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ハ イ エ ク 社 会 理 論 体 系 の 研 究 ( 八 )

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(1)

ハイエク社会理論体系の研究︵八︶

ハイエクとオルドー学派︵二︶

古 賀 勝 次 郎

目  次はじめに

UU 方法論の問題

 ω オーストリア学派と﹁歴史学派﹂

 ㈲ 歴史主義の克服

口 自由と秩序

 ω 消極的自由と積極的自由

 ㈹ 自発的秩序と︽OaO︾︵以上前号︶

 ㈹ 誤れる社会秩序    ︵以下本号︶

   ㈹ 一巴︒・ωN−富冒︒批判

   ㈲ 集産主義批判

日 国家と経済政策

 ω 国家とその役割  社会的法治国家

 ㈹ 市場の非対称性−社会的市場経済

 ㈹ ﹁社会的﹂なる概念の問題点むすび

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口 自由と秩序

㈹ 誤れる社会秩序

 ところで︑以上のようなオルドー学派の自由と秩序の考えは︑実際の具体的な秩序として︑いかなる社会︵国家︶

秩序︑あるいは︑経済秩序を要請し︑また︑望ましいとするのであろうか︒しかしその前に︑その形成過程からいっ

て︑オルドー学派が批判した秩序︑即ち︑﹁レッセ・フェール﹂ ︵一重ωωN晶伝話︶と﹁集産主義︵囚︒=①〇基く一ω重信ω︶か

ら見ておく方がよかろう︒オルドー学派は︑この二つの誤った秩序への批判を通して︑新しい秩序を構想し︑その具

体化へと進ずむのである︒

       ㈲ 巨ωωNlh巴お 批判

 だが︑ここにオルドー学派のレッセ・フェール批判を取り挙げるのは︑いま一つの理由が存するからである︒とい

うのは︑レッセ・フェール批判の内容において︑オルドー学派とハイエクの間に著しい相違が見られるからである︒

更に︑その相違は︑オルドー学派とフリードマンに代表されるシカゴ学派とにおいて一層大きい︒そしてそれらの相

違は︑ハイエク︑オルドー学派︑シカゴ学派が各々なしている根本思想の相違の反映と考えられるのである︒そこで

先ず︑ハイエクのレッセ・フェールに対する考え︑批判から述べるとしよう︒

 今日でも︑レッセ・フェール即自由主義という図式を描く知識人は多いが︑ハイエクは︑自由主義を二つに分ける

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ハイエク社会理論体系の研究(八)

ことによって︑この図式の誤りを指摘している︒即ち︑ハイエクは︑イギリス経験主義に基づく自由主義と︑大陸合       ︵18︶理主義から出てくる自由主義に分け︑レッセ・フェールを後者の自由主義に帰すことによって︑この問題のもつ複雑

さを巧みに逃れている︒つまりハイエクは︑自由というものを︑ ﹁法﹂ ︵即①Oげ一︶との関係で考え︑前者の自由主義

は︑﹁法の下における自由﹂であり︑自由を規律する法を認めている以上︑それは︑自由放任ではない︑これに対し︑

後者の自由主義では︑理性が絶対であり︑理性によって把えることのできないもの︑したがって法も認められないの

で︑自由は︑何ら制限されず放任されることになる︒であるから︑自由放任︑レッセ・フェールは︑大陸合理主義よ

り出てきた自由主義︑あるいは︑大陸合理主義の影響を受けた自由主義である︒具体的には重農主義者ーハイエクは

芭ωωN臥巴おという語自体が英語でなく︑フランス語であることに注意を促している一︑J・ベソサム︑若き日のJ・

S一・・ルなどがそれである︒それ故︑ハイエクにおいては︑A・スミスは︑真の自由主義者であって︑自由放任主義

者ではないことになる︒

 これに対して︑オルドー学派の人々は︑明らかに経験主義の系譜にあるスミスなどですら︑どちらかと言えば︑自由

放任主義者に含める傾向がある︒中でもレプケやA・リュストウらは︑スミスを︑はっきりと自由放任主義の中に位       ︵18︶置づけ︑スミスの自由主義は︑真の自由主義ではなく︑世俗化された自由主義であるとしている︒あらゆる現象を宗

教の側面から見ようとするレプケや︑リュストウらであってみれぽ︑それは当然であるかもしれない︒即ち彼らは︑

スミスの自由主義が﹁理神論﹂ ︵O①一ωヨ︶の立場から主張されていることに先ず不満であり︑次に︑その当然の帰結

と考えられる経済面にウェイトの置かれているスミスの自由主義を批判する︒理神論によれぽ︑神の理性が彼の天空      鵬に順行する星のごとく︑すべてのものを秩序あらしめている︒しかし︑このことを認識し得るのは覚醒者のみであっ

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て︑これに干渉することは不信心であり︑神に早くものとして退けられる︒もし︑理神論がここで止まるのであれぽ︑

レプケやリュストウらも︑それ程問題とはしなかったであろう︒しかし︑彼らは︑理神論が本来有している近代的性

格︑つまり︑その合理主義が︑理神論をそこに止まらせないであろうことを︑鋭く見抜いていた︒必ずやそれは︑

人々の信仰心を弱め︑従って︑宗教そのものの実質的内容の希薄化を導くであろう︒スミスの所謂﹁見えざる手﹂

(一福ュ一ω一げ一Φ げ帥づ◎︶は︑理神論の外形︵形而上学︶を止めたに過ぎないのであって︑宗教的実質は失なわれている︑

とレプケやリュストウらは考える︒即ち︑彼らによれぽ︑スミスの説く市場経済は︑神なくしても秩序を保っている

天空のように︑何らの拘束を受けずに独立して存在し得る一つの世界となっている︒要するに︑ス︑・・スの自由主義は︑

宗教や倫理︑道徳といったものがなくとも成り立ち得る自由放任主義というのである︒そこから︑私益が公益を導く

といった考えが出てくるのであるが︑それは経済的楽観主義という他ない︒しかし︑何れにしても︑自由放任主義に

おいては︑自由一中でも強調されるのは︑経済的自由一は︑何らの規律も受けないのであるから︑それは必然的に社

会を経済至上主義的傾向へと導かざるを得ない︒

 レプヶやリュストウらが︑スミスの自由主義が︑理神論の立場からなされているかぎり︑それは必然的に自由放任

主義にならざる得ないとしたのは︑非常に鋭い指摘であって︑こうした議論はハイエクにはない︒それは︑ハイエク

が︑レプケやリュストウらとは違って︑社会科学的議論を行なう場合︑宗教というものを最初に持ち出さないからで

あろう︒上に述べた︑自由や秩序の概念も︑ハイエクにとっては︑あくまで社会的概念であるが︑レプケやリュスト

ウらなどはそれを更に︑宗教的側面から根拠づける︒何故ハイエクが︑そのような議論しかしないかといえば︑それ

は︑既に述べたところがら明らかだと思うが︑近代社会の特質についての彼の理解と関わっている︒つまり︑近代社

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ハイエク社会理論体系の研究(八)

