• 検索結果がありません。

ヘルマン・ヘッセ『ペーター・カーメンツィント』について : 遍歴の起点

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "ヘルマン・ヘッセ『ペーター・カーメンツィント』について : 遍歴の起点"

Copied!
8
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)33. ヘ ル マ ン・ ヘ ッセ. 『ペーター・カーメンツ ィン ト』 について 一一 遍歴 の 起 点一一. 磯. 治. 弘. On Pι ′ ιr Cα ι ιんだjん グ : Where Pcter's Wandering Begins “ ISO Ktti Abstract: Herinann】 Hesse's `Bildungsroman'Pι ″ ιr Kα ιんzJれ グ iS characterizcd by wanderingo As far as the “. hero's childhood and his hometown Ninlikon,fronn which he departs, are concerned, this novel does not al― ways trace directly Hesse's own experiences.The mral scenc of NiⅡ likon surounded by Alpine nature,how― ever,reflccts German far]田 L villages which saw a wave of industrialization around the turn of the century,and the description of Peter hides the dilemmas the author lived out. The conflict between Peter and his parents tells us about various aspects of Hesse's own adolescent crisls.. 1901年 1月 末 ,ベ ル リ ンのザ ムエ ル ・フ ィッシャ ーはヘ ッセに宛てて,『 ヘ ルマ ン・ラウシヤー』 に寄 せる好意ある言葉 とともに,新 しい作品を要請す る。 ヘ ッセはこれに応 えるかたちで,5月 は じめに『ペー ター・カー メンツィン ト』 の草稿 を送 ったり 。「この原 稿 を読 んだ うえで,フ イッシャーは,6月 にい ちはや. ぬほどの ものであ った。やがて 「2年 間で 36,000部. はもちろんのこと,あ わせて当面 の経済的安定 をもた らす ものであ った。. く以後 5年 間に書 かれる作品の先買権 についての契約 をヘ ッセ と結ぶ」が, しか し「フイッシャーがヘ ッセ の本 はきっと当ると思 っていたわけではなさそ うであ る。『ペ ー タ ー 0カ ー メ ン ツ ィ ン ト』 の 出版 に際 し て,フ イッシャーは,こ の本 は大当 りす ることはない で しょうが,か といって初版だけで終 ることもないで. ,. 『ペ 5年 間で 50,000部 」 “とい う大 きな成果 を実 らせる ー ター ・カーメンツイン ト』 は,作 家 としての知名度. (1). い くつかの二次文献 か ら作者ヘ ッセ,あ るいは小説 『ペー ター・カー メンツイン ト』 につい ての記述 を拾 ってみる。 Ch.Io Schnciderは ヘ ルマ ン・ヘ ッセ と トーマス・マ. しょう,と 無難な言葉 を作者 に書 き送 り,500部 分 の. ン,そ れぞれの苦悩 の経験 と叙述 の異 同につい て. 印税 を前 払 い した だ け だ った」 "よ う だ。 1903年 9. 「なによ りも,マ ンは問題 に対 しては じめか ら冷静 に. 月,H月 ,雑 誌 Neuc Rundschauに 掲載 された 『ペー ター ・カー メンツィン ト』 は,1904年 2月 15日 初版. 距離 をおいて,鋭 く知的 に解明 し,そ して Selbstironic によつて克服 した」 と見な し,そ の一方で「ヘ ッセに. 3,000部 が干J行 され,同 年 7月 には 4版 ,5版 ,1905. とっては,自 分 を度外視することや,あ るいは,言 っ. 年 には 17版 を数 えた。出版早 々 に版 を重 ね る反響 は⊃,フ ィッシャー社 のみ ならず,す で にバーゼルの. てみれば遊戯的 に技巧 とい う媒介 をとお して,前 もっ. 書店 を退職 し,ま たマ リア・ベ ルヌ リと婚約 した (1903. 要の なか ったような答 えをみつ けだす ことが,あ きら かに困難 であ った」 と対比 し,「 ヘ ッセの場合 ,と り. )が ,か ならず しも将来の確 かな展望 を もっていたわけではないヘ ッセにとって も,思 いがけ. 年 5月 31日. ,. て実際 に経験 し,ま た場合 によっては最後 まで悩む必. わけかれの作品の多 くに際立 った特徴 としての 自伝的.

