静岡大学教育学部研究報告
(人文・ 社会科学篇 )第
47号(1997.3)193〜
206教育学におけるシステム的一構成的な視点
一―「 知識 の構成」 と「 諸 システムの階層構造」を中心 に して一―
The Systematic‐ Constructive Perspectives in Pedagogy
―On the Knowledge Construction and the Stratal Structure of Systems―
高 橋 洸 治 Kohii TAKAHASHI
(平成
8年
10月7日
受理)序
「 く 知 ること〉 はすべて く知 る人〉 による行為である。」 との直観的な着想を出発点 と して、
認識 を操作、作動 させて いるメカニズムは、認識す る人の く生物 としての在 り方〉、つ ま り生 物 を 自律的 システムと している 〈オー トポイエー シス〉 (語 義 :自 己制作 )で あると指摘 し、
認識 の生物学的 な基礎づ けを提示 したのは、 H。 マ トゥラーナと F。 ヴ ァ レラで あ る。① このオ ー トポイエー シスの概念 は、やがて彼 らの意図か ら離れて、社会学や認知科学等の他分野 に応用 され、多様 な形 で新 たな経験の領域 と内容を形成す る契機 とな り、一定の成果 と刺激を もた ら して きている。その動 向の起点 は、マ トゥラーナによる研究 の ドイッ語訳が出た1982年 であ る とされている。
教育学 の領域 に対す るオー トポイエー シス理論 の主要 な影響 は、例 えば認識論 的 な面 での く 知識 の構成〉 と、 システム論的な面での くシステム存在 としての人間〉および 〈統合的 な意 識 と自律性〉 の提起 にお いてみ られ る。
学校 でのいわゆる伝統的方法 によ って得 られ るの は 〈不活性 な知識〉 にす ぎないと批判 し、
「 教授哲学 の視点 の変容」を求 めているのは認識論 と しての構成主義 であ る。 この構成主 義 は、
知識 の客観主義 や主観主義 とは異 なる視点か ら、知識 は個人 によって構成 されるものであ ると の見解を、オー トポイエーシス論の仮説 の検証 によって基礎づけ しているのである。また、構 成主義 の視点 か らの、学習の欠陥 に関す る指摘、それ と関連 しての複合的で事例横断的 な知識 領域 と関わ る学習の在 り方 に関す る指摘 は、現在 の 日本 における教育状況 に対 して実践的 な示 唆を与 え る もの と思 われ る。
後者 の教育学への影響 は、 「 システム論的な教育科学 はその照準点 を、古 代 ヨー ロ ッパ 的 一 ヒューマニズム的な主観 にではな く、 システムに置 いている。」② との表現 に明確 に示 されて い る。オー トポイエー シス概念 は、社会学的には 〈自己組織性、自己組織化〉 と読み替え られて、
新 たな システム論的教育学 の刺激的で有力 な理論的 な契機を提供 して いるのである。 この 〈主 観視点〉 の くシ不テム視点〉への移行 は、教育学的思考 と実践 に対 して具体的にどのような性 質 を付与す ることになるのか、それ は興味ある検討課題である。
本稿 で取 り上 げる、オー トポイエー シス概念 に依拠 した システム教育学 の視点 において は、
社会 と同様 に個人を も 〈システム存在〉 と して捉 え ることによ って、主体性 や自律性 の概念 を
再考 し、 システム的思考力を もつ統合的な人間の育成への展望 を拓 くことが提案 されて いる。
そ して、それを可能 にす る前提 として、物質的な自然か ら人間の精神次元 に至 るまでの範 囲 を システム的 な階層構造 と して捉 え直す試 みを提示 している。人間が組 み込 まれて いる世界 の各 構成要素 は システムとして生成発展 しつつ、相互 に作用 しあって複雑かつ複合的 な状況 を産 み 出 している。それが現実世界 の実態である。そ うした複雑 な システム世界 の様相 を見つ め、 そ れに適合 しうる人間 としての視野 と能力を形成す ることが現在求 め られて いるのである。
教育学 における現在 の主要課題 の一つ は く 統合 の研究〉 であるとの指摘 が ドイツ教育学内 で 見 られ るが、 システム教育学 は少 な くともその一端を担 い うるものであ る。他方、 日本 にお け る第 15期 中教審答 申での「 横断的・ 総合的な学習」の推進 による「生 きる力」の育成 の問題 に 関連づ けて言 えば、それに対 して この システム論的な世界把握 および人間理解 は基礎論的かつ 実践論 的 に有意味 な示唆を もた らす もの と思われ る。
1.知 識 に関する構成主義的な見解
構成主義 的な視点 は、西欧の伝統的な認識問題 の克服 に収敏す る多種多様 な研究 と考察 を通 してその形態 を明確 に して きた ものである。伝統的な認識論 によれば、 く 知識 は、知 る者 か ら 分離 され独立 していると見 なされ る実在 の世界 の投影 0反 映であ り、その投影・ 反映が正確 で あ る場合 に知識 は真 とされ る〉。それに対 して構成主義 は、 く 知 るとい うことは、適 応 的 な活 動 であ り、知識 は目的が持 たれている場合 に成功 と認 め られた概念 と行動 につ いての一種 の要 約 であ る〉 と提言す るのである。 この提言 は、 ラデ ィカルな構成主義 で は次 の基本原則 と して 定式化 されている。 ③
①・ 知識 、諸感覚 を通 してであれ、 コ ミュニケー ションの仕方であれ、受動的 に受 け取 られ るもので はない。
・ 知識 は、認識す る主体 によって活動的 に築 きあげ られ るものである。
②・ 認識 の働 きは、適応的な ものであ り、用語の生物学的な意味 において、適合 (fit)な い し 合致性(viability[via=pass])(適 合性 )に 寄与す るものであ る ([ ]内 は筆者
)。・ 認識 は、主体 が経験的世界を組織化す るのを助 けるものであ り、客観的な存在論 的実在 の発見 に仕え るものではない。
この原則 の核心 は、最後 の項 目での「客観的 な存在論的実在」の否認 にある。認識 と知識 の 理論 と しての構成主義 は、知覚 は構成 と解釈 に仲介 されてお り、主体か ら独立 した思考 や理 解 は不可能 であ るとす る。 したが って、現実 は常 に構成 された現実であり、その構成 は他者 によっ て共有 され る場合 にのみ各個人 に対 して拘束的な もの となるのである。つ ま り、客観的 な存在 論 的実在 を反映 した知識 その ものがその真理性 によって拘束力を もつ とい う伝統的 な考 え方 が 否定 されて いるのである。 ④
その基本的な根拠 は次 の神経生理学 な内容である。オー トポイエー シス的 システムと理 解 さ れ る神経 システムと脳 の作動様式 は、 〈循環的〉かつ く 作動 (操 作 )的 に閉 じて いる〉 と記 述 され る。それ は、現実 (実 在 )の 厳密 な模写 は脳 の課題 ではない ことを示 して いる。つ ま り、
