『リア王』 にお け る
Nat
ur
e
の構 図
中 田
佳
昭
〔
Ⅰ
〕
シ ェイ クス ピアの四大悲劇 のひ とつ とされ る 『リア王』につ いて,すでに古典的研究書 と な っているShakespeare'sDoctorineof Natureの中 で JohnF.Danbyは次 の よ うに述べ ている。
King Leaf can be regarded asa play dramatizing the meanings of the
single word`Nature'.W henlookedatinthiswayitbecomesobviousatonoe
thatKing Leafisadrama of ideas...,and Shakespeare'sowncreation;the
(1)
realNovum Organum ofElizabethan though t.
今 Danbyの説 に困 って,『リア王』に使用 され ている natureを加算す る とそ の数 は 4
(
2
0 )にのぼ る. ちなみに, このnatureの使用頻度 をConcordanceto Shake
s
p
e
a
r
e に よって 数 (3) の上か ら他 のい くつか の作品 と比較す る と, 年 代 作 品 作 品 におけ るNature(nature)の使 用 回数 修 1592-93( RichardIIl ㊨ 業時 TheComedyofErTlO7S③
代 1593-94 TheTamingoftheShrew①
蓋墓 1594-95 RomeoandJuliet@
1595-96 A MidsummerNlihねDream③
1596-97 TheMerchanlofVenice
⑤
∴ 1598-99 MuchAdoaboutNothing @ 1599㍍o o ( JuliusCkleSar ㊨ 期 品 AsYouLikelt 更 TweljihNight ⑫ 絶 1600-01 HamlT 'let dC ●(お ㊨ ㊨ 頂
期・大の時四刺悲 111116666601-0004002-06-05-- 00 67352((AIAntMaKiMeOthLnagWecegLeosblnuleoyatrhelalThfnrcJdClrMeatEndeaozsururesWeu ll ⑮ ㊨ ⑳ ⑪ ㊨ @ 代 1607-08( CoT2'mOn'oknOlnufAtShens ㊨ ⑫ 晩= 年 ス 1609-10 CThynbeW't '7eline ll ㊨ 各 々の作 品の長 さや テーマが異 な る所 か ら単純 な比較 は危険 ではあるが,表か らほ明 らか
122 研究紀要 (第4号)
に一つ の傾 向が読み とれ る。 natureの使用頻度 は 『リア王』 を頂点 としていわゆ る四大悲 劇 を中心 とす る作品においてひ とつ の ピ- クを形成 している。 Arden の 森 と い う 《自 然 (Nature)≫そ の ものを舞台 として展開 され るAsYouLikeItには 16回使用 さ れ て い る natureが,いわゆ る PastralComedyの代表作 とされ るAMidsummerNight'sDream にお いてはわずか3回 にす ぎないoHamletと Othelloには さまれてい る Troilusand Cressida, All'sWellThatEndsWell,MeasureforMeasureの三つ の作 品につ いて, 喜劇 ではあ
るがnature使用回数 は大変多 い。 しか しこの事実 は, これ らの喜劇が当時 の シ ェイ クス ピ アに とってはむ しろ副産物 ともいわれ, そ の暗 い悲劇 的 気 分 の た め に 「暗 い喜劇 (dark comedies)」 と呼ばれ る範噂 に属す るものである とい うことに よって説明 され得 るであろ う。 いずれ にせ よ,悲劇 の時代 とい うこの年代 の作品に多用 され る natureは一体 どの よ うな 意味 を もっているのであろ うか。それ はシ ェイ クス ピアの作品におけ る内的 に必然的 な展開 の軌跡 になん らかの関係があるのではないか。 く『リア王』が natureとい う一語 の様 々な意 味 を劇化 した作 品である) との Danby の主張 には勿論 い くつか の 輿 論 が あ る。 事 実, natureとい う語 の頻度 を幕 ごとに追 えば,ActI-13, Ⅱ-ll,Ⅲ-8,Ⅳ-7,Ⅴ-1と劇 が 終 りに近づ くにつれてそれが少 な くな ってゆ くのを認め ることもで きる。に もかかわ らず本稿 においてほ Danbyの指摘は十分 に示唆的な ものを持 っている。すなわ ち 『リア王』のnature の理解が 『リア王』周辺 の作品群-の理解- の道 を開 いている とい う意味 において, はなは だ逆説的なが ら,Danbyの例 にな らい 『リア王』 の natureを仔 細に再検 討す る ことも十分 意 義深 い ことといわねばな らないO本稿 のテ ーマは,古典的 テ -マである 『])ア王』におけ る natureを, 日本語訳 と対比 しつつそれ が作 品全体 において持つ意味 を明 らか に し な が ら, さらにシ ェイ クス ピアの作品群 におけ る内的 に必然的な 展 開 の 軌 跡 を 『リア王』 の nature とい う一点 で とらえ, それが同時期 の他 の作品 との関係 において意味す る ところ を 考察 しようとす るものである。
〔Ⅰ〕
