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(1)

九八年五月の総選挙を経て成立した第二次コック内閣が安楽死に関する三党議員のイニシアティブ法案を内閣の法

案として採用した後︑

四=一—

9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 ,

9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 ,

 

9 9 9 9 ,  

9 9 9 9 9 9 9 9 9

9 9 9 9 9 9 , 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 ,  

︱一月に公表された世論調査によると︑

は し が き

|—安楽死論議の関連で(一)

はしがき自殺を援助された患者の特性

自殺援助への関心の増大?

判決等に現れた自殺援助ケース

オランダ人の回答者の九三%は安楽死または自殺援助

オランダにおける自殺援助をめぐる諸問題

(2)

う顕著な対照が明らかにされた︒これらに関しても︑なお論究すべき沢山のことがあるが︑

生命軽視の風潮がまん延していると単純に仮定することはできないだろう︒ほとんどの人々は生きたいという自然の

この

関連

で︑

欲求に従って最後まで生を全うしていると考えられる︒

とも

かく

オランダにおける自殺の動向を参照してみよう︒中央統計局の調査によれば︑ オランダでは

オランダにおける自殺

件数は安定しており︑九

0

年以来︑年間の自殺者は約一︑六

00

人にとどまっている︒︵日本における約二万四︑

00

ーストラリアの全死亡件数に占めるその割合は三•五(士0•八)%であり、オランダの割合は

O ・

七%であるとい の権利に賛成していることが明らかになった︵一八歳以上の成人一︑二

0

一人を対象にしたエラスムス大学の調査︶︒

それらの回答者は︑医師たちが今日の手続を厳格に遵守することを条件にして︑これに賛成するとしている︒八%だ

けは原理的に反対している︒これらの反対者はとくにオランダ・プロテスタント︑︵カルバン派︶改革派及び他の教会

宗派からなる︒政党として安楽死・自殺援助に否定的な態度を堅持しているキリスト教民主党の支持者の八二%と同

じく宗派として安楽死・自殺援助に反対しているローマ・カトリック教会の教徒の九六%も患者の要請に基づいた生

命終結の権利に賛成していることが明らかになった︒これら安楽死の分野における刑法の改正に賛成する者は八七%

である︒他方︑処罰規定の廃止は不任意の生命終結の可能性につながると危惧する者は︱二%だった︒

これらの結果は︑医師の行う安楽死・自殺援助に対するある範囲の許容的な医療的実践及び法的・社会的政策の経

験がオランダ国民の間で高い程度で受容されている現状を反映しているといえるだろう︒他方︑そのように寛大な安

楽死政策は濫用を生み︑不任意の生命終結ケースを増大させるのではないかということも危惧されていた︒しかし︑

本号別稿で紹介しているように︑安楽死が法的に禁止されているオーストラリアとの比較調査では︑安楽死・自殺援

助ケースの割合に関しては有意味な差がないとされ︑また患者の明示的な要請のない生命終結ケースに関しては︑

(3)

オランダにおける自殺援助をめぐる諸問題(山下)

0

件(‑九九七年︶

と比較して人口比でもかなり少なく︑後述のように︑自殺者に占める精神的な障害の比率は一般

的に高いのであるから︑ある意味では︑

日本の方が精神医学的な援助を含む自殺防止の体制・方策が不足しているの

ではないかと思われる︒︶これを男女比でみると︑九六年では男性一︑

0

四三人に対して︑女性は五三四人で︑

ど二倍の差がある︒また七

0

歳以上の高齢者の自殺の方が相対的に頻度が高いという︒

り︑または絞首によって自殺している︒女性の場合には同じ方法による自殺は二九%であり︑溺死または薬物を優先 する傾向が強いという︒その他の方法として︑刃物や銃器による自害︑高いところからの飛び降り︑列車への飛び込 み︑栄養拒否による自殺などが知られている︒最近ではインターネットを介した自殺に関する全ヨーロッパ規模での

情報の交換や薬物の容易な送達の可能性︑

どの存在も知られているが︑

オランダ任意安楽死協会やその他の組織の発行する自殺に関する小冊子な

そのために自殺数が増大している事実はないようである︒

これら約一︑六

00

人の自殺者の特性をみると︑ ほとん

さらに男性の約四五%は首吊 その約半数はある種の精神科の病歴をもった人々であり︑四五%

はある時点で医療施設にいたことがあり︑二五

0

人は自殺の当時に施設に在所した︵統計年報一九九七年︶︒精神科の

患者の自殺割合は高く︑全人口当たりの比較では一

0

倍︑施設にいる患者だけでいうと三

0

倍から四

0

倍とされてい

る︒全自殺件数の五%だけが璽大な精神的疾患から免れているとされる︒九三年までの調査では︑全自殺件数の半分 は精神科の治療を受けていた人々からなり︑七五%から八

0

%はある時点で精神科の治療を受けていたという︒

安楽死・自殺援助の問題は︑死を願う人々に関係するという意味では︑上記の自殺者のグループと共通する点もな

いわけではない︒

面も

ある

こ ︑

' イ

とく

オランダにおける論議では精神的な苦しみと自殺援助の関係が意識的に結合されている側

オランダでも︑安楽死︵嘱託殺人︶

と自殺孵助は︑法的には別個に規定されているのであるが︑医師が援助する患

(4)

ースと対比した患者の特性は次の通りである︒ 者の死として︑同じ道徳的な評価に服するものとされ︑またその実施が法的に許容される場合の条件︵医師の注意深さの要件︶も同様であると考えられてきた︒しかし︑両者を峻別し︑自殺援助を優先すべきであるという議論も近年

アメリカでは︑安楽死は許容されるべきではないが︑医師による自殺援助は合法化してよいとする意見が強い︒数

個の調査では︑

いまやアメリカ人の約三分の二が医師の援助する自殺を支持しており︑全国の半数以上の医師もこれ

( 5

)  

を支持しているという︵影響力ある医師組織はこれに反対している︶︒

こうして︑医師による自殺援助の問題はそれ自体としてそれらの国々の関心事となっている︒わが国でも︑この問

題は︑終末期をめぐる医療的・倫理的・法的・社会的な問題の所在を探るという広い意味の比較の観点から関心が示

され

てい

る︒

オランダでは︑自殺援助に関する論議と社会的経験も比較的長い歴史をもっており︑独自の展開を遂げている︒し

か し

それを簡単に一望し︑十分な評価を下せるほどの事実的資料と論議の多様な側面は知られていないであろう︒

本稿

では

それらの検討素材を提供するという意味で︑

自殺を援助された患者の特性

オランダにおける自殺援助をめぐる諸問題を扱ってみたいと

オランダでは年間四

00

件の医師による自殺援助ケースが数えられている︒九六年の全国実態調査による安楽死ケ

思う

明らかになっている︒

(5)

オランダにおける自殺援助をめぐる諸問題(山下)

安 楽 死 ま た は 自 殺 援 助 が 実 施 さ れ た 患 者 の 特 性 ( 単 位 … % )

(年齢別)