会は︑スミスがいったように︑外延的にも内包的にも拡大された︽Oお讐ωoユ①ξ︾であり︑そこでは︑あらゆる概念

は︑一般化︑抽象化︑相対化を避けられない︑という理解である︒したがって︑ハイエクが社会科学の議論において

宗教を問題にする場合︑それは︑その一般的︑抽象的側面としての﹁道徳﹂ ︵ヨoH巴︶の問題に限定しようとする︒

そしてハイエクは︑この道徳と﹁法﹂とを結びつけることによって︑自由論を展開するのであって︑彼の自由が社会

的概念であるというのは︑そのような意味においてである︒ハイエクのこのような態度は︑レプケなどに較べ︑より

社会科学的︑合理的であるが︑しかし他面︑理神論の本質への洞察を失うことになった︒であるから︑スミス以後の

自由主義が︑例えば︑マンチェスター学派に見られたように︑何故︑極端な自由放任主義に向っていったのかについ

ての理由は︑ハイエクの考えからは説明できない︒やはり︑理神論の本質への理解がなくてはできないのではないだ

ろうか︒ しし︑だからといって︑レプケは︑スミスの﹁見えざる手﹂のもつ経済的意味までも批判しようとする訳ではなく︑

その点では︑ハイエクと一致している︒ ﹁見えざる手﹂の経済学的意味とは︑即ち︑後に価格機構として精緻化され

ていくもので︑それは更に︑ハイエク自身によって︑情報メカニズムとして把えられようになった市場を均衡へ導く

機構のことである︒この点においてレプケは一他のオルドi学派の人々もすべてtハイエクと同じであって︑市場経

済︑経済的自由主義を擁護する︒つまりレプケは︑経済の領域では︑スミスの考えを受け容れ︑高度に分業の発達し

た近代社会における具体的な経済秩序としては︑市場経済しかないとするのである︒ ︵勿論︑集産主義計画経済も考

えられる訳だが︑後述するように︑それは︑自由社会と両立し得ない︒︶分業の高度化の進んでいる近代社会は︑人      95々の無数の経済行為が︑価格という様々な情報が凝縮されているシグナルを通して調節される市場経済によってのみ ー

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発展する︑というハイエクの考えにレプケも同意する︒従って︑レブケの体系は一そして多かれ少なかれ︑その他の

オルドー学派の人々もそうであるが一︑経済の領域と経済以外の領域における考えが︑斉合的に論じられているとは

いえない︒そこから︑後に述べるように︑オルドー学派に特徴的な﹁市場の非対称性﹂といった考えが︑出てくるの

である︒そうした点では︑ハイエクの理論展開には斉合性があり︑道徳一法一市場経済という関連で理解できる︒し

かし︑理神論への本質的な理解を欠いている点で︑ハイエクはレプヶなどに及ばないのであって︑ハイエク体系の最

大の弱点であるように思われる︒

        ㈲ 集産主義批判

 以上見たように︑ハイエクとオルドー学派とでは︑レッセ・フェールに対する考えが非常に異っているが︑集産主

義批判においては︑両者は略々同じ考えをしている︒その結論は︑集産主義は結局︑ハイエクの著作の中で最も知ら

れている著作のタイトルを借りれば︑ ﹁隷従への道﹂ ︵菊O凶α 一〇ωΦ﹃h山05P︶ということである︒ところで︑ここに集

産主義とは︑いかなる目的のためであれ︑単一の計画に従って︑中央機関が指導する経済体制のことをいっている︒

従って︑社会主義は一種の集産主義であり︑そういう意味で︑集産主義に妥当するものは社会主義にも妥当する︒

 そこで先ず︑集産主義がいかなる思想的背景の下で生まれてきたのかを検討しなくてはならない︒この集産主義の

起源については︑ ハイエク︑オイケン︑レプケ︑皆︑大体同様な議論をしている︒即ち︑彼らは︑集産主義の起源

を︑サンーーシモン︑ コント︑およびサンーーシモン主義者達の科学主義︑技術主義に求めている︒その思想の出発点

は︑﹁人は何故︑社会を機械のように組み立ててはいけないのか﹂︑﹁巨大な配電盤における電力の配分と同じように︑      ︵21︶一国の全経済は︑中央において指導できないのか﹂であって︑まさにそれは︑技術者の思想そのものであった︒ハイ

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ハイエク社会理論体系の研究(八)

エクによれぽ︑それは社会を一つの組織︵o薦9︒巳鈴ユ︒コ霞$×一ω︶と見倣す﹁設計主義﹂︵ooづω茸⊆2凶く凶ωヨ︶で︑R.      ︵22︶デカルトに由来する︒また︑レプケによれぽ︑それは︑﹁科学的組織の教義﹂ ︵∪δいΦ冨ΦO嘆≦冨ωΦコ︒げ巴け一ざぽ①コ

9σq節巳ω讐ざ旨︶である︒このような社会思想が︑やがてヘーゲル哲学と結びつくことにより︑マルクス主義が形成さ

れるようになった︒マルクスとエンゲルスを受け継いだのがレーニンであって︑レーニンの﹁単一の事務所︑単一の

工場﹂の思想は︑集産主義の本質を端的に表明したものである︒

 けれども︑かかる科学的組織の教義が︑現代において︑非常に大きな影響力をもつことができたのは︑そこに既

に︑自らの基盤を喪失した人々が大量に存在していたからである︒そのような根なし草となった大量の人々を組織化

するのは︑いとも簡単なことであって︑内面的宗教に代わって社会的宗教︵ωoN芭お一一αq一〇づ︶1階級的憎悪︑ナショナ

リズム︑入道的偏見1に訴えればよい︒人間の心の中から神の声︑自然への親しみが失なわれると︑人々は社会的宗

教を渇望してくるからである︒レプヶは︑このような自らの基盤を失った根なし草の状態をニヒリズムであるとし︑

集産主義が猛威が振るうことができるのは︑その前にニヒリズムが広く社会に漫延しているからだ︑と考・解る︒レプ

ケは︑このように集産主義とニヒリズムとの密接な関係を説くのであるが︑そうしたことはハイエクにはない︒しか

し︑レプケが︑集産主義とニヒリズムをもたらした原因とする﹁近代合理主義﹂ ︵先に言った﹁科学主義﹂︑﹁技術主

義﹂︶は︑ハイエクのいう﹁設計主義的合理主義﹂ ︵8旨ω胃琴自ユωけ轟二〇ロ9︒一一ωヨ︶と略々同じ内容のものといってよ

い︒従って︑こういうところにも︑ハイエクと違って︑レプケが︑内面的なものを非常に重視していることがわか

る︒      柳 さて︑以上述べたように︑集産主義の本質は︑社会を一つの組織と見倣し︑その組織としての社会を科学的に計画

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しょうとする︑また︑それが可能と考える︑ところにある︒したがって︑集産主義の問題は︑いつに︑果して社会を

