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中国人日本語学習者の日本語モダリティ習得研究− 「ダロウ」を中心に−

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中国人日本語学習者の日本語モダリティ習得研究−

「ダロウ」を中心に−

著者 徐 文輝

著者別表示 Xu Wenhui

雑誌名 博士論文本文Full

学位授与番号 13301甲第4915号

学位名 博士(文学)

学位授与年月日 2019‑03‑22

URL http://hdl.handle.net/2297/00054814

Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja

(2)

博士学位論文

中国人日本語学習者におけるモダリティ習得研究

―「ダロウ」を中心に―

金沢大学大学院人間社会環境研究科 人間社会環境学専攻

学籍番号 1621082004 氏名 徐 文輝

主任指導教員名 深澤 のぞみ

(3)

目 次

第1章 序論 ... 1

1.1 研究背景 ... 1

1.2 問題提起と研究目的 ... 5

1.3 本研究の構成 ... 7

第2章 先行研究 ... 9

2.1 「ダロウ」の基本的な意味に関する研究 ... 9

2.1.1 推量説 ... 9

2.1.2 非推量説 ... 16

2.1.3 本研究の立場 ... 17

2.1.4 自然会話における「ダロウ」の使用に注目する研究 ... 18

2.2 CNの「ダロウ」の習得に関する研究 ... 19

第3章 研究課題と研究方法 ... 22

3.1 研究課題 ... 22

3.2 研究方法 ... 22

3.2.1 使用データ ... 22

3.2.1.1 『名大』 ... 23

3.2.1.2 『I-JAS』 ... 26

3.2.1.3 友人同士のCNによる日本語会話と友人同士のJPによる日本語会話 ... 31

3.2.1.4 CNを対象にするアンケートとインタビュー ... 34

3.2.1.5 中国の日本語教科書と中国人日本語教師に対するインタビュー ... 34

3.2.2 「ダロウ」文の分類基準 ... 35

3.2.3 「ダロウ」文の分類認定 ... 36

第4章 場面別に見たJPによる自然会話における「ダロウ」の使用状況 ... 38

4.1 初対面JP同士の自然会話における「ダロウ」の使用状況 ... 38

4.1.1 用法別に見た初対面JP同士の自然会話における「ダロウ」の使用状況 ... 38

4.1.2 形態別に見た初対面JP同士の自然会話における「ダロウ」の使用状況 ... 39

4.1.2.1 初対面JP同士の自然会話における「だろ(う)」の使用状況 ... 39

4.1.2.2 初対面JP同士の自然会話における「でしょ(う)」の使用状況 ... 41

4.2 親しいJP同士の自然会話における「ダロウ」の使用状況 ... 45

4.2.1 用法別に見た親しいJP同士の自然会話における「ダロウ」の使用状況 ... 45

4.2.2 形態別に見た親しいJP同士の自然会話における「ダロウ」の使用状況 ... 46

4.2.2.1 親しいJP同士の自然会話における「だろ(う)」の使用状況 ... 46

4.2.2.2 親しいJP同士の自然会話における「でしょ(う)」の使用状況 ... 51

(4)

4.2.2.3 親しいJP同士の自然会話における「やろ(う)」の使用状況 ... 57

4.3 まとめ ... 62

第5章 自然会話における「ダロウ」の各用法の表現機能 ... 63

5.1 「推量」の「ダロウ」の表現機能 ... 63

5.2 「命題確認の要求」の「ダロウ」の表現機能 ... 67

5.3 「知識確認の要求」の「ダロウ」の表現機能 ... 69

5.4 「念押し確認用法」の「ダロウ」の表現機能 ... 73

5.5 「不定推量」の「ダロウ」の表現機能 ... 76

5.6 「弱い質問」の「ダロウ」の表現機能 ... 77

第6章 場面別に見た自然会話におけるCNの「ダロウ」の使用状況 ... 79

6.1 初対面同士の自然会話におけるCNの「ダロウ」の使用状況 ... 79

6.1.1 初対面同士の自然会話におけるCNとJPの「ダロウ」の使用傾向の比較 ... 79

6.1.2 初対面同士の自然会話におけるCNとJPの「ダロウ」の具体的な使用について . 81 6.1.2.1 初対面同士の自然会話におけるCNJPの「推量」の「ダロウ」使用 ... 81

6.1.2.2 初対面同士の自然会話におけるCNJPの「命題確認の要求」の「ダロウ」使用 ... 86

6.1.2.3 初対面同士の自然会話におけるCNJPの「知識確認の要求」の「ダロウ」使用 ... 88

6.1.2.4 初対面同士の自然会話におけるCNJPの「念押し確認用法」の「ダロウ」使用 ... 91

6.1.2.5 初対面同士の自然会話におけるCNJPの「不定推量」の「ダロウ」使用 ... 92

6.1.2.6 初対面同士の自然会話におけるCNJPの「弱い質問」の「ダロウ」使用 ... 94

6.1.2.7 初対面同士の自然会話におけるCNJPの「丁寧さの加わった質問」の「ダロウ」使用 ... 95

6.1.2.8 初対面同士の自然会話におけるCNの「特別用法」の「ダロウ」使用 ... 96

6.2 親しい者同士の自然会話におけるCNの「ダロウ」の使用状況 ... 99

6.2.1 親しい者同士の自然会話におけるCNとJPの「ダロウ」の使用状況 ... 100

6.2.2 親しい者同士の自然会話におけるCNとJPの各用法の「ダロウ」の使用 ... 101

6.2.2.1 親しい者同士の自然会話におけるCNJPの「推量」の「ダロウ」使用 ... 101

6.2.2.2 親しい者同士の自然会話におけるCNJPの「命題確認の要求」の「ダロウ」使用 104 6.2.2.3 親しい者同士の自然会話におけるCNJPの「知識確認の要求」の「ダロウ」使用 105 6.2.2.4 親しい者同士の自然会話におけるCNJPの「念押し確認用法」の「ダロウ」使用 106 6.2.2.5 親しい者同士の自然会話におけるCNJPの「不定推量」の「ダロウ」使用 ... 107

6.2.2.6 親しい者同士の自然会話におけるCNJPの「弱い質問」の「ダロウ」使用 ... 108

第7章 CNによる「ダロウ」の用法に対する理解について ... 111

7.1 CNに対するアンケートの結果 ... 111

7.2 CNに対するインタビューの結果 ... 113

7.2.1 <①「ダロウ」の用法に対するとらえ方> ... 114

7.2.2 <②習得方法> ... 115

(5)

