資組織にはリザーブ主義と並んで配当徹底主義のあること︑最早繰返す迄もない︒これにありて
は利益の一部分をリザーブすることをせず総てを配当することは既に述べた通りであるが︑
き如何にすべきやと云えば︑上に配当主義として述べた方針をそのま
4
素直に行うべき所である3即ち売買損の生じたとき︑配当はインカムに止めるも︑売買損を繰越さず後期の売買益と相殺しないが如きことは採るべきでない︒
つまり配当徹底主義というも配当主義に徹するだけのことで︑配当主義としての配当方策より更に一歩配当に走る
ものであってはならないのだ
3
素より配当徹底主義に立つときは︑当然︑配当は好況不況によって変化し投機的となるのを免れないが︑然も一部の人が云うが如く︑危険極まるとか不当とみるのは必ずしも当らない︒蓋しこの主
義は梢ミ長期に亘って視る立場に立つのであり︑この限り配当は自然的に平均されるところがあり︑
一時売買損が多くて運用投資資産が減少するも第三者に迷惑を及ぼすことは少いから ユニット型の場合と大いに相違のある点である︒先に述べた如く︑
投資信託︵証券共同投資組織︶の配当政策︵今西︶
買益の一部分を蓄えておくのであり︑これにより後に売買益の少いときそれを補充出来るのみならず︑今売買損を
生じたときをそれ埋めてよく︑積立が可成りなれば配当は相当に維持出来るのである︒注意すべきは︑積立主義の
ユニット型では積立利益で売買損を埋めるも配
いま売買損を生じたと
一四
叉共同投資組
得るのであり︑これらが評価益であり叉評価損である︒
一五
さて上述した売買損の生じた場合の配当政策論からみて︑我国の現状は如何に批判さるべきであるかであるが︑
余り述べることはないようである︒というのは︑既に知れるであろう如く︑共同投資組織は組入れの値下り銘柄を
売却し売買損を出すことを躊躇し︑
と配当の関係は正面から取上げられていないからである︒勿論︑値下り損を売買損としないときはそれだけ評価損 が多くなるわけで︑事態は評価損の処理へと移行することとなる︒たゞ︑薮に一言して置き度いのは︑右の事情か ら折角の売買損と配当の関係論も︑理論的な究明としての価値しか持たないなどと考えてはならないことである
3
蓋し本来︑売買損の生ずる事例は全くないというものでないのみならず︑その関係論は評価損と配当政策の前提︑
共同投資組織の配当原資であるインカムとキャピクル・ゲインのうち︑後者は常に生ずるとは限らず︑時には逆 のキャピタル・ロスの生ずることもあることは︑既に前節に述べたところであるが︑これ迄取上げて来たそれらキ
ャピタル・ゲイン︑
キャピタル・ロスは何れも売買益︑売買損という所謂リァライズされた
R e
a l
i z
e d
ものであっ
た︒併しキャ︒ヒクル・ゲイン並びにキャ︒ヒクル・ロスには未だリアライズされない
U n
r e
a l
i z
e d
状態のものもあり
処で︑売買益︑売買損の場合︑売買益は値上りした組入れ銘柄を売却して得た各個の利益或はそれらの合計を指 し︑売買損は値下りした組入れ銘柄を売却して生じた各個の損失或はそれらの合計を指すこともあるが︑共同投狩
投資信託︵証券共同投資組織︶の配当政策︵今西︶
四
基礎として用いられるところがあるからである︒
ため
に売
買損
︑ 評
価 益
・ 評 価 損
と 配 当
つまり売買益以上の売買損の計上されることは稀で︑自らそれ
当の関係について論及して行こうと思う︒ 投資信託︵証券共同投資組織︶の配当政策︵今西︶
組織で売買益を生じたというときは所定の決算期中に生じた売買益の合計から売買損の合計を差引きして尚余剰の
ある
状態
︑
つまり差引き売買益を指称し︑又売買益を生じたというときはそのような差引きをして不足のある状態︑
つまり差引き売買損を指称し︑前節来取上げた売買益︑売買損はそれぞれ後者のものであったこと︑改めて云う迄
もない︒これは各別の売買益︑売買損は同一線上のものとして差引き可能であると共に︑共同投資組織の配当には
そのような全体差引きが問題となるからであった︒いま評価益︑評価損についても結局は全体差引きのものが問題
となることが考えられるが︑然しこの方は直ちにそのような全体差引きのものを取上げることは許されないのであ