~

1990 1995

年 齢 安楽死 自殺援助 安楽死 自殺援助

0 ‑49

, 

22 

, 

17 

50‑64 25  17  28  21  65‑79 45  18  43  27 

80歳 以 上 21  33  19  35 

100  100  100  100 

(性別)

~

1990 1995

性 別 安楽死 自殺援助 安楽死 自殺援助

男 性 59  52  43  61 

女 性 41  48  57  39 

総 計 100  100  100  100 

(死亡原因別)

~

1990 1995

死亡原因 安楽死 自殺援助 安楽死 自殺援助

70  70  80  78 

心臓病・血管疾患

, 

神経組織の病気

その他 12  22  13  16 

総 計 100  100  100  100 

(6)

(生命短縮の期間)

‑ ‑ ‑

生 命 短 縮 の 期 間

‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑ ‑

安楽死1990自殺援助 安楽死1995自殺援助

不 詳 1 

゜ ゜ ゜

不躙または24時間以内 21  14  18 

, 

1‑7日 39  32  44  16 

1 ‑ 4週 間 26  14  31  45 

1ヵ月以上 13  40  7  30 

総 計 100  100  100  100 

(資料: CBS doodsoorzakenstatistiekより再構成: cf. J.  Legemaate en R. J.M. Dil‑ lmann, Levensbeeindigend  handelen door een  arts: tussen  norm en praktijk.  Bohn Stafleu Van Loghum,  1998. p. 184.) 

の法務大臣の見解であり︑そのような訴追方針が採用されていた 期段階にない患者の生命終結は受け入れられないというのが当時

が︑九四年九月に新政府は最高裁の判決に従った訴追政策を行う

旨の声明を出し︑末期段階になくとも精神的に激しく苦しんでい

るときには正当化される場合のあることを明らかにした︒もっと

この政策変更は申告手続の書式において修正されることがな

ち ︑ 比

較し

て︑

どこまで確実なことがいえるかは難しいが︑年齢関係

で対比すると両年度とも四九歳以下と八

0

歳以上の患者において

は自殺援助の比率が高いことが分かる︒性別では男性の方が自殺

援助ケースの比率が高い︒死を求める理由としては両者とも癌を

原因とするものが大多数を占めている︒生命短縮の期間に関して

は﹁不短縮または二四時間以内﹂及び﹁一日から七日﹂では安楽

では自殺援助が多数を占めている︒ただし︑﹁一ヵ月以上﹂の比率

この関連で︑両年度のは減少化の傾向を示しているようである︒

間で訴追政策上の大きな変化があったことが注目される︒すなわ

シャボット事件の最高裁判決の出た九四年六月以前では︑末 死ケースが多数を占め︑﹁一週間から四週間﹂及び﹁一ヵ月以上﹂ この表から安楽死ケースと自殺援助ケースをそれぞれ両年度で

I ‑

(7)

オ ラ ン ダ に お け る 自 殺 援 助 を め ぐ る 諸 問 題 ( 山 下 )

会の立法委員会は︑

自殺援助への関心の増大?

二年後には︑任意安楽死協 かったので医師たちは新たな訴追方針に疑問を抱き続けているといわれていた︒そのような経緯からすると九五年の自殺援助ケースにおける生命短縮期間の﹁一週間から四週間﹂が四五%︑﹁一ヵ月以上﹂が三

0

%となり︑九

0

年のそ

れぞ

れ一

四%

0

%とはかなり変動しており︑比較的長期の生命短縮を避けようとする社会的な自覚に関連するの

かとも思われるが︑確かな理由は分からない︒こうして︑原因としての病気に癌が共通して圧倒的多数を占めること

とは別に︑自殺援助ケースでは︑生命短縮の期間が相対的に長いことに特色があり︑精神的な苦しみの比重が安楽死 ケースよりは高いであろうことを予想させる︒これは死の切迫性を厳しく要求し︑精神的な苦しみを除外すべきであ

るという立場からは原理的に非難されるが︑

オレゴン州の尊厳死法のように余命六ヵ月以内の患者は自殺援助を要請 できるといった考え方とは大筋で調和するだろう︒ただし︑非常に例外的なケースでは余命にかかわらず精神的な苦

しみも尊重される場合があるとする点では異なっている︒安楽死ケースと自殺援助ケースの特徴についての上述のよ

うな異同を念頭に置いたうえで︑次に自殺援助への関心のありかがどのように展開しているかを素描してみよう︒

個人的自律性を重視する考え方は︑安楽死だけではなく︑自殺援助への関心も増大させた︒

類似しているとしたが︑自殺援助の問題は委員会の任務外の問題であるとした︒しかし︑ オランダ任意安楽死協

一九七八年︑安楽死についての倫理的及び実際的な問題は多くの点で﹁理性的な自殺﹂のそれに

会も︑任意安楽死財団も︑自殺援助に注目する報告書を出版した︒任意安楽死協会は︑自殺援助を明示的かつ自発的 に要請した人が︑要請の時点で︑意思能力があり︑苦しみが耐え難く︑死の望みが永続的であるときには︑自殺援助

(8)

は許容されるべきであるとした︒他方︑任意安楽死財団は︑﹁理性的な自殺は積極的な安楽死に対する価値ある代案と

して承認されるべきであり︑ある事情のもとでは︑

安楽死ではなく︑自殺援助を要請すべきであるとした︒自殺援助を優先すべきであるという意見は時々医師たちの側

からも聞かれた︒例えば︑ より望ましくさえある﹂と論じて︑自殺をできる人は原則として

スプレーベンベルクはいう︒﹁︵生命終結のための︶手段の選択は患者の肉体的な条件によ

( 8 )  

って決定される︒⁝⁝患者と医師の相互の責任を強調するために︑私は常に経口医薬を使用するよう努めている﹂︒

とはいえ︑要請に基づいた生命終結という狭い意味において︑安楽死よりも自殺援助を法的に優先すべきであると

いう論議は︑ごく最近まで強く主張されることはなかった︒オランダにおける安楽死論議をリードしてきたレーネン

は安楽死と自殺援助の異同ないし類似性について次のように述べている︒

安楽死とのアナローグで︑自殺援助とは︑本人の要請に基づいてその人の生命終結行為を意図的に援助することで あると定義される︒目的は安楽死と同じだが︑方法が異なる︒安楽死では第三者が生命終結行為を行うが︑自殺援助

では第三者が提供した医薬を用いて本人自身が行為する︒その結果︑安楽死の場合には第三者の行為の後に患者が生

命終焉の過程に影響を及ぽすことはできないが︑自殺援助ではそれができる︒

重い肉体的または精神的な苦しみに対する医師による自殺の援助は本質的に安楽死と同様である︒刑法では安楽死

と自殺援助はそれぞれ異なった犯罪として二九三条と二九四条に規定されているが︑重い苦しみに対する援助のケー

スでは両者を区別する理由はない︒例えば︑不治の︑重篤に苦しんでいる癌患者に安楽死を実施するか︑自殺を援助

するかは本質的にどちらでもよいことである︒安楽死国家委員会は︑この思考方法に従って︑安楽死の場合と同様な

条件のもとで同様なケースにおける自殺援助を不処罰にする趣旨の提案をした︒この考えによれば︑要請が︑耐え難

(9 ) 

