小学校における換喩指導の試み
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(2) 北海道教育大学紀要(教育科学編)第59巻 第1号 JournalofHokkaidoUniversityofEducation(Education)Vol.59,No.1. 平成20年8月 August,2008. 小学校における換喩指導の試み. 三上 勝夫・田代 和恵*. 北海道教育大学札幌枚教育方法学研究室 *滝川市立西小学枚. TrialMetonymicTeachinginElementarySchooIs MIKAMIKatsuoandTASHIROKazue* DepartmentofEducation,SapporoCampus,HokkaidoUniversityofEducation. *TakikawaNishiElementarySchool. はじめに. わたしたちは,かつて,小学校において直喩・隠喩の指導を行い,その結果を本紀要に発表している1)。 今回,比喩表現において直喩・隠喩の対として語られる換喩の指導を試み,ある程度の成果を得たので,こ こに報告する。. 1.換喩理論の諸相 直喩・隠喩が類似性にもとづく比喩であるのに対して,換喩は関連性にもとづく比喩であるとされる。その 関連性であるが,言い換えれば,あるものによって,それとかかわりのある別なものを示す用法である。ここで, あるもの=たとえるものを喩辞,ある別なもの=たとえられるものを主辞とよぶことにする。ところで,この「か かわり」方が多種多様であり,この多様さになんらかの分類を試みることが換喩論の第一課題であるといえる。 谷口一美は,レイコフ,ジョンソンらの碇案する換喩のパターンに,山梨正明のパターンを追加して,換. 喩の分類を以下のように示す(〔1〕から〔8〕までがレイコフら,〔9〕から〔11〕までが山梨)2)。 〔1〕製作者で製品を指す (1)彼はフォード(社の車)を買った。 〔2〕物品でその使用者を指す (2)サックス(の奏者)は今日は風邪をひいている。. 〔3〕コントロールする者でコントロールされるものを指す (3)ニクソン(政府)はハノイを爆撃した。 「4〕機関でその責任者を指す (4)エクソン(祉の上役)はまた値上げした。. 179.
(3) 三上 勝夫・田代 和恵. 〔5〕場所でそこにある機関を指す (5)ホワイトハウス(=アメリカ政府)は何も言っていない。 〔6〕場所でそこで起こった出来事を指す. (6)タイを新たなべトナム(=ベトナム戦争,その戦場)にしてはいけない。 〔7〕部分で全体を指す (7)長髪(の人)は雇わない。 〔8〕容器と内容 (8)一升瓶を飲み干す。 〔9〕主と従の共存性 (9)詰め襟(=学生) 〔10〕主体と手段 (10)白バイ 〔11〕原因と結果. (11)赤面する(原因:恥ずかしい). しかしながらこれらには,相互に対応するものや連続性の認められるものがあるという。例えば「〔9〕 主と従の共存性」や「〔10〕主体と手段」は「〔2〕物品でその使用者を指す」と対応している,としている。. また,〔5〕や〔6〕のように場所で別のことがらを指す場合,その場所を容器,その場所に関係すること がらを内容物とみなすこともできる,という。 さらに,「〔7〕部分・全体関係」は「部分・全体」と「類・種」の2パターンがあるとしている。これは 一般に,碇喩と言われるものである。谷口の見解によると,換喩との連続性の中で扱うのが妥当であり,換 喩の下位類としている。われわれも一応これに従う。 このように見ていくと,換喩の分類のしかたについては十分,的確な原理は提案されていないといえる。 〔5〕,〔6〕はそれぞれ場所でその他の関係する別のものごとを指している。とすれば,「瀬戸物」のよう に「場所でその産物を指す」とか,「東京から連絡があった。」のように「場所でそこにすむ住人」など他に. 多くのパターンも考えられそうである。さらに,医師「赤ひげ」はどうであろうか。「ひげ」という人間の 一部でも. って,彼自身を表すのだから,「〔7〕部分で全体」となるだろうか。同じく有名人の「赤ずきんちゃ. ん」は。いつも赤いずきんをかぶっているであろうし,「〔7〕部分で全体」でいいだろうか。むしろ,ひげ とちがってずきんはとることができるから「〔9〕主と従の共存性」か。などと考えていくと,きりがなく, より一貫した分類法が求められているといえる。 また,本当に比喩なのか,という疑問が残るものもある。〔3〕の例文である。. 「3)ニクソン(政府)はハノイを爆撃した。. さて,これは比喩なのだろうか。実際にニクソンが爆撃することを決定したのであろう。とすれば「ニク ソンが爆撃した」とも言えなくもないだろう。同じようなことが〔11〕にも当てはまる。. (11)赤面する。(原因:恥ずかしい). 赤面するということは本当に顔を赤くしているのであろう。とすれば,喩えている,と言えるのか,とい. 180.
