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法条競合と包括一

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(1)

五 四 三

法条競合と包括一罪の罪数論的意義 はじめに

口構成要件標準説の意義︵以上本号︶

法条競合論の再構成

包括一罪の類型化

おわりに

八七

(2)

(一) 従来︑罪数論は︑

その決定基準について争われ︑大別して︑行為標準説︑結果︵法益︶標準説︑意思標準説等が唱 えられた︒そして︑現在では︑構成要件を基準として罪数を決しようとする︑構成要件標準説が通説の地位を占める に至っている︒もっとも︑これらの罪数学説の対立は︑犯罪とは何かという︑犯罪の本質論に関する理解の相違に基 づくものであるが︑法条競合及び包括一罪については︑いずれの説も︑それらを本来的な一罪と考える点では︑共通

性を有するものであった︒

ところが︑最近になって︑罪数論に関して新たな動きがみられる︒それは︑法条競合や包括一罪の場合にも︑数個

の構成要件該当性があり︑構成要件標準説によると︑

る︒そして︑このような認識から︑包括一罪は科刑上一罪であるとか︑法条競合も数罪であるとするような学説も現

われている︒また︑

それらは数罪となるのではないかという認識に基づくものであ

さらに︑構成要件標準説そのものに疑問を抱く学説さえ出現するに至っている︒

本稿は︑このような罪数論の現状をふまえ︑改めて構成要件標準説の意義を見直し︑法条競合と包括一罪の罪数論 的地位を明らかにしようとするものである︒そしてまた︑従来より概念的にも不明確であり︑そのためにしばしば混

同して用いられてきた︑法条競合と包括一罪の概念的明確化を試みたい︒

法条競合と包括一罪の罪数論的意義

従来の罪数学説

は じ め に

  / J  

2 ‑ 1 ‑88 (香法'82)

(3)

本論に入る前に︑

ま た

どの点が批判の対象となったかを概観しておきたい︒このことによって︑構成要件標準説の位置づけがより明

らかになると思われるからである︒

行為標準説 まず︑従来の罪数学説において︑法条競合及び包括一罪がどのように把握されていたか︑

行為標準説は︑戦前の我国において有力に︑E

張さ

れ︑

ま た

八九

そして

ドイツにおいては古くから現在に至るまで︑通説的地

位を占めている学説である︒この説は︑﹁犯罪は行為である﹂という命題から出発し︑﹁一個の行為は一個の犯罪を構

成する﹂と結論づける︒従って︑この説を徹底させると︑観念的競合は本来的な一罪であり︑さらにそれは︑法条競

(3 ) 

合の一種であるということになる︒もっとも︑行為標準説をとりながら︑このように徹底した結論に至らず︑発生し

た結果をも重視し︑観念的競合を本来的数罪であると考える学説も存在する︒また︑ドイツの学説の中には︑罪数を

行為の単複の問題としてとらえながらも︑侵害された法規の数をも考慮することによって︑観念的競合を数罪とする

(5 ) 

説も多い︒このように︑行為標準説は︑その標準とされる行為の数を︑如何なるものを考慮して判断するかについて

統一されておらず︑法条競合と観念的競合の把握についても︑一致した基準を提示するに至っていない︒

また︑行為標準説は︑基本的に︑一個の行為があれば一罪であり︑数個の行為があれば数罪であるとするのであるが︑

多かれ少なかれ数個の行為による一罪を認めている︒すなわち︑我国では︑行為標準説をとる学説も︑集合犯︑接続 犯︑結合犯等を本来的な一罪と解しており︑ドイツでも︑行為の法律的単一性又は行為の構成要件的単一性という構

(8 ) 

成のもとに︑結合犯︑集合犯︑連続犯等が一罪と認識されている︒そして︑構成要件自体が数個の行為を予定してい

る場合︵結合犯︑集合犯等︶があることを考えると︑行為標準説といえども︑数行為による一罪を認めざるをえず︑

そこにこの説の欠陥が如実に現われているということができよう︒

(4)

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Strafrechts, 1914, S. 102 ; Hopfner, Einheit und Mehrheit der Verbrechen, Bd. 1, 1901, S. 156f. ; Liszt‑Schmidt, Lehrbuch des 

Deutschen Strafrechts, 26. Aufl., 1932, S. 349; M.E. Mayer, Der allgemeine Teil des deutschen Strafrechts, 2. Aufl., 1923, S. 

156; Baumann, Strafrecht, Allg. Teil, 8. Aufl., 1977, S. 682; Kraushaar, Das Wesen der Ideal‑und Gesetzeskonkurrenz im 

Deutschen Strafrecht, 1912, S. 55. 

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Schmidt. a.a.O., S. 359 Fn. 6; Mezger, Strafrecht, 3. Aufl., 1949, S. 469f. ; Maurach‑Gossel‑Zipf, Strafrecht, Alig. Teil, 

Teilband 2, 5. Aufl., 1978, S. 295; Kraushaar, a.a.O., S. 55; Baumgarten, Die Lehre von der Idealkonkurrenz und Gesetzes‑

konkurrenz, 1909. S. 62. 

(C'0)~ 暫・1忌武笠ごぐl!GIJ:'+<、字・i忌翌笠l兵兵~,睡三・i忌翌浬奴(I]) 

0., S. 356; M.E. Mayer, a.a.O., S. 505; Baumgarten, a.a.O., S. 74f.  臣<濫'Wachenfeld,a.a.O., S. 103; Liszt‑Schmidt, a.a. 

