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異 文 化 理 解

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(1)

異文化理解

 1﹃インドへの道﹄1

照.屋 佳男

﹁実在す至切の惣必然的な笙根拠が存するか客演︵塞.ε考へねぽな疑⁝ブ⁝は言つ龍・

こで留意すべきは︑﹁第一根拠︹根本原理︺が存するかのやうに﹂考へる事と︑﹁存する﹂と極め付ける事との間には

無限の隔たりがあるといふ事である︒﹁第一根拠﹂に関して︑﹁存するかのやうに﹂考へるとしたら︑人は理念を﹁統

整的﹂に用みてみる事になる︒一方︑ ﹁第一根拠﹂に関して﹁存する﹂と断定し︑これを信じるとしたら︑人は理念

を﹁構成的﹂に使用してみる事になる︒﹁統整的﹂︑﹁構成的﹂はカント哲学において重要な位置を占めてみる用語で

あって︑カントによれば︑理念は﹁最要的﹂にしか︑即ち規準としてしか用ゐられない︒理念は︑これに無限に近づ

かうと努力し得るにせよ︑畢寛実在化され得ぬものと黙殺されねばならない︒理念が専ら﹁統整的﹂に使用される限

り︑害は生じやうがない︒害とはここでは普遍主義の事だが︑普遍主義とは理念が﹁統整的﹂にではなく︑﹁構成的﹂

早稲田人文自然科学研究 第42号  92(H4).10

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に使用された場合に生じるもの︑と解され得る︒普遍主義は︑﹁第一根拠﹂!そしてその必然の産物たる理念i

は︑実在化せられ得る︑﹁現実的な一定の対象として設定され得る﹂とし︑理念や﹁第一根拠﹂に適合しない一切を︑

普遍にまるで通じるところのない特殊の塊として排除しようとする傾向を蔵してみる︒理念を﹁構成的﹂に使用する      ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ普遍主義者にしてみれぽ︑普遍は予め確定してみるのであり︑個別性や特殊性は人間社会や文化に︑最終的には占め

るべき位置を持たない︒一方︑ ﹁第一根拠が存するかのやうに﹂考へる時︑人は︿特殊﹀に存在権をしかと認めてみ

る事になる︒実在するものとしては︑個々の︿特殊﹀しか存在しないといふ事を認めてみる事になる︒

 ﹁実在するかのやうに﹂と考へるべきところを︑ ﹁実在する﹂と断定的に捉へるとしたら︑それは判断力に欠陥が

ある事の証左になるとカントは考へてるた︒ ﹁この欠陥はまったく救ひやうがないのである﹂と彼は言ひ︑ ﹁博識な

学者のなかにも︑自分の学問を使用することにかけては︑たうてい改善の見込みのない︹判断力の︺欠陥をしぼしば       ︵2︶見せるやうな人を見かけるのは決して異例ではない﹂と付け加へた︒

 例へぽ︑ユートピアは存するかのやうに︑と考へるべきところを︑ユートピアは存在する︑実在化せられ得る︑と

考へるとしたらどうなるか︒この場合ユートピアは︑地上の天国といふ意味合ひにおいて︑ ﹁第一根拠﹂と同格の完

壁越を帯びさせられてるる︒すると︑ユートピアは実在化せられ得るといふ命題は︑完壁性は人間社会において実在

化せられ得る︑と言ひ換へられる事になる︒ひとたびこのやうな完養性が実在化の対象として設定されると︑ユート

ピアを全世界において実現しようとする運動が避け難いものとなる︒普遍主義と﹁伝導の精神﹂との間に密接不可分

の関係がある所以である︒

 二十世紀において︑ユートピアは実在化せられ得ると説き続けたのは︑社会主義︵マルクス主義︶者達である︒社

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異文化理解

会主義者達が︑完壁性は人間社会に実在化せられ得ると考へてるた限り︑社会主義者達は判断力の欠陥を本質的特徴

とする思考の持主であったといふ事になる筈だが︑社会主義者達のさういふ側面がドストエフスキーの﹃悪霊﹄で既

に暗示されてみるのは興味深い︒例へばキリ評註フなる人物は︑全人類が幸福になる時︑即ち﹁この地上の永遠の

生﹂が実現される時を確信してみると言ひ︑ ﹁全人間が幸福に到達すれば︑時はもはやなくなってしまひますよ︑そ        ︵3︶の必要がないんだから﹂と言ひ切る︒人類は︑もはや時といふものによって条件づけられない程に完壁になる︑歴史

はまさしく︑停止するのである︑と︒

 マルクス主義は︑キリ!ロフの考へに類する考へをあらゆる手段を講じて執拗に広め続けてきたので︑長い間︵殆

ど二十世紀といふ全期間を通じて︶多くの知識人にとって︑その拘束感から逃れるのは頗る困難だつた︒拘束感は時

に習慣と化し︑知識人のものの見方を確定する程に強いものになったりもした︒まことにマルクス主義は︑理念を実

在化の対象にする事によって威力を発揮し得た訳だが︑この威力の源にある普遍主義は︑ ︿普遍﹀或は普遍性とは縁

もゆかりもない︒だからこそ拘束感を与へ得たと言へる︒

 そこで︑過去二︑三年の間に社会主義諸国が文字通り音をたてて崩壊したといふ事実は︑多くの知識人にとって先

づ︑この拘束感からの解放といふ意味合ひを持つといふ点が見逃されてはならない︒この種の拘束感のあった限り︑

我々は単に歴史に関してぽかりでなく︑文化に関しても︑我々の真に感じたところ︑考へたところ︑信じたところを

率直に語り得なかった︒文化の︿特殊﹀を救ひ出し︑その︿特殊﹀において︿普遍﹀を発見するといふ道を辿り得な

かった︒しかし﹁今やしからず﹂と我々は福澤諭吉に倣って言ってもよからう︒福澤は﹃学問のすエめ﹄の中で﹁旧

格﹂のもたらす拘束感から解放された喜びをかう表現したのである︒

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 昔日は世の事物みな旧格に制せられて︑有志の士といへども望みを養ふべき目的なかりしが︑今やしからず︒こ

の制限を一掃せしょり後は︑あたかも学者のために新世界を開きしがごとく︑天下ところとして事をなすの地位あ    ︵4︶らざるはなし︒

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 福澤の言ふ﹁旧格﹂︑即ち儒教に名を借りた一種の画﹁主義とマルクス主義の普遍主義は決して同日には論じられ

ないが︑福澤が感じたやうな解放感を︑今我々が味はつてみるといふ事実は争はれない︒マルクス主義による拘束感

がどれほど強く知識人を支配してみたかを知らうと思ったら︑例へば岩波書店がどういふ名著を絶版扱ひにしたか︑

或はどういふ名著をやっと最近になって︑即ち社会主義諸国が崩壊した後になって出版するに至ったかをちよつと調

べてみさへすれぽよい︒ 一九三六年以来絶版扱ひになってみたがアンドレ・ジイドの﹃ソヴェト旅行記﹄が︑今年

︵一九九二年︶になってはじめて岩波文庫の一冊として復刊されたのを私は大変興味深い事と思ってみる︒一九三六

年ジイドはマルクス主義の拘束感を大胆に振り払ふかのやうにソヴェトの権力者︑及びソヴェト内外のソヴェト崇拝

者が一番語ってもらひたくないと思ってみた事を︑歯に衣を着せずに語ったのだった︒ジイドは序言で言ってみる︑      ニスプリ﹁われわれはわれわれの心と精神のうちで︑文化そのものの将来をしっかりとソヴェト連邦の輝かしい運命に結びつ

   ︵5︶けてるた﹂と︒ジイドはユートピアが実在化されてみると喧伝されてるるソヴェトにおいては︑世界史上前例のない

輝かしい文化が見出されるだらうと期待に胸弾ませてソヴェトへと旅立つたのである︒けれどもジイドがソヴェトに

見出したのは︑﹁理念の構成的使用﹂即ち普遍主義がもたらさずにはおかない惨めな現実だつた︒ソヴェトはユートピ

アを実現した国︑完全無欠の国だといふ事になってみる︒ここから必然的に帰結するのは︑﹁ソヴェト以外の国々はす

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異文化理解

べて︑夜の闇につつまれてるるしといふ見方である︒﹁︹ソヴェト以外の国々においては︺若干の破廉恥な資本家をの       ︵6︶ぞくと︑あとのすべての人間は一人のこらず闇の中でもがいてるるやうに考へられてるるのである﹂︒伝導の精神をは

