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鉄道時代における英国土地貴族の所領経営・家産管理と企業者活動に関する研究

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全文

(1)

鎌道時代における英国土地貴族G

j

i

Jj領経営・家産管理と企業者活動に閉する碍完

(課題番号

1

5

5

3

0

2

3

6

)

平成

1

5

年目平成

1

6

年度科学研究費補助金基盤研究

(C)

(2)

研究成果報告書

平成

1

7

3

研究代表者

阿 知 羅 隆 雄

(滋賀大学経済学部)

~IOO酬剛冊目I~

(2)

o

a

?

I

G

録道時代に抗ける英国土地貴藤ぬ

i

i

l

i

領経営・家産管理と企業者活動に閉する町完

阿 知 羅 隆 雄

平成

1

7

3

(3)

はしがき

本報告書は、平成

1

5

年度から平成

1

6

年度の

2

カ年にわたり、文部科学省・日本学術振興会

科学研究費補助金の交付をえて実施された。基盤研究 (C)

(

2

)

i

鉄道時代における英国土地貴

族の所領経営・家産管理と企業者活動に関する研究

J

の成果である。

本研究の課題は、英国屈指の伝統的大土地所有貴族・デヴオンシア公爵が、ランカシア最北端の

新興工業都市パロウ

ン・ファーニスを舞台に展開した地主企業家Cl

anded

e

n

t

r

e

p

r

e

n

e

u

r

)

ともい

うべき企業者活動について実証的に考察し、

1

9

世紀英国資本主義のおける「資本と土地所有」の

問題について新たな問題提起を行うことにある。

明らかにすべき事柄は、まず第

1

に、デヴオンシア公爵家の「ファミリー・ヒストリ

Jの史実に

あくまでも内在しながら、産業革命という新たな条件のもとで、土地貴族が所領経営 (

E

s

t

a

Management)

の延長線上の利害に先導されて、資本経営(

C

a

p

i

t

a

lManagement)

に自らの立脚点の

つを移して行く過程を史実に即して明らかにすること、第

2

に、同家の最も積極的な企業者活動

の舞台となったパロウ・イン・ファーニスにおける

1

9

世紀初頭から

2

0

世紀に至るほぼ

1

世紀に

わたる土地所有による産業的地域開発と新興工業都市の形成・発展に関する史実を整理し分析する

こと、第 3に「大不況」以降同家が「株式・債券保有貴族

J

へと転身することによって、「シティ・

インタレスト」との利害の

体化をはかり、貴族として延命したことを明らかにすることである

本研究の独自性は次の諸点にあると考える。まず第

1

に分析の対象となる資料である

近代都市

パロワ

イン・ファーニスの形成・発展および同家の所領経営に関する資料は、パロウのカンブリ

ア公文書館、同家の拠点であるカントリー

ハウス

(

C

h

a

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s

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r

t

h

House)

、ロンドンの差配人事務

(

C

u

r

r

e

y

'

s

0

c

e

)

に所蔵され、それらの大半は手書き資料である。同時代の手書き資料を分析の

対象とすることは、我が国の英国史研究においてはほとんど未開拓であるが、本研究はその本格的

研究である

第 2はその分析方法である

本研究は、公爵家の「ファミリー・ヒストリ

J

に則して関連する史

実を刻挟することから始めるが、その自体を孤立的に捉えるのではなく、その活動の舞台となるパ

ロウ・イン

ファーニスやその周辺地域の歴史、すなわち「リージャナル・ヒストリ」の枠組みで

捉え返し、そのことによって同家の企業者活動が英国史において演じた現実的役割を明らかにしよ

うとするものである。「地域」は、地域的「富の源泉

J

(=土地自然と人間自然)の存在形態、それ

らの結合と掌握の諸形態の発展を軸に、その構造においてまず捉えられるべきであり、そしてその

構造自体が自足的で孤立した単位をなすのではなく、圏内および国際分業の発展諸段階の諸条件に

制約されるものであり、したがって「地域J

の発展は資本主義の世界史的諸段階の諸条件との関連

で捉えられるべきである

ファミリー・ヒストリで刻挟した史実をリージョナノレ・ヒストリに位置

づけ分析するとしづ方法によって、土地貴族の企業者活動が現実に英国史で果たした役割をよく分

析できると考えられる

第 3は結果の独自性である

研究は、一方では、土地貴族が自らの立脚点を資本に置き、他方で

(4)

は、イギリス資本主義が土地所有の「富

J

をも資本に動員し、両者あいまって、ブリティシュ・エ

ン パ イ ア の エ ス タ ブ リ シ ュ メ ン ト に 独 特 な 「 資 本 = 土 地 所 有 コ ン プ レ ッ ク ス

J (

C

a

p

i

t

a

l

=

Landownership

Complex)

