ハイエク社会理論体系の研究︵九︶
オーストリア学派におけるハイエクの位置︵一︶
古
賀 勝 次 郎
目 次はじめに
H オーストリア学派の系譜および特徴
ω オーストリア学派の系譜
㈲ ナーストリア学派の方法論における特徴
働 時間︑競争︑市場過程︵以上本号︶
ロ オーストリア学派の展開︵以下次号︶
ω ミーゼスとハイェク
︵a︶ 囹B×090ひq矯と自発的社会の理論
︵b︶ ミーゼスUハイエク景気理論
ω ミーゼス︑ハイエク以後
むすび
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はじめに
イギリスの古典的自由主義と並んで︑ハイエクの社会理論体系に大きな影響を与えたのは︑いうまでもなく︑オー
ストリア学派の経済学であった︒ハイェクは︑⁝九三〇年代の初めにイギリスに渡るまでは︑主としてC・メンガー
に始まるオーストリア学派の伝統の中にあって経済学を学んだ︒オーストリア学派の経済学は︑一九二〇年代の終り
頃から︑R・ロビンズらによって︑次第にアングロ・サクソン系の人々にも紹介されていたが︑ハイエクがロンドン
大学に迎えられることになり︑急速に拡まっていった︒丁度その頃︑L・ワルラスを始祖とするローザンヌ学派の
経済理論も︑R・ピックスなどによって導入され︑ここにイギリスの経済学界ぱ新しい時代の到来を予想させるに十
分であった︒しかし︑三〇年代の後半︑﹁ケインズ革命﹂の開始とともに︑オーストリア学派の経済学は後退を余儀
なくされ︑ハイエクの名も︑ケインズの影に隠れるようになっていったのである︒一方︑ワルラスの一般的均衡理論
は︑ケインズ経済学と結合されi所謂﹁新古典派総合﹂ 勢力を拡大することができた︒こうして︑第二次大戦
後︑英語圏でオーストリア学派の命脈を保ち得たのは︑僅かに︑アメリカのシカゴ大学とニューヨーク大学とであっ
た︒ハイエクがシカゴ大学で︑ハイエクの師L・ミーゼスがニューヨーク大学で︑それぞれ︑オーストリア学派の伝
統を受け継ぎ︑これを更に発展させていたのである︒
だが︑六〇年代の後半から七〇年代の初めにかけて事情は一変し︑これまで世界の経済学界をリードしてきたケイン
ズ経済学が︑高インフレ︑高失業の並存という所謂スタグフレーションに対し︑何ら有効な治療法を提示し得ないこと
が誰の目にも明らかになった︒そして︑それに伴い︑それまで一貫してケインズ経済学批判の立場を採っていたハイエ
クや︑ミーゼスの経済理論が注目され出してきた︒またその頃︑丁度︑メンガーの﹃国民経済学原理﹄︵Oミミ吻ミ怨匙ミ
ぎ忘§壁ぎ隷ミ這恥ミ♪肉ミミミ︑鷺ミ鳴ミミ↓潜職︑一︒︒謡.︶の公刊百周年とも重なって︑オーストリア学派の経済学そ ︵2︶のものへの再評価の動きが目立つようになった︒ミーゼス亡き後は︑ハイエクがオ⁝ストリア学派の中心的存在とし
て︑同学派を指導している︒現在︑オーストリア学派に属していると考えられる人々は︑その殆どが︑ミーゼスかハ
イエクに関係のある人々から成っているといってよく︑彼らは︑ミーゼスやハイエクの思想︑経済理論に依りながら
も︑それぞれその発展に努めている︒本稿の目的は︑オーストリア学派の展開の中で︑ハイエクがいかなる貢献をな
したか︑また︑それが今日︑どのように受け継がれているかを述べ︑オーストリア学派に占めるハイエクの位置を明
らかにすることにある︒
ハイエク社会理論体系の研究
︵1︶ 注
︵2︶ O.︼︶ユω8FO●即冒.卑︒ミミら︒︒毯黛9ミミ嵩ミ軌§︑こミ鳥墨ご謡℃・HQ︒◎
例えばOミ︑ミ§吋ミ§職↓ミ︾霧壁ミ嵩⑦き8hミ肉6§︒ミら9①α・σ団い国.田︒犀ω曽コ島々.