神経 システムである脳 は、いわば く 電話線回路〉 で外界 と結 びつ け られて はいない。例 え ば、
色彩の体験 につ いて言 えば、一定 の波長 の光粒子 が網膜 に受 け取 られ、それが脳 のプ ログ ラム
で くデ ィジタル〉記号的 に算 出されて初 めて く色〉 として構成 され る。外界 の色 や像 は、有機
体 が 自己産 出 した く自己業績〉であ って、単 なる模写 や表象 では説明で きない ことであ る。 こ
教育学におけるシステム的―構成的な視点
の ことは、視覚以外のあ らゆる知覚様式 に もあてはまる。⑤ この指摘 はマ トゥラーナの功績 と されて いる。
次 に注 目され るの は、 〈 状況づ け られた認知〉 の構成主義者的な理論 であ る。ここで は、意 識 と意味 は活動的に反復 され る行為 の過程 において生 じ、そ して思考 と行為 は創発的な過程 で あ るとされ る。その基本認識か ら三 つの確認がなされている。
①状況づ け られた認知 :思考 は物理的かつ社会的 な文脈 (コ ンテクス ト )の 中に位置づ け られ て いる。思考、知識および学習 は、個人の意識の純粋 な活動 というよ りは、個人が状況 に埋 め 込 まれている仕方 その もの と して捉え られ る。
②個人の認識論 と社会の認識論 :思考 と学習 は、信念 と意味の文脈の中に位置づけられてい る。それ らは、個人 と社会的集団 との間で異なるものである。
③ コンセプ ト把握の能力 :個人 は認知的な成長に対する安定 した潜在的な能力をもっており、
そ して知識構成 と意味構成および思考力の複雑かつ精妙な過程のための力をもっている。思考、
学習および認知的な成長 は活動その ものである。その活動でもって、人はその知識 と理解 (了 解 )を 表現 し、そ して新たに組織化す るのである。 O
この状況づけられた認知の理論 と共通性をもってはいるが、その焦点を く文化的過程〉 に置 いているのは 〈状況づけられた社会実践〉の研究である。文化を 〈文脈の構成に必要な諸資源 の総体的な帯状域〉 と捉え、認知 は 〈常に、もろもろの個人によって、文化的に組成 された文 脈 において、共通に構成 される〉 ものであるとする。この研究はデューイにおける経験 の心理 学的再構成 (改 造 )と いう主体モデルを指針 としている。
社会的な知識の産出と伝達を社会学的ないし社会心理学的な手法で追求 しているのは社会的 構成主義である。それによれば、日常の生活世界を構成 し規制す る社会的知識ない し観念の核 心 は社会的秩序であり、この社会的秩序 は人間の自己産出である。社会的統制、相互主観性 そ して正当化を包括す る社会的知識 は、社会化の過程で客観的な真理 として学習され、そ して同 時に主観的な現実 として内在化される。そ して、内在化 された現実は記号体系によって相互主 観的な経験 とされ、正当化 されて一貫性のあるものとされる。要するに、人間によって構成 さ れた秩序 は最終的に実在 (現 実 )そ の ものとなる、と考えているのである。そうした社会的構 成主義の捉え方 は、客観的な実在を容認 しようとす るものであって、ラディカルな構成主義の 緩和を指向 していると言えよう。
また、社会的な構成主義の研究において、 く 人間はその世界をいかに定義す るか〉の視点か らの考察がなされている。社会的な問題は、各個人によって遂行 される枠組み規定 と行為規定 に基づいて提起 される。つまり、社会的問題は社会的に構成 されるのである。それゆえ、心理 学的に有意味な現実 としての現実が社会的にどのように構成 されるかが、つまり意味の社会的 な構成の過程が研究課題 とされ、社会的な秩序を内在 している日常会話の分析などか試み られ ている。こうした研究 は 〈多様な視点〉の受容によって特徴づけられている。
上のような構成主義的な研究 と考察 は、知識教授および知識獲得を促進す る学習環境づ くり に対 して直接的、間接的な刺激 と影響をあたえている。その主な成果 として次の 5点 が指摘 さ れている。
①学習者 はその知識を構成する。その仕方 は、学習者が知覚に条件づけられた経験を解釈す
ることによって、 しか もそれは既得の知識 と、現在のメンタルな構造および保持 している確信
に依拠 して行われるのである。
② われわれが知 っている内容 は、何 らかの外部的な源泉に由来す るものではな く、個人によっ て産 出 され るものである。生産的な処理 とは、新 しい情報が既得の知識 と連結 され、精錬 され た構造 を築 きあげることである。
③知識獲得 にとって中心的なことは、 もろ もろの意味 について学習集団で討議す ることで あ る。その討議 は、授業者 と学習者 との共同的な作業 に基づいて行 われ る。学習環境 を形 づ くる 授業者 は、それゆえ、学習者 に対 して規範的かつ客観的な実在を課すので はな く、それ ぞれの 学習者 は同一 の対象 ない し成果を多少 はあれ異 なるように解釈す るとい う事実を受容 しな くて
はな らない。その ことは、学習成果 の多様性を も示唆 している。
④学習者 が有意味 な文脈 との関わ りを欠 いている場合 には、情報 は彼 らに とって ほとん ど意 味を もたない ものである。
⑤ 自己自身 の学習行為 を反省 または制御す るためには、メタ認知的な技能 が重要である。 ⑦ これ らの学習および知識獲得 に関す る基本 テーゼには、必ず しも構成主義的な特徴 が明確 に は出されて いない。特 にラデ ィカルな構成主義 の視点 は、いまだ授業実践 に十分適用 され るほ どには精錬 されていない し、されて いて もその実施 は困難 な問題 に直面す ることが予想 される。
それゆえ、実際 には、教育学 や教授心理学 の領域で は、プ ラグマテ ィックな中庸的な構 成主義 の立場 を とることの方が適切 であると判断 されているのである。その折衷的 な立場 は、 デ ュー イの社会心理学 を取 り込 み、学習者 を行為主体す なわち活動的、自己調節的、自己反 省 的 な存 在 と して捉 え る ものである。そ して、有意味な文脈、真の課題、多様 な観点 によって組織 され た授業 での学習活動 を通 して知識 が自立的、構成的に獲得 され る授業 プ ログラムが立案 されて い るのであ る。つ ま り、構成主義 は 〈構成的なプ ラグマティズム〉 という形態を取 ることによっ て、教育学 ない し教育実践 に対す る有効性を産み出 しているのである。
2.く 不活性 な知識〉への構成主義的な対応
前節 の学習 と知識獲得 に関す る基本 テーゼに基づ いて、 く 活性力〉を有す る知識 の獲得 を可 能 にす る学習環境 についての具体的な提案がなされている。その主 な もの と して は、認知 的柔 軟性 (Cognitive Flexibility)の 案、投錨的 (ア ンカー ド )授 業 (Anchored lnstruction)の 案 、 そ