7.2.3 <③「だろう」と「でしょう」の使い分け> ... 118

7.2.4 <④「ダロウ」と「吧」の対応> ... 119

7.2.5 <⑤日本語教科書の内容や日本語教師の指導に対する不満> ... 120

7.3 まとめ ... 121

第8章 中国の日本語教育における「ダロウ」の扱い ... 123

8.1 中国の日本語教科書における「ダロウ」の扱い ... 123

8.1.1 『新編日語』について ... 123

8.1.2 『新編日語』における「ダロウ」の扱い ... 124

8.1.2.1 『新編日語』における「推量」の「ダロウ」の導入 ... 124

8.1.2.2 『新編日語』における「丁寧さの加わった質問」の「ダロウ」の導入 ... 127

8.1.2.3 『新編日語』における「命題確認の要求」の「ダロウ」の導入 ... 128

8.1.2.4 『新編日語』における「だろう」という形態の導入 ... 129

8.1.2.5 『新編日語』における「知識確認の要求」の「ダロウ」の導入 ... 131

8.1.2.6 『新編日語』における「不定推量」の「ダロウ」の導入 ... 131

8.1.2.7 『新編日語』における「弱い質問」の「ダロウ」の導入 ... 132

8.2 中国人日本語教師による「ダロウ」の指導方法 ... 133

8.2.1 <①教えた「ダロウ」の用法> ... 134

8.2.2 <②「吧」と対応させて説明するか> ... 136

8.2.3 <③「でしょう」と「だろう」の関係> ... 139

8.2.4 <④「ダロウ」の習得状況> ... 141

第9章 結論 ... 146

9.1 研究結果の要約 ... 147

9.1.1 JPによる自然会話における「ダロウ」の使用状況及びその表現機能... 147

9.1.2 自然会話におけるCNの「ダロウ」の使用状況及びその問題点 ... 148

9.1.3 CNによる「ダロウ」の用法に対する理解及びその問題点 ... 149

9.1.4 中国の日本語教育における「ダロウ」の扱い及びその問題点 ... 150

9.2 中国の日本語教育における「ダロウ」の扱いへの提案 ... 151

9.2.1 非母語話者に対する日本語教育における「ダロウ」の導入に関する先行研究 .. 151

9.2.2 CNを対象にする日本語教育における「ダロウ」の導入への提案 ... 155

9.3 今後の課題 ... 157

謝 辞 ... 159

参考文献 ... 160

(6)

1

第 1 章 序論

本論文は、中国人日本語学習者(以下、CN)のモダリティ習得、特に「ダロウ」1に焦点を 当て、調査研究を行ったものである。本章の1.1ではモダリティとは何かについて述べ、な ぜモダリティに注目するのかを述べる。1.2ではなぜモダリティの中で「ダロウ」の習得に 絞って研究するのか、また研究の目的を述べる。1.3では本研究の構成を述べる。

1.1 研究背景

現在の日本語研究の世界において、モダリティのとらえ方について概ね「叙法論的モダリ ティ論」と「階層的モダリティ論」という2つの立場があると言われている(黒滝(2002)、 玉地(2005)、日本語文法学会編(2014)など)。「叙法論的モダリティ論」では非現実領域(事 実界未実現の領域および観念世界)にある事態を語るための専用の文法形式をモダリティ 形式と呼び、モダリティ形式によって文にもたらされる意味をモダリティと呼んでいる(日 本語文法学会編(2014:627)による)。「叙法論的モダリティ論」に立つのは尾上(2001)であ る。

「階層的モダリティ論」では、日本語の文は命題とモダリティという2つの意味的な側面 から成り立っており、命題をモダリティが包み込むという次の図 1 のような階層的な構造 であると考えている。

図1 日本語の文の内部構造

「階層的モダリティ論」に立つのは益岡(1987、1991、1999)、仁田(1989、1991、1999、

2000)、日本語記述文法研究会編(2003)、日本語教育学会編(2005)などである。現在は「階

層的モダリティ論」が主流で、もっとも支持を得ている。本研究も「階層的モダリティ論」

に立つものである。

命題とモダリティの定義について、代表的なものを次の表1に示す。

表1から、モダリティの定義についての記述は研究によって若干異なるが、共通性が認め られる。つまり、モダリティは話し手の主観的判断や伝達態度を表すものである。具体的に 言うと、例えば、次の例(1)の中では、[明日雨が降る](こと)が命題に相当し、「たぶん」

や「だろう」「ね」などがモダリティに相当する。

1 「ダロウ」には「だろ」「だろう」「でしょ」「でしょう」「やろ」「やろう」などの変異形態があるが、

本研究では、「ダロウ」をこれらの形態の代表形とする。

命題 モダリティ

(7)

2

(1)たぶん明日雨が降るだろうね。

表1 命題とモダリティの定義

研究 命題 モダリティ

益岡(1987:9) 客体的な事柄内容を表す部分 である。

話し手(表現者)の主体的態度を 表す部分である。

仁田(1989:1—2) 話し手が、現実との関わりに おいて、描き取った一片の世 界、文の意味内容のうち客体 的な出来事や事柄を表した部 分である。

現実との関わりにおける、発話時 の話し手の立場からした、言表事 態(筆者注:「命題」に相当する)

に対する把握のし方、および、そ れらについての話し手の発話・伝 達的態度のあり方の表し分けに関 わる文法的表現である。

日本語記述文法研究会

(2003:1)

その文が伝える事柄的な内容 を担うものである。

その文の内容に対する話し手の判 断、発話状況やほかの文との関 係、聞き手に対する伝え方といっ た文の述べ方を担うものである。

日本語教育学会

(2005:134)

ことがら的内容を表す部分で ある。

話し手の主観的態度を表す部分で ある。

(下線は筆者による)

日本語は「たぶん」や「だろう」「ね」のようなモダリティ表現が非常に豊かに発達し ており、しかも、高度に構造化している。日本語記述文法研究会編(2003)では、日本語 のモダリティを全般的にとらえており、日本語のモダリティには文の伝達的な表し分けを 表すもの、命題が表す事態のとらえ方を表すもの、文と先行文脈との関係を表すもの、聞 き手に対する伝え方を表すものという4タイプがあると考えている。そして、文の伝達的 な表し分けを表すものを表現類型のモダリティ、事態のとらえ方を表すものを、評価のモ ダリティと認識のモダリティ、文と先行文脈と関係づけを表すものを、説明のモダリテ ィ、聞き手に対する伝え方を表すものを、伝達のモダリティとしている。

以下日本語記述文法研究会編(2003)を参考に各タイプのモダリティの概略を述べる。

日本語記述文法研究会編(2003)のモダリティの分類及びその主要な言語形式は次の表 2にまとめられる。

表2から、表現類型のモダリティには、大きく分けると、情報系と行為系の2つのタイプ があり、感嘆のモダリティもある。情報系のモダリティには、さらに聞き手に情報を伝達す るもの(叙述のモダリティ)と聞き手から情報を引き出そうとする機能をもつもの(疑問の

(8)

3 モダリティ)の2つがある。行為系のモダリティには、話し手の行為の実行を表すもの(意 志のモダリティ)、話し手の行為の実行を前提として、聞き手に行為の実行を求めるもの(勧 誘のモダリティ)、聞き手に行為の実行を求めるもの(行為要求のモダリティ)の3つがあ る。

