グーケンペルク静用理論の基底
−J2ダー403
研究ノート
グ−・テンペルク費用理論の基底 嶋経営費用理論の展開に.関連して−一
平 林 賓 博
Ⅰ問題の所在
近時,ドイツ経営費用理論の研究において各論老がその経営費用理論を展開する場合,
なんらかの意味において.グーテンペルク費用理論をその基礎に.している。例えば,キルガ
(1) (2) (3) (4)
−,ハイネン,ラスマン,ゲルプァイラ小・・・・・等にそれをみることができる。これをわれわれ の言葉でいいなおせば,グーテンペルク費用理論の精密化の過程であり,更にメレログィ ッツの理論でもって代表されるところのいわゆる伝統的費用理論から近代費用理論へ止揚 する意図の現われであり,常々費用理論研究の進むべき方向がここに.あるべきと考えて−い た筆者の考えと・一散している。しかしながら,このグーケンペルク費用理論を一機により どころとして.経営費用理論の展開が行われているにもかかわらず,その展開方向は層々様 々であって,特別に一つの定説があるわけではない。案ずるに,これほ各論者によってグ
−テンペルクの費用理論解釈が相異すること,あるいはグーテン・ベルク費用理論に対する 理解・認識度の差異がその展開過程の.上に具現しているものと考えられる。従って,経営費 用理論がグーテンペルク費用理論を基底として展開されるという基本的立場については聾 者も支持するのであるが,いま・一度問題となるグーテンペルク費用理論を検討・吟味
し,その基底がいかなる点に見出されうるかを究明することが必要であると考え.る。換言 すれば,近代費用理論の形成ほグーケンペルク費用理論を不可欠のものとする。しかし,
それが故にグーチゾベルク費用理論ほ一層深く討究されるものでなければならない。
かかる意味において,この小文ほ経営費用理論の展開を患接扱うものではない。それに
(1)Kilger,W,Ⅹosten und Produktionstheorie,1958
(2)Heinen,E,Anpassungsprozesse undihre Kostenm盆SSigen Konsequenzen,1957 Heinen,El,Betriebswi工tSChattliche Kostentheorie,Bd.Ⅰ,Grundlagen,1959
(3)Lassmann,G一,Die Produktionsfunktion undihre Bedeutung filr die betriebs−
Wirtschaftliche Kostentheorie,1958
(4)G為1weiler,Al,Produktion$ko$ten andProduktionsgeschwindigkeit?1960
第36巻 欝3号 404
−−J2∂−
ついて:は他日を機したいのであるが,その予備的なものとしてグーテンペルク費用理論の 基底を烏撤し,必要な限りに.おいてこ今後の経営費用理論の展開に言及することを論究は目 的としている。かかる目的のために戦後ドイツにおける「費用論争」を手懸り把.したい。こ の「費用論争」を手懸りにするのほ,その論争にグーテンペルク費用理論の特色が鮮明に 且つ簡潔に示されており,廼にメレログィッツの理論によって代表されるところのいわゆ る伝統的費用理論をも知ることができ,それが故に両費用理論の比較研究がなされ,グー・
チッベルク費用理論の特色が浮き彫にされるという理由に.もとづくものである。
ところで,ここで「費用論争」とは,周知の如くグーテンペルクとメレログィッツとの 問に経営費用理論をめぐって激論が繰返えされ,これに多数の論者が賛否の見解を表明し た−・連の事実をさすものである。これ紅ついてほなおも多くの吟味すべき論点があるが,
そこでわれわれが看過してほならないのほ,この「費用論争」が呉め意味における方法論 争であるということである。すなわち,「費用論争」はもともと費用理論における考察方
(5) 法の対i?。として顔現しでいるのである。従って,われわれは「費用論争」の吟味から今後の
経営費用理論の展開に関してのある結論を引出したいと念願しているのであるが,それに 先カって,考察方法の対立鱒ついてそ・の主張をグーテンペルクとメレログィッツとから忠
実にきくことが必要となろう。
ⅠⅠ費用理論におけるグーテンベルクとメレロヴイッツ との考察方法の比較
さて,グーテンペルクはその著「経営経濁学原理」第〜巻(生産篇)(G11tenberg,E.,
