理性会通論 : 文化社会学的研究
著者 平野 秀秋
出版者 法政大学社会学部学会
雑誌名 社会労働研究
巻 38
号 1
ページ 1‑96
発行年 1991‑12
URL http://doi.org/10.15002/00006734
理`性会通論一文化社会学的研究
理性会通論l文化社会学的研究
序
五 四三二
漢文化圏における「理」「性」会通問題の様相 3ハンス・ヨナスのグノーシス精神論 2中間考察--善悪とその実現または宗教の定義 1ロッズのユダヤ教予言者論 人倫共同体の崩壊様相ならびに宗教の問題 人倫共同体と社会学的概念の関係 「性」の共有基盤の二側面 2「理」と「性」の原像 1本稿の問題の所在 籾神文化と「理」「性」会通問題 「文化」概念に関する一般的問題 次 通調理之可行而無所凝虚」 「會謂理之所聚而不可遺虚
平野秀秋
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「文化」という術語の内容について社会学のなかで論議の対象となるが少なくなった。ある種の公認種目に入ったということか。しかし、だから内容を吟味せずとも使用できるということはない。戦前の日本の社会学は主要にはドイツ流の「文化」概念を援用していた。その内容は主に二種類であった。一つは新カント派哲学の影響下にその思考を前提として使用されるもの、他の一つは文化社会学の影響を被りつつ使用されていたものである。両者は必ずしも発想を同じくしない。前者の「文化」は厳密にいえば法則概念の要請によって、「自然」と対極に置かれるものである。自然科学は時空にたいし反復可能な一般法則を定立し、反対に文化科学は時空の制約を受ける一回的個性的法則を定立する、というのがそれである。たとえばマックス・ヴェーバーが「文化価値に即して対象を見る学を文化(諸)科学と呼ぶ」といっているときの文化科学は、今日の人文・社会科学の全研究領域を指しているととってよい。 序「文化」概念に関する一般的問題 1「敬」と「理性」2自然学の奔流と自然学の沈黙結残された文明への備考 六余英時の「中国七「理」と「自然」
八
2「自然」と理性会通の東西 1「天理」対「人欲」2「自然」と「実存」の乖離
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後者の思考は、それと完全に無縁だとはいえないが、むしろ「文化」とは行為や出来事の連関に還元しきれない生命力や全体性をもつある対象だということを強調するものである。その意味で文化社会学は反近代の主張の一つであった。だから規範科学であって云々という見解を、ここでは採らない。しかし、ヘレーネスという自己像や、漢語としての「文化」そのものがもっているような自意識をもはや持たない近代人を相手にするには方法の彫琢が不完全であり、分析主義的動向の中に地歩を占めるに利がなかった。松本潤一郎の「文化社会学原理」はこの両方を(それだけでなくアングロサクソン系民族学やフランスの道徳、モーレス研究にも注目しているが)総合しようとして、結果的に前者に傾いている。人類学の影響にかんしては、戦前の日本はそれをあまり受けていなかった。戦後は民権や平和やポストモダンのような抽象的徳性が無内容に主張される傾向が強くなり、文化の全体性、すなわち文化の個性のようなものが何に由来するかといった問題を取り上げようとする関心は抑制されやすくなった。その結果、戦後にまで生き残ったのは主に前者である。構造機能主義の活躍もあって、そのなかの行為論的分析手法は著しく発達した。ただしその際に、新カント派哲学の提起したような「行為」をめぐる自然と歴史の対立問題は意識に上らなかったから、この意味で対象を「文化」といい、学を「文化科学」というべき必然性からも無縁になった。良くも悪しくも科学は哲学から分離され、分散化の色を深めた。戦後、主に合衆国から人類学的概念として「文化」が導入されたさいに、この術語をめぐって若干の応酬があった。ただし、人類学は主として自然民族(ナトゥールフォルク)を対象とするフィールドワークの学問であり、方法論がそれ自体論議の対象となった経験は相対的に乏しい分野である。一方社会学の方も分化傾向のただなかにあった。したがって、応酬といってもあまり深刻にならなかった。そのなかで、あえて「文化」の概念を規定しようとするもの(1)3には、およそ次のような異なった内容が含まれることが観察された。第一の内容は、「文化」とは集団成員の行動の
規則性(パターン)であるとするものである。これは容易に行動の規範という概念の中に包摂しえた。当然、厳密に4は問題が残る。人類学のいう行動の規則性は外からの観察可能性を指しているのにたいして、「文化価値」とか「文化意義」などに即して見るということは内在的理解を前提にしている。両者は「文化」観を異にするものがある。しかしその齪鶴は前述のように深刻にならず、事実上行為と行動は言い換え可能な概念として使用されることが多くなった。使用法の問題というよりは「文化」観の相違の意識がうすれたのである。第二の内容は、「文化」はどれにも相互に比較対照することの可能な一定の機能が備わっているという主張である。この機能主義的主張は、社会人類学の登場に大きく貢献した。その積極面は文化相対主義であろう。しかしその国際主義ないしコスモポリタニズムは、徹底した自覚に立脚したものにまでは成熟しえなかった。第三の内容は、「文化」の特殊性の抽出である。これは、ルース・ペネディクトの取り上げた対象のゆえに、とくに日本で問題になった。そして日本的特殊性論の後継者として、「恥の文化」についで「タテの文化」「甘えの文化」などの労作が相次ぎ、今日の日本人論の無意識の土壌を形成した。この第三の内容と先の文化社会学の出現とを歴史現象としてみると、この二つにはある共通点がある。前者の根底にあったものは、世界史の中のドイツの自己主張である。日本文化論も、異なった世界史状況の中の日本の(必ずしも自信に満ちたとはいえずとも)自己主張であった。かれに自己を主張するという意識が強く、これに自己主張であるという意識が弱いのは、一世紀を隔てた世界史の著しい相違による面もあろう。しかし、ドイツ文化社会学の学問的背景は歴史主義であった。歴史主義は単に文化の自己主張であったにとどまらず、ドイツにおけるヨーロッパ史ひいては古今東西史研究の隆盛を招来した。このことがあったためにカントの実践哲学にたいする反省も生じたし、ヴェーバーでさえ歴史主義の相対化を通じて対象と方法を発見した。目下のところ日本文化論の学問的背景が何かは必ずしも定かでない。しかしそれが研究全体を刺激することができるためには立脚点を明確にし、自己を相対化しう
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るかが試金石となるだろう。日本はこの一両世紀の間に、以下論じる東西二大哲学の交点に位置したきわめて異例な