る︒蓋し評価益︑評価損は売買益︑売買損のように同一線上にあって差引きしてよいものとは頭から決まっていな
いからである︒従って︑評価益︑評価損については︑初め︑差引きしない各別の評価益︑評価損を取上げ夫等と配
さて評価益と配当の関係であるが︑評価益も配当の原資としてよいという主張がある︒その主たる根拠は︑評価
益は絵にかいた餅のようなものでなく︑充分生きているという所にある︒すなわち共同投資組織に於て途中の脱退
は︑その時の時価による純資産額を口数で除した大いさを一口当り基準価格として認められるのであり︑その中に
は当然評価益に該当する部分が入っているがゆえ︑決算日に於ける評価益も当然現実的に処現されて至当だという
のである︒評価益を配当原資としてよいという主張の根拠として︑更に︑それを売買益に変え易いという点も挙げ
られる︒即ち共同投資組織運営者が評価益を売買益に変えようと思えば値上りした銘柄を適当に市場に売却すれば
事が足り︑仮りに評価益は分配してはいけないとせられても︑この方法により苦もなくリアライズされるがゆえ︑
それを強いて売買益と区別する意味はないというのである︒尤もこれに対し︑評価益がそのように売買益と紙一重
一 六
一七
一時的に或る程度持上げることは不可能で のものであるならば︑仮令将来有望で尚一層値上り益を狙うとしても︑強いて評価益のままにせず一度売買益となし︑再び購入して持続すればよい筈であるのに︑それを敢えてしないのは︑売却︑再購入に要する手数料は兎も角として︑利喰値段︑再購入値段が都合よく運ばないからとみるべく︑その意味で評価益は売買益と殆ど変わらぬとなすことは出来ないという議論が出るかも知れない︒併しこの点については︑彼等は︑共同投資組入れ銘柄は殆ど市場性の大なるものに限られていること︑叉我国などでは︱つの投資信託委託会社が複数の投資信託を設定しておりそれらの間に売買所謂転がしのやれること等により︑その恐れなしと答えるところである︒
上のような評価益原資論に対し︑一方それを否とする主張がないでもない︒この方の主たる根拠は︑評価益なる
ものは一時的存在で消え易いという所にある3詳しく云えば︑共同投資は長期に亘る存在でその成果は最後に確定
せられるのであり︑恰もマラソン競争において途中のリードは必ずしも勝利でないが如く︑途中の値上り益も一時
的に止まるかも知れず︑それを分配するときは後が苦しくなる︑というのである
3
評価益配当原資反対論者は更に次の事項をも挙げる︒曰く︑評価益の分配が認められるときは共同投資運営者は決算期において好んで組入れ銘柄
の相場吊上げを計らんとする︒素より共同投資組入れ銘柄は殆ど取引所上場銘柄であり吊上げが常に意の如く成功
するとは限らないが︑共同投資組織の相当な資力で工作されるところ︑
ない︒従って評価益は決算目当に不自然に膨脹せしめられたものとなる弊を免れないことになる︑
然らば何れの根拠を支持すべく︑評価益の分配は如何にするがよいであろうか︒先ず評価益は絶対に配当に使っ
てはいけないというべきものではない︒併し評価益は途中決算期には成るべく計上しない方が望ましいものである︒
分配に使用するのを認めざるを得ないというのは︑既述︑分配を主強する︑評価益は生きているという根拠に従っ
投資信託︵証券共同投資組織︶の配当政策︵今西︶
と ︒
社会ではこの方法を適当に採用してよいわけである︒ ずそのま4にしておくに如かずとなるわけである︒ たわけであり︑ 投資信託︵証券共同投資組織︶の配当政策︵今西︶
叉成るべく分配しないのが望ましいというのは︑反対論の消え易いという根拠に従ったわけである︒
こ
4
で少し注意しておき度いのは︑評価益を計上し配当にプラスさせんとするときは︑当然︑原価換え︑の購入価格を時価に変更し︑爾後この価格を当該銘柄の原価とすべきことである︒この原価換えのことから評価益
というも原価換え済みの謂わば公式な評価益と原価換えをしないままの謂わば非公式の評価益の二種類ありとなる
わけである︒それは兎も角︑評価益を配当にプラスさすには原価換えをした評価益としなければならないのである
が︑勿論原価換えして計上した評価益は必ず分配しなければならないものでもなく︑それをリザーブしても差支え