GIundlagen der BetIiebswirtschaftslehre,Bd.I.Die Prod11ktion)の第ML版序文に.おい て,「私ほ表書の諸問題を豊富且つ多称な具衆的所与から出発して展開しようと試みた。
と同時紅,近代理論の分析用具をば,研究対象の性質上妥当であり,合理的であると思わ
(¢)
れる範囲において蕃書の問題にも利用しようと努めた」と述べている。ここにグー・ダンベ ルクの費用理論における考察方法が端的に且つ明確に示されていると思うが,_そのいわん
とする主旨ほ,複雑多様な経営経済的諸現象を近代理論という叫つの分析用具を通して認 識しようとするものである。しかるに,メレログィッツはこれに反論して,かかる方法ほ 15)市原季叫・著,「西独経営経済学」昭和34年版144頁参照
(61Gutenberg,E‖,GrundlagenderBetriebswirtschaftslehIe,6Aufl,,1961 BdlLDie PIOduktion VoIWOrt ZurlAu負
溝口・高間共訳,「経常経滞学原粗」第一巻(生産職)昭和32年版,第1版への序文。
−J27−
グ・−「テンペルク費用理論の基底 405
(7)
それ仁1体何ら新しいものでほない。「それほ演繹的,孤滋的,数学的方法である」とその
「社会経済学的」偏向を指摘し,このことは結臥「実践的経営指導に適用できない抽象
(8)
的,非現実的理論」になるのではないかと問うてごいる。けだし,「経営経済学の基礎と目
(9) 的とは個別痙営的実践である」というメレログィッツの立場からみて−,この反論ほ当然の
帰結である。
しからば,メレログィッツのこの批判の根拠はどこに.存するのであろうか。彼によれ ほ,経営経済学における数学的孤立的方法の適用ほ,第一・に経営の孤立的純粋理論の発展
であり,従って,理論と経営政策との分離という結果を招来し,第二に,両経済理論の統 一イヒ,すなわち終極的に国民経済学か経営経済学かのいずれ一方の経済学になる結果を−も
(10)
たらすという。そしてその理由をメレログィッツは,「数学ほ経営の現実にないような周 知のあるいは仮定された前提を必要とし,常に数学による結合(それ自体,全く認められ ないような個々の変動要素と固定要素との結合)の原則は;正に現実の関連を明らかにす
(11)
るための正しい手段ではない」というところに求めて−いる。またその孤立的方法に対する 批判根拠としては,結局それにもとづくところの理論が非現実的性格をもつに至るからで あるといっている。すなわち,総費用経過ほ現実の多称な要素の作用を反映しているので あるから,それらを無視して孤立的に例えば操業の変化と総費用経過との関係を認識する ことほ非現実的であるとメレログィノツは批判するのである。例えば,この事情はグーテ
ンペルクが要素価格あるいほ要素賀の変化と考え,操菜の変化が総費用経過に及ぼす作用
とは別なものと考えている過重負荷(Uberbeanspruchung)による給付の減少,新しい労 働力の投入による給付の減少,時間外割増賃金,設備の過匡の利用により高められた修繕 費,手許にある悪質な設備の使用から生ずる経費等々を,メレログィ・hツツほイ多少とも操
(12)
業変化から必然的紅生ずるような生産条件の変化は除去すべきではない」として,これを 総費用経過の上に反映させようとしていることからも十分に推察されうる。
以上の諸点を考えると,メレログィッツほ,グーテンペルクが費用理論に導入した近代
(7)Mellerowicz,K,EineneueRichtungipdeIBetribswirtschaftslehIe?ZfB,
1952.S.146
(81Mellerowicz,K,a、a・01・,S.・146
(9)Mellerowicz,K,ム.a、.0.,S.146
(10)Mellerowicz,K,aa.0り,SS154−155
(11)Mellerowicz,K‖,a.a.0,Sl155
q2)Me11erowicz,K・,Ko$tenundKo$tenreChnung,BdⅠ・31Aui1 19570S 308
−・−ヱ2g−
第36巻 第3号 406 理論の分析用具を数学的孤立的方法の通風であると断定し,それを「 新傾向」と皮肉っ て,その非現実的ないし非実践的性格を鎖く批判したものであると考えられる。