文明である事実を明瞭に理論化する必要があろう。戦後の「文化」概念の形成経過を概略したが、その際触れることのできなかった問題がある。社会的通念と、社会学の研究活動との双方における、分化傾向についてである。後者について考えると、今日の社会学は十指を超える専(2)門分野に分かたれる。その分割方式は、最初は原ユ鋼、産業、地域、などの対象領域にはじまり、やがて領域をさらに細分して運動、福祉、マスコミなどの研究テーマにまで及ぶにいたっている。これ同体は社会学の興隆の反映と見ることができる。また、社会学者の関心がかくも多方面にわたっていることの反映であるともいいうる。しかし専門分化の弊を除去する方策は、分化傾向それ自体の中には当然内蔵されていない。それのみならず、日常生活の活動と意識の変化の結果である社会的通念の分化が、これに有害な刺激材料となる。今日人間が行う多様な活勅は、あたかもそこに領域の区分が存在するかのように意識されやすいし、研究においても慣行的にそのように扱われることが多い。あれは政治であり、それは経済であり、これは文化なのであるというよう(3)に。近代人にとっての自由とはこのようなものになるしかないと子一三、したのはジンメルである。そうならざるをえない必然性が存在したことは、かれの予言通りであった。しかし問題を「文化」に限って見ても、この傾向は破壊的影響をもつことができる。政治・経済・文化と一概にいえばたんに社会現象の総称であるに過ぎないが、そこに領域の観念を持ち込むとき、領域とされるものそれぞれが、一つ残らず容易に残余概念に転化する。言葉が、あるときは総称として、あるときは残余概念として使用されるのは日常語の使用においては便であるが、術語は必ずしもそうはいかない。意識的思考のなかでは、むしろ相互の連関が最大の問題だからである。そうである限り、研究上「文化」と
5いうときは、個としてであると集団としてであるとにかかわらず人間の関与することであらかじめ除外の対象になる
ものは何一つないという程度の判断は、当然待つ必要がある。その意味では股初に指摘した文化諸科学という考えに、6(4)無条件ではないが、上月定的に接することになる。関連してもう一つ考慮すべき特殊な問題がある。「文化と言語」の問題である。「文化」を多少とも学問として扱おうとするとき、あたかも「文化」の研究は「言語」の研究のなかに、正確には「言語論」の文化領域への移倣のなかに、求めらうろという、主張というより意識が、非体系的に散見される。これにかんして本格的に論議するには、言
語を鍵として文化の解明に成功した諸研究、たとえばレヴィⅡストロースの研究が果たしてそのような主張を支持するものかどうかの本格的検討が必要であるが、ここでは結論だけを二点に分けて述べるにとどめる。その一は本質的問題である。「言語」はたしかに「文化」よりも生命(持続時間)がかなり長いことがある。しかし長いといっても、自然現象を支配する諸法則の長さにはとうてい及ぶものではない。「文化」や「社会」という対象を「言語」の普遍法則の上に位憧づけようとする実に魅力的な思考は、ある理由のために西欧の歴史のおりおりに出現したものである(その一例について本稿もふれることになる)。だがそのたびにはっきりすることがある。たとえそれが可能であるとしても、自然言語の適切な彫琢をあらゆる分野に欠くことができないという事実である。そうであるからには、逆に政治、経済、文化と総称されるbの全体にかんする知識のほうが、「文化」研究の中に「言語」研究を位慨づけるにあたって本質的な役割をもつ。その一一は、本稿で参考し言及する二人の人類学者の一人レヴィⅡストロースの研究についてである。その研究の核心は、自然民族の象徴体系の解読に言語規則の知識が決定的に重要な役割を果たすという点にある。しかし、言語規則に超文化的・超歴史的普遍性が存在するという主張を、言語学者でないかれがしたことは一度もない。また言語に文化が還元可能という主張をかれがしたことはない。まして、かれがその研究方法一般(5)を文明社会一般に妥当すると主張したことはないのである。ついでながら、ロラン・バルト以来フーフンスの数人の一言
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こうした一百語の問題とも関連して、一般化法則と個性的法則とにまたがって今後なお検討を要するものとして比較という研究方法の問題がある。容易にわかるように、比較は一般化と個性化との双方に等しく向かうことができる方法である。したがって、比較は(自然科学を含めた)あらゆる学問研究が揚言するとしないとにかかわらず採用する研究方法である。では「文化」の研究では両方向のどちらに比重が向けられるべきなのかという設問は、「文化」の本格的研究のなかにまだ穂み残された問題である。しかし、自然は一般的、歴史は個性的という歓然たる分削ではすまない問題であることもまた理解されよう。比較は、この双方に等分の関心をもたなくては無意味な方法である。「文化」をあらためて生命にたとえれば、フィジカルサイエンスとパイオロジーとの両方の知識を要するのと共通している。一方だけで他方を兼ねるこはできない。同時にそれは通時的な比較と共時的な比較とを兼ねなければ無力でもある。ここでの一般論はこれまでとする。本稿が不十分でもそれの一例となればさいわいである。さまざまのいわゆるグランド・セオリーの崩壊後、こうした問題に抑制ある良識をもって対処しようとする場合は、結局論じようと 語・記号学者が日本で一部に注目されているようである。これは現代哲学の解体傾向から発生した間隙の補完物であり、補完物にほかならないという観点から検討すべき対象であるが、本稿はこの時代までを直接の考察対象としない。「文化」と「言語」の密接な連関、前者を考察するにあたって後者を適切に位憧づける必要性を否定するものはいないと思う。本稿もその問題の一端を瞥見しようとする意図から書かれている。しかしそのことは、前者の研究は後者の研究から導出できる特殊形態という見解とは無縁のものである。言語は精神文化にたいして、現代において論じられる上記のような文脈とはまったく異なった意味において、本質的な関係を持っている。「文化」は「言語」によって作られるばかりでなく、これによって大いに制約されるのである。それがいかなることであるのかを本稿を通じて示すつもりである。
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する問題の性質と議論の意義に応じて両者の均衡をはかる以外に方法がないはずであろう。「文化」において一般性も個性も、どちらも捨てるわけにはいかない要素である。時には均斉が学のすべてであることがある。「西洋哲学史」のなかで、パートランド・ラッセルが哲学史について味わい深い見識を示している。知識の世界に科学と神学の両極がある。前者は有限の知識の世界、後者は絶対不可侵のドグマの世界である。しかしその中間に、広大な「誰もいない土地」(z・冨自・の門:。)がある。そこはたえず両極から攻撃の対象となる場所である。その誰(6)もいない土地が哲学の住む土地であった、と。有限の知識とドグマということからい輯えば、哲学だけでなく文化研究もどこかこの「誰もいない土地」と無関係ではなさそうに思われる。また上述してきたことからすると、社会学というもともと実学に分解し尽くすことのできない典型的な「文化科学」の一つにもそれは該当するように思われる。本稿では以下に哲学という語を検討の素材とも鍵とも見なして扱っているが、ここでいう意味の哲学は一方でラッセル以降の分析哲学、もう一方ではハイデッガー以降の実存哲学という分化、分解した哲学の現状には、文字どおりには当てはまらないのかもしれない。もし哲学が今後ともこのような状態に分極してゆくのだと仮定するならば、ラッセルが指摘している「誰もいない土地」はなおさらに「文化諸科学」の責任領域となる可能性が高いことも予想しておく必要があろう。
「太極只是天地萬物之理。在天地言則天地中有太極。在繭物言則繭物中各有太極。未有天地之先畢覚是先有此理。 1本稿の問題の所在 楠神文化と「理」「性」会通問題