く︑かつ絶望的な︵肉体的または精神的な︶苦しみに由来するものではない種類の自殺援助のケースは可罰的とされる︒

/ ¥  

(9)

オ ラ ン ダ に お け る 自 殺 援 助 を め ぐ る 諸 問 題 ( 山 下 )

ある人々は︑緊急状況における安楽死と自殺援助は倫理的に区別できるとして︑自殺援助の方を安楽死よりも優先 すべきだと主張している︒そして︑自殺援助のケースにおける生命終結への患者の選択はより確固としたものである

ことがその理由であるとしている︒

があるし︑またその逆の場合もある︒

一定の限定された事情のもとでは安楽死は正当

しかし︑安楽死の場合には生命終結に際して患者の意思が自殺援助の場合よりも

少ないとする考えには根拠がない︒両ケースにおいて︑生命終結を求める患者の要請があり︑また両ケースにおいて︑

医師はそれに協力する決定をするのである︒具体的な状況において︑安楽死よりは自殺援助が優先される無数の理由

その際︑患者に自殺する能力があるかどうかの問題は決定的ではない︒

( 1 0 )  

法を採るかの決定は︑患者と医師によって受け入れられる状況次第である︒

レーネンや国家委員会の提言以来︑諸立法提案は︑今回の内閣法案を含め︑先例にならっている︒諸法廷によって

導出された正当化の要件は要請に基づいた生命終結と自殺援助を区別していない︒

に基づいた生命終結は自殺援助よりもはるかに優先されている︒

グリフィスによれば︑要請に基づいた生命終結の優先権は安楽死法︵判例法︶

反映しているという︒すなわち︑この発展は︑初期のためらいの後︑

利﹂がある

実施できるという観点︵医師の側における義務の競合︶ ︵もちろん︑自己決定は本質的に重要と考えられているが︶

する決定をした場合には︑ どの方

そして︑実際のケースでも︑要請 がオランダにおいて発展した仕方を

な医療的手続であるとするオランダ医師会の支持を受けて︑医師たちの主張によって始まったのであって︑アメリカ

のように﹁患者の権利﹂を掲げて始まったものではなかった︒法的な構成においても︑患者にはそれを要請する﹁権

という観点からではなく︑医師たちがそれを から把握されている︒沢山の医師たちは︑患者の生命を終結 その決定を自分自身で実施することがその責任の不可欠の構成部分であると考えていると

(10)

可能な場合には患者自身に医薬を摂取させることによってその責任を自覚させることが望ましいという見解が有力

になっている︒介入に先立つ決定の過程で︑この可能性について患者と議論すべきである︒その場合︑患者が医薬を い

る ︒ 使用できる患者が医師に道徳的負担を課さないことによって医師の情緒的負担を軽減することができるというのであ 患者が自分で最終的に行為するときにはその要請の任意性と真剣さの十分な保障があり︑ しかし︑最近やっと自殺援助に優先権を与えるべき重要な理由があるという考えが注目を引き始めた︒すなわち︑

オランダ医師会は︑九五年︑可能な場合には自殺援助に優先権が与えられるべきであるという新たなガイドライン

自殺援助と安楽死は同じではないが︑沢山の類似性があり︑同じ種類の要件が同様の事情のもとで同様の患者のカ

テゴリーに適用される︒医師が︑あるケースにおいて生命終結の要請を尊重すべきであると確信している場合には︑

医師が関与する﹁安楽死﹂か︑医薬の供与によって患者自身が遂行する﹁自殺援助﹂かは︑両方とも︑目的と効果は

同じであって︑道徳的な見地からは同様の行為である︒だが︑医師にとって︑心理的には安楽死の方が自殺援助より

はドラスティクな介入である︒自殺援助のケースでは︑

二 年

よりも自殺孵助の方にはるかに寛大な刑︵上限三年︶を設定している︒他方︑自殺援助は安楽死よりも激烈な

抵抗に遭遇する︒これは︑安楽死は末期患者に関係するものであるが︑自殺援助は非末期の患者に関係しているとい

う想定に基づいている︒しばしば︑安楽死は肉体的な苦痛に関連し︑自殺援助は精神的・心理的な苦しみに関係して を採用した︒次のように述べている︒ る ︒

( 1 1 )  

いう

ので

ある

また致死性の薬物を自分で

それを患者に委ねることができる︒刑法典は安楽死︵上限一

1 0

 

(11)

オランダにおける自殺援助をめぐる諸問題(山下)

摂取できる条件が存在しなければならない︒

できるだけ患者の自律性を適時に表明できるように医薬の摂取に優先権

( 1 2 )  

が与えられるべきである︒こうすることによって︑医師の利用可能性について健全な調整がなされ得る︒

このような方向指示的なガイドラインの表明にもかかわらず︑自殺援助が優先されているという兆しはない︒

ろ︑安楽死と比較して︑自殺援助ケースの比率は減少してさえいる︒例えば︑九

0

年における安楽死ケースは全死亡

件数の一・七ー一・九%︵二︑三

00

件 ︶

で は

るが

であり︑自殺援助ケースは

O ・

ニー

0

・三%︵四

00

件︶だった︒九五年

それぞれニ・三ーニ・四%︵三︑二

00

件 ︶

0・ニー0•四%(四00件)だった。この調査結果は、近年

の論議にかんがみて︑調査者たちの予想に反することでもあった︒調査者たちはその理由について解明を約束してい

それとは別にシャボットは次のような仮定的な説明を試みている︒

むし

外国では安楽死と自殺援助の間の道徳的な相違は非常に大きいと論じられている︒その相違は最終的な致死行為に

つまり︑安楽死では医師に責任があり︑自殺援助では患者に責任があるとされている︒他方︑

ランダでは︑両者の道徳的な相違はほとんど意識されず︑同じ注意深さの要件︑同じ判例法及び同じ申告手続が適用

される︒ただ︑自殺援助では患者が自力で薬剤を礁下でき︑最後の日々に話すことができることが要求されている︒

安楽死は常に実施可能だが︑自殺援助は時々可能である︒自殺援助の低い頻度は死の切迫した病人に対する実施可能 性の問題を反映しているだろうか︒おそらくある程度までは口からの嘩下の問題もあるだろう︒だが︑三件の安楽死 について一件の割合で一週間以上の生命短縮がなされているというのは適切でない︒それらのケースでは自殺援助が

可能と思われる︒だが︑医師たちはしばしば安楽死を優先させている︒

自殺援助が実行可能なケースで︑医師たちが安楽死を優先させる︑ 対する責任にある︒

その他の実際的な理由があるだろうか︒明瞭に

語られることは少ないが︑医師は自殺援助よりは安楽死の方が事態の成り行きをより適切にコントロールできるとい

(12)

