はじめに
2015年12月、夫婦同氏制を定める民法750条について、最高裁大法廷は 合憲の判断を下した(1)。この判決の原告らは、婚姻の際に夫か妻の婚姻前の 氏のどちらかを夫婦の氏とすることを求める民法750条が、憲法24条 1 項 により保障される婚姻の自由、憲法13条により保障される氏の変更を強制 されない自由を侵害するものであり、同条文を改廃しなかった立法不作為 は国家賠償法 1 条 1 項に違反するとして訴訟を提起していた。
この訴訟に対して、戸波江二早稲田大学教授は、原告側弁護団の依頼に よって控訴審である東京高裁に意見書を提出し、そこで一審の東京地裁判 決の論理を批判しながら、民法750条の違憲性と国賠法上の違法性を論証 論 説
夫婦同氏制度と「家族」についての 憲法学的考察
田 代 亜 紀
はじめに
一 最高裁大法廷判決
二 通称の使用の拡大は、夫婦同氏制のもたらす不利益を緩和するか 三 婚姻制度と婚姻の自由
四 婚姻の自由と家族の問題 おわりに
(1) 最大判平成27年12月16日民集69巻 8 号2586頁。
している。さらに、最高裁判決を受けて、同意見書とともに、高裁判決、
最高裁判決について加筆した論説(2)では、本件の核心として、人権・権利の 制限の問題、すなわち、結婚後も従前の氏を維持したいと考える配偶者
(多くは女性)が、自己のアイデンティティと人格の象徴である従前の(生 まれながらの)氏を改めさせられることによって人格権を傷つけられ、あ るいは婚姻前の氏を記した婚姻届が不受理とされて婚姻が有効に成立しな いため、両性の合意のみによって成立すべき結婚の自由は間接的にではな く実質的な制約を受けることが指摘され(3)、審査の手法と併せ、最高裁多数 意見が批判的に検討されている。
本稿も、この指摘に賛同し、民法750条は氏名に関する人格権を侵害す る点で憲法13条違反であり、また同氏を婚姻届に記さなければ婚姻が有効 に成立しないことから、婚姻の自由を侵害する点で憲法24条違反であると 考える。平成 8 年に選択的夫婦別姓制度を含む民法改正案要綱が公表さ れ、現在まで21年が経過していることを考えれば、立法不作為についての 国家賠償を認めるべきではないかと考える。
そうした本稿の立場からすれば、最高裁多数意見が示した合憲判断には 違和感や納得できない点が多い。そこで、本来であれば、氏名に関する憲 法13条の議論や本件と14条の関係、立法不作為の国賠訴訟などの多岐にわ たる論点や、近時の家族に関する他の最高裁判決との比較など、多角的な 検討をすべきところであるが、既に本最高裁判決については多くの優れた 分析や評釈が存在し(4)、違和感の多くが理論的に解消されているため、本稿
(2) 戸波江二「夫婦同氏を要求する民法750条の違憲性( 1 )、( 2 ・完)」早稲田法 学90巻 4 号(2015年)25―81頁、91巻 2 号(2016年) 1 ―35頁。
(3) 同「夫婦同氏を要求する民法750条の違憲性( 2 ・完)」25―26頁。
(4) 全てを枚挙することはできないが、本稿脚注に挙げたもののほか、憲法学から のものとして、さしあたり上田健介「夫婦同氏制を定める民法750条の合憲性」法 学教室430号(2016年)126頁、大林啓吾「憲法訴訟の転機と司法積極主義の兆し―
契機としての再婚禁止期間違憲訴訟と夫婦別姓訴訟―」法律時報88巻 7 号(2016 年)66頁、尾島明「再婚禁止期間と夫婦同氏制に関する最高裁大法廷の判断」法 律のひろば69巻 4 号(2016年)66頁、小山剛「夫婦同氏制を定める民法750条の合
の関心を後述する 2 点に絞って考えてみたい。はじめに、最高裁大法廷判 決の概要を再度整理したうえで、これらの問題関心を示し、検討をしてい きたい。
一 最高裁大法廷判決
1 概要
はじめに、本最高裁大法廷判決がどのような内容だったのかを確認して おく。最高裁多数意見(以下、多数意見)は、以下のような論理で、民法 750条が憲法13条、14条、24条に違反しないと説いた。
( 1 ) 憲法13条との関係
多数意見は、氏名が人格権の一内容を構成すると認めるものの、氏には
「社会の構成要素である家族の呼称としての意義」があり、「婚姻を含めた 身分関係の変動に伴って改められることがあり得ることは、その性質上予 定されている」とする。そうした現行制度下の氏の性質から、「婚姻の際 に『氏の変更を強制されない自由』が憲法上の権利として保障される人格 権の一内容であるとは」いえず、民法750条は、憲法13条に違反するもの ではない。
ただし、多数意見は、「もっとも」としたうえで、氏の変更により「ア 憲性」平成28年度重要判例解説(ジュリスト1505号)21頁、斎藤一久「夫婦同氏原 則を定める民法750条の合憲性」法学セミナー735号(2016年)108頁、篠原永明
「『婚姻の自由』の内容形成―夫婦同氏制合憲判決を参考に―」甲南法学57巻 3 ・ 4 号(2017年)605頁、建石真公子「民法733条 1 項・750条の憲法適合性判断」判例 時報2284号(2016年)53頁、中里見博「夫婦同氏訴訟最高裁大法廷判決」法学教室 431号(2016年)30頁、山元一「トランスナショナルとドメスティックの間で揺れ る最高裁」法律時報88巻 3 号(2016年) 1 頁、横尾日出雄「憲法判断の積極主義的 傾向と最高裁判例:再婚禁止期間違憲訴訟最高裁判決と夫婦別姓訴訟最高裁判決を めぐって」中京ロイヤー26号(2017年)11頁。
イデンティティの喪失感」を抱くことや「個人の信用、評価、名誉感情等 にも影響が及ぶ」不利益は否定できず、晩婚化が進んでいることも考えあ わせ、「婚姻前に築いた個人の信用、評価、名誉感情等を婚姻後も維持す る利益等は、憲法上の権利として保障される人格権の一内容であるとまで はいえないものの、……氏を含めた婚姻及び家族に関する法制度の在り方 を検討するに当たって考慮すべき人格的利益である」と述べ、憲法24条に ついての立法裁量の範囲を超えるものであるか否かの検討に当たっての考 慮事項とした。
( 2 ) 憲法14条との関係