科学的に計画することができるのか︑という点にあるといってよい︒この問題に対して︑ハイエクもオルドー学派の

人々もそれが不可能である︑という点で一致している︒先ず第一の理由は︑経済的な理由で︑集産主義の採る中央計

画経済が︑合理的計算手段を欠いているというものである︒この問題に関するオイケンやレプケの考えは︑一九三〇

年代に行なわれた所謂﹁計画経済論争﹂において︑L・ミーゼスとハイエクが展開した理論と大体同じである︒ハイ

エクの計画経済批判については︑以前述べたことがあるので︑ここでは︑レプケとオイケンの考えを簡単に述べるに

止めておこう︒

 オイケンとレプケの中央計画経済批判の要点は︑ハイエクと同じであって︑要するに︑高度に分業の発達した社会

において︑経済活動が円滑に運営されるためには﹁経済計算の装置﹂がなくてはならないが︑集団主義の経済システ

ムにおいては︑それが失われてしまうという点である︒したがって︑そこでは︑合理的な経済計算ができなくなるの

で︑社会に存在する生産力を︑最も効率的な方法で使用することが不可能になる︒そこで︑中央計画経済も︑市場経

済で機能する貨幣計算に代わる何らかの方法を採らなくてはならない︒即ち︑それが貨幣計算に代る﹁物量計算﹂

で︑中央計画機関の﹁.バランス表﹂は︑﹁物量バランス表﹂のことである︒そして︑生産に関するすべての決定は︑こ

の物量.バランス表に基づいて中央計画機関によって行なわれ︑その決定が下部の個別計画機関の計画を規定する︒し

かし︑オイケンは︑かかる方法をもってしても︑物量統計だけでは︑稀少性がどの程度克服されたかを認識させるこ       ︵23︶とは不可能なので︑合理的な経済運営はできないという︒というのは︑そこでは︑生産手段や消費財の使用が︑無数

の使用可能な用途において︑欲望充足にどのような意義を持ち得るかが︑確認され得ないからである︒つまり︑合理

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ハイエク社会理論体系の研究(八)

的な経済計算が行なわれるには︑客観的評価と同時に︑そこに主観的な評価がなければならないのである︒だが︑こ

の主観的評価は︑中央計画機関が︑いかに﹁科学﹂︑﹁技術﹂の力に訴えても︑計画に必要な統計に上らせることは不

可能であろう︒それ故︑この主観的側面に考えを及ぼす必要を認めない計画経済論者の態度は︑技術者のそれと全く

同じである︑といわねぽならない︒レプケは︑そこに近代合理主義の思いあがりを見るのである︒      ︵24︶ 次に︑集産主義批判の第二の理由は︑政治的︑あるいは︑社会的理由であって︑レプケが︑ ﹁経済生活の政治化﹂

︵勺︒一三忽興琶σq創①ω芝一詳ωoげ簿津巴①σ窪ω︶と呼んだところのものである︒勿論︑これは︑レプケも言っているように︑

集産主義の経済システムがもたらす当然の結果として生じる︒つまり︑集産主義の経済システム︑即ち中央計画経済

は︑既に明らかなように各経済主体の主観的側面を認める限り不可能であるから︑それは必然的に︑すべての決定を

命令によって達成しなくてはならない命令経済︵国︒白日p巳︒≦葺︒︒o冨⇒︶ でしかあり得ない︒であるから︑人々の

日常における経済生活の些細な︑しかし各人にとってはこの上なく重要な決定までが︑計画機関の﹁命令﹂にしたが

ってなされなけれぽならない︒ところが︑そうした命令は︑人々の意志をすべて考慮して出されたものではないから︑

多くの人々がそれに不満をもつことを防ぐことはできないので︑それを抑えるために強大な権力手段を必要とする︒

こうして︑人々の日常の経済生活は益々政治化されていくのである︒だが︑これを別の角度から考えると︑命令が︑

大多数の意志を反映する時も考えられるのであり︑レプケは︑ ﹁戦争の状態﹂こそその時である︑といっている︒だ

から彼によれば︑命令経済がうまく運営されるには︑そうした戦争の状態を作っておくことが︑望ましいということ

になり︑したがって︑それは常に軍備の計画経済となる傾向を避けれなくなる︒

 幽更に︑集産主義における経済システムが︑中央計画経済︑命令経済であることから当然出てくるもので︑一体どの

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ような人物が︑計画決定を下し︑命令を発するのか︑という問題がある︒この問題は︑以上述べた集産主義の特質か

ら自ら理解されようと思う︒即ち︑強大な権力手段がないかぎり集産主義は成り立ち得ないと同時に︑集産主義にお

いて︑はじめて強大な権力手段を持つことができる︑ということから︒オイケンも︑はっきりと︑集産主義における       ︵25︶諸政策への動因が︑権力衝動から出ていることを認めている︒またレプケも︑いかなる目的を掲げるにせよ︑そうし

た社会において指導的地位につく者は︑権力欲に充ちた野心家である︑という︒そして実際彼らは︑そのような欲望

を満たすことができるのである︒集産主義といっても︑分業の高度に発達している社会であれぽ︑経済︑政治︑文化︑

その他すべての領域の決定が中央機関の指導者に委ねられるので︑彼らは︑すべての領域で︑権力獲得の機会を持つ

ことができるのである︒更にハイエクは︑この問題に﹁何故︑最も悪しき者が︑最高の地位にのぼるのか﹂︵ミξ9Φ        ︵26︶芝︒鵠一〇Φけ︒コ日8勺︶という問の仕方で答えている︒即ち︑ハイエクによれぽ︑集産主義の社会においては︑﹁目的

が手段を正当化する﹂という原理が最高の規則になる︒つまり︑集産主義者の行為の基準は︑追求される目的の適否

によって規律されるだけで︑それ以外のいかなるものによっても制限されないからだ︑とハイエクはいうのである︒

 以上述べた︑ハイエクやオイケン︑レプケなどの集産主義批判は︑要するに︑集産主義社会は全体主義国家であっ

て︑自由社会とは相い容れない︑ということである︒

2◎0

  注︵18︶ 誠ミor潤﹀ご﹃ミ9謹ミ肺ミ︑§ミト導ミジ一80︾や⑦9

︵19︶ 幻9吋ρ≦ごOご雲頂・ミミ亀嵩3↑﹀昌h冨σqρ ω.HHc︒. また︑リュストウは自由放任主義の起源をピタゴラスやヘラク

  レートスの哲学の中に見ている︒ 幻富8≦層﹀ご..Oo昌︒噌2ω09900q一8一〇9口器︒︒oh誓Φ団8ぎヨ8∪一忽糞葭σq轟江︒コ§ユ

(11)