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つまり元上に評価益は成るべく分配しない方が望ましいという趣旨を生かすには︑評価益を原価換えのものとせ
評価益分配肯定論と否定論に対し吾々は上の如く結論したが︑尚︱つ附け加えるべきことがありそうである︒そ
れは否定論の第二の根拠とされた︑その分配を認めるときは株価吊上げ工作が激しくなり評価益が製造され易くな
るという事態に就いてゞある︒この事態の対策としては︑株式市場を強化し株価工作の効かないようにすることが
挙げられる︒確かにこれは根本的な対策には違いないが︑然し株価工作の効かない株式市場を作り上げることは極
めて困難である︒結局︑通常の株式市場の下に対策を考えねばならないが︑これとし一般に取上げられるのは︑共
同投資組織組入れ株式の評価を決算日当
H
の市場相場を以てせず︑その日に至る以前の一カ月乃至ニカ月の平均相場を以てする方法である︒この方法で共同投資組織の株価工作が完全に封ぜられてしまう所までには至らないが︑
不自然に評価益が膨脹することは或る程度抑制される︒従って共同投資組織の決算株価工作の行われる傾向の強い
一 八
一九
こ
4
で評価損と配当の関係に入るが︑これは配当原資から控除すべきものという主張がある︒この主張の根拠として︑評価益の場合と同様︑評価損は生きているということが先ず挙げられる︒更に評価損をそのままにしておく
のは不健全ということも根拠とされるUつまり評価損があるに拘らず売買益の方を分配してゆけば︑投資資産が細
まり弱体化してしまうというのである︒而してこの評価損と売買損を同等に取扱うべしという主張に対しては︑勿
論︑それに及ばず︑評価損はそのまま放任して差支えなしという主張がないではない︒その根拠は︑評価損は長期
存在の共同投資組織として過渡的なものに過ぎないということが一っ︑評価損を売買損と同等に扱うときは評価損
を少くするため株価工作が激しくなるということが︱つである︒
然らば評価損は売買損と同様︑配当に対しマイナスのものとして取扱うべきか︑取扱う必要がないものであろう
か︒これは矢張りマイナスのものとして取扱うべきである︒然も大切なのは︑評価損は卑しくもそれが出る限り残
らず計上すべきことである︒この点は︑前の評価益の場合︑売買益と同等に取扱うてよいが控え目にすべきであっ
たのと︑大いにコントラストをなす︒評価損の場合このように厳格に計上すべしとされるのは︑評価損をそのまま
にしておくのは不健全だという根拠に基くものであること︑云う迄もない︒而して評価益の場合株価工作による不
当な評価を抑えるため︑組入れ株式の評価は決算日以前の或る期間の平均相場によるが穏当とされたことは︑評価
損の場合にも通用すると云ってよい︒尚︑評価損はそれを計上するとき原価換え︑
ることを行うてよいことは︑改めて申し添える迄もないところであろう︒
本節の初めに︑評価益と評価損は当然に相殺してよいものでなく︑それには理論的な吟味が必要であることを一
言しておいたが︑上来の評価益と配当の関係︑評価損と配当の関係論から両者は差引き可能であることを知った︒
投資信託︵証券共同投資組織︶の配当政策︵今西︶ つまり購入原価を時価に切下げ
方針に従うものとなるところである︵イソカム︑売買益のほか評価益の生じている場合は︑この方針によるべきこ
と︑
勿論
であ
る︶
︒
次に無期限の共同投資組織において︑インカム︑売買益のほか証価損が生じている場合は︑矢 れ以上となってもそれは成るべく計上しない方が妥当であり︑つまり配当をインカムに止めるのが積立主義の配当 いる場合は︑売買損を評価益で埋めてよいが︵埋め切れないときは矢張り第三節の配当方針に従う︶︑評価益がそ
ある
︒
投資
信託
︵証
券共
同投
資組
織︶
の配
当政
策︵
今西
︶
併し両者は単に差引き可能であるに止めず︑進んで差引きすべきなのである︒蓋し評価損は評価益を以て埋めるの
がよいからである︒而してこの差引きにより評価益︑評価損は売買益︑売買損の湯合と同様︑差引きされた評価益︑
評価損が得られるが︑注意すべきは︑この差引きした評価益又は評価損を無雑作に売買益︑売買損に加減してはな