ところで,このメレログィッツのグーテンペルク批判が正鵠を得たものであるかどうか については疑問の余地が残ると思う。というのほ,第一・・に,メレログィッツがグーケンペ ルクの見解を十分に且つ正当に理解しているか否かという疑念があり,第二に,仮りにそ れがなされているとしても,もし両者間の考察方法において根本的な対立があるとすれ ば,超越的ないし外在的批判ほ可儲としても,真の意味での批判たる内在的批判をどこま でなしうるかという疑問があり,第三紅,メレログィッツの批判にみられるように,数学 的孤立的方法の適用がただちに非現実的ないし非実践的性格を有する理論に結びつくかと いう問題の検討があり,第四にほ,それ故にこの数学的孤滋的方法がどのような意味,内 容をもっているのかを考えねばならないからである。
いま,第一・・ニの疑念を考えてみるに,メレログィッツの批判には.我田引水の傾向が多々 みうけられることである。別言すれば,グーテンペルクの考察方法を正当に評価していな いきらいがある。それが故に.またメレログィッツのグー・テンペルク批判が内在的批判の到 達にはど遠く,この世判に傾聴してヨリ適切な考察方法に揚棄するまでに至っていない。
このことほ,メレログィッツの上記の如き批判への反論としてあらわされたグー・・テンペル クの論稿「『方法論争』について」をみれば十分に推察される。
例えば,グー・テンペルクほ,まず,自者「経営経済学原理」の序文で述べたように.近代 理論の分析用具をば,研究対象の性質上妥当であり,合理的であると思われる範射で用い
(用)
ることは至当であるとして,その適用の正当性を再確認している。次いで,具体的な反論 として,数学の適用の問題についてほ.,これをことさら問題に.したのはメレログィッツで
(14)
あって,ダークンベルクの関知するところでほないとい・う。そして,数学的方法の適用ほ 理論の正確性を期するためには必要な手段であり,これを板木から排除することは理論の
(】5)
粗雑と過誤とを招くこととなって,容認できないと主張する。兎にグーテンペルクは,経 営経済学の自律性を否定し,国民経済学への統一イヒを企てるものでなければ,理論と実践
(16)
との問題を等閑視しているものでもないと述べている。すなわちあくまでも個別経済的あ
(13)Gutenberg,E・,=Zum Methodenstreit ,ZfhF,1953lSSl328−330
(14)Gutenberg,E‖,a.a… 0、,S= 332
(15)Gutenberg,E,aa.0一,SS333−383
(1GIGutenberg,E.,虫.a.0∩,S.338−−341
グー・テンペルク費用理論の底底
ーJ29−407
(17) るいは経営経済的な事象を問題にし,必要な限り分析の用具として近代理論を利用してい
るのであるとグーテンペルクほ反論している。ただ孤立化の方準についてほ,グーテンペ ルクの筋極的な論述がなく,いわば自明の問題としで取扱われており明瞭ではない。
しかし,それほ既述の第三の疑念と関連がある。後述するようにグ「ケンペルクがその 費用理論において用いた孤立化の方法が,一義的に非実践的であるとほ判定しがたい。つ
まり数学的孤立的方法の理論への適用と,その理論がそれによって非実践的性格を有する ということとの問にはなんら対応関連がないと筆者ほ考えるのである。しかし,非現実的と いう批判を考えるとトメレログィソツの費用理論が現実の多称な要素の移響を包含してい るという意味においてヨリ現実的性格を有して−おり,それが故に,グーテンペルクの費用 理論が現実的でほないという批判ほ是認される。しかし
論の性格云々にあるのではなく,その理論がいかはど現実に適用しうるのか,あるいほい かはど現実の諸現象を説明しうるのかにある。かかる観点から数学的一瓢史的方法を用い たグーテン1ルク費用理論をみると,メレログィッツの考える如くその存在を否定しさる
ことは適切ではない。むしろ,なにゆえにグーテンペルクがこの考察方法を用いたのかを 考えることが肝要であると思う。
案ずる紅,数学的一孤立的方法ほ,一方で文字通り理論的純化の過程を志向するのであ るが,他方で,それほ多称な現実の諸現象を正確に認識するというヨリ基本的な研究態度 が必要であり,それが故にそれほ理論の現実適用性をヨリ考慮しているといえる。すなわ ち,いま仮りに前者の方向を「理論の厳密性」とし,後者の方向を「理論の適用性」考慮 とそれぞれ名付けると,数学的仙孤立的方法はこの「理論の厳密性」と「理論の適用性」
考慮とを具備し,しかもこの両者が相互依存ないしほ密接不可分の関係にあることを示し ている。かくの如く数学好一孤立的方法が考えられると筆者は解するのであるが,もしそ
