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〈研究ノート〉J.コスタの経済体制論の検討

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133 研究ノート

J.コスタの経済体制論の検討

福 田 敏 浩 は じ め に  小稿の目的は,イージー■コスタ(Jiri K:osta)の経済体制論の特徴を素描す       う ることにある。別丁で指摘したように,コスタは新マルクス主義の一派たる移 住プラハ学派に属する経済学者であるが,1968年当時はプラハにあってあの 「人間の顔をした社会主義」の建設に参画した経歴を持っている。  コスタの経済体制論は,内容的には二つの部分から成る。ひとつは最適体制 論であり,もうひとつは比較社会主義体制論である。前者は1978年の論文FOr eine demokratische Alternative zu den realsozialistischen Wirtschaftssystemen(in, J.Huber, J. Kosta(Hrsg.), Wirtschaftsdemok ratie in der Disk ussien, Kbln Frankfurt a.M.)をもって,後者は1984年に出たva’irtschaftssysteme des realen Sozialism us’ Probleme und Alternative, KOInをもって代表される。最適体制論は,コスタの 理想とする社会主義像の提示を柱としている。つまり,かれのベストと考える 理念型の議論である。そのさい,基調にあるのは効率と民主主義をどう両立さ せるかという問題である。これはコスタばかりでなく,その師シク(o.Sik)や        2) セルッキー(R.Seluckのらの移住プラハ学派に共通する問題意識でもある。 1) 福田〔3〕参照。 2)きik〔18〕Vorwort, SeluckY〔17〕邦訳,日本語版への序文参照。民主主義と効率の  両立は,移住プラハ学派ばかりでなく,東の改革者に共通する問題意識であるように  思われる。たとえば,ハンガリーの経済改革の中心にいるニエルシュは,社会主義的  民主主義と経済効率のパラレルな発展が東欧諸国の今後の根本的課題のひとつである  とみなしている。Nyers〔15〕p.1.

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 一方,比較社会主義体制論は「現存社会主義」(Realsozialismus)の比較研究 をその内容としている。つまり,ソ連・東欧諸国ならびに中国に実現されてい る諸社会主義体制の体制的特質の把握がこれである。比較社会主義体制論は社 会主義の現実型の確定を主題としていると言ってよい。  以下,先の二論著に即しながら,コスタの最適体制論と比較社会主義体制論 の特徴を描き出していくことにしよう。

1 最適体制論

 (1)コスタが目指すのは社会主義であることは言うまでもない。コスタはそ の社会主義を次のように定義する。すなわち,産業構造の高度化の諸条件のも とで,生産手段の共有が支配し,社会的・経済的発展にかかわる基本的決定が 人民の参加(Partizipation)のもとで下され,所得が労働の貢献に応じて分配さ        う れるような経済体制がこれである。この定義は,社会主義の理念から演繹され たものであって,現存の社会主義にかかわるものではない。すなわち,それは 社会主義という思想および運動に本来備わっている特質を示している。コスタ は,共有,参加および貢献原則のうち,ことに参加を強調する。参加は社会主 義の伝統に本来備わっている特質なのであって,しかもすべての社会主義運動        ゆ の価値序列の最上位を占めてきたとまで言われている。  コスタは参加のほか効率をも重視する。ただし,効率は自己目的ではない。 かれによれば,効率は,自由な社会における各人の自由な発展という社会主義 本来の基本目的の実現に欠かすことのできない物質的土台の創造のための手段   らう である。  (2)参加と効率,これら二つがコスタの最適体制論のキー・ワードである。 コスタはこれらの概念に二つの役割を与えている。ひとつは,現存の諸経済体 制の功罪の判定基準としての役割である。これについてコスタは,参加を基準 3) Kosta (9) S.139. 4) Kosta (9) S. 140. 5) Kosta C9) S.140.

