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高橋虫麻呂 : 語彙から見るその官人意識について

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(1)

高橋虫麻呂 : 語彙から見るその官人意識について

著者 坂田 和美

雑誌名 三重大学日本語学文学

4

ページ 21‑34

発行年 1993‑05‑30

URL http://hdl.handle.net/10076/6467

(2)

高橋虫麻呂 上蓋詣彙から見るその宮人意識についてー

一、はトレめに

本論でほいくつかの語彙を取り上げ、高橋虫麻呂の漢文学の

素養とその意識について考究してゆきたい。まず、本題に入る

前に考究の前提条件を樟示しよ、つ。

(1)三一九⊥二二一番歌の不義山歌三首ほ虫麻呂の作で

あると認定する。

(2)『虫麻呂歌集』の歌・用字(表記)ほすべて虫麻呂

自身のものと認定する。

(3)虫麻呂ほ藤原宇合配下の宮人である。

これらは別稿で検討したところである。これら三件を踏まえ

た上で、以下の本論を進めてゆきたい。 坂田

和美

「愚人」の藷ほ巻九の一七四〇春歌「詠水江浦嶋子一首」に

「世間之凰刃乃」と見える。『校本青葉集』によれば、本文

は「愚人」、古訓は「シレタルヒト」蓋間の異同はない。

しかし現在の訓ほ「オロカヒト」で異説は見られないぅ

正春翠天氏の『萬葉集撼索引』によれは、『万葉集』にほ仮

名書きの「オロカ」.が一例、「慮」字の表記例が六例見られる。

【二仮名書きの「オロカ」

「畢八」

についで、

二)「愚人」の訓 ①於呂可ホ曾和礼波於母比之【二】⊥愚」字の表記例①況平凡風徴者何能逃避

②惟以人虫静義苦今

③矧刀乃……当該歌

④囁嘆後胤也⑤或有愚人斧堕海底⑥固是似風儀癖不能黙己 〓八・四〇四九)(五‑八八六・序)

(沈噺自哀文)

(九二七四∩こ

(一六二二八二一t左注)

(一六・三八七八・左注)

二七二二九六九・序)「愚」の表記例のうち、当該歌以外は皆散文(漢文)例で古

訓が附されていないぐそこで舌辞書を見ると、鶴智院本『類架

(3)

名義抄』には、「愚」ほ和音が「グ」で、「オロカナリ(オロ カニ)」「愚、療オロカナリ、オロカニ」とい、ユ記載がある。

このほか天治本『新撰字鏡』には反切「倶供」「頑也」(但し、ほかに「オロカナリ」を示すものとして「闇、於陰反去不明之鬼義也宜也曙也於呂加奈利」がある)、尊経闇蔵三巻本『色

乗芋類抄』には「グ、ヲロカ、ヲロカナリ」㌧頑、疎」とある。

これらによれば「愚」は和音が「グ」で、訓は「オロカナリ」

となり、「愚人」の訓は「ダニン(グジン)」か「オロカヒト」 と推測される。捕嶋子歌の「愚人」の訓は右の舌辞書例・歌の音数律‑万葉仮名事例から見て「オロカヒト」と推定できる。これほ結果的に通説と一致するものである。

(二)「オロカナリ」の一票羞喋

では和語「オロカナリ」はどのような意味を示すのだろうか。

【表1】ほ用例調査の結果をまとめたものである。

不】■枕

享苛夢 大 土 伊 竹 万 . 式 泉 津 蛤 倭

撰 和 佐 勢 取 今

和 乗

′集

歌 物 物 物 歌

妻戸 宝玉■●r■▼ 言書記 裏書藷

u U)

‑4 21 3 16 u 1,

.・1

3

u 4 ‑1

5 4 3 ⑧′

3 nH

(刀

3 u

1・ (執

u b 3Z 8 Z9 0 2 3 0 0 b Z 1

(注)!Y表中の番号①〜⑨は、

.篤義氏靖、角川書店、 『角川古語大辞典』第一巻(中村幸彦氏、岡見正雄氏、阪倉昭和五十七年)の意味分類に従った。以下これを示す。

‑22‑

おろか【息・疎】形勤ナリ物に透き間が多く充実,していないさま。凝集度が弱いさま。

心のあり方に関して用いることが多い。「おろそか」「おろおろ」や接頭語丙「おろ」、と同根。焦点がぼやけている点から不鮮明の意音義すこともあり、その点で「おほ」

にも通じる。

①、行動に際してほっきりとした自覚が伴われていない呉ま。思わず知らずする

呉ユま。②、事をなすに当って心がこもっていないさま。扱いや対応のしかたが粗略であ

るさま。愛情■関心・敬意・待遇などのあり方に関して用いる。いい加減であ

る。後にほ「あれ程物知り給ふ竹斎なれば、療治にをろかほよもあらじ(竹斎t下)」のように、語幹を名詞のように用い、手抜き、手抜かり、の意を表す

(4)

徒;

瀞rt.水

.大

笠 狭 ヽ、■更 夜 源

和■

王立

王立

国 国

■級 日.