(2) 甲南女子大学研 究紀 要第 39号. 文学 。文化編 (2003年 3月. ). 5と 構成がそれを証言 してい る」 述べ てい る。 Joseph Mileckは ,「 ヘ ッセの作品は最初か らきわめ. 者 の姿 で あ り,か れ らはその なか に 自分 自身 を見 い だ. て個人的な色彩 をおびていた し,そ れが変 わることは. ヾ した」 と,ヘ ッセの作 品 を受 け入 れた読者 の′ 亡 1青 をお. なか った」 と,詩 人 としての私的属性 を挙 げ,「 主人. しはか り,青 年運動 な ど時代 の傾 向へ の 共感 を示唆 し. 公 と作者 とは概 して不可分である。ヘ ッセの作品の多. なが ら,「 カー メンツィン トの意識 には,漠 然 とした. くは物質的世界 との相互作用 をほとんど排除 して,か. ロマ ンテ ィックな気分があ り,質 素な生活や,ル ソー. れの内的な自己を投影 させてい る。 わずかな作品だけ. 的な単純 であ ることへ の傾斜があ る」 と,世 紀転換期. が内的状況 と外的状況 とを反映 してい る。『ペー ター. の世相 の反映 を指摘 してい る8。. とって カー メ ンツ ィン トは,ひ と りの異議 を唱 える若. ・カー メンツィン ト』 は後者 に属 してい る。 カーメン. ちなみ に,ヘ ッセは 『ペ ー ター 0カ ー メ ンツ イ ン. ッィン トの懸命な試み,失 望 と幻減,か れの資質 と傾. ト』 を書 き上げる と,フ ィッシャー に宛てて,「 私 の. 向,さ まざまな困難 とそれ を解決 しようとす る努力. ささやかな作品が近代的ではな く,そ れ どころか反近. は,全 体 としてヘ ッセのそれである。 わずかな差異 に. 代的である と,一 目でお判 りになるで しょう。形式 に. こだわ らなければカー メンツィン トの閲歴 はヘ ッセ と. ついて もいろい ろ欠点があるとは思 い ます。反対 にひ. 6と. 同 じである」 断 じてい る。 ヘ ッセ と深 い友誼 を結 び,経 済的支援 を受けること. とびとや田舎 は時間をかけた念入 りな観察 にもとづい て描 かれてお り,そ こには創作 されたものや体験 され なか った ものは,何 一つ としてあ りません。力点 は変. もあ った Hugo Ballは ,ヘ ッセの伝記 のなかで,「 カ ー メンツィン トはまった くお もしろおか しく読 めるほ. わ り者 であるペー ターの精神的成長 にあるのです,そ. ら吹 き小説で もある」 と,小 説 『カー メンツ ィン ト』. れゆえ,そ のほかはすべ てスケ ッチふ うに扱われてい. の別 の一面 を指摘 してい る。「 さかんに自慢話やほ ら. ます。言葉 については流行 には同調せず,む しろ,何. 話が吹聴 されてい る。 もしもカルフの家であれば もっ. よ りもわた しの個人的な気持 ちに従 って,ま った く私. ての外 である ような仕方で,よ どみな く気 ままにそん. の故郷. な話が言 吾られてい る。 ときには大笑い しなが らシェル ・](カ ムフスキー を思 い出さず にはい られない。 …・ ーメンツィン トは)い かにも『うそ物言 吾』 らしい『う. ーベ ン人です)で 話 されて い る ドイッ語 に倣 い ま し. そ物語』 である。 自分 の才能 を遺憾 な く発揮す るとい. ン ト』 の基本的な輪郭 ,あ るい は性格が浮 かんで くる. う言葉があ るが,ち ょうどそんなふ うに,わ れわれが. のではないだろ うか。. [・. (わ. た しは半 ばバーゼル人であ り半 ばシュヴァ. 9と た」 書 き送 っている。. 以上の記述 か らは,小 説 『ペ ー ター・カーメンツィ. よく知 っているかつ ての牧師職志願者が,こ の本 の な かでは,先 い ざらいこころの うちを語 ろ うとし,語 るこ ・]つ く とが許 されて もい る, と言 えるだろ うc[・ …・ り話 の楽 しみはあまりにも長 い間お さえつ けられてい. (2). いわゆる Bildungsromanと しての 『ペ ー ター・カー. た。 カー メンツィン トの愉 しい 自慢話や遠 くへ の旅な どは,ア ウエ ルバ ッハ の地下酒場 を,そ して ミュンヒ. テ イー フに彩 られてい る。生 の軌跡 は遍歴 であ り,遍. ハ ウゼ ンを想わせる。暢気 で屈託 ない昔なが らの手法. 歴は故郷であるアルプスの 山間の村 ニ ミコン10)を 起点. は,ル キアノスの摩訂不思議 な話 か ら ドン・キホ ー. としてい る。村人たちのこまやかな 日常 を明 らかにす. テ,ジ ル・ブラース を経 て,ま さにこのカーメンツイ. る説明 はないが,「 われわれの村 はそれほ ど外部 か ら. 7と ン トにまでつづいてい る」. の新鮮 な血や生命 が補給 されず. ,BJlは. ペー ターの物語. メンツィン ト』 に綴 られた生の軌跡 は,さ まざまなモ. […. …],住 民 のほ と. の なかに,ヘ ッセの何 かを払拭 したような心境 ,諧 譴. んどがみんなきわめて近い姻戚関係 であ り,四 分 の三. に託 した覚悟 を読 もうとしてい るようだ。. 以上 はカー メンツ ィン ト姓 をもつ」 (s.346),あ るい. 『カ ー メ ン ツ ィ ン ト』 をヘ ッセ の. は「ただ しわれわれの暮 らしのうえを,隠 れた,あ る. 「現実 の生活へ の道 を踏みだす確子 とした一歩 を意味. いは 自覚 されない陰鬱 さの晴 れることのない需が覆 っ. Fritz Bё ttgerは. してい る」 もの と捉 えて,「 同時代 の若者 たちは,も. ていた。 自然 の力 にたよる,労 多 い生活 の惨 めさが. ちろんこの本 のなかにひとつの芸術家小説 とい うより. 時が経 つ につれ,い ずれは老 い朽 ちるわれわれ一族 に. は,む しろちょうど若者 たち 自身のように,市 民生活. 憂鬱 の質 をうえつ けた」 (S.346)と いつた記述が故郷. の秩序 に順応する術 をこころえてい ない ひと りの青春. の暮 らしぶ りをうかがわせる。 しか し,そ れにもかか. 期 の揺 れ動 くヴ ァガボン ドの物語 を見た。若者 たちに. わらず,ア ルプスの 自然にへ ば りついたような山間の. ,.

