ハイエク社会理論体系の研究
六
︵ ーハイエクのケインズ体系批判
古 賀 勝 次 郎
目 次
は じ め に
日 ハイエクのケインズ経済学批判
ω ケインズ経済理論批判
㈲ ケインズ経済政策批判
㈲ ケインズの完全雇用政策
㈲ ハイエクの失業理論
ω 完全雇用政策の誤謬
ハイエクのケインズ社会理論批判
方法論批判
㈹ 功利主義と社会的正義の問題
㈹ ケインズ体系における政治理論の欠如
㈹ レッセ・フェールの終焉と政府の役割
㈲ 現代民主主義とケインズ政策の帰結
む す び
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は じ め に
第二次世界大戦後の経済学界において︑主流派を形成して来たのは︑言う迄もなくケインズ経済学︵凶︒讐①ω一嘗
oooづoBげω︶であった︒しかし︑ 一九七〇年代に入って︑スタグフレーションなどの問題が発生し︑従来のケインズ
政策では対処できないことが明らかになり︑ケインズ経済学に対する知的信頼は︑急速に低下して来た︒
現在︑ケインズ経済学を批判しつつ︑これに代わるべきさまざまな経済学が現われて来ているが︑それらの中で︑
最も右力と思われるものは︑M・フリードマンを領袖とする﹁マネタリズム﹂ ︵∋Oづ①一酋八一ωゴP︶︑それに︑T・サージ ︵1︶エントなどからなる﹁合理的期待形成学派﹂ ︵ωoゴoo﹁oh茜江︒づ巴①×づΦ︒一9︒二〇口︶である︒何れも︑ケインズ経済学
に対する鋭い批判と︑独自の経済理論を持っており︑十分注目に値する︒だが︑彼らの批判は︑主としてケインズの
経済理論に向けられていて︑第二次大戦後のケインズ経済学の隆盛が︑その経済理論ぽかりでなく︑それを支えて
いる方法論︑社会思想などにもあったことを考えると︑ケインズ批判としては片手落ちであろう︒経済理論だけでな
く︑ケインズの方法論︑社会思想などを問題とし︑これらに根本的な批判を加え︑しかも︑ケインズ体系とも呼べる
ものに比肩し得る体系を作り上げているのは︑今のところ︑ハイエク以外には見られない︒
J・R・ピックスの言うように︑一九三〇年代の経済学の歴史は︑二人の経済学者によって演じられたが︑その一
人がケインズで︑いま一入がハイエクであった︒そして彼は︑ハイエクの新しい経済理論が︑ケインズの新しい経済 ︹2︶理論の﹁第一の好敵手﹂であった︑と言っている︒だがピックスは︑そのような情況は︑三〇年代を通じてだけで︑
ハイエク社会理論体系の研究(六)
︵3︶第こ次世界大戦後の四半世紀は﹁ケインズの時代﹂︵90Ω︒囎oh民︒旨①ω︶であって︑ハイエクが既にケインズの敵で
なかったことを言外に認めている︒確かに︑経済理論の領域のみを見れば︑戦後の二十五年間は︑ケインズだけが論
じられ︑ハイエクは忘れられていた︒しかし︑ケインズを批判するには︑ただ彼の経済理論を批判するだけでは十分
でなく︑方法論︑社会思想などにも及ばなくてはならない︑これが︑ハイエクが四〇年代以降︑ケインズの経済理論
への批判を止めた第一の理由であった︒事実︑四〇年代以降のハイエクは︑専ら政治哲学の確立をめざし︑方法論︑
心理学︑法・法律理論︑政治理論の分野に力を注いだのである︒
ケインズ経済学の本領は︑経済理論より寧ろ経済政策に認められなくてはならない︒従って︑ケインズの経済政策
に対する批判がなけれぽ︑ケインズ経済学批判にはなり得ない︒ハイエクは︑ケインズの経済政策批判を︑彼の政
治哲学の確立という仕事と平行して行なった︒というのは︑たとえ経済理論と経済政策の間に直接的な関係があって
も︑両者を媒介する政治哲学がなければ︑経済政策に対する十分な批判はできないからである︒そうした意味で︑ハ
イエクのケインズ経済政策批判は極めて徹底している︒以下に見ちれるごとくケインズの経済理論に対する批判は︑
ケインズ経済学批判の中で論じられるが︑今述べたところがら明らかなように︑それは︑ケインズの社会理論批判が
その前提となっている︒以下︑ハイエクのケインズ体系批判を辿りながら︑ハイエク体系のもつ今日的意義を︑合わ
せ探ってみよう︒
注
︵1︶ M・ブリ!ドマンの﹁マネタリズム﹂︑また﹁合理的期待形成派﹂に対するわたしの考えは︑﹁ブリ!ドマン夫妻﹃選択の
自由﹄﹂︵﹃世界経済﹄昭和五十五年六月号︶﹁アメリカに於ける新経済学者群の拾頭﹂︵﹃世界経済﹄昭和五十三年十一月号︶
などに簡単に述べている︒
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︵2︶田︒訂・旨肉9ミ§︑漆物亀§さミミ遣↓ミ︒§お⑦8㍗・︑8覧
︵3︶ 口圃6犀9︸・勾二↓鳶G蔵鴇防画遷さミ亀§肉8ミミ︑3δ謹甲唱■一.
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日 ハイエクのケインズ経済学批判
︵1︶ ケインズとハイエクがはじめて論戦を交えたのは︑ 一九三〇年代の初めに遡る︒ケインズは︑三十年の十二月に
﹃貨幣論﹄ ︵﹀↓ミミ軌鍵§さ嵩遷︶を公にし︑また︑ハイエクも︑三十一年九月に﹃価格と生産﹄ ︵︑篭ら塁§織
︑こ§ミ§︶を出していた︒両者の論争は︑これらの著作の内容をめぐって行われたのである︒論争は︑主に︑貨幣
理論︑利子理論を中心に行われた︒しかし︑三〇年代の初めと言えば︑丁度︑アメリカから始つた大恐慌が︑世界全
体に拡がりを見せていた時期である︒従って︑両者の理論は︑そうした背景を色濃く反映していて︑特にケインズの
場合︑二十九年以降の世界的不況を抜きにしては考えられない︒ケインズの﹃一般理論﹄ ︵↓ぎO§ミミ↓ぎ︒曙ミ
肉§黛亀ミ§き㌧ミ偽§篭§翫ミ§遷八一りωO●︶は︑まさに︑そのような世界的不況から脱け出すべく新しい理論と政策
を提起することをその目的としていたのである︒けれども︑ハイエクは︑このケインズの主著﹃一般理論﹄を︑その ︵2︶全体において検討し︑批判することはしなかった︒先に述べたように︑それは︑方法論︑社会思想などの問題を沁ん
でいたからである︒だが︑ハイエクの政治哲学が確立されている現在︑彼のケインズ経済学批判は︑非常に明瞭であ
る︒今それを簡単に述べよう︒
ω ケインズ経済理論批判
ハイエク社会理論体系の研究(六)
ケインズとハイエクの経済理論の新しさは︑K・ヴィクセルの中立均衡論の考え方を受け継ぎ︑さらにそれを発展 ︵3︶させたところにあった︒ヴィクセルの中立均衡論は︑物価水準の変動を︑自然利子率と貨幣利子率の乖離から説明す
るものである︒即ち︑自然利子率が貨幣利子率より大きければ︑貨幣量が増大し︑物価水準は騰貴する︒逆に︑自然
利子率が貨幣利子率より小さければ︑貨幣量は減少し︑物価水準は低落する︒しかも︑何れの場合も︑物価水準は︑
累積的に進行するというのである︒ケインズとハイエクは︑このようなヴィクセルの中立均衡論を発展させ︑自然利
子率と貨幣利子率の乖離から経済変動を明らかにせんとした︒それは︑従来の﹁貨幣ベール観﹂といったものを否定
し︑経済変動に及ぼす貨幣的要因の重要性を理論的に明らかにしたのであって︑ケインズとハイエクに帰せられる共
通の貢献である︒しかし︑両者がヴィクセル理論を発展させた方向と︑そこから導き出された結論には︑著しい相違
が見られた︒
ケインズは︑物価水準の変動を貯蓄と投資の関係から説明するのであるが︑その場合︑投資が貯蓄より大きけれ