次に、多数意見は、婚姻の際に、96%以上の夫婦が夫の氏を選択すると いう性差別を民法750条が発生させていることが、憲法14条 1 項に違反す るのではないかという点を検討する。この点、民法750条は形式的には平 等であり、規定のあり方自体から上記結果を認められないとする。しか し、多数意見は「もっとも」と述べて、氏の選択についての上記状況が
「夫婦となろうとする者双方の真に自由な選択の結果によるものかについ て留意が求められるところであり、仮に、社会に存する差別的な意識や慣 習による影響があるのであれば、その影響を排除して夫婦間に実質的な平 等が保たれるように図ることは、憲法14条 1 項の趣旨に沿うものである」
と述べ、これも、憲法24条についての立法裁量の範囲を超えるものである か否かの考慮事項にすると述べた。
( 3 ) 憲法24条との関係
最後の論点は、民法750条の憲法24条適合性である。これについて、多 数意見は、憲法24条 1 項は、「婚姻をするかどうか、いつ誰と婚姻をする かについては、当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべきであ るという趣旨を明らかにしたものと解され」、「婚姻の効力の一つとして夫 婦が夫又は妻の氏を称することを定めたものであり、婚姻をすることにつ
いての直接の制約を定めたものではない」と述べた。そして、事実上の制 約については、婚姻制度の内容を定める立法裁量の範囲を超えるものであ るか否かを検討する際に考慮するとした。
さて、多数意見によれば、憲法24条は立法裁量を限定する指針を示して おり、「憲法上直接保障された権利とまではいえない人格的利益をも尊重 すべきこと、両性の実質的な平等が保たれるように図ること、婚姻制度の 内容により婚姻をすることが事実上不当に制約されることのないように図 ること等についても十分に配慮した法律の制定を求める」ものであるとい う。
そこで、本件規定の憲法24条適合性について、国会の立法裁量の範囲を 超えるものか、総合判断する。多数意見は、一方で、氏が家族の呼称とし ての意義があり、家族が「社会の自然かつ基礎的な集団単位」と捉えら れ、その呼称を一つに定めることに合理性を認める。夫婦同氏は、家族と いう一つの集団を構成する一員であることを、対外的に公示、識別する機 能があり、特に、「婚姻の重要な効果として夫婦間の子が夫婦の共同親権 に服する嫡出子」があり、「嫡出子であることを示すために子が両親双方 と同氏である仕組みを確保することにも一定の意義がある」。さらに、「夫 婦同氏制の下においては、子の立場として、いずれの親とも等しく氏を同 じくすることによる利益を享受しやすい」。
他方で、多数意見は、先の13条、14条に関する不利益、すなわち夫婦同 氏制によって氏を変更する者のアイデンティティの喪失感等や妻側がそう した不利益を受けることが多いことを述べるとともに、こうした不利益を 避けるため、あえて婚姻をしない選択をする者がいることも指摘する。
しかし、この不利益は通称を使用することで一定程度の緩和がされると いう。すなわち、「夫婦同氏制は、婚姻前の氏を通称として使用すること まで許さないというものではなく、近時、婚姻前の氏を通称として使用す ることが社会的に広まっているところ、上記の不利益は、このような氏の 通称使用が広まることにより一定程度は緩和され得る」。以上から、本件
規定は憲法24条に違反しない。
また、多数意見は、本件の判断が選択的夫婦別氏制度の不合理性を断ず るものではなく、国会で判断されるべき事柄とも付している。
2 判決についての評価と論点
今、内容を確認した最高裁大法廷判決は、民法750条が規定する夫婦同 氏制による憲法13条、14条に係る不利益があることを認め、その不利益 を、制度設計についての国会の立法裁量に逸脱があったかどうかを判断す る考慮要素にしていた。こうした不利益が総合衡量の過程に入ったもの の、判決は、通称使用の広がりが当該不利益を一定程度緩和させるとし て、民法750条が定める夫婦同氏制は立法裁量を超えるものではなく、憲 法24条にも違反しないとした。
本稿で取り上げたい問題の第 1 点は、この最後の点である。すなわち、
通称使用の広がりが本当に、夫婦同氏制がもたらす憲法13・14条について の不利益を一定程度緩和するものなのかどうかである。この議論だけで本 件が合憲になったわけではないが、総合衡量の一要素としての重みはあ り、それに応じた説得力が求められよう。また、本稿は、その結論に至る 議論の背景に、ジェンダーに基づく不平等が不適切な形で作用したのでは ないかとの疑いを持っている。検証は難しいかもしれないが、この点を考 えてみたい。
本稿が取り上げたい第 2 点目の問題は、多数意見における「婚姻の自 由」の扱いについてである。多数意見は民法750条の憲法24条適合性につ いて、夫婦同氏制が立法裁量を超えるものかどうかで判断したが、そこで の憲法24条が定める婚姻の自由の議論は十分なものだっただろうか。多数 意見は、夫婦同氏制が婚姻の効力の 1 つで、直接の制約ではなく、事実上 の制約として議論したが、原告のように婚姻は望むけれども、氏の変更を 望まない者にとって障害となっており、法律婚を避ける者まで存在すると いうことは、やはり婚姻の自由を制約しているのではないか。このことも
含めて検討したい。
そして、この第 2 点目は、婚姻の自由や法律婚、家族等について、重要 な憲法上の論点を投げかけていると思われる。こうしたより根源的な論点 について網羅的に扱うことはできないが、近時のアメリカにおける同性婚 訴訟を素材に若干の検討を試みる。
二 通称の使用の拡大は、
夫婦同氏制のもたらす不利益を緩和するか
まず、多数意見が示した、通称使用の拡大が憲法13条、14条にかかわる 不利益を緩和するとする件である。はじめに、通称使用の拡大についての 現状や他の裁判例を見ながら、多数意見を検討したい。
1 通称使用の拡大