ともし、うべきものを形成していく具体的実相を示すものと予測され、近

代英国史を「資本=土地所有コンプレックス」の変遷史として捉えようとする、新しい視点を示唆

するものと考えられる

我が国の近代英国史を「小生産者的発達の経路

J

で捉えるかつての通説で、は、主として資本その

ものに関心が集中され、もっぱら土地所有は資本に従属するものとしてだけ取り扱われ、その結果、

土地所有の果たした独自な歴史的役割が見落とされてきた。本研究はこの土地所有の独自な役割を

も視野にいれた近代英国史の歴史像の再構成の試みであり、通説に鋭い批判を提供するものである

また近年、P.

J

.

ケインやA.

G

.

ホプキンズによって提起された「ジェントルマン資本主義

J

論は、

本研究と同様の試みであるといえるが、この見解は、どの利害、階層、階級が近代英国社会を支配

してきたのかとの

者 択

的な問題提起と流通主義的視点からそれに回答を与えたものである

題は、近代英国社会を構成する諸利害、諸階層、諸階級の構造的関連である

本研究は「富の源泉」

とその結合や掌握の形態から出発し、それを基礎とした諸利害の構造を明らかにしようとするもの

であり、先の見解に対する批判と新たな近代英国史像を提示することにもなる

研究は次のように進められた

研究組織

研究代表者

阿 知 羅 隆 雄 ( 滋 賀 大 学 経 済 学 部 教 授 )

交付決定額(配分額)

(千円)

平成

15

年 度

平成

1

6

年度

総 計

1

1

0

0

800

1

9

0

0

A U 一 日 U 一

n u

1

1

0

0

800

1

9

0

0

直接費

間接費

合計

研究発表

(1)学会誌等なし

(

2

)口 頭 発 表 な し

(

3

)

出 版 物 な し

期間中の研究は、報告者自身の力量不足もさることながら、大学の設置形態の変更に関って公

務上の必要(学部長職)により十分な研究のための時間を確保することが困難で、あったため、当

初の目的を十分に果たせなかった

しかし、この期間における

2

度の渡英によって本研究の核心

に関わる資料を収集できたこと、また対象地域において構想に関する推考を重ねることができた

ことは、今期の成果で

あった

今後、本報告

の延長線上で研究を進め、入手した

料の分析を踏まえ、順次研究を公表し、

批判を待つことにしたい

平成

17

3

15

阿 知 羅 隆 雄

(5)

目 次

はしがき

1

録道時代に蔚ける英国土地貴族

ω

企業者活動と所領経営・家産管理

一一号ヴォ〉シア公爵ぬ事例奄中心に一一

1

章銭道建誌と地域開発

(ー)地主掌握下向鎌道建詑

(ニ)

r 棒式応募衰 J~分析

(三)発展ぬニつぬ局面と地域開発

(凹)高収益構造

(五)

6

0

年代的資金調達

(六)小活

Z

章産業帝国と地域経清

(ー)斬興工業都市

1

¥

ロウぬ概観

(ニ)

O

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嗣+

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+

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C

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.

L制

.

~語立

(三)

r7

ァーニス銭量産業帝国

J

3

「大不況

J

1

¥

ロウ企業群ぬ蜜退

(ー) 録鋼会祉ぬ経営不振

(ニ)接選会祉ぬ高収益構造ぬ崩壊

(三)

r 産業帝国 J~ 崩壊と一時代向終鷲

第 4 章家産管理ëft~ びrfj領経営

(ー)企業者活動と家産管理前ぷび所領経営

(ニ)土地所有向「富 J~資本へ向転化

結 び

補遺地域支配概念につい

τ

(ー)

r 産業帝国 J~住民支配

(ニ)資本的「地域支配

J

と「住民支配

J

につい

Z

i 咽 i p o p o n δ 唱 i k u n H U A U τ i 唱ii o L 唱ii 内 LFhu

2

2

2

2

9

9

2

4

2

2

3

3

p o p O 門t

3

3

4

55

t 円 t O U F O 民 リ

6

(6)

z

!(ロウ・イシ・

7

7'ーニス市議会議事録目録

64

市舗会議事録目録につい

τ

目録

1

Town

Cou

n

c

i

l

No.1

目録

Z

Town

Cou

n

c

i

l

No.2

目録

3

Town

Cou

r

略目

No.3

目録

4

Town

Cou

n

c

i

l

No.4

目録

5

Town

Cou

n

c

i

l

No.5

d t p o n U 司 d A 吐 q A Q U F O 円 d O O 凸 U q A 唱 EA 唱 Ei

(7)