らないことである︒既に知れるであろう如く︑評価損は厳格に処理するを要するところから当然に加減すべきであ
るが︑評価益は成るべく配当に加えない方が望ましいところからそれの計上︑加算は控え目にする方がよいからで
今︑このような差引き評価益並びに評価損の取扱から︑これらの生じた場合の有期限クローズド・ニンド型︑無
期限のもの︑特にそのオープン・ニンド型の配当方針を述べると︑次のようになる︒先ず有期限のクローズド・ニ
ンド
型に
おい
て︑
め足
らず
︑
インカム︑売買益のほか評価損が生じている場合は︑評価損を必ず売買益に加える︑
益で評価損を埋め︑なお売買益が残っているときに第一節に述べた配当方針をとるべく︑若し売買益が評価損を埋
インカムと評価損となるときは第三節に述べた︑インカムと売買損の場合の配当方針をとるべきである
︵インカム︑売買損のほか評価損の生じている場合は︑売買損に評価損を加えるべく︑第三節に述べた配当方針に
よるべきこと︑勿論である︶︒又有期限クローズド・ニソド型において︑イソカム︑売買損のほか評価益の生じて
二〇
つまり売買
張り︑評価損と売買益を相殺し︑売買益が残っているときは第一節に述べた配当方針を︑評価損が残りインカムと
評価損となるときは第三節に述べた配当方針をとるべきである︒念のため一言して置き度いのは︑売買損は一時棚
上げしインカムだけは配当するという配当徹底主義において︑評価損を棚上げしインカムと売買益を配当に充当す
べきでなく︑売買益を以て評価損を埋めた残りを分配又は棚上げすべきことである︵尚︑
又無期限の共同投資組織において︑
る︒屡ミ述べた如く︑無期限共同投資組織は配当本位主義に立ってよいが︑ インカム︑売買損のほか
評価損の生じている場合は︑︑売買損と評価損を加えて一時棚上げし叉前期繰越利益で埋めるぺきこと︑云う迄もな
インカム︑売買損のほか評価益の生じている場合は︑矢張り︑売買損を
可とするものである︒結局︑この場合は︑配当本位の共同投資組織に相応わしい程度の配当をなし得る迄の評価益
は計上してよいが︑それ以上は差控えるという方針をとるべしとなる
はこれと同様で︑売買益の少いときは或る程度の評価益を計上してよいが︑売買益が既に多いときは評価益の計上
を差控えるが妥当である︒このことは配当徹底主義︑リザーブ主義の何れにも通用すると云ってよい︶︒
以上︑評価益或は評価損のある場合において各種の共同投資組織がとるべしとされる配当方針に就いて述べたが︑
この原則から我国の現状を批判するに︑大体は選当と云われる︒特に︑評価損を売買益で埋めることを励行し︑
オ
ープソ・ニンド型に於て従来売買益の二分の一を限度として評価損を埋めるに止めたのを改め総て埋めるように指
導しているのは合理的である︒但し評価損の方の扱い方に就いては尚注文が残される︒既に知られる如く︑我国の
オープン・ニンド型では売買益に加えて評価益を計上するときは一定の割合︵二0バーセント︶を株価変動準備金
投資
信託
︵証
券共
同投
資組
織︶
の配
当政
策︵
今西
︶
評価益で埋めてもよいが︵埋め切れないときは第三節の方針による︶︑
︵インカム︑売買益のほか評価益のある場合 一方評価益は成るべく計上しないのを それ以上の評価益をどうするかは問題とな
い ︶ ︒
あとがき共同投資組織の究極の配当に就いては︑利益から諸経費ー投資信託制度では委託者報酬︑受託者報酬等︑投資会社制 度では重役報酬︑投資顧問報酬︑調査費等ーを控除することを行わねばならない︒併しこの共同投資組織の経費と政策論は別の
機会に譲り︑本稿には触れないことにした︒
本稿は昭和三十四年︑三十五年度文部省科学試験研究費の助成による研究成果の一部である︒ ことを忘れないことである︒ 投資信託︵証券共同投資組織︶の配当政策︵今西︶
に廻すことが要件とされており︑これは評価益を成るべく計上せぬ方が望ましいという事を運営者の道義心に放任
せず制度化したものと見られないでもない︒併しこの制度でも︑既に多額の売買益があるのに尚幣しい評価益を計
上するということは生じ得るところで︑否︑斯かる制度のゆえにそれが敢えてせられるということにもなり易いの
である︒こ4に望まれるのは︑そのような規定の範囲に止めず︑必要な場合には当局として適当な行政指導をなす