して認知的徒弟制(Cognitive Apprenticeship)の 案がある。 ③
これ ら中で認知的柔軟性の案が、いわゆる 〈新〉構成主義者的な視点 を代表す るものであり、
その視点か らの複雑性・ 複合性を有す る知識領域 での学習欠陥の指摘 には実践的に有意味 な点 が見 られ るので、 ここでは認知的柔軟性 の理論 についての コメ ン トに比重が置かれ る。
2.(1)認 知 的柔軟性 の育成
この認知的柔軟性 に関す る理論 は、イ リノイ大学 の R。 」
.スピロ (Spiro)と その共 同研究者 達 によって展開 されて いる。かれ らは、比較的構造化が少 ない知識領域 (例 えば医学 、歴 史 、文 芸解釈 など )に お ける知識獲得での学習欠陥 とその克服 につ いて追究 している。そ うした領域 で は、導入期 ない し入門期以降 のいわゆ る 〈上級 の〉学 習 目標 とされて い る 〈概 念 の複雑性 (複 合性 )の 修得〉 や く 教え られた知識 を文脈 の異 なる新 たな場面 で活 用 す る能力 の修得〉 な どの達成 が困難 とされて いる。つま り、知識領域での く非構造性 による複雑性〉 とい う特性 が 深刻 な障害 とな っているのである。 この理論 で は、 この問題点が該 当す る範囲を、入 門期 以 降 か ら学問の専門知識 に到達す るまでの長 い期間 としている。
構造化が十分 なされていない領域 が有す る 〈 複雑性 0複 合性〉 と く 事例 一横断的 な多様性〉
教育学におけるシステム的―構成的な視点
とい う特性 に由来す る学習困難を克服す るためには、古 い構成的な考え方か ら別 の新 しい構成 主義者的なスタ ンスに シフ トす る必要 がある。知識の利用 に関 して、前者 は、記憶倉庫 か ら、
記憶 されて いるがままの既有 の知識を単 に取 り出す ことと捉えているのに対 して、後者 は、既 有 の知識 を、新 しいニーズに適応的 に適合す るよ うに、フレキシブルに組立直す ことを強調 す る ものであ る。つま り、困難 を乗 り越え るには認知的な柔軟性を産み出す学習が必要なのであ る。 この認知 の柔軟性 とい うのは、異 なる文脈や事例視点か ら知識を表象す る力、す なわ ち構 成す る力 と解 されて いる。つま り、認知的な柔軟性 とは、多様 な概念表象を有す るとい うこと である。そ して多様 な概念表象 とは、意味の多様性 の ことである。それゆえ、認知 的柔軟性 と は、あえて直裁 に云えば、知識の意味多様性を把握 し活用 しうる能力 の ことである。
それが、筆者 の読 み込 み はあるが、この理論 の基本認識 と言えよう。とい うの も、 この理論 は、 「 ヴィ トゲ ンシュタイ ン (1953)が 主張 したよ うに、比較 的構造化 が な されて いな い もろ も ろの概念 (コ ンセプ ト )の 意味 は、一般 的に適用 しうる定義 の中にとい うよ りも、む しろそれ ら の利用の範囲の中にある一― つま り、単純な く核 とな る意 味(core meaning)〉 な どは存在 し ないのであ る」◎と指摘 し、そのヴィ トゲ ンシュタイ ンの主張を拡大す る立場を取 っているか ら である。その引用文の主 旨は、行為 にとって重要なのは、知識 (言 葉 )の 語義的 な意義 で はな くて、行為状況 とい う文脈 において規定 され る知識の適合的な意味であるということであ る。
複雑性 と多様性を帯 びた領域での 〈複雑性 の克服〉 と く転移性 の準備〉 とい う目標の達成 に
失敗した学習の性質を追究したスピロたちは、他の研究成果をも押さえて次の4点を指摘して
いる。
①知識獲得の目標達成の失敗には、概念 (コ ンセプ ト )の 誤解 という共通点が見 られる。生徒 は、教師によって重要だと判断された概念を教師か ら教え られる。しか し、その教え られた概 念 について生徒がテス トされると、生徒たちの殆 どはその概念を誤解 していることがわかる。
②学習における欠陥の共通点 は 〈 過剰な単純化〉である。この傾向は 〈 還元的偏見〉 と呼ば れている。これには次の 3つ の形式がある。
(i)付 加の偏見 :複 合的な く 単位体 (ま とまり
)〉の各パー トが個別的に学習 され、それ らの パ ー トが全体に再統合された場合にも、各パー トの諸特性を保持 し続けていると見なすこと。
(iil分 離の偏見 :例 えば、長 さのような連続的に形づ くられる属性はその両極に分岐化 され、
また、連続的な過程 は個々のステップに断片化されること。
lliil区
画化の偏見 :実 際には高度 に相互作用 しあっているコンセプ トの諸要素を隔離 して取
り扱 い、それ らの相互作用の重要な相 (ア スペク ト )を 見逃 していること。
③過剰単純化のエラーは、互 いに結びつき、消 し去 ることが難 しい重大な誤解の大規模なネッ トワークを築 きあげるものである。
④過剰単純化への傾向は、学習過程のあらゆる要素に見 られる。学習の認知的なス トラテジー、
心的な表象および教授的なアプローチを含めて。過剰単純化偏見を生み出 しているこれ ら幾つ かの要素 は、その偏見への傾向を互いに強化 しあうものである。⑩
この還元的偏見 は、それをシステム論的な視点か ら比喩的に捉え直 してみると理解 しやす く
なる。十分に構造化 されていない複合的な知識領域の一定のまとまりは、観察者である学習者
の観点か ら見ればそうであるが、複合的なまとまり自体はその構成要素 とそれ らの相互関係か
ら成立 しているシステムとしての単一体である。そうしたシステムの一般的な特性 は、各要素
(パ ー ト )の 総和に還元できない新たな内容 と働 きを もっているということである。これが く付
加 の偏見〉 に関わ る。次に システム論 は、全体 と要素 に関 して、複合的 な単一体 とい う現象 を 最基底 の要素へ還元す る要素主義 と、その単一体 の全体性 を先験的 に前提 とす る全体論 とを排 除す るのであ る。それによ り、注 目され るのは中間の層、すなわち要素 であ る諸概念 の相互 作 用 とそれによって産 出され る内容 の相 である。 これは 〈 区画化 の偏見〉 に関連 している。 ただ し、その相互作用での産出物 に関 して、 この新構成主義 は明示 して はいない。そ して、 く分離
の偏見〉 は、認識論 でのいわゆ る 〈一次性質〉 の属性 に関わ るものである。形 、数、運動 は継 起 の観念を含んでお り、 この継起 は感覚対象 の属性ではな く、個人 自身の経験への リフレクショ
ンによ って抽 き出され るものである。
複合的な知識領域 での学習欠陥を還元の偏見 として見定 めたス ピロたちは、それを通 して 、 導入的 一初歩的な学習で成功 を もた らしたすべての事柄 は、その後 の く 強 い願 いと意欲を持 っ た〉 (ambitious)学 習 目標 の達成 の障害 になるうるとい う判断を下 している。