近年、通称の使用を公的な場面で認める動きが目につくようになってい るが、本件で最高裁が旧姓使用の広がりを夫婦同氏制を合憲とする論拠の 1 つとした時点では、裁判官自身は旧姓の使用が認められていなかった。
判決の約 1 年半後の2017年 6 月28日に、最高裁は、判決文などの裁判文書 における裁判官の旧姓使用を認めるとの発表をした(5)。約 1 年半というタイ ムラグだけを見れば、多数意見の論拠に疑問が生じないわけではないが(6)、 こうした方針転換自体は、旧姓の信用性を向上させるという意味や通称を 使用することが社会に定着するという意味で歓迎できる。
また、公的な場での旧姓使用の動きでは、平成28年 5 月13日の男女共同 参画会議決定を受けて、住民基本台帳とマイナンバーカードで、希望者に
(5) 朝日新聞2017年 6 月29日朝刊。
(6) 岡部裁判官は、「通称は便宜的なもので、使用の許否、許される範囲等が定ま っているわけではなく、現在のところ公的な文書には使用できない場合があるとい う欠陥がある」と述べていた。
旧姓併記が認められるよう総務省が準備をしており、2018年度以降の実施 に向け準備をしている。さらに、パスポートについても外務省が届出だけ で旧姓の併記を可能にするよう検討している。これも、2017年 6 月上旬に 政府が決定した「女性活躍加速のための重点方針」を受けてのことであ り、従来は、旧姓で仕事をしていることを示す会社の証明書や活動実績を 示す書類が必要であったが、パスポートの表記を「戸籍に記載されている 氏名」と定める旅券法の施行規則を改正して、上記の運用を目指してい
(7)る
。
こうした内閣府男女共同参画局を中心とする、女性一人ひとりが自らの 希望に応じて活躍できる社会づくりに向けた取り組みは、旧姓を用いて仕 事や活動をする者の不都合を解消し、大きな助けになるとともに、後述す る、労働市場での男女格差がある現状を改善する手立てになろう。また、
住民票やマイナンバーカード、パスポートといった証明力の大きい公的文 書で旧姓の使用が認められることは、旧姓の信用力や旧姓を尊重するとい う意味において、大きなインパクトが認められる。
他方で、これらの動きが念頭に置いている、経済、労働分野で活躍する 女性像と後述する多数意見が示した法律婚内部の女性像、すなわち民法 750条のために実質的な不平等状態にあり、個人として抑圧されている女 性像とに矛盾はないのか、はたして一致するものなのかという疑問はあ る。
そのようなことを思えば、公的文書における旧姓使用が拡大すること で、旧姓の信頼力が高まることや旧姓使用が社会に受け入れられることに つながる効果は期待できるものの、それだけにかえって、民法750条の違 憲性を主張する本稿の立場からすれば、それが夫婦同氏制を温存させるこ との後押しにならないかという一抹の不安もある(8)。しかし、総じて考えれ
(7) 朝日新聞2017年 6 月 1 日朝刊。
(8) 座談会「夫婦同氏規定・再婚禁止期間規定の憲法適合性をめぐって」法の支配 第183号(2016年) 9 頁(窪田充見発言)も、通称使用を法的に認めるのは、実際
ば、こうした公的文書に関する動きが、通称として旧姓を広範囲に使用し ても社会に混乱や支障をもたらすことがないことの証左となり、選択的夫 婦別姓制度への道筋になるとすれば、その意味で、大きな前進であるとい えよう。
2 難点
上で見たように、通称としての旧姓使用の動きは広がりつつあり、多数 意見が憲法13条、14条に係る不利益を退けた論拠に、一定の説得性を与え ているといえる。しかしながら、通称使用の拡大について、多数意見の説 得性に疑問を感じる事柄もある。ここでは 2 つの事柄、 1 つは比較的最近 の地裁判決、もう 1 つは本件の背景にあるジェンダーに基づく不平等につ き、順に論じたい。
( 1 ) 司法内でのばらつき―1 つの事件
最高裁大法廷判決から約10カ月後に下された地裁判決(9)がある。同判決で は、私立の中高一貫校に勤務する教員である原告が、業務に当たり通称と して婚姻前の氏を使用することを希望したにも関わらず、それを認めなか った学校側に対して、人格権に基づいて、時間割表などで旧姓を使用する ことを求めるとともに、人格権侵害の不法行為等で慰謝料の支払いを求め た。
東京地裁は、婚姻前の氏は、婚姻時まで個人識別特定機能を有し、個人 として尊重される基礎であり、信用、評価、名誉感情等の基礎ともなるの で、「通称として婚姻前の氏を使用する利益は、人格権の一内容にまでな るか否かは措くとしても、少なくとも、上記の意味で、法律上保護される 利益である」と述べる。
しかしながら、婚姻によって氏を改めた場合には、その新たな戸籍上の には選択的夫婦別姓を否定する文脈の中で主張されることが多いと述べている。
(9) 東京地判平成28年10月11日判時2329号60頁。
氏が氏の変更後直ちに個人識別特定機能を有し、個人として尊重される基 礎、人格の象徴となると述べ、「戸籍上の氏は戸籍制度という公証制度に 支えられて」おり、「婚姻前の氏に比して、より高い個人の識別特定機能 を有している」。そして、本件のように職場という集団が関わる場面にお いて職員を識別し、特定するものとして戸籍上の氏の使用を求めることに は合理性、必要性が認められるという。
さらに、東京地裁は、婚姻前の氏を通称として使用することが国や地方 公共団体など社会で広がっている傾向を認めながらも、新聞記事による既 婚女性の 7 割以上が職場で戸籍上の氏を使用している旨のアンケート調査 結果等を用いながら、通称について、戸籍上の氏名と同様の使用は「社会 において根付いているとまでは認められない」と述べた。そして、職場が 戸籍上の氏の使用を求めることで、婚姻前の氏を使用できなくなるとして も、違法な侵害であると評価できないとして、原告の主張を認めなかっ た。
東京地裁の判決に対しては、通称使用が「根付いていないから違法では ない」という判断を司法が下すことで、ますます根付かなくなるのではな いかと評価されている(10)。また、注目したいのは、通称使用が「根付いてい ない」という東京地裁の評価と、通称使用が「根付いている」ことを論拠 として民法750条の合憲判断をした本件多数意見の評価が異なる点であり、
