ハイエク社会理論体系の研究一
︵iハイエクの社会科学方法論一
古 賀 勝 次 郎
目 次
は じ め に
e 社会科学の成立
◎ 自然科学と社会科学
β 科学主義的方法論批判
ω 客観主義批判
ω 集団主義批判
㈹ 歴史主義批判
︹四 ハイエクの社会科学方法論
ω 個人主義的・合成的方法
㈹ パターン認識とパターン予測
脚 理論と法則
む す び
3
は じ め に
4
F・ハイエク︵宰剛Φ爵停﹀茜塁け.くg国潜閤パ﹂︒︒81︶の名はわが国においては︑主に経済学者として知られるに止
まり︑経済学以外の分野におけるハイエクの学問的業績には︑極く最近までほとんど注意されることがなかった︒も
ちろんハイエク体系に占める経済学の比重が極めて大きいことは言うを侯たないが︑その他の領域においてもハイエ
クの残している研究成果は︑経済学におけると同じく︑何れも優れており︑その独創性に富んだ理論展開には驚くべ
きものがある︒しかもハイ香クの社会理論を構成している各々の部門は︑単に平面的に配列されているのではなく︑
相互に緊密な関連を有する一つの有機的な体系をなしている︒
ハイエクの社会理論体系は︑社会科学方法論︑心理学︑法学︑政治学︑経済学とおよそ五つの部門から成っている ︵1︶と考えられる︒ところでハイエクが本来自分の専門としていた経済学の分野を越えて︑他の学問領域までその研究対
象を拡大していったのは︑現実世界の危機的な情況に対し︑自由社会を擁護する立場から︑改めて古典的自由主義の
再検討の必要を認めたからである︒ハイエクには︑第二次世界大戦前︑ドイソとイタリアを襲った国家社会主義︑ま
たイギリスの知識人に多くの支持を得ていたフェビアン社会主義が︑更に︑大戦後︑急速に各先進諸国の問に拡がっ ︵2︶ていった福祉国家の思想が︑それぞれ自由社会をその根本から脅かすものと思われた︒ハイエクの社会理論に著しく
政策的な色彩を与えているのは︑ハイエクがこのような自由社会にとって危険な存在であるイデオロギーとの対決の
中でその理論体系を形成していったからだと考えられる︒その場合ハイエクは︑如何なる政策であれ︑それを経済
学︑あるいは︑法律学といった個別的な学問分野から機械的に引き出すだけでは︑縦え同じ目的を追求するものであ
ハイェク社会理論体系の研究(一)
っても︑それが自由を促進させるか︑それともこれを破壊させるかという点で極めて曖昧であることを十分認識して
いた︒何故なら今日社会科学の諸領域︑とりわけ経済学と法律学に見られる過度の専門化が︑現実の社会問題に対し ︵3︶て適切な政策を導くための明確な判断基準を与えるには︑余りにも技術的になっているからである︒それ故︑現在わ
れわれが抱えている様々な問題の正しい解決は︑経済学や法律学などの個別的な学問分野の外に在って︑しかもそれ ︵4︶等にその具体的な存在根拠を与えている﹁原理﹂の中に求めなければならない︒ハイエクにとってこの原理こそ自由
主義の原理であるが︑彼はこの原理に叢った政策のみを自由社会と両立し︑その基盤を強固にするものとして認め
る︒ しかしハイエクは︑今日の自由主義に対する一般の誤解が︑古典的自由主義者達に屡々見られた自由主義に関す
る︑論理的な厳密性︑斉合性を欠いた議論にあることを否定しない︒かくてハイエクは︑古典的な自由主義を再検討
し︑現代社会に即応した新しい自由主義の原理を確立することが︑今日のわれわれに課せられた最も緊要な問題であ
ると考える.︑ハイエクはこのような認識に立って︑社会科学の総合化を試みた訳だが︑ハイエク体系において︑その
基礎的な理論を与えているのが︑此処に述べようとする社会科学に関する方法論を扱った部分である︒しかしハイエ
クの社会科学方法論は︑﹀●ω蕃昌諭旨も言っているように︑ハイエク体系において︑最も重要な︑中心的位置を占め
︵5︶ ︐るものである︒したがってわれわれがハイエクの社会理論体系を十分理解しようとするならば︑先ずその社会科学方 ︵6︶法論から始め︑その後︑心理学︑法学︑政治学︑経済学などの領域に及ぶべきであろう︒
(↓注
余り注意されていないが︑一九三三年国8ロ︒ヨ凶8誌上に発表された教授就任講義.︑目ぽ︒↓器巳oh国8昌︒葺︒6斜鼻言αq.︑
5
はハイエクが経済学の領域を越えて幅広い問題を論じた最初の文献として極めて重要だと思われる︒
︵2︶欝楓Φぎ閏.鋭誤①09︒・馨&B︒剛=げ①冴し㊤①ρや・︒αω・
︵3︶顛希ぎ国﹀こ罫ヨピΦα・一︒・揮喜9乙=げΦ量し㊤↓ω︾<︒ピ炉℃・幽・
︵4︶寓曙Φぎ悶.︾こ↓冨O︒コ巴葺幽8︒hごげ①曙し8ρo・ω・
︵5︶ω冨叢・昼﹀尋・ジω号二言碧3年目ε畠︒hωa・蔓甲ぎ国⁝馨︒昌守団︒ポ§①も・①鱒・
︵6︶ ハイエクの社会科学方法論は︑彼の心理学の研究と極めて密接な関係をもっているが︑此処では︑紙幅の都合上︑
触れることぽ必要最小限に止めざるを得ないことを予め断っておく︒ 此れに
6
一 社会科学の成立 ︵
如何なる学問的研究もわれわれがある事象に対し驚きを示し︑満たされぬ必要を感じた時駆り立てられる︒われわ
れが驚きを示すこと自体︑既にわれわれが一つの問題を提出しているということであり︑また満たされぬ必要を感じ
るが故に︑われわれはその問題の解決へと努力を傾けていくのである︒十八世紀から︑十九世紀前半において緩慢で
はあったが︑しかし着実に発展を遂げていった社会科学の形成過程においてもわれわれはこのことを見ることができ
る︒それは当時の社会的︑経済的構造の変化︑すなわち分業と専門化の急速な発達︑具体的にはハイエクが言うよう ︵1︶に︑知識の広範な分散化といった現象と無関係ではなかった︒
周知の如く︑ギリシア以来︑ヨーロッパの知的伝統をなしてきた認識論は︑自然を表わす谷ξω虫︾と︑作為的な ︵2︶るものを意味する︽昏ΦωΦ詑︒触昌︒ヨα︾の二分法をその根本とするものであった︒もちろん︑分業や専門化が余り発
達していなかった時代に在っては︑人間社会に生じる様々な現象は︑かかるギリシア的二分法で以って十分説明し得
たのかもしれない︒そのような社会は︑それ程複雑ではないので︑社会に発生する諸現象が神人同形同性論的に︑す
ハイエク社会理論体系の研究(一)
なわち︑神の命令︑あるいは支配者の意志によって作為されたものであると考えられても別段不思議ではない︒何故
なら︑そうした社会では︑社会生活を営むために各人が必要とした知識はほとんど同じ種類のもので︑しかもそれ等
が︑共同的に使用されていたことから︑全体としての神の命令︑支配者の意志と︑部分としての各人の意志との間に
特に著しい乖離を認めるものが存在していなかったからである︒ところが分業が発達し︑専門化が進んでくると︑各
人は︑社会に分散的にしか存在していないそれぞれ全く異った知識を利用しながら︑社会生活の中に参加していかな
けれぽならなくなる︒かくして次第に︑近代社会に発生している多くの現象が︑自然的でもなく︑作為的でもない︑
