• 検索結果がありません。

河瀬明雄

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "河瀬明雄"

Copied!
16
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

トインビーとコリングウッド

‑歴史思考の相対性と歴史の対象との関係について‑

河瀬明雄

I

トインビーは( 「歴史の研究」を) "歴史思考の相対性〝から菩きはじめている.

すなわち現代の歴史家たちの思考や感情はその生活環境,この場合産業体系と国家に よって支配された環境‑‑の影響を抜きにしては考えられないということを明らかに

I

し,彼は偏狭な見方に立つ人々を告発している.これはシュペングラー同様歴史に於 けるコペルニクス的革新的要求である.このトインビーの分りきった結論にかえって おどろかされる. "今まで我々は歴史思考の前景に相対性のゆらめく光があるという ことが分っただけである.またこの事実を認めることがその背後に歴史思考の永久か つ絶対的対象の存在を確認する第‑渉であることを証明することはむつかしいことで はない.従って我々の次の歩みは我々歴史家のよって立つ地域的,時代的観点・活動

とは全く別の歴史研究の知的分野の扶求をはじめることである. 〟

歴史思考の"絶対的〝対象の探求‑なおトインビーはこの希望と歴史思考の相対 性に関する初めの主張との論理的関係についてはこれ以̲信論じていない‑を目指し たトインビーは国民的歴史を一方的なものと考えまた"人類〝の歴史などというもの は空虚なカテゴリ‑にすぎぬ壷噸笑している. 」 (Bruce Mazlish; The Riddle of History, p. 363)

ところで歴史の対象およびその対象の認識の仕方は歴史家が歴史を故述する 際に前提とすべき根本問題の一つであるが,たとえこれらを明確にしていない からといっても,決してその歴史家が何らこの問題について考えていなかった ということにはならない.そればかりか何らかの形で両者の関係づけを行って いなければならない筈のものであろう.トインビ‑という歴史家に限ってみて も,彼自身その関係を論理的に説明していないならば,彼の著書の具体的我述

(2)

の中からその研究対象およびその対象を認識する際に用いた方法を抽出して調 べて明らかにすることは骨は折れるであろうが最も妥当な仕方であろう・しか し,そうした角度からではなく,トインビーの論理的議論からこの問題の解明 に接近してゆくのが本論のねらいである.

I

B. Mazlishは上の引用で分るように,両者の関係についてトインビーは 論理的に明らかにしていないとしている.もしそれが正しければ私の試射よそ の第一歩さえ踏み出せないことになる.たしかにトインビ‑は積極的にこの問 題を取上げていないが,他の歴史家の立場を批判するという方法で,ネガティ ヴではあるが取扱ってはいないだろうか.すなわち「歴史の研究」第九巻の R. G. Collingwoodの歴史観批判の内容はどうであろうか.彼はコリングウ ッドのトインビー批判を逆に批判するという形をとりながら「歴史の研究」第 一巻で暗示した事柄‑歴史家の思考の相対性という現実にもかかわらずその 絶対的対象は確認できるという歴史家の最終的希望は達成されるという楽観的 態度の表明‑に対する論理的説明を,トインビー白身はっきり意識したかど うかほ分らないが,またそれが成功しているかどうかはこれからの検討にまつ 以外ないが,とにかく行っていると私は考える.

問題が可成り特殊なものであり,トインビーの論そのものが批判の批判とい う形をとっていることも加って充分に説明しながら論じてゆくことは非常にむ っかしいことであiが,本筋を見失うことなく課題を解いてゆきたい.

まずトインビーが取上げたコリングウッドの文の要点を記してみる.

実証主義的段階から,その原理を内から哲学的に批判することによって観念的とい ってよい新段階‑と歴史思考の転換を図ったOakeshottの論文とは全く反対のも のとして実証主義的立場を再び陳述したトインビー教授の大著"歴史の研究〝を挙げ ることができよう.トインビ‑は非常に大きく計画された最初の三巷を我々に示した.

(3)

そしてこの後予定されている諸巻で何が出てこようとも,この三巻が彼の目的の指摘, 彼の方法の充分なる雛型を与えることは疑いない.

歴史の対象はトインビーが社会と呼ぶ人間のある統一的区分をもった生命である.

こうした社会を解明するため,この研究は,いくつかの一般的概念乃至カテゴリー によって追求される.