通称使用に関して、地裁と最高裁という司法部内において見解や評価の不 一致があることを窺わせ、最高裁判決が用いた論拠の説得性はそれほど盤 石ではないように思われる。
そして、東京地裁は、通称使用が法制度化されていない現状下では、当 該個人が所属する職場や労働環境次第で、その使用が認められるか認めら れないかという不安定さも示した。すなわち、「理解のある」職場や団体 であれば通称使用が認められるけれども、そうではない職場であれば、憲
(10) 堀口悟郎「通称として婚姻前の氏を使用する利益」法学セミナー747号(2017 年)120頁
法13条・14条に関わる利益は尊重されないということになる。それは、個 人が所属する地域や慣習、雰囲気といった個別的な文脈・運用次第で、こ の重要な利益が左右されるということを意味する。このこともまた、通称 使用の広がりを合憲性の根拠とした多数意見の論拠に疑問を生じさせるも のであるといえる。
( 2 ) ジェンダーに基づく不平等
多数意見の論拠に疑問を感じるもう 1 点として、夫婦同氏問題の背景にあ るジェンダーに基づく不平等を挙げたい。というのは、多数意見は、総合 衡量により、憲法13・14条に係る不利益を退けたが、その不利益の評価 は、ジェンダー・バイアスが掛かっており、適正になされたものではなか ったとのではないかという疑問である。すなわち、多数意見自身が、婚姻 前の氏で築いた社会的な地位や業績について改氏で不利益を被る女性数の 増加を指摘し、または、改氏に際して社会に存する差別的な意識や慣習に よる影響の可能性も指摘していたが、これらの要素の重みを十分に認識す れば、多数意見の結論にはならなかったのではないだろうか。
ここでは、その不十分な理解が疑われるとともに、現実に、その重みが 不十分であること、すなわち労働面における男女の歴然とした格差の存在 が、多数意見に作用したように思われる。すなわち、姓の変更によって仕 事上の不利益を被る女性や労働者としての女性の存在は、経済分野におけ る男女格差を背景として、総量として重いものにはなっていないという事 実とその認識が多数意見の結論を導いたのではないかということである。
以上はなかなか検証が難しく、例えば、氏の変更によって仕事上の不利 益を被る女性がどれくらい存在するのか、その不利益がどの程度大きいの かを指し示すデータは手元にない。しかし、経済分野における男女格差や 労働者としての男女にどの位の格差があるのかは既に示されている。2016 年の世界経済フォーラムが平成28年10月に示した「ジェンダーギャップ指 数2016」によれば、日本の推定勤労所得の男女比は、0.61(女性は男性の
61%の所得)であり、経済参画分野でのジェンダーギャップ指数は、世界 144ヵ国中118位となっている。こうした数字を評価する専門性が欠けてい るのは認めたうえで、それでも、これらの数字が男女の労働分野における 不平等、それもささやかとはいない不平等を物語っていることは確かでは ないだろうか(11)。
しかし、労働力としての女性が経済参画分野において劣位にあるとして も、それを理由として、司法府が女性労働者のキャリアや信頼性を軽んじ ることは許されないはずである。それは、差別的な現状を肯定、裏書して いくことにもつながる。むしろ、このような状況下だからこそ、同じく政 治参画分野での女性推進が叫ばれる民主制の過程以上に、司法府には、政 治的少数者としての女性を尊重する期待が高まるといえる。
以上のことを踏まえた指摘であると理解できるのが、本件における岡部 裁判官の意見ではないだろうか。同意見は、夫婦同氏制度が制定当時は憲 法24条に適合するものであったが、現時点では、違憲であるとする。その 理由の 1 つとして女性の社会進出を挙げ、婚姻前のみならず婚姻後も働く 女性の増加により、改氏で「当該個人が同一人であるという個人の識別、
特定に困難を引き起こす事態が生じてき」て、「婚姻後も婚姻前の氏によ って社会的経済的な場面における生活を継続したいという欲求が高まって きたことは公知の事実」と述べる。さらに、これは単に不便というだけで はなく、例えば、婚姻前の営業実績を積み上げても、氏の変更で評価を受 けることができないなど、「業績、実績、成果などの法的利益に影響を与 えかねない状況」が容易に推察できるという。
(11) 内閣府男女共同参画局 HP に、この解説がある。(http://www.gender.go.jp/
public/kyodosankaku/2016/201701/201701_04.html)日本においてのみならず、世界 経済フォーラムがこの年次報告書で示したのは、職場での男女平等(賃金格差)が 達成されるのは2186年(170年後)になる見通しで、この大きな数字は、男女の不 平等が世界規模で深刻な問題であることを示している。なお、前年2015年の「グロ ーバル・ジェンダーギャップ報告」での予測は2133年で、118年かかるといわれて いた。これについて、神尾真知子「118年も待てない」ジェンダーと法13号(2016 年) 1 ― 5 頁。
また、民法750条の形式的平等性について、夫の氏を称することが男女 双方の協議によるものでも、96%もの多数が夫の氏を称することは、「女 性の社会的経済的な立場の弱さ、家庭生活における立場の弱さ、種々の事 実上の圧力など様々な要因」がもたらすことといえ、「その意思決定の過 程に現実の不平等と力関係が作用して」おり、「多くの場合妻となった者 のみが個人の尊厳の基礎である個人識別機能を損ねられ、また、自己喪失 感といった負担を負うこととなり、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚 した制度とはいえない」とも述べている。
