投資信託(証券共同投資組織)の管理問題
その他のタイトル On the Management of Investment Trust
著者 今西 庄次郎
雑誌名 關西大學商學論集
巻 8
号 1
ページ 1‑22
発行年 1963‑04‑30
URL http://hdl.handle.net/10112/00021639
証券共同投資組織の管理機構については︑既に投資信託制度並びに投資会社制度の解説︵本誌第六巻第二号︑拙
稿﹁投資信託証券は果して証券であるか﹂︶で︑大要を述べた︒従ってそれを繰返すことは意味がない︒
れらの管理について更に述べることがないかというに︑決してそうでない︒種々の問題点があり︑政策的な論議が
多く残されている︒而してその問題点であるが︑投資信託制の場合と投資会社制の場合とにより多少異るところが
あ る
の で
︑
一応別々に論ずるのがよいとなっている︒処で︑証券共同投資組織の管理上の政策問題として究極的に
取上げねばならなくなるのは︑矢張り︑投資信託制と投資会社制の何れが優れているかの比較︑選択となるところ
である︒で︑以下︑この順序に︑共同投資組織の管理問題を論ずることとする︒
既に知れる如く︑投資信託制の証券共同投資組織の管理機構の中には︑組入れ投資証券の保管︑計算︑時には元
投 資
信 託
︵ 証
券 共
同 投
資 組
織 ︶
の 管
理 問
題 ︵
今 西
︶
投 資 信 託 管 理 機 構 の 問 題 点
序 言 投資信託︵証券共同投資組織︶
今 西 庄 次 郎
の管理問題
然らばそ
資 投
信 託
︵ 証
券 共
同 投
資 組
織 ︶
の 管
理 問
題 ︵
今 西
受益証券の販売︑ ︶
や分売業者︶があり︑時には投資顧問なども入るが︑その中心をなすのは︑勿論︑委託機関である︒委託機関の任 務とする所は︑大別して︑投資信託︵投資財産︶を創設する業務とそれを運営する業務の二つとなる︒運営業務は 適当な証券を適当な時機に仕入れ︑転売し︑また損益の計算と配当を合理的に行うなどの共同投資本来の仕事を指 託会社︵信託銀行︶と信託契約を締結し︑受益証券を発行するなどの仕事を云う︒之等の創設業務と運営業務は別
個の者がそれを営んでもよいと考えられるが︑実際には同一のものが合わせ行わざるを得ないのである︒蓋し一般 に投資大衆は出来上った投資信託の運営のことを考え︑創設者がそれに誠意をつくすものとして応募するのであり︑
延いて創設者としては投資信託を造り放しでなく守立ててゆく責務をもつからである︒
これらの事は最早周知に近いと思うが︑これからが考究の残されている点となる︒まず︑投資信託では創設業務 と運営業務は同一の者によって行わるべしとして︑それを営む者は個人乃至少数人の団体︑例えば組合でよいか︑
将た会社︑就中株式会社でないといけないかが一応問題とされる︒併しこれは個人や組合は勿論︑合名会社や合資 会社などの会社ではまず困難である︒知慧や信用や資力が不足するからである︒
一体︑投資信託の創設︑運営︑特
に運営の仕事は︑その性質ブレーン的である︒従って少数の有能者︑投資ェキスバートを中心とした組合や合名会 社などでもよいようである︒併しそれらの者が有効に活動するには外部の投資顧問を利用するとしてもー自 らも下部施設たる調査部をもち人員と設備を擁せねばならない︒叉受益証券の解約分を一時手持したり︑当初の募
集やその後の販売のための広告︵販売機関に代行さすことも出来るが︶に資金もいる︒斯くて投資信託委託業務を し︑創設業務はそれらに先立ち投資信託そのものを設定する仕事︑
つまり設定計画を立て︑大衆から資金を集め信
利払をなす信託機関︵信託会社或ほ信託銀行︶︑
更には解約手続をなす販売機関︵引受販売業者
3 投資信託の委託機関は株式会社組織︑ 行うものは相当の資本を擁する株式会社でなければならないとなる︒
然らば委託会社の資本規模は如何ほどとすべきであろうか︒先ずそれはそう無闇に大なるを必要としない︒委託
会社としての収入は投資財産の運用に対する報酬︑所謂委託者報酬を本来とすべきであり︑この報酬収入は運用投
資財産の額に比例せしめるのが本則である︒従って投資財産額がそれほどでないのに資本が不相応に多いのは営業
として成立し難いとなる︒特に注目してよいのは︑委託会社は投資財産の運用に当り︑運用収益の大なるよう努め
るが︑収益がうまく挙がらなくても補償的な責任を持たない点である︵初期の委託会社の中には収益少いとき一定
の配当を保障した例もあるが︑これは投資信託本来のやり方でない︶︒
託について銀行と同じ地位にある︶や保険会社などが損失危険を負うているのとコントラストをなす︒従って︑委
託会社では︑銀行が預金が増大するにつれ会社資本を大となし︑保険会社が保険契約が増大するにつれ会社資本を
大にしなければならないように︑投資財産の増大するにつれ資本金を大にする必要は少い︒このように論ずると︑
委託会社は小資本でもよく︑寧ろその方が好都合のようにも受取れるが︑決してそうでなく︑無閻に大資本でなく
てもよいというだけのことである︒矢張り︑小じんまりした会社では上述した人的︑物的の施設を充分にすること
が出来ず︑世間の信用も薄く︑多額の投資財産を集め得ないため有効な分散投資を行い得ないのである︒こ 4
に 国