そ うした問題 の対応策 として提示 されて いる認知柔軟性理論 の特徴を見てみよ う。 この理 論 を支え る新構成主義 は次 のよ うな認知的な原理 に基づいている。す なわち、理解 とい うの は、
提示 された情報 を越 え出たことを含んでいる。例 えば、テクス トを理解す るのに必要 な ことは テクス トの情報 の中に完全 には含 まれていない。とい うのは、 く 理解す るとい うことは意 味 の 構成を巻 き込んでいる〉か らである。いわば青写真であるテクス トの情報 はテクス トの外部 の 情報 と結合 されな くて はな らない。外部 の情報 とは基本的 には学習者 の既有知識 で、 これ が テ クス トの意味の完全かつ適切 な表象の形成 に寄与す るのであ る。
ただ し、そ こで確認すべ きことは、すでに触 れて もいるよ うに次の点である。構造化 が少 な い知識領域 での概念複合性 と事例横断的な不一致 は、既有 の前 もって調 え られたスキーマの採 用 を不適切 な ものにす ることが しば しば見 られ る。そ こで必要 なのは、既有 の知識 が、新 規 の 場面 の理解 ない し問題解決 に合致す るよ うな適切 な情報 の組成体 (ア ンサ ンブル )の 組立 に動 員 され ることである。その意味で知識 は構成 され るのである。 しか し、知識 がその新 たな構成 体 の構成要素 とな りうるためには、知識が多様 な表象 と結 びつ く性質を もっていな くて はな らな い。
多様 な表象を有す る知識 は多様 な場面 や多様 な仕方で利用 され うるものであ る。それゆえ、
表象豊かな知識 は、非直線的で多次元的なケース横断的な構造化の不十分 な内容領域 の学 習 を 支 え ることにな りうるのである。また、反対 に、そ うした複雑 一複合的 な内容領域 と適 切 に関 わ ることを通 して知識表象 は促進 され るのである。従 って、認知柔軟性 の方法 は、同一 の素 材 を、異 な る時代 において、配列 し直 された文脈 において、異 な る目的のために、そ して異 な る 概念の視点 か ら多様 に捉 え、多様 にアプ ローチす ることを、つま り、単一 の視点 の貧 困 さを回 避す る多元的な視点か らの理解を試 み させ る手法を取 るのである。そ こでのキ ャッチ フレーズ
は 〈縦横 な視野〉 である。
このよ うに認知柔軟性理論 は、認知 ない し認識 の柔軟性 を く多様 な知識表象〉 と して捉 えて いるのであ る。 これは、言葉 の意味 は文脈 において規定 され るとす る文脈主義 で もある。 そ し てその方法 は 〈脱 一文脈化〉 の手法 とも言 え るであろう。けれ ども表象 に焦点 を置 いてい るの は特徴的な面 である。 ここで表象 と訳 されている原語 は 〈 representation〉 で あ るが、 これ は
「 表現」 とも、時 には「 現前化」 とも訳 され る用語である。 そ こに示 唆 されて い るよ うに、 こ
の用語 は、メ ンタルに構成 され る心的な内実 を指示 しているのである。知識 は この内実多様性
に裏打 ちされて初 めて個人の適切 な表現手段 とな り、多様 な状況 に適合 した理解 を可能 にす る
教育学 におけるシステム的―構成的な視点
ものであ る。
さ らに言及すれば、 この理論 はいわゆ る「言語行為論」の転用 によって基礎づ けうる もので あ る。言葉 の意味 は 〈文脈原理〉 によって規定 され るとして も、話 し手の意図や行為の目的を、
そ してそれ らに定位 された話 し手 による事態の把握 を本質的な条件 として考慮する必要がある。
つ ま り、言語行為 の く志向性〉を重視す るとい うことである。 この志向性 とは 〈表象性〉 の こ とであ る。要す るに表象がなければ、言語行為 は遂行 されえないのである。それゆえ、表象 の 豊 か さは、言語行為す なわち思考活動 に柔軟性を もた らすのである。
2.(2)投 錨的授業 の案 :覚 えて いる、知 って はいるが、 しか し直面 して い る問題場面 にお いて呼 び出す ことので きない く不活性 な〉知識がある。この案では、それを知識の く応用性 の 質〉 が欠如 して いると捉 え、 これは知識獲得 の仕方 と関連 があると推定 し、その解決策 と して く 錨 をおろ した授業〉 の考 え方を展開 しているのである。有効 な学習環境 にとって重要 な こと はエ ピソー ド的、物語的な「 錨 (ア ンカー
)」である。 この「錨 (ア ンカー
)」は、興 味 、関心 を 誘発 し、学習者 に問題 の明確化 と確認 を可能 にす るとともに、学習者 の注意をその問題 の知覚
と理解へ と導 くのである。
例 えば、西洋史 に関 して は、必要 なあ らゆる情報 を含んだ歴史が学習者の興味を喚起 す る形 で ヴィデオによ って提供 され る。 「 ヴィデオ・ ア ンカー」 は、教科書 の よ うなプ リン トメデ ィ アよ りも内容豊富 な情報 を自由に処理 させ る余地があるか らであ り、また、その動的な表示 の 仕方 は複合的 (複 雑 )な 連関の認識 と理解 を有効 に促進 させ るか らである。学習者 には複合的 な問題 が提起 され る。その問題を自立的に追求す るために必要な情報はそのヴィデオ 0ア ンカー に予 め含み込 まれて いるのである。
この方法 のね らいは、学習者 に対 して、現実の複雑性を意識 した く真の〉学習環境を設定す ることによ って、探索的な開かれた学習活動を可能 にす ることである。それによって、知識 の 応用性 を促進す る多様 な問題 や多様 な適用文脈 と学習者 は向 き合 うことになる。特 に、多様 な 文脈 との関わ りにおいて、知識 の「 脱文脈化」が達成 され ることになる。知識を多様 な脈絡 か ら獲得す ることによ って、知識 の状況特殊性や他の状況場面への転用の可能性が理解 され るの である。
知識 の活性化 を く 脱文脈化〉 によって解決 しよ うとす るこの案 は、一見意外性を もっている。
常識的 には、 く 文脈化〉 の強調 です まされ るか らであ る。 この案 では、知識 の く応用性 の質〉
は 〈複合性・ 複雑性 の処理能力〉 によって産み出され るとしている。 〈カオス〉か ら 〈秩序〉
への処理能力 はオー トポイエーシス的な く自己組織化〉を特徴づけるものだか らである。そ し て また、 く 脱文脈化〉 による 〈自己組織化〉 は 〈多元性〉 の次元で遂行 され ることを意味 して いる。 したが って、多元的な情報処理能力が 〈脱文脈化〉の相関能力であると推測す ることが で きる。 とい うことは、基本的には学習者が多元的な観点か ら物事を捉え る能力を獲得 す るこ とが重要 となる。ただ し、その多元性 は単 なる平板で形式的な ものではな く、自分 自身 の考 え とその内容 を最適 な観点 と筋道 とで築 きあげよ うとす る場合 に、その前提 ない し必要条件 とさ れ る選択肢 と しての多元性 である。
2.(3)認 知的徒弟制の案