ば︑物価水準は騰貴し︑反対に︑貯蓄が搾資よりも大きければ︑物価水準は低落する︒従って︑ケインズによれぽ︑
貯蓄と投資が一致する時︑物価水準は安定的に推移する︒そして︑この投資と貯蓄を左右する要因が︑自然利子率と
貨幣利子率との関係である︒即ち︑自然利子率が貨幣利子率より大きければ︑貨幣量が増大し︑投資は貯蓄を上回わ
る︒もし︑自然利子率と貨幣利子率とが一致すれぽ︑貯蓄と投資は一致し︑物価は安定を保つ︒ところでケインズに ︵4︶よれぽ︑自然利子率は︑短期的にみた場合︑非常な変動に晒されることを避け得ず︑特に︑投資は︑かなり大幅な変
動を示す︒であるから︑自然利子率と貨幣利子率とが一致する必然性はないとして︑ケインズは︑中央銀行が貸出し
を操作することによって︑これら二つの利子率を等しくするようにしなくてはならない︑というのである︒そうすれ
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ぽ︑貯蓄と投資とが一致して︑物価は安定する︒このようにケインズは考える︒
これに対するハイエクの批判の要点は︑ケインズが︑自然利子率と貨幣利子率の一致︑即ち︑貯蓄と投資の一致に
必然性がないという点に向けられる︒ハイエクは︑オーストリア学派の伝統に従って︑利子率の機能によって︑貯蓄 ︵5︶と投資の一致が保障されると主張する︒この場合︑ハイエクの自然利子率は長期的自然利子率が仮定されている︒そ
して︑ケインズの場合のそれは︑任意の時点で︑貯蓄と投資を一致させる利子率である︒従って︑事実︑ケインズ
は︑投資を取り挙げながら︑産出量一定の仮定の下に︑貨幣需要の分析のみを行なった︒ハイエクの批判の第一の点
が︑このような短期理論によって︑果して現実の物価水準の変動を説明し得るか︑といった点にあったことは疑いを
容れない︒ハイエクのは長期理論であって︑投資に伴って変化する生産力︑産出量などの動きを通じて変動する景気
過程を分析している︒
また︑ハイエクは︑貯蓄と投資との乖離の及ぼす影響が︑ケインズのいうように物価水準にあるのでなく︑生産構
造などの実物経済にある︑と主張する︒貨幣利子率が自然利子率以下に低下すれぽ︑貨幣量は増加し︑両者の利子率
が一致するなら︑貨幣量は一定に保たれる︒ハイエクによれば︑前者の場合︑貨幣量の増加に伴って︑生産構造が長
期化して必然的に恐慌を導く︒しかし︑後者の場合︑貨幣量が一定で︑自発的貯蓄によって生産構造が長期化するな ︵6︶らぼ︑恐慌を発生させることなく安定均衡が成立する︒つまり︑貨幣量が不変である限り︑生産構造に対する貨幣的
要因は︑何ら積極的作用を及ぼさない︒そして︑このような状態を貨幣は中立的といい︑貨幣量を一定に保つ政策を
中立的貨幣政策︵見時#巴巨80団O︒腎団︶と呼ぶ︒即ち︑ ハイエクは︑貨幣量を一定に保つことが︑恐慌を防ぐ︑
あるいは︑貨幣要因による撹乱作用を取り除く唯一の方法として︑中立貨幣政策を説くのである︒だが︑この場合︑
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ハイエク社会理論体系の研究(六)
次のことが注意されねばならない︒つまり︑物価水準が不変であるからといって︑恐慌が防げるということではない
し︑また︑産出量の増減に応じ貨幣量を調節して︑物価水準を安定させたとしても︑それは経済の安定には結びつか
ない︑ということである︒というのは︑貨幣量を増減することによって︑物価水準の安定を保ったとしても︑諸価格
問の相対的関係を撹乱し︑恐慌を発生せしめ得るからである︒要するに︑ハイエクにとって重要なのは︑諸価格間の
相対的関係であって︑彼のいう中立的貨幣政策とは︑そうした相対価格を不変に保つような政策である︒ここにおい
てハイエクの理論は︑物価水準のみを取りあげるケインズの理論と鋭く対立する︒
㈹ ケインズ経済政策批判
以上から明らかなように︑ケインズとハイエクの対立は︑主に利子︑貨幣理論をめぐるものであり︑短期利子率か
長期利子率か︑貨幣が実物経済に与える影響についての違い︑物価水準か相対価格か︑などの点にあった︒そしてそ
こでなされたハイエクの批判は︑ケインズが﹃一般理論﹄で示した経済政策にも当然︑妥当すべきものであった︒ケ
インズは雇用量を増大させるために︑貨幣利子率の引き下げ政策を提案する︒これに対し︑ハイエクは︑自然利子率
と貨幣利子率を一致させることが望ましいとして︑この提案に反対する︒ところがハイエクは︑それ以上にケインズ
の﹃一般理論﹄を批判することはしなかった︒何故なら︑既に述べたように︑ハイエクは︑問題の重要性が︑必ずし
も経済理論にのみあるのではなく︑方法論︑社会思想を含めたケインズの社会理論にあると考えたからである︒ハイ
エクが︑ケインズの経済政策を明瞭な形で批判でぎるようになったのは︑そうしたケインズの社会理論に対する批判
がなされた後であった︒即ち︑ =般理論﹄が刊行されて︑三十年以上も経った↓九七〇年代になってからである︒
の ケインズの完全雇用政策
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既に見たように︑貨幣︑利子理論におけるケインズとハイエクの最も重要な相違点は︑ケインズが貯蓄と投資の間
の必然的一致を否定したのに対して︑ハイエクはこれに肯定的に答えた︑ところにある︒それ故︑ケインズが﹃一般
理論﹄において︑貯蓄はすべて投資されるという所謂﹁セイの法則﹂ ︵QD節純ω冨≦︶を否定1彼のセイの法則理解が
妥当であったかどうかについては︑今日もなお議論がある一したのは当然であった︒それと同時に︑ケインズは︑そ
れまでの完全雇用の前提を放棄して︑不完全雇用を前提とした経済理論を構築していくのである︒勿論︑ケインズ理
論をこのような方向へ展開させたのは︑単に経済理論によるばかりでなく︑彼の社会思想によっても促された︒
ケインズは︑自由経済が不可避的に持っている欠陥として︑次の二点を指摘する︒即ち︑一つは︑完全雇用の実現 ︵7︶が困難︑いま一つは︑富および所得の分配が恣意的で不公平︑という二点である︒だからといって︑ケインズは︑社
会主義者のように︑私右財産制度や︑個人の利潤追求を否定するのではない︒否︑ケインズによれぽ︑これら二つ
は︑社会的にも︑また心理上から言っても︑有益であり︑人間の性癖にも適している︒問題は程度であって︑利潤の
大部分が資本家に帰属しているのは︑決して望ましいことではないと言うのである︒しかも︑そうした状態は︑失業
の増大1一九二五年以後︑特に︑大恐慌以降1によってますます悪化の方向を辿っている︒従って︑ケインズが︑何
より必要としたのは︑完全雇用の実現であり︑それを通して︑あるいは︑その実現の過程で︑富および所得分配の公平
を計ることであった︒そして︑それを可能にし得る唯一の機関が政府である︒以上が﹁ケインズ革命﹂︵國①旨Φωご昌
切①<巴三一〇旨︶と呼ばれるものの内容であって︑経済理論︑社会思想の両面において理解されるべきものである︒
さて︑ケインズの雇用理論はどのようなものであるか︒彼によれぽ︑雇用量を決定するのは︑有効需要であり︑そ
れは︑消費需要と投資需要の二つからなる︒ところで︑この二つの大きさを決める要因は︑それぞれ異なる︒消費需
