(ー)録鋼会祉(;)経営不振
「 産業帝国 J は、鉄道会社を中核組織とする一種のコンツェノレンともいうべきもので、あっ たが、鉄鋼会社は、そのいわば「心臓
jのにも似た働きをし、その「鼓動」の強弱が「産業 帝国」の活力を左右するもので、あった。 73 年恐慌に始まるいわゆる「大不況 J が始まるとと
もに、新しく設立された造船会社、ジュート会社、圧延会社は、深刻な経営不振と経営危機 に暗いでいたが、鉄鋼会社はいましばらく繁栄を持続した。鉄鋼会社の経営に暗雲が立ちこ め始めるのは、 80 年代不況以降のことであった。
周知のように、 1856 年のベッセマ一法、 186 0 年のジーメンス ・ マルタン平炉法のいずれ も技術的には低燐鉱石および低燐銑の使用を前提したもので、あった。ヘマタイト鉱はこれら の溶鋼法に適した無燐鉱石で、あったが、英国においては北西海岸にしか賦存していなかった。
鉄から鋼の時代への転換期に、イングランド北西海岸の鉄鋼業が台頭したのもこのような事 情によるものである。パロウ社は、他の北西海岸の鉄鋼会社と等しく「製鋼用鉱石および銑 鉄の独占 J に基づく利益
27を享受しだけではなく、自ら豊富なへマタイト鉱山を所有し、「英 国最大の鉄鋼石生産者」でもあったことによって、より多くの利益を享受した。創業以来の 驚異的な同社の繁栄の基礎にはこのような資源独占があった。
しかし、この独占は、 70 年代には次の 2 つの事'情によって崩壊しつつあった。第 1 に 、 60 年代初頭すでに開始されていた外国産へマタイト鉱、特にスペイン鉱石の輸入が、近代海 運業の発展とともに、 70 、 80 年代に本格化したこと、第 2 に、製鉄技術史上近代熔鋼法の
「 第 2 の革命J と目される 1879 年のギルクリスト・トマス ( G i l c h r i s tThomas) 法の発明 によって、熔鋼過程における脱燐、したがって含燐鉱石および含燐銑から製鋼が可能になっ たことが、それである。
さらに、 1890 年に英国鉄鋼生産高を凌駕したアメリカ鉄鋼業(酸性転炉法)や 93 年に同 じく英国を凌駕するドイツ鉄鋼業(塩基性転炉法)の台頭によって、鉄鋼業をめぐる世界市 場の構造は大きく変化しつつあった。英国鉄鋼業は、この両国鉄鋼業の国内外の英国鉄鋼製
土地所有の企業活動と家産管理J ( W 北見工業大学研究年報』第 22 巻第 1 号 1 9 9 0 年)を参照。
27
J . C . C a r r and W . T a p l i n
,品・s t o r yo f t h e B r i t s i h S t e e l I n d u s t o r y
,1 9 6 2
,p . 8 4 .
29
品市場への食い込みによって、世界市場における地位を相対的に低下させ、「高級鋼 J への
「専業化Jおよび酸性転炉法から酸性平炉法への重心の移行を余儀なくされた。 しかし、
Barrow Haemat i t e S t e e l C o . Lt d . は、従来の酸性転炉法を踏襲し、世界鉄鋼市場において、
合衆国およびドイツの鉄鋼業との競争に直接さらされることになった。
資源独占の崩壊と激化する世界市場における競争的環境のもとでも、しばらくは、自社鉱 山からの安価な資源供給によって、パロウ社は比較的に安定した経営を維持していたのであ るが、 8 0 年代中頃をピークに鉄鉱石生産高が減少するにつれて、極めて深刻な経営危機に逢 着することになった。鉄鋼会社の業績は、 9 0 年代不況においてはいっそう低迷し、 90 年代 の半ばごろにキャベンデ 、 イツシュ家およびファーニス鉄道会社は、その経営権を燃料依存先 の 「 北東岸インタレスト J に譲り渡した。 このときにはすでにキャベンディッシュ家は鉄道 会社を除き他のパロウの諸企業からも撤退し、同家の「地主企業家J ともいうべき活動の時 代は終鷲を迎えた
28。第 9 表は、創業間もない 1 865 年から 1900 年までの利潤および設備投 資の推移を表したものである 。 本表の数値から、既に述べた、 60 年代および 70 年代初頭に おける驚異的な繁栄、 80 年代の比較的安定した経営の維持、そして 8 0 年代未から 90 年 代 における深刻な経営危機をある程度窺い知ることができるであろう 。
第
9表 パロウ・ヘマタイト鉄鋼会社の利潤の推移
1865‑1900年 社債利子控除 拡 張、 改 良、 ① ・ ②
年社債利子控除 拡 張 、 改 良 、 ① ・ ② 後の利潤 ①
減価償却費②後 の 利潤 ①
減価償却費②1865 5186
。
5186 1883 40818 1366 39451 1866 151728 50000 101729 1884 53887 21234 32653 1867 143378 36932 106445 1885 19051 23054 '4002 1868 121161 12013 109149 1886 6809 8118 '1309 1869 152061 40033 112027 1887 61095 59152 1947 1870 168135 48851 119284 1888 68528 28260 40264 1871 307855 152084 155771 1889 101910 22973 78936 1872 315019 56663 258356 1890 132314 18195 114120 1873 409291 35962 373330 1891 108014 29892 78121 1874 162831 654 162176 1892 47100 21797 25304 1875 118849。