6 オーストリア学派の系譜および特徴 ミ︒び︒︻
七〇年代に入って見られるようになったオーストリア学派への再評価の動きは︑はじめは︑何れかといえばその経
済理論に傾いていたが︑最近では︑思想︑方法論を含む全体的な再評価がなされるようになってきた︒それは︑同学
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派への再評価が︑ケインズ経済学や新古典派総合への批判の中から出てきたという事情とも関わっているからで︑ケ
インズ経済学︑新古典派総合の問題点が︑単にその理論面にあるのではなく︑その背景をなしている思想や方法論
に︑より根本的な問題があることが認められてきたためである︒だが︑オーストリア学派の特徴は︑寧ろ︑思想や方
法論にあるといってよく︑したがって︑従来の経済理論に傾いた評価は一面的であったというべきであろう︒
オーストリア学派の特徴を一言でいえぽ︑イギリスの古典派経済学を︑その思想︑方法論︑経済理論のすべてにお
いて︑発展︑精緻化したところにある︒そしてオrストリア学派の独自性は︑その発展︑精緻化に亡い出される︒し
かしそういったイギリス古典派経済学の発展︑精緻化は︑誰か特定の人の手によってなされたのではなく︑実に多く
の人々によってなされてきたのであり︑現になされている︒そこで︑オーストリア学派の特徴を述べる前に︑オース
トリア学派の系譜を素描しておこう︒
ω オーストリア学派の系譜
オーストリア学派は︑一八七一年に出た︑C・メンガーの﹃国民経済学原理﹄を以って始まると言ってよい︒しか
し﹁オーストリア学派﹂という名称がはじめて使われたのは︑メンガーの第二の著作﹃社会科学とくに経済学の方法
に関する研究﹄︵d藁葺ω二畠仁山αqo昌¢げ霞α一①冨Φ夢︒α①◎興ωoo巨三ωω①房︒冨津Φ口碑aα曾℃o財け一ωoプΦ口O屏︒昌︒目δ
ぎωぴΦωo巳興ρ一︒︒︒︒ω︶を廻ってなされた所謂﹁方法論争﹂︵リ﹄Φ替げO価Φコω一﹁①詳︶の際︑ドイツ歴史学派の人々が︑メン ︵1︶ガーおよび彼の弟子達を指して使ったとされている︒ところで︑メンガ⁝は︑W・S・ジェヴォンズ︑L・ワルラス
と共に︑近代経済学の出発点とされている﹁限界革命﹂︵竃碧σqぎ角層Φ<oぎ鉱︒ロ︶を行なった一人である︒これら三
人が︑全く独立に︑しかも楽々同じ時期に︑殆ど同じ結論に到達したことは興味深い︒その背景には︑一九世紀の半
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ハイエク社会理論体系の研究
ば頃までに︑D・リカードやJ・S・ミルの経済学によって頂点に達していた古典派経済学のいくつかの理論におい
て︑重大な欠陥のあることが︑既に↓般に明らかとなっていたことがある︒その一つは︑古典派経済学が︑財やサー
ビスの価値および相対価格の決定に関して十分な理論を提示し得ていなかった︑ということである︒メンガーはこの
問題に対し︑主観価値論を展開することによって解答を与えた︒即ち︑価値とは︑財やサービスに対する評価の作用
であって︑古典派経済学のいうように等価交換から価値が導かれるのではなく︑反対に︑主観的な評価の作用として
の価値から等価交換が導かれるとした︒しかし︑ハイエクもいっているように︑メソガ!は︑﹁限界効用﹂︵日碧αqぎ巴 ︵2︶三=謬ざO冨づNづ葺NΦロ︶という用語を使ったことはなく︑それは︑F・ヴィーザーによって導入された︒また︑ハ
イエクは︑ ﹃国民経済学原理bに見られる近代的な面として︑ワルラスと違って︑ ﹁時間の要素﹂が著しく強調され ︵3︶ ︵4︶ていること︑更に︑効用の大きさも︑絶対度ではなく︑相対度によって表現されていることなどを指摘している︒勿
論︑メンガーの以上のような経済理論の展開は︑次節以下に述べるように︑彼の思想や方法論と密接な関連を有して
いた︒ ︵5︶ さて︑メンガーの﹃国民経済学原理﹄が︑﹁アルキメデスの点﹂︵諺﹃Oげ一ヨΦユ一ωOゲΦ﹃ ℃二昌閃一︶を提供していることを
直ちに理解し︑その発展を試みたのがヴィーザーとべームーーバヴェルクであった︒ヴィーザーは︑はじめ歴史学を志 ︵6︶したが︑歴史学の方法では︑社会現象を支配している諸法則は明らかにできないとして︑後︑経済学に転じた︒その
契機を与えたのがメソガーの﹃国民経済学原理﹄であった︒ハイエクによれば︑ヴィ!ザーは︑それによって︑人間社
会に存在する非人格的諸力の作用について︑その手懸りを得た︒既述のごとく︑﹁限界効用﹂という用語をはじめて
使ったのはヴィーザーであるが︑また彼は︑この理論の発展に大きく貢献した︒それは︑メンガーの主観価値説が︑