(4) 小学校における換喩指導の試み. うのは微妙なところである。. 以上の換喩のパターンの分類からもうかがえるように,喩辞になるものと主辞になるものとの関係は,一 方向的であると考えられている。これは換喩における非対称性の問題として認識されていることがらであり, 第二の課題といえるだろう。. このことについては,佐藤信夫の異論がある。佐藤は,デュマルセの「比喩論」で説明される換喩の分類. をあげながら,その分類に疑問を投げかける3)。佐藤が疑問とする理由の一つが逆の形式の換喩である。彼 は,デュマルセの分類「1≪原因≫によって,結果を表現する」と「2≪結果≫によって,原因を表現する」 で逆の換喩があるのなら,ほかの項目についても逆の形式を考慮に入れるべきではないか,というのである。. となれば分類はますます多様となり,また煩雑となる。この道の形式については,谷口は「メトニミーの非 対称性」をとり上げ説明している。 谷口は以下のような例をあげる。. (12)?日本酒(→一升瓶)は回収してリサイクルにすることになっている。. 「〔8〕容器で内容物を指す」の逆パターンである。確かに一升瓶で日本酒を表すことはあっても,日本 酒で一升瓶を表すことがあるという気はしない。本来ならば,AはBに近いのであれば,BはAに近い。た がいに互い入れ替え可能なはずである。しかし,そうすると,換喩が成立しない場合があるではないか,と いうわけだ。谷口はそれを「非対称性」といい,この説明にランガッカーの「参照点構造」をあげる4)。そ の参照点構造とは,「概念者(C)が,あるターゲット(T)に注意を向けたいが,直接そのターゲットに アクセスするのが困難な場合,より注意を向けやすい参照点(R)にまずアクセスをし,参照点を経由して ターゲットに注意を向ける」というものである。 ターゲットよりも参照点のほうが概念者にとってわかりやすいもの,目立つものが選ばれるであろう。そ の選ばれやすさを「認知的際立ち」と言い,そしてその際立ちの高いものの選ばれ方には認知的際立ちに関. する原則があり,それに従っているとする。以下にあげておく5)。. a 人間がそれ以外のものよりも際立つ b 全体が部分より際立つ C 具体的なものが抽象的なものより際立つ d 日に見えるものが見えないものより際立つ. 先の「日本酒→一升瓶」と表さないのは,「目に見えるものが見えないものより際立つ」という原則があ るからである。確かに中身より容器(一升瓶)のほうが目に見えるし目立つとも考えられなくもない。. この論理は,換喩の近接性のパターンの方向性に関する説明には一定の説得力があるように思われる。た とえば「〔1〕製作者で製品を指す」の場合,「夏目淑石を読む。」とは言っても,夏目淑石本人を見て(も ういないのではあるが)「坊ちゃんだ。」とか「明暗が来た。」とは言わないのは,「a 人間がそれ以外のも. のよりも際立つ」に則っているからだ,と考えられる。ただし,として谷口は,何が「重要」となり得るの かは,換喩が発せられる談話状況によって異なる,と言う。それも同感である。次の例文を見てみよう。. (13)カレー,消しておいて!. 181.
(5) 三上 勝夫・田代 和恵. 「カレー」が指しているのは,実際には「カレーの鍋をかけてある火」のことである。(この例はカレー でカレーの入っている容器である鍋をさし,また位置的に近接している火をも指すという二重の比喩となっ ている。)「〔8〕容器で内容物を指す」の逆パターンであり,「目に見えるものが見えないものより際立つ」 という原則がくつがえされているのは,「発話者にとって,まさに内容物である「カレー」がもっとも「重要」. なものであり,発話者において注意の焦点がそこに向けられているからである。」という。先の,参照点構 造に当てはめれば,. ① 参照点(R)は「カレー」 ② ターゲット(T)は「(カレー)の鍋をかけてある火」. となろう。. 確かにレストランなどで,カレー,シチュー,スープなどといろいろな鍋が火にかけられていて,その中 のカレーの鍋の火を消して欲しいのだ,という状況にあれば,発話者の注意はカレーにあると言えそうだ。 しかし,いまひとつ腑に落ちないのは,たとえ鍋がカレーーつしかなくても,聞き手は理解するのではない か,ということだ。つまり「カレーの鍋のかけている火を消してと言っているのだな。」と理解するのでは ないだろうか。 これまで,換喩についての検討課題について吟味してきた。次にこの前碇をもとにして,実際に聞き手(読. み手)はどのように解釈するのかについて検討することにする。. 2.換喩角牢釈のしくみ. 瀬戸賢一は,「電話が鳴った。」という例文をあげて,換喩の経済性を指摘する6)。本来「鳴った」のは電 話のベルの一部(それをⅩとよんでおく)というなんとも答えづらいものを指しているのであり,それを「電 話のベルが鳴った」というのは無駄であり,「電話のベルのⅩが鳴った」といえばほとんど異常であり,ほ どほどのところで間にあわせて,より「最適な」あるいはそれに近いことばを選択している,というのであ る。. 確かに,先の「カレー,消しておいて!」で言えば,「カレーの入っている鍋がかかっているコンロの(ガ スの?)火を消しておいて!」などというのは,くどいを通り越している。では,どう言うのか。というと ころで,先の「参照点構造」を思い出してみよう。. ① 参照点(R)は「カレー」 ② ターゲット(T)は「(カレー)の鍋をかけてある火」 ③ 「カレー,消しておいて!」. さて,聞き手はどのように理解するのだろうか。当然「カレーの鍋をかけている火を消してと言っている のだな。」と判断するであろう。つまり,ターゲット(T)の部分を補って理解している,と考えるのである。 佐藤は,「換喩は表現の経済原理にもとづく比喩である,と説明する理論がある」として「そう言われて みればいかにも,すべての換喩表現は,くどい完全な表現法をはしょった言い方である,と思い当たる」と. する6)。例をあげて見てみよう。. 182.