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(7)「朱子語類」から著名な命題を抜粋したものである。本稿は精神文化(2]日刊ののロぐロロ[の)が理なるものと人性との会通の原則と様態を表現することを任とするものであり、同時に文明はその核心にこれを持たざるをえないものであることを論じようとするものである。まずその発端に朱子を選ぶ。儒学に一世を画したとされる朱子のいわゆる理性論それ自体の詳細な検討を行うことは本稿の主題ではないし、またこの詳論を儒学専門家でないわたくしが良くなしうるものでもない。それについてはこの分野の諸学の営々蓄積した業績を真蟄に学ぶのが最善であろう。むしろここで論じようとしていることは、いいかえれば、歴史の長い経験に照らして決してにわかには「性即理也」となしえない人間存在が、どうして「性は理、理は性」となりうるのかという問題を、精神文化の形成の中に見てみようとすることである。「理」と「性」とはむしろ相反することの多い、異なった要因であるという認識を本稿は前提としている。その上で、それらが果たして会通することが可能なのかどう 動而生陽亦只是理。静而生陰亦只是理」(巻ご「未有天地之先畢寛也只是理。有此理便有此天地。若無此理便亦無天地無人無物都無該載了。有理便有氣流行發育萬物」(巻二「問。理是人物同得舩天者。如物之無情者亦有理否。曰。固是有理。如舟只可行之舩水。車只可之舩陸」(巻四)「問。人物之性一源何以有異。曰。人之性論明暗。物之性只是偏塞。暗者可使之明。已偏塞者不可使之通也」(巻四)「人物性本同。只氣稟異。如水無有不清。傾放白椀中是一般色。及放黒椀中又是一般色。放青椀中又是一般色。又曰。性最難説。要説同亦得。要説異亦得。如隙中之日。隙之長短大小自是不同。然却只是此日」(巻四)「論天地之性則専指理言。論氣質之性則以理與氣雑而言之。未有此氣已有此性。氣有不存而性郁常在」(巻四)「性即理也。在心喚倣性。在事喚倣皿」(巻五)
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歴史上のさまざまな不可知論や懐疑論の例を引くまでもなく、「理」と「性」が会通しうるかという問いは、歴史上つねに可能と答えられてきたわけではない。しかし結果論だけから見れば、これらの不可知論や懐疑論が精神文化の中枢を制し続けたことはないようである。この結果論を欄抑文化の作川、貢献のみに帰することは、当然ながら問題外である。文明は、持続のためにそれらをいわば排除しようとするのである。しかしでは会通可能とする場合に、いかなる根拠で、いかなる契機によって可能とするのかが、当の文明の歴史的個性を体現するものであることも予想
に難くないであろう。西欧近代の答えを公準とし、それに依拠している現代のわれわれが、文明のありうべき個性の一例に過ぎないのと同様の事柄である。そうだとするならば、文明成立以降ユーラシア大陸東西の諸文化・諸思想はこれにいかに答えてきたのだろうかという根本的な論点は、比較文化論上の展望を獲得する上できわめて興味深くまた重要でもある。いいかえればこの課題は「理」「性」会通にかんする文明の認識如何を問うことである。その全容を余すところなく究明する準備は残念ながらない。しかしこの文明の認識の在りょうが、是非にかかわらず文明をして文明たらしめる所以の究極課題を形成するという判断を論述し、その根拠をこの機会に提示して大方の示唆を得た
い◎ m可能とすればどのように融和点または妥協点を形成するのかという問いにたいして、文明がどう答えるのかを検討することである。このような設問は、合理化を「歴史の必然傾向」であり「当然の理」であるとする認識を取るならば、おそらく完全に埋没してしまうような性質の問題である。それを少しでも検討の場に引き出したいという意図らぱ、おブでもある。
2「理」と「性」の原像
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ともあれ、問題を諸文化・諸思想に即して検討するに先立っては、「理」と「性」のそれぞれがそもそもいかなる意味を担わされた言葉であったかという、大略のことを最初にことわっておくことが必要であろう。この作業が、しかし言うは易く行うは難いものの典型をなすことは推察の通りである。理も性も、それをなにものであるかと答えよ 時論は他日に譲るとして、「理」と「性」がかくのごとく現代に至った道程は、洋の東西を問わず自明の道であったとは到底いえない。理と性はなぜ、またいかに会通するのかにかんしては、帰属する人間の意識を統合する個々の文明なりの葛藤、懐疑が伴っていたことは間違いないことである。かってマックス・シェーラーが「世界観」(弓の冨口の9目自侭のロ)の比較研究こそマックス・ヴェーバーのあとに来るべき社会学の重要課題を形成する所以を(8)論じようとしたことがある。詳論は注記に付すが、その際こうした世界観研究のもっとも重要な視点とは、理性《云通にかんする葛藤や懐疑を個々の文明がいかにして回避、迂回、ないし処理したかという問題に注目することであることを特記しておかねばならない。 われわれは今日「理性」という語を頻繁に、また時にごく手軽に使用する。関連して「理論」「真理」「合理」などの語をもほとんど嬬踏なく使用する。これは、西洋哲学の成果と、これを漢訳した(遠くは西周の『百一新論」などにはじまる)近代日本哲学の成果を、無意識のうちに援用可なりと信じているからである。関説すると、今日「理性」や「理論」にたいしてはやや懐疑的な風潮がある。前者については思想史的理由が、後者については文明論的理由が、背景にひそむ。しかし、その懐疑を表明するのに「感性」を強調し、あるいは「直感」を強調すればすむというほど事柄は簡単でない。これらは「理性」「理論」にかんする認識に同舟している概念であり、かれが覆れぱこれも覆る関係にすぎないのである。「心理」についても同断である。今日の文明の独特、奇異な問題点はそんなところにも顔を現す。
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中国太古の、いわば創世神話期に継続する氏族国家成立期の時代思想といった最古形が、これほどにも確信に満ちたものであったかどうかは明確に知りえない。ただ春秋戦国期の老荘の思想から、徹底した文明懐疑論があったこと(川)を窺い知ることができる。しかし、漢文化圏の支配思想となった儒学はこれを採用しなかった。理の先験性、絶対性への確信は、外在世界の実在性への確信をも堅くする。いまそのことを含めて、「理」とは外在世界にある秩序が先験的に実在するという主張であるとしておこう。本稿後半になって「理」の本体は東西を問わず「自然」であることを論じることになる。「条理」というごとく、「理」を先験的「秩序」とみなすと、そこにはすでに外在世界が人間と 映と見ることはできる。 うとするとき、答えそのものが、どれかある文明がアプリオリとみなす理性会通の様相を事実上前提としたものになってしまうという陥し穴におちいる。この事実そのものが、上来記してきた課題の性質を代弁することなのではあるが。この陥罪を避けうる捷径がない以上、一旦古義につくと同時に常に注意深くするしか方法がない。さて冒頭の朱子の語である。われわれの今日使用する「理」「性」「理性」はここに由来するものであり、本稿が日本語で書かれる以上、これに目を向けることを避けることができないと同時に、不可欠でもある。分ければ前半は(9)「理」茎緬である。覇道を王道と化す儒家の論理も朱子の時代にはよほど彫琢が深くなり、かついちじるしく分析的になっていることが留意されるが、しかし「易経」に渕源を発し孔孟によって支持された理の説は、いわば儒家の不動の信念といって差し支えない。宇宙万物に確固たる先験的な筋道が超然として存在する、という主張である。もっとも、孔孟ともに理そのものを後世の朱子ほどには系統的に再説三説しない。しかしそれは、理の先験実在性についての確信が乏しかったからではなく、むしろそれをより自明の前提と見なしたえたからであろう。対照的に、朱子が理をかくも精細に力説するにいたったのは、そうしなければならない事情が精神文化の歴史において出現した事実の反
