Author(s)
齊藤, 郁子
Citation
沖縄県公文書館研究紀要 = OKINAWA PREFECTURAL
ARCHIVES BULLETIN OF STUDY(10): 53-72
Issue Date
2008-03-21
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/9121
齊藤 郁子†
はじめに 1 河村只雄日記の概要 2 「日記」の内容 2-1 1936 年 (昭和 11) 2-2 1937 年 (昭和 12) 2-3 1938年 (昭和 13) 3 河村の調査をめぐって おわりに 付録 河村只雄日記行程表 はじめに 社会学者の河村只雄は、1936 年(昭和 11)から 5 回にわたり南西諸島と台湾の調査を行った。河 村の遺した資料は沖縄県公文書館(以下、「当館」と記す)に寄贈され、そのうちの写真資料はすでに 整理がなされており、武智方寛氏によって被写体の特定作業も行われ、その成果は当館紀要第6号に 掲載されている1 。 しかし、河村の調査・研究を跡付ける資料と見られる彼の日記は、その概要が知られているとは言 いがたい。そのため、本稿では河村の沖縄調査とその背景などについて、当館所蔵の日記をもとに辿 り、資料として利用に供する一助としたいと思う。 1 河村只雄日記の概要 当館で所蔵している河村只雄の日記は、「河村只雄資料」のうちの「日記」(0000049937、0000053811、 0000061307。閲覧用マイクロフィルムは T00021098B。以下、「日記」と記すものは当館所蔵資料の日 記を指す)というタイトルで整理されている資料である。これは 1936~1938 年(昭和 11~13)の日 記であり、河村が南西諸島と台湾を調査していた時期を網羅しているものではない。写真資料には 1939 年撮影と思われるものもあるのだが2、上記 3 ヵ年分以外の日記は不明である。河村の次男で資 料寄贈者の河村望氏も「三九、四〇年の日記は、どうしたわけか手元にはなかった。」(河村望 1999:p.545)と述べており、当館に寄贈される以前に所在が不明になっていたもののようである。 これらの日記が書かれているのは、博文館が発売していた「當用日記」と銘打たれた 1 日 1 頁の日 記帳である。末尾に「補遺」としてフリースペースが設けられている。この日記帳に河村は 1 日 1 頁 をほぼ守り、1 日の欠けもなく書き記している。調査に出かけていた日々もほぼ 1 日 1 頁の記述で、 特に記述の多い日は末尾の「補遺」の部分に書き込みをしている。 また、日記帳には調査時のメモと思しき紙が数葉挟み込まれており3、調査内容を記録したと思われ †さいとう いくこ 財団法人沖縄県文化振興会 一般嘱託員 1 武智万寛 2004 pp.115-133 2 武智 2004 参照 3 例えば昭和 11 年の日記には、那覇に到着した 10 月 22 日から 10 月 27 日までの調査メモが挟みこまれている。10 月 22 日に那覇港へ到着した際に出迎えてくれた人、旅館や県庁へ向かったことや、10 月 23 日に奥武山公園の招魂祭に列 席した後、糸満へ行った等の調査行程が箇条書きに記されている。る資料が別に存在したこともうかがわれる。『南方文化の探究』の「宮古文化の探究」にも、「覚えが きの大事な手帳をなくして今その名前が思い出せないのは残念である。」(河村只雄 1999:p.223)とあ り、日々の日記とは別の記録があったことを示す記述である。だが、河村がなくした手帳とは別の「調 査ノート」とでもいうべきものが 1 冊当館に寄贈されている。市販のノートで表紙に「台湾から琉球/ 昭和十三年五月/調査の旅/no2」と書かれ、学術的な調査内容が書き留められているものである。 2 「日記」の内容 今回は河村のこの「日記」を、年月日、調査行程、写真や 8 ミリでの撮影、記述のある人物、『南 島文化の探究』のどの部分に相当するかという点で整理し一覧表の形で示した(後掲「河村只雄日記 行程表」)。 2-1 1936 年(昭和 11) 1936 年の調査は、沖縄本島、久高島、宮古、八重山に渡っており、河村の著書『南方文化の探究』 の冒頭、「琉球文化の探究」の部分にあたる。ただし、「琉球文化の探究では」旅の出発を 10 月 16 日 としているが、日記には神戸出発を 10 月 19 日、3 日後の 22 日に那覇入港の記述がある。 西表島の祖納を 11 月 15 日に出発し、16 日には台湾・基隆港に到着、11 月 20 日まで「視察旅行」 に入っている。 2-2 1937 年(昭和 12) この年の調査は 7 月 21 日に那覇港に到着してから、8 月 8 日に沖縄を離れるまでの比較的短い期間 で、7 月 25・26 日は「講習会」が入っていた。25 日は「非常時局と教学の刷新」という講演を行い、 同日の夜は一般のための講演会で「非常時局克服の力」という演題で話している。26 日は「家族・私 有財産及び国家」という演題であった旨を河村は日記に記している。 この時の調査には、8 ミリカメラを持参しており、日記にも浦添村字宮城の闘牛、今帰仁城、識名 園、等々を撮影している。おそらくこの時のものが河村只雄資料のうちの「沖縄本島及び周辺離島の 風物」の映像なのではないかと思われる。ただし、7 月 31 日の日記には、8 ミリのフィルムが暑さで とけて動かなくなり、これを直すためにフィルムを半分犠牲にしたと記されており、夏季の沖縄での 調査の苦労もみてとれるものである。この年の調査は上記の映像資料を残したが、『南方文化の探究』 にはこの時の調査内容はほとんど反映していないようである。 2-3 1938 年(昭和 13) この年は、4 月 26 日~5 月 20 日までが台湾調査、5 月 21 日に西表に到着してから 6 月 15 日までが 八重山、与那国の調査で、6 月 16 日に宮古へ入り 7 月 10 日まで滞在し調査した。この時には各地の 豊年祭を見学し、現地の古老・神職たちから聞き取り調査を行っている。現在残っている日記を見る かぎりにおいては、期間の長さとともに内容も充実した調査であったと思われる。そして、この時の 調査が『南方文化の探究』の「高砂族文化の探究」「八重山文化の探究」「宮古文化の探究」の元とな ったと考えられる。 河村の日記は、文字通り私的な「日記」であり、おそらく公表を念頭においては書かれてはいない であろうと思われる。というのは、『南方文化の探究』では、具体的に記述するのは憚られることも日 記ではその事情がわかる記述が見られるからである。公刊されるものに記述するのは不適当と判断し 河村があえて明かさなかった、島の現実もまたそこには記録されているのである。
3 河村の調査をめぐって 『南方文化の探究』にも、河村の調査には沖縄の教職員が協力していることがたびたび書かれてい るが、日記ではそれらの人物の名前が逐一挙げられていて、実際に河村がどういう人脈を頼って調査 を行ったかがわかる。彼ら協力した教職員は「研究所関係のもの」「前研究員」(河村 1999:28 頁)と 記されており、河村の職場である国民精神文化研究所と関わりがあったことがうかがわれる。 この国民精神文化研究所とは、『国史大辞典』によると、「第二次世界大戦前における文部省直轄研 究所の一つ。―中略―『学生左傾』の対策として、国体・国民精神の原理を明らかにし、マルキシズ ムに対抗する理論体系の建設を目標とする研究機関の設立があげられているので、これをうけてこの 研究所が設けられたのであろう。―中略―組織は研究部・事業部の二部から成り、事業部では、全国 中等学校教員の再教育(教員研究科)ほか、いわゆる『左傾学生』の指導矯正にあたる研究生指導科 があった。――後略」(田中久夫 1985:pp.692-693)という性格の機関であり、当時の沖縄県の教員達 もこの教員研究科へ派遣されていたようである。この教員研究科は、将来を嘱望された教員が学校長 から推薦される場合が多く、再教育期間は 6 ヶ月で、月々学資が支給されていた4 。この教員再教育 の事業を通して河村は沖縄の教員たちとの繋がりを得たものであり、教員研究科の同窓組織である「志 同会」5 のメンバーが河村の歓送迎会を開いていることからもそれがうかがわれる。 「日記」には、沖縄の教員達の中には、河村の調査に同行し現地の住民との繋ぎをするなどコーデ ィネーター的役割を果たす者もいたことが記されている。例えば、「日記」の 1938 年の 6 月 11 日に、 小浜の「ノリト」「神歌」の採集の手はずを校長と山城訓導に整えてもらうよう依頼し、12 日には山 城訓導が数名の村の有力者たちに事前の説明をおこなった上で河村がさらに調査の主旨を述べ諒解を 求めている。 また、河村は地元の教員に予備調査を依頼していたことを裏付ける資料も当館に寄贈されている。 表紙には「昭和拾参年六月二十四日/調査事項/宮古郡/伊良部校」とあり、こよりで綴じられている。 中にはガリ版刷りの調査依頼事項があり、その次に質問項目に対応する報告が学校の罫紙に記されて いる。その罫紙の上部欄外には人名が見えるが、これはその項目を調査した人物であろうか。河村は 事前に現地の人々にこういった調査依頼項目を送付し、それに応える形で現地の教員たちが報告をあ る程度まとめていたことがわかるものである。 こういった現地の教員達や住民の協力を得ながら調査を行っているわけだが、それでも現地の人々 に調査への協力が得られないこともあった。特にそれは神事に関わる調査に関してである。そこをあ えて踏み込み、とくに禁忌と関わる神事や聖域の調査を行ったことに対し、河村には悪評がつきまと っているようである。 河村の調査に対して、子息の河村望は次のように記している。 「聞くところによると、亡父は写真や八ミリを無遠慮に撮りまくって、調査地の人びとから顰蹙だけ でなく、怒りを買っていたようである。亡父が五回目の調査の後すぐ死んだことについても、入って はいけない神聖な場所に入り、写真や八ミリを勝手に撮ったのでバチが当たって死んだのだと信じて いた人も多くいたと聞いている。亡父のしたことは、もちろん正当化されるものではない。――後略」 (河村望 1999:546 頁)。 2バチが当たったかどうかはともかく、河村の調査には上記のような言説がつきまとうことも事実で ある。 4 前田一男 1982:pp.62-63 参照 5 前田 1982:p.63 参照