118850 1893 3280 7246 '3967 1876 138985。
138985 1894 ‑24697。
‑246961877 131685
。
131684 1895 2170。
21691878 77249
。
77250 1896 85823 51856 33967 1879 81206 22000 59206 1897 55063 13319 41744 1880 202830 43810 159019 1898 65803 16422 49381 1881 226576 100000 126577 1899 89019 10604 78416 1882 139227 810034 119227 1900 219135 61529 157605出所:
CRO MSS Barrow Haematite Steel Co., Ltd̲, Extract企omYeary Accounts with referenωω Profits from 1865ω1900 inclucive showing the aggregate amount of profit over a series of years held in the Cumbria Record0
伍ce(Barrow)より作成。
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このあと同家の土地貴族か ら 「株式 ・ 債券 保有貴族
Cstock ‑
and‑bondholiding aristocracy)J への転身過程 が 始まる。 これによ っ て、自ら の 経済的利害を、「金利生活者国家 」の頂点に位置する「シ ティ ・ インタレスト」
のそれを同一 化する こ と で 、 かつての社会的 ・ 政治的地位を維持し、貴族として延命すること が 可能となっ た 。
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このような推移を辿った鉄鋼会社の繁栄と衰退について、 1899 年 1 1 月 25 日、ロンドン のウエストミンスターで開催された臨時株主総会で議長をつとめた第 8 代デヴオンシア公爵 の発言は示唆的である。このとき、鉄鋼会社が 1888 年に株式資本額 203 万 7 千ポンドから 153 万 8千 275 ポンドに減額し、 2 度目の株式資本の減額(半額の 76 万 4千 137 ポンドへ) を提案したときで、あった。公爵は、減価の原因である資産価値の低下を主として規定する「現 在および未来の利潤獲得能力 profit‑earningpowerJ について次のように述べた。
「もし、その獲得能力が恒常的に減少するならば、資産の価値は低下せざるをえない。あ いにくそれはわれわれの現状です。この数年間、われわれの利潤獲得能力は、外国との競争 や、原料価格の高水準等の多くの条件によって良くない影響を受けてきました。しかし、わ れわれが苦しんでいる主要な原因はわが鉄鉱石産出高の急速で連続的な減少です。ご存じの ように、われわれは近くに石炭やコークスの良好な供給地をもっていません。そのため競争 者と比べて不利な状況におかれています。この不利な条件を相殺するために、われわれはわ が鉱山からの安価な鉱石の大規模で規則的な供給に依存しなければならないこと、すなわち 他の産地から高価な鉱石を購入しなくてもすむことが最も重要であります。われわれは久し くこのような便宜を享受してきました。しかし、不幸にも、近年、われわれの供給は非常に
減少し、特に、 1888 年と 1899 年にそうであり、それゆえ購入を増やされなければなりませ んでした。これは、われわれの利潤獲得能力に深刻な影響を及ぼし、われわれの資産の価値 を低下させたました
1290ここには、周辺に燃料供給地を持たないパロウ社の繁栄を支えた「利潤獲得能力」の基礎 には、その不利な立地条件を補って余りある、高品位の鉄鉱石資源の豊富な存在があったこ と、そしてその枯渇が同社の現在と未来の暗雲を規定しているこが端的に明らかにされてい るといえよう
30。
29
CRO BDB/47 Box 1 , Summary o f P r o c e e d i n g s a t an E x t r a o r d i n a r y General Meeting o f t h e Company , h e l d a t t h e Westminster Ol a c e H o t e l , V i c t o r i a S t r e e t , Westminster , Lo ndon on Friday , t h e 24th day o f Novenber
,1899
,p . 1 .
