教員養成における新たな視点
上⽥ 崇仁 南⼭⼤学⼈⽂学部⽇本⽂化学科 (抄録) 愛知県は、⽇本で最も⽇本語指導が必要な児童⽣徒が多い⾃治体である事から、愛知県 で教員になる場合、⽇本語指導が必要な児童⽣徒を指導する可能性が⾮常⾼く避けられな い状況である。つまり、従来の⽇本⽂化を背景にしていた児童⽣徒に教育するのとは状況 が異なり、⽇本⽂化を背景にしていない児童⽣徒に対し⽇本語で指導を⾏うことが求めら れ、困難が⽣じてきている。教員養成段階で、従来とは異なる視点での知識やスキル、学 習者の背景を知る能⼒を養う必要があると考えた。本稿は、今後の教員養成で重視するべ き項⽬を、⽇本語指導が必要な学習者が多数在籍している中学夜間学級における授業観察 に基づき、授業の⽅法と学習者の反応から整理したものである。 1.はじめに 本稿は、多⽂化共⽣の進む今⽇の学校教育において必要とされる教員の資質を中学夜間 学級における授業観察記録を基に検討し、⽇本語教育の⽴場から教員養成における新たな 視点を提⽰することを⽬的とする。 筆者は、2008 年度より、愛知県における外国⼈児童⽣徒⽀援の活動にかかわり、主に、 ⻄三河地域の⼩中学校での当該児童⽣徒⽀援、就中、⽇本語初期指導、⽇本語教育と教科指 導との橋渡しについて関⼼を持っていた。しかしながら、児童⽣徒が受けている実際の授業 を継続して観察する機会が⼗分に得られず、⽇本語教育の視点からどのような配慮が授業 中に⾏われてきたのか、具体的に観察できていなかった。 2012 年に、公益財団法⼈愛知県教育・スポーツ振興財団(以下、振興財団)が⾏ってい る中学夜間学級を訪問し、授業を⾒学した。その後、しばらく時間をおいて、2017 年度よ り、前勤務先1の教員志望の学⽣を引率した⾒学2と個⼈としての学習⽀援ボランティア活動 を始めた。外国籍の学習者が在籍しており、教員の授業実践の観察が⾮常に有⽤な資料とし て⾒えたためである。その活動の中で、国語、数学、社会、理科、英語の 5 教科について教 員の授業を実際に観察し、学習者の様⼦を観察してきた。 学習者の状況を把握するために、国籍と年齢についてグラフを作成した。年度により、⼊ 学者数の上下があり、実数のグラフでは状況を把握しにくいため、割合のグラフとした。デ ータは、公益財団法⼈愛知県教育・スポーツ振興財団より提供のあった 2020 年 4 ⽉ 1 ⽇現 在のものである。 1 愛知教育⼤学 2 ⼤学院の講義の受講⽣や「教職実践演習」の⼀環としておこなった。図 1 中学夜間学級学習者の国籍割合 図1は、学習者の国籍について⽇本国籍か否かという⽐率を表したものである。外国籍の 学習者が増加の傾向しており、直近 3 年では 70%を超えていることがわかる。 図 2 中学夜間学級の学習者の10代20代の割合 また、図2は、中学夜間学級の⼊学者について、年齢別の割合を⽰したものである。 ⾒てわかるように、10 代及び 20 代の学習者は、直近 3 年では半数を超えている。そのほ かの時期でも、学習者の 40%前後が 10 代の若者である。 また、⼆つのグラフを⾒てわかることは、外国籍の⼊学者が多い年は 10 代 20 代の⼊学 者が多い(相関係数:0.753 )ということである。10 代の学習者の割合と外国籍⼊学者の 割合の相関係数は、0.683 である。このことは、⻘年層の外国籍学習者が多いことを⽰唆し ており、義務教育を終了せずに来⽇し、過年齢や⽇本語能⼒を理由として昼間の中学校の⼊ 学が困難であった外国籍学習希望者が⼀定数存在することを⽰していると考えるのが妥当 であろう。 0% 10% 20% 30% 40% 50% 60% 70% 80% 90% 100% 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 2019 2020 10代,20代 それ以上