うのが事実であろう︒とくにこれは薬剤の礁下と死の間の時間に関係している︒自殺援助では死亡までの時間が不確

定であり︑時には死を非常に長く待機しなければならない︒これは家族にとって負担であり︑また医師の忙しい医療

オランダの沢山の医師たちが安楽死と自殺援助の間に道徳的な相違を見ないとすれば︑実際的な観点ー死亡時まで

のコントロールーが︑安楽死を選択させることになっていることは明らかだろう︒こうして︑安楽死のケースでかな

( 1 3 )  

り早い時期に要請に基づいた生命終結行為の増大が現れることになる︒

自殺援助の比率が減少してさえいるという事実に対してシャボットが試みた説明について︑安楽死実態調査を指導 したマースとバルは︑典味深いが思弁的であるとして︑安楽死または自殺援助を選択する医師たちと患者たちの理由

について調査結果に基づいて必要な分析を行うと予告していたが︑それがすでに公表されたかどうかは知らない︒

別の観点で︑グリフィスは︑両者の行動の間の明瞭な一線を誇張し︑異なった法的な処理のための根拠として大き

なウエイトをかけることは誤りであろうとして︑次のように述べている︒

自殺援助は︑分光器の一方の端では︑安楽死とほとんど区別できない行動︵医師が同席し︑患者が致死性の医薬の

静脈点滴のバルブを開く︶

から︑医師が薬物を準備して︑その同席のもとに患者に与えるという中間の﹁通常の﹂状

況を経て︑医師が将来それを使用するであろう︑または使用しないかもしれない患者にビルを与える他方の端に至る

バリエーションがある︒この全範囲を安楽死と区別できる︱つの調整的カテゴリーとして処理できるかは疑問である︒

だとすれば︑要請に基づいた生命終結と自殺援助を緊急避難としての正当化の観点から区別しない現在の法的状況を

存続したまま︑専門的なプロトコールを経由して︑

く︑実際の遂行においてもできるだけ患者に責任をとらせる一般的な優先権を促進することの方が賢明であろう︒将 実務においても面倒なことである︒

または単に助言と教育の方法によって︑決定についてだけではな

(13)

オ ラ ン ダ に お け る 自 殺 援 助 を め ぐ る 諸 問 題 ( 山 下 )

来の非犯罪化されたシステムのもとでは︑緊急避難による刑法的正当化という現在調達可能な仕方よりももっと微妙

な区別ができるだろうし︑全ての事情を考慮して︑

( 1 4 )  

ろう

それが優先されるべき場合には自殺援助を鼓舞することが可能だ

アメリカの議論では︑自己決定権の行使として薬物を患者自身が摂取することが論理的と考えられている︒そして︑

それは死への関与の仕方の問題として違法性の大小の評価にも関係する︒

とによって濫用に対する内在的な歯止めが与えられると考えられている︒この考え方は︑

者間の関係がそれほど親密ではないという背景事情も反映している︒他方︑

現場における医師・患者間の信頼関係の強さが前提とされている︒こうして︑

医師が原則として同席し︑平穏な死を援助し︑その死を届け出ることが義務づけ

る︒患者自身による致死行為は必ずしも成功せず︑人間的でない苦悶を伴うことがあるという経験的な認識も同席と 援助を要求する根拠になっている︒患者によっては︑医師の同席を忌避し︑親しい家族関係の中で最後を遂げたいと

願うケースもある︒そのようなケースでは︑同席はしないが︑直ちに急行できる場所で連絡を待機しなければならな

い︒長時間の待機は確かに医師にとっても過大な負担であろうし︑

みが耐え難くなった時点で医薬を与えるという安楽死ケースでは︑通常︑

報告されている︒ さらに︑患者自身の自発的行為に委ねるこ

アメリカにおける医師・患

オランダの議論では︑とくに末期医療の

オランダでは︑自殺援助ケースでも︑

それは患者自身にもプレシャーとして働き︑自殺

その処置をとらなくてよいケースが多いと

このように︑末期患者のケースにおいては︑安楽死か自殺援助かの選択は︑実際的な処理として微妙な問題を抱え

ているが︑非肉体的な苦しみのケースでは︑自殺援助の優先権がほとんど自明視されている︒ 援助の数を不必要に増大させるおそれがあるといわれる︒一方︑死の過程にある患者のベッドの脇に座り続け︑苦し

︵医師の注意深さの要件︶

られてい

(14)

続について合意した後︑ る ︒ ︶ 非肉体的な苦しみを理由とする生命終結の要請に応じることが許されるかという問題は非常に論争的な問題である︒オランダにおいても︑九

0

年の初めまでは︑安楽死または自殺援助は︑﹁肉体的な苦しみ﹂と﹁末期の病気﹂を要

求しており︑その苦しみが精神の障害に由来する場合には許容されないという仮定が一般的であった︒︵末期患者の肉

体的な苦痛や極端な衰弱に伴う他人への全面依存に関連する肉体的及び・または精神的な尊厳の喪失を理由とする生

命終

結は

八四年のシュホーンヘイム事件についての最高裁判決以来︑緊急避難の抗弁が受け入れられるとされてい

八六年の保健審議会による自殺問題へのアドバイスは精神科の患者の意思能力は必ずしも常に問題ではないと述べ

たが︑非肉体的な苦しみのみが自殺援助の十分な正当根拠になるかという問題では見解が分かれた︒オランダ医師会

は九一年の政策表明において︑﹁肉体的な症状または苦痛﹂が一般的には要求され︑精神科の患者が熟考したうえで︑

十分に任意の要請をなし得るかどうかは﹁疑わしい﹂と結論していた︒医師会と法務省が九

0

年遅くに安楽死申告手

精神科の障害は自殺援助の根拠として十分ではないため︑この申告手続は精神科の患者には適用されないと警告した︒

この書簡は︑議会での質問を含め︑沢山の批判を招いた︒これらに対する回答において︑政府は監督局のカテゴリ

カルな立場を否定した︒こうして︑九三年︑

正当化される例外的な状況があり得ると結論した報告書を提出し︑

学会は︑精神障害が患者の意思能力に必然的に影響を及ぽすという考えを否定し︑これらの患者に対する自殺援助も︑

( 1 6 )  

原則的には全ての他のケースにおける安楽死と区別されないとする報告書を公表した︒

こう

した

経緯

は︑

ヘルスケア監督局とメンタル・ヘルス監督局は︑医師たちへの合同書簡︵九一年︶

メンタル・ヘルス監督局は︑精神科の患者の要請に基づいた自殺援助が

九一年の書簡を撤回した︒

一 方 ︑

オランダの事情に精通しない外国人にとっては一見して不可解なものと映るが︑ オランダ精神医八

0

年代

以来

一 四

にお

いて

(15)

オ ラ ン ダ に お け る 自 殺 援 助 を め ぐ る 諸 問 題 ( 山 下 )