野口武徳も、南島研究史において河村を評価する者が少ないことをふまえ、「それどころか、河村 只雄はフラッシュをたいて島の人を驚かせたので、東京へ帰ってから病気で死んだのであるというよ うな話を、好んで私達に語りつぐのであろうか。現実に河村が歩いた土地に行き、そういう話を聞か されたこともある。しかし、そういう話題になる人は、河村只雄自身も聞いているし、この私も多く 聞かされている、まだ後述するように、河村自身、ある程度自覚してもいた。しかし死の直前まで沖 縄を歩きつづけ、説明する時間も機会もなく彼は死んだ。残されたのは二冊の大著といじわるな風評 だけであった。」(野口武徳 1980:p.116)と、河村の調査についての風評を述べており、河村の調査が 負の方向に伝説化している様子がうかがわれる。 また、河村望は、「このように話が進んだなかで、さらに小屋から、調査時に収拾した資料として、 鏡、勾玉、宝貝、わらざん、祭祀具などがでてきた。亡父が黙っていろいろな調査地から、このよう な貴重な資料をもってくるなどということはありえないと思うので、なぜこのような貴重なものが家 にあったのかはわからない。ただ、沖縄の人に頼まれて、国立博物館に資料をもっていき、博物館で 受け取るのを断られて、亡父ががっかりしていたという話を、私は母親から聞いたことがあるので、 そのような事情も部分的に関係していたのかもしれない。」(河村望 1999:pp.545-546)と記している。 河村家に残されていたこれらの物の入手経路がどのようなものであったか、今となっては確かめるの は困難であるが、最後の沖縄調査から戻って間も無く河村が急死し、そのまま物品が残されることと なった可能性もあろう。しかし、また、「日記」には河村が聖域と古墳から瓶をもってきたということ が記されており6、河村の功罪の「罪」の部分を記録している。 だが、それと同時に、水不足の水納島へ水を運ぶため船を借りようとしたり(結局とりやめになる が)、撮影した写真を集落の大勢の人に送るなど、あたたかいエピソードも見ることができる。著書『南 方文化の探究』に結実する以前の、生き生きとした調査の記録であるということができよう。 おわりに 以上、見てきたように、河村の日記には、現地の教員たちの協力によって調査を進めていたことが 詳細に記されている。彼らは予備調査をおこなう場合もあり、また河村に同行し通訳やコーディネー ター的働きをするなど、大きな役割を果たしたのが、国民精神文化研究所の「研究員」を修了した教 員たちという人脈である。必ずしも評判の良くない河村の調査に彼ら教員たちが同行し協力していた のは、文部省直轄研究所である国民精神文化研究所員への協力ということの他に、どのような背景が あったのであろうか。河村が聖域に足を踏み入れる調査に、彼らはどのような考えから協力したので あろうか。これについては河村の「日記」から読み取ることはできない。 当時の教員たちも政府の教育政策に沿って動かざるを得ないものであり、思想教育に深く関わる国 民精神文化研究所の教員再教育システムと河村の沖縄・台湾調査とが、当時の教育政策の流れを背景 にすると、なんらかの方向性を示していたという側面はないのか。当時の沖縄の教育界を考える上で 大きな問題をはらむものであり、稿を改めて考察したいと思う。 また、河村の『南方文化の探究』については、同時代の田中俊雄による厳しい書評7もある。当時か 6 1938 年の 6 月 22 日に来間の「ミャーカ」から小さい瓶を、7 月 6 日には池間の古墳から古い瓶を、それぞれ持って帰 ったことが記されている。 7 田中俊雄 1940 では、『南方文化の探究』に対し、「著者の専攻する学問が著者の体内に浸透して、ともに肉体化した著 者のもつ直感の眼の低さ」「学者といふものが、真に眼のきいた文化の観察者であるならば、われわれ素人がその対象 とするもの、根元となって働いてゐる本能がのみこめないですごしてきた、さういふものを明らさまに摘出して、われ われにしめしてくれることではあるまいか。」など、河村の記述の食いたらなさを記している。
ら現代に至るまでの、河村只雄の研究に対する評価を研究史の中で考察することも課題としたい。 参考文献 河村只雄[著] 『南方文化の探究』(創元社 1939 年) 河村只雄[著] 河村望[解説]『南方文化の探究』(講談社 1999 年) 『河村只雄資料』「日記」(T00021098B)沖縄県公文書館所蔵 河村望[解説] 河村只雄[著]『南方文化の探究』(講談社 1999 年)pp.544-560 小島瓔禮 「河村只雄の時代」『新沖縄文学』37 号 (沖縄タイムス社 1977 年)pp.127-134 武智方寛 「河村只雄写真資料の利用に当たって―特に被写体特定作業について―」 財団法人沖縄県文化振興会公文 書管理部[編]『沖縄県公文書館研究紀要』第 6 号(沖縄県公文書館発行 2004)pp.115-133 田中俊雄 「書評 河村只雄著『南方文化の探究』」『月刊民芸』(日本民芸協会 1940)pp.44-45 田中久夫 「国民精神文化研究所」 国史大辞典編集委員会[編]『国史大辞典』第五巻(吉川弘文館 1985)pp.692-693 野口武徳 「河村只雄」『南島研究の歳月』(東海大学出版会 1989 年)pp.114-124 前田一男 「国民精神文化研究所の研究―戦時下教学刷新における『精研』の役割・機能について―」『日本の教育史 学』第 25 号(講談社 1982)pp.53-71
付録
「河村
只雄日記
行
程表」
凡例 ・この資料は、 沖縄県公文書館 所蔵 「河村只雄資料」 の 「日記」 ( 000004 9937 、 00000538 11 、 0000061307 ) の記載内容のうち、 沖 縄 ・ 台湾調査に関する記 述を整理し、 一覧表の形 にまとめたものである。なお、 閲覧・複写には閲覧用マイクロ フィルム( T00021098B )を用いた。 ・漢字は原則として新漢字を使 用した。 ・判読不能の文字は「□」とし た。 ・記述は原則として「日記」に ならったが、補足が必要と思わ れる部分は [ ]で示した。また、 「日記」からの引用は「 」で 示した。 ・見出しは下記の項目を左から 配列している。 ① 年(西暦の下 2 桁を記載) ② 月日 ③ 行程 ④ 撮影(写真や 8 ミリでの撮影に関する記述) ⑤ 人物(特に記述のある人物。た だし、 「行程」に記載した人物 については省略した。また、敬 称は原則として省略した。 ) ⑥ 『探求』 (『南方文化の探究』 のどの部分に 相当するかを略号で示した。 『南方文化の 探求』は初版( 1939 年発行)の篇をもとに、 「琉球文化の探 究」= 1、 「高砂族文 化の探究」 = 2、 「八重山文化の探究= 3」 、「宮古文化の探究」= 4 とし、各篇の節番号との組み合わせで 示した。 例: 1-4 =「琉球文 化の探究」の 4 節「那覇・首里の第一日」の内容) 年 月日 行程 撮影 人物 『探究』 ‘36 10/19 12 時 10 分神戸港から出帆。 10/21 正午頃名瀬港入港。午後 2 時半出帆。その間、名瀬港見物。 10/22 那覇入港。午前 7 時上陸。蓬莱館 [宝来館 ](旅館)へ案内される。 県庁訪問 。 波上宮参拝。 宮司の 特別な好意により宝物珍品等を 見せ てもらう。 首里城見学。 島袋源 一郎の案内で博物館見学。 夜、 志同 会のメンバーと懇談。 出迎え : 樋口、 千喜良、 島元視学、 新崎、 仲田、川畑、阿波根、玉城 首里城同行:千喜良、樋口、新 崎 1-4 10/23 奥武 山公 園 の 招魂 祭 列 席 、そ の後 糸満 へ。 白銀 神 社 [白銀 堂 ]参拝。 糸満 見学 の後 、 市 内の 六 新 聞社 に 挨拶 。 25 日か ら 久 高島 へ行 く予 定 であったが 先 方の 都 合が 悪く 、 先 に 国頭 方 面 へ行 く こととなっ た。 朝 、 宿 訪問:樋口、新崎 糸満 同行:千喜良、樋口、新崎 糸満 案内:玉城 泰 一 糸満小 学 校長 1-5 ~ 8 10/24 午前 9 時発 国頭 行 き バ ス で名 護 へ出発。 郷土研 究に 熱心 な沖田 第 三 中 学 校長 に 挨拶 、 懇談。 奥行 き を 決 意。 