うだとすれば,グーケンペルクが数学的−−孤立的方法を導入したのは,彼が「理論の厳密 件」と.「理論の適用性」考慮という】・見相反する両者を乗離することなくその費用理論の 中に結実せんがためであると考えられる。別言すれば「理論の厳密性」と「理論の適用性
」考慮との統一・はこの数学的一瓢立的方法でのみ可能となるのである。これが故紅,グー・
テンペルクのこの考察方法は否定されるどころか,正当に評価されねほならない。更にい えば,ここにグーテン・ベルク費用理論の本質が内在しているものと考えられる。
u7)Gutenberg,Eh,a al0,SS…346一−347
第36巻 筍3号
ーーJ30−
408
以上の点を・要約すると,既述の如くメレログィッツほ,グー・テンペルクの考察方法を数 学的∬孤立的方法と規定したが,その限りにおいて彼の判断は正しいといえる。しかし彼 がそれを費用理論紅おいて−ほ無用と批判する時,そこ.に彼の過誤があると考えられる。数 学的一孤立的方法ほ,グーテンペルクにとって,その費用理論紅「理論の厳密性」と「理 論の適用性」考慮とを与える必要不可欠の用具なのである。では,具体的に費用理論の上 にいかにこれら「理論の厳密性」と「理論の適用性」考慮とが顕現しているであろうか。
いま「費用論争」を手懸りにしてそれを検証しなけれげならぬと思う。
ⅠⅠⅠグー・テンペルク費用理論の基底
(1)費用;哩論と収益法則。
周知の如く,わが国において憫用論争」に関する論説は多くの論者によって既に発表
(18)
されているので,「費用論争」の詳細はそれらの論稿に求めるとして,われわれほこの「
費用論争」をわれわれの立場から省察し,以ってグーテンペルク費用理論の基氏を明らか 紅したい。
さて,そこで「襲用論争」の省察であるが,その論究が個々の論点についてグーテンベ ルクとメレログィッツとの主張の当否を判定することに終始するか,あるいほその集大成 としての総当用曲線経過の番線であるかS字型であるかの是非を判定することのみに終始 すれば,それは今日の段階ではもはや許されない。すなわち,総費用経過の直線であるか S字型であるかの判定を主眠目とする「費用論争」のみかたはこれを放棄しなければなら ない。というのは,「費用論争」は費用理論の本質をいかに解するかという根本的な問題
に対する態度を明らかに.しなければ,その解明はもとより,正しい意義を見出し得ないか
(19)
らである。それ故に,われわれは,既述の如く,グーテンペルク攻用理論の本質が「理論 の厳額怖」と「理論の適用性」考慮とにあると考えるので,この観点から「費用論争」を 吟味することとする。
は紛 わが国において,「費用論争」を取扱ったものに次のような論稿がある。
池田英次郎稿,「グーテンペルク費用理論」企業会計6−7 市原季−・著,「西独経営経済学」昭和34年版,第6葦
後藤幸之助著,「経営の費用理論」昭和34年版,第三編第一蕃 溝口一雄著,「■経営費用論」昭和30年版第10章
溝口一雄著,「費用管理論」昭和36年版,節12章
(19)溝口一雄著,「費用管理論」欝12章節一博参照
409 グーテンベルク費用理論の基底 −ヱβノー ところで,われわれほ,rH−費用論争」を分けて,抑総費用経過をめぐる論争と,(ロ)それ
を基礎づけるとノころの生産理論,すなわち収益法則をめぐる論争とにしたい。かように区 分する理由は,後者によって「理論の嘩密性」が,前者によって「理論の適用性」考慮が
それぞれ志向されていると考えるからである。
まず,グーテンペルクによれば,メレログィッツの理論でもって代表されるところの伝 統的費用理論が,その総費用経過をは収益法則を基礎にして説明しているという。ところ が,次にその収益法則ほ工業生産に妥当する法則とはいえないので,メレログィッツのい う総費用経過の遁汲→比例−>逓増といういわゆるS字型の費用経過ほありえないとグーテ ンペルクは批判し,その論拠を次のように論じている。すなわち,収益法則ほ−・般に「・一・
つの要素もしくはある要素群の投入量を儲定とし,他の要素もしくは要素群の投入塵を変 化させると,かかる固定要素と変動要素との間の関係変化の結果として,最初は逓増し,
次に過疎する収益の増分が得られる」というものである。従って,この収益法則によれ ば,「諸要素が上述の方法において結合される時にほ,収益の増分は一億の生産量を越え
(20)
ると逓減する」ことになる。ところが,この収益法則の前提すなわち−・要素の投入盈を自
由に増減し,他の要素投入量を固定するというようなことは工基盤産にほ通常見出し得ぬ