(3) 磯. 弘治 :ヘ ルマ ン・ヘ ッセ 『ペー ター ・カーメンツイン ト』 について. 35. 本 すのオ 苗写 には, どこか「糸 屯本卜さ」「の どか さ」 に通 じ. 万 で あ った農林業 関係 の就業 人 口は,1913年 には 500. る空 気 を想起 させ る ものが あ り,屈 託 にまみれて い な. 万 に 減 じ た。 ま た,1882年 か ら 1907年 の 25年 間. い ひ とび とと,そ の生 活 の健全 さを匂 わせ る牧歌 的 た. で ,就 業 人 口 に 占 め る賃金労働 者 の 割 合 は 42%か ら. たず まい が あ る。. 49%に 増加 し,1907年. 当時 ,就 業 人 口 の 約 半 数 が 賃. 1871年 の プ ロ イセ ン国 王 ヴ ィル ヘ ル ム I世 の 皇 帝. 金労働 者 に属す るひ とび とであ った。農業 人 口の変化. 即位 によ リ ドイツ帝 国 が成立す る。 ペ ー ターの故郷 と. を見 て み る と,1882年 の 農 業 人 口 は 42%を 数 え た. して設 定 された農村 をイメ ー ジす るてがか りに,こ の. が ,1895年 に は 35%,1907年 に な る と 28%と 減 少. 帝 国成 立 か ら 20世 紀初頭 あ た りまでの ドイ ツの 社 会. して い る。経済 の焦点 が工業 へ 移行 した結果 ,必 然 的. 的 あ る い は経 済 的事 情 を概 観 してみ た い。 1873年 に. に人 口の流動化 と人 口分布 の変動 ,ひ とび との移 動 と. 始 まる い わゆ る経 済恐慌 の なか で 「保 護 関税 政策」. 都 市 化 現 象 が生 じる。 1871年 には 農村 に暮 らす ひ と. また急速 に進 む工 業化 が生 む労働 者運動 に対す る「社. び とは 2,600万 余 と総 人 口 の三 分 の 二 を 占 め て い た. 会主義者鎮圧法」 が 実施 され ,バ ル カ ン問題 で対立す. が ,第 一 次大戦前 には都 市 人 口が 3900万 とな り,ま. る列 強 をベ ル リ ン会議 (1878年. た ,帝 国成 立 後 の 40年 間 で 88市 だ った 人 口 10万 人 以上 の大都市 も 48市 と増加 して い る曖. ,. )で 調 停 ,ま た ロ シ. ア,オ ース トリア,イ タリア と結 んで フラ ンス に対抗. )。. す るな ど帝 国 を主 導 して きた初代首相 ビスマル ク も. ,. 1890年 解 任 され る。やが て ,ヴ ィル ヘ ル ム Ⅱ世 の 帝. (3). 国主義 的膨 張 政策 は イギ リス との 対 立 を生 む と と も に,緊 張 した ヨー ロ ッパ にお け る大 国間 の均衡 を危 う. 農業 国 か ら工業 国へ の移行 ,工 業化 の波 にお しや ら. くさせ ,次 第 に ヨー ロ ッパ 全土 を巻 き込 んだ深刻 な事. れ衰退 してゆ く農業 の様相 は,そ の まま先 に示 したペ ー ター の故郷 ニ ミコンの ひ とび ととその生 活 に置 き換. H)。. 態 を もた らす こ ととなる. ドイツ帝 国 にお け る工 業 と農業 の推移 はい ち じる し. えて もよい か も しれ ない 。故郷 ニ ミコンの 陰翡 はその. く,そ して社 会 の様 相 も激 し く変化 す る。 19世 紀 末. まま農業 と農村 の 陰画 で は あ るだ ろ う。 しか し,『 ペ. か ら第 一 次 世界大戦 にい たる時期 ,い わゆる工 業化 の. ー ター ・ カ ー メ ンツ ィ ン ト』 は帰郷 す る物語 であ り. 波 が押 し寄せ る とともに, ドイツの社会構造 はい っ き. 遍歴 には さまれ た滞在 や逗留 も故郷 をい たず らに忌避. に工 業社 会 の それ に移 行 す る。 1870年 に ドイツの工. す る もの で は な い 。Emst Blochは. 業 ・手 工 業 の生 産 高 の 割 合 は 26%で あ つた が ,1913. つ く陰騎 と農民 の あ る種 の頑 な さを,「 農民 は 自分 が. 年 には 41%に まで増 大 す る。先 進諸 国 と比 べ て も. 属す る場所 か ら移 りたが らない 。農民 は 自分 の土 くれ. 1893年 には イギ リス の 半 分 程度 で あ った工 業 生 産高. の上 で ,そ の上 だけで 自由で あ ろ う とし,土 くれ を所. が ,1913年 には ア メ リカに次 い で 世 界 第 二 位 を 占 め. 有 した と きには,い っ そ うか た くな にそ こ に固執 し. る まで に伸 びてゆ く。 この時期 , ドイツ帝 国 の総人 口. た。 [… … ]平 安 はわ ず か な関係 の 中 にあ った し,そ. は 4,100万 か ら7,000万 に増 えて い るが ,工 業 人 口の. して , ともか くも見渡 したか ぎ りでの最 良 のわず か な. 35%,1895年 39%,1907 42%と 上 昇 してお り,工 業化 の 速 度 は あ き らか で 年. 関係 とは,少 しばか りの 自分 の所有す る土地 との 関係. ある。 工 業 生産のめ ざま しい躍進 に引 っ張 られ る よ う. れた と感 じ,大 半 はそれ以上 ,少 な くとも新 しい状態. に,国 民 所 得 も 1871年 140億 2,000マ ル クか ら 1913. は 要求 しなか った。 ・…・]つ ま り農民 は,自 分 がす. 年 480億 5,000マ ル クヘ と大 き く伸 びて い る。農業生. で に具現 して い る ものへ 向 か って 自己 を解放す る こ と. 産 も工業化 の恩恵 を受 け てか ,主 要穀物 の 1ヘ クター. のため にだけ行動 した。農民 は 自らを,そ れ までの階. ル当 りの生 産高が 70%か ら 9o%へ の上 昇 がみ られ. 級 をうち破 る こ とに よっては じめて形成 され る新 しい 日 )と 階級 とは決 して感 じなか った」 説 明 して い る。 ア. ,. 変化 を見 てみ る と,1882年. ,. ドイツ国民 の生 活水準 を引 き上 げ てはい る。 しか し ,. ,. ,農 村 に ま とわ り. で あ った。農民 はその 関係 を もった とき自己 を解放 さ. [・. 帝 国成 立以 降 500万 か ら 9oo万 と倍増 した工 考人 口 と. ル プス に覆 われた ニ ミコンの村 人 たちの視野狭 窄 は. 比 べ ,1882年 に 42%を 占 め て い た 農 業 人 口 は 1895. 周 囲 を と りま く世界 との親和性 で あ り,彼 らの罪 で は. 年 35%,1907年. 28%と 急激 に減少 し,自 動車 をは じ. ないの だろ う。 セ ンチ メ ンタルな 自己憐 `1関 はむ しろ 自. め とす る新 たな交通手段 の 開発実用化 に よる ヨー ロ ッ. 己疎外 を意 味 す る こ とに な り,自 由 と平 安 は彼 らが. パ の穀物市場 の構造 的変化 も加 わ って , ドイッは農作 物 の輸 出国か ら輸入国へ と転換 す る。 1871年 には 600. 日々仰 ぎ畏怖 す るアルプスの稜線 に護 られて こそであ. ,. る。 む しろ,い わゆる 自由 とか平和 とか友愛 は,耕 す.