午後 5 時、 名 護 出発 、 辺土 名へ 向 かう。 大 城旅館 泊 。 バ ス に同 乗 :千喜良 1-1 1 10/25 午前 7 時 10 分前、 宿 の 女将 が 借 りて く れた 自転車 で 辺土 名出 発。 座津 武の 小屋 に 自転車 を 預け徒 歩 で出発。 途中 に 滝 を見る。 宜 名真 転ん だとこ ろ を 自動装置 で写 真撮 影。 辺土 から奥へ案内: 伊 波 辺土小 学 校長 1-12 ~ 16の 共 同 店 で 着替 えを 購 入。 辺土 小 学 校 で 伊 波 信光校長 と 面 会。 歩 い て奥に入る。奥 小 学 校 の 比嘉徳 仁 の 世話 で 共 同 店主任 ・宮城 久善 、 郵便局長 ・ 金 城 親昌 らから奥 集落 について 聞き取 り。 奥を午後 3 時半に 辞去 、 4 時 45 分 辺土小 学 校 に 到着 。 5 時 30 分 宜 名真出発、 6 時半 座津 武 到着 、 自転 車 を 押 しながら 徒歩 で 辺野 喜へ 。 途中 、 宇嘉 で 青 年 団 の 二 人に 自転 車 を 押 してもらう。 7 時半 辺野 喜 小 学 校到着 。 校長宅 に 泊 めても らう。 共 同 店 を 始 めた 糸 満盛邦 にも 面 会、 写真撮影。 10/26 早朝 に出発、 7 時 15 分 辺土 名 着 。 9 時 10 分 辺土 名発、 12 時前に名 護着 。那覇行 き の タ ク シ ーに 乗 り午後 2 時半に宝来館へ 帰 る。 琉球新 報 と沖縄 朝 日新 聞 の記 者 が訪問。 夜は 辻 の 待 合で 歓 迎会。 歓 迎会 : 志同会メンバー、 川 平 女子師範 校長 、県視学 1-16 10/27 午前 8 時 15 分 女子師範 学 校 へ行 き講演 。その後 久米 島へ行 く予 定 であったが 強風 で出 航 不能のた め首里 ・ 那 覇 市 内見学。 崇 元 寺 、 尚 公 爵家 、 金 武 御殿 、 泡盛醸造場 、 円覚寺 、 霊御 殿 、山 の 洞窟 での パ ナ マ 帽子編 みを見る。 那覇へ 帰 り 葬式 のある 家 の 墓 を 見せてもらう。 図 書館に島袋 全 発館 長 を訪問。必要な資料を 謄 写し てもらい 東京 へ 送付 するよう 依頼 。 午後 5 時半 宿 へ 帰 る。 熱 発のた め夜 8 時頃 看護婦 、 9 時半頃 医師 に 来てもらう。夜 10 時 過ぎ から 頻繁 な 便通 があり、 ア メーバ 赤痢 を 疑 う。琉球新 報 と沖縄 朝 日新 聞 に、奥調査の 感想 が 掲 載。 迎え:新崎 案内:仲田、新崎、川畑 見舞 い: 長谷 川、樋口 1-17 10/28 午前 9 時頃 比嘉医師 が 診察 し ア メーバ 赤痢 と 診断 、 注射 をうつ 。 見 舞 い: 「 研 究 員 の方 々 」 1-17 10/29 宿 で 看護婦 会から 手伝 いに来ていた 稲福ツ ルという 女性 より琉球 の 伝説 を 聞く 。 写真 屋 からこれまで撮った写真 の 焼き付け をして く る。 記 念 に 看護 婦 ・ 稲福 ツ ルの 写真 を撮 る。 1-17 10/30 比嘉医師 の 診察 を 受け る。 午後 4 時頃、 学 務 部 長 ・ 佐藤幸 一の見 舞 いあり。 1-17 10/31 前 研 究 員 ・玉城 泰 一に 明 日の 久 高行 き の 準備 をまかせる。 中食 後、 波の上宮へ人 力車 で 詣 でる。 帰 りは 徒歩 。 夕食 後、 仲田 ・ 樋 口 が 来 て那覇の 「 銀座 」へ 散歩 。「 両師 範 学 校長 」が 見 舞 いかたがた訪 問。 11 /1 与 那原港から 久 高島へ 渡 る。 久 高 小 学 校長 から 風葬 、 班 田 収授 的土 地制度 、 祝女 、 根神の 制度 の 説明 を 聞く 。 帰 りに 生き た エラブ うな ぎ をもらう。 祝女 、根神の写真を撮る。 迎え: 佐藤 学 務 部 長 、島元視学 案内:新 垣 ( 知念 村) 同行: 佐藤 、島元、玉城、仲田 、高原、 阿波根 久高案内: 久 高 小 学 校長 1-18
11 /2 午後 1 時 ~ 2 時 二中 で 講演 、 そ の後一 中 で 講演 する。 終了 後、 琉球 新 報社長 ・ 太 田 朝敷 を訪問。 宿 へ 戻 り、 辻 見学へ。 琉球 舞踊 を 見る。 迎え:阿波根 琉球新 報 へ案内:阿波根、仲田 辻 へ同行: (阿波根、仲田 ))樋 口 11 /3 明治 節の 遥 拝に県庁へ行 く 。 式 後、 首里の 最 古の 亀甲墓 ・ 伊江 男 [爵 ] の 墓 、 中頭郡 の「 世衰 」 [よ うどれ ]参 詣 。午 後、 識 名 園 見学 。夜、 那覇の 祭 りで 綱 引 き 行列を見学 。 首里案内:仲田、阿波根、新崎 、高原 1-19 ~ 22 、 24 11 /4 男子師範 学 校 で 講演 。午 後 4 時から、 第 二小 学 校 で県 教育 会 主催 の 講演 会に出 講 。「 本 県の 財産制度 並び に 家 族 制度 に 就 いて」 。終了 後、 辻 の料 亭 で 送 別会。琉球 舞踊 を 見る。 「 師範 から の 帰 りに は カ メ ラ を 活 用 させながら テ ク <歩 るいて 帰 った 。」 送 別会:新崎、 両 阿波根、川畑 等 1-25 11 /5 午後、県庁、 教育 会、 図 書館等 々 に 挨拶 に行 く 。午後 4 時 40 分、 出 航 。 「波上宮の 宝物『 天 下 逸 品の 男 根』 の写真があ いに く 崔承 喜の 写真 と ダ ブ ッ テ 駄 目になったので ・・ ・・ 」 見 送 り: 佐藤幸 一学 務 部 長 、島 元視学、 島袋源一郎、前 研 究 員全員 1-26 11 /6 午前 10 時前、宮古島へ 到着 。日の 丸 旅館へ 投 宿 。午前 中 に 支 庁訪 問、 挨拶 。 12 時か ら城 間 宅 で新 聞 記 者 を 招 いて 中食 会、 懇談。 午 後から新 聞社 へ 挨拶 廻 り。 出迎え:城間(宮古高 女校長 )、城間 夫 人 中食 会:瀬名波 進 宮古 民友 新 聞社 長 、 垣 花恵政 宮古 朝 日新 聞主 筆 、 平 良好 児 (宮古時 事 新 報 )等 10 名 ほ ど 1-26 11 /7 島 尻 へ 向 かい見学。 く り 舟 2 隻 を 雇 い 大 神島へ 渡 る。 大 神島見 学。 小 学 校 を見る。 風葬 、 島の神に ついて調査。 親 神に会う。 島の 聖域 「イ ワヌ イ ワヌ パナ 」の写真を 撮る。 親 神の神 衣裳 を同 行の城間 が 身 につ け て撮影し ようと したら 親 神が 震 え 出したので 、 着 用せ ず 手 にと って 撮 影、ことな き を 得 る。 聖域 「イ ワヌ イ ワヌ パナ 」に 近づ い て写真を撮る。 同行 : 垣 花 、山 内 大 神島 小 学 校 訓導 、城 間 大神島案内:山内 大 神島 小 学 校 訓導 1-30 11 /8 文 献 調査。 10 時まで城間 宅 。その後 宿 で 静養 。 11 /9 宮古 中 学 校 にて 中 学 生 ・ 宮古高 女生 に 講演 。 午後、 市 内見学。 人 頭 石 、 墓 を見る。 訪問:城間 1 1 /10 午後 1 時、 タ ク シ ーで 狩俣 へ 向 かう。 1 時 40 分 狩俣 小 学 校到着 。 狩俣 地 方を見学。 船 をやとって 4 時 20 分に出帆、 5 時頃 池 間へ 入 港。ただちに 小 学 校 へ 赴 き 職 員 達 から 土地 の 習俗習慣 等を 聞き取 り。 集落 は 祭 りの 最終 日で 踊 り があったが、 話 しているうちに 踊 り を見学し 損 なう。 途中 、 国 立癩療養 所を撮影。 狩俣 案内 : 平 良 寛 良 訓導 、川 満 恵 公、 狩 俣 金 五 郎、 狩俣吉 蔵等 宿泊 : 校長宅 1-31 11 /1 1 午前 中 、 池 間島内見学。 墓 の形 式 を 考 察 。午後 1 時半、 池 間出帆、 2 時頃 大 神島へ 渡 る。 前 回 見 落 とした所を 4 時頃まで見学。 それか ら 狩俣 へ 渡 り 小 学 校 を訪問、 馬 車 を 雇 って 宿 へ。 大 神島へ同行: 校長 以 下 4、 5 名の 訓導 、 池 間の 教員 達 馬 車手 配: 平 良 寛 良 訓導 1-30 、 31 1 1 /12 古 墳 を見学。午前 10 時のバ ス に 乗 り城 辺 の西城 小 学 校 へ。下 地 訓 友利 へ同行 : 下 地 馨(城 辺 ・ 西城 小 学 校 )、 1-32