を解決したといわれる︒ 最

高裁

は︑

諸法廷がこれらの問題に直面させられた事実に照らして考えると︑理解は可能である︒

一 五

︵ 最

九三年︱一月︑医師会は︑﹁意思無能力者の生命終焉をめぐる医療的処置﹂についての討議ノートの第四巻﹁精神科

の患者﹂を発行し︑例外的ケースにおける精神科の患者の自殺援助の正当性を受け入れた︒こうして︑九四年六月︑

私 は

シャボット事件判決において︑非肉体的な障害に苦しむ人に対する自殺援助の正当性に関する沢山の問題

かつてシャボット事件に関する最高裁判決を紹介したことがあるが︑それはオランダの安楽死問題に接する

( 1 7 )  

最初の機会であって︑これに関連する事情についてもほとんど白紙状態に近かったといえる︒今回︑討議ノート

終版︶︑関連論文︑批判論文等を読むことによって︑非肉体的な障害に苦しむ人々に対する自殺援助の論争問題につい

てある程度アウトラインを把握できたと思うので︑これらを紹介することも本稿の意図であるが︑その前に八

0

年代 以来の自殺援助をめぐる諸判決等を概観しておきたい︒もっとも︑判決に現れた事例は例外的なケースであって︑他 方︑例えば︑癌末期患者に対するいわば通常の自殺援助ケースはオランダの実務では訴追されることもないのである から︑裁判例から知り得る情報は限られている︒しかし︑どのような事実と事情が問題になっているかを理解する手 がかりを得られるものと思う︒以下に掲げる諸判決︵オランダにおいて知られた自殺援助関連の判決をほぽ網羅して

いると思う︒︶のうち︑最近のものは判決全文を読むことができたが︑

その他のものは諸文献から引き出したものであ

る︒紹介の程度は精粗まちまちになるが︑資料的意味もあると思われるので︑

や判旨について比較的詳細に紹介することとする︒なお︑

それができるものについては事実関係 シャボット判決を含む一︑二の事例はすでに別の機会に紹

介済みであるが︑全体の流れの中の一っとしてこれらもやや形を変えて再録しておきたい︒

(16)

多様な病気に苦しみ︑とりわけ癌を患っているものと誤信し︑

じて自殺を援助し︑逮捕された︒この女性は幾度も死の願いを表明していた︒患者のホームドクターはこの要請を拒

否し

たが

ベルトヘイムに照会した︒彼女は患者と二︑三度話し合った後︑援助に同意した︒八一年四月一九日の夜︑ 一九八一年の春︑医師ではないベルトヘイム ・

事実 (2) 

ペルトヘイム事件 自殺装置の制作

ロッテルダム地裁 八

0

年代の初期には次の三件の非医師による自殺援助ケースが起訴されたことが知られる︒その後は非医師による

自殺援助ケースは現れておらず︑医師によるそれに変わっていくようである︒

一九

0

年︑再度の施設収容を望まない精神科の患者の夫が妻の要請に基づいて患者の自殺装置をつくったとして

( 1 8 )  

起訴された事件がある︒控訴審において︑被告は六ヵ月の拘禁刑を宣告された︒

ー 非 医 師 に よ る 自 殺 援 助

一九八一年︱二月一日

︵オランダ任意安楽死協会の活動家︶

四 判 決 等 に 現 れ た 自 殺 援 助 ケ ー ス

は︑精神的及び肉体的な性質の

その恐怖から死を願っていた六七歳の女性の要請に応

一 六

(17)

オランダにおける自殺援助をめぐる諸問題(山下)

た︑これらを相互に比較して︑熟慮したものであること︒

( 2 )

苦し

みも

死の

要請

も︑

地裁

は︑

・判

下に置かれた︶を主張した︒

一 七

︵女性が死の望みに強く固執したため︑被告は強制 ︵実質的違法性の 彼女は約三

0

個のヘスパラックスの錠剤をチョコレート・カスタードに混入して飲ませ︑次いで薬剤の作用を強める

ためグラス一杯のシェリー酒を飲ませた︒間もなく女性は死亡した︒解剖の結果︑癌の存在は明らかにならなかった︒

︱一月一七日のロッテルダムの法廷で︑検察官はこれを謀殺罪であると主張したが︑

暫助にすぎないと主張し︑地裁も同意した︒弁護人は被告の行為が法の文言に反しているとしても︑死者は生命から

の解放を望んでいたのであって、被告は法の目的—牛一命の保護ーを侵害しておらず、有罪ではない

欠如

と論

じた

るべきではなく︑

また弁護人は︑緊急避難と良心へのプレシャー いずれの抗弁も退けたが︑自殺の決定は究極的には尊重されるべきであるという大きくなってきた世論を

考慮して︑事情次第では受け入れられるべき自殺があるとした︒そして︑自殺は︑悲惨な︑

また往々にして他人の援助なしの穏やかな死に方は不可能であるから︑

満たすケースでは援助は可罰的でないとした︒それらの条件は次の通りである︒ おぞましい仕方で行われ

そのような積極的な条件を

( 1

)

本人自身によって耐え難いと体験されている肉体的または精神的な苦しみが存在すること︒

一貫した持続的なものであること︒

( 3 )

生命終結の決定は任意になされたものであること︒

( 4 ) 本人はその置かれた状況及び代案の可能性について適切に情報を提供され︑適切な認識をもっていること︒ま

ベルトヘイムの弁護人は自殺

(18)

訴追側は当初︑控訴を申し入れたが︑

(

8 )

自殺援助の決定に際しては使用される薬剤を処方できる医師が常に関与すること︒

( 9

)

援助の決定と援助自体において最大限の可能な注意が払われること︒

( 1 0 )

 

その際︑主治医は︑例えば︑本人が死の過程に達しているかどうかを同僚と協議すること︑

達していない場合には精神科医︑心理療法家またはソーシャルワーカーなどの他の専門家と相談すること︒

被告の主張する実質的違法性の欠如と緊急避難の抗弁については︑本件では上述の諸条件が満たされておらず︑必

要な注意も払われていないとして拒否された︒良心へのプレシャーの抗弁についても︑そのような重大な結果を招く

軽率な行為に出なければならないほど良心への強制が働いたとは考えられないとして拒否された︒拘禁刑は七六歳の

被告にとって精神的及び肉体的に過大な負担であるとして︑執行猶予一年の条件付きの六ヵ月の拘禁刑が言い渡され

た︒特別な条件として︑地裁は執行猶予の最初の二週間を自宅拘禁のもとに置くことを命じた︒

ハーグの高検検事長会合と法務省とで協議した後︑取り下げられた︒

この事件の後︑全国高検検事長会合は︑検察官に知られた全ての安楽死または自殺柑助ケースの起訴・不起訴を決

定するためにこの会合に照会されるべきことを決定した︒目的は訴追政策において全国的な斉一性を達成することに

あった︒こうして︑ポストマ事件と共にベルトヘイム事件で公式化された諸条件が高検検事長会合の決定のためのガ

( 1 9 )  

イドラインとしての役割を果たすことになった︒

(

7 )

自殺援助の決定は一人の人によってなされないこと︒

( 6 )