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ハイエク社会理論体系の研究(六)
要は︑消費性向に依存し︑﹁般的に︑特に︑短期的に見れば安定している︒そのため︑消費の増加は︑所得の増加に
比例して増加せず︑消費の増加率は︑所得の増加するに従い︑逓減していく︒次に︑投資需要は︑利子率︵貨幣利子
率︑以下同じ︶と資本の限界効率に依存する︒この中︑利子率は︑それが低下するにつれて投資の安全性を縮少させ
る︒投資家は︑利子率がある一定以上の高さにないと︑投資を差し控えるからである︒ケインズにおいては︑利子率
の決定要因は︑貨幣量より︑流動性選好の方に重点が置かれている︒また︑資本の限界効率とは︑一定額の資本から
得られると予想される収益率のことであるが︑ケインズによれぽ︑それは︑資本主義の発展に伴い低下する傾向を有
している︒
以上から︑次のことが言える︒所得の増大は︑それに応じた消費需要を生み出さない︒また︑利子率が︑一定水準
以下に低下しないとすれぽ︑投資活動は抑制される︒更に︑資本の限界効率が低下傾向をもつとすれば︑企業家の心
理も当然冷えて来るであろう︒つまり︑投資需要の生まれる余地は︑極めて制限されて来ざるを得ない︒そして︑消
費需要と投資需要とが互いに補完関係にないとすれば︑雇用量を決定する有効需要は︑常に不足することになる︒即
ち︑発展した資本主義国においては︑失業︑つまりケインズのいう非自発的失業は︑不可避的な現象である︒そこでケ
インズは︑このような非自発的失業を発生させないために︑政府による介入を必要不可欠のものと考える︒政府は︑
恒常的に不足している有効需要を創出することによって︑完全雇用を達成しなければならない︑というのである︒そ ︵8︶れには︑公共事業を積極的に行なうこと︑また金利を低い水準に保つこと︑などによって達成されるであろう︒それ
は︑投資の社会化を促進することによって︑完全雇用と︑富および所得分配の公平を計ろうとするのである︒これが
ケインズの完全雇用政策の内容と目的の骨子であった︒
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㈲ ハイエクの失業理論
上述したような完全雇用政策の必要性を論じたケインズの﹃一般理論﹄は︑短期間に︑異常と思える程の影響を
与えた︒それは︑まさに︑時代の要求に応えるものであったからであって︑アメリカ︑イギリスをはじめ︑当時の先
進諸国は︑例外なく︑一九ご九年以来の慢性的不況の中で︑大量の失業に苦しんでいたのである︒ケインズの影響力
が︑このようにして強まっていく中で︑ハイェクの理論に多少の変化が見られるようになった︒ ﹃利潤︑利子および
投資﹄ ︵︑︑ミ噛黄酒ミミ霧蛛§儀ぎ唱8ぎ§卦ちω⑩・︶では︑ヶイソズの﹃一般理論﹄と同じように︑完全雇用の前提が
外されていて︑物的資源および労働の不完全雇用を前提に議論が進められている︒また︑利子率より利潤率︵内部収
益率︶に重点を置いたり︑貨幣賃金の硬直性︑あるいは労働移動の制約など︑かなり現実的な仮定が導入されてい
る︒しかし︑ ﹃資本の純粋理論﹄︵↓ぎ︑ミ鳶↓ミ︒遷ミO§隷鼻H㊤駆一・︶が中断されたことからも知られるように︑
それ以後は︑新しい理論と呼べるものは展開されなかった︒
こうして︑ ﹃一般理論﹄が刊行された後は︑経済学界におけるハイエクの影響力は︑次第に弱まっていった︒ハイ
エク理論は︑ケインズ理論の前に屈したかのようになったのである︒ケインズの経済政策が︑時代の要求に最もよく
応え得るものとして歓迎されたのに対し︑ハイエクのそれは︑依然︑アナクロニズムの域を脱していないと思われた
のであった︒だが︑これをもって︑ハイエクが︑時代の問題に対し冷淡であったり︑時代を見る目を欠いていたとす
るなら︑それは誤りであろう︒何故なら︑理論の上から︑一九二九年アメリカに始まった恐慌を予測していたのは︑ ︵8︶寧ろハイエクの方であったからである︒また︑四〇年代以降︑ケインズの﹃一般理論﹄に対し︑沈黙を守っている
時︑時折書かれた時事評論などからも︑ハイエクの時代を見る目がいかに鋭いものであるかを知ることができる︒そ
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ハイエク社会理論体系の研究(六)
して︑それは︑七〇年代に入ってますます冴えを見せて来た︒
ハイエクの失業理論は︑そうした中で組み立てられた︒六〇年代の後半までに一応確立されていた方法論と社会思
想が︑ハイエクの現実を見る﹇日を一層鋭くしたのである︒ハイエクの失業理論は︑三〇年代に果し得なかったケイン
ズの﹃一般理論﹄に対し︑四十年近く後になって︑彼なりに答えたものといってよい︒恐らく︑ハイエクの失業理論
は︑今日︑ケインズの雇用理論に対抗し得る︑最も有力な理論であろう︒
ハイエクによれぽ︑失業は︑ ﹁総需要の分布状態﹂ ︵臼Φ象ω三σ仁二〇口ohOΦヨ9︒づ匹︒︒旨︒コα自夢①巳謹Φお鼻oqooαω
雪Ωω①﹁≦oΦω︶と﹁労働と諸資源の配分状態﹂ ︵夢①p︒一一〇$二〇ロoh一pげ〇二同きα09臼おωo霞8ωp︒芭︒口αq夢① ︵9︶買︒α二〇二〇昌oh夢︒ω①〇三づ⊆冨︶との間に乖離が生じることによって発生する︒一般に﹁総需要﹂といわれているも
のは︑実際には︑つまり特定の時点においては︑さまざまな財やサービスに対して︑特定の仕方で分布している︒ま
た︑労働や他の諸資源も︑そうした財やサービスを生産している経済主体の問に︑特定の仕方で配分されている︒即
ち︑失業は︑そうした特定の仕方で存在する総需要の分配状態と︑これも特定の仕方で存在する労働︑その他の諸資
源の配分状態との間の乖離によって起こる︑というのである︒そして︑ハイェクによれぽ︑これら二つの状態の間の
乖離をもたらすのは︑賃金を含む諸価格の構造︑別言すれぽ︑諸価格間の相対的関係の歪みによってである︒この諸
価格の相対的関係の歪みが︑各経済部門において︑それぞれ需要と供給の不一致をもたらす︒それらの相乗的な効果
が労働市場において現われ︑労働市場の硬直化が進行した時︑失業が発生する︒ハイエクの失業理論を要約すれば︑
このようになろう︒
失業が以上のようなプロセスを経て発生するのであれぽ︑失業を減少︑あるいはなくすにはどうすれぽよいであろ
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うか︒ハイエクは︑結局︑それは︑経済の各部門において︑労働の需要と供給の一致を回復する以外にはないと言う︒
そのためには︑各経済部門におけるそれぞれの賃金や価格を変更し︑労働をある部門から他の部門へ移動させること
が必要となろう︒だが︑それらを︑数量的︑統計的に︑明らかにすることは殆ど不可能に近い︒従って︑われわれに
できることは︑各経済部門における労働の需給が一致するような一般的条件を整えることに限られる︒つまり︑価格
メカニズムの機能を円滑にし︑労働市場の硬直化を取り除くことである︒ハイエクが価格メカニズムに対し︑独特の ︵10︶考え一即ち︑情報の収集︑伝達1をもっていることについては︑既に別のところで述べたが︑要するにハイエクの失
業理論は︑彼の価格メカニズムの考えを労働市場に適用したものと言えるだろう︒そしてそれは︑ハイエクが﹃価格
