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書評の花 一プリチェットの「全エッセイ」一

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(1)

     書評の花

一プリチェットの「全エッセイ」一

      伊 藤 武 久        (英文学)

On V. S. Pritchett s THE COMPLETE ES∫ノ1}㌘∫

0.イギリスの週刊誌丁朋∫PECTA TORの書評をかねがね贔屓している。1991 年12月14日号(1828年創刊以来164年目、通巻8527週号)の書評欄に、V. S.

Pritchett著すTHE COMPLETE E∬Aγ∫の好紹介をHilary Mantelという人が 書いている。深甚な興趣を覚え、早速一本を取り寄せ、時を移さず、メモをと りながら、子細に読み進めた。そして、日本の、広くは読書界全般、狭くは、

英文学界で、誰かが何かをこれについて言及するか知らんと、普通並の監視を 続けていたら、果して8ヶ月後、岩波書店のPR誌「図書」1992年9月号にひ とつ現れた。「イギリスの書評文化」というタイトルで、英文学者の富士川義 之氏が9月号と10月号に発表した文章のうち、9月号の副題に「最後の文人批 評家プリチェット」とあるのがそうである。(因みに、10月号の副題は「TLS

の九十年」。)

昨年暮から今年の初めにかけて、イギリスの書評文化に関心をもつ者に は、見逃せない二つの重要な出来事があった。一つは現代イギリスを代 表する大書評家V.S.プリチェットの1319ページにも達する「全書評 エッセイ集」がまとめられたこと。もう一つは国際的な書評誌「タイム ズ文芸付録」(T.L.S)が1月17日号で90周年を迎えたことである(1)。

T.L.S.は書評紙というのが正しいであろうが、それはともかく、上のように 書き起こしながら、(1)書評大国イギリスにおける書評形式確立のミニ歴史、

(2)

(2)文人による書評の伝統のありさま、(3)プリチェット小伝、(4)彼の書評 の魅力と特徴、(5)今回の集大成書評集の概括、が7頁の短さのなかで、単簡 明哲かつ遺漏なく記述されている。本論は上述の、仮に勝手に番号をふった(4)

と(5)について、紙幅の許す限り詳しく述べようとする試みである。

1.型どおり、形式から見ていく。

 先ず、B5サイズの本文1304ページに驚かされる。広辞苑のすぐ下の弟とい うところ。ちょっとした枕ほどに分厚い。その筈で、巻末のList of sources and datesによれば、本著は1942年から1990年の間に刊行された8冊の単著の 合本だという。すなはち、以下の通り。括弧内の年号の後の数字は収録されて いる書評文の数を示す。

  ∫ 」吻Goo4 Boo々s(1942年一25)

  丁舵L肋ηgNo〃θZ(1946年一32)

  Boo々s仇Gεηθ刷(1953年一34)

  丁舵Wげ々仇9N・〃εJfs (1965年一27)

  Tんd吻rん」吻』s(1979年一19)

  丁肋丁α」εBθ雄γs(1980年一23)

  、41%αηo∫Lε舵γs(1985年一16)

  Lαs励8励㌦∬ ㎝s(1990年一27)

50年に垂んとする書評活動の輝かしい成果であり、文章数は203篇の多数に達

している。

 そこで、次にその203篇について、もっと詳細に外形的把握をしてみる。各 篇の頁数の大体を言うと、5頁が最多数の88で全体の43%、6頁が42でほぼ 20%。7頁、23篇、10%強。つまり5頁乃至7頁のものだけで全著の75%、4 分の3を占める。4頁もの8、9頁もの9と10、10頁もの10でそれぞれ4%前 後。11頁から15頁に及ぶ雄篇は併せて13文。これら203篇は8冊の単行本のた めのオリジナルではなく、すべて別の場所のジャーナルでかつて発表されたも のであろうから、もしそうだとすると殆ど100%近くが5ページを越すなどと

(3)

は、イギリスのジャーナリズムが書評形式の文芸をいかに尊重し、これの育成・

督励に力を注いでいるかを彷彿させるに充分である(2)。10頁あるいはそれ以上 の待遇を受けた作家の名を列挙すると、

Thomas Day, Sir Walter Scott, George Eliot, Walt Whitman and Stephen Crane,

Honor6 de Balzac, Thomas and Jane Welsh Carlyle,Guy de Maupassant, Emile Zola, Andr6 Gide, Arthur Koestler., George Meredith (2回),Ford Madox

Ford, Anthony Trollope, Ivan Turgenev, Boris Passternak, Alexander Solzhenit−

syn., Anton Chekhov, Fyodor Dostoevsky, Alexander Pushkin, George Sand,

Rudyard Kipling, E. M. Forster, Graham Greene, Evelyn Waugh, Henry James

である。andで結ばれている2組は共通する主題のために取り上げられた者。

ロシア人作家とフランス人作家が多いのが目につく。作家名に言及したついで に、この面で探りをいれる。論ぜられた著作者はすべて173名。203篇に対する 173名だから、2度以上登場した者がいるわけで、

5回のDostoevsky、4回のJoseph Conrad, Ivan Turgenev、3回のT. E.

Lawrence, Jonathan Swift, Stendhal, Emile Zola、及び2回者がRobert Brown・

ing, Balzac, Samuel Butler, Charles Dickens, Henry Fielding, Forster, Gustave Flaubert, Ivan Goncharov, Per6z Gald6s, Henry James, Kipling, Meredith, Push−

kin, Tobias Smollett, Italo Svevo, Leo Tolstoy, Giovanni Vergaの17名で、

残り149名が1度という勘定になる。70年間世界文学に親しんだ人間なら(プ リチェットは19世紀最後の年1900年に生まれた)、これくらいの交際相手が出 来ても当り前、と言ってしまえば身も蓋もなくなるが、一篇一篇の極め付の質 の高さに驚嘆した目から見れば、この顔ぶれの多彩さ、人選の豊かな広がり、

文学趣味の釣合いの程の良さはやはり十分驚くに足る。むしろ落選した偉大な 作家達の名を挙げて、彼の豊穣さにケチをつけたほうが楽しいかも知れない。

ドイツなら、ゲーテ、ヘッセ、フランスはデュマ、ロマン・ローラン、アメリ カはホーソーン、メルヴィル、中南米はボルヘス、そして祖国イギリスならオー スティン、ブロンテ姉妹、バクスレー、モーム、ジョイス、マードック等等、