(4) 甲南女子大学研 究紀 要第 39号. 文学 。文化編 (2003年 3月. ). 土 を もたない ,そ れ は四 季 か ら成 り立 つ 生活 を もたな. 地 と仲違 い させ る もの に対す る不寛容 と,こ の経験則. い とい う意味 で ,自 然 が もつ秩序 と しての大 きな循環. の埒外 にある もの に眼 を背 ける姿勢 の比喩 なのか もし. か ら離脱 したひ とび との安直 な共 同性 の 原理 にす ぎな. れ ない 。 この「健康」 は,人 間 に授 け られ る形而 上的. いの か も しれない。 ニ ミコンの ひ とび とに収益 ,利 益. な救 済 や福 音 で はな く,む しろ人間が願 う形而下的 な. 率 ,減 価償 去日 ,貸 借対照表 な どはおそ ら く無縁 であろ. 幸 いの一つの姿 なのだろ う。 ただヘ ッセは,農 村 とし. う し,そ んなせ ちが らい価値判 断基準 もない だろ う。. ての ニ ミコンの営 み を直哉 に記述す るかわ りに,ア ル. 有能 とか無能 で はな く,実 直 に 自然 の摂理 に抗 う こ と. プスの 自然 を擬 人的 に記述す る こ とで ,小 さなニ ミコ. な く, 日の 出 に耕 し, 日暮 れて憩 う愚直 な精励 さを美. ンの大地 と共生す るひ とび との生 を肯定 し,ペ ー ター. 徳 とす る営 みの安寧 を維 持す る こ とが ,彼 らの 日常 に. の 眼 に映 る 自然 の エ ネ ル ギ ッシ ュ な生 命力 を幻想 的 に. ほか な らな い 。 また,Blochは 農民 が この 頑迷 な, し. 憑依 させ て描写す る こ とで ,生 が もつ可能性 の継続 を. か し実 直 な精励 の ゆ え に授 か る幸 運 を,「 どん な に過. 示 して い る よ うに思 われ る。「 アル プスの 岩 山 は不屈. 度 の労苦 が あ って も毎 日を戸外 で生 活す るこ とは健康. の 老 兵 士 の よ う に 誇 ら しげ に」 (S.344),あ る い は. で あ り,過 度 の労苦 とい って も少 な くとも神経 には障. 「山 の木 々は 隠者 や戦士 に も思 え」 (S.344),ま た「少. らな い だろ う。 ・…・]大 地 へ の 信 頼 ,規 則 正 しい 四. 年 ら しい奔放 さが ,育 つ につ れ ,わ た しは ,反 逆者. 季 へ の信頼 はい まなお信頼 を残 して い る とい う意味 に. 永遠 の青年 ,ふ てぶ て しい 戦士 ,そ して春 を もた らす. お い て ,結 局 は健康 なので あ り,暦 を伴 った生 活 もそ. 南風 を愛 した」 (S.350)。 「 これ らす べ てが ,決 して人. うな ので あ る。 この 健康 さは,[・・…・]自 然 の 振 り子. 間 の 回 の端 にのぼ った ことの な い神 の言葉 を,高 らか. に合 った もの ,つ ま り農民 の生 活 や活 動 を暦 どお りに. にあ りの まま語 るか らであ る」 (S。 351)と. させ る もの に結 びつ け られて もい る。 あ るい は,ス イ. の こ ころ と風 景 との 内 的 な感 応 が ,自 然 と共 生 す る. ス ・ ドイツ語 の 農民方言 のす ぐれ て比 喩 的 な表現 をつ. 神 々へ の畏れ とその存在 を称 えて い る よ うだ。 ペ ー タ. か えば,農 民 の 昔 の生 き方であ る 『つ り合 い』 に結 び. ー の 「 自然」 へ の 偏 愛 に対 して ,「 街」 と りわ け 「大. つ け られて い る。 この 『つ り合 い』 とは,天 秤 が 平衡. 都市」 にまつ わる記述 は, きわめて批判 的 で あ る。 さ. る いは まさ しくデ ー メーテルの振 り. ほ ど有名 ではなか ったヘ ッセ をフ イッシ ャー に と りも. 子 にあ っていれば ,農 民 を,負 債 ,苦 業 ,抑 圧 ,生 活. っ た パ ウ ル ・ イ ル ク に宛 て た 手 紙 (1903年 1月 29. の糧 の耕作 中 にお こる さまざまな障 害 か ら解放す る も の なの で あ る」‖と祝 福 し,同 時 に 「だが ,も ち ろ ん. 日)で ,ヘ ッセ は「耽 美 主義 者」「形式 主義 者」 な ど の 自分 にた い す る批 評 家 の 的外 れ とあ わせ て ,「 ペ ー. 『つ り合 い』 は また,通 常 の分 別 の あ る とい う意味 を. ター 0カ ー メ ンツ ィン ト」 とか さなる 自分 を書 き記 し. 0],存 在 を大 地 と仲違 い させ な い とい う. て い る。「私 が知 ってい る都 会 の うちで も っ と も良 い. こ と,獲 得 した大地 での生 活 をあ らゆる進 んだ 『時代. 見本 となる もので も,歴 史的理解 と純粋 な 自然感覚 と. 精神』 に逆 らって 反動 的 に呪 縛 し離 さな い とい う こ. い う点 で ,典 型的 な欠如 を しめ して い ます。 この二つ. と,で もあ る。 田舎 で は,こ の真 正 直 な分別 とこの い. の感覚 を,私 の ほんの ちい さな幸福 はた よ りに して い. まだ に呪 縛 的 な静止状態 とが 今 日なお奇妙 に共 存 して い る」いと,そ の 愚 直 さゆ え に彼 らが抱 える旧 弊 も示. るのです 。 ・…・]私 の 永 遠 の ,そ してか な え られ る. 唆 して い る。 この 健 康 が ,ニ ミコ ンの た た ず ま い に. は あ って も,ま った く依存 せ ず に暮 らす こ とで す。 一―. 「牧歌 的 な」,「 長 閑 な」,「 暢 気 な」 とい った 印 象 をあ. そ うなれ ば私 は イ タ リアの辺 置Бな山里 で一 生 をす ご. たえるのだろ う。種 を播 き,苗 を育 て ,肥 料 をや る作. し,遠 大 な徒歩旅行 を し,現 代 生 活 の くだ らぬ ものか. 業 は村 人 の そ の土 地 へ の信頼 へ の証 であ り,見 返 りと して の収穫 は,か れ らをそ の土地 へ の 固定 へ とうなが. ら,す っか りそ してのんび り離 れて い るの を感 じるこ ‐ とで しょう」“。 この 手紙 は,『 ペ ー ター ・ カ ー メ ンツ. す。「四季 へ の信頼」 あ るい は「暦 を ともなった生 活」. ィン ト』 が 書 き始 め られる直前 の ものだが ,ヘ ッセの. とは ,か れ らの農耕 とい う単調 で は あ るが ,決 して弛. 言 う「都 会」,あ る い は「現 代 生 活 の くだ らぬ も の」. 緩 をゆる さず献 身 を強 い る生 活現実 が生 む経験 則 に他. とは具体的 に何 を示唆 して い るのか 明瞭 で はない 。 た. な らない 。 この経験則 は ニ ミコ ンの ひ とび との 習 わ し. だ,「『 カー メ ンツ ィン ト』 を書 い て い た ころ,ヘ ッセ. と しきた り,道 徳 と善悪観 ,美 意識 と憧 れ まで も形成. は 国際的 な都 会 の賑 わ いぶ りについ ては,遠 回 しにバ. しただろ う。 ペ ー ターが感 じる 「暮 しを覆 う晴 れ る こ. ー ゼルの 自由放縦 さ と呼べ る よ うな,ご く一 端 しか知 らなか っ た」口,と Ballも 指摘 して い るが ,『 ペ ー タ. [・. 状態 にあ るか ,あ. はなれ. 0… [・. との ない需」 と「憂鬱 の 質」 は,農 民社会 の存在 を大. ,. ,ペ ー ター. [・. こ との ない願 い は,無 職 の 人間 と して ,た とえ質素 で.