A・ファーガソンによって適切にも表現されたように︑人間の行為︵ず口目P螢口 的Oけ圃O昌︶の結果であっても︑人間の設計 ︵3︶︵冨B雪匹aσq昌︶のそれでない領域からなっていることが明らかにされてきたのである︒このような洞察に基づいて
近代における社会科学の発展に大いに貢献したのが︑B・マンドゥヴイル︑D・ヒューム︑A.スミスなどであっ
た︒しかも彼等の社会理論は︑近代社会における個人と自由の再発見の問題と密接な関わりをもつものであった︒
マンドゥヴイルやスミスの社会理論の研究は︑高度に分業の発達した社会において︑各人の個別的な行為の結果が
冒らの意図せざ麓目的を促進させ・社会全体糧めて有要成果を齎している社会現象に対する驚きから出発し
ている︒分業が高度化し︑専門化が進行してくると︑各人の所有する知識は︑社会全体からすれぽ︑極めて僅かなも
のとなり︑その上︑個々人のもつ知識はそれぞれ全く異ったものになる︒したがって各人が自分の生活の安全を願う
ならば︑各人は自分の所有するそうした知識を自分の最も身近かな関心事に用いることが︑それを保証する唯一の方
法として考えられる︒つまり各人は自分の極く周辺の事柄に自分の目的を早い出し︑その実現のために自分の所有す
る知識を利用するのである︒だが︑かかる個別的な目的のために使用される知識が︑最も有効に利用され得るような
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社会的機能を果たすものが社会に存在していなけれぽ︑社会の繁栄と秩序は期待することができない︒ハイエクによ
れば︑スミスが﹁見えざる手﹂と漠然と呼んだところのものこそ︑実はこのような社会的機能を果たしているプロセ
スを表現したものであるという︒これがスミス以後︑自由主義的経済学者によって市場メカニズムとして次第に理論
化されていくことになったのである︒要するにスミスが解明したのは︑個別的には明確な目的意識から出た行為であ
っても︑その社会的集合としての社会現象は︑ある一定の社会秩序をもち︑しかもそれが社会全体の単一の設計なく
して如何に自発的に形成されているかということであった︒まさしくハイエクは此処に社会科学の成立とそれが明ら
かにしなければならない対象が如何なるものであるかを見るのである︒すなわちそれは︑C.メンガーの言葉を以っ
てすれぽ︑社会の利益に役立ち︑その発展に最も意義ある社会的諸制度が︑﹁その創設に向けられた共同意志なくし
奮暢
@何に発生し得るのかという問題を明らかにすることが︑社会科学の最も重要な課題ということになる︒そして
マンドゥヴィルやスミスが︑個人や自由のもつ近代的意味を発見したのは︑まさしく彼等がこのことを解明していく
過程においてであった︒
既に述べた如く︑分業が十分発達していない︑したがって余り複雑でない社会においては︑神の命令︑支配者の意
志と個々人の意志との間にその乖離を認めしむるような社会的条件はほとんど存在していなかった︒しかし分業の発
達はわれわれに次の如き洞察を促した︒すなわちそれは︑一︑知識が広く分散化されているので社会を計画︑管理す
るために必要な具体的な知識をその全体において正確に把握することが不可能であること︑二︑個々人の生活におい
て︑各人は自分の所有する知識を自分の目的にしたがって︑自分の周辺の事柄に用いる以外︑各人の生活を確実にす
る方法はないということ︑これである︒此処にわれわれは近代における個人および自由の再発見の社会科学的意味を
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ハイエク社会理論体系の研究(一)
見い出すことができる︒すなわちそれは︑マンドゥヴィルやスミスなどが屡々使った︽ω①一︷一一〇く①︾︑あるいは︑︽ω巴h−
ぎ8器︒︒け︾という言葉が示しているように︑共同意志を否定する個人の主張であり︑また︑権力の恣意的乱用を拒否
し︑個人的自由の拡大を要求するものであった︒何故ならば︑分業の高度化︑知識の分散化に伴って︑文明が進歩︑
発展してくれぽ︑それに比例し︑人間のそれ等に関する無知の領域が拡大されるからである︒このわれわれが置かれ
ている無知の状態の自覚が︑個人的理性に対して厳しくその制限を求めるのであって︑社会科学的意味とはすなわち
この事である︒かくて社会科学は︑個人と自由をその基礎に置くことによって発展せられたのであるが︑それは︑個
人を社会を構成する最も基本的で︑しかも一般的要素として認識し︑また個人的自由が保障される限り︑社会は個人
の集計以上のものになるであろうという信念に基づくものであった︒
近代における社会科学の研究は︑各人の個別的目的意志から出た行為が︑全体的意志なくして︑如何に社会に繁栄
と秩序を齎しているかということの経験的実証から始められた︒そしてその過程で︑個人と自由の果たす役割が近代
社会において如何に重要で︑大きなものであるかが認識されてきたのである︒しかしそれは人間が万能の理性を有し
ている存在として考えられたからではなく︑全く逆に人間の個人的理性の不可避的制約性に対する謙虚な態度による
ものであった︒其処から個入的理性の絶対性に基づいた全体的意志が拒否され︑理性を人類の文明の産物であるとす
る考えが導かれた︒かくして近代社会を秩序づけている最も大きな要因が︑人類の文明の産物としての法と市場メ
カニズムであることが明らかにされたのである︒F・マイネッヶがいみじくも︑ヒュームが英国史を書いた意図は︑ ︵6︶︽αQ︒<①§Φ三︒h≦三︾から︽αqo︿臼葺①ヨ︒=£︒≦ω︾への移行過程を明らかにすることにあったといったように︑それ
は︑人間の全体意志ではなく︑法の一般性によって社会の秩序が齎されていることを示すものであった︒また市場メ
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カニズムは︑自由との関連において︑若しわれわれが何等かの恣意的権力の支配から逃れ︑個人的自由を維持するに
は︑市場という非人格的過程に委ねることが必要であるという理由で正当化されたのである︒
以上から明らかなように︑社会科学は︑人類の歴史とともに古くからある個人と自由の概念に近代的意味を加える
ことによって︑個人と自由を基本とする自由社会の合理性を論証するものとして成立︑発展してきたのである︒しか
しハイエクは︑このような社会科学が自然科学の圧倒的な影響を受けるに至って寧ろ︑社会科学の発展を阻み︑また
個人と自由に対する脅威となってきたと考える︒そこでハイエクは次に自然科学が社会科学に及ぼすようになった原
因︑また自然科学と社会科学の相違についてその考察を進める︒
注
︵1︶ 詳しくは拙稿﹁自由と秩序に関する社会思想史的研究⇔ーロックとスミスi﹂︵﹃世界経済﹄一九七七年九月号︶参照︒
︵2︶ 国畠Φぎ男︾こω言象①ωぎ℃7まωo喜ざ勺〇一三︒u・睾当国︒80巨︒︒︒甲一8メマま.