("'1')ヨ匿・1忌主笠I1ば!,."ご零王・i忌蕊~jI!]<\ml.'.'fL-~ ・i忌森聟110己冨゜

(l.{")) Beling, Die Lehre vom Verbrechen, 1906, S. 306f. ; Frank, Das Strafgesetzbuch fur das Deutsche Reich, 18. Aufl., 1931, S. 

226; H. Mayer, Strafrecht, Allg. Teil, 1953, S. 412; Schmidhauser, Strafrecht, Alig. Tei!, 2. Aufl., 1975, S. 736; Dreher‑

Trondle, Strafgesetzbuch und Nebengesetze, 39. Aufl., 1980, S. 267. 

(5)

(2) 

( 6 ) 数個の挙動がある場合に︑全体として一個の行為とみるか︑数個の行為とみるかについても︑判断が困難な場合も多いであろう︒

(7)小疇•前掲書五三六頁以下、山岡・前掲書一一四五頁以下、岡田・前掲至自四六四頁以下、島田・前掲新論三八九頁以下、大竹•前掲

書一九七貞゜

( 8 ) 観念的競合を本来的一罪とする学説も︑数個の行為による一罪を認める︒

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結果︵法益︶標準説

これは︑犯罪の本質を法益侵害に求め︑行為から生じた結果︵法益侵害︶の数を罪数決定の基準とするものであり︑

この点について結果︵法益︶標準説は一致した見解を示している︒ 戦前の我国において有力に主張された︒この説によると︑法条競合と観念的競合とは明らかに異なるものとされる︒すなわち︑法条競合は︑結果︵法益︶標準説によるも本来的に一罪を構成するものであるが︑観念的競合は︑本来的

に数罪を構成するものとされている︒そして︑

ところが︑構成栗件が数個の行為を予定している集合犯︑及び︑数個の犯罪を結合して形成されている結合犯の場

合には︑この説による理解は統一されていない︒すなわち︑集合犯・結合犯の場合も一個の結果が発生しているにす

(4 ) 

ぎないとして︑いずれも本来的な一罪であるとする説もあれば︑両者は実質上の数罪とする説もあり︑また︑集合犯

は処分的一罪であるが︑結合犯は本来的一罪であるとする説もある︒そして︑このことは︑結果︵法益︶標準説の場

合も︑如何にして侵害結果の数を判定するかが非常に困難であることを示している︒また︑結果︵法益︶標準説を貫

くなら︑同一法益に対して数回の攻撃が加えられ︑一個の結果︵法益侵害︶が発生した場合には︑行為の日時・場所*

(6)

うとするものである︒すなわち︑単一の決意より出た行為は︑

(3) 

意思標準説

( 5

)

宮本・前掲学粋四四

0

頁 ︑

( 4

)

久而田・前掲日本刑法四八二頁以下︒ 書一九0頁、瀧川(春)•前掲書二0七頁。

方法等が異なっていても一罪が成立するという結論に至るはずである︒しかし︑行為情況を無視して︑結果の個数の

みによって罪数を判断するのは妥当とはいえないであろう︒

( l

)

富田山壽・日本刑法︵大正七年︶三三一貞︑久碍田益喜・日本刑法総論︵大正一四年︶

ニ四九頁︑平井彦三郎・刑法論綱総論︵昭和五年︶

四三七頁︑同・刑法大綱︹七版︺︵昭和︱二年︶ニ︱

0

頁︑瀧川幸辰・犯罪論序説︵昭和二二年︶

一五三頁︑植田重正・刑法要説総論︵全訂版︶︵昭和三九年︶

和三五年︶二

0

ドイツでは︑行為の単複を決するときに結果ないし法益侵害の数が問題となるにすぎない︒

( 2 )

富田・前掲書三五七頁︑平井・前掲軒四六:こ貝︑四五七頁、宮本・前掲学粋四四五貞、瀧川(幸)•前掲書一一六一頁、植田・前掲

(3)富田・前掲書三三一石ぺ平井・前掲害四九六頁以下、植田・前掲書一八八頁、瀧川(春)•前掲書ニ―四頁。

この説は︑主観主義刑法学の立場から主張されるものであり︑行為者の決意の個数によって犯罪の個数を決定しよ

一個の犯罪であるとされる︒従って︑法条競合や包括

一罪はいうにおよばず︑観念的競合・牽連犯・連続犯も意思の単一性ないし犯意の継続が要件とされ︑ 論︵総論︶︵昭和二八年︶

瀧川春雄・新訂刑法総論講義︵昭 四三〇貞︑同・刑法学概説︹増訂九版︺

四五五頁︑宮本英脩・刑法学粋第三分冊︹改訂五版︺︵昭和五年︶

二五七頁︑坂本英雄・刑法基本

その限りで本

; 廿

2 ‑‑1 92 (香法'82)

(7)

罪としたものと解している︒ 単複を判断するために考慮されるにすぎない︒

しかし︑牽連犯・連続犯には︑意思の単一性ないし犯意の継続は条文上要求されておらず︑また︑理論上もそれを 要件とするのは妥当でないであろう︒すなわち︑牽連犯の場合︑犯人が当初から自己の行為の目的・手段の関係を認

いわば偶然の事情であり︑

てい認められないであろう︒さらに︑

1 0

それによって一罪となるか数罪となるかが左右されるのは妥当とは いえない︒また︑連続犯においては︑行為者が当初から数個の犯行を意図していた方が︑そうでない場合よりも犯情 として重い場合があるにもかかわらず︑犯意の継続を要件とすると︑犯情の重い方が一罪となり︑そうでない場合が 併合罪として加重されるという︑不都合な結果をまねくおそれがある︒その他︑意思標準説を貫くと︑例えば︑当初 のようにして把握できるのであろうか︑少なくとも︑ 一罪とせざるをえないと思われるが︑そのようなことはとう