(6) 小学校における換喩指導の試み (14)水筒飲んでいい?. (15)赤ずきんちゃん. (14)は,水筒の中身のお茶(とか水とか)を飲んでいいかをたずねているのである。(15)は,赤いず きんをかぶった女の子のことである。つまり,それぞれ,「水筒」「赤ずきん」という喩辞をもとに,主辞を. いいあて,それをつけたして解釈するのである。 これまで,多種多様な関係性によってさまざまに分類されてきた換喩であるが,その分類はむしろ多種多 様であることが当たり前である,と考えるべきである。換喩は「あるものごとを,それに関係する別のもの ごとで表す表現のしかた」と定義し,その解釈は,表現されたあるものごと(喩辞)を,それに関係する, という範囲で省略された,別のものごと(主辞)を補うことが解釈となるのである。. しかしながら,換喩を省略表現として終わりとすることでよいだろうか。たしかに,換喩においても,喩 辞をもとに主辞をいいあてることが解釈であるといえる。しかし,次のあまりに有名な例はどうだろうか。. (16)狸も赤シャツも,些とも恐ろしくはなかった。. (夏目淑石『坊ちゃん』). この例文で言えば,「赤シャツ」が参照点(R),ターゲット(T)は「赤いシャツを着た男」である。赤 シャツ自体が恐ろしいわけではないから,何かをたとえている。これは赤シャツを着た「人間」であると, すぐにわかるであろう。喩辞「赤シャツ」から主辞「人間」であるとわかる。これで換喩の解釈は終わった。 しかし,その「赤シャツ」に含まれる属性を思い浮かべてはどうだろうか。赤いシャツは〈目立つ〉〈派手〉, ことによっては 〈軽々しい〉 などと思い浮かべて,「男」が目立ちたがり屋の軽薄さを感じさせる人物だ, ととらえるのはいきすぎだろうか。 以前わたしたちが直喩・隠喩の解釈について研究した際,佐藤の提案する比喩の新しい役割「発見的認識の 造形」をあげて,「ものごとをわかりやすく効果的に伝えることが比喩の使われる意義であり,同時に読み手. に発見的認識を碇示する」と考えた7)。換喩についても,この比喩の役割があてはまると考えるのである。 換喩が用いられている文脈において,喩辞から主辞を読みとることにくわえて,主辞をめぐってより深い 解釈にいたるとしたとき,これを換喩の解釈とみるか,文脈の解釈とみるかについては,結論を保留したい∩ ただし,換喩がそうした解釈のきっかけとなっていることは疑いないことである。 以上の議論をふまえて,換喩を指導する授業においては, 1.関連性にもとづく比喩としての換喩が存在すること 2.換喩の代表的なパターンを例示すること 3.換喩についての理解をもとに詩を読みとくこと(より深い文脈的解釈を含めて) を指導内容とすることとした。これを具体化するために,教材の選定,発間の構成,説明内容の確定などの 各作業を行なった後,実際の授業に臨んだ。. 3.比喩指導をとおした詩作晶の読み方の指導過程 先に述べたような換喩の分類や理論をもとに,比喩の指導を通して詩の読み方の授業を試みた。対象は滝 川市立西小学校六年生ニクラスで,教材には,換喩があると思われる俳句と詩を計三編用意した。授業の目 的は,換喩の理解と,その解釈を通した詩作品のより深い読みとりである。最初の一時間は換喩の種類とそ の定義についての学習の時間とし,残りの一時間を換喩の解釈を通して詩を読み深めるという授業を試みた。. 183.
(7) 三上 勝夫・田代 和恵 授業を行なうにあたってワークシート「詩と表現」を作成した。. 〈授業記録と分析〉 一時間目(換喩の例示と定義) 【教材について】. 春雨や ものがたりゆく 蓑と傘 (蕉村). 換喩を例示する教材として,蕪村の句を選んだ。この句は「蓑」「傘」を換喩と読めば,蓑を着ている人 間と傘をさした人間がなにやら会話しながら遠ざかっていぐ情景をおもしろく映している。その上で,江戸 という時代背景をふまえると,身分によって生活する場所も着るものも違っていたと考えられる。とすれば, 蓑なら農民は自分たちで作れるだろうし,雨が降っても両手が使えて農作業に便利である。傘をさすのは町 人か武士か。『日本古典文学大系』の解説によれば「蓑は農夫,傘は町人か女かである。身分も風俗もちが. う二人が,何か親しげに話しながら,春雨の中を歩いている。」とあが)。さらに,蕪村自筆のくばりもの には蓑と傘の二人の人物が描かれている。それによると二人は男であり,傘をさす人物には刀のようなもの も見える。しかし,いくら江戸中期に庶民の文化が広まった時代とはいえ,武士(しかも身分の高い武士) と農夫が親しげに話すという機会があったとはあまり考えられない。したがってこれは町人あるいは身分の 低い武士と考えるのが安当ではないだろうか。 したがって,この作品の授業では,「蓑」「傘」が換喩であるとすれば,何がたとえられているのか。また, 蓑を着ている人や傘をさしている人がどのような人物であるのかを,議論することで,読み深めることが妥 当と思われる。. 【授業記録】. T:ちょっと良く考えてみない?この情景について。お話をしながら行く蓑と傘ってあるけれども,ここで は本当に蓑と傘がお話をしながら,歩いているのですか,どう思いますか。あなたの考えをワークシート. の問いと言う所に書いて欲しいの。○を付けて,そう考えた訳も書いて欲しいの。自分の思った事をどん どん書いて良いですからね。. T:そろそろ,書いたかい?皆,いっぱい書いているね。是非,教えて欲しいな−。それではちょっと聞い てみようか。さあ,どうですか。皆さん,自分の考えを教えて欲しいのですが,どう,考えましたか。何 でも良いです,どこからでも良いです。吉本君どうですか。まずしているか,していないかどっちですか。 C:している。 T:わけは? C:現実ではなく,詩の中の話だから。. T:現実の話ではなく,詩の中のお話だから,している。こうだって,良いね−。他にどうでしょう。同じ 意見でも良いし違う意見でも良いし…じゃあ,山卜君。先ずしているか,していないか。 C:していない。. T:していないだって,吉本君,していないって言っているよ。どうして? C:蓑を着て傘をさしている人が話しながら歩いている。. T:これは蓑を着た人と傘をさした人なんだと…そうだって。どう他に∩ えばちゃん,さっき手をあげてい たでしょう。. 184.