選に漏れた大作家は枚挙にいとまあらずである。(小説家だけを思ってみたの

(4)

は、後述の通り、プリチェットの関心は殆ど散文形式、それも小説に集中して いるからである。)しかし、彼はなにも世界文学総覧を心がけているのではな いから、これは望蜀の嘆というものであろう。

 事のついでに、著者達の国籍調べをしてみる(3)。

     イギリス       92名(53%)

     フランス       25名(15%)

     アメリカ       19名(11%)

     ロシァ      15名(9%)

     スペイン      5名(3%)

     イタリア    、        4名      ドイツ      4名      スイス      2名      コロンビア、ブラジル、アルゼンチン、ポルトガル      スエーデン、ポーランド、日本   各1名

イギリス、アメリカが圧倒的なのは著者の母国語が英語であるから当然である が、ドイツがすくないのが目だつ。日本代表は言わずとしれた、Lady Mura−

sakiである。

 最後に全203篇で論評された作品のジャンル別を調べると、

     小説       134(66%)

     研究書(4)      34(17%)

     日記       9 (4%)

     自伝       7(3%)

     実録       7(3%)

     劇または劇詩       4(2%)

     書簡集       4 (2%)

     創作メモ       2(1%)

     旅行記       2 (1%)

上のリストに見られる通り、劇または劇詩が4つの文章で論じられている

(5)

(Robert Browningの丁舵R仇g伽4伽Booカ(No.17)(5), W. S. Merwin訳 Poθ〃1s oパ肋α4(No.98), Thomas Hoodの社会詩(No.32)、及びJ. M.

Syngeの戯曲(No.21)。)論じられてはいるが、 Synge劇以外は物語詩である。

つまりプリチェットは詩歌の本筋である叙情詩にはいっさい見向きしていない のであり、また扱っている劇はただ一つである点から彼は世の劇作品には書評 の対象としての興味をさっぱり、あるいは殆ど寄せていないと断じても大過な いであろう。だからと言って、彼の劇・詩歌にたいする好き嫌い、向き不向き を云々してはならないし、また出来る相談ではないのは勿論であるが、小説と いい、日記・手紙と言い、伝記・旅行記・ドキュメント・覚書といい、これら はすべて散文文芸・散文行為であってみれば、プリチェットが散文世界を自己 の仕事場兼遊び場と心得ていたと判ずるのは差し支えないであろう。彼は、本 であれば何でもござれと、見境もなく気の利いた言葉を連ねて斬って斬りまく る、なんでも屋の書評家ではないのである。とりわけ、自身小説家である彼は 無類の小説好き、小説読みの上手、小説批評の名手であることは上の134篇、66%

の数字とその一つ一つの出来映えの見事さが示すところである(6)。

2. それらの書評エッセイを読んでいると、書評のよろこびということばが   おのずと心に浮かんでくる。ゆったりとしていて、大らかで、優しい風   情があって、読む者をいつの間にか暖かく包み込んでしまう。あわただ    しい現代生活の中で、彼の書評を読むと言うことは、ほとんど至福とで    も呼べるような時のなかで過ごすことにほかならない、という感じを、

  私は最近一層強めている。

 冒頭で言及した富士川文章のおしまい近くにある、プリチェット書評世界に ついての総括的印象である。よほど広範で多彩で成熟した読書歴や文芸修業の 経験者でなければ、氏のように至福の時を体験するなどとは言えなかろう。私 には無理であった。しかし、書評の喜びぐらいだったら、確かに私も味わった。

それは愉快な、大きな花屋か花園に居て、練乱する百花の色彩と芳香に陶酔す

(6)

る喜びに似ていた、と言っても褒め過ぎにはなるまい。そして、その陶酔とは、

この書評家のnarrative gift and the use of words as an intoxicant(語りの才と、

人を陶然たらしめる言葉の捌き)が与えるものであった(7)。華々しいレトリッ クに圧倒されたわけである。以下、そのような、彼のめざましいレトリックの 様々を大略報告するのが、実は本論文の主要な仕事なのである。

3.レトリックといっても、ここでは修辞学の厳密な定義に従わない。通俗の 使用を採る。たとえば、

RHETORIC:1. the art of effective or persuasive speaking or writing

     2.1anguage designed to persuade or impress(often with an, im−

       Plication of insincerity or exaggeration).(8)

ほどの意味で使いたい。無論2の括弧内は無しである。203篇がことごとく、

プリチェトー流の説得し尽くす語りの才と効果満点の言葉の捌きで読者を陶酔 境にいざなうと言っても決して過言ではないが、それは原文にあたって直接体 験するほかは手だてはない。ここでは、その一端を披露し、断片よく全体を彷 彿させることを願うばかりである。前引富士川文は、この文人書評家がつねつ ね「ジャーナリズム書評は小数特殊の読者相手の学者書評とは大違いなもので あり、なによりも読者を愉しませるべきもの」、との基本的立場から、物語り としての書評を標榜している、と指摘している。そして、実際いかにその文体 が小説的であるかをNo.32, p.223の例で、またいかに書き出しの妙を得てい るかをNo.70, p.430の例で説明している。人真似で面映いが、小説的文体、

絶妙の書き出しを二つながら備えたバルザック論を検討することから始めた

いo

4.前述の通り、本著にはバルザック論が二篇ある。一つは10ページ、他は5 ページ。取り上げるのは長い方。題してPoげRε鋤伽s。御存知の「貧しい縁者」。

彼の壮大な「人間喜劇」中でも、屈指の傑作であること間違いない「従姉ベッ

(7)

ト」と「従弟ポンス」の論である。長い長い、通例の書評にあるまじき次のよ うな書き出しである。

   パッシーの崖の小家は上の通りと下の通りのあいだに籠のように架   かっており、その土地関係のいたずらから下のベルトン街では三階なの   が上のレイヌアール街だと一階になる。バルザックの生涯を象徴するも   のとして考えられてきた住まいである。この家は現在バルザック博物館   になっていて、小説家永年愛用のコーヒー・ポットや森羅万象の知識源   だった辞書、例のすさまじい校正刷りは枠に入れて壁に掛けられている   のが見物できるのだが、管理人はあなたに往昔バルザックがそこを抜け   てベルトン街がわの下の階に逃げた揚蓋を見せてくれる。この通りを41   才の肥満小説家は息を切らせ、彼自身の散文を見るように、よろめき、