これ はエキスパ ー ト (熟 練 した専門家 )研 究 に依拠 した方法 である。所定 の問題解 決 の場
面 にお いて、専門家の認知 的な過程 と適用 され るス トラテ ジー (手 法 )が 言語化 して提 示 され
る。それを手 がか りに して、また必要 に応 じて専門家の支援 を得て学習者 は自分 な りの試 みを
し、問題解決 につ いての自分の手法手続 きを他 の学習者 とそ して専門家 の手法 と比較す るよ う に指示 され る。それを経て、専門家の診断の枠 内で問題 を 自立的に解決す るのであ る。
この徒弟制 モデルを応用 した学習法 の有効性 は多様 な専門領域で確認 されて いる。例 えば、
医学 における診断的思考 のス トラテ ジーの獲得 に関 してである。診断 エキスパ ー トの認知 的 モ デルを提示 された学習者 は、転移事例の処理 において、モデルと類似 したス トラテ ジーを用 い て、よ り適切 な診断を示す ことがで きたのである。
この方法 は、基本的 にはモデ リングの理論 で支持 される ものである。学習者 は問題解決 の た めに多様 な援助 をすすんで用 いるものであ る。その援助が専門家か らの ものであ ることが そ の 受容 と効果 を保証す るのである。それは必ず しも教育的な権威 の問題で はない。その本質 は、
学習者 を専門家 と同 じ文脈 に位置づ け、それによって知識 や技能を有効 に利用す るよ うな方 向 づ けがなされ ることである。その意味では、先 の二つの方法 と対称的であ るが、文脈性 との関 わ りにおいて は同 じである。なお、 ヴィゴツキーはその教授 モデルを この徒弟制 モデル と関連 づ けて いるが、 ここで はそれに言及 しない。
以上 の三案か ら構成主義者 の視点か らの学習環境づ くりの特徴 が見 えて くる。セ ン トガ レン 大学教授 の R.Dubsは 構成主義的 な授業の一般的な特徴を 7点 にま とめて い る。 それ らを要点 化 してお さえてお きたい。 0
①内容的に、授業 は、複合的、生活近接的、職業近接的、全体的に考察 されるよ うな問題領 域を指向す るものであること。単純化 された問題提起ではなく、構造化 されない諸問題 の現実 が授業を基礎づけるようにす る。個々の事柄 は複合的な全体連関 との循環的な関わ りにおいて その考察 は深化 されるか らである。
②学習が能動的な過程 と解 されていること。その過程において、個人の既得知識 と能力 は、
新たな経験 に基づいて再構成 され、自己の解釈 と理解を生みだすのである。それによって、 自 己の要求を充たす思考が可能 となる。
③集団的な学習に対 して大 きな意義が割 り当て られていること。複合的な学習場面での各個 人の解釈を討議す ることは、それぞれの学習の自己調節力 と学習の継続的な遂行力を育て るも のである。
④ 自己調節 された学習において、誤 り・ 間違いは有意味なものと解 されていること。誤 った 意見表明 との対決 は、知識の構造化を促進 させることにより、理解度を深めるものである。
⑤複合的な学習領域 は、学習内容の誘発性を確保す るために、学習者の先行経験 と興味 0関 心 に合致 していること。
⑥学習において、認知的な側面のみでな く、感情およびアイデンティティも尊重 されている こと。共同的な学習、誤 りとの関わり、自己調節、自己の経験を学習に役立てることなどは、
単 なる合理性以上のことを求められているか らである。
⑦学習評価において、まず第一に複合的な場面での学習過程の進歩が吟味されること。重要 なのは自己評価である。それにより、学習者 自身の学習進度 と学習ス トラテジーの改善 が評価 されるのである。
これ らの項 目の総体を通 して、授業についての構成主義的な視点の根本的な特徴 は、 く 単純
な ものか ら複雑 (複 合的 )な ものへ〉 という旧来の原理を否定 している点 にある。複合的 (複
雑的 )一 多元的―多次元的で、現実的な諸問題を内包 した学習環境を く 強度のある〉学習環境
として重視 し、それを学習の大前提 としているのである。そのことは、システム理論 における
教育学におけるシステム的―構成的な視点
「 混沌か ら秩序へ」あるいは「 未分化 な始源か ら関係へ」の相転移を学習場面 に適 用 した もの であると解釈す ることもで きるであろ う。従 って、 システムの視点が次の課題 となる。
3。 人間が関与する システムの階層構造
システム的教育学 の実践的研究の出発点 となるのは次の問いである。「 われわれが行為 (X)
をなす場合 に、われわれ はどんな循環の中にいるのか
?」。別 の表現をすれば、 「 行為 (X)は
われわれを どん なシステムコンテクス トと結合 させ るのか
?」⑫となる。この視点 はシステム研 究 の核心 とされている。
ここでの システムにつ いて ヴァレラは、 〈原則的に、操作的 (作 動的 )に 区別 で きる もの は すべて システムであ る。 もしあなたが区別、差異を もっているならば、あなたはシステムを もっ ているのです。〉 と述 べている。要す るに、何 らかの ものが自らをその背景か ら分離 しうる操 作性 (作 動性 )を 継続 していれば、それ はシステムなのである。
その意味での システム存在である人間 は、社会文化的な進化 の過程 においてその複雑 (複 合
)性 を増大化 させて きた。特 に神経的 な精神の創発 によって、新 しいシステムを自己自身 で創 り あげることがで き、それによって人間はもはや自然的に与え られたアプ リオ リな システムの中 にで はな く、 く 人為的 な〉意味 システムにおいて生 きているのである。それゆえ、自然 的世界 の いわゆ る実在認識 は、 この自己産 出された意味 システムという社会文化的なシステムと関わ り、それを仲介 に して産 み出されて いるのである。そ して、人間 はさらに別 の多様 な システム と関係 してお り、それ らとの関係での適合性が問われているのである。
〈システム的 ―エ コロジー的教育学〉 の構想を提示 している ドイツ、ケルン大学教授 R.フ シュ ケ =ラ イ ンは、人間 はあ らゆるシステムの構成要素であるか ら、そのすべての システム間の結 合 を解明す ることが システム教育学 の課題 であ ると指摘 している。彼 は人間が関わ ってい るシ ステムを 7つ の次元的な階層構造 を成す ものとして捉えている。その分類の仕方 と序列化、そ して各 システム間の関係 を理解す ることを通 して、 システム教育学的な視点を追究す るととも に、その視点 か ら教育概念を再構成す る可能性を探 りたい。それがここでの課題である。
フシュケ =ラ イ ンが提示す る人間が関与 しているシステムは次 の 7種 類 で あ る。 :(1)物 理 学 的 (物 質的 )な システム、 (2)生 物学的 一生態学的 な システム、 (3)社 会文化 的 な システム、