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      J.コスタの経済体制論の検討  135 にしてソ連社会主義には参加のモメントが失われてきたこと,効率の面からす ると現存社会主義の欠陥は低生産性と供給不足に,現存資本主義(コスタはこれ を組織化された資本主義Organisierter K:apitalismusと呼ぶ)の欠陥は失業とインフ       6) レーションにあることを例示している。もうひとつは,最適体制のモデル化に さいしての編成原理としての役割である。つまり,参加と効率の両立がコスタ の最適体制の編成原理なのである。  (3)結論を先取りすると,コスタの目指す社会主義は民主的社会主義(Demo− kratischer Sozialismus)または参加型計画=市場モデル(Partizipatorisches Plan−          7) Markt Modell)である。ここでは人民の決定への参加と高効率が同時に実現さ れると考えられている。コスタはこのような社会主義の優位性を論証するため に他の社会主義モデルとの比較を試みている。この目的のために取り上げられ ている他の社会主義モデルは,中央管理モデル(Zentral−adrninistratives Modell) と非市場経済的レーテ民主主義モデル(Nicht−marktwirtschaftliches ratedem。・ kratisches Modell)である。前者はソ連社会主義に,後者は文化大革命期の中国 社会主義に対応する。しかし,これらのモデルはコスタの民主的社会主義モデ ルともども文字どおりのモデル,つまり理念型であることに注意しておかねば ならない。  (4)民主的社会主義モデルと中央管理モデルおよび非市場経済的レーテ民主 主義モデルとの比較は民主的社会主義の優位性を論証しようとするものである から,比較のスタイルは後二者の欠陥を確定するという形を取っている。その さいの基準に置かれているのは参加と効率である。その結論を簡潔に示してお くと次のごとくである。       g)  中央管理モデルの欠陥は参加と効率の両面に見られる。まず,参加について であるが,労働者の意思決定への参加は経済の全領域一一国民経済レベル,企 業レベルおよび個人レベルーで著しく制限される。国民経済レベルでの決定 6) Kosta C9) S.140. 7) Kosta (9) S.149, 154. 8) Kosta (9) S.143−145.

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への参加が認められるのは一握りの官僚でしかない。企業レベルでは労働者の 決定への参加は,いわゆるノルマ制とワンマン・システムの企業管理制度のゆ えに著しく制限される。個人としての人民は,同時に生産者(労働者)であり, 消費者である。生産者としての決定への参加は,ワンマン・システムのゆえに 制限され,消費者としての決定への参加(つまり消費選択の自由)は実質的には 消費財の供給不足のために著しく制限される。  次に効率面での欠陥であるが,これは次の二点に集約される。すなわち,異 常に高いインプット・ファクター(労働,資材,エネルギー,投資)の投入と生産 の需要構造への不十分な適合がこれである。コスタによるとこれらが由って来        う たる原因は,認識の困難と利害対立である。ここに認識の困難とは,中央機関 は絶えず変化する企業や消費者などの欲求を的確に認識できないということで ある。利害対立とは,セクター間,地域間の特殊利害の対立や小集団の利害と 社会全体の利害の対立や企業管理者と中央管理者の利害対立などを意味する。 たとえば,中央管理者は資源の効率的利用を要求するが,企業管理者はノルマ 制のゆえに当該企業の生産能力の過小評価とインプット財の過大要求をせざる をえず,ここに必然的に資源の浪費が生じてくる。  以上のようなコスタによる中央管理モデルの欠陥の指摘には格別目新しいも のはない。そのほとんどは,これまで多くの論者によって指摘されてきたとこ ろと重なる。人民参加の制限つまり経済民主主義の制限の問題は,チトー主義        エむ  者や毛沢東主義者やその他の東西の新マルクス主義者によって夙に指摘された ところである。また,先の効率面での欠陥は,コルナイ(J.Kornai)に代表 されるハンガリーの改革派の経済学者や,プルス(W.Brus)およびゴムルカ (S.Gomulka)に代表される亡命ポーランド人経済学者や,西側のソ連・東欧 経済の専門家や,ハイエク(RA. Hayek>およびヘンゼル(K. P. Hensel)に代 表される新自由主義者などによっても確定されている。こと効率に関する限り, 中央管理モデルの欠陥およびその原因については思想的立場を越えて論者の間  9) Kosta〔9〕S.144−145, Kosta〔11〕S.94−95. 10)新マルクス主義の諸系譜については福田〔3〕を参照。

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       」.コスタの経済体制論の検討  137 にほぼ意見の一致が見られるように思われる。  ⑤ 非市場経済的レーテ民主主義モデルの欠陥は,ことに効率の面に見られ る。コスタによれば,このモデルは意思決定への人民参加と物財バランスによ る需給の調整を主柱とする。このモデルはもともと中央管理モデルをいわば反 面教師として形成されただけに,経済管理への人民参加を基調としている。そ の祖型はパリ・コミューンである。したがって,参加に関する限りでは中央管 理モデルよりも優位性を持っている。しかし,需給の調整は中央管理モデルと 同様に市場ではなく高温バランスで行われるので先に見た中央管理モデルの効 率上の欠陥を克服することはできない。物忌バランス方式に依拠する限り,中 央管理モデルに内在する認識問題と利害対立の問題を解決できないからである。 かくて,コスタによればこれらの問題を解決し,効率的資源配分を実現するに は市場経済をビルト・インするほかにないということになる。  (6)次にコスタの民主的社会主義を見ることにしよう。上述のように,これ は参加と効率が両立した最適体制と考えられている。その内容をわれわれなり に整理して示しておくと,次のごとくである。  参加と効率の両立の問題は,国民経済,企業および個人の三つのレベルに分 けて論じられている。まず,国民経済レベルから見ていくと,中央計画は中央 管理モデルのばあいと違って総体二二計画,つまりマクロ計画として捉えられ ている。その対象となるのは,経済成長,セクター構成,マクロの投資・消費 割合,インフラストラクチュア,科学・技術進歩,環境政策の基本線,対外経 済政策の基本方向などである。このような中央計画の作成は,人民の参加のも とに行われる。具体的には,経済議会での民主的討議を経て作成される。この 経済議会は,労働者の代表,利益諸集団(地域団体,学生,年金生活者など)から 構成される。計画諸目標の実現は,「可能な限りの間接的・非指令的手段と必       まめ 要な限りの直接的指令の原則」をもって行われる。  以上をわれわれの言葉をもって要約すると,民主的社会主義の中央計画はマ 11) Kosta (9) S.150.