先 に進 む前 に, 日本 におけ る 『リア王』 の翻訳 につ いて概観 してお くのが 便 利 で あ ろ ラ. 日本 におけ るシ ェイ クス ピアの翻訳は,一応 明治42年∼昭和3年 にわた って刊行 された 坪 内遭遥 の 『沙翁全集』を始 め とす ると言 って よい。以来,数多 くの作品が翻訳, 出版 され て きたのだが 『リア王』 の翻訳はその上演回数 同様に,『-ム レッ ト』や 『ロ ミオ と ジ ュリ エ ッ ト』な どと比較す る と驚 く程 に少ない。『リア王』 の翻訳 に携 った お も立 った 人 々には 造 遥以後,斎藤勇,三神勲,福 田佐存,小津次郎,大 山俊一,木下順二,小 田島雄志等 の名 前 があげ られ る。現在原典 に よらず 日本語 で 『リア王』に接す る人 々は,当然 なが ら上記 い ずれかの翻訳者 を中間 に介在 させて 『リア王』を読 んでいる ことになる。そ して人 は常識的 には二冊以上 の翻訳 を求めて,比較 ・対照 しなが ら読 む ことな どほ しない。 シ ェイ クス ピア を知 る くらいの人 な らば,た いがいそ の名前 を知 っている 『リア王』程 の作品 に し て か ら中
田:
『リア王』におけるNatureの構図 123 が,わずか一人 の翻訳者 を通 してのみ理解 されているにす ぎない とい う実態は注 目に価すべ きことといわなければな らない。読者 一翻訳 一原典 とい う線 を読者 の側か ら眺 めれば,翻訳 か ら向 こうは闇であ り,その間の中にどんな問題が隠 されているかは読者 には思 い及ぶべ く もない。『リア王』の翻訳に際 して雑誌 『文学界』に よせた記事の中で福 田氏は, この へ ん の事情 を次の ように述べている。 『リア王』 の中に nature とい う語が凡そ四十回位繰返 して出て来 る。 だがそれを 日本 語に訳す る場合,
「自然」の一語を以 って押 し通す訳には行かない。--シ ェイ ク ス ピ (4) 7を訳す場合,一番 こまるのほか ういふ ことである. 福田氏の逢着 していた困難 とは どうい う性質のものだ ったのか。『リア王』におけるnature の意味を明らかにす るため,今原典 とい くつかの翻訳を並列 して翻訳書 の読者 に とって闇 と な っている部分に光 をあてる作業 に移ることに しよう。 〔Ⅲ 〕 最初 のnatureは一幕-堤,劇 が始 まって間 もな く, 1)ア王 自身の第一声 とも言 える台詞 の中にあ らわれ る。 Lear. Tellme,mydaughters,
(Sincenow wewilldivestusbothofrule,
Interestofterritory,caresofstate)Whichofyoushallwesaydothloveusmost? Thaiweourlargestbountymayextend
Wherenaturedothwithmeritchallenge. (ActI,Sc.1)
福田 : 最大の贈物はその者 に興- られ よう,情において も義においてもそれ こそ 当然 の権利 と言 うべ きだ。 小 田島 : 親を思 う心 のもっとも深いものにわ しは もっともゆたかな情愛を示 した いのだ。 他 の作品において と同様,又 『リア王』において もシ ェイ クス ピアは常套的に,殆 ど開幕 と同時に観客を ドラマの核心的 テーマ- と誘導する。引用は リア王が3人 の娘 に一番 自分 を 愛 しているのは誰か と問 う, いわゆる愛情 テス トの場面か らの ものである。 シ ェイ クス ピア には,今 なお様 々な解釈 を許容す る多 くの部分 が存在 しているのだが,残念なが らいま問題 とな っている部分 くW herenaturedothwithmeritchallenge)につ いて もその例にもれな
124 研究紀要 (第4号) い。ただ しこの部分 のnatureを, 単にく自然〉と解釈できないのは明白で,そ こに福 田氏の 指摘す る翻訳者 の困難の一端が うかがえる。 この台詞 を契機 として『リア王』の悲劇が (親子 の問の愛情の亀裂) を機軸 に展開 される ことを考えれば, シ ェイ クス ピアが このnatureに 与 えた意味は,く人間の うちに 自然 に備 っている子 の親 に対す る愛情) と解す るのが妥 当 で あろ う。それを各 々の工夫において福田氏は 〈情),小田島氏は く親を思 う心〉と訳出 したの である。ちなみに, このnatureに斎藤氏は く親に対す る愛情),小津氏は く孝養の心〉 とい う訳語 をあてているが, いずれの 訳 もシ ェイ クス ピアが この場 でnatureに与 えた近似値杏 射ていると言 って よい。そ して ここで問題 となるのは,誰れの近似値が一番正解に近 いかで はな く,く子 の親 に対す る愛情〉 とい った ものを意味す る原語 がnatureとい う一語であ り, この一語がその使用におけ るシェイ クス ピアの明確 な意図云 々は別に して, 『リア王』 と い う作品において極めて重要 な意味を持 っているとい うことである。 も う少 し例を見てみ よ う。 シェイ クス ピアが グロス ター父子 のsubplotに よって く親子の 愛情〉 のテーマを補強 しているのは周知 の事実 であるが,庶子 エ ドマ ン ドの コー ンウォール 公爵-の諌言に よ り自らが計 られたのを知 らずに, グロスターが 目を決 られた恨みを晴 らし て くれ るようェ ドマ ン ドに叫ぶ場面に次 の ような台詞がある。