らんだ普遍主義の典型的な例がここに示されてみると言へる︒同様の普遍主義がナチスドイツを制してみた事はE・

M・フォースターの繰り返し指摘するところとなってみるが︑T・S・エリオットも一九四六年かう述べた︒﹁ヒトラ      ︵7︶一のドイツの犯した誤りは︑ドイツ文化以外のすべての文化は堕落してみるか野蛮であると思ひ込んだ事であった︒﹂

勿論エリオットは︑同時に﹁ロシア︹ソヴェト︺帝国主義といふ最も新しい型の帝国主義﹂を批判する事をも忘れな

かったのであり︑ ﹁ロシア︹ソヴェト︺は文化を意識的に政治の統制下に置き︑自らが支配しようと欲する国の文化       ︵8︶をあらゆる機会を捉へて攻撃した最初の現代国家である﹂と言ふ時︑ユートピアを実現した事になってみる国が︑自

国の文化を完壁なものと看倣すといふまさにそのゆゑに︑自国以外の文化を︑伝導の精神の発揮を通じて攻撃せずに

はみられない事を︑エリオットは示さうとしてるる︒即ちここで明らかになってみるのはソヴェト以外の国の人々が

闇の中にもがいてるると考へる事と︑さうした人々をその闇から解放するのを神聖な義務と看倣す事との間に径庭は

ない︑といふ事である︒アンドレ・ジイドは︑さうした普遍主義を信奉する事の代償が︑当のソヴェトの民衆に対し

て﹁あまりにも過重な超人的な努力を要求する﹂といふ形で現れたのをしっかり見届けてかう書いたのである︒ ﹁あ

れだけの努力を尽し︑あれだけの年月を経たからには︑彼ら民衆も少しは頭を撞げてきたことだらう︑とわれわれは      ︵9︶期待してみた︒1だが︑彼らの頭はいまだ激ってこれほどまでに低くかがめられたことはないのである﹂︒

 ジイドの見届けたところとは異なって︑大正三年︵一九一四年︶我が国の文学者永井荷風が東京の場末の路地や裏       ︵01︶         鵬長屋に﹁仏教的迷信を背景にして江戸時代から伝来し来ったそのままなる日蔭の生活﹂を送ってみる民衆に見たもの

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は︑ひどく低く頭をかがめた姿ではなかった︒普遍主義に制せられずに生きる﹁果敢ない人たち﹂の﹁物哀れな忍従

の生活﹂︑﹁江戸専制時代の迷信と無智とを伝承した彼らが生活の外形に接して﹂直ちに自分の﹁精神修養の一助にな

  ︵11︶さんと﹂欲した時︑荷風がそのやうな生活に悲惨を認めてみないのは明瞭である︒悲惨な生活が始まるとしたら︑彼

等がその文化の︿特殊﹀を失ひ︑普遍主義に制せられた時に限られる︑と言ひたげな荷風の心持が次の一節に読み取

れる︒

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 彼らが江戸の専制時代から遺伝し来ったかくの如き果敢ない裏淋しい諦めの精神修養が漸次新時代の教育その他

のために消滅し︑徒に覚醒と反抗の新空気に触れるに至ったならぽ︑私はその時こそ真に下層社会の悲惨な生活が       ︵12︶開始せられるのだ︒そして政治家と新聞記者とが十分野私欲を満す時が来るのだと信じてみる︒

 荷風は文化の退歩をよしとしてみるのではない︒文化の︿普遍﹀を信じてみないのでもない︒彼は文化の︿特殊﹀       ︵13︶に深く根を下ろしてみる人々の﹁態度の泰然たると︑その生活の簡易なるとに対して深く敬慕の念なきを得ない﹂の

である︒荷風が腹の底から嫌ひ恐れてみたのは︑ジイドがソヴェトに見届けたやうな普遍主義であった︒荷風が言は

んとしたのは︑理念が﹁構成的﹂に用ゐられ︑我が国の民衆に押し付けられるとしたら悲惨がもたらされるのは必定

といふ事である︒

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異文化理解

       ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ カントに戻る事にしよう︒既記の通り︑理念を実在化し得るかのやうに考へる場合︑理念は﹁構成的﹂にではなく

﹁統整的﹂に用ゐられてるる訳だが︑その利点の一つは︑仰ぎ見るべき規準として㊨理念がしっかと据ゑられ︑それ

によって今度は︑民族文化の形で現はれる文化の︿特殊﹀の輪郭がその限界と共に明瞭に呈示されるやうになるとい

ふ事である︒文化の︿特殊﹀はなるほど肯定される︑けれども理念1この場合は世界文化といふ理念一が規準と

して存する限り︑絶対的に肯定されるのではない︒ただ現実に依拠すべきもの︑拠って立つべきものとしては文化の

︿特殊﹀しか無いといふ事が改めて発見されるのである︒それは別言すると︑次のやうな次第となる︒文化の︿特

殊﹀がこのやうに救ひ出されるといふ事︑それは文化の︿特殊﹀が理念︑の光をいはば浴びるといふまさにその事によ

って︑一遍否定され︑そののち再発見されるといふ事に他ならない︒︿特殊﹀の再発見︑これが一番大事な点であり︑

民族文化を再発見し得てみるといふ事こそ︑民族文化を理解してみるといふ事の意味である︒世界文化といふ理念を      なよ一度も経ずして︑いはぽ生のまま民族文化が肯定される時︑民族文化は絶対化され︑普遍主義と結ぼれる危険に陥っ

てしまふ︑その場合文化の︿特殊﹀において︿普遍﹀を発見するのは頗る困難となる︒

 文化の︿特殊﹀を一遍否定するといふ表現をいま用みたが︑文化の︿特殊﹀は文化の︿自然﹀と言ひ換へてもいい

のであり︑一遍否定され︑そののち再発見される︿自然﹀︑いはぽ第二の自然が文学において重要であるやうに︑文

化の︿特殊﹀も一遍否定された後︑再発見される事を通じてその意義を現はす︒即ち再発見されたく特殊﹀において

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︿普遍﹀は見出されるのであり︑︿普遍﹀は普遍主義を通じて見出されるのではない︒普遍主義︑その別名たる科学主

義は︑︿特殊Vといふ〃回路を忌避するところに成り立つものであるといふ事︑従って文化理解において不適切であ

るといふ事が︑横光利一の﹃旅愁﹄に暗示されてみるのは興味深い︒この作品において主要人物の一人たる久慈なる

男は︑﹁普遍性﹂とか﹁科学主義﹂にのっけから依拠して︑東野といふ元作家の男に向ってかう言ふ︒﹁あなたは︑僕      ︵14︶たち東洋人が知識の普遍性を求めて苦しんでみるときに︑事物や民族の特殊性ぽかりを強調しようとするんですよ﹂︒

これに対して東野は︑ ﹁君は道に外れちやいかんと思って科学に獅噛みついてみるけれども︑道といふものは︑初め      ︵15︶からついてるるものちやない︒君の道は君がつけるので︑他人がつけてくれるものちやない﹂と答へる︒ ﹁道といふ