 勺︒ωωぴ同一一二〇ωoh男①8昌ω霞=o二〇5︑︑⁝ぎぎ︑ミ蕊ミ︑寒ミ肉&謹ミ苛b︑︒︒馬ミ轟︑ミ︑寒び︽≦.園ぴ℃吋ρ目㊤お.戸鴇Qo−P

︵20︶口曽鴇①ぎ閃.﹀ご≧偽ミのミ論旨吻き︑ミ︑8息ξ噛︑Oミ詩⇔噛肉§O§勘防亀醤織↓ミミ累ミヒミミ三孝お刈oQ一噂・同卜oP ハイエク

  は︑R・コブデンやJ・ブライトを極端なレッセ・フェール主義者だといっている︒

︵21︶ 円庫︒犀oP≦こOミミ魯ミ怨織ミミ受冴きミ冴誉ミ夢H㊤①9ω●旨ω.

︵22︶ 図9吋ρ芝ご9ミミ恥ミ§§亀噂恥︾象冨oqρお刈Pω−お①●

︵23︶ 国琴冨P≦二〇ミミ恥ミ器織ミミ︑︑房きミ帖︒︒誉ミ隷噛一89ω・誌O.

︵24︶ 勾9吋ρ≦二9ミミリ鴫ミミ貸ミ3おおりω●①ω.

︵25︶ 国琴冨戸≦こO︑§魯ミ錯匙ミミ受冴きミ怖魯︒ミ茎μ8ρω.日お・

︵26︶ =①団︒ぎ即﹀ご↓ミ沁暑亀き⑦恥ミ︒§糟お念嘘戸δQ.

口 国家と経済政策

ハイエク社会理論体系の研究(八)

 自由と秩序に関するオルドi学派の思想は︑以上のごとくであるが︑では︑このような思想に基づく時︑現実の社

会秩序はいかなるもので︑また︑その下での経済政策はどのようなものが考えられるのであろうか︒それには先ず︑

既に明らかなように︑オルドー学派の人々が誤った社会秩序となした︑自由放任主義と集産主義︵具体的には︑社会

主義︑ナチズム︶を排除するものでなくてはならない︒次にそれは︑彼らが掲げる積極的な自由と︽O巳︒︾の理念を

実現できるような社会秩序︑またそれに相応した経済政策であらねぽならない︒第二次大戦後︑西ドイツに実現した

﹁社会的法治国家﹂は︑オルドー学派の人々の考えに大体近いものであったといってよいし︑また︑ ﹁社会的市場経      01済﹂は︑彼ら自身自ら積極的に推進したものであった︒そして︑これらの政治︑経済制度によって︑大戦後の西ドイ 2

(12)

ツは︑世界で最も安定した繁栄を臓ち得ることがでぎたのである︑といわれている︒ハイエクも︑基本的には︑社会      02      .2的法治国家︑社会的市場経済の考えに同意するが︑後述するように︑極めて重要な点で疑問を呈している︒そこで先

ず︑社会的法治国家について見ることにしよう︒

ω 社会的法治国家

 ﹁社会的法治国家﹂︵ωON一9一Φ民 ︸西①Oげけωω一餌け︶という言葉は︑大戦後の西ドイツの国家体制を規定したボン憲法︵正      ︵1︶しくは﹁ドイツ連邦共和国基本法﹂︶において︑はじめて現われたもので︑社民党代議士C・シュ︑ミットの提案による

ものといわれる︒オルドi学派の人々は︑大体︑経済学を専門とする人々からなっていたので︑法︑あるいは法律に

ついて︑特に考察した人はあまりなかった︑その点で︑シカゴ学派の人々と同じであり︑それがハイエクと著しい相違

を見せている︒既に前に述べたように︑ハイエクの社会理論体系において︑法・法律論の占める位置は極めて高いの

である︒社会的法治国家の概念は︑専ら︑政治学者︑法律学者によって展開されたが︑しかしその基本的な考えは︑

オルドi学派のそれと一致していたといってよい︒即ち︑両者とも︑レッセ・フェールと集産主義に反対で︑したが

ってそれらとは違った新しい国家を構想したのであった︒では︑ボン憲法に規定されている社会的法治国家とは︑ど

のような内容をもつ概念であるのか︒

 周知のように︑ ﹁法治国家﹂ ︵閑ΦoぼωωδpD一︶という言葉は︑イギリスの自由主義の伝統である﹁法の支配﹂︵﹁巳Φ

o=暫≦︶のドイツ的表現であって︑1・カント︑W・フンボルト以来長い歴史を有している︒したがって︑社会的法

治国家の概念を知るには︑そのように長い歴史をもっている法治国家に︑何故︑ ﹁社会的﹂という形容詞が冠せられ

(13)

ハイエク社会理論体系の研究(八)

ているか︑ということを理解すれぽよい︒さて︑C−F・メンガi︵○ゴニ︒・二窪−閃ユ⑦島一〇一μ竃①⇒αq興︶によれぽ︑法治

国家の概念は︑それ以前の﹁政治国家﹂︵勺○一一NΦ一〇りけP鋤け︶を克服するものとして現われ︑市民社会の発展が︑上からの      ︵2︶干渉や拘束を個人的自由への侵害として感じせしめるようになった段階で生じた︒そのような思想を最も早い時期に

表明したのがカントであって︑彼は︑国家を﹁法規範の下における多数人の結合体﹂と規定し︑国家は法によって規

定づけられるべきであると主張した︒これを更に発展させたのが︑フンボルトで︑彼ば︑国家の任務を︑消極的に個

人の自由を外的危険から保護することに限定すべきだと説いた︒そしてそのように規定される国家形態を︑R・モー

ルは︑法治国家と命名したのである︒

 ところが︑その後の市民社会の発展︑生産力の拡大︑産業構造の変化は︑市民生活を大きく変え︑社会的不平等︑

貧富の差︑階級対立などの困難な問題を引き起こした︒だが︑そうした問題を解決へと導き得るのは︑国家を措いて

他にはないので︑当然ここに︑国家の積極的な役割が要求されてきたのである︒こうして︑法治国家は︑その実質的

内容を変えていかざるを得なくなった︒メンガーによれぽ︑そのような国家の積極的な役割を満たすものとして現わ

れたのが︑社会的法治国家である︒また︑西ドイツにおいて︑社会的法治国家が要請されたのは︑いま一つ理由があ

った︒上に述べたように︑法治国家も当初は︑ ﹁政治国家﹂の克服という極めて実質的な目的をもっていたが︑一応

それが達成されると︑次第に形式的な︑つまり手続きのみが問題とされるようなものとなった︒そしてこの傾向は︑

自由放任政策が採られるに従い︑一層強まっていった︒このように形式的になった法治国家を利用したのが︑他なら

ぬナチスであり︑結局︑それが全体主義の国家を導いた︑ということになる︒ボン憲法の起草者達は︑この苦い経験      03を反省し法治国家の限界であるその形式主義を超えた社会的法治国家を要請したのである︒      2