こういった状況にある中学夜間学級での授業観察は、外国籍児童数による加配の措置が 取られていないなど、⽇本語指導が必要な外国籍児童⽣徒への特別な対応がない中で、教科 担当の教員がどのように授業を作っていくのかを観察できる点が外国籍の学習者が混在す る⼀般の⼩中学校と類似の環境にあることから、⾮常に有効な現場であると考えた。 もとより、中学夜間学級は、⽇本語指導の場ではなく、あくまで、義務教育段階の教育機 会を⼗分に得られなかった⽅たちを対象とする教育の場であることから、専⾨的な⽇本語 教育や、教科としての⽇本語教育が⾏われているわけではない。こういった環境も、実際の、 公⽴⼩中学校における教員の指導⽅法における困難さを⼗分に観察しうる場として適して いると考えた。 本稿では、中学夜間学級の授業観察から、各教科指導の教員が実践を通して授業⽅策を試 ⾏錯誤する過程を⽰し、従来の教員養成が取り上げてこなかった観点、指導⽅法について検 討し、今後の教員養成に重要となる項⽬を整理していきたいと考えている。 2.各教科の事例から⾒る学習者の困難点と授業の変化 −中学夜間学級の授業から 中学夜間学級の授業⾒学の観察記録より、国語、数学、英語、理科、社会の授業について それぞれ複数の教員3の授業を対象に、学習者の⼾惑いや困難が教員の授業が回数を重ねる につれ、どのように変化したのかを⽰していきたい。 2−1.国語の授業から 2-1-1. 事例① プリント作成の配慮 ⼩説を題材とした初回の授業で、主⼈公やほかの⼈物の⼼情を読み取っていくという活 動の際、外国籍の学習者のほぼ全員が、「何をしているのか」「何をすればいいのか」理解で きない状況であった。 2 回⽬の授業では、プリントが配布された。プリントには、フリガナがついた発問が書か れ、主⼈公やほかの⼈物の⼼情を読み取っていく指⽰があった。また、そのプリントに取り 組む前に、本⽂を⻫読4しつつ、教員と学習者の間でどこに⼼情が表れているのかの確認を した。そのため、外国籍の学習者も含め、全員が「何をしているのか」「何をすればいいの か」という初回の障壁を乗り越えることができていた。しかしながら、「どう書けばよいの か」という点、また、とりあえず書こうと努⼒していた学習者も、教科書から書き写す作業 の段階で漢字の書写に⼿間取り、時間内に完成することは困難であった。 3 回⽬の授業では、キーワードを書き込むプリントが配布された。ポイントを絞り、予め ⼤まかに整理してある⽂章にキーワードを埋めて完成させるという形に変更された。その ため、学習者は、教員の話をしっかり聞くことができ、また、「何をしているのか」「何をす 3 複数年にわたっての観察であるため同⼀教科であっても複数の教員の授業を観察するこ とができた。さらに、筆者の繁忙期を避けての学習⽀援であったため、結果的に、毎年、 同時期の⽀援活動と観察となり、同じ単元の指導⽅法について⽐較することができた。 4 ⼀⻫に読む活動
ればいいのか」という障壁を越え、「どこがポイントなのか」も把握しやすくなり、書写量 も減ってプリントを完成できるようになった。 2-1-2. 事例② キーワードを書き抜くことにより理解を進めてきていた学習者だったが、学年が変わり、 国語の担当教員が変わったことから、⼾惑いが⽣じていた様⼦が観察された。 ⼩説を題材とした初回の授業で、主⼈公やほかの⼈物の⼼情を読み取っていくという活 動があったが、本⽂から書き抜くのではなく、本⽂にある語彙を利⽤して⾃分でまとめる作 業の際、マス⽬で⽂字数の制限がある形だったために、該当しない個所で⽂字数だけ合わせ ようとした学習者と、該当箇所だが内容が理解できない程に⽂字を削ってしまった学習者 が存在した。