シュテファン・グローテ 「第3の道」を求めて : アルトゥール・カウフマンの法哲学 1
著者 上田 健二, グローテ シュテファン
雑誌名 同志社法學
巻 59
号 1
ページ 1‑93
発行年 2007‑05‑31
権利 同志社法學會
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011151
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学① 1
(570)
シュテファン・グローテ
「第 3 の道」を求めて:
アルトゥール・カウフマンの法哲学①
上 田 健 二 訳
訳者まえがき
こ の 訳 文 は、Stefan Grote, Auf der Suche nach einem „dritten Wege“: Die
Rechtsphisosophie Arthur Kaufmanns, Studien zur Rechtsphilosophie und Rechtstheorie, heraugegeben von Prof. Dr. Robert Alexy und Prof. Dr. Ralf Dreier, Band 45、1. Auflage
2006を原著者および本書の出版社Nomos VerlagsgesellschsftBaden-Baden の2007年 3 月14日付の包括的な承諾書を得て全訳したものである。
著者の「まえがき」には、「本研究は、ゲッチンゲンのゲオルク・アウグスト大 学法学部の2005/2006年の冬ゼメスターに博士論文として受理された論文にさら に手を加えたものであり」、指導教授はハンス・シュライバー教授であり、上記 研究シリーズの編集者であるロベルト・アレクシー教授とラルフ・ドライアー教 授によって当該シリーズに採用されたとある。
訳者は本書の原著者であるシュテファン・グローテ氏とはこれまでには直接的 な面識はなかったのであるが、彼のほうでカウフマンの「人格的」法哲学に関連 した訳者のいくつかの刑法学上のドイツ語による論文を読んで訳者の存在をすで に知っており、本書の出版を契機に早速故アルトゥール・カウフマンの未亡人で あるドローテイア夫人に訳者の住所を問い合わせて本書を送呈することにしたと その最初の通信文に書かれていた。
ところで訳者は、すでに2006年 ₁ 月に公刊されているアルトゥール・カウフマ ンの半世紀以上にもわたる学問的人生行路のいわば終着駅であり、その生涯にわ たる学問的営為の総決算とも言える最後の大著『法哲学(第 ₂ 版)』(1997年)の 日本語版(ミネルヴァ書房)の「訳者解説」のなかで、この著書の翻訳中にすで に原著者が故人となっていたことから、「アルトゥール・カウフマンの生涯と作 品」という副題を付して「訳者あとがき」としては異例長い「解説」(429⊖559頁)
同志社法学 59巻 ₁ 号 2
をこの訳書に付け加えた。とはいえ、これはいわゆる「帯に短し襷に長し」の喩 えの通りで、当然のことながら主として20世紀の後半から今世紀の初頭にかけて 法哲学と刑法学の領域で ― そしてこれに劣らず神学、哲学、倫理学の領域で も! ― 活躍した、ドイツが輩出した世界的な碩学の生涯を描く伝記としてはき わめて不十分なものでしかない。ある偉大な人物の伝記が書かれるのは、通例と してその人物の歴史的評価が定まった段階である。アルトゥール・カウフマンも その師グスタフ・ラートブルフの伝記を書いているのであるが、それは次のよう な言葉で締め括られている。「昔も今も偉大な人物については、そして誰が実際 に偉大であるかについては、歴史がはじめて決定する。そしてラートブルフは、
その死後40年になってもいまだ歴史ではない。われわれの見方から確実に言い得 るのは、ラートブルフは偉大な人物であったということである。その理解力とそ の理性によって重要である人物は存在する。その感情と魂のゆえに重要な人物も 存在する。そしてこの両方の力によって卓越した人物も、もちろん少数ながら存 在する。ラートブルフはこの最後の人物であった」(Arthur Kaufmann,
Gustav Radbruch. Rechtsdenker, Philosoph, Sozialdemokrat. 1987, S. 198. 中義勝・山中敬
一訳『グスタフ・ラートブルフ』(成文堂、1992年)248頁以下)。そこで訳者も これに習って上記「解説」なかで次のように記しておいた。「アルトゥール・カ ウフマンという人物についても、その歴史的評価が定まった段階で適任の人を得 てその本格的な伝記が書かれるであろう。この『訳者解説』はそこへと繋ぐいわ ば橋渡しとしてこの人物についてこれまで知られていることを手がかりにその『生涯と作品』の最小限が書き求められるにすぎない」と。この予期された伝記 が思いがけない速さで ― 故人の死後たった ₅ 年にして! ― 送られてきた。そ れがこの訳文の原本である。一読してその内容の充実さ、とくにカウフマンの著 作物の緻密な分析とその総合的評価の学問的レベルの高さに大きな感動を覚え た。実際のところ本書は先に触れたカウフマンによるラートブルフの伝記にも、
さ ら に は ラ ー ト ブ ル フ に よ る
P. J. A. v.
フ ォ イ エ ル バ ッ ハ の 伝 記(Gustav Radburch, Paul Johann Anselm Feuerbach; Ein Juristenleben, 1936, auch in:
GRGW Bd. 6, 1997) 菊池榮一・宮澤浩一訳『1法律家の生涯 ― P. J. アンゼルム・
フォイエルバッハ伝』ラートブルフ著作集第 ₇ 巻東京大学出版会、1963年)とも 比肩し得るほどの名著であると直観し、直ちに翻訳作業を開始した。翻訳を進め るうちにその明晰な文章力をもって膨大な関連文献を駆使してそれらを総合的な 統合へともたらすというこの若いドイツの法律家の卓越した能力、それもこのよ うな骨の折れる仕事をたった ₅ 年間で仕上げるという卓抜した集中力に驚きの念 が募るばかりであった。そこで、アルトゥール・カウフマンの死後に彼の残した
(569)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学① 3 学問上の著作物への再評価を求める関心がわが国でもますます高まってる現在に おいて、この本のテクストだけでもとりあえず早急に正確な日本語に翻訳してそ れを本誌に、それもその分量にかんがみて 3 回に分けて掲載することにしたわけ である。
とはいえ、周知のようにアルトゥール・カウフマンが生存中に書き残した著作 刊行物は膨大な数量に及び、純学問上の著作物以外に物故者への追悼文、レクイ エム、諸々の挨拶文、新聞記事などいわゆる雑多物を加えれば、ほとんど無数と いってよいほどである(一説には全部で700を超えるとも言われている)。純学問 上の、とくに法哲学と刑法学の領域に限定しただけでも訳者に知られているもの をまとめた著作文献目録によれば、単行刊行物が44本、編集ないしは共同編集に よる著作物が42本、論集への寄稿論文が113本、雑誌論文が103本、死後刊行論文 が4本にも達している(上記『法哲学 第2版』巻末に掲載されている著作刊行物 目録を見よ)。この訳文の原典である本書のなかで純法哲学上の著作物に限定し て著者の評価の対象となったアルトゥール・カウフマンの作品は299点にも及ん でおり、著者が参考にした関連文献は何と572点にも達している(本書巻末の文 献目録をみよ)。これらすべての文献を渉猟したうえでそれらを過不足なく適切 な箇所で言及したうえでカウフマン法哲学の全貌をわがものにしているのは見事 というほかないと同時にかの国のこの分野における学問的水準の高さには圧倒さ れるばかりである。