(コl)
とグーケンペルクはその批判の根拠を明示するのである。
更に,費用経過を説明づけている収益法則ほ本来生産条件の不変を前提としているにも かかわらず,他方で,メレログィソツは不足比例費(unterpropor tionale Kosten)の超過 比例費(ひbeIprOpOrtionaleKosten)への性格変化の説明にみられるように,要素賀や安東 価格の変化,すなわち生産条件の変化からも費用経過を説明しているから,ここにもーつの
(22)
矛眉が存するとグーテンペルクは論じている。第三に,メレログィッツがこのように問題の
ある収益法則を不用意に導入したことについてほ,「本来国民経済学的理論である収益法 則を経営経済学に無条件で転用し,且つこの収益法則が経営経済的に妥当するか否かの検
(23)
討を放棄している」とグー・テンペルクは批判するのである。
これらの批判に対し,メレログィッツが反論していることほいうまでもない。いまその 論旨をみると,第一に,収益法則をグーーテンペルクが否定するのほ,私(メレログィソツ
イ20)Gutenberg,Eh,Uber den VeIlauf von Kostenk11rVen und seine Begriindung,
ZfhF,1953,S.30
(211Gutenberg,E.,a.a… 0=,SS。31−34
(22)Gutenberg,E.,a。aい 0い,SS。34欄35
(23)Gutenberg,E,a。a 0。,S.32
410 第36巻 第3号
−−エヲ2−
一筆者註)が設定したこともなく,且つその上に現実と,特に今日の現実と矛眉する諸前 提を私におしつけることから生じている。従って,彼は主張されていない事実を『否定』
、ご」「
してい右のであり,いわば開かれた扉に体当りしているようなものである」とい・う。第二 に,収益法則は厳密な意味においてなんら法則ではなく,経験から把握される全く仮説的 性格をもつものである。それが故に,これほ「経験法則」であり一つの「傾向」を示すも のにすぎないとメレログィッツほ主張する。従って,経験ほ経験によってのみ把捉され,
(25)
勝手に選んだ仮説によってほ反駁されないという。
さて,このような「論争」経過からみて理解されることは,グー・テン ペルクとメレログ
ィッツとの間虹「収益法則」そのものについての解釈が全く相異していることである。こ れに加えてメレログィッー芳が費用経過の基礎砿収益法則を考慮していないというハイネン
く26)
の指摘を顧慮すると,グーテンペルクの収益法則に関する批判ほ全く一人相撲の感があ り,hその正当性ほ失われるといえる。換言すれば,グーテンベルクのメレログィッツ批判 ほこ.の点灯限定すれは内在的批判たりえないのである。敢にレえば,グーケンペルクほこ
の収益法則の否定以外からメレロヴィッツ資用理論を批判ないし否定しなければならな い。故に,「費用論争」の中心論点ほグー・テンペルクが費用経過を説明するために導入し
た新しい諸概念の是非をめぐる論争,及びメレログィッツの費用性格の変化に対するグ鵬 テンペルクの批判の可否をめぐる論議に.あるといえる。
しかし,グー・テンペルクの所説に対して,以上めような批評が軍ぬがれないとしても,
われわれは,グーテンベルクがこの収益法則の問題を提起した背後に実ほ「理論の厳密性」′
と「理論の適用性」考慮とがあることを注月したいのである。すなわち,費用理論の基底 に収益法則すなわら生産理論があることを洞察したことはとりもなおさず彼の理論的純化 の発題であり,またこの収益法則が工業生産に芸当しないという論証は,彼が理論の適用 性を深く志向している証左であるといえるからである。従って,グーテンベルクの立場か らすれほ,収益法則の批判ほ必然的に生じうるものである。収益法則の否定→メレログィ
ッツ費用理論の否定というグ−ケンペルク申メレログィ、ケツ批判のレユ−マに,実はグー テンペルク費用理論の本質観がうかがわれ,吏紅いえは,そこに「モ哩論の厳密性」と「理 論の適用性」考慮とが溶有しているのを筆者は見るのである。
(24)MelleIOwicz,K,Kosten und Kosten工eChnung,Bd.Ⅰ3‖Aufl 1957.S 395 鍋 Me】l由owicz,K.,Kostenkurven und Ertragsgesetz,ZfB,1953,SS343−344
(26)Heinen,E,aハ a O,SS129m130
グーテンペルク費用理論の基底
−Jぶβ−一411