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クロ経済計画・民主的計画・(計算単位が集計量という意味での)グローバル計画 の性格を持つことになる。これらの性格に関する限り,中央計画は西側先進諸 国の経済計画と同様だと言える。ただ,コスタの考える中央計画を直ちに指示 的計画と捉えることはできないように思われる。先のとおり,計画実現には必 要な限りという限定が付されているとはいえ,直接的指令的手段の使用の余地 が認められているからである。コスタの中央計画は,個別経済に対して西の指 示的経済計画よりもより強い拘束力を持っていることは確かである。このよう に捉えると,コスタが念頭においている中央計画は,ハンガリーの68年の経済         改革構想における中央計画の性質に近いように思われる。コスタが民主的社会 主義では(近年,中央計画の効力が富みに低減しつつある)ユーゴスラヴィア社会 主義のばあいよりも中央計画を強化しなければならないと述べていることもこ        お  のことを裏書きしている。  (7)企業レベルでは,企業制度と価格形成が問題となっている。まず,企業 制度であるが,企業は独立の生産単位として位置づけられる。したがって,投 入・産生・販売の諸計画は企業によって自主的に立てられ,当該企業と供給者 および購入者との直接的交渉が認められる。企業や家計などの個別経済相互間 の需給の調整は市場メカニズムで行われる。これらの限りでは,コスタの民主 的社会主義モデルはユーゴ・モデルと同様である。また,ハンガリー・モデル とも大差ない。  企業の成功指標としては利潤(売上マイナス総支出)が考えられている。この 利潤指標は義務的指標ではなく,いわゆるパラメーターである。利潤は企業活 動を効率的にすると期待されている。つまり,中央管理モデルやレーテ民主主 義モデルのばあいと違って,利潤の導入によって企業における費用引き下げお よび生産諸資源の合理的結合が可能となる。コスタは,利潤にこのような効率 表示器としての役割のほか蓄積手段としての役割をも付与しようとしている。 つまり,総体経済的投資および集団的消費の源泉ならびに企業の投資フォンド 12)ハンガリーの経済改革構想については福田〔2〕および福田〔4〕第8章を参照。 13) Kosta [9) S.154.

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       J.コスタの経済体制論の検討  139 の原資としての役割がこれである。以上の利潤の捉え方もユーゴ・モデルおよ びハンガリー・モデルと同様である。  利潤についてもう一点指摘しておかねばならないことは,その分配的役割, つまり所得の源泉としての利潤の役割である。たしかにコスタは利潤にこの役 割を認めている。言い換えると,労働者の利潤参加が考えられている。しかし, これには制限が置かれている。すなわち,労働者の個人所得に占める利潤参加       分の割合を10−15%に制限するというのがこれである。これは,所得分配の平 等という社会主義の理念に即した提案と考えられる。このような利潤規制は, その基本の考えにおいて70年代後半にハンガリーで実践された利潤規制を彷彿   エの させる。ついでに言うと,分配原則としては貢献原則が採られているが,その さい平等原則との両立を図るべく同一貢献同一賃金の分配方式が提唱されてい る。  (8)企業における参加は労働者自主管理の形を取る。労働者自主管理が可能 となるには生産手段の共有が前提となるが,コスタにあっては共有が考えられ ているものの,その具体的形態に関する説明はない。労働者自主管理方式は形 式的にはユーゴのそれと変わらないが,その内実のほどは異なる。すなわち, ユーゴの労働者自主管理では企業の意思決定機関は労働者評議会であり,企業 長は執行機関であるが,コスタ・モデルの勇働者自主管理では両者が意思決定 を分担することになっている。労働者評議会は,企業の基本的決定(投資,企 業長の任命,年次報告の評定,販売政策,解散,合併,再編など)にあたり,企業長 および経営陣は経常活動の細目的決定(生産,販亮,調達など)にあたる。この ようなコスタの案は,明らかにユーゴの経験の反省に立ったものである。ユー ゴの労働者自主管理の欠陥のひとつは,資質や経営能力を問うことなしの決定 への労働者の一律参加にあった。コスタの案は,経営エキスパートたる企業長 や管理職に決定権を与えることによって,ユーゴ型労働者自主管理の素人経営 の不合理を回避しようとするものである。 14) Kosta (9) S.150. 15) この点については福田〔2〕を参照。