︵3︶ Hげ凶αこΨ箋●
︵4︶ω邑葺︾畠日こ↓冨芝Φ帥写︒出Zpま昼↓冨ζ︒餌Φ﹃p=げ冨ジ℃︒畠・︒・
︵5︶ζ魯σq①ぴO巴.¢三①﹁︒・琴ず§σQ窪三碧臼①ζ︒チ︒ユ&①ωω︒N巨三u・ω窪︒・︒訂ぽ戸口えα嘆℃︒=二の筈20匠8︒巨①ぎω−
げ①ω05号﹁ρ一︒◎QcρQo.一①ω陰
︵6︶ζ①ぎ①︒げρ宰冨締繭︒﹃.︾望︒国葺︒︒9ご亮牙u・空ω8ユωヨニω口89しd餌●H■Q︒﹄︒︒心■
(二)
自然科学と社会科学
ハイエクによれぽ︑社会科学の研究は︑十八世紀︑また十九世紀初頭におけるその緩やかな進歩の中で︑それが直 ︵ユ︶面しなければならなかった問題の性質に相応しい方法によって導かれていたという︒したがって当時のこの分野の研
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ハイエク社会理論体隆の研究(一)
究者達は︑それが問題のより一般的な側面に関わる時︑科学というより︑哲学という言葉を選び︑社会哲学︑あるい
は︑道徳哲学などの名称を用いたのである︒もちろん︑科学という語も︑自然哲学に対照された道徳科学という用法
に見られた如く︑今日のように狭い意味では使われていなかった︒しかしその後︑科学という語は︑特殊な厳密性や︑
確実性によって︑他の学問分野との区別を主張していた物理学や生物学に限定されて使用されるようになった︒物理
学や生物学の分野における著しい発達と︑素晴しい成果が︑かかる傾向を急速に強めていったのである︒それが他の
分野の研究者達にとって異常な魅力となり︑彼等は物理学や生物学の方法︑技術を模倣することによって︑彼等の学
問分野の発達もこれを期待できるであろうと信ずるようになった︒かくして物理学や生物学が他のすべての分野の支
配的範型としての地位を獲得したのである︒社会科学もこの例外に止まることが出来なかった︒しかも自然科学の進
歩に眩惑された社会科学者がとった方法が︑自然科学者が︑自然科学の領域でとっていた方法と同じものでなく︑そ
の誤った理解に基づいていたところにこの問題をより難しいものにした︒それは単に自然科学の方法を︑無批判的に
それとは全く条件を異にした領域に適用したに過ぎないのであって︑それは科学的態度では決してなく︑﹁科学主義﹂ ●⁝︒●● ︵2︶︵ω〇一①コけ一ωヨ︶︑あるいは︑科学主義的偏向であるとハイエクは主張する︒そしてこのような科学主義が社会現象の理解
に著しい害をなしてきたという︒
しかし︑かかる科学主義︑あるいは科学主義的偏向の誤まりを指摘する前に︑先ず科学が︑その発達を妨げてきた
概念や思想と闘わなけれぽならなかった理由から考える必要があろう︒ハイエクは︑ルネッサンス以後︑科学が自ら ︵3︶の進むべき道を切り拓いていく上で障害となった考えに三つあったといっている︒一︑ルネッサンス以前は︑学者の
努力の多くが人間の思想の分析に向けられていた︒それは︑自然の真理に至る道が︑過去の偉大な人々の著作を研究
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することによって得られると考えられていたからである︒二︑事物に関する概念には︑ある超越的な現実性が含まれ
ている︑したがってこのような観念を分析すれば︑現実の事物の属性を知ることができると信じられていた︒三︑所
謂神人同形同性論的考えが支配していた︒すなわちすべてのものをある目的を実現しようとする人間の心の働きから
類推せんとする考えである︒まさにルネッサンス以降の科学の歴史は︑これ等の障害を克服するための過程であった
といってよい︒科学者達は︑人間の思想についての分析を行わなくなり︑所与の概念を現実世界の真の像であると見
倣すことを止め︑社会現象を人間と同じようなそれを導く心を挿入することによって解釈しようとするあらゆる理論
を取り外し︑すべての努力を客観的事実の観察に向けていった︒この過程で人々は︑ある方法で感覚が与︑兄る暫定的
な分類とは違った︑外的世界に関する新しい分類の方法を学んだのである︒こうして科学の主たる仕事は︑日常の経
験から得られた概念を諸現象の体系的な検証に基づいて修正︑再構成することにあるとされた︒
ハイエクによれば︑自然科学の本質は︑入間の直接的な感覚与件を切断し︑感覚による記述に代えるに︑諸現象間 ︵4︶の相互関係を除いて如何なる属性も有しない諸要素による記述を以ってすることにあるという︒すなわちわれわれが
日常抱いている自然に関する像から離れ︑われわれの感覚によって与えられた分類化を︑体系的な検証と実験によっ
て確立された諸関係に基づく他の分類に代えることにある︒したがって︑近代科学の歴史は︑人間の感覚能力が外的
世界に対して示す分類化からの解放過程であったともいってよいであろう︒かくして︑人間が実際自然や世界に対し
てもっている像や観念︑人間の感覚や概念は︑自然科学の対象ではなく︑改善されるべき不完全な道具と見倣され
た︒自然科学は︑人間と人間の関係︑人間と事物との関係︑また世界に関する人間の観念が人々を行動に導く様式に
関心がない︑自然科学が関わるのは︑如何なる属性をも有しない諸関係を変化させている連続的過程なのである︒
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ハイエク社会理論体系θ研究(一一)
これに対し社会科学は︑事物と事物の関係を扱うのではなく︑人間と人間の関係︑人間と事物の関係を扱うのであ
り︑したがって︑人間の感覚︑人間のもつ理念︑人間自身および外的世界に関する知識︑要するに︑自然科学をも含
め︑人間の行為を規定しているすべての領域をその対象とするのである︒そして︑社会科学の仕事は︑無数の人々の ︵6︶行為の意図せざる︑設計されることなく齎された諸結果を明らかにすることにある︒社会は人々によって抱かれてい
るさまざまな観念︑さまざまな理念によって形成される︒社会現象は︑それが人間の精神に反映されている限り︑わ
れわれにとって意味をもつのである︒それ故社会科学は︑人間が社会現象について考える用語によってのみ理解され
︵6︶る︒社会科学は本来︑このように︑社会現象における主観的側面を対象としなければならないのに︑自然科学の方
法︑技術︑用語をそのまま︑無批判的にそれと対象を全く異にする社会科学の領域に受け入れてしまった︒その結果︑
社会科学は誤った方法によって導かれ︑誤った結論を引き出すことになったとハイエクはいう︒
次に社会科学における科学主義の誤りについて考察しよう︒
注︵1︶ 霞亀Φポ閃■︾こ↓冨Oo量8﹁如Φ︿2巨B︒hω9Φ9①⁝ωε出Φu・o詳子①︾げ二ω①o頃力①p・8P一8ρ℃﹂ω■
︵2︶ Hゴ飾こやH9 ハイエクは六〇年代になって︑自らの立場を﹁反.合理主義﹂︵β︒鼻一−葺け一〇昌巴冨B︶から﹁発展的合理主義﹂
︵Φ<oξ二〇冨曙鑓瓢09一一ωヨ︶︑或は︑C・ポッパーと同じく﹁批判的合理主義﹂︵︒葺凶$一考自︒づ︒︒一一ωヨ︶へと改めるようにな
り︑﹁科学主義﹂という語は余り使わず︑設計主義︵OO聲り白け噌二6け凶く一ω巴P︶という語を多く使うようになった︒それはハイエクの
基本的な考えが変ったのではなく︑ポッパーなどによって自然科学に対する理解を深めた結果そうしたのである︒..ズぎ牙
駄開象δ冨一厨ヨ︑︑首ω嘗隻$言℃窯δ︒︒o喜ざo︸⁝叶⁝秘讐同国8嵩︒慧らの9参照9
︵3︶H玄山こ署﹂刈山つ︒︒.︵4︶憲亀こや鱒ω.