死によって他の人々に不必要な苦悩を与えないこと︒

( 5 )

状況を改善する他の適切な解決策が存在しないこと︒

または死の過程に

一 八

(19)

オランダにおける自殺援助をめぐる諸問題(山下)

認めていくことになる︒

一 九

判決は許容される自殺援助の一

0

個の条件を掲げたが︑行為者は必ずしも医師であることを要するとはしていない

ュトレヒト地裁

ベルトヘイム事件判決の直後︑自殺援助の新たなケースが法廷に現れた︒患者の夫は︑原因不明の激しい顔面の苦

痛に苦しんでいる妻のためにスイスからベスバラックスを持ち帰った︒夫が錠剤の服用を援助し︑妻は死亡した︒地

裁は︑許容される自殺援助の諸条件︵ベルトヘイム判決︶

精神科の患者に対する医師による自殺援助 が満たされておらず︑とりわけ妻の苦しみを緩和する他の

可能性が適切に利用されていなかったと述べて︑被告に一日の執行猶予付きの六ヵ月の拘禁刑を言い渡した︒

( 2 0 )  

執行猶予を付けたことによって︑地裁は条件付きの刑が執行されるべきではない旨を表明した︒

0

年代半ばから医師による精神科の患者に対する自殺援助ケースが知られるようになった︒次に掲げるケースは︑

刑事事件ではなく︑医療懲戒委員会の審判ケースであるが︑

ルス監督局の合同書簡︵精神科の患者に対する自殺援助は申告手続の対象にならないと警告した︶

であって︑その意味で注目されるケースだった︒それ以後の刑事判決は医師による精神科の患者の自殺援助の余地を 2  ①非医師の夫による妻への自殺援助 ことが注目される︒

このケースは上述したヘルスケア監督局とメンタル・ヘ

を引き出した事件

一日

(20)

医療懲戒中央委員会の審判

一九二五年生まれの男性患者は︑七五年に離婚して以来︑重度の鬱に苦しんでいた︒離婚した夫人が七八年に自殺

した後︑彼自身も自殺を企てた︒彼は外来患者として︑

被申立て人である精神科医が勤務する精神病院に入院して︑治療を受け︑自由意思を回復した︒だが︑

の恐れがあるという訴えに基づいて裁判所によって再び入院が指示された︒患者は時々︑精神病の徴候を示す深刻な

慢性の鬱に陥り︑また重度の肺気腫も患っていた︒入院中︑治療を受けたが︑回復が意図されたわけではなかった︒

退院後︑患者は当該の医師に対して生命の終焉を援助して欲しいと繰り返し要請した︒医師は自殺の援助と必要な薬

物の調達を約束したうえ︑意思決定に際して同僚たちと家族︵患者の兄とその妻︶

護職員も院内での自殺に反対した︒七月一七日︑医師の要請により治療義務を解除した後︑医師は患者と一緒に自宅

・審判の要旨

一九

0

年三月二九日

また入院患者として繰り返し治療を受けた︒八三年︑患者は

八四年︑自殺

に相談した︒しかし︑病院側も看

中央懲戒委員会はまず患者がその意思を自由に表明できたかどうかを審理する︒医師によれば︑患者は自由で独

立した意思をもっており︑薬物による影響を受けていなかった︒その事実は病院の他の二人の精神科医によって確

証された︒しかし︑委員会は︑患者の意思が鬱に強く影響されたものかどうかを判断することは困難であり︑死の

要請とこれに関連する苦しみの強さは︑この死病ではない患者の鬱から生じたものか︑鬱に関連するものか︑また

はその一部であるかについて明瞭に答えることはできないと考える︒医師は八三年九月ニ︱日の診療記録に﹁患者 に赴き︑患者は医師が用意した飲み物を飲んで自殺を遂げた︒

'

︐ 

・事

0

(21)

オランダにおける自殺援助をめぐる諸問題(山下)

5  4  3  2 

② 最 高 裁

本件のような口頭の所見では足りないと考える︒ はある時点では将来について別の考えをもつことだろう﹂と書き︑﹁どのような困難があろうと︑

医師が証言した慢性的な鬱の治療の難しさについては︑

それ

以後

︑ もある︒このことは鬱に関係した死の要請には最大の注意深さを払うことが必要であることを意味する︒

看護職員は病棟で自殺を援助して欲しいという患者の要請に随分遅い段階で直面させられた︒患者と毎日の交渉 のあった看護職員はこの援助に加担できないと述べ︑倫理的な疑いももっていた︒

委員会は︑医師と精神科の患者との相互関係にかんがみて︑意思決定に際しては少なくとも病院の外部の精神科

医が一緒に関与する必要があったと考える︒また相談を受けた精神科医は︑その所見を書面で認めるべきであって︑

こう

して

一審とは異なり︑中央委員会は精神科医は自殺に協力すべきではなかったと判断する︒

自殺を援助した医師は懲戒されるべきであろうか︒医療監督官は︑患者の要請に基づいた積極的な安楽死は一定 の条件のもとでは身分法上許容されるとして︑処分の賦課は義務づけられていないと述べた︒

委員会は︑医師が沢山の同僚たちに自殺援助について情報を提供し︑相談を求め︑

して問題を公開した仕方にかんがみて︑本件は医療懲戒法一条に抵触しないと判断する︒しかし︑精神科の患者の 自殺援助について先行する判決がないことに留意しなければならない︒

一九九一年五月二八日 きるだろう﹂と記していた︒

その制約と共に生 また家族や全ての関係者に対

繰り返し精神科クリニックに収容され︑時々おぞましい自殺を試み︑治療の持続的な効果のないままに医薬とアル

セラピーの可能性が広がっているという見解

(22)

ーとの接触も繰り返されていた︒

その

後︑

されていなかったとする高裁の判決を確認した︒ 日 ︑

コールを濫用していた精神科の患者の自殺を援助した廉で訴追の通知を受けた医師の訴えが扱われた︒患者は二人の

子どもがいる五

0

歳の女性で︑夫には別の愛人がいた︒六二年から八

0

年の間に重症の鬱のために精神病院と一般病

院の精神病棟に七回入院した︒八

0

年から八五年にかけて自殺未遂または過度の飲酒により一

0

回入院した︒八一年

からホームドクターと精神科医に対して安楽死を求めるようになった︒二人の医師はさまざまな治療を試みたが︑飲

酒量も増え︑薬を飲まなくなることが多くなり︑精神療法も受けなくなった︒八三年から八四年には塩化物を飲む︑

自室のカーテンを燃やす︑二階から飛び降りるなど三度の自殺を企てた︒八五年には精神科医の処方箋を偽造して処

方の二倍量の薬を入手し︑自殺を図った︒その後︑再び自殺援助を二人の医師に迫った︒二人は治療の可能性を見出

すことができず︑致死性の薬物を与えることで自殺を援助した︒彼らは同席を申し入れたが︑断わられた︒患者は翌

一人で自殺を遂げた︒

彼らは︑現行の﹁注意深い実践の要件﹂を遵守したにもかかわらず訴追されたことが納得できないと主張した︒

ーグ高裁は︑非肉体的な苦しみのケースでは︑﹁注意深い実践の要件﹂が肉体的な苦しみのケースと同じであるかどう

かは明瞭ではないが︑いずれにせよ︑医師たちが独立した医師と相談しなかった点を非難した︒最高裁も︑刑事裁判

官が重い精神的な苦しみのケースで緊急避難の訴えを受け入れる見込みはなお十分でなく︑さらに相談の要件が満た

ロッテルダム地裁は︑九二年六月二三日︑医師たちに無罪判決を言い渡した︒この患者は自己の意思決定

を熟考できる能力があり︑文書による宣言を作成していた︒地裁は︑他の医師との相談が原則として望ましく︑

一般的には必要だが︑

かつ

それが欠如したとしても必ずしも緊急避難の訴えを妨げるものではないとした︒ホームドクタ

ハーグ控訴審も九三年五月二五日︑地裁に従って︑医師たちに無罪判決を言い渡し

(23)