では、この偉大な人物が遺したこの膨大な精神的な遺産をこの現在において省 みてその法思想の真髄をわがものとする必要はどこにあるのか。その最も適切な 答えを、アルトゥール・カウフマン自身の言葉に見出すことができる。彼は、彼 が総編集をしたグスタフ・ラートブルフ全集第1巻の冒頭に掲載されているその 導入論文『グスタフ・ラートブルフの生涯と作品』を次のような言葉をもって締 め括っている。「ラートブルフの著作物はいまだ過去のものではなく、むしろ未 来を指し示している。……法学と法哲学の発展が可能な限りラートブルフを超え ることがあっても、たとえ一歩であっても再び彼の背後に後退しないこと」、こ れがラートブルフ全集の刊行の主要な理由である、と。これを基盤にして20世紀 後半において学問的活動を確実に前進させた人、この人こそアルトゥール・カウ フマンその人にほかならないのである。そこでこの21世紀に生きて法学を、法哲 学を、さらには刑法解釈論を営まんとする者であれば誰もがこの人物の精神的遺 産の背後に立ち止まることは許されない、ということである。この訳文の原典で あるシュテファン・グローテの力作『第 3 の道を求めて:アルトゥール・カウフ マンの法哲学』は、この意味において、そしてアルトゥール・カウフマンを乗り
(568)
同志社法学 59巻 ₁ 号 4
越えてさらに法思想を前進させるためにというその重要な意義をいつまでも持ち 続けることであろう。
以上のような理由から取り急ぎこの画期的な著作の本文の訳文のみを本誌に掲 載することにしたのであるが、カウフマンの著作物については、周知のようにす でに数多くの日本語訳が存在している。訳者がかかわった訳書だけでもこれまで にすでに ₈ 冊に及んでいる(前掲『法哲学 第 ₂ 版』の末尾の訳者紹介覧を見 よ)。この訳文の原典が完結した日本語版として刊行されるには、これらが原書 の引用文の適切な箇所に挿入されることはもとより、原書のなかで言及されてい ている関連文献の日本語訳も必要に応じて付け加えたうえで、とくに日本の読者 にとって有益な示唆が得られるような、本書の実質的な内容に踏み込んだ『訳者 解説』も書き改められなければならない。本訳文は、そこへ至るためのあくまで
「試訳」であり、「仮訳」にすぎない。この間に読者から貴重な諸々の指摘が得ら れるならば、それは訳者にとっては望外の幸せである。
なお、本文中の引用文献のほとんどが原典の正式題名を簡略化して表示されて いる。それらの正式題名と出典は本書巻末の文献目録に一括して挙げられてい る。アルトゥール・カウフマンの著作物の正式題名とその出典については、前記 の上田健二訳『法哲学 第 ₂ 版』巻末に搭載されている訳者が作成した著作文献 目録をも参照されたい。
(567)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学① 5 目 次
略語目録 〔本誌本号〕 9
第 1 部 始めるに当たっての諸々の所見 10
A.本稿の目標設定:アルトゥール・カウフマン法哲学への一接近の試み 10
Ⅰ.アルトゥール・カウフマンの法哲学 10
Ⅱ.アルトゥール・カウフマンの法哲学上の作品 13
Ⅲ.ひとつの時期を失した課題 19
B.伝記上の背景 20
Ⅰ.序言 20
Ⅱ.アルトゥール・カウフマンの生涯の道 21
Ⅲ.理解背景としての伝記的背景 30
₁ .アルトゥール・カウフマンの解釈 30
₂ .ヴィンフリート・ハッセマーとウルフリット・ノイマンの解釈 31
C.アルトゥール・カウフマンの現実性理解 32
Ⅰ.現実性の過程的性格 32
Ⅱ.合理主義 34
D.中間的所見 37
E.解釈学上の予備的諸考察 38
Ⅰ.理解への道 38
Ⅱ.アルトゥール・カウフマンの思考様式 38
Ⅲ.アルトゥール・カウフマンの哲学理解 39
Ⅳ.道としての法哲学 41
Ⅴ.解釈学上の諸帰結 42
Ⅵ.「前理解」 42
Ⅶ.赤い糸としての「第 3 の道」を求める探究 45
F.「第 3 の道」 48
Ⅰ.標語しての「第 3 の道」 48
₁ .ひとつの流布している標語 48
₂ .ひとつの魅惑的な隠喩 49
3 .法哲学上の議論における「第 3 の道」 50
Ⅱ.自然法対実証主義 51
₁ .「法とは何か」という執拗な問い 51
₂ .自然法⊖実証主義⊖問題の暫定的な説明 52
3 .さらなる処理方法にとっての諸帰結 54
₄ .論争の現実性 55
Ⅲ.「第 3 の道」というものを求める探究 57
₁ .現在の法哲学 57
₂ .「第 3 の道」というものの重要な探究 61
3 .歴史上の諸々の所見 63
G.探究のさらなる進行 65
(566)
同志社法学 59巻 ₁ 号 6
第 2 部 アルトゥール・カウフマンの思考の道 65
A.序言 65
Ⅰ.思考の道の分割 65
Ⅱ.カントの認識批判 67
₁ .存在論と認識論 67
₂ .カントとヘーゲルとの間 67
3 .カントの認識論のアルトゥール・カウフマンの解釈 69 B.思考の道の第 1 節:存在論のフォーラムを前にした自然法論と法実証主義 75
Ⅰ.歴史的状況 75
₁ .法哲学の歴史性についての序言 75
₂ .アルトゥール・カウフマンと自然法のルネサンス 76
3 .自然法のルネサンスから法実証主義へ 76
₄ .歴史的自然法 81
₅ .トマス流の自然法論のアルトゥール・カウフマンの解釈 83
Ⅱ.法の歴史性 86
₁ .歴史性のカテゴリーについての序言 86
₂ .諸々の熟慮の出発点 87
3 .相対主義と歴史主義 88
₄ .法の客観性と収斂の原理 88
₅ .絶対主義の自然法概念 90
₆ .相対主義と絶対主義との間の道 90
₇ .歴史性と法存在論 [以上本号] 91
Ⅲ.法の存在論的構造
₁ .実在存在論上の出発点
₂ .普遍論争 3 .法の実在性
Ⅳ.法実証主義の一面性
₁ .実践的および理論的実証主義
₂ .法実証主義の存在論的根拠づけ 3 .法実証主義の認識論的根拠づけ
₄ .反⊖形而上学としての実証主義
Ⅴ.伝統的な自然法論の一面性
Ⅵ.法の内的な緊張
Ⅶ.中間的帰結
Ⅷ.法の存在論的歴史性
₁ .人間の歴史性
₂ .人格の歴史性 3 .実存哲学の現存在解釈
₄ .時宜に適った法
Ⅹ.総括と帰結
₁ .総括的な評価
₂ .「第 3 の道」というものは?
(565)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学① 7 C.思考の道の第 2 節:自然法と法実証主義を突破して法学的かいしゃくがくへ
Ⅰ.序言
Ⅱ.解釈学的構想の成り立ち
₁ .歴史上の背景
₂ .法存在論から法学的解釈学へ
Ⅲ.法律と法
Ⅳ.類比⊖書の主要思想
₁ .存在と認識との類比性
₂ .法の実現手続き 3 .「事物の本性」
₄ .カール・エンギッシュにおける類似の思想
Ⅴ.アルトゥール・カウフマンの哲学的解釈学の習得
₁ .法学的および哲学的解釈学
₂ .主観⊖客観⊖分裂
3 .法発見過程の解釈学的な質 ₄ .解釈学の存在論的転換 Ⅵ.附論:解釈学と自由法運動
Ⅶ.論文『自然法と法実証主義を突破して法学的解釈学へ』(1973/75年)
₁ .予備的所見
₂ .方法 ₂ 元論からの方向転換
3 .自然法と法実証主義の方法論上の類縁性 ₄ .解釈学的法理解
₅ .法適用者の積極的な役割
₆ .解釈学の光のもとに照らし出された正しい法 ₇ .法律の意義
Ⅷ.批判的評価 ₁ .予備的所見 ₂ .存在と当為との分離
3 .演繹機械論と当てはめイデオロギー ₄ .ハンス・ケルゼンの当てはめの理想 ₅ .中間帰結
Ⅸ.解釈学的構想の引き続く展開と自然法⊖実証主義⊖問題 ₁ .予備的所見
₂ .主観⊖客観⊖図式からの方向転換
3 .アルトゥール・カウフマンの後期作品における法学的解釈学 Ⅹ.「第 3 の道」というものは?