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外界を通じた法則性の根拠地であるとする主張が含まれていたのか、という問いがただちに生じることであろう。しかし、これに答えることはここでは必要ないであろう。法則性の根拠とは、すぐれて哲学的次元の設問であって、精神文化の様相を論じる視点からは「理」と「性」の会通が一定の形態で確立してのちはじめて意味のある概念であり、その概念の内容を比較検討することは本稿の課題そのものだからである。精神文化の側からする「理」の主張の原像を確認しておくという意味では、「太極只是天地繭物之理。未有天地之先畢覚也只是理」という平明率直な言禦を、目下はそのまま素朴に鵜呑みにすることが賢明であろう。上掲の後半は「性」論である。理と異なって「性」は古くから儒学が内外に最大の争点としたものであり、それだけに朱子(孔孟もある意味で同様だが)の論理も精妙複雑を極める。今日の常識から見て「理」と「性」との比重がいわば逆転する(「性」論が先行する)ことは、一見些細なように見えて本質的なことである。すぐあとに指摘するように、人性の本体が何物かという倫理的、実践的疑問の方が、知にとっては洋の東西を問わず一般に面倒な設問なのであった。こうした事情は、複雑で残念ながら上掲の引用に盛りこめない。いわゆる「気質の性」と「本然の性」の別を立てた朱子の性論の核心をあえて引いていない。孔孟以来、儒学の論点はむしろ「性」の何であるかを論じ、いかにしてその理想的状態に近づくかという克己復礼の実践方法を説くことに大きく集中する。これは聖人の道の追求であり、この意味での人間の能動性は大前提である。したがって、人間は「気」の影響によってあるいは聡明に、あるいは暗愚になるという別はあっても、その根本において共有する「本然の性」があるということは、これまた儒学の確信として曲げるわけにいかない基本認識である。物は頑固で変えようがないが人間のぼんくらは努力によって改めさせることができる、ともいう。多くの専門家が指摘するように、朱子においては有名な性善説は気質の媒介なしに発現することを否定される。かくして気の作用によ
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この章の問題は、哲学という整序された知の問題でなくより不透明な人間と世界との関係の実状の問題である。「論語』は「性相近也」の対句として「習相遠也」と続ける。「性」を一般論としたときの見通しの良さは、「性」が現象した途端に、もっとつっこんでいえば複数の「性」が共生する(それが「習」の姿である)社会の実相に即した途端に、見通しが悪くなるものである。古い時代の哲学は、このことを意識的に考察の対象とするときには性善説と性悪説、フィロソフォスとソフィステス、アウグスティヌスとマニのように率直に両極端に分解する。そのいずれであれ、精神文化が「相遠(へだた)った」習俗という中間地帯を論理の次元において乗り越えようとするときは、その論理の必要から逆算した特徴を「理」と「性」の双方に要求せざるをえないのであることは想像し って明暗・善悪の様相をとることが主張されるものの、本源における「性」の同質性、共有性は一貫して支持されるのである。これを西欧啓蒙期の自然法的人性平等の観念と同一視することはもとより論外であるが、そのことを充分考虚した上で、「性」とは人間の本質に潜在的な「徳性」が具わっているという主張をいうものと、ここでは理解しておく。ある根元的一者(太極)が物にあっては「理」と呼ばれ、人にあっては「性」と呼ばれる、とする主張の根拠はここにある。上記の引用では「気菓」という、儒学の文治主義の核心であると同時に、文化論的にも重要な契機が指摘されているが、これは本稿の後半まで保存しておく。こうして儒学固有の主張をなるべく取り払って以上を要約すると、「性」の原型とは人間がだれもが具有する、生活上のある能動性のことであることが分かる。「性相近也」(「論語」陽貨篇)の性はまさしくこうしたものを指している。
二「性」の共有基盤の二側面
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だが「性」の共有基盤は、哲学的「人倫共同体」という側面とは別の本来の自然な共有基盤をもっている。哲学の整序された論理の世界からふたたび文明の実相に目を戻せば、「性」と「理」とはまたたちまち相克、葛藤しはじめ(尼)るのである。「弦乃不義習与性成」(弦れ乃の不義、習いて性と成る『室曰経」太甲)、さらにもっと端的な政治権力の現実認識として「戦国策』が指摘する「常民溺舩習俗」(常民習俗に溺る「趙策」のほうが人間集団の常態である。この意味の「習俗」をこそむしろ「人倫共同体」の本然の姿と見る方が、実証科学にとっては妥当であろう。この意味の人倫共同体は、当然それ自体無秩序の存在ではない。正確には、一方で本然の秩序に安定している状態(これを えよう。上述の朱子ももちろん例外でない。そこでは「理」「性」ともに天与のものであるという認識がこの要求に答えている。そうである以上会通することがその結論になる。このような(両者が会通するという)前提を結論において具有したものを「哲学的」人倫共同体と名付けよう。この意味の人倫共同体の主張は哲学の帰結であると同時に、哲学の存立基盤自体でもあるといえる。それとともに、この帰結と基盤とが、孔孟はもちろん朱子においても漢人社会固有のものであり原則として夷狄に通じないとされることは、プラトンもアリストテレスもヘレネスの世界とパルバロイの世界の会通不可能を哲学の不動の前提としていたのと同様の事柄である。それは、哲学もまた「性」の共有基盤として、固有の哲学的「人倫共同体」を要求し、構想するという事実の結果なのである。ここで使用した「人倫共同体」という語によって、ひとは容易にヘーゲルを連想し、またかれにおいてその存立基盤が普遍的存在者たる国〈Ⅲ)家という抽象に昇華されたことを想起するに違いない。哲学史固有の問題としては、これらを並列に通覧することは大いにはばかられることであろうが、問題の性格に鑑みてこれをあえて許容するならば、哲学とは「哲学的」人倫共同体の構想を志向する学問であるとすることも、あながち失当ではないであろう。哲学が文明の中の最高の精神文化であることの雄弁な証しである。