1

録道時代に

e

I

1

1

寸る

英国土地貴族ぬ企業者活動と

j

i

f

i

領経営・家産管理

一一デヴオンシア公爵の事例を中心に一一

1

9

世紀の英国は、逸早くあの産業革命を経験し、世界市場で王座を占め、「世界の工場」

として君臨していた。しかし、英国社会は、経済的にはともあれ、少なくとも社会的・政治

的には、「産業の闘将

J

ではなく土地貴族

Landed

A

r

i

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t

o

c

r

a

c

y

によって支配されていた。一

握り地主によって土地が独占されていることの弊害に対する社会的な批判(し

1

わゆる「土地

問題J

)

が激しくなった

1870

年代初頭に、その批判に応えるために全国的な土地所有調査が

行われた。結果は、皮肉なことに意図に反し、批判通りの土地所有独占の実態、すなわち所

有者総数の僅か

0.

4

4

パーセントにすぎない約

4,

000

人の

1

000

エーカ以上の土地所有者が

イングランドとウエールズの私有地の半分以上を所有していることが明らかとなったらほぼ

同時期に、同時代人

K

マルクスは、このような土地所有独占の実態を捉え、英国地主制の

構造的特質を「土地寡頭制

B

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J

2

として把握した。かれの指摘のように、

1

9

1

J.Bateman

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Landowners o

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1883 p

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5

1

5

2

BriefMarx an Luwig Kugelman,

2

9

.

Nov.,

1869,

Marx E

n

g

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s

Werke

Bd.32,

8.638,

(

~マノレクス・エンゲ、ノレ

ス全集』第

32巻 526

)

0

r

土地寡頭制

J

概念は,周知のように,イングランド労働者階級の解放にとっての「ア

イノレランド問題Jの決定的重要性を解明するという脈絡において、マルクスがイギリス「土地所有制度」を特

徴づけた概念である

かれは,社会の「根底Jをなすものとして「土地所有制度Jを把握して (

B

r

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f

Marx an

Luwig Kugelman,

6

.

A

p

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.,

1862,

Marx

E

n

g

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s

Werke

Bd.32,

8

.

5

4

2,

~全集』第 32 巻 556 頁)

,その上で,イギ

リス社会の「根底Jをなす「土地所有制度」は「地主制度Jであり、その構造を「土地寡頭制J として特徴づ

けている

この概念にいちはやく注目しつつイギリス近代史像の再構成を試みたものとして、尾崎芳治「マル

クス・エンゲノレスのイギリス革命論J 堀江 ・ 池田・尾崎『市民革命の理論~

1957年

また,

1

9世紀イギリス

土地寡頭制の実証的研究としては,本多三郎

r

1

9世紀後半アイルランドの土地闘争と土地立法J

~経済論叢』

112巻第 1

1973年,同 r

1

9世紀後半アイルランドにおける土地所有関係とイギリス地主制度J同第 1

1

2

巻第

5

1973年,島浩二「イギリス農業構造と土地所有の性格 1851-1871年J同第 118巻第 1・2

合 併 号

1976

年がある

1

(8)

世紀英国が「地主制度

[landlordism]

と資本主義

J

との「古典的な本拠」で、あったとすれば、

「資本主義

J

そのものとともに「土地寡頭制

J

概念は、

19

世紀英国を理解する鍵概念の一つ

であるといえよう。

ところで、我が国の近代英国経済史に関するかつての通説では主として資本そのものに関心

が集中され、もっぱら土地所有は資本に従属するものとしてだけ取り扱われ、その結果、土地

所有の果たした独自な歴史的役割が看過され、またこの概念も省みられることがなかった

30

しかし、我々が対象とする鉄道時代に限ってみても、英国土地貴族は、その生活史におい

て根本的な変化を伴いながらも、その強靭な生命力を示した。ヴィクトリア繁栄期は、穀物

法の廃止にもかかわらず、高度集約農業の本格的な展開を基礎に「農業の黄金時代

J

を築い

た時代でもあったが、この「繁栄

J とともに、英国土地貴族は農業所領からだけでなく鉱山

所領や都市所領などの非農業的所領からも地代収入を増大させっつ、他方、土地所有の「富」

を土地改良だけでなく農業外、例えば、鉄道・港湾設備などの運輸業や鉱山業および製鉄業

などに投資し、一部には地主企業家

CLanded

Entrepreneur)

ともいうべき階層を輩出し、

その「驚嘆すべき生命力の強靭さ

J

を示した

o 3

その主たる原因として、イギリス資本主義発展をいわゆる「小生産者的発達の経路Jでとらえるわが国イギ

リス経済史の通説における資本主義発達や土地所有の理論的分析にかかわるある種の抽象性とその現実への無

媒介的適応があげられる

この見解では、資本と土地所有の関係でなく、旧土地所有が「破壊J されずにブノレ

ジョア的発展に適応しつつ近代的土地所有へと転身するという英国近代的土地所有の形成過程の特質も同時に

問題にされることはない。この点を鋭く理論的に解明したものとして、尾崎芳治「イギリス革命における農業・

土地問題分析の視角

J京都大学経済学会『経済論叢』第 86巻第 2号 1960年がある

4

非農業的事業への関与に関しては、

D

.