,氏

喜荘

≡テ 集 集 古口 古口 百日

U

211 凹 山 37 16 24 63

0

1′ Z u 3 63

113 H 2 18 4 H

38 24 2 H H

4 2 tl

3() 0 u Z ‡4 u 0 u 13. 0 0 b7 21 0 39

・12g

ことがある。

③、②の結果として、事が粗略であるさま。謙遜の憲を表して用いる。

④、形容として不十分であるさま。「とは」「と言ふも」「と言へば」などを受

けて文末に用い、そっ表現してもそれで述べ尽したとほ思えない、の意を表す。「と」の上には形容詞や形容動詞が来ることが多い。

⑤、下に否定の辞を伴い、ひととおりでほない、.いいかげんなことでほない、の

意を表す。

⑥、取り立てて育っに値しないさま。つせらぬ。

⑦、「…はおろか」「…もおろか」の形で用い、もののかずでない苛まを表す。

取り立てていうまでもない、もちろんのことである。「をろかなり。まづ用心

のために寄棒あるが合点か(虎の巻筆・五)」などは、相手のことばを受けて、

この意に用いたもの。

⑧、性格や行動が理性的でないさユま。頚が悪いさま。

⑨、未熟であるさま。下手であるさま。

〔①〜⑨のいずれも、掲出用例は略して示した。〕

この意味分類は筆者の作業だが、表より②と⑤が圧倒的に多

いことがわかる。⑤を②の否定形とみなせば、これらは一つに

まとめることができる。その結果、これらほ全三百九十七例申、

lニ百二十四例と、全体のおよそ八削を占めることがわかる。次

いで多いのは⑧であるが、⑧ほ分布が偏っており、三十八倒中

二十四例が『徒然草』一作品に集中している。『徒然草』ほ鎌 倉時代の作であるから、それ以前、つまnソ平安時代の未頃までは和文脈では「オロカナリ」の主要な意味は「いい加減である・疎咽である」というものであったと考えられる。ここで中田祝夫氏佑締『古語大辞典』(昭和五十八年)の「おろか」の項

の「請託」から引用しよ、つ。

中古以前の用例は、①の意(疎要さま。いい加減なさ

(5)

まゥおろそか。あまり切実でない。・)に用いられたものが多いりそれが考え方や見方について用いられ、考え方が不

十分だの意から、ついにほ常にそうである状態、すなわち④の意(知力が堆く無知だ。ばかだ。)を表すようになっ

たと考えられる。①の意は「おろそか」にとってかわられ、「おろか」ほもっぱら④の意に用いられるきっになる。

〔括弧内ほ筆者の補記による。〕

これほ先の見解を肯定する説である。しかし当該歌の場合は、

反歌の「於曽也是君」の「於曽」(=「銘」)との関係を考慮すると、『角川古詩大辞典』の⑧の意味、つまり「性椅や行動

が理性的でないさま」の方が適する妄つに思われる。

;ニ「息」の字義.

では「息」の字義はどのようなものだろうか。諸橋轍次氏の『大漢和辞典』では、「息」にも「愚人」にも和語「オロカナ

リ」に見られた「いい加減である‑租略である」という意味は

見られず、「才智がはたらかない」系統の意味が主要なものと

なっている。白川静氏の『字統』(注1)も「愚」は「機略に

乏しい」とい、つ意を示すのみである。藤堂明保氏の『漢字語源

辞典』

(注2)でも、「ゴツゴツと堅い石頭で整の牒かぬこ

と。『おろか』とほその抽象された意味である。」とあるのみ・

で、「いい加減である・粗略である」の意味は見られない。「息」の孝義にほ「いい加減である・粗略である」とい、呈息 昧はない。また【表1】の用例に限れば、「愚」字の使用例ほ和文脈のものにはほとんど見られず、「オロカナリ」は仮名表記が大部分を占めていた。つまり、「愚」とほ漢詩文などの漢文脈に見られる特徴的な用字なのではないか、.とい、つことが考えられる。

そこで次に上代散文と漢詩文作品における用字「息」の用例

を見てみた。

菅 菅 量本 文̲■懐l日 風 古

本・土 事 2

集 革 粋 集 荘 糸己 許

U

0 2

0

0

Z8 (抄

(刀

12 g

88 0 ・6 67 0 u 1‑4 0 0 計‑

(注)

*表中の菅慧は

『角川墓叩大辞典』

の「おろか」の項の意味姦に従う。*『日本書紀』にのみ

見られた仮名書例の「愚」(全十例)ほ

省略した。

‑24‑

【表2】によれば日本の上代からの散文や漢詩文作品にも「愚」字に「いい加減である・粗略である」とい、つ意味は見ら

れない。「愚」ほ和語「オロカナリ」の意味ではなく、漢字の

字義缶沿った用い方がなされているのである。『万葉集』中、表記に「息」が見られるものは冒頭の【二】

で示した六例である。このうち当該歌を除けぼ、他は全例が序

(6)