(2)操業変動に対する適応形態。
さて,かく考えこてこくると,進んで費用経過をめぐる論争の吟味をせねばならない。この 論争を通してグーテンペルクが論述した点ほ大別して二つに区分できると考えられる○そ の第一・ほ,総費用の直線的経過を論証するための新しい諸概念の導入であり,第二ほ,い わゆるS字型総費用曲線経過を証明する諸前提に対する批判である。いま,彼の論稿「費 用曲線の経過とその基礎づけについて」からこの点をみると次のように要約できる。すな
わち,
Ⅰグーテンベルク費用理論の展開 イ 序論一問題の所在一 口 適応形態の多称性
a 強度による適応(intensitatsmまSSigeAnpassung)
b 量的適応(quantitative Anpassung)
ハ 区間固定費(intqrvaトfixkosten)概念の導入。
ニ 利用費・非利用費(Nutzkosten・Leerkosten)両概念の導入
ⅠⅠ伝統的費用理論の批判 イ ー・般的批判。
ロ 逓減領域と逓増領域との吟味。
ハ 逓増現象に対する吟味。
ニ 不足比例費に対する批判。
ホ 収益法則に対する批判。
いうまでもなく,(Ⅰ)はわれわれの区分した第一・に,(Ⅱ)は第二にそれぞれ該当する。
さて.,ダークンベルクの論旨を吟味すると,まず,操業変動に対する適応形態の問題が うかびでよう。これは,たんにグーテンベルクの前記論文「費用曲線の経過とその基礎づ けについて」の冒頭に論述されて.いるということ以上に,彼の費用理論の特色を端的に示
して.いるからである。ある論者はこれをもってグーテンペルク費用理論を「適応の理論」
(27)
として把握しようと考えられている。また; この適応は経営者の操業処理に対する主体的 な役割を意味するが故に,ここに費用理論における管理論的思考を見出そうとする論者も
(28) ある。これについてほ若干の卑見をもっているのであるが,ここでほそれにほ言及せず,た
関 宮本匡草稿,「費用理論における経眉規模について」経済研兼備25号参照
位説 小林哲夫稿,「費用理論における−Jつの梶開」国民経済雑.は10−7−4参照
、7、二J■ノー
節36巻 第3弓 412
だこの適応形態の多称性を論ずることが,実ほグ−テンペルク費用理論の中に,われわれが 既に指摘した「理論の厳密性」と「理論の適用性」考慮とが潜有していることを指擁して
おきたい。溝口教授ほ,「グーテンベルクほ,操業度要因を取り扱うにあたっては,・一両 に.おいて伝統理論の理論的前提に関する麟味さを衡いて理論の純化を主脳する。しかも,
操業度要因を伝統理論のように細凄別的,抽象的に考えることを排している。彼の理論の 現実的性格(それは管理技術論の基礎となることを意味する)ほ操業度の問題をU操業変 動に.対する適応形態』(AnpassungsiormendesBetiebsanBesch去ftigungsanderungen)
(29)
としてヨリ具体的に扱っている点に見出すことができる」と論述されている。けだし「理 論の適用性」考慮から適用形態の多称件が論ぜられ,「 ̄理論の厳密性」から各適応形態と
費用経過との関連が論ぜられていると考えられる。
ところで,こ.こでグーテンペルクのいう適応形態についてその見解を若干引用しておき
たい。グーケンペルクによれほ,操業変動に対する適応形態として,′次の5つの適応形態 があるという。すなわち(1)「収益法則による適応」(Anpassungnach dem EItIagSgeSetZ)
し2)「強度に.よる適応」,(3)「鼠的適応」,(4)「時間的適応」(Zeitliche Anpassung),
(0)
(5)「選択的適応」(selektive Anpassung)がそれである。就中,その基本的な適応形態ほ
(2)・(3)である。というのはグー・テンペルクによって141・(5)ほ「愚的適応」の」一層と考えら れているし,(1)の「収益法則による適応」は伝統的費用理論批判の手懸りとして論述され
l
ているにすぎないと考えられるからである。東にいえば,もともと収益法則を否定しさ.い
るグーテンペルクがなにゆえにこの「収益法則による適応」を・一つの適応形態として考え るのか理解に苦しむのであるが,卑見に.よれば,本来,メレログィッツの理論をもって代
表されるところの伝統的費用理論には適応形態は存在しないのであるが−メレログィッツ はグーケンペルクのいう「強度に.よる適応」がそれであるという−強いて求めれは「収益