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極めて限られた適用可能性しかもち得ないものであったのに対し︑ヴィーザーの限界効用理論は︑生産の構造や︑経
済学の主要な問題である分配理論にも拡大された︒結合生産物︑機会費用︑帰属などの概念を最初に導入したのはヴ
ィーザーであった︒べ;ムーーバヴェルクは︑メンガーによって基礎を与えられ︑ヴィーザーが発展させた限界効用理
論に新しく加えたものはあまりなかったが︑彼は︑オーストリア学派の限界効用学説の普及に︑恐らく最も力あった
人である︒べ⁝ムが経済学の発展の上に大きく貢献したのは︑寧ろ︑利子理論︑およびそれに関連をもつ生産期間の展
開であり︑しかも︑それらを経済過程の総合的模型の二つの要因として構想したことである︒ベームのこれらの分野
における成果は︑後に︑ミーゼスやハイエクに大きな影響を与えた︒まだベームには︑﹃マルクス体系の終焉﹄︵Nミミ
︾富偽ミミ8織ミミ町蓑︒︒き§魯・・譜ミ3H︒︒O①︶があり︑これも︑ミーゼスやハイエクの社会主義批判に︑少なからず理
論的基礎を与えた︒ヴィーザーも︑べ!ムバヴェルクもメンガーの直弟子ではなかったが︑これらの二人に加え
て︑メンガーの直弟子V・マタヤとG・グロッスも︑オーストリア学派の発展にそれなりの貢献をなした︒そしてこ ︵7︶れらの人々が︑メンガーに始まるオーストリア学派の第二世代を形成したのである︒
オーストリア学派の第三世代を築いたのは︑ヴィーザーやべームHバヴェルクの弟子であったJ・A・シュンペー
ター︑H・マイヤー︑それにミーゼスなどであった︒シュンペーターとマイヤーは︑その経済学の方法論において著
しく対立していたが︑それは前者が︑経済諸現象を関数的関係で把握しようとしたのに対し︑後者はこれを強く拒否
した︒ミーゼスはこの点においてマイヤーの考えに近い︒シュンペーターは寧ろ︑ローザンヌ学派の始祖ワルラスの
影響を強く受けたのであり︑経済現象を数学的手法で説明するようなことはメンガーにはなかった︒しかし︑シュン
ペーターが︑メンガー︑ヴィーザi︑ベームバヴェルクなどの経済学上の成果に︑高い評価を与えていたことは言を
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ハイエク祉会理論体系の研究
侯たない︒また︑シュンペーターの社会主義に対する態度は︑ミーゼスのそれとよい対照をなしていた︒シュンペー
ターの社会主義論については︑何れ別の機会に触れるつもりだが︑ハイエクは︑ミーゼスの立場を擁護し︑発展させ
た︒︑・・iゼスは︑後述するように思想︑方法論の分野ぽかりでなく︑経済理論︑時に貨幣論において︑独自の優れた
業績を残した︒
ミ一会スの影響を最も強く受けて︑第四世代の中心人物となったのがハイエクである︒そして︑G・ハーバラー︑
F・マハラップ︑0・モルゲンシュテルン︑ローゼン巨シュタインローダルなどがこの世代に含まれ︑それぞれ独自
にオーストリア学派の発展に貢献した︒ハーバラーとマハラップについては別の機会に論ずる予定でいる︒ところで
その後︑オーストリア学派は︑上に述べた第三・第四世代の殆どの人が︑アメリカその他の国に移住することになっ
たので︑オーストリアの地を離れたところで展開されるようになった︒ハイエクが一九三〇年代にロンドンにいた
時︑ハイエクの下で研究をしていたし・ラックマンや︑五〇年︑六〇年代にニューヨーク大学のミーゼスの演習に出
席していたM・カーヅナーやM・ロースバードなどが︑今日オーストリア学派の後継者と見られている︒とりわけ現
在︑ニューヨーク大学はオーストリア学派の本拠地の観を呈していて︑マハラップも同大学で活躍している︒その他
最近︑アメリカ各地の大学で︑オーストリア学派の影響を受けた学者が育ってきており︑中でも︑W・ブロック︑R
・W・ガリソソ︑W・E・グリンダー︑G・P・ナドゥリスコール・ジューニァ︑M・J・リゾー︑T・ソウェルな
どは︑既に優れた業績を挙げている︒変わったところでは︑オ⁝ストリアのS・シェノイで︑彼はインドに生まれ︑
イギリスで学んだ︑特にハイエクの影響を受けた人である︒また現在︑ウィーン大学で︑メンガーの席を襲っている ︵8︶E・ストライスラ!も︑オーストリア学派の伝統を継いでいる︒
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㈹オーストリア学派の方法論における特徴
以上︑オーストリア学派の系譜を簡単に述べてきたが︑次に︑同学派全体に共通して見られる特徴について︑最近
の成果も踏まえながら少しく論じてみよう︒ただし︑オーストリア学派の展開の中で︑現代の経済学︵ないし社会科