表2 日本語のモダリティの分類と主要な言語形式

モダリティのタイプと下位分類 主要な言語形式

① 表現類型のモダリティ

情報系 叙述 平叙文

疑問 疑問文

行為系

意志 (よ)う

勧誘 (よ)う・ないか

行為要求 なさい・てくれ

感嘆 なんと~ことだろう

評価のモダリティ

必要 べきだ・なくてはいけない 許可・許容 てもいい

不必要 なくてもいい 不許可・非許容 てはいけない

認識のモダリティ

断定 断定形

推量 だろう

蓋然性 かもしれない・にちがいない 証拠性 観察・推定 ようだ・らしい・(し)そうだ

伝聞 (する)そうだ

③ 説明のモダリティ のだ・わけだ

④ 伝達のモダリティ 丁寧さのモダリティ 普通体・丁寧体 伝達態度のモダリティ ね・よ・よね

(①文の伝達的な表し分けを表すもの、②命題が表す事態のとらえ方を表すもの、③文と先行文脈との関 係を表すもの、④聞き手に対する伝え方を表すもの)

評価のモダリティは、その事態に対する必要、不必要、あるいは許容できる、できないと いった話し手の評価的なとらえ方を表すものである。

認識のモダリティは、その事態に対する話し手の認識的なとらえ方を表すものである。認 識的なとらえ方には、現実に対する基本的な認識的態度である断定・推量・その事態の成立 の蓋然性を表す可能性・必然性、何らかの証拠によって事態をとらえていることを表す推 定・伝聞などがある。

説明のモダリティは、その文を先行文脈と関係があるものとして示すことによって、先行 文脈の内容が聞き手に理解しやすくなるようにするものである。

(9)

4 伝達のモダリティには、丁寧さのモダリティと伝達態度のモダリティがある。

日本語によるコミュニケーションでは、このような豊富なモダリティ形式が多く使用さ れ、大きな役割を果たしている。メイナード(1993)では、日本語と英語の日常会話の文末 表現について比較調査を行っている。それによると、日本語では終助詞や「じゃない」

「でしょ(う)」2などのモダリティ表現がつく文は全体の約90%を占めており、モダリテ ィがつかない文は約10%にすぎない。一方、英語では、モダリティ表現が使われている文 は全体の約10%であり、モダリティがつかない文が約90%を占めているという結果を得 ている。この現象について、メイナード(1993:124)では次のように述べている。

日本語会話の中でこの「裸のダ体」3が使われる頻度が極度に少ないことは「裸のダ体」

を使うことが好まれず、話者はその使用を避けているのだとも言える。そしてそのため 対人関係を表現する言語表現がよく付け加えられていると考えられる。これは相手と の関係を重要視したコミュニケーションの方法であり、「自己コンテクスト化」4に敏感 な日本語の会話ことばに共通する特色であると言える。

メイナード(1993)の考察から、モダリティが多く使われているのは日本語の大きな特徴 であり、日本語学習者にとって、モダリティの習得は極めて重要であると思われる。野田

(2005:14)でも、日本語学習者にとってのモダリティ習得の重要性について、以下の例(2) と(3)を通じて説明している。

(2)「それは触らないでください!」「*そうですね。」

(3) *駅の前に待っています。

(2)と(3)から分かるように、(2)はモダリティに関わる誤用であり、(3)は命題に関わる誤

用である。野田(2005:14)によると、(2)の「そうですね」は相手の感情を害する可能性が高 い。「そうですね」と答えると、謝らずに、触ってはいけないことを確認しているだけとい うように聞こえるだけでなく、「ね」によって「触ってはいけないことを知っていたのに触 った」というニュアンスを感じさせてしまう可能性もあるからである。それに対して、(3) は相手の感情を害する危険が少ない。この文を聞いた人はほとんど無意識にそれを修正し て聞いてくれる可能性が高いからである。

野田(2005)の論考から、円滑なコミュニケーションのためには、命題の習得よりモダリテ ィの習得がより重要であると言えよう。命題はどのような情報を伝えるかに関わるもので、

2 「でしょ」と「でしょう」という2形態を含む。

3 メイナード(1993:121)では終止形がそのまま文末表現になった場合を「裸のダ体」としている。

4 メイナード(1993:39)では、「今、話者が会話のある時点で様々なコンテクスト情報をもとに、ある会話

表現を選ぶ時、そのプロセスを「自己コンテクスト化」(self-contextualization)と呼んでいる。

(10)

5 若干間違いがあったとしても、情報が相手に伝わる可能性が高い。一方、どのように情報を 伝えるかに関わるものに関しては、使用するモダリティ表現によって、相手に与える印象が 大きく異なると思われる。適切なモダリティが使えれば、他人とうまくコミュニケーション ができるだけでなく、良好な人間関係を築くことができると予想できる。逆に適切ではない モダリティを誤って使うと、相手の感情を害し、コミュニケーションに支障をきたす可能性 が高いと考えられる。そのため、非母語話者への日本語教育では、日本語学習者のモダリテ ィ習得を重視する必要があると言えよう。

しかし、これまでの日本語教育は、文の命題部分を重視していたが、モダリティ部分を十 分重視していないという傾向がある(野田2005:13)。このような傾向は、日本語学習者の 習得研究にも反映されている。第二言語としての日本語のモダリティ習得研究はまだ少な いのが現状であると指摘されている(渋谷2001:226、黒滝2002:95、黒滝2016:196)。その ことを確認するために、筆者は日本語教育研究分野では最も影響力がある学会誌『日本語教 育』の創刊号(1962年12月)から169号(2018年4月)において掲載された論文(学会の 大会報告、書評など除いた)1729 本を対象として、モダリティ習得に関する研究はどの位 あるのかを調査した。その結果、モダリティに関わる形式の習得に関する論文は12本のみ で、掲載論文1729本に対して僅か 0.7%であることが分かった。このように、日本語学習 者のモダリティ習得研究はまだ不十分であることが窺える。

上述したように、日本語には、日本語学習者にとって習得する必要があるモダリティ表現 が非常に多く、日本語学習者にとって習得しにくいと予想される。そのため、効果的な指導 法を考えるために、日本語学習者のモダリティ習得研究をある程度蓄積する必要があると 思われる。また、黒滝(2016:196)では、「日本語のモダリティの習得研究は終助詞を対象 としたものが多く、それ以外はあまり進んでいないのが実情である」と指摘されている。そ こで、本研究は日本語のモダリティ習得研究がまだ少ないという現状を踏まえ、一例として 中国人日本語学習者(CN)のモダリティの代表形式とされている「ダロウ」の習得について 考察し、日本語教育に有益な情報を提供することを試みる。CN を対象にした理由には、筆 者はCNの一人であるとともに、中国の日本語教育に携わったことがあり、今後も本研究の 結果を中国の日本語教育現場へ還元したいということがあるからである。なぜモダリティ の中で「ダロウ」の習得に絞るかについては次の1.2で詳述する。

1.2 問題提起と研究目的

「ダロウ」は「真正モダリティ形式」5として日本語のモダリティの代表的なモダリティ 形式である。自然会話ではよく使用されていると報告されている(メイナード 1993、中島

2011)。中国の日本語教育では、初級段階では「でしょう」という形態で導入されるのが一

般的である。初級段階で導入されるのは、CN にとって習得しやすいものであると考えられ

5 仁田(1991:53)では、形式自体が過去になることもなければ、否定にもならず、話し手の心的態度の

みを表す表現形式を「真正モダリティ形式」としている。

(11)

6 ているからであろう。しかし、学習段階が進んでも、CNの「ダロウ」の習得が十分ではない としばしば指摘されている。例えば、フォード丹羽(2005:119)では次の例(4)のような日本 語上級レベルのCNの「ダロウ」に関する誤用例を示している。

(4) 教 師:それ(筆者注:大学院入学試験)、筆記試験?