Glou. Alldarkand00mfortless.W here'smysonEdmund? Edmund,enkindleallthesparksof空些 竺
Toquitthishorried act.(ActIn Sc.7) 福 田 : 胸の内に在 る限 りの人の子 の情けを火 と燃上 らせ, この悪逆無道 の行ひに 懲 らしめを加へて くれ。 小津 : あ らん限 りの豊 臣の火をか きたてて, この恐 しい所業の仇を討 って くれ。 シェイクス ピアは この く子 の親に対す る愛情) とい う意味 のnatureを 5回程 も 使用 して それを作品の所 々に配 している。D.W ilsonの分類に従えば,我 々は これに,逆方 向の,つ ま り く親の子 に対す る愛情)の意味を付与 されて 使用 されているnature数例を加 えること ができる。例 えば, ゴネ リルの心 ない仕打 ちに,憤怒 と落胆に心を裂かれなが ら リア王は,
Lear・ Iwillforgetmynature・Sokind afather!(ActI,Sc・5)
木下 : 親 としての情は捨てて しまお う。あれほ どや さしい父親だ った の だ が な あ。
大 山 : わ しは父親本来 の愛情 とい うものを忘れ よう。あんなにもや さしい父親だ ったのにJ
中田:『リア王』におけるNatureの構図 125 か くしてnatureは 〈子の親に対す る愛情)のみな らず, く親 の子 に対す る愛情〉 とい う意 味 に も使用 されてい ることか ら, (親 と子 のreciprocalな愛情) を示す語 として理解す る こ とができるであろ う。 そ して 〈親子間の愛情) を表す のにnatureが使われているのは,親 が子 を,子 が親 を愛す るのほ,単 に制度,習慣,道徳上 の要請か らではな く,それが深 く自 然 に,人間 の本質に根 ざしている ことを示 してい る。 『リア王』においてほ, 単 に リア王 が ゴネ リル, リーガ ンの二人 の娘 か ら非道 な仕打 を受 けただけではな く, 1)ア王 も又 コ-デ リ アに対 して親 の愛 を欠いたのであ り, さらにはエ ドマ ン ドが グ ロス タ-を陥れ, グ ロス ター は- ドガ-を追 いや る とい う点 において, あ らゆ る く親子 の愛情) が切断 されているのであ る。加 えて, ゴネ リル, リーガ ンとコ-デ リア,又 - ドガー とェ ドマ ン ドの間の 〈姉妹 ・兄 弟 の愛情) の亀裂があ る.悲劇 が ここか ら生 じるcon丑ictを機軸 に展開す ることを 考 え る と,く親族間 の愛情)とい う意味 のnatureには重要 な役割が与え られていると言わなければ な らない。
〔
Ⅳ〕
く親 と子 の間 の愛情〉 ほ 自然 の本質に深 く根 ざ した ものであ った。 では,一体 なぜ人間 に 本来的に備 ってい るはず の この愛情に亀裂が生 じたのか。 この間に答 え るところか ら,我 々 はnatureの持つ次の意味へ と進む ことになる。我 々が 『リア王』において次に natureに出 会 うのは, コ-デ リアに与 えるべ き所領を, ゴネ リル, リーガ ンに分 け与 え るとい うリア王 の愚考 を諌め る忠臣 ケ ン トの言葉 に激怒す る リア王 自身 の台詞 においてである。 Lear. Hearme,recreant! Onthineallegianc
e,hearmetThatthouhastsough ttomakeusbreakourvow, W Ilichwedurstneveryet,andwitIIStrain'd pride Tocomebetwixtoursentenceandourpower
,
Whichnorournaturenorourplacecanbear
,
Ourpotencymadegood,takethyreward. (ActI,Sc.1)
小田島 : わ しの性格か らも地位か らも忍びがた い行為だ。
大山 : 予 の性格か ら, また予 の地位か らして到底耐 え得 ざる処 であ るに も抱 わ ら ず=-・
くournaturenorourplace)の部分について, 福 田訳は (個人 としても国王 としても), 小津訳 は くその情において も, 地位か らして も), 木下訳 は く人 として も国王 として も〉 と な ってい る。 ここで も又問題 となるのほ訳 の適否 ではな く, (性格),く個人),〈情),く人)と
126 研究紀要 (第 4号) 訳 された原語 がnatureの一語だ とい う事実である。 翻訳に よる読者には この ことは見えな い。 しか し原典において見れば, この意味 のnatureの使用 も否足 しがたい重要性の うちに 浮 かび上が る。 なぜ な ら, 『リア王』の悲劇 は, 自らが コーデ リアの うちに認めた くとるに 足 らぬ庇)のゆえに コ-デ リアに対 す る親 の愛情 (nature)を放棄 し, さらに 諌言に及んだ ケ ン ト伯を追放す る とい う愚行 に至 った リア王 自身 の気質 (nature)そのものの うちに原因 を求め る ことがで きるか らである。 気質,性質 の意味 に用 い られ ているnatureか らもう一 例,
Lear.No,Regan,thoushaltneverhavemycurse: Thy
t
e
n
der-h
e
ft
e
dn
a
tureshallnotgiveTheeo'ertoharshnesslhereyesare丘erce,butthine Docomfortandnotburn…………‥.