学一般︶に多大な関連を有している﹁ミーゼスとハイエク﹂についての個別的問題に関する詳しい論述は次章におい
て行なう︒また︑ミーゼス︑ハイエク理論の継承︑更にそれを発展させている人々の動向︑および業績についても次
章で論ずることにする︒
オーストリア学派の方法論上の特徴は︑すべて︑既にメンガーの中にあった︑といってよい︒S・C・リトルチャ
イルドは︑メンガーが特に強調した概念として︑一︑主観的効用︵ω藍9①o鉱く①三臣蔓︶二︑原子論的方法︵子①簿㌣ ︵9︶巨珍ざ8①夢︒α︶三︑有機的現象︵o義簿巳︒喜窪︒旨Φ§︶の=一つを挙げている︒もとよりこれらの概念は︑相互に密
接に関わり合っているのであって︑最近の研究において︑就中︑そのことが強調されている︒そこで︑それらの一つ
一つの概念を先ず検討し︑それから︑それらの間の関連を明らかにしよう︒
限界革命は︑また一名﹁主観主義革命﹂︵ω藍豆①o響くΦ図①<o冨二〇質︶と呼ばれているが︑その場合の主観主義︵ω偉マ
冨︒二く凶ω∋︶とはどのようなものなのか︒ラックマンは︑主観主義の中心的命題は︑次のようなものだといっている︒
即ち︑経済学の中に︑主観的効用という概念を導入する必要を認めたのは︑価値︵価格く巴二①︶が︑財に内在する属
陸ではなく︑評価するものと︑評価される対象との間の関係を構成するものであった︑と︒ここに︑価値は財の中に
内在すると考えていたイギリス古典派経済学の価格︵値︶理論の行き詰まりがあった訳で︑メンガーは︑それを主観
的効用の概念を導入することによって解決しようとしたのである︒このような主観的効用の概念は︑既に述べたよう
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ハイェク社会理論体系の研究
に︑ヴィーザーやべームほバヴェルクによって︑より広い領域に適用されたが︑ミーゼス︑ハイエク以後は︑メンガ
ーの著作の中に繭芽的に見られた﹁知識﹂や﹁期待﹂あるいは﹁予想﹂の役割についての考えを発展させる形で︑主
観的効用の概念に︑極めて広い意味を付与していった︒ストライスラーが︑メンガーは限界主義の創始者であると同
時にその克服者であったというのは︑メンガーが経済発展ないし︑技術進歩を︑財の変化ではなく︑知識の内容の変 ︵11︶化であり︑入々のそれに対する理解の変化であることを認識していた︑からである︒またストライスラーは︑メンガ
ーが財の三つの次元︑即ち量︑質︑多様性に加えて︑﹁情報量﹂を強調したことに注目し︑そしてそれが︑メンガー ︵12︶理論の近代性を証左するものであると論じている︒また︑そうした知識の問題との関連で︑メンガーは︑期待あるい ︵13︶は予想の役割を十分認めていたとするのがカーズナーである︒
メンガーに繭芽的に見られた以上のような知識や期待あるいは予想などの概念は︑ミーゼスやハイエク︑それに彼
らの後継者達によって︑次のように発展せられ︑メンガーの主観的効用の概念は非常に広い意味が与えられることに
なった︒即ち︑︵1︶自己の嗜好および利用可能な機会についての知識︑︵2︶現在起こっている事柄︑また︑他の人々
の行為に関する解釈︑︵3︶今後起こるであろう事柄ないし行為についての期待や予想︑︵3︶以前には考えられなかっ
た機会に対する機敏な対応︑などがそれである︒しかし︑これらの中でもハイエクは︑特に知識の問題に関心を払っ
ており︑知識の主観性を強調し︑知識の不完全性や分散化によって特徴づけられる社会が︑どのような過程を通して
秩序を維持し︑更に発展を可能としているのか︑といったことが︑経済学の主要な問題であると考︑兄ている︒また︑
曽てハイエクは︑期待や予想を価格の期待︑予想として論じたことがある︒
﹁原子論的方法﹂とは︑シュンペーターが用いた﹁方法論的個人主義﹂︵BogoOoδαq貯巴ぎ象く凶臨§一すヨ︶と同じ
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であるが︑必ずしも正確に理解されているとはいえない︒原子論的方法が誤解される つの理由は︑その用語にある
と思われる︒したがって︑われわれは︑原子論的方法と同じ意味で︑メンガーがその﹃国民経済学原理﹄のマニュス
クリプト・ノートの中で︑屡々使っている﹁合成的方法﹂︵ooヨOoω三く①ヨ①90侮︶という用語と︑合わせ考える必要
があろう︒では︑何故︑メンガーは︑社会科学︑とりわけ経済学における方法論として原子論的方法︑あるいは合成
的方法を主張したのであろうか︒それを↓言にしていうならば︑社会科学の対象である社会現象が︑自然科学の対象
である自然現象よりも極めて複雑であることからくる︑といってよい︒であるから︑自然科学の場合には︑その対象