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 以上︑従来の法治国家に︑何故︑ ﹁社会的﹂という形容詞が冠せられるに至ったかの理由を簡単に述べたが︑オル

ドi学派の人々も︑細い点を別とすれぽ︑方々同じ考えをしている︒両者とも︑最も重要な点︑即ち︑国家の役割に

対する再認識という点では︑全く一致している︑といってよい︒以下︑オイケンとレプケの考えを述べることによっ

て︑以上の議論を補うことにしよう︒先ずオイケンであるが︑彼はこの問題を次のように考える︒フンボルトが︑国

家活動の限界を主張したのは︑個々人の自由を保証するためで︑その基本的考えは︑認められねぽならない︒それ

を経済活動との関係でいえば︑法律の枠内でのみその自由を認めることになるが︑しかし︑現代のような分業の発達

した社会においては︑経済力の集中と独占への傾向を避け得ない︒つまり︑オイケンによれぽ︑法治国家は︑個人の       ︵3︶自由を国家の恣意性から保護することはできたが︑他の私的権力による侵害にはうまく対処し得なかった︒したがっ

てここに︑国家の新しい役割というものが強調されるようになる︒オイケンは︑国家の政策は︑次の二つの原理に拠

って行なわれるべきであるとし蝿笙の原理・国家の政策は・経済的権力集団の解体あるいは︑そのよう薩能

を制限する方向に向けられねばならない︒第二の原理︒国家の経済政策は︑経済過程の制御ではなく︑経済の秩序形

態の形成に向けらねばならない︒ ︵これについては次節で詳しく述べる︒︶また︑オイケンの指摘で興味深いのは︑       ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑・︑・・︵5︶今世紀の国家発展の本質的特徴を︑ ﹁国家活動範囲の増大と国家権威の同時的低下﹂という点である︒そしてオイケ

ンは︑国家がそのようになった理由を︑多くの利益集団が国家の政策決定に関与することになったところに求めてい

る︒       ︵6︶ 次にレプケの国家論であるが︑彼は︑ ﹁健全な国家﹂を構成する要素として次の三つを挙げている︒即ち︑一︑適

法性︵いΦσq三ヨ護け︶︑ 二︑協同的なるもの︵○ΦロOωω一ωoげ①︶︑三︑分権化︵∪①N①艮ユ鎚二〇コ︶である︒そしてレプケ

204

(15)

ハイエク社会理論体系の研究(八)

は︑このような健全な国家を建設するための方法と思想が﹁分権主義﹂︵一︶①NΦづ一﹁一ωbP∬ω︶であるという︒分権主義の

本来の意味は︑多様性の中の統一︑普遍性の中の個性にあるとレプケは述べている︒要するに彼が言わんとしている

のは︑健全な国家とは︑上に述べた﹁自然的秩序﹂に震ったもので︑分権主義ということによって︑その秩序の階層

を明らかにするのである︒つまりレプヶは︑協同的な社会の中に在って︑人々は自分に最も親しい階層の任務に参加

することによって︑はじめて国家を自分の国家︑道理と法に適合した国家だと考えられるのであって︑そうした時︑

自由と秩序とが同時に実現される︑というのである︒しかして︑レプケによれぽ︑それを政治的に保障するものが︑

連邦主義であり︑経済的に保障するものが一次節で述べるような一市場経済なのである︒そのために︑国家は自ら進

んで︑そうした分権主義の諸政策を実行していかなくてはならない︒またレプケは︑自由社会における指導的役割を

﹁自然の貴族階級﹂︵ZOげ一一即け9ω 口㊤け=﹃餌一一ω︶と真理につかえるべき﹁学者﹂︵巳Φお碧世俗の聖職者︶に求め︑それは

単に︑精神的な面ぽかりではなく︑もし国家に委ねれば︑集産主義へと進むような任務を果すべきである︑といって

いる︒

㈹ 市場の非対称性 社会的市場経済

 第二次大戦後の西ドイツが︑その政治と経済において︑安定と成長を達し得たのは︑国家体制として﹁社会的法治

国家﹂を︑経済体制として﹁社会的市場経済﹂︵ωON一月一① 量目﹃閃一♂く一﹃一ωOご帥h一︶を採ってきたからだといわれている︒前

者はオルドー学派の人々が直接唱導したものではなかったが︑その基本的考えにおいては︑粛々一致していた︑とい      踊ってよいであろう︒そして後者こそ︑オルドi学派の人々が積極的に推進したもので︑大戦後の西ドイツ経済に﹁奇

(16)

蹟Lをもたらすことになったのである︒社会的市場経済という戸口葉は︑A︐︑︑︑ユラi−アルマックの造語であるが︑ 06       2一九四九年︑キリスト教民主・社会同盟の綱領に採択されて以来︑西ドイツ経済政策の基本理念となった︒では︑社

会的市場経済とはいかなるものであろうか︒

 社会的市場経済の概念を知るには︑社会的法治国家のそれと同様︑何故︑ ﹁社会的﹂という形容詞が冠せられてい

るかを理解すれぽよい︒そしてそれは︑同じ理由から﹁社会的﹂という形容詞が冠せられているのである︒即ち︑そ

れは何より︑レッセ・フェールへの批判⁝これについては既に上に述べている としてである︒オルドー学派の人々

のレッセ・フェール批判は︑市場経済を自由に放任しておけば︑独占と集中が進んで︑社会が︑ ﹁非社会的﹂i都市

化︑巨大企業︑根なし草のような生活︑自然からの隔絶︑所有の喪失1︑になる︑という点に向けられる︒レプケ

は︑そのように独占と集中化の進んだ社会を資本主義社会というのだが︑それは︑歪められた市場経済である︒した

がって︑そのような歪められた市場経済を正すことによって︑非社会的な諸要素を取り除かなけれぽならないが︑そ

のためには︑国家による積極的な政策を必要とする︒しかしそれは︑社会主義のように︑私的独占を公的独占に変え

るだけで︑問題の解決になるであろうか︒否︑それは︑資本主義の単なる延長に過ぎないのであって︑問題を却て悪

化させるだけである︑とレプケはいう︒要するに︑オルドー学派の人々は︑資本主義でも社会主義でもない﹁第三の

道﹂ ︵レプケ︶を目指すのだが︑しかしそれは︑決して﹁中間の道﹂ではない︒

 けれども︑分業の高度に発達した経済においては︑市場経済と命令経済︵一1中央計画経済︶の二つしか考えられな

峰鯉

ス令経済は︑既に述べたように︑経済的合理性を持ち得ないし︑人間の最高の価値である﹁自由﹂と対立する︒

したがって︑経済システムとしては︑われわれは︑命令経済ではなく市場経済を選ぽねぽならない︒レプケは︑市場

(17)