ものは︑初めからついてるるものちやない﹂は言ひ得て妙である︒道︑即ち普遍性は最初から普遍主義の形で存在す

るものではない︑と東野は言ってみるのだ︒ ﹁道﹂は文化の︿特殊﹀において発見されねばならない︒それを東野は

﹁君の道は君がつけるので︑他人がつけてくれるものちやない﹂といふ一句で表はしたのである︒東野のこの発言に

先立って︑久慈が内心発してみる次の言葉が軽薄に響くのは如何ともしがたい︒ ﹁いや︑俺は科学主義者だ︒科学主

義は甘んと云はうと世界の知識の統一に討って進まねぽならぬ︒それがヒューマニズムの意志といふものだ︒日本人      ︵16︶だって︑それに参加出来ぬ筈はない﹂︒

 久慈の普遍主義︑或は科学主義はニーチェの﹃ツァラトストラはかく語りき﹄を思ひ起させる︒ニーチェはこの作

品で︿特殊﹀を自然的なものとして先づ呈示し︑その再発見を﹁没落﹂︵d口8お①コぴq︶といふ語で示したのだが︑無

論この語に価値否定の意味合ひはないのであって︑その証拠に︑そのやうな没落する者こそ﹁超人﹂だと言ってみる

からである︒ ﹁超人﹂は十年間過した洞窟のある山の高みから人間社会に下りて行く︒人間社会といふく特殊﹀から      ●

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異文化理解

一遍離れたツァラトストラは︑陽の光の差し込む山の洞窟で︑衿持の象徴たる鷲︑智慧の象徴たる蛇と共に十年を過

したのだったが︑この期間ツァラトストラは︑イデアを真近に仰ぎ見得る地点に立ってるたのである︒しかし彼はそ

こにいつまでも留まり続けようとは欲しない︒さう欲したとすれぽ︑彼は普遍主義者に成り下ってみた筈だが︑彼は

実際にはイデアの光を浴びたのを自らの精神の強みとして︑人間社会に下りて行くのである︒彼の願ふところは﹁再

び人間になる事﹂である︒﹁再び﹂に力点は置かれてみる訳で︑ツァラトストラが﹁人間は克服せられるべき或物であ

る﹂と言ふ時︑﹁克服せられるべき或物﹂は人間の自然状態に他ならない︒言ふまでもなく﹁克服せられるべき雪釣﹂

が先づ存在してみなけれぽ︑話は始まらない︒が︑﹁猿﹂とも表現されるこの自然状態は一遍﹁克服せられ﹂︑然るの

ち再発見される事によってはじめて﹁大地の意義﹂の体現者たる﹁超人﹂への道を拓く事になるのである︒

 人間社会に下りて行くのを︑即ち﹁猿﹂を再発見しょうとするのを︑再び人間であらうと欲するのを嫌忌する者が

﹁毒を混ずる者﹂として描かれてみるのは注意に値する︒﹁毒を混ずる者﹂は︑理念の世界に留まり続けようと欲し︑

卑近なものや特殊なものの再発見に意義を見出さうとはしない︑或は見出し得ない︒ ﹁毒を混ずる者﹂のやうに︑理

念の世界に留まり続けようとはしないツァラトストラの内面の動きを辿る事は︑文化普遍主義を批判する上で大いに

益するところがあるだらう︒

 それはさておき︑文化論は文化の︿特殊﹀を捨ててしまっては成り立ちやうがない︒しかし現実には︑文化の︿特

殊﹀を抜きにして行はれる文化論は︑マルクス主義の文化論に限らず︑無数にあると言わなけれぽならない︒それは

我々が普遍主義の誘惑にいかに弱いかを物語るものであらうが︑明治の昔︑岡倉天心は︑文化の︿特殊﹀を知る事が

文化の︿普遍﹀を知るための最も確実な道である事を︑次のやうな言葉で表した︒

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 一般の西洋人は︑茶の湯を見て︑東洋の珍奇︑稚気をなしてみる千百の奇癖のまたの例に過ぎないと思って︑袖       ㎜の下で笑ってみるであらう︒西洋人は︑日本が平和な文芸にふけってみた間は︑野蛮国と見なしてみたものであ       ︵17︶る︒しかるに満州の戦場に大々的殺数を行なひ始めてから文明国と呼んでみる︒

 天心が言はんとするのは︑一見﹁珍奇﹂﹁稚気﹂﹁奇癖﹂﹁野蛮﹂と見える日本文化の︿特殊﹀に︑西洋人は︿普遍﹀

を発見しようと努めるべきであったといふ事である︒ところが西洋人は︑国境をたやすく越えるがゆゑに普遍性を具

へてるるやうに見えるもの︑即ち軍事力に日本文化の︿普遍﹀を見るといふ倒錯を演じてしまった一︒天心が文化

について考へてるた事は︑藤村が﹁幽霊﹂といふ語を用みて文化について語った事と共通するところがある︒ ﹁日本

が戦争でばかり世界に紹介されて︑それをまた唯一の誇りとするやうな同胞の多い間は︑私たちは欧羅巴へ来てもま      ︵18︶だまだ幽霊のやうなものです﹂と書いた時︑藤村は︑容易に国境を越える軍事力には︑日本人の生き方の中に潜む普

遍的なものを伝へる力はないと考へてるた︒どうにも翻訳不可能な︑従って国境を越える筈のない︑ ︿特殊﹀の塊の

やうなもの︑例へぽ芭蕉の一句﹁梅若菜まりこの宿のとろろ汁﹂にこそ︑真に国境を越える普遍性は具はつてみると

考へてるた︒この逆説は大切である︒

 普遍性に関して明言出来るのは︑普遍性は最初から目に見える形で︑或は容易に感知され得る形で存在するのでは

ないといふ事である︒最初に与へられてるるのは特殊性である︒ゲーテといふ一個の民族主義者を思ひ起してみると

よい︒ゲーテが国境を越える普遍性を帯び得たのは︑彼がドイツ民族の︿特殊﹀にいはば狙ひを定めてみたからであ

る︒重要なのは︑はじめに与へられてるる︿特殊﹀をどのやうに活かすか再発見するかといふ事であって︑かういふ

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ハ特殊Vの意味に僕して︑アリストテレスの言ってみる事は怪いに参考になる︑

 いつもわれわれは判明なことがらから出発しなければならないのであるが︑判明なことがらといっても︑これは

二様の意味を持ちうる︒ ﹁われわれにとって判明なことがら﹂といふ意味と︑ ﹁無条件的な意味における判明なこ

とがら﹂といふ意味と一︒ところで︑おれわれをしていはせれぽ︑出発点はおもふに︑ ﹁われわれにとっての判      ︵19︶明なことがら﹂たるべきであらう︒

異文化理解

 ︿特殊﹀は︑ ﹁われわれにとっての判明なことがら﹂であり︑それが出発点となる︒しかも︑アリストテレスが述

べてみるやうに︑ ﹁われわれにとっての判明なことがら﹂は﹁習慣﹂といふ卑近なものと緊密に結ばれてみる︒ ﹁習

慣における瘤導のよろしきを得てみるひとは根源的な端初を既に把握してみるといふべく︑でなくとも容易にこれを       ︵20︶把握しうるに相違ないのである﹂︒要するに﹁無条件的な意味における判明なことがら﹂は出発点にはなり得ない︒

いきなり普遍的なものとして姿を現はすものに対して︑アリストテレスがいかに警戒心を発揮してみたかは︑次の言

葉からも読み取れよう︒ ﹁普遍的な論述はより多く遍通的であるにしても︑しかし真実に触れるといふ点にかけては      ︵21︶むしろ部分部分にわたる特殊なそれに譲らなくてはならない﹂︒

 なるほど文化の︿特殊﹀は︑習慣といふものを取り上げてみても解る通り︑条件や限界や爽雑物を引き摺ってみ

る︒削る面から言ふとまことに始末の悪いものである︒が︑それにも拘らず︑ ︿特殊﹀が自覚的に活かされる時︑即

ち再発見される時︑ ︿特殊﹀の掛け替への無さは︑それを通じてしかく普遍﹀は発見され得ないといふ意味合ひにお

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いて︑︐明瞭になる︒更に一歩を進めて言へば︑ ︿特殊﹀の価値が再発見される事を通じて︑我々の主体性も確立され      32るやうになる︒      −