それにもまして︑罪数決定の基準とされる決意の個数というものが︑実際上ど

その立証は非常に困難であることは否定できないであろう︒

( 1 )

牧野英一・重訂日本刑法上巻︹六六版︺︵昭和一五年︶五四四頁︑江家義男・刑法講義総則篇︹改訂五版︺︵昭和二四年︶四︱一頁︑

市川秀雄・刑法総論︵昭和三

0

年︶三五六頁︑木村亀ニ・刑法総論︵昭和三四年︶四二九頁︒ドイツでは︑決意の個数も︑行為の

( 2 )

牧野・前掲書五四二頁以下︑市川・前掲書三五八頁︑木村・前掲書四三一頁︒但し︑江家・前掲書四︱二頁は︑犯人の認識したる

又は認識し得べかりし法益の個数をも罪数の決定に算入するので︑観念的競合︑牽連犯︑連続犯は本来数罪であるものを処分上一

( 3 )

拙稿.﹁連続一罪の構成︵一︶﹂名古屋大学法政論集七三号︵昭和五二年︶ から数人を殺害する計画で︑順次犯行を重ねた場合も︑ 識していたか否かは︑

(2 ) 

来的な一罪とされる︒

(8)

準説の意義を明らかにし︑

この

構成要件標準説

構成要件標準説は︑構成要件実現の回数によって罪数を決定しようとするものである︒すなわち︑i回の構成要件

実現があれば一罪である︒このような考え方は︑ドイツにおいても若干の学説で主張されてはいたのであるが︑優勢

とならず︑前述のように行為標準説が通説となっている︒これに対して︑我国では︑古くは大場博士によって主張さ

れたが︑その後︑小野博士によって理論的に確立され︑現在では圧倒的通説となっている︒そして︑この説によると︑

(6 ) 

観念的競合は︑法条競合と異なり数個の構成要件が実現されているので︑本来は数罪であるとされ︑集合犯や結合犯

は︑構成要件自体が数個の行為を予定していることから︑当然の一罪と構成される︒また︑どれだけの事実があれば

一回の構成要件充足であるかは︑刑罰法規の解釈適用の問題であり︑そこでは︑犯意・行為・結果などを参酌しなけ

ればならないとされる︒この点において︑行為標準説︑結果︵法益︶標準説︑意思標準説が︑単に犯罪構成要素の一

部にのみ着眼して罪数を決定しようとしたのと異なり︑構成要件標準説は︑罪数を総合的に︑

すべきことを提唱したものであり︑基本的に正当な核心をもつものということができる︒

しかしながら︑観念的競合と区別された法条競合の場合︑

(9 ) 

いわ

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が︑

かとはいえない︒ この説によると︑法律が外観的に競合するにすぎないと

﹁外観的に﹂というのは如何なる意味であるか︑

さらに︑集合犯等のいわゆる包括一罪の場合︑ しかも︑法律的に判断

また︑何故に﹁外観的﹂なのかは︑必ずしも明ら

それぞれの個別行為に着目すれば︑数回の構成要件

の充足を認めることもできるのであり︑本来的な一罪であることが論理必然的に決定されるわけでもない︒このよう

に︑構成要件標準説といえども︑罪数決定に関する単純明解な基準を提示したとはいえない部分もあり︑それが今後

の課題となっているのである︒従って︑以下では︑主として法条競合と包括一罪の構成方法をめぐって︑構成要件標

ひいては罪数論そのものの考え方を明確にしてみたい︒

九 四

2 ‑ 1 ‑94 (香法'82)

(9)

要件の一回的充足﹂とは︑

二回充足する事実があれば二罪である︒ ( 2 )

 

( 1 )  

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1932 ,  

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20 7.  

この事情につき、拙稿•前掲論文五六頁以下参照。

( 4

)

小野清一郎・新訂刑法講義総論︵昭和二三年︶

五二三貞以ドに掲記の文献参照︒

( 6 )

大場・前掲書九四八頁︑小野・前掲臀二七五頁︑

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( 7 )

大場・前掲冑九ニ︱頁︑九八四頁︑小野・前掲書二六七頁︑

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.   ( 9

)

大場・前掲書九七四頁︑小野・前掲書二六五頁︑宮崎澄夫・刑法総論︵昭和二五年︶

0

年︶三ニ︱頁︑吉川経夫・改訂刑法総論︵昭和四七年︶

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  2 14 . 

構成要件標準説の意義

小野博士によって明確に理論づけられた構成要件標準説は︑

( 1 )  

以下これにならふ﹂という標語によって表わされる︒

九五

﹁各の構成要件において類型的に豫想された事実の範囲﹂によって決すべきものであり︑

( 8 )

小野・前掲書二六五頁︒

( 5 )

高田卓紺・注釈刑法②の

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( 3 )

大場茂馬・刑法総論下巻︵大正二年\大正七年︶

また

この

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﹁構成要件を一回充足する事実があれば一罪であ 二七五頁︑不破武夫

1

1井上正治・刑法総論︹一九版︺ 一六六頁︑大塚仁・刑法概説︵総論︶

(10)