..…...‥...thoubetterknow'st
TheojFcesof nature,bond of childhood
,
Effectsofcourtesy,duesofgratitude・, (ActJI,Sc.4)
福 田 : 旦 旦塵 と い気立 てのお前が酷 い仕打 に出る筈がないo お前は十分心得 ている,子た る者 の務めと血 の繁 り-・・・ ゴネ リルの心 ない仕打 に狂乱 して リーガ ンの も とに赴 いた リア王 は, リーガ ンに, くその 優 しい気立 (tender-heftednature))か らして,子が親に対 して持つべ きく愛情の本分 (the o氏cesofnature)) を よく心得 て いる筈 だ と語 りかけ る. しか しゴネ 1)ル, 1)-ガ ン二人 の 性格 の持つ意味 を予感 していたのは, ゴネ リルの夫, オルバ ニー公爵 である。 Alb. O Goneril!
Youarenotworththedustwhichtherudewind Blowsinyourface.IfearyourdispositionI Thatnature,whichcontemnsitorigin
,
Cannotbeborder'd certa2'ninitself,・ (Act
Ⅳ
,Sc.2) 斎藤 : 心配 にな るのはその気性 だ。生 みの親 を もないが しろにす るその遡 型 i, 己れ の分 を守 ってい よ うとは考 え られない。 木下 : その気性がおれには恐 ろ しい。 自分 の命の源 をないが しろにす る 堕 全 で は,踏 むべ き道 を守 り通 せ る とは思 えん。 自らの愚か しい性格に よって コ-デ 1)アに加 えた冷血 な行為 が, ゴネ リル, リーガ ンの二中田 :『リア王』におけるNatureの構図 127 人 の娘 によって投げ返 され,やがて リア王 は狂気- と落 ちてゆ く。原因は一体 どこにあるの かO彼等には本来的 に 〈肉親間の愛情)が賦与 されていた筈 であるO悲劇は人間の盗意 に起 因す る。『リア王』において幾度 とな く,気質, 気性, 性質 とい った意味 に用 い られている natureは,人間の気質 自体 が この悲劇のひ とつの重要 な agentであることを示 している と 考える ことができよ う。 〔Ⅴ〕 第三のnatureは,く肉体(的構造)),く生命力〉,く人間の うちにあ って人間を動か している 力〉 とい った意味に使用 されているものである。 この種 のnatureは翻訳 においてほ極 めて わか りに くい。例えば荒野におけ る激 しい嵐 と自らの狂気に苛 まれて,疲労の極 に眠 る リア 王を見てケ ン トは次の よ うに言 う。 Kent. OppresSed naturesleeps. Thisrestmightyethavebalm'dthybrokensinews W hich,ifconveniencewillnotallow
,
Standinhardcure. (ActⅢ,Sc.6)
福 田 : 疲れに打ちひ しがれて よく眠 っておいでだ。 坪内 : 疲れ果てた時には眠 られ る。
三神 : 弱 りほてる と眠れ るものだ。
翻訳には原文にnatureの一語 が含まれていることを想像 させるものは何 もない。 ここに おけるOppressednatureは,く疲れほてた肉体〉, あるいは 〈打ちひ しがれた生命力) とい っ た意味 に解釈 される。 も うひ とつ リア王が コー ンウォール公爵 とリーガ ンに面会 を求め,気 分がす ぐれないか ら会 えない との返事をグ ロス ターか ら受け とる場面 においては次 の よ うな 例がある。
Lear.Infirmitydothstillneglectallo氏ce
W heretoourhealthisbound;wearenotourselves WhenNature,being oppress'd,Commandsikemind Tosujferwithikebody.(Act
Ⅱ
,Sc.4)小田島 : 人間 も自然には勝てぬ。病 に苦 しむ ときには,精神 も肉体 とともに苦 し み, 日ごろの自分を見失 って しま う。
小津 : 旦昼 にさわ りがある時 には,心 まで も肉体 と共 に病む。 そ うなれば,人間は自分 を見失 って しま う。
128 研究紀要 (第4号)
この部分ArdenShakespeareでは大文字の Natureが,D.W ilson編のNew Shakespeare (CambridgeUniv.)では natureとな っている。小 田島訳が く人間 も自然 には--・) として いるのほ,恐 らく大文字 のNatureの意 を汲 も うとした もの と推測 される。 いずれにせ よこ の部分 のNatureは,前例同様 oppress'dとい う語 に よって修飾 されていて,く病んだ肉体), く打 ち技 がれた活 力),く萎 えた生命 力) とい った意味 に解釈 され る。 以上二例 のみな らず,『リア王』には この意味 におけ るnatureもかな りな頻度 で使用 され て いる。そ して この意味 のnatureが〔Ⅲ〕, 〔Ⅳ〕でみた nature同様に,『リア王』の悲劇に おいてかな り重要 な意味 を持 っている ことが明 らか になるのは次 の よ うな台詞 においてであ る。