(5) 弘治 :ヘ ルマン・ヘ ッセ『ペーター・カーメンツイント』 について. 磯. 37. ―・カーメンツ ィン ト』 では,大 者Б 市 パ リが,「 と り. しの若 い情緒面 での成長 を促 しも しなければ ,妨 げ も. わけパ リは身の毛が よだつ」都会 で あ り,「 文学 と娼. しなか った。母 はいつ も仕事 で手 一 杯 で あ った し,教. 婦 の雑談」,「 下卑 た女 ども,厚 顔 で虚栄心が強 い芸術 )と いった調子 で 断罪 されてい る。 家や ら作家連 中」蟷 この記述 は後 に削除 されるが,「 ただ しベ ル リンやパ. 育 の 問題 ほ ど父 が 関心 を払 わなか った もの は他 になか. リの都市 とひとび とのあ りようはい ささか内容 に乏 し. 飼 ってい る羊 もわず かであろ う暮 ら しが ,父 ヨハ ネ ス. く,未 体験 の ままで欠落 してい る」")ヘ ッセの都会 に. と母 マ リー の家 の つつ ま しさを感 じせ るが ,そ れ以上. 対す る,ま るで言 いがか りのような形容 は,「 ほら話」. の宗教 的あ るい は知 的 ななにか を想 わせ る もので はな. や 「 うそ話」 の もつべ きユーモ アか らはお よそほどと. い だ ろ う。 さ らに,「 母親 か らは僅 か ばか りの 世 才 と. おい。. 信仰心 ,静 かで回数 の少 ない気 質 を,父 親 か らは反対. った。 せ いぜ い ,二 三 本 の果樹 をなん とか育 て ,ジ ャ ガイモ畑 を耕 し,乾 草 を見 るだ け で あ った」 (S.352)。. に揺 るが ぬ 決心 へ の怖 れ ,金 銭管理能力 の 乏 しさ,あ れ これ考 えなが ら大酒 を飲 む こ と」 (s.359)と い う記. (4). 述 を,『 カ ー メ ンツ イ ン ト』 の 20年 後 の述懐 と くらべ. 「作品の多 くに際立 った特徴 としての 自伝的構成」. る と,ペ ー ターの父 と母 に着 せ られた衣 は ,ま るで血. 「主人公 と作者 とは概 して不可分である」,「 われわれ. 縁 へ の疎 ま しさの よ う に も思 えて くる。「 自分 の 気 質. が よく知 っているかつての牧師職志願者が,こ の本 の. の あ る部分 を,わ た しは父か ら受 け継 い で い る。 なに. なかでは洗 い ざらい こころの うちを語 ろ う と して い. もの に も制約 されず にあ るこ とへ の欲求や ,懐 疑 的. ,. ,. る」 な どの 先 に挙 げ た Schncider,Mileck,Ballら の 『カー メンッィン ト』評 ,そ してヘ ッセ 自身の手紙 に. 批判 的 , 自己批判 的性格 , と りわ け こ とばで 表現 す る コ 際 の正 確 さに対 す る感 覚 ,と い った もので あ る」. 拠 れば,ペ ー ターは作者ヘ ッセが,そ れまでの 自らの. 「母 か らは気 質 の情 熱 的 な部 分 ,ゆ たか で ,い くらか. 生の軌跡 をなぞ りなが ら描 い た 自画像 と,Bё ttgerの. 刺激 的 な もの を好 む想 像力 ,さ らには音楽 の資 質 ,を. 言 う「現実 の生活へ の道 を踏みだす確乎 とした一歩」 としてこれか らを拓 く自画像 をあわせ もつ ことになる. 受 け継 い で い る。音楽 とことば とに,わ た しは子 ども の ころか ら親 密 な関係 を もっていた。絶対 なる ものヘ. だろ う。 この 自画像 にしめされたヘ ッセは,ア ルプス. の ,神 的超時 間的秩序 へ 直 に参入す るこ とへ の あ こが. の田舎育ちで頑健 な肉体 をもち,粗 野なほどに荒削 り. れ とい う意味 で ,ま た宗教 や思索 に対 して も同様 で あ. で初心 な存在 であ り,際 立 つのは,ま ず 自然へ の偏愛 と人 間へ の嫌悪 とされている。それは純朴 さと健康 な. った」2"。 母 の気 質 で あ る情 熱 と鋭敏 な感受 性 は小 賢. 無知 に装 われた,未 成熟 な人間がかか える楽天主義 と,自 分 自身へ の思 い入れ以上に,自 分 で ももてあま. 術 に,父 の あ りの ままの 自由 は節操 の ない大酒 に,慎. す ほどの意 固地な自分 自身の頑なな気質へ の戸惑 い と. は無知 な気前 の よい性分 に,意 匠 を変 えデ フ ォル メ さ. 苛立 ちをない まぜ に した若者の惧悩 とい うこ とにな る。ヘ ッセは刊行後 間 もない頃の手紙 で,「 ペー ター. れて い る。. の子供時代 の印象 の描 き方が,お よそ子供 らしくない とい う非難が寄せ られ ますが. )。. しくも怜悧 で もない ,あ りふれたつつ ま しい世渡 りの 重 で抑制 の効 い た振 る舞 いは優柔不 断 に,誠 実 な表現. ヘ ッセの 母 マ リー が ,6歳 児 の ヘ ッセ に,「 大 体 の. …],こ の よ うな印. ところは, あ りが たい こ とに, ま った く手が掛 か らず. 象 を綴 った物語 を書 いてい るのは成人 したペー ターな. 20と のです」 述懐 して い る。記憶 と認識 と郷愁 の混合. ,ほ っ と して い る の に た い し て ,「 月 や 星 を観 察 し,オ ル ガ ン を 即 興 で 弾 き [… … ]み ご となスケ ッチ を描 く,歌 を唄 えば韻 をは ずす こ とはない」 と,幼 いヘ ッセの早熟 ぶ りに戸惑 う 父 ヨハ ネ ス には,「 あ の子 を どこか の 施 設 か ,よ そ の お宅 に預 か って もらうのが よいの で は と,真 面 目に考. はデフォルメとさまざまな意匠をこらした幼年時代. えて い る。私 たちはあの子 に対 してあ ま りに神経 質 で. […. のです。我 々ひと りひと りにとって,幼 年時代 はそれ が本当 に実際そうであ った, とい うようなものではな いのです。大人になった我 々が,記 憶す る姿 をあ とか らの認識 と郷愁 とを混ぜ合 わせて理解 してい るものな. ,. 23)と. 聞 き分 け が よ い」. ,. 祖父 も兄弟 も姉妹 も登場 しないペー ターの家 を設定 さ. 弱す ぎる。 それ に家庭 そ の もの も,十 分 に躾 が ゆ きと. せている。聖書 と祈 りの敬虔主義やイ ン ドのエ キゾチ. ど き規 則 正 しい とい うわ け で は な い」2Jと. ックな思 い出はない。幼少年期 の 自画像 と並んで,そ. 上 の どこか投遣 りな気配す ら感 じられ る。虐、 子 ヘ ッセ. こに描 かれた両親 の姿 も仮装 してい る。「両親 はわた. ヘ の懸念 と焦慮 は,思 春期 にあ ったヘ ッセの マ ウルブ. ,戸 惑 い 以.