策的見地から委託会社の資本に最低限度を設ける方がよいとなる︒但しその額の具体的な大いさは国により時代に
より決めるべきであり︑ 一概に云い得ないが︑今日の我国としては一億円ぐらいの所であろう︵証券取引所の実物
市場に上場する株式の会社資本の最低額とする︶︒
つまり委託会社でなければならぬとして︑それは単に相当の資本を擁する
投 資
信 託
︵ 証
券 共
同 投
資 組
織 ︶
の 管
理 問
題 ︵
今 西
︶
この点は︑銀行︵我国の信託銀行は貸付信
投資信託︵証券共同投資組織︶の管理問題︵今西︶
株式会社であるというだけでは足らない︒云う迄もなく︑彼の営業内容がプレーソ的であり︑このため会社の首脳
がそれを遂行するに適わしい人材でなければならないのである︒
えば︑経済知識のうちでも証券の方面︑金融の方面︑会社経営の鑑別︑所謂企業分杯などである︒更に経済知識と
並んで︑産業を動かす原動力たる科学技術の知識も肝要とされる︒科学技術は機械的︑電気的︑化学的に大別され
るが︑必要に応じ何れもの知識が要請されるところである︒素より一人の人間が之等の学識の凡てを具えることは
むつかしく︑結局何れかの知識︑経験を具えた人が集まって会社の首脳を構成することが要件となる次第である︒
投資信託の委託会社の要件︑就中その首脳陣の構成について述べたが︑この重役陣構成要件は何れの社会におい
ても簡単に満たされるとは限らない︒蓋しそのような人材はそうざらに転がっていないからである︒併し多くの先
進国に於ては︑そのような人材は現に待機の状態に居るということは少いとしても︑或る方面の会社に現役として
見出せないものでない︒先ず銀行や保険会社にありては︑その余裕金を証券投資に向け或は直接事業会社に金融す
るに当り︑それを成功さすべく産業の動向や会社の経営を綿密に調査するところであり︑自ら証券︑金融並びに企
業分析に関する豊富な知識を持つ人材を擁するところである︒又︑証券会社にも︑証券のことは勿論として︑新規
証券の引受に︑或は既発証券の売買に│ー自己売買の場合は勿論︑受託売買のときには大衆の投資相談に応ずるた
めー必要な︑金融情勢︑産業や企業経営に関する知識をもっェキスパートが多数存在する︒斯くて投資信託委託
会社の生成につき考えられるのは︑これらの銀行や保険会社︑証券会社等から必要な人材の供給を受けるようにす
れば手取り早いということである︒然もこれを実際についてみるに︑銀行︑証券会社等は委託会社に必要な資本と
共にその経営首脳として必要な人材を寧ろ進んで提供せんとする態度をとらんとするのである︒ 一体︑どの方面の知識︑手腕が必要であるかと云
四
五
つまり投資信託加入者の利益
一体︑これは如何なる理由によるものであろうか︒云う迄もなく︑銀行︑保険会社︑証券会社は営利企業であり︑
従って之等の会社が委託会社設立に積極的に応援するのは︑それが営利に適う所あるからと想像されるが︑実際に もそうである︒先ず銀行︑就中信託銀行としては︑委託会社を牛耳るときは投資財産の受託者としての業務を手に 入れることが出来︵信託報酬を稼ぐ︶︑時には投資信託の元本や配当の受払業務を手に入れることも出来ることとな る︒次に証券会社が委託会社を牛耳るときは投資信託受益証券の販売業務を自己に引受けさせることが出来︑その 証券会社が取引所のブローカーであれば︑投資信託組入れ証券の市場での売買を受託するのに好都合となる︒受益 証券の販売はクローズド・エンド型では当初設立のときだけだが︑
オープン・エンド型では追加加入のものについて 始終行われ営業として馬鹿にならない︒又投資信託の組入れ証券の買換えは頻繁に行われる所で︑大口の取引者と してブローカー証券業者に支払う売買手数料は莫大な額に上る︒何れにしてもこのような大きい稼ぎ︑利益を証券 会社が看過する筈はなく︑投信委託会社を牛耳らんとする努力は証券会社が一番強烈とならざるを得ない︒而して 信託銀行や証券会社の委託会社支配方式であるが︑通常は委託会社の株式の多数︑出来得れば大半を掌握すると共に︑
重役陣を自己の会社から派遣する直接自己の重役を兼任さすか︑それが出来ないときは元重役又は主要社員を 送り込むーーにある︒銀行や保険会社などは木来の営業の関係から精々この程度の進出であるが︑証券会社の場合︑
更に積極的なのがある︒尤もそれは︑証券業務即ち新証券引受業務︑仲買業務など凡て兼営が認められ実際にも分 業化していない国に於てであるが︑証券会社が委託会社を別働体として存在さ
4 ず︑自己の営業の一部門として投
資信託委託事業を包擁する形態である︒これに至っては正しく証券会社が投資信託事業を兼営しているわけである︒
けれどもこのように利益関係のある会社が委託会社を牛耳るときは︑大衆投資者︑
投 資
信 託
︵ 証
券 共
同 投
資 組
織 ︶
の 管
理 問
題 ︵
今 西
︶
い る
な ら
ば ︑ 投資信託︵証券共同投資組織︶の管理問題︵今西︶
を害する恐れが多分に生ずるのである︒先ず︑受益証券阪売の証券会社が牛耳ると︑証券会社は有望︑優良な受益
と対面する立場に立たねばならないのであるが︑委託会社を牛耳るときは対面的立場など放棄してしまうからであ
る︒但しこれの詳細なことは投信受益証券販売機構の問題に入るので︑別の機会に譲り︑ここではその事を指摘す