₁ .「第 3 の道」としての法学的解釈学
₂ .他の手段をもってする自然法思想のひとつの継続か 3 .具体的な自然法か
₄ .超越論哲学としての解釈学 D.思考の道の第 3 節:人格的法哲学 Ⅰ.序言
(564)
同志社法学 59巻 ₁ 号 8
Ⅱ.論文『法学的解釈学の存在論的根拠づけのための思想』(1982年)
₁ .もうひとつの新たな問題設定
₂ .法の発見過程の不可任意処分的なものとしての「事物法」
Ⅲ.諸関係の存在論
₁ .法の類比性から関係性へ ₂ .人格と人間的諸権利 3 .人格の不可任意処分性 ₄ .関係的存在論の諸起源 ₅ .中間的所見
₆ .関係的存在論のフォーラムを前にした自然法論と法実証主義 Ⅳ.人格的に裏づけられた正義の手続き理論
₁ .予備的所見
₂ .真理性ないしは正義の手続き理論 3 .討議理論
₄ .アルトゥール・カウフマンの手続き的正義理論
₅ .自然法と実証主義のかなた E.総括
第 3 部 アルトゥール・カウフマンの「第 3 の道」
A.序言
B.アルトゥール・カウフマンの人格的法哲学:「第 3 の道」か、それとも自然法理論か
Ⅰ.附論:自然法対実証主義 ― 第 3 のものは与えられていない(terutium non datur)
のか
Ⅱ.自然法と不可任意処分性
₁ .法による不可任意処分性の理念
₂ .アルトゥール・カウフマンと不可任意処分性を問う問い
Ⅲ.人格的法哲学の自然法的内実
₁ .主観的、歴史的および消極的自然法
₂ .「弱い自然法論」としての人格的法哲学 C.グスタフ・ラートブルフと「第 3 の道」
Ⅰ.序言
Ⅱ.グスタフ・ラートブルフにおける法概念と法理念
Ⅲ.「第 3 の道」としてのラートブルフの法概念
Ⅳ.自然法と実証主義との間のラートブルフの後期哲学
₁ .法律上の不法と法律を超える法についてのラートブルフ公式
₂ .自然法⊖実証主義⊖問題の「解決策」としてのラートブルフ公式 3 .弱い自然法論としてのラートブルフ公式
₄ .人格的法哲学と法律を超える法 総括と完結的な諸考察
文献目録
(563)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学① 9
(562)
略語目録
法学文献上の略語については、私はKirchner/Rurz, Abkürzungsverzeichnis der
Rechtssprache, 5. Auflage, Berlin 2003を指示する。その他の略語に関しては、私は Joseph Werlin, Wörterbuch der Abkürzungen, 3. Auflage, Mannkeim/Wien/Zürich 1987
を指示する。以下の目録はこの両辞典に搭載されていない略語だけを含む。A.P.D. Archives de Philosophie du Droit Dt. Z. Philos. Deutsche Zeitschrift für Philosophie
JPPF Jahrbuch für Philosophie und phäinomenlogische Forschung ÖzöffRuvölr Österereichische Zeitschrift für öffentliches Recht und Völkerrecht PhiJB Philosophisches Jahrbuch
PVS Politische Vieteljahresschift RJ Rechtshistorisches Jaunal StuR Staat und Recht
ThPh Theologie und Philosophie. Vierteljahresschrift
ZDK Zeitschrift für Deutsche Kulturphilosophie
(Neue Folge des Logos)ZRPh Zeitschrift für Rechtsphilosophie
ZThK Zeitschrift für Theologie und Kirche
同志社法学 59巻 ₁ 号 10
第 1 部 始めるに当たっての諸々の所見
A.本稿の目標設定:アルトゥール・カウフマンの法哲学への一接近の試み I.アルトゥール・カウフマンの法哲学
2001年 ₄ 月11日に77歳で逝去したミュンヘンの法学者であったアルトゥール・カウ フマンは広く弧を張った諸々の関心をもつひとつの普遍的な精神であった。彼の法学 上の活動は三音響によって刻印づけられた。すなわち、カウフマンは刑法学者、刑事 政策学者、法哲学者であった、ということである︵ ₁ ︶
1
。
その学問上の成り行きの最初の段階のなかでアルトゥール・カウフマンにとって問 題であったのは、これらの作業領域のひとつの統合を創り出すことである。この関心 事はとりわけよく知られた、1961年に初版で刊行された責任原理に関する教授資格論 文であった。この論文︵ ₂ ︶
₂
のなかで刑法解釈論のある基本的テーマを一般的な哲学と法哲 学の光のもとに照らし出すという印象深い試みが企てられる︵ 3 ︶
3
。とくにこの研究を理由 に、カウフマンという名称は「上首尾に成功した、稔り豊かで深い造詣に裏づけられ た刑法哲学︵ ₄ ︶
₄
」を代表している。
アルトゥール・カウフマンがその博士論文のなかで達成していた︵ ₅ ︶
₅
ような刑法学と法 哲学との固い組み合わせは、しかし長期にわたるものではなかったのであって、それ というもの、その法学上の著作活動のより先へと進む流れのなかで徐々に純粋な法
(1) Vgl. Haft, JZ 2001, 869. 他 の 追 悼 論 文 を も 参 照:Prantl, SZ vom 17. April 2001, S. 19;
Roellecke, F. A. Z. vom 23. April 2001, S. 53; Hassemer, NJW 2001, 1700 f.; Neumann, ARSP 87 (2001), 419 ff.; Kühl, ZStW 113 (2001), 641 ff.; Information Philosophie 29 (2001) Heft S.
