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長岡文雄「『寄合』の授業」の検討 : 歴史学習論への一視角

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(1)Title. 長岡文雄「『寄合』の授業」の検討 : 歴史学習論への一視角. Author(s). 安藤, 豊. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 41(2): 123-134. Issue Date. 1991-03. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/5150. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 北海道教育大学紀要 (第1部C) 第41巻 第2号 , lof Hokkaido Univers jouma i ion(Sec ty ofEducat i t onI C) Vol .41 .2 , No. 平成 3年3月 Mar ch ,1991. 長岡文 雄 「『寄合』 の授業」 の検討 --歴史学習論への一視角 --. 安. 藤. 豊. アメリカのヨーロッ パ現代思想史家ステ ュ アート・ヒュ ーズは断言する{ 1 ) . 幼い子 どもに対してわれわれ教 師はわれわれの職業的潔癖さを捨て るべきである . 歴史への関心を子 どもの時代に育てておけば 事実の訂正 はもっ と後 ですることができる , . しかし, もし我々 が子 ども の最初の空想の飛期を妨げるならば 想像力 は消し去られ 悪くす , , ると二度と再びそれは姿を現わさ なくなっ てしまう であろう . ヒ ューズが如上述べたこ とは, 次のような文脈 の中であっ た . 彼 は, 「歴史家たるべく選ばれた人々 の伝記」を緩くとき それら歴史家たちが歴史研究に向う動 , 因として, 共通 していえること は,「かれに, なぜという 問いをさせた環境の変化による衝撃 があ っ 」 たという. ヒュ ーズ自身, 8歳の時目撃した第一次大戦直 後のヨーロ ッ パ の 「残酷な事実の跡 を 」 眼前にし抱いた 「どう してこのようなことが起りえたのか」 という問いが 彼の 「歴史に対する召 , 2 ) そして そのような 「なぜ に対する想像力 を換起することこそが 命」 であっ たという( 一 . , , 学校の 歴史教育では必要なのだと強調 する . 次いで彼はいう. この 「歴史的想像力が 目覚めれば それ自身に意 味がある のであ て それが っ , , 3 ) 「 何であるかはた いした問題 ではない( 『 4 ) 」 . 問題 は, 事柄を 正しく』理解するか どうか( 」ではない. 「もっ とも学識 の深い歴史家でさえ この 『正しく という言葉 の究極的な意味で 正しく理解 す 』 , , 5 ) る こ と に 成 功 す る も の で は な い の で あ る( 」.. 「ほんとう に大切な点 は 若者の想像力を目覚めさせることであ る. 何であれ, それが, たとえ厳 , 格な歴史的正確性という見地 からは疑わ しいも のでも この目的のためには役立つ であろう◎ と主 , 」 張する‐ ところ で, 1984年1 2月に行わ れた有田和正, 向山洋一両氏による 「社会科立ちあい授 業( 7 ) 」 にお. いて有田氏が用いた教材 (四国の祖谷地方の農家の間取図) に実証的に見れば誤りが含まれている ことが判明したことを契機としてある議論が行われた{ 9 ) . それは, 概括的 にいえば, ①歴史授業 で教えられる内容 は 歴史学的に 「正しい とされる つ 」 , , まり, 実証的に 「確定」 した事柄に限定 して取り上 げるべきなのか否か ②教材は 一寸法師のモ , ,. デルの確定など実証困難な素材や, 教師の作為にもとづく (子どもの追究心を引き出すために) 等 1 0 )な どは避 けるべきである か否か ③その授業 で子 どもが学習 するべ の実証的に誤 りを含む資料( , き, あるい は, 学習した学習内容 は, 歴史学の 「成果」 に厳密に立脚 したそれ であるべきなのか ,. 123.

(3) . 安 藤. 豊. 子 どもなりの想像や解釈による子 どもなりの歴史像 (学習内容) を許すべきなの か, ということで あっ た. いうまでもなく, ①と③ は密接に関連している‐ 総じていえ ば, 歴史授業における 「実証性」 の問題, とでも括る ことが可能であろう. 本多公栄氏 は, 歴史授業 はどうある べきかという この議論の論 点 は以下の3 点 である と整理 し 1 2 } 1 1 ) 仰 ( )は, 藤岡信勝氏の提起した論点である( た( . . ,B ( ) 何らかの意味で 「確証された」 事実 だけを教え, 教師や子 どもの主観的解釈 (…略…) を- A 切排除してくみたてられた歴史の授業. B ) 実証的には誤りであるか, または確証さ れていない解釈・想像を多様に含んだ歴史の授業. ( ( C ) 歴史学的に は検討されていない が, 実践を通して, 実証的にも明らかにしていく授業. (本多 氏が追加した論点) 1 しか 実証性 は絶対条件 という ほど重視するべきである. 1 1 3 ) 実証困難なものも十分教材になりうる( 」 というものであっ た.. これに対する本多氏の主張は 「1. し, C )に対応 した見解である. 1は,( A )タイ プの歴史授業を強く支持する見解になっている. 1 1は,( を が不確実なものであるか 「 どこから たもので その場合でも, 子 どもたちに, どこまでが実証され , 「 ある‐ そして, 4 1 ) 示すべきであろう( 」 という. 