13
︵5︶=黒銅男︾こω琶冨・写℃匿︒・8ξ霊三⁝巳国8唇巳︒・︐・
︵6︶密岩銅男﹀臣・o︒舞・夷・・︒藝自︒hω︒雪︒・らωω・ 一88や㊤㏄
14
三 科学主義的方法論批判 ︵
ハイエクは以上のように︑自然科学が社会科学に及ぼした影響︑自然科学の本質︑社会科学の対象︑目的を論じた
後︑それが︑社会科学を如何なる誤った方向へと導いていったかを︑すなわち︑社会科学における科学主義的接近方
法を﹁客観主義﹂︑﹁集団主義﹂︑﹁歴史主義﹂の三つに分けそれぞれに批判を加えている︒もちろん︑これ等三つの接
近方法は︑ハイエクもいうように︑相互に密接な関連をもつものだが︑此処においてもハイエクにしたがって別々に
考察することにしたい︒
D客観主義批判
く 客観主義︵︒豆①︒鈴三ωヨ︶は人間の精神︑行為に関する主観的側面を排除する方向︑したがって︑自然科学老が自分 ︵1︶の研究対象である植物や動物の外に立つ如く︑社会科学者に人間社会の外に立つことを要求する立場である︒ハイエクはこの中に・A・コントの社会物理学︑T・B・ワトソンの行動主義︑0・ノイラートの物理主義などを含めてい
魏鯉
アれ等の思想に共通に見られる特徴は︑自然科学に何等の限界を認めない態度であり︑其処から︑社会科学は︑
自然科学に基づいて構築されなければならないという命題が導かれてくる︒だが人間社会に生じる現象の多くは︑主
観的︑質的な領域からなっているといわなければならない︒もちろん︑自然科学の方法を﹁客観的﹂︑社会科学のそ
れを﹁主観的﹂というのは︑ある程度有効ではあっても︑未だいくらかの曖昧さを残すであろう︒何故なら︑自然科
ハイエク社会理論体系の研究(一)
学においては︑客観的事実と主観的見解の間の対照が極めて簡単であるのに対し︑社会科学の場合には︑観察者の主
観的見解と一応独立していると考えられる他のすべての行為者の見解を対象とするからである︒しかし︑如何なる学
問分野であれ︑われわれが取り扱う対象は︑その具体的対象がもつすべての属性によってではなく︑各分野において
われわれが︑その目的と必要に応じて分類する属性によって規定される︒だから社会科学の場合︑その取り扱う人間
行為に関して︑客観的な共通の属性を有しない諸事実を︑同じ対象︑あるいは同じ行為として分類するのである︒自
然科学の普遍妥当性を信じる客観主義に立つ人々が︑このことに考えが及ばなかったのは当然であった︒
また客観主義が︑社会科学を自然科学的方法に基づいてその理論を組み立てようとする結果︑それは必然的に︑質 ︵3︶的なものを無視し︑計量可能性をすべてだと考える︒そして︑自然科学をモデルとして︑社会現象の対象をその量的
側面︑計量可能なものに限定しようとする︒然し︑社会科学の出発点は︑所与の精神的実在一振えその形成について
説明され得るものであれ︑され得ないものであれ一でなければならない︒否︑客観主義の集中する量的側面は︑寧ろ
計量され得るが故に︑社会現象の研究にとって重要でないとすらいえる︒人間の社会は︑無数の人々の主観的諸行為
が相互に関連し合って形成されている諸関係の体系である︒若しそうであるならぽ︑社会科学はそうした人々の主観
的︑質的側面を対象とするものでなければならない︑とハイエクは言う︒客観主義者には︑個人の内省や︑良心の自
由の問題は︑最初から社会科学の対象とはならなかったのである︒
の集団主義批判 ︵ ︵4︶ 集団主義︵8=①︒梓三ωB︶は︑社会︑経済︑国家︑階級︑資本主義といった全体的なるものを︑直接観察することに
よ﹂って︑法則を発見し得る明瞭に与えられた対象として︑しかも︑それ等の全体的なるものを︑それらがその全体に
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おいて︑恰も単一の意志を有しているかの如く取り扱う態度である︒其処から︑そうした全体的なものに︑生物学で
使われている用語を安易に適用しようとする性向が生まれ︑たとえぽ︑資本主義の生成︑発展︑消滅といった奇妙な ︵5︶理論が構築されることになる︒それは近代以前の神人同形同性論への後退以外のなにものでもない︑とハイエクはい
う︒ 自然科学に求められるのは︑比較的単純な現象における経験的な規則性である︒そしてその規則性が発見された
後︑それをより簡単で且つ一般的な法則にしたがって運動すると考えられる︑屡々純粋な仮説的諸要素のある組み合 ︵6︶わせの産物として説明する︒ところが︑社会科学における集団主義は︑この自然科学の手続き︑あるいは条件といつ
もたのを誤って理解し︑理論的説明の要請に応える前に︑極めて複雑な社会現象の中に経験的規則性を求めようとす
る︒かかる傾向は︑社会現象を構成している個別的現象の中に︑厳密な意味での規則性がほとんど存在しないという
経験によって強められ︑それが益々全体的なるものに期待を抱かしめる︒そしてこの全体的なるものにある規則性を
見いだすと︑それを直ちに一般化して法則と見敬してしまうのである︒それは︑自然科学を︑それと条件を全く異に
する領域に︑しかもその方法を誤って適用したに過ぎない︒しかしその根底には︑全体主義者特有の︑全体は部分の
集計以上のものである︑あるいは︑部分より全体の方がより現実的であるという信仰が横たわっていると考えられ
る︒其処から︑全体を個々の内部連関から体系的に追求することを拒否し︑直接社会全体を把握し得るとする考えが
生まれてくるのである︒だが全体の正確な性質︑またその因果関係を定義することが極めて困難なことから︑それは
常に︑ある特定の個人の﹁意志﹂の範型の上に構築されていかざるを得なくなる︒そして全体はこの意志によって規
定されていると考えるので︑社会全体を維持するには︑そうした特定の個人の意志に従属しなけれぽならないという
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哨
ノ・イエク社会理論体系の研究(一)
思想が導き出されてくる︒本来8p︒一〇房とか匙Φ一ま興β︒↓①とかいう形容詞は︑個々の人々に適用された場合のみ意味 ︵7︶をもつものである︒集団主義が常に要求する社会の目的意識的統制の内容が︑ある特定の個人の意志による統制であ
ることはこのことからも理解される︒このように集団主義的方法は︑決して科学的ではなく︑寧ろ神人同形同性論へ
の後退であるといわざるを得ない︒
集団主義は︑われわれが日常使う︑社会とか︑経済とか︑資本主義といった言葉を︑それに対応する客観的事実の
存在証拠と見敬すという極めて素朴な誤りから出発している︒しかしそれ等の言葉は︑われわれが日常の観察から得