導 から 地 方の 様 子 を きく 。 古 墳 なら ば 城 辺 より 友利 が良いと 勧 めら れる。 自転車 を 借 りて城 辺 の 小 学 校 へ 向 かう。午後 2 時 45 分 友利 着 。 土地 の 青 年と 友利 校 の 教員 の案内で古 [墳 ]見学。 5 時 30 分 友利 出発、 1 時間で西城 小 学 校着 。 7 時 15 分バ ス に 乗 って 平 良へ 帰 る。 下 地 が 平 良まで 送 る。 城間と 遅 く まで 雑 談。 明 日の出 立 の用意 をし て 12 時 就 寝 。 島 尻勝 太 郎(城 辺小 学 校 ) 1 1 /13 午前 9時、 城間と発 動 機船 で 湖北 丸 に 式 典 列 席 の人 々 を迎えに行 く 。 その後 支 庁へ行 き小 懇の後学 務 部 長 らと宮古 中 学 校 の 授 業 を参 観 。 その後 展 覧会を参 観 、午後 3時 艀 に 乗 り城間等と別れ 湖北丸 へ 乗 船 。 4 時頃港 外 に出、 狩俣 の沖合で 9 時頃まで 待 ち出帆。 迎え : ト ラ ウ ツ 博 士夫妻 、 佐藤 学 務 部 長 見 送 り:城間等 1-33 1 1 /14 午前 6 時頃 石 垣 港 外 着 、 7 時 過ぎ に上陸。 岩 崎 卓爾 宅 へ案内さ れ、 岩 崎・喜 舎 場 より八重山の 民俗 について 聞く (河村が 滞在 で き ない ため、必要 な要 点 を 文書に 纏 め ていて く れた )。 岩 崎 宅 で八重 山料 理の 中食 。 食 後、 喜 舎 場 、正 木 の案内で 墓 の見学。 牧 志 宗得 の 自家 用 ダットサ ンで宮良川に案内。 午後 6 時まで 石 垣 町滞在 、 湖北 丸 へ 乗 船 。 出迎え : 岩 崎 卓爾 の 代 理・ 正 木 、喜 舎 場 永珣 、 比嘉 賀 新 (視学) 、 平 安 名 盛 忠 ( 石 垣 測候 所 長 )、宮良 格 ( 先 島 朝 日新 聞 記 者 )等 案内:喜 舎 場 、正 木 。 牧 志 宗得 ( 医者 ) 1-33 1 1 /15 早朝 、 西表港 着 。 祖納 のマ ラ リ ヤ防遏 所を訪問。 マ ラ リ ヤ ・フィ ラ リ ヤ について 知識 を 得 る。 星立 集落 を見学、 大歓 迎を 受け 、前 日 の 祭 りの 踊 りが 急遽 催 される。 午後 3時頃 集落 を 辞去 し 湖北丸 へ 帰 る。 午後 4 時出帆、台湾へ 向 かう。 星立 の 祭 りの 踊 りを撮影。 説明 ・見 送 り:仲里 朝 貞 ( 防疫 医 )、古 見 英 知 ( 防疫雇 ) 3-2 1 1 /16 朝 8 時頃 基隆 港 着 。 汽 車 で台 北 へ 向 かう。 国 府 ・ 木 原・ 小 池 で「 河 村所 員 島内視 察 日程」 を 作成 。 国 府 の案内で台 北 神 社 参 詣 、 総督 府 に 挨拶 、 [台湾 ]大 学 民 族学 研 究資 料 室 を見学 。午 後は 木 原の 案内で 建功 神 社 、 植 物 園 博物館、 龍 山 寺 高 校 、 師範 学 校 等をまわる。 夜、 台湾料理 店 で懇談会。 第一 師範 へ引 き 上 げ 、 午後 10 時 35 分の 急 行 で南下。 台 北 出迎え: 国 府 懇談会 : 谷本 高 校長 、大 浦 視学 官 、国 府 ・ 木 原・ 小 池 (前 研 究 員 ) 1 1 /17 朝 7 時 6 分台南 着 。 高雄、 屏 東 をまわる。 屏 東 では 蕃 社 の 家屋 模型 、 台湾 製糖 で「 瑞竹 」 を見る 。 11 時 22 分 屏 東 発、 午後 0 時 6 分高雄 着 。 和 田書記の案内で 市 営 の 浴 場付き食堂 で 中食 。 市 役 所の 自動 車 で 寿 山へ。 4 時 35 分高雄発、 5 時 46 分、 本 田・ 小 倉 に迎えられ台 南に 到着 。 本 田台南 師範 学 校校 長 の 官舎 に 宿泊 。 夕食 後、 師範 学 校 の 教員 2,3 名、 小 川 茂富 らと懇 談。 駅 迎え: 本 田、 小 倉 高雄・ 屏 東 案内: 町 田 情彦 師範 書記 高雄 駅 で 挨拶 : 大野 雅楽 之助 市教育 課 長 、 和 田 猪之助 書記 1 1 /18 朝 10 時までに 小 倉 の案内で台南神 社 、 開 山神 社 、公 園 、 赤 崁楼 、 孔 子 廟 、 安 平 州 庁等を 歴 訪。午 前 10 時から 師範 学 校 で 1 時間 全校 台南・ 嘉 義 案内: 小 倉 台 中 出迎え: 段証
生徒 のため 「 素 人の 教育 論 」 について 講演 。午 前 11 時 55 分台南発 の列 車 で 嘉 義 に 向 かう。 嘉 義 では 予定 を 変更 して 呉鳳廟 を参 詣 。 植 物 園 、 製材 所を見学。 嘉 義 で 小 倉 と別れ、午後 5 時 25 分の列 車 で 台 北 に 向 かい、 8 時 4 分台 中着 。 段証 の 官舎 に 宿泊 1 1 /19 台 中 見物。 州 庁の 自動車 で 彰 化八 卦 山へ行 き 温泉 に入って 少憩 。午 後 1 時 44 分 彰 化を出発、 6 時 49 分台 北 着 。 今 川 専売 局長 を訪 ね て 挨拶 。 教育 会館に 宿泊 台 中 案内: 段証 台 北 出迎え: 小 池 、 国 府 、 木 原 1 1 /20 午前 8 時半、 小 池 が 宿 へ来、 9 時発のバ ス で 北投 ・ 草 山へ出発 。 草 山 温泉 に 登 り、 貴賓 館、 公別館 、 教育 会の 林 間学 校 等を参 観 し、 共 同 浴 場 で 中食 をとって 帰 る 。午後 3 時、 台 北 出発、 4 時半 基隆 から み づほ丸 に 乗 り出発。 北投 ・ 草 山案内: 小 池 、 駐在 所 巡 査 見 送 り: 小 池 ・ 木 原 両 前 研 究 員 、 谷本 台 高 校長 1 1 /23 午前 7 時半 門 司上陸。 12/8 研 究所で琉球旅行の写真整理 「 何 し ろ 何百 枚 とい ふ多数 の写 真を とったので ・・ ・」 ‘37 7/19 兵庫 港から波上 丸 に 乗 船 、出帆 。 7/20 名瀬港 着 、 数 時間後出港。 7/21 午前 10 時、那覇 着 、蓬来館へ入る。 夕 方波上宮に参 詣 。夜、 辻 の 三 杉楼 で志同会のメンバーによ る 歓 迎会、琉球 舞踊 を見る。料 亭 ・ 竹之 家 で 二 次 会。 出迎え:樋口、千喜良等( 欄外 に西 岡 、 両 阿波根、 平 木 、 中 田、 荒 崎の名 前あり) 参 詣 同行:城間(宮古 より) 、 坂井督 学 官 7/22 暴 風 雨 のため 宿 に 留 まる。 午後 8 時、 北支事変 に関する 「県 民 大 会」 を見 に公 会 堂 へ。 ち ょ うど 出会っ た樋 口と 那覇会 館に 寄 り、 12 時 過ぎ に 宿 へ 帰 る。 7/23 午後 1 時頃名 護 へ出発。 途中 、 浦添 村字宮城で 闘牛 見物。 午後 6 時 頃名 護 へ 到着 、厚養 館へ入る。 夕食 後 8 時 過ぎ から料 亭 一 楽 で高 女 ・ 中 学の 教員 たちによる 歓 迎会。 名 護 の 民謡 や 踊 りを 鑑賞 。 睡眠 不足 のため 11 時頃 抜 け 出して旅館 へ 帰 る。 8 ミリで 闘牛 を撮影。 同行 : 仲里視学、 神田 精輝 第 三中 学 校長 、 油 谷 第 三 高 女校長 7/24 午前 5 時半 起床 、小 一時間 町 を 散歩 してから 朝食 、 8 時半 過ぎ 出発。 第 三 高 女 を 坂井督 学 官 の視 察 に 同行。 運 天 港をまわり 「 百按 司」 の 墓 に 詣 でる。 今 帰仁 の阿 応 理 恵按 司所蔵の 曲 玉と 今 帰仁 の ろ殿 内の 曲 玉を見る。 本 部半島を一 周 して 名 護 に午後 3 時頃 帰着 。 坂井 督 学 官 が第 三中 学を視 察 するのに同 行。 油 谷校長 の案内で名 護 城 嶽 に上 り、名 護 の ろ を訪問し所蔵の 曲 玉を拝見。 5 時頃に名 護 出発、 8 時 頃 宿 に 帰 る。 今 帰仁 城を はるか にの ぞ み、 8 ミリ で撮影。 同行: 坂井督 学 官 見学同行: 油 谷校長
7/25 講 習 会 開 始 。午前 9 時 開 始 。「 非常 時 局 と 教 学の 刷 新」を 講演 。 受 講者 は 240 、 50 名 く らいか。 午後 休養 。午後 8 時半から一 般 のた めの 講演 会 のため 昭和 会館 へ。 「 非常 時 局 克服 の 力 」を 講演 、 聴衆 130 名。 11 時半こ ろ宿 に 帰 る。 講演者 : 坂井督 学 官 7/26 講 習 会 2 日目。 「 家 族・ 私有 財産 及 び国家 」を 講演 。午後 2 時 10 分前から 座 談会。 夜、 料 亭幸 楽 で「 一 般 歓 迎会」 。 福 井楼 で 二 次 会。 第 三 左 馬楼 で 三 次 会。午前 二 時半 に 抜 け 出して旅館へ 帰 る。 歓 迎会: 坂井督 学 官 歓 迎会出 席 : 佐藤 、 平野 。 7/27 午後 4 時頃沖縄県に 動員 令 が下る。 午後 識 名 園 見学。午後 6 時から 風 月 [料 亭 ? ]に 招待 。左 馬楼 で 二 次 会。 「 活動 に 全 景 をよ く収 めておい た」 識 名 園 : 佐藤 部 長 、樋口等 招待 : 両師範 学 校長 、視学 官 左 馬楼 : 平野 7/28 午後 3 時から 辻 の 昭和楼 で琉球 舞踊 を見る。 昭和楼 で仲 田が 選 抜 した名 妓 の 踊 り を 8 ミリで撮影。 辻 : 坂井督 学 官 、仲 田 精利 、西 岡 、樋 口 7/29 午前 9 時 23 分那覇 駅 発の 汽 車 で 糸満 へ。 小 学 校 の玉城 校長 を訪 ね る。 校長 が 風 邪 のため 訓導 に案 内してもらう。 「 今 度 は 幸地 門 中 の 墓 その 他 を写 真 に撮るのが 主 なる目 的 であった 。」 7/30 午前 8 時 伊福 丸 出帆、 午後 2 時 少 し前 伊 是 名島 到着 。 仲田へ 向 かい 村 役 場 を訪 ね 、伊 是 名 小 学 校 の新 垣校長 を訪問、 土地 の 様 子 を 聞く 。 午後 6 時 野 甫 に 到着 。 