や左注、替裳文などの漢文脈の申に見られるものである。

以上から、「愚」ほ漢文脈に特徴的な用字であるといえよう。

(四)漢籍の影響

高橋虫膵邑の藷費や表現に、漢籍の影響が見られるということほ早くから指摘されてきた。例えば小島寿之氏は『上代日本

文撃と中国文撃』(注3)の「博説歌の表現」で、⊥七五九替

歌の「堀歌」という語彙について、「文選を諦まない者には書けない特殊な文字である」と述べ、続いて「彼が『頼歌』と云ったやうな漢籍語を用ゐた事葦は、彼に造語破の力があつた

ことを思はせる」と述べられている。そして『虫辟呂歌集』か

ら漢籍請と思ゎれるものをいくつか挙げておられる(注.4)。このほか漢籍の影響についてほ、嚢の面では松康博一氏

(注5)や石井純子氏(注6)、村山出氏(注7)などの指摘

があり、表現や概念の面では、中西進氏(注8)や本田義寿氏

(注9)、渡部和雄氏(注10)、内藤明氏(注11)などの指摘

がある。このように虫麻呂作歌の漢籍の影響についてほ多くの

指摘があるが、本論で考窮した「愚人」の詰もその中に加える

ことができよう。「愚人」ほ一つの漢籍語である。この話が漢文脈の申でほな

く、和歌の中に見い出せる。これはそれだけその作者に漢籍に

対する強い関心があったことを意味する。当時にあってほその

強い関心はそのまま作者の漢文学の素養の程度に通じるもので あったろう。そしてその関心ほ、宮人の教養として必要な『文

選』にばかり向けられたものでほなかった。エ豊呂にほ

一般の宮人以上の漢文学の素養があった」のである。

〓「

「燦ん八」について

二)「落雪」との関わり

「煉火」は「詠不義山歌」中に「落雪」とい、ユ詩稟と共に

「燈火乎雪以滅薄雪乎火用消通都」という対句の形で見える。そして「落雪」は「フルユキ」と誹まれている。正宗敦

夫氏の『萬乗集線索引』によれば、「フル」(フラ・フリ・フ

ル・フレ)を「降る」の意で用いた例でほ、表記ほ「零」が最

も多く百四十四例、次に「落」が四十五例見える。ほかには「降」が五例、「者」(注12)「被」「雨令」(注13)が各一

例、仮名書例が三十九例見える。これらは「フル」にほ「零」や「落」が用いられる場合が比較的多いことを】窄)ている。

しかし『万葉集』で「落雪」と表記のあるものほわずか六例

しかない。

①巻三二三九……当該歌

②巻一〇二三一七……冬の雑歌(作者未詳)(将レ落雪)③巻一〇二ニニ四七…‥冬の相同(件者未詳)④巻一三二二二八丁…相聞(件者未詳)

⑤巻一九・四二三〇……大伴楕祢家持

(7)

⑥巻一九■四二三四…‥大伴横祢家持この用例のうち、作者が明確なものほ大伴家持の二例と、厳

密に言えば作者に問題のある当該歌の一例である。しかしその件者が従来から中西進氏(注14)などにより、高橋虫麻呂らの

作に学んだと論じられている大伴家持であることほ興味深い。

中西氏の諭に「落雪」の請が取り上げられていたわけでほない。しかし「落雪」が虫麻呂の作に学んだ結果の表記とすれば、六例中、三例が虫麻呂の系列の用例に窟ソ、「落雪」という表記

に虫麻呂の語彙としての特殊性が見えてくる。

(二)虫麻呂の用字法次に虫麻呂の「落」と「零」の用字法について調べてみよ、つ。

以下に「汚」と「零」、各々の用字密見える句と訓を示し、該

当する部分には傍線を附して示した。 ③春雨之継而矧者ハルサメノツギテシ到レーバ(九二七四七)

④雲居蘭萄クモヰアメ刊勅

⑤雨闇夜乎アメノ到桐ヨヲ

⑥斯真礼笥シグレフl別 (九・一七五三)(九二七五六)

(九二七六〇)

これらの用例では当該歌を除いて一般的に「落」はすぺて

「テル」、「零」ほすべて「フル」と訓まれている。

;ニ「落雪」と「零雪」

「フルユキ」は一鰐にほ「落雪」か「零雪」と表記される

と考えられる。・『大漢和辞典』や句塀又礫府』によれば、二詰は次のきっに共に漢語としての用例が見られる。「落雪」

『大漢和辞典』「落雪」降る雪。降雪。

一26‑

「落」①圏雪平到勅ユキヲ……当該歌風矧過工爺利剥引スギニケリ

③静養乱

④風女真矧

⑤矧過祁和盈矧矧而流

⑦崖芳謝

「零」盈習置雪者 チリナミダレソ

カゼニナチラシ

チリスギニケリ

チラヒテナガル

ヲバナナル

引オクユキハ

塾蚤川岩乎

フ列川オケルシモヲ ;㌻三一九)(九・一七四七)(九・一七四七)(九二七四八)(九二七四九)(九∴七五〓(九・一七五七)