つの構成要件において類型的に豫想された事実の範囲がどの程度に及ぶかは︑各本條の解釈に待たなければならない﹂

とさ

れる

このように︑構成要件の類型論から出発される小野博士の見解によると︑接続犯は︑﹁接続した数個の行為で同一の

構成要件に該当するものを包括して構成要件の一回的充足としなければならない場合﹂︵傍点筆者︶とされる︒そし

て︑この説明から︑小野博士は︑構成要件の﹁該当﹂と﹁充足﹂とを区別された上で︑罪数を構成要件の﹁充足﹂の

問題と考えておられることがわかる︒また︑同じく数個の構成要件該当行為がありながら︑包括的に一罪とされるも

のとして︑構成要件そのものが数個の行為を予想する場合︵例えば︑猥褻な文書図画の頒布又は販売等︶である︑

わゆる集合犯を挙げ︑この場合は︑﹁それが反覆を意図するものであれば︑ただ一回の行為でも構成要件を充足するが︑

他方何回反覆しても包括して一罪である﹂とされている︒しかし︑このようにいうと︑集合犯を構成する数個の個別

行為は︑構成要件に﹁該当﹂し︑かつ︑﹁充足﹂するものであることになり︑構成要件の﹁充足﹂が数回あっても︑構

(5 ) 

成要件を一回﹁充足﹂するにすぎないという矛盾が生ずることになる︒

一方︑小野博士は︑観念的競合と法条競合とを︑構成要件の形態的類型論によって区別される︒すなわち︑

行為が﹁形態的類型を異にする二つの構成要件に該当する場合Lが観念的競合であり︑﹁形態的に類型を同じくするニ

(6 ) 

つの構成要件に該当する場合﹂︵傍点筆者︶が法条競合であるとされている︒このように︑観念的競合も法条競合も︑

いずれも数個の構成要件に﹁該当﹂することが前提とされているのであるが︑観念的競合は数罪であり法条競合は一

罪とされるので︑前者は数個の構成要件を﹁充足﹂しており︑後者は一個の構成要件を﹁充足﹂しているにすぎない

ということになる︒しかし︑ここでは︑構成要件の形態的類型の異同と︑構成要件﹁充足﹂の回数とが︑直結するも

のか否かについて疑問が生ずる︒すなわち︑形態的類型を同じくするとして法条競合とされる場合︑例えば︑殺人罪

九 六

一個

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2 ‑ 1 ‑96 (香法'82)

(11)

と尊属殺人罪︑横領罪と業務上横領罪︑傷害罪と傷害致死罪などの場合にも︑二つの構成要件の﹁該当﹂を認める限

り︑いずれの構成要件も共に﹁充足﹂されていると考えられるのではなかろうか︒また︑このような構成要件の形態

( 1 0 )  

的類型論自体に対しても︑同種類の観念的競合と同種類の実在的競合の数罪性が否定されることになるとして︑強い

批判が向けられている︒

以上のように︑小野博士の罪数論は︑構成要件の﹁該当﹂と﹁充足﹂を区別し︑

九 七

その﹁充足﹂の回数によって罪数

を決定するという点に核心を見出すことができるが︑まさにその点にこそ矛盾の根源があったのである︒そもそも︑

構成要件﹁該当﹂と構成要件﹁充足﹂との区別は︑未遂犯及び共犯の説明に持ち出されたものであり︑﹁構成要件充足﹂

( 1 1 )  

とは﹁構成要件該当﹂の完全なるものと理解されている︒しかし︑小野博士の罪数論における構成要件の﹁充足﹂は︑

構成要件﹁該当﹂の完全な場合という本来の意味に用いられてはいない︒すなわち︑包括一罪の場合︑数個の個別行

( 1 2 )  

為はそれぞれ構成要件のあらゆる概念的要素に当てはまる事実であり︑本来の意味からすると︑そこには構成要件﹁該

当﹂行為が数個あるというにとどまらず︑数個の構成要件﹁充足﹂行為があるのであって︑小野博士のいわれるよう

に︑それらが全体として一個の構成要件を﹁充足﹂しているのではない︒また︑法条競合の場合︑例えば︑殺人罪と

尊属殺人罪を考えると︑両者とも独立した特別構成要件であり︑一方が他方の完全な形であるとはいえないし︑行為

者が自己の尊属を殺害したという事実は︑殺人罪を念頭におけば︑その構成要件の﹁該当﹂.﹁充足﹂があり︑尊属殺

人罪を念頭におけば︑その構成要件の﹁該当﹂.﹁充足﹂があるのであって︑後者の構成要件の﹁充足﹂のみがあるの

ではない︒このように︑本来の意味における﹁該当﹂と﹁充足﹂の区別を︑罪数論に援用することは妥当でないし︑

それらを罪数論において異なった意味で用いるのも︑概念的混乱をまねくだけで適切とはいえないであろう︒結局︑

構成要件の﹁該当﹂.﹁充足﹂の問題と罪数論とは︑区別して考えるべきである︒

(12)

( 1 2 )

小野・前掲理論ニニ

0

頁 ︒ ( 1 1 )

小野・前掲理論ニニ︱頁︒ 文曰︱︱頁参照︒

0

頁 ︒

( 5 )

山火正則.﹁法条競合の諸問題﹂神奈川法学七巻二号︵昭和四六年︶五八頁参照︒

( 9 )

山火正則.﹁法条競合の諸問題

H

﹂神奈川法学七巻一号︵昭和四六年︶

法条競合論﹂金沢大学法文学部論集法学篇

1 4

一九頁、同•前掲論文口五八頁、村崎精一・面叫法における

( 1 0 )

﹁なぜなら︑同種類であるということは形態的類似の極限だからである﹂とされる︒村崎・前掲論文一三頁︒なお︑山火・前掲論

構成要件標準説は︑さらに団藤博士によって継承され︑発展させられた︒団藤博士は︑構成要件の

﹁充足﹂の区別自体は認めておられるが︑その問題と罪数の問題とを分離されている︒すなわち︑博士によると︑﹁構

成要件的評価にはいわば内部的な該当性の判断の面と外部的な包括性の判断の面とがある︒ある事実が当の構成要件

( 8 )