2 回⽬の授業では、⻫読のあとでプリントの指⽰を確認し、書き込むところが どこかを⼝頭で確認した後でマス⽬に書き込ませるという活動になった。マス⽬の活⽤は、 特に縦書きの場合、拗⾳、促⾳、句読点の位置を正確に把握させるうえで効果があることか ら、マス⽬の活⽤が維持されたものと推察できる。 2-1-3. 事例③ 配布されたプリントに「出席番号」「⽒名」欄があった。縦書きだったこともあり、教員 より「出席番号は、漢数字で書いてください」と指⽰があった。学習者のほとんどが、「漢 数字」が何かを知らず、算⽤数字で書いていた。その後、教員が気づき、プリントの答え合 わせの段階で、漢数字について説明があった。「漢字の数字」という説明で問題なく理解で きていた。 2−2.数学の授業から 2-2-1. 事例④ 中学夜間学級の学習者の多様性から、C 教員は授業中の⾔葉遣いが⾮常に丁寧であった。 例えば、「先ほど、わたくしが申し上げましたように…」という課題の答え合わせの場⾯で の発⾔などがそれである。⽇本語習得が⼗分でない外国⼈にとっては、敬語は⾮常にわかり づらいものである。実際、近年、話題になっている「やさしい⽇本語」でも、「敬語は避け る」というのが基本的な姿勢である。上述した C 教員の発話は、「さっき、わたしが⾔った ように・・・」であれば通じるものが、敬語の組み合わせで発話したために、理解できなか った学習者が存在していた。C 教員も、⾃分の説明などが理解されていないことに気づいて いたが、⾃分よりも年配の⽣徒がいる場で、なかなか敬語を外して話すことが難しいようで あった。 2-2-2. 事例⑤ 年度の最初の授業で、簡単な数学(算数)のプリントが配布された。四則計算の理解、分 数の理解など、数学的側⾯と問題⽂の理解の確認が⽬的のようであった。 2 回⽬以降の授業では、「パターン化した授業の流れ」「数量領域でも図形領域でも視覚化
して板書を⾏う」「板書と組み合わせて教員⾃⾝が動く」などの配慮があった。 このうち、「パターン化した授業の流れ」には、教科書に書かれている定義欄を確認する ことも含まれており、パターンに慣れてきた段階では、学習者の回答に対し教員が質問をす ると、複数の学習者から「教科書に書いてあります」という返答が返ってくるようになって いた。パターン化した授業の流れは、学習者に今何を⾏っているのかを理解させる基本とな る情報提供になり、混乱が少なく、リラックスして授業を受けることができるという効果が ある。また、「教科書に書いてあります』という返答が出てくるほど、教科書を読んでくる ことの習慣づけや、それに先⽴つ、教科書を読むことに対するメリット(授業内で発⾔でき る、等)の学習動機付けに成功していたのだと思われる。視覚化には、数量領域であっても、 分数とは何か、というさかのぼった説明や、正の数、負の数を理解させるための数直線など が含まれているが、D 教員の場合、ホワイトボードに⼤きな数直線を書き、⾃らが「どっち に進むの?」と尋ねながら、その数直線の前を⾃⾝で移動していくという授業であった。ク ラス全体が、数を⼀緒に数えるなどの活動を伴い、理解が進んだと思われる。 2-3. 英語の授業から 2-3-1. 事例⑥ 英語の授業は、アルファベットから学ぶ学習者と、来⽇前に⾝につけたネイティブ並みの 英語⼒を持つ学習者が混在する授業で、教員のコントロールが⾮常に難しい授業だと感じ ている。基本的に、英語能⼒の⾼い教員であり、直接法で取り組もうとの場⾯もみられるが、 上述したような、アルファベットから学ぶ学習者に対しては、⽇本語で指⽰を出していた。 ただ、来⽇前に⾝につけたネイティブ並みの英語⼒とはいっても、英語のいわゆる正書法な どには不慣れな学習者もおり、⼝頭練習や説明ののちに、発話した英語を書く、という活動 が⾏われていた。