Reg.0,Sir!youareold;
Natureinyoustandsonthevery verge Of herconjinelyouShouldberul'dandled Bysomediscretionthatdi∝℃rnsyourstate Betterthanyouyourself.(Act
I
I
,Sc.4) 福 田 : 自然 の理 は超 え られ ませぬ,里を革 もおのず と限 りが ございまし ょうO 木下 : 遡 憂金 も本当にぎ りぎ りの ところまで来ていますの よO リーガ ンの言葉は,前例 のNatureか ら僅か数十行後, リア王 自身の 口か ら出た くNature, beingoppress'd...) とい う一般的哲学 に呼吸す るかの如 くに, l)ア王 自身 に向 って 投 げ 返 され る。そ して幾人かの批評家 が主張す る,『リア王』の悲劇 において シ ェイ クス ピアが 目 指 したのは,く老 いた る人 間の愚か さ〉 その ものであるとの説 に照 らせば, この場 に おけ る natureも又悲劇 『リア王』の格 Lにつながる重要性を持 っている ことが理解 され るO『1)ア 王』 においては,く老人 の愚か しさ)が, さらには,指 の 先 ま で 王 で あ る (everyinch,a King)リア王を含む人間の誰れ もが例外 な く衰頬の道を歩 まなければな らない とい う一般的 哲理 に照 して,く死すべ き存在 としての人間の運命〉が,人 間がその一部 である自然(Nature) との対比において,極 めて鋭 い洞察力に よって描 き出 されている。悲劇 は人間存在そ のもの の うちに在 るのだ。 ここで も又, 〔Ⅲ〕, 〔Ⅳ〕で扱 った,〈親 と子 の間の愛情),く人間の気質〉 の意 に使用 されたnatureと同様,次章 のテーマである Natureが深 く人間界に入 り込んでい るのが確認 され る。 〔Ⅵ〕 さて次はい よい よ,く自然〉の意味 のNatureに入 らな くてほな らない。『リア王』におい てNatureが深 く人間界に参入 しているのは,Ⅲ,
Ⅳ,Ⅴ章 において見た如 くである。ルネ中田 :『リア王』におけるNatureの構図 129
サ ンスが中世 か ら引継 いだ世界観 に従 えば,人間はなに よ りもまずNatureに よって創 り出 された もの として この世 に存在 している。
Lear. thereforebeseechyou t'avertyourliking amoreworthierway Thanonaw elchwhom Natureisasham'd Almostt'acknowledgehers.(ActI,Sc.1)
福 田 : 旦 塁 も恥 じて顔 を背 けかねぬ不心得者 を棄 て, いささかで もま しな女 をお 探 し頂 きたい。
Lear.Thenletthem anatomizeRegan,seewhatbreeds aboutherheart・Zsthereany causein些 竺 that makethesehard hearts? (Act
Ⅲ
,Sc.6) 小 田島 : この よ うな冷酷 な心臓 を作 りなす原田が, 自然 のままのか らだ の中にあ るのではないか。 上 の二例 につ いて,前例 は コ-デ リアの態度 に激怒 した リア王が フ ランス王 に 対 す る 場 面,後例 は狂気 の リア王が道化等 を相手 に模擬裁判 に戯れ る場面か らの引用 であ る。前例 の くNatureisashamed...〉 につ いて,〈実 の親 がわが子 と認め る の を 恥 じ る-・・・〉 (小 田 良),くわが子 とい うも恥か しい--) (斎藤) とい った訳語 をあてている例 もあ る が, この 場面 では 〈自然)とい った訳が 『リア王』のス ケールに合致 している よ うに思われ る。 後例 につ いて小 田島訳 が(自然 のままのか らだの中に--)としているのは,natureの中にNature の意味 を も くも うとした もの として苦慮 のあ とが うかがわれ る。いずれにせ よ二例 ともに く 人 間は 自然 を母胎 として生 み出 され る) とい う世 界観 を よく伝 えている。 しか しこの共通性 の上 に立 って,二例の間 には重要 な違 いが認め られ る。それ は前例 にお いて〈自然)が 〈こんな出来そ こないを認め るはず のない善 なるもの〉 として考 え られている のに対 し, 後例 においては疑問形 ではあるが, くその内に悪 を旺胎す るもの〉 として とらえ られ ている点 である。 ここには,J
.