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社会学は「伝統的」と名付ける慣習がかなり長く続いている)、反対に無秩序と化している状態、の両極端でありうる存在である。しかし文明の成立とは、一般にこれが前者の状態に自足することのできなくなるような状況を指す一一一一口葉である。文化、とりわけその中の精神文化は、安定と不安定の狭間に置かれたこの「習」的存在に、すでに自然ではありえないところの、まさに文明的なる秩序を論理によって与えようとするのである。そのとき、一方に外的世界、他方に人心の内的状態を仮定するのだと考えれば、ここで論じようとする問題は理解しやすいであろう。「性」すなわち人性は単独で存在するものではない。ある集団、ある文化という共有基盤を反映して現れてくる。この基盤を「人倫共同体」とここでは呼ぶ。一方、上に形容詞を付けて「哲学的」人倫共同体と呼んだものがある。それは、文明化した歴史の中で、精神文化がこの文明の構成原理として構想し、論理化した概念である。前者は即物的な対象であり、後者は理論化された対象である。一見、前者の経験的一般化が後者であるように思われるかもしれない。しかしそれはほとんどの場合事実ではない(哲学を問題としているかぎりその違いは自覚されやすいが、実証科学の場合両者の関係が見落とされやすい)。「視聴者大衆」の総和は「市民」にはならないことを想像すればよい。後者は文明の中で独自の領域として存在するのである。精神文化を対象とする本稿は結果的には後者に注目することになるが、前者をその形成の契機として考察の対象に含める必要があることは当然である。かくして、精神文化が「理」と「性」はなぜ、いかに会通するかを構想するとき、その「性」なるものの「哲学的」理論像の中に「人倫」の様相が映りこむという、三重の層が存在することになる。次のような別の角度からこれを表現してもよい。「性」「理」は要するに人心と世界である。現代では、この二つを仲介するものの名称は知識の分野によってまちまちであろう。哲学者であれば感覚、知覚、またそれらを総合する認識作用であるとするであろう。神学者はもちろん信仰というにちがいないし、倫理学者であれば道徳とし、実践とす
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いとすれば、(川)問題である。 るであろう。東洋哲学の伝統にしたがって「格物致知、知性為仁」の営為とすることもまた可能である。しかし「理」と「性」が端的に物と人間、物と精神である以上、両極の中間に存在する領域は、とりわけそれがどのような論理的、精神的契機をもとに存在しているかは、われわれに固有の問題意識からすれば当然「社会」そのものであり、「文化」そのものであることになる。そのとき「社会」といい「文化」というものの、それが完全に白紙の即物的経験の対象であることは主客双方にとってほとんどありえないことなのである。したがってこの意味で、われわれにと(凪)って理性〈云通の様相如何が興味深い基本的対象領域とならざるをえないのである。ところで、西欧の思想・哲学が法則追求的であるのにたいして東洋の思想・哲学は倫理的・実践的であるという指摘が従来さまざまの思想史家によってなされ、その結果われわれの間である種の固定観念になっているようである。一つの感覚的目安としては当たらずとも看過してよいが、立ち入った議論としては俗説に過ぎるのであるまいか。この俗説も度が過ぎると、西欧の概念は客観的、東洋の概念は主観的という迷信になる。杷憂なら幸いである。西洋哲学の源流であることにだれからも異存のありえないプラトンの、初期から末期まで変わらぬ主題は「徳」である。かれ以降のギリシャ哲学も、根本において同様であったといってよい。上来述べたことから推測できるように、東西を問わず影響力の大きな哲学が実践的関心を離れて発生したことは、元来なかったのではあるまいか。東西の相違にかんするこの目安は、専門化(分業化)が進みはじめる近代初頭の西欧哲学を念頭においていったものか、あるいは論証方法への関心より洞察にかんする関心の方が優先する東洋哲学の特質をいわんとしたものであるか、どちらかであろう。哲学における実践の亟要性を弁護する意志は毛頭ないが、もし本当に哲学が実践的関心を離れては成立しえないとすれば、このような差異を一言うよりは、なぜ西欧で実践的関心が薄れたのかということの方がはるかに興味深い
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このような哲学の倫理性に関連するいっそう一般的な問題として、「神話」(以下「自然宗教」という表現をも同じ内容で使用する)と「哲学」とをいかに区別するかという問題がある。この問題はここで論を進める一つの有力な手(焔)がかりとなる。神話は科学であることをあらためて証明したのはレヴィⅡストロースであった。それなら、神話は哲学であるといっていけない理由があるだろうか。あるとするなら、その理由はなにに求めうるのか。なお、ミュトスとフィロソフィァが連続しつつも異なる知的探求であるという主張はプラトンを経由しアリストテレスにおいて強意〈焔)に成立した西洋古典期の独自の思考様式である。東洋にはなかったものである。区別する理由が正しさ(真理性)にあるというのは答えにならない。現代の哲学であれ科学であれ、論証方法、論証手続きにかんする自覚が高度であることは否定しえず、その自覚が学問を成立させるといって差し支えない。ではこの自覚はなにのためかといえば、正しさを保証するためであろう。だが正しさの保証といえば、神話も決してそれにことを欠くものではない。保証となるものは「伝統」である。父祖代々伝承されたものが正しいのである。クルト・ザックスはあるインデアン部族の祭祀音楽にかんする記録の中で「歌を間違えて歌ったものはその場で矢によっ(Ⅳ)て射殺される」と報告している。正しさの保証にかんする自覚は今日の比でないということの、雄弁な証一一弓である。では、神話は変化せず哲学は革新・変化するというのはどうだろうか。これも答えにはならない。変わったのは先に原因があった結果であって、目的ではないはずだからである。こうして素朴に消去を重ねてなお残るもっとも重要な論点は、結局「正しさ」の共有基盤の相違という論点に還るのである。前述したような、立脚する「人倫共同体」の状態の相違であり、とりわけそれに文明が作用しはじめたか否かなのである。この問題の複雑さをさらに二つの視点から敷術することができる。第一の視点として、神話の正しさは当の部族集団を越えて通文化的に主張されるものではない。|方哲学とされるものは、正しさが通文化的に、すなわち複数集団