留学生:うん、あの、あん、口頭試験もあります。

教 師:うん。

留学生:あの~、まだ、あの、外国語の試験。日本語の試験でしょう(↓)。

例(4)における「日本語の試験でしょう(↓)」という文は文法的に正しいが、フォード丹 羽(2005:120)によると、目上の人に対して使うのは危険であり、聞き手の感情を害する、

いわばカチンとくる表現であるということである。しかし、使用者としてのCNにどういう 意味で「でしょう」を使ったかを尋ねたところ、推量の意味であり、「だろう」の丁寧形だ から丁寧な表現だと思って目上の人に対しては常に使用している、ということであった。CN の回答から、CNは「ダロウ」の意味を正しく理解しているが、しかし、「ダロウ」の適切な 使用場面について十分習得していないと言えよう。フォード丹羽(2005:121)では、使用と理 解を分けるという観点から、例(4)のような誤用を防ぐために、以下のように提案している。

「~でしょう」は、学習者が上下・親疎関係や場に応じて、ていねい体・普通体を使い 分けることができる段階に達するまでは、使用のための文法項目としては「~でしょう か」だけを導入し、理解のため項目としては「~でしょうか」に加えて、「~でしょう」

をイントネーションとともに提示するのがよいと言える。

フォード丹羽(2005)では、理解のため、具体的にどのような使用例を通じて「ダロウ」

を導入するのかについて示されていない。しかし、日本語学習者に正しく理解させるために は「ダロウ」の使用場面に関する情報を提供するのがより効果があるのではないかと思われ る。もちろん、日本語学習者に正しく使用させるために、「ダロウ」の使用場面に関する情 報を提示する必要がある。つまり、理解と使用のために、日本語教育では「ダロウ」の使用 場面に関する情報を提示する必要があると言えよう。そのために、まず基準とする日本語母 語話者(以下、JP)は自然会話ではどのように「ダロウ」を使用しているのかを明らかにし、

日本語教育に反映する必要があると思われる。しかし「ダロウ」はJPの自然会話でよく使 用されているにもかかわらず、それが具体的にどのように使用されているのかについては、

まだ十分明らかにされていない。また、効果的な指導法を考えるために、CN が自然会話で はどのように「ダロウ」を使用しているのかについて明らかにする必要があるが、しかし、

それついての論考はまだ見つからない。

野田(2012:2)では、「これまでの日本語教育のための研究は、日本語の構造や体系を明

(12)

7 らかにする言語学的な研究の方法で行われてきた。これからは、母語話者や非母語話者のコ ミュニケーションの実態研究など、日本語教育に役立つ研究を行うべきである」と主張して いる。

また、野田(2012:2)では、日本語教育をコミュニケーションの教育に変えていくために は、次のような研究を行う必要があると主張している。

① 母語話者が個々の状況でどのように日本語を使っているかという母語話者のコミュ ニケーションについての研究

② 非母語話者が個々の状況でどのように日本語を使っているかという非母語話者のコ ミュニケーションについての研究

③ コミュニケーションの能力を高める教育はどのように行ったらよいかというコミュ ニケーション教育についての研究

本研究は上記の野田(2012)の主張に従って、自然会話データを利用し、自然会話における JPとCNの「ダロウ」の使用状況を解明した上で、CNを対象にする「ダロウ」の効果的な指 導法を検討することを目的とする。

1.3 本研究の構成

本研究は全部で9章から構成されている。

第2章では、自然会話における「ダロウ」の使用状況をより明確化するために、まず、「ダ ロウ」の用法に関する先行研究を踏まえ、収集した「ダロウ」文の分類基準を定める。また、

これまでのCNの「ダロウ」の習得に関する先行研究を分析し、すでに明らかにされたこと、

まだ課題として残っていることを明らかにし、本研究の位置づけを述べる。

第3章では、まず本研究の課題を述べ、また、課題を解決するためにどのようなデータを 収集するか、どのようにデータを整理するかについて詳細に紹介する。

第 4章では、JPによる自然会話データを利用し、場面によって差があるかどうかを見る ために、初対面同士の会話と親しい者同士の会話を分けて用法別・形態別に「ダロウ」の使 用状況を考察する。

第5章では、JPはどのような意図で「ダロウ」を使用するのかを見るために、第4章と 同じデータを利用し、「ダロウ」が使用されている文脈を詳しく分析し、用法ごとに「ダロ ウ」の表現機能を考察する。

第6章では、時間、話題がある程度統一されている初対面同士の自然会話データと友人同 士の自然会話データを利用し、場面別に CN はどのような「ダロウ」を使用しているのか、

JPの使用状況と比べ、どのような問題点があるのかについて考察する。

第7章では、CNの「ダロウ」の使用上の問題点が発生する原因を明らかにするために、

アンケートとインタビューを通し、CNが「ダロウ」の用法をどのようにとらえているのか

(13)

8 を考察する。

第8章では、CNの「ダロウ」の使用上の問題点が発生する原因を明らかにするために、

CNに使用されている日本語教科書の調査と中国人日本語教師へのインタビューを通し、中 国の日本語教育における「ダロウ」の扱いの問題点を明らかにする。

第9章では、本研究で明らかにした結果に基づき、CNを対象にした「ダロウ」の効果的 な指導法を検討し、また、今後の課題を述べる。

(14)

9

第 2 章 先行研究

本章の2.1ではこれまでの「ダロウ」の基本的な意味に関する先行研究を概観し、本研究 の立場を述べる。2.2 では自然会話における「ダロウ」の用法に関する先行研究を概観し、

残った課題を述べる。2.3ではCNの「ダロウ」の習得に言及した研究を概観し、本研究の 位置づけを述べる。

2.1 「ダロウ」の基本的な意味に関する研究

モダリティの代表的な形式として、その基本的な意味についての研究が多くなされてい る。特に、「明日雨が降るでしょう」のような「推量」の意味と「疲れているんでしょう?」

のような「確認要求」6の意味との関連性について焦点が当てられている。つまり、その基 本的な意味は何であるかについて多く議論されている。これまでの「ダロウ」の基本的な意 味に関する研究を大まかに分けると、「推量説」と「非推量説」がある。

「推量説」は「ダロウ」の基本的な意味を「推量」とし、「確認要求」は「推量」から拡 張された用法であるという見方である。「推量説」には奥田(1984)、田野村(1990)、蓮沼

(1993)、三宅(1995、2010a)などがある。「非推量説」は「ダロウ」の基本的な意味を「推 量」とは見ないで、「推量」や「確認要求」より高次のレベルで捉えようとする見方である。