小野・前掲理論一三四頁︒

( 7 )

小野・前掲理論一三四頁︒

( 6 )

小野・前掲理論一三四頁︒

( 4 )

小野・前掲理論一三三頁︒

( 3 )

小野・前掲理論一三三頁︒なお︑

( 2 )

小野・前掲理論一三

0

頁 ︒

( 1 )

小野清一郎・犯罪構成要件の理論︵昭和二八年︶

九 八

﹁該

当﹂

2 ‑ 1 ‑98 (香法'82)

(13)

に該

当す

るか

九九

また︑これを充足するかというのは︑前者である︒どの範囲の事実までを当の構成要件によって包括

(2 ) 

的に評価し尽くすことができるかというのは︑後者である﹂とされ︑前者をかりに構成要件的評価の内包の面︑後者

(3 ) 

をその外延の面と呼ばれる︒こうして︑団藤博士は︑罪数を外延の面における構成要件的評価の回数によって定まる

ものとされ︑結局︑﹁その事実が︱つの構成要件によって一回的に評価されるものであるときは一罪﹂であり︑﹁二回

(4 ) 

の評価を必要とするときは二罪である﹂とされている︒

ところで︑このように団藤博士が︑同じく罪数決定基準を構成要件に求められたにもかかわらず︑小野博士のよう

に構成要件﹁充足﹂の問題とされず︑外延の面における構成要件的評価の問題とされたのは︑次のような理由による︒

すなわち︑﹁﹃充足﹄を標準とするときには︑後述の不可罰的な事前および事後行為それは当の構成要件の外には

み出る行為であるーーーのばあいの説明が困難﹂となるからである︒つまり︑例えば不可罰的事後行為の場合には︑﹁事

(6 ) 

後の行為が他の構成要件を充足するものであっても︑別罪を構成しない﹂とされるのである︒そして︑この説明から︑

団藤博士の見解では︑構成要件﹁充足﹂が数回ある場合でも一罪が認められることがわかる︒この点において︑構成

要件標準説は︑小野博士の所説から重要な変遷を遂げたということができるであろう︒

(8 ) 

ところが︑さらに︑団藤博士は︑罪数を構成要件的定型の問題とされている︒しかし︑博士のいわれるところの構

成要件的評価の外延の面は︑構成要件的定型の問題と結びつけることができるであろうか︒この点に関して︑まず︑

前述の不可罰的事前

1

事後行為が問題となる︒この不可罰的事前1

1 1事後行為の場合︑団藤博士は︑構成要件の外には

( 1 0 )

1 1 )

 

み出る行為であるとされながら︑法条競合の吸収関係として︑一罪性を認められるのである︒しかし︑構成要件の外

にはみ出るということは︑構成要件的定型を異にするということではなかろうか︒すなわち︑例えば︑窃盗犯人が盗

品を損壊したとき︑これは不可罰的事後行為と呼ばれ︑窃盗罪の一罪とされる︒このことは︑窃盗罪の構成要件によっ

(14)

( 2 )

団藤・前掲書四

0

( 1 )

団藤重光・刑法綱要総論︹改訂版︺︵昭和五四年︶

る ︒ 反面︑罪数を構成要件的定型の問題とされる点において︑再び小野博士と同じような問題点を残すものとなるのであ あり︑構成要件の﹁該当﹂.﹁充足﹂の問題と罪数論を分離された点は︑正当なものと認めることができる︒しかし︑

︱ 1

0

頁 ︒

以上のように︑団藤博士の構成要件標準説は︑小野博士の て一回的に評価されるということに他ならないが︑そこには︑窃盗行為と器物損壊行為とが存在するわけであり︑両

者は明らかに構成要件的定型を異にするものである︒このように︑二個の定型性を有する行為を一罪とするには︑そ

の契機をもはや定型性に求めることはできないのではないだろうか︒

また︑以上のことは︑構成要件的定型を同じくする数個の行為が一罪となる場合にも妥当する︒すなわち︑例えば︑

行為者が猥褻な図画を数回にわたって販売した場合︑

こには数個の定型的行為がある︒しかも︑それらは包括的に一個の犯罪として評価され︵集合犯︶︑猥褻図画販売罪の

( 1 2 )  

一罪が成立するものとされる︒そして︑この場合の包括性は︑定型性とは明らかに異なっているものといわなければ

ならない︒もし︑

﹁充足﹂論における矛盾を回避すべく主張されたもので それぞれの販売行為は猥褻図面販売罪の定型的行為であり︑そ

その包括性を定型性と同じものと考えるなら︑ここにいう定型性は通常の意味とは別物であること

になるであろうし︑そのようなことは︑定型概念を不明確にするおそれがあり︑妥当とはいえない︒従って︑結局︑

団藤博士のいわれるような構成要件的評価としての罪数の問題は︑構成要件的定型の問題とは区別して考える必要が

( 1 3 )  

ある

1 0 0  

1 ‑100 (香法'82)

(15)

( 3 )

0

頁︒なお︑﹁内包﹂と﹁外延﹂という言葉については︑多くの批判があるが︑団藤博士御自身も︑﹁論理学の用

語とまぎらわしいので語弊がある﹂ことを認めておられる︒団藤・前掲内四

0

九頁以下︒また︑これらの用語に対する批判につい

ては︑村崎・前掲論文一四頁以ド︑山火・前掲論文六一頁︑高田・前掲書五二六頁︑鈴木茂嗣.﹁罪数論﹂現代刑法講座第三巻

︵昭和五四年︶二八五頁︑中山善房.r罪数論の現状﹂刑事裁判の課題︵中野次雄判事還暦祝質︶︵昭和四七年︶

( 1 0 )