  ぶつくさ、セーヌ河へ向かったのだ。一つ棟で二つ家、うつつと夢、表   戸が二つある暮し。小説家、抜けていてそのくせ海千山千、わざわざそ   のあわいを区切るでもない人。バルザックの一生のシンボルたるその家   は、偉大な芸術家達の前線生活と揚蓋生活という彼らが生涯にわたって   往還した両世界のシンボルなのである。その家でバルザックはポーラン   ドのハンスカ卿婦人宛の手紙を書いた。自己表出の技法を、いや、その   習性をすら自家薬籠中のものにしていた高名で経験豊富な作家の手紙は   その言及や解説や熱弁においてもはや度を過ごしていた。その家で、こ   れらの手紙の投函後、彼に唯唯として仕える家政婦と寝るのであった。

  この女性、最後は彼に牙を剥き、彼を脅迫し「従弟ポンス」の身の毛の   よだつ終巻の数章を提供することになる。その家で、生涯最悪の年、小   説家には欠かせないとされている(実は大変な誤解だが)静穏にはつゆ   ほども恵まれないで、バルザックはこの「ポンス」と「従姉ベット」を   書いた。二つながら、彼の小説中、構成と流暢と精妙において最高であ

  る。(9)

バルザック通なら先刻承知のプロフィールが点綴される。引越し狂だった男

(8)

の唯一現存の形見の家。コーヒーに淫し、債権者から逃げまくり、印刷屋を泣 かせたバルザック。ハンスカ夫人への長年の猛烈な恋文攻撃。同時に度しがた い夢想家であり偉大なリアリストであったバルザック。この書き出しを読めば、

バルザック・フアンならずとも、たちまちぐいぐい引き込まれていくにちがい ない。そしてこの断片からさえ二つの特徴が明かである。一つ、プリチェット は当面の作家・作品を顕微鏡と望遠鏡の両方で観察してみせる。二つ、「彼自 身の散文を見るように、よろめき、ぶつくさ」(stumbling and blurting like his own prose)の例のように、一筆書きによる真実の挟出に巧妙である。後 者の場合の、壼にはまった(そして多くの場合、華麗な)比喩を用いての真髄 活写は、彼のこの大冊の殆どどのページにも、珠玉のように埋め込まれている のである。拾い集め始めたら際限がない。㈹

 巧みに表題の二作品を導入したプリチェットは、次いで、ある新刊のバルザッ ク伝を紹介する。新発見こそなけれ、伝記事実の渉猟はご立派と持ち上げる。

Its detaiUs as lively and exhaustive as a Balzac noveL(p.294)とお得意の

simileを使って、ちょっとうまいことを言う。一転、こんなにあっち行きこっ ち行きしなくても伝記は書けそうなものに、と手厳しい。(One can imagine a

less diffuse biography. p.295)しかし、腹ふくるるまで我意を貫いたバルザッ

ク、あれほど稔り豊かな人間喜劇世界を創造した作家が相手なのだから、不平

をいっても仕方あるまい、と同情的である。(But given the gluttony of Bal−

zac 刀@egotism and the fertility of his comedy, one is not inclined to complain.)

伝記への言及はその後も時折あるが、それは自説の用に供させるためであり、

決して自伝の書評に奉仕するためではない。これがプリチェットー流の書評

(?)パターンであって、あとはまっしぐらに自前のバルザック論・作品論を 展開するだけである。

 先ず、バルザックの小説世界の性格・事件・事物などの過激なまでに豊穣な

道具立てを言う。Like the tons of bronze and antiques...with which he dark−

ened the house he finally took for Madame Hanska when he had got his hands oh some of her fortune, the novels of Balzac weigh upon the memory. The

(9)

reader is as exhausted as the novelist by the sheer weight of collection.(確か

に、あんまり物や事がくろぐうと多数ありすぎて、愛好者にとってさえ彼の小 説は記憶に莞れる。贔屓筋ですら収集品の荷重に辟易する。)One is tempted

to see him as the stolid bulldozer of documentation, the quarrying and expatiat−

ing realist, sharpening his tools on some hard views of his own time.矢継早に、

like...,as...as, as...を用いての比喩表現。 bulldozer, quarrying toolsと 連続する石切り作業のイメージはその喚起力において凡庸ではない。しかるに、

プリチェットは自分でイメージを作っておいて、すぐまたぶちこわす(Yet

this impression is a false one...)。読者はいい迷惑である。バルザックはな

るほどかれの時代相のほぼ完壁な画家、資料の石山を切り崩すブルドーザー、

切り出した石を説明しつくさないではおかないリアリストであるが、それは時 代の審判者としての資格からでなく、自身が時代の申し子であったという事由 から(He simply is his time.)可能であった、と説き、申し子である由縁を彼 の出自・背景にからめて語る。

 次に、彼は金銭の小説家の随一と世に称せられるバルザックと金の問題に言

い及ぶ。He expected to find that fallen aristocrat(i. e. money, my insertion),

the goddess Fortune of the eighteenth century;instead he found that in the

nineteenth century the goddess had become a bourgeois book−keeper. His laun−

dry bills, his tailor s bill, his leweller s bill were mixed with the printing

accounts.(p.296)(読者はバルザックが一方でどんなに俗物であったかを思 い出すであろう。)プリチェットのレトリックはあくまでも華やかである。

 バルザックが先輩作家としてばかりでなく生活者の先達として生涯私淑した

スコットへの比較言及も忘れない。Madame Hanska s estate in Poland was for

many years his visionasry Abbotsford;the passion for antiques, the debts, and the crushing labour, the days and nights of writing without sleep were Abbots−

ford too.(p.296)この手の巧みな換喩はこの大著には豊富である。

 散財家で夢想家といえば、これは作中人物だがバルザック級、バルザック風 のイギリス作家の人物、Mr. Micawberがいる、というわけで、彼を用いてバ

(10)

ルザック像に新しい描線を付け加える。His extravagance floated him on the vital stream of unreality. He was the Micawber for whom things were only too

continuously turning up :aMicawber who worked. Balzac and Micawber are,

it is interesting to note, contemporary financiers of the period.(297)バルザッ

クとミコーバー氏とは似たもの同志だが、違うのはバルザックが仕事をした点 だというのは、例の的確な一筆書きである。もう一つエピソードを紹介して、

読者サービスをしつつ人物画に書き込む。Some indeed found him grubby, ill.

kempt and uncouth. Hans Anderson hardly recognized the dandy of the even・

ing party in the touseled Bohemian of the following day. There was a Rue Raynourd and a Rue Berton in his appearance and in his nature.(p.298)世界