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 労働者評議会には企業外部の委員も参加することになっている。すなわち, 委員の20−40%は企業外の利益代表者(消費集団,買手企業,投資団体,地域団体 など)の企業運営への参加が提案されている。その狙いは,企業の特殊利益と 取引者の利益・地域の利益・社会の利益とのバランスをとることにある。なお, 労働者評議会はユーゴと同様に企業レベル,工場レベル,大規模工場の部局レ ベルに設置されることになっている。  (9}次に価格形成を見ることにしよう。財およびサーヴィスの価格づけは, 市場パートナーによる分権的・市場的価格形成の原則に従って行われる。だが, これは完全に自由ではなく,一定の制限が置かれることになっている。コスタ の言葉を引けばこうである。「価格形成は・・…  アグリゲートされた生産        物群に関する費用動向に応じた価格水準の長期的計画化に従う」,と。各生産 物群につきそれぞれ長期の価格上昇率を,たとえば中央委員会と当該企業との 契約などによって,あらかじめ定めておき,その枠内で自由な価格形成を認め ようと言うのである。そのさい,この価格上昇率は強制力のないガイドライン ではなく,企業を拘束する義務的指標と考えられている。コスタがこのような 価格規制を主張するゆえんは,かれ自らが言明しているように,インフレーシ        17) ヨンの防止にある。インフレ防止は,移住プラハ学派の総師たるオタ・シクの 関心をも引いているが,シクのばあいはコスタと違ってマクロの所得政策によ ってこれを行うことが考えられている。すなわち,社会各層の民主的話し合い        う によって賃金の上昇率を決定しようとする方式がそれである。  α①最後に個人レベルについて見ておこう。以上の制度のもとでは,労働者 としての個人は国民経済レベルおよび企業レベルでの生産決定への参加が保証 される。同時に市場的諸要素の導入によって消費者としての個人はその消費を 自由に選択しうるようになる。  (11)以上を要約すると,コスタの民主的社会主義は労働者自主管理・市場町 16) Kosta (9) S.150. 17) Kosta (9] S.154. 18) Sik (18) Kap.4, gik (9) Kap, VI.

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       J.コスタの経済体制論の検討  141 済・マクロ経済計画の三つの柱から成っている。われわれの理解によれば,コ スタのモデルは基本においてユーゴ・モデルと大差ない。後者との違いは自主 管理の仕組み,マクロ経済計画の強化および価格規制にあるぐらいである。コ スタ自身は,「プラハの春」のモデルを下地にし,その後の経験を加味しつつ        19) 如上のモデルを構築したと述べているが,われわれの立場からすればかれの民 主的社会主義は従来にない新しいタイプの経済体制ではない。かれのモデルは 結局はユーゴ型市場社会主義に分類されるというのが,われわれのさしあたっ ての結論である。 ■ 比較社会主義体制論  (1)コスタは,前述の84年の著書において社会主義諸国の経済体制の実証的 研究を試みている。ロシア革命から現代に至るほぼ70年にわたるタイム・スケ ールとソ連・東欧諸国から中国に及ぶ広大な空間的スケールの中で各国の経済 体制の個性が描き出されている。その個性把握は簡にして要を得ている。対象 領域の広大さにもかかわらず,これに割れた紙数は260ページにも満たないの である。比較社会主義体制論の方面でコスタの84年の著書は,他の追随を許さ ぬ秀作だと断言できる。       20)  コスタはかねてより社会主義体制の実証的研究に取り組んできたが,近年こ        21) とに中国を精力的に研究し始めたことがわれわれの注意を引く。われわれの見 るところその動機は二つある。ひとつは,中央管理モデルは生産力の比較的低 い発展段階(または発展途上国)に照応した最適のモデルである,という通説を 覆すためである。周知のように,このような通説は,外延的発展(extensive development)と内包的発展(intensive development)という図式の中で唱えられ   22) てきた。コスタは,発展途上国であるにもかかわらず近年ますます市場経済的 19) Kosta (9) S.140, 149. 20) Kosta (8), (10), (11], (13) 21) Kosta [11) Kap.4, Kosta C14). 22) くわしくは福田〔4〕第1章参照。