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にまたがって普遍的に主張されるものである。このことは一見明白である。とくに現代では問われることすらない既定事実のようである。ところがつぎのような問題を考慮すると、これも決して無条件に肯定できない側面をもっている。文明の撹押期(たとえば六朝時代、ヘレニズム時代のような)においては、道徳と真理が準拠する共有基盤も撹押されずにはすまない。その撹押・交流の中から準拠基盤の相対化が進み、より普遍的に妥当性を主張しうる哲学がより広い共有基盤をともなって登場するというのは、いわば教科書的結果論である。同様に、この撹押・交流の中から「佃」として恩策する哲学者が生じるというのも、教科書的楽観論である。しかし歴史の実体はこのように都合よくはできていない。ではその実体はどうであったか、という問題にはこのあとですぐ立ち入ることとする。第二の視点として、神話が崩壊する地点は、「性」の共有基盤の一筋縄ではすまない様相が出現する地点でもある、という問題をつけ加える必要がある。この第二の視点から見られるものは、単純な信仰である神話が崩壊し、複雑な思考である哲学が出現するというたぐいの一般論であるよりは、神話と哲学の混交・折衷、「非在の共有基盤」への途方もない愉慨、「当為としての共有基盤」への熾烈な要求、神学の成立、などのむき出しのパトスの渦巻く歴史世界である。極論すれば、文明が成立して以降このかた、「性」の共有基盤である人倫共同体が起源神話の伝統に守られて自明の確固たる地歩を長く安定して保持していたようなことは、かって一度もないとさえいいうるのである。以上を要約すると、結局「人倫」や「人倫共同体」はさかのぼろうとすれば本来は文明以前に属する文化そのもの、社会そのものに帰りついてしまうのである。そこではもはやこの概念を必要としないほどに「種としての」人間そのものが生きかつ死んでいるのである。レヴィⅡストロースのあきらかにした「歴史の存在しない時間」のなかに溶け込むのである。上述のなかで問題を複雑にし過ぎないように「宗教」には故意に触れなかった。「宗教」をいかに定義するかという問題は後の章で述べる。ただ、ここでは上述してきた文明の成立が惹起せずにいないいわば攪枠状態
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「性」の共有基盤は、哲学の構想対象であるのみならず、「文化諸科学」にとって当然の出発点であり、またもちろん遊離すべからざる立脚点でもある。前世紀末から今世紀初頭の社会学者が「道徳」「モーレス」「フォークウエイズ」等と命名した人倫共同体の成立原理にかんする指摘は、「文化」の核心にある重要な側面を明るみにもたらすものであった。これらは、いわば意識的に構成される以前の「性」の共有基盤の社会性を抽出した概念であった。さらに、これらによって構成される社会性にたいして言葉をあてるとすれば「ソシアビリテ」、「ゲゼッリヒカイト」、「倫」(倫、輩也の古義による)などがそれに相当するだろう。これらの原理の研究は、どちらかといえばいわゆる形式社会学確立以前の社会学者の研究関心に特徴的なものであった。今日から振り返れば、かれらは素朴な社会有機体論的視点に鼓舞されてではあったが、結果的に社会や文化の歴史的・民族的比較研究を無意識に行っていたのである。それを通じて、人類の普遍的人倫共同体とみなされた「市民社会」のなかに、すなわちその一般性のなかにはむしろ の中から、「宗教」というものも成立するということにだけ留意しておく。具体的事例を考える方が理解しやすい。たとえばほぼ二千年間西欧哲学を悩ませたあの「形相」(の箆・⑪烏・門日口)と「質料」(ご}の》日日の円莅)の問題は、哲学(正確には神学)の議論としては深刻であったが、神話として考えれば(脇)どの未開社会にもあったごく当たり前の思考習慣である。魂がなければ人間になれない。魂は死んでも循環して不滅だが肉体は朽ちるのである。それだけの話だ。未開社会の「人倫」の中にあった観念が基盤を失い、神学に緊縛されるとそれから抜け出すのに二千年かかる。精神文化は自ずから一個独自の文化なのである。
三人倫共同体と社会学的概念の関係
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吸収しきれない、精神文化による加工を与えられる以前の社会性の存在を暗示していたのである。では「道徳」や「モーレス」に対応する集団概念は、社会学の中ではどのように命名され、どのように扱われてきたかについてもここで一瞥しなければならない。なかでもっとも重要であり、またここでの論旨によくマッチするも(⑲)のはおそらくクーリーの「プーフイマリー・グループ」である。クーリーは人間が互いに直接接触し、知りあうことのできる生活圏によって自然に形成される集団を社会性の基礎と見なし、それにたいしてこの名称を当てた。この意味の集団は、かれにとってむしろ規模の点で大きな集団、組織(いわゆる「セカンダリー・グループこの下位概念としてではなく、文字どおりプライマリーなものという意味あいを持っていた。この概念は、社会学の研究がむしろ大きな集団に向かうとともに、事冠実上マイナーな関心事になっていった。大きな、といっても「全体社会」や最近の川語でいう「マクロソシオロジー」の対象ではなく、大きいと同時に組織化された集団が主要な関心事となった。社会学は組織研究に主たる関心を奪われがちだったのである。さらにここでも現実問題として、企業や官僚機構のような組織化された集団の圧倒的影響力の下で、プライマリー・グループの存在が見えにくくなるということが作用した。見えにくくなることが理論の中に所を得にくくなる、という相乗効果である。あたかもその反作用であるかのように、ときおり例外が噴出した。その数例を思いつくままにあげる。(1)産業社会学のいわゆる「人間関係」アプローチ。これは米国の移民不熟練労働者の自然な社会性が産業組織の効率の従属慨(加)念として取り上げられた例である。「モラール(志気)」という一一一一口葉を生みだし、これが現代の日常語となった。(2)ホマンズの「ヒューマン・グループ」。これは集団理論の構成のための問題提起として扱われ、集団・組織の一般理(別)(亜)垂淑の中に吸収された。(3)リースマンの孤独な群衆の中の少年の「遊戯集団」。これは大衆文化論の中に拡散した(4)以上の傾向と直接間接に関わりを持ちながら理論上の問題提起として提出されたものが、マートンの「準拠集
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その他、ごく最近行われているいわゆるシンボリック相互作用論のいう「シンボル」なるものの中にも、注意深く(別)観察すればプーフイマリーな社会性の自己主張を感じることができるが、ここで深く立ち入るにはあたらないであろう。プラグマティックな研究の盛況とともに、ここに指摘しているようなある社会構成の要因は一般には拡散傾向をたどった。またかっての「道徳」や「モーレス」は、概して「規範」という一般概念の中に吸収される経過をたどった。こうして「俗」の「俗」たる所以のものが見えにくくなったのである。しかし、文化研究の一環として、文明においても「性」の共有基盤の上にしか存在しない「性」が、「理」の構想
とどのように会通するかという問題を立てる以上、前者を指示する名称を示しておかねばならない。上に一瞥したように、残念ながら社会学の術語はこの目的にとっていずれも座りが悪いのである。強いて採川するとすれば「性の準拠集団」であろうか。しかしこれもそぐわないとなれば、やはり前述した通り「人倫」(の】己旦禺囚()というヘーゲル哲学の翻訳に用いられる用語を、ただし上記のような社会学的内容を込めて借用するにしくはない。さらに、その集団としての側面を強調したいときには「人倫共同体」という表現を採用することとする。したがってこれ以降、「人倫」「人倫共同体」という名称は「性」の共有基盤としての、「ソシアビリテ」として形成される自然な集団性または集団そのものを指示するものとして使用する。ヘーゲルの「ジッテ」や「ジットリヒカイト」が哲学によって止揚され、普遍化された人間集団の結合原理を指すために使用されるのとは正反対に、ここでこれから使用する「人倫」は、精神文化の昇華作用を受ける以前の、またはその作用の客体の一環をなすところの、人間のさまざまの結合 (羽)団」論であろう。この概念は周知の中範囲の理論という提言と対応する10のである。この提一言は一面で現実主義であり、他の一面で判断中止でもある。まさにそのことのゆえに、「準拠集団」という概念はいまだに使用に耐える術語のひとつとなっている。