的童話作家アンデルセンが目の当たりに見たバルザック。冒頭で述べた二つの 正面玄関の象徴の繰り返しである。二面性は内実ばかりでなく外見にもあった、

というわけなのだろう。

 彼はここまで、スペースのちょうど半分を費やして、このにぎやかな作家に ついての選び抜かれた情報と人物評価を与えたあと、残りの6ページを作品論 に向ける。しかし本論文の主旨はプリチェットの「ポンス論」「ベット論」の 評価そのものをさらに評価するものではないからそれは止して、このバルザッ ク論に見られる彼の書評の方法について言い残した事を一つ記するにとどめ

る。それは、But Pons is a type.(p.299)というさりげない言葉につづけて、

type 的作中人物と character 的作中人物の色分けを論じ、更にそこからイギ リス小説とフランス小説の区分にまで広げていく手順についてである。誰もそ うだが、とりわけプリチェットは箇々の作品・作家からいっとき離れて共時的 に同国、時には他国の文学事情の或る局面、通時的に同国・他国の文学環境の 過去・現在の一面を語る。つまり当該の作家・作品をよりよく見知るために暫 時視座を移すのである。顕微鏡の他に望遠鏡の用意ができている。樹をよくよ

く見るが、その樹の立っている森を見晴らすことも忘れない。というわけで、

プリチェットのこの大冊はさながら、文芸学(そして殆ど小説の文芸の)小百 科事典の観を呈する。特定の箇については無論、その一つから派生し、進展す

(11)

る一般的なものについても、文学研究上あるいは鑑賞上のさまざまな項目の的 確有益な論述を与えてくれるのである。これがプリチェットのこの「全書評エッ セイ集」を読む大きな楽しみ(そして大変な利益)の一つにもなっている。試 みに、そのような項目を本著の初めの方からのみいくらか列挙すれば次のよう になる。フランス・ピカレスク小説とスペイン・ピカレスク小説(No.6)、

滑稽文学論(No.8, No.12他。ユーモア文学の論はわけても豊富でその論説 はすべて卓越している)、心理小説とユーモア(No.11)、日記と日記作家(No.

15その他)、ヴィクトリア小説論(No.17。この項も宝の山)、風刺論(No.19)、

行脚の文学(No.24)、挿絵と小説(No.28)、政治と小説(No.33)、科学ロマ ン(No.39)、素人作家論(No.45)、イギリス人と恋愛小説(No.73)、ジャー ナリズムと創造力文学(No.79)、推理小説の本質(No.81)、 snobberyの文学

(No.84)、 Comic Writingの衰退(No.89)、歴史小説(No.92)、マイナー作 家の手柄(No.94)などなど挙げていけばきりがない。

 最後が、このバルザック書評の中でも、とりわけプリチェットのレトリック の程度を窺い知ることのできる例になっている。引用する。

    Balzac examined the dossier of human nature with the quizzical de−

   tachment of some nai1−biting, cigar−stained Chief of Police who has seen    so many cases:who is going rapidly up in the world;who thanks heaven

   that he does not make the moral law and that a wordly Church stands

   between himself and the Almighty. (p.299)

    バルザックは「どこぞの爪を噛むのが癖の、葉巻の匂の染みついた警    視総監一出世街道を現在ひた走り、これまであまたの事件を見てきたし、

   徳目の公設は自分の仕事でなく、自分と全能神のあいだに世俗の教会が    立っているのをありがたいと思っている警視総監」一の、ちょっと人を    馬鹿にしたような醒めた目で人間性という身上調書を検討するのであっ

   た。

これは見事な文と言ってよいのか。それとも凝り過ぎだと言うべきなのか。英 文のof some以下、和訳の「」内は果して必要なのか、蛇足なのか。なにし

(12)

ろ読者の意識に重くもたれる文であることは否めまい。

5.今度は同国人のイギリス作家からゴールズワージー(John Galsworthy 1867−1933)を選んで、その扱いを見てみよう。プリチェットが取り上げた92 名の文人のうちで最も辛い点を貰った一人と思われるからである。一体に褒め 上手な(ただし、野放図に点が甘いわけではけっしてない)この小説家・書評 家の辛口批評のサンプルである。今は殆ど忘れられかけているノーベル賞作家 ゴールズワージー⑪の是々非々の論は他の文とよほど趣が変わっている。4頁、

彼としては短章である。

    Galsworthy? AC輌ty toff, decent fellow, fond of the Turf. Good shot.

   Abit damp−eyed. Some trouble with a woman. Gave up shooting birds,

   took to novel−writing and shooting his own class−rich lawyers, company

   directors−until the Germans unsportingly cleared the covers. In the

   end, wrote telegraphese like this and forgave all. (No.93, p.575)

    ゴールズワージー?シティのしゃれ男。まとも人間、競馬好き。鉄砲    の上手。ちょっと涙目。ある女と悶着あり。鳥撃ち絶って、小説書きと    仲間(金持ちの三百代言、社会の偉いさん)撃ちに取りついた。あげく    は卑怯なドイツ人達の手でまる裸の憂き目。最後には、以上のような電    報文スタイルを書き、皆皆を赦免した。

と、面白く書き起こして、40余年前、代表作丁んθFσ鋤ε∫αgαについて、この 大河小説の愛好者をもって任ずる者さへが、フオーサイトー族など現実遊離の 偲偶だと言ったのは、当然の弁である、思うがいい、彼の想像力はぬるま湯的、

人物造形は希薄・半端・粗略、発明に乏しく、リアリズムは単調、感情を扱え ば曖昧模湖、必要な思考は無くて困惑もしくは軽薄のみ、(Galsworthy s im・

agination was lukewarm:thin, partial, thumb−nail sketches of people, poor in−

vention, jog−trot realism, blur when there is a question of feeling, embarassment

or jauntiness when there should be thought)といいたい放題である。

 第2passage。しかしながら(と、プリチェットは書く)、この小説はアメ

(13)

リカとヨーロッパ大陸ではイギリス人気質の標準的ガイドブック視されたし、

とりわけ今の(というのはこの評論の発表された1965年当時)ロシア人は外国 の知識人と知的カードをするときは「偉大なるゴールズワージー」を切札に用

いる。( the Great Galsworthy is brought out like a trump when one is playing

ahand or two with foreign intellectuals.)それというのも、世人は前代のヴィ

クトリア朝作家たちの難しげで無整序の説教顔よりは単簡・単純な説明が欲し

いのであり、彼はそれを提供したから。(The world has a hunger for the sing.