①現代の我々の社会とそれが歴史的に出現したもとのギリシア社会の関係から引出 された"養子縁組〝およびその相関的類似.

④原始社会と区別される文明というカテゴリ‑

⑨空自期間あるいは争乱時代というカテゴリ‑

④内的プロレタリアートと外的プロレタリア‑トという概念.

(り世界国家と世界宗教というカテゴリー

こうしたカテゴリーのたすけを借りて歴史的記録を研究して我々はかっては文明化 していたが今ではすっかり消滅してしまっている多くの社会を発見することができる.

最初の主な問はいかにして,またなぜ文明は生起するか.第二の問はいかにして, なぜ文明は成長するか.第三にいかにして,なぜ衰微するか.彼はその最初の巻を書 きはじめる前におかれた一般的計画によって世界国家,悼界宗教の本質,英雄時代, 地域・時代における文明間の接触を研究しつづけてゆく.全体の作品は西欧文明の展 望および歴史家のインスピレーション‑と段落を追って近づいてゆく.

私はトインビーの作品を,それが歴史実証主義の再言明を代表するものであるとい うことで論じはじめた.私の意味したことはその特色を構成する諸原理はそれが自然 科学の方法論から導き出されたものであるということである.その原理は外的関係の 概念にもとづいている.自然科学者は自分が数えあげることのできる個々別々の分離 した事実に相対しているということを知るかあるいは自分からこうした数えあげうる 分離した事実と対決するように現象を切裂くかどちらかである.そして彼はこれらの 関係を決めてゆく.その関係は常に一つの事実とそれとは別のもう一つの事実とを結 合した環である.環としての事実の集収はまた同じ秩序の他の事実との関係が同じ外 的なものであるという事実を作る.もし科学者の方法がすべてであるならば,まづ第 一に必要なことは,ある事実と他の事実との間にはっきりと一線を劃すことである.

そこには二重にかさなり合うことがあってはならない.

(4)

トインビ‑の原理について是非とも述べなければならぬ批判は,互いに重なり合っ ているが二つある.まづ第一に彼は歴史そのもの,歴史的過程を相互に排除しあう部 分にはっきりと切って,過程の持続‑そこではすべての部分がかさなり合い,浸み

通るものであることを否定している.彼の社会あるいは文明間の差別は実際には過程 における焦点問の区別である.すなわち彼は多量の事実間‑その中では過程は切断 古れる‑‑の差別と誤解した.第二に彼は歴史の過程とそれを知ろうとする歴史家と の関係を誤解した.彼は歴史家をあたかも科学者が自然についての知的観察者である のと全く同じように歴史の知的観察者とみなした.すなわち歴史家は歴史的知識を接 するもととなる経験を自分自身の中に再生しながら歴史そのものの過程の構成要素で あるということを知るのに失敗している.過程の多くの部分が外にあるものと誤解さ れているように全体としての過程ならびに歴史家は互に外にある.これら二つの批判 は結局同じことになる.すなわち歴史は自然に転換され,過去は歴史にみられるよう な,現在に生きている過去でなくてT度鉦然におけるように死んだ過去と考えられて いる. (R. G. Collingwood; Idea of History, pp. 159‑165)

コリングウッドは真の歴史的思考‑歴史理論‑を解明するための手段と して,過去の歴史思考の変遷‑史学史‑を尋ね,その中の一つとしてトイ ンビーに関する上記の説明批判を行っているのである. (歴史的問題は第二等 の歴史と呼ぶもの,すなわち歴史思考の歴史を研究しなければならぬ.

‑・最終的にはすべての形式で"歴史的批判〝を解く概念としてそれははっき りした形をとる.あたかも哲学的批判が哲学の歴史に帰するように歴史的批判 は歴史の歴史に帰する. R. G. Collingwood; Autobiography, pp. 132‑133)

このコリングウッドの批判に対してトインビーはまず(I)"西欧文明はギリ シア文明と区別することによってではなく,それと一致する(identify)こと によって自己の特色をあらわし,また本当に完成したのである〝 (IH, p. 163)

という言葉を次のように彼なりに解釈する.