「実証性」 が 絶対条件」 であるの だから当然の見解で 1 5 ( ) , そ う す る こ と に よ っ て, 「子 ども た ち はそ れ を 実 証 さ せ よ う と ふ る い 立 っ た り す る も の で あ る 」. という‐ 本多氏 が例示している古代東北のエミシのように, エミン側の史料がないため専門の歴史 「 研究者も解明できないでいる 問題に対し, 子 どもたち がふるい立っ て 実証」 に立ち向う ことが可 「 能なのか疑問な しとしない が, それはともかく, このような立場での歴史授業実践 は, 歴史学 から 歴史教育へ という パイ プとともに, 歴史教育 から歴史学へのパイ プもあることを示す実践になりう 6 1 ) る も の( 」 と 評価した. 1 7 } 「実証性は絶対条件」 とする主張は, 本多氏 が羽仁五郎 「歴史教育者に与う( 」 に託 して指摘する 「 史教育の実現, した 官許でない歴 厳密に立脚 ように, 戦前の誤りを繰り返えさず, 歴史学の成果に ものである. 1 8 } 再建( 」 が戦後歴史教育の出発点 であっ たという限りで肯首しうる 比較すると, 両者の意見 は, 小 ーズの意見と しかしながら, この主張は, 論の冒頭で紹 介したヒュ 対極的である. 「 ヒューズは, すでに述べたように, 子 どもの歴史認識 (学習内容) における 厳格な歴史的正確 「 性」 に対し, 積極的に寛容 な態度をとっ ていた が, 歴史研究の 成果」 そのものに対しても開かれ 1 9 と異なっ ている‐ た態度を次のよう に表明して いる() . そして, この点でも本多氏 今日ではわれわれ歴史家殆 どすべて は, 歴史記述 は歴史家の立場によっ て必然的に異なっ て 来るものであり, すべての歴史 は, その記述がそれを書く人の環境や態度を反 映している とい う意味で, 同時代 的であるというクローチ ェ の金言をう けいれている. 各世代 は歴史を新しく 書き直すのである. 歴史の研究に 「決定版」 というようなものは存在しない. もっ と正確に言 えば, もし一世代以上の間, その権威に対 して疑問を投 げかけられぬままに過 ぎてきた数冊の 本(歴史研究書 - 引用者 -)があるとしても, それは, 取り扱っ ている事件 がその時代の論議 から取りのこされてきたためであり, 歴史家 がそれらについて新しい視点をもっ て見なけれ ば ならない というさ し迫っ た要請を感 じなかっ たためであろう. (文中傍点は原文). 124.

(4) . 長岡文雄 「『寄合』 の授業」 の検討. こう して, 歴史授業のあり方を論ずることば, 歴史研究の方法 的態度や いわ ば歴史 研究観とで , もいえるレベル, また, 歴史理解や, 歴史認識 歴史像再構成といっ た歴史哲学的レベ ルの諸問題 , とオ ー バ ・ ラ ッ プ し て く る こ と に な る の で あ る .. こう して述べてきたよう な問題状況 に対して, ある解答を与 えるのが 小論 の目的ではない お , . そらく, 意識的に選択した ある立場に立つ ことが, これにらに対 する解答を書くことに通ずるであ ろうと考える. 小論では, 表題にある授業をとりあげ, 先述 した③, つまり 子 どもの学 習内容にかかわる問題 , 視角からの検討を課題とする. 「歴史教育」 という用語を使わず 「歴史学習論」 とした のは いず , , れにしても, 学ぶのは子 どもであると考えるからである .. 2. 2 0 長岡文雄氏 の 「『寄合』 の授業」 は, 「戦後実践 の代表作」 の一つとも( ) 「最も正しく初志 の会の , 2 1 { ) 考を反映している 」 実践とも評価されている ‐ 授業 は, 1965年9月, 奈良女子大附属小学校6年生を対象 に行われた 「寄合」とはいうま でもな ‐ く, 「室町時代」の農民の自治的組織としてのそれである 授業記録 は はじめ 初志の会の機関誌 ‐ , , である 「考える子 ども」 (節 52号, 1967年2月) に発表され, のち, 著書 「子 どもをとらえる構え」 . 1986年 禁明書房) で整形されて掲載された ( . この授業 の 「ねらい」 は, 「室町時代 の寄り合いを中心しにして 人々 のねがいとその実現の方法 ,. 2 2 ) を 考 え る 力 を 高 める( 」 と さ れ て い る. こ の 「ね ら い」 に つ い て, 長 岡 氏 は次 の よ う に 説 明 して い 2 3 ) る( .. 六年生で, 政治を 「人々 のねがいの実現」 としてとらえた子 どもたち は 「人々 のねがいと , , その実現の方法は, むかしと今とでどう変わっ たか」 という問題をもち 歴史的追究にはいっ , てきた. そしてここでは, 「室町時代 の寄合」 をみんなで調べることにした のである . この授業 は, 学問の成果としての 「室町時代の寄合」 を子 どもに知らせて終わるものではな い. 子 どもたちが寄合を追究していく過程 にねらいをおくのである 「寄合」についての情報は . きわめて少量である.しかしそれ故 にひとりひとり の子 ども の推測 は個性的に大きく はたらく , 「寄合」 を通して 「人間が寄り合う ということはどう いう意味をも つのか」 「何のために寄り , 合うのか」 をつきつめ, 人間が人間らしく生 きるため の念願や その具体的な実 現のしかたの , 工夫を考え, 自分のあり方を決めていかせたいのである . 現在のわれわれの生き方のなかにある寄り 合いや座な どにも 目を向けさせ 具体的に深く社 , 会を見る目をみがかせたい. たとえ子 ども の推測することが 客観的といわ れる史実に反して , いてもよい. その推測をそ の段階として貴重なも のとし 真実へ向かっ てさらに追究をすすめ , さ せ た い‐. 授業計画は三 時間である. 第一時, 「寄合い」 第二時 第一時の授業 にもとづく考えの発表と教 , , 師からの 「寄合」 の資料提供にもとづく話し合い 第三時 「たちあがっ た農民の力 についての学 , , J 125.