こうしたことをジェンダーに基づく不平等と呼べば、それを、データに よって完全に検証し、示すことは難しいのかもしれない。また、女性も一 枚岩ではなく、その不平等性についての意識や実態も、女性全体として完 全に共有できるものではないだろう。それでも、この女性が置かれた状況 を示唆しながら論じる岡部意見に、櫻井裁判官、鬼丸裁判官が同調したこ と、すなわち、最高裁大法廷を構成する 3 人の女性裁判官全てがこの問題 で意見を一致させたことからは、夫婦同氏制をめぐる問題に、ジェンダー に基づく不平等が背景にあることを窺わせる(12)。この点、社会的な差別構造 を指摘した上で、 3 人の女性裁判官が意見を一致させたことは「決して偶 然ではな」く、決して「女性の利益」を集団として擁護した結果などでは ないという指摘(13)は正鵠を射ていて、本件はまさに「社会ひいては国家にお
(12) この点、「裁判官の性別の強調」という表層的な分析では問題の解決を遠ざけ るとの指摘もある。木村草太「夫婦同姓合憲判決の意味―何の区別が問題なの か?」自由と正義2016年 6 月号110頁。この指摘について、ジェンダー・バイアス や社会的現実を軽視する傾向がないかとの問いがある。辻村みよ子「『憲法と家族』
をめぐる理論的課題―2015年(平27)年12月16日最高裁判決後の動向」浦田一郎先 生古稀記念『憲法の思想と発展』(信山社、2017年)293頁。ジェンダーに基づく不 平等については、14条と間接差別との関係で論じる必要もあるが、それについては 同論文と辻村みよ子「憲法からみた家族の動向と課題」月報司法書士543号(2017 年) 4 頁以下、前掲の木村論文と同「夫婦別姓訴訟の憲法的考察」月報司法書士 543号(2017年)22頁以下を参照。
(13) 高橋和之「夫婦別姓訴訟―同氏強制合憲判決にみられる最高裁の思考様式」世 界2016年 3 月号141頁。
ける女性の対等な『人格』としての実質的な承認をめぐる問題(14)」であると いえる。
このように考えれば、多数意見は社会的な現実としてのジェンダーに基 づく不平等を認識し、それを考慮に入れた適切なものとはいえないように 思われる。このことは、憲法学における課題でもあろう。なお、議論の背 景にジェンダーに基づく不平等性を指摘できるものの、無論、本問題は女 性にだけ限定されるわけではなく、男性も含めたカップルの生き方に関わ る問題である(15)。
三 婚姻制度と婚姻の自由
1 婚姻制度についての立法裁量
次に、本稿が関心を寄せる 2 点目の問題、すなわち、本件多数意見にお ける婚姻の自由の扱いについて考えたい。多数意見は、夫婦同氏制が憲法 13・14条についての不利益を特に女性側にもたらすとし、憲法24条 2 項が 立法裁量を限定する指針を示すとしながらも、総合衡量の結果、民法750 条を合憲とした。この結論に至る一因として、多数意見が婚姻の自由につ いて、その趣旨を述べながらも、婚姻の自由を明確な形で「憲法上の権 利」と位置付けず(16)、夫婦同氏制についての立法裁量、総合衡量に回収した ことが挙げられる。
(14) 巻美矢紀「憲法と家族―家族法に関する二つの最高裁大法廷判決を通じて」論 究ジュリスト18号(2016年)86頁、91頁。
(15) 座談会・前掲註( 8 )19頁(宍戸常寿発言)。ここでは、法制度としての規格 を選ばざるを得ない国民にとっての不利益を考慮する必要性も述べられている。な お、木村・前掲註(12)「夫婦同姓合憲判決の意味―何の区別が問題なのか?」115 頁以下は、本件は男女の区別の問題でなく、同姓同意カップルと別姓希望カップル との間の区別が問題であるとする。
(16) 辻村・前掲註(12)「『憲法と家族』をめぐる理論的課題―2015年(平27)年12 月16日最高裁判決後の動向」306頁。
こうした憲法24条 2 項が立法裁量を限定するものとした手法について は、一定の評価がなされている(17)一方で、結局のところ、それは憲法24条 2 項を立法裁量に対する指針に「格下げ」するものであり、結論までの過程 をブラックボックスに入れた透明性のない判断過程とすることで説得力を 大きく損なうもの(18)とも評されている。
確かに、結論とそれに至る過程を眺めれば、多数意見の思考のなかに13 条の「個人の尊重」を真摯に捉える視点はなく、それを24条の制度論の下 位に位置づけたため、立法裁量を制約する原理として活かされなかった(19)と いうことになろう。
そうであれば、憲法24条 2 項が、立法に対する指針、要請としての規範 部分を持つとともに、「個人の尊厳」と「両性の本質的平等」という人権 の基本原理を掲げている以上、立法の指針以上の規範的意味があり、その 人権原理から派生する人格権、平等権、結婚の自由という権利の制約を立 法裁量の下に置くことは基本的に許されず、判決が憲法24条 2 項をもっぱ ら立法裁量を限界づける規定とみなしているのは、憲法24条 2 項の意義を 看過するものであるという指摘は的確であるといえる(20)。
2 制度依存的権利
以上のような議論の背景にあるのは、既に指摘されているように、本件 が婚姻制度に関する事案ということである。すなわち、氏名変更権や婚姻 の自由は戸籍などの国家制度を前提としており、その枠内で認められるい わば制度的自由としての性格を有しており、自然的自由と比べて合憲的な
(17) 石埼学「夫婦同氏訴訟―民法750条の合憲性」新・判例解説 Watch18巻(2016 年)34頁。
(18) 高橋・前掲註(13)149―150頁。
(19) 辻村みよ子「『個人の尊重』と家族―憲法13条論と24条論の交錯」法理時報増 刊 戦後日本憲法学70年の軌跡(2017年)112―120頁、117頁。辻村・前掲註(12)
「『憲法と家族』をめぐる理論的課題―2015年(平27)年12月16日最高裁判決後の動 向」306―307頁も参照。
(20) 戸波・前掲註( 3 )26―27頁、30頁。