法則鱒よる適応」となる。しかし,収益法則がグーテンベルクによって工米生産に妥当せ ぬとして否定されている以.上,それにもとづくところの「収益法則による適応」もまた工
業生産に妥当せぬ適応形態である。従って,帰するところ伝統的費用理論には適応形態は 存在しないことを逆説的にクー⊥テンペルクが論述したものと考えられる。
さて,そこで基本的な適応形態であるところの「強度による適応」と「量的適応」と紅 但9)溝【」−−−−−−雄著,前掲嵩,256蔑
CiO)Gutenberg,E.,Grundlagen der Betriebswirtschaftslehre,Bd.Ⅰ6・Aufl・1961.SS
237−277油U・高田共訳,前掲軋 245−一280珪
グーテンベルク費用理論の基底
−・∫β5−413
ついて.究めると,グー・テンペルクによれば,「強度に.よる適応」とは「操業度減退の場
(:う1)
合,経営虹おける全設備ほ保持するが,その設備の利用度がそれ軋応じて淑ザる」という 適応の仕方である。実際に.この種の適応形億が㈹題となるのほ,これ以上には測点/的別立 に分けられない設備またほ設備群の存する場合である。それに反して,彼のいう r ̄鼻的適 応.」とほ「操菜皮減退の場合,経過が機械設備のある部分を休止せしめ,操業度が増大す
(こミゴ、
ると再びそれを稼働せしめる」方法である。これはいわば設備分割が可能であって,設備 が比較的独うン的な部分単位からなって−いる場合であって,高度の適応件を有するというこ
とが前提である。
このようなグー・テンペルクの論述紅対して多くの吟味すべき問題があるであろう。いま その−・端をメレログィッツに求めると,彼ほグーテンベルクは「強度による適応」を除外
し,白からの主張に有利な「恩的適応」の場合の費用曲線経過が直線であることを論証しよ
(38)
うとして−おり,それほ全く同語反復であると批判している。次に,「ザーザン:ベルクの前 提からすれば,たしかに費用曲線の直線または段階的経過が生じることは明白である。し かし,そうであるからといってかかる説明が当然科学的に正しい証明とみなされるわけで ほない。なんとなれは,グー・テンペルクによって仮定された前提からほ間違以外の何物も
くS4)
生己ないからである」とメレログィッツは論じている。史に,彼ほグーテンペルクのいう
(85)
「患的適応」ほ.操業度と経営規磯とを混同していると批判する。
たしかに,メレログィッツのこれらの批判は,グー・テンペルク費用理論の欠陥を指摘し たものとして注削こ伯する。特に,「恩的適応」が操業度と経営規模との混同の所産であ るという批判は,操業度なり経常規模という経営栗用理論紅おける基本的概念d汚検討 窓起せしめている。そ・して,この点についてのグーーテンペルクの見解を追究すると,そこ
(鋸) 紅彼の費周理論」−の一つの特嚢が理解されうると指摘している論者もある。筆名もまたこ
の点の研究が今後の経営費用理論の発展を左射する一一つの起点であると考えでいるが,こ れについてほ別の機会に論究したいと念願している。
飢)Gutenberg,E.,Uber den Verlauf vorlKostenKurven und seine Begriind11ng,
ZfbF,1953.S.5
C32)Gutenberg,E。,a.a0.,S.6
(33)Mellerowicz,K.,a.a0 ,S 331
(34)Mellerowicz,K.,a.a.0‖,Su332
(35)Me11e工0wicz,K.,a.a.0.,SS,335−−337
(36)溝Iニト排熱前田乱第13帯筋5節参照。
414
第36巻 第3号
ーJ.ヲ6−
かくみると,メレログィッツの批判ほ正当に.評価されねばならない。しかし,グーテン ペルクが「遷的適応」の現実性,「強度による適応」の意義等々紅ついて論究して.いるこ
(37)
とをみると,メレログィツツの批判は多少とも割引して考えねはならない。むしろ,費用 論争」がもともとメレログィッツ費用理論の論駁にあるとすれは,グーテンペルクが自説 を主張せんがために∴その最も重要なる論点を強調し,他の論点に説明上の不備が生じるの ほ容認されることでほないかと思われる。
J3)区間固定費,利用軋非利用費の諸概念。
さて,グーケンペルクが第二に寺.張し七いる新しい概念ほ,いわゆる区間固定費の概念 とそれに.対応関連する利用費・非利用資の概念である。