144, DER SPIEGEL vom 23. April 2001. S. 250; Landau, Jahrbuch 2001 S. 316 ff.; Klenner, Topos 17 (2001). 109 ff. – Leicht, DIE ZET vom 19 April 2001, S. 1は、その大学教師の臨死介 助についてのある記事について触れている(「ある哲学上のテーマにとっての個人的なあと がき」)
(2) Hassemar, Strafrechtgerechtigkeit, S. 10は次のように確認している。「私にはわれわれ の法圏から、刑法上の根本問題を解明するために、あれほど遠大かつあれほど深く根拠づけ られたどのような作品も知られていない。」
(3) この本が法政策上の(刑事政策上の)意義をも所持していることを、アルトゥール・カ ウフマンは第 ₂ 版(1976年)の「まえがき」のなかではじめて強調した。
(4) 現 にHassemer, Rechtsphilosophie, Rechtswissenschaft, Rechtspolitik, S. 131が こ の よ う に述べている。ハッセマーはこの箇所でラートブルフ、ヴェルツエルおよびエンギッシュを 挙げている。 ― 刑法学と法哲学との間には伝統的に、しばしばある人的連合において表明 されるようなひとつの密接な、集中的な結びつきが存在している。
(5) 文献目録が一般哲学 ― 法哲学 ― 刑法というように分類されているは、理由のないこ とではない。
(561)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学① 11 哲学︵ ₆ ︶
₆
へのいや増す集中というものが生じたからである。カウフマンはさらに引き続い て視線をその「刑法上の仕事場︵ ₇ ︶
₇
」のなか投げかけて刑法解釈論についての、刑事政策 についての、そして刑法哲学についての明敏な諸論稿を起草しもした︵ ₈ ︶
₈
のであるが、し かし、その思考の地平はもはや刑法上の諸疑問提起によって規定されなかったことを 確証することができる。カウフマンの弟子であるヴィンフリート・ハッセマーはその 追悼文のなかでこの変化を次のように強調している。「アルトゥール・カウフマンは 刑法学者であり法哲学者であったが、その生涯の終末期にはいよいよもって決定的に 何よりも先ず一人の法哲学者であった。刑法は彼の本物の愛好物ではなかったので ある︵ ₉ ︶
₉
」と。
本書はこのような事情を顧慮している。ミュンヘンの正教授が ― その有名な師グ スタフ・ラートブルフ︵₁₀︶
₁₀
と同様に ― 何よりも先ず法の哲学に関与したことから、その 学問的な活動と生産性のこの領域だけが視野に取り込まれる。寛容な、自由な、そし て開かれた刑法というものを弁護した︵₁₁︶
₁₁
刑法思考家(刑事政策家)であるアルトゥー ル・カウフマンには、明示にはどのような注目も払われない。
多くの追悼文が故人の人格性と高貴さを評価している。フリチョフ・ハフトの言葉 によれば、カウフマンは「一人の素晴らしい人物︵₁₂︶
₁₂
」であり、ウルフリット・ノイマン は彼を「偉大な人物︵₁3︶
₁3
」と呼んでいる。このミュンヘンの法学者は一人の「偉大な」法 哲学者でもあったのか。この賓辞は同様に彼のためのある追悼文のなかで承認さ れた︵₁₄︶
₁₄
。その死後に直結して ― つまりは時間的な間隔を置くことなく ― 故人の知性 的で学問的なランクを、しかしながらいまだ適切に規定することはできない。誰が現
(6) この表現は、刑法にはもはや折に触れての例証的にしか関連づけられないような法哲学 を特徴づけているものとする。誤解を避けるために、「純粋法学」の形式的な純粋性が問題 になっているのではないことをはっきりと強調しておこう。
(7) Kaufmann, Prozedlare Theorie (1989), S. 18.
(8) たとえばその後期の諸論稿から次のものを参照:Kaufmann, Über die gerechte Strafe
(1986); Ders., Strafrecht und Freiheit (1988); Ders., Das Problem der Schuld (1990); Ders., Relativierung des rechtlichen Lebensschutzes? (2001)
(9) Hassemer, NJW 2001, 1700. Schloth, Einführung, S. 131は同様に、アルトゥール・カウ フマンは「年齢が高まるとともにいよいよ解釈論的刑法への関心を失っていった」ことを強 調している。
(10) Vgl. Kaufmann, Gustav Radbruch – Leben und Werk (1987), S. 71.
(11) カウフマンは、刑法典の「対⊖案」を完成した刑法学者に属している。 ― 「対⊖案」に ついては、vgl. etwa Jeschek/Weigend, Lehrbuch des Strafrechts AT, S. 103.
(12) Haft, JZ 2001, 869.
(13) Neumann, ARSP 87 (2001), 423.
(14) Vgl. Plantl, SZ vom 17. April 2001 S. 9.―Haft, JZ 2001, 869: 「ヨーロッパの法学はその 一人の偉大な人物のために悼んでいる」をも参照。
(560)
同志社法学 59巻 ₁ 号 12
実に偉大な人物であるかについては歴史がはじめて決定する ― このことをカウフマ ンが強調していた︵₁₅︶
₁₅
。
今日的な見方からひとはいずれにせよ確信をもって、現在のドイツ法哲学はその死 によって「最も著名で国際的に名声の高い一人の代表者︵₁₆︶
₁₆
」を失ったと確定することが できる︵₁₇︶
₁₇
。一人のオーストリアの同僚はアルトゥール・カウフマンを1992年に「ドイツ 法哲学の傑出した諸現象のひとつである︵₁₈︶
₁₈
」と呼び、フランスでは、カウフマンは„un
eminent representant du droit penal et, surtout, de la philosophie du droit en Allemagne
︵₁₉︶₁₉
“
として通っていた。このような特別な、卓越した位置づけはとりわけカウフマンの観客と役者としての 感動的な二重の役割︵₂₀︶
₂₀
と関連している。その「法哲学への奉仕︵₂₁︶
₂₁
」がすでに戦後初期に始 まっていたことから、彼はこの教科の発展を半世紀にわたってともに体験することが できた︵₂₂︶
₂₂
。1991年に刊行されたひとつの自伝的な素描は、『45年間を体験した法哲学』
という印象的な表題を有している。このグスタフ・ラートブルフの弟子︵₂3︶
₂3
は、しかしな がら一人の興味深い観察者であったばかりでなはない。 ― 彼はわが国における法哲 学をともに形態化し、恒常的に刻印づけたのである︵₂₄︶
₂₄
。
アルトゥール・カウフマンの生涯にわたる学問的功績は、しかしながらその国際的 な実効性が顧慮される場合にのみ、これを適切に評価することができるのである。カ
(15) Vgl. Kaufmann, Gustav Radbruch (1987), S. 198; Ders., Demokratie – Rechtsstaat – Menschenwürde (1990), S. 471.
(16) 現 に Neumann, ARSP 87 (2001), 418 は こ の よ う に 言 う。Vgl. auch Information Rhilosophie 29 (2001), Heft 2 S. 144: 「カウフマン、ラートブルフの一人の弟子は、確かに国 際的に最も著名な現在のドイツ法哲学者であった。」
(17) 著名な法学者でさえ、専門科学⊖大学の領域の外でのより広い公共に知られているのは 希でしかない。カウフマンは(Grasnick, F.A.Z. vom 10. September 2001, S. 54の意見によれ ば)これらの珍しい例外に参入される。時代の焦点となっている諸々のテーマについての彼 の意見表明は学問的な刊行物にだけではなく、一般的な公共にも向けられている。
(18) Lachmayer, ARSP 78 (1992), 385.
(19) Walz, A.P.D. 38 (1993), 373.
(20) その告別講演のなかでKaufmann, Nach-Neuzeit (1990), S. 1は回顧的に、彼が「優に40 年間にわたって学問的展開を体験し、ともに形態化することを試みてきた」ことを確認して いる。
(21) このような(荘重な)表現形式をKaufmann, Fünfundvierzig Jahre (1991), S. 482で用 いている。
(22) ひとはそこから、アルトゥール・カウフマンの作品はドイツ連邦共和国の法哲学を反映 していると言うことができる。
(23) Klenner, Dt. Z. Philos. (1988), 870の評価によれば、カウフマンは「ラートブルフのすべ ての弟子のなかでも全く疑いもなく最も生産的な弟子である」。
(24) Vgl. auch Haney, ARSP 84 (1998), 274; Kühl, Überblick, 331.