るに止めること 4 する︒利益関係のある会社が委託会社を牛耳るによる弊害として一般的に指摘されるのは︑委託
会社が銀行なり︑信託会社なり︑証券会社を充分に競争さすことが出来ず︑支払い対価の上で有利とならないこと
である︒尤も銀行に支払う取扱い手数料︑信託会社に支払う信託報酬︑仲買証券会社に支払う売買手数料等に就い
ては夫々業界として定められた標準があるので︑委託会社︑延いて投資信託加入者として別に不利でなく︑たゞ牛
耳っている銀行や信託会社︑証券会社が収入を独占するに過ぎないと云われるかも知れない︒表面的にはそうとも
みえるが︑矢張り関係事業会社が競争するときは委託会社として表面的なもの以外に対価上利益がある筈である︒
併し︑今︑会社が牛耳られるによる弊害は︑そういう対価上利益が得られないという不利益に止まらず︑積極的な
ものがあるのだ︒著しいのは︑仲買証券会社に牛耳られた場合で︑委託会社は当該証券会社を稼がすべく殊更に組
入れ銘柄の売買を行い︑売買手数料を多く支払うことである︒若しその国の仲買証券業者が自己売買も認められて
一段と委託会社は不利益を受けることになる︒即ち当該証券会社は自己の所有株式を投資信託に組入
れさしたり︑或は投資信託組入れの︑特に有望銘柄を自己に売却ささんとするからである︒尤もこれをやり過ぎる
と受益証券の価値に悪い影響を与え︑委託会社の信用をおとして将来の拡張を妨げることになるのでー│組入れ銘
柄が大いに騰貴するような場合にその利益を一部分吸取る程度に止めるなどー多少意を用いる所はある︒上来挙 証券を投資大衆に販売するという社会的任務を果さなくなる︒ 一体︑証券会社がこの選別職分を果すには委託会社
一
ノ.、
7
七
げた弊害ほど現れる可能性は多くなく︑叉委話会社︑延いて投資大衆に与える弊害と云えるか判らないことだが︑
最後に取上げて置き度いのは︑牛耳っている会社︑就中証券会社が投資信託の大口売買が証券市場に与える影響を
利用し自己の思惑を成功ささんとすることである︒このような先廻っての買︑或は売は常に成功するとは限らない
が︑組入れ銘柄についての委託会社の市場売買活動に邪麗立てとなることあるのは確かである︒
以上︑投資信託委託会社が関係営業会社に牛耳られるときは投信加入者の利益が害されることを知り得たと思う︒
こ 4 に一国の投資信託の健全な発展のためには︑委託会社を関係営業会社から独立さすべく︑それら会社の委託会
社持株を支配力の及ばない以下に制限すると共に︑重役の派遣︑兼任も少数に止めしめることが︑国家政策として
要請されるのである︒多くの国では金融機関︑特に銀行や信託会社が他の会社を支配することを禁ずる法令を設け
ており︑之等が投信委託会社を牛耳ることはむつかしく叉少くなっている︒これに対し︑証券会社については斯か
る制限が緩かであったのみならず︑既述の如く委託会社を牛耳るによる弊害は彼の場合に最も著しい︒従って委託
会社独立問題の核心は証券会社の手を抑えるところにありと云ってもよいとなる︒
会社を牛耳るによる弊害対策として︑仲買証券業者の自己売買業務その他広く証券業務を兼営することを認めない
とする制度を提案するものもある︒既に知れる如く︑証券会社の委託会社支配の弊害は仲買業者が自己売買業務な
ど兼営の場合に甚しくなるところだが︑証券会社の営む証券業務を分業的に行わすようにすべきや否やは︑その国
証券界の事情によるところであり︑ 一方仲買証券業務が専業的に営まれるようになっても委託会社支配による弊害
は依然可能性を残すところである︒従って︑今投資信託管理政策としては︑矢張り上記︑証券会社の委託会社支配
を抑えることを推進すべしとなるのである︒
投資信託︵証券共同投資組織︶の管理問題︵今西︶ 一部には︑証券会社の投信委託
投資信託︵証券共同投資組織︶の管理問題︵今西︶
終りに︑右の投信委託会社支配排除政策につき少し附言して置かねばならないのほ︑その政策を何れの国に於て
も直ちに行うてよいとは限らぬことである︒膜 M 述べた如く︑委託会社はブレーン的な営業としてその首脳には一
般の事業会社と異る知識︑経験を持つ人物が必要であり︑それらが銀行︑証券会社等のみから得られる状態の下で
は︑彼等を首脳とすることも我慢しなければならないのだ︒特に投資信託成長の地合をもちながら未だその地盤が
固まっていない国では︑証券会社等の息がかかってもよし︑兎に角委託会社を造らすことは︑投資信託の発展のた
め得策だと云えるのである︒素より既に投資=キスパートが銀行︑証券会社以外にも相当に存在するに至れば︑敢
然と委託会社独立政策をとるべきであること︑最早云う迄もない︒
我国に於ける証券共同投資組織が投資信託制を採り︑それも専ら大証券会社が中心となって開拓されたこと︑そ
して我国の証券会社︑特に大証券会社は凡ての証券業務を兼営しているところから投信委託事業も︵尚︑受益証券
販売も︶その一営業部門として営まれて来たことは︑既に周知の所と思う︒このような管理機構が証券会社が投信
委託会社を牛耳るによる弊害の最も悪いものを齋す可能性をもつことは︑前段に述べた通りである︒尤も弊害の可
能性という以上︑それは必ず実際に齋されるとは限らないわけで︑若し我国の証券会社兼営の投資信託が余り弊害
なく行われて来たのであれば︑委託会社独立を方針とすべきだとしても︑それほどあわてて推進しなくてもよいこ