(5) . 安 藤. 豊. 2 4 } 授業記録は, 残念ながら, 次に示す第一時の第1分節, 第2分節についてのみ公表 習, である( . さ れ て い る.. 第一時の授業は長岡氏によって次の3つに分節化されている. これに沿っ て, 授業展開の概略を. 2 5 ) 紹 介 して お く{ ‐. 国 寄合についての推測 国. 現在に残る座のようす. 国. 山城国桂川之図西岡諸荘による (当時の村の結合) の確め. 授業は学習係を中心に運営される.このシステムについての説明はないので詳細 は解らない. 前日に 「寄合」 についての問題を子 どもに書かせたらしい. それらは, 整理して小黒板に書い て あ る.. 授業 は, 学習係の次の発言からはじまっ ている.. 回 寄合についての推測 ① 寄合の概念 学習係が発言する. 「きのう書いてもらっ た問題を整理する と寄合のこと が多く出ているの. で, こ れ を 話 し あ っ て い き ま す. … … は じ め は, 「な ぜ 寄 合 を し た か」 「き っ か け 起 り」 と い う. ことで意見はありませんか.」 教師は, 内心,「急いでいるな. 寄合の概念 をはっ きりさせたい者 もいるはずだが」と考える‐ 「な ぜ寄合をしたか」 ということを 「寄合っ て何」 というささやきが聞える そこで教師は, 『 . 「 話しあおうと思っ たら, 寄合とは一体 どう いうことか」からはっ きりさせなけれ ばならんじゃ ないかという意見 だね. これはたいへんえらいことに気がつい たね』 と発言し, 論点を軌道修 正する. 子 どもたちからは, (事前に調べておくという学習ルールが成立しているのであろう)本や資 料で調べた結果として, 次のような発言 がつづく. 「新しい村のしくみができて, ……村の大事なことを決めるな ど, なんか自治 が自分たちの手 「 があるでしょう. ……村の人たちの手で, で行われた……」 , 今だっ たら, 地方自治というの 「 何か大事なことを行っ て自治をやっ ていた」 , 共同の用 水や共同の山の使い方 を相談して決め たそうです. ……自分たちの生活を守るため……」 2 6 ) 教師は, 次の発言に注目し, 子 どもの議論を 「かきまわす{ 」 . 「ぼくの町でも寄合 があります それは大体, 今で言え ば 『労働組合』 のよう なもの……」 と . いう発言に対し, 『そうすると, 今でも寄合 があるわけだ』と確認する. これは, 以降の話し合 『 いの伏線になっ ている. そして, 次のように 「かきまわす」 , 今調べているころよ . (寄合は) 「 たけど, 『よりあい』 というひ り前はなかっ たのか』 , 別の子が 前から寄合というものがあっ とつのこと ばにはじめてまとまっ た」 と, 言葉の起源を問題にする. 教師にもわからないこと である. この発言をきっ かけに, 先の子 が, 自分の町の寄合は, 「よりあい」ということ ばはつ かわず, 「小作団体」といっ ていると発表 する. 教師は, 小作団体とは何か, その子に説明させ, 『小作団体の寄合と まえの寄合といっ しょ だろうか』 と問う. , ここで教師は, 現在の子 どもたちの, あるいは, 見聞している 親たちの生活経験を認識対象 126.