le, simple explanation and Galsworthy explained where the Victorians had put

on a complex, congested, preaching face.)カードの比喩、顔のイメージ。

 第3passage。(プリチェットは続ける)この小説家に言わすれば、英国人 が熱愛したのは財産である。これが社会の大勢である限り、なにかと不都合な 喜怒哀楽の情も仕末がついた。(For him property was the English passion:

convention disposed of the inconvenient emotions.)だって、家でも、美しい田

舎でも、芸術品でも、いや、女だって子供だって手に入ったではないか。どん な人間的感情も、多かれ少なかれ非人間的なところのある株主会は避けて通れ ない、払うべきものは払わねばならないし、損をしたら感傷というクリームを

塗ってその痛みを和らげるだけだ。(Every human feeling had to pass through

amore or less brutalising shareholders meeting;it had somehow to pay and, if you had your losses, you put a, soothing cream of sentiment over them.) ここ

にも、株主会とクリームの比喩。ヴィクトリア人の堅い鎧を突き破れない外国 人は、だから、ゴールズワージーのこの内面観を受け入れた。(The foreigner

brought up on Victorian impenetrability was ready for Galsworthy s inside

view.)それは外国人好みのイギリス幻想の説明になったからである。すなはち、

裕福で、むっつりしていて、青い目で、無表情で、適正という名の主人持ちの 銃猟犬、立派に死んだときはじめて獲物を慈しむよう訓練された犬のごときイ

ギリス人という幻想だ。(the wel1−off, buttoned up, blue−eyed, balank−faced En−

glishman who was a sort of gun dog to a master called the Right Thing and trained to love life only when it was decently dead.(p.576)ここでは犬をたね

(14)

にした長々しい陰喩。要するに、フオーサイトー族は一つの想念であって、作 者が世間にたいして怒っているうちは小説中の一族はたしかに働いているが、

怒りがなくなれば、この「サガ」とて、こみいった家族関係を描いた、硬い外 皮の讃歌にすぎない小説で終る。(the Saga becomes a family charade and a

hymn to crustiness.)

 第4passage。作家自身の私生活が作品とつきすぎるくらい関連性を有する ことが述べられる。生活や遊興のための十分な支度金、遺産相続の見込みがあっ た。競馬ほどはオクスフオードでの学業には身をいれなかった。法律家になっ ても精勤するではなかった。情事の後始末のために世界を巡り、帰国してから は宗教的懐疑を抱き、社会不正に目覚めた。かといって、自分の属する有産階 級への謀反は深い理念から発するのでなくお坊ちゃん風の侠気のなせるわざに 過ぎない。ある人妻との情事を、醜聞による社会からの追放と父への義理と貧 乏への恐れから10年隠し続けたが、それもついに破局にいたる。かくして、

「財産の人」の中心主題一愛情問題に財産所有権を持ち出す不見識一が準備さ れた。美(人)を飼う試みなどは傍く消えるもの。(The central theme of A

仇αηo∫ργqρ2γ砂一the indecency of property rights in love・was provided. Try to own Beauty and it vanishes.)

 第5passage。小説家の一切の個人的危機が去ると、同時に謀反も終わった、

とプリチェットは指摘する。なるほどその後ずっと、暴虐や社会の不正に立腹 する彼ではあったが、それは所詮社会機構のなかに安住したうえでの立腹で あった、という。そしてそのつぎの評言はゴールズワージーの作家的限界と資 質を喝破しそめざましい。

    He became a very likeable kind of English crank and this crankness

   found an effective outlet in his plays;but as a novelist he sank into an    ironical apologia for the class he represented.

    彼は実に好感のもてるイギリス型変人になったのであり、そしてこの    変人ぶりはその戯曲において効果的な吐け口を見いだした。しかし小説    家としては自分もその代表者である階級を皮肉にも弁明する人物に堕し

(15)

   たのであった。

Sagaのなかでただ一人、よく創られているとプリチェットが考える人物 Soamesについて、それとてこの長大な物語の一の巻のあいだだけであり、総 じて、ゴールズワージーには一つの考えを深める才能も、活力も、確信もない

(Galsworthy has not the talent, the vitality, the conviction to deepen an idea.

p.577)、と一刀両断である。

 第6passage。したがってヒロインのIreneについてはもっと手厳しい。作 者は他の作中人物達と同じで、この「有名なIreneの受動性」を扱いかねてい るのだ。だから、彼女にはあえかな声で電報文のように途切れ途切れ聞こえる 台詞でしか喋らせ得ないのである。彼女はたいていは花に近い、開いた窓辺に

座っている!賢い女性だ!(Galsworthy is so bemused by Irene that he can.

not even get the woman to speak except in lines that sound like bits of a breath−

less telegram. And she is, more often than not, sitting by an open window near

flowers 1 Clever woman!最後の、感嘆符つきの吐き捨てられた二語には満腔の 皮肉があって、筆者のように彼女をイギリス小説のヒロインの中でも、好きな 一人にしている読者はたじたじとさせられる。

第7passage。肝腎要めのところでしくじっているから、作家に残されている 腕の奮い場は、紳士のアマチュアが見知っている社交界の上っ面ぐらいで

(Galsworthy is left to exercise the skill of a gentleman amateur on the surface

of socisl life)、その手のスケッチにおいてポートワイン的皮肉が発揮されて いる、とプリチェットは続ける。aport・wine ironyとは見かけない表現だから、

プリチェット語なのであろう。辞書の定義に従って⑫、「甘くて、やや渋みが ある」、そういう味の皮肉の意味だととるならば、これは何気ないようでいて、

じつはよく吟味された直喩だといえる。そのゴールズワージーが野卑な人物へ 筆先を降位させると人物造形の出来がよくなる。(Galsworthy s lapses into

the raffish are good.)この一文など、それこそ、 a port−wine ironyというも のだろう。

第8passage。彼は「教えこまれた作家であった」とプリチェットは重要な資

(16)

質を指摘する。(The interesting thing about him is that he was a taught writer.