(4)社 会生態学 的な システム、 (5)セ ラピー的な システム、 (6)心 的な システ ム、 (7)精 神 的 一ス ピ リチ ャルな次元 .(シ ステムは 1か ら 7へ と進化的に発展 し、他者 によ る制御 か ら自己組織 化 [自 己制御 ]へ と次元 が高 くなる。その指標 は自由度、複雑性度、ネ ッ ト化度 であ る。 )⑬
以下 の コメ ン トには筆者 による情報 と考察 も加 え られてお り、フシュケ =ラ イ ンの見解 その も ので はない ことを断 ってお きたい。
①物理学 的 (物 質的 )な システム :物質の自己組織性
この システムは物質か らのみ成 り立 っている。以前のニュー トン的な自然概念では、物質界 に システムを想定す ることはなか った し、構造化 されたシステムの増大化の意味での進化 も考 え られなか った。だが、近年 の研究 (素 粒子物理学 )は 、究極 的な く 個体的、物質 的〉 な構成 要素 は存在 しな くて、いわば 〈関係〉 〈波動〉 〈根本力〉 だけがあると指摘 している。そ して、
く 物質 の 自己組織化〉 の事実 も確認 され るに至 って いる。物理学的な諸根本力の間の平衡状態
の破壊、エネルギーの物質への転換、化学反応 などが システム構造化を もた らしている、 とい
うのであ る。物質 (あ るいは宇宙 )は 原理的に く自己刺激〉 の力を もっていて、その意 味 にお
いて内在的に自己組織化を進行させているのである。すなわち、ノーベル賞受賞者プ リゴジン が「散逸構造の理論」で証明 したように、生命が初めてではな くて、物質 さえも外的衝撃 な し に自発的に新 しいシステムヘ と組織化 される性質を もっているのである。それによって、物質 と精神 とを分離 させ る西欧の伝統的な世界像が倒壊 させ られたと、云われている。
自己自身を組織化す るシステムの働 きをいわばヘーゲル的な く 精神〉 と理解すれば、物質界 に も精神が存在す るということになるのである。 したがって、第一段階の物理学的なシステム と最後の精神的な次元を有す る人間との間には根本的に通底す る連関が存在 しているとの認識 が生まれて きたのである。
こうした状況か ら求め られているのは、 「 自然科学か ら自然の科学へ」の転換 であ る。 これ は、伝統的な自然科学の科学概念か ら、新 しいシステム的な科学概念への移行を意味 している。
例えば、古典物理学の一次元的、直線的、可逆的な数学的時間 (ニ ュー トン時間 )に 対 して、
熱力学や進化論での非可逆的な時間が承認 されている。また、因果性 は本質的に複雑な関係を 極端に単純化す るものであり、それに代えて循環的連関の視点が提示 されている。そ して、主 観 に関 しては、対象か ら距離を取 った主観 は考え られな く、主観を認識過程における関与者 と
して捉えな くてならない。従来の主観に対応するのは、システム論的には 〈 観察者〉である。 ①
②生物学的一生態学的なシステム :生物体の認知的行為
システム理論 に対 して生物学的なシステム理論 は重要な貢献を している。その一つは生物学 者ベルタランフィの一般 システム理論である。彼 は、要素の総和に還元できない生命体 の秩序 性を、その生命体のオーガニゼーション (有 機構成 )と して捉え、そのシステ本の特性 を追究 したのである。要するに、彼のシステム論では、生命体は、物質代謝を行 い、自己調整的な自 己維持 システムすなわち動的平衡 システムであると規定 されている。この システム論の問題点 は 〈自己組織化〉が欠 けていることである。
ここでフシュケ =ラ イ ンが依拠する立場 は、基本的には 〈オー トポイエーシス 0シ ステム〉
論である。 〈オー トポイエーシス〉 は 〈自己組織化〉 と く自己調整〉 という生命 システ ムの能 力である。生命あるシステムは、そのシステムのあらゆる構成要素を、それ自身の構成要素 に よって新 たに産み出す とい う能力が与え られている。 この産出過程 が中断すれば、 それが く 死〉である。それゆえ、その産出過程は、同時に、生命体 の く自己調整 (自 己制御
)〉の機 能を もっているのである。このオー トポイエーシス的 システムの固有の特性 は、自己の力動的 な作動 (操 作 )の 遂行によつて、まわ りの環境 とは異なるものとして、自己を構成す ることで ある。その意味で、この システムは 〈 操作的に閉 じられてお り、しか しエネルギー的 には開か れている〉 と規定 されている。 (環 境か ら栄養を摂取す るので開かれている。
)生物学でのシステム論的な考え方は生態学 と結びつき、自然についての共通認識を もた らし ている。すなわち、生物学的一生態学的なシステムは、自己規制 された循環過程 において制御
されている。また、あらゆる生物 システムの間には基底的な結合性が存在する。そ して、人間 は生命ある自然 システムの一つの構成要素であり、それゆえその運命 はこの自然 システムの状 態 と緊密に連結 されているのである。
オー トポイエーシス概念に基づ くシステム理論の内容か ら、教育学的に有意味 と見なされ る 点を取 り出 しておこう。マ トゥラーナとヴァレラの基本テーゼは「 あ らゆる行為は認識であり、
そ してあ らゆる認識 は行為である。 」というものである。認識 を システム (生 物 )の 操作 (作
動 )と 見 ることは、進化論の観点か らの把握である。つまり、行動 と経験 との循環性か ら理解
教育学 におけるシステム的 ―構成的な視点
203される。そ して後者の く 認識は行為である〉 というのは、われわれの視 る、思考す る、了解す るということは、一定の 〈ひとつの世界〉を構成するということである。この出発点 となる把 握 において、従来の思考 と行為 とを分離 させ、認識を客観的な実在世界の受容 とす る伝統的な 見解 と対立 しているのである。
概念の形成 に関 しては次のように捉え られている。この第 3節 の始めに示 されたように、操 作的に区別 される場合にシステムが認められ る。そ こか ら、操作す ること、すなわち 〈知力 (悟 性 )に 即 した行為〉が物事の くクラス (類 )の 形成〉を、すなわち概念 の形成 を行 うので ある。つまり、これは、古典的な定義 (属 性的な特徴の呈示によるもの )を 否定 し、プ ラグマ ティックな操作的定義を提起するのである。知力の行為 とは、 く 認知的行為〉のことであ る。
例えば、イスの概念 (ク ラス )は それに関わる認知的行為の関係性によって定義 され るのであ る。先の知識把握での「構成的なプラグマティズム」や「新構成主義者的な観点」 は、 システ ム理論のこの基本的な視点を強 く保持 していると言えよう。
生物体の環境 との関係 について、古い進化論では、環境利用による環境適応を唱えていたが、
このシステム論の新進化論 は、システム統一体 としての生物 と環境 との間の く折 り合 いの良 さ〉 (両 立性 )を 、つまり生物体 と環境 とのカップ リングを強調 している。
③社会文化的なシステム :一般陶冶の必要性