(6) . 長岡文雄 「『寄合』 の授業」 の検討. として, それをくみ立てさせながら, それを過去化する方向に子 ども の学習を導びこうと意図 し た こ と に な る.. この間を伏線のよう に発しておいて, 過去 (室町時代) の寄合の追究に入る .. ② 室町時代の確認 教師は, 次の発問をし, 今問題にしている 寄合が室町時代のも のであり それは 14世紀の , , 頃であることを確認する. ここで, 授業の流れが変えられる . 『明治からこちらにできた小作団体は またこれから勉強していく間に もうーペん考えなお , , して問題にするときがでてくると思います. 頭の中にしっ かりおいておきたいと思いますが , こちらの寄合はいつ ごろの問題ですか』 ③. 寄合の起り こう して, 学習係が, 授業の冒頭で発した問題が, 再びとりあげられることになる .. 学 習 係 が 発 言 す る‐ 「そ れ で は, 『き っ か け 起 り』 つ ま り 『も と に な っ た こ と』 な どで 意 見 は ,. あ り ま せ ん か‐」. 子 どもたち の発言 は, a. ①で出された情報からの推測にもとづく発言 b 「農民のねがい」 , . の実現という視点からの発言の順で進む・ aに分類される発言 は, 次のようである . ◎災害が起きたとき協力 しあっ たのがきっ かけ ‐ ◎水田の用水路づくり, 道具づくり, 山の開拓 . この間, そのようなも のをつくるには, 誰かの許可が必要だっ たのではないか という発言 , があるが, それに対 し, 教師は, 『さてさて, 許可を受けた のか そんなねがいをした きっ かけ . は』 と問い返す. この問いを契機 にして, 「上の人 のやること」 に対する 「不満, 不平 ぐち」 が寄合のもとに , なっ たという発言がさ れる. b そ し て, あ る 子 が, 「わ た し は ね が い ごと ぐち が あ る と 思 い ま す そ れ を 実 行 丁で き る よ , , .. うに話し合っ たと思います.」 と発言する . この発言をう けて教師は,『寄合にこめられて いるねがい ごと は だれのねがいごとであっ た , か, 武士, 農民, 貴族』 と 「かきまわ し」 ておいて, 次のよう に発問する . 『( 「農民」 と板書して) だれのねがいが寄合 になっ たのか みんなは農民と言 た 一口に農 っ . . 民といっ てもいろいろあるはず だ. どんな不平をもっ たのか 先生はみんなに教えて もらいた , L、 -”. ・ 』 .-. この後教師は, 百科事典な どからの情報の引き写 し発言ではなく 子 ども自身の発言を引き , 出すことに配慮しつつ, 「農民のねがい」 「不平」 とはどんなものであっ たか考えさせる 教師 . の問いかけ主導で授業が進んでいく. まず, 「田と田の争いで, 境だと思います」という意見が出される これは 生産活動と結び . , つく意見である. 次で, 農民のねがいは, 年貢の軽減 であっ たという意見が出される 教師は . , 答を断定しない‐『ほんとうかな, そのころ の人に出てきてもらわないとわからないね 年貢と ‐ いうのは, ぐちの中 でも大切なことかな 境といっ たけど 土地 はもっ ていたんですか と問 . 』 , い返す. さらに, 『小作農民と自作農民とでは グチがちがっ ていたのか 同じグチもあっ たの , , 『 『 か』 , だれを相手 にしたグチか』 , そういう グチは, 室町時代 になっ てはじめてあらわ れて来 127.

(7) . 安 藤. 豊. 『 と間を発しながら, 問題を広 げていく. たのか』 , な ぜ, 早くから, 寄合をやらなかっ たのか』 そして, 子 どもの方から出された, 農民の側に, 寄合っ て武士の力を はねかえす力 が出来て きた旨の発言をう け,『自分のしあわせを,自分たちの手でつ かもうとしてくる方向にあるかな. で はい い こ と だ な, だ い じ だ な』 と 発 言 し て, 「き っ か け」 論 点 を き り あ げる.. 寄合だけでなく, 歴史的事実 (それらは, 文献史料, 遺物, 遺構な どとして残っ ている) は, 当時の人々 の何等 かの必要性 (ねがい) から生み出された所産である. そのような視点 から考 えると, 現在, われわれが見聞する 歴史的事実は, 当時の人々 の考え (ねがい) の 「解答」 で あると解釈することが可能であろう. そう だとしたら, 目の前にある 「解答」 が, どのうよう な 「問い」 (必要性, ねがい) の答えであるのかを解釈するこ とは, その 「解答」 (歴史的事実) の 「意味」 解釈をしている ことになる. この②の授業の局面における教師と子 どものやりとりに, 上述の歴史解釈の枠 組みをあて は めてみる と, その特徴が浮か び上っ てくる‐ 教師は, ①で出された情報や, 各々 が百科事典な どで調べて来た情報にもとづき, 子 どもた 「解答」 ) の主体的 「意味」 解釈を迫っ ているのである. 各自 ちに 「寄合」 という歴史的事実 ( の現在の生活経験や, 乏しい情報にもと づき, (その限りでの)歴史像を創らせよう としている のである. そして, 「意味」 解釈の内容を豊かにするため, 次々 に問いを発 しているのである. 「寄合」の概念内容を少 しでも豊かにするため,子 ども自身が思考を進めるよう配慮しながら, 教師から子 どもへの問いがつ づく.. ④ 指導者 ● 教 師 は問う. 『そ れ で は, そ う だ な 「き っ か け」 は, ま あ, そ れ で よ い か. どう い う こ と か ら. 寄合 がだんだんできてきたかは, ね. そんなとき, 「おい, やろう」という人はいなかったんだ ろ う か. い た だ ろ う か.』 教 師 は, 『君 た ち で も 何 か や る と き 「お い, や ろ う」 と い う 人 い る ね』 と い い, 子 ども た ち の. 現実生活 (学級会活動な ども含むであろう) を想起させ, 「寄合」 には, リー ダーがいたか, い なかっ たか, どうやっ て決めたか, 問題を提起する. もちろん答は出さない. 寄合に反対する者 はいたか 教師は, 次々 と問題を出していく. 『(小黒板の問題を指 して)これには, 「寄合に反対者はな ‐賛成者は どう だっ たか」 と書いてあるね 司会者の人 はどう ですか』 と問う. 学習 かったか. . 係が, そのことについて, 意見を促す. 子 どもからは, 反対者は, 寄合をする と損をする人で あり, それは, 地主や武士である旨の発言がある. 判断基準を設定して, 答を特定する論理展. ⑤. 開の仕方は, 相当の水準である. 教師は, ここで, ある子の「農民が年貢を少なくしてくれといく ら言っても, 寄合をしても, 武士が受け入れる か どうかわかりま せん」 という発言をう けて, 当時の武士と農民の力関係を 問う. 『すぐ受け入れる か どうか. 武士をみんなで はねのける力 はあっ たか.』 そして, 農民の こは掲繊されてぃなぃ) を 示 して, 次 の よ う に 説 明 す る. 働 く 絵 (ただし , 授業記録む. 『……この絵のよう に 鎌倉から室町になっ ても姿 は似ていたらしい が, それといっ しょ に, , こういうふうに働いて いた人 が, みんなで, こう しっ かり結 びあっ て』 と, 農業生産力の上昇 に着目するよう布 石する. 128. ・.