られた個別的な事象の間の関係を説明する単なる暫定的な概念︑あるいは︑理論モデルに過ぎない︒主観的要素をで
きるだけ排除し︑その対象を客観的事実に限定することに熱心な人々が︑このような曖昧な概念︑理論モデルに過ぎ
ないものを現実そのものとして取り扱う︒そしてその事に何等の疑いを挾まない時︑彼等は︽8ロ︒8ε巴重曹︒︒B︾の ︵7︶虚偽の犠牲者となる︒それはわれわれが社会全体を直接理解し得るような能力をもっているという自惚れた理性主義
に立つ人々が陥る素朴な誤謬である︒しかし︑そうした考えが専制主義︑全体主義へと導くのである︒
の歴史主義批判 く 歴史主義︵﹃剛ω沖O﹃凶O一ωコP︶は︑一般に自然科学的な方法に基づく社会理論に反対する立場から主張されたものである︑
と理解されている︒したがって歴史主義を科学主義の産物であるとする考えには些か戸惑いが感じられるかもしれな ︵9︶い︒しかしハイエクは︑歴史主義は︑科学主義の対立物というより︑寧ろその一形態だという︒そしてこのような誤
解を引き起こした原因を︑歴史主義なる語が︑二つの異った︑ある点では全く反対の意味で使用されていたことに求
め﹂ている︒一つは古い見解で︑自然科学者と歴史家の仕事の対比から出てきた歴史に関する科学的理論の可能性を否
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定する考えである︒いま一つは︑歴史こそ社会現象を科学的理論へと導き得る唯一の道であるとする考えである︒だ ︵10︶が︑ハイエクは前者の考えが後者へと変化していった過程には必然的なものがあったとして次のように説明する︒前
者の歴史家の立場に立つ歴史主義は︑自然科学的な一般化を否定し︑歴史現象のもつ︑個別的︑特殊的な性格を強調
する余り︑それがある種の反理論的な偏向を与えた︒そして自然科学と社会科学の相違は︑理論と歴史の相違である
という考えを抱かせ︑理論的方法と歴史的方法によってそれぞれの領域を研究しなければならないという論理を生ん
だ︒この社会科学の領域における歴史を絶対視する考えが︑自然科学の影響を受けた時︑それは︑科学主義的偏向を
もった新しい歴史主義へと変質した︒このようにハイエクは説明する︒社会科学においては︑本来歴史的方法と︑理
論的方法とは相互補完的関係にあるのであって︑理論的方法が不必要だとするのは全くの誤解から来ている︒一般的
なものは︑それが特殊なものを説明するものであるが故にわれわれに関心があるのであり︑特殊的なものは︑ただ発
生学的用法でもって説明され得ても︑決して一般的なものにはなり得ない︒古い歴史主義の立場に立つ人々が︑この
事を充分理解していなかったことが︑歴史現象を絶対化し︑それが逆に科学主義的歴史主義の台頭を許すことになっ
たのである︒
扱て︑科学主義的歴史主義の特徴は︑集団主義的方法の中に歴史を絶対視する考えが付け加えられたところに見る
ことができる︒すなわちそれは︑極めて複雑な社会現象を歴史的に与えられた全体として把握し︑その観察から社会
の歴史的発展を発見しようとする態度である︒それは歴史主義の名の下に︑歴史理論︑あるいは歴史哲学に対する経
験的基礎を尊い出そうと努め︑歴史的発展の必然性の過程を︑段階︑様式︑体制といった範疇で捉えようと試みる︒
だがかかる歴史主義は︑一方において︑その性質からして発見し得ないような歴史の法則を︑個別的︑特殊的な歴史
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ハイエク社会理論体系の研究(一)
現象の継起の中に求めようとする︒他方においてそれは︑特殊な全体を理解する上で有効な手懸りを与える理論︑す
なわちわれわれに親しい諸要素が︑現実の社会に見い出される特殊な組み合わせを作り出すために結合され得る様々
な方法を示す理論︑の可能性を否定する︒歴史の一面的解釈と︑それに基づいた決定論的歴史理論が︑歴史主義の最
も著しい特徴である︒
歴史主義は︑われわれに親しい諸要素から︑またそれ等の間の諸変化から︑現実の複雑なしかも特殊な社会の構造
を再構成しようとする手続きをとらず︑理性に訴えることによって︑直接その全体を把握し︑歴史的に規定された法
則を発見し得ると主張する︒其処からある段階︑様式︑体制が歴史的必然として︑新しい段階︑様式︑体制にとって
代わらねばならないという信仰を生むのである︒ヘーゲル︑コント︑マルクス︑シュペングラーなどは︑このような ︵11︶考えを社会科学の典型的な成果と見倣した︒歴史主義は︑自然科学におけるような法則を歴史現象の中に発見しよう
としたのであるが︑それは当然︑歴史の発展を正確に予測し得る歴史理論が︑最も優れた科学的理論であると考えら
れた︒それは更に︑この予測にしたがって︑社会をその全体において︑計画︑設計していかなければならないという
︵12︶思想へと導く︒ハイエクは︑かかる全体主義的設計主義の思想こそ現代の著しい特徴であり︑自由社会にとって極め
て危険な思想であることを繰り返し述べている︒
以上の如くバイエクは︑社会科学における科学主義の誤りを︑﹁客観主義﹂︑﹁集団主義﹂︑一歴史主義しの三つに分
けてそれぞれ批判したのであるが︑しかし既に明らかなように︑これ等の方法には︑互いに共通した態度が見られ
る︒第一・に︑個人的理性の絶対性を信じていること︑第二に︑自然科学の方法を社会科学の範型としている︑したが
って第三に︑自然科学的方法が適用し得るのは︑比較的単純な現象についてのみであり︑複雑な現象を対象とする社
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会科学の領域にはそれは適用できないことを認識していなかった︑ということである︒ハィエクはこのような科学主
義の方法がかえって非科学的となり︑社会科学の進歩を妨げ︑それ故また近代社会における個人や自由のもつ意味を
十分理解することが出来なかった︑と批判するのである︒ハイエクはこれ等のことを踏えた上で︑本質的に複雑な社
会における社会科学の方法論を展開する︒
注︵1︶ ω冨三一Φ昇﹀;8.9叶.︾唱9①や①9
︵2︶頃避①銅閃●﹀二↓ぼ08pけ①﹁菊①く︒ζ6昌︒hQD︒冨pβ
冨耳ρに展開されている︒ ℃P念ム凱. ハイエクの科学主義の思想史的研究は︑同書冨誹卜︒冒
︵3︶ Hげ己こや窃9
︵4︶ ハイエクのいう集団主義は︑哲学者が一般に全体主義︵ゲ2一ωヨ︶と呼ぶところと同じものである︒︵﹀■ωゲ①貿︷一巴αこ︒Ψ︒団仲;
㍗①G︒.︶
︵5︶ωぽ島①年﹀こ︒ワ︒一けこ℃.①︒︒■
︵6︶=昌Φぎ閃冒﹀こ↓冨O︒§仲Φ帰.①く巴毎8︒︷ω︒回Φ5︒ρ℃﹄の..