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二○世紀後半になって、一個のきわめて注目すべき例外が出現した。米国の六○年代のヒッピーを中心とするひとびとが、文明にたいする反省をこめてあえてこれを「コミューン」という草の根の結合原理として能動的に自己主張したという希な事例がそれである。そのとき西欧の精神文化の核心である「理性」が批判の対象になったのは当然のことであった。エスカトロジーに根拠を求めないという意味でも西欧では異例であった。その根拠地はもっとはるかに遠く、かれらは自己を「部族」に属すとした。そのような例外を除くと、この意味の自然な「人倫共同体」の実体を何に求めるかは個別研究毎に異なってくる重要な課題である。いずれにせよ何が「人倫共同体」として選ばれるべきかは、研究する対象の時代と場所とに応じて当然異なってくるはずのものである。本稿では、すでに述べたように精神文化が人間の存在(「性」)を「理」において正当化する(または反対に否定、拒否する)にあたって、意識するかしないかにかかわらず人間の「性」の実質を基礎的に形成するところの、このような集合形象の実状からの作川を受けざるをえないという一般的事実の指摘が課題である。したがって、実際に何がその集合形象に該当するのかという、具体的歴史状況の中でしか答ええない問題を網羅することはしない。逆にいえばこのような一般問題を考察する場合には、あらゆる時代の多様な事例から必要な洞察を得ることが望ましいといえ 原理、(露)ある。ないし、より庭かも知れない。 この意味の「人倫共同体」が呈する様相は歴史的現実の中では実にさまざまでありうる。民族集団であるかも知れいし、より歴史の古い氏族や氏族連合であるかも知れない。逆に新しい種類の朋友、家族、親族や近隣集団である いわばデュルケムがその社会学の中でいう「道徳」(日・日一の)や「連帯」(⑰。巨日愚)そのものを指すもので
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る。その際に、過去の事例がかえって鮮明な洞察を与えることは多い。たとえばその一例として、最近、フィリップ・アリエス達の主催する「人間科学国際会議」が、ルネッサンス期のさまざまな「遊び」についての事例研究集を(露)公刊していることに留意しておこう。ルネッサンス期は、周知のように精神文化と「俗」の文化の双方が沸き上がっていた興味深い時代であるが、この報告集は、そのなかで遊びを考察する観点を、時代の精神文化(8岸日の
⑪四目員の)と対置される意味での「ソシアビリテ」の問題の研究であると明確に位置づけている。最近の「遊び」の研究の行った重要な指摘である。このように、「人倫」とその社会性を見ようとするとき、近代とは異なった時代に素材を求めるのはたしかに一つの賢明な方法の一つであろう。その際、この報告書のように文化のある一面をあえて抽出しているという自覚がともなう必要があるのはいうまでもない。つぎの章では、それとは別に歴史過程における「人倫共同体」の崩壊事例の若干を見ることによって、いわば不幸な破壊実験の結果を観察することによって、むしろ反対の方向からその意義を逆算してみたい。それによって、宗教という精神文化は果たして「理」と「性」の会通に関していかなる位置を占めるのかを、同時に考えてみたいからである。素材のひとつはアドルフ・ロッズによるユダヤ教成立と予言者運動の研究、もうひとつはハンス・ヨナスによ
るグノーシス宗教の研究対象となったヘレニズム期の地中海・小アジアの精神状況である。この二つの考察を通じて、後の東西精神文化比較上に必要な視点の所在を明らかにしたい。
1ロッズのユダヤ教予言者論 四人倫共同体の崩壊様相ならびに宗教の問題
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〈マ、一一三□つ◎ ペテルの祭司アマッャは、使者を介してイスラエルの王ヤロブアムにたいし、アモスなる予言者が国王の死とイスラエルの滅亡を広一一一一口し、王国の利益にそむく言動をしていると告発した。ベテルはイスラエル王国の首都サマリァとユダ王国の首都エルサレムのほぼ中間にあり、両国の境界からわずかにイスラエル側に入った位置にあった重要な古都である。ヤロプアムなるものは正確にはヤロブアムⅡ世であり、紀元前七八七年イスラエル王となり四○年間一体位した王であることが確認されている。「アマッャはアモスに言った。「先見者よ、行け。ユダの国へ逃れ、そこで預言するがよい。だが、ベテルでは二度と預言するな。ここは王の聖所、王国の神殿だから。」アモスは答えてアマッャに言った。「わたしは預言者ではない。預言者の弟子でもない。わたしは家畜を飼い、いちじく桑を栽培する者だ」。主は家畜の群れを追っているところから、わたしを取り、「行って、わが民イスラエルに預言せよ」と言われた。今、主の言葉を聞け。あなたは、「イスラエルに向かって預言するな、イサクの家に向かってたわごとを言うな」と
それゆえ、主はこう
分けられ/お前は汚ス七・一二~一七)。社会学にはよく知られているように、マックス・ヴェーバーは古代ユダヤ教を「パーリァ民族の宗教」と位置づけ、その形成がなぜパレスティナにおいてなされたのかを、ユダヤ民族のヨルダン川西岸(カナーンの地)への進出以降の全過程を取り上げて論じている。その主題はパーリア民族的宗教成立の原因と意義に向けられている。それにたいして、ここで参考とするアドルフ・ロッズの「予言者とユダヤ教の成立』はそれから約一一十年後に書かれ、表題の通 主はこう言われる。/お前の妻は町の中で遊女となり/息子、娘らは剣に倒れ/土地は測り縄でお前は汚れた土地で死ぬ。/イスラエルは、必ず捕らえられて/その土地から連れ去られる」(アモ
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リュダャ教成立における予言者の役割の強調という論点を中心に議論が展開されている。両者の見方は、細かく検討するとやや相違がある。ヴェーバーはその大部の叙述の前半を「ヤーヴご神観念の形(配)成に注ぎ、その性格を「》實約共同体の神」として確立したものと見なす。そして後半になって、予言者の独特の弁神論に論究し、これがすでにあったユダヤ教のパーリア民族宗教としての性格をいやが上にも深く刻印したと論じる。(幻)ヴェーバーには、祭司階級と予言者とを別のものとする認識は強くない。それにたいしてロッズは、ヤーヴェの性格についてはそれ自体が文化的に大きな特異性を持つものとせず、あるいは正確にいえばその特異性についてはもっと慎重であり、むしろ予言者の歴史的活動がユダヤ教を特異なものに塑形したという見解を取る。あえていえば、前者が申命記等のモーゼ五書、あるいは列王記等のいわゆる「歴史」に大きな分析関心を置くのにたいして、後者は旧約