とになる︒然らば実際はどうであったかであるが︑これを正面から判定するのは容易でない︒結局︑関係者の経験
談や識者の内面調査から判断しなければならないが︑従来我国の投信委託証券会社が我利性を発揮し︑
我 国 に 於 け る 投 資 信 託 の 所 謂 実 質 分 離 策 に つ い て
八
つまり投資
に至ったのは確かである︒
九
信託の犠牲において利益を吸収していたことは疑いなく︵尤もその利益の一部は他社との競争に打勝つべく宜伝広
大と共に大きくなったことは充分窺知されるところである︒そうだとすれば︑証券会社兼営という我国の投信委託
我国の投資信託委託制度は改めねばならなくなっていたとして︑その前に吟味すべきは︑条件が具わるに至った
かである︒前段の終りに要言した如く︑その国の投資信託の地盤が固まったこと︑特に委託会社の首脳としての投
資ニキスパートが証券会社以外から自由に得られることが︑委託会社独立の条件となるのである︒然らば我国に於
証券会社の過去の投資信託運営振りからみて︑証券会社の投資ニキスバートもそれほど有能でなく︑この程度の
人材ならば外部でも容易に見付けられるという者があるかも知れない︒併し証券投資に長ずることは仲々むつかし
く︑仮令その程度の人物でもそうざらにおるものではないのである︒たゞ最近︑証券大衆化と共に︑我国に於ても
証券投資の研究が進みその有能者が次第に生まれつ 4 ある︒叉信託銀行︑保険会社︑証券会社等の首脳の地位を定
年制で退き最早元の会社と直接縁がなく︑然も証券運用の経験に富んでいる人が増えて来ている︒何れにしても︑
我国に於ては委託会社の首脳たるに適わしい人物は証券会社以外に未だ多くはないが︑従来に比べ相当に存在する
次に我国に於ける投資信託の地盤の固まりエ合であるが︑近年に於ける投資信託設定額と残存元本額の推移は次
I l l
の 如 く で あ る ︒
投 資
信 託
︵ 証
券 共
同 投
資 組
織 ︶
の 管
理 問
題 ︵
今 西
︶
ては之等の条件は具わるに至ったであろうか︒ 組織は是非これを改めねばならないわけである︒ 告に使用した形跡があり︑全部懐にしたということにもならないであろうが︶︑ その吸収が包擁投資信託財産の増
投 資 信 託 元 本 増 減 状 況
(投信協調)
年月
昭2 7 年
28 2 9 30 3 1 3 2 33 34
、
3 5 3 6 37
ユニット型,オープン・エンド型,公社債投資合計
解約額 償還額
8 0 3 6 4 4 1 1 7 1 5 3 4 1 4 1 1 2 2 6 6 9 7 1 9 3 1 7 9 2 1 3 6 4 0 2 7 1 6 3 1 6 0 3 9 1 6 1 7 8 7 1 9 9 2 5 7 4 1 7 8 9 0 5 8 8 7 6 3 2 1 9 8 7 9 4 5
2 4 4 2 2 1 4 3 6 2 0 0 設定額
3 3 6 4 4 5 9 9 8 2 2 4 1 1 0 2 6 3 8 1 5 1 4 3 1 9 2 5 4 4 1 0 6 4 1 2 1 8 2 4 8 0 3 6 2 0 6 5 8 3 2 6 9 5 4 3 0 9 0 0
9 8 1 0 1 4 1 0 0
残存元本 3 7 7 5 8 7 6 4 4 6 7 8 5 7 1 5 9 5 1 9 6 7 7 4 8 1 3 6 9 1 5 2 0 9 6 9 5 3 3 0 0 8 1 6 0 4 2 0 2 1 1 8 2 8 6 5 1 2 6 3 2 0 0
(百万円)
純増額 2 5 1 6 6 3 8 6 8 8 2 1 2 5
‑19052 8 2 2 9 6 9 1 6 7 7 2 7 8 0 1 2 0 3 8 6 2 7 4 1 2 1 5 7 8 6 6 3 8 0 3 3 5
投資信託︵証券共同投資組織︶の管理問題︵今西︶
(野村証券調)
各 社 別 残 存 元 本 状 況 各型投信合計
興 和 商 井 屋 業 三 塚 丸 崎 口 叶
阪
野 山 日 大 大 大 大 勤 岡 玉 角 山 江 山
村 2 9 年
2 3 3 3 7 1 9 9 1 3 1 8 1 4 8 1 4 0 9 1 1 2 7 2 1 3 0 4 4 6 5
3 0 年 1 9 3 0 0 1 3 5 6 2 1 2 6 5 0 1 1 2 4 1 963 1 1 3 0 4 9 1
3 1 年 2 3 0 4 4 1 6 1 1 2 1 3 7 5 4 1 2 1 7 3 1 0 1 6 1 0 5 2
・ 5 0 4 3 2 年 4 0 3 0 2 3 5 6 0 9 3 1 7 5 4 2 3 7 0 6 2 5 7 6 1 8 5 9 1 0 3 7
3 3 年 6 2 8 6 5 5 0 9 8 2 4 5 6 5 2 3 6 0 0 0 5 0 0 4 2 6 2 9 1 8 0 1 7 0 0 4 1 0 5 0 0 4 5 0 2 4 0 0
3 4 年 8 9 0 3 3 74843 7 1 8 7 5 5 9 7 1 9 8 5 2 0 4 3 3 1 2 2 1 4 3 1 3 0 2 1 9 7 2 8 6 0 2 0 8 2 4 9 0 5 2 0 1 0 1 3 6 0
(百万円)