(6) 文学 ・文化編 (2003年 3月. ロ ンの神学校脱走 以 降 の ,摸 索 とい う よ りは あが き. ,. ). もう一 度 ,ヘ ッセ 自身 に よる 覚 書 を遡 って み る。. 両 親 の 世界 へ の 反発 と抵抗 を予 見 して い るが ,『 ペ ー. 「わ た しが 敬虔 で あ ったの は, しか し 13歳 までの こと. ター ・ カー メンツ イン ト』 には,や は リヘ ッセの思 春. で ,14歳 の 堅信礼 の ときには,も うず いぶ ん と懐 疑. 卜1青 と行動 は リア ル に反映 されては い ない 。 期 の′. 的 で あ った。やが てす ぐにわた しの思 い や想像 は もっ. 山 と湖 と嵐 と太 陽 を,そ してなに よ り雲 を友 と した. ぱ ら世俗 的 な もの となった。両親 をこころか ら愛 し ,. ペ ー ター は lo歳 で は じめ てアル プ スの 頂 に登 る。 自. 深 く尊敬 しては い たが , しか し両親 の生 きて い る敬虔. 然 を友 とす る とは,想 像 と空 想 のいわば魔術 的 な力 を. 主 義 的信仰 は,な にか満 た され ない もの ,な ん とな く. 借 りて ,現 前 して い な い なにか を顕 在化 し具現化す る. 卑屈 な もので味気 ない ものだ とも感 じて い た。 そ して. だ け で な く,さ らに,自 分 を未 知 の もの ,遥 か な も. 20と 青年期 になる と しば しば激 し く反抗 した」 ぃ ぅ記. の ,異 質 の もの へ 投 企 す る こ となの だ ろ う。BaHは. 述 か らも,ヘ ッセの両親 との軋礫 と相剋が うかが われ. 「喜 ば しい ものや 美 しい輝 きそ して陽光 へ の 傾 斜 は. ,. る。苛立 ち と怒 りは,敬 虔主義 とい う宗教 が 体現 され. さ しあた りまだひ とつ の仮装 で あ る。 そ の弱点 をか く. ねばな らない 家 ,そ の教 え と戒律 に忠 実 で あ り,信 仰. す ため に [… … ]ヘ ツセは 山育 ちの カー メンツ イ ン ト. を基盤 と し,信 仰 があ る種 の権威 に もなる家 とその 日. の なかで ,都 会的 な礼 儀作 法 とは無縁 の 牧童 を細 部 ま. 常 との対立 が生 んだのだろ う。 マ ウル ブ ロ ンの神学校. で忠実 に演 じる」 と して い るカポ5,轄 晦 が は らむ もの. を退 学 (14歳. は ,成 人 したヘ ッセが 自らの幼年期 の天 真爛 漫 な早熟. や シュテ ッテ ンの 精神療法 をす る牧師 の施設 ,カ ンシ. さを懐 か しむ想 い だ ろ う。 山頂 か らの眺望 は,「 10年. ュ タ ッ トのギ ム ナ ー ジウム を入退学 ,エ ス リ ング ンの. の あ い だ 山 と湖 には さまれ ,周 囲 は 間近 の峰峰が群 が. 書店員 ,故 郷 の塔 時計 工 場 の見習 工 ,父 の 出版協 会 の. る よ うに押 し寄せ るなかで暮 ら した者 は,は じめて頭. 手 伝 い ,さ らにテ ュー ビ ン グ ンの 書 店 員 (18歳 )と. 上 に広大 な空が ひろが り,日 の前 に限 りな く地平線 が. つづ き,よ うや くバ ー ゼ ルの 書 店 に見 習期 間終 了 者. 横 た わ っ て い た 日 の こ と を忘 れ は しな い」 (S.355-. (22歳 )と な って漂着 す る。漂流す るヘ ッセが 父母 に. 356)と ,幼 いペ ー ター に剥 き出 しの空 間 の 広 が りを. 宛 てた手紙 には,い わば思 春期 の喪失感 ,屈 折 した罪. 教 え,そ. して空 間 の広 が りはかれの精神 ,あ るい は魂. )の 後 ,ヘ ッセ の 漂 流 は バ ー ド・ボ ル. 悪感がそ の まま景Jき 出 しに されて い る。. とよばれ る もの に,未 来や希望 さらにあ こが れ とよば れ る思 考 の方向 と して の新 たな広が りを教 える。少年. ぼ くの 心 を い っ ぱ い に し,捉 え て い る もの は. の ペ ー ター は ア ル プ スの 空 に漂 う雲 と戯 れ る。雲 は. [00…・ ],そ. れは失 われた永遠 の青春 へ の もの哀 し. 「 あ らゆ る放 浪 と,探 究 と願望 ,そ して故郷 を求 め る. い 苦 しみ ,郷 愁 です 。 しか し,カ ル フ にで は な. こ との 永遠 の 象徴」 (S.354)で あ り,「 雲 が 大 地 と空. く,な にか真実 の もの に寄 せ る郷愁 なのです。 ぼ. の あ い だで ,お ずおず と,焦 が れ なが ら,頑 なにかか. くは世 間 と暮 ら しのせ わ しな さ,希 望 や愛 の なか. ってい る ように,人 間 の魂 も時 間 と永遠 の あ い だで. に,た だ妄想 と感情 ばか りを見 るのです 。 ・…・]. お ず お ず と,焦 が れ なが ら,頑. ,. な に か か つ て い る」. [・. 「 シュテ ッテ ンの ヘ ルマ ン」 をあ なたが た は知 り. (S.354)と い う比 喩 に,「 詩 人 に な りた い」 ヘ ッセ の. ませ ん ,あ な た が た の 虐、 子 で は な い の で す。. 幼 い決意 と覚悟 を読 み取 れ るか も しれ ない が ,神 学 や. […. 聖職 に通ず る階段 を拒 み ,自 ら降 りて しまった経緯 と. たが違 う人間だ と,彫 像 の よ うに非 の打 ち どころ. 神学校脱走後 の 数年 間 の ヘ ッセ 自身 の葛藤 ,あ る いは. の な い ,し か し生 命 の 宿 らぬ 人 間 だ とい う こ と. 周囲 との相剋が あ りの ままに描 かれ る こ とはない 。. を。 あなたが たは [… … ]正 真 正銘 の敬虔主義者. … ]あ あ ,ぼ くは忘 れ て い ま した ,あ なたが. ペ ー ターが故郷 を離 れギ ム ナ ー ジウムでの勉 学 も間. です 。あ なたが たは,別 な願 い ,意 見 ,期 待 ,別. もな く終 ろ う とす る あ た りまでの記述 には,父 母 と交. の 理 想 を も ち,別 な も の に満 足 を お ぼ え る。 ・… 0],あ なたが たはキ リス ト教徒 で す , しか し. わす 会話 はほ とん ど見 あ た らない 。優 しく繊細 で ,命. [・. を生 み 抱 き じめ慈 しむ理想 と して の 母 親 像 は と もか. ぼ くは ひ と りの 人 間 にす ぎな い の で す2'。 (1892. く, 日常 に追 い立 て られ ,優 雅 で も繊細 で もな く,圧. 年 9月. H日. ). 伊1的 な生活者 と して の 時 間 を生 きねばな らぬ 母 の姿 さ え も描 かれ ない 。 ただペ ー ターが母 の死 を看取 る光景. 信仰 が な くとも祈 る ことはで きる とい った,融 通無. に,よ うや く母 と子 あ い だ にあ っただろ う当 た り前 の. 碍 な祈 りではないの だろ う。両親 との 自明 の親近性 は. 日常 が うかが われ るだけである。. 消 え うせ て い る。 ただ ,15歳 の ヘ ッセ は 自分 だ け の.