聖書成立の文献学的成果と古代オリエント史の成果を踏まえた上で、一連の予言者の書に主要な関心を置き、申命記等の歴史をそれから逆に解釈する方法を取る。この相違は依拠する文献に関してだけでなく、両者が祭司階級と予言者のいずれに力点を置くかという問題にも反映する。結論的にはヴェーバーが「合理化」の根拠を求めようとする動機から祭司階級と律法の形成に力点をおかざるをえないのにたいして、後者はより中立的に歴史過程の再現を意図し(蝿)たものになっている。以上の当否はその後の旧約聖書学の研究に待つほかないが、概してくう日の研究は後者を支持するものが多いと思われる。もっとも、両者が予言者の重要性そのものについて見解を異にしているとまではいえない。とくにヴェーバーは予言者の「苦難の弁神論」(日ロの。&いの①Qの、い①丘のロ⑪)がユダヤ教の、ひいてはキリスト教の世界宗教としての個性を形成したことを強調していることは周知の通りである。予言者が懸依者であったことは語り尽くされているのでいっさい省略する。もっとも懸依性は予言者にとどまらず、神託を事とする祭司階級も元来はその性質を共有するものであったことは留意する必要があろう。後世のエヴァン
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リア、エジプトの存十究研重要参考事項である。的学lヨルダン川の峠今室社にも海運の利にも恵ふ化文度の乾燥性の山地で←
|成する場所である・亟
藝銅通時、衝突の中間点と』〈云性に関してはあたかも迄理 lヨルダン川の作る渓谷とその西岸パレスティナそのものは、稠密な人口と巨大文明を養うに足るような地の利にも海運の利にも恵まれない土地である。アモスが自分の生業を紹介して言うように、牧畜と果実栽培を許容する程度の乾燥性の山地である。しかし地形的には、ここはアラビアおよびアフリカとメソポタミア地方との陸の回廊を形成する場所である。その結果、古代世界有数の珊権帝国エジプトとアッシリアの存在の下ではまさに相互の勢力の対時、衝突の中間点となるところであった。国土の狭嬢さにおいてはあたかも古代ギリシャに似かよい、国際勢力均衡に関してはあたかも近代におけるポーランドやバルト三国に似た位置である。2アッシリア帝国の他民族支配の大きな特徴は「強制移住政策」(Qの□・円口口・ロ)であった。征服地の民族の政治、 ズⅡプリチャードのヌァー族研究は、予言者運動がこれから述べるような固有の様相を示す直前の文化の様相を驚く(”)ほどよく再現するものとして参考に値する。ロッズの研究が持っている独自性は、以上のほかにも次のような点にある。l、ロッズの観点は前九世紀前後からパレスティナを、メソポタミアとエジプトを包摂する西地中海・アジア世界の古代国際情勢の中に位悩づける。2、(列)この結果としてアッシリア、エジプト、バビロニア側の資料も考察の対象となる。3、土着宗教、祭司階級、王によ(訓)る宗教再編、予一三回者の倫理的主張、の四つの葛藤の中にユダヤ族の成立を論じる。その上で、予言者の存在をこの宗
教の骨格を形成する最大の契機だったとするのである。これらの点で、なかでも特にこの第三の点で、ロッズの研究は本稿の目的にとって有益である。問題の第一の側面についてはここで詳細な叙述をする必要性が乏しいであろうが、この時代の覇権勢力たるアッシリア、エジプトの存在と軍事専制帝国としての性格は参考事項として念頭に置く必要があろう。とりわけ次の二点は
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文化の中枢を占める人口を伝統に結びつく居住地から引き離し、異なった土地に強制移住させることである。民族の持つ固有の結合力をこうして破壊することが、他民族支配の強力な手段として採用された古典的事例のひとつであろう。この政策はアッシリアの滅亡後も新バビロニアに引き継がれ、ユダヤ民族史に残るいわゆる「バビロンの捕囚」につながるものである。ヘレニズム期にも重要な役割を占める小アジアの東からイラン高原の西にかけての広い一体は、この政策によって間断ない攪拝状態におかれた。統一へプライ王国は前十世紀半ばにユダヤ、イスラエル両王国に分解するが、その直後からこのような軍事専制帝国の脅威にさらされる。もっとも、ロッズはこのような政治状況を直ちに予言者の存在と結びつけることは不可能とする。予言者と政治状況を直結する議論は比較的広く存在した学説であったようである。そのなかには、予言者はニネヴェ、あるいはパビ(犯)ロンの宮殿から遠隔操作された諜報エージェントだとする極至細もあったことをロッズは具体的に上げている。ヴェー(鋤)バーも、さすがにこの極藝禰こそ採用していないものの、予言者は政治的扇動者であったという判断を示唆している。そのような説が立てられても不思議ではないほど、今日に残る予言者の書には随所に、アッシリアあるいはパピローーァの脅威に言及する個所が見られる。しかしロッズの論旨は、予言者の特異な性格は政治状況への言及にあるのではなく、その政治的脅威がイスラエルの犯した罪の結果であるという「倫理的命題」の中にあるとする。この独特の倫理性、あるいは弁神論が、「ヤーヴェの日」という本来は素朴な部族祝祭のための日すらを、ヤーヴェの怒りと罰とが民族にたいして下る裁きの日に変えてしまった。予言者たちの精神活動こそがヤーヴェ一神教の特異な性格を形成したというのがロッズの議論である。今日の旧約聖書学は、この議論の内容をではないまでも、旧約全体の中のなかで予言者の書の歴史的信懸性がきわめて高く、一方いわゆるモーゼ五書の相当部分がバビロン捕囚以降の祭司階級によるユダヤ教の律法から逆算した加
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理性会通論一文化社会学的研究
(弧)筆を含んでいることを認めている。先に断ったように、ロッズの研究はこのような旧約聖書学と、東方のアッシリア学の成果を踏まえた上での説である。予言者は、その内容と時代に即してほぼ三群に分けられる。第一群はイスラエル王国で予言したアモス、ホセャおよびイスラエル王国解体直後のユダ王国で予言したイザャ、ミカなどであり、前八世紀前後の予言者群である。第二群はそれに引き続く崩壊目前のユダ王国末期から捕囚の時期にまたがる、前七世紀以後のエレミァ、エゼキエル、第二イザャなどである。最後の第三の群は、エルサレム神殿再興後にいたるハガイ、ゼカリア、マラキなどである。一般にかれらは「適切な言葉がないために大予言者、記述予言者などと呼ばれる」。記述予言者の語は、かれらの言葉が予言者の書として文字によって伝えられたことをいう。ロッズの考察は三群それぞれについて論点と意義の扣違を論じたものであるが、ここではその詳細を再現することを略し、かれが重要な論点としてあげる事実に即してこれを要約する。(弱)ロッズによる予一一一一口者の特殊性は、次の四点に見いだされる。l、民族衰退の必然性の確信。これが政治上の判断としてではなく、民族の行為の堕落にたいするヤーヴェの罰と
いう倫理的次元の確信であることが重要なことは上述した通りである。かれらがこのような予言を行ったのは、必ずしもアッシリア帝国の具体的な脅威が目前のものとなってからではない。このあたりに、先の扇動者、諜報者などの説がたてられる理由もある。ともあれ、これは通常の民族神にたいする自然の態度とは甚しく異なる異様な、すくなくとも特殊な信念であることはいうまでもない。神は通常は守護するものであって破滅させるものではないからであ
る。
2、罪の内容の観念。結論をいえば、かれらが罪の内容とするものは文明である。カナーン進出以降、この地がフェニキア人などの栄える沿岸やシリアなどの地中海商業の要衝に近く、特にイスラエル王国を中心にヘプライ民族は
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