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人格中心の硏究法

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Academic year: 2021

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(1)

定港の A 1 経乞頂ている.簿操の備を去って親雄の悌じ 結ぼれた、難遣を簡んで易道に導かれた o 是 の 喜 び 、 此の大息を思ふなら遠時白巳の問題に接鯛する‘吾々 は自分仁尤も近︿尤も親し︿設かれたそれを.高︿遠 ︵疎にしながら匙て白日公陥れ一枇曾ご分離して来た。 自分は先づ自分を呼ぴ畳さねばならぬ O そして自分の 問題を披べねばならぬ 0 ・ 吾 々 の 第 一 の 義 務 は 是 以 外 い 何 も な い 切 、 異 個 自 己 営 思 ふ 人 に 、 何 ぞ 他 ’ T 棄 て た り ‘ 陥れたりし得ゃうや、救携は自己よち初まるの戸、ある 白巳の救掛が同時に他の救携である﹃一人の成備は一 初来生の成悌﹂さは是れである o 徒に他仁煩はきる 2 より吾々は先づ自己さ解決せねばなら叫。そして自己 に尤も親しい相臆しい何者かを握らねばならぬ o そ れ あって後、生ゐる宗敬ご宗皐さか殺生するのである。 我組の散も我の問題から初まった﹃而に日蓮は日本国 安房固さ巾困じ生 ν て 候 し が 、 民 の 家 よ

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出 で t 頭をそ h 袈 裟 営 、 き た り 此 度

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か に も し て 悌 椀 を も 植 ・ ロ 生 死 を 離 る t 身 ご な ら ん ご 思 ヒ て 候 し 程 仁 一 宮 云 ﹄ さ は 、 千 古 不 磨の妙文ではないか。此所聖誕の賀第じ近て自分はか うした深い強い戚を得た。そして中心から喜に満され た。鳴呼ゐの御州庵殿ごして見そなはす常在殿山

ヨ王. −、予盾の生活吾々の思想ご貫生活ごは常に二元 的の傾向を帯びてゐる。吾々はそれが何よりも苦痛で 堪ねられない。一方には蛸の中に紳を慕ひ.信仰を求 め、道徳を思ふ o けれざもそれが一ざして貫生活に表 現された例しがなレ。却って吾々の貫生活は、ぞの時 々の街動に左右せられて、間々思はぬ行錯を敢てして

おるのである o 叉それ芭反割に、他方には惇々さして 人に向って締を詑き、信仰を勘め、道徳を示す。げれ ざもそれが必令しも衷心からの思想の表現ではない。 却って吾々の凶は往々にして如何じ物欲を充たすべき かに就て痛されてゐる時が多い 10 如窓︿吾々の思想ピ 貫生活ごは.常に矛盾しておるのでゐる。恐ら︿これ

(2)

は有奥以来誰れでも自分を知った時.最初に戚じた問 題であって、而かも亦未解決のま i 、最后まで残った 問題でゐらうさ思ム。りれぜも五円々はざうしても此問 題を.未解決のま 1 最 后 ま で 接 し て お ︿ 主 は 出 来 的 制 。 何故ならば‘此問題の残ってたる限

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、 五 日 々 は 折 じ ふ れ事に従ってその矛盾に泣かねばなら必からである。 殊に吾々の如き形式的生活伝法るものには‘目公然さ二 元的生活合法る

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の出来 m H ため、衝動欲を無理に歴迫 して、純潔なる思想の表現的生活を諮るかの如︿装ふ こごがある。りれぎも某等の物欲は、不識の問、間々 内酔して絡には紳、信仰、道徳等に閲する純潔なる思 恕をも化膿し、最后ドいはそれが金生活の上に破裂して 根底より白巳乞朽がす 7 とが無いさも限らぬ o こふレふ 意味からしても、此問題は是非解決しておかむばなら ぬ問題である U 二、その原因如怒さ二元的生活的依って来る所以 には色々の原闘がゐるでゐらう o 或は立志の薄弱なる に依るもの‘或は生理的の欠陥より来るもの、或は四 国の境遇に除儀な︵さるーもの等それでゐる o りれざ も今五口々は‘殆んぎ吾々の前竿生り総