オ ラ ン ダ に お け る 自 殺 援 助 を め ぐ る 諸 問 題 ( 山 下 )

一般的には精神科の患者にも意思を形成し︑表明する能力がないとはいえないが︑精神科の患者のケー

スでは︑慎重さと大きな控え目が命じられると判断した︒また精神科の患者の自殺援助の要請に際して治療に関与し

( 2 2 )  

ない精神科医との相談がなかったことは十分に慎重とはいえないとした︒

一九九一年︱二月二

0

死ぬことを固く決意した神経性食欲不振の二五歳の女性患者に致死性の薬物を与えた小児科医が自殺孵助で起訴さ

れた︒彼は起訴を不当とし︑彼の病院の﹁安楽死プロトコール﹂に従った行為であるとして︑緊急避難の抗弁を申し

立てた︒こうして︑異議申立て手続が非公開で審理された︒

患者は八歳当時から食欲不振に陥り︑三

0

キロの体重が一年で一九キロに減少した︒小児科医は彼女が九歳のとき

強度の神経性食欲不振を診断した︒チューブ栄養によって︑体重は二五キロに戻った︒二

0

歳のとき不仲な両親が離

婚し︑患者と仲のよい弟は鬱に陥り︑九

0

年にガス自殺を遂げた︒患者の病状は悪化し︑再びチューブ栄養に頼るよ

うになった︒そして︑自殺の要請に応じなければ︑チューブ栄養を拒否し︑餓死を選ぶと思われた︒小児科医は他の

医師や病院の牧師にも相談したが︑自殺援助以外の現実的な選択はないという結論だった︒医師は患者が十分に意思

決定をする能力をもっており︑死の要請は数年にわたって熟慮され︑持続性のあるものであることを確信して︑

ガイ

ドラインを守って安楽死を実施する決心をした︒しかし︑検死医と相談した結果︑安楽死ではなく自殺援助を優先す

ることにした︒死の場所︵母の家︶には︑母︑医師︑牧師が同席した︒医師は八グラムのセコバルビタールを渡した︒

約一時間後に絶命した︒九

0

年 一

0

月三一日︑二五歳で死亡したとき︑身長は一四四センチ︑体重は一九キロだった︒

・事

実 ①

ア ル メ ロ 地 裁

た︒

高裁

は︑

(24)

助を検死医に届け出た︒

B

地裁は︑被告が自殺援助の前に相談したエキスパート以外に︑

家︑内科医︑倫理学者︶にも意見を求めた︒そして︑彼らも︑他の現実的な選択肢はなく︑小児科医は十分に慎重に

行為したと述べた︒

地裁は異議申立てに理由があると判断し︑次の審査基準を用いた︒

( 1 )

耐え難く︑持続的で︑重大な︑

( 3 )

治療の可能性がないこと︒ かつ絶望的な苦しみがあること︒

( 2 3 )  

( 4 )

手続的な規則が遵守されたこと︒

シャポット事件 さらに三人のエキスパート︵神経性食欲不振の専門

九一年九月二八日︑精神科医シャボットは︑ボッシェル夫人︵以下︑

与え

た︒

B

は ︑

その

友人

B

と記

す︶

の要請に基づいて致死性の薬物を

シャボット及び開業医

( B

のホームドクターは前夫の主治医でもあったので︑

B

はその同

席を拒否した︒同席した開業医は被告の友人であり︑被告は医療技術的な意味で彼のやり方が適切であることを確認

するためにその同席を求めた︒︶の同席するところでこれを服用し︑三

0

分後に死亡した︒

は八

六年

︵ 五

0

歳 ︶

シャボットは同日︑自殺援

は二二歳で結婚したが︑当初から不幸な結婚だった︒二人の息子のうち︑長男

ドイツで兵役中に自殺した︒そのころから夫の暴力も含め夫婦関係は悪化し︑生命終焉を求めるようにな

l ' 

' ー

・事

( 2 )

明示的で︑真剣な死の願いがあること︒

・判

ニ四

(25)

オ ラ ン ダ に お け る 自 殺 援 助 を め ぐ る 諸 問 題 ( 山 下 )

の 夜

一 方

B

は次男のためにのみ生きると述べていた︒このような事情から︑

の死を受け入れるためのどのような援助にも心を閉じていた︒実父の死後︑八八年︱二月︑次男と一緒に夫と別居し︑

0

年二月︑離婚した︒同年︱一月︑交通事故で入院した次男の癌が発見された︒彼が九一年五月三日に死亡した日

B

は貯えていた薬剤を用いて自殺を図ったが︑成功せず︑

び医薬を貯え始めた︒死に方だけが

B

の心を占めており︑妹と様々な方法について話し合った︒死後開封された旧友

宛の手紙によれば︑息子たちと彼女用の墓地が準備されていることが分かった︒

め︑またその他の方法について沢山の人々と話し合った︒だが︑

度の障害者として延命されることをおそれた︒また自分の死が他の人々を困惑させない人間的なものであることを望 んだ︒知人たちは精神科医との相談を助言した︒そして︑安楽死協会の仲介でシャボットと接触した︒彼は自殺志願

者に他の生き方があることを示唆.援助することを天職とみなし︑

年八月二日から九月七日にかけて合計して二四時間︑

得したが︑拒否された︒彼は

B

の妹とその夫とも話した︒集中的な議論の後︑

の問題はないと結論した︒

思わ

れた

B

の精神的外傷は精神療法に適合せず︑成功のチャンスは制限され︑

シャボットの観察によれば︑

七人の専門家︵四人の精神科医︑ の

入院

をし

その後︑外来の精神科治療も受けたが︑

っ た

二五

シャボットは

B

には精神障害または鬱

八六

年一

0

月︑病院の精神科に短期

いずれも効果がなかった︒当時の精神科医によれば︑

B

は長男

B

は効果的な自殺用薬剤の入手に努 その試みが失敗して︑精神病院に収容されたり︑重

そのため協会との関係をもっていた︒彼らは九一

四回の話し合いをした︒彼は繰り返し治療を受け入れるよう説

B

は集中的な︑長期の精神的な苦しみを体験しており︑

また各一名の︑臨床心理学者︑開業医及び有名な倫理学教授︶

らのほとんどは

B

の状況と治療の見通しに関する被告の評価に同意した︒ また長期にわたるとそれは

B

にとって耐

え難く︑絶望的だった︒自殺援助の要請は熟考されたものだった︒その間︑彼は詳細な所見や診断結果を提示して︑

の意見も求めた︒彼

また被告が相談した専門家の誰も直接診断

一日半後に意識を回復した︒

B

は自殺を意図して再

(26)

控訴審において︑ ・地裁の判断

ァッセン地裁は︑耐え難く︑絶望的に苦しんでいる

B

の自殺援助に関する被告の緊急避難の訴えを受け入れた︒

方︑地裁は︑精神科的な苦しみが存在したかどうかの問題を回避した︒他方︑

D .