ギリシア文明の復活ということはナポレオンと自分を区別することによってではな く,彼と自分とを一致させることによってその特性をあらわし,また成就する人によ ってなされるものを西欧世界はなしつつあった. (A Study of History,汰, P 718)

(5)

歴史思考に関するトインビーの推論の線に忠実に沿って上の文を敷街してみ ると次のようになる.すなわち,歴史家をSとし,歴史家がその対象とする ギリシア文明を0とするとコリングウッドの主張は,歴史家は自己を対象に埋 没させることによって0言としてのS‑0となる.換言するとこれは0の復活 renaissanceであると.一般的にいうと,ルネサンス期におけるヨーロッパ 世界はあたかも歴史家がその対象を認識するのと全く同じ方法(歴史的方法) をとったものである.ところがこうした立場は理論的に考えると気狂いの行 為でしかない.我々が他人(過去の人を含めて)と完全に同じものとなるこ と(S‑0)は現実にはありえない.もしありえたとしたらそれは気狂いであ る.気狂いはその生活を幻想に依存する. (SH, IX, p. 719)

ではなぜすぐれた歴史家であり哲学者でもあったコリングウッドがこうした 人をびっくりさせるようなことを実際に言明したのだろうかと問うてトインビ ーは更に進んでコリングウッドの真意を確めるには,もっとはっきりしたもの を調べる必要があるとし, Idea of HistoryのEpilegomenaで述べられて いるものを持出してくる.すなわち,

(Ⅱ)ベケットにとって彼が考える心の持主である限りベケットであるということは 彼がベケットであったということを知ることであった.また私自身にとって同じよう にベケットであるということは私がベケットであるということを知ること,すなわち 私がベケットの思考を再行している自分自身の自我であることを知ること,その意味 で私自身がベケットであることを知ることである. (IH,p.297)

これは先の例にならうと,コリングウッドはS‑0を自ら批判してS≠0とい う一面を含めて考慮しようとしたあらわれとみてよいだろう.ところがトイン ビーはこの点を私は自分とは違う他人と全く同じである(S‑0)という気狂 いの言明と,私はかってすでに誰かが思考した思想を私自身考えている(S‑

0)という正気の人の言明とを一緒に考えているのは言葉の曲解であるとし, ただコリングウッドのいう歴史家が気狂いにならずにすんだのは彼が歴史研究 の対象を思考の働きに限定したからであるとして,歴史の対象へと問題を展開 させてゆくのである.

(6)

筆者はトインビーと同一歩調をとることをここでしばらく止めて,もう少し この問題について検討したい.トインビーが引用したベケットに関する問題は これで終えてはならないのである.というのはコリングウッドはこの点につい て更に次のような説明をあたえているからである.

(Ⅲ)私がプラトンのある思想を再考するとすれば,私の思考の行為はプラトンのも のと同じかそれとも異っているのか.それが同じ(identical)でないとすればプラ トン哲学についての私の知識は全くの誤りである.しかしそれが異っていなければ私 のプラトン哲学に関する知識は私自身の忘却を意味する.もし私がプラトン哲学を知 るべきであるなら私自身の心の中でそれを再考すると同時に,私がそれを判断しうる 光の中で,他のものを考えること,それが是非とも必要である(IH, pp. 300‑301)

これと先に引用した(Dおよび(Ⅱ)を通して考察してはじめてコリングウッ ドが言わんとしていた歴史思考の相対性の克服の仕方が明らかとなると思う.

すなわち(I)ではS‑0 (identity;の面を強調し, en)では歴史対象が現実 的には直接的でないという点.すなわち,

歴史はその根本的,基鍵的な形においては知覚である.知覚は歴史思考の最も単純 な場合である. ‑一一一・

芸術が最高度に達した想像であるように歴史は最高度に発揮された知覚である.知 覚は知覚する人には直接的なものにみえる.すなわちこのことは"与えられたもの〝

として知覚の対象について述べることを意味する.しかし実際にはそれは直接的では なく,その対象は厳密にいえば与えられていない(R. G. Collingwood; Nature

and aims of a philosophy of history. <^Essays in the philosophy of

history, pp. 49‑50サ

からknowという働き(換言するとS≠0)を通してS‑0を考えようとし, これが(Ⅲ)では非常にはっきりとre‑enactという作用(S‑0‑S≠0)で時 間・空間の間隙を超克して‑すなわちnow hereという相対性の克服‑絶 対的対象を把握しうるとする論理が展開されているのである.ところがトイン ビ‑ほidentifyとい.う語そのものをS‑0の面だけから考えたため,コリン グウッドのいうS‑0とS≠0との結びつきの面を理解できずS‑0という気狂

(7)

の立場とS≠0という健康な思考力をもった人の考えとは全く矛盾するものと して処理してしまったのである.