「非推量説」には森田(1980)、益岡(1991、2007)、森山卓郎(1992)などがある。現在で は、「推量説」が主流である。次に、「推量説」と「非推量説」に分けてさらに詳しく述べて いく。

2.1.1 推量説

上述したように、「推量説」は「ダロウ」の基本的な意味を「推量」とし、「確認要求」は

「推量」から拡張された用法であると考えている。「推量説」に立つ研究の中で、先駆けの 研究を行った奥田(1984)はその後の研究に多大な影響を与えている。

奥田(1984)は「ダロウ」の用法を連続的に捉えており、「おしはかりの文」「念おし的な たずねる文」「たんなる念おしの文」と3分類している。下の(5)(6)(7)はそれぞれの使 用例である。

(5)「これからどうするか、聞いているか」

「火葬許可を取ったら、そのまま火葬場へ運ぶように言ってました。気持ちとしては

大谷の家まで連れて帰ってやりたいんでしょうが、あの娘ひとりでは無理でしょう」

「いったいきみはいつから文恵を知っているんだ」 (奥田1984)

(6)「おう、どうした。」と父はいう。

6 研究によって「確認」と呼ばれることがあるが、本研究では「確認要求」に統一する。

(15)

10

「うむ、めずらしく今夜はひまができたからね。」

「ひまができたときには、あそぶ方がいそがしいだろう。」

「だいたいそうなんだけど。」 (同上)

(7) 「だって、君の顔だって、あかくみえるぜ。そら、そこの垣のそとにひろい稲田が あるだろう。そのあおい芳賀いちめんにこう照らされているじゃないか。」(同上)

田野村(1990)、蓮沼(1993)、三宅(1995、2010a)の「ダロウ」の用法分類は基本的に 奥田(1984)に従っているが、各用法の命名が幾らか異なっており、次の表3のようにまと められる。

表3 推量説の「ダロウ」の用法分類

研究 分類

奥田(1984) おしはかりの文 念おし的なたずねる文 たんなる念おしの文 田野村(1990) 単純推量 推量確認要求 事実確認要求

蓮沼(1993) 推量 推量確認 共通認識の喚起 三宅(1995、2010a) 推量 命題確認の要求 知識確認の要求

表3から分かるように、奥田(1984)、田野村(1990)、蓮沼(1993)、三宅(1995、2010a)

は「ダロウ」の用法を、連続的で、「推量」から「確認要求」へ拡張すると捉えている点で は共通している。ただ、具体的な拡張の道筋は三宅(2010a)以外では提示されていない。

三宅(2010a)ではまず「推量」と「確認要求」との関係を考えるための前提となる「推 量」という用語を三宅(1995)に従って「話し手の想像の中で命題を真であると認識する」と 明確に定義している。また、「確認要求」を「話し手にとって何か不確実なことを、聞き手 によって確実にしてもらうための確認を要求する」(三宅2010a:28)と定義している。さら に、その下位分類としての「命題確認の要求」と「知識確認の要求」を、それぞれ「確認の 対象を命題(文の事柄的意味内容)の真偽とするもので、命題が真であることの確認を聞き 手に要求するもの」、「確認の対象を命題によって表される知識(情報)とするもので、当該 の知識を聞き手が有していることの確認を要求するもの」と定義している。三宅(2010a)

の「推量」「命題確認の要求」「知識確認の要求」のそれぞれの定義は次の表4にまとめた。

表4 三宅(2010a)の「ダロウ」の各用法の定義

用法 定義

推量 話し手の想像の中で命題を真であると認識する。

命題確認の要求 確認の対象を命題(文の事柄的意味内容)の真偽とするもので、命題が 真であることの確認を聞き手に要求ものである。

知識確認の要求 確認の対象を命題によって表される知識(情報)とするもので、当該の 知識を聞き手が有していることの確認を要求するものである。

(16)

11 三宅(2010a)では、Langacker(2000)で提案されている下の図2のような「プロトタイプ に基づくアプローチ」と「スキーマに基づくアプローチ」を両立/調和させた「用法基盤モ デル(usage-based model)」を適用し、「ダロウ」の「推量」と「確認要求」の用法間の関 係を分析している。

[スキーマ]

[用法1] [用法2] [用法3] /…

(プロトタイプ)

(図中の“ ”は「拡張」、“ ”は「具体化」を表す)

図2 用法基盤モデル (三宅2010a:45による)

「プロトタイプに基づくアプローチ」と「スキーマに基づくアプローチ」をそれぞれ次の ように説明している。

「プロトタイプに基づくアプローチ」

それぞれの用法の中で、最も基本的あるいは原型的な用法を仮定し、ほかの用法はそ の基本的な用法から拡張したものととらえる。その場合の拡張の始発となる用法のこ とを「プロトタイプ」と呼ぶ。

「スキーマに基づくアプローチ」

全ての用法に共通する抽象的あるいは本質的な意味を設定し、それぞれの用法はそ の意味が具体化したものととらえる。その場合の抽象的、本質的意味のことを「スキー マ」と呼ぶ。

(三宅2010a:46)

三宅(2010a)では「プロトタイプに基づくアプローチ」を用いて、「推量」を「最も原型 的な用法(プロトタイプ)」とし、「確認要求」とは次の図3のような拡張関係であると分析 している。

「推量」 「命題確認の要求」 「知識確認の要求」

図3 (三宅(2010:47)による)

(17)

12 三宅(2010a:48)では、「推量」をプロトタイプとし、「確認要求」をそこから拡張された 用法であるとする理由について次のように述べている。

「推量」を基本的な用法、即ちプロトタイプと見なし、「確認要求」をそこから拡張さ れた用法であると見なすことの根拠としては、特定の文脈に依存する度合いというこ とがあげられる。「確認要求」の方が、聞き手の存在や話し手の意図など、「推量」より もはるかに多く、特定の文脈に依存しなければ成立しないと言え、その点で、特定の文 脈に依存する度合いが相対的に低い「推量」の方が、より基本的な用法であると言える からである。

「推量」と「命題確認の要求」との拡張関係について、三宅(2010a:47)は次のように分 析している。

「推量」と「命題確認の要求」との拡張関係は比較的容易に類推できよう。命題が想像 の中でしか真であると認識できないということは、話し手にとって命題は不確実であ るということであり、命題が不確実であるということは命題の確認を要求するという ことの必要条件であると言える。ダロウによる「命題確認の要求」は、命題が不確実で あるという、命題の確認を要求するということの必要条件を聞き手に表明することに よって、間接的に得られる用法であると考えられる。

「命題確認の要求」と「知識確認の要求」との拡張関係については、三宅(2010a:47-48)

は次のように考えている。

「クイズ質問文」7は、話し手にとって命題はなんら不確定なものではないにもかか わらず、聞き手が当該の知識を有しているかどうかをたずねる表現であると言えるが、

これは知識確認の要求と酷似した表現であると思われる。違いは、質問するか確認する かという点だけである。両者とも一種の「偽装」をすることにより得られる、拡張した 表現であると考えられる。即ち、命題の真偽を質問するという形(質問文)を偽装する