団藤博士は︑外延の面における構成要件的評価について︑同質的な事実に対する評価の包括性︵構成要件の同質的包括性︶と異質

的な事実に対する評価の包括性︵構成要件的評価の異質的包括性︶

( 1 3 )

村崎・前掲論文一五頁以下︑山火・前掲論文六二頁以下︑同・刑法②総論

I I

前掲論文二八五頁以下︑中山・前掲論文一七八頁参照︒

( 1 2 )

団藤・前掲書四一三頁以下︒

( 1 1 )

団藤・前掲書四一九頁以下︒ 団藤•前掲書四―一頁以下。

( 9 )

団藤・前掲書四︱二頁注︵四︶︒

( 8 )

団藤・前掲書四一

0

頁 ︒ ( 7 )

村崎・前掲論文一四頁参照︒

( 6 )

1 0

頁 ︒ ( 5 )

団藤・前掲書四︱二頁注︵四︶︒

( 4

)

団藤・前掲書四一了貝゜

1 0  

1 0

八頁以下︑鈴木・ という二つの面に分け︑法条競合を後者の問題とされている︒

(16)

構成要件標準説は︑罪数を総合的判断︑しかも︑法律的判断の問題としたところに︑従来の罪数学説を克服す

るものがあった︒そしてまた︑それが総合的・法律的判断であるが故に︑構成要件標準説をとったからといって︑画

一的な罪数処理が可能になるわけでもなかった︒そのことは︑法条競合や包括一罪を罪数論的に如何に位置づけるか

た︒ところが︑最近では︑包括一罪を本来は数罪であり︑ に如実に表われており︑前述のような構成要件標準説に内在する理論的欠陥は︑それを物語るものである︒しかし︑ともかく︑小野・団藤両博士は︑法条競合も包括一罪も共に本来的な一罪であることを理論づけようと努力されてき

一種の科刑上一罪であると考える学説が多くなっている︒

そし

て︑

そのような構成は︑平野教授の見解に代表される︒

平野

教授

は︑

まず︑罪数の種類として︑単純一罪︑包括的一罪︑科刑上一罪︑併合罪︑単純数罪という五つのもの

(2 ) 

があるとされ︑これらは一っの基準で区別することは困難であるとされる︒すなわち︑﹁構成要件基準説は︑単純一罪

かどうかの区別には適当であるが︑包括的一罪・科刑上一罪のある意味での一罪性を明らかにするのには適切でな﹂

く︑これらは構成要件基準説を前提として︑﹁包括的一罪では行為および結果︵の一個性または準一個性︶があわせて

考慮されるべきであるのに対し︑科刑上一罪では行為︵の一個性または準一個性︶が基準になる﹂とされている︒そ

して︑このような前提から︑平野教授によると︑包括的一罪とは︑﹁現実に数個の単純一罪が存在し数個の罰条が適用

(4 ) 

されうる場合であるにもかかわらず︑なお一個の罰条だけを適用して処断すべき場合﹂とされ︑ここで不可罰的事前

11

事後行為及び接続犯等の事例が挙げられる︒しかも︑﹁包括的一罪は︑重い罪あるいは︱つの罪の﹃刑﹄で処断する

もの﹂であり︑﹁それは単純一罪の一種ではなく︑むしろ科刑上の一罪の一種である﹂とされ︑ただ︑

連犯︑連続犯などの本来の科刑上一罪のように﹁明示的方法﹂がとられる場合と異なり︑﹁黙示的方法﹂がとられるに

( 5 )  

すぎないとされるのである︒

1 0

一所為数法︑牽

 

2 ‑1 ‑102 (香法'82)

(17)

きすぎの感がある︒

とこ

ろで

︑ そもそも罪数とは犯罪の数であり︑それは一個か数個かのいずれかである︒この点︑平野教授は︑罪数

の種類は五つあるとされ︑それらは︱つの基準で区別することは困難であるとされるが︑平野教授の提示された罪数

いずれも本来的な一罪か︑本来的な数罪かに分類できるものである︒従って︑その判断基準も一っ

でなければならない︒このように︑平野教授の罪数論は︑

おき︑法律は本来的に数罪であるものを一罪として処断する場合があり︑これが科刑上一罪である︒すなわち︑観念

的競合では﹁一個の行為﹂に︑牽連犯では﹁犯罪の手段若くは結果たる行為﹂に着目し︑法律が特にこれらを一罪と

して処断することを明文をもって規定している︒これらの場合︑本来は数罪であるから︑特別の規定がなければ数罪

として処断されるわけであり︑科刑上一罪というのは︑数罪としての処断の例外規定であると考えられる︒

法律によって一罪としての処断が根拠づけられるわけである︒このことを考えると︑平野教授が︑包括的一罪を本来

であることは確かであるが︑そこから直ちに︑ その出発点において首肯できないものがある︒それはさて

は数罪とされながら︑法律の明文によらず︑黙示的方法による科刑上一罪とされるのは︑法律の趣旨に反するものと

いわなければならない︒包括一罪︑例えば︑接続犯についても︑個別行為は構成要件に該当し︑それを充足するもの

それは本来的な一罪ではなく︑科刑上一罪の一種とするのは︑若干行

一方︑平野教授によると︑法条競合とは︑﹁一見︑数個の罰条が適用可能であり︑したがって数個の単純一罪が存在

するように見えるにもかかわらず︑実はそれらの罰条の論理的な関係により︱つの罰条の適用が予定されており︑し

(8 ) 