(8) . 長岡文雄 「『寄合』 の授業」 の検討. ⑥. 寄合ではどんなこと を決めたか 教師は, さらに, 問う. 『ええと, 先生はもう少しつけ加えをして みたいと思いますが 「ど .. う いう こ と を 寄 合 で 決 め た り し た の か」 と い う こ と が さ っ き 出 か か り ま し た も う 一 度 考 え , . て みる と.』. 子 どもからは, 土地争い, 年貢, 田植え, 農具な どの意見がでる はじめは話し合う 議題が . なかっ たが,とにかく集まっ て,いろいろ話し合っ ているうちに実行 丁する約束がだんだん決まっ てきた, という意見も出される‐ こう して, 寄合の実態について, 具体的な追究が進ん でいく . 永原慶二氏 は, 「『歴史像』 というものは, もっ とも具体的な歴 史的事実・歴史過程そのもの 2 7 ) によっ て示される歴史 の具体的かつ本質的イメ ージ{ 」 であると指摘したこ とがあるが, ここ で, 子 どもたち は, 寄合についての 「具体的かつ本質的イメージ」 を形成しよう としていると 解せよう‐ ⑦. 寄合 は, いっ, どこで行っ たか 教師は, なおも問う. 『(小黒板 にある) 次の問題になっ ている 「どう いうときとか どう い ,. う 所 で」 と か いう こ と ね どん な と き に 話 し合 っ た の か な あ』 .. 子 どもからは, 困まっ たとき, 問題があっ たとき集まっ た いや 問題があれば毎 日あつま . , らなければならない ことにもなる. そんなに集まれない 日を決めて集まっ た 田植のときな . . んか集まれない. 毎月 「八一 の日とか, 決まっ た日に集まっ た 既習の農事暦を想起 し 節句 ‐ , とか, 正月とか, お盆な ど閑なとき に集まっ た 等々 の意見が出る . . こう して, 問いを, ばら蒔きながら, 寄合の実態 (歴史像) を具体的に追究 する ‐ 図. 現在に残る座 の様子. ここまで追究させて, 教師は一転して, 現代に残っ ている 「座」 についての情報を子 どもた ちに与える. これは, 「現代の中にも中世のな ごりがあること に興味をもたせ 「現代の中に過 」 去が尾を引いていて生きていること」 を子 どもに気づかせようとの意図にもとづく 次時の授 . 業記録は無いが, おそらく, ここで子 どもが得た情報は その後の寄合の追究過程で 効果的 , , な役割を果 したであろうと思われる . ここで, 子 どもたちに与 えられた情報は二つある 一つ は 学校 の 「作業員の武田さん か ‐ , 」 らの聞き取りである. それによると, 武田さんの入っ ている座 は 毎年正月9 日に寄合をし , , 「用水のことやら話し合っ ておき 他の村と相談し 1 」 , 5 日 に 本 決 め に す る と い う こ と で あ っ た. もう一つ は, 赤土君という 子 ども の家が押熊の座に入っ ており その子のまとめた資料であ , る‐. それによると, 押熊には, 氏神があり 押熊に生ま れたものは 権利として座入りがみとめ , , られてお り, 7~8歳 になると氏子として座入りすること その時 仲間入り の式があり 親 , , , 戚一同を呼ん でごちそうをすること, 氏子組織 には 「大人会 「青年会 があること 「大人 」 」 , , , 会」 に入るとき, 寄附を要求されること 氏神の儀式や祭 は 「大人会 の責任で行われ 1年 , 」 , , に 4 つ の 儀 式, 「あ ま ごも り」 「し ょ う ご ん 祭」 「か ん な め 祭 , 」, 「豊 作 の 祭」が あ る こ と, な ど ,. が子 どもたちに説明された .. 129.