当初、英語初習者への配慮から⽇本語による説明が多かったのだが、教材 としての映像 DVD を活⽤することで、どういう場⾯でどう使うものなのか、ということの 説明を⾔語に頼らなくなったために、⽇本語による説明がなくとも、誰もが参加できる導⼊ と⾔語に極⼒頼らない説明が可能になったと思われる。⼀⽅、「〜を⽇本語で何と⾔います か」という質問に答える場⾯では、英語は知っているが⽇本語は知らない、という学習者が 散⾒された。⽇本でのテストや⼊試を考えれば、⽇本語との対応についての指導も必要にな ることを意識した指導であった。 2-4. 理科の授業から 2-4-1. 事例⑦ G 教員の理科の授業では授業の単元ごとにまとめプリントが⽤意されていたが、⽇本語 能⼒が⼗分ではない学⽣にとっては、ハードルが⾼いものであったように感じる。視覚情報 を多⽤していた事例としては、理科という教科の特性上、実際の現象の観察や実験を⽬の前 で⾏うことを重視し、花の構造を確認するために各⾃が花を分解したり、動物の脳の構造を
確認するために鶏の頭部を分解5したり、酸素を発⽣させる実験や⼆酸化炭素を発⽣させる 実験を直接⾒たりする、などが⾏われていた。上述したまとめプリントについては、元素記 号を書くなどの部分の負担は少なかったと思うが、語彙として、「過酸化⽔素⽔」「⼆酸化炭 素」などのほかには代えられない⽤語については、重要事項でもあることから学習者の負担 が⼤きくなっても書かざるを得なかったのだと思われる。 2-4-2. 事例⑧ H 教員の授業は単元の終わりに学習事項を整理する授業だったが、板書に、図を描いて そこにキーワードを⼊れながら復習をさせていた。学習者もその図をノートに写していた のだが、教員の解説を聞くような余裕はなく、⼀⽣懸命図を写すのみであった。その状況を 受け、次のまとめの時間には、教員はプリントを準備、更にそのプリントを拡⼤印刷したも のをホワイトボードに貼って、そこにキーワードを埋めていき、学習者も⾒⽐べながら埋め ることができるようになっていった。 2-4-3. 事例⑨ 植物の構造について学んだ次の時間、冒頭に教員が復習活動を⾏った。花弁の下にある 「ガク」という部分を空欄にして、板書された花の絵を基に名称が質問されていた。⼿を挙 げたのは、⼀⼈の外国籍の年配の学習者だった。教員が発⾔を促すと、「カクです」と発⾔ されたのだが、教員はその答えに対し「惜しいですね、もう⼀度」と指⽰をし、その学習者 は再度同じように発⾔した。それを何度か繰り返したのち、教員は、「惜しかったですね、 正解は『ガク』です」と板書しながら⾔って、着席するように⼿で指⽰したのだが、その学 習者は納得できないような表情で着席した。後でノートを確認しに⾏くと、ノートには「ガ ク」ときちんと書かれていた。 2-5. 社会の授業から 2-5-1. 事例⑩ H 教員の授業はプリントを基本とした授業だった。初回の授業は、⽂章に空欄があり、そ こにキーワードを⼊れて⾏くという形で進められた。この時、教員によりキーワードが板書 されていったのだが、⽐較的⾃由に、解説のイラストをよける形でキーワードを書いてあっ たため、学習者が、どこのキーワードなのかを⾒失いがちであった。教員の指⽰も、「最初 のカッコ」、「次のカッコ」、「さっきのカッコ」、「前のページの後ろの⽅のカッコ」などと、 ⾮常につかみにくいものであった。⼆回⽬の授業では、それぞれのカッコに番号が振られ、 「1 番は〜」「5 番は〜」と解説をしたため、混乱が⾒られなかった。 3.事例から得られた新たな視点 5 ペットフードとして鶏の頭部の⽔煮が⽸詰として販売されている。