(559)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学① 13 ウフマンの考え方によれば、法の哲学は「優れた意味においてひとつの国際的な教科︵₂₅︶
₂₅
」 であり、それゆえにドイツ法哲学者の「最古参者︵₂₆︶
₂₆
」は国家的な討議にのみ関与してい るのではない。「世界的な真価を有する学者︵₂₇︶
₂₇
」としてアルトゥール・カウフマンは国 際的な次元でも指導的な役割を演じた。1991年には、このミュンヘンの教授は法およ び社会哲学のための国際協会(IVR)の名誉理事長に選出された。その死によってこ の組織は「心に刻み込むべき諸人物の一人︵₂₈︶
₂₈
」を失ったのである。
Ⅱ.アルトゥール・カウフマンの法哲学上の作品 「不撓不屈の法哲学上の著作者︵₂₉︶
₂₉
」としてアルトゥール・カウフマンはその生存期に ひとつの印象深い記念碑を設置した。すでに50年代の終わりにその綱領的な論稿『自 然法と法実証主義』(1957年)に始まった︵3₀︶
3₀
集中的な、まさに倦むことのない出版活動 を通して「ドイツ語による最も生産的な法哲学者︵3₁︶
3₁
」はひとつの包括的な作品群を創作 した︵3₂︶
3₂
。その膨大な著作熱心と法哲学の根本問題をめぐるその粘り強い格闘はひとつの 偉大な、思考様式において取り替えることができない著作物集をもたらした。
1993年には『刑罰的正義』と題する論集のなかに、カウフマンの文筆創作能力を記 録する著作目録が掲載された。カウフマンが続く数年間にわたって相変わらずに作業 をし続けたことから、その死後には学問上の作品の全体範囲について全く相異なる 諸々の言明が存在した。すなわち『2002年度世界人名辞典』では「700を超える論文︵33︶
33
」 が話題となっている。ヴィンフリット・ハッセマーはその追悼文のなかで、アルトゥ ール・カウフマンの著作目録が包括しているのは700を超えると述べている︵3₄︶
3₄
。これに 対して、フリチョット・ハフトは「400を超える学術的刊行物」を話題にしている(に
(25) Ka u f m a n n , R e c h t s p h i l o s o p h i e (1997), S . 4.―K a u f m a n n , Ve r g l e i c h e n d e
Rechtsphilosophie (1991), S. 435は、この「教科はどのような国家的な障壁をも知らない」
ことを強調している。
(26) 現にpawlik, ARSP 81 (1995), 289がこのように言う。 ―Klenner, NJ 1991, 123はアル トゥール・カウフマンを「ドイツの法哲学者たちの長老」と呼んでいる。
(27) Hassemer, NJW 2001, 1701はその物故した先生をこのように呼んでいる。
(28) Neumann, ARSP 87 (2001), 419.
(29) Haney, ARSP 84 (1998), 274.―Haft, JZ 2001, 860の評価によれば、カウフマンは「高 いランクの文筆家であった」。
(30) 法 哲 学 上 の 諸 考 慮 は す で に 刑 法 上 の 博 士 論 文 に も 見 ら れ る。Vgl. Kaufmann, Das Unrechtsgewußtsein (1949), S. 33.
(31) 現にKlenner, NJ 1995, 192.はこのように言う。
(32) Landau, Jahrbuch 2001, S. 117は次のように確証している。「この作品は、20世紀後半 のドイツ語圏の法哲学者ではほかに誰もいないほどに包括的かつ多面的である」と。
(33) The International Who's Who 2002, 65th edition, London 2001, S. 795.
(34) Vgl. Hassemer, NJW 2001, 1701.
(558)
同志社法学 59巻 ₁ 号 14
すぎない︵3₅︶
3₅
)。
もちろん刊行物の数量は単にひとつの量的な等級のものであり、そこから、どれほ ど多くの刊行物をアルトゥール・カウフマンは結局のところ刊行したのかという問い をさらに深めることは求められない︵3₆︶
3₆
。いずれにしても確認することができるのは、「国 家と法についての哲学の伝統的なテーマのすべてを考え抜いたうえに刑法学の根本的 な諸問題にとっても稔り多いものにしたと言える︵3₇︶
3₇
」この物故した多作者は、豊かにし て堂々たる生涯作品を後世に残しているのである。もっとも、カウフマンはしばしば 同一の、もしくはたやすく言い換えたにすぎない諸論稿を異なる場所で刊行したこ と、それらの本文はしばしば諸々の同じ響きをもつ部分や繰り返しを含んでいること にも言及されなければならないであろう。
アルトゥール・カウフマンの学問上の全作品が法哲学、刑事政策および刑法解釈論 上の著作を含んでいることはすでに示唆された。カウフマン自身の評価によれば、刑 法上の諸々のテクストにも「法哲学的なものが流れ込んでいる︵3₈︶
3₈
」のである。本書はし かし、より狭い意味における法哲学上の作品に集中することになるであろう。
ある熱心な読者でさえほとんどいまだ見渡していないこの作品には、たとえばアル トゥール・カウフマンとヴィンフリット・ハッセマーによって編集された『現在の法 哲学と法理論への案内︵3₉︶
3₉
』が属している。アルトゥール・カウフマンの二つの寄稿論文
(「法哲学、法理論、法解釈論」[上田健二訳・同志社法学第302号473号以下]と「法 哲学の問題史」[上田健二訳・同志社法学第306号316頁以下、同307号169頁以下︵₄₀︶
₄₀
]な らびにその弟子たちの数多くの論文を含んでいる︵₄₁︶
₄₁
この入門教育用の著作は、察するに
(35) Haft, JZ 2001, 869.
(36) グスタフ・ラートブルフ全集(2003年)の完結巻のなかにはいまや、記念論集『刑罰的 正義』のなかでの目録と結びついている1993⊖2001年の時間帯についての文献目録が見られ る。これによれば、アルトゥール・カウフマンの著作目録は全部で436の刊行物に上る。
(37) 現にSchild, Das Urteil König Solomo, S, 281.
(38) Kaufmann, Fünfundviezig Jahre (1991), S. 502.
(39) Einführung in Rechtsphilosophie und Rechtstheorie der Gegenward, hrsg. von Arthur Kaufmann, Winfrid Hassemer. 本稿では第 ₆ 版(1994年)から引用される。アルトゥール・
カウフマンの死後に弟子たちが『案内』の新版を刊行した。第 ₇ 版(2004年)では、カウフ マンの諸論稿が不変のままに受け継がれた。この新版については、Grote, Jura 2004, 647の 論評をも参照。
(40) これらの論稿はいずれもほとんど170頁にも及んでいる。Hilgendorf, ARSP 83 (1997), 287の意見によれば、問題となっているのは「ドイツ語におけるこの種のきわめて簡潔な叙 述であり、法哲学の深められた理解の獲得を求める者であれば誰もが読んで然るべきであろ う」。
(41) Hirgendolf, ARSP 83 (1997), 287の評価によれば、ひとつの名だたる学派を自分の周り に集めることにカウフマンは成功した。この学派の大多数の成員はミュンヘンの法哲学およ
(557)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学① 15 ラートブルフの古典的な『法哲学』以来の最も成果の豊かな法哲学上の教科書である︵₄₂︶
₄₂
。
― ドイツ以外でもそれはすでに„un classique de la philosohie du droit allemande“と して通っていた︵₄3︶
₄3
。
アルトゥール・カウフマンの筆になる多くの刊行物が数多くの外国語に翻訳され おり︵₄₄︶
₄₄
、「しばしば日本語に訳されているのが人目を引く︵₄₅︶
₄₅
」。ドイツ法哲学は1945年以後 は「まさに大当たりの輸出商品ではなかった︵₄₆︶
₄₆
」にもかかわらず、カウフマンの「仕事 と作品(
opera et opuscula
︵₄₇︶₄₇
)」はひとつの力強い反響を見出した。ハッセマーはその 追悼文のなかで、「いやしくも刑法学者であり、法哲学者であれば誰もが至る所で彼 を知り、彼を読んでいる︵₄₈︶
₄₈
」ことを確証している。
故人が学問上の遺産として後世に残した法哲学上の作品は、しかしながらその範囲 と世界に広がるその影響を通してのみ感銘を与えるのではない。この著作物集はその 豊かな内実によっても感嘆の念を起こさせるのであって、それというのもそれは並外 れた思考の豊かさときわめて大きなテーマの広がりを通して際立っているからであ る。その無数の刊行物においてこの博識の法学者は「古典的な」諸問題ばかりでなく、
び法情報学のための研究所で研究生活をしており、それぞれの寄稿論文を『現在の法哲学お よび法理論への案内』のために起草した。「カウフマン⊖学派」にはとりわけAlfred Büllesbach, Günter Ellscheid, Frijof Haft, Winfried Hassemer, Per Mazurek, Ulfrid Neumann, Jochen Schneider,およびUlrich Schrothが属している(学問的にも友情的にも アルトゥール・カウフマンと結びついていたLother Philippsは、これに反してヴェルナー・
マイホーファーの弟子である)。 ― 哲学上の諸学派を、それが他の側面に向けて切り開く ことができないような独断論へと堕落しかねないことから、カウフマンはもともと大いなる 懐 疑 を も っ て 見 て い た。Vgl. Kaufman, Einleitung, in: Rechtsthorie (1971), S. 1; Ders., Rechtsphilosophie im Wandel, Vorwort (S. VIII); Ders., Rechtsdogmatik (1994), S. 10. 彼の学 派は、しかしながらひとつの「きわめて開かれた学派」である(Kühl, Die Bedeutung der Rechtsphilosophie, S. 22)。
(42) 現にHilgendorf, ARSP 83 (1997), 286がそのように言う。
(43) 現にWalz, A.P.D. 38 (1995), 373がそのように言う。
(44) カウフマンの国際的な声望を証明しているというこの事実は、ハンス・ケルゼン学派に 由来する一人の論争的な論評者を驚かせた。Walter. ÖzöffRuVölkR 36 (1985/86)の過少に評 価する所見を参照。
(45) 現にRoelleck, F.A.Z. vom 23. April 2001, S. 53がそのように言う。 ― すでにアルトゥー ル・カウフマンの最初の法哲学上の著作は日本において大きな関心をもって受け止められて いる。Vgl. Noguchi, Naturrecht und Rechtsontologie, S. 443 ff. 日本の法哲学と法学へのカウ フマンの影響については、vgl. Miyazawa, Artur Kaufmann, S. 7 ff. 東アジアの法律学へは、
グスタフ・ラートブルフも大きな影響を及ぼしていた。Vgl. etwa Kaufmann, koreanische Rechtsphilosophie (1985), S. 142 ff.