換言すると,トインビーはコリングウッドのre‑enactという行為をS‑0 (それもコリングウッドの用語identifyをこの意味に解して)として全く文 字通り,かってある人がやったことをその通り同じく再び行うこと(resur‑

rection)と考えてしまった.すなわち歴史家の思考の相対性‑歴史思考と いうものは,その思考者がたまたま生活しているところの変化しやすい社会環 境を支配している制度によって深い刻印をうけている.そしてその刻印が歴史 家の心に先験的カテゴリーを作り上げる程に深く広くゆきわたっているなら ば,我々の研究はもはややることはなくなる.すなわち歴史思考は社会環境の 絶対的影響をうけることになる. (SH, I, p.16)を克服しようとしてコ

リングウッドは神秘的な,危険な手順を考え出したため矛盾に陥ってしまった と断定した.こうした前提でコリングウッドのすべてを理解したトインビーは いきおい次のような解釈を行うのである.

歴史家が過去の人間の行為をre‑enactすることで歴史思考の相対性を克服 できるというが,例えばZirih市の城壁の外に五千人の首で塔を作ったとい うあのおそろしいTamerlaneの経験に歴史家はどうやって入ってゆくのか.

「歴史家の研究する歴史の諸活動は,それが主観的(主体的)なもの,あるい は彼自身の活動であるからこそ彼にとって知ることのできるもの,客観的たり うるのである‑・‑‑‑」ということからすると良心的な歴史家はこれを実際にそ の通りやらなければならぬと考えるだろうとし,トインビーはそうした場合ど んな結果になるかを次のようにのべている.

すなわち,その歴史家はニュージャージー州のプリンストンを選ぶ.午後ニ ューヨ‑クから汽車に乗る.宿についてその日はやすむ.税務署からの明細書 に対して彼の気分は五分間に必要などッチで上り,全然あやしまない街頭‑, Tamerlane風の激怒でもって飛び出してゆくが,五千人の首という彼の目標

に向ってその六人の首も手に入れないうちに彼は警察の法廷にいる自分を見出 す.そして一体これはどういうことかと治安判事によって尋ねられ,彼が自分 は罪を犯したのではなく,コリングウッドの膿序に従ってTamerlaneを研究

(8)

している歴史家として,その職務を果しただけだとのべると,ものわかりのよ い法廷は彼を電気椅子ではなく精神病患者収容所へ送る. (SH, IX, pp. 733

‑734)

だがこれが果してコリングウッドの順序に従ったといえるだろうか.

コリングウッドは次のようにのべている..

歴史家として私がジュリアス・シ‑ザ‑の経験を私の心の中に再生する時,私は唯 単にジュリアス・シーザ‑になるのではない.反対に私は私自身であり,私.自身であ ることを知る.私が自分の人格の中にジュリアス・シ‑ザ〜の経験を編入する方法は 私自身とシ‑ザ‑とを混同することによってではなく,両者を区別することと同時に 私自身を彼の経験に一致させることによってである.歴史というLLける過去は現在に 生きている.しかしそれは現在の直接経験のrpにではなく,現在の自覚の中に生きて いる. (IH, p. 174,cf. p.215,P.284)

ここでいっていることの意味は更に,

歴史的知識とは過去の思考とはっきり対立することによって,現在の思考とはちが った段階に過去の思考を聞じこめるところの現在の思考の脈絡にu入された過去の思 考の再行である. (A, p. 114)

と規定する時コリングウッドの考えは明瞭になる.

コリングウッドはこうした手続きを充分に果す働きとしてre‑enactmentと いう概念を取出してきたが,さてこれは歴史家の思考の相対性,例えば

ロ‑マの歴史を,聖オ‑ガスチンは初期キリスト教徒の立場からながめ,ティユモ ンは17世紀フランス人として,ギボンは18此紀イギリスの人として,またモムゼンは 19世紀のドイツ人という立場から見た.いづれの立場が正しいかが出題ではない.そ れぞれその人にとっては唯一可能なものであった. (IH, xii)

とどのように関係するかという問題が生じてくる.トインビーの批判も当然 この点へと向う.