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要素を導入しつつある中国に着目して,外延的発展段階にある国が例外なしに 中央管理モデルを採るとは限らないということを論証しようとしているように      思われる。もうひとつは,中国の市場社会主義化への関心である。79年頃経済 体制改革の決定以降の中国は,とくにハンガリーに範を取りつつ市場社会主義 の道をたどってきた。ユーゴやハンガリーに加えて中国が市場社会主義の陣営 に入ることは,コスタにとって好ましい限りであろう。かれの主張する民主的 社会主義モデルの現実性が一段と高まることになるからである。  さて,コスタによる社会主義体制の実証的比較についてはその結果のみをの ちに一覧表の形で示すことにして,本稿ではもっぱらコスタにおける体制比較 の基準設定の問題を取り上げることにしよう。  (2)まず,経済体制(Wirtschaftssystem)の定義から見ておこう。コスタは, 経済体制を,国民経済の経済過程を規定する規則(ルール),制度および現        24) 実需関係(Realbeziehungen)の総体と定義する。 このように経済を経済過程 (Wirtschaftsprozess)と経済体制に区別する二分法,ならびに規範的要素から 制度および現実的諸要素をカバーした幅広い経済体制の捉え方は,ドイツ語圏 ではよく見かけられるものであり,この限りでは,コスタの定義それ自体はい       25) わば多数派に属すると言ってよい。ただ,経済体制についてこれ以上くわしい 説明はコスタにはない。  (3)経済体制の比較や類型化にさいしてポイントとなるのは,何を基準にす るか,である。立てられる基準いかんによって学説の内容に違いが出てくるこ とは言うまでもないであろう。コスタ説の個性もこの基準設定の面にもっとも よく表れている。立ち入って見ていくことにしよう。コスタは,自説を展開す るにあたってまず,一われわれの用語を使うと一基準一元論を問題にする。 すなわち,体制類別にさいしてただひとつの基準を定立する説がこれであるが, 23)Kosta〔11〕S.137.ちなみに,コスタは,国民経済の成熟度が必ずしも経済体制   のタイプを決定するとは限らないことを発展水準の低いユーゴを例に取って述べてい   る。Kosta〔10〕S.146−147. 24) Kosta〔11〕S.100. 25) くわしくは福田〔4〕第3∼S章,福田〔6〕を参照。

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       J。コスタの経済体制論の検討  143 その代表はオーソドックスなマルクス主義と新自由主義である。前者は,生産 手段の所有方式をもって経済体制を資本主義と社会主義に二分し,後者は需給 の調整方式をもって市場経済と中央管理経済を区別してきた。コスタによれば, このような二分法はもはや時代遅れである。というのも,現実は;分法では把        ラ 握できないほど多様化しているからである。このような二分法批判は,われわ れをはじめドイツ語圏の多くの論者によって展開されてきたものと同様であり,       2T) この面でもコスタの批判は多数派に属している。  (4)かくて,コスタは複数の基準を提出する。ただ,これらの基準は社会主 義経済体制の類型化および比較の文脈の中で提示されているだけなので,それ らが資本主義などの他の諸体制の特質把握や比較の用にも耐えうる一般的な基 準なのかどうか,はっきりしていない。しかるにまた,基準は当然,経済体制 の構成要素でなければならないはずだが,基準にかかわるコスタの叙述はもっ ぱら社会主義経済体制についてなされており,したがって以下に見る諸基準は 経済体制一般の構成要素ではなく,社会主義経済体制の構成要素であるかのよ うな印象を受ける。いずれであろうか。これについては今は一コスタに説明 がないので  解釈を控えておくほかはない。そこで以下では,コスタの叙述 にできるだけ忠実に従って解釈を加えていくことにしよう。  (5)コスタは,社会主義経済体制について表1のような構成要素を提示して 表1 社会主義経済体制の構成要素

意思決定主体

計 画 作 成

計 画 実 現

計 算

労働の動機づけ

発 展  戦 略 / ku am .,., ,, ,i,, ,,, 介 経済メカニズム 26) Kosta (11) S.98. 27) 福田〔6〕参照。

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144 彦根論叢第250号  28) いる。かれによれば,これらの要素は社会主義経済体制の基本的要素である。 個々に見ていこう。  ①意思決定主体(Entscheidungstrager)。これは生産手段の所有方式と密接に かかわる問題である。生産手段の処分権を持つ者が,経済的意思決定をなしう るからである。レッセ・フェールのマンチェスター資本主義の時代には,所有 者でもある企業家が意思決定者であった。ところが,現在の組織化された:資本 主義では,企業家よりも経営者が,さらには国家や団体などが意思決定の主体 となっている。他方,ソ連社会主義では,形式的には全人民が生産手段の所有 者だが,実際には官僚機構が生産手段の処分権を有しており,それゆえ後者が 意思決定権をも独占している。かくして,結局は生産手段の実質的処分権を有 する者が意思決定権を有することになる。このような生産手段の実質的処分権 者が意思決定者というコスタの捉え方は,経済体制論の分野ではいわば通説で       セ   あって格別新しいものではない。  ②計画作成(Planformulierung)。これは,国民経済レベル,セクターレベル, 地域レベルおよび企業レベルの計画における目標,課題,指令などの定立にか かわる。  ③計画実現(Planrealisierung)。これは作成された計画の達成にかかわる。コ スタは,その手段として実行義務的指標と間接的制御形態を挙げている。前者 はいわゆるノルマであり,後者は個別経済(とくに企業)の活動を間接的に誘 導するものである。後者の例としては,68年の経済改革以後のハンガリーで活 用されている経済的規制用具(economic regulators)カS挙げられよう。  ④計算(RechenkalkUl)。これは,計画作成にさいしての計算にかかわる。コ スタが注目するのは計算単位である。すなわち,物量単位か貨幣単位かが問題 となる。前者はソ連型社会主義体制で,後者はユーゴやハンガリーで採られて 28)Kosta〔11〕S.99.ちなみに1984年以前のコスタは,社会主義経済体制の構成要素  として,計画目標,計画形態,分配原則および決定主体の四つを考えていた。K:osta  〔8〕K:ap.2,〔10〕S.145を参照。 29)福田〔4〕第4,第5章参照。