F.
Danbyの指摘する中世神学か ら Bacon,Hookerと い う流れの中に認め られ る く善 なる自然(BenignantNature) と, Hobbesの思想に属する(5)
と考 え られ る悪 なる自然 (MalignantNature)〉 との対比が見 られ る.く悪 なる 自 然〉 ほす でに有名 な引用 ではあるが,た とえば- ドマ ン ドの次 の よ うな台詞 に象徴的 な姿 を とって表 わ されている。
130 研究紀要 (第 4号)
My servicesarebound.WhereforeshouldI Stand inikeplagueof custom,and permit
Thecuriosity of nationsiodepriveme,(ActI,Sc.2)
小 田島 ‥ 大 自然 よ,おまえ こそおれの女神,おまえの綻 こそおれの服 す る 義 務 だ。なぜおれは,忌 まわ しい習慣 に縛 られ, 口さがない世間の思惑に相続 権を奪れて,黙 っていなければな らんのだ ? か くして 『リア王』の悲劇はDanbyの言 う善 ・悪二つの Natureの相勉を機軸 として展開 す るとも考え られ る。そ して この二つのNatureの相矧 も 来 るべ き悲劇を予感 させ るグロ ス ターの次の よ うな台詞へ と道 を通 じている。
Glou.Theselateeclipsesinthesunandmoonportendno goodtous:thoughthewisdom of些 些竺 Canreason itthusand thus,yetNaturejindsitself scourg'd by thesequentejfects.Lovecools,friendshipfallso任, brothersdivide:incities,mutinies;incountries, discord;inpalac
e
s,treason;andthebondcrack'd `twixtsonandfather.(ActI,Sc.2) 福 田 : -自選 や理法に よ りか くか くしか じか と説明 されては見ても,その旦 堕が も ともと神罰を受けているのだか ら仕方 がない。 小田島 ‥ 旦墜選 を知 る学者 は, これ これ しか じか と理屈をつけるが,△畢
型 また しかにその結果たた りを受けておる。 引用には二つの Natureが使用 されている。前 の Natureについては各 々く自然 の理法), く自然界〉 と一致 しているが,後のNatureについては福 田訳 くその自然),小 田島訳 〈人間 界〉 と違いを見せている。 この点に関 しては他 の翻訳の解釈 も二分 されている。 ここは恐 ら く, く学者達 は最近 の 日食 ・月食についてあれ これ と説明 しているが, 自然そのものが神罰 を受けているのだ。か くして自然界 と照応す る人間界においても,愛情は冷え--) とい っ た解釈を下すべ きであろ う。 この場 におけるNatureの翻訳は大変むづか しい。なぜな らそ れは,く自然界の秩序の擾乱 と人間界の秩序の破壊 とは照応 してお り,それは人 間 界, 自然 罪, さらに天界が見えざる鎖 に よって結ばれているためだ〉 とい うエ リザベス朝時代の一つ の 自然観,宇宙感が このNature一語 の うちに包含 されているか らである。 そ して,人間界の擾乱に照応 して, 自然 (Nature)はついにその姿を現わす。二人の娘の 冷血な処遇に,原形の荒野 にさまよい出た リア王 は嵐の中に晦嘩す る。中田 :『リア王』におけるNatureの構図 Leaf.Blow,winds,andcrackyourcheeks!rage!blow!