(8) 小学校における換喩指導の試み C:同じ。. T:誰と同じ? C:山下君。. T:山下君と同じ意見なんだ。あとは他に。同じ様な意見でも良いよ。ちょっと言ってみて,じゃあ,高橋 さん。. C:しているの方で,本当はしないけど,俳句には想像のものもあるから。 T:そうか,本当はそうではないけど,想像してこうなんじゃないの,と言う事なんだ。他にいる?そうト たら銅口さん。. C:本当に物語りしている訳ではなく,そういうふうに例えている。 T:それは例えじゃないのと言う事なんだ。あといる,小都君。 C:実際には人はいないけれど,歩いている時に傘と蓑の音が,話をしている音ととらえている。 T:音ね,雨が当たる音とかかな,それがそういう風に話をしているように聞こえたんじゃないの,と言う 事だ。凄いね−。あとはいる?大平君。. C:物語として読むと,そういうイメージが感じられるから。 T:そういう場が感じられるんだ。凄い豊かな想像力だよね。あと,いますか。大体そんな事かな。皆,素 晴らしい力を持っているよね。じゃあ,確かに俳句の世界だから,そういうお話の世界では物が喋ったり. する事ってあるよね。例えば「さるかに合戦」のお話を知っている?あれって物が喋るでしょう。何が喋 る?白とかそうそう,栗も喋るよね,そういう風に喋るでしょう?だからお話の世界では物が喋ると言う 事もあるよね,凄く良いと思う。これがお話をしているんじゃない?と言ってくれた人は,きっとそんな 風にお話の世界はそうだよな一つて,しかもこれを読んで,読み取れる,素晴らしい力だよね。 同時に,でもこれは違うんじゃないの?と言った人もいたでしょう?さっき山下さんが言ってくれたよ うに,これは蓑を着た人,傘をさした人なんじゃないの?人がお話をしているんじゃないの?って言った よね。そういう考えの人もいたでしょう?それもあり得るよね。お話をしながら行く蓑を着た人,傘をさ した人。そうとも読む,両方良いと思った㌣両方が良いと思うのだけれど,そういう風に本当は蓑を着た. 人蓑,傘をさした人なんだけれど傘と言う風に,物で言っているよね。別なつながりがある蓑を着ている んだけれど蓑,傘をさしているんだけれど傘と言う風に,つながりのある言葉で言っている表現の仕方を 例え,例えの中でもつながりの例えって言うふうに名前を付けたい訳です。. 【検 討】. 換喩の解釈過程を的確にたどっていると思われる。ワークシートに善かれたものを見ても「蓑を着た人, 傘をさした人」と足りないものを補うことができている。「本当にものがたりしている訳ではなく,そうい うふうにたとえている。」という答えは適切である。一方で「本当はしないけど俳句には想像のものもある. から」「話をしている音ととらえている」などファンタジー(お話しの世界)ではありうる,と考えるのも まちがいではない。両方ともあり得る。授業では,もう少し両方成り立ちうる読みであることを確認したう えで,たとえととらえてみると,と方向を定めて,話しをすすめていけばよかったかもしれない。. しかし,この展開を通して,換喩の例示はできたといえる。さらに一歩ふみこんで,主辞の読み深めを試 みた。. 【授業記録(つづき)】. T:蓑を着た人と傘をさした人ってどんな人だと思う。どう思う? 蓑を着た人は?. 185.
(9) 三上 勝夫・田代 和恵. C:農民。. T:農民だと思う?これを武士が着ていたと言う人はいるかい? C:…。. T:あるかも知れないけれど,でもこれは何で出来ていると皆は言った? C:わら。. T:そうわらで出来ていると言う事は,農民だったら自分で作れるかも知れないよね。そういう事も考えら れるし,これを着れば両手は使えるし,雨が降った中でも畑仕事とかが出来るかも知れないよね。そう考 えるとやはりこういうのは,農民が着るのかな一つて気もするよね。傘はどうだろうね。 C:町人。. T:これはやはり農家の人もさすかも知れないけれど,どっちかと言うと,町人とか武士と言うのもあるね。 C:武士はちょっと…。. T:農民と武士じゃちょっと違う?そうだね,一緒にお話をしながら歩いていると考えると,農民と武士が そんな仲良く歩くかな?とそういう風に思ったの? C:はい。. T:凄い力だね。実は,これを書いた蕪村と言う人は絵も書く人です。それでちょうどこの俳句の様子を絵 に書いています。これなんだけれど,(絵を見せる)こういう絵,ちょうどこの俳句の通りだよね。蓑を 着た人,傘をさした人がいます。傘をさした人は町人なのかな−,蓑を着た人は農民なのかな一つて,身 分も住んでいる所も違う二人が,春に雨が降っている中を親しげに歩いているね−,つて様子を見て蕪村 と言う人がこういう俳句にしたかも知れないよね。凄く皆,読み取りが深い,素晴らしいね。. 【検 討】. 蕪村自身が描いた絵を見せたことで,子ども達もイメージを持つことができよかった。蓑を着ている人,傘 をさした人から,農民と町人が親しげに歩いている様子を読みとることができたのは,換喩をたんにおもしろ い表現として受けとめることにとどまらず,より深い解釈へと追求することができた展開であったといえる。. 【授業記録(つづき)】. T:そうしたら,そんなふうに今,「つながりの例え」,つながりのある言葉で例えるよと言う事を勉強した. のだけれど,そのつながりの例えと言うのは,他にも種類があります。どんな種類があるかと言う事を教 えておきましょう。先ず今みたいに着ている物で着ている人を例える事を,蓑,本当は蓑を着ている人な んだけれど,着ている蓑って言っちゃう,本当は傘をさしている人なんだけれど傘って言うふうに言っちゃ. う,身に付けている物で身に付けている人の事を表す例え,それをこういうふうな名前にしとこう。「着 ている物着ている人型」。例えば蓑や傘だけではなくて,こんなのもあるよ。皆が良く知っているお話, いつも赤いずきんを被っている女の子,何? C:赤ずきんちゃん。. T:良く知っているね,赤ずきんちゃん,皆は赤ずきんちゃんの本当の名前を知っている?知っている人? C:…。. T:皆,知らないけれど,赤ずきんちゃんと言えば,あれだと思ったでしょう?赤ずきんちゃんは本当はク ララちゃんって言うのよ。 C:本当?. T:ごめん,うそを言っちゃいました。作っちゃった。でも,本当はクララちゃんだとして,クララちゃん. 186.