と生産﹄以来︑価格︑しかも相対価格を問題とし︑それが経済の実体に及ぼす影響を︑常に経済理論の中心的テーマ
として取り挙げて来たからこそ︑上述したような失業理論を展開することができたのである︒
次に︑ケインズ経済政策の中心を占める完全雇用政策に対するハイエクの批判を見ることにしよう︒
㈲ 完全雇用政策の誤謬
ハイエクの完全雇用政策に対する批判の要点は︑次のように言えるであろう︒総需要の拡大による完全雇用政策
は︑実際には貨幣量の増加によって行なわれる︒しかし︑その貨幣量の増加は︑各経済部門における需要の間の相対
的関係を歪める︒そしてそれは︑労働をはじめ︑他の諸資源の配分を誤った状態に導く︒従って︑完全雇用政策は︑
一時的には雇用量を増やしても︑長期的には︑逆に︑失業を増大させる︑というのである︒ ︵U︶ ハイエクは︑ケインズをJ・ローの再来であると言っている︒つまり︑ケインズをローと同じく︑インフレ主義者
と見倣すのである︒勿論︑ケインズは︑手放しのインフレ主義者ではない︒彼は︑貨幣量の増大は︑完全雇用に達
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ハイエク社会理論体系の研究(六)
しない前では︑インフレとはならず︑完全雇用に達した後︑それは真性のインフレをもたらす︑と考える︒しかし︑
ハイエクによれば︑そこで問題とされているのは︑貨幣量の変化と雇用量の水準だけであって︑重要なのは︑貨幣量
の変化が︑経済各部門における需要の相対的関係に与える影響についてであり︑後者に関する分析はケインズにはな
い︒寧ろ︑ロi以後の経済学者達が強調したのは︑後者の問題だったのであり︑D.ヒュームやR.カンティロンな
どの経済理論は︑そのことを示している︒ハイエクがケインズをローの再来と考えるのはそうした理由からである︒
ローは︑貨幣量の増加が雇用量の増加を導くとした︒ケインズの雇用理論は︑上に述べたように︑これをやや複雑に
しただけである︒カンティロンやハイエクなどの貨幣分析からすれぽ︑ローとケインズの問には︑.根本的に違うとこ
ろはない︒
けれども︑ケインズの完全雇用政策が︑初めから有効でないかというと︑そうではない︒否︑最初の間︑かなりの
程度有効に作用するからこそ︑多くの人々は︑完全雇用政策をつい信じるようになったのである︒確かに︑ローやケ
インズが説くように︑短期間ではあっても︑貨幣量の追加は︑雇用量の増大をもたらす︒しかし︑そのようにして創
出された雇用量の追加分が︑必ず経済の実体に正確に反応したものとは言えない︒というのは︑われわれは︑特定の
時点において︑どの経済部門に︑どれ程の需要が不足しているかについて︑正確な統計値を手にすることができない
からである︒そのため︑完全雇用政策によって増大する職種は︑貨幣量の追加︑つまりインフレによって利得をあげ
る職種が多くなることを避け得ない︒勿論︑そこには︑後述するように︑政治的︑ハイァスも与っているのであるが︑
ケインズは︑そういった点も見落していたのである︒
だがともかく︑ケインズ的完全雇用政策は︑一時的には雇用量を増大させる︒しかし︑それを持続させるには︑更
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に︑以前よりも多くの貨幣量の追加が必要である︒もし︑通貨量の追加が止まったり︑貨幣量の増加率が低下したり
すれば︑雇用量の増加は望めない︒何故なら︑既に述べたように︑通貨量の増大が︑何らかの恣意性を避け得ないの
で︑経済の各部門における需要の相対的関係を害わせ︑労働その他諸資源の配分状態を歪めてくるからである︒しか
も︑それら諸資源の配分状態の歪みが大きくなれぽ︑それだけ︑貨幣量の増加率を高めなくてはならない︒ところ
が︑貨幣量の増加率を高めれば︑今度は︑諸資源の配分状態を一層悪化させる︒こうして︑一方で︑貨幣量の追加が
野放しになり︑他方で︑諸資源の配分状態の歪みが更に大きくなる︒つまり︑インフレと失業が同時に存在する所謂
スタグフレーションが発生する︒ハイエクは︑ケインズの完全雇用政策が不可避的にスタグフレーションを導くこと ︵12︶をこのように説明するのである︒
勿論︑ハイエクは︑現在先進諸国が陥っているスタグフレーションが︑すべてケインズの経済理論︑経済政策から
出ていると言っているのではない︒例えば︑イギリスでは︑ケインズというより︑ケインジアン︑特にカルドアなど ︵13︶によって︑イギリスの経済政策は指導されて来たと考える︒けれども︑ハイエクは︑今日一部経済学界に見られるケ
インズとケインジアンを殊更区別しようとする傾向にも反対する︒何故というに︑ハイエクが批判するのは︑ケイン
ズの経済理論︑経済政策ばかりではなく︑その根本にある方法論︑社会思想などの誤りをも批判するのであって︑後
者の文脈では︑ケインズ自身とケイソジアン達との間には︑少しの相違も認められないからである︒実際︑上に述べ
て来たケインズの経済理論︑経済政策に対するハイエクの批判は︑方法論︑社会思想を含む社会理論批判を侯って︑
はじめて十分な理解が可能なのである︒そこで︑次に︑ケインズの方法論︑社会思想など社会理論一般に対するハイ
エクの批判を見てみよう︒
58
ハイエク社会理論体系の研究(六)
注︵1︶ ハイエクーーケインズ論争は肉ら§︒ミ§誌上において行なわれた︒それぞれの論文は次の通りである︒ =翅︒貫蜀●﹀二
︑葡㊦h﹂①o甑︒昌︒り︒嵩島①勺q戦①↓び①o︑団︒州竃︒ロΦ楓︒脇︼≦特旨﹈≦.閑Φ団口︒ω℃博−﹀仁ひq.一り竃;国①図雲霧旨﹈≦鴨矯=目ゴ①℃二お
↓70自鴇oh﹈≦o昌㊦団一﹀カ①Oξ8∪づ出9︒鴫︒ぎ.Zo<.日Oω一.糟国9団︒ぎ甥諺⊂男①頃①〇一一〇昌ωo昌爵︒℃二お弓﹃Φo﹁団︒︷
竃Oコ①団oh竃弊い︼≦.閑O鴇昌Φω︵Oo馨ぎ仁Φ価︶−矯.岡①げ.HOω卜⊃
︵2︶ ハイエクがケインズとの論争を途中で止めたのは︑ケインズが﹃貨幣論﹄の考えを既に放棄したと︑ハイエク自身に語っ
たからだ︑言われている︒両岸遂ミ§げbミきミこミ肉らもミミら3翔り冨■国曙①r男﹀噺︵P一画︶の項参照︒
︵3︶ J・R・ピックスによれば︑ケインズとハイエクの唯一の共通点は︑ヴィクセルの知的系譜に属していることだけとして
いる︒田畠の噛︸.図;6︑ミらミ驕恥霜月§ミ§ミ疑遷﹃ミミ8一〇⑰S.卜︒O心・以下の論述で次のものを参考にした︒一谷藤一
郎﹁自由経済論に於けるケインズとハイエク﹂ ︵﹃経済学雑誌﹄第二十一巻︑ 一.二・三号︑昭和二四年︶︑千種義人﹁ハ
イエクとケインズ﹂ ︵﹃世界経済﹄昭和四十年九月号︶︑ 浅野栄一﹁中立貨幣論争﹂ ︵﹃経済学史講座﹄3︑昭和四十年︶︑
OΦ二障℃.O.∪ユωoo戸一菊.︾肉8嵩︒ミ︑らの亀︒う︾O§︑ミ蕊ミ馬︒嵩︑︑9︑偽ミー﹃ミGoミこ守ミご蕊層\︑●工■ミ絶学目㊤刈刈.ゆ霞ざ
Z■勺.●§幕.恥9ミミ亀篭職陣§oミ詩き馬ご切愚電嚇一ミP↓ぎGミ識a旦鐙月露皆蕊肉ら§o§詩3①巳冨αび冒国①母回国β︒N犀戸
お刈刈・︵・︶⁝ズの自然利子謹︑彼の第二茱方程式−㍗♂ω︑の第二票・の場合の利子妻言・ってい・︒上掲浅野論
文参照︒
︵5︶bd母曼−Z︒勺.さ達穿象職亀︑亀ミ卑§§詩もミ身魯電唱竈鐸暑﹂①︒︒ら馬
︵6︶拙稿﹁ハイエク社会理論体系の研究国ーハイエクの経済理論﹂︵﹃早稲田社会科学研究﹄第二十一号︑昭和五十五年︶参