とする現象が︑直接観察一この場合の﹁観察﹂はM・ヴェーバーの﹁理解﹂︵〜﹁Φ層ω榊Φ財Φ昌︶と巌々同じ意味で使っ
︵14︶
ているtされる可能性が大きいので︑そのような現象をともかく簡単な要素に還元することができる︒これに対し︑社会現象は︑その全体において︑直接観察することが殆ど不可能に近いので︑したがって︑社会科学は︑おれわれ人
間に最も親しい要素︑つまり﹁人間の行為﹂から観察をはじめざるを得ない︵原子論的方法︶︒それから︑徐々に︑
人間行為が関わり合う社会現象の観察へと向っていかなくてはならない︵合成的方法︶︒メソガーは︑大要以上のよう
にその方法論を展開したのであるが︑この方法論を更に発展させたのがミーゼスとハイエクであって︑.ハイエクは︑
はっきりと︑社会科学のとり得る唯一の方法を﹁個人主義的・合成的方法﹂ ︵9Φぎα一く置§一一ωけ奪︒巳ooヨOoω三く︒ ︵15︶ヨΦ暮︒α︶である︑とした︒このようにオーストリア学派は︑主体としての個人のとる行為と︑社会を構成するメン
バーの嗜好︑知識︑解釈︑期待︑計画とを関連づけるという極めて忍耐を要する作業を通して︑社会現象︑特に経済
現象の全体を解明していこうとするのである︒
またメンガーは︑社会現象を同時的に考察したぽかりでなく︑通時的︑歴史的にも把握した︒社会現象が︑自然現
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ハイエク社会理論体系の研究
象と比べ︑極めて複雑であるというのは︑社会現象への同時的のみならず︑通時的︑歴史的な理解からきている︒そ
してその場合︑メンガーは︑社会現象の発生的特徴を強調し︑その﹁有機的現象﹂であることを明らかにした︒メン
ガーは︑﹁有機的﹂という用語を︑立法︑あるいは意識的目的に対する同意︑の結果である﹁実用的﹂現象︵︑.℃轟αq−
ヨ曽ユ︒二℃7Φづ︒ヨ①養︶に対立する現象に対して使った︒即ち︑彼は︑有機的という用語を︑ ﹁共同意思なくして﹂発
生︑成長している過程としての社会現象に対し使っているのである︒ドイツの歴史学派の経済学屠蘇がメソガーを誤
解し︑また理解し得なかったのは︑まさに︑この﹁有機的﹂なる概念であった︒これについては︑以前述べたことが
ある︒このような社会現象の有機的把握は︑A・ファーガソンやスミスの洞察を︑より拡大︑より徹底したものとい
えるが︑それが持つ重要性を一層強調したのも︑また︑ミーゼスとハイエクであった︒︑・・ーゼスは︑経済主体の行為
がもたらす直接的な結果でなく︑それが間接的に︑また長期的に及ぼす結果を重視した︒そしてハイエクは︑経済学
の主要な課題を︑経済主体の行為がもたらした︑予め意図しなかった諸結果を説明することにあるとした︒
㈹時間︑競争︑市場過程
リトルチャイルドは︑もし︑オ⁝ストリア学派経済学の核心を︑一つの概念で表わさなけれぽならないとすれぽ︑ ︵16︶それは﹁市場過程﹂ ︵日9爵〇一震Oo①ωω︶であろう︑といっている︒これは︑上述したオーストリア学派の特徴であ
る︑主観主義︑個人主義的・合成主義的方法︑それに社会現象を有機的に把握しようとする方法などから当然導かれ
る帰結だと思われる︒そこで︑市場過程と密接な関連をもつ﹁時間﹂︑﹁競争﹂という概念についてのオーストリア学
派の考えについて︑先ず︑少し見ておこう︒
メンガーの﹁主観的効用﹂の概念から︑知識の問題とか期待ないし予想といった概念が出てきたことは既に述べた
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通りだが︑そこにおいて重要な役割を果していたのが﹁時間﹂の要素であって︑それがまた︑オーストリア学派の
﹁競争﹂の概念に著しい特徴を与えることになったと考えられる︒一般に︑一八七〇年代の限界革命にはじまる近代
経済学の代表者達には︑この時間の要素が欠けているといわれる︒しかし︑それは︑ハイエクも指摘しているごと
く︑メンガーに関するかぎり当て嵌らない︒メンガーにとって︑経済活動とは︑基本的には︑未来のための計画であ ︵17︶り︑未来への期待が異った欲望に従って計画配分される期間︵というより各期間︶について考察した︒それからメソ
ガーは︑未来の避けがたい不確実性というものを考察した︒このメンガーの不確実性の考えは︑その後︑べームバ
ヴェルクの確実性等価値理論︑モルゲソシュテルンの効用計測に大きな影響を与えた︒
しかし︑メンガーの時間の概念と密接に結びついている知識・情報の問題は︑べームUバヴェルクやヴィーザーな
どによっては︑必ずしも正確には受け継がれていない︒例えば︑ヴィーザーは︑企業家は消費者より︑より多くの情 ︵18︶報をもっているにも拘らず︑価格には何らの影響を与えないなどと言っている︒メンガーの描く人間は︑常に知識を