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       J.コスタの経済体制論の検討  145 きたものである。  以上の計画作成,計画実現および計算の三要素は,制御システム(Lenkungs・ system)の構成要素と考えられている。制御システムについての説明がないの でこの言葉の意味するところは明確でない。ただ,如上のところがら類推する と,制御システムとは経済管理システムもしくは需給の調整システムを意味す るように思われる。  ⑤労働の動機づけ(Leistungsmotivation od. Arbeitsmotivation)。これは人びと の労働の誘因を意味する。コスタはこれを非物質的な連帯的誘因と物質的誘因 に区別している。前者はたとえば,文化大革命期の中国やゲバラのキューバで 活用されたものである。  コスタは,先の制御システムとこの労働の動機づけを合わせて経済メカニズ ム(ekonomischer Mechanismus)と呼んでいる。これについての説明もコスタ にはない。  ⑥発展戦略(Entwicklungsstrategie)。社会主義経済体制における発展戦略の 表現形態は,国民経済的計画目標である。その最重要の目標には,国民経済の 成長テンポ,セクター間のプロポーション,蓄積・消費の比率,地域政策目標, 対外貿易戦略などがある。発展戦略は制御システムや決定システムに影響を与 える。たとえば,ソ連の20年代後半における工業化の強行および強制的集団化 はこれらのシステムの集権化を推進した。他方,制御システムや決定システム は,発展戦略に影響を与える。たとえば,これらのシステムの集権化は,生産 手段産業の優先的発展やアウタルキー的貿易政策を四花・推進した。  ⑥ 六つの要素は,先の表から明らかなように,意思決定主体,経済メカニ ズムおよび発展戦略の三つに集約できる。意思決定主体の問題は所有の問題で あり,経済メカニズムは主として需給の調整メカニズムであると捉えると,コ スタ説では結局,所有,調整および発展戦略が重視されていることが分かる。 したがって,やや乱暴かもしれぬが,コスタ説は所有・調整・発展の三元論と 規定できなくもないように思われる。ドイツ語圏では従来所有や調整に着目し た学説は数多くあるが,発展戦略を重視する説は,われわれの知る限り他に例

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がないようにおもわれる。この限りでは一少なくともドイツ語圏では一コ       30) スタ説はユニークであると言えよう。  (7}上に見た六つの基本的構成要素は,現存社会主義の類型化および比較の 基準となることは言うまでもない。前述の84年の著書は,このような現存社会 主義の実証的研究にそのほとんどの紙数を当てているが,       31) けを一覧表の形で示すに留めておくことにしよう(表2)。 ここではその結論だ 表2 社会主義経済体制の類型とそのヴァリアント

\で躍

体制要素\

決 定 主 体 制御システム 労働の動機づけ 発 展 戦略 集権的=指令的体制類型 ソ  連 (スター リン主義)  僚メ  官ジ  済ネト 党経マン 細目=指 令的指標 物量計算 の優位 計画指標 に連動し たイデオ ロギー的 物質的誘因 強行的成 長 蓄積志向 中  国 (毛沢東 主義) 党 大  衆 レーテ委 員会 指令的指標 地域的分 権化 物量的計 算の優位 ン 的 コ 分︶ メ国部革 コ諸︵改 分権的=パラメーター的     体制類型 ハンガリ  僚メ  官ジ  済ネト 党経マン  僚メ  官ジ  済ネト 党経マン れ的弓標テ選び選由 さ令 指び場よ財自 良指標的よ職お費の 改た指幣おコ択消択 指示的計 画 経済的規 制用具 市場メカ ニズム ユーゴス ラヴィア 党 労働者自 主管理 画経 力 計的弓メム 会家政場ズ 社国済市二 存所 依働 益回 収の得 来野営因 出金にた誘 約賃潤し的 協高利動利 て標し的 し指動質 と画連物因 主計にた誘 ロ誘 オ的 デー イギ因 農工並進 蓄積志向 均斉平成長 対外貿易 志向 均斉的成 長 対外貿易 志向 成差 学 的十二貿 下賜解外向 均長地の対志 スキ ハ コア ラ︶ エヴプ春 チロア︵の  黒闇  機ジ  団ネト 画集マン 指示的計 画 経済的規 制用具 市場メカ ニズム 協約出来 高賃金 企業租所 得に連動 した営利 的誘因 均斉的成 長 対外貿易 志向 30) ドイツ語圏の経済体制論については福田〔6〕を参照。 31) Kosta (11) S.185.