照︒︵7︶国Φ巻①ωし.寓二↓ミ︒§ミミ↓ミミ隔ミ肉§︑︒ミ§きミミ遷§職ミ§§H㊤ω9戸ω認願
︵8︶ ︼≦動〇三躍掌男二..出帥団︒罫.切Oo巳鴨二二=o昌ざ国oo昌︒ヨ8ω㌦.ぎ肉雪白︒︒§§簿℃日舞9.HS
︵9︶=醸oF男﹀;冬ミ勲ミ︑8ミ℃ミ霧魯ミ層℃︒︑ミ勲肉8謹ミa§駄導恥ミ巴ミ勘旦ミミFお刈︒︒唖戸悼9 訳は西山千
明氏によった︒西山千明編ハイエク﹃新自由主義とは何か﹄ ︵昭和五十一年︶二二九頁︒
59
︵10︶拙稿﹁ハイエク社会理論体系の研究国ーハイエクの経済理論﹂ 照︒
︵11︶ 国9団①ぎ周●︾きミ句ミミ蛋一箋︒︒鴇OO.卜⊃卜︒り一し︒一・参照︒
︵12︶ 一σ乙二弓.一㊤ω・
︵13︶ 一σ置己ウb⊃ωρ
60(『∴贒c社会科学研究﹄第二十一号︑昭和五十五年︶参
ロ ハイエクのケインズ社会理論批判
ハイェクのケインズ経済理論批判は︑第二次大戦後においても︑既に上に■述べた一九三〇年代に行なわれた論争以
上には出なかった︒これに対し︑経済政策に対する批判は︑部分的には︑戦後も一貫して続けられて来たが︑その全
面的批判は︑ケインズの方法論︑社会思想などに対する批判が一応確立された後であった︒それ故︑ハイェクのケイ
ンズ経済政策批判は︑その方法論︑社会思想などの批判がそれに先立って理解されねぽならないのである︒しかもそ
れは︑大戦後︑あまり発展は見られなかったが︑ハイエクのケインズ経済理論批判を理解する上でも︑非常に示唆を
与えるに違いない︒ ︵1︶ ハイエクのケインズ社会理論批判を一言で言えば︑ ﹁設計主義﹂ ︵OO昌ω一﹁二〇一一く凶ωヨ︶ということができる︒以下︑
それがどういうものか︑詳しく述べてみよう︒
ω 方法論批判
ハイエクのケインズ経済学批判は︑その根本にケインズの方法論に対する批判がある︒それは︑大体︑一︑計量的
ハイエク社会理論体系の研究(六)
方法︑二︑マクロ理論︑三︑短期分析︑の三つに分けられるかと思う︒いまケインズの雇用理論を取り挙げ︑そこに
見られる方法論に対するハイエクの批判を述べてみよう︒
ケインズの雇用理論は︑総需要量が総雇用量に等しいと説いている︒しかし︑ここにいう総需要とか︑総雇用とか
いう概念は︑どういうものであろうか︒また︑簡単に総需要量と総雇用量が等しいと言えるであろうか︒実に︑ケイ
ンズ経済学における方法論の問題はここにあると言える︒既に述べたように︑経済学で重要な総需要量とは︑ある一
定時点において︑さまざまな財やサービスに対して︑具体的にどのように需要が存在しているかという内容において
である︒だが︑ケインズの総需要量は︑そのように極めて複雑に分布して存在している諸需要を一括して集計され
た量を表わしている︒つまり︑ケインズの総需要量という概念は︑計量可能な集計値を表わしているのである︒そし
て︑ケインズの他の︑例えば︑総産出量︑総供給量といった概念も︑総需要量と同じく︑計量可能な集計量を表わし
ている︒しかし︑経済学に有用な概念としての総需要量は︑必ずしも︑計量でき︑統計的数値で示し得るものではな
い︒ハイエクは︑ケインズがこのように計量可能なものを信ずることに科学主義的偏見︵ωo冨づ募ぎ蔑Φ冒巳8︶を
見るのであ搬.確かに経済現象には・その他の社会現象に比べ・多くの計量可能な領繁存在する・とも疑いのない
ところである︒けれども︑社会科学の一分野である経済学にとって重要なのが︑それ以上に︑ ﹁主観的﹂側面にある
こともまた疑いない︒経済学において必要なのは︑集計値としての総需要量などではなく︑いろいろな財やサービス
に対して存在する諸需要間の相対的関係である︒しかし︑それは︑計量可能な︑統計数値で示し得るようなものでは
ない︒ このようなケインズの計量的方法は︑また彼のマクロ理論と密接な関連をもっている︒ケインズの雇用理論によれ
61
ぽ︑総雇用量は総需要量に等しい︒即ち︑ケインズは︑総雇用量と総需要量との問に︑簡単な直接的関係を認めるの
である︒総雇用量︑総需要量とかいう集計概念が既に怪しい︒その上に更に︑ケインズは︑それらの概念の間に︑簡
単な直接的関係の存在を明示するのである︒確かに︑自然科学が対象とする比較的単純な現象の間には︑簡単な関数
によって表わせる関係が存在する︒だが︑本質的に複雑な現象である社会現象︑その中の↓つである経済現象の間に
は︑そのように簡単な関数で表わせるような関係は存在しない︒やはり︑それは︑ケインズの科学主義的偏見であっ
て︑また︑ケインズ経済学が多くの学者によって受け入れられたのも︑そのためである︒第二次大戦後︑急速に開発
された計量経済学が︑ケインズのマクロ経済理論に基づいて発展せられたのも︑ケインズ自身の意図ではなかったと
しても︑また当然のことであった︒上に述べたように︑ケインズのマクロ理論は︑計量経済学の発達を促すような諸
概念︑方法論の上に組み立てられていたのである︒
こうしたケインズの科学主義的偏見は︑また︑彼の経済分析を短期分析に終わらせていることとも関係している︒
というのは︑集計的概念︑それに基づくマクロ理論が可能なのは︑対象とする諸現象が不変であることが前提とされ
ていなくてはならないからである︒ところが︑経済現象は常に変化して止まないものであって︑集計量を構成してい
る要素が不変であることはあり得ない︒従って︑現実の経済は︑短期分析によっては︑殆ど何も把握し得ないのであ
る︒であるから︑ハイエクは︑そのように短期分析に基づいて組み立てられたケインズの﹃一般理論﹄は︑長期的︑
一般的に妥当する理論ではなく︑極めて時事的な色彩を帯びた理論に過ぎないと批判している︒しかも更に重大なの
は︑そうした短期分析によって得られた理論が︑一国の経済政策として適用された場合である︒ ﹁結局︑われわれは
皆死んでしまうから﹂という言葉は︑ケインズの名言としてよく知られている︒だが︑一国の経済政策が︑短期的な
62
ハイエク社会理論体系の研究(六)
結果のみを追求するようになったらどうなるであろうか︒後述するごとく︑それは︑悲惨な結果を導かないではおか ︵3︶ない︒それは︑無責任な態度であり︑少なくとも経済学者のとるべき態度ではない︒
以上から明らかになるように︑ハイエクのケインズ経済学の方法論に対する批判の要点は︑ケインズの科学主義的
偏見にある︒即ち︑計量可能なものを重視し︑それを集計量によって表わし︑更に︑いくつかの集計量の間を簡単な
関数によって説明しようとする態度に向けられている︒そして人々は︑それらを科学的知識として︑例えば︑計量経
済学者のように︑それらを使って︑将来を予測しようとする︒だが︑それは︑本当の意味で︑科学的知識と呼び得る
であろうか︒ ハイエクは︑そのような知識を科学的知識と称している態度を﹁知識の傲り﹂ ︵9︒畦︒αq⇔二〇昌oh写㌣
幕qαqΦ︶と言ってい麓蓋し・本質的に複雑な現象を扱う社会科学においては・厳密旨然科学−比較的単純な現象
を対象とする一におけるような科学的知識は存在し得ないからである︒一見科学的と思える経済理論が︑実際には︑ ︵5︶非科学的な結果を導くのは︑実は︑ここにその根本の理由が存するのである︒ケインズ経済学が︑スタグフレーショ
ンを予測できなかったのは︑正にそうした理由による︒
では何故︑ケインズは︑こうした科学主義的偏見に陥っていたのであろうか︒この問題に答えるには︑ケインズの