増やし︑情報を収集している人間で︑だから情報を提供してくれる人や機関を高く評価する︒そして彼は︑現在につ
いてより︑未来について一層知識・情報を欠いている︒メンガーはこのような人間を描きながら︑そこに生じる経済
学の問題が︑財の補完性の問題︑それによる諸計画の同時化の困難さの問題であるとした︒だからメンガーは︑未来
の欲望に対し︑見通しのある賢明な計画の重要性を示唆したのである︒しかし︑こうしたメソガーの考えが大きく発
展されるには︑ハイエクまで侯たねばならなかった︒
けれども︑メンガーから直接ハイエクに向う前に︑ミーゼスの人間行為︑とりわけ︑企業家︵①ロ#o弓おロ︒霞ω三b︶
の役割についての考えを見ておく必要があろう︒L・ロビンズは︑経済学を人間の行為を研究する学問と定義した
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ハイエク社会理論体系の研究
が︑だがそれは︑諸目的とそれを達成するための代替的諸用途をもつ稀少なる諸手段との関係として把握されてい
る︒しかし︑カーズナーが適切にも指摘しているように︑その場合︑諸目的や諸手段が既に与えられている︑即ち︑ ︵19︶知識や情報が︑既に各個々人に知られている︑ということが仮定されている︒が︑実際に︑市場に参加している人々
は︑メンガーが既に洞察していたごとく︑そうした知識や情報が不足しているのである︒ここにおいて︑︑︑︑iゼスの
人間行為の概念︑企業家の果たす役割についての考えが重要性をもってくる︒要するに︑︑ミーゼスの描く人間も︑メ
ンガーのそれと同じで︑現在および将来についての知識・情報が欠けているので︑それを補ってくれる﹁諸機会﹂に
機敏に反応しようとする人間である︒これが︑人間がその行為において示す企業家的役割であって︑それによって市
場参加者は︑自分の計画を適切に変化させることができるようになる︒このような諸機会への機敏さに︑企業家の役
割を求める考えはシュンペーターにもみられた︒カーズナーによれぽ︑企業家のこうした役割が︑﹁市場均衡理論﹂ ︵20︶︵9①o員︒喘ヨ碧≠象Φρ三一一訂ご9︶を﹁市場過程の理論﹂︵誓Φo蔓ohヨ9甚卑嘆oo①ωω︶に変形するのである︒
L・M・ラックマンは︑ミーゼスーハイエクーL・S・シャックルの三人を繋ぐ概念として︽吋回虫島︒ω09①蔓V
を指摘してい躯シ・ックルは﹂九三〇年代のハイエ・の弟子であるが︑・イ・ズからも大きな影響を受けた︒
︽吋巴9巳︒ω09①蔓︾とは︑不明瞭な︑偶然的な原因によって︑常に変化して止まない社会のことである︒そして彼ら
は︑八吋巴虫&︒ω09①ξ﹀の典型として市場過程を取り挙げ分析の対象とした︒︑ミーゼスは︑無数の事象から成って
いる市場過程を経済学の重要課題とし︑その不安定な社会に︑均衡を導いてくれる大きな要因の一つに︑企業家の役
割を挙げたのである︒これに対しハイエクは︑上にも述べた通り︑経済学の主要課題が﹁知識﹂の問題にあるとし︑
この知識の問題を﹁競争﹂の概念と結びつけることによって︑︽閃巴鉱a︒ω09①蔓﹀が何故秩序をもたらしているのか
51
を解明しようとした︒
以前︑既に述べたことがあるので︑多言を要しないとは思うが︑ハイエクによれぽ︑近代社会は︑知識が︑社会を
構成している無数の人々に分散して存在している︒そして︑各人が所有している知識は︑極めて具体的で且つ断片的
なものであるので︑それらは互いに矛盾し合うもの︑対立し合うものが不可劇的に合まれているといってよい︒各人
は︑そうした知識に基づき︑各人の目的達成のために計画を立てるが︑社会全体からみれぽ︑無数の計画が存在する
ことになる︒であるから︑それらの無数の計画は︑当然ながら︑矛盾し︑対立し合うことになろう︒実は︑こうした
矛盾︑対立し合う諸計画を調節していくのが﹁競争﹂であるというのが︑オーストリア学派の強調するところであっ ︵22︶て︑ハイエクは︑こうした調節機能を果たす競争を﹁発見的方法﹂︵9象ω8<Φ蔓嘆oo①α二お︶と言っている︒﹁市場
過程﹂とは︑かかる競争を通して︑市場に無数に存在している知識︵情報︶を収集︑伝達し︑無数の人々の行為を調
節していく過程である︒ハイエクは︑市場を﹁情報システム﹂︵OO5ρゴP⊆昌一〇帥一一〇昌 O﹁ 一当hO﹃5P9け一〇口 ω曳ωけΦbP︶とも言
っている︒
以上のようなオーストリア学派の考えは︑したがって︑ワルラス以後︑世界の経済学界の主流を形成してきた︑新
古典派経済学と著しく異なる︒新古典派経済学の関心は︑リトルチャイルドによれぽ︑市場参加者の﹁完全知識﹂