(三二二二〇)

(九二七四四)

〔謝悪連、西陵遺風麒康楽詩〕零雨潤墳渾、慧林丘。

『偲文懇肘』

〔蘇蹴遊博羅香積寺詩〕辟非罪1」看収麺璧鼓間者糠

「零雪」

『大漢和辞典』用例なし

『候文韻府』

〔陸棲感時戯〕聾之厳重璧‑‑之揮掌

〔又思親戯〕‑‑紛其下頼『大漢和辞典』によれば「落」、「零」は共に「上方から下

(8)

方」への移動の意味がある。しかし、「落」にほ「ちる」と車

う意味があるが、「零」にはこの意味が見られない。「零雪」ほ用例から漢語と認められ、虫麻呂は「フル」には

「零」を用いている。それならば当該歌でも「零雪」と表記す

るのが自然である。そのほうが一撃用夢にも適っている。

しかし当該歌では唯一の例外である「落雪」が用いられた。土

の理由として考えられるのは、.「落雪」ほ一つの漢語としての義を強く打ち出すために用いられた語彙なのではないか、と

いうことである。前掲したよっに、虫麻呂の作歌に「零」昼ハ例見える。「爾

がふる」などの意味でほ四例用いられ、残り二例ほ、各々「霜」

と「雪」を対象にしている。虫麻呂ほ「蕗」と「零」を字義に沿って使い分けたと考えられる。しかし「零」の対象を「霜」

や「雪」にした例も確かにある。「霜」についてほ一般的な「零」の用法に従って用いられたと考えるほかはない。「雪」

ほ、反歌に「零置雪者」と「布里家利」という句が見える。不

重出歌全席(長反歌)でほ「落」「零」「布里」と、おそらく

変軍法による、三種類の用法が見られる。しかし、それだけな

ら敢えて当該歌に「薄雪」を用いる必要はない。

「零」は「フル」を表すにほ一般的な用字であり、改めて漢

語としての意識を強く打ち出すには不適当である。しかも「零」

の字義は「雨がふる」ことを示す。「雪」が降ることを表わすのに「零」の字義ほ相申しくないヾ虫府呂ほ「落」を「チル」 と訓み、すべて花が散ることを表わすのに用いている。虫麻呂ほ・「蕃ヨ」の表記により、「零」の字義を避けるばかりでなく、茂が散るように雪が舞い降る様子をも表現しようとしたのだろ、つ○

(四)「煙火」とは何か

「落雪」と「煙火」ほ対になっている。従って、この「落雪」

は「樺火」を一つの漢語モして虚攣せるための用字ではない

だろうか。『万葉集』に「煉」の字ほ十二例見られ、うち「煙

火」は二例見られる。そしてこれらはいずれも「モユルヒ」と

訓まれている。

①春野焼野火登見左右矧州平

泉平雪以減

ほかに『古事記』『日本書紀』 (二二三〇)(三二三九)

『寧文案』

『初学記』などを調べたが用例ほ見られず、『康配学典』も「煉」の字ほ見

られたものの「煉火」という語彙ほ見られなかった。しかし

『大漢和辞典』と『芸府』には用例が見られ、次のように

なっている。『大漢和辞典』「煙火」にはび。かがりび。

〔漢書、叙侍下〕炎免、亦允不陽。

*〔張説、幽州新歳作詩〕連銀戌歌連夜動、衰勢繭敢

闘。

『備文韻府』

(9)