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J.コスタの経済体制論の検討  147 皿 お わ り に  (1)本稿は,『彦根論叢』に連載予定の拙稿,「新マルクス主義の最適経済体 制論  移住プラハ学派のばあい一一」を書きつないでいくための準備作業の        一環として編まれたものである。今の筆者の関心は,20世紀における最適経済 偉制論の諸系譜を整理・検討し,もって筆者なりの最適経済体制論を展開する ことにある。今世紀の最適経済体制論は,論者の思想的立場によってこれを分 類すると,三つに大別できるように思われる。新自由主義系,新社会主義系お よびマルクス主義系の学説である。新自由主義の諸学派のうち,現存資本主義 および現存社会主義の双方を否定し両者を超えた第3の道(Dritter Wθg)を提 唱したのは,ドイツのフライブルク学派の人びとであった。その中心にいたオ イケン(W.Eucken)は,私有+競争市場+国家の積極的経済秩序政策から成       33) る競争秩序(Wettbewerbsordnung)を提示した。このようなオイケン説を中心 にしたフライブルク学派の最適経済体制下の検討が,筆者の今後の課題のひと つであるb  (2)新社会主義という用語は,ドイツ語圏でよく使われるNeosozialismusに あたるが,これはまた自由社会主義(Freiheitlicher SozialisMus)とも呼ばれて いる。この派の代表的論者にはハイマン(E.Heimann),リッチュル(H. Ritschl)        34) およびシラー(K.Schi11er)らがいる。これらのうち,人類史的パースペクティ ブをもって最適社会体制論を唱えたのはハイマンであった。かれは経済主義に 立つ現存資本主義および現存共産主義を退け,将来は「統合された社会体制」       ラ (lntegriertes Gesellschaftssystem)を樹立すべきだと主張した。このハイマン説 も筆者の検討課題のひとつである。私有+「可能な限りの競争と必要な限りの 計画」から成る経済体制を擁護するシラーらの説も検討しておかねばならない。 32)福田〔3〕 33) 新自由主義の体制思想については野尻〔16〕を参照。 34) 新社会主義については野尻〔16〕を参照。 35) Heimann (7)

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148 彦根論叢第250号 リッチュル説およびオランダの社会主義者ティンバーゲン(」.Tinbergen)の厚       36) 生経済学的最適体制論についてはすでに検討を加えている。  (3)マルクス主義系の体制論は,資本主義批判論と社会主義擁護論から成る。 後者は,ソ連型管理社会主義を擁護するマルクス=レーニン主義とこれに批判 的な新マルクス主義に大別される。筆者が関心をもっているのは新マルクス主       37) 義のほうである。新マルクス主義と言ってもさまざまな派やグループがあるが, なかでも実践にたいして大きな影響力を与えた,また与えている東の改革者の 学説が,ユートピアではなく実現可能な最適体制論の樹立に関心がある年老に とって,とくに興味深い。東の(および東にいた)改革者の学説のうち,さしあ たり検討しておかねばならないのは移住プラハ学派,ハンガリーの改革者およ び亡命ポーランド人グループの説であろう。ハンガリーの改革者たちは自分た ちの擁護する体制を「誘導市場モデル」(Guided Market Model)と呼んでいる 38) が,これは要するに市場社会主義にほかならない。これについては一応検討済       う みではあるが,さらにコルナイの説を加えて完全を期す必要があるだろう。亡 命ポーランド人グループの説については,筆者はこれまでまったく触れたこと がない。さしあたってプルス説あたりから検討しなければならないだろう。  (4>筆者が目下検討を加えているのは,筆者が移住プラハ学派と呼ぶ亡命チ         エコ人グループの最適体制論である。別稿で指摘したように,シク,コスタお よびセルッキーの学説の検討が当面の課題である。このような移住プラハ学派 に注目した理由は二つある。ひとつは,ソ連・東欧諸国の経済改革に対する筆 者の関心からである。68年のチェコにおける市場社会主義の建設の実態を知る には,その基礎に置かれたシクらの体制構想を把握しておく必要があろう。も うひとつは,わが国の学界では移住プラハ学派の最適体制論について部分的な 紹介や解説はあるものの,その全体にわたる本格的な研究は未だ試みられてい 36)福田〔4〕第3,7章,〔5〕 37)福田〔3〕 38) Csap6 (1) 39)福田〔2〕,〔4〕第8章。 40)  福日電〔3〕