3-1. 視覚化・視覚情報での伝達を⾳声⾔語よりも優先する 事例⑤での教員⾃⾝が体を動かしながらイメージ化する過程、事例⑥に⾒た DVD の活⽤ による⾔語による場⾯説明の省略、事例⑦に⽰した実際の現象の観察や実験、事例⑧にみら れるプリントと板書の同⼀化、事例⑩に⾒られる⼿元の資料と板書との同⼀化は、すべて、 ⾳声⾔語による伝達を省き、⾔語能⼒の優劣に関わらず理解を促すために⾮常に重要な配 慮であった。 ⽇本語教育の場でも、直接法のように⽬標⾔語だけで授業を進めるためには、⾝振り⼿振 り、イラスト、実物、場⾯の利⽤などを重視し、⾳声⾔語による情報提供ではなく、既習の 知識をフル動員しての授業参加を求めている。それと全く同じ視点での授業は、⽇本語能⼒ が⼗分ではない学習者にどのような授業⽅法が適しているのかを顕著に⽰していると思わ れる 3-2. 時間を取る書く活動は⼝頭での確認後に⾏う 事例①、事例②では、教員がまず⼝頭で学習者全体と答えを共有した後でプリントに取り 組むという活動を⽰した。⽇本語教育の現場でも、特に初級の場合、「書く」という活動は ⾮常に時間を取る活動である。理由は⼤きく分けて⼆つある。⼀つは、その答えが正しいか かどうかを考えるためであり、もう⼀つは、その答えを書くための⽂字や表記を考えるため である。前者については、答えを表す語彙、その語彙を使った⽂型や表現⽅法など障壁は複 数存在する。後者については、カタカナなのか、ひらがななのか、漢字は何を使うのか、な どである。この事例①、②の場合、教科書から⽂字についてはある程度確認できるので、障 壁となるのは、答えが適当かどうか、と考える部分である。この部分を⼝頭で確認するとい う⼿順を踏むことにより、何を書くか、という語彙、⽂型、表現⽅法の障壁を越えるため、 「書く」活動にかかる時間は⼤きく短縮することが可能になる。 3-3. 学習者の背景に意識を広げる 事例③、事例⑨は、多様な学習者の前に⽴つ教員の意識の持ちようである。前者の事例で は、学習者の既知と未知に関する意識である。「出席番号」欄に関しては、すでに何度も繰 り返して触れていることなので、何を書くのかは、学習者にとって未知ではない。この場合、 「漢数字」という⾔葉を使う可能性がある教科は「国語」に限られているということも重要 である。 事例⑨では、学習者の⺟語の⼲渉が原因である。語頭に濁⾳や半濁⾳が⽴たない朝鮮語を ⺟語としている学習者の場合、「ガク」という語彙の発⾳は⾮常に困難であり、「カク」とい う発⾳になりがちである。教員に、多様な⾔語に関する知識を持つように指導するのは現実 的ではない。この場合、⼝頭での回答確認だけでなく、板書させる、教員がノートを確認し に⾏くなどの⽅法が取れた。多様な学習者がいるということは、書くことが不得⼿な学習者、 話すことが不得⼿な学習者など、従来の想定を超えた困難を抱えている学習者がいるとい うことを考える必要がある。 3-4. 「やさしい⽇本語」で情報提供する 事例④は、外国⼈に接する機会が少ない⼈に多く⾒られる点である。⽇本語の待遇表現は、 親疎上下を基準としている。外国⼈に接する機会が少ない⼈は、このうち「疎」に影響を受
け、⾔葉遣いが丁寧になる傾向がある。しかしながら、⽇本語の敬語は外国⼈にとって⾮常 に伝わりにくいものである。阪神淡路⼤震災以後、研究が進められてきた「やさしい⽇本語」 は、近年の外国⼈⽣活者の増加、オリンピック開催の機運に乗って急速に広まりつつある。 ⼀般の⼩中学校における児童⽣徒と教員の間にかわされる普通体のやり取りもまた、外国 ⼈にとっては理解しにくいものである。今⽇の⽇本語の教科書のほとんどが「です」「ます」 で学習を始めていることもあり、「やさしい⽇本語」による説明を⼼掛けることも重要とな っている。 3-5. ⽇本語の特徴を把握する 事例⑥と事例⑩は、⽇本語そのものの理解がポイントとなっている事例である。英語の授 業については、英語表現を⽀える⽇本語についての学習が必要になる。⾔い換えれば、単元 に出現する⽇本語の語彙や表現について説明できる状況にしておかなければ、「⽇本語で何 と⾔いますか」という発問⾃体が成⽴しなくなってしまう。事例⑥に⾒られる指⽰の混乱は、 後述する学習⾔語(CALP)と⽣活⾔語(BICS)という⾒⽅で整理できる。事例⑩に⾒られ る指⽰の混乱は、具体的に指⽰する先に番号などをふることで解決できることである。 4.CALP と BICS を教員の指⽰の⾔葉から再考する