Youcataractsandhurricano
e
s,spoutTillyouhavedrench'doursteeples,drown'dtIle
C
∝ks! Yousulph'rousandthought-excuting丘res,Vaunt・couriersofoak-cleavingthunderbol
t
s,
Singemywhitehead!And thou,all-shaking thunder
,
Strikejlatthethickrotundityo'th'world!CrackNature'smoulds,allgermensspillatonce
131 Thaimakesingratefulman!(ActIII,Sc.2) 福田 : おれ 天地 も揺 るがす激 しい雷鳴, この丸 い大地 の球を叩 き潰 し,板 の よ うに平た くして しまって くれ,生命 の根源た る自然 の鋳型を穀ち,恩知 らず の人間共を造出す種 を一粒残 らず打砕 いて しまふのだJ 周知 の如 く『リア王』は,その悲劇的スケールにおいてシェイクス ピアの作品中最大 のもの とされている。S.Johnsonは 『リア王』を ラス ト・シー ソのあま りの悲惨 さゆえに再読に耐 え得ぬ もの といい,C.Lambは悲劇に向 うリア王の精神的バ イタ リテ ィー の大 きさゆ え に 『リア王』上浜不可能論 をす ら展開 している。確かに 『リア王』の壮大 な悲劇性は, リア王 の性格の偉大性 に よっている。 しか しただそれだけではない。 いかなる個人 もそれ 自身にお いて偉大である ことはできない。一個人を と りま く世界,一個人 の対峠す る世界がその個人 の偉大性を保証す るのだ。旗小なる世界に対す るものは短小なる人間である, との逆 の意味 において偉大なる人間は偉大なる世界に対峠 しなければな らない。では リア王 の巨大なエネ ルギーが向 う対象 とな った世界はなんであ ったか。それは勿論直接的 には ゴネ リル, リーガ ン, - ドマ ン ド等 リア王 に敵対す る勢力であろ うo LかLconflictを人事の世界に限れば, 『リア王』の悲劇は遥かにスケールの小 さな ものにな っていた ことは否定すべ くもない。 リ ア王 の偉大 さは, したが って又『リア王』の比類 なきスケールの大 きさは, い っさいの虚飾 を 捨てた リア王が,憤怒 と絶望 と狂乱の淵に立 って対峠す るく壮絶なる自然〉,く壮大なる宇宙〉 であるNatureに よって保証 されているのである。一個の micro00sm としての リア王の背後 には壮大なmacro00 としてのNatureがある。 Natureは,作品全体 で使用 されている40 回ほ どのnature(Nahre)の約 1/4を占めていて, これが 『リア王』 とい う作品の外枠 を
決定 しているとい っても過言ではない。 様 々な相勉を含む人間界の一切は, それ らを 包 む Nature との係わ りに よって意味 を与え られていて, それが 『リア王』 とい う悲劇 を, 演劇 的に も,文学的 に も,思想的にもスケールの大 きい崇高な作品 としているのである。
132 研究紀要 (第 4号) 〔Ⅶ〕 『リア王』において多用 されたNature(nature)は, いわば作品 とい う円内の様 々な地点 か らその中心 に向けて照射 された光の ように一つの問題を浮かび上が らせる。それ こそ, こ の時期 シェイクス ピアの心を領 しつつあ った 〈自然 (宇宙)における人間存在 とは何か〉 と い う問題ではなか ったか。 シェイクス ピアの絶頂期 といわれ るこの時期,時代は大 き くその 流れを変えつつ あ ったO一国の歴 史 ・文化はある時期を転回点 として,上昇曲線か ら下降曲 線- と急速に変化す るプロセスをた どることがある
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年,青天の露産の如 く起 ったェセ ックス伯の没落,1
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年,エ リザベス女王の死 とそれに伴 うジ ェームス Ⅰ世の即位,スチ ュ ワ- ト王朝の始 ま り, イギ リス社会に とって17世紀の とば りはおおいがたい憂苦の うちに明 けた。来 るべ き不安 な時代への予感か ら人 々の間には苦 く,暗 い悲劇性,訊刺性を求める傾 向が原著にな ってゆ く。 こ うした時代にあ って 〈まさに劇場 とい う開かれた 「場」の只中で (6) 書 きつづけ られた シェイクス ピアの作品は,それ 自体が 「開かれた場」 とな って〉時代の風 潮 に声を与え ることになる。 17世紀始めの こ うした大衆の感情は,スチ ュワ- ト期のシェイクス ピア喜劇 においてす ら 顕著 な痕跡を見せている.第1章 で もふ れ た 如 く, Troilusand Cressida,All'sWell ThatEndsWell,MeasureforMeasureとい った作品は喜劇ではあるが,結末を除けば悲 劇 と同じ暗哲 さと深刻 さを示 している。Natureの使用回数が24回に及ぶ Timonof Athens に至 っては, タイモ ソの人間呪誼は人間性全体を対象 とす るほ どに極端 なものであ って,そ のためにシェイクス ピアは作品の統一性 とい う芸術的完成を犠牲に していると言 っていいほ どである。 こ うした喜劇を中心 とす る作品が陰懲 な時代の陰画だ とすれば,四大悲劇は時代 をそのまま反映す る陽画, -ム レッ トの言葉を借 りるな らば く自然 に対 してかかげ られた鏡 (themirroruptonature)〉 だ とい って よいbそ してその悲劇の頂点に 『リア王』が位す る。頂点 とい うのは勿論作品の優劣においてではな く次の よ うな意味 においてである。(inKing Leaf)Thechaosismorewidespread,lesslo瓜1,thaninHamlet
,
.