Springの一連の研究、 J..T.Ward

&

R

.

G.Wilson (

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.

),

Land and

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d

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y

,わが国での研究としては、島浩二「イギリス貴族的大土地所有と所領開発

J

r

経済科学通信』第

22

1978年、同 r

1

9世紀イギリスにおける住宅政策の展開

J

r

阪南論集』第

1

6巻第 2号 1981年を参照

1

9世紀イギリス土地貴族の抵当債務に関しては 2つの論争がある

ひとつは

1950年代に展開されたヴィク

トリア初期における抵当債務の原因、程度および結果に関する周知の

D.Springと F

.

L

.

M.

Thompsonとの聞の

論争である

負債の程度の評価について見解は分かれるが、いずれにせよ、この時期には、土地貴族の中に広

範に負債が存在したことは事実として確認された

両者の見解を展開したものとして、

D.Spring,

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1830・

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Vol

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XXXIII

1952,

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Vol

.

XXIX,

1955,

do,

Ralph S

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:

Tory Country

Gentlman,

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Vol

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XXXVIII 1955・

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Landownership i

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Note,

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1957,

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VI,

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Thompson,

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1955,

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1832・

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Vol

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XI,

1958,

do,

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Economic H

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1

9

6

0

.

いまひとつは、イギリス歴史学会において「常識

J として定着しつつある D

.

Springの見解に対する D

.

Cannadineの批判とそれに対する D.

Springの反批判である。両者の見解の対立は、大雑把に整理すればつぎ

の点、にある

1は、ヴィクトリア中期における土地貴族の財政状態の回復を主張する Spring見解に対して、

Cannadine は,それは過大評価であり, 1

9世紀には財政状態の回復は見られず、世紀末以降にはより深刻と

なり、ようやく

20世紀に入って土地売却によって回復するとしていることである。第 2は、ヴィクトリア中

期の財政状態の回復の典型例として第

7代デグオンシア公爵時代のキャベンディッ、ンュ家の財政状態を位置づ

ける

Spring見解に対して、 Cannadineは、第 6代から第 9代に至るキャベンディッシュ家の財政状態を検討

2

(9)

ヴィクトリア後期は、いわゆる「大不況

J

とともに英国が世界市場でかつての地位を失い

始め、土地貴族にとっては、「農業恐慌」、「土地問題

J

(Land

Question)

1

8

9

4

年の「相続

J

の創設など、「所領の譲渡と崩壊」が始まる時期であったが、土地資産の売却、株式・

公 債 な ど の 証 券 へ の 売 却 金 の 投 資 に よ っ て 土 地 貴 族 は 「 株 式 ・ 債 券 保 有 貴 族 」

(Stock-and

-

Bond Holding Aristocracy)

への転身を開始した。かかる資産構成の変更によ

りかれらは「古典的帝国主義」の時代に自らの経済的利害を金利生活者国家の頂点に位置す

る「シティー・インタレスト

J

のそれに同化させ、かつての政治的・社会的地位を維持し貴

族として延命することに成功した

o

1

9

世紀英国史研究の課題の一つは、英国土地貴族の生活史を踏まえ、その歴史像を再構成

することにある。それは、英国「土地寡頭制」を鍵概念のーっとした歴史像の再構築である

6

。もとより、それは、「地主とブルジョア

J

の問題、資本と土地所有の作用

反作用の視点

し、第

7代公爵の財政状態は、負債の回復、財政の健全化という点ではむしろ失敗事例であるとし、その回復

は第

8

-

9代において果たされたとしていることである

この両者の見解の立ち入った検討はここでは割愛せざるをえないが、さしあたりつぎの点を指摘しておく

S

p

r

i

n

g見解は、優れて産業革命・「工業化」と土地貴族の事業活動という視点からこの問題に接近し、土地貴

族の非農業的事業とそれからの収入を土地貴族論に新たに位置づけた点に積極的な意味があったが、

1

9世紀後

半以降の土地貴族の財政状態は視野の外に置かれていた

これに対し、

Cannadine見解は、 1

9世紀から 20世

紀前半までの時期の土地貴族の財政状態の推移を明らかにした点で意義を持つ

しかし、かれの場合には、イ

ギリス資本主義の構造変化とのかかわりは後景に退き、もっぱら土地貴族の個人史的視角から問題にされる

われわれは、「資本主義発展と土地所有Jとし、う視角から両者の見解を批判的に検討することによって、両見解

が提出した史実を再構成することができるし、またしなければならない

両者の見解を展開したものとして、

D

.