(9)

その前にこうした立場を一層一般的なものに要約すると

歴史家は現在という見地から過去をみ,歴史家自らの見地に立って他国を,他の文 明を眺めるのであって,この見地こそは歴史家にとっては唯一つのものであると同時 に正当なものである.この見地なくしては何も見ることはできないから彼はその中に 確乎として立たねばならぬ. (IH, p. 108)

ということになるだろう..

みる人も時間・空間によって異る(別の観点からいうと動く)し,同時にそ の対象も動くものである.

実際の歴史的思考の実際の対象は"与えられた〝対象ではないのであって絶え間な く進行中のものである(Essays, p. 44)

歴史家の観点は不変のものではない.彼の知覚する憧界はその活動範囲の増大によ ってだけでなく,その中心の移動によっても常に変る世界である. (ibid., p. 54)

ところでこれは懐疑主義‑と陥るものではないと彼は主張する(Essays.

p. 97, p. 99)この点はトインビ‑の考えと共通している.(SH, I, p.16)

そこには自己の立場をはなれて‑自己を過去の対象に埋没させて‑ (S

‑0としての盲0)は歴史を正しく理解することは不可能であるということ, 更にこれを裏がえしてみると自己の立場からのみみるとS盲の危険性が出てく る.これを克服するためにはどうしても評価の問題と対決せざるをえない.そ こでコリングウッドは歴史的誤謬という概念をもってくる.しかもこの場合絶 対的対象といったような一定不変の研究対象の存在を前提してゆくのでのはな

く,研究する主体が必然的に時間・空間を変えてゆくその動きに従って動くも のでなければならぬと考える.すなわち,

中世人の業績に対する歴史家の判断は,その歴史家がそれぞれ18L蛙紀, 19It紀, 20 世紀のいづれに属するかによって異ってくる.我々20世紀の者は18世紀や19世紀の大 人がそれに対してどのように注目したか知っているし,その見解は20世紀の我々が認 めるものとは‑致せず,我々はそうした過去の見解を歴史的誤謬とみなし,更にこれ らの誤謬に反対するための理由を明示しうる. (IH, p. 108)

(10)

といい切る.従ってその基準となるものはS古とならず,そうかといって音0 ともならないためにS‑0とS≠0とを同時に満足させるもの(S‑0‑S≠0), すなわちコリングウッドによればどうしてもre‑enactmentという働きにな

る,いや,ならざるをえぬのである.

ただしこれには必然的に重要な条件が先にもみたようについている.すなわ ち,歴史の対象は不変ではないということがそれである.

ここでこの点についてトインビーとの論理的相違点を明らかにしておきた い.コリングウッドは先に前記トインビー批判の文の中で眺望的立場あるいは 歴史の進行過程の理解の仕方からトインビーは対象を個々ばらばらの,固定し たものとして捉え(対象の絶対化)そこから歴史思考の相対性にもかかわらず 歴史研究の客観性を獲得できると考えたが,コリングウッドはこれを批判して 誤りとした.それは歴史では逆に歴史思考の相対性に徹することによってはじ めて真の知識をうることができるとする彼の基本的立場からの表明である.

それぞれ歴史家はみな自分を中心に歴史をみる.従って披以外の人のみることので きない問題をみ,問題を一つの観点からみ,換言すると彼独特の観点からみるのであ る.従って真実について一つの観点以上にはどの歴史家もみることはできないので歴 史家はみることのできぬ観点を常にのこしておかねばならない‑‑‑‑・‑・・‑一本の樹を みている多数の人はすべてその樹のいろいろちがった面をみているということすなわ ち各人は他の人とはちがった,別の部分をみているということが主観的観念論である

というのでなければ,これは主観的観念論ではないと思う. (Essays, p. 54)

たしかにトインビーは先述したように歴史の相対性は絶対的であるとしてい る.従って絶対的なものはどうしようもないから,幾ら無理じいしても思考の 絶対性を獲得することは不可能であり,むしろこれをそのまゝ認めてなお且絶 対的対象を認知できる可能性を探ぐる方向‑と論を進めようとした.ところが これまでみてきた歴史家の相対性とは主として時間的にみた相対性であった.

しかしこれについてトインビ‑が注目したもう一つの重要な点がある.それほ どちらかというと歴史家の空間的・生活の場に視点を据えてみるという所謂偏 狭主義がこれである.そうしてこれをトインビーは偏見として絶えず正してゆ

(11)

かねはならぬと考えた. (SH. VHp.428)これに対しコリングウッドは絶対 的相対主義ともいうべき立場で歴史思考の客観的基準を定めようとしたと筆者 は解する.