ハイエク社会理論体系の研究(八)

経済こそ人間の自由︑それを保障する自由社会と両立する唯一の経済秩序であると主張する︒人間行為の中で最も重

要なのは︑良心︑即ち道徳的決断の問題だが︑この道徳的決断をその最も深いところで支えているのが﹁自由﹂であ

る︒それ故︑自由なくして道徳的決断はこれを行ない得ないのであり︑したがって︑その道徳的決断が保障されるた

めに︑社会的自由︵思想の自由︶などとともに経済的自由がその前提とされなけれぽならない︒更に︑経済的合理性

の面からいっても︑市場経済は︑命令経済よりはるかに優れている︒しかし︑このことは市場経済がすべてではない      ︵8︶ということであって︑レプケはこの事実を﹁市場の非対称性﹂ ︵︾ω嘱ヨ∋Φ爲一①傷①ω竃母臨Φω︶と呼んでいる︒確かに

市場は重要な領域に間違いないが︑だがそれは社会全体の一部であって︑全体を構成しているのは︑歴史であり︑哲

学であり︑宗教である︒レッセ・フェールの誤謬は︑市場経済が必然的に道徳的前提を作り出すと考えていたところ

にある︒しかしながら︑道徳的前提は︑市場経済の外から与えられねぽならない︒レプケは次のようにいう︒ ﹁市場

経済︑それは需要と供給の素晴しいメカニズムを有するが︑しかしその窮極的運命は︑需要と供給の彼方で決定され    ︵9︶るのである︒﹂と︒

 このように︑市場経済は︑それ自体では非対称的なものであるから︑それを対称的なものになるよう育成する必要

があるが︑それには︑人間の精神の他に︑国家の政策に依らなけれぽならない︒国家の政策が基づかねぽならない二

つの原理については既に述べたが︑その二つの原理に従った経済政策が所謂﹁秩序政策﹂ ︵Oa5偉づαqωづ9葺r︶であ

る︒この秩序政策は︑大きくいって三つ︑即ち︑一︑競争秩序政策︑二︑財産形成政策︑三︑経済基礎政策︑からな

っているといってよいであろう︒以下︑これらの政策の内容について︑少し述べておこう︒      07 洗ず﹁競争秩序政策﹂︵芝︒#げΦ≦臼σ・・oa口§αqω℃o一一二犀︶であるが︑これも三つの政策からなっている︒第一は︑通 2

(18)

貨安定政策で︑オルドー学派の人々が︑戦後西ドイツの経済復興期に︑最初に取り挙げた政策である︒通貨安定政策

は︑市場が競争的であるための前提条件であって︑貨幣の増発が簡単になされ︑銀行の信用創造が行なわれやすい経

済組織では︑インフレを利用して不当な利益を得る者が現われて︑公正な競争が阻害される︒この通貨安定政策は︑

特に︑オイケン︑L・エアハルト︑L・ミクシュによって強調された︒第二は独占禁止政策で︑レプケはこれを経済

政策の第一の目標に掲げた︒既に繰り返えし述べたように︑市場経済は︑そのまま放置されるならば︑独占と集中化

を避け得ず︑それは歪んだものとなる︒それ故︑あらゆる形態の独占を許容せず︑それを根本的に廃止しなければ︑

真の競争的な市場経済は形成できない︒その中でも重要なものは︑トラスト︑カルテルの解体︑大企業の分割︑金融

組織の改革︑情報独占の排除︑などであるが︑また︑オルドー学派の人々は︑労働組合の不当な諸要求にも反対する︒

オルドi学派の人々の反独占の考えは︑このように非常に強いものであって︑ハイエクとはかなり違っている︒即ち︑

ハイエクの独占についての考えは︑極めて穏やかな調子のもので︑﹁参人の自由﹂︵︷目①Φα05P Oh ①⇒け吋図︶が保障され

ているかぎり︑独占問題にそれ程ウェイトとを置く必要を見ない︑というのである︒第三は︑特にミクシュによって

説かれたものだが︑かのようにの経済政策︵芝聾ωoプ①津ω℃o葬葺ユΦω巴ω−︒℃ω︶と呼ばれている政策である︒これは

いま述べた︑通貨安定政策をいかに強力に行なったとしても︑すべての部門において︑完全競争ーオイケンの場合

は︑有効競争という概念に近い一を実現することは困難である︒であるから︑その実現が困難な部門では︑あたかも

完全競争が支配しているかのように指導すべきであるというのがそれで︑その内容は当該の市場参加者に価格が﹁与

件﹂となるよう写ることであ鱒しかし・ハイエ・は︑価格を与件と考える・と自体意禁ないとして︑・のかの

ようにの政策には批判的だ︒

208

(19)

ハイエク社会理論体系の研究(八)

 秩序政策の第二の柱は︑ ﹁財産形成政策﹂ ︵田σqo耳目ヨω三碧ニコαqω灼︒一三犀︶である︒オルドi学派の人々が︑この政

策を重視するのは︑勿論︑それが︑競争的な市場秩序の形成︑維持にとって有効と考えるからだが︑いま︸つは︑社

会的な理由からである︒つまりそれによって中産階級の育成を計ろうというのであって︑その背後には︑中産階級の

健全な成長を倹って︑自由社会はその真の安定を保持し得る︑という考えがある︒また︑すべての入に財産が与えら

れることは︑物質的にも精神的にも︑プロレタリアート化を防ぐことができる︵レプヶ︶︒第三の秩序政策は﹁経済

基礎政策﹂︵≦一子ω︒冨h房σq山下αごαq①昌bo一一江戸︶である︒ これは︑市場経済において計算の上に入ってこない﹁総体経

済与件﹂についての指導でその中には次のようなものが含まれる︒一︑一般に﹁外部不経済﹂といわれている︑天然

資源や環境風土の破壊︑二 労働問題をはじめとする社会問題︑三︑産業立地や人口配置の問題︑四︑科学・技術︑

法秩序の問題などがそれである︒

 オルドー学派の経済政策に関していま﹁つ述べておきたいのは︑秩序政策と区別される﹁経過政策﹂ ︵諺げ鉦鼠?