(10) 小学校における換喩指導の試み. と言う名前があるのに何で赤ずきんちゃんって,言っているの? C:赤いずきんをかぶっているから…。. T:そうだよ,これをたまにかぶるの? C:いつもかぶっている. T:いつもかぶっているんだよね,いつもかぶっていて,目立つんだよね,だから赤ずきんと言えば,いつ も赤ずきんをかぶっているあのクララちゃんね,と言う事が分かるのでしょう。そういう着ているもので 赤ずきん,着ている人クララちゃんを例える,赤ずきんみたいなものの型。 もう一個,こんなの。物を作っている人で,作っている作品を表すやつ。皆,夏目淑石って知っている?. 昔の小説を書いた人だよね。そうしたらこういうのを,こういうふうに言わない?「先生は今ね,夏目淑 石を読んでいるんだよ」。「ぼっちゃん」つて夏目淑石が書いた有名な小説だよね。ぼっちゃんって言う本 の作品を読んでいるのに,夏目淑石を読んでいるんだよって言わない?言ったりするでしょう?夏目淑石 と言うものを読んでいる訳ではないでしょう?夏目淑石さんが書いた作品を読んでいるんだよね。そうい うふうに作者,夏目淑石と言う事で,作った作品の事を表している,「作者作品型」,こう言います。 もう一個,これは先生のクラスで本当にあった事だよ。2年生だから生活科でお出かけに行くでしょう? 水筒を持って行きます。喉が乾くから。そして余ったの,飲み物が。そして給食の時にある子が「先生, 水筒,飲んでも良いですか。」つて言ったの。この子は何を言いたかったの? C:水筒の中身を…。. T:そう,中身を飲みたいんだよね。中身の事を言いたいのだけれど,入れ物で,水筒と言う事で表してい る「入れ物中身型」本当は水筒の中のお茶が飲みたかったんだよね,その子はね。だけどお茶とは言わず に水筒って言って入れ物で言っているの。皆もあるでしょう,水筒飲みたいな−,水筒はないけれど何か ありそう?そういうやつです。. 【検 討】. ここでは,例示した旬の読みを受けて,換喩の一応の意義と,代表的なパターンを示すことができた。定 義は,あることがらを別のつながりのあることがらでたとえることである。代表的なパターンとしては,. ・着ているもので,着ている人を表わす. 着ているもの→着ている人. 型. (例)赤ずきんちゃん∼本当は名前があるのだけれど,名前は呼ばずに赤ずきんと呼んでいますね。. 作者で,作品を表わす なつめそうせき. 作者→作品. 型. なつめそうせき. (例)夏目淑石を読む∼夏目淑石の作品を読むということですね。 ・入れ物で,中身をあらわす. 入れ物→中身. 型. (例)水とう,飲んでもいい?∼水とうの中身のお茶を飲んでいいかたずねているのですね。. として,例示した。 その後,谷川俊太郎の「朝」を教材として,作品中の「ヴィヴァルディは中空に調和の去」想を画き」の「ヴイ. ヴァルデイ」が,作者で作品を表わす「. 作者→作品. 型」の換喩として読みとれることや,そこから「ヴイ. ヴァルデイの曲が部屋の中に幻想的な調和の良い音を響かせている」という解釈をすることができた。これ. までの換喩の定義や代表的なパターンの学習から,実作品中の換喩を見つけ出したり,解釈することができ たと考える。. 187.
(11) 三上 勝夫・田代 和恵 二時間目(換喩解釈の理解と応用) 【教材について】. 村野 四郎 コスモスの向こうを しようへい. 傷兵がとおる. あかい帽子と 白い衣服と. と 手を執るひとと ひ 手を曳かれるひとと. あたたかく きよらかに. 冬へ傾く 秋の中を. (ルビは授業者). 村野四郎の戦中詩の一つである「秋」を取り上げることにした。この詩の読みについてはかつて,『教育. 科学国語教育』誌上の「誌上シンポジウム」で議論されたことがある9)。これら議論や「秋」の解釈につい ての先行研究や実践報告は,菅原誠がまとめていて大変興味深い10)。 この詩中には,「あかい帽子」「白い衣服」という換喩と思われる部分がある。この解釈を通して,より深 い詩の読みを行なおうと考えた。では「あかい帽子」「白い衣服」とは何であるかという点だが,換喩解釈 としては,あかい帽子をかぶった人と白い衣服を着た人と,解釈できる。その,あかい帽子をかぶった人と 白い衣服を着た人がだれであるか,という点が,先で言う議論となった点の一つだ。わたしたちは「あかい 帽子」=「手を執るひと」,「白い衣服」=「手を曳かれるひと」とするのが自然であろうと考えた。その上 で,「秋」の初出が1942年。アジア・太平洋戦争の最中という時代背景考えると,陸軍病院等の施設の周辺 の情景かと思われる。また,当時傷兵は白い衣服を着ていたことや,やはり村野四郎の詩「車中白衣」から も,白い衣服を着た人は傷兵であり「手を曳かれるひと」であると考られる。問題なのは,あかい帽子をか ぶった人であるが,文字通り「あかい帽子」をかぶる可能性がある人物は,女性や子どもではなかだろうか, と考えた。昭和初期の上層社会の女性や子どもは,相当の贅沢・おしゃれをしていたと考えられるし,百貨 店の広告に,子どもが赤いベレー帽をかぶっているポスターがあったりもした。陸軍病院で入院している父 親を見舞いに来た子どもが,父親である傷兵(白い衣服の人)を手を曳きながら歩いていた,とも考えられ る。. 別の解釈も考えられる。陸軍の軍帽に赤い縁取りが入っている。この縁取りの赤が目立つことから「あか い帽子」としたのではないか。とすれば,軍帽をかぶった兵士が白い衣服を着た傷兵を見舞いに来た,とも 考えられよう。または,両方とも傷兵で,「あかい帽子」の傷兵は傷が浅くもう退院も間近であり軍帽をかぶっ. 188.