区間固定費について,グー・テンペルクは大要次のように述べている。すなわち,補助労 務者・職員・監督者等の労働給付の特質ほ屈的ならびに質的な労働能力の一足の潜在力を あらわすということにある。しかもその潜在的労働能力の対桑が賃金・給料であって,そ れは特別な場合を除けば潜在的労働能力を利鳳する鹿度に応じて支払うものではない。例 阜ほ,・一人の職長が10人の労務者を監督する場合でも,8人/の労務者を監督する場合で も,その職長の給料ほ周額である。いま,操業度が上昇しで現在働いて.いる10人の労務者
を超えて,1人,2人の労務者を新たに雇隠するとき,新たに1名の職長が採用される。そ の職長の給料は前のそれと同額であり,しかもその給料は1人の労務者を監督して−も,1労 瀞者を監督して−も同じである。この事情ほすべての補助労務者,管理労働者についても該
当するわけである。
かくして,こ.のように労働量の大小紅は無関係に報酬が支払われるような労働者を雇僻 することほ,−雇の操業区間内でほ固定費が生じることであり,これをグーテンペルクほ
(38〉
区間固定費と名付けているのである。
次に,グーテンペルクのいう利用費・非利用費の両概念をみてみよう。
いま,職長の週給が100Ⅰ)Mであり,彼ほ10人の職エを監督でき且つ各職エほ過に50個の 製品を作るものとする。従って,職長の週給100DMで10人の職エが過500偶の製品を作る
とすれば,この場合職長ほ完全に利用されたことになる。すなわち∴放長の賃金ほ全額利 用費となる。もし,操業度が減退して職工が6人に減少した場合にほ,職長の労働力は完 全に利用されていないこ.ととなる。すなわち,その給料の6割のみが利用費であり,残り
(37)Gutenberg,E・,a・a・OL,SS.23−25
(38)GutenbeI昔E ,a・a10り$S.6−8
グーテンペルク費用理論の基底
415
−ユタ7−の4割が非利用費となる。いま,区間固定費をQ,利用費をⅩn,非利用費をKlとすると,
(39)
Q=Kl+Knという公式が得られる。
さて,これらの論述に対するメレログィッツの批判ほ前記の枇判にも増してグータンベ ルク費用理論の欠陥を衝き,第三者たるわれわれに良き問題を提供しているといえる。.す
なわち,メレログィッツによれば,グーケンペルクほ区間固定費が実際上規則的な間隔で 生ずると仮定しているが,はたして.この仮定が現実に−・致しているであろうかと問うので
ある。これは,区間固定費が規則的な間隔で生ずるということは,経営の生産条件が同じ であって,何の変化もないということを意味しているが,はたしでそれが立証されうるか というメレログィッツの疑念から生じる問題提起である。そして,「グーテンペルクの過 誤は新しい採用の過程(区間固定費一撃者註)が規則的な間隔を繰返すという前提にあ
(40)
る」とメレログィッツは論結している。たしかにこの点ほ検討の必要がある論点である。
ただ,グーテンペルクがこれを主張する根拠ほ,彼が費用理論の基底に生産理論を,しか もその生産理論の基礎に「費消歯数」(Verbrauchsfunktion)をおいていることに帰因す るものであることを指摘しておきたい。
ところで,利用費・非利用費の両概念についても,メレログィんツは批判する。すなわ
(41)
ら,非利用費の概念は理論的紅且つ経営政策的に未決の問題であると述べつつ,更に,こ れは固定費の問題をただ架空の問題にすぎないと仮定すること紅なると指摘し,固定費は 一般に形式的にほ存在しないが,実賛的にほ固定費のみが存在するということに帰着する
(42)
と論じている。しかし,われわれにとってこ甲利用費・非利用費両概念について考えねばな らぬ問題の一・つほ,区間固定費と利用費・非利用費とをグーテンペルクが対応関連的に・把 握していることの理由である。従来,これについての明確な解釈が下されて−いない0筆者 ほ,この両者の有機的関連ほグーテンペルクのいう「費消画数」にかかわりがあるものと 考えている◇
ただ,これらグーテンペルクの論述からも,「理論の厳密性」と「理論の適廃性」考慮 とが十分に理解されることは留意せねばならない。
Bg)Gutenberg,軋,a a.Ol,SSい8−・10
(40)Mellerowicz,K・・,Eosten und Kostenrechnung,Bd・Ⅰ一3小Aufl・1957りSl・303
(41)MelleIOWicz,K州a.aい0.,S.306
は劫 Me)lerowicz,K。,Eine neue Richtungin der Betriebswirtschaftslehre?ZfB,
1952Sり159
416