︵OΦ瓜①9ξo乱Φユひqo︶と﹁調節された諸計画﹂︵80aぎ舞巴O冨ロω︶によって特徴づけられる︑ある時点における
競争的均衡概念に向けられる︒これに対して︑オーストリア学派の経済学は︑﹁知識の不完全性﹂︑またそこからくる
﹁調節の不十分性﹂ばかりでなく︑﹁学習﹂︵δ碧巳コσq︶と社会制度などによる﹁調節の増大﹂︵ぎOお鋤ωぎσq80a冒㌣ ︵23︶怠︒昌︶によって特徴づけられる長期にわたって継起する﹈つの過程として市場を捉える︒ストライスラーはワルラス
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ハイエク社会理論体系の研究
も ヘ ヘ ヘ ヘ へ も も ヘ へ し ヘ へ ぬ め し ヘ へ も へ あ あとメソガーを次のように面白く比較している︒ ﹁ワルラスの横索︵邸855Φヨ①葺︶は一分しかかからないが︑メンガ
︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑ ︑︵24︶一のそれは一世紀を要する︒﹂と︒
また︑ストライスラーが︑メンガーの価格論には︑独占理論が﹁一般理論﹂として導入されている︑と指摘してい ︵26︶る点は注目に値する︒この独占の問題はヴィーザーやべームーーバヴェルクによっては殆ど扱われたことがなく︑特に
ヴィーザーは完全競争に眩惑されていた︒しかし今世紀三〇年代以降︑E・H・チェンバリンやJ・ロビンソンによ
って﹁独占的競争﹂︑﹁不完全競争﹂などの概念が導入され︑﹁完全競争﹂の概念に較べ︑より現実的であるという理
由で︑かなり多くの支持者を得ている︒そこで︑現代の経済学において大きなウェイトを占めている﹁独占的競争﹂︑ ︵%︶﹁独占﹂︑﹁集中理論﹂などに対するオーストリア学派の考えを響く手短かに述べておこう︒それは︑オーストリア学
派の﹁市場過程﹂の考えの応用問題への一つの解答ともいえよう︒カーヅナーなどによれぽ︑独占的競争の概念も完
全競争とは違った形の一種の均衡理論であって︑例えば︑需要曲線は所与のものとされていて︑生産者や消費者が最
も適切と思う商品を肯い出すための実験の必要が認識されていない︒また︑独占的競争理論には︑現実の世界に存在
する製品差別化の大部分が消費者による継続的発見過程の反映である︑という考えがない︒
オーストリア学派の独占理論に対する批判も︑野々これと同じであって︑たとえ独占が存在しても︑発見的方法と
しての競争を通じて情報の調節を行なう市場過程の必要性を排除することにはならない︑とする︒即ち︑独占企業も︑
消費者が何を欲し︑またそれに対し︑どういつだ代価を払うかについては︑依然発見していかなくてはならないから
である︒但し︑そのためには︑﹁参入の自由﹂︵博Φ①αoヨohΦ算q︶が︑最低限保障されていなくてはならない︒また
﹁集中理論﹂についても︑結局同様の批判になるが︑Y・ブロウゼンやH・デムゼッツなどの実証研究の成果も︑そ
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の批判を擁護する有力な裏づけとなっている︒即ち︑その実証研究は︑集中が共謀を促し︑それが︑より高い利潤率
をもたらしている︑ということを否定している︒利潤率がいろいろ異なるのは︑寧ろ︑基本的な市場現象の変化に対
する理解︑あるいは反応速度の変化によって説明すべきだという︒
以上︑オーストリア学派の諸特徴について簡単に述べてきたが︑不十分なところは次章で補うつもりである︒スト
ライスラーも言っているように︑オーストリア学派の特徴は︑メソガーとハイエクによって代表される︒したがっ
て︑この章でも︑その点に大きなウェイトを置いて論述した︒しかし︑ハイエクは︑︑・・ーゼスからも非常に大きな影
響を受けている︒そこで︑章を改めて︑ミーゼスとハイエクについて論じたい︒また︑・︑ーゼス︑ハイエク以後にも
目を向けなけれぽならないのであって︑彼らの思想や理論が︑彼らの後継者によって︑どのように継承され︑発展さ
せられているのかを知ることは︑今後のオーストリア学派を占う上で重要であろう︒
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︵1︶ =け二9三冠.ω・ρり↓ミ肉ミ貯畠ミ導恥ミ慧亀肉8きミヒこHOおり戸刈・ 注
︵2︶=亀︒ド閃.﹀..目先寄8︒h竃①品︒﹃ω孚§§§ぎ三田・8蔓︒h﹂国︒琴a︒9︒轟耳..讐ぎGミさ轟ミ§職
↓隷偽︾霧肺こ匙嵩⑦§oミミ吋ら︒醤︒ミ尋9目O刈ω℃O・①●
︵3︶=塁①貫閏・>﹂..田三Φ津茸oq..ぎOミhミ§恥ミ噂9器ミミミ恥ミミ書噛bdきα一層ω・葦・
︵4︶量傷ω・掛<・
︵5︶量匹ω.×芸凶.