社会思想を取り挙げなくてはならない︒
㈹ 功利主義と社会的正義の問題
計量可能なものを重視することが科学主義的偏見であれぽ︑当然︑それによって批判されているのは︑それが計量
不可能なものを軽視していることに対してである︒社会現象の中で︑計量不可能なものとは︑伝統︑道徳︑習慣など
およそ人間の生活を内的︑外的に拘束している規範的なものであろう︒ケインズは︑ ﹃若き日の信条﹄ ︵さ肉ミな
63
buへρHΦω︒︒︶の中で次のように述べている︒ ﹁われわれは︑慣習的な道徳︑因襲︑伝統的な知恵を全く拒否した︒
⁝⁝入間社会を︑因襲や伝統的な基準といった外面的制約や行動に関する硬直的な規則から解き放しても差し支えな ︵6︶く︑今後は︑人々の適切な計画︑純粋な動機︑善に対する信頼できる直観などに委ねてよいと考えていた︒﹂この引
用文から明らかなように︑ケインズは︑はっきり︑伝統︑道徳︑習慣などを否定している︒だが︑そう言っただけで
は︑ ﹁今後は﹂以降の部分が理解できない.︑この部分にぱ︑社会的正義とも言っイ︑よいケインズの主張が看取される
からである︒問題の複雑さは︑このように︑一方で︑伝統︑道徳︑習慣などを否定して︑他方において︑社会的正義
なるものを主張するところにある︒
ケインズが社会問題として︑社会的正義︵ωoo芭冒ω鉱8︶の問題を取り挙げたことば︑彼のいろいろの論説によっ
て明らかである︒その内容は︑要するに︑現実の資本主義社会に存する不公正一−富および所得の一を是正する必要が
あるというものである︒だが︑ここで︑次のことが考えられなければならない︒一般に近代以前の社会においては︑
社会的正義の主張一厳密な意味では︑社会的正義なる用語は︑近代以前の社会には適用できないと思われるが一は︑
伝統︑道徳︑習慣など何らかの規範を認めた上で︑それらを前提としてなされた︒ところが︑ケインズは︑伝統︑道
徳︑習慣などを否定する一方面︑社会的正義を主張している︒そうした意味で︑ケインズの社会思想は︑それが最も
顕著な形で現われている社会主義に類似しているといえる︒社会主義ほど︑一方で︑伝統︑道徳︑習慣などを否定し
ながら︑他方で︑強く︑社会的正義を主張するものはない︒しかし︑ケインズが社会主義の影響を受けたことはない
し︑マルクス主義に至っては︑問題にすらしなかった︒であれば︑ケインズの社会思想は︑如何なる系譜より出でた
ものであったか︒思うに︑ケインズの社会思想は︑根本において︑功利主義︵一﹂辞一一一8餌﹁一9Ωコ一ω旨P︶に由来している︒勿
64
ハイエク社会理論体系の研究(六)
論︑後述するように︑ケインズ自身は︑この考えに反論するであろうが︒
ケインズは︑その精神形成期において︑G・E・ムーアから強い影響を受けた︒ムーアは︑今日︑分析哲学の先駆
者として知られているが︑その基本的な考えにおいて︑功利主義の立場に立っていた︒ムーアの功利主義は︑勿論︑ ︵8︶快楽を唯一の善と見倣すような︑快楽主義的なものではなかった︒しかし︑ハイエクの区別で言えば︑ムーアの功利
主義は︑規則功利主義︵﹁雪見①1二一一一一一餌村一①一θ一ω首︶というより行為功利主義︵螢9−=已阿鼻﹃冨三ωヨ︶の立場である︒規則功
利主義は︑各人の従うべき規則を問題とするのであるから︑ハイエクのいう二般的規則﹂︵αq①づ興巴︒﹃二三く禽ω舘
同三①ω︶と重なり合うところがある︒だが︑両者には︑重要な点で相違があって︑規則功利主義における規則は︑既
に知られている特定の目的に対する有用性の観点から評価される︒これに対し︑ハイェクが問題とする規則は︑より
広く︑予測できないさまざまな目的に対する有用性という観点から取り挙げられている︒ムーアが︑規則功利主義の
問題とした規則をも認めなかった点において︑彼の功利主義は︑規則功利主義ではない︒そして︑この点では︑ケイ
ンズも同様であった︒規則功利主義が︑少なくとも上に述べたような意味で︑規則の必要性を認めるのに対し︑行為
功利主義は︑原則的に規則の必要性を認めない︒行為功利主義は︑個々の行為の正しさを︑それが導いた結果から判
断しようとする立場である︒ムーアは︑この立場に立っていた︒
しかし︑ムーアの行為功利主義は︑ベンサムのそれと違って︑目的としての善を快楽からでなく︑より内面的価値
からも規定しようとした︒そうした意味で︑ムーアの功利主義は理想主義的功利主義と呼ばれる︒ケインズが受け容
れたのは︑こうしたムーアの理想主義的な功利主義であった︒だがケインズは︑ムーアが行為と結果の間に功利計算
の可能性を認めたことには反発した︒そこからケインズは︑後年自ら告白しているように︑功利主義そのものに対し
65
ても疑問をもつようになった︒功利主義の基本的な考えは︑行為と結果の問に功利的計算の可能性を認めることにあ
るからである︒しかし︑果してケインズは功利主義から脱け出していたのであろうか︒ハイエクがこの問題について
どのように考えているか明瞭ではないが︑彼の功利主義批判の内容から言って︑ケインズは功利主義から脱け出して
いなかったと考えてよいだろう︒
ハイエクによれぽ︑功利主義は︑つまるところ還元主義にならざるを得ない︒確かにケインズは︑行為と結果の間
に功利計算の可能性を認めたムーアの考えを拒絶した︒だが︑行為と結果の問に一義的な因果関係の存在すること ︵9︶は︑これを認めたのである︒それぽかりかケインズは︑各人の行為をそのメリットによって判断しようとした︒も
し︑これを︑先に引用した﹁今後は﹂以下の文章と合わせ考えるなら︑どうなるであろうか︒それは︑ある優れた人
のもつ社会的正義の主張にすべての人々の行為が従うべきである︑という考えになってしまうのではないだろうか︒
そこには︑個々の行為の結果をすべて知り得るという﹁全知﹂の仮定がなされている︒それは︑矢張り︑功利主義の
当然の帰結であって︑還元主義以外のものではない︒しかも︑ ハイェクに従えば︑それは神人同形同性論︵9艮ぼ㌣
弓︒ヨ06ぼωヨ︶である︒ ハイエクは︑この神人同形同性論的性格をもつ功利主義の還元主義を﹁設計主義﹂と呼ぶの
︵10︶である︒科学主義的偏見を抱く人が︑社会的正義を主張する時︑それは必然的に設計主義に行き着かざるを得ない︒
ケインズもまた︑それから逃れることはできなかったのである︒
では︑そうしたケインズの設計主義が︑現実の政治の世界に︑一国の経済政策として適用された場合どうなるか︒
現在︑ケインズの経済政策との関連で︑専ら議論に上っているのは︑実はこの方面である︒
㈹ ケインズ体系における政治理論の欠如
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ハイエク社会理論体系の研究(六)
もし﹁ケインズ革命﹂の本質的部分が﹁経済の政治化﹂にあるとすれば︑ケインズ体系に政治理論が欠如している
というのは︑些か奇異な感じを与える︒だが︑実際には︑そこにケインズ経済学の重大な問題が横たわっているとい
わなくてはならない︒何故なら︑ハイエクが鋭く指摘しているごとく︑ケインズの経済理論は︑ ﹁一般理論﹂ではな
く︑単に時代の要求︑あるいは一時的な政治的要請に応えるべくして組み立てられものであるからである︒ケインズ
経済学における経済の政治化とは︑つまりは︑そうした一時の政治的要請に応えるという意味以上のものではない︒