たがって一個の単純一罪しか存在しない場合﹂とされている︒このように︑平野教授は︑法条競合を単純一罪と考え

られているが︑単純一罪の判断については︑﹁各個の犯罪類型に規定された事実が一回発生したかどうかによってきま

( 9 )  

る︒﹃構成要件を一回充足すれば一罪である﹄というのも同じ趣旨であろう﹂とされるのである︒しかし︑法条競合の の五つの形態は︑

1 0

つま

り︑

(18)

( 9 )

平野・前掲書四

0

( 8 )

平野・前掲書四

0

場合も︑数個の構成要件の該当・充足があることは︑前にも述べた通りである︒

( l

)

包括一罪として如何なるものを挙げるかについては︑学説は統一されていないが︑ともかく︑本来は数罪であるとしながら︑条文

によらない科刑上一罪を認めるものとして︑平野龍一・刑法総論"‑

三二九頁以下︑中義勝・講述犯罪総論︵昭和五五年︶二七

0

頁以下︑中山研一・ロ述刑法総論︵昭和五三年︶

以下︑藤木英雄・刑法講義総論︵昭和五

0

年︶三四七頁︑正田満三郎・刑法体系総論︵昭和五四年︶

(昭和五六年)二七三頁、中山(善)•前掲論文一八三頁等がある。

( 6 )

観念的競合の﹁一個の行為﹂︑牽連犯の﹁犯罪の手段若くは結果たる行為﹂というのは︑

数罪を一罪として処断するための要件である︒

( 7 )

拙稿.﹁連続一罪の構成︵二︶﹂名古屋大学法政論集七四号︵昭和五三年︶六六頁参照︒

( 5 )

平野・前掲書四一三頁︒

( 4 )

平野・前掲書四︱一頁以下︒

( 3 )

平野・前掲書四

0

( 2 )

平野・前掲書四

0

括的一罪﹂判例刑法研究4 徹底な面があることは否定できない︒

0

年 ︶

三四六頁以下︑山火正則.﹁包

そもそも罪数の基準ではなく︑本来的な 四︱︱頁以下︑内田文昭・刑法ー

1 0

四九八頁 この点では︑平野教授の見解は︑不

2 ‑ 1 ‑104 (香法'82)

(19)

さらに徹底して︑鈴木教授は︑包括一罪のみならず︑法条競合の場合も数罪が認識できるとされる︒すなわち︑

鈴木教授によると︑﹁犯罪の成否を認識する基準は︑﹃構成要件﹄をおいてほかにない﹂︑﹁罪数論は︑

﹃認識上の犯罪﹄を出発点としなければならない﹂とされる︒そして︑平野教授が法条競合を単純

罰条で一回評価するという点︵評価上一罪︶

1 0

五 まずこのような罪に分類された

のを批判され︑﹁法条競合は︑ともかくも構成要件的には数罪の成立を認識しうる場合であり﹂︑それは︑﹁認識上の数

ではむしろ包括一罪と共通性をもつ﹂とされている︒このような

基本的立場から︑鈴木教授は︑罪数は基本的に︑認識上一罪︑評価上一罪︑科刑上一罪︑併合罪︑単純数罪の五つに

分類でき︑﹁認識上数罪が評価上一罪とされる場合に︑法条競合にあたる﹃当然一罪﹄の場合と﹃包括一罪﹄の場合が

ある﹂とされるのである︒しかも︑認識上一罪と評価上一罪については︑﹁前者は犯罪成立要件論に属するのに対し︑

(4 ) 

後者は厳密にいえばこれをこえたいわば罰条適用論に属する﹂とされる︒

このように︑鈴木教授は︑法条競合も包括一罪も構成要件を基準にすると数罪が認識できるとされるが︑これは︑

それらの場合︑構成要件の該当・充足が数回あるとされる趣旨と理解できる︒そして︑そのこと自体は正しい出発点

であると評価できる︒また︑構成要件の該当・充足の問題と罪数論とは区別すべきことは前にも述べたが︑この点を

鈴木教授は︑犯罪成立要件論としての認識上の罪数と︑罰条適用論としての評価上の罪数との区別という形で表現さ

れたものと思われる︒従って︑﹁ある構成要件を基準とした犯罪認識と︑その構成要件を定める罰条による犯罪評価と

は︑必ずしも常に一致するとは限ら﹂ず︑﹁いわゆる構成要件説が明快さを欠くのは︑このような本来罰条適用の問題

であるものを︑あえて構成要件の問題として説明しようとするところにある﹂という指摘は︑問題の核心をとらえた

ものといえる︒ただ︑法条競合も包括一罪も︑数回の構成要件該当・充足があることから︑直ちにそれらを数罪と認

識できるとされるのは問題がある︒すなわち︑構成要件の該当・充足と罪数とは切り離して考えるべきであり︑ 罪を

その

(20)

(6 ) 

ことを意識する限り︑ことさら認識上の罪数と評価上の罪数とを区別する必要はないのではないか︒鈴木教授は︑罪

数をいわば多義的にとらえられているといえるが︑それは︑罪数概念を不明確にするおそれがあるのではないか︒

さらに︑鈴木教授は︑﹁構成要件を基準とした認識上の数罪が︑

( 8 ) ( 9 )  

る基準﹂を﹁法益侵害﹂に求められる︒そして︑﹁構成要件該当の数個の行為が︑同一の法益を侵害するにすぎず︑こ

合︑換言すれば︑﹃一法益侵害一罪﹄ れを数罪とすれば︑法益侵害という観点からの二重評価とならざるをえないが故に︑当然に一罪と評価されるべき場

( 1 0 )  