歴史そのものの過程に終末やゴ‑ルがないのと同様歴史的知識の過程にも終末やゴY  ̄

‑ルは.ない.いま,ここを過去全体のための証拠として用いることが歴史理解のすべて である(R. Bultmann; History and eschatology, p. 13, cf. IH, p. 179)

この場合,コリングウッドは歴史の対象を絶対的,不変のものと考えること は誤りであるとの立場を強く貫いている.

彼〔歴史家〕は過去を知ろうとする;その過去とは,それがあった通りの過去では なく‑というのはそんなものは存在しないばかりか知ることもできぬ‑跡をひき ながら現在にあらわれたものとしての過去である.換言すれば彼〔歴史家〕の鹿界の 過去,あるいは彼の過去,すべての歴史研究がそうでなければならぬように特殊化さ れ,またすべての研究がそうあらねばならぬように彼のまわりで知覚する世界から直 接に生起した彼の歴史研究の個有の対象である過去. (Essays, p. 102)

この観点から歴史的思考の個有の目的,方法および対象についての多くの問 題が解決されると彼は述べている.過去を単なる過去そのものとみようとする から誤りを犯すのである.従ってはっきりと次のようにいえるのである.

プラトンの共和匡=ま政治&活に槻する不変の理想ではなくて,プラトンがそれを受 けいれ,それを再び解釈したようにギリシア人の思想に関する説明である.アリスト テレスの倫理学も永遠の遺徳ではなく,ギリシア市民の道徳をのべたものである.ホ ップズのレバイアサンは17世紀イギリス絶対主義の政治理念をあらわしている.カン トの倫理の学説はドイツ敬度主義の遺徳的信条の発露である.すなわち彼の純粋理性 批判は当時の哲学的諸問題との関連からニュ‑トン科学の諸原理,概念を分析したも のである.こうした制約はあたかもプラトンよりももっと力量のある科学者がギリシ ア政治の雰囲気をきれいに一掃したかも知れぬとか,あるいはアリストテレスがキリ スト教あるいは現代社会の倫理概念を前もって予想していたかのように欠点として考 えられている.しかしこれらは欠点どころかむしろ彼らの才能のあらわれである.す なわち,それは彼らの才が一番すぐれていることをこれらの作品の中であらわしてい

(12)

るのである. (IH, p. 229)

同じ観点から次のようにものべている.すなわち政治についてプラトンの共 和国とホップズのレバイアサンを取上げて

これらの政治論は決して同じものではない.しかしこれは同一の事柄についての二 つの異った説をのべたのであろうが,共和国は国家の木質についての一つの説明を・

またレバイアサンは別の説を主張しているといえるだろうか.いやそうではない.プ ラトンの"国家〝はポリスであり,ホップズのは17世紀の絶対国家である.実在論者 の答はこの点暢気である.すなわちプラトンの国家とホップズの国家とはちがうのか.

両者とも国家である.その理論は国家論であるこの線を追ってゆくと政治 理論の歴史は一つの同じ問に対するちがった答ではなく,少くとも絶えず変る問‑

その解釈もそれによって異る一一の歴史である. (A, p. 61)

両者の間に矛盾はない.歴史の対象の可動性.歴史家の問い尋ねる対象はそ の個々の歴史家の問によってちがってくるということである.ところがこれら の主張は同じコリングウッドの別の主張である下の文と真向から対立するとト インビーは指摘する.

ピタゴラスの直角三角形の斜辺を一辺とするiE四角形の面積に関する発見は,いま 我々が自分で考えることのできる思考,数学上の知識に永久的付加をもたらした思 考である.アウグスタスの発見すなわち帝制はproconsulaie imperuimおよび tribuniciaの意味を発展させることによってローマの共和制に接木されたというこ とも等しくローマ史研究者自身考えるところの思考,政治的概念についての永久的付 加である・もしホワイトヘッドがこの直角三角形を永遠の対象と呼声のが正しいとす れば・ローマの制度およびそれに対するオーガスタスの修正もそういえるだろう.い つでも歴史的思考によって理解されるが故にこれは永遠の対象である.時間は三和Ef の場合に影響しないと同じようにそれには影響しない. (IH. pp, 217‑218)