.
.
…
Lear'skingdom isonlyirrelevantlyBritain;itisanykingdom,orallkingdoms,
asLeaf,granted壬liscircumstances,isanyking,orallkings.And the chaos ismoreuniversal thanin Othello
".
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..It(-Shakespeare'stechnique in King Lear)isatechniquethatwouldhavebeenimpossiblewithoutthepictureof man'snature and the conflict itincluded thatwastaken for granted in Shakespeare'sintellectualand emotionalbackground. Shakespeare'smastery ofhiscraft,attheserviceof hisown deepvision,enabled him tousethat picturetocreate ahuge portrayalof devastation that,more excruciatingly thananyother,moves usto pity and terror for theprotagonistsandfor中田 :『リア王』におけるNatureの構図 133 (7) ourselves. か くして 『リア王』は時代の問題を, (自然 ・宇宙 (Nature)におけ る人間 (nature)の 存在 とその苦悩の問題) を普遍化 し深化 して,他 のいか な る悲劇 に もまして強烈 に我 々を ア リス トテ レスの言 う恐怖 と憐潤 の情を通 して カタル シス的感動へ とい ざな う作 品 とな りえて い る。 この場合 シェイ クス ピアがただ一方的 に受身 の立場 で,観客の噂好 に支配 され,時代 の風 潮に迎合 した とす るのはあた らない。 なぜ な ら文化 も伝統 も, さ らには 「時代」 とい う もの さえ,われわれ の外 に対象化 し うるもの として存在 す る実体 ではな く,われわれがそ の 中で生 きてゆ く 「場所」にはか な らないか らで あ るO シ ェイクス ピアは時代 と共 に生 き時 代 の中で成熟 したので ある。 座付作者 であ った ことは,少 な くともシ ェイ クス ピアの場合, け っして単 な る観客迎 合 を意味 しなか った。 シ ェイ クス ピアが天才 であ った とすれば, こ うして,悪 くすれ ばただ マイナスの拘束 力 として働 きかねない情況の中にあ って, これを巨大 な プ ラス に転化 し,みずか らを時代 と社会 の, さ らには普遍的 な人間 の魂の奥底の声 の歌 口と (8) 化 した点 にあ った。 最後 に 『リア王』におけ るnatureにつ いて, シ ェイ クス ピアが計算 されつ くした意 図 の もとに この語 を使用 した と結論す る必要 は全 くない。 これ についてはすでに述べた如 く,結 果的 に もせ よ, シ ェイ クス ピアがその心 を領 していた問題 を劇化す るに さい して,極 めて頻 繁 にnatureとい う語 を使用 してい るとい う事実 を指摘すればた りる。 このnatureの問題 は イギ リス ・ルネサ ンス とい う広 いcontextの中 にお くとき, さ らに複雑 な もの と な る の だ (9) が,それ に立入 ることは本稿 の範囲を超 える.やがて シ ェイ クス ピア に お け る,人間 一自 然 一超 自然 は最後の ロマ ンス劇 へ と結実 してゆ く。 Notes:
(1) Jolm F.m nby,Shakespeare'sDoctorineof Nature(Faber,1982),p.15. (2) J.Bartlett,ConcordanceioShakespeare(Macmillan,1979),pp.1065-1068.
(3) 表の年代区分は,小田島雄志『シェークスピアの人間像』(NHK,1982),pp.14-19に従った。
(4) 福田恒存 「唯一の語の為」『文学界』(昭和43年1月号),pp.ll-12. (5) ∫.F.Danby:op.°it.,pp,15-53.
(6) 安西徹雄 『シェイクスピア劇四〇〇年』(NHKブックス,1985),p.39.
(7) TheodreSpencer,Shakespeareand theNatureof M an(CollierBooks,1966),ppl141-142. (8) 安西徹雄,前掲書,p.40.
(9) たとえば,ルネサンス研究所編 『「リア王」における 「自然」』- ルネサンス双書2(荒竹出版,
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(a) TextはTheArdenShakespeare-KingLeaf,ed.KennethMuir(Methuen,1978)を使用. (b) 翻訳は,①坪内遣遥 (中央公論社,昭和 9年) ②斎藤勇 (岩波書店,昭和57年) ③三神勲
(河出書房,昭和44年) ④福田恒存 (新潮社,昭和41年) ⑤小津次郎 (筑摩書房,昭和52年) ⑥大山俊一 (旺文社,昭和56年) ⑦木下順二 (講談社,昭和56年) ⑧小田島雄志 (白水社, 昭和52年)を使用。