制約を受けやすいという点である(21)。こうした、人権の保障内容は法制度に より具体化される以上、人権の保障範囲は制度の枠内に限定されるという 考え方は制度優先思考とも呼ばれる(22)。こうした思考からは、憲法13条の氏 名権や24条の婚姻の自由は、婚姻制度に依存するものとして、憲法上の権 利としての権利性が弱められてしまう。実際に、多数意見においても、憲 法24条 1 項の婚姻の自由は憲法上の権利としての位置づけはなく、それな りの保護に値するとされ、博多駅事件における取材の自由(23)のような、憲法 上の自由・利益の保護の程度にグラデーション付けする発想が採られてい
(24)る
。
確かに、憲法24条 1 項の婚姻の自由を法律婚という形で実現するなら ば、それは国家が構築する婚姻制度によるものであり、その制度について の立法裁量も認められる。しかし、その制度依存的権利であることや立法 裁量を過度に強調することで、個人の人格面に関わり、尊重されるべき憲 法上の権利が後退することは、妥当ではない。この点については、既に、
本判決に対して説得的な反論がなされており、理論的な克服は複数の角度 から可能であると思われる。以下、それを少し見てみることにする。
まず、根源的な反論として、婚姻による夫婦の氏をどのように定めるか は婚姻の制度形成に関係する事柄であり、立法裁量が広く認められるにし ても、例えば、選挙制度についての定数不均衡訴訟や在外選挙違憲判決等 を参照しても分かるように、およそ違憲問題が生じないということではな
(25)い
。そのうえで、制度は人権を実現するために存在する(人権の制約とし て許される範囲内で構築されなければならない)という基本原理からすれば、
(21) 内野正幸『人権のオモテとウラ―不利な立場の人々の視点』(明石書店、1992 年)144頁。
(22) 高橋・前掲註(13)144頁。
(23) 最大決昭和44年11月26日刑集23巻11号1490頁。
(24) 座談会・前掲註( 8 )31―32頁(宍戸常寿発言)。本判決の固有の意義として、
憲法24条の固有性ないし重要性を浮かび上がらせたことを指摘する。
(25) 戸波・前掲註( 3 )25頁。
本末転倒のそしりを免れない(26)。
そして、確かに法律上の婚姻は制度の問題であるにしても、婚姻そのも のは社会で自生的に成立する人間の営みで前国家的な人権の問題であり、
国家が社会の要請に応えて規律を施したものと理解すれば、婚姻の要件は 婚姻の自由を制限するものであり、その要件の必要性や正当性の論証が必 要になる(27)。または、婚姻については、同様に自生的に成立したものが法制 度化された財産権と異なり、人格性がより強いといえ、さらに、社会的偏 見が強い婚姻や家族については、憲法によるより強い統制が必要であると いえる(28)。
また、本最高裁判決から離れた文脈でも、婚姻は、法制度の存在を前提 にする、制度設営義務と対応する権利であるが、だからといって直ちに、
極めて広範な立法裁量が認められる抽象的な権利にとどまるとの結論が導 かれるわけではなく、憲法24条は婚姻制度に関する法制度が、個人の尊厳 と両性の本質的平等に立脚して定められることを要求しており、それに反 する婚姻制度が定められれば、婚姻の自由を侵害するものと評価できると いわれている(29)。婚姻の自由とは、法の設定する様々な効果へのアクセスを 保障する権利であり、法の定める要件・効果の集合を前提として、はじめ て人は、自らの選ぶ相手と社会的に「婚姻」と認知される関係を取り結ぶ こと(あるいはそれを解消すること)ができるからである。
以上を考えあわせれば、確かに、法律婚は制度に基づくものであるもの の、それは個人間の結合を国家が公認する性格のもので、国が提供するサ ービスや制度とは性質を異にし(30)、制度に関しての立法裁量も限定されるは ずである。そして、婚姻を実行するうえで、氏名やアイデンティティ等に
(26) 辻村みよ子「『個人の尊重』と家族―憲法13条論と24条論の交錯」法律時報増 刊『戦後日本憲法学70年の軌跡』(日本評論社、2017年)116頁。
(27) 高橋・前掲註(13)147頁。
(28) 巻・前掲註(14)93頁。
(29) 長谷部恭男『憲法の理性』(東京大学出版会、2006年)133頁。
(30) 高橋・前掲註(13)147頁。
関する憲法上の利益を放棄することを迫る制度、すなわち、放棄したくな いものは、婚姻することはできないという制度はいわゆる違憲の条件とも いえ、制度としての合理性が疑われ、立法裁量を超えるものといえないだ ろうか。
以上の議論は、「婚姻の自由」をどのように考えるかという問題に行き つく。多数意見が示す家族観とともに、この問題についてもう少し考えて みたい。
四 婚姻の自由と家族の問題
1 多数意見の家族観
多数意見は、民法750条が規定する夫婦同氏制を合憲とする論拠の 1 つ として、婚姻を軸とする夫婦と嫡出子からなる家族観を提示しながら、
「嫡出子であることを示すために子が両親双方と同氏である仕組みを確保 すること」の意義を挙げていた。そして、「子の立場として、いずれの親 とも等しく氏を同じくすることによる利益を享受しやすい」とも述べてい る。
しかし、同氏であることが嫡出子の利益に適うことを認めるとしても、
それは法律婚をする個人の氏名についての人格権や婚姻の自由を退けるほ どのものであろうか。穿った見方かもしれないが、親と嫡出子が同氏を持 つ利益をそれほどまでに高く評価するのであれば、法律婚をした者が事情 を持って離婚したり、再婚することで、子どもと氏を異にすることは憚ら れる事柄になってしまうのだろうか。それは、家族の同氏という概観や形 式を整えることに執着することで、家族内部にいる個人(多くは女性)の 氏名に関するアイデンティティ等の憲法上の利益を放棄させ、家庭内部の 個人を抑圧することにならないだろうか。
また、婚姻制度を構築する上で、一定の「標準」的家族像を示すことが
不可避的であり、従来は夫婦と嫡出子から構成される家族が比較的多数で あったにせよ、近年、夫婦と嫡出子という標準的家族像の強調は、婚外子 差別の基礎にもなることも指摘され、法律婚をカップルに焦点を当てた制 度として再定義する方向も示されている(31)。