この点はどう考えたらよいだろうか.先の対象の可動性と,ここでのべてい る永久的付加物としての対象との関係をトインビーは前にも記したようにre‑

enactできるもの,文字通り実際にその通り再び行うことのできるものとして

(13)

この永久的付加を解している(‑絶対的対象).一方コリングウッドはme‑

diation/immediacyの問題として考えているのである.すなわち対象とそれ を理解しようとする歴史家との間にある時間的間隙をそのまゝ認めれば,歴史 の対象は外的,過去の(死んだ)ものとなるが,歴史研究にあってはその対象を それから離れて(S≠0)眺めるのではなく,歴史家の心の中で再行しうるも

の(彼の場合のS‑0)として理解するということである.であるからここで いう永久的付加eternal addition乃至永久的対象とは歴史の,あるいは歴史 家の外にある対象ではなく,あくまでもre‑think可能な,歴史家が理解しよ

うとする対象はimmediacyをもっているためいつでもどこでも歴史家の re‑enactという活動を通して知ろうとすれば知りうるものというふうに解す べきであろう.なぜならこれはコリングウッドの前記引用のすぐあと続けて

それを歴史たらしめる特性は,ある時にそれが起ったという事実ではなく,我々が 研現しつつある状況を作り出したと同じ思考を我々のre‑thinkingによって知りう

るという事実である(IH, p. 218, cf, IH, pp. 304‑305)

と説明していることから容易に理解されるところである.これを見落した トインビーはコリングウッドが唯一方的にeternal objectをのべた部分と eternalなものはどこにも存せず,歴史家の思考の相対性によって対象そのも のも規定されると説いた部分換言すると対象の可動性の主張との間に矛盾を感 じ,この点からコリングウッドは誤謬を犯していると断定したものと考える.

以上みてきたように,トインビ‑のコリングウッド批判では歴史の思考の相 対性を克服する仕方として工夫されたre‑enactという手順は反って歴史その ものの理解を破壊するもの‑彼は哲学者コリングウッドと歴史家コリング ウッドとに二分して,その二重構造性からこれを説明している‑とし,また 歴史対象の永久性,絶対性を一方で主張しながら他方ではこれを否定するとい う矛盾を解決しないでこの世を去ったのは惜まれるといい,この矛盾は彼の 理想が数学的知識に類するものであって,この点同じ数学的命題に対する歴史

(14)

家の関心と数学者のそれとのちがい,および数学者の命題に含まれる思考を理 解する歴史家の方法と実際生活における歴史的事実の中にある数学的あるいは その他の思考を理解する同一歴史家の方法のちがいを混同したことからきてい るという.要するに「歴史家の理解の方法は"それが正しい〝かどうか」を問 うのでほなく,この数学的命題は「ピタゴラスの人柄や生涯について何を教え てくれるか,またその社会的環境social milieuの歴史について何を教えて くれるか,を問うのである.」 (SH,IX,p.728)しかしこの点についてコリ ングウッドは思考を理解するためにはまづその思考のあらわれである出来事を 手がかりにしなければならぬとする.その理由は彼のいう出来事とはその内 側insideにある思考と外側outsideの外的現象から成立ち,内側の思考と その思考者の,その時その場での状況situationとの必然的結合が外的に現 象するからである.従ってこの状況についての理解が必須条件となると考え る.ところがこのsituationはトインビーのいうsocial milieuに近いもの であると筆者は思う.

ただコリングウッドの場合, situationとは歴史家の研究している人物の意 図や目的を実現しようとする際にその意図や目的を束縛する‑彼の言葉でい うと,その活動が合理的であればあるだけ蒙るところの‑強制からのがれら れない,といったそうした状況である.

行動する人間にとって状況こそはその主人であり,天啓であり.神でさえある.彼 の行為が成功したかどうかは彼が正しくその状況を把握したかどうかにかかっている ことになる. (IH,p.316)

しかもそれは人間の行為そのものが作り出したものである(ibid., p. 317) から,これを理解することほとりもなおさずその人の理性的活動,目的,意図‑

を解明することである.ただその際人間の意図はそれぞれ直面している状況 (行為者にとってのいま・ここでの立場)という分析可能なものを手がかりと してはじめて解明できるし,これは歴史家がそれを知ろうとする場合,その人 物の思考を頭の中で再考する外には方法はない. (A, p. 38)従って過去の人 の思考を理解するといった場合,状況その他を全く無視した宙に浮んだ対象を

(15)

ではなく時間的,場所的に規定された一回限りの歴史の過程の中に位置する対 象であることには変りはないのである.コリングウッドのいう行為者の思考活 動そのものを理解することとトインビーのいう行為者の思考活動を取巻く社会 環境を問うこととは従って同じであると考えてよい.