「クイズ質問文」に対して、命題の真偽を確認するという形(命題確認の要求)を偽装 する「知識確認の要求」ということである。

また、三宅(2010a)では「スキーマに基づくアプローチ」を用い、「ダロウ」の「スキー マ」を「命題を想像の世界において認識することを表す」(略して「想像の中での認識」と 呼んでいる)としている。その上で、「ダロウ」の「スキーマ」から各用法への具体化の過

7 三宅(2010a:47)によると、「凱旋門と自由の女神ではどちらが先に作られたと思う?」のような文で

ある。

(18)

13 程について、以下のように述べている。

まず、「推量」の用法である。いわゆる「平叙文」は無標の場合、話し手は命題が真 であると認識していることが表されるが、この平叙文に“ダロウ”が生起した場合、前 述のスキーマと合成され、「話し手の想像の中で命題を真であると認識する」というこ とが表されるに至る。そしてこれは(4)で定義した「推量」に等しい。したがって、

「推量」は“ダロウ”が平叙文に生起した場合に、最も自然な形で「スキーマ」が具体 化したものだと言える。この具体化に際して、特定の文脈は必要とされない。

(中略)

次に、「命題確認の要求」に移ろう。この用法と特定の文脈において、結果として、

間接的に聞き手への要求表現になるだけであって、命題に対する話し手の認識に関し ては何ら「推量」と変わるところはない。当該の命題は話し手にとって想像の中で真と 認識されていることが表されている。したがって、この「命題確認の要求」も前述の「ス キーマ」に問題なく適合すると言える。

問題になるのは「知識確認の要求」である。この用法において、命題は、話し手にと って、想像ではなく現実に真であると認識されていると思われるからである。実際、こ の用法の場合、話し手にとって命題は確実に真であって、不確実なものではない。それ ではどのように考えたらよいのであろうか。二つの可能性があると思われる。一つは、

前述したようにこの用法はあくまで「偽装」であるので、実際には確実な命題であって も、偽装後は不確実なことが表れるのだから、「スキーマ」との適合に関しては問題な いとする考え方であり、ほかの一つは、聞き手の知識のレベルは、話し手にとって想像 でしかとらえられないものであるため、命題から聞き手の知識へレベルを移したなら ば、やはり「スキーマ」に適合しているとする考え方である。

(三宅2010a:48-50)

上述の「プロトタイプに基づくアプローチ」による分析と「スキーマに基づくアプローチ」

による分析を融合させ、三宅(2010a)は「ダロウ」の「用法基盤モデル」を次の図4のと おりに提示している。

[想像の中での認識]=(スキーマ)

[推量] [命題確認の要求] [知識確認の要求]

||

(プロトタイプ)

図4 「ダロウ」の「用法基盤モデル」 (三宅2010a:51による)

(19)

14 さらに、三宅(2010b)では、疑問文に生起した「ダロウ」8を「不定推量」「弱い質問」「丁 寧さの加わった質問」と 3 分類している。それぞれの定義と例文は次の表5 にまとめられ る。

表5 「ダロウカ」の分類

用法 定義

不定推量 話し手の想像の中で命題が不確定であると認識する。

(例:大西は何をしているんだろう?この騒ぎが聞こえないん だろうか?)

弱い質問 聞き手に不確定な応答をする余地を残す質問。

(例:「十ラウンド、続かないでしょうか…」「わからない。こ れ、誰にもわからない。(後略)」)

丁寧さの加わった質問 通常の質問文よりも丁寧さが加わった質問。

(例:「先程の、血が黒くなったということですが、それは意識 がなくなったことと関係があるのでしょうか」「もちろんありま す」)

(三宅(2010b:57—75)による)

三宅(2010b)では、「不定推量」「弱い質問」「丁寧さの加わった質問」の3用法の関係につ いても、三宅(2010a)と同様の手法で分析している。「プロトタイプに基づくアプローチ」

による分析では、三宅(2010b)で次の図5に示しているように、「不定推量」を「プロトタイ プ」とし、「弱い質問」「丁寧さの加わった質問」はそこから拡張された用法であると考えて いる。

「不定推量」 「弱い質問」 「丁寧さの加わった質問」

図5(三宅(2010b:69)による)

「不定推量」から「弱い質問」へ拡張した道筋を三宅(2010b:64—65)では次のように 論じている。

「不定推量」は、命題が不確定であると話し手が認識していることを表すのみであって、

聞き手への質問性/要求性は持たないものであった。ところで、「命題が不確定であると 話し手が認識している」ということは、聞き手への質問行為における必要条件であると

8 疑問の助詞の「か」や「だれ」「どこ」などのような疑問詞と共起する「ダロウ」を指す。当該論文で

は「ダロウカ」を代表形としている。

(20)

15 言える。質問行為は一般的に、話し手にとって不確定なことを確定的にするために、聞 き手に情報を要求するものだからである。とすると、「不定推量」が表された文を発話 するということは、質問行為における必要条件のみを表明していることにほかならな い。(中略)したがって、「不定推量」が表された文が、聞き手に向かって発話された場 合に、一種の「質問」(情報を要求する行為)として解釈されたとしても、それは「間 接的」ということになる。聞き手は、要求まではされていないにもかかわらず、話し手 が「命題が不確定であるとの認識」をあえて表明するということは、何らかの情報をよ く欲しているのだと推論し、可能な限り関与的な情報を提供するに至る、ということで あろう。「弱い質問」は、このような「間接性」に基づいて成り立つ用法である。間接 的な要求表現でしかないため、要求性の乏しい表現になるということである。

さらに、「弱い質問」から「丁寧さの加わった質問」への拡張過程について次のように考 えている。

「弱い質問」は、命題の不確定性の認識という質問行為の必要条件だけを述べているこ とにより、間接的に一種の質問表現となるものであった。(中略)聞き手への要求表現 において、間接性が加われば丁寧さが加わると言えるのであれば、直接的に情報を要求 することを表す通常の質問文よりも、間接的には情報を要求することにある“ダロウカ”

の文の方が、当然、丁寧さが加わるということになる。 (三宅2010b:67—68)

「スキーマに基づくアプローチ」による分析では、「不定推量」「弱い質問」「丁寧さの加 わった質問」も「想像の中での認識」という「スキーマ」から具体化した用法であると考え ている。

三宅(2010b:72)では、三宅(2010a)の考察を融合させ、「ダロウ」の用法の総体の「用 法基盤モデル」を次の図6のように提示している。

[想像の中での認識]=(スキーマ)

推量 命題確認の要求 知識確認の要求 不定推量 弱い質問 丁寧さの加わった質問

|| ||

(プロトタイプ) (プロトタイプ)

図6 「ダロウ」の総体の「用法基盤モデル」 (三宅2010b:72による)

(21)

16 2.1.2 非推量説

前述したように、「非推量説」に立つのは森田(1980)、益岡(1991、2007)、森山卓郎(1992)