しかし︑たとえ一時的なものであっても︑それが持続的︑長期的に行われることになれぽ︑問題は自ら違って来るの
であって︑事実︑第二次大戦後先進諸国で見られたのは︑そうした情況であった︒それ故︑ケインズ体系に︑政治理
論が欠落していたのは︑致命的だったのである︒
現在︑ ﹁赤字財政﹂の問題を取り挙げながら︑特に︑ケインズのそういった面に︑批判を向けているのが︑J.M ︵H︶・ブキャナンや︑J・パートンなどである︒しかも︑彼らの議論には︑ハイエクの考えと一致するところが多く見ら
れる︒ ㈲ レッセ・フェールの終焉と政府の役割
ケインズ経済学は︑ハイエクのいうように︑一時的な政治的要請に応えるべくして組み立てられたものである︒だ
が︑第二次大戦後の情況が示したごとく︑彼の理論の核心である経済の政治化というものが︑多くの人々に︑歴史的
に必然的な要求として受け容れられたのには︑それだけの理由があった︒それは︑ケインズに︑一見もっともらしく
思わせるような﹁レッセ・フェールの終焉﹂︵一げΦ ΦコO Oh 一P一QOω①Nl︷P団﹃Φ︶という一種の歴史哲学ともいえるものが持
ち合わされていたからである︒そこに説かれているケインズの歴史哲学は︑次のようなものであった︒A.ス︑︑︑ス︑
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ベンサム以来のレッセ・フェールの学説は︑形而上学的な予定調和論であって︑社会に存在する諸利害は︑必ず一致
すると言っている︒しかし︑現実には︑私的利益と社会的利益とは常に一致するものではなく︑両者は互いに衝突し
合っている︒従って︑国家︵政府︶が表に出て︑それらの利害の対立を緩和するために︑何らかの政策を講じなくて
はならない︑というのである︒
では︑ケインズは︑国家あるいは政府は︑具体的に何をなすべきであるというのであろうか︒その場合︑勿論︑ケ
インズは︑何の基準も定めず︑政府のなすべきことを挙げるのではない︒ここで︑ケインズは︑恐らくJ・S・ミル
以降久しく忘れられていた︑ベソサムの使った︽︾ひqΦコ像鋤﹀と︽Zo〒﹀σq①昌9>という区分を再び持ち出な︶ケイン
ズの場合には︑勿論︑ベンサムが政府の経済への介入を︑一般に不要且つ有害であるとした想定は捨てられている︒
さて︑ケインズは︑政府のなすべき八﹀σqΦづα帥﹀の基準を次のように考える︒即ち︑政府がなさない限り︑個々人に
任かせておいては達成できない諸活動である︒それは︑かかって技術的観点からなされていて︑個人的サービスと区
別される社会的サービスに関わる活動に限定される︒そして︑ケインズは︑政府のなすべき具体的な活動として︑公
共事業︑完全雇用政策︑投資の社会化︑人口政策など挙げている︒
ところで︑個々の具体的政策を考慮に入れないならぽ︑ケインズが政府のなすべきことの基準とした考えは︑スミ
スのそれと基本的に異なるところはない︒スミスもまた︑個々人によっては達成し得ない活動は︑これを政府がなさ
なくてはならないと考えた︒しかし︑スミスは︑明らかに社会に存する諸利害の自然的〜致を確信していた︒であれ
ぽ︑スミスとケインズの問には︑矢張り︑原則的な点で大きな相違があったと認めなくてはならない︒それは何かと
いうと︑上に述べた政府のなすべきことの基準とした考えは︑スミスもケインズも同じであったが︑ス︑・・スの場合に
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ハイエク社会理論体系の研究(六)
は︑その前提として﹁法の支配﹂ ︵﹁=一Φ Oh 一直♂<︶の原則が存在していたのに対し︑ケインズの場合には︑それが存
在していなかったということである︒つまり︑スミスは︑法の支配が確立されている限り︑社会に存する諸利害は自
然的に一致すると考えたのである︒これに対し︑ケインズは︑.既に述べたように一般的規則そのものを否認したた
め︑法の支配といった原則までは考えが及ばなかった︒ハイエクによれば︑法の支配という場合の法とは︑正に一般
的規則のことだからである︒
政治の問題は︑一般的規則としての法と︑政府のなすべき政策との関連が明らかにされねぽならない場合起こる︑
と考えられる︒もし︑政府のなすべき政策が︑一般的規則としての法と何ら関わりを持たずに考えられるならぽ︑そ
れは政治の問題ではなく︑行政の問題となってしまう︒ケインズ体系に政治理論が欠如している根本の理由は︑実
は︑ここにあると思われる︒従って︑ケインズの︽﹀σq①コ畠︾と八ZO〒︾σq①巳9︒︾の区分は︑純粋に技術的な行政の
問題になってしまうのである︒ここに︑国家は︑今日見られるように︑行政国家に至らざるを得ないのであるが︑そ
のプロセスについては以下に述べる︒政府のなすべきこととなすべからざることが︑一般的規則としての法と関わり
をもたず︑単に行政の問題としてのみ扱われた場合どうなるか︒ベンサムはレッセ・フェールを主張した︒ケインズ
はレッセ・フェールの終焉を説いたが︑彼の諸政策が導いたのは行政国家であった︒ベンサムとケインズが同じ﹁設
計主義﹂の系譜にあるとしたのはハイエクである︒
次に問題になるのは︑一体︑行政の指導に当たるのは︑いかなる人︑いかなる集団であるかということである︒ケイ
ンズにあって︑それに当たる人は︑知的に優れた人︑知的能力に終いでた集団︵具体的には︑官僚︑経済学者など︶
である・ケインズの伝記を書いたR二︒・ドが呼んだ﹁→ベイ通りの前轟︵嘆①ω后℃︒ω三8︒h田H<①︽閑︒巴︶
69
︵14︶がそれであって︑ブキャナンなどは特にこの点を強調している︒勿論︑それは︑ハイエクのいう設計主義から出て来
る当然の帰結でもある︒だが︑そういった人々は︑先に述べたように︑科学主義的偏見から免れていないので︑果し
て︑現実に適切な政策を行ない得るか︑甚だ疑問としなくてはならない︒
㈲ 現代民主主義とケインズ政策の帰結
ケインズの経済学︑あるいは社会思想が︑第二次大戦後︑急速に多くの知識人達の間に受け容れられていったの
は︑既に述べたところがら明らかだと思うが︑彼の拠って立つ設計主義にあった︒彼の経済学あるいは社会思想は︑
一見︑科学的な説得力を有しているかのようであって︑現代の知識人の科学信仰と合致していたからである︒そのよ
うな科学主義的偏見は︑ケインズが属していたブルームズベリー・グループにのみ特徴的なものであったのではな
く︑当時の多くの知識人の問に広く浸透していた傾向であった︒しかし︑ケインズ主義がいかに知識人の間に多くの
支持を得たとしても︑それだけでは︑現実にあれ程の影響力をもつには至らなかったであろう︒ケインズ主義は︑ひ
とり知識入ぽかりでなく︑政治家︑労働者︑企業家などにとっても大いに魅力があったのである︒
エコノミストとして出発した頃のケインズは︑まだかなり古典派的な考えをもっていた︒貨幣価値の下落は︑社会
的に大きな混乱をもたらすものであるから︑実質賃金の切り下げも︑あるいは必要であると主張していたのである︒
ところが︑一九二九年の大恐慌後世界を襲った大量失業という情況を前にして︑ケインズは︑政治的判断から︑実質
賃金の切り下げが不可能であることを認めざるを得なかった︒ケインズのそうした考えは︑最初は︑政治的判断から
であったが︑後には︑経済理論の上からも︑実質賃金の切り下げは有害であるという結論が導かれた︒即ち︑ケイン