〔漢書食座卓豊冬民既入婦人同番相従夜桂女工一月得四

十五日必相従者所以省費‑‑同巧拙而合習俗也一

〔李孝貞架府〕‑‑如奔電璧石似悪習

(注)『偲文襟府』には他に九例見られ、うち一例は*.印を附した用例と同じである。

このように「煙火」ほ漢籍に見られる語である。『大漢和辞

典』では一棟火」は「にほぴ・かがりぴ」とされているが、「にはび」ほ「.庭火」や「庭煙」、「かがりび」は「簿火」と

表記される。本論では「煉火」という表記に注目し「♯火」は除外して考究するが、そもそも「にほび」とほ何だろうかノ。

(五)「にはぴ」と「庭樺」

『時代別国語大辞典(上代掃)』にほ見られなかったが、中

田祝夫氏他締『古語大辞典』には「にはび」ほ「庭でたいて明

かりにする火。特に宮中で禁中の神楽など夜間の神事を行うと

きにたくかがり火。主殿寮の宮人が奉仕する。」と説明され、『枕草子』と『源氏物語』の例が挙げられている。

『蓋索引』によれば『万葉集』には「庭標」の詰は見

られない。しかし『蓉文葉』にほ巻八十に「火部、庭燦」が

あり、用例ほ全部で十例出る。『初筆記』にほ用例がないが、

『廃字典』にほ三例見られる。以下に『鹿掌典』から引用

‑Yよう。〔玉篇〕劇圏圃之大事。樹以照衆也。

〔詩小雅〕療之光。

〔釈文〕鄭云ウ在地日燥。執之日燭。樹之門外日大燭。.於内日産l帰‑。嘗芸事爪為明。

これらの用例から「療jは一つの漢語だとい、つことができ

る。そして、同時に当該歌の「煉火」の使用の状況等も見えて

くる<『詩経』の例を取り上げてみよう。漢籍国字解全書本『詩経』

(中村傾斎著、注15)でほ「庭燦」を次のように説明する。.庭帰とほ、大繕の時にたつる、あかしなり、松茸竹などを

育つかねて、脂をそゝき、円内にたてゝ、これをともす、

天子ほ其教育なり、(以下略)「大縛」.とは王や朝廷に関わる大事空言う。そのような時に

灯されるのが「庭燦」なのである。

当該歌申の「煙火」ほ「庭燻」と同義とみなせる。上代には

和語「にはび」の確例ほ見られないよっだが、虫席呂ほその上

代に「煙火」という語彙音用いているやこのことから虫麻呂の

漢文学の造詣はかなり深いとみなすことができるだろ、つ。そし

てこの虫麻呂の漢詩意識ほ、律令官人言識の濃厚な漢語意識で

あったと言えるのではないだろうか。

〓ハ).『延書式』に見る宮人憲識『玉算』や『詩経』にほ、大事の際の灯としての「塵燦」の例があり、これらを通してその官人義が見てとれる。しかし

‑28‑

(10)

『蓋展』や『詩経』の例はわが国のものでほない。ここで律令

官△冨識という点を踏まえて、『延書式』を見てみよう。『延書式』(注16)にほ「繚火」はないが、.・「煉」が四例、「庭煉」が三例見られ、「庭火」に至ってほ士△例見られる。

そして「寮火」が一例ある。次にその用例を挙げよう(用例に

は傍線を附して示し、割注ほ〔〕で括って示した)小

蝶火

用例をし

牽火①酉時主義護琵筑態妃主重商。

(巻恵七、践神大誉祭式)

療①於南門外通夜・鼎悠紀主基二薗進御殿油二斗。

(巻七神祇七、践神大誉祭式)②主殿寮一人。〔箪電流掃堂上。健勝芸塵燭矧爛事。〕

(巻二十、大学式)

③〔執戯矧盆〕(垂一手、宮内式)

①藁出常会隊矧於揖堅土基l醗。

(巻七神祇七、践祥大嘗祭式)

②院別二燈。一楓。.(巻七神祇七、慧藁式)

③松明七十把。〔五士押掛五所料。廿把焼幣物料。〕(巻三士ハ、主殿式)

④執爛供奉。(巻四十二、左右京式)

塵火①思火。矧火l祭。(巻一神祇二四時祭式上)

②其蔓ハ。翳町茎科。並准神今食。

(巷二神祇二、.四時祭式下)

③毎月朔日愚妻ホ。

(巷l一神祇二、四時祭式下)

④〔中宮。亀推此。〕

(巻二神祇二、四時祭式下)

⑤着火。虚弱。御篭。井神祭。(巻五神祇五、蛮宮式)

⑥井朔日忌火。虚弱等祭供神雑物。

(巻五神祇五、努宮式)

⑦新造炊殿息魚祭。

(巻五神祇五、蘭嘗式)

⑧井患火。.庭l凋。大殿祭等。(巻五神祇五、済嘗式)

亀祭

(巻五神祇五、密嘗式)

㊨〔忌火神〓肌。樹州神一前。〕

(巻五神祇五、密嘗式)

⑪〔炊殿息火。痺l州神二前。〕(巻五神祇五、督嘗式)

◎〔水部忌火。摩l州神二前り〕(巻五神祇五、訝宮式)

亀井平野竜神祭

(拳工ハ、陰陽式)

㊥及禁忌火。樹州。御竜神料雑物。

(巻二十三、民部式下)

⑬凡御井中宮柳腰。及禁忌火。劇州。御龍神。(巻二十、大蔵式)⑬凡御井中宮御鱒及祭息火。庭l火l。御竜神。(巻二手一、宮内式)

『式』自体の上代文献は残っていないが、内容はそれほど大

きく変わるものでほないとみて、普通『延書式』を上代例の参

考としている。虫席呂も宮人である以上、こうした『式』に目

(11)