 主体性︒和辻哲郎は︑風土に限り無く文化に近い意味を帯びさせて︑かう言った︒ ﹁風土の主体性が恢復されなく

てはならぬのである﹂︒和辻の見るところでは︑風土を﹁単なる自然環境として客観的にのみ﹂見る︑即ち一般化す

るのは︑主体性とは何の関係もない︒風土を単なる自然環境とのみ見るのは普遍主義的理解の仕方の現はれであって︑

その場合︑ ︿特殊﹀の再発見の意義ははじめから除外されてみる︑従って主体性は︑さういふ理解の仕方においては︑

発揮されやうがないといふ事になる︒主体性は︿特殊﹀の再発見と分ち難く結ばれてみるのである︒

 単なる自然環境としてではなく︑文化の︿特殊﹀と切っても切れない関係にある風土︒イギリスの小説家D・H・

ロレンスはさういふ風土を﹁土地の霊﹂︵夢︒ω豆葺︒︷℃冨︒Φ︶といふ句で救ひ出さうとした︒ロレンスにとって︑

﹁土地の霊﹂は主体性を通じて風土に刻印された文化の︿特殊﹀の再発見を抜きにしては考へられぬ︑生きた実在で

あった︒ロレンスに言はせると︑ピルグリム・ファザーズはいはゆる自由を求めてアメリカへ渡ったのではない︒彼

等はルネサンスを起点とするヒューマニズムの拘束感から逃れようとしてアメリカへ渡ったのである︒彼等はヒュー       なまマニズムといふ名の普遍主義一あまりにも生であり過ぎるもの一を拒否したのである︒

 ﹁あらゆる大陸は︑固有の偉大な土地の霊を持ってるる︒あらゆる民族は或る特殊な土地に極性を帯びさせられて      ︵22︶みる︒その土地こそ故郷である︑故国である﹂︒ 目レンスは土地の霊を偉大な実在物と捉へてるるのだが︑それは或

る土地に固有な文化の︿特殊﹀を偉大な実在物として再発見する事に他ならない︒古代エジプトの偉大な宗教を生み

出げし允のはe﹂ナイル洵流域の土地の霊である9古代μ﹂貿が詩舵のヰ心.であゆ得たのは︑ローマの土地が極性を帯び

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させられてるた間だけの事である︒つまり古代ローマ人が︑風土に刻印され︑再発見されたく特殊﹀と結ぼれた﹁土

地の霊﹂と生き生きした関係を保ち得てみた間だけの事である︒

 ロレンスの特徴は﹁土地の霊﹂を自由の不可欠の条件と考へるところにある︒ ﹁土地の霊﹂は普遍主義の対極に位

置するところのものであり︑それは﹁最も奥深い自己﹂ ﹁奥深い宗教的信条の声に従ってみる﹂自己を生み出すとこ

ろのものに他ならない︑・さういふ﹁土地の霊﹂と繋がりを保ってるる限り︑人は自由である︑とロレンスは言ふ︒

﹁王権と父権が失墜したルネサンスの頃︑ヨーロッパは︑自由と平等といふ大変危険な半面真理のとりこになってし      ︵23︶まった︒多分アメリカへ渡った人々はこれを感じ取り︑旧世界を否認したのだ﹂︒ピルグリム・ファザーズはヨーロ

ッパの大変危険な普遍主義を逃れ︑アメリカへ渡り︑ ︿特殊﹀を刻印されたアメリカの風土において最も奥深い自己

を発見し︑真の自由をかち得よ.うとしたのだ︑と︒

異文化理解

      ︵24︶ 和辻哲郎は﹁日本の国民の特殊性が家としての存在の仕方に最もよく現はれてるる﹂と書き︑ ﹁明らかに﹃家﹄が

あ養日本と・﹁家﹂の意味が消失して・ただ個人と社会とがある〒︒ッパとを対比して論じた事がある︒和辻は

ヨーロッパの文化には特殊性が無いと言はうとしてるるのではない︒ヨーロッパ文化にはヨーロッパ文化なりの特殊

性といふものが確かにある︒古代ギリシア文化には古代ギリシア文化なりの特殊性があったやうに︒和辻が言はうと

してるるのは︑特殊性が無ければ︑文化は生きた形では存しやうがないといふ事である︒特殊性とは︑古代ギリシア

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に関して言へぽ︑﹁ギリシア的風土がギリシア精神の特性として己れを現は酋芝他ならなかった・その時・ギリシ

ア文化は初めて芽ばえ生長したと言ふのである︒ギリシアの風土に刻印される特殊性はギリシア人の主体的な生き方

と切り離しては考へられないから︑次のやうな意味深長な発言がなされる事になる︒ ﹁ギリシア人がギリシア人にな

るに従ってギリシア的風土もまたギリシア的風土として己れを現はして来たと言ふべきであら亭

 我々は和辻の表現を応用して︑かう言っても差し支へないやうに思はれる︒アメリカ人がアメリカ人になるに従っ

てアメリカ文化もまたアメリカ的文化として己れを現はして来たと言ふべきであらう︑と︒実際︑アメリカ文化は︑

主体性に裏打ちされた一個の︿特殊﹀として︑アメリカン・デモクラシーとかアメリカン・ウェイ・オブ・ライフの

形で存してみた間は︑澄刺と生長し続けてみたのではないか︒即ち十八世紀啓蒙主義の生み落した普遍主義に酔ひ痴

れて人間や社会の完壁性を唱へ︑特殊性を排除しようとしたりするのではなく︑アメリカ人がアメリカの風土と結ば

れた自らの特殊性を自覚し得てみた限り︑アメリカ文化は生き生きと生長し続けてみたのではないか︒

 フランシス.フクヤマの﹃歴史の終り﹄ ︵﹃曹肉ミミミ亀︒遷§織暮偽戸長詮§§H㊤り鱒︶がアメリカ国民の間に

大きな共感を喚び起してみるといふ事実は何を物語るだらうか︒一九九二年二月二十五日付﹃デイリー・ヨミウリ﹄

に︑フクヤマは﹃歴史の終り﹄の余滴とも言ふべき論文︑﹁民主主義への脅威はアジアからやって来る﹂︵.日訂①舞8

∪①巳oo箪︒唄竃曙Oo日①旨︒ヨ︾ω冨︑︶を発表してみる︒ フクヤマは﹁西洋のリベラルな民主主義﹂にとって脅威と

なるのは︑イスラム原理主義であると言ふよりは寧ろ日本やシンガポールやその他の経済的に活気ある国々の﹁柔か

い権威主義﹂ ︵ωOh一 鋤望一げO目一一帥﹃一90昌一ωbρ︶であると暗示する︒ところでフクヤマがアメリカン・デモクラシーと言はず

に﹁ウェスタン・リベラル・デモクラシー﹂と言ってみるところに注意していただきたい︒私はフクヤマのこの句に

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(15)

接して︑ふと横光利一の﹃旅愁﹄の中で行はれてるる無数の議論のうちの一つを思ひ起した︒それは主要登場人物矢

代と久慈が︑パリの街を走る自動車の中でたたかはした議論なのだが︑その折︑矢代は﹁万国通念の論理﹂とか﹁万

国共通の論理﹂などといふものはない︑さういふ﹁最後の飛道具﹂とでも称すべき﹁科学主義﹂は︑ ﹁こっそり商い      ︵28︶ひたい個人の心﹂を知らない︑と言ってみる︒矢代が批判してみるのは﹁最後の飛道具﹂たる普遍主義である︒フク

ヤマの言ふウェスタン・リベラル・デモクラシーが﹁最後の飛道具﹂と化してみる点が問題なのだ︒

 ところで︑危険な﹁柔かい権威主義﹂に制せられてみるとしてフクヤマが槍玉に挙げてみるアジアの経済的に活気

 ノある国々は自由主義経済︵市場経済︶を採用してみる︒その活気の源一は︑それらの国々が自らの国の文化の︿特殊﹀

に立脚して得てみるところに存する筈である︒即ち自由主義経済が普遍主義的観点から捉へられず︑寧ろ自国に固

有の伝統や文化を活かして運営されてるるところに存する筈である︒自由主義経済は伝統や民族文化と無縁に存しな

けれぽならない︑とフクヤマは言ってみる訳ではないが︑彼が︑ アジアの経済を特徴づけるものとして﹁排他性﹂

︵o×oピ巴≦q︶と﹁不寛容﹂を挙げてみるのは︑いかにも奇怪である︒彼の気づいてみないのは︑普遍主義こそ排他      ︵29︶性と不寛容を特徴にしてみるといふ一事である︒ ﹁アメリカ独立戦争とフランス大革命のリベラルな普遍主義﹂を信