(12) 小学校における換喩指導の試み. ていた。そして,もう一人の傷の深い白衣の傷兵の手を執って歩いている,とも考えられるのである。菅原 の解釈は,この両方とも傷兵というものである。 さらに,この詩は「あかい帽子」=「手を執るひと」=「あたたかく」,「白い衣服」=「手を曳かれるひ. と」=「きよらかに」という構図も見られる。この部分の解釈をめぐっても,過去に様々な議論がなされて いるのであるが,それはここでは割愛する。傷ついた傷兵を手に執っていっしょに歩く姿は,それが子ども だとしても兵士だとしても,愛情や友情,優しさを感じさせる行為であり,それを「あたたかく」と表現し たと言えよう。問題は,白い衣服の傷兵が「きよらかに」見えるのはなぜか,という点である。村野四郎の 他の詩には戦争賛美とうかがえる詩があるし,この時代にあって時流に乗らないことがいかに難しかったか を考えても,傷兵がお国のために戦い傷ついた尊敬すべき存在であり傷を負いながらも手を曳かれて歩く姿 が,「きよらか」である,と考えるのが妥当なように思う。作家論に深入りしなければ,いま癒されつつあ る白衣の傷兵を文字通り「きよらか」と見たともいえる。さらに言えば,「あたたかく」「きよらかに」とあ. えて書くことで,ここには見えない戦場の悲惨さが間接的にうつされているとも考えられる。 以上を踏まえ,教材としては,時代背景,作品の思想性について,難しさや若干の混迷があるものの,換 喩を読み解くことで作品の解釈をより深め,さらに作品そのものの読みとりにつなげていける,と考えた。. 【授業記録】. T:(略)それで,この詩の中につながりの例えがあると思うのだけれど,どこかな。 C:赤い帽子と白い服。 T:小都くんは? C:同じ。. T:新国さんは? C:同じです。 T:因みに何型かな? C:着ている物着ている人型。. T:赤い帽子と白い服と言う身に付けている物で,何かを例えているのではないかな。本当に赤い帽子と白 い服だけがいる訳ではなくて,それを身に付けている人を例えているのではないかと。先生もそう思いま す。赤い帽子をかぶった人,白い衣服を着た人の事なんだろうなと言う事をちょっと頭に入れて,ここに 手を取る人,手を引かれる人っていうのがあるでしょう。では,手を取る人と言うのは誰で,手を引かれ る人と言うのは誰なのか,ちょっと考えてみよう。詩の中の言葉を使って良いから,分かりますか。ここ に間1と言うのがあるのですけれども,そこの部分です。 (ワークシートに書く). T:ちょっといい。さっき,赤い帽子と白い服と言うのは例えだから,赤い帽子を被っている人,白い服を 着た人,つて考えて良いのだよね。それを元にして,では手をとるのは誰で,手を引かれる人と言うのは 誰なのか,その詩の中の言葉を使って書いてみよう。 聞いてみようかな。手をとる人は誰だと思った。大場さんはどう思った。 C:赤い帽子の人。で,手をひかれる人は白い服の人。. T:赤い帽子の人じゃないの。手を引かれる人と言うのは白い服を着た人。その他に。吉本さんは? C:手をとる人は,赤い帽子をかぶって白い衣服を着た人。 T:赤い帽子を被って白い衣服を着た人じゃないの,と言うまとめた考えなわけだ。他には,小都くんn C:手を取る人は赤い帽子を被った人で,手を引かれる人は傷兵で,白い衣服を着ている。. 189.
(13) 三上 勝夫・田代 和恵. T:傷兵でしかも白い服を着た人じゃないの,と言う考え,どう,他にある。 C:手を取る人は赤い帽子を被った傷兵で,手を引かれる人は白い衣服を着た傷兵。 T:二人とも傷兵だと言う考え,なるほどね。. ちょっと大分話が深い所まできているから,少し考えてみよう。この赤い帽子と白い服と言うのはつな がりの例えで,もう着ている人を表しているんだと言う事はもう皆が分かったから,手を取る人,手を取っ. てあげる人と言うのは,これはどんな人なのかと考えた時,どう,ここに順番がないかい。順番。赤い帽 子の人と白い服の人と,手を取る人と手を引かれる人と,何か順番がないかい,順番がありそうだね。赤 い帽子が最初で,こっちの最初は手を取る人,白い服の人が手を引かれる人,何か順番になっています。. このように順番できているんだなと,考えてみても良くないですか。赤い帽子の人が手を取っているんだ な,白い服の人が手を引かれているんだな,とそうふうに考えてみたら順番通りで良いんじゃない。そう. いうふうに考えてもみれるんじゃないかな−と思いました。 順番通りにしているんだな−と考えたとして,赤い帽子を被って手を取っている人って,どんな人なの か想像出来るかな。白い服を着て手を引かれている人ってどんな人なのかな−,さっき小都君はこれは傷 兵じゃな−いって言ったよね。そういう考えだよね。そこら辺の考えを深めて行きたいのだけれど,どう だろう,どんな人だと思うかな。赤い帽子を被って手を取る人ってどんな人だろうか。/ト都君はどう思う かな。 C:赤い帽子の人はケガとかはしていないと思う。 T:なにか理由ある? C:手をとっているのにけがしていたらおかしい。. T:良いんじゃない。他にどうでしょうか。どんな人だと思いますか。吉本君は。 C:病院の人。. T:病院の人。もうちょっとイメージを膨らませてどんな人をイメージしているのかな,病院の人って言っ ても色々いるじゃない。 C:ん…。. T:じゃあ,なにかそう思った理由ある? C:さっき,病院だっていってたでしょ。病院に行く途中だから,病院のひとが手をとるところだと思う。 T:病院だから,病院の人がいるって思ったんだね。じゃあ,大平君は。 C:赤い帽子の人は子どもで,白い衣服の人はお父さん。 T:大平君のイメージだと赤い帽子の人は子どもだ,白い服を着た人はお父さんで,そのお父さんは傷兵と 考えていいですか。 C:うん。. T:お父さんが傷ついて入院をしていて,子どもが来ていると言う感じですか。なるほどね。それも面白い 考えだね。子どもなら赤い帽子を被る事だってあるかも知れない。他にどうですか。宮崎君。 C:千をとる人はコスモス。 T:手をとるひとはコスモス。もう少しイメージ言って。 C:コスモスの花びらは少し赤っぼい。. T:宮崎君のイメージだと赤い帽子がコスモスでコスモスが手を取っている。手を引かれる人って言うのは。 C:傷兵。 T:と言う事はどういう感じなんだろう。 C:庭にあるコスモスが傷ついた傷兵をなぐさめている。. 190.