(46) 現にRoelleck, F.A.Z. vom 23. April 2001, S. 53 はこのように言う。
(47) Klenner, Herr-und-Knecht-Relation, S. 177.
(48) Hassemer, NJW 2001, 1701.
(556)
同志社法学 59巻 ₁ 号 16
同時代人の法哲学の諸々の疑問提起と将来を指し示す諸理念をも論じている。一般的 な哲学の現代的展開諸傾向と流行の趨勢(実存哲学、言語哲学、解釈学、ポスト・モ デルネ)が同様に顧慮され、自らの構想継続形成のために稔り豊かなものにされる。
その精神的な成長過程の始めにスコラ哲学によって鼓舞されたこのカトリックの法 学者︵₄₉︶
₄₉
は、時として神学上のテーマをさえ扱っている︵₅₀︶
₅₀
。もっとも解釈者の視点からは、
このような内容的な多様性はひとつの障害であって、それというものそれは作品のす ばやい理解というものを妨げるからである。
カウフマンの著作物集では伝承的な、時宜に適い、そして未来を指し示す思想が話 題になっていることがいましがた述べられた。しかしなお付け加えるべきは、これら の領域は結びつけられていてひとつの内的な統一をなしている、ということである。
アルトゥール・カウフマンの一人の学問上の同行者である東ドイツの法哲学者へルマ ン・クレンナー︵₅₁︶
₅₁
は適切にも、このミュンヘンの学者は「結局のところ、過去の法哲学 上の思考を完全に所持してこれを未来にとっても生産的に保持することを知っている 現在の数少ない法哲学者に属している︵₅₂︶
₅₂
」ことを強調している。カウフマンはしばしば 伝承された諸認識を援用したのであるが、それというのも「哲学上の探究の過程にお いては過去の諸々の洞察は後に続く者にとっての準備作業である︵₅3︶
₅3
」からである。哲学 にとって ― とりわけ法の哲学にとって ― 伝統の「比類なき意義︵₅₄︶
₅₄
」はその諸々のテ クストのなかに繰り返しアンダーラインを引いて強調され︵₅₅︶
₅₅
、様々な論拠をもって根拠 づけられる。その初期の作品では、伝統の本質と意義を規定するためにアウグスチヌ スの思想が受け継がれ、後期の諸著作では、アルトゥール・カウフマンはそのうえに
(49) この「左派自由主義的カトリック教徒」(DER SPIEGEl vom 23. April 2001, S. 250)はそ の教会の公式的な諸立場をしばしば批判した。これについては、たとえば、vgl. Der Schutz menschlichen Lebens, S. 161 ff.
(50) たとえば、次の諸論文を参照: Kaufmann, Gesetz und Evangelium (1984); Ders., Die Theodizee (1998).
(51) 両法哲学者の間には法学的解釈学についての激しいながらも生産的な論争があった。こ れについてはKlenner, Rechtsphilosophie in der Krise, S. 77 ff.; Kaufmann, Es ist das Recht der Fische (1992), S. 9 ff.を見よ。
(52) Klenner, Herr-und-Knecht-Relation, S. 117.―Brieskorn, ThPh 70 (1995) 477の 言 葉 に よれば、カウフマンの思考は「西洋流に哲学することの高度な習熟を際立たせるのあり、こ れが彼をして、法哲学上の思考の最近の諸々の端緒に開かれており、それらを批判的に問い かけるという標尺をもって評価するということを可能にさせている。
(53) Kaufmann, Gedanken zur Überwindung (1960), S. 64; Ders., Schuldprinzip (1961), S. 80.
(54) Kaufmann, Gedanken zur Überwindung (1960), S. 65; Ders., Schuldprinzip (1961), S. 80.
(55) Vgl. Kaufmann, Gedanken zur Überwindung (1960), S. 64 f.; Ders., Schuldprinzip (1961), S, 80 f.; Ders., Die „ipsa res iusta“ (1973), S. 53 f.; Ders., Recht und Rationalität (1088), S. 325;
Ders-, Problemgeschichte (1994), S. 123.
(555)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学① 17 ハンス⊖ゲオルク・ガダマーの解釈学的伝統主義に結びつける。
カウフマンによれば、伝承するということが意味しているのは、「過ぎ去ったもの を不断の創造的な新しい諸々の形態を通して現在の中に取り込み、それを未来に向け るということである︵₅₆︶
₅₆
」。それゆえに彼は、「伝統的なものと未来的なものとの間に橋を 構築する︵₅₇︶
₅₇
」という試みを企て、伝統的な法哲学を現代の諸々の疑問提起に結びつけ、
独自の理論へと仕上げることが、彼には成功しているのである︵₅₈︶
₅₈
。
とくに後期の著作物のなかで示されているこの理論の特徴的な基本的様相は、すで にこの箇所で触れられるべきである。問題となっているのはひとつの実質的な法哲学 である ― アルトゥール・カウフマンの関心の対象となっているのは「正しい法」の 内容である。そこから彼の法哲学の二つの根本的な問いはこういうことになる。 ₁ 、 正しい法とは何か0 0、 ₂ 、われわれは正しい法をどのようにして0 0 0 0 0 0 0認識ないしは実現する のか︵₅₉︶
₅₉
。これらの問いは存在論と認識論に関係している。
カウフマンの法哲学を極端な二つの方向の間のひとつの中間の道として言い表すこ とができる︵₆₀︶
₆₀
。ひとつの方向は、法についての(そして正義についての)絶対的な、普 遍妥当的で超時間的な諸言明を言い表そうとする試みを企てる。もうひとつの方向は 内容的な諸々の熟慮を完全に断念し、法の諸形式と諸構造とのみ取り組む。第 ₁ の見 解をカウフマンは否認するのであって、それというのも彼の目には ― とりわけ認識 論上の諸理由から︵₆₁︶
₆₁
― 正しい法の具体的な内容について究極的な諸々の論定を下すこ とは可能ではないからである。彼の確信によれば、この冷静な所見は、しかしながら 決して法哲学が形式的な諸々の疑問提起の説明に制限され、法の諸内容は政治にゆだ ねられるということには導かない︵₆₂︶
₆₂
のであって、それというのも法哲学は現実的な諸問 題のための諸解決を案出するという課題を有しているからである︵₆3︶
₆3
。「今日的な状況に
(56) Vgl. Kaufmann, Die „ipsa res iusta“ (1973), S. 54..