じるフクヤマはとどのつまり多様性の観点から文化を眺めない︑従って不寛容に陥らざるを得ない︒普遍主義と不寛

容が両立し得る事は︑フクヤマの次の発言からも明らかである︒

異文化理解

 日本人は参る面で︑旧共産主義国のいかなる社会にも劣らぬほどに規制され︑画一化され︑硬直化した社会に住      しきたんでみる︒かういふ社会は︑警察国家によって押し付けられてみるのではなくて︑社会的仕来りによって押し付け

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(16)

        ︵30︶られてるるのである︒

 フクヤマは﹁人間性の普遍的性格﹂なるものを﹁社会的仕来り﹂に対置させ︑前者の後者に対する絶対的な優位を

説いてみるやうに見える︒実際にも﹁社会的仕来り﹂には警察国家なみの抑圧的な力が帰せられてみる︒ ﹁社会的仕

来り﹂は伝統に近い意味を帯びた句であるからフクヤマは普遍の名において文化の︿特殊﹀を辱めてみる事になる︒

︿特殊﹀において︿普遍﹀を発見するといふ﹁反省的判断力﹂ ︵カント︶の欠如したこのやうな見方は異文化理解に

全く不適切である︑と言はなけれぽならない︒       ︵31︶ 岡倉天心は︑ ﹁人は特殊の物の中に万有の反映を見る﹂と述べ︑たとへ﹁特殊のもの﹂が不完全であるとしても︑       ︵32︶﹁この﹃不完全﹄を真摯に静観してこそ︑東西相会して互ひに慰めることができるであらう﹂と言ったが︑普遍主義

に欠けてみたのは︑まさに﹁特殊のもの﹂の中に万有︑即ち︿普遍﹀の反映を﹁真摯に静観する﹂態度である︒

 ここで﹁普遍性﹂︵d巳くΦ窃聾蔓︶をめぐってT・S・エリオットが行ってみる重要な発言を取り上げてみよう︒

エリオットは︑一見すると最初から﹁普遍性﹂を代表してみるやうなダンテ︑シェイクスピア︑ゲーテが実は徹底的

に自国民のみを相手にしてみたといふ事実︑即ち彼等はそれぞれ懸る特殊な国︑民族︑言語に確乎として属してみた

といふ事実に着目する︒ ﹁ダンテ︑シェイクスピア︑ゲーテは︑それぞれ頗るイタリア的︑イギリス的︑ドイツ的で       ︵33︶あるだけでない︑それぞれ自分の生れた留る特殊な地域を代表してもみるのである﹂︒ エリオットに言はせると︑彼       ︵34︶等の描いた世界は﹁ヨーロッパの馨る特殊な時代の特殊な観点から︑その時代の特殊な人垣によって見られた世界﹂

に他ならない︒現代日本︑現代アメリカの卓れた作家達についても同様の事が言へる︑とここで序に述べておかう︒

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(17)

注意すべきは︑特殊な地域に属し︑特殊な国民を相手にしてみる作家が﹁普遍性﹂を獲得するに至る︑或はさういふ

作家の作品において﹁普遍性﹂は発見されるといふ一事である︒我が国の文化が我々や外国の人々に最もよく見えて

みたのは︑我が国の文化の︿特殊﹀を再発見し︑これに根を下ろし︑表現を与へ得てみた谷崎潤一郎や川端康成や

永井荷風らが活躍してみた頃ではなかったか︒同様にアメリカといふ国の文化がアメリカ人や我々によく見えてみた

のは︑アメリカ文化のく特殊Vに見事に表現を与へてるたウィリアム・フォークナーの活躍してみた頃ではなかった

か︒ エリオットは言ふ︑﹁彼等︹ダンテ︑シェイクスピア︑ゲーテ︺のそれぞれには︑彼等の同胞しか反応を示し得な

いところが多分に具はつてみるとしても︑彼等が慮る特殊な地域性を帯びてみるといふ一事は︑彼等の訴への届く範

囲が狭くなるといふ事を意味しない︒それは勿論︑明白である︒彼等はその具体性ゆゑに地域性を帯びるのである︒      ︵35︶人間である事は︑地球上の煎る特殊な地域に属する事に他ならない﹂︒︐国とか民族とか地域とかいふ限界を脱した人

間は︑彼等には記号のやうに抽象的な人間と思はれたに相違ない︒彼等において︑次のパラドックスは必至であっ

た︒即ち彼等がヨーロッパを代表する程に普遍的であり得たのは︑彼等が特殊な民族︑国︑地域に属する人間だつた

からであるといふパラドックスである︒

異文化理解

      餅要するに︿特殊﹀なしでは話は始まらない︒文化をその普遍的な側面において代表する時の人間の生き方そのもの

(18)

が特殊性に立脚してみるとすれぽ︑異文化を理解する際に︑異文化の︿特殊﹀に狙ひを定めるといふのは︑頗るまっ

たうな方法であると言へよう︒異文化の︿特殊﹀を救ひ出さうとする営為を通じて︑ ︿普遍﹀が掴み取られる事にな

る一︒さういふ異文化理解のパラドックスを示してみる小説をこれから取り上げる事にしよう︒E.M.フォース

ターの﹃インドへの道﹄︵︾︑蕊器鷺な§ミ3H㊤謹︶である︒

 この作品のはじめの方で︑作品の舞台となるチャンドラポアなる町のインド人の間で︑イギリス人と友人になるの

は可能か︑といふ議論が行はれてるるのが先づ読者の注意を引く︒イギリス人と友人になるのは可能かといふ疑問

は︑イギリス人とインド人は互ひに相手の文化を理解し合へるか︑理解し合へるとしたらそれはどういふ形において

であるか︑といふ問に収敏する︒

 主要登場人物は︑医師でイスラム教徒のインド人アジズ︑アジズの友人たるイギリス人フィールディング︑イギリ

スからチャンドラポアへやって来たぽかりのムア夫人︑チャンドラポアで判事を務めてみるムア夫人の息子ロニー︑

ロニーとの婚約に淡い期待を抱いてムア夫人に同行してやって来たアデラ.クウェステッド︑ヒンズー教バラモンの

ゴドボールである︒

 ムア夫人はインド文化といふ異文化の︿特殊﹀にく普遍﹀を発見し得る人物として描かれてみるのだが︑それは彼

女が自国の文化の︿特殊﹀のいはぽ芯を神秘として認める術を知ってみるからだ︑と読者は推知する事が出来る︒そ

れはさておき︑後にアデラがアジズに向って﹁ムア夫人は︑あたし達がインド到着以来過した三週間で知ったのより

も沢山の事をあのモスクであなたと交はした二︑三分の会話でインドについて知ったのです﹂︵五五以下数字はテキス

トの頁︶三遷ρてるるのが暗示してみるやうに︑ムア夫人はモスクで偶然会った初対面のアジズとの間に生き生きし

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(19)

異文化理解

た関係を打ち樹てたのだった︒その折ムア夫人は︑キリスト教徒から見れば︿特殊﹀であるより他はないモスクにス

るに際して靴を脱ぐ事をしたのだが︑これがアジズをいたく感動させ︑二人の間には共感蹴れる親密な関係がたちど

ころに成立する︒ムア夫人は靴を脱ぐといふ象徴的な行為を通じて︑彼女から見れば異質な宗教︑そして宗教と同根       いぼの文化の︿特殊﹀にく普遍﹀を見出した事を表はしてみる︑それを彼女は﹁神はここに在し給ふ﹂︵=一︶といふ言葉