の原則からする﹃当然一罪﹄の場合︑これがいわゆる﹃法条競合﹄ではないか﹂

とされる︒それに対して︑﹁右の原則にはふれない場合でも︑法益侵害の一体性︵ないし附随性︶が認められるならば︑

( 1 1 )  

なお一個の罰条で包括的に評価されうる余地があり︑これを﹃包括一罪﹄という﹂とされている︒

確かに︑法益侵害という観点は︑罪数判断においても重要な要素であることは疑いない︒しかし︑従来の罪数学説

において︑法益標準説は︑構成要件標準説によって克服されたように︑犯罪要素の一部にのみ着目したものである点

一法益侵害一罪というのを原則化するのは妥当でない︒すなわち︑例えば︑

ある者の所持している高価な宝石を︑模造品であると称して詐取しようとしたが失敗したので︑後に時をみはからっ

てその宝石を窃取したような場合を考えてみよう︒この場合︑詐欺未遂罪と窃盗罪の両構成要件に該当する行為があ

るわけであるが︑侵害法益は単一である︒もしこの場合を︑鈴木教授が一罪とされるのであれば︑同じ財産罪でも詐

欺罪と窃盗罪とが別々に規定されているという法律の趣旨が失われることになりはしないか︒そして︑もしその場合

を二罪とするなら︑明らかに一法益侵害一罪の原則がくずれることになる︒鈴木教授は︑構成要件標準説を批判して︑

﹁数個の構成要件的行為の包括評価の問題である以上︑その実質的基準は構成要件以外のものに求められねばなら

( 1 2 ) ( 1 3 )  

ない﹂とされるが︑構成要件標準説が総合的判断を要求する点では︑妥当な面をもっていることを忘れてはならない︒ で批判されるべきである︒少なくとも︑ 一個の罰条により一回評価され︑評価上一罪とされ

1 0

2 ‑1 ‑106 (香法'82)

(21)

( 1 3 )

山火教授も︑法益侵害の数を罪数論の中核にすえられているが︑﹁罪数論にとって重要なことは︑罪数問題として提起された事実

について︑犯罪として何回評価すれば︑法益保護のために必要かつ十分であるかという観点である﹂とされており︑

考慮を加味されている点で︑鈴木教授とは若干ニュアンスを異にするようである︒山火・前掲双書一〇九頁参照︒

( 1 2 )

鈴木・前掲論文二八六頁︒

( 1 1 )

鈴木・前掲論文二九

0

頁 ︒ ( 1 0 )

鈴木・前掲論文二八七頁︒

( 9 )

鈴木・前掲論文二八七頁︒

( 8

)

鈴木・前掲論文二八六頁︒ い︒この点については後で検討する︒

( 7 )

村崎精一・﹁一罪と数罪L刑法講座4

︑ ︒

なし

( 6 )

法条競合と包括一罪では︑構成要件の該当・充足が数回認められるというか︑認識上は数罪であるというかは︑用語の問題にすぎ

( 5 )

鈴木・前掲論文二八五頁︒

( 4

)

鈴木・前掲論文二八四頁︒

( 3 )

鈴木・前掲論文二八四頁︒

( 2 )

鈴木・前掲論文二八四頁︒

( 1 )

鈴木・前掲論文二八三頁︒

1 0

一七九頁は︑﹁犯罪の数え方は無限でありうる﹂とされるが︑妥当とはいえな

いわば政策的

(22)

この問題を解決するには︑まず︑罪数そのものの意義を明確にする必要がある︒この点に関して︑村崎博士は︑﹁一 罪か数罪か︑すなわち犯罪の数え方は︑多様でありうる﹂とされ︑﹁換言すれば︑犯罪の数え方は無限でありうる﹂と される︒そして︑罪数概念は︑﹁一義的な所与ではなくして︑複数の目的設定を許す︑目的論的構成態である﹂とされ ている︒しかし︑そもそも罪数というときには︑刑法典第九章﹁併合罪﹂に関する規定との関連で問題となる︒しか も︑刑法第四五条は︑﹁確定裁判ヲ経サル数罪ヲ併合罪トス﹂︵傍点筆者︶と定め︑第四六条では﹁一罪﹂の語が用い

られており︑刑法では当初から一罪数罪の区別が前提とされている︒ ると思われる︒

︵ま

とめ

と私

見︶

以上より︑法条競合及び包括一罪においては︑数個の構成要件該当・充足があるという認識から出発すべきことが わかった︒そして︑従来の構成要件標準説は︑罪数を構成要件の充足の問題としてとらえ︵小野説︶︑又は︑構成要件 的定型の問題とされた

︵団

藤説

とこ

ろに

︑ それらの一罪性を基礎づけるについて︑矛盾が生じたのである︒それに 対して︑平野教授は︑包括一罪を本来的数罪とし︑黙示的科刑上一罪を認めることによって︑また︑鈴木教授は︑法 条競合も包括一罪も共に認識上数罪でありながら評価上一罪であるとされることによって︑

その矛盾を回避されよう とした︒しかし︑このような黙示的科刑じ一罪や︑認識上数罪としての評価上一罪という構成には︑

にわかに賛成し がたい︒しかも︑これらは︑罪数決定における構成要件標準説の原則的妥当性を疑問視することから主張されたもの である︒だが︑構成要件標準説は︑従来の罪数学説を克服して登場したものであり︑

それが︑法律的・総合的判断を 要請する点において︑基本的に妥渭な面をもっていることは否定しがたい︒従って︑罪数論の課題は︑このような構 成要件標準説の基本的妥当性を維持しつつ︑従来の構成要件標準説から生ずる矛盾を回避する方法を見出すことにあ

そして︑我々が現在とりくんでいる罪数決定基

1 0

2‑1‑108(香法'82)

参照

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