たびたび練りかえすようであるがコリングウッドは歴史思考の相対性と歴史 の対象の絶対不変性との関係を正しく捉えることができなかったというのがト インビーの結論である. (その他,対象を思考そのものに限った点についての 論も批判の中にあるがここでは触れない.)トインビー自身これをどう考えた かは大体次のように要約できよう.すなわち歴史思考の相対性は超えることは できないが,それにもかかわらず絶対的対象を定めることができれば歴史の科 学的研究は可能であると考えて,歴史のもっている時間的間隙‑コ')ングウ ッドはこれを認めた上で過去と現在との間を埋めるものとして思考をもってき て,それの有する働きとしてre‑enactを考え, mediationをもってimme‑

diacyを成就することでこれを克服しようとした‑を所謂哲学的同時代性で なくそうとした.

年代記学が何といおうと,ツキジデスの世界と私の悼界とは哲学的に同時代である ことは今やはっきりと証明された.そしてもしこれがギリシア・ロ‑マ文明と西欧諸 文明との間の真の関係であるならば,我々に知られているすべての文明の間の関係も 同じ結果となるのではないだろうか. (̀̀My view of history,, in Civilization on trial,pp. 7‑8)

そうして自然科学と同じように個々の事実や事件の構造を解明するためデータを比 較棟作‑彼のいうempirical method L,類似性から法則性の樹立へと進ん だのである.彼は自らをempiristと呼び.歴史についての一般的命題を究明するた めの手続きはempirical surveyであると繰りかえしのべている.しかしこの彼の語 の用い方は厳密にいうと誤らせやすいものと思う.というのは彼のいうempiricism は求めつつあるものを既にはっきり認知しているempiricismである.歴史のよう な多方面にわたる研究では命題を証明するために証拠を見出すことは余りにも容易に できすぎるともいえる.すなわち歴史の潜在的データには制限がなく,ある意図をも って選べば簡単にその研究の開始に際して抱いていた前提の得心のゆく観察的確認は

(16)

殆んどの場合達成できるだろう.(William H, McNeil; Some basic assumption

of Toynbee′s Astudy of History. <the Intent of Toynbee′s History.>

(pp. 39‑40) )

その際彼の問題提起にみられるchallenge‑responseは一つのカテゴリーーと して法則性を有しているようにみえるが実はこの中に法則を突破る主体的力, 非合理的・神秘的力を蔵していること(SH, IX, p.732)によって,彼の自然 科学的意味での観察的方法は矛盾を露わしてくる.従って「歴史の研究」の第 六巻までとその後の諸巻との間の方法論上の非一貫性は,彼の独特の歴史認識

(歴史思考の相対性を是認した上で,それと絶対的対象との問の理論的関係づ 汁)が基本となってあらわれたものと考えることができると思う.

なおトインビーの方法論の非一貫性については, 「トインビ‑の歴史哲学」

‑歴史の対象を中心に‑ (未発表)で検討したのでそれに譲ることとし, またコリングウッドの強く主張するre‑enactment (S‑0・S≠0)の働きに ついては,彼の弁証法の問題として論を進めなければならぬが,残念ながらこ こでは触れることができない. (昭和42年9月29日受理)

参照

関連したドキュメント

それ は,歴史の一度的な経過が歴史学 には対 象 として前 もって与え られているのではある が,歴史学は正 しい科学

チャイルドにとっては、エンゲルスが想定したよ

コリングウッ ドの歴史哲学の大 系を述べることは, 私にとって は不可能に近い程困難事である. ここまで,

野口武徳も、南島研究史において河村を評価する者が少ないことをふまえ、「それどころか、河村

思われる。「歴史的なものを脱ぎ捨てる」ことによって「脱歴史化」された事

これは次に挙げる2つの理由から分割しないで,連続した学習をさせた方が良いのではな

 私達は、いわゆる「古写真」を素材とした一連の研究を

(1)最近のT1T(情報技術)化は、それへの対応が遅れていると思われる歴史学(日本史学)の世界にも押し寄せている。歴史学は、いうまでもなく、歴史史料を分析の素材としている。したがって否応なし