(57) Kaufmann, Strafrecht zwischen Gestern und Morgen, Vorwort (S. VII).― こ の よ う な 言明はもともと刑事政策にのみ関係づけられるが、しかしそれは彼の法哲学上の諸々の著作 物にも的中している。
(58) この成果はHilgendorf, ARSP 83 (1997), 283によっても強調される。
(59) Kaufmann, Rechtsphilosophie (1997), S. 9 (強調は原典のなかで); 同様にすでにDers., Problemgeschichite (1994), S. 30, Ders., Rechtbegriff und Rechtsdenken (1994), S. 58.
(60) これについてはまた、vgl. Kaufmann, Rechtsdogmatik (1994), S. 20.
(61) カウフマンはこの関連でイマニュエル・カントの理論哲学に拠り所を求める。カントの 認識論の彼の解釈は後に明らかにされる。
(62) Vgl. auch Kaufmann, Nach-Neuzeit (1990), S. 2. 内容的な法哲学というものの必要性は この箇所でナチス主義者の「法律上の不法」をもって根拠づけられる。
(63) これについては、たとえば、vgl. Kaufmann, Über Gerechtigkeit, Vorwort (S. VII); Ders., Rechtsphilosophie (1997), (S. IX).―Otto, Jura 1995, 111は適切にも、「抽象的な諸体系を
(554)
同志社法学 59巻 ₁ 号 18
おいては、人間の共同生活の正義に適った秩序というものの内容的な諸々の問いに対 する諸々の答えが要求されている︵₆₄︶
₆₄
。」とはいえカウフマンは、暫定的な、確証されて いない諸々の答えしか存在していないこと、したがってどのような「究極的に根拠づ けられた︵₆₅︶
₆₅
」真理性も存在していないことから出発する。
アルトゥール・カウフマンはしばしば、際立って正確に規定することは内容的およ び意味的空虚化を代償としてのみ、これを達成することができることを詳述してい る。上述の説明のなかで、彼がこの高い代償を弁済するつもりはなかったことが示唆 された。暫定的な諸認識で満足し、数学的な厳密性を求めないというような実質的な 法哲学を構想する彼の諸々の努力は時として非科学的であるとして烙印が押され、
「辛辣な反論︵₆₆︶
₆₆
」にさらわれた。ラインハルト・メルケルは、「憤慨した、もしくは遜っ た反抗の生涯にわたる伴奏音楽」という言い方さえしている︵₆₇︶
₆₇
。二つの不適切な論評を ここで例として挙げることができる。ロベルト・ヴァルターは法学的解釈学について のカウフマンの諸論文を「擬似⊖学問的なおしゃべり︵₆₈︶
₆₈
」と呼んだ。グントラム・プラ ッターはカウフマンの『法哲学』(第 ₂ 版、1997年)についてのその論評を次のよう な壊滅的な総括をもって終結した。 „si taquisset philosophus mansisset!︵₆₉︶
₆₉
“
アルトゥール・カウフマンにはその精神的な高揚のさなかに時として必要な明晰性 が欠けていることは、確かに争い得ないであろう。いましがた引用された反抗的な諸 判断は、しかしながら実質的な正当化を欠いている。支配的な見解もまたこのような 否定的な態度を表明しているのではないのであって、それというのもアルトゥール・
空虚な空間のなかに打ち立てて内容空虚な諸言明をその形式的な諸関連のなかで描出するこ とがアルトゥール・カウフマンの問題ではなく、彼は燃えるような諸問題に現実的な歴史的 状況における人間の共同生活の正義に適った秩序というものに従って身を置いている」と論 定している。
(64) Kaufmann, Über Gerechtikeit, Vorwort (S. VII) ― 現実的な生命倫理上の議論では、
ユルゲン・ハバーマスもまた実質的な法哲学というものを弁護している。「言語および行為 能力のある主体の倫理的な自己理解が全体として0 0 0 0 0一役買っている限りでは、法哲学は内容的 な 諸 々 の 態 度 表 明 か ら も は や 免 れ る こ と が で き な い。」(Habarmas, Begrundete Enthaltsamkeit, S. 100 ―(強調は原典のなかで)
(65) 規範的な諸判断の「究極的な根拠づけ」というものを言い表せなければならないという 討議倫理学(カール⊖オットー・アーペル、ユルゲン・ハバーマス)の要求を、カウフマン は繰り返し斥けている。たとえば、vgl. Nach-Neuzeit (1990), S. 31.
(66) 現にKaufmann, Recht und Rationalität (1988), S. 303; Ders., Nach-Neuzeit (1990), S. 9.
(67) Merkel, JZ 1993, 571.
(68) Walter. ÖzffRuVölkR. 36 (1985/86).
(69) Platter, VRÜ 32 (1999), 132.― しかしまたSmid, NJW 1998, 3702 とCattaneo, ARSP 84
(1998), 278の公平な論評をも見よ。
(553)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学① 19 カウフマンの法哲学はますます承認と尊重を見出しているからである︵₇₀︶
₇₀
。
Ⅲ.ひとつの時期を失した課題
アルトゥール・カウフマンがその生涯の流れのなかで創作した浩瀚な著作物集との 対決はいまだ完結していない。ドイツでは︵₇₁︶
₇₁
、この作品の探究はとりわけ弟子たちと同 行者たちとによって推し進められた︵₇₂︶
₇₂
。これに関連してとくにヴィンフリート・ハッセ マーの二つのテクストに言及されなければならない。記念論集『解釈学の諸次元』の なかでハッセマーはアルトゥール・カウフマンの解釈学上の構想を素描し︵₇3︶
₇3
、祝賀論集
『刑罰的正義』(1993年)のための彼の論稿のなかでは、その師の学問上の全作品が詳 細に吟味される︵₇₄︶
₇₄
。
最後に言及した論文は、アルトゥール・カウフマンの法学上の生成過程についてか なりの外観を伝えている。とはいえ、彼の膨大な作品の包括的な評価というものは一 本の記念論集への諸論稿の枠内で成し遂げることができないのは、自明のことであ る。このテクストの場合でも問題になっているのは「中間的な確証︵₇₅︶
₇₅
」というものにす ぎないのであって、それというのもこれに続く数年間のなかでカウフマンの著作物集 はさらに著しく拡大されたからである。
見渡し得る限りでは、アルトゥール・カウフマンの作品のなかで展開される思考律 は、これまでのところではいまだ詳細な学問上の検証の対象ではなかった。ヘルマン・
クレンナーはすでに1993年に、この欠損はひとつの「時宜を失した課題︵₇₆︶
₇₆
」を意味して いることを表明していた。本稿はこの課題に取り組むものである。それは、アルトゥ
(70) 現にHanney, ARSP 84 (1998), 278もまたこのような見解である。
(71) 外国では、アルトゥール・カウフマンの法哲学と取り組んでいる数多くの研究が刊行さ れた。Kürschners Deutcher Gelehrten-Kalendar 2001, Bd. II, S. 1502における指摘を参照。
― イタリア語、ポーランド語、日本語、韓国語で公刊されているこれらの研究を本稿のな かでは(残念ながら)顧慮することができない。
(72) アルトゥール・カウフマンの弟子、友人および同僚たちは、その作品と対決する学問上 のコロッキウムを ₂ 回にわたって開催した。このような仕方で『解釈学の次元(Dimensionen der Hermeneutik)』(1984年)と『機能主義の彼方(Jenseits des Funktionalismus)』(1998年)と いう小祝賀論集が成り立った。アルトゥール・カウフマンの死後には、ミュンヘンと台北で 追憶会議が開催された。これらの集会の諸成果は『価値多元論:寛容と法(Value Pluralism, Tolerans and Law)』(2004年)と『責めに答える法(Verantwortetes Recht)』(2005年)と いう論集において公刊されている。
(73) Vgl. Hassemer, Die Hermeneutik.