Cannadine

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1977,

D.Spring,

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XXIII

,1980

D. Cannadine,

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A Restatement,

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Review

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Vol

.

XXXIII

1

9

8

0

.われわ

れとはやや異なった視角から、この論争を簡単に紹介したものとして浜田正行

I

W

土地貴族』の『株式・債権保

有貴族』への転身過程」桑原莞爾・井上巽・伊藤昌太編『イギリス資本主義と帝国主義世界J

I

1990年がある

5

David Cannadine、A

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Nineteenth Century

;

The Case Re"opend

Economic

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Review

2nd S

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Vol

.

XXX,

197,

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6

0

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この論文を再録した

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d,

1994

p

.

5

4

.以上の論争を整理し、独自の英国土地貴族像を提案することの重要性を指摘した拙稿 1

2つの『英

国貴族の歴史像J1

J

(

W

北見工業大学年報J1)を参照

6

近代英国史の大まかであるが、首尾一貫した歴史像を与えたとして注目される、

p.アンダーソンは、工業

の発展と農業の相対的比重の低下がその時代を特徴づける

1

9世紀に関しては、一方での、土地貴族による鉱

山開発、鉄道投資、他方での、「産業界の大立者Jによる土地の購入、その複合的結果としての「単一のヘゲモ

ニ一階級の究極的な創出J とし、う興味深い指摘をしている。 P

.Anderson,

O

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New

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Review

No.23,

1

9

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4

.

(米川伸一訳「現代イギリス危機の諸起源

J

W

思想、J1

498号

1965年 1

2月

501号

1966年 3月、同論文は、 P

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Anderson

&

Robin Blackburn

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1

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5

.

佐藤昇訳『ニュ

ー・レフトの思想J

I

1968年に収録)

これは、あの民主主義と生産力と国民福祉を三位

体とするホィッグ的

1

9世紀英国史像を鋭く批判するものとして提起されたことはいうまでもない

そののち、わが国において

も近代英国史の再検討が叫ばれ、その「再検討Jの立場からの成果として、米川伸一「現代イギリスの史的考

察ーーもう一つのイギリス像J(ー)ー(四)

W

経済評論J

I

1970年 7、8、9、10月号、村岡建

『ヴィクトリア

期の政治と社会J

I

1980年がある。さらにこの「再検討Jの問題状況を示すものとして、柴田三千雄・松浦高嶺

編著『近代イギリス史の再検討J

I

1972年がある

また近年、

P

.

J

.

.ケインやA.

G

.

ホプキンズによって提起された「ジェントルマン資本主義J論は、近代英国史像

の再構成の試みである

確かに近代英国史再構成の枢要点の一つはジェントノレマンが英国社会を支配してきた

3

(10)