3 5 年 1 5 9 2 0 7 1 2 9 6 5 1 1 2 3 1 6 8 1 0 3 9 0 3 2 9 5 5 0 1 1 2 5 1 7 4 8 6 7 4 1 0 6 0 7 5 6 2 1 0 4 6 1 5 7 5 7 9 4 7 6 0 3 2 9 8
3 6 年 2 9 8 7 3 6 2 4 3 6 8 2 2 1 4 7 0 4 1 9 4 4 9 4 6 2 2 7 8 5 5 2 5 3 1 8 6 2 9 2 1 1 7 1 1 4 7 3 8 1 7 0 0 0 9 9 3 1 1 2 2 2 6 1 1 7 0 0 8 3 2 0
1 0
I I
野 村
証 券
調 査
部 編
﹁ 証
券 統
計 要
覧 ﹂
昭 和
三 十
七 年
版
この数字から︑投資信託は我が国民の間に充分根を下ろし︑不合理な委託機関で無理して開拓を図る必要は既に
なくなっているとなして差支えない︒尚︑既存の証券会社別投資信託規模が小なるものでも一 00 億円近いという
数字は︑委託管理報酬も相当な額となり︑既存の証券会社の投資信託部門を凡てそのまま独立委託会社に移行さす
以上の吟味により︑吾々は︑我が国に行われて来た︑証券会社が投資信託委託業務を兼営するという方式を改め
ることは最早推進してよいことを知ったが︑政府当局も昭和三十四年それに着手した︒その政策は︑投信委託会社
を免許制︵資本金最低五千万円以上︶'となすと共に︑新規に委託会社を造らすよりも︑差当って既存の証券会社兼
営の投信委託部門を分離さし独立した委託会社となす方針をとった︒而してこの分離した委託会社の役員につき︑
元の証券会社役員の兼任を五割以下とし︑常勤重役の兼任を認めないことにしたが︑その委託会社︵資本金何れも
一億円以上︶の株式を元の証券会社が一括保有することを認めることにした︒勿論︑これでは委託会社が独立した
といっても全く形式的であり︑元の証券会社に牛耳られ搾取される可能性は依然として存続するわけである︒併し
政府としても決してそのような形式的分離で止めようとしたのでなく︑急速な完全独立は支障が伴うので一応そう
したまでのことである︒即ち政府は元の証券会社の委託会社株式の保有を五ヵ年以内に限り︑その間に適当に分散
して完全な所謂実質的な分離の行われんことを期しているのである︒
現在︑我国の投信委託会社は︑形式的分難が終わり︑実質的分離への推進が残されているとして︑その達成には
色々な問題が横たわっている︒殊に元の証券会社の中には成るべく既得権を守ろうとする動きがないでもなく︑推
投 資
信 託
︵ 証
券 共
同 投
資 組
織 ︶
の 管
理 問
題 ︵
今 西
︶
政策を可能ならしめることを示唆していると云われる︒
( 1 )
投資信託︵証券共同投資組織︶の管理問題︵今西︶
進を適当にやらないとすっきりした実質的分離が完成しない恐れがないでもない︒で︑以下︑推進過程において問
題とされ︑又問題とさるべき諸点につき︑論議してみようと思う︒
先ず︑元の証券会社が現在一括所有している委託会社株式を元の証券会社株主に割当てるべきか︑将た一般に公
募すべきかの問題ー昭和三六年十一月︑証券取引審議会の議案として大蔵省理財局の出したものの日
委託会社の株式を元の証券会社の株主に分配すべきだという意見は︑証券会社が委託会社の分離に際し無償で営
業権を譲渡した経緯に基づくものである︒この意見は一応言い分があり︑従って委託会社株式を元の証券会社株主
に割当てて差支えない︒たゞそこに考えさせられるのは︑株主が割当てを受けて意味を持つのは︑その委託会社株
式が額面以上の価値︑価格のある場合であるが︑果してそのようにプレミヤムを持つや疑問であるということであ
る︒証券会社が委託事業を営んでいたときは既知の如く運営管理手数料︵委託者報酬︶のほか色々うま味を吸い得
たが︑独立した委託会社としては収入は殆ど管理手数料一本となり︑これでは余り株式にプレミヤムは附かず︑株
主として割当を受けても有難くなくなる︒勿論︑委託会社の成績は会社によって相当開きが考えられ︑莫大な投資
財産を擁しているものは相当な収益を挙げ株価にもプレミヤムがつくであろう︒併しこの場合︑元の証券会社はそ
れだけ収益の減少がきっ<ー別働体の形式でも配当の形で証券会社の収益に入っていた筈であるー証券会社株
主としては額面価格でプレミヤムのつく委託会社株式の割当を受けたとしても︑ 一方手持の証券会社株式の価値︑
価格が低下するので︑余り有難味なしとなるわけである︒証券会社が委託会社株式をプレミヤム附で公募し︑プレ
ミヤム益を積立てるならば︑その収益減を或る程度カバーし得ることとなる︒結局︑委託会社株式は元の証券会社
の株主に分配してよいが︑公募により分散してもそれほど株主の立場を害するものでないとなるところだ︒
る ︒
保
次に︑投資信託が国民経済的な役割を果すために︑委託会社に中立︑安定的な株主が必要である︒この株主の安 定性を保障するために適当な方法を構ずべきであるとの問題前記大蔵省理財局の出したもののコ 投信委託会社の首脳者として如何なる人物が適当であるかについては既に前節に述べたが︑委託会社の株主とし てはそのような重役を選任し得る能力をもっと共にゞそれらの重役が始終動かされないよう安定していることが要 請される︒安定的︑中立的な株主をもつことの必要なのは︑委託会社に限らないが︑委託会社では最も強いと云っ てよい︒証券会社そのものもこの要請をもち︑従来それに向って努力して来た筈であり︑従って若し元の証券会社 の株主構成がそのようになっているとすれば︑委託会社の株式をそのまま株主割当とすればよいとなるわけである︒