ズは︑失業の原因を︑完全雇用の下で支払われるべき賃金総額に比して総需要量が不十分であるからだ︑としたので
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ハイエク社会理論体系の研究(六)
ある︒このケインズの雇用理論は︑総雇用量は総需要量の直接的な関数である︑といったものであったから︑上に述
べたように︑科学主義的偏見に囚われた多くの専門の経済学者を魅了した︒しかし︑このケインズ理論は︑知識人だ
けでなく︑失業その他の経済問題に苦しんでいる各国の政治家達にとっても大きな魅力であった︒
貨幣価値を維持するためには︑政治家は常に︑国民に不人気な政策を採らなくてはならないし︑その他の経済政策
についても︑時として実質賃金を下げるような手段に訴えなけれぽならない︒ところがケインズ理論は︑このような
厳しい現実を︑実に安上りで︑手っ取り早い方法で取り除く手段を︑政治家達に提供した︒有効需要創出という名の
インフレ政策がそれである︒赤字予算を組むことは美徳であり︑それによって未利用資源の活用が促されるといった
議論がなされた︒また︑労働者も︑政府のインフレ政策によって失業者が減少し︑貨幣賃金さえ上がれば︑それでよ
いと考えられた︒更に︑ケインズ理論は︑これまで企業家がもっていた︑繁栄は消費者の需要に依存する︑という信
念とも一致したのである︒ケインズ理論は︑好況が維持され得るのは︑総需要が高水準に保たれているからだ︑と教
えている︒このように︑ケインズ理論が魅惑したのは︑専門の経済学者ぽかりではなかったのである︒
ところで︑そのようなケインズ理論の魅力は︑今日の民主主義の中において︑如何なる作用を及ぼしているだろう
か︒結論から先に言えば︑逆説的に聞こえるかもしれぬが︑それは︑多くの人々に民主主義そのものへの信頼をます
ます失わしめている︑といわなくてはならない︒それは︑ケインズが︑民主主義に反対であったとか︑あるいは否定 ︵15︶したから︑というのでは勿論ない︒ケインズはあくまで民主主義を信じていたし︑真に民主主義の擁護者であった︒
しかし︑民主主義は︑自由主義の原則に従う場合のみ︑有効に機能する︒というのは︑ハイエクのいうように︑民主
主義は誰が支配するかに関わるものであり︑権力の範囲に関わるのは自由主義だからである︒自由主義の原則の最も
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重要なのは﹁法の支配﹂である︒だがケインズは︑この法の支配を認めなかった︒そのため︑ケインズ体系には︑権
力の拡大を制限する如.何なる概念も存在していない︒もし︑国民が︑自らの要求を﹁社会的正義﹂の名において訴え
るとすれぼどうなるであろうか︒
今日の議会制民主主義は︑いろいろな利益集団が︑社会的正義に名をかりて︑自分達の利益を争う角逐場となって
いる︒そして政治家も︑自らの政治生命を維持するためには︑大量の集票集団としての利益集団に奉仕せざるを得な
い︒ここに︑政治家と利益集団の間に取り引きが行なわれる︒このような理由から︑ハイエクは︑現代の民主主義を ︵16︶﹁取り引き民主主義﹂ ︵ぴP目σq⇔一ロ一μ隔四 αO目OO同麟O団︶と呼ぶ︒だが︑そこで行なわれる取り引きは︑長期的にしかも間
接的にしか効果の現われないものはされず︑短期的︑直接的な効果の期待されるものに限られる︒要するに︑ケイン
ズ政策は︑こうした取り引き民主主義に格好のものであったのである︒現代の議会制民主主義は︑自らを規律するも
のがなくなり︑さまざまな利益集団の要求に歯止めをかけることができなくなっている︒ケインズ政策は︑今日の民
主主義においては︑あらゆる利益集団にとって魅力的なのである︒
だが︑政治家や利益集団ばかりがケインズ政策に魅力をもっているのでなく︑ケインズ政策を最も歓迎しているの ︵17︶はエリート官僚である︒何故なら︑彼らは︑政治家や利益集団の要求を︑やはり社会的正義という名の下に受け容
れ︑それによって政府のなすべき︽︾σQ①ロO⇔︾の領域を増加させ︑自分達の権力の範囲を拡大させることができる
からである︒かくして︑今日︑先進諸国に見られるように︑現代の民主国家は︑ことごとく行政国家となった︒それ
は︑ケインズ体系に︑政治理論が欠落していたことの必然的結果である︒
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ハイエク社会理論体系の研究(六)
注︵1︶ 躍9k①ぎ閃︒﹀二卜貸ミ噛卜恥噴詠︑ミご嵩貸ミ織卜導恥︑◎︸<oド一.一り﹃Pコ︶.にα−O・
︵2︶出昌︒ぎ劉﹀きミ9ミ鳶恥噛Hミ︒︒.娼●卜︒ω嚇↓ミ9§︑ミーさ§ミ︑§ミ防ミ§6恥し㊤窃G︒唱娼﹄O.︵3︶=選①F男︾二§恥︑ミ恥§§qミ9驚ミしOξ宕●き㊤山O●
︵4︶躍昌︒ぎ周.﹀寒ミ9ミ§.H㊤﹃◎︒噂・ωい
︵5︶ ケインズが統計を極めて重視したことも彼の科学主義的偏見を示す一つである︒ 旨竃噸切琴冨葛Pいヒdξざコ図■国■
≦餌σq昌①さ↓ミO§罵ミ§ミ⇔駄ミ.き発ミ3μり刈○︒℃戸αいまた︑ハイエクは︑ケインズ経済学の将来は社会科学における
﹁適切な方法論﹂によって決まると述べている︒ 国9︒団①ぎ 聞.﹀二 寒ミ ⑦ミミ霧葡μ零︒︒噂戸卜︒︒︒㊤●
︵6︶囲︒旨︒ωし■竃.魑︑︑竃団国母ζ切①ぎhω.謡ぢ穿鶏誘§ミ︒讐愚婁O︒一δ︒二巴≦葺ぎoqωoh︸・客閤Φ着︒ω℃お刈卜︒.ロ・念㊦.
︵7︶ ケインズの功利主義を扱ったものに塩野谷祐一﹁現代資本主義の社会哲学﹂ ︵﹃経済体制論﹄第m巻︑昭和五十三年︶が
ある︒またしd鑓謬び≦巴帯閑.ヒd.燭..閑︒楓昌①ω9・ω鋤弓三δω09①﹁..冒頭忌月§トミ■映亀ミPo象8傷9寓区①︽コ①ωレO刈9
も示唆に富む論文である︒
︵8︶ =塁or問﹀卜亀ミリト二五︑ミ馬§雪α卜&ミ¢讐<oドト︒.一零9憲●旨〜卜︒ω.参照︒拙稿﹁﹂・M・ブキャナン他著﹃ケ
インズ財政の破綻﹄﹂︵﹃世界経済﹄昭和五十五年二月号︶
︵9︶閑︒楓ロ︒ω嚇︸●寓..竃団国碧ξヒd①まh︒︒噛篭.唱.念⑦・
︵10︶ 出9︽①ぎ閃●﹀;ト貸ミ噛卜恥吋蔚︑ミ馬︒醤犠蕊概トきミ電嚇<oドP一㊤刈900■悼Nl卜⊇GQ陰
︵11︶ ︸一≦.切蕗Oゴう曽P菊.国.≦9ゆq昌05b恥ミミ︑貸らヒミbへ詩論ミ馬㌧O︑隷苛ミ隷偽職6ヒミート︒︑職♂ミ$噛一㊤刈﹃ζ︸.一≦.
切口O冨ロp︒P男国幽≦⇔σqづ①ひ一.bd⊆二〇P↓ミ6§吻爵§ミ霧ミミ奪ミ9目㊤刈G︒・など参照︒
︵12︶ 閑①網昌099竃ξ晒.↓げ①国昌傷Ohい巴ωω①NI聞巴﹃①層矯讐一⇒肉︒・師幼目賜ミ譜︑肋ミ亀嵩OきOO巨①9①島≦ユ江戸σqωOh匂.一≦.国O団昌①ω讐
只︑μ㊤刈N︑やトococQ・
︵13︶ 閏母お倉幻・閃二↓ミト欝ミトミ.ζミ・・日綜覧・ロ.一︒︒ω● またハイエクは︑この伝記の優れた書写を書いている︒
=拶団O〆鴇聞●﹀己︑.出曽霞Oα.のピ躍OO︷円O団旨①ω㌦︑一口肋ミミ$ミ︑魯匙自曾ミ︑O驚熱望職嵩恥肉&蕊Oミ詩9一〇①Sやマω心証IoQ
︵14︶ ピ・寓・しdロ︒ゴ9舞戸菊・国・≦9︒αq旨①5いbdξεP↓ミ6§亀奨§電砺ミミ︑・登ミ漁一〇刈G︒ロ.幽メ 以下参照︒
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