粟 国小 学 校長金 城 仁 吉 を 通 じ て同 氏 の 叔母 の ノ ロから午後 10 時頃まで 話 を 聞く 。 野 甫 分 教場 の 教員 住 宅 に 泊 め てもらう。 同行:仲田 精利 、宮城(仲田 義 弟 ) 7/31 朝 から拝所見学。 ウ フ ヤ マ → ア フリ ヤ マ ( テラ チ ヤ マ) ミ ヘジ 拝所。 区 民 の好意によりクリ ブ ネ に 乗 り午前 10 時 野 甫 船 出、 30 分 ほ どで 島 尻 に 到着 。 1 時間 ば かり 歩 いて 我 喜 屋 に 着き 、 伊平屋小 学 校 へ。 少憩 の後拝所 ハ タ クマに参 詣 。 中食 後、 田名 集落 へ。 地 元の人 から 案内してもらい、 ノ ロの 女性 から 話 を 聞く 。 小 学 校 に 戻 り、 校長 の 世話 で 農 家 へ 泊 めてもらう。 ウ フ ヤ マで 拝 ん で から配所 を 8 ミリ で撮影する がフィ ルムが 暑 さで と け て 急 に 動 かな く な る。これ を 直 すた めフィルムを半分 犠牲 にする。 拝所案内:玉城 松 吉 区 長 、 金 城 仁 吉 田名案内: 国 吉 庄 八、新 垣幸 吉 8/1 台 風 のため足 止 め 8/2 雨 の 止 ん だ時をみはからって学 校 から高等 小 学 校 読 本 を 借 りて き て読 む 。 8/3 新 垣 訓導 の 家 から 本 を 借 りて き て読 む 。午後、 風 が 弱 まり 雨 止む 。 土地 の 豊 年 祭 、 綱 引 き 行 事 に案 内される。 「 ラ イ カ と 8 ミリとを 携 へて出か け た。 」 8/4 午後、 集落 の 家 の 構 造 を見学。 8/5 午前 8 時 10 分 く り 舟 で 伊 是 名島 へ 向 かう。 2 時間かかって 到着 、 馬 をやとって 諸 見の仲田の 実 家 へ。 午後、 伊 是 名城 跡 の拝所、 ノ ロ 殿 内等を見学。 案内:仲田
8/6 宝 丸 を 待 つが来 ず 、 午後 7 時頃から 役 場 職 員 や学 校 の 先生 など 十 数 名と 11 時まで 座 談会。 村の 青 年が 船 を見 張 って く れる 。 8/7 宝 丸 が来ないため、 諸 見から 集落 の 青 年の 漕ぐ く り 舟 で 本 部へ 渡 る。 途中 、発 動 機船 ・ 与 論丸 が やって き たので 乗 せてもらう。 本 部 で 荷 物の上 げ 下 ろ しをして 20 分 ば かり後那覇へ 向 かう。 宿 へ 戻 り 食 事 と 湯 を使ったあと 散 髪 。 訪 ね て来た 平野 と 辻 に 茶 を 飲 みに い き 12 時頃まで 雑 談。 仲田の 弟 が 船 を見 張 る。 く り 船 は 青 年 4 人で 操 作 。 那覇の 宿 へ 平野 が訪 ね て 来、一 緒 へ 辻 へ。 8/8 朝 、 買 い物を 済 まし、午前 10 時頃から 知 事 、学 務 部 長 に 挨拶 に行 く 。 その後首里で写真撮影に行 く 。 風 月で 中食 、 宝来館へ 帰 る。 午 後 4 時出帆の 湖北丸 に 乗 る。波 止 場 で 諸氏 の見 送 りを 受け る。 首里で写真撮影。 県庁へ案内 : 平野 。 旅館へ見 送 り: 長谷 川、樋口、西 岡 、仲田 波 止 場 で見 送 り:蔵重 知 事 、 佐藤 部 長 、 新崎、川畑、 諸 見里 主 事 、仲里 視学 8/9 午後名瀬 寄 港、上陸せ ず 。 8/30 経 堂 の 安 田 宅 で琉球 で写し た 8 ミリを 試 写。 「 十 六 巻 あ ったが 九巻 だ け 写さして 貰ひ あとは 帰 って 写すことにして、 映 写 機 をかり て 帰 った。 ・・・何 し ろ始 めなので 失敗 が 多 かった。 」 ‘38 4/24 門 司から高砂 丸 で出発。 2-1 4/26 基隆 港 着 。 急 行で台 北 へ。 教育 会館別館に入る。 藤谷 に案内し ても らい台湾神 社 を参拝。 帰 りか け に 移 川 教授宅 を訪問し高砂族に つい て 話 を 聞き 指 導 を 受け る。 晩 は 亭 ( 亭 名記載なし)で 晩餐 会。 教育 会館 泊 。 出迎え: 藤谷 その 他 前 研 究 員 晩餐 会: 谷本 高 校長 、 須 藤教授 、 藤谷 、 前 研 究 員 2-1 4/27 総督府 へ 挨拶 に行 く 。 森 田 長 官 と 面 会。 理 蕃課 で 蕃 地 入りの 準備 を してもらう。 中食 後、 1 人で台 北 帝 大 を訪問し、 土 俗 学 教 室 で 移 川 教授 、宮 本 助 手 から 現 地 の 様 子 を 聞く 。午後 11 時半の 急 行で 屏 東 へ出発。 総督府 : 森 岡 長 官 中食 : 藤谷 2-1 4/28 午前 9 時高 尾 到着 。 9 時 13 分の列 車 で 屏 東 へ 向 かう。 サ ン テ ィ モ ンの 堤 防 まで 自動車 で行 く 。 パ ク ヒョ ーで サ ン テ ィ モ ンへのつ り 橋 架橋 作業 を見る。 サ ン テ ィ モ ンの 駐在 所で 少憩 の後、 武 装 した 警 官 の 護 衛 付き で 現 地 の山か ご に 乗 り ト ク ブ ン 社 へ 向 かう。 途中 、 旧 タ バ サ ン 社 の首だなを見学。 午 後 7 時頃 ト ク ブ ンに 到着 。公 学 校 の 生 徒 が 並ん で入 社 を 歓 迎。 中 馬 眞 助巡 査部 長宅 に 宿泊 。 星 野力 学 務 部 長 が高 尾 駅 に出迎 え、 屏 東 まで同行。 トク ブ ン案内: 訓導 ・ 安 藤 2-1 、3 、5 4/29 ト ク ブ ン公学 校 での 天 長 節に来 賓 として出 席 。 式 後、 蕃 社 を見 学し てから午前 11 時半、か ご で 警 官 に 護 衛 され タラ マ カ ウ 経由 で ラ イ ブア ンに 向 かう。 タラ マ カ ウ に午 後 2 時頃 到着 、 昼 食 ・ 少憩 の後出 発、 ラ イ ブア ンへ 7 時頃 到着 。 ラ イ ブア ンの 枝 元、 安 藤 、 二 人の 巡 同行: 安 藤 ラ イ ブア ンで会う: 枝 元 2-4 、7
査の 5 人で 宴 会。河村は 疲労 のため 途中 で 休 む 。 4/30 枝 元に 頼 み ラ イ ブア ン 社 の 踊 り を見せてもらう。 午後、 現 地 の人 が 「第一の ハ リ シ の山」 としてい るとこ ろ を見学。 現 地 の人 々 が 聖 所 を拝する 様 子 を 観 察 。 夜、 枝 元から 現 地 の 事情 を 聴 取 。 11 時から 住 民 を 集 め、 旧 来の 陋 習 打破 の 演説 を行う。 演説 の後、 住 民 の 答 辞 。 12 時 過ぎ に 就 寝 。 踊 りと人 々 の写真を撮影。 案内・ 説明 : 枝 元 2-9 5/1 午前 8 時 ラ イ ブア ンを カ ゴ で出発。 タラ マ カ ウ に正午 着 。 中食 。河 流横切 った所に 屏 東郡 の村田視 学が 自動車 で迎えに来ており、 屏 東 で 共 に 夕食 。 11 時頃山 陽ホ テ ルへ 。 屏 東 へ 着 いてから下 痢 を 催 す。 現 地 の 男性 を撮影。 迎え:村田 屏 東郡 視学 2-12 、13 5/2 昨 夜来の下 痢 甚 だし く熱 発もあ ったようだが午前 8 時 10 分発 潮 州 行の列 車 で出発、 乗 合で台 東 に 向 かう。 途中 恒春 に 11 時半 着 、午 後 2 時の台 東 行 き のバ ス に 乗 り 換 える。 体 調不良もあり 途中 日 本 人 の旅 宿 を探して 休 む ( 実 は 女 郎 屋 だったことがあとで判 明 )。 8 時半 に台 東 ホ テ ルに 到着 。 2-13 ~ 15 5/3 医者 の 診察 を 受け る。 [郡 ? ]庁に 行 き 塙警 務 課 長 に 挨拶 。台 東 港か ら 船 で午後 4 時に出発。 2-16 5/4 紅 島 嶼 の南港は波が高いため、 島の 三 原 巡 査が 船 長 に 頼ん で 北 港に 回 って もら う。 10 時半 頃上 陸 。 イ ワ ギ ヌ から 駐在 所の ある イ モ ル ルに 向 かい 峠 を 越 える。目 的地 に 到着 後、 静養 。 台 北 大 の奥田 教授 一行か ら 果 物をもら う。 2-16 5/5 9 時頃から台 北 大 の奥田 教授 の調 査 開 始 、河村も 傍 聴 させても らう。 5/6 ヤ ミ族の 種痘 について記述。 5/7 奥田 教授 の調査に 加 わり島の 様 子 を 聞く 。 5/8 奥田 教授 と 共 同で 社 会 的 調査。 夕食 後、 奥田から 碁 の 教授 を 受け る。 5/9 島の 青 年を 通 訳 として 単独 調査 。 9 時頃 三 原 巡 査から、 危篤 の島の 子 供 のために 薬 の 提供 を 依頼 され 、アス ピ リンと 胃腸薬 を 渡 す。 が、 それから 30 分もしないうちに 子 供 が 亡 く なる。 葬式 の 様 子 を 観 察 。 11 時出 棺 。 墓 に 埋 葬 。 葬式 を 済 ませて 12 時半に 戻 る。 葬式 の 様 子 を カ メ ラ で撮影。 2-24 、25 5/10 記 念 に 頭 目 連 、 通 訳連 と一同で 記 念 撮影。 午前 中 調査。 午後、 通 訳 シ ガ リ ワ ス に案内させイ ラタ イ 蕃 社 の見学。 5/1 1 乗 る 予定 の 船 が島に来 ず 、 そ の まま島に 滞在 。 朝 6 時頃、 一 昨 日 葬 式 を出した 家 の 夫 婦 が川でミ ソギ をするのを見、記述。 2-25 5/12 午前 7 時に チ ヌ リク ラ ンに 乗 り 込 み、めなど 丸 に 乗 船 。 8 時 20 分 頃出帆、 午後 3 時台 東 に上陸。 庁に 挨拶 に行 き 、 その後台 東 ホ テ ル 船 に同 乗 :奥田 教授 一行 2-34