で表はしたのである︒この時︑アジズとムァ夫人は共通の認識の地盤に立ち得た訳で︑アジズはそれを﹁あなたは東

洋人です﹂︵︸五︶といふ言葉で表はすのである︒

 繰り返して言ふが︑ムア夫人は異質な文化・宗教を前にし︑共感の波に乗る事を通じて︑この異文化の︿特殊﹀に

おいて︿普遍﹀を発見するといふ稀有な事を為し遂げてみる︒彼女はインド文化にのめり込むとか︑これをひたすら

賛美するとか︑ひたすら美化するとかいふ安易な途を採ってみるのではない︒文化摩擦を経験する彼女の発揮するの

が寛容の精神である事に我々は注意すべきであって︑共感や諦念と境を接するこの精神が︑普遍主義者や官僚主義者

の頗る苦手とする異文化理解においてどれほど有効であるか︑に我々は思ひを致すべきなのだ︒フォースターの﹁寛

容﹂︵日﹂O一①﹃簿づOOり 一〇劇一︶と題するエッセーを覗いてみよう︒このエッセーでフォースターは︑文明の再建に必要なも

のは健全な精神の状態を措いては他にないが︑それは愛ではない︑寛容である︑と明言してみる︒愛は歴史上失敗ぽ

かり重ねてきてみる︒互ひに異なる民族と民族が愛し合ふといふのは愚かしい︑非現実的である︑危険である︒民族

と民族との関係︑国と国との関係において必要とされるのは︑愛といふ積極的な美徳ではなくて︑寛容といふ消極的

な美徳なのである︒嫌ひな民族を愛しようなどと努めるのではなくて︑寛容の精神を発揮してこれに接する︑その存

在を我慢する︒さういふ寛容を基礎にしてこそ文明は築かれる︒寛容といふばっとしないものが民族と民族との関

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(20)

係︑国家と国家の関係において必要だと言ふ時︑勿論フォスターは文化と文化の関係においてもそれは必要だと考へ

てるる︒ 一見﹁間に合せ﹂のやうに見える寛容が︑異文化理解においていかに有効であるかはムア夫人のインド文化への接

し方に示されてみる︒ただここで注意すべきは︑諦念と結び付いた寛容は愛と対比されるといふよりは寧ろ︑︿完全

な理解﹀と対比されるといふ事である︒

 ムア夫人はストーリィを宰領する根源的な力だが︑ストーリィのいはば表舞台に立ちはしない︒表舞台に立つのは

アデラであり︑インドでの彼女の言動は︑普遍主義の一種たる合理主義が異文化理解の面でいかに不適切であるかを

示すものとなる︒彼女は︑真のインドを見たいといふ願望を抱いてみる︑けれども合理主義者の彼女は︑真のインド

は自分に気づかれぬまますり抜けて行くのではないか︑といふ焦燥感︑自分はインドの色彩と運動は見続けるだらう

が︑その背後に横たはる力︑インドの霊︑インドの文化そのものは自分から逃れ去るのではないかといふ焦燥感を抱

いてみる︒

 ﹁本当のインドを見たい﹂︵同≦9口一↓OωO①一び① ︑鳴轟︑H昌α一9Ω・ 一六︶といふアデラの言葉をイギリス人専用のクラブ

で耳にしたフィールディング︵彼はチャンドラポアにある単科大学の学長を務めてみる知識人だが︶は︑ ﹁インド人

を見るやうに努めなさい﹂︵一八︶といふ意義深い忠告を行ふ︒これはフォースターの処女長編小説でフィリップがリ

リアに対して行ふ忠告﹁イタリア人を見るやうに努めなさい﹂をただちに思ひ起させる言葉だ︒それはさておき︑イ

ンド人を見るとはインド人の生き方を知るの意で︑フィールディングはこの場合︑本当の.インドを見たいと思った

らPイソ下人め生き三二即ちイ・ンギめ文化を知らねばならない︑と忠告してみる事になる︒

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(21)

異文化理解

 実際フィールディングの忠告にある通り︑真のインドを見たいと思ったら︑インド人の生き方を知らなければなら

ない︒ところがインド在住のイギリス人達︵アングロ・インディアン達︶は︑アデラと一時的に婚約の関係を結ぶロ

ニーをも含めて︑インド人の生き方に凡そ無関心であるから︑インド人に接するには﹁威厳﹂︵息αq註蔓︶を以てする

 しに如くはないと信じてみる︒威厳は異文化と己れとの間に確実に障壁を築く役目をするから︑威厳あるイギリス人達

が︑インド人を類型化するのは不可避となる︒そして一旦類型化が行はれると︵例へぽ﹁皮膚の黒い人種は皮膚の白

い人種に肉体的に惹き付けられるが︑その逆は起らない﹂︵一八九︶とチャンドラポアの警察署長が述べる場合のやう

に︶︑文化の︿特殊﹀は見失はれ︑異文化理解に際してくぐりぬけるべき文化摩擦も生じやうがなくなり︑異文化の

︿特殊﹀の芯にぶつかって呼び求められざるを得なくなる寛容といふ名の精神或は感情を働かせる余地もなくなる︒

唯一生じるのは感情を節約しようとする冷え冷えとした態度だといふ事になる︒ところでフォースターの見るところ

では︑寛容から︑ぎりぎりのところで生ずる共感の波に乗る事は︑異文化理解の必要不可欠の条件なのだが︑チャン

ドラポアの官僚主義的イギリス人は︑この波に乗り得ない︒彼等は寧ろ感情の節約を美徳と看了してみる︒彼等は即

席に指印親善パーティ︵ブリッヂ・パーティ︶を開きもするが︑それがいかに無益︑無意味であるかは︑アデラの次

のやうな印象に総括されてるる︒﹁インドの婦人達の物腰は丁重だけれども︑それはこだまを返す壁となるばかりで︑

どんなに近づかうとしても無益なのだ﹂︵三三︶︒

 ムア夫人の息子ロニーは︑いかにも官僚らしく︑イギリス人がインドに在住してみるのは︑公正を行ひ︑平和を保

つためだと言ふが︑ムァ夫人は﹁イギリス人は楽しく過すためにインドへやって来たのです﹂︵四〇︶と答へる︒ ﹁楽

しく過す﹂はインド文化を理解しようと努めると解され得る言葉で︑表向き彼女は息子ロニーとアデラとの間に婚約

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(22)

が成立するかどうかを見届けるためにインドへやって来たのだったが︑イ.ドに足を踏み入れるや否や︑彼女は文化姐

       ゴッド      ユの中心問題たる神の問題にぶつかってしまふ︒恐らく彼女は︑キリスト教の帯びがちな普遍主義は異文化︵この場合

はインド文化︶を理解する上で不適切ではないか︑と言ふ疑念を抱いてみるのだ︒この疑念は次のやうに象徴的に表

現されてみる︒

 アロチ 弧の外にはつねにもうひとつの弧があるやうに思はれ︑

れた︵四一︶︒ 最も遠い所で起る反響の彼方には沈黙があるやうに思は

 ムア夫人のインド文化の理解は︑普遍主義に対する疑念が端緒になってみると言へるのであって︑この疑念のある

ところに優劣の意識は生じやうがない︒普遍主義のとりこになった時にこそ︑アジズが考へてるるやうに︑人は﹁あ

の人達とうまくやってゆけるだらうか﹂と考へるのではなくて︑ ﹁あの人達は私よりも強いだらうか﹂或は﹁私より

も弱いだらうか﹂と考へるのが抜き難い習癖となるからである︒普遍主義に対する疑念から︑ ︿特殊﹀における︿普

遍﹀の発見までの距離は︑ほんの一歩に過ぎない︒ムア夫人はまさに︿特殊﹀において︿普遍﹀を発見するに至るの

だが︑それはムア夫人に一度しか会った事のないヒンズー教のバラモン︑ナラヤン・ゴドボールの裏書きするところ

となってみる︒スリー・クリシュナ神誕生の祭︑即ち混沌と無秩序にみたされ︑西洋文化とまるで異質の祭を司った

後︑ゴドボールはいよいよ鮮明にムア夫人の事を憶ひ出し︑かう眩くのだ︒ ﹁自分はパラ舌ンで彼女はキリスト教徒

だ︒けれどもその相違は全く問題にならない﹂︵二五三︶︒彼はムア夫人が︿特殊﹀において︿普遍﹀を発見してみる

(23)

事を語ってみるのみならず︑

人がインドで過した逼る晩︑

となりでもしたかのやうに︑ 彼とムア夫人との間に大いに共鳴し合ふ関係の成立してみた事をも語ってみる︒ムア夫寝室で偶然みつけた一匹のスズメバチが︑テレパシーによってゴドボールの知るところ