(9) . 豊. 安 藤. 山城国桂川 之図西岡諸荘による確かめ 京都の桂川に沿っ た西岡荘園の様子 を, 東寺蔵の古地図で示す. 同じ利益にむすびつく地域 として団結 した荘園を用 水路の様子から発見させ, そこでの綻を説明する. 回. この部分の授業記録 は, 「割愛」 されている.. 3. イ ギリスの歴史哲学者であり, ローマ ンブリテン研 究 (考古学) の大家でも あっ たR. G. コリ 2 8 ングウッ ドは, 「あらゆる歴史 は, 思考の歴史 である」 と結論した{) . 彼がここで使っ た 「思考」 という言葉の意味は, 人間活動に固有の反省的思考 という狭い意味 で 2 ( 9 ) 使用されてい ない. それは, 「様々 な人間活動 を通底する基本形式である 」 とされる. 『 「 たとえ ば, コリ ングウ ッ ドによれ ば, 歴史家 が な ぜブルータスがシーザーを刺殺したか ね を 問題にすれば, その意味は, 『ブルータス はどのよう な考えで, シーザー刺殺 を決心したか?』とい うことである. 歴史家に とっ て, 出来事の原因とは, 出来事を生 んだ行為の行為者 たる人物の心中 0 3 ) { における思考である‐ そして, この思考 は出来事と別物ではなく, 出来事自体の内面である .」と 説明されている. また, 「軍事史 は寒暑の中での退屈な行軍とか, 戦闘のスリルや冷酷さとか, 負傷 者の長い苦悶を記述するもの ではありません. それは作戦 と対抗作戦との記述であり, 戦術や兵法 に関する 思考を述 べるものであっ て, 結局はその戦闘 を下士官たち がどう考えたかを記 述するもの 一定の地層から出てくる 石材, 陶片, 硬貨, 城壁, 古代遺跡 なのです@) .」と述べている. 同様に, も, 当時の人々 の思考の所産であると考えるのである. 1 用者- )の歴史である以上, 思考の意-弓 このことか ら, 彼 は, 歴史家の仕事 とは, 「本来の歴史 が思想( 『出 『 歴 史 に は (人間の思考が介在しなぃとぃぅ意味で-引用者一 単 な る 出 来 事』 な どま っ た く な い r ・誤 っ て. 意図 ,目的-引用者一 を表現 来事』 と呼 ばれているもの は, 実際には行 為であって, その行為者の思想( 2 3 ) ( 確認するにある 」 という. するということです. ですから歴史家の仕事 はこの思想を それでは, 行為者の 「思考」 の結果 として残された歴史事象を前に して, 歴史家は, どのように して, その行為者の 「思考」 を発見するの か. コ リ ン グ ウ ツ ド はい う.. 3 3 }」 「その可能な方法 は唯一つ, つまり 自身の心中でその思 考を再思考 することである{ . 「 である そして, その結果 が, 歴史的知識」 . 過去の思考の 「再思考」 といっ ても, それを客体 として一方的に眺めることを意味しない. 過去 「 「 の思考 は, 過去において は, 現在の思 考であっ たが, それを 再思考」 する主体にとっ ては, 現在. 「 3 4 ( ) の 中 にお ける 過 去 の 思 想(思考-引用者-) 」 で あ る. こ う して, 歴 史 的 知 識 は現 在 の 諸 思 想(思考-引. 用者一の脈絡に包みこまれている, 過去の或る思想を再 演することであり, 現在の諸思想 は過 去の諸 3 5 { } 思想に対立することで, それをみずか らのものとは異 なる平面に閉 じこめる 」 とコ ンリングウ ッ ド はいう. そ して, 次 の よ う に い い か え る.. 歴史家の認識するものが過去の諸思想(思考-引用者一 であり, しかもみずからそれらを再考 し て認識するの だとすれ ば, 歴史 的探究によっ て彼の獲得する知識 は, 自分についての知識とは 対立する彼の情 況についての知識で はなく, 自分の情況につ いての知識 であると同時に彼自身 についての知識だという ことが当然帰結します. 他の誰 かが考えた ことを再考する場合, 彼 は 130.

(10) . 長岡文雄 「『寄合』 の授業」 の検討. それを自分で考えるのです. 他の誰かがそれを考えたと知っ て 彼 は自分にもそれを考 えるこ , とができると悟 るのです. しかも, 自分にできるという ことを見い だすというのは 自分がど , んな人間 であるかを見いだすこと です 再考によっ てきわめて多数の多様な人間の思想を理解 . できるとすれば, 当然彼はきわめて多様な人間でなければならないこと になります 彼 は事実 . 上, 自分の知りうるかぎりの歴史からなる小宇宙 でなければなりません こう して彼自身 の自 . 3 6 ) 知は, 同時に人事の世界についての彼の知識なのです( . そして, 上述のよう に, コリ ングウ ッ ドにとっ て, 歴史とは 人間活動 の歴史であっ て 「それ以 , , 上 (例えば, ヘーゲルの形而上学的歴史, 絶対精神の自己開示の過程としての歴史) でも それ以 , 3 9 ) 下 (例えば自然 の歴史) でもない( 」 のである. では, どのような思考 方法によっ て, 過去の思考を 「再思考」 し 「歴史的知識」 を形成するのか . それが, コリ ングウ ッ ドの 「問答論理学」 である . 彼の問答論理学は, 命題論理学や記号論理学に対置されたも ので それは 次のように解説さ れ , , 4 0 } て い る{ .. 「問答論理学とは 与えられた命題を一 つの解答とみなし この解答をも たらした問いを発掘 する , , ような論 理学のことである. この問いは常 に特定の事柄に対する 特定の問いである 一つの問答は . 長い問答の過程 の一環をなし, 特定の問いはある文脈の中で生起する 従っ て 解答をもたらした , . 