Oo憂涛︶についてである︒前者が︑枠条件やその形態に向けられる政策であるのに対し︑後者の経過政策は︑日々の

市場経済過程に向けられる政策である︒一般にオルドー学派の人々は︑経過政策に対して極めて消極的であり︑例え

ば︑ケインズ政策においては中心的な景気政策についても︑消極的︑批判的である︒その理由は︑一︑オイケンの所

謂﹁諸秩序の相互依存の原則﹂から導かれるもので︑市場過程への直接的介入は︑やがては︑社会の全面管理へ向か

れざるを得ない︑と考えられる︒いま一つは︑政治的理由で︑経過政策が多くの場合︑各種利益集団によって利用さ

れるからである︒こうした考えは︑ハイエクと完全に一致している︑といってよく︑特に最近のハイエクは︑後者の       09問題に強い関心を示している︒      2

(20)

 以上︑社会的法治国家と社会的市場経済について︑専らオルドー学派の人々の考えを述べてきたので︑

に対するハイエクの疑問︑あるいは批判を簡単に見ておこう︒ 以下︑それ      10      2

㈹ ﹁社会的﹂なる概念の問題点

 第二次大戦後の西ドイツが︑自由主義に復帰したこと︑また︑そのためにオルドー学派の人々が果した功績に対し

て︑ハイェクが極めて高い評価を与えていることは言うまでもないことであって︑それは 彼のいろいろな論説にお

       ︵14︶いて明らかである︒まさに戦後の西ドイツこそ︑ますます集産主義へと向っていく現代世界の中で︑最も勇敢に︑自

由主義の旗を掲げ︑それを実践に移した国家だといってよい︒ハイエクは︑細い点は別として︑戦後西ドイツの掲げ

た自由主義の理念︑あるいは基本的な政策については︑殆ど同意している︒しかしながら︑そのような理念︑あるい

は政策を表現している概念に対しては︑かなり強い疑問を抱いている︒即ちそれが︑上に述べた社会的法治国家︑社

会的市場経済という概念であって︑ハイエクの疑問とするところは︑両者に﹁社会的﹂という形容詞が冠せられてい

    ︵19︶る点である︒つまりハイエクは︑法治国家︑市場経済という語に︑ ﹁社会的﹂という形容詞を冠するのは︑両者の概

念を曖昧にし︑それが誤解を生み︑所期の意図とは反対の方向に向っていくのを翻れているのである︒

 そこで先ずハイエクは︑ ﹁社会﹂ ︵ω09①昌︶と﹁社会的﹂ ︵ωo︒序歌︶という概念の意味︑また使い方から明らかに

する︒ハイエクによれぽ︑社会という概念は︑高度に分業が発達し︑社会が︽∩甲﹃Φ鋤け ωOO一Φ一鴇︾︵A・ス︑ミス︶になっ

た時︑目的意識的に作られた﹁国家﹂︵ω↓讐Φ︶という組織と区別されて新しく発見されたもので︑起源的には︑人聞

諸関係の間に自発的に形成されてきた秩序を意味していた︒したがって︑社会という概念は︑その起源からして非人

(21)

ハイエク社会理論体系の研究(八)

格的︑抽象的︑目的に依存しないものであった︒だから︑﹁社会的﹂という形容詞を︑﹁社会的過程﹂︵ω09五能oooωω︶

﹁社会的諸構造﹂︵ωOO一9一ωけ﹃犀〇一仁同Φω︶︑﹁社会的諸賢﹂︵ω09巴ho8Φω︶といったように用いることは︑本来の社会とい

う概念から出てくる使い方で意味がある︒けれども︑そうした用法とは違って︑﹁社会的良心﹂︵ωOO一生一 〇〇昌ωO一①づOO︶︑

﹁社会的責任﹂︵ωoo芭お巷︒コ巴び田蔓︶︑ ﹁社会的正義﹂︵ωo巳巴冒ω二〇Φ︶などといった使い方には︑社会の背後に︑

既知の︑共通の目的の存在ということが前提とされている︒そこでは︑社会は︑人格化され︑具体的な目的をもつ集

団的実体と考えられている︒そして最近になる程︑こうした後者のような使い方が増え︑一般には﹁道徳﹂︵ヨ春着︶

を使うべきところでも︑社会的という用語が多く使われるようになってきた︒

 勿論︑このような後者の意味に︑社会的という用語が用いられるようになったのは︑十九世紀中葉以来︑急速に発

生してきた﹁社会問題﹂を解決するために用いられるようになってきたことと大いに関係している︒そういう意味

で︑マルクス主義者︑民主社会主義者︑そしてオルドー学派の人々が︑ ﹁社会的﹂という用語を使うのは当然といえ

よう︒だが︑今日のように︑大多数の者が︑政治的発言権をもっている時代にあっては︑そうした使い方は︑アナタ       ︵20︶ロニズムではないか︑とハイエクはいっている︒しかし︑より根本的な問題は︑やはり︑先に述べたように︑社会と

いう概念が︑本来︑非人格的︑抽象的︑目的に依存しないものである︑という点に存する︒したがって︑近代社会を

構成する法は︑ ﹁一般的規則﹂であり︑その支配する国家が即ち﹁法治国家﹂なのである︒つまり︑法治国家という

概念は︑近代社会の特質と照応しているのである︒また︑同じことは︑経済の領域でもいえるのであって︑市場経済

は︑非人格的︑抽象的︑目的に依存しない経済システムである︒したがって︑﹁社会的法治国家﹂︑﹁社会的市場経済﹂       11という表現は︑極めて曖昧な誤解を受けやすい概念である︑とハイエクはいう︒      2

(22)

 ボン憲法が︑ ﹁社会的法治国家﹂と表現し︑オルドi学派の人々が︑ ﹁社会的市場経済﹂を主張するのは︑ ﹁社会      ㎜的﹂という形容詞のついた用語でいえぽ︑ ﹁社会的正義﹂を自由とともに︑あるいは自由の上に︑実現したいという

考えからであったことは確かである︒しかしハイエクは︑社会的正義なる概念が意味をもち︑また実際に実現される

ためには︑社会が具体的な目的をもち︑社会に存在する諸価値の間の相対的重要性が予め明確化されている場合にの

み可能である︑と考える︒だが︑そうしたことが可能なのは︑社会が一つの組織である社会︵11社会主義社会︑全体

主義社会︶においてであって︑自由社会では成り立ち得ない︒それは︑オルドー学派の人々の意図とは全く反対にな

ってしまう︒ハイエクによれぽ︑自由社会において︑ ﹁正義﹂あるいは﹁正しさ﹂が関わり得るのは︑人間の行為に

ついてだけである︒蓋し︑近代のような非常に複雑な社会においては︑社会現象における原因と結果の関係を一義的

に確定することが︑極めて難しいからである︒だから︑﹁法の支配﹂ ︵11﹁法治国家﹂︶という場合の﹁法﹂とはハイ

エクによれぽ︑ ﹁正しい行為に関する一般的規則﹂ ︵鋤口憎く①﹁ω自︒一﹃巳①oh冒ω一8コ〇二9︶ということになるのであ

る︒ 以上から明らかなように︑ハイエクの社会的法治国家︑社会的市場経済に対する批判は︑それらの概念が極めて曖

昧である︑というところに向けられているのであって︑必ずしもその内容ではない︒しかし︑使用する概念が曖昧で

あることは︑屡々重大な問題を惹起せずにはおかない︒例えば︑西ドイツに大連合政権が登場した時︑ケインズ的な

政策とオルドi学派のそれが︑結びつけられて論じられるようになったこともそれであろう︒ケインズ主義も﹁社会

的正義﹂なる概念を強調する故である︒このように見てくると︑オルドi学派の人々には︑ハイエク程の厳密性はな

かったように思える︒この点に関して︑いま一つ例を挙げれば︑ハイエクは︑ ﹁社会﹂と﹁国家﹂とを区別し︑後者

(23)