30
その後パロウ社は、他の英国の鉄鋼会社が辿ったと同じように、 1880 年の 1 2 トン平炉 1 基の導入を鳴矢に、
徐々に製鋼法を転炉法から平炉法へと転換し、 1932 年には 1 部に塩基性法も導入している。そのときの保有平 炉は、 70トン平炉(酸性) 1 基 、 65トン平炉 1 基(塩基性)、 40 トン平炉 4 基(酸性 2 、塩基性 2 ) 、1 5トン 平炉 1 基(酸性)であった。第 2 次世界大戦後もしばらくは存続したが、 1959 年に同社は、 M i l l o n Haematite Ore & I r o n C o . L t d . 1 こ統合され、 1963 年にはパロウ工場はついに閉鎖、解体され、その 100 年の歴史を終え た。現在、事務所建屋の一部と「のろ Jの堆積だけが残り、それらがパロウ工場の歴史を微かに伝えているに すぎない。 BarrowHaematite S t e e l C o . , Lt d . . , Barrow S t e e 1 . A B r i e f Hi s t o r y and Survey o f P r o d u c t i o n ,
1937 , pp . 2 1 ‑ 4 1 , J . w . Danks . , Barrow Haematite S t e e l C o . , L t d . , I r o n and S t e e l I n s t i t u t e , RNS 1938 , p . 8 2 ‑ 8 4 .
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(ニ)録道会祉ci)高収益構造ci)崩壊
( 1 ) r 産業帝国
J奄構成する諸企業向経営危機と r cJ<大慈録 i 屋外投資
1 8 7 3 年恐慌から始まり 1 8 9 6 年に至るいわゆる「大不況J期は、 1 8 8 2 年と 1 8 9 0 年とに ピークに達した好況と 1 8 7 9 年 、 1 8 8 6 年 、 1 8 9 3 年にそれぞれ底をついた不況から構成され た、長期的な停滞の時期で、あったことは周知のことである。
この「大不況 J は、「ファーニス鉄道産業帝国」を構成する諸企業に影響を及ぼし、特に、
造船会社、ジュート会社は深刻な経営危機に陥った。この時期の鉄道会社の経営政策は、諸 企業の経営危機を回避し、地域経済を再び浮上させるために、これまで以上に大規模な域内 戦略を推進することで、あった。その一つは、パロウを母港とする大洋航路の誘致であり、い まひとつはそのための大規模なパロウ港の開発で、あった。
1 8 7 3 年までには既に D e v o n s h i r eDock と B u c c l e u c hDock が開設され、パロウ港は「大 蔵省令に基づく独立港」となっていた。さらに、同年には規模 6 3 エーカ、附属埠頭面積 110 エーカの Ramsden Dock の建設が開始された。それが完成される 1 8 7 9 年にまでに、鉄道会 社が港湾開発のための資本支出は、 ドック建設費、渡諜費、畜舎や上屋等の建屋建設費等、
計 4 0 7 , 0 0 0 ポンドであった。また 1 8 8 0 年には、 55 , 6 0 0 ポンドの費用で、世界第 3 位の引揚 能力を有す浮乾ドックが建設され、 1 4 2 エーカの C a v e n d i s h Dock の建設も開始された。こ のドックが完成すれば、バロウ港のドック総面積は 2 7 8 エーカとなり、英国でも最大級の港
となるはずであった。創業以来 1 8 8 9 年まで、に鉄道会社がパロウ港に投資した総額は、 2 1 4 万 9 千ポンドとなり、実に払込総資本額の 3 分の 1 近くまでに達した。
ここでは、地域経済の総括的指標として意味をもっ鉄道の輸送量および収入の推移、「産 業帝国」の中核組織である鉄道会社の経営状態を簡単にみてみよう。
( l ) 義道収入と経営状態につい乞ぬ栂観
①輸送収入
第 8 表は、「大不況J期の収入とその構成を示したものである。輸送量の点では、鉱物を 除く輸送量は、 7 3 年水準を回復したのち、拡大しているが、鉱物は、比較的早期に回復しな がらも、 9 0 年代に再び 7 3 年水準を下回っている。価値タームでみた場合、旅客と家畜収入 は不況期にもおおむね増大傾向にあるが、一般貨物と鉱物とは、減少傾向にあった。これは、
8 0 年代不況において、それまで比較的経営の安定した鉄鋼会社が経営不振に陥り、また 8 2 年のピークに、鉄鉱石生産が著しく減少したことを反映するものである。
3 2
ドキュメント内
鉄道時代における英国土地貴族の所領経営・家産管理と企業者活動に関する研究
(ページ 35-42)