(74) Vgl. Hassemer, Strafgerechtigkeit.
(75) Hassemer, Straftgerechtigkeit, S. 1.
(76) Klenner, Herr-und-Knecht-Relation, S. 17.
(552)
同志社法学 59巻 ₁ 号 20
ール・カウフマンの法哲学上︵₇₇︶
₇₇
の作品を理解するという目標を設定している。
ついでに述べられるべきは、この目標設定はある種の仕方でカウフマンの研究上の 諸関心を反映しているということであって、それというのも彼は集中的に解釈学、す なわち理解の科学に取り組んできたからである。この法哲学については、ある英米百 科事典は、アルトゥール・カウフマンが「法の哲学的基礎づけへの解釈学的接近の最 も 有 名 な 主 唱 者 の 一 人 で あ る(one of the foremost exponents of a hermeneutical
approach to philosophical faundation of low)」ことを確証している
︵₇₈︶₇₈
。
ある有名な解釈学上の格言によれば、問題となっているのは「著者自身が自らを理 解したよりも彼をよりよく理解すること︵₇₉︶
₇₉
」である。本書はしかし、この解釈原理に方 向づけられているのではない。本書では、カウフマンの偉大な思想界を開明し、その 長大な思考運動を把握しようとするという試みが企てられるのである。この試み際し ては、アルトゥール・カウフマンの作品が今日の法哲学の全スペクトルのなかでどこ に移入することができるのか、そしてどのような精神的諸起源がその思考を鼓舞した のかを可視的なものにすることも求められる。
1998年にアルトゥール・カウフマンの75歳を契機に「法および社会哲学のための叢 書」に公刊されたある寄稿論文のなかで、イエーナの法哲学者であるゲルハルト・ハ ナイはカウフマンの著作物集を、「いったん植樹されると、年から年へと大きくかつ 広くなり、ますます多くの果実をも稔らせるようになる」一本の樹木に喩えた︵₈₀︶
₈₀
。この ような美しい象徴を念頭に置きながら、見渡し難いほどの枝分かれと錯綜した細分化 のあとを追う前に、考察は先ず作品の根元に設置することが求められよう。作品がそ のなかに根を下ろしている土壌が、以下においてアルトゥール・カウフマンの生涯史 を通して発掘されるべきである。
B.伝記上の背景 I.序言
アルトゥール・カウフマンの法哲学上の作品への接近が伝記上の諸々のヒントをも
(77) 「法哲学」という表現は、ここでは広い意味において理解される。したがってそれは法 理論と法学方法論をも包括している。
(78) Piechowiak, Art. „Kaufmann, Arthur“, S. 475. ―Troller, SJZ 82 (1986)は、「 ア ル ト ゥ ール・カウフマンの法哲学上の作品のひとつの主要テーマが解釈学である」ことを確認して いる。
(79) Dilthey, Die Entstehung der Hermeneutik, S. 331.― こ の 格 言 に つ い て は、vgl. auch Engisch, Einführung in das juristische Denken, S. 86, Bollnow, Das Verstehen, S. 7 ff.;
Gadamer, Wahrheit und Methode, S. 180 ff.
(80) Haney, ARSP 84 (1998), 247.
(551)
「第 3 の道」を求めて:アルトゥール・カウフマンの法哲学① 21 って切り開かれるという事情は、ひとつの簡潔な根拠つけを必要としているのであっ て、それというのも、ある法哲学上の思想建造物の根本的な理解にとってこの種の考 察が必要であるか否かという解釈学上の問いは、決して異口同音に答えられないから である。たとえばマルチン・ハイデガーは、ある哲学者の生涯はどのような格別な注 目にも値しないという見解を提唱した。「ある哲学者の人格性にあっては、彼はかく かくに生まれ、仕事をし、そして死んだという関心しか有していない︵₈₁︶
₈₁
」と。
アルトゥール・カウフマンはその生涯の諸経験から思考し、その作品は年少時代の 諸体験を反映している。そこからこの作品は伝記上の背景からのみ正しく解釈され、
理解させられる。生涯史への顧慮はそのうえ、その思考の精神的な由来を可視的なも のにするために必要である。以下では、アルトゥール・カウフマンの生涯の道が描出 される︵₈₂︶
₈₂
。
Ⅱ.アルトゥール・カウフマンの生涯の道 アルトゥール・カウフマンは1923年 ₅ 月10日︵₈3︶
₈3
にジンゲン/ホーエントヴィール(コ ンスタンツ州圏)に生まれた。同じ年に彼の父、国民経済学者であるエドムント・カ ウフマン(1893⊖1953年)はこの都市の市長になった。1928年以来、中央党に属する この政治家は同時にバーデン州議会の議員であった。ナチス主義者たちの「権力掌握」
後に彼はこの二つの要職を解任された。ナチス支配のさなかに1935年以来マインツで 書籍出版業者として働いていたアルトゥール・カウフマンの父は、キリスト教徒の抵 抗に加わった︵₈₄︶
₈₄
。
(81) Grodin, Hans-Georg Gadamer, S. 7からの引用。 ― この章句はアリストテレス哲学に 関するある講義(Sommersemester 1924)に由来している。
(82) カウフマンはその生涯の道と哲学上の生成過程を『45年間にわたって体験した法哲学
(Fünfundvierzig Jahre erlebte Rechtsphilosophie)』と題する論文のなかで素描した。グスタ フ・ラートブルフ全集の完結巻のなかで「H.F.Z」(このイニシアルの背後にはおそらく Hans F. Zacherという本名が隠されているのであろう)は、物故した編集者のひとつの思い やりのある生涯像を記している(S. 433 ff.)。そのうえ、Kürschners Deutscher Gelehrten- Kalender 2001, Bd. II. S. 1051 f. な ら び にPersönlichkeiten Europas. Wissenschaft, Kultur, Wirtschaft, Politik. Deutschland I, Stuttgart 1976 (頁数を欠いている)におけるカウフマンに 関する諸々の所見を参照。
(83) 同じ日に、とはいえ20年前、したがって1903年 ₅ 月10日にハンス・ヨーナス(Hans Jonas)が生まれた。Die Theodizee (1998), S. 298のカウフマンの評価によれば、「ヨーナス は現在の最も著名な宗教哲学者であり倫理学者の一人である」。その倫理学はカウフマンに 甚だしく影響した。ARSP 79 (1993), 428 f.におけるカウフマンの追悼文をも見よ。
(84) エドムント・カウフマンが1937年に„Michael Teutonikus“というペンネームのもとに仕 上げて流布させた、ゲッベルスに向けられた一枚のビラが、Hoffmann, Schlaglichter, S. 40 ff.に復刻されている。
(550)