)どんなにselt・taughtの作家といえども、先達や先行作品によってなにかし ら「教えられている」はずであるから、ゴールズワージーの場合は、それがよ ほどの事であったわけで、プリチェットはそれを妻や友人の文人達が形成した、

ゴールズワージーのための「作家養成委員会」(committee)による教えといっ ている。この委員会の指導監督のもとで、日夜研鐙した彼はノーベル賞を受け るまで成功したが、今は殆どまじめに取り上げてもらえない小説家である、と 述べてからプリチェットはこの評論で一番彼が力説したかった事らしい点に及

ぶ。

    What no one detected was that his weaknesses fitted him for the stage:

   his simple sentimental view of the class situation, his feeling for moral    melodrama, h、is eye for the short scene, his topical sense of justice and a

   reformist temper made acceptable by dialogue done in offhand remarks.

   He could knock off a play in a few weeks without help from the commit−

   tee;and actors gave life to what, in his novels, was really lifeless.

   (p.578)

    誰一人見抜けなかったのは彼のいろんな短所がかえって彼のためには    劇場に向いていた点である。階級状況の把握が単純で感傷的であったこ    とも、道徳臭のあるメロドラマへの志向も、短い場面にたいする眼のよ    さも、時流に合致した正義感覚も、改革者的気質も、いちいちの場面に    おけるくだけた台詞まわしの力で皆の受け入れる所となったのである。

   彼は委員会の手助けを受けずとも数週間で一本の芝居を仕上げ得た。小    説のなかだとさっぱり生気の読み取れない事柄に役者が生命を与えたの    である。

ゴールズワージー、黙して瞑すべき顕彰だといわねばならない。

 第9passage。劇作家としては荒削りだと考えるのが通り相場になっていて、

確かに無理な筋立てが見られるが、彼は作劇に創意工夫あるてだれであった、

(The fact is that Galsworthy was an ingenious craftman.)と説いて、プリ

(17)

チェットは二三の名場面を紹介する。まさに劇場こそは、彼の混乱した心の中 に没していた、やれ良俗と悪弊、やれ財産と貧困、やれ真実と偽善など、黒白 のはっきりした対立観念を躍如たらしめる場所であったのだ。(The theatre

was just the place for those black−and−white notions of Decency and Vice, Prop−

erty and Poverty, Thuth and Pharisaism which were buried in the confusions of mind.

 10passage。ここで、作家・作品を離れて、冒頭の同じく人間としてのゴー ルズワージーが語られる。一巡して、円が描き尽くされようとするのである。

終生紳士で、道徳家で、金持ちだった彼はさまざまな団体、主義、不運・不幸 な人々のために惜しみなく金を与えた。しかし、彼は貧者には貧者の生活があ ることがついに理解できないままだった。所詮、貧乏街区の訪問者であった、

壮重で、堅苦しくて、慎ましい外来者。 (..he had no notion that the poor

had their own life. He was always the district visitor, solemn, formal, and modest.)

 最終の11passageは、以下全文引用する。

      Galsworthy s character appears most clealy in his relations with Ada

    Galsworthy. She was the daughter of an eccentric doctor who spent

    many years building an elaborate mausoleum for himself and used to sit     in Norwich cemetry gazing at it with pleasure and thinking of little     touches to add to it;an apt progenitor for the original of the mysterious,

    passive, silent, Irene. As a muse−amodel from whom the novelist was

    rarely separated−she was, not surprisingly, exigent. She became a     hypochondriac and he was her continual nurse. He said that he had

    found a talent for nursing. In a sense, he wanted to nurse England He      also said, with a sort of helpless pleasure, that Ada paralysed him. That      is a Forsyte story that was never written.(p.579)

      ゴールズワージーの人間性がいちばんはっきり現れるのは妻のアダと      の関係においてである。彼女の父は変人の医師で、自分用の霊廟を長年

(18)

   かかって懇ろにこしらえたが、常日頃ノリッヂのその墓所に座って、満    足気にこれをうち眺めては、あれこれちょっと手を加えるべき箇所を考    えた。謎めいて、受身で、寡黙のアイリーンが創られるための格好の原    形であった。彼の芸術の女神としては一この小説家が殆ど絆を絶つこと    のなかったモデルであったが一峻烈だったのは驚くにあたらない。妻君    は心気症病みになり、夫の看病はいつまでも続いた。自分には看護の才    があるのが判ったと彼は言っている。ある意味では、彼はイギリスの看    病が希望だったのだ。また彼は、一種諦めの混じった満足感とともに、

   妻が自分を金縛りにした、とも言っている。それこそ、ついぞ書かれる    ことのなかった、フォーサイト家の物語である。

 プリチェットは書き出しも上手だが、締めくくりも見事だ。一般に、書評の 大きなひとつの役目でもあり効用でもあるものは、取り上げた本への誘いであ るが、プリチェットのこのゴールズワージー紹介が、丁舵Foγs吻Sα8α再読、

三読の促しにはなっても(彼の論に不賛成のゴールズワージー研究家ないしフ ァンをを奮起させるに足る刺激的な一文であるから)、果して初読への興味喚 起となるかどうか心もとない。ひょっとして、作品よりはむしろ作家の伝記に 憧れさせるかもしれない。なにしろ、イギリス人は伝記好きの国民であるから。

プリチェット書評文は対象書の未読者にとって、親切なガイドブックではない、

という事情については後述する。

6.全203篇中、No.183, T舵Cηs励∫初γττは一等短い。4頁ものが8篇ある なかで、これは3頁と3分の1にも満たない。それを全訳して以下に記す。

(1)奇人、変人、困り者は定期的に英国人の暮しに現れるが、戦時には 大勢そういう手合いが真価を発揮する。これはたしかにジョージ・オー ウエルにあてはまることで、その上に彼は二人いた。一人はエリック・

ブレアという被抑圧人間。いわくビルマの元警察官、イートン校卒業生、

貧乏スコットランド人、スペイン内戦の短期だったが不運な兵士。もう

(19)

一人はジョージ・オーウエル。すなはちアマチュアの浮浪者、ボヘミア ン、そしてハーバート・リードに言わすれば、ジャーナリズムを文学の 威厳にまで高めたジャーナリスト。第二次大戦中のBBCのサークル(イ ンド向け放送の担当)でも、ソーホーのパブ、ホライズン誌のオフィス でも、あるいは貧乏文士連があのひもじい、さもしい時代に住ついてい た界隈でも、顔馴染みのロンドン人であった。オーウエルにかかわる逸 話の数はかなりのものである。これほど複雑で、一所不住で、矛盾だら けの人間を熟知するなど不可能事であったのに、このたびジョージ・