社会文化的な進化の過程 は 〈 複雑性〉を増大化 させてきた。オー トポイエーシスを社会学的 に自己組織性 と読み替えているルーマ ンによれば、社会 システムの課題 は 〈複雑性の縮減〉 で ある。社会文化的な歴史的発展において、社会 システムは 〈断片的な分化〉 〈成層的な文化〉
そ して く 機能的な分化〉 によってその複雑性を高めてきている。
社会の機能特殊的な下位 システムの分化 は近代において強化 される。例えば、科学、経済、
政治、宗教、芸術などは、当初 は全 システムの有効性を高めたが、やがて独立性 と自律性を獲 得 し、各領域のブ甲ック化を もたらした。つ ま り、下位 システムの く組織化 されたエ ゴイズ
ム〉が生 じている。
この状況 において、教育学者や教育者に提起 される問題 は、 く 全 システムヘのまなざ し〉 を 担当すべきかどうか ということである。ルーマ ンは、社会におけるエコロジー的なコミュニケー ションはもはや不可能 と判断 している。なぜなら、それに対 して資格のある機能的に文化 した システムは存在 しないか らである。しか し、教育は、単に部分 システムとして機能的に理解 さ れるべきものではない。教育 は、今 日こそ、一般的な規範内容を も含めた く一般陶冶〉を行 う 必要があると、フシュケ =ラ インは指摘 している。
④社会生態学的な システム :発達を支援する二人関係 と第二者の存在
前段階の システムとこのシステムとの違 いは、一応前者が超マクロか ら、後者が ミクロシス テムか らアプローチす るという点 にある。具体的に言えばこの社会生態学的なシステムは、経 験可能な複雑性の増大化 としての生育史的な発達を支えるシステムである。
〈 社会生態学的〉 という表現によって、内的および外的な 〈 住処 (す みか )〉 とい う二重 の 意味での個人の生活空間が考え られている。一つは、内的な住処 としての身近な (周 りの )人 々
であり、 もう一つは外的な住処 としての事物的―空間的な周辺環境である。この生活空間での 相互作用を通 して子 どもは、 〈 文脈 における発達〉をとげてい くのである。
エコロジー的な発達研究を している米国のU.ブ ロンフェンブレンナーは、生活空間を ミクロ、
メゾ、エクソ、そしてマクロシステムという 4つ の種類に分類 し、それぞれのシステムでの相
互作用 の特性 とその発達的な意義 を解明 している。彼 によれば、 ミクロシステムである 〈対 シ ステム =二 人 システム〉 は生態学的に基本的な構成要素 であるが、それが人間発達 の促進 的 な 脈絡 と して機能す るのは、第二 の人物 の存在 に決定的に依存 している。 この第二者 の存在 の意 味 は、教育学 的に も考慮す る余地が残 されている。
子 ど もは、順次 よ り大 きな生活領域 の システムでの相互関係 に適合す ることによって、増 大 化す る複雑性 を処理す る能力を獲得 してい くのである。 しか し、子 どもの積極的な発達 は、形 式的 に複雑性 の増大化 によって生ず るものではない。情緒的な安定性 とい う条件 が充 たされ な
くて はな らない。つ ま り、持続的 に強 い信頼関係を もて る人の存在が必要 であ る。
ここで は、個人 と社会 との関係を どのよ うに捉 えるかが問題 となる。自己組織的 な システ ム と しての個人 は、操作 によ って 自己 と環境 とを区別す る存在である。その 自立的な個人 ど う し の結 びつ きはカ ップ リングによってなされ る。 これが多様 に拡張 されて複合的な社会 システ ム が成立す る。個人 と社会 との関係 は、構成要素 一複合体関係 となる。 ここで難題 が生 ず る。個 人 システムが一貫 して 自己を維持 し続 けるな らば、高次 システムの構成要素 には成 りえな いか らであ る。マ トゥラーナたちは、 これへの明快 な案を提示 していないのである。適切 かつ有 効 と思われ る案 は河本英夫 によるものである。その要点 はこうである。人間が集 まって形成 され た社会 は、その作動 (操 作 )に ふ さわ しい構成要素を設定 して、それを連続的 に産 出す る もの である。その時、社会 は人間か ら成 る複合体で はな く、新 たな構成要素す なわち コ ミュニケ ー シュンを反復的 に産 出す る自己組織的な統一体 である。 ①個人に して も、他者 との意思疎通 で社 会性を持 ちつつ、個人 の自律性 を確保で きるのである。つま り、コ ミュニケー シ ョンを媒体 と して、個人 と社会 は相互浸透 しているのであ る。従 ってそ こに、個人の 〈 一人称〉 の く公共 性 的性格〉 が成立す ることになる。 この く 第二者 の目〉 があるか ら、 く 私〉 の自覚 が認知 され る のである。
⑤ セ ラピー的な システム :自 律性へ向けての苦悩
このよ うな段階を設定 しているところにフシュケ =ラ イ ンによるこの一覧表 の特徴 が見 られ る。彼 によれば、セ ラピー (治 療 )は 、 システム的に条件づ け られた疎外か らの出 口 と して不 可欠である。エー リッヒ・ フロムによれば、すべての人間 は同 じ根本問題、すなわち他者 によっ て規定 された依存性 か らの解放 とい う課題 を解決 しな くて はな らない。他者規定 された依存性、
例 えば母への依存性 は、発達初期 には、避 けがたい ことである。そ こか ら自立への歩 み は、母 子分離不安 に示 され るよ うに苦痛 な ことである。その意味で、すべての人 は同 じ 〈 病 い〉 に悩
んでいるのであ り、セ ラピーを求 めているのである。
セ ラピーは、個人が位置 しているシステムの内で、その個人を一層高度 の自己組織性 へ と導 くことであ る。それ は教育学 の日標 で もある。それゆえ、セ ラピス トークライエ ン ト関係 は、
本質的 な点 において、教育学的な関係 にたいす る範型 とされて いるのである。
このセ ラピー システムは、オー トポイエー シス理論 の受容 によって充実 され、教育学 的 な概 念 の変容 を迫 っているのである。子 ども、生徒 またはクライエ ン トは自己言及的な構造を有 し、
また この システムの非常 に大 きな複雑性 によ り、彼 らへの直接的な指導的介入的や外的 な シス テム制御 の可能性 は、オー トポイエー シス・ コンセプ トによって否定 され るのである。セ ラ ピ ス トおよび教育者 の全能性 は完全 に崩壊 させ られ る。成果 ない し結果 は、その原理的な理 由か ら予 め指定す ることはで きない ものである。か りに、期待 された とお りの結果が出たとして も、
それは生徒 ない しクライエ ン トの側での自己調整 (制 御 )が 閉 ざされた過程での帰結 に ほか な
教育学 におけるシステム的一構成的な視点
らないのであ る。結局、セ ラピス トや教師に残 されている方法 は、かれ らの自立性、 自己責任 性 そ して 自己組織性 を尊重 し、彼 らとの共同遂行者、支援者 または助言者 としての役割 を果 た す こと以外 にはないのである。