である。

森田(1980:222)では、「ダロウ」の意味について次のように述べている。

話し手がはっきりこうと言い切ることを差しひかえて、断定を保留するときに用いる 言い方である。慎重さや、自信のなさや、不確かなことで断言が差しひかえられる気分 のときなどに用いられる。「午後から雨が降るだろう」も、「雨が降る」と言い切るには 何かの理由で精神的抵抗があるため、断定をぼかす言い方をとっているのである。降る ことの推量というよりも、「降る」と断言することを弱めている言い方というべきであ る。

益岡(1991、2007)は森田(1980)を踏襲し、「ダロウ」の基本的な意味を「断定保留」

としている。益岡(1991:112)では「断定保留」の意味から確認要求の意味に至る道筋につ いて次のように説明している。

このような「だろう」の用法(筆者注:東京から神戸までの長距離電話代、高いでしょ う?)は、対話文におけるものであり、話し手の判断の妥当性を聞き手に確認する使い 方である。この場合、話し手は当該の事態が成り立つかどうかの判断について断定を保 留し、その判断を下し得ると想定される聞き手に対して考えを求めるわけである。

森山卓郎(1992:68)では「推量」について次のようにとらえている。

推量の基本的な意味、すなわち、不確実なこととしてとらえるということは、一つの 内容をとりあげつつも、「そうでないことの想定」をも存在させる余地を残すという ことだと言える。

そして、「ダロウ」は「カモシレナイ」「ニチガイナイ」「ヨウダ」「ラシイ」などの形式と 違い、疑問要素の疑問詞や「か」と共起することができるという現象に注目し、「ダロウ」

の基本的な意味は推量ではなく、「結論にまだ至っていない―判断を形成する過程にあるこ と―を表示する」としている。その理由について、次のように述べている。

疑問文においては、述べられている内容に矛盾対立する内容は、選択を要する対立関係 として取り上げられているのであるが、一方、推量の文においては、述べられている内 容に矛盾対立する内容も成立し得るものとして想定されているのである。従って、推量 形式が疑問文にそのまま共起するならば、意味の関係として、矛盾することになる。い

(22)

17 わば敢えて一つに決しないという意味のあり方と、選択を迫って一つの意味に決しよ うという意味の在り方が共起することにあるからである。

また、「判断形成過程」を表す「ダロウ」は推量を表すには、その内容についての情報を 持つ聞き手が存在しないという条件が必要なのであると説明している(森山卓郎1992:75)。 また、「ダロウ」の「確認要求」の用法について、次のように述べている。

その内容に関して、聞き手に確実な情報があると見込まれるなら、ダロウは聞き手に尋 ねるような意味になるし(伺い型の確認)、また、そこで述べられる内容が話し手の確 実視する情報である同時に聞き手にも確認可能な情報であると見なされれば、ダロウ はその確認を聞き手に押し付けるような意味になる(押し付け型の確認)。

(森山卓郎1992:80)

2.1.3 本研究の立場

2.1.2では、「ダロウ」の基本的な意味について「推量説」と「非推量説」という異なる

立場の見方について紹介した。本研究は主流の「推量説」の立場に立つものである。「非 推量説」によっては、安達(1997)に指摘されている「ダロウ」文が持つ断定なニュアン スについてうまく解釈できないからである。安達(1997:85)では、「ダロウ」に関しては 次のようなことを述べている。

「だろう」によって文を言い切ってしまうと、聞き手の考えを無視してまで強く断定 しているというニュアンスを持ちやすく、そのままでは不自然になることが多い。こ れを回避するためには、終助詞「ね」を付加したり、思考動詞「思う」の補文に埋め 込むといった手段を講じる必要がある。

もし、「ダロウ」が「断定保留」或いは「判断形成過程」を表すのだとすれば、「ダロ ウ」による言い切る文が「強く断定しているニュアンス」を持たないはずである。つま り、「非推量説」は実際の「ダロウ」文が持つニュアンスと矛盾していると思われる。

一方、「推量説」によると、「ダロウ」は「話し手の想像の中で命題を真であると認識する」

ということを表すため、自然に「聞き手の考えを無視してまで強く断定しているというニュ アンス」を持つようになると解釈できる。

なお、「推量説」では、三宅(2010a、b)のみが「用法基盤モデル」を用い、「ダロウ」の 推量の意味からそのほかの意味へ拡張する道筋を明確に示している。森山新(2008)では、

「用法基盤モデル」が第二言語としての日本語の格助詞習得への応用可能性は示されてい る(詳細は後述)。そのため、本研究では基本的に三宅(2010a、b)に従って、「ダロウ」の 用法を分類分析し、CNの「ダロウ」の習得への応用も検討することを試みる。

(23)

18

2.1.4 自然会話における「ダロウ」の使用に注目する研究

従来の「ダロウ」に関する研究を見渡すと、小説やシナリオなどのデータを利用したもの がほとんどであり、自然会話における「ダロウ」の使用に注目する研究は非常に少ないのが 現状である。自然会話を用いた研究としては庵(2009)、張(2010、2012)が挙げられる。

庵(2009)は職場場面での自然会話における「ダロウ」の使用状況を考察し、「ダロウ」の 推量と確認要求の 2 つの用法では、推量より確認要求の方が圧倒的に多く使用されている という結果を得ている。庵(2009) は話しことばにおける「ダロウ」の使用状況を考察した 先駆的な研究であり、本研究も庵(2009)に負うところも大きい。但し、庵(2009)は「ダロ ウ」の一つの形態としての「でしょ(う)」のみを分析対象としているため、自然会話にお ける「ダロウ」使用の全体像は明らかにしていないと言わざるを得ない。

張(2010)は50代、60代の親しい女性友人同士8組による会話のデータを収集し、その中 で使用されている次の(8)(9)(10)のような「認識喚起」9を表す「ダロウ」に注目している。

収集したデータから、「認識喚起」を表す「ダロウ」は全体の76%を占めているという結果 を得ている。また、話し手の発話の流れと聞き手の反応を見ることによって、「認識喚起」

の「ダロウ」の表現機能を、「聞き手への「認識喚起」を通して、聞き手に確認を求め、話 し手の持っている情報や主張の正確性を強調する。聞き手への問いかけ性が強い。上昇調が 主である」(張2010:56)と捉えている。

(8) F12:後、ほら、東京も意外といろいろのものがあるでしょう↑ (張2010:52) (9) F19:軽井沢のあそこに行きたいってゆったでしょう↑ (同上) (10) F21:食事はなくてもその土地のおいしいもの食べればいいでしょう↑ (同上)

張(2012)では張(2010)と同様のデータを利用し、先行研究ではあまり言及されていない、

次の(11)のような相手が既に述べたことを強調的に復唱する「ダロウ」に目が向けられ、そ の用法を「念押し確認用法」としている。

(11) F15:年もそんなに変わんない?