ウッドコックが、その人間的魅力を立派に語って、実に透徹した人物研 究の書物を著した。氏もお定まりの喧嘩のあと友情を結んだ一人で、喧 嘩がオーウエルの場合友人の絆を固めるのである。

(2)オーウエルはウッドコック氏の言うとおり、その姿態がドン・キ ホーテを彷沸させ、彼なりのサンチョ・パンザにつきまとわれていた。

くたびれた上着、コールテンのズボン姿の「よれよれのイギリスの旦那」

と言ったほうがもっと似合う。丈があって、骨太で顔には苦労嫉、両眼 がそのくぼみからはたと相手の頭上のあなたを見据えており、それはあ たかも一層の安楽、新手の腹立ちを求めているかのようであった。薄い 唇のきつい口元。全体のわびしげな風情を救ったのは、だしぬけに見せ る微笑みと、針金のような、元気のよい、短めに刈ったもじゃもじゃ髪 とであった。声は、しまりのない、殆ど無気力な、ロンドンなまりのだ らだら弁だったのだが、荒くれた鋭さがひそんでいて、なにやら剣呑で、

実際その声を用いて人に有無を言わせぬこともあった。彼は戦争が人心 と生活一般の中に創り出すわびしい無人の国にあっても、われわれ以上 に曇如としているように思われた。

(3)私が彼と出会った思い出の中で際だっているのが三つある。ある時、

同道して、彼が借りていたセント・ジョン・ウッドの、むかしは高い家 賃だった高層団地の最上階で半分空室に近いフラットに戻ったことが あった。ここの建物はね、ドイッ機の夜間空襲のせいで半分とこ借り手

(20)

がつかず、家賃は下がっており、屋上に接して住めるのは運がいい、な にしろ焼夷弾処理にはいちはやく飛び出せるから、とそう彼は教えてく れた。可能な限り爆弾に近いところに住むのが望みという印象であった。

別の時、私達二人はピカデリーから引っ込んだある戸口で長い立ち話を したのだが、その間じゅう、彼は田舎で羊を飼う有利を、費用や出産の 数字を事細かにあげて語った。生まれついての小農気質で、体を使う仕 事が好きであったからだ。BBCに勤めながら、夜の時間を飛行機部品 製作のパート仕事に当てていたくらいである。私に家族を引き連れ、ジュ ラ島へのおっかない移住に加わるようしきりに勧めたことがあった。ど うやら、その島の魅力というのが、嵐のせいで本島から長期にわたって 孤立させられること、食物や燃料は岩場や海岸をかき回して手にするこ と、現代全体主義の競争体制から自由でいられることに、あるらしかっ た。この時は私達はパーシー街の店で高価なものをたらふく飲食してい たのだが、サンチョ・パンザがいい子にしていると、憂い顔のキホーテ から思いがけぬ下されものがあったものだ。彼が産業資本主義を憎む理 由の一つは、人々がじつにひどい、まがいものを食わされ、あげくは意 気阻喪して、ちゃんとした料理ができない人間になる、というにあった のだが、そのくせ彼は貧相な小店で買った安い下等な煙草をパイプに詰 め、濃い紅茶を受け皿から呑む御仁である。それがまともな英国人労働 者の流儀だと他愛なく信じていたからで、「労働者階級の難儀」に沈潜 することの道徳的利益を指摘してみせるのであった。

(4)こうした習癖が招いたのはわざとらしい奴という非難である。たし かにオーウエルには一抹の精神的虚栄があった。しかし、ウッドコック 氏も言うとおり、この非難は表面しかみていない。オーウエルには裏返

しされた男伊達という一面があったのだ。それは、驚くべし、オスカー・

ワイルド、とりわけドリアン・グレイを賛美した点に顕著である。同性 愛には全然関心はなかったが、ドリアンの二重人格性と自分の領国で本 性を通す心意気に魅了されたのだ。彼の死に際して、世間が与えたもう

(21)

一つの意見は、オーウエルが我々の類いの社会から求めて身を引き、か つ身をさいなむのに熱心だった(ジュラ島での厳しい体験がそうだった)

のは自殺行為であった、とする批判である。既にして彼は結核だった。

なるほど、げんなりしていて、もうどうでもいいやという態度、賭博者 特有の中立を守る心構えの如きものが核心をなしている観が彼にはあっ た。しかし原始的環境の、単純素朴な人々の中に麗しい、自然な生活を 発見し得るとする信念こそその中核だった。「麗しさ」は贔屓の言葉の 一つだった。自殺直結の旅枕にある者だったら、たしかに、彼みたいに 養子を貰ってこれを慈しむなどはしなかったであろう。この件について は、我々は多くを知り得ない。オーウエルは自分のためにはいっさい伝 記無用と言ってきかなかったからだ。秘めて明かさない人間であった。

友人仲間と己の生活とは別々の部屋に入れておくのを好んだ。

(5)オーウエルの政治的良心と関心とが早咲きであったのと、その諸観 念が行動の中から成長したのとは、よく知られている。同時代の英国人 はヨーロッパ大陸の政治に目を塞ぎはしなかったものの、その現実を信 じるのを嫌悪したが、そういう人の誰よりも彼はカミュやシローネやケ スラーに親近していた。考えるところあって、ビルマ警察を辞したのだ が、多くの夢想的反逆者連と違って、権威の必要性を尊重していた。そ れはキップリング擁護の論を読めば知れる。多くの面でこの急進党員は、

えてして英国人の急進派がそうなのだが、保守的であった。彼にとって はヴィクリア朝植民地主義、ヴィクトリア朝英国そのものは悪しき体制 であったが、所詮、自分一個の範囲内では良識という芯を隠しもってい た時代であった。この芯も、彼の信ずるところでは、我々のこの崩壊の 時代にあっては生き残れる見込みは殆どない。理由は、個人を離れた、

全体主義的な、非人間的な、不正直な権威の力を頼んで我々は自らを救 おうとかかっているから、という。我々は(小説「1989」に創られてい る)「新話=Newspeak」病にやられているからであった。

(6)オーウエル描く英国の絵柄は風刺と実利主義と感傷のないまぜであ

(22)