法律婚を構成するメンバーをどのように考えるか、という問題は難問で あるが、そのことと夫婦同氏制との関係性をどのように考えるかについて は、本判決における岡部裁判官の「離婚や再婚の増加、非婚化、晩婚化、
高齢化などにより家族形態も多様化している現在において、氏が果たす家 族の呼称という意義や機能をそれほどまでに重視することはできない。世 の中の家族は多数意見の指摘するような夫婦とその間の嫡出子のみを構成 員としている場合ばかりではない」という意見を支持したい。なお、夫婦 同氏が家族という集団の対外的な識別、公示機能となるという議論と通称 使用の拡大が夫婦同氏による不利益を緩和するとしていた議論の整合性に ついては疑問も提示されている(32)。
2 最高裁大法廷判決が投げかける問題
さて、多数意見はその議論や結論に疑問を残しただけでなく、法律婚を 構成するメンバーや婚姻の自由についての問題を投げかけていた。これら の問題は、アメリカにおける同性婚訴訟などで問われていることと重なる ように考える。つまり、個人にとって、婚姻する自由は法律婚制度との関 係でどのように捉えるべきか、法律婚の意義とは何か、そこからこぼれ落 ちる個人や家族は、彼らの尊厳や自律との関係でどのように考えるきか、
といった問である。その先には、法律婚制度の正統性に執着し続けること は妥当なのか、法律婚を相対化(33)することは可能かといった問題もあろう。
(31) 吉田克己「近時家族法判例を読む視点」ジェンダーと法13号(2016年)11―22 頁、12―13頁。
(32) 座談会・前掲註( 8 )10頁(窪田充見発言)、(西希代子発言)。
(33) 吉田・前掲註(31)11頁。
これらの問題群の一部はかつて別稿(34)で検討したことがあったが、本件に よって、より可視化されたように思う。いずれも難問であり、全てに取り 組む準備はもとより不足しているが、ささやかな一歩を進めるべく、アメ リカの同性婚訴訟をめぐる議論を検討する。
3 Obergefell 判決
アメリカ連邦最高裁において、近年、同性婚については幾度か争われて いたが、州法による同性婚の禁止を違憲とした Obergefellv.Hodges(35)で一 連の決着がついたようである。
Obergefell 判決については既に多くの文献で紹介がなされているので(36)、 本稿との関係では、同判決が婚姻の権利の本質的な性質として 4 つのこと を挙げたことに注目する。同判決は、そこから同性カップルにも等しく婚 姻の権利が適用されるとした。
その第 1 点目は、婚姻に関する個人的選択をする権利は、個人の自律の 概念に固有のものであるということであり、第 2 点目は、婚姻の権利は、
2 人の結合(union)を保護(support)するゆえに基本的であるというもの である。そこでは、婚姻の権利は、「互いにコミットメントによって彼ら 自身を定義することを望む」カップルに尊厳性を付与するものであると語 られる。第 3 点目は子どもと家族を保護することである。第 4 点目は、婚
(34) 田代亜紀「現代『家族』の問題と憲法学」佐々木弘道、宍戸常寿編著『現代社 会と憲法学』(弘文堂、2015年)73頁以下。
(35) Obergefellv.Hodges,135S.Ct.2584(2015).
(36) 本稿脚注で挙げたもののほかに、さしあたり以下を参照。大林啓吾「同性婚問 題にピリオド?―アメリカの同性婚禁止違憲判決をよむ」法学教室423号(2015年)
38―43頁、小竹聡「アメリカ合衆国憲法と同性婚― Obergefell 判決をめぐって―」
拓殖大学論集18巻 2 号(2016年)56―87頁、白水隆「オバーゲフェル判決を振り返 る」立教アメリカン・スタディーズ38号(2016年)123―133頁、中曽久雄「同性婚 の権利と連邦憲法( 1 )、( 2 ・完)」愛媛法学雑誌42巻 1 ・ 2 号(2016年)71―96 頁、愛媛法学42巻 3 ・ 4 号(2016年)131―151頁、根本猛「同性婚とアメリカ合衆 国憲法」静岡法務雑誌 8 号(2016年) 5 ―37頁。
姻の権利が社会秩序の礎(keystone)であるというものである(37)。Obergefell 判決は先例を引いて、婚姻は「我々の市民社会全体を特徴づける偉大な公 的制度」で、州が同性愛者たちを社会の主要制度から締め出すというなら ば、彼らの尊厳性を賤しめる以外の何ものでもないと述べた(38)。
注目されるのは、Obergefell 判決では、日本の最高裁多数意見が示した ような、憲法上の利益を退ける制度的思考は見られず、むしろ、公的制度 から締め出される者の尊厳性を救おうという姿勢が見られる点である。こ うした姿勢の前提には、婚姻をする権利は、婚姻は個人の自律に由来する 人格的選択であり、婚姻が 2 人の結合をサポートし、尊厳性を付与するも のだとの理解がある。アメリカ連邦最高裁は、かくして、婚姻の権利が人 の自由に固有の基本的権利であり、第14修正のデュープロセス条項と平等 保護条項から、同性カップルが婚姻に関する権利と自由をはく奪されない との結論を得る。
Obergefell 判決には、 4 人の裁判官の反対意見が付されており、連邦最 高裁内部でも、同性婚の是非というテーマが論争的であることが確認でき る。また、連邦最高裁多数意見には批判も複数あるとされていて(39)、議論が 本当の意味で収束しているかは不明である。ともあれ、連邦最高裁の法廷 意見が、上述のように、婚姻について制度と権利を整合させる理解を試み たことは、日本の憲法学が家族や婚姻を考える上で示唆的であるように思 われる。確かに、Obergefell 判決が述べた、個人が婚姻という人格的選択 をし、そこに法律婚という尊厳性を求めることは個人にとって基本的権利 であるということからは、憲法24条 1 項の「婚姻の自由」の中身を再考 し、それを憲法上の権利として位置づける理論的可能性を見出すことがで きよう。このことは、夫婦同氏訴訟の多数意見が説明した憲法24条の趣旨
(37) Obergefell,supranote34,at2599-2601.
(38) Id.at2601.