︵6︶ 出亀oF閃.﹀;︑.長男.<o昌≦凶窃①﹁.−冒鍾寡少§ミ§ミ︾O塁犠ミミ恥︑鷺︾寒§ミ§領§剛ψく凶.以下の記述はこれに依
っている︒
ハイエク社会理論体系の研究
︵7︶ ここで︑メンガー︑ヴィーザー︑べームーーバヴェルクらが偉大な経済学者だけであったばかりでなく︑すべて有能な官史
であったことも知っておいてよかろう︒メンガーは内閣新聞局︑オーストリア皇太子教育掛︑終身上院議員︑ヴィーザーは
上院議員︑商務大臣︑またべームーーパヴェルクは︑大蔵大臣などの要職を経験している︒こうした実際の面での経験が彼ら
の経済学に非常に現実的なアプローチを促したといえまいか︒またオーストリア学派の理論が外国に知られるようになった
のは︑主に次のような人々の努力であったとハイエクは述べている︒M・パソタレオ:二︑L・エッサ︑A・グラッィアー 二︑G・マッツオーラ︑N・G・ピアースソ︑シャルル・ジード︑E・ヴィレー︑M・ブロック︑S・N・パッテンなど︒
閃●︾.国驕︒︽o置.︑国ぎ8津虹づひ含二一⇒O貸︑︑さ蕊噴恥♪O塁貸ミミミ牒恥ミ恥︑瀞♪しd9野島Hω.××開く・
︵8︶ ピ津菖Ooゴ富戸ω・OごΩ︶.o詳こO戸OQI㊤・
︵9︶ま帥庫ごロ・旨.
︵10︶ピ餌︒ゴ夏卵昌唱ピ.﹈≦ご..竃Φ葺︒αoざ讐09一ロa<筐自白嵩ωヨ9昌αけげ︒竃餌円陣︒一国oo昌︒ヨ静二ぎ知§匙し︒き︑鳶鳴職︒ミ鱒三塁亀目︒︒§
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︵12︶ 一σ乙・頓O目①9
︵13︶ これについては次章で述べるつもりである︒
︵14︶=拶団︒貫国●﹀ご︑.↓げ︒℃冨︒Φo︷︼≦o昌oqo円.ωOミ昏昏ミ器ぎけげ︒出δけoqo四国8昌︒日ざ↓ゲ︒=oq三二℃・oo
︵15︶ 詳しくは拙著﹃ハイエクの政治経済学﹄︵昭和五十六年置の第一章を参照されたい︒
︵16︶ピ謬二〇〇霞乙りωOご↓ミ㌔ミミ遷ミ導馬ミ聴ミ吋8識︒ミヒ.H㊤刈oo・やトりμ・
︵17︶=四畷①F呵・﹀こ:田巳9言ロ西二ぎG織ミミ§隣ミ噛O禽貸ミミ馬︑譜ミミぎ噛切帥5α押ω・×一く・
︵18︶ ω茸︒♂巴05国・燭︒弓・9鉾噸戸δ刈・
︵19︶訳ご弩︒さH竃・噛︑.国ρ三二σユ⊆ヨく臼︒︒霧島9︒﹃二三﹁δ8ωω..ぎ↓ぎき§犠ミ馬§︒︐ミミ&ミ蕊あ§壁︑§守︒ミミ苛防・昌O♂リ
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︵12︶いooげヨ餌Pピ﹂≦ご.甫8ヨζδoωざωず9︒o匹①一戸﹀昌国ωω四団︒旨諺二巴ごづ国oo口088ω餌ロα国9︒δ置8ωoo一Φ酔ざ︑.︑§︑1 56
醤亀︑ミ肉らO醤︒ミ苛卜謙恥︑貸︑ミ︑♪﹈≦Ωρ門ごH㊤刈①.戸㎝軽−㊤・
︵22︶ 詳しくは拙著﹃ハイエクの政治経済学﹄︵昭和五十六年︶の第五章を参照されたい︒
︵23︶ ピ津二〇〇げ=Pω・OごOO︒o詳;O・悼ピ
︵24︶ ω#9ω白︒δ鴇●国ごO◎●O詳二戸H刈駐.
︵25︶ 一⊆住ご膨ド①O●
︵26︶ 以下はω.O・=け二〇〇三一α﹂↓ミ︑蟄︑ミ逗ミ近目ミ鈍ミ肉Sミミざ暑.b︒早㊤・を参照︒