(7) 磯. 弘治 :ヘ ルマ ン・ヘ ッセ 『ペー ター ・カー メンツイン ト』 について. 39. 才能あ るいは,生 きが い とい う幻想 に頑なにしがみつ. は欲 求 としての タナ トスはか な らず しも無縁 で あ った. き,振 りまわされ,ふ て くされてい るようだ。共同規. わ け で はない。. 範 としての敬虔主義 はまだ絶対的 だが,成 長 とい う知 識 のひろが りと肥大 した観念 が,少 年 を新 しい空間 と. ぼ くは逃 げ る こ とは 出来 ませ ん ,い った い ど こ. 地平 に向かわせ ,あ がかせる。そ して敬虔主義 とい う. へ. 権威 を信 じない,な い しその権威 の失墜が ,い わゆる. はい ないの です ,ひ と りぼ っちです。 ぼ くが赦 し. 戒律や倫理的な規範 の破棄 につ ながる。. を請 う ことで ,事 態 をやわ らげる ことはで きるで. ?. ぼ くに は もう嘆 い た り頼 んだ りで きるひ と. しょうが ,そ んな こ とは しませ ん。 ぼ くは この シ. あなたがおか しなほど犠牲 を払 うことを厭 われな. ュ テ ッテ ンでの刑期 をつ とめ あげ ま した。 けれ ど. い と,お っ しゃっているのですか ら,ぼ くはあな. ぼ くに希望 をい だかせ るひ とな どだれ もい ないの. たに 7マ ル ク,あ るいはレボルバー をお願 い して. で す。 ・…・]ぼ くが あな た た ち の 愛 を失 ったい. もかまわないで しょう。ぼ くをこんな捨鉢 な気分. まになって ,は じめてぼ くが あ なたたち を とて も. にさせたあ とです,お そ らくはもうぼ くをこの絶. 愛 して い るこ とを感 じて い ます。 しか しもう家 に. 望か ら,そ して ご自分 をこのぼ くか らすみやかに. は帰 りませ ん。 で きないの です 。 あなた たちの優. 解放す ることもおで きになるはずです。本 当 な. しい愛 につい てお 書 きにな らないで くだ さい ,そ. ら,ぼ くは 6月 にこの世か ら消えてな くなるべ き だったのです。 ・…・]「 父」 とはおか しな言葉 で. れは言葉 にす ぎませ ん,ひ ょっ とす る と祝福 と祈. す,ぼ くはこの言葉 を理解 で きそ うにあ りませ. は幻想 で あ り,な んの役 に もたたない ,無 意味 な. ん。父 とい う言葉 は愛す ることので きる,そ して. ので す30。 (1892年 9月 22日. [・. [・. りか も しれ ませ んが , しか しそれで もや は りそ れ. ). 愛 してい る,ほ んとうに心 の底 か ら,そ うい うだ れかの名称 なのです。 どれほどぼ くはそんな人物. ヘ ッセは何 よ りも繋が るべ き人 間 を見 い だせ ない で. を望んでい ることで しょう。 ぼ くにご助言 いただ. い る。幼 い絶望 や失望感 の底 ,そ して ニ ヒ リズムの危. けないで しょうか。ぼ くとあなたとの関係 はい よ. 機 か ら人 間が立 ち上が るのは繋 が りに よつてだろ う。. い よ緊張 した展開にな りそうですが, もしぼ くが. 少年 は繋 が りに飢 え,繋 が りに生 きる ことを望 み なが. 敬虔主義者であ り人間でない としたら,ぼ くがぼ くのすべ ての性質や傾 向 を正反対 に変 えるな ら. ら苦 悶 して い る。少年 の ヘ ッセは孤 立無援 で抜 きが た い不信 と,繋 が りへ の切 ない願 い に引 き裂 かれ ,立 ち. ば,ぼ くはあなたとうまく調和 で きるので しょう. 疎 み宙 吊 りにな ってい る。人間が どこに も,な に もの. が。 しか しそんなふ うに生 きる ことはで きません. に も帰属す る もの を もて ない とき,お そ ら く人間 は確. し,生 きようとも思 い ませ ん 。 (1892年 9月 14. 固 たる 自己 を もては しない だろ う。 しか しまた ,な に. 日). ものか に,あ るい は どこか に人間が全面的 に帰属 し愛. 2湧. 着す るこ とは一 種 の 自己喪失 で もあ るだろ う。 この手紙 は,父 に対 して Schr gech■ er HcIと. ,い. か に も奇異 な呼 びか け で始 ま り,「 ぼ くは,[00… ・]だ. 「結局 ペ ー ターが ど うな るのか ,は ど うで もよい こ. れが 精神 薄弱 なのか を考 え は じめ て い ます。 ・… 0]」. となので す。肝 腎 なのは彼 をひ とか どの人物 にす る こ. と,ま るで捨 て台詞 の よ うな言葉 で終 わ ってい る。 ヘ. とで はな く,彼 自身 の素質 が生 命 を燃焼す るなかで. ッセの さまざまな思 い を暗 示す る ものだろ う。 この年. 彼 が可 能 な限 り成熟 して ゆ くこ となの で す」. [・. ])と. ,. いう. ,ヘ ッセは 自殺未遂事件 をお こ して い るが ,そ. 『ペ ー ター ・ カ ー メ ン ツ イ ン ト』 の稿 をか さね て い た. の後 入学 したギ ム ナ ー ジ ウ ム で は,「 あ の 頃 ,ろ くで. ヘ ッセは,よ うや く確信 を もって未来 を待 ちの ぞ む希. もない連 中や札 つ きの上 級 生 とつ きあ い ,夜 ともなれ. 望 を見 い だ したのか。 後悔 や諦念 の季節 が過 ぎて ,大. ば禁 を犯 して居酒屋 に入 り浸 り,さ ん ざん酒 を飲 む こ. 袈裟 に言 えば,世 界 と生 に対 す る信頼 を取 り戻 し,自. とをお ぼ えた」2"と. らと周 囲 の事柄 をその まま見据 える意志 を確 かめ ,抗. の 6月. ,思 や回避 としてか ,非 行 に明 け暮 れた よ うだ。鬱屈 と奇 妙 な活力 の混合が興奮 と狂 乱 を もた ら し,憂 鬱 と夢想 は衝突 と徒労 を生 むだ け で あ った 日々の なかで ,少 年 のヘ ッセ に とって ,事 象 としての死 へ の接 近 ,あ るい う に まかせ ぬ 現 実 か らの逃 避. わず む しろ肯定 的 に我が 身 に受 け入 れ る静 か な心境 に 至 ってい るのか 。「現 実 の生 活 へ の 道 を踏 み だす 確 乎 とした一 歩」 が ,陰 易 に とんだ体験 の反映 が刻 まれた 過去 の一 部 を敢 えて無視 させ たのか ,そ れ ともそれが.