F16:十歳違うんです

F15:うん、十歳でしょう? (張2012:32)

張(2010、2012)は自然会話データを利用し、会話の流れを見るという手法で「ダロウ」の 表現機能を捉えている点で評価できると思われる。だが、張(2010、2012)は庵(2009)と同じ くまだ部分的な研究であり、「ダロウ」の各用法の表現機能は明らかにしていない。また、

利用したデータは前述したように50代、60代女性同士のみの会話で、「ダロウ」の使用傾

9 田野村(1990)の「事実確認要求」,蓮沼(1993)の「共通認識の喚起」,三宅(2010a)の「知識確認の要 求」に相当する。

(24)

19 向が偏っている可能性があるという問題点があると思われる。

2.2 CNの「ダロウ」の習得に関する研究

CNのみを対象にする「ダロウ」の習得研究は見当たらないが、CNの「ダロウ」の習得に 言及した先行研究は大島(1993)、佐々木・川口(1994)、伊集院・高橋(2004)、高橋・伊集 院(2006)、野崎・岩崎(2013)が挙げられる。

大島(1993)は、多肢選択式・正誤判定式のアンケートを通じて、中・上級に相当する中国 語話者・韓国語話者の日本語学習者の「だろう」「かもしれない」「ようだ」「みたいだ」「ら しい」といった「認識のモダリティ」の習得状況について母語別・学習段階別に考察を行っ ている。その結果、韓国語話者には学習段階が進むにつれJPの選択結果に近づくという過 程が観察されたが、一方、CNには学習段階が進んでもJPの選択に近づくという傾向がほと んど見られなかった。この結果は、日本語のモダリティの習得はCNにとって困難であるこ とを示唆していると考えられる。「ダロウ」に関しては、JPの選択が「ダロウ」に集中して いる次の(12)のような例文では、韓国語話者より多くのCNが「確言」10や「ようだ・みたい だ・らしい」を選択している。また、JP が「ダロウ」の使用をほとんど認めていない次の

(13)の例文では、韓国語話者より多くのCNが「使える」と判定を下している。この結果か

ら、初級段階で導入されている「ダロウ」は中上級になったCNでも十分に習得していない ことを示していると言えよう。

(12)一時間も前に出発したから、もう今頃はうちに着いて[ ]。

[1いる 2いそうだ 3いるようだ 4いるだろう 5いるそうだ 6いるらしい 7 いるかもしれない 8いるのだ 9いるみたいだ] (大島1993:102)

(13)妻(夫に)「あら!あなた、ひざから血が出て[ ]けど、どうしたの。」

[1いる 2いそうだ 3いるようだ 4いるだろう 5いるそうだ 6いるらしい 7 いるかもしれない 8いるのだ 9いるみたいだ] (同上)

佐々木・川口(1994)は小学生から大学生までのJP(各学年40名)と中上級の日本語学 習者(中国語話者21名、韓国語話者8名、英語話者5名、そのほか6名)に、『手』という 題名で作文を書かせ、モダリティの使用傾向について調べている。その結果、JP では、学 年があがるにつれて、命題で文を終止することが少なくなり、命題にモダリティ表現を付加 して豊かな様相を見せるようになることが見られる。特に「カモシレナイ、ニチガイナイ、

ハズダ、ヨウダ、ソウダ、ラシイ、ダロウ、カ」などの「認識のモダリティ」11は顕著な増

102の中の「断定形」に相当する。

11 当該論文では「認識のモダリティ」に相当する「真偽判断のモダリティ」を使用している。

(25)

20 加傾向が見られた。一方、日本語学習者は同年齢の大学生の文末と比較すると、命題と説明 のモダリティで文を終止する比率がかなり高く、逆に「認識のモダリティ」の比率は低い。

これは、日本人の小学4・5年生と同程度の使用率である。この結果は、日本語のモダリテ ィの中で、「ダロウ」を含む「認識のモダリティ」の習得はCN12にとって特に困難であるこ とを示唆していると言えよう。

伊集院・高橋(2004)はCNとJPによる日本語作文コーパスを利用し、文末に現れたモダ リティを分析している。その結果、CNはJPより対話性が強く、読み手に働きかける機能を もつ「行為系のモダリティ(「勧誘」・「行為要求」)」、「評価のモダリティ」、「伝達態度のモ ダリティ」を多用しているということ、及びCNによる日本語作文はJPより“Writer/Reader

visibility”(書き手・読み手の存在の明示度)が大きいということが確認された。「認識の

モダリティ」に関しては、使用頻度の合計から見ると、CNとJPの間では大きな差は現れて いない。しかし、下位分類を詳しく見ると、CNはJPより「伝聞」(そうだ)はJPより多く 使用しているが、「推量」の「ダロウ」はJPの使用頻度の半分程度である。これは、JPと 比較すると、CNは「ダロウ」を過少使用する傾向にあることを示唆する13

高橋・伊集院(2006)は伊集院・高橋(2004)と同様のデータを用い、CNとJPによる日 本語作文に使用された「花子は来るか(来ますか)」のような「聞き手情報依存」の「非ダ ロウカ疑問文」と「花子は来るだろうか(でしょうか)」のような「聞き手情報非依存」の

「ダロウカ疑問文」の使用状況を考察し、以下の表6のような結果を得ている。

表6 JPとCNの日本語作文の疑問文の形式

JP CN

聞き手情報依存(非ダロウカ疑問文) 8 38 聞き手情報非依存(ダロウカ疑問文) 37 7

計 45 45

(伊集院・高橋(2006:83)による)

表6より、CNとJPの疑問文の使用数は同じであるが、内訳はかなり異なっていることが 分かる。CNはJPがあまり使用していない「非ダロウカ疑問文」は圧倒的に多く使用してい るが、JP が多く使用している「ダロウカ疑問文」はあまり使用していない。その要因につ いて、高橋・伊集院(2006)では、学習時間数と関係なく、適切な「聞き手情報非依存」の 形式としての「ダロウカ疑問文」は、CNには習得されていないと分析している。

野崎・岩崎(2013)は中上級のCN20名(日本語能力試験1級9名、2級11名)とJP20名 による日本語作文に使用された「思う系」の思考動詞(思う/思われる、考える/考えられる など)と「賛成だ/支持する/反対する」といった立場表明、推量を表す「ダロウ」、疑問文

12 佐々木・川口(1994)の調査対象の中でCNは半分以上を占めている。

13 CNJPによる日本語作文の文数はそれぞれ790715である(伊集院・高橋(2004:88)による)

(26)

21 の3 項目について考察を行った。その結果、JPに比べ、CN は「思う」を多用しているが、

「ダロウ」及び「ダロウカ疑問文」が使えないということが確認された。このことから、野 崎・岩崎(2013:65)は「CN はモダリティの中で「だろう」の使用が突出して困難である」

と結論づけている。

以上の研究から「ダロウ」はCNにとって習得困難なものであり、中・上級になったCNで もその習得がまだ不十分であることが示唆されている。但し、これらの研究はアンケートや 作文データを用いているため、実際の会話では同様の問題があるのかについてはまだ見え ない。上述したように、コミュニケーションのためという観点から、CN による日本語会話 における「ダロウ」の使用状況を明らかにする必要がある。

そこで、本研究では、作文データではなく、自然会話データを用い、基準とするJPの「ダ ロウ」の使用状況と比較して、CNの「ダロウ」の使用状況及びその問題点を明らかにし、CN を対象にする日本語教育での「ダロウ」の効果的な指導法を検討していくことにする。

参照

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