併し証券会社の株主構成が安定的でない場合︑
たとえ安定的であっても出来る委託会社の株主構成を元の証券会社 のそれと一部取換えんとする場合は︑新しく安定株主を導入すべく手持の委託会社株式を全部株式割当とせず︑
部分を公開し安定株主たる方向に所謂縁故募集すべきである︒上にプレミヤム附で公募することは証券会社株主と して必ずしも不利でないことを述べたが︑プレミヤム附で縁故募集が可能であるかが心配だと思われるかも知れな い︒けれども委託会社の安定株主として適当と思われる︑銀行︑信託銀行︑
証券会社︵元の証券会社以外の︶︑
険会社等は︑既に前節に触れた如く︑銀行は元利払業務︑信託銀行は受託業務︑証券会社は組入れ株式の売買や受 益証券の販売業務をやらして貰うとし︑進んで縁故募集に応ずる筈で︑募集難は心配なしとなしてよいところであ 次に︑投信委託会社の業務は従来元の証券会社の信用によって円滑に運営され︑将来もそれによってよく運営さ
れ得るに違いないから︑元の証券会社が特例として独禁法の定める一割の制限を越え委託会社株式を保有すること
投衰信託︵証券共同投資組織︶の管理問題︵今西︶
投資信託︵証券共同投資組織︶の管理問題︵今西︶
が出来るようすべきであるとの見解|—前記大蔵省理財局の出したものの国
現在の形式的に分離された委託会社が元の証券会社の信用によってよくその業務を果しているのは明らかである︒
将来も証券会社の信用を利用すれば得る所あるのは否定出来ない︒併し乍ら実質的分離をなすというのは︑元の証
券会社の信用に依存せず︑委託会社が自らの信用を新しく造り上げそれに基いて業務を行うものであり︑この意味
で元の証券会社の信用に頼るのは実質的分離の本旨に戻るものと云わねばならない︒況んや独禁法の制限を越えて
株式所有を許すときは︑証券会社の委託会社支配が継続される恐れがあり︑折角の実質的分離の事業も龍頭蛇尾に
終ってしまう︒即ち元の証券会社の持株も独禁法の制限外に置くべきではなく︑その範囲内において安定株主とし
て止まるべきである︒尚︑証券会社の持株数の制限と共に︑その派遣の委託会社重役数も全体の三分の一以内に止
まるようすべき所である︒
次に︑実質的分離は一応五ヵ年の猶予期間が与えられたが︑出来得る限り速かに分離さすべきである︒また猶予
期間中組入れ株式の売買を元の証券会社に委託することに何等か制限を設けるべきであるとの意見'│ー前記大蔵省
理財局の出したものの四
先ず五ヵ年の猶予期間中の短縮の問題であるが︑これは猶辛
J期間を設けた意味によって答が変わる︒若しそれが
委託事業を奪うにより証券会社の収益に打撃を与えるのを補うてやるためならば︑短縮することは趣旨に反するこ
ととなる︒併し︑若し実質的分離をスムースに行うのに段階を要し準備をしなければならぬためならば︑短縮論は
起されてもよい︒蓋しその後の証券会社の態度をみるに︑保有委託会社株式の部分的開放︑委託会社役員を従来の
振造人物から中立的な人物に置き換える等の漸進的な準備行為は殆どやっていないからである︒これでは猶予期間
一 四
ったと云ってもよい︒ にならないわけであるが︑ 放と並んで実質的分離の段階的準備行為となるからである︒
一 五
はあってもなくてもよいとなる︒私は猶予期間に﹇一部分は前者をも取入れるがー│後者の意味を多く持たし︑
証券会社の態度からもう少し短縮してもよいと考えるものである︵尤も猶予期間もあと僅かであるので短縮よりも
寧ろ期間の延長を認めずとすべき所であろう︶︒ 猶予期間中に組入れ株式の売買を元の証券会社のみに委託するこ
とに制限を加えよという点も︑猶予期間を準備のためのものとすればやってよいとなる︒蓋し委託会社の実質的分
離後は組入れ株式の売買は自由に各証券会社に注文するようなる筈で︑この意味において猶予期間中に一部を元の
証券会社︵傍系の証券会社をも含む︶以外に委託することは︑ 上記委託会社役員の入れ換え︑保有株式の部分的開
次に︑投信委託会社の社名を元の証券会社の名称と別個のものにすべきであるとの意見
改めて云う迄もなく︑現在︑委託会社は元の証券会社の信用により︑ 叉派遣重役によって運営されており︑元の
証券会社の名称を冠用することは寧ろ実情に副うものとも云える︒併しそのような名称のため︑今日︑投信委託会
社が元の証券会社と別個に形式上出来上っていることすら世人に知られていない有様である︒更にこれを勘ぐると︑
将来実質的分離をしても依然元の証券会社が牛耳ってゆこうという心の現れとみられる︒勿論これでは実質的分離
つまり彼等は飽く迄形式的分離に止めようという腹とみられるのである︒従って彼等を
して実質的分離の心構えを固めさすためには︑先ず名称を元の証券会社を連想ささないようなものに改めさす必要
がある︒この処置は︑形式的なことながら︑投信委託会社の実質的分離の準備行為として寧ろ第一に行うべきであ
投資信託︵証券共同投資組織︶の管理問題︵今西︶
な い
︒ 否
︑ 投
資 信
託 ︵
証 券
共 同
投 資
組 織
︶ の
管 理
問 題
︵ 今
西 ︶