から歴史像の再構成をおこなうという脈絡でのことであるに

我々の研究は、再構成のために、まず史実の発掘にその主眼が置かれている。対象とする

デヴオンシア公爵・キャベンデ、イツシュ家は、

1873

年のいわゆる『新ドウムデイ・ブック』

によれば、土地所有規模では第

7

位、また地代粗収入では第

2

位を占め、「イングランド地主

階級の中核」を構成する伝統的大土地所有貴族である。その広大な所領は、農場、鉱山(石

炭、鉛、鉄)、観光所領、城郭を含む多種多様な所領の「集塊

J

なすもので、あった。かかる

所領群において第 7代デヴオンッシア公爵は、積極的な所領経営を展開し、改良地主として

「典型的なヴィクトリア中期の人物」と目される

。彼の

「最も活動的な企業者活動の舞台J

となったのは、ランカシアの最北端に位置するファーニス半島にあるパロウ・イン・ファー

ニス

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で、あった

我々は、このファーニス半島に対象地域を限定し、英国産業革命が終わりを迎えるころに

始まる、当該地域の、特にパロウにおける資本主義発展と、それを舞台として展開される同

という歴史的事実を認めるかどうかである。その意味でジェントノレマン資本主義論がジェントノレマン支配を特

徴とする近・現代英国史の首尾一貫した歴史像を提示したことは画期的であるといえよう。しかし、この見解

は、どの利害、階層、階級が近代英国社会を支配してきたのかとの二者択一的な問題提起と流通主義的視点からそ

れに回答を与えたものである。問題は、近代英国社会を構成する諸利害、諸階層、諸階級の構造的間遠である。ジ

ェントノレマン資本主義論に関して、帝国史研究の視点、から要を得た紹介と興味深い方法論的な検討を与えてい

るものとして今回秀作「ジェントルマン資本主義論とイギリス帝国史研究J(和歌山大学経済学部『世界経済と

日本経済の現在~

1997年所収)がある

7

近代的土地所有は、資本に従属する土地所有であり、その限りでは、受動的な存在でしかない。その点で、

それは資本関係およびその発展を許容せざるを得ないが、この与えられた条件のもとで可能なかぎり土地収益

を極大化しうる仕方で許容するのである。ここに、われわれが、土地所有の独自性、したがってまた資本関係

への土地所有の能動的な反作用を問題にすることができる根拠がある。例えば、鉄道建設への地主の積極的関

与についてもこの線から理解されるべきであって、これを「土地所有者は『固定資本』の担い手として現実に

資本家的機能を遂行J (米川伸一「経済史学の成立と課題一一現代イギリス社会への企業者史的アプローチの一

試図 J 大塚久雄編『西洋経済史~

1968年別冊 16頁)したとするだけでは、ことの本質にせまることはできな

いのではないか。

前掲書『再検討』において「伝統史学」の立場から「再検討J論を批判的に検討した論文として興味深いの

は、吉岡昭彦「イギリス近代史研究の方法論的再検討J論文である。同氏は、イギリス史において土地所有の

問題が「等問視」され、それは「たんに資本に従属するもの

J として取り扱われ、その「独自な役割Jが見落

されてきたことを「事実Jとして確認している(前掲書 63頁)。この「事実」を踏まえて同氏による英国史の

再構成を意図したものが同氏前掲書であると考えられるが、ここで吉岡氏は、土地改良投資などを土地所有の

「 独 自 な 役 割 土 地 所 有 と し て の 経 済 的 独 自 機 能J(同前掲書

1

5

2

頁)として、「地代取得者J としての土

地所有の機能か

ら区

別している

。つまり氏にあっては、土地所有者が資本家的機能を果たすことが土地所有の

「 独 自 な 役 割 土 地 所 有 と し て の 経 済 的 独 自 機 能Jとして掴まれているのである。

しかし、

19世紀英国史における土地所有の「独自性Jの問題は、土地所有者が「現実的な資本家的機能Jを

果たしたことにあるとするのではなく、土地所有それ自体の「独自性J と土地所有者が担った「現実的な資本

家的機能J との関連を解明し、土地所有者が近代英国史において果たした役割の史的意味を問うことにあるよ

うに思われる。

なお、この点については、資本関係創出過程における土地所有の能動的反作用の役割に関しては、イギリス

革命の実証的研究を基礎に、「資本と土地所有Jという視角から土地所有の「独自性Jを理論的に解明したもの

として尾崎芳治『経済学と歴史変革~

1990年所収論文「資本・土地所有・賃労働一一『本源的蓄積』の理解に

よせて一一J、「ブ、/レジョア的土地変革の理論Jを参照せよ。

4

(11)

家の、地主企業家とも形容すべき事業活動について、一個の地域史研究として考察をおこな

う。ここで「地域」あるいは「地域経済」という場合、つぎの点に留意しなければならない。

第一に、地域における「富の源泉

J

(=土地自然と人間自然)の存在形態、それらの結合と

掌握の諸形態の発展を軸に、「地域経済」をその構造において捉えること、第二に、いうま

でもなく、構造それ自体が、自足的で孤立した単位をなすのではなく、国内および国際分業

の発展諸段階の諸条件に制約されるものであり、したがって、「地域経済」の発展は資本主

義の世界史的諸段階の諸条件との関連で捉えられるべきことが、それである。地域を舞台と

して展開される大土地所有貴族の経済活動も、このように掴まれる「地域経済Jとの関連に

おいて捉えることにより、かれらが果たした現実の役割も明らかにできると思われる。

5

(12)

1

章録道建按と地域開発

(ー)地主寧揮下c;)録道建鴎

ファーニス地域は英国産業革命期において明らかに後進的地域で、あった。半島のほぼ中央

部には、きわめて高品位の鉄鉱石が埋蔵され、この鉄鉱石資源を独占していたのは、この地

域の「土地寡頭制」の頂点に君臨していた、デヴオンシア公爵とパックルー公爵で、ある。採

掘は、小土地保有者および小屋住農を中心とする鉱夫の、道具と家畜に依拠する集団稼行に

よっておこなわれ、この鉱夫の集団稼行の上に「鉄鉱石商人Ir

on

o

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e

merchantsJ

と呼ばれ

る借地鉱山業者が、君臨し、鉱区の又貸しを通じて鉱夫群への「問屋制的な支配Jを実現し

ていた。この「鉄鉱石商人

J

による鉱山業支配は、旧い

Landlord-tenant

関係の痕跡を残す

「土地寡頭制

J

の支配を背景にし、前提にしてはじめて成立していたえ

そして、鉄鉱石は、半島のここかしこに分散する積出埠頭からスタファドシアはじめとす

る製鉄業地域に移出され、鉱山から船積み地点までの搬出は、原始的な「農民の荷馬車

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(丸太車輪の

2

輪馬車

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一一積載重量、

500

750kg)