S M

.  

‑ I

I I  

,R

の分類基準では狭義の鬱

の﹁障害﹂が存在した︒地裁は︑病気であれ︑その他の何であれ︑苦しみの原因が何であるかはどうでもよいとした︒

何人かの専門家は︑たとえ

B

が治療を拒否しなかったとしても︑治療は長引き︑しかも回復はありえなかったろうし︑

苦しみが緩和される程度はそれらの治療の結果から明らかなように︑

・高裁の判断

願いが精神科の病気に由来するものか︑

考さ

れ︑

一九九三年四月ニ︱日 九三年九月三

0

日 きわめてわずかだろうと述べた︒

レーワルデン高裁は︑地裁の判決を維持した︒高裁は︑肉体的な苦しみが欠如する場合には死の

またはそれに関係するものか︑そして︑その関連で︑自殺の援助の要請が熟

かつ任意になされたものかどうかがとくに注意深く確認されなければならないとした︒高裁は︑苦しみが肉

体的な病気の結果ではないケースでは第二の精神科医による調査が一般的に必要かという判断には立ち入らなかっ

た︒なぜなら︑高裁によれば︑この要件に言及されるべきだとしても︑具体的なケースではこの要件が満たされるこ

となしに緊急避難の訴えが成功することがあり得ると判断したからである︒高裁は︑治療が拒否されているとしても︑

本人にとって尊厳を喪失させ︑

医師の選択は正当化されると判断した︒判決は検察庁によって上告された︒ の必要を認めなかった︒

また他人に負担となるような自殺を回避させるためには︑要請された自殺を援助した

二六

(27)

オランダにおける自殺援助をめぐる諸問題(山下)

シャポットに対する医療懲戒手続 •最高裁の判断

最高裁は︑肉体的な苦しみが存在せず︑

因については︑

また末期段階にない患者に対する医師による自殺援助は正当化されるもの ではないという検察官の訴追の理由は正しくないと述べた︒最高裁は︑精神科の患者には自殺援助の要請に関して決 して自由な意思決定はないという立場に対して一般的には同意しなかった︒そして︑耐え難い︑絶望的な苦しみの原

その原因が体験されている苦しみの程度を解消しない限りは︑

し︑患者の苦しみが肉体的な病気や苦痛の知覚と肉体的な機能の喪失に由来すると証明できないケースでは︑苦しみ︑

とくにその重大さと絶望性は客観的に確定することがより困難であり︑

な慎

重さ

でもって緊急状況を判断しなければならず︑

としても︑本件のような患者の場合にはそうではない︒

二七

︵刑事事件の進行中は懲戒手続を行うことはできな それを論じる意味はないとした︒しか

そのようなケースでは裁判官は﹁格別に大き

それゆえに︑全てのケースで独立の専門家が自ら患者と会っ

て︑診断した上で判断することが重要だとした︒通常の肉体的な患者の場合には時々︑相談について例外があり得る

さらにこれらのケースでは︑苦しみを軽減する﹁現実的な代

案﹂が本人によって完全な自由状態で拒絶されているときには︑原則として︑耐え難い︑また絶望的な苦しみの話は

あり得ないとした︒こうして︑最高裁は︑本件の事情では緊急避難の抗弁を受け入れる十分な証拠がないとして︑高

( 2 4 )  

裁の判決を破棄し︑医師に有罪を言い渡した︒しかし︑刑罰または処分は賦課されなかった︒

5 九四年六月ニ︱日の最高裁判決でもって刑事事件が終結すると

い︶︑アムステルダム懲戒委員会において懲戒手続が開始され︑九五年二月六日に審判が下された︒懲戒委員会は︑最

高裁と同様に︑自殺援助は苦しみが肉体的ではなく︑ 九四年六月二l

また末期段階にない人のケースにおいても正当化される場合が

(28)

あるとしたが︑若干の点で︑最高裁とは異なる判断をくだした︒次の通りである︒

シャボットが患者の死の切望を治療できないものと判断したことは確認が十分でなく不適切である︒彼が言及した

将来の見通しは不十分であって︑患者の精神科の治療に対する不信感は回復可能なものであった︒患者による治療の

拒否は鬱の障害によるものである︒それゆえ︑患者には抗鬱治療の後にさらに悲哀の過程を処理するセラピーなど他

の方法をとらせるべきであった︒抗鬱治療は相当沢山のケースでよい結果が得られている︒

ットが自殺援助によって精神科の治療の余地を残さない判断をしたことは非難に値する︒患者が治療を拒否した場合

には︑自殺の援助を拒否すべきだった︒シャボットが相談した四人の精神科医のうち二人︵エラスムス大学精神科の

シューデル教授と医師会倫理委員会委員長︶は患者の要請に応じるべきではないとアドバイスした︒

別セラピーが必要であり︑患者の状態は治癒できない種類のものではなく︑患者が治療を拒否するのであれば︑自殺

の援助は許されるべきではないと述べた︒このように︑二人の専門家が反対していたのであるから︑他の方法が講じ

られるべきであった︒その場合には

B

がシャボットとの関係を絶って︑すぐにも﹁激烈な﹂仕方で自殺を遂げたにち

がいないといわれるが︑十分な判断ではない︒もっと権威をもって︑断固として︑拒否の意向を告げるべきであった︒

抗鬱治療を経ないで自殺を援助する決定は︑患者の次男の死亡と彼らの最初の接触の間でまだ三ヵ月が経過せず︑

の接触と患者の死との間でニヵ月も経っていないのであるから︑なおさら不当である︒

哀の処理に影響を与え︑ある程度苦しみからの回復をもたらす機会を奪ったことになる︒ シャボットは時間の経過が悲

にもかかわらず︑

シューデルは死

患者を直接診断する医師との相談を欠いたことも不当である︒そのような要件を当時知ることはできなかったとい

うシャボットの抗弁は認められない︒さらに精神医学ではショック・セラビーなどの治療法も決して異常ではない︒

自殺援助は後戻りがきかないのであるから︑患者の要請には最大の慎璽さと医師としての独立性を保つべきであった︒ ニ八

シャ

参照

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