︵7︶.Hげ剛αや︒︒8
︵8︶ H江匹こ喝.鰹. これは︑A.N・ホワイヘッドの︑.卸=⇔︒団︒剛目尻巳餌︒巴8コ自浄①⇒①ωω︑︑と同じ概念である︒
︵9︶H玄α㍗①心︒
︵10︶ 一げ一告Gや①9
︵12︶ 今日ではハイエクが批判したような意味での歴史主義は︑マルクス主義的歴史主義の外は殆ど見られないように思われる︒ 「(P1︶ 一σ罷こ℃.謹・
しかし︑人類の歴史の中に必然的法則を発見しようとする態度は依然として現代人にも大きな魅力を与えている︒それは巧
妙な理論によって隠されているだけで.あって︑今日見られる計画化︑組織化の強い要求は少なからずハイエクがいう歴史主
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義の系譜の中にある︒
ハイエク社会理論体系の研究(一)
四 ハイエクの社会科学方法論 ︵
社会科学の方法に関するハイエクの基本的と思われる考えを︵i︶個人主義的・合成的方法︑︵i︶パターン認識とパ
ターン予測︑︵⁝皿︶理論と法則︑の三つの側面から考察して見よう︒
D 個人主義的・合成的方法 ︵ ︵1︶ ハイエクの社会科学方法論は︑先ず人間のもつ理性の不可避的限界︑すなわち無知の重要性の認識から出発してい
る︒もとより理性は︑歴史とともにあり︑人間の様々な行為に対しある価値基準を与える人間のもつ偉大な能力であ
る︒しかしまたそれは︑複雑な現実において人間の行為の可能性の限界を認識させるある種の規律であると考えられ
てきた︒ハイエクは︑この理性のもつ︑いわぽ理性による理性に対する限界の認識が︑文明が発達すればする程︑し
たがって社会が複雑化してくれぽそれだけ︑重要な意味をもってくることに注目するのである︒何故なら︑文明が進
歩し︑社会が複雑になってくると︑つまりわれわれが世界についての知識を増せば増す程︑無知に関するわれわれの
知識が益々意識されてくるからである︒それ故︑われわれにとって確実な知識は極めて限定されて来ざるを得ず︑社
会現象をその全体において既に与えられた与件として把握することは不可能になる︒この事を全く認識していなかっ
たことが︑社会科学における科学主義の致命的な欠陥であった︒したがってハイエクは︑そのように本質的に複雑な
・.・︒・︵2︶社会の現象は︑不可避的にわれわれに親しい事象の観察から始められなけれぽならないという︒これが社会科学にお
ける個入主義的方法︵一昌畠帥く一α=9=ωけ 円PΦ再ゴO﹄︶の出発をなす基本的考えである︒
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以上の理由から社会科学は︑先ずわれわれにとって最も親しい現象︑つまり個々人の諸行為︑またこれ等を導いて
いる諸観念の考察から始められなければならない︒われわれに直接知られているのは︑個々人の諸行為であり︑これ ︵3︶等の人々が抱いている諸観念であって︑これ等が複雑な社会現象を形成する諸要素をなしている︒すなわち個々人の
個別的諸行為︑諸観念の無数の組み合わせによって︑これ等の結果として社会全体の現象が構成されているのであ
る︒しかしわれわれは最初からその現象の全体を直接知ることはできない︒したがって社会科学のとり得るのは︑わ
れわれの最も親しい諸要素から︑さまざまなモデルを作り︑これ等を合成することを通して︑複雑な社会現象を理解
する方法しかないのである︒此処において社会科学は自然科学と異なる︒自然科学は︑その対象が如何なるものであ
れ︑それは既に与えられた自然の事象であり︑それを分析することによって︑それを組成している諸要素を類推し︑
そして自然の事象をそれ等諸要素に還元する︒しかもそれ等の諸要素間の関係を最も簡単な数式で定式化するという
手続きをとる︒これに対し︑社会科学に与えられているのは︑本質的に複雑な現象を構成している無数の諸要素でし
かない︒しかし社会科学が単にそのように無数に存在している諸要素をどれ程多く収集しても︑またその⁝つ一つを
如何に詳しく観察しても︑それは社会科学が答えなければならない必要に対し何も与えることができない︒全体とし
ての社会現象に対する一般的な理解がない限り︑個別的な問題に対してもその有効な解答を得ることはできないから
である︒したがって社会科学は︑社会全体の現象を理解するために︑それを構成している無数の諸要素を︑最も身近
なところがら︑少しつつ合成していくという極めて忍耐を要する手続きをとらなけれぽならない︒かかる意味におい
てハイエクは︑自然科学のとる方法が分析的であるのに対し︑社会科学のそれは︑合成的︵OOゴP℃Oω一け引くΦ︶であるとい ︵4︶うのである︒
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ハイエク社会理論体系の研究(一)
社会科学が明らかにしなければならないのは︑既に述べたように︑無数の人々の目的意識的行為が︑意図せざる諸
結果を齎し︑しかも其処に特定の人の設計の結果ではないある種の秩序が観察されるのは何故かという問題である︒
若し社会現象が︑目的意識的に設計されない限り︑何等の秩序を示さないのであれぽ︑社会科学の必要性はなく︑そ
れは単なる心理学の問題に止まるであろう︒社会現象に対してその理論説明が要求されるのは︑ある秩序が︑人間の
諸行為の結果であっても︑特定の人の設計によらない結果として形成されていることが認められる限りにおいてであ
る︒しかし社会現象を構成している諸要素の数が余りに多いため︑われわれは︑それが形成される過程は理解し得て
も︑その全過程を直接観察したり︑況んやその正確な進路と結果を予測することはできない︒人間の有する理性の不
完全さが︑観察される対象捗りでなく︑少なからず観察者自身にも当て嵌まるので︑如何なる社会理論もその限界を
もつからである︒社会理論が説明できるのは︑ある社会現象が作り出されている過程の一般的原理であって︑われわ
れはこの知識からある結果の可能性を排除することができるというに過ぎない︒すなわちそれは単にある結果を予め
排除することを可能にするだけで︑ただ一つの可能性のみを残す程︑十分な予測はできない︒かかる意味でハイエク ︵5︶は︑われわれのもつ知識は︑消極的︵昌Oαq四ユ︿O︶なものに過ぎないといっている︒したがってわれわれが社会科学の
方法を理解する場合︑ある現象が生み出されてくる過程の一般的原理の説明と︑その正確な結果を予測することを可
能にする説明との間の相違を知るが極めて重要なことになる︒ハイエクはこの一般的な原理の説明をパターン予測と
いう概念を用いてより詳しく論じている︒