投資会社は管理機棉の中に信託機関が入っていない証券共同投資組織である︒投資信託制に於ては︑共同投資財 産を創設し運用する委託会社は︑参加投資者にとっては仲間以外の謂わば他人であり︑運用財産を委託会社の手許 に置くことは加入者に危灌されるので︑その安全をはかるため信託会社に信託するのであった︒即ち投資財産は信 託会社の名儀になり︑運用証券から生まれる配当や利子も信託会社が収受するのである︵投資財産の日々の時価計 算ー—これは委託会社がやるのが普通だがー_を引受けること心ある)。
加者は会社をつくりその下に運用せんとするのであり︑運用財産は自己のものとして自ら保有するのが当然となる︒
尤も自分で保管する面倒を避けるため信託会社︑銀行に保管を託することあるが︑それは便宜上の手段に過ぎず︑
投資財産も会社名儀とされ︑運用証券からの配当︑利子等も会社が収入するのが本則である︒投資会社制は投資信 託とは信託機関を管理機構中にもたない点に於て異るだけでなく︑投査組織︵投資財産︶を創設する業務と運営す る業務とが別個の者によって行われるところも異る︒投資信託に於ては投資財産を創設する業務と出来た投資財産 を運営管理する業務は委託会社が一括的に行う︒然るに︑投資会社に於ては会社組織であるので︑投資組織をつく るのは会社発起人︑管理運営をするのは出来た会社の役員というように分れるのである︒尤も一般の会社で発起人 が出来た会社の重役となり経営管理に当っても差支えなく︑寧ろ望まれるように︑投資会社に於てもその例は少<
一般の会社の場合より多いくらいである︒併し立前としては投資組織の創設者たる発起人と管理運営に 当る会社重役とは別個である︒又投資会社組織に於ては管理運営に当るのは会社重役であるとして︑その運営を一
四 投 資 会 社 管 理 機 構 の 問 題 点
これに対し︑投資会社に於てほ︑投資参
一 六
17
投 資
信 託
︵ 証
券 共
同 投
資 組
織 ︶
の 管
理 問
題 ︵
今 西
︶
上手に行うため投資顧問業者
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の 助
け を
藉 り
︑
にはゆかず︑素人の発起人がその重役となることは負担が重いのである︒
一 七
部分を任かすことを行うても差支えない︒勿論之等の場合に於ても︑投衰の運営管理の最高責任者が会社重役であ
上に述べた投資会社管理機構のことは既に知られている筈で︵拙稿﹁投資信託証券ほ果して証券であるか﹂本誌
それに関連して起り得る︑又現に起っている問題点である︒投資
会社では創設者と運営者は一応別個の者となっているとすれば︑創設者即ち会社発起人は投資ェキス︒ハートでなけ
ればならぬことはなく︑謂わば素人でも差支えないわけである︒この点︑投資信託の委託者が投資ニキスパートで
なければならぬとして有資格者が何より問題となったのと対照をなす︒而してこのように投資会社の発起人が素人
実業家でも差支えないとすれば︑それは非常に現れ易いように思わすが︑又一面から云えば現れ難いのである︒そ
一般に株式会社創立の場合︑発起人は会社をつくるによって︵創立費用は出来た会社に負担さ
すとするも︶国家社会から特別な報酬が与えられるものでない︒それにも拘らず会社発起人が現れて会社をつくる
のは︑会社株式にプレミヤムがついたときそれを稼ぐことが出来︑或は出来た会社の重役となり得るからである︒
処が︑今投資会社の場合︑プレミヤムの付くよう株価は投資運営に実績を挙げてから生まれるのであり︑創立早々
プレミヤムが付くようなことは殆どあり得ない︒叉投資会社重役は投資運営に全く能力がなくてもよいというわけ
然らば投資会社については発起人は現われ難く︑延いて投資会社は仲々つくられないものであろうか︒否︑決し
てそうでない︒それは投資会社という共同投資組織がつくられるによって有利となる営業者があるからである︒先 れは何故であるか︒ 第
六 巻
第 二
号 ︶
︑
今吾々の取上げんとするのは︑ ることは喪失するものでない︒ 層
有 効
︑
進んでは投資顧問業者に運営の大
薮では深きに入らない︒ ず投資会社株式の販売をなす証券業者は︑投資会社がつくられるによって営業の対象が生まれるわけで︑特にオー プン・ニンド型投資会社では始終株式が追加発行されるので大いに仕事にありつき得るところである︒又仲買証券 業者は投資会社の運用組入株式の取引所市場にての売買の委託を受けると営業上有利となるわけである︒叉投資ニ
つまり投資顧問業者も投資会社が作られると顕問として迎えられ報酬を受けることが出来る︒素より 何れの国に於ても之等の業者は多数居り︑そのままでは自分の方に注文が廻って来るとは限らない︒ここに彼等は 積極的に発起人となり会社をつくらんとするのであるが︑勿論そのままに済ますものでなく︑出来るだけ会社に重 役を送り込まんとする︒その有様は恰も投資信託組織において受益証券販売業者︑仲買証券業者︑信託会社等が委 託会社を牛耳らんとするのと似ている︒尤も︑投資会社は飽く迄︱つの会社として存立せしめねばならず︑牛耳る といっても︑投資信託の場合各種証券業務の兼営が認められている国に限るがー証券会社が委託会社を独立 した会社として存続ささず自己の営業部門に包含してしまうようなことはあり得ない︒