(8) 甲南女 子大学研 究紀 要 第 39号. 40. うそ話 や ほ ら話 には馴 染 まなか ったのか 。 ともか く ,. 「私 に とつて この 本 が 成功 す る こ とは 極 め て 大 事 で す。仮 に商業的 には不首尾 で あ る と して も,私 の 名前 と文学 上 の信用 をい くらか で も高 め , 日々の生活 にい 32と. くらか で も安定 と活 力 をあ た えて くれ れ ば」. ぃぅ. ヘ ッセの願 い はか なえ られる。. 文学 。文化編 (2003年 3月. ). 運命 をもた らした。 イタリアヘ 行 った り,ボ ヘ ミア ン の 自由放蕩 な生活や ジヤー ナ リズムの世界 を経験す る が,た えず孤独 と資本主義社会 における芸術家の い か がわ しい立場 に苦 しんで い た。 191o年 ヘ ッセは ロ イ ト ホル トの詩集 を批評 し,1922年 には彼 の Der schwermu― dge Musikantの 序文 を書 いてい る。彼 の出生地 Witzikon. が Nimikonと 言 う村 の 名 を思 いつ くきっかけを与 えた のか もしれない」 として い る。Fritz Bё ttger: Hermann. ヘ ッセの バ ーゼルヘ の漂着 は,物 語 の なか の ペ ー タ ー の それ と重 なる。 二 人 の遍歴 とその旅程 につい ては 稿 を改 め た い。. Hcsse,S.99-100。. 11)麻 生 建 他 編 『事 典 現 代 の 年 ),「 歴 史」 の 項. (と. ドイ ツ』 (大 修 館 書 店 ,2000. りわ け. 6-7頁 )参 照 。. 12)こ の あ た りの 社 会 経 済 的 背 景 の 記 述 に つ い て は ,以 下 の 書 物 に 多 く を 負 っ て い る 。飯 田 ・ 中 村 ・野 田 。望 田 『 ドイ ツ現 代 史―一 名 望 家 政 治 か ら大 衆 民 主 主 義 へ 』. )王. *『. ペ ー ター ・ カ ー メ ンツ イン ト』 の テ ク ス トは以下 の 全. Camernzind,in: Gesammelte Werke in zwё lf Banden,Bd. │. 用 は頁数のみを記 した。訳文については関泰祐訳 『青 春紡往』 (岩 波文庫,1973年 )を 参考 にした。. 20. ドイ ツ 現 代 史』 山 川 出 版 社 ,1994年 。 成 瀬 ・ 。 ドイ ツ 史 2』 山 川 出 版 山 田 木 村 編 『世 界 歴 史 体 系. 代史. 集 版 所 収 の も の に 拠 っ た 。 Hermann Hesse:Peter. 1,Suhrkamp Verlag,Frankhn ao M.1970,S.341-496.ヲ. ミネ ル ヴ ァ書 房 ,1968年 。 成 瀬 0黒 川 ・伊 東 『世 界 現. 社 , 1996年 。 13)Ernst Bloch: Hcbel, Gotthelf und baurisches Tao (1926), in: Vcrfrcmdungen I,Suhrkamp Verlag,Frankfurt a.M。 1970,S。. 1)Hermann Hesse 1877・ Werkes. und. 1977.Stationen scines Lebens,des. seiner Wirkungo. SonderaussteHungen. des. SchiHer一 Nationalrnuscurlls.Hrsgo von Bcrnhard ZcHcr.Kata―. 口 知 三 「 市 民 階 級 の 文 化 と と も に一 ― S・ フ イ ツ シ. ャ ー 社 と作 家 た ち」,山. 口 。平 田 ・ 鎌 田 ・長 橋 『 ナ チ ス. 通 りの 出版 社 』 人文 書 院 ,1989年. ,44頁 。. 。]. :180-181頁 。]. 16)Hermann Hesse:Gcsammelte Briefe.Erster Band 18951921,Suhrkamp Verlag,Frankfurt ao M。 1973,S.93. 100。. Berlin 1904(Erste Auflage), S。 127.. 5)Christian lmmo Schneider: Das Todesproblem bei Her― mann Hcssc,N.Go Elwcrt Vcrlag,R4arburg 1973,S.131-. 19)Hugo Ball:Hermann Hesse,S.100。 20)Hermann Hesse: Peter Camenzind,in: Uber das eigene Wcrk.Gcsarnrneltc Werke in zwё lf Banden,Bd.11,S。 24.. 132.. 6)Joseph Mileck:Hermann Hcsse.Dichter,Sucher,Bcken―. 21)Hermann Hcssc: B10gransche Notizen,in: Eigennsinn, Suhrkamp Verlag,Frankfurt ao M。. 35。. 7)Hugo Ball:Hermann Hesseo Sein Lcben und sein Werk, Suhrkarnp Verlag,Frankfurt ao M.1972,S。. ,179頁. 18)Hermann Hesse: Pcter Camenzind, S.Fischer Verlag,. 口知 三 「市 民 階級 の 文 化 と と もに」,45頁 。. ner,C.Bertelslrlann Verlag,Miinchen 1979,S。. [邦 訳. 17)Hugo Ball:Hcrmann Hesse,S。. 3)Hermann Hesse 1877 0 1977,S.207.. 4)山. 戸 満 之 他 訳 ,白 水 社 ,1986年. 14)Ebd.,S.188-189.[邦 訳 三180-181頁 。] 15)Ebd。 ,S.188-189。. log Nr。 28。 , 1977,S.207。. 2)山. 186.[邦 訳 :エ ル ンス ト・ ブ ロ ッホ 「 ヘ. ー ベ ル ,ゴ ッ トヘ ル フ ,そ して 農 民 の 道 」,『 異 化 』 船. 102-103.シ エ. 1972,S。. 15。. 22)Ebd。 ,S.17。. 23)Kindheit und Jugend vor Neunzchnhunderto Hermann. ル ム フ ス キ ー は ク リ ス テ イ ア ン ・ ロ イ タ ー (1656-. Hesse in Bricfen und Lebenszeugnissen 1877-1895。. 1712?)に よる空 想 世 界旅行 記 『 シ ェルム フス キ ーの 珍. gewahlt und herausgegeben von Ninon Hesseo Suhrkamp. 奇 に して危 険 な旅 』 (1696-97)の 主 人 公。 ジ ル ・ブ ラ ー ス は ア ラ ン=ル ネ・ ル ・サ ー ジ ュ (1668-1747)に よ. Verlag,Frankfurt ao M。 1973,S.14.. るスペ イ ン風 悪 漢小 説 (pikarischcr Roman,Schelmcnro― man)『 ジル ・ ブ ラース物語』 (1715-35)の 主 人公 。 8)Fritz Bёttger: Hermann Hesseo Leben,Werk,Zeit,Ver―. 15。. 25)Hugo Ball:Hermann Hesse,S.94. 26)Hcrmann Hessc:Biografische Notizen,S.17. 27)Kindhcit und Jugend vor Ncunzchnhundcrt,S。. 260 ff。. 28)Ebd.,S.268.. lag der Nation,Berlin 1974,S. 108.. 9)Sttiた d Unsdd:Hermann Hcssco Werk und WIkungs― geschichte,Suhrkamp Verlag,Frankfurt ao M。. 24)Kindheit und Jugend vor Neunzchnhundert,S。. Aus―. 1985,S。 20.. 10)Bё ttgerは ペ ー ターの故郷 につい て ,「 アル プ スの 牧 人 の 虐、 子 と して生 まれ た 詩 人 HcinHch Lcutholdは. ,さ ま. ざまな不 自由 と欠乏 に もか か わ らず 大学 で 学 ぶ 道 をか ち とった。彼 の 場 合 もまた詩 的 な天 分 と才 能 が不 幸 な. 29)Hermann Hesse:Biograische Notizen,S。. 19。. 30)Kindheit und Jugend vor Neunzehnhundert.S.271.. 31)Hermann Hesse: Peter Camenzind,in: 古ber das eigene Werk.GesalnHlelte Werke in zwё lf Banden,Bd.11,S。 24.. 32)Ebd。 ,S.24..

(9)

参照

関連したドキュメント

Villamayor, ‘Hypersurface singularities in positive characteristic.’ Advances in Mathematics 213 (2007) 687-733. ‘Elimination with apllications to singularities in

Kraaikamp [7] (see also [9]), was introduced to improve some dio- phantine approximation properties of the regular one-dimensional contin- ued fraction algorithm in the following

2012年「スタートアップ都市宣言」以降、スタートアップカフェやFukuoka Growth

 Failing to provide return transportation or pay for the cost of return transportation upon the end of employment, for an employee who was not a national of the country in which

土壌汚染状況調査を行った場所=B地 ※2 指定調査機関確認書 調査対象地 =B地 ※2. 土壌汚染状況調査結果報告シート 調査対象地

[r]

⇒規制の必要性と方向性について激しい議論 を引き起こすことによって壁を崩壊した ( 関心

       資料11  廃  棄  物  の  定  義  に  つ  い  て  の  現  行  の  解  釈.