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ゐうた思想 的生活の方面から・その肱因夕刊抗ってみたかど思ふ。 吾々は先づ第一︸青々自身に向って問ふてみねばならぬ

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がゐる O ぞれは何かさ云ふに、吾々の今迄の研究方 針は果して正鵠を得たものでゐったかざうか E い ふ

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これでゐる。併かし吾々は不幸にして之仁否正答へね ばならぬ o 何故ならば、吾々の今迄の研究方針は‘唯 だ事問の震めの曲学問であって、徒らに思想から思忽へ さ捗

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たに過ぎぬからでゐる O そ し て ま 一 間 最 后 の 目的に債ひする其大思想家の人格にまで深︿突き入る 蕗がなかった o 例へば天台大師の致事を研究する時、 支文の二部には十年の歳月を費しても、止棋の研究に は‘僅かに一二年の時をしかかさぬごいふ有様でゐっ た o 然るに大師の全人格は、却ってその止観に異面白 を頴しておるのではあるまいか。吾々の研究はそれを 如りつ t 閑却してゐた o 叉組書研究じ之を見る時は、 成程多︿の撃者は直に本館紗にゆ︿、けれざもその本 曾妙の研究は、徒らに註審の須めに煩ひされて.その 結果註者の面影に組師の大人格は間々隠されてしまっ た憾みがゐる o 従って吾々は直に組師の大人格に接す る

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が困難であった o 思ふに総て物事は人格ご人格と の接胸によって、そこに新しい γ カが生れて︿る o 者 々 は買ドそのカが欲しい γ のでゐる o そのカ仁よって自己

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vむ の小人格を高め.質生活を統一してゆきたい V ご熱望し ておるものである o 然るじ吾々の今迄の研究方針は、 徒らに思認の取り扱ひじのみ孜々ごして.更に進んで ぞの奥に閃いてをる人格の面前にまで山タさ突き進む

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を忘れてゐた o こんな事では、よし百年勉強しても それは車じ駒識りさ云ふに止まって.人間ごしての自 分じは何等の受捗をも持たぬものになハてしまム。偉 人の人格を宿さ必思想が、い︿ら一政の中じるっても、 それに表現力のないのは、寧み嘗然の

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ではあるまい か o こふいふ無意義な研究の続︿限り、吾々は永久思 想ご貫生活どの二元的矛盾に苦

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まねばなら向。 一品、五日々の採るべき道如岱き二一冗的矛盾の調和を 計るには、たい b 向後の研究的態度を、人格中心の研究 的態度仁改むるより外はない口換言すれば、問主百を忘 れて註者の義論に悶はる t 純思弁的態度から脱却して 誼仁組意そ街き、祖師の大人格に迫るてふ結極的研究 の方法を採らねばなら必 o この意味に於て吾々は.混 嗣たる時代の吾串界に向ってこう叫びたい o 日︿、設 若し統一ある一元的生活舎建らうどするならば‘何等 の偵件な︿、直に姐丈に鯖れ、そして更に復た法華経 仁蹄れど。組文に蹄・り怯華経に蹄って専心稗迦及び姐 師の大人格に街き入る時.苦々の研究・には初めて緯迦 及び祖師の生命を宿す、とが出来る o この生命ゐる思想 によって表現せられた貫生活ニそ‘異に思想ご何等の 矛盾なき貫生活ごなるのでゐる u 此 時 五 口 々 の 思 想 ご 貫 生活ごは、不離の開係を結んで、一は吾々自身の人格 の内容さな h 二他はその外形ごなって、鼓に五口々は統 一ゐる人格を得て矛盾なき一元的生活を法る

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が出来 る o 人格中心の研究!これ五日々の採るべき唯一つの新 路である o 問、異の宗敷的生活この方法によって進む時、少 ︿ごも自分二佃の全非活には、何等の矛盾も無い Z ﹄ に な る O げれざも枇曾は呆してこの生活を認むるか如何 うか、それを枇曾に訪ふてみる必要がゐる。若し枇曾 がこの生活︷或は赴曾仁逆行する時もあらう︶を‘充 砂慣値あるものごして館敬するならば、此時吾々の金 生活は、個人的にも枇曾的にも完会した、異の宗敢的 生活ざなり得るのである o

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