カミンズ6は⾔語には、CALP(Cognitive Academic Language Proficiency:学習⾔語能⼒) と呼ばれるものと、BICS(Basic Interpersonal Communicative Skills:⽣活⾔語能⼒)と呼ば れるものがあるという。前者は、学校等の授業の中で求められる⾔語能⼒であり、後者は、 ⽇常の⽣活場⾯で求められる⾔語能⼒のことをいう。児童が第⼆外国語を学ぶ場合、BICS については半年から1年で習得できるものの、CALP については習得が2年〜5年以上か かると⾔われていることから、⽇常⽣活における⾔語能⼒に不⾜がないように⾒えても、授 業等の学習の場では⼗分な⾔語能⼒が備わっていない可能性があり、それを克服する⼀つ の⽅法が伝達⽅法の⾳声情報から視覚情報への移⾏であると⾔えよう。 具体的な事例として、⽇常⽣活と授業内のどちらでも使われる⾔葉の概念が異なる事例 を図3から図7までの5例、⽰しておきたい。 図3では、右の吹き出しにあるように 「線分 AB の上の点 P」はどこか、という ことが問題となっている。線分 AB に重な るように点が置けるか、AB から遊離した 吹き出しのアタリに点を置くか、「上」とい う⾔葉の持つ概念が⽇常⽣活と数学とで ずれが⽣じている事例である。このような 問題の原因としては、BICS は具体的であ り⽇常⽣活で適切に使えており、使⽤状況 や⽂脈によって意味の類推が⽐較的易し 6 『マルチリンガル教育への招待』中島和⼦(2010)より 図 3 「上」の概念
い反⾯、CALP は教科特有の使⽤⽅法もあり、そのような類推が難しく抽象的な思考⼒や認 知⼒が求められるからだと⾔われている。数学の指導時に、線分に重なるように点が置けな い理由がわからないということを聞くことがあるが、このようなことが背景にあると推測 できる。 ⽇本語教育の場⾯では、場⾯での使⽤状況によって指すものが異なり混乱を招くことが 少なくない。 次の事例は、「前」「後」「先」「次」といった⾔葉である。 図4では、ノートや教科書といったも ののページを指す場合に使う⾔葉を⽰し た。「前」のページと⾔えば、数字の若い ⽅を指す。これは、図 5 の時間や時代を 指す⾔葉遣いと同じである。これは、過ぎ 去った⽅が「前」であり、これからが「後」 になっている事例である。しかし、⼀⽅で、 後悔している⼈物には「前に向かって進 もう」と励ますように、「前」は「これか ら」を指す場合がある。 ⼀⽅、図6の「前」は、これからの⽅向 を指し、過ぎ去った⽅向は「後」となる。また、これからの⽅向は、「先」にもなる。図7 のような机の天板の上では、さらに複雑になる。中央にノートが置かれているとき、「ノー トの前」と⾔ったらどこになるのか。「奥」を指す⼈もいるだろうし、「⼿前」を指す⼈もい るのではないだろうか。「ノートの前」でわかりづらければ、「お弁当箱の前」ではどうだろ うか。「⼿前」と感じる⼈が増えるのではないだろうか。 このように、位置を⽰す⾔葉と理解しているだけでは、「前」や「後」という⾔葉、「次」 という⾔葉は⾮常にわかりにくい。 このような⽇常⽣活に普通に使われて いる⾔葉が、場⾯によって解釈しにくい ということが⽣じることがあり、教員の 授業を⾒ている中で、学習者の混乱が⽣ じる指⽰の原因となっていることが⾒え てきた。 図 4 教科書ノートの「前」「後」「先」「次」