を通していた可能性はある。また、その行為によhリ「律令官人」

としての土寧より強ノヽをっていくだろうぐ

『延書式』の用例

ほ律令官人意識の裏付けとなる。子して虫麻呂の律令宮人意識

には漢文学の素養が深く関わっていると考えられるのである。

(七)不義山と「療」・

当該歌の前には山部赤人の不意山歌がある。赤人歌ほ「天地

分時従」と始まり、「語告

】一義何社

不惑高嶺者」で

歌い収められている。これを永藤靖氏(注17)は時間的に統制

された発想があり、伝統的で、儀礼的そして類型的な発想のも

とで霊峰不義を詠んだとされた。それに対して当該歌ほ「全体

が慧によってとらえられた富士山」であると捉えら

れている。確かに同じ霊峰不惑を詠んでいても、当該歌の描写

は赤人歌よnノむ詳細で、かつ具体的である。

虫麻呂が「モユルヒ」に「煙火」の藷を用いたのほ、不泰山が括火山である櫻を「療(にはび)」として輝えたものと思

われる。虫麻呂ほ「庭僚」を用いることによって、より具体的な事物から赤々と焔の堪らめく不轟山の姿を連想させたのだろ

、つ○

虫麻呂の作風ほ叙事的であると書あれるが、これほ不義山歌

一つをとってみても首肯できる。そして叙事的であることにも

通じるが、もう一つの件風の特徴として映像美が挙げられる。

虫肺呂の歌から映像美の見てとれる部分をいくつか挙げてみよ 、つ。

・白雲乃龍田山乃

色附時丹(中略)丹管士

将薫時能

櫻花

将開時ホ(下略)二ハ・九七こ・観照片足羽河之左丹塗大橋之上従

赤裳鞍十引

山藍用楷衣服而(下略)(九二七四二)・(上略)勝牡鹿乃真間乃手鬼奈我麻衣ホ青衿着

直佐麻乎裳者織服而(下略)(九二八〇七)「白雲」ほ勿論、「慮霜」も自を連想させる。「麻衣」も白

の部類に入るだろう。「露禁

色附時丹」でほ色自体は述べられていないが、色鮮やかな木々の様子が連想される。このほ

か「丹管士」「左丹塗」「紅」そして「赤裳」には丹や紅とい

った赤い色が直接詠まれ、また「山藍」「膏衿」といった藍や

膏をどの青い色も詠まれている。これらほいずれも色鮮やかで

美しい映像を思い描けるものである。そしてこれらは皆「白雲」「慮霜」の白には「丹管士」の赤、「左丹塗」の大橋やr紅」、

「赤裳」の赤にほ「山藍」の青、「麻衣」の白には「青衿」の

育というように色の対比が見られるのである。

当該歌の場合も「煙火」と「落雪」にほ「火」と「雪」の対

比が見られる.「療」を連想させ滞らめく焔と花が舞い散る

ように降りLきる雪。いずれも清浄なものでありつつ、映像と

してほ「赤」と「白」という対比構造を持っている。そしてこ

の色の対比槽造が一層当該歌の印桑を鮮やかなものにしている。「燦火」を「庭燦」と据えると、更に「閤」と「火」、つま

一30‑

(12)

り「黒」と「赤」というもう一つの対比構造が成り立つ。「火」

は昼間の風景の中よりも夜の闇の中の方がよく映える。「塵燥」

も基本的には、闇を照五すために用いられたものだろ、つぐ当該

歌ほその闇の申で赤い焔を揺らめかせている不惑山の姿を「煙

火」として表現したものである。

四、甘同讐麻呂の官人立息識

二)「山」=「鋲」

高橋虫麻呂は伝説歌人と言われている。確かに虫麻呂は伝説

を多く詠んでいるが、その中心ほ「人の営み」に置かれている。

「煙火」は「大碍」の時「衆」を照らす灯である。そして虫僻

呂の不轟山は「日本之山跡囲乃鐸†万座祇」である¢

「巳本之

山跡囲」を治めることほ、宮人虫麻呂にとって「そ.

の国の『人々』を治めること」であった。不義山は「煉火」として大和固とそこに住む人々を照らす。不義山ほ大和国の人々

の「鋲」なのである。山を「鋲」と見ることについてほ、小島寄之氏の『上代日本

文撃と中国文撃』に次のような指摘がある。

山が囲などの鋲であると云ふ表現は、詩賦に例が甚だ多い。

文選二三東京賦「大室作レ銀」・(李尊注「大童、謹高別

名也……⊥言以二者高之嶽一、為‑囲之鎮一也」)を始め

として、 野‑崇嶺一以唆起、配〓華寧以助レ.鏡(晋郭嘆、巫威山嵐)惟苛之門、・作レ固作レ鍍、長日〓戯閣】(晋張載、朗

開銘)著未太華之為㌧鉾也、五岳列レ位而存ニ.其夢

(晋伸

玄、華岳銘序)など数多の例があり(以上三例、蓉文類兼山部所収)、盛

唐人張説の五言排律の詩(夢二和聖製途陛一筆岳一)にも「西嶽餅一皇京一」

(琴山ほ帝都長安の撃り)とある。

これは一畳麻呂作と云はれる「詠二不車山‑歌」の中の

「日の本のやまとの闘の鎮めともいます神かも…‥・・」ニニ

一九)の中にもみえる。山に関する「貴」や、或は繰は少くとも漢籍特に重文葉などの「山」に閲する詩文の語句

に基づ<表現と云へる。(注18)