に入る。 5/13 午前 9 時、 大東 庁へ行 き 広 重理 蕃 係 長 と 打 ち合わせ。 大 南 社 の 見学。 アラ コ ア ンと称する 青 年 集 会所 に案内され、 老 人 数 名をよ ん でも ら い調査。 午後 4 時 過ぎ に調査を 切 り上 げ利 家 へ 自転車 で 向 かう 。 午 後 9 時頃から 12 時頃まで 利 家 で 老 人を相 手 に調査。 警 官 らの 宅 で 食 事 、 宿泊 。 通 訳 : ラ ガ ロ 青 年 2-35 5/14 午前 9 時 20 分 乗 合で 馬 蘭 社 へ出発。 老 人から調査。 ア ミの 蕃 社 を 米 田の案内で見学。その後 歩 いて 台 東 へ 帰 るが 途中 でバ ス に 乗 る。 宿 の 近 所で 散 髪 後 宿 へ 帰 る。 馬 蘭 社 での 世話 : 種 子 田部 長 、 米 田 静 通 訳 : 大 村 和 一( ア ミ 青 年) 5/15 午前 7 時半台 東 発の ガソ リン 急 行 車 で 花 蓮 港へ 向 かう。 花 蓮 港 到着 後庁へ行 き中食 。 タ ク シ ーで 銅 門 というとこ ろ の タ ル コ 蕃 社 を見 る。 午後 6 時半 銅 門 を 最終 バ ス で出発し 花 蓮 港の 筑 ( 空 白 ) 旅館へ 入る。 タ ル コ 蕃 社 の 機 織 りを見せ ても らい 写真撮影。 駅 に迎え: 深 井 三 郎 警 部補 タ ル コ 蕃 での 世話 : 梅 原 経 五 郎 巡 査部 長 2-41 、42 5/16 朝 7 時 15 分発の 蘇墺直 行のバ ス に 乗 り エカ ド サ ンで下 車 。 駐在 所 に 大 城 亀 吉巡 査を訪 ね 、 ウ ミン ヤ ド という 通 訳 と、 三 人の古 老 を相 手 に 11 時まで調査。 11 時 30 分の上りバ ス で 飛 行 場 へ 向 かう 。 12 時 過ぎ に 飛 行 場着 。午後 1 時 30 分 飛 行 機 が 離 陸、 2 時に 宜 蘭 着 、 さらに 30 分で台 北 着 。 松 山 飛 行 場 から 自動車 で 教育 会館へ。 駐在 所: 大 城 亀 吉巡 査 通 訳 : ウ ミン ヤ ド 聞取 り: ハ ロンバイ、 ウ イ ラ ン ラ バ、 ハ ロン ワ タ ン 5/17 総督府 へ行 き長 官 へ 挨拶 、理 蕃課 長 その 他 の 係 の方へ 御 礼 を述 べ る。 〔 台 北 帝 国 〕 大 学へ 行 き 理 農 学部の奥 田 教授 へ旅 行 中 のお 礼 を 述 べ る。 夕 方、組合 教 会に原 忠 雄を訪 ね る。 挨拶 : 総督府 長 官 、理 蕃課 長 、奥 田 教授 5/18 朝 9 時頃か ら台 北 帝 大 に行 き 松 元 常 治 の 卒 業論 文を読 ませ て も ら う。 理 農 学部の 教員 達 と会 食 。文 政 学部で 土 俗 学の宮 本 助 手 、 社 会 学の 岡 田 譲 等と 話 して 帰 る。 帰 りが け に 栄 町 で 夕食 。 偶然 総督 府 の 原と会い一 緒 に 活動 写真を見る 。 面 会:宮 本 助 手 、 岡 田 譲 5/19 午前 11 時頃、 専売 局 へ行 き 今 川 局長 へ 挨拶 。午後、 土 俗 学 教 室 で宮 本 から、これまで撮ったフィル ムを 批評 してもらう。 4 時 45 分 大 学を 辞 し 教育 会館へ。 芝 山 巌 へ 御 参りし、 営林 署 のク ラブ で 温泉 に 入る。 夕食 後 10 時頃 帰宿 。 「ことに 巡 査部 長 のお 嬢 さ ん が 可愛 く とれて 居 たのは好 都 合であっ た。 」 専売 局 : 今 川 局長 大 学:宮 本 、 浅 井 ( 言語 学) 芝 山 巌 同行: 藤谷 5/20 1 時 40 分 過ぎ教育 会館を出発 、 2 時、 基隆駅 到着 。 湖 南 丸 に 乗 船 。 3-1 5/21 早朝 西表島 着 。 曽 [祖 ]納 に 渡 り 仲里を訪問。 干 [星 ]立 へ行 き 、そ の 後 仲里 宅 へ 戻 り 中食 。 6 時頃 帰 船 。 祖納 への 小 船 : 石 垣 町 の 石 垣 助役 3-2 5/22 朝 7 時西表出帆、 石 垣 へ 向 かう。 11 時 石 垣 町 へ上陸。旅館へ 入り 喜 舎 場 永珣 と調査日程を 協議 。岩 崎 卓爾 の 霊 前に 焼 香 、夫 人に 挨拶 。 出迎え:視学(名前不 明 ) 3-2 、 5
測候 所、 役 所、 牧 志 医師 などに 挨拶 した後 宿 に 帰 る。 5/23 波 照 間行 き のため喜 舎 場 と 食 料 品の調 達 。 台湾の写真フィルムの整理。 5/24 午前 10 時 10 分前波 照 間行 き の 大福 丸 出帆。午後 3 時、波 照 間 着 。 6 時 過ぎ に 賀 屋本伊佐 の 家 に入 り、 食 事 は村の 医者 のとこ ろ で 取 る。 区 長 に 依頼 して 老 人 4 人に来てもらうよう 手 配。 見 送 り: 浦 崎視学 3-6 5/25 午前 9 時半 過ぎ 、老 人 達 から 聞取 り調査 開 始 。 9 時間 ほ どおこ なう。 聞取 り : 内原真 勢 、田 盛 與 利 、 小 成 美 屋 久 同行:喜 舎 場 永珣 5/26 午前 8 時半から前日に引 き 続 き 老 人たちから 1 時半まで調査 (年 中 行 事 )。午後は 3 時半から 8 時 過ぎ まで調査。 東京 の 自宅 ほ か 2,3 手 紙 を出す。 5/27 午前 8 時 10 分から 1 時 過ぎ まで 昨 日に引 き 続 き聞取 り調査( 年 中 行 事 について) 。午後 2 時から 7 時まで、 夕食 後 8 時 過ぎ から 12 時まで調査。 聞取 り: 小 成 美 屋久 ほ か 3 人 5/28 1 日島 巡 り。波 照 間島の名所 旧跡 、拝所を 教員 の案内で 回 る。 野御 嶽 で 迷 う。ミ シ ュ ク 御 嶽 。 6 時頃 宿 に 帰 る。 明 日 乗 るは ず であ った 石 垣 行 き の波 照 間 丸 が西表へ行 く ことになり 乗 船 を 取 り 止 める 。 拝所 ? の写真撮影。 同行: 鈴 木 小 学 校長 、 教員 、島 の 老 人 3-8 5/29 与 那 国 から来る 金 栄 丸 が 石 垣 へ行 く と 聞き乗 船 。 石 垣 で 夕食 後、 出 征 家 族 慰 問のための 土地 の 芝居 を喜 舎 場 と見に行 く 。 同行:喜 舎 場 永珣 5/30 朝 、 牧 志 医師 が訪 ね て く る。午 前 中 支 庁、喜 舎 場宅 を訪問。 夕 方、 浦 崎視学から 竹富 島行 き の 船 が 出ることを 聞き 、 急遽 午後 6 時 40 分発 の発 動 機船 に 乗 る。 40 分で 竹富 島へ 到着 。川 上旅 館へ 入 る 。 宮良 永 益 校長 、宮 良 賢 貞訓導 、 前新雄 三 訓導 等が来て調査の 打 ち合 わせ。 11 時 夕食 。 3-13 5/31 午前 9 時頃、島の古 老 達 に 集 ま ってもらい「 ノ リ ト 」「神 歌 」の 調 査。 1 時頃、一同で 中食 。その 後拝所 巡 り。午後 3 時 15 分から部 落団 体 「同志会」の 総 会。 30 分 ば かり河村が 話 をする。 4 時 過ぎ 、 刳 り 船 を 雇 って 竹富 から 石 垣 四箇 に 向 かう 。 10 時頃、 牧 志 医師 に 誘 われ、喜 舎 場 と 共 に「 幸 楽 」 で琉球 舞踊 、 歌 を 鑑賞 。 調査:上間 廣 起 前村 長 、上 勢 頭 保 久 利 、 細 原 加 那、 石 川 ウト 司、仲 盛 マイ ツ 司、 与 那 国 加 那 区 長 3-13 6/1 与 那 国 島行 き の 金 栄 丸 に 乗 船 、午 前 8 時半出帆。 船 の 船 尾 に 垂 れて あった 糸 に 2 尺 5 寸 ば かりの サワ ラ がかかり、 ボ ーイがそれを 刺 身 と 汁 にし 昼 食 のおか ず にする。 12 時 、西表港( 白 浜 ) 着 。 2 時 西表出港するも 浅 瀬に 乗 り上 げ 、 満 潮 まで 待 機 となる。 クリ ブ ネ を 雇 い 祖納 に仲里 医師 、 比嘉校長 を訪 ね る。 2 時間 ほ どで 帰 船 。 12 時 出帆。 3-14