二人の間の共鳴し︑理解し合ふ関係はかう語られてみる︒

r

 ﹁或る一人の老いたるイギリス女性と一匹の小さな小さなスズメバチ﹂と彼は︑寺院からどしゃ降りの朝の︑灰

色の大気の中へ足を踏み入れた時に考へた︒ ﹁それは大した事ではないやうに見えるけれども︑私が私である以上

のものである﹂︵二五四︶︒

異文化理解

 文化の領域に優劣の観念を持ち込まずにはおかない普遍主義にとって説明不可能なものはない︒文化の︿特殊﹀の

芯︑翻訳不可能な部分は︑普遍主義にとっては事実上存在しない︒要するに普遍主義にとづては神秘は存在しないの

である︒ところがムア夫人の目にインド文化の︿特殊﹀︑その芯の部分は神秘と映ってみる︒ ﹁神秘は好きです﹂︵五

六︶と言ふ彼女にとって︑インド文化の神秘は︑たとへこれに無限に近づかうと努める事は出来ても完全には理解さ

れ得ない何物かであり︑さう悟る事と︑インド文化の︿特殊﹀において︿普遍﹀を発見する事とは両立するのであ

る︒アデラは︑ムァ夫人の神秘愛好のさういふ意味合ひを知らないから︑ ﹁あたしは神秘は大嫌ひ﹂︵五六︶などと発

言するのである︒

143

(24)

144

      ゴッド フィールディングは神を信じてはみないが︑西洋的合理主義は信じてみる︒インド文化といふ異質な文化を理解し

ようとするに際して︑西洋的合理主義で十分間に合ふと考へてるる節がある︒それは彼が翻訳不可能なものの象徴た

  ニ コドる﹁反響﹂にインドで一度も出くはさないといふ事によって暗示されてみるやうに思はれる︒彼にとって翻訳不可能

なものは存在しないのだ︒彼は﹁地中海といふ古典的な海﹂︵四九︶から身を切り離す事が出来ないのである︒      ひときわ ﹃インドへの道﹄のストーリィは︑チャンドラポアのイギリス人専用クラブのヴェランダから夕刻時に一際くっき

りと眺められるマラバール丘陵のマラバール洞窟へ︑アジズの﹁招待﹂に応じるといふ形で出掛けたムア夫人とアデ

ラが洞窟内で経験するところのものを核としてみるが︑この経験に続いて起る諸事件一裁判︑騒動︑誤解一など

が一応終息した後︑一時イギリスにスエズ運河経由で帰国するフィールディングの文明観︵或は文化観︶が事件の解

説のやうに差し出されてみる︒彼は途中エジプトとヴェニスに立ち寄る次第となるが︑鴻恩で彼はヨーロッパ文明こ

そ美と文明の規準であるといふ感慨を催させられる︒ ﹁ヴェニスの建物︑クレタ島の山︑エジプトの平野はみな所を

得てみる︒一方哀れなインドには︑所を得てみるものは一つもない︒自分は偶像崇拝の寺院やこぶ状の丘陵に慣れっ

こになって︑形式の美を忘れてみた︒実際形式なしで︑どうして美が存し得ようか﹂︵二四五︶︒﹁形式の美﹂の欠如︑

これがインド文化を異様且つ異質なものにしてるると思はない訳にはいかない︒フィールディングの感慨は次のやう

に展開︑させられる︒

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 地中海は人間の規準である︒ボスポラス海峡を通ってであれ︑ヘラクレスの柱の間を通ってであれ︑ともかくこ

の美しい海からひとたび離れると︑人は醜怪なものや尋常でないものに近づく事になる︒地中海の南の出口は最も

異質な経験に通じてみる︵二四六︶︒

r

異文化理解

 竹山道雄は一神教に関して︑ ﹁一神教は人間の想像力の産物であるが︑自分のみが絶対を保持してみるのだから︑       ︵26︶それによって世界を統一する権利と義務をもつてみて︑戦闘的である﹂︒﹁一神教徒は自分が原則の所有者であるから      ︵37︶      ゴッドおのれに対立する外界をも原則によって支配しようとする﹂と述べた事がある︒神を信じないフィールディングに

は︑異文化に対して戦闘的なところも支配的なところもありはしない︒しかし彼はヨーロッパ文明︵キリスト教文

明︶を一個の︿特殊﹀として見る事が出来ない︒彼にとっては︑ヨーロッパ文明︵或は文化︶は︑すみずみまで理解

され得るもの︑翻訳不可能な部分を蔵しないもの︑要するに神秘を蔵しないものなのである︒神秘を蔵しないからこ

そすべての文明の規準になり得るとする考へ方が彼にはある︒それが彼の異文化理解を︵そして彼の自国の文化の理

解をも︶不適切にしてみる当のものである事に彼は気づいてみない︒ここでフォースターが或るエッセーで語った次

のやうな言葉が自ら思ひ起される︒ ﹁人は東洋の神秘と言ふ︒しかし西洋も神秘なのである︒ちよつと見ただけでは       ︵認︶露にならない深味を西洋は蔵してみるのである﹂︒﹁西洋も神秘なのである﹂といふ句の意味するところは︑本当に生

きた文化は︑洋の東西を問はず︑最終的には他民族︑他国民の理解を拒む︿特殊﹀を芯として蔵してみるといふ事で

ある︒これは文化を理解しようとする場合に︑失止してはならない頗る重要な事実であって︑神秘に他ならぬ︿特      旧記﹀があるからこそ異文化への関心は喚び起され︑やがてその理解への努力も行はれるやうになるといふパラドック

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スは如何ともしがたい︒      鵬 ヨーロッパの文化も一個の︿特殊﹀であるといふ事を︑T・S・エリオットは詩によって説明しようとした事があ

る︒詩は民族の文化の︿特殊﹀を最もよく表してみる︑たとへ国民の大部分が詩の愛読者ではなく︑詩人の名さへろ

くに知らないとしても︑この事実に変りはない︑とエリオットは考へ︑かう発言するのだ︒ ﹁詩が他のいかなる芸術

とも異なるところは︑民族と言語とを同じくする人々にとって︑それが他のいかなる民族にも存し得ないやうな価値      ︵39︶を有してみる︑といふ点に存する﹂︒ エリオットによれば詩が存在するといふ事自体︑文化の︿特殊﹀が存するとい

ふ事の証になるのである︒ ﹁詩のめざすところは︑感情や情緒の表現である︒そして感情や情緒が特殊であるのに反

して︑思想は一般的である︒外国語で考へるのはさほど難かしくはないが︑外国語で感じるのは頗る難かしい︒だか      ︵40︶ら詩ほどに頑固に民族的な芸術は他にない﹂︒エリオットが言はうとしてるるのは︑顧れた詩は︑外国語に翻訳出来

ない︿特殊﹀を秘めてみるといふ事に他ならない︒ ﹁或る思想が外国語で表はされたとしても︑それは事実上同じ思       ︵41︶想であり得る︒けれども外国語で表はされた感情や情緒は︑同じ感情や情緒ではあり得ない﹂︒

 ムア夫人とフィールディングは共に︑アジズの友人であるが︑両人の違ひは︑ムア夫人が﹁大いなる知恵と特殊に

    ︵42︶係はる知識﹂を具へてるるのに対して︑フィールディングには最終的に依拠すべきものとして合理主義しかない︑と

いふところにある︒フィールディングとアジズの間には或る時期から︑即ち裁判に勝利してから︑亘る硬さ︑或るよ

そよそしさが生じるやうになるのは不可避なのだ︒一方﹁特殊に係る知識﹂を保持し得てみるムア夫人はアジズの真

の友人であり続けるコ幽幽ムア夫人はアジズ〜に﹁私ほあなたの心入です﹂﹁︵=一八﹀と明言し︑インギからイギリスに住む

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息子ラルフ宛に出した手紙の中でもアジズが好きだと書いてみる..ムア夫人の死後︑インドでアジズとはしめて相会