このように小島氏は山を「鋲」と見るのは中国的表現であり、

詩賦に例が多い、と言われている。これも虫麻首の撰文学の素

養の証明となろう。しかしその「鋲」の山を「不義山」とした

ところに、虫肺呂の官人意識があるのである。

(二)「不義山」=「鐘」

『高菜集線葉引』によれば、不義山を詠んだ歌は『万葉集』

に十一首(注19)見える。そのうち不義山自体を歌詠の対象として詠んだ歌は赤人歌島ヨ該歌のみである。それ以外の歌ほ相

(13)

闇歌であり、不義山ほ寄物詠の素材にほかならない。

赤人歌では不畠山ほ「天地之分時従神左傾手高貴寸

駿河有布士能高嶺乎……」と詠まれている。これほ相聞歌▼

とほ遠い「神左備手高貫寸」不義山日体に眼を向けている。しかしこの赤人歌にも不義山を「鋲」と見る発想ほ見られない。

このような発想ほ『万葉集』でほ、虫聯呂の不車山歌以外には

見られないのである。

虫麻呂ほ他に「筑波山」や「瀧田山」などを詠んでいる。な

かでも「筑波山」(注20)、にほ興味を引かれたらしく、関係歌

ほ全部で七首見られる。しかし「筑波山」を「銭」と見る歌は

一首も見られない。虫麻呂が山を「鋲」と見るのは「不孝山」

に限られているのである。

(三)不畠山歌の国家意識

松原博一氏(注21)は「日本之山跡囲乃」以下の分析を

「国家意識を霊山不尽に託し、撃って泳いおさめている」

とまとめられている。これほ虫摩呂が官人として一つの国家意

識を持っていたことを前提にした見解である。虫席呂は「不轟

山」を「日本之山跡囲乃鋲」とみなしたが、「筑波山」や「龍田山」ではなく、「不義山」を「鎖」と見るところに官人

としての国家意識があるのである。

虫麻呂ほ「律令国家」が確立し、夢‑)つつある時代に官人

として生きた。「不義山」を日本国の人民の「鋲」と見ること、

即ち「萎」の思想は、後に聖武天皇の大仏建立という形

で明確に現れてくる。しかし、虫麻呂はそのよ、壷時代の官人

であるが故に、この思想を不惑山に託したのである。

日本は政治制度なども総て唐に倣う形で、形成されてきた国

である。宮人連の眼はおそらく唐の方に向けられていただそっ。

しかし、虫麻呂ほそれと同時に国内にも眼を向けていた。松原

茂ほこれを「日本的土俗性の強い虫麻呂」.(注望と表現きれ

ているが、例えば多くの伝説を詠んでいても、それは総て日本

のものであり、日本の人々の瞥みが歌われている。その人々を

治め、かつ護ることが宮人にとって重要である。虫麻呂ほその

さっな官人義で、不義山歌を詠んだのであろう。

五、おわりに

高橋虫麻呂の作歌について、主に「愚人」の諸により漢文学

の素養を、「煙火」の語と「不義山」を「鋲」と見る発想によ

り、官人意識を考えてきた。この宮人意識は時にほ「国家意識」

として、時には「毒家」の意識として現れる。しかし、そ

の意識の中心ほ常に「人の営み」に置かれ、虫麻呂ほ日本の世

の中をじっと見つめているのである。

虫麻呂にほ、単に実用漢文学に留まらないという意味で、一

般の宮人以上の漢文学への関心と素養があったと考えられる。しかし、それほどの関心と素養があったにも関わらず、直接申

‑32‑

(14)

国の伝説を歌ったりすることはなかった。虫麻呂の歌ほ伝家

を含めて、すべて日本の事物を対象にしている。そして、そこ

に「日本」の世の中を見つめる虫麻呂の宮人意識がある。

虫麻呂についてほ様々な論がある。しかし、これ迄に「.官人

意識」という面から、虫麻呂を捉えた諭はあまり見られないよ

ぅであるくこの「宮人意識」だけを虫麻呂の特質と見るのは当

たらない。しかt、今後、虫麻呂について考究してゆく際の一

つの指標にほなるだろう。

【注】

(1)白川静氏著『字統』(平凡社、昭和五十九年)

(2)藤堂明保氏著『漢字語源辞典』(学燈社、昭和四十年)(3)小島憲之氏著『上代日本文撃と中歯文撃』中巻(塙書房、

昭和三+九年)

(4)小島氏ほ(注3)の著書(一二〇貫)において、

端正・錨・啓発二七三八)斡・海界」海著・避・

超・銚・書・須異・披・反側・頓・白斑〓七四〇)

落陽〓七五〓哺・委曲〓七五三)喝・避

(一七五五)何伶二七重ハ)堀歌(一七五九)

陳二一八〇七)拇〓八〇八)牢・憶憤・黄泉・

践・避〓八〇九)