6/2 7 時 与 那 国 に上陸。入 福 旅館に入るが、入波 平 という人の 座敷 に 移 る。島の 有 力者 を訪 ね 調査の 便宜 を 依頼 。 与 那 国 での 世話 :砂川 校長 3-14 6/3 土地 の物 知 り・ 吉 本 に司 達 から の神 歌 の 採 集 について相談。 11 時か ら古 老 たちへ 聞取 り調査(出 生 、 結婚 、 葬式 、年 中 行 事 等) 。 調査 : 崎 原 与 利 、 松 竹 真 与 、喜 久 山 ナ サ 通 訳 :宮良 長 次 郎 6/4 与 那 国 の 民謡 を 採 集 する 予定 で あったが 準備 が整わ ず 、 次 の日 へ 延 期 。「やまと 墓 」を 役 場 の 生盛 事 務員 の案 内で見学 。 馬 で「 三 人の 台」 の 海岸 へ。 町 の 銭湯 へ入る 。 □時半頃、 女子青 年学 校 を参 観 し、 1 時間 ほ ど 話 をする。 やまと 墓 、「 三 人の台」の写真 撮影。 3-17 6/5 朝早く 起 き 、学 校 の 先生 方のと こ ろ へ調査の 協 力依頼 に行 く 。午 前 10 時に dunta のインフ ォ ーマン ト が 揃 い、 小 学 校 の 先生 に 速 記し てもらう。 昼 食 後司 達 4 人から 「のりと」 の 採 集 、 6 時頃 打 ち 切 り。 6/6 午前 9 時半頃から午後 4 時頃まで崎原 ・ 松 竹 老 人より ジ ラ バ・ ユ ン タ の 採 集 。 浦 崎か ら 与 那 国 にお け る テ ク ノニ ミー につ いて 聞く 。 5 時から 6 時まで 青 年学 校 を参 観 、 講演 をする。 速 記: 前 新 加 太 郎、 新里 静 枝 、 金 城 ツ ル 調査補 助 : 浦 崎□日 章 、新里 郵 便局長 3-22 6/7 午前 5 時 起床 。 蓋 盛 常 介 所 有 の新 栄 丸 に 乗 り 込 ん で カツ オ釣 りに 出 か け る。午後 9 時頃から 小 学 校 で村の 有 志と 座 談会。 カツ オ釣 りの 様 子 を写真撮影。 6/8 朝 、崎 原 ・ 松 竹 老 人が河村の 謝礼 の 返礼 に来る。 浦 崎を 通 訳 に 呼 ん で テ ク ノニ ミーについて 聞き 、一 昨 日 誤 聞 した 点 などを 改 める 。 午 後 4 時、 曲 玉を見せてもらいに上田 巡 査部 長 と砂川 校長 の案内 で玉 を 管 理している 家 を 回 ったが、 見せてもらえ ず 断念 。 吉 本 のと こ ろ へ行 き 、 島の形 象 文字や 家 判を 見せてもらい、 写真撮影。 午後 6 時 頃、 小 馬 に 乗 り dungda (人 量 田 [人 升 田 ])を見に行 く 。午前 1 時 半頃 金 栄 丸 に 乗 り 込 み 2 時頃出帆。 形 象 文字・ 家 判を写真撮影。 dung da (人 量 田 [人 升 田 ]) を写真撮 影。 2-18 ~ 22 6/9 午前 9 時半西表に入港、 12 時出港。 浦 崎視学と 15 日までの 予定 を 相談。 喜 舎 場 を訪 ね て 話 をし、 調査 予定 を調整。 足の む く み( 脚気 気味 )が見られたので 11 時頃、 牧 志 医師 に 診察 してもらう。 牧 志 宅 の物 干 し台で 観 月会。 6/10 午前 7 時半頃 糸満 のクリ ブ ネ が 迎えに来、 船 出は 7 時 50 分。 小 浜 までは 順 風 であったので 2 時間半で 到着 。港から 小 学 校 へ行 く が、 校長 は島の 老 人 達 をつれて西表 へ見学へ行っており、 調査が不 可 能 なことを 知 り、 く り ぶ ね で古見 へ行 く 。が 、古 見 の 言葉 の 通 じ る 教 員 が不 在 のため 小 浜 へ 戻 る。 宿 は 青 年 団 の 副 会 長 ・ 永 田正 助 宅 へ案 内さ れる 。 夕食 後、 81 歳 の宮城 美於 利 さ ん に来 ても らい 調査を し たが、 体 調が良 く ないため 1 時間 ほ どで 中 止 。 3-23
6/1 1 8 時頃から宮城 美於 利 に来てもらい、 永 田正 助 の 通 訳 で 冠婚 葬祭 の 土 俗 について調査。 「 ノ リ ト 」「神 歌 」 採 集 の調整を 校長 と山城 浩 訓 導 に 依頼 。 6/12 村の 有 力者 の 老 人 達 に 集 まってもらっていた山城 訓導 宅 で調査の 主 旨 説明 をし 諒解 を求める。 老 人 達 の 態 度 が好意 的 になるも神 事 に 関しては司らにも相談しな く て はならないとのことで、 河村は 昼 食 も 兼 ね て一 旦 宿 へ引 き 揚 げ る。 午後 3 時に迎えが来て司の 家 に 招 か れ、 神 事 についても 話 してもら う。 季 節 風 が 強く 新城方 面 に 船 が出 せないため 小 浜 にもう 1 泊 する。 6/13 午前 9 時 過ぎ に 小 浜 を帆 船 で出発、 11 時 過ぎ に 石 垣 へ 到着 。 午後 3 時宮良行 き のバ ス を 利 用して宮 良 小 学 校 へ行 き 半 嶺 訓導 、字会 長 、 区 長 らに神 事 に関する調査を 依頼 、 承 諾 を 得 る。 出発までの 世話 : 永 田 3-26 6/14 午前、 海 南時 報 の 大 浜 が来訪、 与 那 国 の テ ク ノニ ミーについて 話 す。 午後 4 時から 登 野 城 小 学 校 で 70 人 ば かりの 教育 部会 員講演 。 8 時 頃から料理 屋 ・ 十 八番で 教育 部会 幹 部 達 の 歓 迎 慰労 会。 出 席 の 校長 達 に調査に ついて 依頼 。 辻 の 踊 りを見る。 「八 重山の 歌 をも 聞 かし て く れたら 面白 いのに ! 」 6/15 午前 8 時に 農 学 校 の 教頭 が迎えに来る。 農 学 校 で 2 時間 ほ ど 講演 。 午後 5 時半、 湖 南 丸 に 乗 り 込む 。 8 時 石 垣 出港。 4-1 6/16 午前 6 時頃、宮古港に入港。 7 時 過ぎ 発 動 機船 に 乗 り 込 み上陸 、 7 時半に日の 丸 旅館へ入る。 支 庁へ 行 き 庁 長 へ 挨拶 。 その後学 校 、新 聞社 、 町役 場 、 警 察 、 郵便局 、 測候 所等に 挨拶 回 り。宮古高 女 で 3 年 生 の 授 業 を参 観 。 夕 方、 平 良 寛 良が訪問、 明 日からの調査で 狩俣 方 面 の案内をしてもらう。 4-1 6/17 平 良 寛 良の案内で 自転車 で 狩俣 へ 向 かう。 帆 船 を 雇 って 大 神島 へ午 後 1 時頃 渡 る。 島の 有 力者 に 集 まってもらい、 神 事 に関する調 査 協 力 を 依頼 。 納得 してもらう。 午 後 4 時、 帆 船 で 池 間へ 向 かい、 1 時 間 ほ どして 到着 。 地 元の 有 力者 がなかなか 集 まらなかったが、 狩俣 へ 帰ろ うとした 6 時頃、 有 志が 来て く れたので 30 分 ほ ど 説明 を行 う。 狩俣 で 鎌 倉 [名の 記載 なし ]の調 査に つ い て 地 元の 評 判を 聞く 。 11 時 過ぎ 、 校長 の 留 守 宅 へ 泊 め てもらう。 狩俣 から同行: 平 良 恵 祥 池 間での 世話 : 饒 平 名 4-6 6/18 朝早く乗 合バ ス で 狩俣 を発って 平 良へ 戻 る。 平 良で 教育 部会があ り、 午後 4 時から 講演 を行う。 講演 後、 城間と下 地 馨 が 話 しに 来て、 6 時頃 自転車 で島 尻 に 向 かう。出発間 際 に 漲水 御 嶽 で 女性 達 の 雨 乞 漲水 御 嶽 での 雨 乞 いの 踊 りを 写真 撮 影。 4-6
いの 踊 りを見る。 島 尻 の 有 力者 達 に会い調査 依頼 。 有 力者 たちは司 達 を 説 得 することを 約束 。島 尻 の 民 家 に 泊 めてもらう。 6/19 平 安 名 訓導 の下 宿 している 家 に村 の 有 力者 に 集 まってもらい、 調査 の 説明 ・ 依頼 。 納得 してもらう 。 有 志が 朝 、 挨拶 に来る。 自転 車 で 平 良へ 帰 る。来間へ行 く予定 が 1 日 延期 、砂川・ 友利 行 き に 変更 。 西城 校 の下 地 馨 が案内。 宮古 農 場 までバ ス で行 き 、 農 場 で宮古 馬 を 借 りる。 友利 ・ 砂川でそれ ぞ れ 1 時間 以 上か け て調査の 説明 と 依頼 。 砂川 小 学 校長宅 に 泊 めてもらう 。 同行 : 粟 国 宮古 農 場長 、 農 場 の 友利 出 身 職 員 4-7 6/20 友利 の川 野 の 親 戚 の 家 に、 友利 ・砂 川 両集落 の司、 老 人 4 名に 集 ま ってもらい調査。午後 4 時に神 事 に関する調査を 打 ち 切 り、城 辺 、 西城を 経 て 8 時宮古 農 場 に 到着 、馬 を 返 して 8 時半のバ ス で 平 良へ 帰 る。 [城 辺 の ]島 尻勝 太 郎 訓導 が写した「宮古島 旧 記」を 1 部 貰 っ て 帰 る。 友利 で「 ・・ ・その上写真もとって 送 っ て 貰 へると い ふ の で、すっ かり 皆 ほ がらかにな ってよ ろ こ ん で 教 えて く れた。 」 4-8 6/21 午前 10 時の下 地 行 き のバ ス で下 地 へ行 き 、 浜 まで 歩く 。来間 島へ 渡 るため 対 岸 に 向 かって 手 拭 ・ 浴衣 を 振 って合 図 1 時間 ほ どして 対 岸 から迎えが来る。 午後、 来間 島の見学。 晩 に島の 有 志に 集 まっ て もらい調査について 依頼 、 明朝 来てもらうよう 約束 。 11 時頃 散 会。 来間から 刳 り 船 の迎えを 手 配: 長 田 校長 漕 ぎ手 : 生徒 たち 4-9 6/22 朝早く 司 達 に 集 まってもらう 予定 だったが来なかったため 国 仲 先 生 に案内してもらい 「ミ ャ ー カ 」 を見学に 回 ったが、 国 仲も 遠慮 が あるのか、 見たいとこ ろ は見せ てもらえなかった。 