の パターン認識とパターン予測 ︵ ︑社会科学は︑無数の人々の個別的には目的意識をもった諸行為が︑社会全体においては如何なる単一の設計をもつ
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ことなくして︑社会にある秩序が齎らされていることが認識された時成立した︒そして社会現象を構成する無数の諸
要素の様々な組み合わせから繰り返し現われる規則性をもった秩序が如何に形成されているかを明らかにするのが社
会理論である︒ハイエクは︑この規則性をもった秩序のことをパターン︵O導け①ヨ︶と呼ぶ︒そして社会科学の場合︑そ
れは自然科学と当然異った結論が導かれる︒自然科学においては︑その扱う対象が相対的に少数の変数によって成っ
ているので︑その予測はわれわれが期待しうる程度に明らかにすることができる︒これに対し︑社会科学が対象とす
る諸現象は︑無数の変数が様々に組み合わされているので︑その予測は︑一般的予測に限られ︑特定の個々の事象の ︵6︶予測は不可能である︒自然科学の理論︑つまりパターンに関する有用性は︑個別的な結果を齎す情況の記述を可能に
するか否かに依存している︒確かに自然科学のように︑単純な現象を取り扱う理論にとって︑それは妥当するだろう
し︑それ故に自然科学はその著しい進歩を遂げることが出来たのである︒しかし︑極めて複雑な現象を対象とする社
会科学の場合には︑一定のパターンがとる与件︑あるいは変数は無数に近いので特定の事象を正確に予測することが
できない︒したがって社会科学の場合︑ある特定のパターンを研究し︑あるいはそれを精緻化することの有用性は︑
そのパターンの構造が︑永続的であるか︑または単に偶然的なものであるかに依存しているといってよいであろう︒
若し社会科学において︑複雑な諸現象の中から︑単純な理論を引き出そうとするならぽ︑8冨H冨︐冨比高︒︒仮定がない
限り明らかに不可能である︒
扱て︑複雑な現象において︑新しいパターンが現われるのは︑複雑な現象を構成している多くの変数が変化するか
らだが︑しかしそれは︑全体としての構造が︑個別的な与件の特定の数値に依存することなく繰り返し現われる一般
的︑抽象的属性をもっているからである︒社会科学における理論は︑かかる一般的︑抽象的な属性によって記述され
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ハイエク社会理論体系の研究(一)
得るような諸現象に対してその認識対象を作るのである︒そしてある一般的な諸条件の下で︑そのような理論によっ
て記述されているパターンが現われる情況は︑様々な変数に対して置き換えられ得る数値の範囲によって決まるであ
ろう︒したがってそのような理論を具体的な情況に適用することを可能にさせるには︑その与件が︑ある一般的な属
性︑すなわち変数が一定の範囲内にあることを知ればよい︒つまり個々の現象形態ではなく︑そのように現われるパ
ターンに満足する限り︑それを超えて個別的属性まで知る必要はないのである︒かかる理論が本来代数的なものに止
まらざるを得ないのは︑変数に対してある特定の数値を代入することができないからである︒要するにこのような理
論は︑特定の事象に関して正確な予測をすることは不可能であって︑ただそれは︑個々の事象と両立し得るある一般
的パターンを予測することができるに過ぎない︒それ故ζ巳ω︒﹁ぞ①pが言った如く︑それは﹁仮説的予測﹂︵ξ℃︒臣①田草 ︵7︶℃.①α回9δ昌︒︒︶を可能にするだけである︒すなわちそれは未だ知られていない将来に依存している予測である︒にもか
かわらず︑ハイエクは︑このような単なるパターン予測が︑反証可能な︑C・ポッパーがいう﹁経験的意義の検証基 ︵8︶準﹂を満足させる予測であることを強調する︒だが何れにしても︑このような予測に一致し得る現象の範囲は広く︑
したがってこの予測が反証される可能性は少ないだろうとハイエクは述べている︒
次にこのようなパターンを記述している理論の意義を︑法則との対比において考えてみよう︒の理論と法則 ︵ 上述した如く︑社会科学の対象とする複雑な社会現象は︑それを構成する変数が無数あり︑しかもそれが様々に組
み合わされているので︑その予測は単なるパターン予測に限られ︑特定の個々の事象を予測することはできない︒此
処にその例として経済理論について取りあげてみよう︒たとえば︑シュンペーターは次のように述べている︒われわ
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れの社会経済生活は︑﹁個々の企業と家計の間の無数の関係︑あるいは︑流通からなっている︒しかしわれわれはそ ︵9︶れについての一定の理論を確立することはできるが︑そのすべてを観察することはできない﹂と︒此処にまた︑次の
ような事実が加えられねばならないだろう︒すなわち︑経済理論が対象とする多くの現象︵例えば競争︶は︑﹇般にそ
れ等に含まれる個々の要素の数が多くなけれぽ現われ得ないということ︑そしてそれは更に︑其処に形成される全体
のパターンが︑様々に異った各人の行為における重要な相違によって規定されているので︑その重要な与件を得るた
めの障害は︑各人を統計的数量の要素として扱うことによって克服し得るものではない︑という事実である︒ハイエ
クはかかる理由から︑経済理論は︑一般的な条件が満される時現われるある種のパターンの記述に限定されるだけ
で︑個々の具体的現象に関して何等かの予測を引き出すことはできないという︒しかしこのようなパターンの一般的
予測を記述する経済理論は︑次の点で有用である︒すなわちそのような理論は︑如何なる条件の下で︑︷定のパター ● ● ︒ ︒ ︒ ︵10︶ンが生じ得るかということを示しているので︑それはわれわれにそうした一般的条件を作り出すこと︑そしてそのよ
うに予測されたパターンが現われるかどうかの検証を可能にするからである︒たとえぽある経済理論がわれおれにこ
のパターンが生産の極大化を保証することを示しておれぽ︑われわれは︑その時現われるであろうパターンが規定す
るかもしれない個々の環境について多くを知らなくとも︑それによって極大化を保証する一般的条件を作り出すこと
は可能なのであり︑しかも︑その予測の検証を行うことによってその理論をより妥当なものへと導くことができる︒
実は此処からハイエクの経済政策論の基本的考え︑すなわち経済政策は本来このような一般的条件を作り出すことに
あるという考えが展開されていくのであるが︑此処ではこれ以上触れることはできない︒しかしかかる理論のもつ性 ︵11︶格はなにも経済理論に限られるのではなくその他の社会科学の分野にも妥当し得るものと思われる︒