(39) 上田宏和「Obergefell 判決における同性婚と婚姻の権利」創価法学46巻 1 号
(2016年) 1 ―31頁、24―26頁。
とも矛盾せず、制度優先思考を克服できるようにも思われる。
しかし、他方で、連邦最高裁法廷意見は、法律婚により尊厳性が与えら れると述べ、「同性婚を訴える彼らは婚姻に対して敬愛の念を持っている」
など、法律婚に特別な位置づけを与えているように思われ、実際に、本判 決は、「婚姻というものの特権的位置づけ」をし、伝統的な婚姻の価値、
marriage の文化的権威性を踏襲したと評されている(40)。
確かに、本訴訟の原告である同性カップルは法律婚の「正統性」を求 め、そこでの平等を求め、訴訟を展開してきているのだから、判決がそう した議論をするのは当然なのかもしれない。しかし、法律婚の公認や正統 性の過度な強調は、法律婚を選択しない者や、なお法律婚の「標準」的家 族像からこぼれ落ちている者の存在に思いをはせると、一抹の疑問もあ る。すなわち、今回の訴訟で、同性カップルは法律婚の「標準」的家族像 の一つであると認められ、一連の同性婚訴訟は「愛の勝利(LoveWins(41))」 というフィナーレを迎えたけれども、なお問題は残っているように感じら れる。
この点を指摘するのが、RuthColker である。彼女は Obergefell 判決に ついて、「婚姻の平等(marriagaeequality)」が意味する 1 つである、諸個 人が差別されることなく婚姻関係に入ることが出来るということを確実に 促進した判決であったと評価する(42)。というのは、Obergefell 判決はカップ ルに対して、性別や性的指向に関係なく、制度に入ることを許したからで ある。
ただし、彼女は、Obergefell 判決の個人の自律についての取り扱いに、
(40) 駒村圭吾「同性婚と家族のこれから―アメリカ最高裁判決に接して」世界2015 年 9 月号25―26頁。
(41) JimObergefell & DebbieCenziper,LoveWins:TheLoversandLawyersWho FoughttheLandmarkCaseforMarriageEquality(WilliamMorrow,2016).
(42) RuthColker,TheFreedomtoChoosetoMarry,Colum.J.Gender&L.383,387
(2016).「結婚の平等」の後の 2 つの要素は、①カップル当事者間の平等と②結婚し ているカップルと非婚カップル間の平等であるという。
異議を唱える。すなわち、連邦最高裁は、婚姻に関する個人的な選択を、
州が認める婚姻制度に入る個人的な選択であると捉えており、だからこ そ、法廷意見は州が婚姻を承認することを、個人の自律と結びつけた。し かし、個人の自律を強調すれば、リバタリアンの観点を喚起し、個人は、
州の干渉無しに自分ひとりで決定すべきであるということになるはずであ る。すなわち、州は婚姻について完全に中立的な態度を取るべきで、婚姻 関係に私的に入ることを人々に禁じたり、そうした人々に法的利益を与え ないということはできないことになる。以上のように、個人の自律の概念 が、州に対して婚姻関係を承認せよと要求する点の矛盾を彼女は示す(43)。 こうした彼女の考えは、夫婦同氏訴訟の多数意見で示された制度論的思 考とは原則的には異なるものの、共通する思考もある。すなわち、個人の 自律や個人的な選択は、本来は、制度に入る又は制度を利用することとは 線引きされるという点である。しかし、日本の最高裁多数意見が制度論的 思考を権利を退ける形で用いたのとは異なり、彼女は、法律婚の公認性を 過度に強調することに警戒を示す意味で用いている。彼女は、「結婚につ いての文脈で、州が婚姻派の立場を採る必要性」について、明確な説明づ けがないとも述べる(44)。
こうした彼女の議論は、「婚姻の自由」について更なる再考を突き付け るとともに、法律婚の公認性や正統性をどのように考えるかという問題と も重なり、さらにその先には、法律婚の「標準」型家族像をどのように考 えるかという問題に発展していくと考えられる。婚姻制度を構築する上 で、一定の「標準」的家族像を置くことは不可欠としても、そのどこに線 を引くかは、婚姻が人格に密接に関係することを考えると難しい。他方 で、同性婚訴訟のように、「標準」的家族像への組み入れが一定程度進め ば、「標準」自体が相対化されていくのかもしれない。または、将来的に
(43) Id.at402.駒村・前掲註(40)25頁も、本連邦最高裁判決の論理からは、婚姻 していない人は自律していないかのような響きがあると述べる。
(44) Id.at399.
は、婚姻の定義自体も変わり、個人間の親密な関係性についての法的議論 に集約していく可能性も否定できない(45)。
抽象的にはそのようにいえても、現時点で、法律婚をどのように制度設 計するかということと、憲法24条の婚姻の自由をどのように調和させるべ きなのか、という問は残ったままである(46)。すなわち、憲法24条の保障内容 と、憲法24条と憲法13・14条の関係性を明らかにするという課題である。
日本における先駆的な業績(47)を参照するとともに、上述の Obergefell 判決 において婚姻の自由とともに平等権が論じられたことの意味を吟味しなが ら、より考えていきたい。
おわりに
「家族」の問題が世界で問われるなか、夫婦同氏訴訟は、家族に関する 重要判例の 1 つとして、日本の憲法学に課題を与えた。本稿執筆中に、戸 籍法の規定に対する違憲性を主張する新たな夫婦別姓訴訟が提起されたと のニュースに接した(48)。この問題が司法の場で再び争われるなかで、議論を より深めていきたい。
(45) 駒村・前掲註(40)26頁。
(46) 座談会・前掲註( 8 )39頁(宍戸常寿発言)は、憲法24条から特定の家族像が 導かれて、その結果、現行の家族法制を憲法の名において固定化してしまう危険 も、この種の議論は包含しており、だからこそ、憲法24条の領分を明らかにする必 要があるという。
(47) 田代・前掲註(34)内の文献のほか、辻村みよ子「日本国憲法と家族法規定」
『憲法と家族』(日本加除出版、2016年)79―149頁参照。
(48) 毎日新聞2017年 9 月15日朝刊。