(14) 小学校における換喩指導の試み. T:傷兵がコスモスを触っているかなにかしている感じなのかな。そういうイメージもあるんだね。赤い帽 子と言うのはコスモスなんじゃない,と言う事だよね。他にこんなのをイメージしたと言うのはないです か。銅口さん。 C:赤い帽子を被っている人と白い衣服を来ている人も同じ傷兵だけれど,白い衣服を着た人より赤い帽子 を被っている人の方があまりケガをしていないから,手を取って歩いている。. T:二人とも傷兵だと,でもどっちかと言うとこっちの人が手を取っているのだから,ケガはあまりしてい ない。こっちの人は手を引かれているのだから,ケガを凄くしている。そういうイメージ,両方とも傷兵 じゃないのと言う事です。/ト都君,どうぞ。 C:赤い帽子の人が白い衣服の人を世話している。. T:やはり白い衣服の人は手を引かれている位だから,ケガをすごくしているなと,それをお世話している 人,吉本君が言った病院の人じゃないと言うのと似ているね。 (写真を用意). なるほどね,今みんながいっぱい意見を言ってくれて,先生はこんなのを用意してみたんだけれど,今, この赤い帽子の人って言うのはね,病院の人じゃないかなって言ったけれど,それもあり得るよね。だっ. て手を取っているのだから,ケガはあまりしていないでしょうって,そういう世話をしている関係じゃな いって言うのも考えられるよね。1観でやった時にはね,この赤い帽子と言うのは,赤十字ってあるじゃ ない。赤い十字架,病院に良くありますね。看護婦さんだったらもしかしたら,ここに赤十字マークが付 いていて,それが赤だから,赤い帽子って言ったんじゃな−いって言う考えの人もいました。だから吉本 君の考えに近いんじゃないかな。そういうイメージする人もいるだろうし,この人もケガをしているんじゃ ないの。両方ケガをしているんだけれど,こっちの人の方が手を取ってあげているんだから,そんなにケ ガはしていないかな−と,そういうのもあるよね。. そして大平君みたいに,お見舞いに来た子どもじゃないの?と,そういう皆の意見,とても良いと思う の。ここに,その当時の写真,こんなのもあるよ。その当時の子どもとかが被っていた帽子,何色?赤い でしょう。こういう赤いベレー帽とか,ちょっとお酒落な帽子とか,まだ戦争が始まったばかりだから,. そんなに日本も空襲とかある訳じゃないし,こういうのを被っている子どもがいても良いんじゃないかな。 だから,大平君が言ったように,お見舞いにお父さんがケガをしたので,病院に来たと言う事だって考え られる,想像出来るかも知れないね。 それと両方が傷兵じゃない?兵隊じゃない?と言う事なんだけれど,さっき,陸軍病院って言ったよね。. 陸軍の帽子と言うのはこういう帽子なのよ。赤色がない?あるでしょう。こういう風に赤い線が付いてい るから,こういう帽子を被って来ているのを見て,赤い帽子の人って言ったのかも知れない,そういう所 も想像が付く。 さっき言ったように,色々な想像が出来そうだよね,ここから。だから,こういうつながりの例えで,. 赤い帽子,白い衣服って書いてあるけれど,そこから色々イメージすると,あんな人かな−,こういう人 かな−,こういう時はこういう人ではないかな−,つて言う風に,色々イメージを膨らませる辛が出来る よね。それがこの例えの良い所なんじゃないかな。単に赤い帽子を被った看護婦さんと,とかって書くよ. りも,赤い帽子,つて書いたら読む人がああかな−,こうかな−と色々想像ができるでしょう?今,皆が 言ってくれただけでもいくつもの意見が出たので,こんな風にイメージを膨らませるのにたとえってある んだね。. 191.
(15) 三上 勝夫・田代 和恵. 【検 討】. つながりのたとえであることを確認した。それぞれ,たりないものをおぎなうことはすぐにできたと考え る。その後「「手を執る人」,「手を曳かれる人」はだれか。」という問いを出したが,問いの意味がとらえづ. らかったように思う。「詩の中の言葉を使って」として引き出しやすくしたつもりであったが,かえって難 しくしてしまったかもしれない。「あかい帽子」と「白い衣服」,「手を執るひと」と「手を曳かれるひと」。 ここが対比になっており,かつ赤い帽子をかぶって手を執る人が「あたたかく」,白い衣服を着た人が手を 曳かれる人が「きよらかに」見えた,という点を先におさえたうえで,赤い帽子をかぶった人や白い衣服を 着た人がどのような人かを問えばよかった。 しかしその後のやりとりの中では,妥当な読み取りがなされているように思う。「「手を執る人」は赤い帽. 子をかぶった人,「手を曳かれる人」は「傷兵」で白い衣服を着ている」というのは的確である。さらに二 人とも傷兵ではないか,という考え,「赤い帽子を被っている人と白い衣服を来ている人も同じ傷兵だけれど,. 白い衣服を着た人より赤い帽子を被っている人の方があまりケガをしていないから,手を執って歩いてい る。」というのも納得がいく。また,「あかい帽子のひとは子どもで,白い衣服のひとはお父さん。」という のも十分考えられることである。「あかい帽子のひとは病院のひと」というのも考えとしては根拠がある。. 病院で「あか」しかも「手を執るひと」と考えれば,看護婦などを思い浮かべるだろうし,赤といえば看護 婦さんがかぶっている帽子に赤十字がえがかれていないだろうか,と想像するのもありえるだろう(それが 赤い帽子と言いきれるか,という問題もあるが)。「あかい帽子」を「コスモス」というふうにファンタジッ クな話として解釈するのもありえてよいだろう。. 以上から,換喩解釈からよりいっそう深く詩作品を読みとることができた,と考える。つぎに,もう一歩 深めたいと考えた「あたたかく/きよらかに」の部分である。. 【授業記録(つづき)】. T:では,全体を見てみよう。今,赤い帽子と白い服と,手を執る人と手を曳かれる人がいるよ。それがあ たたかく,きよらかに,とあるよね。この二人の手を取る人と手を引かれる人が,あたたかくきよらかに 見えているのって,誰がそんな風に見ているのかな。 C:村野四郎。. T:そうだね,詩を書いた人が病院の所で二人がこうやって歩いている様子が,あたたかくきよらかだな− と思っているのです。どうして,あたたかくきよらかに見えたのだろうね。新国さん。. C:赤い帽子と白い服と言うので,手をつないでいる二人が伸が良くて,そういうのほほんとした,なごむ みたいな感じがした。. T:良いね−,他にどうかな,あたたかく,きよらかに見えたと言うのは,あたたかくと言うのは,二人の 関係が仲が良いのか,悪いのかい。 C:よい。. T:良いよね,きっとね。嫌々千をつないでいる訳じゃないよね。きよらかに見えると言うのはどういう事 だろうね。さっき,ちょっと言ったけれど,戦争はもう始まっているよね。まだひどい戦争にはなってい ないけれど,戦地ではもしかしたら物凄く傷ついている人も多いし,亡くなる兵隊も多いかも知れない。. その中ではこの二人,傷兵の人もいるのだけれど,この二人からは戦地のむごい感じとかは想像つきます か。 C:つかない。. T:あまり感じないよね。戦地ではむごい戦争の状態になっているかも知れないけれど,今,この場面では,. 192.