に行わ

れていた。

鉄道の建設は、他の北西海岸地方の鉄道建設と同じように、全国的な鉄道ネットワークと

の連絡を暖昧にしたまま、域内輸送手段の変革を企図されて行われた。

1

8

4

1

年に二人の貴

族の依頼を受け、著名な建築技師

James

Walker

が調査を開始し、都合

3

回の調査を経て、

1

8

4

3

6

月に「ファーニス鉄道に関する報告」を提出した

90

44

1

月に、この報告をほぼ

全面的に踏襲して、キャベンディッシュ家の総差配人である

Benjamin

Currey

が、「ファー

ニス鉄道会社設立趣意書

J

Furness

Railway P

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"

をまとめ、公表している

10

。同

5

月には、議会の承認を得て、資本金

100.000

ポンド(内訳,株式

75

000

ポンド、社債

25

000

ポンド)で、ファーニス鉄道会社が設立され、約

1

年半の建設期間を経て、

46

6

3

日に操業を開始した。

8鉄道建設以前の鉄鉱山業に関しては、拙稿

r

1

9世紀前半期イギリスのファーニスにおける土地寡頭制と鉄鉱

山業J(京都大学経済学会『経済論叢』第 136巻 1985年)を参照

9

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ftl輯 PROPOS E D (UJmbria R区ordO伊ce& local Studies Ubrary, 8arrowZK "5)

l

図は

James

Walker

の報告書に添付された地図

Plano

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Furness Railway

(

18

4

3

)

である。この鉄道は、積出地点の

Barrowと

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港を、一つはパーリントン伯所

(

1

8

5

8

(14)

公爵位を継承、

7

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Duke

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Devonshireとなる)領のKi

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Works

を結ぶルートと、

いまひとつは

Da

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の採鉱地域とを結ぶ、

1

3

マイルそこそこの鉄道で、あった。

1

表は、「趣意書」で与えられた輸送量と収入の見通しを表わしたものである。輸送量

においてはその大半を貨物が占め、したがって収入構成においても貨物収入が総収入の実に

84%

を占める

。特に注目すべきは

、鉄鉱石輸送収入が貨物収入の

71%

、総収入の

60%

を占

め、きわめて高い比重を占めていることである。このように、ファーニス鉄道は、域内鉄鉱

石輸送手段の変革を企図されて、建設された地方的

短距離鉄道で、あった。

1表 趣 意 書 に お け る 輸 送

と収入

品 目 輸送量(トン、人) 収入構成(ポンド、%) 貨 物

1

4

0

000

1

0

5

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0

84

鉄鉱石

1

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7

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60

スレート

1

5

000

1

1

2

5

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一般貨物

2

5

000

1

875

1

5

旅 客

2

0

000

2

000

1

6

計 」

2

4

0

000

24

000

1

0

0

注.鉄鉱石輸送料はトン当たり 1シリング6ペンスに設定されている。 出所:

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Z

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4

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.

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分析

2

表は、

44年 3

26

日の鉄道法案提出の前後

2

回にわたっておこなわれた応募契約の

契約者の一覧である。

パックルー公爵、パーリントン伯爵、キャベンディッシュ家の総差配人

B

.

Curreyの上位

3

名の出資額はそれぞれ最高額の

1

5

.

0

0

0

ポンドであり、その合計額は応募総額の

60%

を占

めている。これら上位

3名を含めて第

1

次応募契約者はすべて発起人で、あったが、かれらは、

2

人の貴族の法律上あるいは事業上の利害関係者で、そのほとんどがロンドン在住者で

、あっ

た。かれらの出資総額は、第

2

次応募額を含め、

6

0

.

5

0

0

ポンドに達し、総額の実に

80%

占めている。

「趣意

J によれば、応募はロンドンとファーニスにおいてそれぞれ 3カ所で、行われた

ロンドンの 3箇所のうち 2カ所は、 2人の貴族の差配人のロンドン事務所で、あった。のこり

の一つは、株式ブローカーの事務所で、あった。その中心的な拠点となったのは、キャベンデ

ィッシュ家の総差配人B.