といった話を挙げられている。また、小島氏はこのほか、

一七四一番歌に見られる「行」という文字使いが、漢籍の 「心行」に由来する漢籍応用の例であるとい、つことなども述べておられる。

(5)松原博一氏ほ「虫麻呂の浦島伝説歌の論」(日本大学『語文』第四十二輯、昭和五十一年)において「万乗の浦島子伝章の中で『海苦心とか『書不為、死不為而』とか中国特有の成詩を用いている」‑与晶れている。(6)石井純子氏ほ「直情虫府呂の物詩歌」(『日本文学ノート』第十二号、昭和五十一年)の中で、虫麻呂の「腰細」

の詩は「準文学からの借物であろっ」と述べられ、「姦」

も李白や白居易の詩に認め得る言葉であり、「青衿」は

牒詩経鄭風』にも出てくる中国の風俗だと言われている。

(7)村山出氏ほ工費廉呂の『毒汝山歌』

‑文題詩の

『憂』との関連‑」

(『上代文学』墾ハ十七号、平成三

年)において、「『憂へ』の語ほ歌語としては特殊でも、

漢籍においてほそれほど特殊でほないと思われること」を

述べ、『懐風藻』と『文選』詩の用例から、「憂」が漢籍

語であることを示しておられる。また同氏ほ「両輪」につ

いても「高帯虫麻只T‑娘子の歌の位置‑」

(『青葉集研究』第十七集、塙書房、平成元年)で考脾嘗れ、表記を

仏教諸に依拠したのではないかと述べられている。

(8)中西進氏は『万葉集の比較文学的研究』(桜楓社、昭和

三十八年)の作品論第二章「辞戯の系譜」において、辞賦

の中には問答体の形をとるものがあると言われ、万葉長歌

(15)

における辞賦の影響について述べておられる。これについ

ては石井純子氏も注百の静文において言及するところであ

る。また、中西氏ほ「入水する女」(『旅に棲む』所収、

角川書店、昭和六十年)において、真間娘子を詠んだ歌に

みられる月と花を一対に扱う手法は「中国起源の習慣」で

あるとされている。

(9)本田義寿氏「高橋虫麻呂の旋頚歌小者」(『明石短期大

学研究紀要』第三号、昭和四十七年)

(10)渡部和雄氏「高橋虫麻呂」(『国文学』第二十巻策士ニ・号、頃型ハ十年)

(11)内藤明氏「旅愁と豊餓†‑高橋虫麻呂『筑波山に登る歌』

をめぐって

(関東学院女子短期大学『短大論叢』第

七十八集、昭和エハ十二年)

(12)

「者」は『蓋索引』によれば、巻十のl≡三六番

歌に見える。但し、これほ寛永版本のみであり、それ以外

ほ「零」字である。

買(13)

「爾令」は巻八の一五五一番歌に見え、古写本では「雨

令零収」(謝など)とある。しかし「爾令」を「零」とみ

なす説もあり、この説を採るものに賀茂真淵『萬業者』や

沌巣盛鹿氏『萬葉集全繹』、『蓋揮』第四巻(巻八

は藤森朋天氏担当)、窪田空穂氏『妻集評秤』等がある。

(14)中西進氏「辞賦の系譜」(注8参照)

(15)中村偵努氏著『詩経』

(『墓圃字解全書』所収、早稲

田大学層覇蕪、明治四十二年)

(16)用例検索ほ自らの調査の他、次の索引にも拠った。『校

訂廷書式索引』

(毒究所全国神職会二塑型ハ年、臨川

膚店の復刻版による)・一

(17)永藤靖氏「晶麻呂歌集の物語的世界‑人琳呂から晶麻

呂ヘ

」.(『文芸研究』第四士二号、昭和五十五年)

(18)小島憲之氏『上代日本文撃畠丁芸撃』由巷、第五篇第

五章「稟集と申鯛文学との交流」

(19)十一首の歌番号を以下に示す。巻三、三「七、三一八

(赤人)/当該歌三尊/巻十「二六九五、二六九七/巻十四、三三五五、三二五六、三三五七、三三五八。

(20)

「筑波山」についてほ、佐々木教子氏が「高橋虫麻呂の

官憲と筑波山信仰」

(『二枚』第六集、平成四年)に

おいて、高橋虫麻邑が筑波山に登ることが可能であったの

は「天皇の権威を背景にした官僚意識」があったからであ

り、「天皇の権威ほ、筑波山の神の権威に匹敵するのだと

いう思想」があったからであると論じられている¢

(21)松原博一氏「万葉集倖者未詳の富士山歌考」(日本大学

精神文化研究所・教育制度研究所『紀要』革工ハ集、昭和

六十年)

(22)松原博一氏「虫麻呂の浦島伝説歌の論」(注5参照)

[一九九三年三月卒業]

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(自分で感じられ得る[もの])という用例は注目に値する(脚注 24 ).接頭辞の sam は「正しい」と

(Ⅰ) 主催者と参加者がいる場所が明確に分かれている場合(例

るものとし︑出版法三一条および新聞紙法四五条は被告人にこの法律上の推定をくつがえすための反證を許すもので

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