⑥心的な システム :他 者 の受容
これ は個人の情緒的―情動的な ものを内容 とす る領域であ り、同時に全体 としての個人 に、
人間の 自己存在 および主体存在 に関わ る領域である。つま り、ここではオー トポイエー シス理 論 での く自己言及性〉 の意義 が問われ るのであ る。
心的 システムの この位置づ けは、進化史的な順序 に反 しているよ うに見え る。特殊 な性質 で あ る 0い 的 な もの〉 は、よ り高等 の生物 での一定 の複雑性 と共 に創発的に現れた ものである。
したが って、伝統 的には、生命 一心 ―精神 の順 で記 される。社会文化的な働 きは、通常精神 の 段階 と結 びつ け られているので、その システムの前 に置かれて もいいはずであろう。
周知 の く 身体 ―心 一精神〉 とい う表現 は必ず しも適切 ではない、とフシュケ =ラ イ ンは指摘 して いる。 とい うのは、人間のニュー ロン的精神 は進化の最高段階を示す との証明 は未 だ な さ れて はいないか らである。
オー トポイエー シス理論 において、その システムの成長 は、他 の システムとの関係 で成立 す る脈絡 にお いてのみ可能であ る。つまり、自己の進化 は他の システムパ ー トナーとの同時 的 な 共 ―進化である。それを確認す ることは、 この システムがオーテ ィズムに陥 らないために も大 切 であ る。 〈関係 ―内 一存在〉 であるシステム人間 ど うしの連結 には一定の心的な要素 が状況 的 に生 じて いるのである。それが 自己言及性 の操作 において個人の く内的節度〉を、そ してそ れに基 づ く自己意識 を産 み出すのであ る。さらに積極的に言えば 〈愛〉 であ る。「 生物学 的 に い って愛がなければ、つまり他人の受容がなければ、社会 という現象 は生 じない」、「 したが っ て、 く 人間であること〉 も存在 しない」⑩とマ トゥラーナ /ヴ ァレラは指摘 して いる。
上で挙げた く自己言及性 (Selfreference)〉 の意義問題の要点はこうである。ある神経生物学 者 は、脳 というものは、他のシステムのようにオー トポイエーシス的ではないと指摘 したので ある。進化論的に見た脳の本質的な働 きは、 く自己維持〉 とか 〈自己産出〉ではない。認知的 システムとしての脳 は 〈自己関係的〉であり、この点でのみ 〈操作的に閉 じて〉いる、という のである。フシュケ =ラ イ ンはそれを受 けて、学習 システムは 〈自己関係的〉なものであると し、それによってそのシステムの新 しい可能性を選択的に創 りだす ことになると捉えている。
⑦精神的―ス ピリチャルな次元 :統合す る力
この段階は、システムでなく次元〉 とされている。フシュケ =ラ イ ンが精神 ―ス ピリッ トで 言お うとしていることは、見かけ上分離 されている諸段階 と現象をまとめる統合的な力である。
その意味で、それはシステム的な概念である。この統合的な力は、単なる知性的なものではな く、いわば人間的な直覚力 としか言 い様のないものである。彼はそれをヘーゲルの絶対精神を 援用 して解説 もしている。
教育実践的な レベルで言えば、ここでの課題 は 〈 統合的な意識〉の確立である。システム存 在 としての人間は、これまでの進化のすべての複雑性をいわば濃縮 した形で保有 している。人 間の精神 はこの複雑な連関を認識することができる。それゆえ、陶冶の根本的な課題はこの連 関の意識を もた らす ことである。見失 っているもろもろの連関の認識 は、いわば意識における
〈 re― ligion:再 結合〉 と解することができる。
〈 統合的な意識〉の視点立つ場合に必要 とされるのは 〈 統合的な思考〉ない し くシステム的
な思考〉 である。その思考練習 の基本 は、 く 私が Xを す る /見 る /聞 く・ 00場 合、私 は どん
な循環 的な関係 の中にいるか
?〉と問 うことである。また、教育学的な研究で は、 く教育 的 な
現象 Xは どんな システム連関 に属 しているのか
?〉と。
この システム的 一構成主義的な思考 や研究 は、伝統的な客観主義 での基準 である普遍妥 当性 と客観性 を拒否す る。それに替 えて構成主義 が提示 しているのは、基本的 には 〈 適合性〉 で あ る。認識 の現実 との一致・ 対応 とい う真理概念で はな く、 ここで は信頼性、実効性、興 味性 、 可能性 、存続性、多様性、責任性、寛容 などの概念が重視 されている。フシュケ =ラ イ ン自身
が提案 して いる基準 は、方法論 の透明性、現実保有性および実践有意性 の三点 である。
以上 、 フシュケ =ラ イ ンに依拠 して、オー トポイエー シス概念 を基底 に した システム理論 と 構成主義理論 に基づ く教育学的な視点 とその内容 の一端 の素描 を試みた。 この視点を さ らに明 確 に確認す るためには、 システム存在 としての人間の基底規範 と変換過程 につ いての解明 が必 要 であ る。
註
H.マ トゥラーナ ,F。 バ レーラ著 (管 啓次郎訳 )『 知恵の樹』朝 日出版社 ,1987。 19,29ペ ー ジ参照
.E.Meinberg, Das Menschenbild der Modernen Erziehungswissenschafto Wiss. IBuchges.,
1988, S.209.
(3) E.voGlasersfeld,Radical ConstructisIIl,The Fallner Press 1995,p.51.
(4)上 記
(3)の文献 の要 旨、特 に伝統的な「知識」の構成主義的視点 な把握 に関 して は拙稿「 構 成主義 的な視点 の基礎論的考察」 (本 研究報告 の第 46号 )を 参照
.151「 知恵 の樹」 7ペ ー ジ参照
(6)J.Gerstenmaier/H.Mandel,Wissenerwerb unter konstrukti宙 stischer Perspectivee ln
ZEITSCHRIFT FUER PAEDAGOGIK,Heft6/95[ZfPと 略記],1995,S.873.
(η ZfP,S.874f。 第 5項 の「 メタ認知」の補足 :[メ タ認知 とは 〈自己の認知過程 に対 す る認 知〉 であ り、次 のよ うな働 きを している .(1)認 知 につ いて の知識 :例 .く 人 間 はどれ く
らいの記憶能力 があるか〉 を知 っている。 (2)認 知状態 の把握 :例 .〈 ど う も話 が よ くわ か らな くな って きた〉 とい うことがわか る。 (3)認 知行動 の制御 :例 .〈 よ く覚 え るため にはどのよ うにすればよいか〉 を知 ってお り、実行で きる .」 『 認知科学 2脳 と心のモデル』
岩波講座 ,1994,34ペ ー ジの略式引用
.(8) Zf]P, S.875‐ 878.
(9) L.P.Steffe and J.Gale(Eds),ConstructivisIIl in Education.(1995)pp.96.
101 1bid。