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ハイエク社会理論体系の研究(一)
以上のように理解されるならば︑複雑な社会現象を扱う社会科学において﹁法則﹂を打ち立てるということは︑全
く不可能なことであるといわねぽならない︒一般に法則は︑二つの現象が︑原因と結果の原理にしたがって相互に関
連し合っている規則であると定義されている︒若しある構造が多くの連立方程式によって定義される無数の情況の一
つに過ぎないというのであれぽ︑それはまだ科学的︑すなわち理論的︑また反証可能な言明である︒したがって︑わ
れわれが望むならぽ︑このような言明をあるいは法則と呼んでもよいかもしれない︒しかしそのような言明が︑通常
の立日心味での法則のように︑原因と結果の関係を記述するものであるというならぽ︑それは誤りである︒それ故︑科学的
理論をコ︒ヨ︒剛︒σq一︒なもの︑あるいは︑ω︒○Φω①言Φω三日中窪ω①訂眺冨昌と記述することは︑変数が少ない極めて単純な現象に
対・ては妥当するにしても︑ある程度複雑な現象を扱う理論にと・ては適切ではな噂若しある難葎洗婁記述し
ている方程式体系においてただ一つのパラメーターを除いて他のすべてのパラメーターが一定であると仮定するなら
ぽ︑その一つのパラメーターに対する複雑な構造の依存性を法則︑つまり︑一つのパラメーターの変化を原因︑そし
て複雑な構造の変化を結果と呼ぶことができるであろう︒しかしこのような法則は︑他のすべてのパラメーターの数
値がある特定の組み合わせをしている場合のみ妥当するのであり︑それ等の中の一つでも変化すれぽ︑法則自身が変
化してしまうのであるから︑それは全く不適切な法則の概念といわねばならない︒したがって︑問題の構造の規則性
についての︑一般的に妥当する命題は︑若しパラメーターの数値が絶えず変化しうるならぽ︑其処から変数の相互依
存性を示す無数の特定の法則が引き出され得るような連立方程式の全体系であるといってよいだろう︒かかる意味に
おいてであれば︑それは複雑な現象に関する極めて有益な理論に達しているといってもよいかもしれない︒しかし言
葉の通常の意味においては︑複雑な現象が従う法則というものはない︒それ故次のように言われるべきであろう︒す
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なわち︑社会科学が対象とする社会現象は︑それを理論として記述することは出来ても︑社会現象が従う如何なる法
則も存在しない︑ということである︒法則を発見しようと試みることは︑如何なる場合にも妥当する科学的な手続き
ではなく︑単純な現象に関する理論にとって特徴的であるに過ぎない︒したがって複雑な領域を扱う社会科学におい
ては︑原因とか︑結果とか︑法則とかいう用語は︑通常使われているそれ等の意味を修正しない限り不適当である︒
かかる理由からハイエクは︑科学的であるためには︑法則がなければならないというのは︑社会科学方法論的概念の ︵13︶中で最も有害なものの一つであると︑論じている︒
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注︵1︶ エ麸①ぎ閃.︾こωε象①ωぎ℃ぽざ8℃ξ勺︒一三︒ω睾比翼8昌︒巳︒9一88唱・G︒④・
︵2︶ 頃亀︒﹃濁︾こ閏巳一国旨且︒団日①口け讐﹀塁牢凶8ぎ一〇胡唱・G︒一・
︵3︶=趣Φ押閏.﹀.導臣Φo︒二β§・菊Φ葦三冨︒︷ω︒冨昌︒ρ唱・ωメ
︵4︶蜀山●㍗︒︒り.
︵5︶蜜自こや艀ω凸
︵6︶ =亀①ぎ男﹀こω葺象①ωぎ幽憤ざωo℃げざ℃o=二︒ω§減員850巨︒ρやb︒ら幽 ハイエクは一年忌パターン予測の典型的な理
論としてダーウィンの進化論をあげている︵同書や︒︒一以下参照︶︒
︵7︶ H玄仙こ喝●b︒O.それはまた精密な統計学によっても克服し得ないとハイエクは述べている︒
︵8︶ 鵠趣①F閏●︾こ閏巳一国ヨ茗︒矯日①曇讐︾昌団℃比8ツや自・
︵9︶ω︒ざ据①§し.﹀こ=凶mざq︒h国8き巨︒ぎ号・ゲ葛♪唱・・︒穿
︵10︶ =畠①ぎ聞●﹀こωεらΦωぎ勺窪δωo嘗ざ℃o=二8§畠国︒80巨︒︒︒︾℃◆ω①. このハイエクの考︑兄は︑彼の社会理論にとつ て極めて重要な意味をもっている︒それはハイエクの自由論と密接な関係がある︒即ち極めて︑複雑な社会では︑個別的な
事象の予測は出来ないので︑従って将来におけるそれ等の具体的な条件を確定することが不可能である︒しかし科学主義は
これを可能と考える︒かかる科学主義の科学に対する過信が︑現実にそれが遂行し得ないので﹁強制﹂という手段にに訴え
ざるを得ないのである︒それは自由の抑圧のなにものでもない︒拙稿﹁自由と秩序に関する社会思想史的研究◎ーレプケと
ハイエクの社会哲学序説﹂︵﹃世界経済﹄一九七七年一月号︶参照︒
︵11︶ H玄畠ごづやG︒阜ω9 ハイエクは特に言語学に最も妥当すると考えている︒
︵12︶ Hσ峯サ凸.
︵13︶ 一び凱こ℃凸心トっ.
む す び
ハイAク社会理論体系の研究(一)
ハイエクの社会科学方法論は︑極めて複雑な社会における人間理性のもつ不可避的な制約性に対する洞察がその根
本の認識をなしている︒其処から科学主義的な社会科学に対する強い批判が展開されてくる︒しかしハイエクは科学
そのものを批判するのではない︑自然科学の方法を︑その条件を全く異にする社会科学の領域に無批判的に適用しよ ︵1︶うとする科学主義的態度を批判するのである︒そしてこのような科学主義が︑今日︑長い歴史の中で人類が築いてき
た偉大な文明を崩壊へと導いている最も大きな要因をなしていると︑ハイエクは警告する︒現在なお大きな勢力を持 ︵2︶っている科学主義として︑ハイエクは社会主義︑ペソサム的功利主義︑ケルゼン的な法実証主義をあ.げている︒これ
等の思想に対するハイエクの批判も含め︑その他論じなけれぽならない問題はまだいくつもあるが︑この論稿では︑
僅かにハイエクの社会科学方法論の概要を述べるに止め︑それ等の問題は︑今後の研究を通して明らかにしていきた
い︒ 注
︑︵1︶ 類我①ポ即﹀ご冒①一頃aヨΦ﹃α①ψ囚︒霧け歪ζ帥三ωヨ奉質自象ΦΩ歪巳一︒σq窪一①㈹詳一52凶ユユ犀σQ①ω亀ω︒冨︷け一一︒げ臼O㊦玄乙ρ
29
一¢刈軌︾ω.bσ軋.
︵2︶ ま一α二ω●一①.以下参照︒また︑い僻ぎい︒σq邑9怠︒ロp巳=げ①答ざく︒一・b二・一堵9署・一国蒔cGこ目﹃①O︒諺葺三一︒コ︒﹃い一﹃Φ暮ざ
一りOρo﹃δ.など参照︒
30