する機会を得たラルフが書簡の中のこの言葉を紹介すると︑アジズはかう語る︒ ﹁さうなんです︒お母さんはこの世

で私の最も親しい友人でした﹂︵二七二︶cラルフにかう言ふ時のアジズの内心の咳きは注意に値すると言はなければ

ならない︒ ﹁ムア夫人のこの永遠のやさしさは︑とどのつまり何を意味するのか︒思想を基準にして言へば︑それは

何も意味してはみない︒俺のために法廷で証人になってくれた訳でもない︒留置場に俺を訪ねてくれた訳でもない︒

それでもあの方は俺の心の奥底にそっと忍び入ったのだ︒だから俺はあの方がいつも好きなのだ﹂︵二七二︶︒文化の

︿特殊﹀において︿普遍﹀を発見しようとし︑寛容の精神を発揮し︑諦念の境地に達しさへするムア夫人は︑ ﹁本当

のインドを見たい﹂とする積極的な願望に駆られる合理主義者や普遍主義者とは異なって︑インド人の心の奥底に忍

び入る事に成功したのである︒

ノ、

異文化理解

 そろそろ﹃インドへの道﹄の最重要事件を取り上げる事にしよう︒ピーター・パラはマラバ!ル洞窟は華調低音で

あると言ったが︑アジズに案内されてマラバール洞窟に入った時︑ムア夫人がインド文化の永遠に不可知の部分︑イ

ンド文化に固有の︑全く取りつく島もないやうな不可知の部分に触れた思ひをするところはたしかに︑小説全体を貫

く基調低音のやうな重要性を帯びてみる︒ ﹁ムア夫人に関する限り︑マラパール洞窟は始末の悪いものだった︒とい

ふのもすんでの事に︑気絶するところだったからであり︑洞窟の外へ出た時︑それを口に出さずにみるのは︑かな

147

(28)

り難しい事だつた﹂︵一二六︶︒洞窟内では単に不快な経験︵﹁何かいやなものが顔に当り︑口にべたつとくっついた﹂

︵==ハ︶︶をしただけではない︒﹁恐ろしい反響﹂︵9け①ヨ三①ooげ〇一二六︶に見舞はれもしたのである︒全く掴みど

ころのない反響︑﹁ブーム﹂﹁ブ!ウム﹂或は﹁ウーブーム﹂としか表はしやうのない反響︒人間がどのやうな思ひを

抱かうと︑どのやうな態度を取らうと︑動作をしょうと︑それに絶対的無関心を示すかのやうに︑繰り返し起る同一

の反響︒

 たまたま疲れてみたので︑

る︒が︑みな同一物である︑       ベロソスその反響は︑彼女の耳にかう囁きおほせた︒ ﹁悲哀︑敬崖︑勇気一それらは存在す汚物にしても測り︒万物は存在する︒が︑何一つとして価値を有しない﹂︵=﹁八︶︒

148

 インド文化の︿特殊﹀の翻訳不可能な部分は︑このやうに表現されてみる︒まるで掴みどころがないのである︒

︿特殊﹀の芯の翻訳不可能性は︑更に次のやうに表現されもするのだ︒ ﹁悪魔は北方系のものであり︑それについて

は詩も書かれ得る︒が︑何ぴともマラバールをロマンティクなものに仕立てる事は出来ない︒なぜならマラバールは

無限と永遠︑この両者から広大さを奪ふからである︒広大さこそ無限と永遠とを人間に馴染ませる唯一の性質なのだ

が﹂︵=﹁九︶︒

 ところでムア夫人はインド文化の︿特殊﹀の芯に限り無く近づきはするが︑その最終的な理解は彼女も頑として拒

まれてみる︒しかしそれでも寛容の精神を発揮し得る彼女はインド文化を理解しこれに共感し得ると信じてみるので

あり︑それを彼女は︑洞窟内での並はつ乳た経験の後︑﹂.あちためてアジズに向って発する言葉︑ ﹁私はあなたの友人

(29)

異文化理解

です﹂によって示さうとするのである︒

 一方アデラは︑疲れ切ったムア夫人を樹蔭に残し︑アジズの後について︑ガイドと共に二番目の洞窟に入るのだ

が︑アジズの傍へ辿り着かぬうちに矢庭に洞窟から飛び出し︑急な斜面をサボテンの刺を満身に帯びつつ駆け下り︑

たまたま来合せた︑イギリス女の運転する自動車でチャンドラポアに舞ひ戻る一これが事件の発端である︒アジズ

はアデラの奇怪な振舞ひをさして気にもとめず︑大役を果した満足感の如きものすら抱きながら︑ムア夫人及びフィ

ールディング︑即ち結果的に忌はしいアクシデントで独り遅れてマラパールに駆け付けたフィールディングと共に汽

車でチャンドラポアに帰って来る︒すると︑いきなり駅で警官に逮捕され︑留置場にぶち込まれる︒洞窟内でアジズ

に凌辱されたといふアデラの申し立てに基づいてである︒アデラが洞窟から飛び出す際に落して行った革紐の切れた

双眼鏡がアジズのポケットに収まってみたといふ事実は.アジズに決定的に不利に作用する︒アデラは調書で︑アジ

ズが自分の後について洞窟に入り︑自分に言ひ寄った時︑彼を殴った︑すると彼は自分の双眼鏡を引つ掴んだ︑が︑

運よく紐が切れたので自分はどうにか逃れ得た︑と申し立ててみたのである︒

 フィールディングはアデラの言動を狂気の産物と捉へるのだが︑一体この場合狂気とは何であるか︒アデラは異文

化︵インド文化︶のく特殊﹀の芯に直面してもその意義をまるで理解出来ず︑これに一種の諦念で応接する術も知ら

ない︒寧ろ彼女の内面にはこれを全面否定したいとする気持が生じ︑そこから攻撃性が誘発され︑とどのつまりそれ

はアジズに凌辱されたとする幻想に凝結するに至る︒これが狂気の実体である︒

 合理主義的精神の持主がすべてアデラのやうな反応を示すとは限らない︒その証拠にフィールディングはインド文

化の︿特殊﹀の意義が理解出来ずとも︑これを賎しめ︑これを攻撃するやうな真似は決してしない︒それを彼はアジ

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ズは無罪であると信ずるといふ態度で示す︒即ち﹁証拠の論理は の無罪を断乎信じ続けるといふ態度で示すのである︒ ﹃有罪﹄と言ってみたL︵一四四︶にも拘らずアジズ       50       1

 アジズは無罪である︒すべての行動はこの信念に基づかねばならない︒彼を有罪だとする人間は間違ってみる︒

さういふ手合を宥めようとするのは無益だ︒けれどもインド人と共同歩調を取らうとしてるたまさにこの時︑イン

ド人と自分とを隔てる溝の深さを意識させられたのである︵一四九︶︒

 フィールディングの態度はなるほど立派である︒しかし同時にそこにどうしゃうもなく顔を覗かせてみるのは︑西

洋的合理主義の限界なのである︒問題はその限界を意識し得るかどうかだが︑フィ:ルディングは漠然とながらそれ

を意識してみると言へる︒それゆゑ彼はインド人と共同歩調を取り得るのであり︑彼の態度がインド文化の理解に必

ずしも不向きではない事が示される︒

 アデラにしても︑西洋的合理主義の限界をうすうす感じるに至りはするが︑それは裁判を経験する事を通じてなの

であり︑その証拠に劇的な閉廷の後︑彼女はフィールディングに﹁あたしは正直であるやうにと育てられたんです︒

困った事にそれはあたしをどこへも連れてゆかないのです﹂︵二〇八︶と述べて︑合理主義批判を行ったり︑ ﹁あたし

の大変尊敬してみる方々は︑幽霊の存在を信じてゐます︒あたしの大好きなムア夫人も信じてますわ﹂︵二〇九︶など

と述べて︑幽霊の存在を認めない自らの主義の不適切さを暗に認あてみる︒西洋的合理主義は︑正直である事と幽霊

の存在を僑じない事︑即ち神秘を信じない事とを同一視するのだが︑いま彼女はさういふ合理主義の限界に気づき始

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