る。彼の著述を扱う者の姿勢はシヨーを扱うのと同じでなければならな い。良識の断片を回収する姿勢である。ビルマ体験から彼が到達した考 えは、これもウッドコック氏の言葉だが、植民地支配者の被支配者に対 する姿勢は英国やヨーロッパの支配階級の労働者に対するそれと軌を一 にする、ということであった。労働者達もまたのけ者にされている。自 分は彼らの仲間に入ろう。が、この診断は拙速に過ぎた。自己を放榔し たあげくに出逢ったのはただののけ者、落醜者であった。この点ではオー ウエルはドリアン・グレイ同様のロマンチストであった。なぜなら、英 国の労働者階級の主体をなすのは産業革命このかた自他共に認める卑し からぬ人々であるからだ。かれらは組合によって教育されていた。階級 の壁は彼らの側からは絶対であった。いくらスポーッ、ビール、ギャン ブル、赤新聞にとりつかれているにしても、その強情な政治的純粋主義 はびくともしないのである。彼らもまた、オーウエルと同じで(唯一つ 両者を結び付けるところの)二重の心を持っていたのである。もっとも、

彼らのほうは階級を離脱などしなかったけれど。英国人の生活について の野放図な作品丁んε拐㎝伽4Wひηづα耽の中で、オーウエルはこれら の喧嘩早い、精神が怠惰な、雑種英人のかなり見事な絵を描いた。

(7)ウッドコック氏の研究の値打は氏が注意してオーウエルの自家撞着 のあいだに道を求め、作品から作品へと著者の足取りを追っている点で ある。これは困難な作業である。なにせ、オーウエルは整理された抽象 思考を得手としなかった。荒っぽいが多彩なところはコベットやディケ

ンズの再来である。いや、ちかごろ私は気づいたのだが、カーライルと 同類である。彼のディケンズ論はギッシング以後では英国人作家による エッセイとしてはまず最高峰であろう。主題や、奇妙なユーモアや、リ アリズムに対する自然な姿勢への試行が反映される文体を発見しよう と、オーウエルがいかに真剣に取り組んだかを理解しておくのはこの際 大切な事である。ジャーナリズムの派手色の不確実や当てずっほう離れ て上達した散文は茄㎜αgθroCα鋤㎝砺やAη伽αJFα働の章段に見られ

(23)

る通り、スイフトを思わせる雨のような澄明さを獲得している。

ウッドコック氏は、実に興味深いことに、初期のBμ働θsθDαハ(解放 の成果の作品)、C佛仇8ψ吻、4gεの中の子供時代を語る文章と、1939 年中の奇想との関連性に着目しているし、さらには面妖なあらわれかた をする自虐的イメージの中にも関連性を見ようとする。言葉の悪用に対 する興味がBBCでの仕事のなかから彼のうちに育っていく有様を知っ ておくのもまた有益である。オーウエルはすぐれた小説家ではなかった が、「生きている」人間、恐れを知らぬパンフレット作家であったのだ⑬。

 上のエッセイには他と比べていくつかの特徴がある。第一に、すでに述べた ように、最短であること。次に、特定の一つ、あるいは二つ、三つの作品を論 じていないこと。第三に、従って、作家が語られるわけだが、それとて、人間 としての姿態、性癖がエピソード風に紹介・解説されるのが主であること。別 人の文学論、評伝などを種にして、自前の作品論あるいは作家論におよぶとい うプリチェット方式はここでも行われているが、通例と異なるのは、話のとっ かかりのため、いわば他者をダシにして、あとは自説開陳にまっしぐら、とい

うところがない。従って世上の書評らしく仕上がっている。この四つ目の特徴 は、仮に私が番号を付けた、1段、2段、4段、6段、7段(二回)に George Woodcockへの敬意ある言及がなされていることに見られよう。初めか ら最後までウッドコックから離れていない。そのくせ、研究書の書名も、出版 社も、刊行年月も、価格も知らされていない(14。これは読者のためにはunkind でnegligentである。ぶあしらい、といえよう。だが、短いながら、あるいは それ故に、簡潔だが堅苦しくなく、むしろくつろいでいて、含むところの多い、

刺激的な意見がきゅうぎゅう詰めにされているから、なかなかにtantalizing な一文である。ウッドコックの原著の存在を読者に意識させ、印象づけ、かつ 渇望させるという側面からは、これまた書評の仕事の一端を果しているといえ なくもない。ウッドコックをぜひ読んでみたくなるではないか。

(24)

7.結論として、このプリチェットの大著から感得できるのは、平凡な言いぐ さだが、「豊かさ」と「華やかさ」と「楽しさ」である。そしてこの三つを束 ねた「大きさ」という資質である。「豊かさ」はまた「広さ」と「深さ」の二 つより成っている。煩を厭わず、巻末のIndex(pp.1309−1319)の記載項目を 数えてみると、全て967である。そのうち著者名の数が318、作品・著書数は 649となる。(先に述べたように、203編・173著者が論評の直接対象であるから、

残りの446編・145著者は、文中で多少とも関連的に言及されたものの数字とい

うことになる。〉

小説家で書評をも専門とする人間が何十年も生涯かけて、文芸書を読めば、そ のうちこれくらいの数には到達するはず、とその数量に、つまり「広さ」に驚 かない者でも、主題に挙がったいちいちの作品・作家についてのプリチェット の理解の「深さ」には、主張への賛否はともかく、感服せざるをえないであろ う。「華やかさ」についていえば、この書はさながら書評のレトリックの百貨店、

見本市である。直喩、陰喩、換喩、提喩等の比喩からはじめて、列叙法、列挙 法、緩叙法等の除法のテクニック、あるいは対比、逆説など、なんでもござれ である。レトリックは文章の専門家たるもの、これを意識して常用するのは当 然だが、プリチェットの場合は、それがおびただしく用いられ、またいかにも 華麗、適切に繰り出されていることは、すでに引用した少ない用例からも歴然 である⑮。レトリックだけに限ってこれを収集し、整理・分類して、展示すれ まことに美美しい花園が出来上がるであろう(1θ。第三に、「楽しさ」に関しては、

正直いって、これを喋喋する資格が私には十分あるとは思えない。プリチェッ トが語っている作家・作品の全部を私は読んでいないからであり、また読んだ ものについても彼ほど立派に理解し、鑑賞し得ていないからである。ただ、私 がその全部かあるいは殆どの作品及び、その人の評伝・研究書のたぐいを読み

知っている作家、Balzac, Conrad, Dickens, Forster, Galsworthy, Gaskel1James,

D.H. Lawrence, Poe, Richardson, Waugh, Wodehouse等についてのプリチェッ

ト文章が与えてくれた楽しさから推し量った場合、私がその少ししか読んでい ない作家、まだ一度も読んでいない作品をもしも味読した後で、名ガイドのプ

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