Currey

の事務所で、あった。かれは、発起人の組織と資金調達にお

いて、

2

人の貴族の地位と権威を大いに活用したといわれる。ロンドン在住の株主の出資額

70

550

ポンドとなり、総額の

94.7%

に達しているのも、こうしたかれの活動を反映して

8

(15)

いるものと考えられる。

2

橡 式 応 募 者 名 簿

(

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応 募 者 名 住 所 第一次募集 第二次募集 計

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2

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January 1844

The Subscription Contract f

o

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the Furness Railway Extension

(

1

846)

Note: The Subscription Contract .

Furness Railway Extension

dated 23rd Dec. 1845

was signed by most

fthe proceeding subscribers t

o

the uriginal Railway

and a

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o

by

応 募 者 名 住 所 第一次募集 第一次募集 計

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John Cranke

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260

1

2

0

360

Edward Coward

Gentleman

K

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rkby

100

60

1

6

0

H

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, Ai~sl!e

&

Roper

600

400

1

000

2

620

580

3

080

出 所 :

CRO

, ZKl4011:

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Co=ittee o

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B

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このロンドンの応募額とは対照的に、現地であるファーニス住所の応募額は、僅か

1

350

ポンドにすぎない。このとき、

2

人の貴族から鉱山をリースしていた鉄鉱石商人は、主たる

ものとして

7

企業が存在していたが、もし彼らの応募があればファーニス在住としてあらわ

れるはずである。ファーニスの

3

件の応募契約者についてみると、

J.Crank

は、ファーニス

9

(16)

における募集事務を担当した

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の事務弁護士である。E.

Coward

は、キャベンディ

ッシュ家の

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スレート採石場を管理する在地差配人

(

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)

である

。かれらの

応募額は、それぞれ

250

ポンド、

1

0

0

ポンドと少ないが、その応募は雇主への忠誠を示すも

ので、あったといえよう。

残りは、B.

H

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M.Ain

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Roper

3

名連記の

1

000

ポンドの応募である。かれ

らは当時北西イングランド最大の鉄鉱石商人で、あった

H

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.

Ai

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のパートナー

たちである。鉄鉱石商人の応募は、これで、すべてで、あった。かれらの応募額も、鉄鉱石輸送

を主目的とするこの鉄道の基本的特徴を考えれば、決して多いとはいえないし、他の鉄鉱石

商人が、全く応募していないことは興味深いことである。なお、

4

6

年の拡張線に対する応募

に関しても、事態は全く同じである。

こうしたことの背後には、ファーニス鉄道が鉄鉱石商人の鉄道計画に抗して計画され、建

設されたという事情があったことを指摘することができる。それは、鉄道建設によって、鉄

鉱石資源の開発を意図されただけではなく、鉱山所有者である 2人の貴族が鉄鉱石輸送独占

を我がものにし、鉱山業支配を強めることも意図されていたことを窺わせるものである。

次 に こ の 鉄 道 の 取 締 役 会 の 構 成 に つ い て 簡 単 に 触 れ る 。 設 立 時 の 取 締 役 会 会 長 に は

B

.

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が選ばれ、取締役に、

J

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H.H.Oddie

R

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W.Lumley

F.D.Howard

1

次応募リストに名をつらねた人物が選出された。かれらは、

2

人の貴族の差配人やその

利害を代表するものであり、取締役会は、 2人の貴族、鉱山所有者の利害を反映しうる構成

であった。

1

8

4

8

年にB.

C

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y

が貴族院で殉職するが、その後任には、デヴオンシア公爵が

就任し、

1

8

8

7

年に息子の

H

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g

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o

n

侯爵にその席を譲り渡すまで一貫してその地位にあっ

た。パックルー公爵は、これよりかなり遅れてではあるが、

1

8

6

6

年に取締役に選出されて

いる。このように、パーリントン伯爵、やや程度は劣るが、パックノレー公爵は、鉄道経営に

直接関与した。

しかし、会社経営全般にかかわる采配はジェイムス・ラムスデン

James

Ramsden(1823

~1896) という人物によって担われていた。かれは、 1846 年に Locomotive

S

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として入社し、

5

0

年に総支配人兼総務部長

(

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Manager &

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)

となり、さらに、

1

8

6

6

年には専任取締役

(ManagingD

i

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)

に就任し、

9

6

年までこの地位にあった

J

.

ムスデンが日常的な会社経営にかかわる采配を揮っていたとすれば、取締役会会長としての

デヴ、オンシア公爵の主たる仕事は

J

・ラムスデンの報告を受けて、それに

二、三の指示を与

え、会社事業に必要な資金を捻出することで、あったといわれている。ここにみられる会長の

デヴオンシア公と専任取締役の

J

・ラムスデンとの関係は、キャベンディッシュ家の所領管

1

0

参照

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