もう 1 例⽰すと、「前のほうがよかった」という発話は、映画館や劇場では「限りなく舞 台に近い座席」を⾔うが、社会情勢や時代について語っている場合では「今と⽐べて過ぎ去 った過去」を指している。 ⾔葉は、場⾯、状況を伴って使⽤され、 同じ発話も、それに伴って変化するという ことがわかると思う。 5.おわりに 本稿では、多⽂化共⽣の進む今⽇の学校教育において求められる教員の資質を中学夜間 学級における授業観察記録を基に検討し、⽇本語教育の⽴場から教員養成における新たな 視点を提⽰することを⽬的とし、具体的に5つの項⽬とカミンズの CALP、BICS を取り上 げた。 5つの項⽬とは、 1.視覚化・視覚情報での伝達を⾳声⾔語よりも優先する 2.時間を取る書く作業は⼝頭での確認後に⾏う 3.学習者の背景に意識を広げる 4.「やさしい⽇本語」での情報提供 5.⽇本語の特徴を把握する である。これらの作業は、⽇本語教育、特に初級段階での指導では必須の項⽬であり、教 科指導においても同様に効果的な項⽬であることが、具体的な授業の中から明らかにでき たと考える。従来の教員養成では、4,5については特に想定されていない観点であったと 思われる。 これに加え、⽇本語指導が終わらなければ教科指導が始められないという意識を変⾰す ること、つまり 6.学年相当の知識を⾝につけることを⽬標とする ことも重要である。上述した4の「やさしい⽇本語」は情報伝達の⽅法の⼀つであり、「や 図 5 時間や時代の「前」「後」「先」「次」 図 6 ⾏列における「前」「後」「先」「次」 図 7 机の上の「前」
さしい⽇本語」を学習者に⾝につけさせたり、利⽤させたりすることは⽬標としてはならな い。 ⼩中学校での指導に、学習者の⺟語による学習⽀援者を配置する、機械翻訳を活⽤するな ども進められていることは承知しているが、⾼校受験や⼤学受験において、学習者の⺟語す べてに対応できる状況が整うような状況にはない。学習者の⺟語による学習⽀援者の配置 も、すべての⾔語に対応できるわけではなく、かえって、対応できる⾔語を話す学習者とそ うではない学習者との格差、差別を⽣む構造になっていることは、なかなか指摘されない。 保護者とのコミュニケーションにおいては、⽇本語に限らず、可能な限り、意思疎通を図る ための翻訳者、機械翻訳の活⽤は望ましいことだと思うが、教科指導においては、彼らの進 学、就職を考えた場合、⽇本語で⼗分に⾏えるように配慮し教育していく必要がある。教員 が特定の外国語を活⽤することも、望ましいこととは⾔えない。選択されなかった⾔語を⺟ 語とする学習者にとっては、疎外感しか抱かせないからである。 そういったことを踏まえ、⽇本語だけで⽇本語指導をする、⽇本語だけで教科指導を⾏う ことは、筆者が講師としてかかわっている愛知県の「外国⼈児童⽣徒教育講座」、名古屋市 の「⽇本語指導を必要とする児童⽣徒指導法講座」でも特に求められている知識・技能であ る。 以上、実際の授業や⽇本語教育での考え⽅に基づき、今後の教員養成の新たな視点として、 教員を⽬指す全ての学⽣が⽇本語教育の基本的な知識を⾝につける必要性は無視できない 要素であると結論付けたい。 参考⽂献 有⽥佳代⼦ほか(2018)『多⽂化社会で多様性を考えるワークブック』 岩⽥⼀成(2016)『読み⼿に伝わる公⽤⽂』⼤修館書店 ⾼嶋幸太(2019)『⽇本語でできる外国⼈児童⽣徒とのコミュニケーション』学事出版株式 会社 ⽥中薫(2016)『学習⼒を育てる⽇本語指導』くろしお出版 中島和⼦(2010)『マルチリンガル教育への招待』ひつじ書房 ⻄川朋美ほか(2018)『⽇本で⽣まれ育つ外国⼈の⼦どもの⽇本語⼒の盲点』ひつじ書房