(16) 小学校における換喩指導の試み. この二人は手を取り合って歩いていると言う事は,戦争のむごい感じとかとは違った何か温かい人間の関 係とか,清らかな関係,優しい関係とか,そんなのがもしかしたら,詩を書いた人には感じられたのかも 知れないね。だからこの二人が,温かく,清らかな,そして冬にかたむく秋になった,冬にかたむくと言 うのだから,冬になりそうな,秋になった時,今のような季節なのかも知れないよ。冬に近づきつつ秋, この二人がとても温かく清らかな関係に見えるな,と言う事で村野さんが,この詩を書いた。. そうしたら,このワークシートの一番最後のページ,最後になるのですけれど,この詩を今,勉強しま した。この詩を勉強してどんな事を感じたのかな,と言う事を書いてほしいと思います。何でも良いので。 更に,もし良ければ,この例えの詩の事を勉強した事,昨日の事も含めて,書いて欲しいと思っています。. 今時間をあげますので,書いて貰っても良いですか。. 【検 討】 先にも述べた通り,「手を執る人」が「あたたかく」,「手を引かれる人」が「きよらか」である,という. ことをおさえていないので,両方をまとめた解釈となった。「赤い帽子と白い服と言うので,手をつないで いる二人が仲が良くて,そういうのほほんとした,なごむみたいな感じがした。」というのは,二人の関係 が「あたたかく/きよらか」なことをおさえての解釈であり妥当である。授業では,「あたたかく/きよら かに」見えるこの場から戦争のむごい感じはしない,としているが,じつは,だからこそ戦場の悲惨さがう かがえるのだ。その点について発間を整理しておけばよかった。. 4.成果と課題 まず,換喩の理論については,「今日と昨日,詩の勉強をして,すごく意味が深くてすごく勉強になった し「たとえ」「作者→作品型」などの今までなかったことがあってよかった。」という児童の感想や,授業で. の発言から,おおむね理解されていると考える。特に,換喩を例示することで,作品中の換喩と思われる部 分を見つけ,喩辞から主辞を言い当てることは,比較的容易にできたと思われる。さらに,換喩についての 理解をもとに詩を読みとくことについては,「詩を最初読んだ時,全然さっぱり,意味がわかんなかったけど,. みんなでいろいろそうぞうしながらやっていったら,だんだん意味がわかってきて,最後に一回じっくり読 んでいったら,最初に読んだ時より,深く読めました。あと,詩っていろいろと意味があるんだなあと思い ました。」という感想にあるように,より深い読みとりがなされたと思われる。. 特に「秋」の授業後には,「戦争で傷ついた人をやさしく手をひいている人は,思いやりがある,やさし い人だと思いました。手をひく人は,どんな気持ちでひいていたのか,戦争をどんな風に思っていたのかな あと思いました。」や「戦争に行って心も体も傷ついた兵隊さんが,あかい帽子の人につれられて,心の傷 も少しはやすらいだと思う。」といった感想があった。換喩解釈からさらに深めて,戦争そのものについて 考えるきっかけにもなったのでは,と思われる。 今後の課題であるが,本稿で換喩の下位分類とした碇喩の検討が残されている。このまま下位分類とすべ きなのか否か,例文を通して検討する必要があるだろう。 さらに,以前研究した類似性にもとづく比喩(直喩・隠喩)を再検討する必要がある。今回の研究では換 喩の解釈過程は,喩辞をもとに主辞をいいあてるいわば,足りないものを補う,と考えた。これと直喩・隠 喩の解釈過程との整合性が今後の課題となるだろう。このためにも,類似性にもとづく比喩と関連性にもと づく比喩両方を一体的に扱う授業過程を組み実践してみることにより,比喩を通して詩を読みとくことの研 究をさらに進めたいと思う。. 193.
(17) 三上 勝夫・田代 和恵. 【引用作品出典】 与謝蕪村「春雨やものがたりゆく蓑と傘」『日本古典文学大系58 蕪村集・一茶集』(岩波書店)1959 谷川俊太郎「朝」『朝』(アリス出版)2004 村野四郎「秋」『村野四郎詩集』(白鳳社)1967. 【注】 1)三上勝夫・田代和恵 「詩作品にかんする読み方教育試論一比喩(直喩・隠喩)の指導をとおして−」『北海道教育大 学紀要第48巻』1997. 2)谷口一美『認知意味論の新展開 メタファーとメトニミー』(研究社)2003,20∼122頁 3)任藤信夫『レトリック感覚』(講談社)1992,150∼153頁. 4)谷口一美 前掲書128頁 5)谷口一美 前掲書129頁 6)瀬戸賢一『よくわかる比喩 ことばの根っこをもっと知ろう』(研究社)2005,120∼121頁 7)三上勝夫・田代和恵 前掲書 2頁 8)『日本古典文学大系58 蕪村集・一茶集』(岩波書店)1959,53頁 9)足立悦男「詩の授業は鑑賞指導だけでよいか」『教育科学国語教育』No.318(明治図書)1983 10)菅原誠「村野四郎の詩「秋」を読む∼妥当な読みをめざして∼」(未発表). (三上 勝夫 札幌校教授) (田代 和恵 滝川市立西小学校教諭). 194.
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