を﹁政府﹂と同一視することによって︑国家にまつわる曖昧さを解消している︒これに対し︑オルドー学派の人々

は︑政府と言った方が適切と思われるところでも国家と表現していてやはり曖昧さが残っている︒もっとも︑オルド

i学派の人々が︑ ﹁自然的秩序﹂の階層の一つとして健全さを有するものとする﹁国家﹂の概念には︑ハイエクも同

意するだろう︒

 このように︑ハイエクの理論はオルドー学派の人々のそれに較べ︑厳密といえるのであって︑それは︑彼がその方

法論︑また法・法律論において︑鋭い洞察を展開し得ていたからである︒

ハイエク社会理論体系の研究(八)

   注

︵1︶ ボン憲法第二章第二十八条に﹁この基本法の意味における共和的︑民主的︑かつ社会的法治国家の原則﹂とある︒

︵2︶ 以下︑言①昌oqoがOl国二bミし口轟︑ミ§物8職ミ§さ鼻曲の巴§︑跨§しu§ミ︑O︑§譜霧ミきおα︒︒.参照︒

︵3︶ 国琴冨P≦ごO︑§§ミ慧亀ミミ馬ぎ隷ミ鴨愚︒ミ茎HO8噂ω.ω認.

︵4︶同玄住ω.︒︒ω膳・

︵5︶H窪α﹂ω.ω卜⊃刈.

︵6︶閃9冨噛≦.糟9ミ鍵︒︒穿ミ§♪巳お︾ω目︒︒目.

︵7︶ぎ5噛ω・ωO.

︵8︶ 国9評①曜毛二︑§吻無旨§蕊郎途鷺Oミ賦醤軋﹀ミ︒二歳鷺魍り00c◎りω陰目Q︒ω●

︵9︶ぎ声・ω.Ob︒●

︵10︶ オルドi学派の経済政策については野尻前掲書参照︒本稿もこれに依るところ多かった︒

︵11︶ ハイエクの独皆無については︑国p曳︒ド聞・﹀・噛↓ミOo諺職肺ミご蕊ミト導ミ︑ざお①9召曾卜⊃①心19など参照︒また拙稿

   ﹁ハイエクとシカゴ学派︵下︶﹂︵﹃世界経済﹄昭和五十七年二月号︶参照︒       13      2︐︵12︶ 団昌oF聞・﹀・●↓鳶9諺ミ饗§嵩ミトきミ¢︑μ89・80●

(24)

︵13︶国ロ︒ざPミ・.O︑§勢ミ怨概ミミ鞭ぎ誉ミ馬愚︒ミ茎お8ω陰ωミi鈴︵41︶たとえぽ︑尋︒F禦噛ミミ⑦ミ§馬嵩ミ︑§§聖ミ3穿.蕊.§⇔§こミ穿§ミミ馬β箋り眼

 やμωμ・

︵15︶ 以下の議論は専ら噂≦9︒︒︒一自信昌竃器げ︒一望︽ωo臨9︾ゆ.︑︸冒ミ駐︒・恥§織b恥ミ審︑ミ馬恥︑おON によった︒またハイェ

  クの﹁社会的正義﹂を詳しく論じたものは︑卜︒ミ図嚢馬い︑ミ馬§§繕トきミ帖8<oド煙巳蕊● である︒

む す び

 本稿では︑ハイエクの体系とオルドー学派のそれとの比較を︑方法論の問題︑自由と秩序︑国家と経済政策の三つ

に分けて行ない︑特に両者の相違点を浮き彫りにするつもりであったが︑必ずしも成功しているとはいえない︒とい

うのは︑オルドー学派の思想の根底に宗教︵この場合キリスト教︶の問題があるのに対し︑ハイエクは︑宗教につい

て積極的に論ずることをしないからである︒勿論︑ハイエクは︑宗教を無視したり︑否定するものではなく︑寧ろ︑

宗教を非常に重視するのであるが︑しかし︑彼は︑社会科学において宗教を扱う場合には︑その相対化を行なってか

ら論ずる︒だが︑オルドi学派の人々は︑宗教を相対化しないで直接それを社会科学の中に持ち込もうとする︒それ

は︑両者の宗教観の違いがそれぞれにそうした方法を採らしめているとぽかりはいえず︑その根本には︑キリスト教

自体の問題もあるように思える︒したがって︑本稿でこの問題から︑ハイエクとオルドー学派の比較を試みることは

到底不可能なことであった︒何れ︑この問題についてある程度の見通しがっく時が来るであろう︑その時︑いま一度      ︵1︶両者の比較を試みようと思う︒

(25)

 また︑本稿で扱ったオルドi学派の人々は︑主にオイケン︑レプケで︑特にその後の人々については殆ど取り挙げ

なかった︒それは︑レプケ亡き後のオルドi学派が︑次第にその勢力を失ってきたこと︑基本的な思想︑政策におい

て見るべき程の発展がなかったことと関係していなくはない︒しかし︑レプケ後のオルドi学派にも部分的ではある

が︑注目に値するものもいくらかあるのであって︑やはり見落すわけにはいかない︒それらについて︑本稿で言及で

きなかったことは残念である︒何れ別の機会に論ずるつもりである︒だが︑それらを論じたとしても︑大筋におい

て︑本稿の議論に何らの修正を加える必要はないと思われる︒

  注︵1︶ 拙稿﹁ハイエクとシカゴ学派︵上︶﹂ ︵﹃世界経済﹄昭和五十七年一月号︶において少し試みている︒それは︑シカゴ学派

  の人々が宗教についてあまり論じないので︑少しく論じても誤解されないですむと考えたからであることを告白しておく︒

      ︹尚︑本稿は︑早稲田大学特定課題研究助成費︵個人︶の交付によりなったものである︒︺

ハイエク社会理論体系の研究(八)

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参照

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142 香川大学経済論叢 5 2

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(S, Paugam dir. 1996:566).

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