午後になっ ても 司 達 は 個 人のお 祭 りに行って 集 まらない。 河村も司の 祭 りを見 に行 く が、来間 の調査は あ き らめ て引 き 揚 げ る。 「ミ ャ ー カ 」の 小 さい 瓶 を記 念 に 持 って 帰 る。 6/23 午前 中 、来間から 借 りて き た資 料の写しなどをしてす ご す。午 後、 平 良 寛 良に来て 貰 い、 ユ タ の 祈祷 の形 式 ・内容等について調 べ る。 多 良間の村 長 が訪問。 夕食 後、 叙勲 された城間にお喜 び を 兼 ね て訪 問。 帰 りに 雨 乞 いの 踊 りを見る 。 6/24 午前 10 時半、 親 和丸 に 乗 り 多 良間へ 向 かう。午後 4 時半 多 良間 到 着 。 役 場 の 隣 の 診 療 所が 空 家 なの で 滞在 させてもらう。 夜に 集落 の 各 支 部 長 に 集 まって 貰 い、 研 究方 針 について 諒解 を 願 うつもり が 誰 も来なかった。 疲労 のため 早く 就 寝 。 親 和丸 の 船 長 室 に同 室 :下 地 □行 多 良間 小 学 校長 4-1 1 6/25 午後 3 時、 垣 花 春 公を 通 訳 に 津嘉 山 翁 から神 事 について調査。 4-1 1 6/26 津嘉 山 翁 、 當 間 徳 康翁 に来ても らい 9 時から、 一 般 土 俗 、 家 族 制度 、 財産制度 等に関する調査。 夕 方 調査の後山内 朝 保 、下 地 寛 行、 垣 花 4-1 1
春 公の各 氏 と「 ヤ マ ト ピ トト ンバ ラ 」 の見学に行 く 。 夕食 後、 役 場 職 員 ・ 教員 合同の 歓 迎懇 親 会に 招待 される。 6/27 水 納 分 教場 の西 平先生 から、 水 納 は 水 に 困 っていると 聞 いてい たの で、 水 を 親 和丸 で 運 ぶ 計画 を 立 てるが、 実 際 はそれ ほ ど 切 迫 して い ないとのことで 中 止 。午 後 2 時 刳 り 船 で出発、 1 時間半で 到着 。 船 賃 その 他 、 値 をつり上 げ られる 。 4-14 6/28 午前、 老 人を相 手 に調査。 午後、 昼 寝 の後 1 人で方 々 の 民 家 をた ず ね て 歩く 。 水 納 島の 世 情 につい て記述。 通 訳 : 知念 4-14 6/29 新 垣 という人の 刳 り 船 に 便乗 さ せてもらって 多 良間へ 帰 る。 船 賃 の 代 わりに 酒 1 升 を 贈 る。 6/30 多 良間の シツ祭 り [スツ ウ プ ナカ ]見学。午前 1 時 過ぎ に目が 覚 める と 祭 りの 歌 声 が 聴 こえ たの で 急 いで出 か け る。学 校 の 先 の 井 戸( 1 時 50 分まで) 、 ヤッ カ ヤッ カ の 踊 り → フ ダヤ ( 2 時頃から 2 時 50 分) 終了 後 診 療 所へ 帰 って 寝 る。 一 眠 りしてから山内が 起 こし に く る。 8 時からフ ダヤ ーへ行 く 。 小屋 が け の 祭場 がで き ており、 上 座 に案内される。 11 時頃一 度帰 り 昼 食 後また出か け る。 ナ ガ レ ヤ ー → フ ダヤ → パ イ ドュ ー ニガ マ → アラ イ キ と 4 集落 の 祭場 を 全 部 回 る。 夜半からは特に アラ イ ケ の方で たいまつの 踊 りを見る。 2 時半 就 寝 。 4-15 7/1 朝 6 時に 仕 度 をしてフ ダヤ の 最 後の 祭 りを見学。 「 ヤッ カ ヤッ カ 」 → おさめの 「 ネ リ」 のあと 歌 を 歌 いながら 集落 に 帰 る → 集落 で「 ク イ チ ヤ 」。 10 時 過ぎ に 帰宿 、 食 事 。午後 休 息 。 4-15 7/2 馬 を 借 りて 普 天 間、 塩 川、 大 和 人 ト ンバ ラ を 回 る。 一 度宿 へ 帰 って から 集落 内の 御 嶽 を見て 回 る。 夕 方 5 時頃から「 土 原 豊 見 親 夫 人」 の ウ プ ミ ヤ カ を 開 いて見る。 ウ プ ミ ヤ カ 開 け :学 校 の 小 使い 、山内、 下 地 寛 行、 近 所の人 々 7/3 午前 10 時 45 分 親 和丸 が 多 良間を出港。 4 時間半で 平 良に 到着 。日 の 丸 旅館に入るが 岸 壁 に 伊 良部 の 船 が出ようとしているのを見 て、 伊 良部行 き の 船 に 乗 る。 夕食 後 あたりから 風 雨 が 強 まる。 4-17 7/4 昨 夜来の台 暴 風 雨 で 伊 良部にとどまる。 伊 良部 校 の 教員 達 を相 手 に、 彼 らがして く れた 予備 調査 に 基づ いて調査。 夜に学 校 の 先生 達 の懇 親 会。 7/5 午前 中 、 馬 を 頼 み島 尻 実 永 の案 内で 通 池 、 拝所の見学。 午後、 学 校 で 中食 の 御 馳走 になってから 垣 花 の案内で 佐 良 浜 校 へ行 く 。 先生 達 にしてもらった 予備 調査に 基 き 古 老 を 1 人 呼 ん でもらい調査。 夜は 校長宅 に 厄 介 になり 職 員 の人た ちが 歓 迎会を 催 す。 11 時頃 就 寝 。 4-19
7/6 粟 国 良 勝 の案内で 佐 良 浜 の「 命 の出る 泉 」 を見る。 帆 船 を 雇 って 池 間に 渡 る。 午後、 饒 平 名の案内で古 墳 を見て 回 り、 古い 瓶 を 1 個持 って 帰 る。午後、 女子青 年会の 総 会があり、 1 時間 余 り 話 す。夜、 饒 平 名の 親 戚 の司を訪 ね て神 歌 を 採 集 。 池 間で迎え: 饒 平 名 浩 太 郎、 平 良 恵 信 7/7 朝 9 時 過ぎ 帆 船 を 雇 って 大 神島へ 渡 る。 午後、 島 の 老 人に 集 まっ て もらうは ず が来 ず 、河村は司た ちの所へ行 く 。 夕食 後、 友利 津 蔵、 狩俣 金三 区 長 、 男 司の 伊佐 吉 市 が 集 まり調査。 神 事 については 語 っ てもらえ ず 、 11 時頃 男性 達 を 帰 す。 4-22 7/8 朝 、 大 神島の司 達 が 全員集 合。 調査の 主 旨 を 説明 し理 解 して く れた ようであったが、 神 事 について は 話 してもらえなかった。 午後 、 く り 船 を 雇 って 島 尻 に 向 かう (河 村は島 尻 と 狩俣 を間 違 えて いた )。 島 尻 では 豊 年 祭 が 始 まっており 、 祭 りの見学。 平 安 名 常 実 の 宿 に 泊 めてもらう。 「写真を写 して 貰ひ たいと い ふ 希望 者 は 多 く 、 次 から 次 から 頼 みに く る。 少 々 しや く だった し、 金 をと って 写 す 訳 にも行 かない のだから い ゝ 加 減 なとこ ろ で き りあ げ ておいた。 」 4-22 、 24 7/9 朝 8 時頃、 馬 を 雇 って 狩俣 へ 向 かう。 狩俣 の学 校 に 到着 し 降 りる 寸 前に 落 馬 。 狩俣 の 校長宅 で 休 ま せてもらう。 午後 3 時 過ぎ 、 狩俣吉 蔵字 長 を訪問、 彼 の案内で 豊 年 祭 りを見学させてもらう。 ウ プ ゴ フ ム ト ユ での 祭 祀 を 4 時から 8 時 15 分まで見学。 祭 りの一 員 に 加 わ って 歌 と 踊 り。 同行: 平 安 名 常 実 4-26 7/10 9 時半のバ ス で 平 良へ 帰 る。 湖 南 丸 で那覇へ 向 かう。 出 立 の 手伝 い: 平 良 寛 良 夫 人・ 城 間 夫 人 船 に同 乗 : 青 木 県 議 4-28 7/1 1 7 時半、那覇上陸。県の 自動車 で宝来館へ行 く 。城間と波上宮 へ参 拝。 午後、 仲里 前視学、 島元前 視学等を 慰 問、 県に 挨拶 に行 く 。新 崎を 通 して 頼ん であった 水 納 島出 身 の川 満師範生 を 宿 に 呼 び 寄 せ 励 ます。 晩 は志同会のメンバー が 話 しに来て、 辻 の「 竹 の 家 」へ 案 内される。その後 海岸 の 涼 台で 皆 が 飲む のに 付き 合う。 「一 昨 年 失敗 した 社 宝の『 陽 』の 神 体 の写真をとり 直 して来た。 」 那覇に出迎え : 千喜良、 荒 崎、 川畑、 比 嘉 、 城間等志同会メンバー、 平野 沖縄県 課 長 4-28 7/12 午前 8 時半までに 浮 島 丸 乗 船 、 午前 9 時出帆。 名瀬で 商 人が 大 島 紬 を 船 に 売 りに来る。 購 入。 見 送 り: 平野 沖縄県 課 長 、 新崎視学、 島 元 ・ 仲里前視学、 千喜良等志同 会メンバ ー 4-28 7/13 名瀬から名瀬高 女 の 修 学旅行 生 一行が 乗 り 込む 。 明 年 奄 美 を見 る 希 望 から、 引 率 者 で 徳 之 島出 身 の神 田 教 諭 に会い 話 を 聞く 。神 田 教 諭 が 協 力 を 約束 。 7/14 7 時 過ぎ に神戸入港、 8 時には上陸。神戸の 水害状況 を ラ イ カ で撮 影するが、 禁 制 の 場 所であった ため 三 宮 署 に 連 行。 フィル ム 1 本 を 押収 される。 「その 中 には 是 非助 け たい フィ ルム が 二 、 三 枚 あるのだが 止む を 得 な い。 」