併しこのような関係営業者が投資会社をつくるのはよしとして︑会社を牛耳ることは投資信託の場合と同様甚だ 好ましくないのである︒先ず投資会社株式の販売をなす証券業者が牛耳った場合︑有望な株式を選別して大衆に提 供するという使命を果さないこととなる︒但しこれの詳しいことは共同投資組織証券販売機構の問題に属するので︑
一部の人は︑投資会社の場合は︑仲買証券業者や投資顧問業者に牛耳られても組入証券売 買手数料や顧問料が彼等に独占的となるだけで︑投資会社に積極的な不利を与えるものでないと云う︒投資信託制 の場合︑仲買証券業者が委託会社を牛耳ると徒らに組入れ証券の売買を行わし手数料を稼ぐ可能性があるが︑投資
会社制では︑通常投資顧問を利用するため︑この投資顕問が不要な売買をチェックしその弊害の余り起らないのは キ
ス パ
ー ト
︑ 投資信託︵証券共同投資組織︶の管理問題︵今西︶
一 八
19
すべきこと︑最早云う迄もない︒
一 九
事実である︒けれども矢張り皆無とまでは云えないのである︒投資顧問業者が投資会社を牛耳った場合︑彼の顧問
としての手腕︑能率が悪くてもこれを解任することがむつかしくなり︑自ら投資者たる投資会社株主に不利を与え
ることとなる︒斯くて投資会社制に於ても︑販売証券業者や仲買証券業者︑投資顧問業者等が投資会社を牛耳るこ
とは抑制すべきであり︑特に投資会社役員の過半をそれらの関係営業会社の派遣人物を以て占めることは堅く禁ず
べしとなるのである︒
上に述べた所は︑投資会社が関係営業会社によって牛耳られた場合︑ 不利益を受ける可能性が多いことであった︒
然らば投資会社が関係業者に牛耳られることなく︑その取締役会が独立している状態では問題がないかというに︑
必ずしもそうとは限らない︒取締役が投資会社との間に取引するという問題がある︒取締役が地位を利用し会社と
取引する可能性は一般の事業会社にもあり得るところであるが︑投資会社の場合その可能性は一層大なのである︒
蓋し取締役が所有叉は頼まれた株式を投資会社に売付け或は会社組入れ銘柄のうちから有望なものを買取ることは︑
比較的外面に現れずに行い得るからである︒先に投資信託において︑委託会社を牛耳った仲買証券会社が︑自己売
買をも認められているとき︑投資財産との間に取引する可能性のあることを述べたが︑今投資会社の重役が会社と
取引するとすれば︑恰も事態は似ていると云えるわけである︒それは兎も角︑投資会社では重役が会社と取引する
可能性が大いにあるにおいて︑国家政府として是非それを規制し彼等の運営管理が誠実︑公明に行われるよう処置
投資会社制の共同投資組織はアメリカ︑イギリス︑特にアメリカで圧倒的に盛んであること︵但しアメリカに於
ける投資会社の状態は矢張りアメリカとしての特殊な性格を織込んでおり︑そのまま投資会社の一般的な姿とすべ
投資信託︵証券共同投資組織︶の管理問題︵今西︶
( 1 )
可能性に止まらないことを示すものに外ならない︒
六 七
五 ー
六 七
七 頁
つまり先に挙げた弊害は単に 政府は投資会社が明朗︑
一 九
0 五
年来投資会社法
I n v e s t m e n t C o m p a n y
同国では関係営業者で投資会社を創設し営業上の利益を稼がんとするものをスボ
ン サ
ー S p o n c e r
と通称していること等は︑前にも触れたことがあり既に知れる所と思う︒而してアメリカの連邦
合理的な運営の軌道を外さないよう︑
ー
A c
t なる膨大な法律を設けているが︑この法律はその重要なボイントとして︑ 上に述べた︑投資会社取締役の独立
性の確保と彼等重役の会社に対する誠実な管理を取上げている︒即ち同法の第十条は︑投資会社の取締役の六 0 パ
ーセント以上を投資顧問業者や顧問会社の役員を以て占めることを禁じ︑投資会社の取締役︑役員等の過半が関係
人となっている仲買証券業者を雇入れたり︑同じく過半が関係人となっている販売証券業者を自己会社株式の引受
販売人
P r i n c i p a l U n d e r w r i t e r
にしたり︑投資銀行
I n v e s t m e n t B a n k e r s
の関係者を過半以上取締役にしたり
することをも禁じている︒叉第十七条は︑投資会社の特別関係人即ち取締役︑役員︑職員等が投資会社並びにその
子会社と取引することを制限することを詳しく定めている︒ アメリカの投資会社法が之等を厳しく規定しているの
は︑委員会の調査でそれらの点の弊害が広く行われていたことが判ったからであり︑
日本生産性本部﹁アメリカの投資信託﹂昭和三七年六五五ー七六四頁 三木純吉氏﹁ミューチュアル・ファソド﹂証券ハソド・ブック昭和三四年
A
ぃW i e s e n b e r g e r I , n v e s t m e n t C o m p a n i e s ,
19
59
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W e i s s m a n , T h e I n v e s t m e n t C o m p a n y a n d t h e I n v e s t o r ,
19
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23│33.