問いを発掘するため には考古学と同様に歴史的な手法によらなければな らない 」 ‐ 4 1 ) コ リ ン グウ ッ ド は,「知 識 は問 題 に 答 え る こ と に よ っ て の み 生 ま れ る( 」と い い, 認 識における「問 2 4 ) いかけ活動( 」 の重要性を強調する. そして, 人間の思考活動 は, 「問いと答え」 を 「思考単位」 と 4 3 )であるとする この限りで 彼の見解 は ハ ンソンの指摘 する 「事実の理論負荷性 理 する活動{ ‐ , , 一 4 4 } 論 に 通 底 す る{ .. この問答論理学は, 先の 「歴史的知識」 形成過程に対応させると 次のようにいえるであろう , . 与えられた命題と しての解答は, 眼前の歴史事象 (陶片 城壁 文書 絵画 思想等) のことで , , , , ある‐ そして, 「この解答をもたらした問い」がそれら歴史事象を作り出した 行為者の思考( 意図 ) ,目的 で あ る.. この場合, 「問い」 とは, たとえば, 野蛮人 は 「食物獲得という永遠の問題に直面してた という 」 よう に, 如何ようにも解答を対応させることのできる問題ではなく (この場合 「解答」 は 石器 , , , の端片であっ たりするのだから)あらゆる人事と 同じく, 「この魚を突き刺 すこととか この木の根 , 4 5 ) を掘り起すこととか( 」 のように, 細分化され, 特殊化されるも のである. したがっ て, それの解 4 6 } 答もまた同様に具体的である{ . こう して, この思考活動 の プロセス は, 具体的な問題解答の複合体をなし その複合体全体 の中 , で新しい問題を生起させ る連鎖活動なのである. こう して, 歴史的思考の方法は, 過去 の思考の再思考である 「歴史家 は史料をある問いに対する . 解答とみなし, そしてその問いを発掘し, 過去の思考を明るみに出すことによっ て歴史を構成しよ 4 7 ) う と す る( 」. そ の 際, 「ま ず, 何 ら か の 歴 史 像 を(仮説的; 4 8 } こ-引用者-)構 成 し て み て( 」, 「史 料 批 判」を 行 う. こ の,. 「史料」 と 「歴史像 との往復が歴史的思考であり 歴史的想像である そ して 」 , . , その過程で, 史 料 が 「証拠」 として再創造され, 仮説として の 「歴史像」 が構成さ れる . コ リ ン グ ウ ッ ド は次 の よ う に い う .. 131.

(11) . 安 藤. 豊. 「史料」を「喪」とし こう して, 過去に関する歴史家の心像は, 外部から供給される定 点への依存( て受励鞠こ受けとめること-引用者 一 か ら 解 放 さ れ, あ ら ゆ る 細 部 に わ た っ て 想 像 的 心 像 と な り, あ ら ゆ. る点で心像の必然性 は先験的想像 が持つ必然性となる. 心像中に含まれる 一切のも のは, 歴史 )受動的に受け入れたからで はなく, 能動的に要求したからこそ, 心像 史料を-引用者 家の想像が( 9 4 ) 中 に 含 ま れる( .. コリングウッ ドの歴史哲学の大 系を述べることは, 私にとって は不可能に近い程困難事である. ここまで, 大幅な錯誤 や誤解, 理解不足を承知の上で, この歴史哲学について, 粗く論 述して来 たのは, 私 が, この歴史哲学に対してある 立場を表明しようというのではなく, 長岡氏の歴史授業 「寄合」 の特質を劇 出するための分析枠として 有効であろうと考えたからである. コリングウ ッ ドの歴史認識論は, ある固定的な歴史像を前提せず, ある歴史的事象に対して, そ れに立ち向う者 が, 現実生活のあらゆる 「人事」 を動員 し, 過去の思考者の 「解答」 に対崎し, そ れとの 「問答」 を通して, 過去を自分の心象の内 に形成しようとする. 彼自身それを 「精神の自知 5 0 } としての歴史{ 」 と表現した. それは, 自己以外の権威に頼っ た歴史理解を排除 している. 長岡実践 は, 2の行論で, 若干示唆したことだが, たしかに, 上述の歴史認識論の枠組 と重ねて 論じることができるであろうと考える. この授業では, まずはじめに,「寄合」についての一定の概念が与えられる. その概念内容は, まっ たく乏しいものである が, とりあえず与えられる. それは, 「過去の行為者の思考」 の所産= 「解答」 にあたるう. と同時に, 「寄合」 の実態という 「 「心像」 を再創造していくための 「仮説的歴史像」 , あるいは 先験的想像」 の機能を果 しているで あろう. 「 次に, そのようにして与えられた「寄合」概念に対し, 教師と子 どもは, 現実生活者としての 人 がりや学級会 事の世界についての彼の知識」 , つまり, 地域での生活や, 学校での子 ども同士のつな 「 「 ) に合致してい 等の経験や知識を駆使して, 具体的な問題を立て, それが 寄合」 の実 態 ( 解答」 「 「 )を 過去の行為者の思考 がい ( るか追究する. その プロセス は, 寄合うた人々 のね 」 , 現在の諸思 想の脈絡に包みこむ」 プロセスであろう. 過去の出来事をわ れわれは眼前に見ることは出来ない. だから, われわれが過去を「知る」 のは, 推論によらなけれ ばならない. その意味で, 歴史 は 「一時的かつ具体的なものに対する 完全な推論 「 が 「たとえ子 5 1 ) 的認識( 」 である. その限りで歴史的 事実」 は存在しないとさえいい得る. 長岡氏 どもの推測することが, 客観的といわれる史実 に反していてもよい.」と述べることは, その意味で, 正しい. 「 授業は, 子 どもの思考の自律性を保証することが重要である. 歴史の授業 は, 往々, 正しい」歴 史知識にしばられて, その自律性を損い がちである. コリングウ ッ ドの歴史認識論の枠組 は, 自分以外の権威を認 めず, 歴史思考の自律性を重視する 枠組である. 歴史哲学論レベルの真為ではなく, 子 どもの主体的な歴史学習 をどう創り出していく かという レベルでは, 有効な枠組みである. この枠組みを, 授業構想に反映させ得るよう整備していくことが, 今後とも課題である.. 132.