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      J.コスタの経済体制論の検討  149 ないように思われるからである。シクらの著作の多くがドイツ語で書かれてい ること,流行に対する弾力性が異常に高いわが国の学界では20年前の「プラハ の春」と結ぶシクらの学説は過去のものと受け取られていること,がその大き な理由であろう。しかし,シクらは西に出てから資本主義の現実お』よび東の経 済改革の潮流を踏まえつつ,かれらの最適体制論に彫琢を加えてきたことを見 逃してはならない。かれらは東西両世界の現実動向をにらみながらその学説に 実現可能性を与えようと努力してきたのである。移住プラハ学派の学説は少し も現代性を失っていないのである。東でペレストロイカに代表される経済改革 の第2ラウンドが開始された現在,シクらの学説を体系的に整理しておくこと は決して無駄ではあるまい。       ,  (5)筆者のみるところシク,コスタおよびセルツキーの各説は基本において 共通するものの,細目の点では食い違いを見せている。口説間の異同を確定す るにはまず,各説の概要を押さえておく必要がある。これが,本稿を書いた直 接の動機である。しかし,本稿はコスタ説の紹介の域を出ていない。本稿を研 究ノートとしたゆえんである。コスタ説の個性の十全なる把握は,シクやセル ッキーの学説の検討をまってはじめて可能となろう。他日を期したい。        一1988・4・25一       参 照 文 献 (1) Csap6, L.:Central Planning in a Guided Market Model, in:Acta Oecono−   mica, vol. 1, 1966. 〔2〕福田敏浩:「市場社会主義の実験一ハンガリーのばあい一」『大阪府立大学紀   要(人文・社会科学)』第29巻,1981年。 〔3〕    =「新マルクス主義の最適経済体制論一移住プラハ学派のばあい一一   (1)」,『彦根論叢』第232号,1985年。 〔4〕     :『比較経済体制論原理一形態論的アプローチー一』晃洋書房,1986   年。 〔5〕     ;「混合経済の用語法の検討」,『彦根論叢』第246・247号,1987年。 〔6〕     :「経済体制論の諸系六一戦後ドイツ語圏のばあい一」,『彦根論   叢』第249号,1988年。 C7) Heimann, E. : Seziale Theorie der Wirtschaftssysteme, Tttbingen 1963,

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彦根論叢 第250号    野尻武敏,足立正樹訳『近代の.運命』薪評論,1987年。 〔8〕 1(osta,」:Sogialistische Planwirtschaft :Theorie und Pra.x is, Opladen 1974. 〔9〕      :Fttr eine demokratische Alternative zu den realsozialistischen    Wirtschaftssystemen, in:J. Huber, J. Kosta(Hrsg.)=Mfirtschaftsdemofl ratie in    derエ)iskussion, K:61n Frankfurt a。.M.1978. 〔10〕      =Die 6konomische Refbrmdiskussion in .Osteuropa, in=.H..Vogel    (Hrsg.):VV{irtschaftsprobleme Osteuropas in der Anσlyse, Berlin 1982. 〔11〕   : Wirtsehaf彦ssysteme des realen So2ialis〃zus: Proble〃zθund Alter・    nαtive, K61n 1984. 〔12〕    :Marx und die sozialistische Wirtschaftstheorie, in:K. Lbw    (Hrsg.)lKarl Marx−Bilang nach 100..lahren, Koln 1984. 〔13〕      :Diversity and Transitions in Socialist Economic Systems, in;P.    Gey, J. Kosta, W. Quaisser(eds.)=Crisis and Reform in Socialist Economic    Systems, Boulder and London 1987.      . 〔14〕      :The Chinese Economic Reform:Approaches, Results and pro.    spects, in=Gey, Kosta, Quaisser(eds.), ibid. 〔15〕 R.Nyers:EMciency and Socialist Democracy, in:Acta Oeconomica, vol.37    (1−2), 1986. 〔16〕 野尻武敏=『選.択の時代一一多元化社会と経済体制  』新評論 1980年。 〔17〕Seluc雌, R:Ma rxism, Socialism, Freedom, London 1979、.宮鍋幟,西村可明    久保庭真似訳『社会主義の民主的再生一一新しい政治経済システムの展望  』青    木書店 1983年。       〔18〕 Sik,0=Ein SWrirtschaftssystem der Zufeunft, Berlin 1985. 〔19〕       =PVirtschaftssysteme :Vergleich−Theorie−Kritik, Berlin 1987.

参照

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