(12) . 長岡文雄 「『寄合』 の授業」 の検討 〈 ラ主〉 ) S‐ ヒューズ/川上源太郎訳 「歴史家の使命」 P 187 19 ( 1 tHughes,His tory . , 66年 竹内書店 (原題:H.Stuar tand asSc i as Ar )‐ ence,1964 1 8 9一1 9 ( ) 0 3 同上 P. 192 pp . . ‐. ( 2 ) 同上. ( ) 同上 P. 1 4 9 0 5 ) 同上‐( 6 ) 同上. ‐( ( 7 ) この企画の全経過 は, 『授業研究』 楠 28 3 臨時増刊 ( 19 8 5年8月, 明治図書) 参照‐ . ( 8 ) 藤岡信勝 「有田氏へ 想像と事実の間に」 『教育科学/社会科教育』 N i Q 27 8号, 1 985年1 2月, 明治図書‐ ( 9 ) この 「議論」 の若干の経過及び, 若干の私見, また文献については 次の論稿で紹介した , . 「『社会科歴史』 をめぐる素描 ( 4号, 1 990年1月 北海道大学教育学部) 」 『教育史・比較教育論考』 第1 ‐ Q O ) この例示は, 「議論」 の私なりの理解にもとずく例示であり 実際に議論の対象になっ たものではない , . 『歴史学研究』N QD 座談会〉歴史学と歴史教育のあいだ」 ( 55 3 86年4月, 青木書店) での本多発言 (P. 37 Q ) , 19 ‐ 鰹 ) 註( )の論文. 8 Q 3 ) 本多公栄 「教材にとって実証性は絶対条件か」 P 51『教育科学/社会科教育』N 0 293 ‐ , 1987年2月, 明治図書. 回 同上‐ Q ) 同上. Q 5 6 ) 同上. Q 7 ) 『羽仁五郎歴史論作集』 第2巻所収, 197 6年, 青木書店‐ ( 1 8 ) 本多公栄 「歴史教育/社会科歴史への期待」 P 2 90年, 青木書店. , 19 ‐ 5 Q 9 ) 註( 1 )前出書pp 3-17 4 . 17 . 翻 り 『教育科学/社会科教育』 が特集した 「『戦後実践の代表作』 を授業にかける」 で 永田時雄 「西陣織 有田和正 」 , , 「ゴミの学習」 等と共に選抜されている (同誌N 302 87年9月) Q , 19 . 例 内海巌編著 「社会科研究資料」197 4年, 第一学習社 (但し, 註( 2 のP. 56よりの再引用) . ◎ 長岡文雄 「室町時代 『寄り合い』 を中心に 一一 六年一学期 --」 P 1 『 2 5 67年2月, , 考える子 ども』 NQ . 4 , 19 社会科の初志をつらぬく会. ( 2 3 ) 長岡文雄 「子どもをとらえる構え」p.1 64 86年 (新装版) 繁明書房. , 19 仰 同上 P‐ 16 5 . ( 2 5 ) 同上 pp 6-1 7 7に掲載の授業記録による‐ ‐ 16 ( 2 6 ) 長岡氏は, 授業の中での教師の 「はたらき」 を, 次の7つのカテゴリーに分類し 意図的に使いわ ける (同上 , ). pp ‐ 178一179. ① 流れを変える ② 進行をまとめる ③ かきまわす ④ 内容を確認する ⑤ 強く意識させる ⑦ 学習の姿勢をきたえる これらは, 「教授ストラテジー」 の構成要素として教師の意識内で機能するカテゴリーと考えてよいように思う ‐ 解 ) 永原慶二 「歴史学叙説」 P‐ 18 8 97 8年, 東京大学出版会. ,1 ( 2 8 ) コリングウッ ド/小松茂夫 三浦修訳「歴史の観念」P 2 0年, 紀伊国屋書店(原題;R.Co l l i ng ood: , 197 . 30 N ▽ Theldeaof Hi toty ed i tedby T. M- Knox,1946 s )‐ ◎ 間宮陽介 「思考と歴史 -- コリングウッ ド試論 --」 P 95 『思想 N 54 』 Q7 ‐ , , 1987年4月, 岩波書店‐ 例 ) 註鰯 )前出書, P. 2 30 . ( 3 P コリングウッ ド/玉井治訳 「思索への旅 -- 自伝 --」pp 1 24 81年, 未来社 (原 題 ;R‐G.Col l iル ‐ 23一1 , 19 ). o gv vood ; An Autobi ー打aphy,1939 ( 2 ) 同上 pp. 140一141 3 ( ) 3 3 註 御 P‐ 231 . ‐ 縄 註 側 P‐ 126 ( 3 5 ) 同 上 P. 127 . ‐ ( 3 ) 同上 P‐ 128 6 Gの 註側 P‐ 98 ‐ .. 値の 同上 P. 1 02 ◎ 註御P. 34 . . 鰹 ) 同上 P. 4 0 錫 ) 同上 P‐ 45 ‐ . 回 村上陽一郎 「科学のダイナミックス」 P 29 98 0年, サイエンス社. . ,1 133.

(13) . 安 2 . ・. PI . . P P. . ‐P▲ . p ⑩ p. . .

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